![]() ヴェルディはシェイクスピアの「マクベス」を4幕物のオペラとして仕立てた。初演は1847年である。その後、1865年にパリ版として大幅に改定された。ヴェルディの生前には必ずしも評価されず、「ヴェルディはシェイクスピアを理解していない」とするような評もあったそうだ。ヴェルディは激怒し、「シェイクスピアは私の最愛の劇作家の一人」と知人に書き送ったという。 チラシに「演劇×オペラが満を持して挑む二つのマクベス」とあったが、基になっているのはヴェルディのオペラのようだ。魔女も3人ではなく9人登場し、合唱部分を担っている。客層もオペラファンが占めていて、一曲終わる毎に「ブラボー」という絶妙なかけ声がかかる。舞台の進行も一つの場面を演劇部門のキャストが上演して見せ、つづいてオペラ部門のキャストがオペラで演じてみせるといくような組み立てだった。ヴェルディだからイタリア語なのだと思うが、これなら字幕はいらないわけだ。若い演奏家のためのプロジェクト公演という企画名も紹介されており、何回か同様の公演が続いているらしい。 というわけで広瀬和の応援で出かけた身としては少々物足りない思いをしたが、演劇としてつくりが粗略であったなどということはなかった。魔女9人の内、3人は演劇部門の俳優がつとめていた。オペラ歌手の声量というのはすごいものだなと感心させられたのは確かとして、演劇部門でもバンコーの亡霊におびえるマクベス、マクベスを鼓舞するレディ・マクベスともに俳優としての力が伝わって来た。 「マクベス」についてはいつかしっかり学んでみたいと思っている。イギリス史の中でみていくと王位継承の正統性に関する争闘の歴史は根深いものがあったらしいし、イングランドとスコットランドの対立にも長い歴史がある。人間存在を掘り下げていけばいたるところにマクベス的なものは発見されるだろう。柄谷行人は自身が書いた「マクベス」論は連合赤軍事件論だったという。偽王というのがキーワードにあるが、読んでもさっぱり分からなかった。 公演のことにもどれば企画の面白さも含めて十分楽しめた。広瀬は4月にも舞台があるらしい。良い役をつかんで、実力をいかんなく発揮して欲しい。自信をもって臨め、とメッセージを送りたい。 ![]() ▲
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| 2019-11-22 18:27
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11月16、17日に開催された2019年埼玉県高校演劇中央発表会に行ってきた。出かける前に済ませておきたいことがあり、初日の1本目だけ失礼したが、1日目5本、2日目4本のお芝居を見せてもらった。せっかくなので表彰式も結果発表まで居させてもらい、講評も聞かせていただいた。 最優秀賞 新座柳瀬高校 [hénri]! G.B.ショー・原作 稲葉智己・翻案 創作脚本賞 「群青フェイク」コイケユタカ・作 審査経過報告によると優秀賞の候補には芸術綜合高校「さらば夏の思い出」も残っていたとのことだ。いずれも力作だったと思う。 一緒に劇を見ていた人の意見では、先行きに様々な可能性を残しているという意味で、前回より今回のエンディングの方が優れているという。確かにイライザがヘンリーと抱擁し合うという前回のエンディングは、それが二人の恋愛の成就を意味しているとすれば唐突感は否めないし、芝居のラストシーンとしてももう一つ盛り上がりに欠けるような気がする。また、二人の住む世界の違いから考えれば、たとえ将来的にイライザとヘンリーが結ばれるとしても、まだまだ越えなければならない障壁があるはずである。そして、二人してその障壁に立ち向かおうという決意が生まれているか、と問えば、その障壁が意識されているとも、決意が固まっているとも現段階では言えないだろう。 ▲
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| 2019-11-20 16:06
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![]() 演目は、 『君恋し』〜ハナの咲かなかった男〜 作=中島淳彦 演出=黒岩亮[劇団青年座] チラシによるあらすじは、 戦争の記憶が巷に残る頃。舞台は千葉の場末の芝居小屋「白川座」。小屋主の白川伍市は金策に駆けずり回りながらも、いつか浅草に戻ることを夢見ている。その彼に声を掛けられやってきたのが、梅園香代子率いるレビュー一座。座長に惚れて教師を辞めた亭主兼マネージャー、警官を辞めて劇作家を決意する井上ひさしらしき男、浅草を夢見て芸人を目指そうとする渥美清らしき男。そんな一座の面々はゲストに迎えた一人の男を待っている。男の名は二村定一。かつて浅草でエノケンと二枚看板を張った名俳優。しかし現れた二村は酒で足元も覚束ない酔っ払い…。 ※ その白川座の楽屋兼控室らしき広間を舞台にした一幕物。かつて浅草で小屋をかまえていた白川伍一が元映画館を改装して芝居小屋を立ち上げた。極度に警官を嫌うのは戦時中にさんざん酷い目に遭わされたからだという。いつか浅草に戻ると意気込んでいるが酒と病気でかなり身体は蝕まれている様子である。梅園一座はその白川と古いなじみらしく、明日に初日を迎えるというレビューの稽古中である。どうもそれだけでは集客に不安があるというので伝手をたよって二村定一を呼んだ。その二村定一は満州時代に酒浸りとなり、往年の輝きは影を潜めたが、芸に対する執念と誇りは失われていなかった。渥美清や井上ひさし(らしき)人物も登場するが、これは数年の差で創作としても時代が合わない。ただ、終戦直後という混沌とした時代はよく表されていた。 芝居はベテラン陣と若手とが競い合ったようなというのが印象だ。変な言い方だが、ベテラン陣からは「俳優」が見えて来た。若手たちからは「人間」が見えて来た。これは先月、劇団「銅鑼」の芝居を見ていても感じたことだ。「俳優」が見えて来た、というのは否定的に断定しているのではなく、もともと「昴」の芝居を見たいと思ったというのも、演技力のしっかりしたホンモノの役者が見たいということだった。その点では今回も満足している。 若手たちのうち、二村定一を演じた白倉裕人、座長の娘梅園志津子を演じた松村凪、小屋の雑用係佐久間を演じた桑原良太の三人は広瀬と同期だということを舞台がはねてから聞いた。そういえば研究生時代の試演会や卒業公演で見覚えがあった。そのころと比較して飛躍的といっていいくらい演技力は向上していた。だから「人間」が見えたといってもけっして「素」の顔が見えたという意味でないのはもちろんである。それでもどこか演技に若々しさがあったのか、これから伸びていこうとする若き俳優たちの役づくりへのひたむきさであったのか、今日のこの芝居の中だけに収まりきれない生命感のようなものを感じたのだ。 芝居を見終わって、どうして今、戦後なのだろう?というようなことを考えた。劇中で、「時代は新しい時代にふさわしい芸術を求めている。観客が今、何を求めているかをつかまなくてはならない。」というような科白が出てきた。古い時代が去り、新しい時代が幕上げを告げようとする、その時代と時代がすれ違うさまを描こうとしたのであろうか? 二村定一が一世を風靡したのは関東大震災前だという(その後も活躍した)。その意味では二村は去りゆく世代の象徴である。しかし芝居はその二村のプライドやその裏付けとなっている才能や鍛錬を否定的には描いていない。「この世界は一度入ったら簡単には抜け出せない。」というような科白も出てくる。小屋主の白川、座長の梅園を含め、「皆変わり者」で他の世界では生きていけない、そこだけは時代を違えても変わることのない演劇人へのリスペクトが芝居を支えているのだろうか? 今日、また別なことをふと考えた。二村定一が公演中に吐血し、48才で命を落としたのは昭和23年(1948年)だという。それは太宰治が入水自殺をとげたのと同年である。「富岳百景」にはじまる中期、戦時中にも「津軽」など穏やかな作風に変わった太宰が、なぜ戦後になって逆戻りしたかのように「人間失格」や「ヴィヨンの妻」のような破滅的な作風に急変したのか、太宰にとっての戦後体験とは何であったのか。学生時代、そんなことをテーマにしてみたいと考えたことがあった。日本浪蔓派のゼミに首を突っ込んだのもそれが動機だった。 戦後直後を一言でいえば混沌と可能性の時代ということになるのだろう。だが、すぐさま「新しい可能性」へと続く道筋を見いだせたり、確信を持てたりしたわけではないだろう。時代の変化を感じ取ったり、またその必要性を認識しながら、どこへ向かったらいいのか、誰もがもがき苦しんでいたのではないのか。 最近、また太宰治を主人公にした映画が公開されたらしい。もしかすると今、新しい「戦後」(価値観の転換)が求められているのも知れない。あるいは原点としての「戦後」に立ち返ることが求められているのか。だとすれば今回の芝居も時宜にかなっていたということになる。 26日(木)まで 会場 ![]() ▲
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| 2019-09-25 15:09
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![]() 24日、コピスみよしで劇団銅鑼による「ENDOLESS 挑戦!」の公演があった。リーフレットには「私たちの仕事は、より良い未来を創るためにある…! 産廃屋二代目女社長と働く者たちの終わりなき挑戦。」というリードがある。 嫌われる仕事-。そんな産業廃棄物処理業のイメージを覆し、国内外から年間三万人が見学に訪れる会社が、埼玉県三芳町にある。かつて住民から撤退を迫られ、廃業の危機から環境を一番に考える企業へと変貌した「石坂産業」だ。今夏、東京都板橋区の劇団銅鑼が、その復活の物語を参考にした演劇を披露する。プライドを捨てず偏見と闘い、信頼を勝ち取っていく姿を描き、働くことの意味を問い掛ける。 1999年頃といえば所沢市産の野菜からダイオキシンが検出され(後に国の調査で基準値超はなかったと発表された)、各学校でいっせいに焼却炉が使用禁止となるなど、大問題になったことを記憶している。今ではプラスチックを完全燃焼させた場合にはダイオキシンは発生せず、整えられた設備の下で適切に管理された産廃工場から健康に害をもたらすような有毒物質は排出されないことが分かっている。しかし当時はヒステリーともいえるような喧騒だった。学校の焼却炉のような低温では危険性は払拭できないということで、やがて解体されていくことになったが、今度はアスベスト被害の可能性があり、解体工事はかなり気を遣うものになった。 劇団銅鑼はかつてコピスみよしのアドバイザーをつとめていた。高校演劇フェスティバルでもずいぶんお世話になった。民間委託になる過程でアドバイザーからは外れたが、Tさんはその後も交流があったのだろう。稽古場が私の家のすぐ近くで、いつでも見学に来て下さいとお誘いも受けていたのだが、そのままになってしまっていた。いつか芝居を見てみたいとは思っていたので、ちょうどよい機会だった。 ドラマとしては二代目女社長の奮闘記というところだ。「プロフェッショナル」や「カンブリア宮殿」でよくありそうである。二代目を継いだのはいいが、先代の社長と苦楽を共にしてきた社員となかなか心が通わず、そこへ公害問題が降りかかってくるというわけだ。「女性社長を主人公に、住民との対立や社員と社長のぶつかり合い、対話を重ねて理解し合う姿を描くストーリー」(『東京新聞』)が展開する。 ▲
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| 2019-08-30 15:31
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6月16日、コピスみよし2019第18回高校演劇フェスティバルが開催された。6月28日のまとめの実行委員会の報告によれば観客動員も昨年からV字回復を果たしたとのことだ。まずはフェスティバルの成功を喜びたい。
今年も写真記録係を担当した。各校の許可を得て、今年も「勝手に名場面集」をアップしたい。ただ、諸事情があって時機を大きく外してしまったこともあり、いつもの「やぶにらみ観劇記」の方は簡素になってしまいそうである。 私が現役としてこのフェスティバルに関わったのが第9回まで。今回が第18回と聞けば本来は感慨もひとしおなのであるが、それらの思いも省くことになる。 ※ ※ ※ とはいえ、いつものようにまずはひとくさり。斎藤美奈子が『日本の同時代小説』(岩波新書、2018)で、「小説は「何を(WHAT)いかに(HOW)書くか」が問われるジャンルです。その伝でいくと[HOW(形式)」に力点があるのが純文学、「WHAT(内容)」に力点があるのがエンターテイメント。」と書いている。 1960年代論から稿を起こした斎藤美奈子としては、「知識人/大衆という階層の解体」の中で「純文学」が通用しなくなった、という文脈の中で語られる箇所なのであるが、ふと演劇でも同じようなことが言えないかと連想が広がったのである。 もちろん表現者の側からすれば「何を」と「いかに」はどちらに力点を置くかという選択の問題ではなく、二つをどう結合させるかという問題設定になるだろう。それは脚本の段階でもいえるし、演技者・演出家のそれぞれに葛藤やひらめきや創意として表れることになるだろう。 一方、鑑賞者の側からすると「感動した」や「面白かった」というとき、「何を」に力点を置いていたか、「いかに」に力点を置いていたかの違いは出てくるような気がする。私などはどちらかといえば「何を」の方に重点を置くタイプのように思えるし、おそらくは一般的な観客もそうではないかと考えている。その意味では「いかに」に重点を置いている鑑賞者は、本当の意味での見巧者ということになるのかも知れない。 ただ、ここが演劇の不思議なところで、あまりにもパターン化された(陳腐な)感情表現や、肉声とならない観念語の羅列や、ちぐはくな身体と科白といったものからはその「何を」は少しも客席に伝わって来ないのである。「何を」に感動しているようにみえて、実は「いかに」に心震わされているというのが観劇の醍醐味かも知れない。 ※ ※ ※ 坂戸高校『修学旅行~鬼ヶ島編~』畑澤聖悟・作 県坂演劇部・潤色 ![]() しかしながら、この『鬼ヶ島編』には少なからず疑問を感じざるを得なかった。鬼ヶ島といえば桃太郎が出てくる。実際、劇中でも桃太郎が過去に鬼たちを襲撃し、打ち負かしていった回想シーンとして登場する。さらに、青鬼と赤鬼を分断させ、島を支配していったというような歴史が語られる。とすれば桃太郎はここではかつての大日本帝国の象徴、あるいは戦後沖縄を統治したアメリカ帝国主義を象徴しているようにも解釈できる。 しかし、そのようにして蒔かれた種はちっとも育っていく気配がなく、最後まで回収されずに終わってしまっているようだった。後に残るのは鬼が登場して高校生たちと会話をしたりという虚と実の境界を失ってしまった無秩序感であり、赤鬼と今は亡霊となった青鬼の百年だか千年だかの恋の成就を見せられても伝わって来るものがなかった。 写真1はその桃太郎の闘争シーンである。桃太郎は台本上でも武器を手にしていないのだろうか? 日本刀なり、あるいは衣装に似つかわしくない近代兵器を持たせた方がその暴力性が表現できたのではないだろうかと思った。写真2はラストシーン。このところ坂戸高校は部員確保に成功し続けており、ともかくも大人数によるパワーは伝わって来る。 ![]() 星野高校『僕らの青春ドキュメント』ユウと愉快な仲間達・作 星野高校演劇部・潤色 ![]() ストーリーが進行していくといわゆる「スクールカースト」の問題が提示される。総勢25名を舞台にあげたところはいかにも星野高校らしいところだが、そのスクールカーストの存在を表象しているかの縦長の階段上の舞台装置が効果的で生徒達が大人数に埋もれてしまうことなく、それぞれのグループや個人が浮き彫りにされていく。スクールカーストといってもクラス内が分断されているというばかりでなく、実は皆がラインで結ばれているといったところがあり、特定の個人が徹底的に除外されていくといった悲惨からは免れ、現代的であると同時にまたかすかな希望のようなものも提示されている。 そうしたクラスの実態を番組制作と称してカメラに収めていく突き放した視線の存在が芝居にどう絡んでくるのか、もう一つ理解できなかったが、人物もなかなか魅力的に造形されており、好演だったと思う。 写真1は期末考査が終わったばかりのところに特別授業の開始を告げられるクラスの全景である。写真2はクラスの出し物の稽古風景。蜘蛛の女王の登場シーンである。 ![]() 東大附属中等教育学校『Alice!~白うさぎのお見合い!?編~』稲葉智己・作 ルイス・キャロル・原作 ![]() シリーズと書いたが、今回東大附属が上演した『白うさぎのお見合い!?編』は昨年と今年との間をつなぐ作品らしい。私は初見なのだが、どこかで上演したのを顧問のKさんあたりが見ていたのだろう。コピスの観客たちにとっては親切な上演となった。 幕が開いてみるとKさんがなぜこの台本を選んだのか理解できたような気がした。中高一貫校らしく、高二は一人きりで、他は中二から高一までの混成チームなのである。まだどこかしらあどけなさの残るキャスティングで(こう書くと本人たちは怒るかも知れないが)、きっと子ども達が見たら親近感が湧くだろうという舞台になった。 とはいえ、演技はしっかりしており、舞台運びのテンポもよかった。衣装などもかわいらしく雰囲気をよく出していたと思う。些末なことのようだが、メイクでうさぎたちに髭を描き込んだのは不要だったのではないだろうか? 顔をしっかり見せた方が伝わる力が強まったと思う。写真1,2とも舞台風景である。 ![]() 東京農大第三高校『ルート67』鹿目由紀・作 ![]() パンフレットには、「いつからだろう。この世界はこんな風になってしまった。地球温暖化を防ぐため、人間は科学技術を推進させ、人間と車が融合することを発明した。車人間たちが繰り広げる過激なデットヒート。リアルとバーチャルが錯綜するスピーディーなSFファンタジックドラマ。」との作品紹介がある。 とにかく役者たちがよく動いた。たちどころに後景に飛び去っていくドライブインの看板やら、工事中の看板の付近にいた工事人たちが飛び上がっては消え去っていくありさま、そして様々なパフォーマンスをまじえながらルート67を疾走していくランナーたち。昨年の『バンクバンレッスン』で見知った役者たちも多数認められたが、誰も彼も見違えるように動きもよく表情も生き生きとしていた。 写真1はルート67を疾駆するランナーたち。それぞれに表情がある。写真2は工事の進行を遅らせようと毎日のようにやってきては徒歩で道路を行きつ戻りつする少女とその少女を見守ろうと、あるいは説得のために集まってきた人々。少女の行為は入院中の妹を激励するためであり、実はルート67の物語はパソコンを使って少女が書き続けている創作であることが判明する。この少女が醸し出す雰囲気には惹かれるものがあった。 ![]() ![]() 川越高校『パンツァー☆ぼぉいず』阿部哲也・作 ![]() その奇抜さとたぶんわざとチープに(しかしある意味で実に精巧に)作られた2台の戦車が見どころの舞台だろう。以前、同じ川越市内の高校に勤めていた身として、これは川越高校ならではの芝居だなと感じていた。 旧制川越中学校を前身とし、陸軍特別大演習では大本営がおかれ、大正天皇を迎えたというような歴史がある。戦前、天皇から下賜された戦車が倉庫に眠っていた、などという設定は他の新制高校では想像上でもあり得ない。もちろん川越高校でもあり得ないのだが、何となく説得力が生まれてしまう。 そして何より川越高校水泳部の存在が大きい。それまで女子の競技とされてきたシンクロナイズドスイミング(今はアーティスティックスイミングというらしい)を引退した3年生の水泳部員が文化祭での出し物として披露し大人気となったのである。私は見に行ったことはないが、ともかく年を追うごとに観客が殺到するようになったという噂を聞いていた。その後、映画『ウォーターボーイズ』(2001)のもとにもなった。「ガールズ&パンツァー」で女子の競技とされた戦車道を男子が競うというのとどこか構図が似ているような気がする。 写真1は川添高校の選手が乗り込む九七式中戦車チハとその運転席。迷彩色が効いている。写真2は中戦車の元乗組員らしい旧日本軍人の霊と対話する男子。軍国主義の復活ではないスポーツとしての戦車道を認知するために登場させたらしい。ポツダム宣言受諾後のソ連軍との戦闘により、オホーツクで戦死したとある。日本の戦車は東南アジアを走り回るのには適していたのかも知れないが、ノモンハンではソ連に、太平洋諸島では米軍に徹底的にやられている。 ![]() 新座柳瀬高校『Alice!~響け、ウエディング・マーチ!編~』稲葉智己・作 ルイス・キャロル・原作 ![]() シリーズの集大成というだけなく、これまでの総決算を意識しているようにも思われた。オープニングで紗幕に映し出された回想的シーンなどの作り方にも感じたし、繰り返し使われてきたテディベアによるプレゼント攻勢などにも感じた。 今年は新入部員が多かったらしく、キャスティングには余裕があったようである。1年生も多数出演させているようなのに、東大附属の「Alice」と比べると大人びた舞台となった。ただ、急ごしらえであったのか、脚本にももう少しひねりが欲しかったような気がするし、演技・演出にも詰めが不足していたように感じた。まあ、最近の多忙ぶりを知っていて書いているのだが。 ![]() ※今年も使用機材はD750+TAMRON28-300mm ▲
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| 2019-07-17 17:37
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![]() 14日、コピスみよし2019第18回高校演劇フェスティバルの第1回実行委員会が開催され、今年の出演校が勢揃いしました。第1回から第9回まで現役として関わった身としては回数として倍の18回を迎えたというのは喜びとともに驚きでもあります。 ![]() ▲
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| 2019-05-15 20:43
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4月20、21日の日程で2019年春季西部A地区演劇発表会が朝霞コミュニティセンターで開催された。今回は諸事情があって出演校が5校にとどまるということは知らされていた。どのようなプログラムになるのか予想がつかず、高演連のHPなどをのぞいても情報が得られなかった。20日は夜に予定が出来てしまい、時間調整が難しそうだななどと逡巡しているうちに出遅れてしまった。(翌日に知ったところでは1日目は午前中のみの公演であったそうだ。) 朝霞高校『熱海殺人事件』つかこうへい・作 ※ さて、前日の予定とは東京労働学校から「日朝近現代史講座」の案内があり、20日は「韓国の民主化運動とキャンドル革命」が開講されたのである。講師は崔仁鐵(チェ・インチョル)氏。大学は日本で学んだらしいが、その後韓国へ戻り、現在論文にとりくんでいるという若き研究者である。来週の「朝鮮民主主義人民共和国の現在」も参加するつもりでいる。そして21日の午後は新座の9条の会で学習会があるというのでその足で出かけていった。こちらは近々内容を紹介する予定でいる。 ▲
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| 2019-04-24 19:42
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埼玉県立新座柳瀬高校「Ernest!?」オスカー・ワイルド/原作、稲葉智己/翻案(創作)
埼玉県立所沢高校「プラヌラ」高石紗和子/作、とこえん/潤色(既成) 新潟県立新潟工業高校「室長」畑澤聖悟/作、引場道太と新工放送演劇部/潤色(既成) 栃木県立小山城南高等学校「無空の望」黒瀬香乃/作(創作) さいたま市立浦和南高校「緑の教室」渡部智尋/作(創作)
塩尻志学館高校「イッテきま~す」たかのけんじ/作(創作) 東京農業大学第二高校「エレベーターの鍵」アゴタ・クリストフ/作(既成) 新島学園高校「カイギはDancin'」大嶋昭彦/作(創作) 長野県松川高校「カノン」山崎公博/作、松川高校演劇部/潤色(既成) 新潟県立新潟中央高校「Damn!舞姫!!」関勝一/作、演劇部/潤色(既成) 栃木県立栃木高等学校「ミサンガ」栃木高男/作(創作) 作新学院高等学校「そこの人たち、ちゃんと歌って」川上朋花・五十嵐美波・阿久津奈愛/作(創作)
栃木県立小山城南高等学校「無空の望」黒瀬香乃/作(創作)
* 最優秀賞の新座柳瀬高等学校さんは、第43回全国高等学校総合文化祭(佐賀会場)演劇部門に推薦されました。おめでとうございます! また、今回の栃木会場の優秀賞と、来年1月19日・20日の関東高等学校演劇研究大会(横浜会場)の優秀賞の計8校のうち1校も、同じく佐賀総文に推薦されます。 ※ 今回の関東大会には、各県毎の2校に特別枠の1校を加えて埼玉県代表として3校が出場しましたが、その3校全てが見事上位入賞(うち1校は最優秀賞)という、埼玉県としては大変喜ばしい結果となりました。(「埼玉県高校演劇連盟」HPより) ![]() ![]() ▲
by yassall
| 2018-12-25 17:18
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![]() ※ ここ数年、写真記録を担当してきたが、今年は辞退させてもらうことにした。始まりはメインのIさんの都合がつかないときのピンチヒッターであったのだし、今でもフォローが必要なときはいつでもお手伝いするつもりではいるのだが、狭いスペースで二人して同じような写真を撮っているのも無駄であるというのが理由のひとつ(もし、コピスと同じように2階席からという限定であったとしても何カ所かにポジションを変えられるなら複数態勢にも意味があるだろうが)。 また、カメラの高性能化によって画像ファイルのサイズが大きくなると、後処理にも膨大な時間がかかる。全部で10校分ということになればパソコンに読み込むだけでも相当の時間を要する。それが2人分になるということは、読み込み時間も、読み込んだ後に各校に分類し、DVD(もうCDでは容量が足りない)に落としていく時間も2倍になるということなのである。最後の舞監会議で各校に配布するため、それらの作業を短時間のうちにこなしているのはIさんなのである。 三つ目の理由としては、やはり自分の撮った写真に満足できないということがある。というより、これが最大の理由である。ピントと露出は「時の運」もあるから当たり外れは仕方ないとして、もう少し絞りたい、シャッタースピードを上げたい、ISO感度を下げたい、という選択の壁はいかんともしがたいのである。機材を変えてみたり、設定を工夫したりしているが、思うような結果が得られないでいる。 では当日、なぜお前はカメラマン席にいたのだ、ということなのだが、以前からの約束もあったり、西部Aやコピスつながりがあったり、縁のある人たちからの依頼があったら「学校付き」のカメラマンは引き受けようと決めていたからだ。係以外で、カメラ席にいられるのは当該校の上演時間中に限り1名のみという決まりになっているそうだから、他に学校としてのカメラ担当者がおらず、かつ希望があった場合に限定されるのはいうまでもない。 (今回、時間帯以外はカメラ席のすぐ後ろに座っていたのだが、学校によって私などよりははるかに立派な機材を持ち込んでいる方も複数いらした。私ごときが席を占有し続けている理由は何もないのだと思った。) 連絡が不徹底だったのか、私の側の意思表示が十分でなかったのか、大会パンフの役員表には名前が残ってしまっていた。出演校の中に私の分の画像ファイルがないことに不審を感じた方がいたら(多分そんな学校はお出ででないと思うが)、そういう事情であったことをご理解願いたい。 ※ 少々、話がくどくなった。そんなことで例年より気楽に各校の上演を楽しんだ。審査の結果は次のようだった。創作脚本奨励賞が2校になったのは審査員からのたっての要望であったという。 最優秀賞 浦和南高校「緑の教室」 浦和南高校は以前に出場したとき不条理劇風の生徒創作が評価された。劇としては変容というより破綻が見えてしまって、そのように才気を浪費してはならないと、むしろ私には惜しむ気持ちが強かったのを記憶している。今回は現代高校生のかかえる様々な問題をとりあげながら、劇としてきちんと構成されていた。最優秀賞までは予想できなかったが、演技も素直で、好感を持って見ることが出来た。審査員一同の慧眼としたい。 ▲
by yassall
| 2018-11-20 04:00
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大宮地区は2年連続となった。組み合わせが変わったとはいえ、あまり望ましいことではないだろう。審査員の配置でやむにやまれぬ事情があったのだろうと察してもらうしかないが、私としては昨年からどんなふうに成長したかという楽しみがあったし、どちらかというと昨年は演劇部を楽しむというところに重点をおいた学校が多かった気がしたが、今年は渡された台本を読んだ段階から芝居づくりへの意気込みが違うぞ、という期待感が高まっていたのである。会場は西部文化センターである。 ![]() 上尾高校『OUT OF CONTROL』大倉マヤ・作 上尾南高校『回転、または直進』福田成樹・作 桶川高校『埼玉会館のはしの方』今井唯太・作(顧問創作) 岩槻高校『伝説の勇者の作りかた』八城悠・作 大宮商業高校『水屑となる』春野片泰・作 大宮高校『赤鬼』野田秀樹・作 ▲
by yassall
| 2018-10-11 15:32
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