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懐かしの怪奇スターたち番外編 『The Son of Kong』

 ユニバーサルが『魔人ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』を公開した1931年はエンパイア・ステート・ビルが竣工した年である。そのエンパイア・ステート・ビルによじ登ったのがキング・コングだ。映画『キング・コング』が公開されたのは1933年である。
 このように書き始めると、ああまた「文明対自然」とでもいう図式と結びつけたいのだろうと思われるかも知れない。
 今回はそうではない。『キング・コング』も子どものときに見て忘れられない映画であるが、ニューヨークに連れてこられてからのコングはかわいそうなだけであまり好きではない。アメリカ人にとってはニューヨークというこちら側の世界にコングが出現し、通勤列車を脱線させ、乗客たちをパニックに陥れるといったシーンに迫真を感じたのだろう。だが、そのニューヨークでさえあちら側の世界である立場からすると、飛行機から機銃掃射を受け、ふと自分の身体から流れている血を指ですくい取り、不思議そうに眺めるコングには哀れを感じたものだった。
 私はむしろ絶海の孤島の、さらに高い城壁(島の原住民は未開の民であるようだったので、その石壁や大扉はどのように作られたのか子ども心に不思議だった)で仕切られた向こう側に、絶滅したはずの恐竜たちが生息する異界が存在しているという設定に引きつけられたのだった、
 映画監督のデナムは女優として使おうと港でアンをを拾い上げ、エングルホーン船長の船に乗ってニューヨークを出航する。最初、行き先が明かされないまま航海が続くが、ある地点まで来るとデナムはやっと一枚の地図をひろげる。それは髑髏島の位置をしめす海図であった。
 あの海図が欲しい! と何度思ったことか。それは私を異界へと誘ってくれる魔法の地図であると思われたのだ。アンを演じたフェイ・レイも子ども心に魅力的だと思った。コングならずとも、またアンを救うべくエンパイア・ステート・ビルの屋上にまで追っていく元船員のジャックならずとも、アンに惚れてしまうのも不思議でないように思えた。
 髑髏島の地図にしてもフェイ・レイにしても、子どもを日常から離脱させるには十分だったのである。『キング・コング』は、古くはジュール・ベヌルの『地底旅行』(1864)やコナン・ドイルの『失われた世界』(1912)から、近年の『ジェラッシク・パーク』にいたる系譜にある。子どもたちが恐竜好きなのは、それがこの世界とは違う、まだ見ぬ世界に旅出させてくれるからである。
 あとのストーリーは周知のことであろうから省略するが、のちにDVDになってから視聴したところ、とくに大扉を打ち破って出現してからのコングが記憶以上に残虐だったことだけ書いておきたい。確かコングが進んでいく先に座り込んで泣き叫んでいる子どもがいて、脇から飛び出してきた大人に助け出されるシーンがあり、原住民たちの生命は奪われなかったと思い込んでいたのだが、そうではなかった。TVで放映されたときは小さい子どもが見ていることを想定して、そうした残虐シーンはカットされていたのだろう。子どもの時に見ていたら、あるいはトラウマとして残ったかも知れないと思った。(コングはきっと子どもには悲劇の英雄だったのだ。)
  ※
 さて、今回書こうと思っているのは『キング・コング』のことではなく、その続編として制作された『The Son of Kong』(1933)のことなのである。後述するように作品自体がB級・C級であるから、見たことのない人、あるいは記憶にない人もいるだろうということで、簡単なあらすじを紹介する。
  ※
 前作から1カ月後、損害賠償を求められ窮地に陥っていたデンハムは逃げ隠れする生活を送っていた。そんな中、同じように船を差し押さえられ困窮していたエングルホーン船長はデンハムを誘い、東南アジアへ交易の旅に出る。なかなか成果を挙げられずにいた二人はとある港町で、かつて髑髏島の地図を譲ってもらったヘルストロームに出会う。ヘルストロームから「髑髏島には原住民の宝が隠されている」と聞いた二人は再び髑髏島に向かうことを決意する。
 新しいヒロインであるヒルダは自らの境遇から逃れようと船の中に潜んでいた娘である。
 髑髏島に上陸したデンハムはヘルストロームの裏切りに会い、ヒルダと行動を共にするうちに、沼に落ちていたキングコングの息子と出会う。デンハムたちは倒木を渡してコングを助ける。するとコングの息子はすっかり二人に懐いてしまい、陰に日向に二人を助けようとする。
 翌日、デンハムはコングの助けを借りて原住民の宝を発見する。そこに恐竜が現れ、デンハムとヒルダに襲いかかるが、コングによって撃退される。デンハムはエングルホーンたちと合流するが、その直後に大地震が発生し、髑髏島が海に沈み始める。宝を取るために残ったデンハムは脱出し損ない、島の頂上に逃げる。コングが現れ、デンハムを手の平に乗せて高く差し上げ、島が完全に海中に没するまで腕を上げ続ける。あわやのところでエングルホーンが漕ぎ寄せたボートに乗り込み、数日後に救助されるが、取り残されたコングは髑髏島とともに海に沈んだ。
  ※
 本作の公開は前作と同じ年で、それだけでも急ごしらえであったことが知れる。前作『キングコング』の大ヒットを受けて急遽、制作が決まったという。もともと二番煎じをねらった作品である上に、低予算で撮影スケジュールも短期間であげなければならなかったそうだ。そこで、引き続いて脚本を担当したラス・ローズは本作にはまったく乗り気でなかったらしい。(最後に髑髏島が海中に沈んでしまうのも、そうすることで三番煎じはなしという先手を打ったのではないかとさえ思った。)
 そのような事情であるから、いたるところで手抜きがはなはだしく、登場する恐竜の数も少なく、しかも恐竜ではなく大熊でお茶を濁してしまうというありさまで、「ロスト・ワールド」としての世界観もぶちこわしなのである。
 それでも懐かしさを感じてしまうのは、グレーがかった毛並みのコング息子のかわいらしさと、アンに執着するあまりに命を落とすことになったコング父の凶暴さが弱まり、無償の愛とでもいうべき自己犠牲の精神に感じ入るところが大きいからであろう。
 原題は『The Son of Kong』で、「キング・コング・Jr」と題名がつけられたこともあったような記憶があるのだが、日本での公開名は『コングの復讐』である。あまりにも内容とかけ離れているので、何かの機会があるときには変更されることを期待したい。
  ※
 以上で懐かしの怪奇スターたちのシリーズを終える。
 クローンやips細胞の時代ならずとも、ホルマリン漬けの脳みそを嵌め込み、電気を通せば(映画の中では紫外線というようなことばもあるが)生命がよみがえるなどというのは子どもにも通用する話ではない。『ドラキュラ』では急速に血液を失ったルーシーに輸血をほどこすシーンがあるが、血液型はどうなっているんだという疑問は小学生だって抱くところだ。
 だが、それではリアルさを求めれば優れた映画になるかといえば、それは違うと思うのである。単なるモンスター映画、単なるゾンビ映画とは違う、というようなことを書いた。刺激の強さだけを求め、子どもが見たら心の傷を残してしまうような映画ではなく、長く記憶の中にとどまり、心の一部として共存しうるような映画、懐かしの怪奇映画とは私にとってそのような存在であったのだ。


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by yassall | 2018-04-14 00:30 | 雑感 | Comments(0)

狼男

 ユニバーサル・スタジオが『狼男』を公開したのは1941年のことである。 狼男のメイクにあたったのはやはりジャック・ピアースなのだろう。だが、居並ぶモンスターたちの中では一番不出来だったのではないだろうか? 
 それはピアースのせいとはいえないだろう。フランケンシュタインの怪物もドラキュラも人外の存在であることは間違いない。しかし、フランケンシュタインの怪物は人間の死体を寄せ集めて作られたのだし、ドラキュラも前回の説が正しければ不死を呪われた死者であり、それぞれ人間の姿かたちをしていて不思議ではない(ドラキュラはオオカミになったり、コウモリに変身したりもするようだが)。
 この二者と比較して狼と人間とでは体型の違いが大きすぎる。少なくとも人間の身体をベースにして狼らしさを造形していくのは容易ではない。しかし、俳優としての演技が求められる限り、人間をベースにしていくしかないのである。
 実際、映画でいくら顔に毛を生えさせても、ただ毛むくじゃらの男としか見えず、鼻の頭を黒く塗ったりしてもかえって滑稽なだけである。手足にも毛を生えさせているが丸裸にするわけにはいかなかったのだろう、茶色とおぼしきシャツとズボンを着用させているのも手抜き感がいなめない。
 公開日は12月12日で、アメリカはすでに日本との戦争に突入し、11日にはドイツ・イタリアとも戦争状態に入った。12月以前から戦争は予想されていたのだろう。戦時下にもかかわらず映画はヒットしたということだが、やはり制作段階から予算不足があったのではないかと勘ぐってしまう。
 狼男を演じたロン・チェイニー・Jrも少し太りすぎではないかと最初は思った。(今はおのれの不運と立ち向かうにはこれくらい逞しくなければならなったのかも知れない、とも思う。また、着衣の狼男も半獣半人ということであれば、このような造形もあるかも知れないと思う。)
  ※
 と、のっけから否定で入ってしまったが、懐かしの怪奇スターたちといったとき、他のモンスターにもまして私の心の奥の方に狼男は生き続けているのである。それがどのくらいかというと、ローレンス・タルボットという主人公の名前は即座に思い出せるし、狼男が倒された直後に荷馬車に乗って現れるジプシーの老母の映像が、ふとしたときに脳裏によぎるといった具合なのである。
 それはこの映画の持つ物語性(※)、さらに踏み込んでいえば悲劇性だろうと思う。ヨーロッパに広く流布した人狼伝説がベースにはあるのだろうが、特定の原作はなく、ストーリーは映画のオリジナルである(脚本はカート・シオドマク)。以下はそのあらすじである。
(※物語性などと言い出すと、大げさに過ぎないかとの批判はもちろんあるだろう。70分の上映時間に合わせた程度の内容には違いないが、逆に原作物のようにあらすじをつまみ食いしたようなところはなく、それなりに完結したドラマになっていると思うのである。そうすると、この映画がそもそも恐怖映画として作られているのかどうかさえ疑わしく思われてくる。メイクについては先述したとおりだし、狼男が人を襲うシーンも樹木の向こう側に隠されて表現されるのである。)
  ※
 タルボット家はウェールズの名門である。ローレンス(愛称はラリー)はその次男であるため家を出ていたが長男の急死により父ジョンの跡継ぎのため故郷にもどってきた。ラリーは父が天体観測のために購入した望遠鏡で町を眺めていたとき、骨董屋の娘グエンに一目惚れしてしまう。後に狼男を倒すための唯一の武器となる銀の飾りのついたステッキはラリーが骨董屋をたずねたときに購入したものである。つまり、その登場の時点ではラリーは次男特有の気楽さをそなえた、明るくも軽い男だったということになる。ただ、節度はかねそなえていて、グエンに婚約者フランクがいるのを知ると無理強いはしていない。
 グエンと出会った日、ジプシーの一隊が町をおとずれ、町外れの森で縁日をひらくという。その夜、ラリーはグエンとその友人のジェニーとでジプシーの祭りに出かける。占い師ベラのテントで占いを受けている間に、ラリーはグエンを誘って散歩に出てしまう。実はベラは狼男の呪いを受けていて、占いの最中にジェニーの手のひらに次の犠牲者となる五芒星の印を発見し、ジェニーを帰してしまう。だがすでに時遅く、気味を悪がって森に迷い込んだジェニーは狼となったベラに襲われてしまう。ジェニーの悲鳴を聞いたラリーは助けに向かい、銀のステッキで狼男を倒すが、自らも狼にかまれてしまう。あとで警察が捜索に入るとジェニーと人間にもどったベラの死体があるばかりで狼のすがたはない。ラリーの傷もなくなっているという不思議が起こる。
 その後、ラリーはベラの母親であるマレーバと出会う。マレーバはラリーも狼男となることを予言し、銀の弾丸かステッキでしか殺せないことを伝え、魔除けのペンダントをわたす。ジプシー一行はその日のうちに町を去ってしまう。最初は半信半疑だったラリーはやがて狼男として殺人を犯すこととなり、それが真実だったことを知る。ラリーはペンダントをグエンに渡し、町を出ようとするが父親に止められる。
 森で狼狩りが行われた夜、悲劇の終末がやって来る。父に屋敷に閉じ込められていたラリーは狼男に変身し、やすやすと屋敷を抜け出す。彼の身を案じてやってきたグエンと森の中で遭遇し、襲いかかってしまう。そこへ父ジョンが現れ、銀のステッキで狼男を倒す。ステッキはラリーがジョンに持たせたものだった。
 荷馬車に乗ったマレーバが現れ、呪文をかけるとラリーは人間の姿にもどり、安息の表情になる。ジョンとグエンは愕然とするが、ラリーはグエンを助けようとして死んだ、という話になる。
  ※
 もとをただせばジェニー一人をおいて占い師のテントから離れてしまったことに遠因があるとはいえ、狼に襲われたジェニーを助けようとしてラリーは自らも狼男となる不運を背負ってしまう。不運とはしばしばこのようなアイロニーから始まるものなのかも知れない。
 不運は誰も肩代わり出来ず、自分一人で引き受けていくしかない。苦悩と絶望が襲いかかり、逃れるすべはない。ラリーの場合にはさらに名門としての名誉が重荷として彼を苦しめる。脱出口はおのれの破滅にしかない。
 しかし、人が悲劇に引きつけられるのは、そのような不運に襲われる可能性は誰の身の上にもあり、不運に立ち向かう姿には人間の尊厳が見いだされるからではないだろうか? 自らの運命から逃れられないと知ったラリーはグエンの身を案じ、父ジョンの身を案じ、愛する人々を守るために自分をそれらの人々から遠ざけようとするのである。
 フランケンシュタインにせよ、ドラキュラにせよ、そして狼男にせよ、そこに悲劇が見いだされない限り、単なるモンスター映画あるいはゾンビ映画になってしまう。そして残念なことに、映画がヒットして続編が作られるたびにそうした傾向が強まるように思われるのである。
 幼少期に見たこれらの映画がいつまでも心の底に残っている理由は、こうした悲劇性にあると今なら確かにいえる。悲劇には人間の真実の一断面があるのである。幼き日、私はこれらの映画を通してそのことを予感したのである。
  ※
 悲劇性と並ぶもう一つの理由は異界への誘いということではないだろうか? 『狼男』の場合に物語上でも、映像上でも、重要な要素となるのは森である。濃霧につつまれた森はまるで薄墨で描かれた墨絵のようであり、モノクロならではの映像美なのである。
 そもそもヨーロッパは森の国であった。『マクベス』をみてもイギリスでも事情は変わるまい。ヨーロッパから森が失われていったのは産業革命で大量の燃料が求められたからである。
 そして山や森はヨーロッパの人々にとっては長く恐怖の対象だった。『ヘンゼルとグレーテル』は貧しく、食べるものもなくなった親が幼い兄妹を森に捨てる話である。『赤ずきん』も森の中でオオカミに襲われる。山はまさに『魔の山』なのである。
 人間は異界を恐れ、また異界を身近に感じることによって、人知を超えた存在のあることを知るのである。それを迷妄として遠ざけるのはたやすい。しかし、異界を通して人間が謙虚さを得たり、日常を相対化する可能性を広げられるのもまた確かなのである。
  ※
 最後にもう一つ。繰り返しになるが、狼男となったラリーを滅ぼしたのは父ジョンである。そのことは長く記憶になかった。だが、次男という立場から一度は家を離れながら家名を嗣ぐためという理由から呼び戻されたという経緯を振り返ると、そこには父と子の相克といったテーマが隠されているのではないかという推理が働くのである。あるいは、ラリーは父の愛情に飢えていたのではないか、といった。

(次回、番外編があります。)



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by yassall | 2018-04-12 15:33 | 雑感 | Comments(0)

ドラキュラ

 ベラ・ルゴシ(1882年 1956)とクリストファー・リー(1922 2015)は吸血鬼ドラキュラの二大俳優である。
 ベラ・ルゴシはハンガリー出身で、母国にあったときから著名な舞台俳優であった。第一次世界大戦後、革命政権の崩壊とともに亡命し、1921年にはアメリカに移住した。英語を覚えながら演劇活動を再開させ、ユニバーサル・スタジオによる『魔人ドラキュラ』(1931)に抜擢された。
 クリストファー・リーはイギリス出身で、活躍時期は第二次世界大戦後である。196cmという長身であったため端役に甘んじていたが、ハマー・フィルムがクラッシックホラー映画を制作するにあたってピーター・カッシングと並ぶ二大スターとして開花した。
 ハマー・フィルムは1950年代のイギリスに誕生したプロダクションであるから、ドラキュラは祖国の地に返り咲いたことになる。
 クリストファー・リーの『ドラキュラ』映画は成功をおさめ、ハマーだけで9作が作られたほか、ヨーロッパ各国で映画が撮られた。その後、怪奇映画俳優としてのみならず、『007』シリーズに出演したり、2000年代以降も『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』で存在感を示すなどしたところがクリストファー・リーのすごいところである。
 ベラ・ルゴシにせよ、クリストファー・リーにせよ、ヨーロッパ出身の俳優である。少し先走るが、ドラキュラをを演じようというとき、中世という歴史をもたないアメリカ出身の俳優であってはならないという意味で、(実際、アメリカの俳優による吸血鬼はどこかしら薄っぺらで滑稽なのだ)、映画が成功するための必然であったのではないかと思うのだ。
   ※
 ドラキュラの故郷はトランシルバニアである。『ドラキュラ』の原作者ブラム・ストーカーは最初、オーストリアに伝わる吸血鬼伝説を基にするつもりであったらしい。現在、トランシルバニアはルーマニアの一部になっているが、歴史の上ではオーストリア領であった時代もある。同様の伝説が伝わっていたのだろう。
 ヨーロッパでの取材を終えイギリスに戻ったストーカーは、図書館でワラキア公ヴラド三世(1431 1476)のことを知る。ワラキアはトランシルバニアの南に位置し、やはり現ルーマニアの一部を占めている。ドラキュラ城のモデルとして知られるブラン城はワラキアとの県境のトランシルバニア側にある(だから実際にはヴラド王の居城であったことはない)。現在は観光名所となっているそうだ。
 ヴラド三世は通称ドラキュラ公(別名串刺し公=ツェペシュ)である。ドラキュラは「竜の息子」というような意味であり、父ヴラド二世が神聖ローマ帝国により竜騎士団の騎士に任じられたことからドラクル(竜公)と呼ばれたことに由来する。「竜」は悪魔の象徴でもあったことから二世は「悪魔公」とも称されたという。三世はオスマントルコ帝国から祖国を守った英雄でもあるのに、いつしか「悪魔の子」という見方をされるようになった。(これにはハンガリー王が流布させた悪評も影響をあたえているという説もある。)
 ゲイリー・オールドマンがドラキュラを演じた『ドラキュラ』1992年版はこうした歴史的背景をストーリーの中に取り入れ、ヒロインのミナは400年前に死んだドラキュラの妻エリザベータの生まれ変わりであったとし、幾世紀の時代を超えた愛の物語に仕立て上げている(この映画については後述する)。原作とはだいぶ異なるが、ストーカーがヴラド公のことを知って物語をふくらませていったことは間違いない。
   ※
 さて、私にはベラ・ルゴシの「ドラキュラ」の記憶は薄い。黒マントに身を包んだドラキュラのイメージがベラ・ルゴシによって作られたものであることは理解しているものの、私の記憶の中のドラキュラの地位はクリストファー・リーによって占められている。
 クリストファー・リーがドラキュラ伯爵を演じ、ピーター・カッシングがヘルシング教授を演じた『吸血鬼ドラキュラ』は1958年の公開である。私はこの第1作と(たぶん)第3作の『凶人ドラキュラ』(1966)を見ている。ところが、今回DVDを入手して見てみるとずいぶん記憶と違っていることに気が付いた。
 まず、1958年版は初のカラー・フィルムによるドラキュラ映画なのだそうであるが、ここが違っていた。私の記憶に残るクリストファー・リーがモノクロの世界の魔人であるのは、我が家のTVがまだ白黒TVであったためかも知れない。
 しかし、何よりイントロ部分が異なるのである。物語は弁理士のジョナサンがロンドンに屋敷を購入したいというドラキュラ伯爵との交渉のために、トランシルバニアの山中にある古城を訪ねていくところから始まる。つまり、いち早く近代化をなしとげたイギリスから、それでも後に続いた西欧を抜け、いまだ中世の伝説が生きる東欧へと入っていく過程が大切なのである。
 トランシルバニアのある村に到着し、ジョナサンが行き先を告げると、村人たちはいっせいに恐怖のまなざしを向ける。乗合馬車もボルゴ峠でジョナサンを降ろすと早々に去ってしまう。夜も更ける中を一人待たされたジョナサンのもとにドラキュラ城からの迎えの馬車が到着する。馬車はオオカミの遠吠えが聞こえてくるような山道を走った後、深い堀に囲まれた城内に入るや跳ね橋が引き上げられてしまう。
 異界に入っていく通路としてこれだけの各段階が必要なのに、1958年版では馬車が嫌がって行ってくれないので徒歩で屋敷まで歩いた、というような説明とともに、いきなり屋敷の前にジョナサンが登場する。それも白昼とおぼしき明るい中をである(屋敷の中に入ると夜中であるようなので、昼とみえたのはカラー・フィルムの露光のためだったのかも知れない)。
 深夜、ジョナサンに襲いかかるドラキュラの花嫁は3人でなければならないのに1人しか現れない。ジョナサンの職業もドラキュラに司書として雇われたことになっており、しかもそれは仮の姿であって、最初から吸血鬼を退治しようと乗り込んで来たことになっており、しまいには早々に返り討ちにあってしまう。そこで、後から登場するルーシーやミラとの人間関係もごちゃごちゃになってしまう。
 そしてより重大なことは、物語の第2ラウンドとなる土地がロンドンではなくトランシルバニアの周辺地と思われる場所なのだ。近代対中世、文明対伝説、都市対自然という物語の一番大きな構造がなし崩しになっているのである。1958年版は『ドラキュラ』映画の最高傑作とも評されているとのことである。しかし、原作と映画とは別物であっていいとはいいながら、これらの改変を容認することは私にはとうてい出来ないのである。
   ※
 『ドラキュラ』には「遅れた」東欧に対する蔑視や、ドラキュラの手先とされるジプシー(現代ではロマとされるがそれが正しいかどうかは不明)に対する差別意識があるとされる。
 間違っているとはいえないのかも知れないが、私の理解は少し違う。資本主義の発達は歴史の「進歩」を飛躍的に高めた。その「進歩」にもしかすると人間は追いついていけていないのかも知れない。自分たちが置き去りにしてきた中世的世界は本当に無価値だったのだろうか、というような問いがあっただろうし、古い伝説は意識の古層の奥に生き続けているのではないだろうか? それらの古層に眠るものは、人々が何を恐れ、惹かれていくかを無意識のうちに決定づけているのではないか?
 イギリスは世界にさきがけて資本主義を発達させた。イギリスに生まれたブラム・ストーカーはまた、世界にさきがけてそうした近代人の心の闇をかかえてしまったのではないか?
 ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』にいち早く注目した一人にフロイトがいるという。フロイトはリビドーと抑圧、エロスとタナトスの葛藤、あるいはエディプス・コンプレックスといったところから『ドラキュラ』を読み解いていったらしい。確かに首筋に残された傷跡などには性的な雰囲気がただよう。
 しかし、それらの解釈をおいたとしても、近代対中世、文明対伝説に引き裂かれた人々の深層心理の中に押し込まれた不安が反映されていると解釈するのは間違ってはいないと思う。不眠と悪夢に悩まされたというストーカーは、伝説世界の息づく東欧にある種の恐れと密かなあこがれを抱いていたのではないかと私は思うのである。
   ※
 ドラキュラは不死の物語である。種村季弘は『吸血鬼幻想』(1982)で吸血鬼伝説の原初的なすがたは死んだのちにも死にきれず、墓場から甦っては人々を襲う死餓鬼があるといい、さらにその背景には死者の蘇生(とくに埋葬されてからの)への恐怖があったのではないかと述べている(ような記憶がある。もう一度読み返してみる気力がないので確かではない)。
 不老不死といえば東洋の神仙思想において仙人は理想とされる存在である。同じ不死の生命を得た者であるとはいえ、霞を食って生きる仙人と人の生き血をするる吸血鬼とは大きな違いがある。キリスト教の世界では不死に対するイメージが異なるのだろうか? 神による復活とは異なる蘇生は悪魔のしわざでもあるというふうに。
   ※
 ここで1992年版の映画『ドラキュラ』についてふれる。先に述べたドラキュラとエリザベータの愛の物語という解釈は今となってみると踏み込みすぎだと思われる。しかし、そのことを除くと、かなり原作に忠実に作られている。ラストシーンで、心臓を剣で刺し貫かれ、死を迎えようとするドラキュラからは悪鬼の容貌が消え、穏やかな表情にもどる。とどめを刺したのがミラであるところは異なるが、これも原作の通りである。死はドラキュラの安息なのである。
 何より映像が美しい。、ウィノナ・ライダーが演じるミナはもちろん、3人の花嫁たちも文句なく美しく妖しい魅力に充ちている。カラー撮影の進化を実感するが、その映像美には衣裳デザインを担当した石岡瑛子(アカデミー賞衣装デザイン賞受賞)の力も大きくあずかっているに違いない。とくにルーシーの花嫁衣装にして死に装束でもある純白のドレスの美しさといったらない。
 まだ城にいて、若返る前のドラキュラが身にまとうマントは黒から赤に変わり、髪型も凝りに凝っている。旧来のイメージからの脱却というねらいが鮮明である。監督のコッポラがプロデュースした『フランケンシュタイン』(1994)については前回述べた通りだが、この映画については私は高く評価せざるを得ないのである。
   ※
 最近では『ヒトラーから世界を救った男』でウィンストン・チャーチル(ここでも辻一弘が特殊メイクを担当し日本人アーチストとかかわっている)を演じたゲイリー・オールドマンは、もはや怪優の域に達しているのかも知れない。『ドラキュラ』での演技にも(イギリスの俳優だからというわけではないが)気品と哀愁のようなものを感じる。
 それでも私にとってのドラキュラはクリストファー・リーなのである。オールドマンが取って代わることはないのである。
 では、私の『ドラキュラ』はどこへ行ってしまったのだろうか? 古い記憶の扉を開けようとしながら、いざ扉を開けてみたら中味はからっぽであった、というような不思議な喪失感を私は味わっているのである。

(あるいはベラ・ルゴシの映画も見ていて、それらが記憶の中でごっちゃになっているのかも知れない。ルゴシの映画ではボルゴ峠も出てくるし、花嫁は3人であるようなのだ。最近、DVDが出ていることを知ったからいつか見てみようとも思っている。)


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by yassall | 2018-04-09 23:49 | 雑感 | Comments(0)

フランケンシュタイン

 メアリー・シェリー(1797 1851)が『フランケンシュタイン』(1818)を書いた動機については有名なエピソードが残されている。
 1814年、16歳のメアリーは21歳のパーシー・シェリーと駆け落ちした。1816年、父の再婚相手の連れ子であったクレアを介してバイロンとスイスで合流し、レマン湖半にあったバイロンの別荘に滞在することになった。長雨が続いた初夏のある日、バイロンの発案でそれぞれが幽霊話を創作しようという遊びがはじまった。どうやらバイロンはすぐに飽きてしまったらしいのだが、メアリーはそのとき頭の中にひらめいた人造人間の物語を書き続け、完成させた。他にバイロンの侍医であったポリドリも後に『吸血鬼』(1819)を執筆した。
 イギリス小説の研究者で『批評理論入門  「フランケンシュタイン」解剖講義』(2005、中公新書)の著者である廣野由美子(京都大学大学院教授)は、『フランケンシュタイン』の文学性を高く評価し、「映像作品の恰好のネタとして、あるいは典型的でありふれたゴシック小説としてのみ」評価することに強い疑問を投げかけている。(『100分で名著 フランケンシュタイン』2015、NHK)
 中学時代、何も知らずに映画の原作だろうくらいのつもりで文庫本を買ったとき、内容があまりにも違うので驚いたという経験が私にもある。最大の違いは人造人間がただ粗野で、知能の低い野獣のような存在ではなく、人並み以上の知性を持ち、何より雄弁であることだった。確かに、後に連続して凶悪な殺人事件を引き起こすのではあるが、それ以前には盲目の老人ド・ラセーの一家の暮らしを覗き見ているうちに言葉を覚え、たまたま森で拾った鞄の中に入っていたミルトン『失楽園』、プルタルコス『プルターク英雄伝』、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』を読みこなし、とくに『若きウェルテルの悩み』に強い感銘を受けたというのである。
  ※
 しかし、それらを知ってなお私が愛するのはユニバーサル・スタジオの映画『フランケンシュタイン』(1931)である。
 また遠回りになるが、コッポラがプロデュースし、ケネス・プラナー監督・主演(※人造人間はロバート・デ・ニーロ)の『フランケンシュタイン』(1994)は比較的原作に沿った映画として知られている。だが、廣野由美子が「映像化すると、視覚的な効果が優先され、本質的な魅力が抜け落ちてしまう」というとおり、おぞましさだけが先にたってしまい、とうてい物語に引き込まれるということにはならない。原作ともだいぶ異なる点もあり、とくにフランケンシュタインがエリザベスを再生させようとするが、これなどはあってはならない改作だった。「父親に愛されなかった息子の物語」の視点は間違ってはいないと思われるが、記憶にとどめておきたい映画とはとうていならない。今回、この文章を書くにあたってクリストファー・リーが人造人間を演じた『フランケンシュタインの逆襲』(1957)も一応みたが、ただグロテスクなだけで、映像としても物語としてもまるでお話しにならない。
  ※
 コッポラでもなく、ハマー・フイルムでもなく、ユニバーサルの映画(それも第1作!)に心引かれる理由をいくつか述べてみたい。
 まずは人造人間を演じたボリス・カーロフ(1887 1969)の魅力だろう。ボリス・カーロフはイギリス・ロンドン出身で、第二次世界大戦後も怪奇映画の大御所格として活躍したという。最初、ユニバーサルはベラ・ルゴシ(1882 1956)を怪物(人造人間)に当てようとしたのだが、セリフがないという設定をルゴシが嫌った結果、当時脇役しか回って来なかったボリス・カーロフに白羽の矢が立ったということだ。以後、カーロフはずっと怪奇映画俳優として人生を送っていくことになるのであるが、謙虚で物静かな人物であったカーロフは、その役を与えられたことに感謝し続けたということである。
 頭頂部が平たいのは脳を入れ替えるためだという。その特徴的な怪物のイメージはゴヤの絵をヒントにしているのだという。メイクにあたったジャック・ピアースはモンスター・メイカーと呼ばれ、ユニバーサルが生み出したすべての怪物たちのメイクを担当したとのことだ。フランケンシュタインでは固めた綿で頭部を造形し、1回のメイクに6時間を要したという。脚にはギブスをはめ、自然な動きを制限した。
 しかし、そのメイクをして怪物の怒りや悲しみを表現し得たのはボリス・カーロフの才能のゆえであると評されている。フランケンシュタイン物は続編が数多く作られているが、カーロフが演じたのは3作目までである。怪物のメイクの特許はユニバーサルが所有しているから、ユニバーサル映画ではその後も同じ姿かたちで登場する。『フランケンシュタインの幽霊』(1942)ではロン・チェイニー・ジュニア(1906 1973)が、『フランケンシュタインと狼男』(1943)ではベラ・ルゴシが怪物を演じた。だが、二人ともボリス・カーロフには及びもつかない。カーロフの怪物には、ふとした横顔にも眼に表情があり、唇に感情がこもっているのである。
 つぎは怪物を作り出したフランケンシュタイン男爵のマッド・サイエンティストぶりだろう。怪物に生命を与えた力は電気である。昔、NHKBSで放送していた『知への旅』によると、メアリーが生きていたころ、死んだカエルに微電流を流すと足が動くという実験をみてショックを受けた、というようなことが紹介されていた(ただし、原作には雷や電気のことは出てこない)。あちこちに怪しい放電現象が起こっている実験室も実に魅力的だったが、屋上から引き下ろされた実験台の怪物の手が動くのをみて、フランケンシュタインが「It's alive!」と叫ぶシーンには今でも鬼気迫るものがある。
 原作ではフランケンシュタインのファーストネームはヴィクターだが、1931年の映画ではヘンリーとされている。これは原作に対する遠慮というより、原作と映画とは異なる作品であるという制作者の意志を感じる。
 原作ではフランケンシュタインは人造人間を作り出すことに成功したとき、そのあまりの醜悪さに実験室を逃げ出し、創造主としての責任を負うこともなく怪物を放り出してしまう。映画はそうでなく、ヘンリーは成功のよろこびに興奮し、恩師であるウォルドマン教授が破棄をすすめるのも聞かず、実験を続行させようとするのである。ヘンリーが怪物の始末を決意するのは新妻であるエリザベスが襲われてからである。必ずしも「父親に愛されなかった息子」ではないのである。
 怪物の方の行動にもかなりの違いがある。怪物が凶暴になったのは助手のフリッツに虐待されたからである。そのフリッツが殺害され、ウォルドマンはヘンリーをうながし、劇薬で怪物を気絶させる。その際ヘンリーは負傷するが、エリザベスの看護もあって回復し、ヘンリーとエリザベスは結婚式をあげる。ウォルドマンはその間に怪物をなき者にしようとするが、意識をとりもどした怪物に殺されてしまう。
 屋敷から逃亡した怪物は村はずれで出会った少女マリアを湖に投げ込み、溺死させてしまうという事件をおこす。前の二人と違って少女は怪物に何も危害を加えようとはしていない。そのことで怪物は村中の人々から追われるところとなり、逃げ込んだ風車に火を放たれる場面でラストシーンとなる。報いは当然なのであるが、怪物が少女を湖に投げ込むにはつぎのようないきさつがある。
 怪物と出会ったとき、少女は花を摘んでは湖に投げ込むという遊びに興じており、怪物にもそれをすすめる。自分のことを怖がらず受け入れてくれたうれしさから怪物も少女をまねる。野原に摘む花がなくなったのをみて怪物は少女を抱え上げるのである。愚かといえばあまりに愚かであるが、敵意とか憎悪が理由ではなさそうなのである。湖畔で少女と向かい合わせに膝をつき、花を摘んでいるシーンは映画の中で最も有名な画像である。
 新婚早々のエリザベスのいる部屋に怪物が突然姿をあらわす場面がある。これも原作ではエリザベスは復讐心に燃える怪物の手にかかって殺されてしまうのだが映画では怪我で終わっている。森の中で怪物とであったヘンリーは殴り倒され、やすやすと風車小屋まで連れ去られてしまう。そして風車小屋が火で包まれる中、屋上から投げ捨てられてしまう。しかし、これもまた、火災によって焼死してしまわないためと見えなくもないのである。ヘンリーは重傷を負いはしたが、村人たちに助け起こされ、「奥さんの待つ屋敷」へと送り届けられるのである。
  ※
 第2作の『フランケンシュタインの花嫁』(1935)はフランケンシュタイン物の中では最高傑作とされているらしい。それは怪物が川で溺れそうになった少女を助けてやりながら通りかかった村人から銃で撃たれたり、盲目の老人の家に迎え入れられて心をひらき、言葉を覚えたり、女の人造人間が作られたりするところから、原作に近いと考えられたからだろう。だが、女の人造人間が作られるのも原作では自分の孤独を癒やすための仲間を作ってくれれば姿を消す、という怪物の要望によるものだったのに対し、映画ではプレトリウスという怪しげな科学者に協力を強いられたからである。
 第2作について唯一私が認められるのは、その女人造人間にも嫌われた怪物が「お前たちは生きろ!」といってヘンリーとエリザベスを実験室から逃がし、プレトリウスと女人造人間ともども実験室のある塔を倒壊させてしまう装置のレバーを引く場面である。他は物語としておかしなところばかりでなく、メイクにもカーロフの演技にも納得できないところが多々あったが、監督のジェームス・ホエールはこの第2作をコメディとして作ろうとしたという話があることを知り、何となく理解できたような気がしたのである。
 第3作の『フランケンシュタインの復活』(1939)はボリス・カーロフが怪物を演じた最後の作品である。フランケンシュタインの息子が廃墟となった実験室跡に眠っていた怪物を再生させるというすじがきである。怪物は言葉を失っており、毛皮のベストを着用していることに象徴されるように、すっかり野獣のような状態にもどっている。フランケンシュタイン父の助手であったイーゴリ(第1作で殺されたはずのフリッツといつのまにか入れ替わっている)の操り人形と化し、指示されるままに殺人を繰り返す。それでも鏡に映る自分の姿に激しい嫌悪感をあらわす様子などはカーロフの怪物らしい。また、子どもにはやさしい一面をみせる。映画としては格が落ちるが、子どもの時に怪物によって右腕を失ったというクローグ警視に存在感がある。
  ※
 最後に監督のことを書く。ジェームス・ホエール(1889 1957)はイギリス生まれ。製鉄業者である父と看護師である母との間に生まれた7人兄弟中の6番目の子供であった。 兄弟達のように重工業の仕事につくのを望まなかったホエールは、自分に絵の才能があると知り、アート&クラフト・スクールの夜間クラスに通った。
 1915年に第一次世界大戦に参加、1917年に捕虜になり、その間に舞台制作の才能に目覚めた。停戦後、ホエールはバーミンガムに戻り、プロの舞台関係者としてのキャリアを積み始めた。やがて当時あまり知られていなかった若手俳優ローレンス・オリヴィエの舞台を成功させるなどの実績を積みながらアメリカに渡り映画監督として活躍した。
 ホエールはハリウッドで活躍している間、自分が同性愛者であることを公表していた。1949年を最後に映画界を引退し、1957年ハリウッドにある自宅のプールで溺死体で発見され、警察の捜査で入水自殺と断定された。
 ホエールの晩年を描いた映画に『ゴッド・アンド・モンスター』(1998)がある。脚本も手がけた監督のビル・コンドンはアカデミー脚色賞を受賞した。この映画でも第1次世界大戦での塹壕体験や同性愛のことが取り上げられている。重くなりすぎないようにユーモラスに描かれてはいるが、言い知れぬ寂しさとともに人間の尊厳のようなものが伝わってくる。名画だと思った。この映画を見ながら、もしかするとフランケンシュタインの怪物には世に受け入れられず、世界との違和と孤独に苦しんだであろうホエールの姿が投影されているのかも知れないと思った。


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by yassall | 2018-04-08 10:49 | 雑感 | Comments(0)

懐かしの怪奇スターたち前口上 そして『眼には眼を』のこと

(今回は前口上です。本題は次回からですので、駄弁は無用ということでしたらスルーして下さい。)

 フランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男といえば怪奇映画の三大モンスターである。以前から「懐かしの怪奇スターたち」と題して彼らについて書きたいと思ってきた。なかなか準備が十分でないのだが、このままだと書かずじまいになりそうなので書くことにした。
 前二作にはそれぞれメアリー・シェリー(1797 1851)の『フランケンシュタイン』(1818)およびブラム・ストーカー(1847 1912)の『ドラキュラ』(1897)という原作が存在する。これらの原作については参照することもあるかも知れないが、書きたいのはあくまで映画についてである。
 『フランケンシュタイン』は早くもサイレント時代の1910年にエジソン社によって映画化されている。16分ほどの小品で、燃え落ちる人形を撮影して逆回しさせ、坩堝の中で骨格に肉がつき、動き出すまでを映し出す、というような技法を用いたらしい。内容的にも技術的にも初歩的なものであったことが伺われるが、ともかくも映画の娯楽化とともに怪奇映画というジャンルも生まれていた証だろう。
 だが、何といっても三大スターを決定づけたのはユニバーサル・スタジオが怪奇映画の制作に乗り出してからだろう。トーキーの時代に入って、今度は先に『魔人ドラキュラ』(1931)が作られ、これがヒットすると『フランケンシュタイン』(1931)、『ジギル博士とハイド氏』(1931)、『ミイラ再生』(1932)などが立て続けに公開された。『狼男』はやや遅れて1941年の公開である。そして前二者については黒マントに身を包んだドラキュラ、頭頂が真っ平らなフランケンシュタインという強烈なイメージがこの時期のユニバーサルによって決定づけられた。
 もちろん、これらの映画を私は映画館で見たわけではない。小・中学生時代にTVで見た。長らくそれ切りであった。多くはモノクロ映画であるから、やがてTVでのリバイバル放映もなくなった。だが、幼少期の記憶というのは心の奥の方にいつまでも残っているものらしく、ふとした折に断片的な映像が頭の中に甦ってくることがある。恐怖体験としてではない。むしろどこか哀愁をおびた懐かしさをともなっているのである。
 さて順番であるが、最初に『フランケンシュタイン』について書こうと思う。なぜこれらの映画が私の心の奥底に残り続けているのか、その理由を明らかにできるように思うからだ。つぎに『ドラキュラ』であるが、これについては少々戸惑いがある。また改めて書くが、私の『ドラキュラ』体験はユニバーサルではなくハマーである。ただ、DVDを入手して見返してみると、幼いときの記憶とどうも異なることが多いのである。その点にも触れながら書いてみたい。しめくくりは『狼男』とする。
 以上が前口上なのだが、もう少し駄弁を続ける。映画と私、というようなことを振り返っておこうと思うのだ。
   ※
 浪人時代には予備校に通うはずがそのまま映画館に直行してしまうなどということがあった(もちろん年中というわけではなかったが)。大学に入学してからは池袋文芸座によく寄り道した。黒木和雄の『とべない沈黙』なんかは上映期間中に複数回見たような気がする。加賀まりこが少女役だった。後に蜷川幸雄も出演していたことを知ったが、どの役だったかは記憶にない。
 それがいつしか映画館からは足が遠のくようになった。ワイダの抵抗三部作は見ておきたかったからポーランド映画祭のような催しがあれば出かけていったが、ワイダを映画館で見たのは「大理石の男」までで、「鉄の男」はTVで放映されてからではなかったか。
 一本の映画を見るには相当のエネルギーを必要とする。つまりはそのエネルギーが乏しくなってきたということなのだろうと思っている。また映画館という場所をあまり好まなくなった、というのも理由のひとつだろう。演劇の場合は舞台と客席とが呼応しあうということが確かにあるが、映画館では他の客といっしょに映画をみるということに必然性がないような気がするのだ。(昔、高倉健の任侠映画の途中でかけ声がかかったなどという話もあることはある。ベクトルは違うかも知れないが「男はつらいよ」シリーズを愛した観客にも共感の広がりがあったようにも思う。)
 そして映画好きの人からは邪道だといわれそうだが、TVやDVDで映画をみることに何の抵抗もないというのも理由になるだろう。先のエネルギーのこととかかわるが、長編の映画などDVDなら途中までみて、続きは明日にしようなどということが出来るし、それで私はまったく平気なのだ。(すべてがDVD化されるわけではないし、それでは新作が観られないだろうと言われるかも知れない。その批判は正当で、つまりは新しいものを受け入れるという点でもエネルギーが乏しくなっているのかも知れない。)
   ※
 さて、TVが我が家にやってきたのは1959年。たぶん多くの家庭でそうだったのではないかと思うが、父がTV購入に思い切ったのは皇太子(現天皇)・美智子夫妻の結婚パレードを見るためだった。戦後史年表を見るとそのころからTVのカラー放送が始まったということになっているが、もちろん我が家で買えたのは白黒TVだった。(その直後の60年安保のデモを私は毎日TVで見ることになる。)
 その頃、小学校から帰ると毎日午後3時から放映されていたのが「奥様映画劇場」という番組だった。まだ各局とも番組制作力が乏しく、たぶん著作権切れか格安で放映権が入手できた古い映画で番組編成を埋めたのだろう。それも週の前半と後半で1本ずつ放映するのである。つまり、最長で3回同じ映画をみることになる。そして、私はその番組をよく見たのである。
 午後3時からといっても、けっして子ども向けの映画がセレクトされているわけではない。『外人部隊』(1933)も確かこの番組でみたような気がする。映画のかもし出す頽廃の雰囲気に子どもながらも酔わされた。なぜか、そばに母も妹もいたという記憶がない。
   ※
 『眼には眼を』はたぶんそのころに見た映画の一本である。町山智浩『トラウマ映画館』(集英社2011、文庫版2013)を読んでいたらこの映画のことが取り上げられていた。監督アンドレ・カイヤット、1957年の仏伊合作映画とある。この間、酒席で話題にしたので(そのときは「歯には歯を」といってしまったかも知れない)この映画のことを書く。

 映画の舞台はフランス領時代のシリア。クルト・ユルゲンス演じる医師ヴァルテルは大手術で疲れた晩、自宅で男の訪問を受ける。車に同乗している妻が腹痛を訴えているというのだ。ヴァルテルは自宅だから手当はできない、病院へ行きなさいと治療を断る。翌朝、病院でヴァルテルは研修医から急患を救えなかったという報告を受ける。男の車は途中で故障し、6時間も歩いて病院に着いたときは手遅れだったのだ。その日からヴァルテルのもとには無言電話がかかってきたり、行く先々で青いフォードが待ち受けていたりする。
 やがて姿を現した男の名はボルタク。ヴァルテルはボルタクを追うが捕まえられない。ある日、車で追跡していくとボルタクの妻の実家のあるラヤに到着したところでガソリンが切れる。ボルタクはヴァルテルを泊める。ヴァルテルはボルタクの妻の遺族の冷たい視線にさらされる。翌朝、ガソリンを届けに来た男が山奥に病人がいることを告げる。ヴァルテルは治療に向かうが注射を拒否され、不首尾に終わる。車に戻るとタイヤが盗まれており、バスは4日後だという。ラヤの街までが200km、ボルタクは歩いて帰るという。仕組まれたと思い込んだヴァルテルは一人で歩き始めるが、岩だらけの山道に太陽が照りつける中を進むとボルタクは先回りしており、「近道を知っているから。」という。そして畳一畳ほどの板をぶら下げただけのロープウェイを示し、これに乗って谷を越えればダマスカスだという。ためらいながらも同乗すると何時間もかかって到着した終点は砂漠だった。
 ヴァルテルは計られたと感じるがもはやボルタクに頼るしかない。「街はあの山の向こうです。」「すみません、道を間違えました。今度こそ本当です。」「二時間歩けば井戸があります。」「眠るとジャッカルに食われます。」とさんざん引き回され、憔悴の局にいたったヴァルテルは、「もういい、さっさと殺してくれ。」と懇願する。ボルタクは初めて感情を見せ、「妻が死んでから私も死にたいと思ってきた。」といい、「もういいですよ、先生。行って下さい。本当の道はあっちです。」といい、満足げに目をつぶる。
 映画はそこでは終わらず、ヴァルテルは突然メスを振るってボルタクの腕を切りつけ、「今度こそ街に行って治療しないと、お前も死ぬぞ!」と脅しつける。するとボルタクは別の方角に歩き始めるが、ほどなく力尽きて倒れる。最後の言葉は「ここを真っ直ぐ行けばすぐに街です。真っ直ぐです。」だった。ボルタクを置いてヴァルテルは一人でその方角に歩き始める。
 そこでカメラはしだいにロングショットとなり、上空から俯瞰するような画面に変わっていく。映し出されるのはどこまでも続く砂漠であった。もうヴァルテルの姿は点のようになってしまい、ボルタクの高笑いだけが響き渡っている。
   ※
 なにぶん古い映画なので記憶が薄れてしまっている人も多いのではと、少し長くあらすじを紹介した。50年以上も前に観たきりだが、一人で歩き始めたヴァルテルがふと振り返ったとき、ボルタクが「真っ直ぐです。真っ直ぐ!」と繰り返した場面、それを聞いて歩き出すしかなかったヴァルテルの複雑な表情は今でも思い出せる。
 アンドレ・カイヤットはフランスの映画監督であるが、原作を書いたヴァエ・カッチャはシリア生まれ。町山智浩の解説によるとカッチャはアルメニア人で、アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教にしたことで知られるが、19世紀末のオスマントルコにおいてアルメニア人の大量虐殺事件が起き、難民が世界中に広がったという歴史をもつ。カッチャの両親もそうした難民の一人だったという。
 「眼には眼を」はハムラビ法典にあり、行き過ぎた刑罰や報復を規制し、法のもとに裁きを決するという罪刑法定主義の原点であるとされる。だが、キリスト教の「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と比較してみれば、報復が果たされなければ済まされない鉄の掟のようなものの存在を感じもする。
 ボルタクはすでに自分の死は覚悟してヴァルテルを砂漠に連れ出したのではないのだろうか? 手当を期待するだろうとボルタクを負傷させたヴァルテルには決定的な誤算があったのではないだろうか? 
 ボルタクの妻の治療はヴァルテルの自宅では無理だったのであり、ボルタクの復讐心は理不尽であるというのは一応いえる。だが、ボルタクの心の中には統治国として君臨するフランスに対する被差別意識もあったのではないか?
 映画のラストは復讐の連鎖がいかに不毛であるかを表現しているのかも知れない。だが、幼心にも私の感情の移入先はボルタクの方にあり、その執念に対する恐れ以上に、亡き妻に対する愛情の深さを思ったのだった。

(もう一つの解釈の可能性を考えた。イスラーム世界ではということなのか、砂漠の民はということなのか忘れてしまったが、かの地では本当に困り、助けを求めている者には救いの手を差しのべてやらねばならないというルールがあるそうなのだ。乏しい食料や水であっても必ず分かち合うという。砂漠を生き延びるための知恵なのだろう。そうすると、復讐というより、その救援の手を拒んだヴァルテルに罰を与えようとした、という映画なのかも知れない。そういえばボルタクは最後に残った水筒の水をヴァルテルにすすめ、中味を疑ったヴァルテルが断ると自分で飲み干してしまうのだった。今日の文化摩擦と同じ性質の問題意識が底流に流れているとも考えられる。)


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by yassall | 2018-04-07 11:46 | 雑感 | Comments(0)