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資料「学校図書館と情報教育」

Q11  司書教諭が、情報教育のメディア専門職として位置づけられるという話を聞きましたが……?

A
 文部省の「情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議」の最終報告(1998/8/5)では、「学校図書館が学校の情報化の中枢的機能を担っていく必要が有ることから、今後、司書教諭には、読書指導の充実とあわせ学校における情報教育推進の一翼を担うメディア専門職としての役割を果たしていくことが求められる」とし、具体的な役割として子供たちの主体的な学習を支援するとともに、ティーム・ティーチングを行うこと、教育用ソフトウェアやそれを活用した指導事例等に関する情報収集や提供があげられています。
 情報化は、今私たちの予想をこえて、急速かつ巨大な波として学校現場に押し寄せてこようとしているのかも知れません。
 現代社会に生きるものの素養として、児童・生徒が情報・メディアの活用に関する専門的な知識や技能を身につけていくことは当然求められるし、そうすることによって情報の集中が情報の独占に陥る危険を回避することは、高度情報社会における民主主義の課題であるといってよいでしょう。
 学校図書館の中でも、すでにコンピュータは蔵書管理、資料検索、各種統計などに活用されており、実用化の段階にあります。今後、ネットワーク化がすすめば、単に情報を蓄積・整理する段階から、情報そのものを入手する手段としてきわめて有力な存在となってくることでしょう。その意味で、学校図書館が情報教育の中で重要な働きをすることが期待され、また果たすべきであることは確かです。
 しかしながら、目新しさにまどわされて、学校図書館=情報センターという図式をもって学校図書館の全体と捉えることは誤りであるばかりでなく、危険ですらあるでしょう。
 「中・高で不読者増加(…という)状況を打開するための方策として、情報化(コンピュータ化)はほとんど必要ではなく、かつ重要でもない」として、「学校図書館は、情報や情報化ということを理念上の話とはいえ、無差別に無防備に受け入れすぎているのではないか」(※2)との論も存在します。
 学校図書館があつかうのは、「データ、ファクト、テキスト、イメージなどの断片で、それぞれ個別に使用できる情報information」にとどまるのではなく、「全体として一つのものとして存在する」「発展的であり、蓄積的」な知識knowledge(同)の全体でなければなりません。図書館本来の機能とは、そうした人類の文化財の継承と発展にあるのですし、人間形成期にあたる青少年期にあって必要なのは、個々ばらばらな情報の操作能力である以上に、そうした<知>の全体に触れ、これと格闘することではないでしょうか。

※1 正確には「情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議」
※2 福永義臣「司書教諭の責務と使命」『学校図書館』1997/3
(埼玉県高等学校図書館研究会『司書教諭問題Q&A』1999から)
by yassall | 2012-12-04 15:51 | 学校図書館 | Trackback | Comments(0)

11.23いま、学校図書館を考える~なぜ、学校司書が必要か~

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 11月23日、 「いま、学校図書館を考える~なぜ、学校司書が必要か~」(主催:学校図書館問題研究会・学校図書館を考える全国連絡会)に参加してきました。あいにくの雨模様の中でしたが、120名収容の会場に112名の参加がありました。(会場は日本学校図書館協会、写真)
 本年7月の読売新聞に「学校司書の法制化推進確認」という記事が掲載されて以来、学校司書の法制化の実現に対する期待と先行きへの不安が一気に高まりました。
 主催者によれば、本集会はこうした動向の中、学校司書が実際にどのような役割を果たしているか、全国各地での実践を中心に明らかにしていこう、アピールしていこう、との趣旨のもとに開催されました。
 集会はその目的にふさわしい内容で成功しました。そして、参加者の声にもあったように、この集会が学校図書館関係者の長年の悲願である学校司書の法制化への第一歩であって欲しいと願わずにはいられませんでした。
 そこで、「学校司書の法制化問題について考えること」と題して、現役時代から考えてきたことや発言してきたことを文章にまとめてみました。長文になってしまいましたが、関心のおありの方にはぜひともお読みいただき、ご意見ご批判をいただければ嬉しいです。(文章、資料はカテゴリ図書館へ)

関連URL:学校図書館問題研究会 http://gakutoken.net/
by yassall | 2012-11-26 14:27 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

学校司書の法制化問題について考えること

  1
 学校司書の法制化を現実的な課題として考えたとき、ネックとなるものの一つに学校図書館法(以下、学図法)があるように思われるのは皮肉なことである。
 というのも、学図法によれば「学校図書館の専門的な職務」を掌るものとして定められているのは司書教諭であり、それは「教諭をもって充てる」とされているからである(第5条)。
 学図法が制定されたのは1953年であるが、その司書教諭は附則2項によって「当分の間」「置かないことができる」とされ、事実上棚上げされてしまった。そこで、各自治体の独自採用によって学校図書館の実務にあたる人として「学校司書」が配置されるようになった。(※1)
 したがって、1997年の学図法改正までは、「司書教諭」には実態がなく、実際に「学校図書館の専門的職務」にあたっていたのは法律に定めのない「学校司書」であったことになる。
 もしこの時点で学校教育法に明記される職(名)を新設し、職務内容と一定の資格要件を定めつつも、現職者の完全移行を果たせたら、もっとも実態に即した道であったかも知れない。(※2)
 しかし、1997年の学図法改正によって附則2項が制限付きで撤廃され、2003年から「充て」司書教諭の発令が始まった。「充て職」であることの限界は多くの人が指摘した通りであり、この10年間をみても有名無実化の実態は明らかであるとはいえ、学校図書館に「専門的職務」を掌る人を!という運動をすすめようとするとき、現行法ではそれは「司書教諭」ということになってしまうのであり、その事実性は法改正以前より重くなってしまったのである。

(※1なぜ法律に定めのない職を置くことが出来たか。学校に配属される教職員については学校教育法に規定があり、たとえば高等学校では、「前項のほか、養護教諭、養護助教諭…その他必要な職員を置くことができる」となっている(第50条)。埼玉県の高等学校管理規則に「司書」の職名が位置付いているのは、この「その他必要な職員」条項によっていると考えられる。しかし、それならばそれでよいではないか、というわけにはいかない。法律に職名がないのはその地位の安定や存続には大変なマイナス要因なのであって、定数法に乗せようにもその根拠を欠くことになってしまう。何といっても各自治体によってまちまちであることは教育の機会均等の精神に反している。
 ことのついでだが、2005年に文字・活字文化振興法が制定されたとき、「司書教諭及び学校図書館に関する業務を担当するその他の職員の充実」(第8条)の「その他の職員」とは何だと物議をかもしたことがあるが、職名にない「学校司書」を明記することが出来なかったからだろう。この問題は後でも触れる。)
(※2学図法の「充て職」としての規定を破棄し、教育職員免許法に免許取得のための資格要件(単位数)を定めるとする、いわゆる「専任司書教諭」案は、決して理想に走りすぎた主意主義の産物であったとは思われない。そこで行われた議論は将来の制度要求に生かされなければならない。)

 2
 それでは学校司書の法制化は実現の道が閉ざされてしまったのだろうか。私にはそうは思われない。そのように考える根拠を挙げてみたい。
 ①まず、現行学図法下の「司書教諭」が職といえるかどうかの問題がある。先にも触れた学校教育法には「司書教諭」という職名は明記されていない。また、その資格要件は「講習」によるのであるが、それは教育職員免許法に定められたものではない。よく誤解されることだが、司書教諭という免許状はないのである。文科省も、「司書教諭は…校務分掌の一つ」(「学校図書館の現状に対する調査(通知)」1993)であると繰り返し強調している。つまり、学校司書を法制化しても一つの「職務」に二つの「職」をつけることにはならないのである。(※3)

(※3それは屁理屈だと言われるかも知れない。「充て職」も職であることには変わりがない、現行法で「充て職」で足りるとした職務であるならばその範囲でやっていくしかないし、不十分であるとするならば担当授業時数の軽減なり、職に充てられている期間の専任化等の措置がとれるように改善していけばよいのである、と。しかし、やはり「充て職」は兼業であって本業ではない。「学校図書館の専門的職務」を遂行するためには、仕事量の上からも、専門性の上からも、求められる資質の上からも、独立した「職」が求められなければならない。)

 ②学図法改正と前後して、図書指導員など名称は様々ながら、各地方自治体による小中学校への「人」の配置がすすんでいる。それは2003年の司書教諭の発令以後も、というより近年になるほど配置に踏み切る自治体が増えているように見受けられる。残念ながらそのほとんんどは非正規雇用であるという厳しい実態があるが、採用にあたっては一定の専門性が求められているケースも多い。
 司書教諭が配置されながら、一方でこのような「人」の配置がすすんでいるという事実には、単に仕事量の問題だけではない、質的に異なる専門性の存在が明らかになりつつあり、求められるようになったということに他ならないと考えられる。(※4)

(※4仕事量の問題だけでなく、というのは、そのような「人」が配置されたとき、その学校や地域に学校図書館に対する理解と熱意をもった教職員がいるとき、それらの「人」も生き生きと活動でき、有効に機能できるのであって、少なくともその逆ではあり得ないと考えるからだ。)

 ③そして、意外に思われるかも知れないが、文科省もまた学校図書館には司書教諭とは異なる職が必要だと考えていると思われるのである。
 古くは旧文部省の諮問機関である学校図書館協議会による「学校図書館基準」に「学校図書館に司書教諭および事務職員を置く」(1953)がある。
 国会議員は選挙のたびに変わるが、官僚による行政はなかなか変化しない。良く言えば一貫性があり、悪く言えば旧弊にとらわている。このときの「事務職員」という記述がその後の様々な通知や報告における「学校図書館を担当する事務職員」という言い方になったと思われるし、先に触れた「文字・活字振興法」で「その他の職員」という言い方に変化したとき、むしろ私は学校事務一般に解消できない専門性を文科省も認めざるを得なくなったと感じ取った。そして近年では文科省も「学校司書」という呼称を用いるようになったことは周知の通りである。
 本年7月6日付の読売新聞による「学校司書の法制化推進確認」という記事以来、学校司書の法制化が急浮上してきたといわれるが、私にはそうは思われない。きっと水面下では綱引きのように様々な動きが起こっては消え、消えては起こっているという状態が続いているに違いないと、私は密かに確信しているのである。(※5)

(※5もしそうであるならば、文科省の無理解が壁なのではなく、文科省にとっても壁である財源の確保が最大のネックということになるだろう。しかし、これも絶対に超えられない壁であるとは思われない。財源が限られているのは事実としても、二人教頭や養護教諭の複数配置の進行状況をみれば、要は使い道の問題なのだとしか言えないし、国民要求と世論がどれくらい後押しするかにかかっている。あきらめてしまった方が負けなのである。)

(補1:これはまだ十分に調べていないのだが、1972(昭和47)年に附則2項撤廃・学校司書制度化を内容とする「学校図書館法」改正案が衆議院を通過した後に廃案となったことがあるとのことだ。よく「司書教諭」条項がある限り、「職務内容」を同じくする別職種は置けないと内閣法制局が突っぱねたということの真偽が問題となるが、学校司書の必要性に対する認識と運動の高まりがあればこれらの障害も突破は可能だと考えている。)

 3
 次の問題として、司書教諭と学校司書との「職務分担」の問題がある。(※6)
 1999年に日本図書館協会・学校図書館プロジェクトチームが「学校図書館専門職員の整備・充実に向けて~司書教諭と学校司書の関係・協同を考える~」で、司書教諭は「経営的・指導助言的職務」、学校司書は「奉仕的・指導助言的職務」をという職務分担論を展開したことがある。法改正後の短期間のうちによく議論をまとめ上げたものだと感心したことだったし、「奉仕的」=図書館サービスに図書館員としての専門性を認めようとしているのは正しいのだろうと考えた。
 しかし、今はどうかというと、いわゆる「四者合意」時代の「学校図書館法改正法律案要綱」(1977・80年)の、司書教諭は「学校図書館に関する校務をつかさどる」、学校司書は「学校図書館の専門的業務にあたる」が文言としてはよいのではないかと考えている。(※7)
 司書教諭が「校務」として学校図書館の仕事にかかわるというのは、文科省のいう「校務分掌の一つ」と整合性があるだろう。また図書館がその学校の校務分掌に位置づけられ、その分掌の中でリーダーシップを発揮するような存在は必要だろうし、そのような力量を所持するためには一定の講習の修了が必要とされるというのは納得性が高いだろう。
 しかし、校務分掌である限り、つまり「充て職」である限り、恒常的に図書館にかかわり続けられるとは限らないし、それでなくとも本業は授業なのである。(※8)
 とすれば、学校図書館が持続的・継続的に学校教育にかかわり、位置付くためには、どうしても「専門的職務」にあたる「職(員)」が必要であるということになる。それには「専任」であるだけでなく、「専門」性を有した職員であることが求められ、その職にふさわしい地位と待遇が与えられなければならないことは当然である。

(※6現行法下の「充て」司書教諭を破棄しての全面的な法改正がなされるなら、あるいはその問題は発生しないかも知れない。だが、そのためには膨大なエネルギーが必要とされるだろうし、またこれまでの経過にはそれなりの必然があったはずであり、それらをまったくご破算にして「革新」をめざすことが本当に正しいかどうかは慎重に判断されなければならない。)
(※7きっと問題となるのは「職務」と「業務」、「つかさどる」と「あたる」の違いだろう。「業務」は「職務」と変えた方が望ましいと考えるが、あまりこだわり過ぎる必要もないとも考えている。むしろ実態をどう作っていくかの方が重要なのだ。)
(※8もし司書教諭に存在価値があるとすれば、授業を本務とする教諭が「充て」られているところにあるのかも知れない、と考えたことがある。そのことはいつか別に論じる。)

(補2:先に触れたように、学図法に定めた司書教諭の職名は学校教育法にはない。その逆に、学図法の改正なしに学校司書を学校教育法に位置づけられないものか、と考えたことがある。たとえば「充て職」の一つに保健主事(学校教育法施行規則)があるが、学校教育法に位置づけられた養護教諭は長く保健主事になれなかった。それが何年か前から可能になったように、学校司書が司書教諭に「充て」られる道が可能性としても残されていれば、その場面でも職務職階論が克服されていくだろうと考えたのである。しかし、ここでも学図法の法律としての重みがある。司書教諭が「充て職」である限り学校教育法に職名が明記される必要はないが、学校司書が法制化されるときは学校教育法のみならず、学図法の改正も必要であるだろう。)

 4
 残された問題として、学校司書の資格要件をどのように定めるかがある。
 かつて「専任司書教諭」制度案のもとでも単位数や科目名が研究されたりしたが、現行の司書資格講習および司書教諭講習をベースにしていくのが望ましく、また十分であろうと考えている。
 司書資格を得るために必要な単位数は24単位(※9)、司書教諭講習は10単位である。そのどちらかを習得していることでよいのではとも考えるが、少々乱暴だというなら、司書資格には司書教諭講習のうち司書講習に読み替えできない科目を5単位程度および教育に関する科目を5単位程度、司書教諭資格を得るにはもともと教科に関する科目と教職に関する科目を習得していることが条件になるから、司書教諭資格には図書館に関する科目をもう10単位程度を加えるということでどうであろうか。
 司書資格に関する講座を有している大学であるならば、多くは司書教諭に関する講座も併設していることであろうし、実際には両方の資格を所持している人も多いのではないだろうか。いずれにしても新たな講座を開設したり、養成機関を設置したりする必要なしに資格の取得が可能であるようにすることが重要である。
 現職者をどうするかという問題があるが、学図法の改正が行われたときと同じように経過措置がとられることになるだろうし、先の案の通りとした場合において不足する10単位程度の内、実際には2単位程度を大学その他の養成機関の講習を受けることで資格を満たしたとすることは可能なはずである。学校司書を制度として確立するためには、資格要件のなし崩しは避けなければならないが、実務経験が正当に評価され、尊重されていかなければならないことも確かなのである。
 司書と司書教諭との二つの養成コースからの道を可能にすると、図書館に軸足を置いてきた人と、学校教育に軸足を置いてきた人とが混在することになるが、現場の中でお互いに切磋琢磨できたりすれば、様々な可能性を広げていける気がする。
 学校司書を教育職と行政職のどちらに位置づけるかがよく問題となるが、私は当然教育職であるべきだと考えている。それは何も教科を担当する教諭と同じように授業をしたり、試験をしたり、評価をつけたりすることを意味しはしない。しかし、生徒に対して利用指導や読書指導・案内をするような場面を想定すれば、それらの営みを自立的に可能にするためにも学校現場の中では教育職に位置付いていること必要なのだ。
 ただし、学校司書の法制化が実現しようとする段階で、示された法案が行政職であったとき、ノーというべきかどうかは議論の分かれるところだろう。それは先に述べた文科省内のこれまでの経緯があるからだ。私はそうなった場面でも、学校司書の職務内容がきわめて教育的な側面の高いものであり、そこにこそその専門性があるのだという認知が求められると思う。

(※9以前、司書資格を得るために必要な単位数を20単位と書いたが、「図書館法施行規則の一部を改正する省令及び博物館法施行規則の一部を改正する省令」により、2012年4月1日から13科目24単位に改められていた。訂正したい。)

(補3:現職者の中には先に示したような資格要件をどうしても満たせない人たちもあるかも知れない。賛否両論があるとは思われるが、その人たちが蓄積してきた技術や見識を生かすために、学校司書補の職も併記することを検討できないだろうか。)

 5
 現役時代から考えたり、発言したりしてきたことを整理してみようと思って書き始めたが、まだまだ不十分であることを認めざるを得ない。とくに、こうした問題に初めて触れるような人にも分かりやすくするには、さらに根本的な問題から説き起こしていかなくてはならないだろうが、そうしてみて果たしてそれらの人々が付いて来てくれるかどうかもわからない。
 いずれにしてもこの問題については、私自身今後もかかわり続けていきたいと考えているし、こうした論述も書き加え、書き換えていかなければなるまいと考えている。そのためにも、誤りの指摘やご批判はいつでも受けたいとも考えている。
 ※
 また、現役時代に書いたものや発表したものを資料として添付していきたいと考えている。自分の記録のためというのが第一の理由なのだが、竹頭木屑のたとえのように、何かの役に立つことがあれば幸いと思っている。
 最初に添付するのは埼玉県高等学校図書館研究会(以下、埼玉高図研)の夏期講習会で担当した分科会「学校図書館政策の変遷」の発表資料である。私にとっては最後の分科会発表となった。
 箇条書き形式で、内容が読み取りづらいと思われるが、5の「新しい時代の到来と学校図書館」に見られるように、1980年代の後半から文科省は文科省なりに教育の危機と改革の必要性を感じており、その改革の試みの中で学校図書館の見直しをすすめようとしていることは確実に見て取ることができる。
 それらの潮流を読み誤らず、学校司書の制度化を実現していこうとするならば、学校司書制度のあり方、その資格要件や養成のあり方、現行法下の司書教諭との関係、現職者移行の手立てなどについて、早急に議論をすすめ、大多数の人々が結集しうるような一致点を見いだしていくための努力を惜しんではならない。学校司書の法制化が急浮上したとき、その用意がなく、一番慌てふためいたのが要求をかかげて頑張って来た人だった、というようなことがあってはならないのである。

【補足】
 文中4で、学校司書の資格要件について、「司書資格には司書教諭講習のうち司書講習に読み替えできない科目を5単位程度および教育に関する科目を5単位程度」、計10単位を加えたらどうか、という提案をした。
 1998年に改正された「学校図書館司書教諭講習規程」では、司書教諭の講習科目は5科目10単位となっている。1科目あたりの単位数が2単位であるから、当然5単位という選択の仕方はあり得ない。教育に関する科目についても、各大学等で開講されている単位数が奇数であることはあまりないと思われる。
 そこで、上記の提案については、司書資格24単位に加えること10単位程度、そのうち学校図書館に関する科目と教育に関する科目とを半々程度とする、という基本方向を示したものだと理解していただきたい。
 また、1997年に学図法が改正されたとき、司書講習と司書教諭講習とを分離した経緯があるとのことであるが、開講されている科目を選択的に修得することに支障があるとは思われないし、それをもって新たな資格要件とすることに問題があるとは思われない。
 単位数を増やすことによって専門性を確保するという考え方はもっともであるが、学校図書館に勤務する専門職員は幅広い教養の持ち主であって欲しいと思うし、様々な教養科目や専門科目の履修を可能にするためにもハードルを上げすぎることが望ましいとは限らないと考える。学校図書館専門職員には勤務についた後も日常不断の研修が求められよう。そのためにも幅広い視野や様々な分野に対する興味・関心の高さが望まれるだろう。そのベースとなるものは教養である。
 学校図書館に独自の専門性を認めるなら、公共図書館での勤務を想定した司書講習とは異なった、独自のカリキュラムがあるべきだ、という考え方もあるかも知れない。だが、学校図書館教育の目的の一つに、問題解決のために生涯にわたって図書館を活用する態度を養う、ということがあるとすれば、学校図書館と公共図書館に関連性がないとはいえないだろう。また、養成の過程にあっては、早期に公共図書館に進むか学校図書館に進むかを分離させるより、両方の可能性を残しておいた方が豊かな人材を育てることにつながるように思われる。(2013.1.25)

学校教育法おける職員の規定については小中学校と高等学校では細目がことなっています。以下は学校教育法の抜粋ですが、第37条が小学校(中学校はこれに準ずる)、第60条が高等学校です。(2013.1.28)

第三十七条  小学校には、校長、教頭、教諭、養護教諭及び事務職員を置かなければならない。
○2  小学校には、前項に規定するもののほか、副校長、主幹教諭、指導教諭、栄養教諭その他必要な職員を置くことができる。
○3  第一項の規定にかかわらず、副校長を置くときその他特別の事情のあるときは教頭を、養護をつかさどる主幹教諭を置くときは養護教諭を、特別の事情のあるときは事務職員を、それぞれ置かないことができる。
○4  校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。
○5  副校長は、校長を助け、命を受けて校務をつかさどる。
○6  副校長は、校長に事故があるときはその職務を代理し、校長が欠けたときはその職務を行う。この場合において、副校長が二人以上あるときは、あらかじめ校長が定めた順序で、その職務を代理し、又は行う。
○7  教頭は、校長(副校長を置く小学校にあつては、校長及び副校長)を助け、校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる。
○8  教頭は、校長(副校長を置く小学校にあつては、校長及び副校長)に事故があるときは校長の職務を代理し、校長(副校長を置く小学校にあつては、校長及び副校長)が欠けたときは校長の職務を行う。この場合において、教頭が二人以上あるときは、あらかじめ校長が定めた順序で、校長の職務を代理し、又は行う。
○9  主幹教諭は、校長(副校長を置く小学校にあつては、校長及び副校長)及び教頭を助け、命を受けて校務の一部を整理し、並びに児童の教育をつかさどる。
○10  指導教諭は、児童の教育をつかさどり、並びに教諭その他の職員に対して、教育指導の改善及び充実のために必要な指導及び助言を行う。
○11  教諭は、児童の教育をつかさどる。
○12  養護教諭は、児童の養護をつかさどる。
○13  栄養教諭は、児童の栄養の指導及び管理をつかさどる。
○14  事務職員は、事務に従事する。
○15  助教諭は、教諭の職務を助ける。
○16  講師は、教諭又は助教諭に準ずる職務に従事する。
○17  養護助教諭は、養護教諭の職務を助ける。
○18  特別の事情のあるときは、第一項の規定にかかわらず、教諭に代えて助教諭又は講師を、養護教諭に代えて養護助教諭を置くことができる。
○19  学校の実情に照らし必要があると認めるときは、第九項の規定にかかわらず、校長(副校長を置く小学校にあつては、校長及び副校長)及び教頭を助け、命を受けて校務の一部を整理し、並びに児童の養護又は栄養の指導及び管理をつかさどる主幹教諭を置くことができる。

第六十条  高等学校には、校長、教頭、教諭及び事務職員を置かなければならない。
○2  高等学校には、前項に規定するもののほか、副校長、主幹教諭、指導教諭、養護教諭、栄養教諭、養護助教諭、実習助手、技術職員その他必要な職員を置くことができる。
○3  第一項の規定にかかわらず、副校長を置くときは、教頭を置かないことができる。
○4  実習助手は、実験又は実習について、教諭の職務を助ける。
○5  特別の事情のあるときは、第一項の規定にかかわらず、教諭に代えて助教諭又は講師を置くことができる。
○6  技術職員は、技術に従事する。
by yassall | 2012-11-26 13:52 | 学校図書館 | Trackback | Comments(0)

資料「学校図書館政策の変遷」

 学校図書館政策の変遷 2010/8
                                        
0.戦前における学校図書館政策
 1873(明治6)年 文部省『小学校建設図』書籍室(図書室)あるもほとんど作られず。
 1924(大正13)年 文部次官通牒『文部時報』「近来小学校ニ於テ教科書ノ解説書若クハ教科書類似ノ図書ヲ副教科書又ハ参考書ト称シテ使用セシムル向有之ヤノ趣右ハ教育上尠カラザル弊害ヲ来スルモノト存ゼラルルニ付厳重ニ御取締相成依命此段通牒ス」
※大正自由主義教育に対する対応か?
 1928(昭和3)年 「御大禮記念事業勧奨ニ関スル件」児童文庫・図書室の設置
 1938(昭和13)年 内務省「児童読物改善ニ関スル指示要綱」
 1939(昭和14)年 文部省「児童図書推薦事業」良書・善導教育

1.戦後初期の学校図書館政策
 1946(昭和21)年 文部省『新教育指針』「図書室・実験室・工作室・保険設備、その他の教室などは、もっと内容が充実せられた上に、もっと自由に使用しうるように、児童に開放されることが重要である」
 1947(昭和22)年 「教育基本法」
 1947(昭和22)年 「学校教育法施行規則」「学校には、別に定める設置基準に従い、その学校の目的を実現するために必要な校地、校舎、校具、運動場、図書館又は図書室、保健室その他の設備を設けなければならない」
 1948(昭和23)年 文部省『学校図書館の手引き』「学校図書館は、新しい教育においては、きわめて重要な意義と役割を持っている」
 1949(昭和24)年 学校図書館協議会『学校図書館基準』(~1959年)
※学校図書館協議会は文部省の諮問機関として1948年に設置。
※1949年文部省『学校図書館の手引き』をテキストに講習会(学校図書館協議会)を開催。
※上記講習会参加者を中心に各地で学校図書館協議会を設立。1950年全国学校図書館協議会(全国SLA)設立。

2.「学校図書館法」の成立と展開
 1953(昭和28)年 「学校図書館法」成立
※国民運動:全国SLAによる請願署名92500名余。
※議員立法:
※『基準』の法制化から「学校図書館法」へ:
※第15国会「幻の学校図書館法」:免許制の司書教諭
 1954(昭和29)年 文部省「学校図書館司書教諭講習規程」告示
 1958(昭和33)年 「学校図書館法」一部改正:13条国庫負担金は高校のみに。
 1966(昭和41)年 「学校図書館法」一部改正:学校図書館審議会を規定した2章8~12条を削除
 1972(昭和47)年 「学校図書館法」改正案衆院通過後廃案:附則2項撤廃、学校司書制度化

3.50・60年代の学校図書館政策
 1958(昭和33)年 文部省『学習指導要領』改訂:「学校図書館の資料や視聴覚教材等については、これを精選して活用すること」
 1959(昭和34)年 文部省『学校図書館運営の手引き』:教材センター
 1960(昭和35)年 文部省『学校図書館における図書以外の資料の整理と利用』:資料センター
 1967(昭和42)年 文部省「公立高等学校の設置、適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律」一部改正:学校図書館事務の充実を図るため、生徒数810名(その後の改正で18学級、さらに1992年12学級以上に)以上の全日制の課程または定時制の課程について事務員1名を加算」※義務制の学校については翌年「学校図書館の重要性とその事務量を考慮して」

4.「学校図書館法」の改正
 1997(平成9)年 「学校図書館法」一部改正:附則2項「当分の間」を「平成15年3月31日までの間(政令で定める規模以下の学校にあっては当分の間)」に
 1997(平成9)年 文部省「学校図書館の充実等に関する調査研究協力者会議」設置
 1998(平成10)年 文部省「学校図書館司書教諭講習規程の一部を改正する省令」
   ※学校図書館通論(1)、学校図書館の管理と運用(1)、図書の選択(1)、図書の整理(2)、図書以外の資料の利用(1)、児童生徒の読書活動(1)、学校図書館の利用指導(1)の7科目8単位から、学校経営と学校図書館(2)、読書と豊かな人間性(2)、学校図書館メディアの構成(2)、情報メディアの活用(2)、学習指導と学校図書館(2)の5科目10単位へ
   ※1975年『覚書』=「四者合意」
    1977年『学校図書館法改正法律案要綱』(「四者合意案」)
    1978年 衆議院法制局『学校教育法及び学校図書館法の一部を改正する法律案』(試案)
    1980年『学校教育法及び学校図書館法の一部を改正する法律案要綱』提出
    1981年四者話し合いで、日教組は「『四者合意』をふまえながらも当面、最重要課題として『学校司書』の制度化の運動を先行させたい」。日高教は賛意。
    1987年 日教組臨時大会『新しい司書教諭制度=専任司書教諭制度』機関決定
   ※1993年「子どもと本の議員連盟」設立

5.新しい時代の到来と学校図書館
 (1)「教育改革」「新しい学力観」との関連
 1989(平成1)年 文部省『高等学校学習指導要領』改訂:「視聴覚教材や教育機器などの教材・教具の適切な活用を図るとともに、学校図書館を計画的に利用しその機能の活用に努めること。」 
 1998(平成10)年 文部省「情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議」『最終報告』「学校図書館が学校の情報化の中枢的機能を担っていく必要が有ることから、今後、司書教諭には、読書指導の充実とあわせ学校における情報教育推進の一翼を担うメディア専門職としての役 割を果たしていくことが求められる」
 (2)子どもの変化と新しい課題
 2001(平成13)年 文科省「子どもの読書活動の推進に関する法律」
 2002(平成14)年 文科省「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」:「学校図書館は、児童生徒の自由な読書活動や読書指導の場として、さらには想像力を培い学習に対する興味・関心等を呼び起こし豊かな心を育む読書センターとしての機能と、児童生徒の自発的、主体的な学習活動を支援し、教育課程の展開に寄与する学習情報センターとしての機能を果たし、学校教育の中核的な役割を担うことが期待されている。特に、学校教育においては、児童生徒が自ら考え、主体的に判断し、行動できる資質や能力などの「生きる力」を育むことが求められており、学校図書館には、様々な学習活動を支援する機能を果たしていくことが求められる。」
 2002(平成14)年 「学校図書館図書整備5か年計画」
 2002(平成14)年  中教審「新しい時代における教養教育の在り方について」答申:「美術館や博物館,図書館等が子どもの教育に取り組むことは,子どもの教養の涵養にとっても,これら施設の活性化にとっても意義が大きい。」
 2005(平成17)年 文字・活字文化振興法:「国及び地方公共団体は、学校教育における言語力の涵養に資する環境の整備充実を図るため、司書教諭及び学校図書館に関する業務を担当するその他の職員の充実等の人的体制の整備、学校図書館の図書館資料の充実及び情報化の推進等の物的条件の整備等に関し必要な施策を講ずるものとする。」
 2008(平成20)年 文科省「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画(第二次計画)」
 2009(平成21)年 文科省「これからの学校図書館の活用の在り方等について(報告)」子どもの読書サポーターズ会議:(発足は2007年)
※2003・2006年OECD(経済開発機構)生徒の学力到達度調査(PISA):読解力

6.「新学習指導要領」と学校図書館
 (1)『総則』
「学校図書館を計画的に利用しその機能の活用を図り、生徒の主体的、意欲的な学習活動や読書活動を充実すること。」(「5教育課程の実施等に当たって配慮すべき事項」(11))
 (2)『国語』
「自分の読書生活を振り返り、読書の幅を広げ、読書の習慣を養うこと。」(「国語総合」 「3内容の取り扱い」)
 (3)『総合的な学習の時間』
「横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して、自らの課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに、学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的、協同的に取り組む態度を育て、自己の在り方生き方を考えることができるようにする。」
 (「目標」)
「学校図書館の活用、他の学校との連携、公民館、図書館、博物館等の社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携、地域の教材や学習環境の積極的な活用などの工夫を行うこと。」(「指導計画の作成と内容の取扱い」)

 「学校図書館はまた指導機関である。問題解決のために図書館を有効に利用する方法を会得させ、読書指導によって読書の習慣づけ・生活化を教え、図書館利用を通して社会的民主的生活態度を経験させる。」(『学校図書館基準』1959)


補.「学校司書」の法制化の展望

○「学校図書館基準」(1959)
「学校図書館に司書教諭および事務職員を置く。」
○「学校図書館法の一部を改正する法律等の施行について(通知)」(1997/6/11)
「学校図書館担当の事務職員は、図書館サービスの提供及び学校図書館の庶務・会計の職務に従事
しているもの」
○「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」(2002/8)
「学校図書館を担当する事務職員は、司書教諭と連携・協力して、学校図書館に関する諸事務の処 理に当たっている。今後、学校図書館の活用を更に充実するため、各地方公共団体における事務職員の配置の取組を紹介して、学校図書館の諸事務に当たる職員の配置を促していく。」
(旧案『学校図書館を担当する事務職員は、司書教諭を補佐し、学校図書館に関する諸事務の処理に当たっている。』)
○「文字・活字文化振興法」(2005)
 2 国及び地方公共団体は、学校教育における言語力の涵養に資する環境の整備充実を図るため、司書教諭及び学校図書館に関する業務を担当するその他の職員の充実等の人的体制の整備、学校図書館の図書館資料の充実及び情報化の推進等の物的条件の整備等に関し必要な施策を講ずるものとする。(8条)
○「学校図書館のチカラを子どもたちのチカラに」(2008/6)
 「学校図書館活動の充実を図る上では、例えば高校だけでなく、小中学校にも「学校司書」を配置して、司書教諭等と連携しながら、多様な読書活動を企画・実施したり、図書サービスの改善を図ったりしていくことなども有効です。」(学校図書館の諸事務に当たるいわゆる「学校司書」は、各地方公共団体・学校の実情に応じて、その配置が勧められてきています。)
○「これからの学校図書館の活用の在り方等について(報告)」(2009/3)
 「学校図書館の業務の専門性を考え合わせると、専門的な知識・技能を有する担当職員である、いわゆる「学校司書」の役割が重要となる。学校図書館担当職員については、現在、その職務内容の実態等は様々となっているが、「学校司書」として、図書の貸出、返却、目録の作成等の実務のほか、資料の選択・収集や、図書の紹介、レファレンスへの対応、図書館利用のガイダンスなど、専門性を求められる業務において大きな役割を担っている例が少なくない。」
○中教審「今後の学級編制及び教職員定数の改善について」答申(2010/7)
 「学校教育の中で学校図書館が十分に活用され読書活動が推進されるよう、学校図書館業務の充実に向けた教職員定数の改善が必要」


《参考文献》
「学校図書館法改正」 全国学校図書館協議会(1983)
「学校図書館論」塩見昇 教育史料出版会(1989)
「学校教育と図書館」 第一法規(2007)
「学校図書館の光と影」 八千代出版(2007) 
by yassall | 2012-11-26 13:37 | 学校図書館 | Trackback | Comments(0)

学校図書館職員の専門性と求められる資質(素案)

(1)学校図書館職員の専門性
 ・学校図書館の役割に対する理解と追求
 ・利用者=生徒の要求・心理・課題に対する理解
 ・学校の教育課程と課題に対する理解
 ・生徒をとりまく社会情勢・青年期教育の課題に対する理解
 ・学校の教育計画に学校図書館を位置づけるための組織的なとりくみ
  (読書指導計画、利用指導計画、図書館を使った授業実践)
 ・各種資料・機材に対する知識と活用の熟達
 ・学校図書館の活性化をはかるプログラムの立案と実施

(2)学校図書館職員に求められる資質
 ・学校図書館のはたすべき役割に対する理解と信念
 ・「知る権利」の保障と「図書館の自由」の理念に対する信念
 ・コミュニケーションの能力
 ・日常不断の研修


※学校図書館職員の専門性とは何か、また求められる資質とは何か、について考えたとき、箇条書きにしてみたものです。
by yassall | 2011-03-31 12:33 | 学校図書館 | Trackback | Comments(0)

今日の「読書指導」と学校図書館(試論)

今日の「読書指導」と学校図書館

1.はじめに
 読書指導は,利用指導と並んで,学校図書館教育の二本柱とされてきた。戦後の学校図書館教育の指針を示したとされる『学校図書館基準』に次のような定義がある。

「学校図書館はまた指導機関である。問題解決のために図書館を有効に利用する方法を会得させ,読書指導によって読書の習慣づけ・生活化を教え,図書館利用を通して社会的・民主的生活態度を経験させる。」/(『学校図書館基準』1959年)

 児童・生徒に学習者としての主体を置き,自学能力の育成を重視する新しい教育思想から,戦後の学校図書館への要求と運動が起こった。
 『基準』が,まず「学校図書館は奉仕機関である」と述べ,その後に「また指導機関である」と定義し,「指導」の内容を生徒(学習者)自らの「問題解決」のための図書館の利用法とし,読書指導を「習慣づけ・生活化」と限定したところに,戦後学校図書館教育の面目がある。学校図書館は・朝鮮戦争以後の教育の民主化の逆コースの後にも,教科書中心主義・偏差値一辺倒の教育とは異なる教育のあり方をめざす拠点のひとつとなってきた。
 読書指導も,戦前型の思想善導・国民教化の観点からではなく,児童・生徒の豊かな人格形成をめざすものとして理論化され,一定の実践が蓄積されてきた。
 ところで,近年この読書指導に対する見直しの議論が高まっている。ここでは,そうした議論の特徴点がどこにあるのか,今日もし新しい「読書指導論」を打ち立てる必要がせまられているとしたら,問題をどのように整理しておいたらよいか,について考察したい。

2.何が問題になっているか(Ⅰ)
 学校図書館にとって,なぜ「読書」が今日的なテーマであるのか。「読書指導」のあり方が問い直されようとしているきっかけは二つ,ないしは三つ,あるように思われる。
 これまで読書指導というと,どうしても「人間形成のための読書」という教育的側面の強いものであった。そのとらえ方は,むしろ子どもの知的・心的発達の「手段としての」読書だった。

 「人間形成のために読書する態度・知識・枝術・能力・興味・習慣等の形成・開発の指導」/(滑川道夫「読書指導とは何か」『現代読書指導事典』1967年)
 「マスメディアの一つであり,また活字に組まれた文化財の一つとしての書物を,自らの思想と行動を形成していくための,学校や家庭での指導」/(勝田守一編『岩波小辞典・教育』1956年)


 などの定義にそれは示されている。
 そうした教育的見地からではなく,子どもの持っ個別的な読書権の立場から読書をとらえ直そうとするのが一つであり,「自由で楽しい読書」がそのキー・ワードである。

 「『自由で楽しい読書』のためのいろんな活動(中略)…,図書館の機能が資料提供であるということで,資料提供に徹して生徒の読みたいものを提供していったとき,いろいろ見えてくるものがある。」/(高橋恵美子『図書館よ,ひらけ!』1990年)

 こうした問題提起と実践が現在少なくない学校図書館でなされ,学校図書館を児童・生徒の生活に密着化させる上で一定の成果をあげつつある。図書館にどんな本を備えるかという資料組織において,教材という視点から選定がなされるのか,純粋に子どもの興味・関心・欲求から選定かなされるのか,といった問題にもかかわる提起である。

3.何が問題になっているか(Ⅱ)
 もう一つは,「主体的に学習する能力の育成」と定義される利用指導との二本柱とされながら,読書指導(それも,ややもすると押しつけ的読書感想文指導)=図書館教育でこと足れり,あるいは手いっぱいという現状への指摘である。

 「学校図書館といえば読書指導であり,読書感想文であった。読書指導も,必ずしも日常的に開館し機能している図書館を必要としない集団読書指導が主流であった。(中略)学校図書館に『人』がいなかったため,(中略),学校図書館は主として国語科の教師によって運営されてきた。
 読書感想文コンクールは,そのような事情を背景に生じたものであるだろう。読書感想文の審査は,まず読んだ本を正確に読みとっているか,読解力を見次に,その感想を的確に表現しているか,作文能力をみるものであった。その意味では,あくまで国語科的発想だったのである。」/(同前)

 これもまた学校図書館の現状と,これをなおざりにしてきた教育行政に対する鋭い批判であり,学校図書館における専門職員の配置,そして子どもの学習権の立場に立った教育改革の課題に至る,重い提起である。
 そして,以上の二点の,主として学校図書館のあり方に関わる問題とは別に,今日「読書」を問題として取りあげるとき,より本質的で根源的な問題として,現代の青少年をとりまく読書状況がある。

 「塾通い,習い事・スポーツクラブなどが子どもの自由な時間をうばっていることがあります。(中略)比較的本の好きだった子どもも,ゆっくり読書を楽しむゆとりをもちにくくさせられている状況が一般化しています。」/(広瀬恒子『子どもの読書 いまこれから』1992年)

 つまり,子どもの生育歴の中での「読書」の位置,高校生にとっての生活と「読書」との関連が変化してしまっているのではないか,前提としてよいスタートラインが変わってしまっているのではないか,という問題である。

4.「考える読書」は全否定されたか
 人間にとって,あるいは文化の中で,読書が果たす機能およびその占める位置は,その歴史的発展の各段階において変化するのではないか,という仮説を立ててみたい。
 伝統志向型の社会においては,読書は,その書かれてあるところのものを,そのままそっくり自分の中に取り入れることが目的とされる。論語の素読などを例とすることができるだろう。いわば,過去からの読書である。
 今日の「読書論」の一方の傾向として「情報処理の技術としての読書」がある。情報化社会にあって重視されるのは,情報処理の手段としての読書である。書物は,その書かれてあるとおりのところに価値があるのではなく,新しい情報生産のための素材(データ・知識・情報)としてのみ価値を有するとされる。こちらは,未来からの読書ということになるだろうか。(※)
(※もっとも,例に引いた論語にしてから,「学ンデ思ハザレバ,則チ岡シ。思ヒテ学バザレバ,則チ殆シ。」と述べているくらいであるから,こうした転移は通時的におこるのではなく,共時的な現象であるというべきかも知れない。)
 さて,伝統志向型の社会から脱した近代社会において中心的価値を有するものは,伝統ではなく,内省能力と自我意識をもった個人である。そこで,読書は,個人の内面化を支える位置を占めることになる。
 ここで「人格形成としての読書」としての「考える読書」を検証してみよう。戦後の「読書指導」論の到達である「考える読書」とは,言葉・思想を自分の中に取り入れるだけではなく,これを内面化し,自我意識を形成するための方法であり,理念であったと思う。先の問題提起を真撃に受けとめつつも,とりわけ自我の形成期にあたる青少年にとって「考える読書」はいまだその意義を失ってはいないと思われるし,同様の理由から「情報処理の技術としての読書」論にも批判的にならざるを得ない。

5.「読書指導」のこれから-「問題」の整理の試み
 「指導」ということばにすべての問題の根源があるのだろうか,と考えてしまうことがある。「読書指導」といわれると,教師の側では,なにどとかを指導しなくてはならない気がしてくる。子どもの読書権を大切に考える人々は,「指導」ということばに押しつけのにおいを感じとってしまう,というふうに…。
 「読書指導」の用語が包含している概念を明確にする努力が必要なのではないか。読書指導にたずさわろうとするものも,これを批判しようとするものも,実はそこのところを疎かにしてきてしまったように思う。
 読書が個別的な営みであるというのは,読書が個々の人格形成に関わるという理由をもってしてまさにそのとおりである。しかし,読書は個人にあっては学習過程(※)だが,同時に社会過程でもあるという側面をもつことを見逃してはならない。読書において個人が出会うものは,それがどのようなレベルにあるにせよ,言語によって記録された文化財なのである。
(※ここでいう学習とは,目的としての学習のみでなく,結果としての学習を含む。)
 また,読書活動は読書能力によって支えられるが,それは知覚・理解・感受・同化・補強・批判・活用に分析されよう。これらの能力がなんの訓練もなく獲得されるとは考えられない。そうかといって,感受(感動)や批判精神の獲得が注入によっておこなわれるはずはあり得ないし,またそうあってはならないと思う。
 読書は,読み手(読者)と読書材(図書資料),および両者の結び付きとしての読書過程があってはじめて成立する。読書過程の全容を明らかにするには,欲求・動機づけ,あるいは読書材へのアクセスにはじまる見取り図が必要となろう。読書指導といっても,それは読み方指導である場合もあれば,読み物指導である場合もあり,読者指導である場合もあろう。
 指導は集団的になされる場合もあれば,個別的である場合もあり,ディスカッションという形態を取ることもあるだろう。系統的・計画的な指導と,児童・生徒を主体とした日常的な学習活動の中での個別的・偶発的・側面的援助が複合されて効果を発揮することもあるのではないだろうか。教室で図書館利用の動機づけがなされ,図書館で読書指導・案内がなされるというスタイルがあり得てよいのではないか,と考える。
 読書指導がどうあるべきで,何をすべきで,何をしてはいけないか,どういう場面で行われるべきかなど,今後の研究と実践に残された課題は多い。求められているのは「今」をこえる力である。今日の「読書指導」をめぐる論争を真に実りあるものとするためにも,まず原点に立ち返ってみる必要があるのではないだろうか。それはいかにして私たちが豊かな読書生活を獲得するかの課題である。

1993.11
by yassall | 2011-03-30 12:38 | 学校図書館 | Trackback | Comments(0)