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日々雑感 ☆facebookによる顔認識 

 たまたま昨夜のNHKサイエンスZEROを見ていて考えさせられました。最先端の顔認識技術によって、スマホで顔写真を撮った3秒後に、その人物の姓名や誕生日などの個人情報が検索できる!というアメリカの大学での実験が紹介されていました。解説ではそのデータベースになったのがfacebookに登録されたプロフィール写真であるとのことでした。
 プライバシー保護の研究の一環だそうで、一般社会での実用を目的としたものではないそうですが、ちょっとゾッとさせられます。
 SNSはますます広がっていくでしょうが、利用者の側もプロフィール写真の選び方やタグ付け、基本データの記載内容などは慎重になった方がよいかも知れません。
 また、今日の朝日新聞デジタルでSNSハラスメント(会社の上司などが公開を迫る)のことが取り上げられていましたが、facebookでは友達のグループ化によって公開の範囲を制限できるそうですね。(私はまだよく知りませんが…。)これから会社づとめをするような若い人たちは、そうした方法の研究も必要になるでしょうね。自分の身は自分で守る工夫をしないと。
 では老婆心ながら情報提供まで…。

 
# by yassall | 2013-01-07 00:57 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

東国三社と佐原の旅

 1月5日、東国三社巡りと小江戸佐原の旅に出かけて来ました。東国三社とは鹿島神宮、香取神宮、息栖神社のこと。千葉県と茨城県をまたがって直角三角形を描いて配置されているパワースポットです。
 同じく小江戸と呼ばれた川越時代が長かった私としては佐原は一度は行ってみたかった地。川越との違いは町中を流れる川のあるなしでしょうか?
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 佐原は商都として栄えた町。伊能忠敬が養子に入った先も醸造業を生業としていたそうです。写真は伊能忠敬旧居の碑ですが、国指定史跡になっている旧宅本体は残念ながら現在解体補修中。
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 川沿いには由緒ありげな家屋が並んでいます。
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 こうした小舟はどんな人が所有しているのでしょうか?
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 川越と比べると観光地化はそれほど進んでいないのか、町の風景は素朴さを残しています。こういう風景を写真にするのは難しい。
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 醸造は今でも盛んな様子で日本酒の各種品評会でも何度も入賞を果たしているそうです。もちろんお土産に一本…。
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 神域というのはなかなか写真におさめづらい。写真は香取神宮の拝殿。桃山様式なのは徳川幕府によって寄進されたからか。ここも補修中でした。
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 初詣でのシーズンとあって門前は賑わっていました。
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 賑わいはやはり鹿島神宮の方が上回っていたかな?
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 親鸞が「教行信証」を執筆するにあたって鹿島神宮を何度も訪れたというのは有名。境内にあった神宮寺は関東最大の経典の宝庫であったとか。明治の廃仏毀釈は様々な知的遺産を散逸させてしまったのでしょうね。親鸞が「教行信証」を完成させるのは京都に帰ってからのことではありますが。写真は親鸞旧跡の碑。
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 息栖神社は他の二社と比較するとたいへん質素な印象でした。写真は息栖神社の大鳥居ですが、土手の向こうは利根川という個性は際だっていました。
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G3+14-42mm 
# by yassall | 2013-01-06 17:31 | 風景 | Trackback | Comments(2)

お坊さんが二人歩いて来ました…

 和尚がツー!!……(汗!)

 先代の林家三平さんの駄洒落でした。子どもの頃はあまりのばかばかしさに、どうしてこれが爆笑王なのかいぶかしんだものでしたが、なぜか妙に懐かしい今日この頃……。 というわけでお正月!ともかくも皆様、明けましておめでとうございます。
 そこで年賀状代わりに一句二句……

 天空に彷徨ひ出でぬ弥陀が原
 流星を沈めて一つ池塘生ふ

 
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 では今年もよろしく!
(写真は月山・弥陀ヶ原)
# by yassall | 2013-01-01 01:11 | お知らせ | Trackback | Comments(2)

葬式仏教

 葬式仏教というと日本仏教の堕落の源のようにいわれているし、実際お寺から「当山でない宗派によって葬儀を行った場合、納骨をお断りする場合があります」などと書かれた寺報が来たりすると、ああこれが檀家制度というやつか、と恐れ入ってしまったりする。だが、その認識を改めなければならないかも知れない、と近ごろ考えるようになった。
 柳田国男は「仏法が日本国民の生活に及ぼした恩沢が、もし唯一あったとするならば、それは我々に死者を愛することを教へた点である」(『北国の春』)と述べたとのことである。日本の原信仰によれば死は穢れであり、神道はこれを扱いきれなかった。その死者たちの弔いを引き受けたところから仏教が日本で広まっていったと、そういえばどこかで読んだことがある。
 しかしながら、日本に仏教が伝来してきた当初からそうだったというのではなく、天皇から得度を受け、国家的な祈祷に携わった官僧たちは、長く死穢をきらう傾向にあったらしい。南都六宗は今でも檀家のための墓地をもたず、葬儀もあげないとのことだ。
 それがいつ頃から変化していくかというと、平安末期から鎌倉時代にかけてのことであるらしい。それは末法思想や浄土教の流行という仏教史上の理由ももちろんあるのだろうが、そればかりではないようだ。
 『方丈記』に養和の飢饉に際して、大量の餓死者のために、仁和寺の隆暁法印が死者を見つけるたびにその額に「阿」の字を書いて歩いた、という記事がある。

「仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。」

 そして、その人数を知ろうとして2か月間にわたって数えたところ、「すべて四萬二千三百あまり」に達したということだ。
 平安末期から鎌倉時代にかけてといえば、地震や大風、日照りといった天災のみならず、戦乱にあけくれた時代であり、それにともなって人々は膨大な死者に直面させられることになっただろう。その死屍累々たる光景を前にして、仏教者たちになにがしかの行動への自覚が生まれていったのではないだろうか。
 仁和寺は真言宗、天皇家につながる門跡寺院であるが、そうした自覚を行動に移していったのは多くは遁世僧と呼ばれる人たちであったのだろう。
 遁世僧とは、出自が問われ、出世が目的化し、いわば第二の俗世界になってしまった官僧の世界から離脱し、黒染めの袈裟を纏って仏道修行に努めようとした私僧のことである。鎌倉仏教といえば、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍といった名前が浮かぶのであるが、そうした新仏教のみならず、律僧や五山派禅寺といった旧仏教の改革派も大きな影響力を有していたとのことである。
 そのように考えると、葬式仏教こそ日本仏教の革命であり、仏教が民衆の救済に向き合おうとしたところで開かれた扉であり、それはもちろん死者を弔うだけでなく、絶望のうちに生きる生者たちと共に救済の光を見いだそうとする模索であったに違いない。

〈参考文献〉
松尾剛次『葬式仏教の誕生』平凡社新書
池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』飛鳥新社
辺見庸『瓦礫の中から言葉を』NHK出版新書
堀田善衛『方丈記私記』
# by yassall | 2012-12-23 13:33 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

冬ですね…

 折口信夫によれば冬(ふゆ)の語源は「増ゆ」から来るのだそうだ。夏至が精霊たちの来訪の季であるのに対し、冬至は精霊たちの増殖=「増ゆ」の季なのだという。夏の祭りが精霊・死霊を迎え、もてなし、送るというは盆の諸行事からしてなるほどと思うのだが、冬についてはどうも合点がいかなかった。
 それがあるとき、はっと腑に落ちたのは、グリム童話について書かれた本を読んでいたときのこと。古代ゲルマンにはオーディン信仰があり、オーディンが死者たちを率いて耕地の上に冬の嵐をもたらすと、次には大地に豊穣をもたらすと信じられていたのだそうだ。
 さらには古代ローマ帝国の時代に信仰されていたミトラ教によれば、冬至に近い12月25日は太陽の誕生日であると定められていたとのこと。
 キリスト教が広まって行く中でクリスマスとして取り込まれていくことになるが、冬至が昼の長さが一番短くなる日であるということは、これを境に次第に日が長くなっていく日でもあるというわけだ。東西の農耕民に共通した信仰のかたちの中に死と再生のテーマがあったということか。

〈参考文献〉
高橋義人『グリム童話の世界』岩波新書


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# by yassall | 2012-12-18 10:54 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

今年のマイベストショット

 上高地・田代池
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木曽駒ヶ岳・千畳敷カール
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 こちらは乗鞍岳
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 G3 OLIMPAS9-18mm
# by yassall | 2012-12-17 18:21 | 風景 | Trackback | Comments(0)

原発問題について考える

 衆議院選挙の投票日まであと1週間となりました。政治と宗教の問題はここには持ち込まないようにしようと思っているので、どの党に投票しよう!などとは書き込まないようにします。
 ただ、昨年の3.11に最後の卒業生を送り出した私としては、どうしても原発をこれからどうするかは避けられない問題だと思っています。
 とくにあの日卒業していった人たちは、今回の選挙が初めての投票になると思います。皆さんはこれからの時代に生きていく人たち、やがてはこれからの時代に生きていく命を生み出していく人たちです。
 ぜひ原発の問題をひとつの大事な争点に考えて欲しいと思って投稿します。考えてみたいポイントを何点かあげてみますから、どうか一緒に考えてみて下さい。

(原発問題について考えるためのポイント1)
 安全性が確認できた原発は再稼働していいだって?(大飯原発の下に活断層があるのかないのかの結論すらまだ出ていません。それは調査にあたった学者の意見が分かれているからというより、どこかで政治・経済の力が働いているからとしか思えません。そんな中で「安全だ!」と宣言されて誰が信用できるというのでしょうか?)

(原発問題について考えるためのポイント2)
 火力発電の燃料のガスを買うとお金がかかるだって?(ガスタービンについては熱効率を向上させる技術が進んでいることは前にも述べた通り。東京都も大阪府もガス発電所を新設しようとしています。ヨーロッパだってガスは買っています。すべてを自然エネルギーというわけにはいかないかも知れませんが、自然エネルギーは一度設備にお金をかけてしまえば基本的にはあとは安く済みます。そして、その普及は新しい雇用を生み出します。原発に従事するよりもはるかに安全な仕事のはずです。そしてたとえ事故が起きなかったとしても、やがては必要になる廃炉までの費用を考えれば、原発が安価なエネルギーだとはいえないはずです。)

(原発問題について考えるためのポイント3)
 諸外国は原発を放棄していないのだから、日本だけが脱原発をしたら諸外国に遅れてしまうだって?(ヨーロッパではドイツ・イタリア・スイスが脱原発を決めました。原発大国といわれたフランスでも依存比率を下げるとした候補が大統領選挙を勝ち抜きました。アメリカは核廃棄物の処理が解決するまで原発の新増設は凍結することを決めました。確かに新興諸国の間ではこれから原発を始めようとする国々もあります。しかし、それらの国々は日本に追いつき追い越せを目標にしているのです。目標となっている日本が変わらなくてはそれらの国々も変わりません。)

(原発問題について考えるためのポイント4)
 核廃棄物の処理に見通しをつけるだって?(アメリカで核廃棄物の処理の問題が頓挫したのは地下に埋蔵する計画が破綻したからです。アメリカで出来ないと判断したことを、地震国・火山国である日本で出来るようになるでしょうか? 何10年・何100年・何1000年いやいや放射性物質の種類によっては何10000年という半減期を短縮する方法はありません。どこでどう管理すればよいというのでしょうか?)

(原発問題について考えるためのポイント5)
 結局、原発を0にするなんて出来ないでしょだって?(福井・大飯原発が無理矢理再稼働されましたが、現在このときが原発0の状態ではないですか?それは原発を建造するには多額のお金がかったのですからモッタイナイと思う人は多いでしょう。原発を造るには建造費以外に相当の原発マネーが動くと聞いています。それらのお金がなくなったら困るという人も多いでしょう。でも、最初に書いたとおり、これからの時代に生きていく人たち、これからの時代に生きる命を生み出していく人たちは、原発N0!を決断しなければならないときだと思うのです。いつかではなく、この時に!)

 最後に大事な問題をもうひとつだけ!それは憲法9条の問題です。集団的自衛権の問題は分かりにくいですが、つまりは攻守同盟のことで、アメリカが戦争を始めたら日本も参加するということ。憲法9条改悪、私は反対です。あとは自分たちで考え、決めて下さい。投票にはぜひ行きましょう!
# by yassall | 2012-12-09 15:29 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

J.S.ミルの個人主義と民主主義

J.S.ミルは「集団(多数派)の凡庸」と「集団(多数派)の圧力」は民主主義の敵であるといっているそうです。ミルといえばイギリス功利主義、功利主義といえば「最大多数の最大幸福」(実はミルに先立つベンサムの言葉)というくらいの理解でいた私には少なからず衝撃でした。
そうと知ったのは加藤周一『「日本文学史序説」補講』(ちくま学芸文庫)で。『日本文学史序説』は長いこと我が家で積んドクになっていたのを昨年ようやく読み終えました。だから、本屋でこの本を見つけたときは「もうイイヤ」と最初は思ったのですが、やはり本に呼ばれてしまったのでしょう。それにしても加藤周一はまさに「知の巨人」ですね。
ミルのいわんとするところは、まず〈個人〉で考え、判断しろ、その〈個人〉を尊重すべき、さもないと民主主義は危ういぞ、というところなのでしょうが、民主主義はこうして鍛えられて来たのだなあ、鍛えられていかないとならないのだなあ、とつくづく考えさせられました。


『日本文学史序説』についていうと、背景にある文学史観は「日本文学史の方法論への試み」で提起されたものに依っている。文学史を文芸作品に限定せず、思想、漢文、大衆文学までを視野におさめていこうとするもの。そのこと自体には納得するのだが、いざ読み始めてみるとその博覧強記ぶりに圧倒され、文学史体験を同じくするのはとうてい無理だと断念させられてしまう。
そんなわけで、『日本文学史序説』については読んだということでイイヤとなってしまうのだが、『「日本文学史序説」補講』の方は、博覧強記ぶりは変わらないのであるが、講義プラス座談会記録であるだけ、機知や飛躍に富んでいて啓発されるものが多い。
# by yassall | 2012-12-07 15:46 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

「充て」司書教諭について考えること

 1
 12月1日、東京大学で「日本の学校図書館専門職員はどうあるべきか:論点整理と展望」と題するシンポジウムが開かれた。LIPER3科学研究費「図書館情報学教育を高度化するための研究基盤形成」基盤研究Aの主催ということで、学校司書の法制化という現実の課題にそくした展望や指針を示してくれるような内容のものではなかったが、学者がどのような考え方をしているか、その水準がどこまで達しているのかを知る機会になったと思う。
 論点は様々であったが、いわゆる「二職種併置」問題について、パネリストの一人の塩見昇氏は、司書教諭と学校司書の「二職種」は歴史的経過の中で生まれて来たものであり、「かなり困難」としながらも、「専門的職務の内容に沿った明確な区分けが不可欠」という立場のように見受けられた。もう一人のパネリストである根本彰氏は、「一領域2職の学校司書法制化提案はうまくいかない」としながら、「情報専門職(学校)」を現行の司書教諭の発展形あるいは別個の資格として設置するという提案をしようとしているように理解した。
 私はそれらの報告や討議を聞きながら、別の観点から「充て」司書教諭の問題について考えていた。先の「学校司書の法制化問題について考えること」の補足としてこの問題について書いてみたい。
 2
 現行の「充て」司書教諭をもってしては、「学校図書館の専門的職務」を担わせるには制度的にきわめて不十分であることはすでに様々に指摘されている。
 解消の手だてには二通りあるように思われる。
 ①「充て」司書教諭以外に専門性をもった「学校司書」を専任で配置し、職務を分担しながら、あるいは協力しながら学校図書館の運営にあたる。
 ②現行の司書教諭を発展解消させ、新たに「メディア専門職」を設置する。
 このうち、②は未来的な教育のあり方として研究に値しよう。実験校を設置し、モデルケースとして実践的な研究がなされたら興味深いものになるだろう、という思いも持たないわけではない。
 しかし、これを日本の学校制度として実現していくためには、かなり大規模な教育改革が求められるし、もちろんそれは職員制度の改変に止まるものではあり得ない。新しく始まった教科「情報」との関連も含めた根本的な検討が必要となるだろう。
 私は先の文章で、「充て」司書教諭、「学校司書」それぞれが歴史的経過の中で生まれて来たものであり、そう簡単には無視し得ないこと、しかしながら現行の司書教諭が「充て職」である限り、単独で「学校図書館の専門的職務」を担うには不十分であることを述べた。その考え方にしたがっていけば、私は当然①を支持する立場に立つ。
 それでは現行の「充て」司書教諭にはどのような存在価値があるのであろうか、その存在に積極的な意義があるとすれば、それは何であろうか。
 3
 私は先の文章で、「図書館がその学校の校務分掌に位置づけられ、その分掌の中でリーダーシップを発揮するような存在は必要」であろうと述べた。
 実は、1で紹介したシンポジウムでパネラーをつとめていた二人に共通していたことは、教育の改革なくして学校図書館を成り立たせる基点はなく、ましてや専門職員の必要性もあり得ないという見地であった。
 塩見氏は学校図書館史の立場にたって、すでに戦前において、学校図書館が(国定教科書に対抗する)「多様な本(学習材)の教育力を活用して教育の変革を志向する教師自身の実践の営みとして誕生」したことを強調し、戦後教育との連続と非連続の問題を解き明かしていった。
 根本氏は系統主義学習の重視と経験学習・探求的学習の重視とを交互に繰り返してきた日本の教育の歴史的経過を明らかにしながら、学校図書館を必要とする教育的条件は「開放系の知識を前提とする学習」であり、リテラシー・ニュメラシー(読書教育)を含む「そのための基礎的な知識・技術の習得」であると述べた。さらに、日本の閉鎖系知識維持の三大装置が学習指導要領・検定教科書・センター入試であることを指摘している。
 学校図書館は学校図書館運動なくしては成立しない。これは今も変わらないのではないか。学校図書館運動が教育改革のための運動であるとするならば、そこには運動の担い手が必要である。私が、学校図書館がその学校の運営組織である校務分掌にきちんと位置づけられ、リーダーシップを発揮できる存在が必要であるというのは、そうした意味においてなのである。
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 本筋からは離れるかも知れないが、1997年の学図法改正以来、教師をめざす人の中には司書教諭資格も取得しておこうという人が多くなったように聞いている。もちろん、動機としては教員採用試験対策が大きいだろうし、それらの人々が学校現場に採用されたとき、学校図書館の仕事に従事することを希望しているとは限らないだろう。しかし、それでも私は教員養成課程の中で、意識的に学校図書館について学んだ人が増えることはいいことなのではないだろうかと考えている。
 現役時代最後の7年間、私は司書教諭として発令されていた。そのうち6年間は学年主任を兼任していたし、最初の3年間は分掌は進路指導部であった(いわゆる分掌外発令)。他に演劇部の顧問をつとめ、組合の支部長もしたりしていたから、とても先に述べたようなリーダーシップを発揮できたとは口が曲がってもいえない。
 であるからこそ、私は司書教諭資格の取得者がもっともっと増えていけばいいのに、と考えている。誰が分掌に配属されても、学校図書館の意義と役割を正しく理解し、自分のなすべきことを意識できるとしたら、きっと学校も図書館も変わっていくだろうと思うのである。
 そのとき、その養成の過程でも、また本人の自覚としても、学校図書館の専門的職員としての学校司書の役割を正しく理解し、対等・平等な立場から学習者(生徒)の支援に携わるのだという関係のあり方を探究し、その法制化を自らの課題として追求できるような存在として認識され、養成されなくてはならないことはいうまでもない。
 また、学校司書の立場からすれば、学校内にそのようなパートナーを数多く創出していかない限り、自らの存在もまた成り立たないという認識に立つ必要があると考えるのである。
# by yassall | 2012-12-04 15:55 | 学校図書館 | Trackback | Comments(0)

資料「司書教諭と学校司書との役割分担」

Q10 ずいぶん盛りだくさんの仕事があるようですが、司書教諭一人でまかないきれるものでしょうか? また、司書との役割分担はどのようにしたらよいのでしょうか?

A
 前項で、司書教諭は「学校図書館の専門的職務を掌る」と定義されると書きましたが、学校図書館の運営は理論的にも実際的にも司書教諭一人の仕事ではなく、司書、校務分掌上の他の係教諭などの図書館スタッフの共同作業によってなされます。
 その中でも、とりわけ重要なのは司書と司書教諭との役割分担でしょう。実のところ、これまで実態をもたなかった司書教諭に比し、司書は学校図書館の運営の実質的な中心者となってきましたし、各学校現場においてその専門職としての資格と資質に対する認識は確固としています。司書と司書教諭との関係、役割分担についての共通認識がなければ、現場は混乱するばかりです。学校図書館運動の到達点を後退させてはなりません。
 その際、①相互の専門性を理解し、これを尊重する。②その理解の上に、それぞれが果たすべき役割を考え、協力・共同の関係を確立する。③対立点のあるときは協議し、合意に至らない問題はそれぞれの専門性に帰属する範囲内で解決し、その範囲をこえるものは保留する。などのルールづくりをしていく必要があるでしょう。
 もともと、学校図書館に置かれるべき「人」が、司書の資格を持った教員であるべきなのか、教育職として位置づいた司書であるべきなのかは、論議の対象となる問題でした。その問題に決着がついたわけではありませんが、図書館学を学んで来た図書館の専門職としての司書と、教諭として生徒に授業をした経験のある司書教諭とが、それぞれの専門性を生かして、共同で学校図書館の運営にあたるというのが、当面めざすべき学校図書館スタッフのあり方となると考えられます。
 司書教諭が司書にとって代わるのではなく、新しい職務を創造的に担っていくのだという観点に立つべきでしょう。図書館と教室とのパイプ役となることや、校内組織の改革など、未開拓の分野で力を発揮することが期待されます。
 ただし、この場合、現在の位置づけが教育職と行政職とに分かれるからといって、司書教諭は教育的・指導的役割、司書は技術的・事務的役割などと機械的に分担を考えることは正しくありません。読書相談やレファレンスなどのサービス活動は、技術的内容などと割り切れるものではありません。重なり合う領域も多いはずです。分業というより協業、ときによっては相互補完的な共同・協力関係の確立をめざしていくべきでしょう。
 どちらが主でどちらが従かもつい問題になりがちですが、活動の分野やキャリアによっても違ってくるでしょうし、基本的には相互の専門性に対する尊重があれば克服が可能な問題であるはずです。
 学校を「教える」場から「学びの場」へと変革していくこと、自発性・主体性を尊重し、生徒の学習権を中心としていく考え方は、ますますそうしたあり方を必然にしていくことでしょう。生徒は様々な学習活動の中で学び、育つのであり、そのためには多様な場が提供され、多様な人々によって多様な支援がなされることが必要なのです。そう考えたとき、学習主体にとって、それらは等価なものであるはずです。
(埼玉県高等学校図書館研究会『司書教諭問題Q&A』1999から)
# by yassall | 2012-12-04 15:53 | 学校図書館 | Trackback | Comments(0)