主催の実行委員会にはアムネスティ日本、グリーンピース・ジャパン、日本消費者連盟など15の市民団体やNGOが参加した。4野党1会派からの発言があり、特別ゲストには香山リカさんがスピーチに立った。 主催者発表で参加者は4700人。昨日のTVニュースでも、今朝の新聞でも報道されなかった。政府は衆院の3/4だかの慣例によるスケジュールにそって18日の会期末までの成立をめざしているようだ。法案の重大さから考えて許されることではない。もっともっと力を出さなければならない。 #
by yassall
| 2017-06-02 00:12
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近所の古書店で『ボッシュとブリューゲル』の画集を買ったのは高校時代のことだった。(最近ではボスBoschがボッシュと表記されることは滅多にないが書名なのでそのままにしておく。)二人を比較してみると、先行したボスの独創性がきわだっていた。「快楽の園」はどうしても一度は見てみたい絵の一枚だが、図版でみていても、のちのシュールレアリストたちが自分たちの始祖とした理由がうなずける。それくらい幻想と怪奇に満ち満ちた絵であり、一見快楽の肯定を描いているともとれるので宗教的異端として弾圧されることはなかったのかと考えたが、当時からそのようなことはなかったという。 ボスと比較するとブリューゲルには社会性が感じられた。「快楽の園」の右翼は地獄の風景なのであろう。快楽に溺れた報いとして楽器の弦に身体を貫かれている罪人の姿が描かれている。しかし、残酷には違いないがどこかユーモラスである。 ブリューゲルの「死の勝利」では荒涼とした大地のあちこちに戦火が立ちのぼり、押し寄せる軍勢こそ骸骨の姿(たぶん死神)をしているが、絞首台に吊されている者、今まさに剣で首を打ち落とされようとしている者、川に突き落とされようとしていたり、犬に食われようとしている死体など、来世としての地獄の出来事ではなく、現世で繰り広げられている惨事として描かれている。魔女裁判の本を読んでいるときだったか、西洋中世の刑罰に車輪の刑というのがあった。絞首台に並んで、さらし者にされた人間を乗せた車輪を高々と差し上げた長い杭が何本も立てられている。 ブリューゲルの絵はもはや風刺や戒めの域ではなく、告発であるように思われた。(どの絵かは分からないが、野間宏の「暗い絵」の冒頭にブリューゲルの絵の描写が延々と繰り広げられる。野間は大阪空襲の悲惨さをブリューゲルに見いだしたのである。) ボスの死が1516年、その翌年の1517年からルターの宗教改革運動がはじまる。カール5世がネーデルランドの改革派を弾圧する最初の王令を出したのが1520年である。ブリューゲルの生没年は1526年頃から1569年である。宗教戦争が本格化するオランダ独立戦争が開始されたのが1568年であるから、「死の勝利」が宗教戦争を描いたのでないのは確かだが、カール5世・フェリペ2世と続いた低地諸邦支配と新教徒弾圧、激しい異端審問が背景になっているのは間違いないと思われる。 さて、ブリューゲルは3枚の「バベルの塔」を描き、そのうちの1枚は現存せず、1563年に制作されたウィーン美術館所蔵のもの、1568年に制作されたとするボイマンス美術館所蔵のものがある。有名なのはウィーン美術館のもので、今回来日したロッテルダムの絵はサイズ的にも小ぶりで「焼き直し」とみられがちだそうだ。 図版で見るとウィーン美術館の作品の方は左下に塔の建設を命じたとおぼしき王の姿が描かれ、建設もまだ進んでいない様子である。ボイマンス美術館の作品の方はかなり建設もすすみ、塔は雲の上まで顔を出しているが、まだまだ新しい階が積み上げられようとしている。目を凝らして見ていると、「マクロとミクロの融合」という点で(ウィーン美術館版は実物は見ていないが)少しも引けをとるようには思えなかった。むしろ、王を描き入れることを省いたことで、聖書上の挿話という位置づけを離れ、「バベルの塔」そのものを画題にしているように思われた。 中野孝次は『ブリューゲルへの旅』で、この絵が人間の傲慢に対する「戒め」を超えて、「崩壊する科学技術文明の予言のような不吉」さを表現しているとしている。分かるような気もするが、私の感想は少し違う。 絵の右側には港が描かれ、無数の船舶が行き来している。それらの船の多くは商船であろう。絵の左側には田園地帯が描かれ、街や田畑が描かれている。すると、この絵には農・工・商のすべての人間の姿が描かれていることになる。 私たちは聖書に著された「バベルの塔」の結末を知っている。確かに、次の瞬間にやってくるのは破滅かも知れない。それは人間には知り得ない。それでも少しでも高みをめざして創造の手を休めようとしない人間の有り様こそがこの絵の主題ではないのか? 実際、塔の崩壊後、散り散りバラバラになった人間たちはその後もその営みの手を休めることはなかったのだから。エラスムスやモアを愛読していたという人文主義者ブリューゲルの姿をそこに見たいように思うのだ。 ※ ボスの絵も2点来ていたし、版画作品も充実していた。「バベルの塔」以外の作品も見ごたえがあった。満足した。 ブリューゲル「バベルの塔」展 東京都美術館 ~7/2 #
by yassall
| 2017-05-31 17:03
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その昔、末川博の『法学入門』を読んでいて、法の持つ「二面性」という説明があったのが記憶に残っている。
「法治主義」というように、法律が国家を統治する(=国民を支配する)ための道具であることは確かだが、それと同時に法律に定められた範囲を超えて権力を濫用してはならないとする規定でもあるというのだ。「法の下の支配」というのは国家の支配原理であるとともに、国民を保護するものでもある、法律を学ぶ意義もそこにある、というような論旨だったと思う。 まるで大学の教養課程にあったようなことをなぜことさらにするのか? それは「共謀罪」が衆院を通過し、まさに参院での審議がはじまろうとしているからだ。 自民党の石破氏がテレビのインタビューに答え、「どのような法律も運用によって善くも悪くも働く」「法律を運用するのは政治家である。その政治家を選ぶのは主権者たる国民である。国民を害するような法律の運用をする政治家は選挙で落選させればよいのである。」というようなことを述べていた。 国会で野党に追及されるとたちまち逆上気味になる安倍氏と比較すると、いかにも理性的で理論的にみえる石破氏らしくはある。 しかし、聞いていてずいぶん危険な思想だと私は感じた。政権についた者は(政権の安定のために)これを維持しようとつとめるだろうし、そのためには法律を有利に働くように運用しようとするのは当然のことだ。もっともらしくはあるが、最終的な責任はあなたたちにあるのですよ、と焦点のところは巧みに隠蔽される。だからこそ法律は運用者によってどうとでも運用されるような曖昧さを極力排除する必要があるのだ。 その点、「共謀罪」ほど為政者に対してフリーハンドに権力を与えてしまう法律はない。内心の自由をおびやかす、密告を奨励する、監視社会になる、冤罪の温床になる、それだけで国民を萎縮させるなど、問題点はさまざまに指摘されているが、権力の恣意的な行使の範囲をいっきょに拡大してしまうことが最大の問題点だと私は考えている。 政府は「計画」だけでは罪にならない、具体的な「準備行為」がなければならないという。だが、例としてあげられたのは「資金を得るために銀行から預金を引き出した」というようなことである。ATMから預金をおろしている人は日々何万何千人といることだろう。調査機関が眼をつければ、そのうちの特定の誰かを恣意的に、フリーハンドに捕らえることが可能になってしまうのである。 私はこれらがまったくの杞憂であるとは思わない。戦前の治安維持法下、基地のそばで写生をしていた(今だったらカメラを持っていた)、児童に綴り方を書かせた、というだけで捕らえられ、拷問を受け、少なからぬ人々が死に至らしめられたのはつい70年前のことなのだ。(5月29日) #
by yassall
| 2017-05-29 20:40
| つい一言
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GM5+12-60mm #
by yassall
| 2017-05-23 00:31
| 散歩
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5月16日、コピスみよし2017/第16回高校演劇フェスティバルの出演校打ち合わせ会・会場下見が実施されました。今年もスタートしました。 今年の出演校は県立坂戸高校、朝霞高校、新座柳瀬高校、朝霞西高校、星野高校、東京農大第三高校(出演順)の6校です。本番の6月18日(日)まで今日のワクワク感を持ち続け、観客の皆様に届けて欲しいと思っています。 出演校紹介、全体説明のあとはいつものように各校毎の会館スタッフの方々による説明と質疑。コピスのスタッフの皆さんはとてもていねいにアドバイスしてくれます。 演目や細かな日程、バスの時刻表などは下記のチラシをご覧下さい。大勢の方々のご来場を心待ちにしています。 #
by yassall
| 2017-05-17 20:22
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