教材論 中島敦「山月記」

 『山月記』小論
     李徴の青春性・その野望と挫折

  一 「狂」と「狷」

 『山月記』を作品として成立させている根底にあるものは文体の力、つきつめていけば漢字の力ではないだろうか。
 どこまでが『人虎伝』で、どこからが『山月記』かは問わぬとして、この漢文体なくしてこの格調、この悲劇性は表現され得なかったに違いない。
 李徴の人物像を読み解く鍵を「狂」と「狷」としてみよう。李徴は「性、狷介」にして、「狂疾」によって異物となり果てたという。「狂」は自らの枠を外れて広がっていく力、「狷」は自らを枠に閉じ籠め、堅守しようとする力である。
 容易に人と相容れない狷介さと、自ら恃むところ厚く、死後百年に名を残そうとする(今生を生きるに満足せず!)李徴は、まさに「狂」と「狷」という二つのベクトルによって突き動かされていく。自らの「狷」に従って人との交わりを絶ち、自らの「狂」に従ってひたすら詩作にふける。
 しかし、狂おしくも過剰なまでの情動は、李徴の制御し得るところではなく、李徴本人を溢れ出ては空転し、やがては破滅の淵へと導く。
 それでは「狂」と「狷」とは、己の人生を狂わせるまでに凶暴で、取るに足りない、人間性として否定すべき性格の偏りなのだろうか。
 孔子は「狂」と「狷」をどうみていたのだろうか。『論語』には次のようにある。

 「子曰く、中行を得て之に與せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有るなり。」(「子路」)
  (孔子言う、わしは中道を行いうる人を得て、これと事をともにしたいと思うが、中庸の徳を備え得た人物は、なかなか得られないとすれば、わしはやむなく狂者・狷者を得て、これと事をともにしたい。狂者は進んで善を行おうとする気魄があり、狷者は断固として不善をなさぬという節操があるからである。)
 /(『新釈漢文大系「論語」』明治書院)

 中庸を理想とする孔子は、しかし「狂狷」を愛しもしていた。それは孔子の深い人間理解と愛情から発しているように思われる。
 「狷」は偏屈にして不本意な生を拒否しようとする潔癖であり、「狂」は放埒にして自らの極限にまでも登りつめようとする生の衝動である。
 『山月記』は人間の性としての「狂狷」に対する愛おしみから始まっている。そう思ったとき、私は『山月記』が読めたと思ったのである。

  二 「懼れ」と「嘆き」

 「憤悶」と「慙恚」に苦しむ李徴は己の運命と出会う。「闇の中からしきりに自分を招く」声を追って走り出した李徴は虎への変身をとげる。
 人間であったとき、李徴は「怏々として」楽しまなかったという。「怏」とは頭を押さえつけられて憂鬱なさまである。
 「何か身体じゅうに力が充ち満ちたような」感覚は、しかし、抑圧された自我が何かのきっかけで解放されていく、その躍動感にどこか似てはいないだろうか。
 孤高にして誇り高く、人を近づけない強烈な自我を持て余しているかの李徴の化身として、虎はいかにもふさわしい。
 だが、むろん李徴は虎に昇華したのではなかった。李徴の「懼れ」とは、己が出会った運命が、あまねく生きとし生けるものたちに背負わされた「さだめ」であることの、痛烈な発見であったのである。

 「わからぬ。全く何事も我々にはわからぬ。 理由もわからずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由もわからずにいきてゆくのが、我々生き物のさだめだ。」

 と李徴が語ったとき、人虎譚の怪異を超えて、誰しもが人間存在の真理の一面を言い当てられたような思いになりはしなかっただろうか。
 「好事魔多し」ということわざがある。順調に事が運びそうなときに、思いがけず障害物が発生する、の意であるが、例えば人生の働き盛りに不意の病に襲われたりしたとき、私たちは人生の不条理を嘆いたりする。
 だが、そもそも自分が生きている時代も土地も、自分が選んで生まれ出てきたわけではない。だとすれば、人間存在の不条理性とは、何も不当な運命に立ち至ったときばかりでなく、この世に生を受けた瞬間から始まるものなのだ。
 そして、李徴はただそのようにして、人間の真実と出会ったことに止まったのではない。
 かつて実存主義者たちは、人間はそのように世界に「投げ出された」存在である、しかし、だからこそ、人間は未来に向かって自己を「投企」していく存在なのだ、とした。
 人間はその不条理を抱えつつ、一回限りの生を生きるしかないのだという真理を通して、李徴は己の「嘆き」と出会うのである。

  三 「慟哭」と「咆哮」

 李徴の「嘆き」とはもちろん「胸を灼かれるような悔い」に他ならない。李徴は己の「臆病な自尊心」を悔い、「尊大な羞恥心」を悔いる。
 しかし、私は「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」の中に李徴の人格的な欠陥をみようとは思わない。むしろ、鼻持ちならぬ自尊心の固まりのようであったかの李徴の内心に、感じやすく、傷つきやすい、詩人の魂が潜んでいたことをみたいと思う。
 李徴は「俗悪な大官」の前に膝を屈することを潔しとしなかった。俗世の立身出世、そのための権謀うずまく官僚社会を嫌い、故山に帰臥しようとする李徴に、超俗に生きようとする志操をみることは出来ないだろうか。
 もちろん、自分の詩集が「長安風流人士の机の上に置かれているさま」を夢に見る李徴に、ある種の野心とエリート意識がなかったとはいえない。しかし、そこに名声に対する欲望をだけみようとすることは、却って解釈する側の通俗性を露呈することになるだろう。虎となり果ててまでも、「一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれない」ほどの執着は、単なる功名心からは生まれようもない。
 だが、「人間であったとき、おれの傷つきやすい内心をだれも理解してくれなかった」と告白する李徴は、その志と野望を貫徹するにはあまりにも繊細であり過ぎた。
 李徴のいう「卑怯な危惧」や「刻苦をいとう怠惰」を誰が責めることができるというのだろうか。この卑怯者め!この怠け者め!は李徴が己を責め苛む声ではあり得ても、他からの断罪ではあり得まい。
 それは、もう取り返しようもない、失われた己の人生に対する愛惜の念から発するものには違いあるまい。しかしそれは、己一人を恃み、自らの運命に立ち向かった者のみに許された嘆きの言葉であった。
 李徴の嘆きはその存在の深部から発する「慟哭」となり、李徴の怒りはその存在を揺るがす「咆哮」となった。

  四 アイロニー

 アイロニー(irony)はシュレーゲルを中心とするドイツロマン派の用語であった(ドイツ語読みではイロニーとなる)。
 私が大学時代に選択したゼミは日本浪曼派をとりあげたものだった。今にして思えば、なぜあんな厄介なものに手を染めてしまったのかとの思いが残るが、日本浪曼派はドイツロマン派にもっとも強く影響されたとされているから、アイロニーとは何かについてもよく考えた。
 しかし、正直に告白すれば、「一方で対象に没入しつつ、他方でそれに距離をとって皮肉に見ることにより、自我をあらゆる制約から解放する態度」などとあっても、少しも理解できなかった。
 私がアイロニーという言葉を多少とも理解できたと思ったのは、つい最近のことである。それは、村上春樹の『海辺のカフカ』を読んでいたときのことである。

 「人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。それがギリシャ悲劇の根本にある世界観だ。そしてその悲劇性は  アリストテレスが定義していることだけど  皮肉なことに当事者の欠点によってというよりは、むしろ美点を梃子にしてもたらされる。」
 「人はその欠点によってではなく、その美質によってより大きな悲劇の中にひきずりこまれていく。」
 「オイディプス王の場合、怠惰とか愚鈍さによってではなく、その勇敢さと正直さによってまさに彼の悲劇名もたらされる。そこに不可避的にアイロニーが生まれる。」
 「しかしながらアイロニーが人を深め、大きくする。それがより高い次元の救いへの入口になる。そこに普遍的な希望を見いだすこともできる。」(村上春樹『海辺のカフカ』より)

 このアイロニーを『山月記』のキーワードとすることは可能か。
 李徴は「才の非凡」なるが故に、賤吏に甘んじ得ず、詩人を志した。孤高であったが故に、師につき、詩友と交わることが出来なかった。人一倍傷つきやすく、繊細な心の持ち主であったから、破滅への道を歩まざるを得なかった。そして果敢にも己の運命に立ち向かったからこそ、そのたたかいに挫折したとき、虎となり果てた。
 アイロニーは、しかし、『山月記』一編を読み解く鍵であるばかりではあるまい。アイロニーでしか描くことが出来ない人間の運命、その運命に翻弄される人間存在のありさま、希望と落胆、痛恨と歓喜、そしてその一瞬の生命の輝き…。文学の存在理由とはまさしくその一点に尽きるのではないだろうか。

  五 已矣乎(やんぬるかな)

 「已んぬるかな
  形を宇内に寓すること復た幾時ぞ」
        (陶淵明『帰去来辞』)

 『山月記』は青春文学である、というのが近年になって私がたどり着いた境地である。
 若い頃はもっぱら「人間存在の不条理性」がキーワードだった。人間存在の不安定さ、そこに生じる不安…。それらを指摘すれば『山月記』の読解は終わりだった。
 しかし、そんなことはむしろごく当然のことであって、何もことさらに指摘するまでもないと思うようになったとき、私はそのような読み方ではまったく不足していることを思い知った。
 人間はたった一度きりの人生を生きる、そしてその人生はいつ断ち切られるものであるかも分からない(形を宇内に寓すること復た幾時ぞ!)。だとすれば、「人間の価値は何を為したかではなく、何を為そうとしたかである」といったある作家の警句は、誰しもが座右としなくてはならない言葉ではないのか。
 李徴は己の野望に生きようとした。それが挫折に終わったとしても、どうして李徴の生が無価値であったといえよう。

 「人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄幸を嘆じた。」

 古代ギリシャ悲劇の脇役達は、実は観客に代わって悲劇の英雄を讃え、その不運を悲しむものであるという。この一節はそれに通じてはいまいか。
 『山月記』は、天才にあこがれ、己の命を燃焼し尽くすものを求めて止まなかった李徴を讃え、その青春の終わりを愛惜するために描かれたのだと思うのである。

  六 李徴の家族

 李徴は自己中心主義者であったのだろうか。彼は、「妻子の衣食のためについに節を屈して」詩人の道を断念し、自らの狂気が「妻子を苦しめ」たことを痛切に後悔し、旧友との別れに当たって「我が妻子」の身の上を哀願する。

 「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業のほうを気にかけているような 男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。」

 
 私は、このような逆説をまともに受け取っていては、小説はとうてい読めないものと思っている。(作者自身が「自嘲的な調子」でと断っているではないか!)
 文学は倫理学ではない。倫理学が「人はかくあるべし」を述べるならば、文学は「人はかくあるしかなかった」を描くのである。
 文学を道徳的解釈から解き放ってみれば、むしろ李徴は不器用にも己が妻子を愛し、その行く末を案ずる心優しき一面を持ち合わせていたと知れるのである。
 そして、そのように読み取ったとき、初めて李徴の苦しみが人間の苦悩であり、李徴が求めて止まなかったものが人間の希望であることが理解できるのである。

 「人間は人間の働きをしてみて、初めて人間 の苦悩を知る。」(サン=テグジュペリ)

 のだから。
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# by yassall | 2011-03-03 12:58 | 国語・国文 | Comments(0)

教材論 中島敦「山月記」再論

『山月記』再び
     ---「語り」そして「共感」
                

 三年前、「山月記」を授業でをとりあげるのもこれで最後というとき、私は「『山月記』小論」を書きました。それは、私にとっての「山月記」読解の集大成のつもりでした。
 私はプリントをその年に担当した生徒たちと、たまたまその年に職場を共にすることになった国語科を中心とする何人かの先生方に配布しました。そして、それはそれきりでよいと思ったのです。
 それが今回、はからずも教壇に復帰する機会を得て、私は補論を試みようと思い立ちました。
  *
 前回はアイロニーをキーワードに小論を試みました。今回のキーワードは「語り」と「共感」です。ハイデガーは言語について次のように述べています。

 「言語の実存論的・存在論的基礎は語りである。」(『存在と時間』)

 ハイデガーと言えば「世界内存在」ですが、世界の「内」に住まうということは、世界の内で、他の人々と「共」にある(=存在)ということであり、人間がそのような「共存在」であることで初めて「語り」が可能になるというのです。「世界内存在」は決して単独者ではありません。現れ出た「場」の「内」にある「内存在」であると同時に、「共存在」であることで言語は成立しているのです。「うう、寒い!」と発話したとき、それはただの一人言ではなく、そばに人がいるいないにかかわらず、誰かに共感を求めているのです。
  *
 「山月記」では、袁傪との思いがけない再会から李徴の「語り」が始まります。
 授業では「袁傪の役割は何だろうか」という発問をしました。
 小説の中で袁傪は、ときに李徴に対する批評家であり、詩の伝録と残された家族の庇護を約束することで李徴の心残りを解消する役目を担うのですが、全体としてみれば、ほとんどの場面で一方的な聞き手として終始しています。(李徴に対するささやかな批評ですら、直接的な言葉として発せられることはありません。)
 それでは袁傪は、あたかもボイスレコーダーの前に据え付けられたマイクのごとき存在であるのか、といえば、決してそうではないと思うのです。

 「虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、たちまち身を翻して、もとの草むらに隠れた。草むらの中から人間の声で「危ないところだった。」と繰り返しつぶやくのが聞こえた。」

 袁傪に襲いかかろうとした瞬間に、李徴の心の中で「人間」が目覚めます。袁傪はまず、李徴に自らが「共存在」であることの自覚を激しく促す役割を果たしているのです。そして、それまで誰にも語られることのなかった李徴の「物語」が始まります。
  *
 対立と葛藤は物語の必須の要素です。「山月記」にも、栄光と挫折、野心と処世、才知と天運、熱狂と沈着、矜恃と慚愧、人間性と獣性といった対立が幾重にも折り重ねられ、読む者をその世界に引き込んでいきます。
 そして、それまで「狂悖」の振る舞いに隠されて来た李徴の「傷つきやすい内心」が明かされることで、これもまた物語の成立のための必須要素である、クライマックスを迎えます。

 
 「虎は、すでに白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの草むらに躍り入って、再びその姿を見なかった。」

 この後、李徴はどうしたのでしょうか。その後も虎となって獲物を捕らえては裂き喰らい、また旅人に襲いかかっては殺戮を繰り返したのでしょうか。私にはそうは思えません。そのような想像を巡らすことは困難です。
 物語が完結するということはどういうことか。李徴の苦悩もここに完結し、永遠の安息を迎えたのでなければならない。私はそう思うのです。
  *
 人間はなぜ「物語」を語るのでしょうか。柳田邦男はユングの所説を引きながら、次のように述べています。

 「科学者は、因果律という狭い枠組みの中で、出来事の総合関係を見るのに対し、ユングは出来事を全体論的(ホリスティック)に見ようとした。そういう遊具の発想を象徴的に示すのは、コンステレーション(星座)という見方である。天にきらめく無数の星は、ただ見ているだけでは何の意味も持たないが、古代人はいくつかの星をつないで、双子座やオリオン座や獅子座などを描いて、物語を創り、一つ一つの星に意味を持たせた。ユングは、それと同じように、人間が人生において出会う様々な出来事を、それぞれに意味あることとしてつなぎ合わせ、その人なりの物語を創るという方法で、精神的に葛藤を起こしている人の心の中を整理して治療に役立てた。」(「『死の医学』への日記」)

 ユングのややもすると神秘的・神話的な方法が、今日の精神医学にどの程度通用しているのかは知りません。
 ただ、文学とは何か、という問いに対するひとつの回答たり得ているのではないか、と思い、私はこの一節をノートに書き写しておいたのでした。
 李徴の人生は狂わされた人生、あちこちと衝突しては、躓(つまず)き、挫折し、暴走の果てに破滅していった人生、一言でいえば無意味に終わってしまった人生でした。
 李徴の「語り」はその李徴の人生にもう一度意味を見いだし、「物語」という秩序を与えたのです。もちろん、それは悲劇という「物語」においてですが…。

 「人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄幸を嘆じた。」

 前のときも引用したこの一節を新たな目で見いだしたとき、私は本当に身震いするような思いにとらわれたのでした。それは、あたかも一幕の古代劇を目の当たりにしているような思いでした。
  *
 もう一度「共存在」の問題に立ち返ってみましょう。
 「語り」とは決して人から人へ「伝わる」ということのみに止まるのではない、というのがここでの趣旨です。
 「語り」が「共存在」という場面で行われるのであれば、そこには必ず「共感」が伴っているはずだ、と私は考えたのです。
 
 「嗤ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思い出しながら、哀しく聞いていた。)」

 李徴の身をよじるほどの哀切な訴えの奥に、袁傪は悲しい自嘲癖を感じ取ります。
 袁傪は、もしかすると李徴自身も気づかなかった、隠された心の窓を開けることの出来る存在であったのかも知れません。そしてそのとき、袁傪自身もまた奥深いところで李徴の嘆きに共振しているのです。
 なぜ袁傪との再会から李徴の「語り」が始まるのか、それは袁傪こそが李徴に共鳴し「共感」し得る存在であったからではないのか、ということなのです。そして、袁傪との永遠の別れをもって、「物語」も結末を迎えるのです。
  *
 文学とは何か、文学とはこのように魂を激しく共鳴させるもの、そして文学を読む力とはまさしく「共感」する力である…。この認識が、今回私が「山月記」の再論を試みた動機です。
 「山月記」は青春文学である、と前に書きました。青春時代のまっただ中にある諸君の心を「山月記」は揺さぶるはずだし、そうあって欲しいと私は思っています。
 人間はただ一度の人生を生きるもの、その人生の入口に初めて立った者たちに、「山月記」は人間の運命をかいま見させ、なおかつ、その運命に立ち向かう勇気を奮い起こさせる文学なのです。「よし、ならば私も生きてやるぞ。」と。
  *
(もしや将来、自分が絶望の淵に立つことがあっても、きっとこの小説が救いになってくれるぞ、と。)

 補論の補足
(1)ハイデガーの『存在と時間』という書物の存在を知ったのは、私が高校生のころでした。
 それ以来、ずっと気になっているのですが、とても私の歯の立つしろものではありませんでした。ですから私のハイデガー理解はほぼ様々な人々による解説書によっています。
 そして、それらの解説書が「内存在」の本質的契機としてあげているのが、①情状性、②了解、③語りの三つです。
 このうち、「情状性」についてほんの少し分かりかけたというのも、今回の教壇への復帰がきっかけでした。それは西研の「考える楽しみ」を再読したことによるものでした。(結局、私は途中出場でしたので、授業で「考える楽しみ」をとりあげることはなかったのですが。)
 さて、西研は「考える」ことの出発点について次のように書いています。

 「人が物事を深く考え始めるのは、多くは『不安』からだ。それまでの生き方が息苦しく感 じられてきて、しだいに何を信じてよいかわからなくなったりしたときのように。」

 竹田青嗣は「情状性」は「気分」と読み替えてよいと言っています。(『ハイデガー入門』)そうするとぐっと分かりやすくなってきます。
 つまり、私たちが何かの拍子に、ある「気分」に襲われる。それは、そわそわ感や、いらいら感だったりする。ときには空しさや嘆きのような感情と共にあるかも知れない。…
 そんなときは、私たちは自分をとりまく世界や、あるいは自分自身に対して何らかの違和感を感じます。そして、違和感とは、その対象に対して感じられる距離感でもあります。
 私は、きっとこの距離感こそが対象を対象化することを可能にする(対象が自分自身であれば、即自存在を離れて、対自存在であることを可能にする)条件をもたらすものであるように思うのです。
 ※ここは対象化という方法によるのではなく、瞬時に・全体をとらえる・直観という方法によっている、とみるべきかも知れません。しかし、直観のおとずれは瞬間であったとしても、やはりそれは「現存在」の場面で、平たくいえば「経験」を離れては成り立ち得ないものであると考えますし、また直観が得られた後も、観察され、検証されていかざるを得ないものであると考えます。
 西研はそうした「自分の中の感覚」、「自分の内側から聞こえてきた問いかけ」に耳を澄ますことからしか出発することは出来ず、それを脇に置いて答えを見つけようとしてはならないと述べています。
 西研はニーチェ研究から始まった人だそうで、ハイデガーと直接結びつくかどうかは分かりませんが、私はなぜハイデガーが「気分」の問題から哲学を始めようとしたのか、その理由が分かったような気がしました。
 また、ハイデガーは自らは「私は実存主義者ではない」としたそうですが、後年、実存主義者たちがその哲学的起源をハイデガーに求めようとした理由も分かったように思ったのです。
 最初の出発点を、人間の「理性」にではなく、「気分」に置こうというのは、「現」(今ここに・現れて・存在している)に生きている実存から問題を考えようとする態度に他ならないからです。
(2)ハイデガーには難問があります。それはハイデガーがナチスへの加担者であったという事実です。その汚点を越えた哲学的業績があるのだという立場に立つ人と、その両者は思想的に固く結びついているのだという立場に立つ人との論争は、いまだに決着がついていないようなのです。
 それゆえ、私自身がこうしてハイデガーを教室にもちこむことに、実はためらいを持っています。
 しかし、そうした問題点の存在をきちんと指摘した上で、それもまた、これからの思索を深めていくための材料としていきたいと思うのです。
 最近、ヨーロッパでは極左と極右の台頭が著しいといわれています。私からすると左の方は極左と呼ぶほどのものではないのですが、右の方は明らかにネオ・ナチズムとしての傾向をもち、また暴力的な要素も強まっているように見えます。
 時代閉塞の状況下では、こうした傾向は世界のどこででも、つまり日本においても出現する可能性があります。
 このとき誰もが、私たち自身もが、ナチズムにとらえられ、その加担者となる危険性を有していることを、私たちは学び、そして警戒しなくてはならないと思います。
(3) 最後に。人間にとって「物語」るとは何か、について考えて来ました。人間は「物語」によって自分の人生に意味を与える存在なのだ、と。だが、矛盾を覚悟するなら、少なくともそんなに簡単には、自分を「物語」にしてはならないのだ、と私は言わなくてはならないのです。
 「山月記」にもどれば、李徴にもまた、誰からも理解されない「傷つきやすい内心」を抱えて沈黙を守り続けた半生がありました。
 「自己」は語るに値するのか否か、その問いの前に立ったときの緊張感なくして、ただ冗漫に自己を語ることがあったら、(もう一度ハイデガーの言葉を借りるなら)、それもまた「頽落(たいらく)」でしかないと思うのです。私はあるときからそのように考えて来ました。

2012.6
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# by yassall | 2011-03-02 12:54 | 国語・国文 | Comments(2)

教材論 夏目漱石「こころ」

『こころ』断章


  一 灰とダイアモンド

 「灰も昏迷もすべて燃えるものより残されたることを、或いはまた、その灰の底にダイアモンドが横たわり、とこしえの勝利の暁に輝く星のごとく輝けるを。」
  一九五八年に公開されたA・ワイダの『灰とダイアモンド』の題名の由来となったのは、映画中でも引用されるポーランドの詩人ノルウィドの右のような断章による。
 夏目漱石の『こころ』について語ろうとするのに、このような突飛な連想から始めるのは少々気が引けるのであるが、もしかしたら作品の謎を解く鍵がここに隠されているのではないかと突然思い当たったのである。
 漱石は、なぜ「K」や「先生」を自殺させたのだろうか。人間のエゴイズムを究極にまで突き詰めていった結果だろうか。その罪に対する厳格さだろうか。では、それは何のために。
 久しぶりに『こころ』を読んでみて、またまた頭を悩ませていたとき、ふと漱石は滅びゆくものを描きたかったのではないか、否、滅びゆくというよりもっと激しく、紅蓮の炎に身を投ずることによって、灰の中に残るダイアモンドをすくい上げたかったのではないか、という考えに思い至ったのである。
 そうすると、今までどこか無理矢理なものを感じてきた次のような一節も、不思議に納得がいくように思えてくる。
 「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。」(下二)
 それでは滅びゆくものとしての自己認識には、いったいどのような心性が作用していたのだろうか。自己裁断だろうか、愛惜だろうか。
 漱石を襲った自死への衝動とは何だったのだろうか。自己のあり様への違和感か、それとも己が生きた時代への。あるいはその両方なのか。
 漱石が次世代に託そうとしたものは何か。それがあるとすれば、『こころ』は漱石の絶望の表白ではなく、人間への希望の言志だったのだろうか。
 だが、それらを考える前に、もう少し回り道をしてみたい。

 二 永遠なるもの

 「先生」の「お嬢さん」に対する愛は本当に愛といってよいものなのだろうか、ということがよく問題にされる。それはお互いの人格の尊重にもとづく近代的な意味での恋愛とはほど遠い、偶像崇拝とでもいうべきものだったのではないだろうか、という問題である。
 そのような観点で次のような一節を読むと、まるで「先生」自身がそのことを告白しているかのようである。
 「私はその人に対して、殆んど信仰に近い愛 をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、貴方は変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものではないという事を固く信じているのです。」(下十四)
 もちろん女性にしてみれば、自分が偶像として崇拝されることは耐え難い苦痛であろう。なぜなら、相手は自分をではなく、相手本人の頭の中の観念を愛しているに過ぎないのだから。もしかすると、そこに自己愛や女性蔑視の臭いすら感じ取るかも知れない。
 そうした批判が的中しているかどうかは別の問題として、確かに漱石の女性観がここに表れている、少なくとも若き日の女性への憧れ(「世の中にある美しいものの代表者として、始めて女を見ることが出来た」下七)がそのまま保たれようとしているように思われる。
 それは『夢十夜』「第一夜」の、「百年、私の墓の傍に待っていて下さい。」といって死んでいった女が「真っ白な百合」となって甦るのをじっと待ち続ける男の姿とも共通している。
 「死にますとも、といいながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。」
 このような女性美の描き方は、まったく傾向を異にする川端康成の『眠れる美女』や『片腕』を連想させる。ただ、川端が官能的な幻想性に優れるのに対して、漱石は精神性において勝っている。そのことで危うくフェチシズムを免れている。その精神性とは「百年」を超えようとする意志であり、永遠なるものへの憧憬に他ならない。
 しかし、永遠とはついに人間が手にすることが不可能であるもの、とすれば漱石の愛とは、予め失われているものへの渇望に近かったことになる。

 三 「私」の中の他者

 『夢十夜』を読むと漱石は詩人であったと思う。『こころ』の根底のどこかにも詩人漱石が隠れていると思う。
 しかし、近代小説とは、そのような個的な夢幻世界に完結するのではなく、人間をその関係の中で捉えることに本質がある。『夢十夜』では詩人であった漱石は、『こころ』では小説家漱石である。
 「K」と「私(=先生)」は親友同士であった。だから「K」が傷つき、困窮しているとき、「私(=先生)」は同居をすすめる。それでは「K」と「私(=先生)」は一体であり得たかといえば答は否であった。むしろ一つ屋根の下にあることによって、「私(=先生)」は互いがまったくの他者であることに気づくのである。その他者性を象徴するのが二人の部屋の間を仕切る「襖」の存在である。
 「そこで時々目を上げて、襖を眺めました。 しかしその襖はいつまでたっても開きません。 そうしてKは永久に静かなのです。」(下三十 七)
 もちろん「襖」は二人を仕切るものであると同時に、二人を結びつけるものでもあろう。しかし、その最期に臨んで「襖」を開けて「私(=先生)」の部屋をのぞき込んだらしい「K」にしても、ついに再び自分の胸中を他人に開くことはなかった。
 〈個〉として自立しようとする限り、近代人はその孤独に耐えなければならない。それは漱石の文学者としての一生涯のテーマであったように思われる。
 「私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味あわなくてはならないでしょう。」(下十四)
 そして、人間は自分の外に他者を見いだしただけでなく、内なる自分の中に他者を発見してゆく。「私(=先生)」はいつ自分の中に「正直な道を歩くつもりで、つい足を滑らせたばか者」(下四十七)が潜んでいることに気づき得ただろうか。
 このように『こころ』を読み解いていくと、やはり漱石は、明治という時代にあって日本人が初めて出会った近代と格闘した、最初の人間だったのだと思ってしまう。
 しかし、それでは漱石は日本で最初の近代人であったかといえば、それは違うように思うのである。むしろ、時代への違和の中で、もっとも苦悶したのが漱石ではなかったのか。
 そうした視点に立ってみると、「K」も「私(=先生)」もまったく別様の存在として浮かび上がってくる。それらは二人ながらにして漱石の分身なのである。

 四 厭世主義者漱石

 先に「漱石を襲った自死への衝動」と書いた。私は何も漱石を無理矢理に破滅型作家の仲間入りをさせようというのではない。また、いたずらに作家自身と作中人物とを同一視しようとしているのでもない。
 しかし次のような述懐に接してみると、漱石自身もまた激しく破滅への傾斜に誘われることが、人生のある時期に確かにあったのではないかと思われるのである。(そして、多くの場合と同じように、それは病的な要因であるのでなければ、むしろ己の人生に求めるものが人一倍過剰であったことの証である。)
 「此頃は何となく浮世がいやになりどう考え 直してもいやでいやで立ち切れず去りとて自殺する程の勇気もなきは矢張り人間らしき所が幾分かあるせいならんか」(明治二十三年八月)
 「僕前年も厭世主義今年もまだ厭世主義なり」 (明治二十四年十二月)
 これらはいずれも学生時代に正岡子規に宛てた書簡である。初め二松学舎に学んだ漱石は、その素養を漢学に養った。しかし子規と出会った東大では英文科に進んだ。それは明治近代に生きて、新しい時代に生きる道を探し求めようとしたからに違いない。しかし、後年「自己本位」の立場に目覚めるまで、「ついに文学は解らずじまい」と嘆じたように、この時期の漱石は、迷い込んだ迷路からの出口が見つからない状態だった。
 養子先から夏目家に復籍したのは東大入学二年前であったが、実家に帰ってからも冷遇が続いていた。日本帝国憲法の発布はその翌年であったが、ちょうどその頃から日本は明治当初の欧化主義から国家主義・国粋主義的傾向へ急激な転換をとげていく。
 自分の確たる進路を見いだせず、家庭の中にも安住を求められず、また世と相容れない自己を抱え込んでしまった、孤立無援の中で呻吟する漱石がここにいる。
 こうしてみると、まずは青年「K」の中に若き日の漱石が投影されていると見ることは決して的はずれなことではあるまい。高い理想を掲げ、その理想を追求しながら、それは「K」自身を孤独に追いやることでしかなかった。その生き方は結局「時勢遅れ」(下五十五)であり、誰からも理解されることはなかった。そればかりか、初めて心を奪われた意中の相手から、その愛を獲得することは叶わなかった。「K」が深い絶望の淵にいたことは間違いない。

 五 「明治の精神」への疑問

 それでは「先生」はどうだったか。もしかすると、「K」以上に底深い人間不信と絶望を抱えながら明治という時代を生きざるを得なかった「先生」という人物造形にもまた、漱石の影が落とされているように思うのである。
 国家レベルでの「富国強兵」は、個人レベルでは「立身出世」という価値意識としてあらわれる。「末は博士か大臣か」的価値意識を一概に俗物として排することはできない。少なくとも、それは封建的な身分制度から脱却して初めて可能なのであるから。
 しかし、「先生」はその明治にあって社会参加をしようとはしない。自分の学問を国家に生かそうとはしない。「高等遊民」を自称する『それから』の長井代助ともども、漱石の主人公たちは明治国家に与しようとしない。(そういえば「先生」がどのような学問をし読書をしたかは明らかにされていないが、そもそも「富国強兵」「殖産興業」に役立つようなものではなかったように思われる(福沢諭吉いうところの実学に対する虚学!)。その「先生」の学問に惹かれたという「上」に登場するところの「私(=青年)」に、新しい時代の希望を託そうとしていることに注意を払いたい。)
 このようにしてみると、「先生」の自殺の動機とされた「明治の精神」への殉死なるものも、これをもって、漱石が明治日本を礼賛していたのだなどと軽々しくみることは出来ない。「先生」を最も激しく動揺させたのは乃木希典の殉死の報であるが、その乃木からして、その精神性の根は、「明治の精神」というよりは、旧時代の武士道にこそあったのではないだろうか。(加藤周一『日本人の死生観』岩波新書)
 漱石には、どこか明治という時代にそっぽを向いたところがあるのではないか、と思えてならないのである。

 六 思想家漱石と文学者漱石

 漱石には文学者としての一面と、思想家としての一面がある。それでは『こころ』を執筆していたころ、漱石の思想はどのような到達点に至っていたのだろうか。それは二つの講演、『現代日本の開化』(明治四十四)と『私の個人主義』(大正三)によって知ることができる。
 『現代日本の開化』は大逆事件(それは日韓併合の年でもある)の翌年に行われた。漱石は日本の「開化」(=近代化)は「外発的」であるとして、「日露戦争以降、世界の一等国の仲間入りをした」かのような世相を批判した。
 まさに『こころ』の執筆と同時進行的に行われた『私の個人主義』では、そうしたあり方への反省に立って、借り物でない、「自己本位」であることの重要性を説いている。
 それにしても学習院の学生に向かって、「あなた方のうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんある」ことを指摘し、こう諭す漱石が見据えていたものは何だったのだろう。
 「もし人格がないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす」
 深刻な格差が放置され、派遣労働者の大量解雇がまかり通るなか、企業の社会的責任がとりざたされたのはつい昨今のことである。漱石の射程はいかに長いものであったことか。
 そうしてみると、「そのころは覚醒とか新しい生活とかいう文字のまだない時分でした」(下四十三)という件にしても、漱石がどのような目で明治末年の日本を見つめていたかが推察されるのである。(「近ごろは自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手なまねをしてもかまわない符丁に使うようです。」!)
 もちろん、『私の個人主義』は前途ある青年たちに向けて、本当の自分らしさに目覚めること、その上で自分の進むべき道を見いだすことの大切さを訴えたものである。
漱石の立場は反近代ではない。真に「自由と独立と己れ」を確立すること、そしてそれにともなう責任主体を自らに引き受けること、それらは経済的自立だけでなく、内面的自我を深く掘り下げることによって達成できること。それらが個人レベルでの課題であるとすれば、国家レベルにおいては、物質的繁栄をとげるだけでなく、真に文化国家といえる内実を豊かに開花させること、旧道徳にかわる新しい倫理や社会規範を、人々の間から生まれ出、その生き方の指針となるまでに熟成させること。
 漱石が『こころ』を通して次世代に伝えたかったものとは、そのようなものではなかったのか。

 七 恋愛小説『こころ』

 少々、結論を急ぎ過ぎたかも知れない。私たちは思想家漱石をないがしろにしてはならないし、現代に生きるものこそ、真摯にその言葉に耳を傾けなくてはならない。
 しかし、文学者漱石がそのような結論にいたるためには、自分自身を切り刻み、その血しぶきを浴びざるを得なかった。明治という時代の中で失われていくもの、滅んでいくものの痛切な自覚の中で、それらが新しい生命をもって復活を遂げていくのを願わざるを得なかった。
 どうやらこのあたりが私が語りたかったことのおおよそらしい。
 人間は他者との関係の中で生きるとともに、時代(社会)との関係の中で生きる。
 言い残したことをいくつか書きたい。『こころ』は恋愛小説でいいのではないか、いつからかそのように考えるようになった。
 「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ」(『厭世詩家と女性』明治二十五)
 と書いたのは北村透谷であった。恋愛は自己の内面性の発見であり、また近代精神の所産である。「先生」は恋愛によって人生を棒に振った。それにはそれだけの価値があった。恋愛は明治近代に対置させうる。その思想は、ときに国権主義を内側から掘り崩す爆薬たりうる。
 『こころ』はまた人間の「罪」の物語である。なぜ人間は「罪」の意識にさいなまれるのであろうか。(漱石は『こころ』で人間のエゴイズムを描こうとした、というのは皮相な見方であると思う。少なくとも、そこに止まってはなるまい。そのエゴイズムがもたらした人間の「罪」をこそ、漱石は問うたではないのか。)そして、その「罪」から人間はいかにして救済されるのであろうか。
 もしかすると目下の私にとって、それは最大の関心事である。ただ、ここで始めると収拾がつかないことになってしまうだろう。日蓮宗・浄土真宗と挙げられた、宗教的な背景が問題を解いていく鍵になるかも知れない、とだけ言っておこう。
 『こころ』でいう「自然」とは何かという問題も提起のしっぱなしであった。ただ「良心」の問題にせよ、「先祖から譲られた迷信の塊」(下七)としての祖先信仰にせよ、それらは文字通りに「自然」に発生したものではないのではないか。人間の作り出した制度や文明を「第二の自然」と呼ぶことがあるように、それらもまた、長い歴史の中で培われ、まるで自然に呼吸するまでに至った、それぞれの文明や文化の生み出したものではなかったのか。そうであるからこそ、新しい文明や文化の波が押し寄せたとき、脆くも覆されてしまうことがあるのではないか。
 その意味でいうと、「故郷喪失」はやはり『こころ』を貫くテーマ、あるいは基調的なトーンであると思う。

 八 『こころ』を読む

 夏目漱石の『こころ』を読むことは、高校生にとって、一つの事件なのではないだろうか。そして私自身にとっても、いまだに事件であり続けているような気がする。
だから、今回については、私の『こころ』の授業の総決算、という訳にはいかなかった。再読するたびに新たな謎が生まれ、せいぜいその謎を提示してみせるばかりであった。題名を「『こころ』断章」とせざるを得なかった理由である。
 『こころ』を読み続けること、それは底深い魂の井戸から、新しい命の水を汲み上げることである。生徒諸君にとっても、この一冊が長く人生の相談相手となることを願っている。


※「明治の精神」覚え書きを書きました。あわせてお読みいただければ幸いです。[国語・国文]2014年5月12日

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# by yassall | 2011-03-01 12:51 | 国語・国文 | Comments(0)