桜2018①六義園・後楽園

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 桜の季節がやってきた。今年はどこへ撮りに行こうかとあれこれ思案しているうちに、例年より10日早く満開との情報が入ってきた。まず身近なところで三田線沿線を、ということで、27日は六義園と小石川後楽園を回ってきた。
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 六義園は千石から。枝垂れ桜が有名だが何度も行ったのにこれまで見たことはなかった。どうせ人で一杯なだけだろうと何となく避けてきたのである。人出は予想通りだが、こういうときは人間も風景のうちととりこんで行くしかない。思ったよりボリューム感がないなあと感じていたが、どうやら盛りは過ぎていたらしく、4日後に妹が出かけたときは花は影も形もなかったという。
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 ソメイヨシノがもう1本茶屋のとなりに立っている。
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 そばへ行って枝振りを観賞する。
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 こちらはまだつぼみを残している。
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 小石川後楽園へは春日から。春日から丸ノ内線後楽園は徒歩で7分ほど。後楽園の入り口まではずいぶん大回りをしなければならないので、丸ノ内線の駅からの方が歩く時間はながい。
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 桜は後楽園の方が充実していて種類も多い。少し曇ってきてしまったのが残念だ。
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  この大泉水の岸辺の岸辺の桜が一番見応えがあったかな。奥まった場所の内庭も隠れた撮影スポットという感じだったが、肝心の桜が白飛びしてしまって写真にならなかった。まだまだ腕が足りません。
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 水辺にかかる桜。
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 小石川後楽園の借景は東京ドームなのである。後楽園遊園地のジェットコースターも頭をのぞかせている。

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# by yassall | 2018-03-31 14:51 | 散歩 | Comments(0)

精華高校・新座柳瀬高校演劇部東京合同公演「愛もない青春もない旅に出る」

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 14日、精華高校演劇・新座柳瀬高校演劇部合同東京公演「愛もない青春もない旅に出る」を見にシアター風姿花伝まで出かけてきた。公演日程のうち、13日は夜の部のみ、14日には昼の部があったのでそこに予約を入れたのだが、この回にはポストパフォーマンストークがあり、二つの高校が合同公演を打つにいたったいきさつや、「愛もない青春もない旅に出る」という不思議なタイトルが生まれるにいたった経過の説明を聞くことが出来た。詳しくは省略するが、精華高校が「旅する」演劇部であること、新座柳瀬のtomoさんがその精華高校の芝居に惚れ込み、合同公演を打つことを目標としたこと、という運びであるらしい。

 大阪 精華高校『大阪、ミナミの高校生2』作・オノマリコと精華高校演劇部
 tomoさんから噂を聞いていたので、どんな芝居をみせてくれるのだろうと楽しみに見た。最初に部員の一人がホワイトボードを使って「今日の芝居の主題は恋あるいは恋愛だ」と口上を述べる。ここからして、通常の芝居作りとは一線が画されようとしている。
 トークショーには作者のオノマリコ氏にも出席していて、劇の成り立ちについて解説してくれた。反省文の書き方をめぐって女子高校生と担任教師とが日を変えて断続的にやりとりする、冒頭にも、またその間隙を縫うようにして男女の部員たちによるモノローグが挿入されていく、というような構成なのだが、部員たちのセリフのほとんどは各人たちが日ごろの思いや体験にもとづいて自分たちで考えて持ち寄ったものだというのである。
 テーマとされた「恋あるいは恋愛」はあらかじめ設定されたものであるのだろう。恋愛を深めていけばどうしても性の問題に突き当たらざるを得ない。「痴漢も冤罪痴漢も女性専用列車もなくなればいい。男とか女とか(性差が)なくなればいい。…ずっとそう思ってきた。でも、恋をすると違った。」(不正確な箇所あり)というようなセリフと出会うとドキッとさせられる。「性」を否定してしまいたい気持ち」というのはむしろ自らの「性」と強く向き合わざるを得ない年代を迎えたということだろう。その痛々しいまでのとまどい、怒り、おののきが伝わってくる。
 だが、そんなふうに高校生たちの裸のすがたを描き出して見せたことより、ドラマの中にモノローグを差し挟んでいく、というよりモノローグそのもので芝居を構成していこうとする手法に感心させられた。
 しばしば芝居を中断させ、私的なモノローグやアジテーションを挿入していったのは寺山修司である。その寺山芝居について高取英は次のように書いている(『寺山修司』平凡社新書2006)。

 劇を中断し、現実的なセリフによって、「一千万のドラマ」に注意をうながすのは、虚構に耽溺し、物語が終われば拍手をし、現実に戻るような観客と舞台とのなれあいの境界に寺山修司が、がまんできなかったからである。

 そして、寺山がよく「俺は、劇場で行われたことを、拍手で終わりにするのではなく、観客それぞれの現実生活に持ち帰ってもらいたいのだよ」といっていたことを紹介している。
 その寺山とも共通するような演劇なるものへの挑戦、観客を虚構の世界にいざない、幕切れとともに完結させる、というのとはまったく異なった演劇への模索を読み取ったのだ。かといって差し挟まれたモノローグが本当に現実そのものであるのかどうか、虚実ないまぜ、あるいはすれすれのところで演劇空間を成立させようとのこころみであったとも思う。役者たちがときに滑舌が悪かったり、素に戻ったごとくに照れくさそうにしているのも、もしかしたらリアルさの演出であったかも知れないと、一度は引いてみざるを得ないような。つまり、観客もただ舞台に身をゆだねていればいいのではなく、投げつけられるセリフに緊張を強いられている、ということだ。
 校則には「学校内でSEXをしてはいけない」とは確かに書いていない。それは担任教師がいうように「常識」であるからというより、触れてはいけない禁制であるからなのだろう。おのれの「性」に直面し、身もだえしている高校生にとって、その禁制は(keepoutの規制線のように)スカスカの虚構である。あえてその禁制を破ってみることと、規制線の内側にとどまっていることと、どちらが高校生が演じる高校演劇といえるのだろうか? 
 精華高校がいつもこのような芝居作りをしているのかどうかは知らない。ともかくも、上記の問題も含めて、いわゆる高校演劇あるいは演劇そのものの枠を破ってみせようという実験作だったと思う。

 埼玉 新座柳瀬高校『Merry-Go-Round!』作・稲葉智己
 tomoさんとしては精華高校とがっぷり四つに組んでみたいというのが目標の第一だったのだろう。それに相応しく新作(だよね?)で臨んできたし、リーフにある通り、「何かを伝えたいとか、何かを訴えたいというよりも、『こんな面白いお話しがありますよ』と物語りたい」とのことば通りの芝居作りだったし、「新座柳瀬の芝居の『型』」ということばも出てきたが、今あるものをすべて出してしまおう、というところだったのではないか? たぶん部員総出演というところも含めて、その意気込みやよしとしたいが、率直にいえば脚本の面でも、芝居の面でも、少々作り込み不足のものを感じた。
 地中海のとある島に君臨する偽貴族がいて、その貴族を利用している全権総督がいる、しかし偽貴族は引退を希望しており、後継者を探そうとするところから騒動が持ち上がる…という設定なのだが、その設定がツカミのところでよく伝わって来ない。複雑な事柄を説明的に述べられても困るのだが、偽貴族がいることで全権総督にどのようなメリットがあるのか、偽貴族の側にはどのような見返りがあるのか、引退したがっている理由等々が謎のままなのである。たぶん、何か大事なセリフを聞き逃してしまったのだろうとは思うが、そもそものきっかけのところで躓いてしまった。ラストのどんでん返しもよく出来ているといえば出来ているのだが、まんまと3、40万ドルをせしめて島を逃亡したアンジーが後継者の席にすわるまでのルディーとレベッカの決断、アンジーが心を決めるまでの過程ももう一言か二言でいいから欲しいところだった。
 オスカーとエディーが最初は欲得づくでアンジーに近づきながら、いつしか虜にされていく(ですよね?)過程も、アンジー側が淡泊すぎたことばかりでなく、オスカーとエディーの側の心理変化も不足していたのではないか? マーガレットとエリーが大金持ちにありがちな傲慢さゆえのおしおきを受けるというのはお約束通りとして、確か二人とも最初はオスカーを追っていたはずなのに、エリーがいつのまにかエディーにぞっこんになってしまうのはどのようなきっかけからだったか、どうも印象に残っていない。
 さて、tomoさんとしてはもう一つのねらいがあったのではないだろうか? それは卒業生3人の集大成とともに、この芝居で主役を交代させようということではないかとにらんだ。ただ、素材感は私も認めるところだが、表情の豊かさとか、セリフの切れとか、まだまだ鍛えられていないと思った。さわやかさだけを頼りにしてはいつまでも持つものではない。他の役者たちも含め、これからどのように育てていくか、楽しみにしている。どうも身内意識があるせいか、今回は辛口に終始してしまったようだが、最後まで楽しく見られたことはいうまでもない。
  ☆
 往路は西武池袋線椎名町駅から歩き、帰路はnatsuさんといっしょに下落合駅まで歩き、西武新宿線で新宿へ出た。もちろん二人で一献傾けようという算段をしていたのだ。natsuさんの長旅の疲れが気になったが、二人だけということもあり、酒もすすみ、突っ込んだ話まですることが出来たので、楽しくも深いひとときだった。
 さて、この劇評はまたしてもnatsuさんに先を越されてしまった(「18→81」)。natsuさんには昨日の酒が残らなかったのだろうか? 本当はnatsuさんのブログでほぼ言い尽くされているようなものなのだが、昨夜の約束もあるので後出しながらアップする。


 



 

# by yassall | 2018-03-15 20:06 | 高校演劇 | Comments(2)

ブリューゲル展

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 13日、ブリューゲル展を見に東京都美術館まで出かけてきた。ブリューゲルは日本に来るたびに見に行っているし、昨年の「バベルの塔」などはよくぞ日本で生きている間に見られたものだと感激もひとしおだった。今回の企画は「画家一族がやって来る」というキャッチコピーの通り、150年に及ぶというブリューゲル一族およびその工房の作品を集めたもので、ピーテル・ブリューゲル1世の作品は版画程度だった。それは予想通りだったのだが、しばらく美術館に足を運んでいないなあ、ということで出かけたのだった。
 1世の息子には兄のピーテル・ブリューゲル2世と弟のヤン・ブリューゲルⅠ世がいる。兄の方は父1世の複製を大量に制作し、ブリューゲルの名を広くヨーロッパに広めることになったという。複製といっても父1世が残した下絵にしたがって忠実に再現したものだ。会場には冬の風景である「鳥罠」が展示されていた。そうした先入観があるせいか、どこか力強さに足りないものがある気もしたが、絵画としては群を抜いているように思えた。絵の才能は弟の方がすぐれ、静物画という新しい境地を開いて「花のブリューゲル」と呼ばれたという。ひ孫たちには1世から「風景」や「城壁」をそれぞれ引き継いだと評される作品がある。それらと比較しても私は「鳥罠」の方に心をひかれた。 
 今年は一昨年のカラヴァッジョや昨年のクラーナハのような魅力的な展覧会情報がないなあ、と少々気落ちしていた。その気持ちが晴れたというほどの展覧会とはいかなかったが、いちおう記録としてアップしておく。


# by yassall | 2018-03-15 16:36 | 日誌 | Comments(0)

3.11原発ゼロ☆国会前集会

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 3月4日の日比谷野音集会に続いて反原連主催の国会前集会に出かけてきた。ミサオレッドウルフ氏のあいさつに続いての政党からのあいさつでは「原発ゼロ基本法案」を共同提出した立憲民主党、日本共産党、自由党、社民党に加え、民進党、希望の党の国会議員も登壇した。現時点で「原発ゼロ」をかかげるに至っていない政党内部でも賛同者が存在していることが鮮明になった。
 今年は立憲民主党の代表としてスピーチに立った菅直人氏は最近国会内で安倍首相と原発について話し合ったとき、「原発は安価である」「原発は環境によい」などと発言していたことを紹介し、その時代錯誤性を批判した。
 同行動は国会正門前と首相官邸前で行われた。参加者は5000人と発表された。昨年は8000人であったので、人数的には減ってしまったが、7年が経過しても福島第一原発は廃炉に向けての目途さえ立っていない。一方で原発の再稼働はなし崩し的に進められようとしている。この怒りの声を絶やしてはならないと改めて思う。
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 一般紙ではほとんど報道されなかったし、またあまりに大きく取り上げるのもかえって彼らのねらい通りになってしまうのだろうが、この日の集会では右翼の妄動が際立っていた。街宣車だけでも5、6台は来ていたのではないだろうか? その街宣車も普通だと集会場から離れた箇所で警官隊に押さえ込まれているか、交通規制された外周をうろうろ回っているものなのだが、何台もが集会の目と鼻の先の道路に横付けし、大音量で軍歌などを流し続けてたり、脅迫めいた怒声をあげ続けている。そればかりでなく、人数にしたら7、8人もいただろうか、街宣車から降りて盛んに機動隊と口論している者や、中には集会に紛れ込もうとして警官たちに連れ出されている者までいた。いつもなら集会が始まるとほどなく立ち去っていくのに、1時間も居座り続けていたというのも常態とは異なっていた。
 反原連が用意した音響設備は優秀で音量的には負けていなかったし、ミサオレッドウルフ氏はじめ、登壇者も参加者もかえってファイトを燃やしていたのは心強かったとしても、暴力的に言論を封殺し、集会を妨害しようとする者たちと直面し続けるのは愉快ではなかった。
 なぜ、こんなに気負い立っているのだろうかと、二つほど理由を考えてみた。
 2月末に右翼団体構成員ならびに関係者二人が朝鮮総連本部に発砲するという事件を起こし逮捕されるという事件があった。その一人は行動右翼としてこれまで何度も警察に逮捕されている人物であるという。この事件が数ある右翼団体を刺激し、過激さを競うような風潮を生んでいるのではないだろうか? 発砲は門扉に対してだったというから児戯のようなものなのだが、どのようにして拳銃を入手したのかも含め、一般市民からすれば正常な市民生活を脅かしてあまりある蛮行である。ところが、それが右翼団体からするとあたかも先を越され、自分たちのメンツをかけて後に続かなくてはならない問題のように受けとめられるらしい。過去の事件でも同様だった。
 もう一つは森友問題に関連して、ついに財務省が文書の書き換え・改竄があった事実を認めるまで追い込まれたことだ。どこまで逃げ切りをはかるかはまだ不明だが、本来なら内閣総辞職に値する事件にまで発展している。
 過去の事例からも政権が危機に瀕しようとすると右翼の活動が活発になる。どうも反原発運動に対する敵対行動というより、政権に対する批判が高まることを少しでも削ごうという意図が働いているように思われるのである。それも各団体が自主的に立ち上がった、というより、どこかの指令によって動き始めたというのが真相に近いと思うのである。そうでなければ、複数の団体が一度に行動しはじめるわけがない。このような勢力によって守られる政権とは何だろうか? 私はその醜悪さを思いながら帰路についた。
 

# by yassall | 2018-03-13 01:16 | 日誌 | Comments(0)

原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国集会

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 東京電力福島第一原発事故から7年目の3月を迎えた。3.11を中心に東京では3つの全国集会が開催される。今日はその第1日目、「原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国集会」が日比谷野外音楽堂で開かれた。このところ、毎週金曜日の国会前集会からも足が遠のいていた。日ごろ「原発撤退」を標榜している身としては、この3月の集会までパスしてはならじと出かけてきた。
 本日の主催は原発をなくす全国連絡会。開会挨拶は小田川全労連議長、国会議員挨拶には志位共産党委員長が3名の衆参両議員とともに駆けつけ、山本太郎自由党共同代表のメッセージが読み上げられた。3月11日に国会前集会を開く首都圏反原発連合からはミサオ・レッドウルフ氏が、3月21日に代々木公園で「さよなら原発3.21全国集会」を開くさようなら原発1000万人アクションからは井上年弘氏が連帯の挨拶に立った。
 それぞれから力強い訴えがあったが、中でも「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」会長の吉原毅氏(城南信用金庫相談役)によるメインスピーチは印象深いものであった。1月に骨子が発表された「原発ゼロ・自然エネルギー基本法」は、単に運動を励まし指針となるというのでなく、今や再生可能エネは原発1000基分にまで飛躍的に増大したという世界の流れ、いち早く原発撤退を表明したドイツは電力輸出国になったという実績、また国内でも原発輸出をすすめてきた日立は採算について再検討をはじめたり、政府内ですら一枚岩ではないことなどが紹介され、「原発ゼロ」「自然エネルギーへの転換」こそがすすむべき道であることが示された。
 福島からはバス5台をつらねての参加、「オリンピックによって福島がなかったことにされるのは許されない」との訴えには切実さと「原発ゼロ」に向かって後退することのない力強さがあった。
 参加者は3000人と発表された。消防法の関係から、いつもなら開会直後でも野音内に入れないことが多く、今日こそと30分前には到着した私としては少々物足りなかったが、参加できてよかったと思っている。



# by yassall | 2018-03-04 20:46 | 日誌 | Comments(0)

森林公園で梅見

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 1日、KさんNさんと森林公園駅で待ち合わせて、恒例の梅見に出かけてきた。例年より1週間ほど遅いのだが、今年の見頃はこの頃、との現地のKさんの予測によって日程を決めた。ところが先週の天気予報では当日は大雨、翌日はNさんの都合がつかないという。それでも天気予報は動くかも知れないのでぎりぎりまで待ってみようと準備だけはすすめていた。
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 幸い、大雨との予報はだんだんと前倒しになり、雨にはなったが朝方には止んだ。関東では昼には快晴、バスを降りて南口から入ると青空が広がっていた。
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 強風の予報もあったから肝心の梅の花がどうなっているか心配したが、風に散らされた様子もなく、むしろ盛りはこれからという感じだった。
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 柵に囲まれた傾斜地には福寿草も咲いていた。
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 平日の雨上がりというのにかかわらず、人出はけっこう多かった。不思議な音色の楽器を奏でる人がいたので遠くからパチリ。打楽器のようでありながら、弦楽器のような音色が流れてくる。もっと近くに寄ってみたかったが遠慮した。肖像権の侵害には当たらないと思う。
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 この枝振りは庭師の手が入っているのだろう。昨年は大がかりな剪定を行ったという案内掲示があった。今年はその成果が出る年だったようだ。
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 白梅もあれば紅梅も。
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 青空とのコントラスト。
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 梅園の隅の方のテーブル状に広いベンチを選び、いつものように持ち寄った飲み物やつまみを広げる。「ほどほどに」と声をかけ合うのはもちろんアフターが待っているからだが、お互い高年齢となってきたことを自覚しているからでもある。
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 午後4時過ぎには帰路に向かう。公園内に入ってからは風も止み穏やかであったのだが、日が傾いてくるにしたがって冷風が吹き寄せるようになってきたのだ。いつもなら、この時期には菜の花も満開であるのに、やはり今年は遅れているようだ。桜のシーズンにはきっと菜の花も楽しめるだろう。

 TX1

 ※この日はTX1を持ち出した。先日、海外発表されていたTX2が日本でも発売というアナウンスがあった。ズームが24-360mmとより高倍率になったとか。人にも勧められる機種ではある。でも、買わないぞ!


# by yassall | 2018-03-02 17:17 | 散歩 | Comments(0)

新座市栄・池田九条の会 講演と春の風コンサート

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 2月24日、「新座市栄・池田九条の会 結成12周年 講演と春の風コンサート」が開かれた(会場は新座市福祉の里)。詳しくは「埼玉県高校・障害児学校教職員九条の会」のブログにゆずるが、かつての同僚が地域で奮闘していること、そして渡辺治さんのお話しが聞けるということで出かけてきた。渡辺さんのお話は、いつも的確な情勢分析がなされるだけでなく、めざすべき方向や実現に向けての展望を示してくれ、元気と勇気を与えてくれる。
  http://blog.goo.ne.jp/9jousks?fm=rss
 第一部は桂綾子さんのフルート演奏会、地域にねざして活動を広げていくために文化行事も大切にしていることが知れた。そして第二部が渡辺治さん(一橋大学名誉教授、福祉国家構想研究会)による講演(演題は「どうなる憲法9条・どうする自衛隊 安倍改憲の新段階と改憲阻止のたたかい」)という構成だった。
 9条加憲論の源は公明党であること、「安倍政権の下での改憲には反対」の声は一定程度広がっている(『朝日』賛成34%、反対46%)が、9条自衛隊明記の危険性は必ずしも浸透していないこと、しかしながら「我が国を防衛するための必要最小限の実力組織としての自衛隊」というような規定がなされるならば、実力組織=戦力による「防衛」を容認すること意味し、それは9条を無効化することに他ならないこと、その戦力を「集団的自衛権」の下に海外でも行使することに道を開くことなる、といったことが解明されていった。
 昨年10月の突然の解散・総選挙のねらいは、これに先立つ都議選での自民党の惨敗から強行突破が困難と判断されたことと同時に、野党第一党であった民進党の切り崩しの好機とみたことがあった、その結果、いわゆる改憲勢力は8割をこえる議席を占めるにいたったが、新たな野党第一党に立憲民主党が躍り出たことによってそのねらいは半分しか達成できず、希望の党の内部にさえ改憲反対派を生み出すにいたった、という分析もなされた。
 その立憲民主党を生み出したものこそ、「市民と野党の共闘」の積み重ねであり、13ポイント差を逆転(自公47.17%vs野党3党33.19%→広田56.48%vs山本43.52%)した高知二区の選挙結果はその好例であること、改憲の発議を断念させる力もこの「市民と野党の共闘」以外にはあり得ないこと、そのためにも3000万署名を成功させることが重要となること、総選挙での立憲3党の比例得票数が1643万票・戦争法廃止署名が1560万筆という状況の中でこれまでに倍するとりくみが必要となるが、たとえば自民党の牙城である山口県における出口調査で希望支持者の65%、公明党の32%、自民党の15%が9条改憲に反対(『朝日』10月24日)しているようにその展望は確かにある、というようにポイントを押さえた内容であった。
 2018年はまさに正念場であり、発議されてからでは遅く、もし国民投票が強行されたとしても改憲を阻止する力は3000万署名と市民アクションの高まりにしかないことが強調され、渡辺さんもその先頭に立とうという本気度が確かに伝わってきた。
 参加者は85名とのことだった。一自治体の一地域にかかわらずというか、長年にわたって地域に根ざしてきた運動であるからこそというべきか、盛況であったといっていいと思う。


# by yassall | 2018-02-26 19:11 | 日誌 | Comments(0)

中村彝アトリエ記念館

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 20日、天気がよかったら久しぶりに外出しようと思っていた。目白に中村彝のアトリエが復元されているというので、以前から一度行ってみようと思っていた。目白にはそれ以外には何があるとも思いあたるところがなかったので、ずっと後回しになっていたのだ。半日程度の散歩にはちょうどよいだろうと出かけることにした。
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 詳しい地図が入手できなかったので、下落合3丁目という番地だけを頼りに歩き始めたのだが、目白通りを西へ進んでいくとほどなく案内表示を発見できた。これで迷いようもなさそうなのに、間近になってからあちこち彷徨き回っては訪ね歩くことになった。それも初めての土地では楽しみなのである(と強がりをいう)。
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 庭側から全景をながめる。復元といっても、中村彝の後の所有者である画家の鈴木誠によって増改築された部分を除いていったということで、当時の部材も数多く活かされているということだった。
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 庭の風景。今はすっかり住宅街になってしまっているが、当時はいかにも東京郊外といった風情で田園風景がひろがっていたそうだ。隣の池袋に住んでいたことのある父が犬を散歩に連れて行き、小川で身体を洗ってやったことがあるというようなことを昔話で聞いたことがある。中村彝が37歳で亡くなったのが大正13年、父が池袋に住んだのはそれから10年後くらいだから、何となく想像できる。
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 中村彝アトリエ記念館は新宿区立。入場は無料である。採光のために大きく開かれた窓はアトリエらしく北側に面している。
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 これも採光のために設けられた天窓。平屋作りなのに大きな三角屋根があるのはこのためらしい。
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 アトリエのすぐ隣の居室はビデオルームになっている。こちらは南側ということになり、庭が眺められるが扉などは痛みが激しい。中村彝については近代美術館所蔵の「エロシェンコ氏の像」の作者であること、新宿中村屋のサロンのメンバーであったこと位しか知らなかった。ビデオは15分ほどで、彝の生涯と作品の概要について知ることが出来る。早世してしまった画家らしく、「エロシェンコ氏の像」が傑作であることは疑いないとしても、他に残されている作品はルノアール、セザンヌ、ゴッホ、ドラクロアなど、様々な画家たちからの影響が顕著な習作といったレベルで、まだ独自の作風を確立するまでには至っていないように思えた。それでも代表作である「小女」などはルノアールにはないまなざしの強さが感じられた。
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 赤レンガ造りの門柱も当時の雰囲気を再現したものらしい。
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 私には今年初めての梅である。
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 目白駅はもしかすると学生時代に一度だけ参加した四大学祭で降車して以来かも知れない。もっとも、安倍晋三が成蹊大学、麻生太郎が学習院大学卒業と聞いては、もはや四大学を強調する気にはなれない(笑)。

 GM5+12-32mm

 この記事を書いていると金子兜太氏の訃報が流れてきた。ご冥福をお祈りしたい。「アベ政治を許さない」を揮毫なさった。

    梅咲いて庭中に青鮫が来ている  兜太


# by yassall | 2018-02-21 19:23 | 散歩 | Comments(0)

つい一言 2018.2

 久方ぶりの「つい一言」の更新なので、最初に近況というのか、最近の心境というのか、そのあたりから書いてみたい。
 「つい一言」だけでなく、今年に入ってからブログの更新そのものが滞りがちなのだが、2月に入るなり少しばかり重い風邪を引き込んだことが大きい。もともと出不精なのに1週間ほど外出もせずにいたし、その後も積極的に行動する気になれなかった。新しい記事を投稿しようにもネタがないというのが本当のところだったのだ。
 11月に不注意で突き指をした。なかなか治らない。いくら何でも長すぎるな、と怪しんでいたが、整形外科にかかったときに見てもらったらへバーデン結節だと診断された。人差し指から小指にかけての第1関節に発生する変形性関節症で、40歳以上の女性に多いのだそうだ。今のところ、突き指だと思い込んでいた中指以外には痛みはないのだが、よく見ると中指以外にも人差し指と小指は明らかに第1関節に結節があり、曲がっている。関節リュウマチとは違うというのを喜んでいいのかどうかは不明だが、やはりキーボードを叩くのに辛いものを感じるようになったのだ。
  ※
 さて、「つい一言」に限ってみると、昨年の10月21日以来、投稿が止まっていた。突然の解散による衆院選挙の前日である。どうもこの辺にも更新が滞りがちになってしまった原因がありそうである。
 怒りを忘れたわけでない。ただ、今日書こうと思っている「裁量労働制」の問題にしても、根の深いところまで突き詰めていこうとすればそれなりの構えが必要になるし、自分に書ききれるかどうかと考えるとつい二の足を踏んでしまう。これだけ大問題になっていることを、何も自分までもが書く必要があるのか、と考えれば気力も萎みがちになる。所詮、蟷螂の斧との自覚にもとづいているののの、この怒りは広がっているのか、人々と共有されているのか、という焦りの感情もある(怒りが広がっているのなら、あの選挙結果にはならなかったはずだ、というやる方なさ)。
  ※
 「裁量労働制」の問題とは、裁量労働制の下で働く人の方が、始業・終業時間を定めた働き方をする人よりも労働時間が短いとした安倍首相の国会答弁が、データに捏造ありとして撤回に追い込まれた一件である。今日のニュースでは、厚労省の調査が一般労働者には1ヶ月で一番長く働いた日を聞き、裁量労働制の調査では単に一日の労働時間を質問したものであることが明かされ、「おわびを述べた」とあった。ちらっと見たTVのニュースでは安倍首相の姿はなかったが、麻生財務相や加藤厚労相といった閣僚たちがなぜかヘラヘラと笑いこけている様子が映し出されていた。
 「森友問題」でも破棄されたはずの文書が次々と明るみに出されている。麻生財務相の答弁は「法律相談であって価格の交渉ではなかった」などという子供だましの内容だった。今回もきっと国民は「子供」のようにことの重大性を理解しないか、「精査中」などという言い逃れや、たわいもない言い訳でだまされてくれるだろうと高をくくっているのだろう。明らかに国民は「侮辱」されているのである。
  ※
 「裁量労働制」=「働き方改革」の根っこにあるのは、安倍・自民党がかかげる「世界で企業がもっとも活躍できる国」づくりである。根底に流れているのはグローバル化社会=競争社会の国際化の現状にあって、競争力を高めなければ国際競争に勝ち抜けない、といったような論理だろう。
 だが、「一将功成りて万骨枯る」ではないが、日本企業が大儲けをあげている下で、国民の生活や健康が損なわれ、家庭が破壊され、次世代の未来が失われるようであってよいはずがない。一時の栄華に酔いしれ、百年の計を忘れるような態度は少なくとも真の政治家のものではない。(2月19日)
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 怒りが失われる、ということは、無力感にとらわれてしまうということで、つまりは諦めの境地に入ってしまうということだろう。人生には諦観が求められることもあるのだろうが、ここでいう諦め(=断念)と諦観とは異なるとも思う。もともと「ボケ防止」と思って始めたブログであるから、自分の指と相談しながら、続けられる限りは続けていけたらと思っている。

 「捏造」「虚偽」「隠蔽」といえば、これもまた国民に対する侮辱としかいいようがない。大手電力会社が「満杯」としてきた送電網は実際には利用率は2割程度(※)で「空き」は十分であったということだ。
 ※2016年の電力業界によるデータによると、全国の基幹送電線の平均利用率は19.4%、最も高いのが東京電力の27%で、最も低いのが東北電力の12%であるという。
 「空き容量なし」という点については以前から疑問視する声が大きく、電力会社側としても真実を公表するしかなくなったということだろう。それでも、各社が「空き容量ゼロ」と公表した路線は全路線の34.8%、特に東北電力は70%近くの路線を「空きゼロ」とし続けているそうだ。
 しかしながら、その理由は将来原発を再稼働した場合を想定してのことであり、つまりは再生可能エネルギーの新参入を阻もうとするためとしか思われない。それでも参入しようとする場合には、高額の増強費用を求められる事例が全国で発生しているという。
 国際再生可能エネルギー機関(IREA)は、再生エネルギーの発電コストは2010年からの7年間で大幅に下がり、世界平均で太陽光は73%、陸上の風力は23%下落したとの報告書をまとめたという新聞記事があった。アドナン・アミン事務局長は「再生エネへの転換は、環境への配慮というだけでなく、今や経済的な選択だ」と指摘したという。
 日本政府の原発=「ベースロード電源」という規定は、原発にしがみつこうとする電力各社には福音のようであるのだろう(というより電力会社側の要望に政府がしたがったというのが真相だろうが)。だが、そのことで電力政策では世界に遅れをとることになってしまうのではないのか? 
 やがては避けがたい廃炉や廃棄物処理まで考えれば、「安全・安心」どころか、原発の「低コスト」神話も今や架空の物語である。省エネ技術が向上し(※)、また人口減が進む日本で、原発のような巨大で暴走おさえがたく、腐臭さえ放ちつつあるかのモンスターと共倒れの道を選択する理由は何もないと思うのである。
 また3.11が近づいてきた。政府は一刻も早く「原発ゼロ」へ舵を切るべきである。(2月22日)
 ※小話を付け加えれば、先日我が家の前の街灯の交換工事が行われていた。「故障ですか?」と工事の人に声をかけたら、「いえ、LEDとの交換です。」という返事だった。見ると我が家の前だけでなく、軒並みで工事を続いているらしい。都内全部となるにはまだ時間がかかるのだろうが、着実に省エネは進められているのである。

 前回話題にした再生可能エネルギーについて、政府のかかげる再生エネ割合の目標が低すぎるのではないか、との声が自民党内部からも出ているという。その一人に、河野外相が「世界平均は現在24%。(これから)目指す数値が今の世界平均ということは外相として悲しい」と発言したという。だが、河野氏については、その程度の発言ではとうてい挽回しようもない問題発言があったのだ。
 米トランプ政権は核戦略の中期指針「核体制の見直し(NPR)」で、核兵器の使用条件緩和を盛り込んだ。具体的には、いわゆる戦術核兵器の製造と配備をすすめ、核兵器の使用についてのハードルを下げていこうというものだ。
 かつて毛沢東は「核兵器は張り子の虎だ」と言い放った。つまり、威力が巨大すぎ、ひとたび核戦争が勃発すれば世界そのものが破滅してしまうのだから、アメリカといえども核兵器の使用には踏み切れまいと高をくくったのだ。
 戦略核兵器については相手に使わせないための「抑止力」論、あるいは「核均衡」論が確かに存在する。だが、その論理を是とすれば北朝鮮のように自分の国も核兵器を持ちたいとする国は現れてくるだろうし、緊張が高まりこそすれ、緩和されることはあり得ない。
 それより何より、アメリカは先制不使用という態度はとっておらず、実際に朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機など、核兵器の使用は何度も検討されたということを忘れてはならない。
 現在、戦術核兵器の保有量はロシア側の方が多く、またクリミア紛争の際にロシアは戦術核兵器の準備をしていたという報道もあった。それらに対抗するための戦略という意味合いがあるのだろうが、何よりも世界におけるアメリカの相対的な地位の低下を反映していると考えるのが妥当なところだろう。だとすれば、ますます核兵器使用の閾は低くなる。
 さて、日本政府はどう対応したか? アメリカがNPRを発表したのが2日、河野外相はその翌日に「高く評価する」との談話を発表したのだ。より詳しく書くと、「米国による抑止力の実効性の確保とわが国を含む同盟国に対する拡大抑止へのコミットメント(関与)を明確にした。」という理由付けによるものだという。
 つまり、戦術核兵器についても「抑止力の実効性の確保」が目的だとしているのだが、あまりに楽観的すぎはしないだろうか? アメリカの核戦略の変更はもちろん北朝鮮も刺激したことだろうし、極東アジアでも緊張を高めていくことだろう。朝鮮半島・極東アジアの非核化は遠ざかるばかりであろうし、暴発の危機が高まることは避けがたくなる。河野外相は衆院予算委員会での野党の追及にも自説を曲げなかったという。
 最近、怒りを覚えたこと、というので資料を保存しておき、記事を書き始めたところで米フロリダの高校で銃の乱射事件が発生した。トランプ大統領は被害者を招いた意見交換会で、「もし銃に熟練した教師がいたなら、襲撃をあっという間に終わらせることができただろう」という意見に対する賛同を求めたという。賛成者が少数であったにもかかわらず、銃で武装した教師にはボーナスを支給することも検討するなどと発言したそうだ。(補足すれば学校の武装化は「全米ライフル協会」が支持しているとのこと。)
 学校で生徒を教育する立場にある教師に銃を持たせ、その使用によって問題を解決させようというような思想の持ち主に、核兵器は「抑止力(であって実際には使用されない)」というような理性をいささかでも期待することが出来るだろうか? (2月23日)


# by yassall | 2018-02-19 19:52 | つい一言 | Comments(0)

2017年度埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」の総会・学習会

 1月28日(日)、さいたま市民会館うらわを会場に埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」の総会ならびに学習会が開催されました。
 2016年度の総会は7月31日、これに先立つ7月10日の参院選の結果、改憲勢力が3分の2を占めるという情勢の中での開催となりました。2017年度総会は半年遅れになってしまいましたが、いよいよ自民党が改憲発議の準備をすすめるという重大な年のはじめに開催されることになりました。
 詳細は「埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」」のブログにゆずりますが、
  http://blog.goo.ne.jp/9jousks?fm=rss
 講演会で講師をつとめてくれた「憲法会議」全国事務局長の高橋さん(元埼高教、元全教中央執行委員、元全労連副議長)から、憲法会議が作成したパンフの普及が急速にすすんでいるというお話がありました。
   ※
 昨年5月3日、安倍首相は突然9条の1項2項を残し、自衛隊を明記した3項を加える、と発言しました。すでに自民党が発表していた『改憲草案』にもない内容でした。
 このシナリオが「日本会議」によって書かれたものであることはもはや周知の事実です。安倍首相は「自衛隊を明記するのは違憲との判断を解消するためで、自衛隊の任務についてはいっさい変更はない」などと述べて世論を誘導しようとしています。
 しかし、「日本会議」はその機関誌で「自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべきである」(『明日への選択』2016年11月号)と、そのねらいを明確に述べています。自衛隊の明記は「戦力の保持」を明確化することであり、それは集団的自衛権によって変質した自衛隊の任務を後付けで肯定し、海外出兵に道を広くものでしかありません。マスコミでもなかなか報道されていませんが、憲法会議のパンフでは鋭く指摘されています。
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(憲法会議 〒101-0051 千代田区神田神保町2-10 神保町マンション202 TEL03-3261-9007)
 ※パンフは一冊100円 注文はFAX03-3261-5453で



# by yassall | 2018-01-30 19:57 | 日誌 | Comments(0)