東大附属中等教育学校『父と暮らせば』

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 顧問のKさんから久しぶりのメール、「4月3日に六本木の俳優座劇場で公演をうてることになりました」とのお誘いをいただいたのは3月4日のことだった。添付されていたチラシを見ると、催し物名は「第26回はいすくーるドラマスペシャル」とあり、4月2-4日の期間中に6校が上演するという。どのように選抜されたのかは知らないが、通常の部活動としての枠を超えたところで高校演劇の発表の場が開かれていることは貴重であるし、旧知のKさんからのお誘いとあれば出かけないわけにはいかない。
 『父と暮らせば』は井上ひさし作で1994年の初演、2004年に宮沢りえ・原田芳雄・浅野忠信出演で映画化された。もともとは二人芝居であったが、映画では浅野が木下役で登場する。また、調べてみるとこまつ座以外では語りであったり、一人芝居であったりする上演例があるとのことだ。
 東大附属も一人芝居であった。なぜ一人芝居という方法を選んだのか、詳しいことは知らない。何でも昨年も学校公演でとりあげた脚本であるという。同一人物が演じたとすれば、その時点では役者となれる生徒が一人しかおらず、その延長であったのかも知れない。そうだとすれば、想像するに演じた生徒にはかねてからの希望があり、一人芝居をうつしかないときに、その状況を逆手にとってこの脚本を選んだのではないだろうか? 同学年に複数の役者志望の生徒がいる中ではなかなか一人芝居を名乗り出るのは困難であろうから。そしてそれが確かだとすれば、演劇に対する向きあい方においても、脚本選択においても、真面目で一途なひとがらが浮かんで来るのである。
 芝居をみせてもらった感想としては、まさにそのような真剣さとさわやかさ、そしてこの脚本にひたむきに取り組んできた者のもつ確信というのか自信のようなものが伝わって来たとまず言いたい。一人芝居としてどこまで出来るか、というのが見どころの一つだったのだろうが、まったく心配御無用であった。嘆き伏している娘のときはまるめた背中からもその悲しみが伝わってきたし、父に変わったときは娘にあたたかい愛情をそそぐ存在に瞬時に変化できていた。声を聞いていて、本当に涙まじりになってしまったのではないかと心配していた次の場面では娘を見守るおおらかな父親の口調に変わっていたときには、ある種の「技」の域に達するものを感じた。娘のときと父のときの違いを声量の違いであらわそうとしたためか、最初のうちは娘の声が聞き取りにくかったが、それは広島弁を早口でまくし立てた結果でもあったのだろう。それはそれで、聞き取れないときがあるのも自然であるともいえる。
 テーマは広島の被爆体験の継承である。被爆者である美津江には忘れようにも忘れられないにもかかわらず、自分からは触れたくない(あるいは未だ言葉に出来ない)体験である。その美津江の前に、広島の記憶を残すために原爆瓦や遺留品を収集している青年木下があらわれる。木下は美津江を見そめ、美津江も木下に引かれていく。しかし、美津江は木下に心引かれていくことで、かえって自分一人が生き残った後ろめたさから「自分一人が幸せになることはできない」との思いに苦しめられていく。数日前から幽霊となってあらわれた父竹造はそんな美津江を慰め、励まし、ときに叱咤する。やがて美津江は木下と生きる決意を固め、父に感謝する。進駐軍の監視ということばが何度も出てくるような時代であり、美津江がただちに広島の語り部になったとか、原水禁運動に参加するようになったとかという話にはならないだろうが、美津江が被爆者である自分を引き受けていく覚悟を固めたことは確かであると思われる。
 政権党の一部から日本も核武装をすべきであるとか、核抑止力に実効性を持たせるために核兵器の持ち込みを許容すべきであるとかいう発言が飛び出す現代にあって、「キノコ雲の下」で何が起こったかに対する想像力を復活させるためにも今日的意義の高い作品である。だが、そのようなテーマ性あるいはメッセージ性を超えた人間愛を作品は持っている。「お前の切ないためいきから(幽霊である)儂の胴体が出来た」なとどいう科白が書ける井上ひさしは本当にすごい人間だと思った。そして、その脚本に取り組むことを決意した生徒の曇りない真っ直ぐな気持ちに心から敬意を表したいと思うのである。
 顧問のKさんがどこまでかかわっていたのかは聞いていない。帰り際にちらとロビーで見かけたのだが、natsuさんとは声をかけ合ったらしい様子があったものの、少し遅れて出た私とは目が合わなかった。終演後はすぐにバラシがあるので、といっていたから、すぐに舞台の方に引き返したのかも知れない。だから、もしかすると「一人芝居をやるならこんな台本もあるよ」と紹介したのはKさんだったのかも知れない。それは分からない。
 それでも、生徒が決意したとき、それを引き受けてやろうとしたのがKさんだったことには間違いないだろう。幕が上がったとき、装置が相当程度しっかり組まれていたことに、まず軽い感動を覚えた。一人芝居を支えていくには舞台装置の作り込みが大切だとの判断からではないか? 調度品などにはやや時代が若いと感じないでもなかったが、吊り物の電灯は視線を集中させる役割を果たしていたし、終盤になって運び込まれた原爆資料を詰めた茶箱も説得力があった。
   ※
 natsuさんとは事前に打ち合わせていたのだが会場に入るとKMさんも来ていた。思えばKさんとも同時代の人間なので何の不思議もないのだが、詳しく話を聞くと最近詩を書いている者同士のつながりで和国の1期生と知り合いとなり、その1期生を担任したのがKさんという巡り合わせがあったのだそうだ。KMさんは所用があるとのことで終演後はまたの再会を約束して別れたが、natsuさんとは新宿のわらび家で一献傾けた。シメに軽めのあがり蕎麦をいただいて9時前には別れたが、ちょうどよい関係ではないだろうか?

 

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# by yassall | 2018-04-05 00:41 | 日誌 | Comments(0)

桜2018④身延山しだれ桜・富士山本宮浅間大社

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 4月2日は山梨から静岡にかけての旅である。メインは身延山久遠寺、日蓮宗の総本山である。
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 287段の階段。先日のみかも山に続いてまた山登りかと覚悟し、実は伸縮式のトレッキングポールを携行していった。
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 しかし、このような斜行エレベーターが設置されていて、楽に本堂まで上っていくことが出来た。もちろんストックはバスの中に置いていった。
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 堂内は撮影禁止とあった。堂外も禁止とはなかったので、境内の様子を写真に収める。加山又造の金の黒龍もしっかり見てきた。お坊さんがいたので一応聞いてみたが、黒龍も撮影禁止とのことだった。
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 久遠寺はしだれ桜で名高いとのことである。
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 きれいな桜の下にはやはり人が集まる。
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 私も近寄って撮影させてもらう。
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  境内には五重塔の他、いくつもの伽藍が立ち並び、ロープウェイの先には奥の院もひかえる。さらに山裾に向かって数多くの僧坊や道場が建てられている。総本山と呼ぶにふさわしい一大宗教施設であった。
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 続いて富士山本宮浅間大社に向かう。なかなかのおおやしろであるが意外と庶民的で嫌みがないと思った。
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 参道に入る前に富士山が見えた。この日は朝から薄曇りで富士は諦めていたのだが、さすがにそばまで来ているのだなと実感する。
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 そろそろ日が傾きかけてきた。参拝を済ませた後、桜の撮影に移る。近寄るとそろそろ葉が出てきたのが見てとれる。
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 もうすぐ花心が赤くなってくるころだろう。今日あたりが最後だったのかも知れない。
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 この日、午前中には歌舞伎文化公園にも立ち寄った。市川團十郎発祥の地だそうで、住所は山梨県市川三郷町とあった。城郭造りだが文化資料館として建てられた新しい建築である。
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 観光名所というより町の人々の憩いの地という感じだった。
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 釈迦堂PA近辺には桃園が公開されていた。如何せん滞在時間が短すぎた。桃なら古河公方公園で見たし。
    ※
 ところでこの日は久しぶりにD3300を持ち出した。携行機材の重さを気にせずすんだり、ワイナリーでワインの試飲が出来たりするのはバス旅行の利点ではある。ただ、ミラーレスに慣れてしまうと一眼レフは露出補正が難しいと改めて思った。

  D3300+18-55mm、ZR4000





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# by yassall | 2018-04-04 18:49 | 風景 | Comments(2)

桜2018③森林公園

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 30日は森林公園。Kさん、Nさんとのいつものメンバーと一緒である。当初は4月5日か7日と予定していたところ、開花が早まったとの知らせから急遽前倒しになった。少人数だと小回りがきくのである。1枚目は山田城跡付近に分け入ったときの山桜、Kさんはこのような木のありかも心得ているのである。
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 少し遠回りをして花木園へ。奥まったところのベンチが集まっているあたりが目的地である。
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 平日ではあるが、この日は他の花見客も多かった。迷惑がかからないように端の方のベンチを選んで酒肴をひろげる。
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 窪地になっているからこのような風景に囲まれながら酒宴となる。空の青みが強い方が太陽からみて順光側である。ここ数年では最高の花盛りである。
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 4時には帰り支度をはじめる。花木園を離れても付近の丘一帯に桜は植えられている。
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 上はユキヤナギと、下は菜の花とのコラボ。
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 向かう先はいつもの新盛である。このところ予約の電話を入れてから向かうようにしている。金曜日ということもあるが、人気店らしく5時過ぎには座敷もカウンター席も満杯になってしまった。

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# by yassall | 2018-04-01 17:27 | 散歩 | Comments(0)

桜2018②太平山・みかも山・古河公方公園・権現堂桜堤

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 29日は北関東をめぐるツアーに参加してきた。朝8時に新宿を出発し、最初に向かったのは太平山である。日本のさくら名所100選に選ばれているとのことだったが、麓の方では満開だったのに対し、山頂はまだこれからという感じだった。謙信平はこの地で北条と和睦した謙信が関東平野を眺めてその広さに感じ入ったというところからだそうだ。
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 太平神社にも参拝しては来たが、枝垂れ桜もまだまだなのか、すでに盛りが過ぎたのか、少々がっかりだった。
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 山本有三の文学碑が建っているというので探してみた。
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 みかも山はカタクリが群生しているというのでコースに入った。かなりの急勾配である。
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 カタクリはユリ科の多年草で「春の妖精」と呼ばれているそうだ。
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 こんなデッキが観賞用に設えてあるのだが、ここまで来るのに下のような山道を15分ほども登らなければならない。
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 冬の運動不足がたたってすっかり息が上がってしまった。少しばかり恨めしい気持ちが残った。
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 栃木県から茨城県に移る。古河公方公園では桃まつりの真っ最中である。天候もうららかさを増してきた。
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 桃まつり娘(だったか?)が来場者をもてなしている。あまり和服を着慣れていない様子だが、華やかではある。

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 園内はかなり広く、色とりどりの桃の花が咲き誇っていた。

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 3枚目は寒緋という品種だそうだ。
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 数は少なかったが桜も見頃だった。
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 埼玉は幸手市に入る。一番のお目当ては権現堂桜堤だった。幾重にも桜並木が続き、花見客でごった返している。屋台もたくさん出ていて盛況の様子だった。
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 桜は満開なのだが菜の花の方が少しボリュームに乏しかったのでトリミングしてみた。
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 桜の撮影も存分に楽しんだ。

 G8+12-60mm、ZR4000



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# by yassall | 2018-04-01 00:30 | 風景 | Comments(0)

桜2018①六義園・後楽園

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 桜の季節がやってきた。今年はどこへ撮りに行こうかとあれこれ思案しているうちに、例年より10日早く満開との情報が入ってきた。まず身近なところで三田線沿線を、ということで、27日は六義園と小石川後楽園を回ってきた。
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 六義園は千石から。枝垂れ桜が有名だが何度も行ったのにこれまで見たことはなかった。どうせ人で一杯なだけだろうと何となく避けてきたのである。人出は予想通りだが、こういうときは人間も風景のうちととりこんで行くしかない。思ったよりボリューム感がないなあと感じていたが、どうやら盛りは過ぎていたらしく、4日後に妹が出かけたときは花は影も形もなかったという。
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 ソメイヨシノがもう1本茶屋のとなりに立っている。
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 そばへ行って枝振りを観賞する。
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 こちらはまだつぼみを残している。
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 小石川後楽園へは春日から。春日から丸ノ内線後楽園は徒歩で7分ほど。後楽園の入り口まではずいぶん大回りをしなければならないので、丸ノ内線の駅からの方が歩く時間はながい。
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 桜は後楽園の方が充実していて種類も多い。少し曇ってきてしまったのが残念だ。
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  この大泉水の岸辺の岸辺の桜が一番見応えがあったかな。奥まった場所の内庭も隠れた撮影スポットという感じだったが、肝心の桜が白飛びしてしまって写真にならなかった。まだまだ腕が足りません。
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 水辺にかかる桜。
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 小石川後楽園の借景は東京ドームなのである。後楽園遊園地のジェットコースターも頭をのぞかせている。

 EM10+LX12-60mm


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# by yassall | 2018-03-31 14:51 | 散歩 | Comments(0)

精華高校・新座柳瀬高校演劇部東京合同公演「愛もない青春もない旅に出る」

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 14日、精華高校演劇・新座柳瀬高校演劇部合同東京公演「愛もない青春もない旅に出る」を見にシアター風姿花伝まで出かけてきた。公演日程のうち、13日は夜の部のみ、14日には昼の部があったのでそこに予約を入れたのだが、この回にはポストパフォーマンストークがあり、二つの高校が合同公演を打つにいたったいきさつや、「愛もない青春もない旅に出る」という不思議なタイトルが生まれるにいたった経過の説明を聞くことが出来た。詳しくは省略するが、精華高校が「旅する」演劇部であること、新座柳瀬のtomoさんがその精華高校の芝居に惚れ込み、合同公演を打つことを目標としたこと、という運びであるらしい。

 大阪 精華高校『大阪、ミナミの高校生2』作・オノマリコと精華高校演劇部
 tomoさんから噂を聞いていたので、どんな芝居をみせてくれるのだろうと楽しみに見た。最初に部員の一人がホワイトボードを使って「今日の芝居の主題は恋あるいは恋愛だ」と口上を述べる。ここからして、通常の芝居作りとは一線が画されようとしている。
 トークショーには作者のオノマリコ氏にも出席していて、劇の成り立ちについて解説してくれた。反省文の書き方をめぐって女子高校生と担任教師とが日を変えて断続的にやりとりする、冒頭にも、またその間隙を縫うようにして男女の部員たちによるモノローグが挿入されていく、というような構成なのだが、部員たちのセリフのほとんどは各人たちが日ごろの思いや体験にもとづいて自分たちで考えて持ち寄ったものだというのである。
 テーマとされた「恋あるいは恋愛」はあらかじめ設定されたものであるのだろう。恋愛を深めていけばどうしても性の問題に突き当たらざるを得ない。「痴漢も冤罪痴漢も女性専用列車もなくなればいい。男とか女とか(性差が)なくなればいい。…ずっとそう思ってきた。でも、恋をすると違った。」(不正確な箇所あり)というようなセリフと出会うとドキッとさせられる。「性」を否定してしまいたい気持ち」というのはむしろ自らの「性」と強く向き合わざるを得ない年代を迎えたということだろう。その痛々しいまでのとまどい、怒り、おののきが伝わってくる。
 だが、そんなふうに高校生たちの裸のすがたを描き出して見せたことより、ドラマの中にモノローグを差し挟んでいく、というよりモノローグそのもので芝居を構成していこうとする手法に感心させられた。
 しばしば芝居を中断させ、私的なモノローグやアジテーションを挿入していったのは寺山修司である。その寺山芝居について高取英は次のように書いている(『寺山修司』平凡社新書2006)。

 劇を中断し、現実的なセリフによって、「一千万のドラマ」に注意をうながすのは、虚構に耽溺し、物語が終われば拍手をし、現実に戻るような観客と舞台とのなれあいの境界に寺山修司が、がまんできなかったからである。

 そして、寺山がよく「俺は、劇場で行われたことを、拍手で終わりにするのではなく、観客それぞれの現実生活に持ち帰ってもらいたいのだよ」といっていたことを紹介している。
 その寺山とも共通するような演劇なるものへの挑戦、観客を虚構の世界にいざない、幕切れとともに完結させる、というのとはまったく異なった演劇への模索を読み取ったのだ。かといって差し挟まれたモノローグが本当に現実そのものであるのかどうか、虚実ないまぜ、あるいはすれすれのところで演劇空間を成立させようとのこころみであったとも思う。役者たちがときに滑舌が悪かったり、素に戻ったごとくに照れくさそうにしているのも、もしかしたらリアルさの演出であったかも知れないと、一度は引いてみざるを得ないような。つまり、観客もただ舞台に身をゆだねていればいいのではなく、投げつけられるセリフに緊張を強いられている、ということだ。
 校則には「学校内でSEXをしてはいけない」とは確かに書いていない。それは担任教師がいうように「常識」であるからというより、触れてはいけない禁制であるからなのだろう。おのれの「性」に直面し、身もだえしている高校生にとって、その禁制は(keepoutの規制線のように)スカスカの虚構である。あえてその禁制を破ってみることと、規制線の内側にとどまっていることと、どちらが高校生が演じる高校演劇といえるのだろうか? 
 精華高校がいつもこのような芝居作りをしているのかどうかは知らない。ともかくも、上記の問題も含めて、いわゆる高校演劇あるいは演劇そのものの枠を破ってみせようという実験作だったと思う。

 埼玉 新座柳瀬高校『Merry-Go-Round!』作・稲葉智己
 tomoさんとしては精華高校とがっぷり四つに組んでみたいというのが目標の第一だったのだろう。それに相応しく新作(だよね?)で臨んできたし、リーフにある通り、「何かを伝えたいとか、何かを訴えたいというよりも、『こんな面白いお話しがありますよ』と物語りたい」とのことば通りの芝居作りだったし、「新座柳瀬の芝居の『型』」ということばも出てきたが、今あるものをすべて出してしまおう、というところだったのではないか? たぶん部員総出演というところも含めて、その意気込みやよしとしたいが、率直にいえば脚本の面でも、芝居の面でも、少々作り込み不足のものを感じた。
 地中海のとある島に君臨する偽貴族がいて、その貴族を利用している全権総督がいる、しかし偽貴族は引退を希望しており、後継者を探そうとするところから騒動が持ち上がる…という設定なのだが、その設定がツカミのところでよく伝わって来ない。複雑な事柄を説明的に述べられても困るのだが、偽貴族がいることで全権総督にどのようなメリットがあるのか、偽貴族の側にはどのような見返りがあるのか、引退したがっている理由等々が謎のままなのである。たぶん、何か大事なセリフを聞き逃してしまったのだろうとは思うが、そもそものきっかけのところで躓いてしまった。ラストのどんでん返しもよく出来ているといえば出来ているのだが、まんまと3、40万ドルをせしめて島を逃亡したアンジーが後継者の席にすわるまでのルディーとレベッカの決断、アンジーが心を決めるまでの過程ももう一言か二言でいいから欲しいところだった。
 オスカーとエディーが最初は欲得づくでアンジーに近づきながら、いつしか虜にされていく(ですよね?)過程も、アンジー側が淡泊すぎたことばかりでなく、オスカーとエディーの側の心理変化も不足していたのではないか? マーガレットとエリーが大金持ちにありがちな傲慢さゆえのおしおきを受けるというのはお約束通りとして、確か二人とも最初はオスカーを追っていたはずなのに、エリーがいつのまにかエディーにぞっこんになってしまうのはどのようなきっかけからだったか、どうも印象に残っていない。
 さて、tomoさんとしてはもう一つのねらいがあったのではないだろうか? それは卒業生3人の集大成とともに、この芝居で主役を交代させようということではないかとにらんだ。ただ、素材感は私も認めるところだが、表情の豊かさとか、セリフの切れとか、まだまだ鍛えられていないと思った。さわやかさだけを頼りにしてはいつまでも持つものではない。他の役者たちも含め、これからどのように育てていくか、楽しみにしている。どうも身内意識があるせいか、今回は辛口に終始してしまったようだが、最後まで楽しく見られたことはいうまでもない。
  ☆
 往路は西武池袋線椎名町駅から歩き、帰路はnatsuさんといっしょに下落合駅まで歩き、西武新宿線で新宿へ出た。もちろん二人で一献傾けようという算段をしていたのだ。natsuさんの長旅の疲れが気になったが、二人だけということもあり、酒もすすみ、突っ込んだ話まですることが出来たので、楽しくも深いひとときだった。
 さて、この劇評はまたしてもnatsuさんに先を越されてしまった(「18→81」)。natsuさんには昨日の酒が残らなかったのだろうか? 本当はnatsuさんのブログでほぼ言い尽くされているようなものなのだが、昨夜の約束もあるので後出しながらアップする。


 



 

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# by yassall | 2018-03-15 20:06 | 高校演劇 | Comments(2)

ブリューゲル展

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 13日、ブリューゲル展を見に東京都美術館まで出かけてきた。ブリューゲルは日本に来るたびに見に行っているし、昨年の「バベルの塔」などはよくぞ日本で生きている間に見られたものだと感激もひとしおだった。今回の企画は「画家一族がやって来る」というキャッチコピーの通り、150年に及ぶというブリューゲル一族およびその工房の作品を集めたもので、ピーテル・ブリューゲル1世の作品は版画程度だった。それは予想通りだったのだが、しばらく美術館に足を運んでいないなあ、ということで出かけたのだった。
 1世の息子には兄のピーテル・ブリューゲル2世と弟のヤン・ブリューゲルⅠ世がいる。兄の方は父1世の複製を大量に制作し、ブリューゲルの名を広くヨーロッパに広めることになったという。複製といっても父1世が残した下絵にしたがって忠実に再現したものだ。会場には冬の風景である「鳥罠」が展示されていた。そうした先入観があるせいか、どこか力強さに足りないものがある気もしたが、絵画としては群を抜いているように思えた。絵の才能は弟の方がすぐれ、静物画という新しい境地を開いて「花のブリューゲル」と呼ばれたという。ひ孫たちには1世から「風景」や「城壁」をそれぞれ引き継いだと評される作品がある。それらと比較しても私は「鳥罠」の方に心をひかれた。 
 今年は一昨年のカラヴァッジョや昨年のクラーナハのような魅力的な展覧会情報がないなあ、と少々気落ちしていた。その気持ちが晴れたというほどの展覧会とはいかなかったが、いちおう記録としてアップしておく。


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# by yassall | 2018-03-15 16:36 | 日誌 | Comments(0)

3.11原発ゼロ☆国会前集会

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 3月4日の日比谷野音集会に続いて反原連主催の国会前集会に出かけてきた。ミサオレッドウルフ氏のあいさつに続いての政党からのあいさつでは「原発ゼロ基本法案」を共同提出した立憲民主党、日本共産党、自由党、社民党に加え、民進党、希望の党の国会議員も登壇した。現時点で「原発ゼロ」をかかげるに至っていない政党内部でも賛同者が存在していることが鮮明になった。
 今年は立憲民主党の代表としてスピーチに立った菅直人氏は最近国会内で安倍首相と原発について話し合ったとき、「原発は安価である」「原発は環境によい」などと発言していたことを紹介し、その時代錯誤性を批判した。
 同行動は国会正門前と首相官邸前で行われた。参加者は5000人と発表された。昨年は8000人であったので、人数的には減ってしまったが、7年が経過しても福島第一原発は廃炉に向けての目途さえ立っていない。一方で原発の再稼働はなし崩し的に進められようとしている。この怒りの声を絶やしてはならないと改めて思う。
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 一般紙ではほとんど報道されなかったし、またあまりに大きく取り上げるのもかえって彼らのねらい通りになってしまうのだろうが、この日の集会では右翼の妄動が際立っていた。街宣車だけでも5、6台は来ていたのではないだろうか? その街宣車も普通だと集会場から離れた箇所で警官隊に押さえ込まれているか、交通規制された外周をうろうろ回っているものなのだが、何台もが集会の目と鼻の先の道路に横付けし、大音量で軍歌などを流し続けてたり、脅迫めいた怒声をあげ続けている。そればかりでなく、人数にしたら7、8人もいただろうか、街宣車から降りて盛んに機動隊と口論している者や、中には集会に紛れ込もうとして警官たちに連れ出されている者までいた。いつもなら集会が始まるとほどなく立ち去っていくのに、1時間も居座り続けていたというのも常態とは異なっていた。
 反原連が用意した音響設備は優秀で音量的には負けていなかったし、ミサオレッドウルフ氏はじめ、登壇者も参加者もかえってファイトを燃やしていたのは心強かったとしても、暴力的に言論を封殺し、集会を妨害しようとする者たちと直面し続けるのは愉快ではなかった。
 なぜ、こんなに気負い立っているのだろうかと、二つほど理由を考えてみた。
 2月末に右翼団体構成員ならびに関係者二人が朝鮮総連本部に発砲するという事件を起こし逮捕されるという事件があった。その一人は行動右翼としてこれまで何度も警察に逮捕されている人物であるという。この事件が数ある右翼団体を刺激し、過激さを競うような風潮を生んでいるのではないだろうか? 発砲は門扉に対してだったというから児戯のようなものなのだが、どのようにして拳銃を入手したのかも含め、一般市民からすれば正常な市民生活を脅かしてあまりある蛮行である。ところが、それが右翼団体からするとあたかも先を越され、自分たちのメンツをかけて後に続かなくてはならない問題のように受けとめられるらしい。過去の事件でも同様だった。
 もう一つは森友問題に関連して、ついに財務省が文書の書き換え・改竄があった事実を認めるまで追い込まれたことだ。どこまで逃げ切りをはかるかはまだ不明だが、本来なら内閣総辞職に値する事件にまで発展している。
 過去の事例からも政権が危機に瀕しようとすると右翼の活動が活発になる。どうも反原発運動に対する敵対行動というより、政権に対する批判が高まることを少しでも削ごうという意図が働いているように思われるのである。それも各団体が自主的に立ち上がった、というより、どこかの指令によって動き始めたというのが真相に近いと思うのである。そうでなければ、複数の団体が一度に行動しはじめるわけがない。このような勢力によって守られる政権とは何だろうか? 私はその醜悪さを思いながら帰路についた。
 

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# by yassall | 2018-03-13 01:16 | 日誌 | Comments(0)

原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国集会

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 東京電力福島第一原発事故から7年目の3月を迎えた。3.11を中心に東京では3つの全国集会が開催される。今日はその第1日目、「原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国集会」が日比谷野外音楽堂で開かれた。このところ、毎週金曜日の国会前集会からも足が遠のいていた。日ごろ「原発撤退」を標榜している身としては、この3月の集会までパスしてはならじと出かけてきた。
 本日の主催は原発をなくす全国連絡会。開会挨拶は小田川全労連議長、国会議員挨拶には志位共産党委員長が3名の衆参両議員とともに駆けつけ、山本太郎自由党共同代表のメッセージが読み上げられた。3月11日に国会前集会を開く首都圏反原発連合からはミサオ・レッドウルフ氏が、3月21日に代々木公園で「さよなら原発3.21全国集会」を開くさようなら原発1000万人アクションからは井上年弘氏が連帯の挨拶に立った。
 それぞれから力強い訴えがあったが、中でも「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」会長の吉原毅氏(城南信用金庫相談役)によるメインスピーチは印象深いものであった。1月に骨子が発表された「原発ゼロ・自然エネルギー基本法」は、単に運動を励まし指針となるというのでなく、今や再生可能エネは原発1000基分にまで飛躍的に増大したという世界の流れ、いち早く原発撤退を表明したドイツは電力輸出国になったという実績、また国内でも原発輸出をすすめてきた日立は採算について再検討をはじめたり、政府内ですら一枚岩ではないことなどが紹介され、「原発ゼロ」「自然エネルギーへの転換」こそがすすむべき道であることが示された。
 福島からはバス5台をつらねての参加、「オリンピックによって福島がなかったことにされるのは許されない」との訴えには切実さと「原発ゼロ」に向かって後退することのない力強さがあった。
 参加者は3000人と発表された。消防法の関係から、いつもなら開会直後でも野音内に入れないことが多く、今日こそと30分前には到着した私としては少々物足りなかったが、参加できてよかったと思っている。



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# by yassall | 2018-03-04 20:46 | 日誌 | Comments(0)

森林公園で梅見

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 1日、KさんNさんと森林公園駅で待ち合わせて、恒例の梅見に出かけてきた。例年より1週間ほど遅いのだが、今年の見頃はこの頃、との現地のKさんの予測によって日程を決めた。ところが先週の天気予報では当日は大雨、翌日はNさんの都合がつかないという。それでも天気予報は動くかも知れないのでぎりぎりまで待ってみようと準備だけはすすめていた。
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 幸い、大雨との予報はだんだんと前倒しになり、雨にはなったが朝方には止んだ。関東では昼には快晴、バスを降りて南口から入ると青空が広がっていた。
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 強風の予報もあったから肝心の梅の花がどうなっているか心配したが、風に散らされた様子もなく、むしろ盛りはこれからという感じだった。
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 柵に囲まれた傾斜地には福寿草も咲いていた。
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 平日の雨上がりというのにかかわらず、人出はけっこう多かった。不思議な音色の楽器を奏でる人がいたので遠くからパチリ。打楽器のようでありながら、弦楽器のような音色が流れてくる。もっと近くに寄ってみたかったが遠慮した。肖像権の侵害には当たらないと思う。
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 この枝振りは庭師の手が入っているのだろう。昨年は大がかりな剪定を行ったという案内掲示があった。今年はその成果が出る年だったようだ。
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 白梅もあれば紅梅も。
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 青空とのコントラスト。
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 梅園の隅の方のテーブル状に広いベンチを選び、いつものように持ち寄った飲み物やつまみを広げる。「ほどほどに」と声をかけ合うのはもちろんアフターが待っているからだが、お互い高年齢となってきたことを自覚しているからでもある。
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 午後4時過ぎには帰路に向かう。公園内に入ってからは風も止み穏やかであったのだが、日が傾いてくるにしたがって冷風が吹き寄せるようになってきたのだ。いつもなら、この時期には菜の花も満開であるのに、やはり今年は遅れているようだ。桜のシーズンにはきっと菜の花も楽しめるだろう。

 TX1

 ※この日はTX1を持ち出した。先日、海外発表されていたTX2が日本でも発売というアナウンスがあった。ズームが24-360mmとより高倍率になったとか。人にも勧められる機種ではある。でも、買わないぞ!


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# by yassall | 2018-03-02 17:17 | 散歩 | Comments(0)