このところ、旅行もしていないし、写真も撮りに行っていないなあ、と我が出不精を反省し、東北紅葉めぐりのツアーを申し込んだ。スケジュール表を検索すると、どうやらラスト3人くらいのところに滑り込んだらしい。
空いていたのは10月30・31日。日程を決めると気になるのは天気予報である。先週からチェックを続けていると仙台までは晴れなのだが、岩手・青森は降水確率80%という予報がなかなか動かない。お手軽に過ぎるかなといつも反省するものの、撮影機材に防寒対策、さらに雨支度まで加わると、やはりバス旅行は楽ちんなのである。ツアー本体は朝7:15東京駅集合とあるが私は大宮8:10で合流。この辺も融通がきいて助かる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この日はこの後、八幡平に回る予定であったのだが、雪のため道路が通行禁止となり、そのまま宿のある青森に向かうことになった。途中、初冠雪したという岩手山を車窓から眺めた。青森市内に入ったころ、天気予報どおり雨が落ちてきた。 G8+12-60mm #
by yassall
| 2018-11-02 16:51
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大宮地区は2年連続となった。組み合わせが変わったとはいえ、あまり望ましいことではないだろう。審査員の配置でやむにやまれぬ事情があったのだろうと察してもらうしかないが、私としては昨年からどんなふうに成長したかという楽しみがあったし、どちらかというと昨年は演劇部を楽しむというところに重点をおいた学校が多かった気がしたが、今年は渡された台本を読んだ段階から芝居づくりへの意気込みが違うぞ、という期待感が高まっていたのである。会場は西部文化センターである。 ![]() 上尾高校『OUT OF CONTROL』大倉マヤ・作 上尾南高校『回転、または直進』福田成樹・作 桶川高校『埼玉会館のはしの方』今井唯太・作(顧問創作) 岩槻高校『伝説の勇者の作りかた』八城悠・作 大宮商業高校『水屑となる』春野片泰・作 大宮高校『赤鬼』野田秀樹・作 #
by yassall
| 2018-10-11 15:32
| 高校演劇
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10月6・7日に大宮地区発表会が開催され、今年のBブロックとしてのコンクールも終了した。2018秋の高校演劇①で予告したので、二つの地区発表会で上演された各校について感想をアップする。 ![]() 草加南高校『はなまぼろし』大谷駿雄・作 三郷北高校『Merry mad dolls』杉浦舞香&MKDC・作(生徒創作) 獨協埼玉高校『あの日の不思議』吉田辰也・作(顧問創作) 草加高校『マリア』宮本浩司・作 三郷高校『I Wish …』楽静・作 松伏高校『ひまわり』五島ケンノ介・作(顧問創作) 草加東高校『幻想列車』九国光・作 越谷西高校『真夜中の紅茶』松岡美幸・作 草加西高校『天使の声が聞こえたら』加藤のりや・作 越谷南高校『everywhere』鱶ヒレ夫・作(生徒創作) 八潮南高校『広くてすてきな宇宙じゃないか』成井豊・作 越谷北高校『全校ワックス』中村勉・作 越ケ谷高校『部員ロボ2045』よしはらいさお・作(顧問創作) #
by yassall
| 2018-10-10 15:19
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9月22・23日、西部A地区秋季発表会が朝霞コミュニティセンターで開催された。今年になって、全出演校の芝居を見るという観劇スタイルにこだわらず、「通りすがりに一寸気になって」でもいいかな、と少しラフにかまえることにした。 朝霞高校『蜉蝣の記』結城翼・作 和光国際高校『ギフト』萩原康節・作 新座高校『お兄ちゃんとオネエさん』上田美和・作 新座総合技術高校『EMMA』NSG演劇部・作 新座柳瀬高校『Ernest!』オスカー・ワイルド原作 稲葉智己・翻案 #
by yassall
| 2018-09-25 19:29
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![]() 8日、みかわやこと葉山美侑から出演情報があり、新宿・眼科画廊まで出かけてきた。
かなりセンセーショナルな題名だが、事前の案内メールによれば「タイトルのインパクトが強いですが、前回の公演ほど際どい演出はありません」とのことであった。前回というのは5月の『陳弁ピクトグラム』のことを指しているのだろう。であるなら何の心配もいらない。 実際、「これはセックスというよりジェンダーの世界だな」というのが、見終わってからの感想である。チラシには「少し歪んだメガネ越しに眺めた、なんとなく生きづらい人たちのおとぎ話」というようなリードがあり、劇団の紹介には「女系家族で女子校育ちの美貴ヲがセルフプロデュースする演劇ユニット」とある。(netで検索してみると、2014年より始動とあった。) そうなると男性であることから1mmも外れない身としては、うかつに「共感した」とか「理解できた」とかは口に出来ない。先年亡くなった雨宮まみの『女子をこじらせて』あたりを手がかりに、おそるおそる解剖していくしかない。 構成は小話を重ねていくオムニバスになっていて、毎日が同じように繰り返される日常の中で次第に自己をすり減らしていくOLや、「30歳までに結婚しないと動物にさせられてしまう」ため、収容所の中で期限付きの婚活を強いられる女性たちが、あるいは狂気にさらされ、あるいは脱走を企て、自己を突き放してみたり、抱え込んでは悶え苦しんだりする。各小話は必ずしも関連づけられているわけではないが、どこまでが遠い(それゆえに歪んでしまった)記憶であるのか、妄想(入口も出口も閉ざされてしまった)であるのかも分明しがたい姉妹をめぐるエピソードなどには、それこそ底なしのところがあって慄然とさせられたし、6話の中では一番オリジナリティを感じた。 件の「生産性」発言もさっそく取り入れられているが、表面的な社会批評に終わらず、深いところで傷つきつつ、笑い飛ばしてしまうしたたかさを感じたりもした。 自己言及性というのか、再帰性というのか、作り出した物語をあとに続く物語が飲み込んでいってしまう作りになっていて、アンダーグランドの本領発揮というところだ。それでも、どこかに系統が存在するはずだと思うのだが、一度見たきりでは入口すら見つからない。 というわけで、あまり勘の良い観客ではなかったが、今度、脚本を見せてもらう機会があったらと思った。笑って終わって、でもいいのかも知れないが、隠された表現の切実さは伝わったような気がするのである。 さて、みかわやは新たなステージを模索中なのだなと思った。これからどこへ向かっていくのだろうと、会って話でもしたいものだと思った。 と、そのみかわやと同学年だったナベナベと会場で一緒になった。昨年、第一子を出産。子育ての真っ最中だが、今日は子どもは旦那に任せ、これからエビラーメンを食べて帰るつもりだという。エビラーメンという名前につられて、というのはもちろん冗談で、久しぶりに話でもしようとついていくことにした。この日に見た劇に影響されたのか、せっかくの育児の小休止に私が割り込んでよかったのか、後から少し反省した。 #
by yassall
| 2018-09-10 17:54
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![]() 国宝6点が一挙に公開されたことで評判となった。平日であったからか、入場制限がされるほどではなかったが、たいへんな人出だった。ただ、国宝として指定された6点については、その6点だけで1フロアーを割り当てるという、かなり余裕のあるレイアウトになっていたため、ストレスなく鑑賞することが出来た。 縄文1万年は前期・中期・後期によって作風が変化していく。いわゆる火焔型土器あるいは王冠型土器は中期になって作られるようになったらしい。確かに独創的な造形である。ただ、縄文土器の命名の由来となった縄目文様は使われなくなっている。年代を追って出土品を鑑賞していくと、前期の縄目文様の素朴な味わいも美しいと思った。 国宝6点の中では「縄文の女神」の抽象的ともいえそうなデザイン性、「縄文のビーナス」の髪型なのか冠り物なのか、個性的な頭部から下半身にかけてのボリューム感に独創性を感じた。歴史の蓄積の中で、あるとき、ある場所で、突出した才能が出現したことを思わせた。国宝の指定はないが、遮光器土偶でも何点かすぐれたものが展示されていて、この目で見られたことに感謝した。 日本の古代史についての研究はすすんでいて、各集落・各地域はけっして孤立していたのではなく、交流ときには交易がなされていたということだ。ある地域でしか産出しない黒曜石が各地で出土するといったことから分かるらしい。今回の展覧会では、国宝とされた土器が長野、山形、青森、北海道といった東日本に集中していること(発掘の機会がどこでどの程度あったかによるから一概に東西を比較できないが)、ある地域で生まれた様式が他の地域に影響を与え、伝播していく痕跡がみられることなどが興味深かった。 ※ 帰宅すると、奇しくも『東京新聞』夕刊のエッセイ「大波小波」で同展がとりあげられていた。「ビーナス」という命名の背景に西洋中心主義があるという批判は(もっともではあるが)それほど過敏になることもないのでは、と思う(現在の考古学会では批判的だそうだ)。だが、確か「美の競演」というタイトルがつけられたコーナーだったと思うが、縄文土器を中央に配置し、同時代の中国・インダス・エジプトの土器を壁沿いに並べた展示について述べている部分については、私も同じような感想を持った。 装飾的な火焔型土器に比較して、展示された世界各地域の土器は形状に飾り気はなく、彩色が施されていたとしてもすでに色あせてしまっているのか、華やかさはない。しかし、「大波小波」子はこれをもって「日本は先史時代から『クール・ジャパン』であったといいたい」のだとしたら、それは「国家が出自の純粋さと優越性を誇示」しようとする意図とつながるという点で危ういというのである。 火焔型土器については実用目的だったのか、あるいは何らかの宗教的な用途があったのかにつていは諸説があるという。神器とまではいわないとしても、現代においてもまったくの日用品である場合と、冠婚葬祭などの儀礼用に作られる食器には区別がある。このようなコーナーを作る場合には、何と何を比較しようとしているのか、その基準を明確にしなければならない。また、メソポタミアの出土品の解説にあったのだが、すでにロクロの使用が認められるのだという。ロクロを用いることで均質で大量の焼き物の製作が可能となったことだろう。そして、その多くは実用品であっただろう。文明的にどちらが優れているかなどという比較は成り立たない。また、世界各地域では日本より早くから金属器の製作も始まっている。装身具などの製作は土器から離れ、金属器に移っていったということも考えられる。 だからといって、私は縄文土器あるいは縄文文化が価値的に低かったなどということを言おうとしているのではない。むしろ、1万年の長きにわたって外圧から守られ、豊かな自然にも恵まれつつ、営々と独自の文化を育んできた先人たちに思いをはせるとき、人間の営みの理想を見たくもあるのだ。 #
by yassall
| 2018-08-22 16:26
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![]() (パレードの連中もしだいに活動範囲を広げていて、公演案内をもらっても、というケースが増えてきたのは確かだ。この秋にも山形ビエンナーレ2018に参加したり、10月には早稲田の演劇博物館での上演が決定しているとのことだ。) それでも久しぶりだと感じたのは、久しく音信がとだえていた(?)ヨージと連絡がとれ、彼女いわく「まだ細~くゲッコーとつながっています。『マクベス』も応援に入ります」ということなので、それなら無事を確かめながら観劇にのぞむか、というはこびになったのである。 芝居の作り方としては、ストーリーを追っていくのではなく、原作からいくつかのシーンを抜き出し、ときに改編しながら、さらにはまったく異質のシーンを挿入しながらつなげていくという手法である。4人の出演者がシーンごとに違った役を担うから、一人の役者が全編をつうじて一人の人物を造形していくというのではない。 科白と人物とを切り離し、ことばをことばとして立ち上がらせていこうとしているのか、とも考えた。シェークスピア劇へのひとつの迫り方だろう。人は単なる通路に過ぎない、ことばこそが先行する、ということもある。途中で観客たちに文章の一部を切れ切れにした紙片を配り、はさみと糊を使って別の文章に再編させる、というようなワークショップを行わせたりする。成功しているかどうかはともかく、実験精神としては伝わってくる。 そうした作業も民家を会場に、客数を限定してはじめて可能なことである。シーンごとに観客は別室に、ときには2階に案内されたりするのは以前にもあった。つまり、一軒の家屋の全体を演劇空間にしてしまおう、場合によって舞台と客席の境界も取り払ってしまおう、という試みを追究し続けているようにもみえる。 役者は4人とも達者だった。ダンカンの王子たちがイングランドへ、あるいはアイルランドへと逃避していく場面には年若い王子たちの緊迫感がよく表現されていたし、マクベス夫人のモノローグの場面では底知れない内面が描き出されていた。この場面では照明も生きていた。 それでも(というよりも、だからこそ)見終わった後に物足りなさを感じたのは、『マクベス』という劇をどう見せたかったのかがもうひとつ伝わって来なかった、ということである。それは、私自身が『マクベス』をどう読み解いたらいいか計りかねているということも大きな要因になっている。 ※ マクベスは魔女の予言に翻弄されたのか? 予言はマクベスの内心の声だった、というのには、予言はあまりにも人知の及ばない未来を言い当てている。マクベスが欲したのは何か? 栄光か、権力か? 権力にとりつかれた人間が権力を守るために暴政の限りをつくす。それはマクベスが偽王だからか、王道を外れた者の定めか? だいたい、主人公は誰なのか? マクベスか、マクベス夫人か? それともマクベスを打ち倒したマクダフか、あるいはマクダフに支えられて新王となったマルカムなのか? 最後のマルカムが正解だとすれば、権力を簒奪した者が自己を支えきれず自壊していき、破滅という末路をたどるしかなく、正統な王位継承こそが理想である、というのがテーマとなる。時代背景や成立事情からすると、あながち間違いともいえないらしい。だが、それではあまりにも勧善懲悪すぎる。 マクベスは小心でありながら、つい足を滑らせた愚か者であった、というのはたやすい。だが、戦乱に明け暮れる日々にあって、自分に王座が転がり込むチャンスを目前にしながら、最後のところで怖じ気づいたまま生涯を終えたとき、人は己の小心を悔いたりしないのだろうか? マクベスは確かに亡霊に脅かされる。だが、バーナムの森が城に迫り、自分が魔女に謀られたことに気づいたとき、むしろ初めて正気に返ったのごとく、雄々しく剣をとるマクベスは勇者のようである。 ※ 終演後、役者の人たちとお話しが出来た。「いろいろな『マクベス』を演じてみようと思い、稽古しながら話あって行った。」「マクベス夫人の夢遊病は本当なのだろうか、彼女は正気だったのではないだろうか?」というようなことが聞けた。演じようとする側は演じようとする側から『マクベス』という迷路への入り口と出口を探そうとしているのだと思った。劇中で使われた短剣はボール紙製のチープさであったのに対し、最後のシーンでは本物の包丁を持ちだし魚を捌きだした。虚構とリアルとの対比を際立たせようとしたのか、とも考えたが、自信はない。もっと突っ込んだ話も聞いてみたかったが、彼・彼女たちも次の公演を控えていたし、私の方の準備も不十分だった。 ※ 加藤家を訪れたのは先週の土曜日である。あまり時間をおいてもと思ってアップするが、まだ感想としてまとまってはいない。また何か書くことがあるかも知れない。 ゲッコーパレード本拠地公演 戯曲の棲む家vol.8『マクベス』 ~26日(日)まで Web http://geckoparade.com Mail geckoparade@gmail.com #
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| 2018-08-22 01:36
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![]() 監督は三上智恵さんと大矢英代さん。三上さんは一昨年、全教のゆいまーるに参加したときの記念講演の講師として知った。大阪毎日放送をへて、琉球朝日放送のニュースキャスターを19年務めたのち、沖縄では放映されるものの、なかなか全国放送されないことに限界を感じて独立、これまでに『標的の村』『戦場ぬ止み』等が全国上映されている。 すばらしく勇気にあふれた人だなあ、と感心したが、そのときにも「映画を見てくれる人がいないと活動が続けられない。ぜひ見て下さい」との訴えがあった。せっかく誘いを受けながら、ここで億劫がっていては人の道に外れるというものである。 ※ 映画は大きく三部構成になっている。主として沖縄の北部地区でゲリラ戦にたずさわった「護郷隊」は10代半ばの少年で編成されていた。波照間島の住民は軍の命令により西表島に強制移住させられ、マラリアにかかって500人近くが死亡した。住民が住民を監視する疑心暗鬼の状態になった集落では虐殺が起きていた。 最初の「護郷隊」の編成、二番目の住民の強制移住には沖縄に送り込まれた陸軍中野学校の出身者が大きくかかわっていたのだという。沖縄戦では南部での激戦が伝えられているが、北部で展開されたのはゲリラ戦だった。非戦闘員を装って(一少年として)米軍に近寄り、燃料や食料を火にかけたり、夜間に乗じて戦車を爆破したり、中には少年スナイパーとしてその存在を知られた隊員もいたらしい。戦後、精神を病んで長く「戦争幽霊」として苦しんだ生き残りの人へのインタビューが痛々しかった。 波照間島に派遣された中野学校出身者は山下虎雄と名乗ったとのことで石碑にも「許すが忘れない」と名が刻まれている。山下虎雄は偽名で、戦後の消息も判明している。名古屋で実業家として成功していたとのことだ。「護郷隊」の編成・指揮にあたった二名が戦後も遺族たちを尋ねたりと、多少とも良心の片鱗を感じさせるのに対して、残された電話インタビューの音声記録からは反省や謝罪のことばはない。 強制移住は軍隊が不在の島嶼が米軍に占領されたとき、住民の口から軍の機密が漏洩することを恐れたからである。つまり、軍にとっては住民は守るべき対象ではなく、監視や統制の対象と考えれていたのである。 日本側の映像記録は少ないので米軍が残したフィルムが多用されている。かなり残酷な映像も使用されているが、私がもっとも強く心をえぐられる思いをしたのは第三部にあたる「スパイ」として特定された住民(少年兵も含まれる)の虐殺であった。 崩壊直前のナチスドイツで親衛隊によるボルシェビキ狩りがあったという。周囲にいる住民が「敵」に見えてしまうというのも、戦争が生み出す狂気なのであろう。それと似たようなことは世界中であったのではないだろうか。 日本でも戦争前の段階で国民に対する防諜の呼びかけがあったという。軍事機密法がもたらすものは国民同士の相互監視体制であり、疑心暗鬼による分断であり、密告社会である。 悲劇は誰が誰を密告し、誰が誰を殺害したかという記憶が戦争が終結した後にも住民の中に残ることである。 戦時中、住民が軍事的組織の中で大事な役割を果たしていることもあった。長年、沖縄戦を取材してきた三上監督は、以前からその事実にたどり着いていたが、発信はせずにいた。虐殺に関わった当事者の住民が、存命だったからだ。当事者が亡くなりつつあり、証言者が生きている今、報道に踏み切った。 「村のためだと言いながら、軍とつながったほうが結果的に有利になる側面もあるし、自己保身にもなる。でも軍に協力する中で、悪気がなかった言動が、後になってみれば村や仲間を売った形になり、悲劇を一生背負うはめになった人もいます。戦争中の極限状況にあった人の罪を私たちが今指摘するのはおかしいと思う半面、そこから学ぶこともしないなら、犠牲になった人が報われないとも思う。いつもそのせめぎ合いなんです」 沖縄では民間人が戦闘に巻き込まれている。被害者である一方、知らない間に加害者になり、人を殺していた現実もあった。それが一番怖いことだと三上監督は言う。 「戦争を知らない世代が増えてくると戦争が間近になる」というような声がよく聞こえる。だが、いずれ戦争体験者のすべてがこの世を去る時代がやって来るのだから、人々が「戦争を知ろうとしなければ戦争はいつでもそばに近づいてくる」と言い換えなければならないだろう。 ポレポレ東中野 ~17(金) 10:20/13:00/18:30 8/18(土)~9/7(金) 10:10 #
by yassall
| 2018-08-15 16:06
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三日目の朝となった。昨夜はとくに何も予定がなかったので、早々に床についた。7:00には1階のラウンジで朝食をとり、朝の散歩としゃれこんだ。
![]() 旧居留地街を歩いてみようということである。すれ違う人は職場に向かうビジネスマンらしく、少々気が引ける。旧居留地38番館などとプレートが貼ってある。朝日の中のビル街ということで、写真としてはあまりよい条件ではない。 ![]() 神戸市立博物館。旧居留地13番地跡に建てられた横浜正金銀行の外観を残して博物館として開館したとの説明書きがある。改装のため閉館中だった。 ![]() 新旧の建築が混在しているのだろうが、統一感があって気持ちがいい。 ![]() こんな電話BOXがあっても何となく似合ってしまう。つまり異国情緒ということか。同じ港町でも博多のようなアジアのにおいがぷんぷんするのとは違う。(博多は博多でエネルギッシュな良さがあるが。) ![]() 9番館とあった。 ![]() 商船三井ビル。1922年建築。 ![]() この朝もメリケン波止場前交差点まで来てしまう。対角線にあるのは神戸郵船ビル。厳密には旧居留地の外なのだそうだ。 ![]() メリケンパークに入る。フイッシュダンス、何度見ても非日常感がある。 ![]() 今日は順光なのでよく写る。ポートタワーの右の建物は海洋博物館。 ![]() この客船は昨日は停泊していなかった。昨夜のうちに接岸したのだろうか。 ![]() 少し絵づくりらしいことをしてみる。 ![]() ホテルに帰り、一息ついてから身支度を調えた。受付の人からは元町で乗車し、三宮で乗り換えをすすめられたのだが、それほどの距離でもなさそうだったので地下鉄県庁前駅まで歩くことにした。この兵庫県公館を見ておきたかったからでもある。もともとは1902年に4代目の県庁として建てられ、戦後2度の修復をへて現在にいたるとあった。 ![]() 敷地の中を通過させてもらう。正面の教会のすぐ左に地下鉄の入り口があった。線名は西神・山手線。その名にウソ偽りのないことを後で思い知ることになる。 ![]() 新神戸駅まではものの5分ほどだっただろうか。新幹線乗り場になるべく近いコインロッカーを探し着替えや旅行グッズなどの荷物を預ける。持ち歩きの荷物をどの程度に収めるかに悩んだのは、行路が坂道だらけだということが分かっているからだ。結局、折りたたみ傘を抜いただけで、リュックの中味はあまり変わらない。 ![]() 史跡三本松の見えたあたりからが北野異人館街である。坂道のレベルが一段か二段上がる。朝霞に膝折という地名があるが、本当に膝が曲がるかと思った。 ![]() 詳しい区別が分からないのだが、異人館と伝統的建造物とがあり、それぞれ公開・非公開の別がある。 ![]() ガイドマップにはプラトン装飾美術館(イタリア館)とある。 ![]() さらに上っていくと坂の上異人館・北野外国人倶楽部が並んでいる。北野外国人倶楽部の鉄門に掲げられた掲示板を読むと、「北側斜面が崩れ、安全を保つことが難しいため、一部の異人館を休館させていただきます」とある。掲示板の新しさからみて先に西日本を襲った集中豪雨のためなのだろう。中国地方の山々は花崗岩で出来ているので崩れやすいのだと、つい先日教えてくれる人がいた。 ![]() しばらくは水平方向の移動なので楽ちんである。山手八番館。 ![]() うろこの家。一番見たかった建物。期待は裏切られなかった。右の塔のある建物が本来のうろこの家。左の塔は後から建てられたうろこ美術館である。 ![]() したがって、こう見るのが正しいようだ。 ![]() 二階からはるかに神戸港を望む。 ![]() 隣の美術館から塔の尖端を写す。なかなか絵になるではないか。 ![]() 風見鶏の館。隣が北野天満神社で、境内の坂を登っていくと、風見鶏の館を見下ろしながら神戸港を望む絶景スポットがあると後で教えてくれる人がいた。実は自分でもねらってみたい構図だったが、天満宮にそのスポットがあるとは気づかなかった。 ![]() 萌黄の館。 ![]() 庭へ回ると阪神・淡路大震災で崩れ落ちた煙突が残されていた。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ※ 新幹線は16:26発のチケットを確保していた。16:00には駅にもどり、汗が引くのを待ってTシャツだけ着替える。昔、夏の京都を歩いた後で新幹線に乗って以来、そうしている。こうして大阪・神戸の旅を終えた。山陽新幹線で尾道まで足を伸ばそうかとも考えた。広島は西日本の豪雨の被害がもっとも激しかった県である。尾道がどうかは不明だが、観光気分にはならなかった。なぜ有馬温泉へ立ち寄らなかったのだ、といわれるかも知れない。まあ、今回はこんなところで。(次回はないかも知れないが。) GM5+OL9-18mm、TX1 ※おっ、今日は比較的すんなりとアップ出来た。やはり有料版にしたことで1Gの限度枠をクリアできたということだろう。1日目、かつて日高教・学校図書館政策委員会でまとめた『中間報告』をアップしておこうかと思っている、というような話をOさんとした。試してみたのだが、あまり上手く行きそうもない。伝をたどっていただければ、ファイルでならいつでも提供できる。また改めて投稿する。 #
by yassall
| 2018-08-11 17:47
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前夜は宿近くのお好み焼き屋で二次会となった。大阪のYさんが同行してくれて、「二枚でも三枚でも焼きますよ」と大阪男子らしく言ってくれたのだが、皆さんお腹の方は一杯らしく、もっぱら会話がつまみ代わりになった。お好み焼きも、タコ焼きも、串揚げも、大阪名物といわれているものはいずれも口にしなかったことになる。
ここでは主役はあくまで学校司書の皆さんであるから、もっぱら皆さんの会話に耳を傾けようとした。長野や兵庫、各県からの参加者には昔からの顔見知りもいて、健在な様子に頼もしい思いがした。 ![]() とはいえ、ホテルの狭い部屋でいつまでグズグズしていても仕方がない。御堂筋線で大阪駅まで出て、荷物をコインロッカーに預ける。関西でもSuicaが使えるというので携行していったのだがこれは便利だった。コインロッカーもSuicaで出し入れができる(Suicaで出し入れしてもコインロッカーという名称は変わらないのだろうか?) さて、心斎橋から難波にかけてをミナミというのに対し、大阪駅や梅田周辺をキタというのだそうである。大阪の一方の中心地には違いがないのだろうが、2階のデッキに上り、あたりのビル群をながめるだけで満足することにした(夜景は昨夜フェニックスタワーで楽しんだことだし)。ヨドバシカメラが一等地に大きなビルをかまえている。あれ、ヨドバシカメラの本店って? と一瞬混乱したが、コマーシャルソングにある通り、新宿は淀橋が創業の地である。淀屋橋とは関係がない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 神戸オリエンタルホテルは今やランドマーク的な存在となっているのだろうか? ガイドブックで神戸港が紹介されている写真には必ず写っている。右奥に見える大観覧車は対岸の埠頭になる。そこまで歩いていくつもりだったが、あまりに暑さが衰えないので遠望して満足することにした。 ![]() ランドマークといえばやはり今でもポートタワーの方か? 逆光気味なので翌朝取り直すことになる。 ![]() パークを出るときにもう一度フィッシュダンスを反対側から。やはり人を食った、としかいいようがない。見えにくいが脇を通り過ぎようとする人と比べてみるとその巨大さが知れる。この日はそのまま南京町で夕食をとり宿に帰った。 #
by yassall
| 2018-08-11 01:12
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