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ル・コルビュジエ展

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 16日、ル・コルビュジエ展を見に国立西洋美術館まで出かけて来た。開催のアナウンスがあったときから出かけるつもりでいた。ただ、コルビュジエについてはまったく詳しくはない。コルビュジエはペンネームで、本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレということも初めて知った。
 スイスに生まれ、もともとは時計職人を継ぐつもりで装飾美術学校で学び、才能を見いだされて建築の道へとすすんだ。展覧会の副題には「絵画から建築へ」とあるが、最初に画家を志して後に建築へ転向したというのとは違うようだ。コルビュジエというペンネームを使い出したのはパリに出た後、詩人のポール・デルメ、画家のアメデエ・オザンファンと共に雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』(L'esprit Nouveau)を創刊したころからだという。
 ピュリスムということばも初めて知った。『キュビスム以降』(1918)でコルビュジエとアメデエによって提唱されということだ。ただ、素人からみるとキュビズムとの区別は一見しただけでは難しい。対象を多面的にとらえ、画布の上に再構成していくという点では共通しているように思われる。実際、後年になってコルビュジエらはピカソにも「構成と総合」を認めるようになったとあった。
 会場にはピカソやブラックの作品も展示されていて、比較していくと少しずつ分かりかけてきた気もした。キュビスムがリアリズムへの挑戦であったとすれば、ピュリスムにはそのような攻撃性は薄い。描かれているのも瓶、水差し、グラスといった日常生活になじんだものであるし、色彩もパステルカラーを多用した穏やかなものとなっている。一面的はいえないが、機械文明、工業製品といった近代文明に対する親和性が感じられる。幾何学的で規則性、法則性を感じる。キュビスムと袂を分かったレジェがピュリスムに賛同するようになった、との解説があったが、よく理解できる気がする。
 近代文明に対する親和性ということは建築でもいえるような気がするが、これより先は勉強不足なので触れない。
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 夕日を背に受ける考える人。見慣れたはずなのになぜか写真に撮っておきたくなった。(RX100Ⅲ)

 

# by yassall | 2019-04-17 16:50 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

桜2019⑤高遠城趾公園

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 高遠城趾公園到着は13:00少し過ぎ。いちおうお約束の桜雲橋を撮っておく。城趾公園といっても城跡らしい痕跡は縦横に掘られた空堀を残すのみである。
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 桜雲橋を渡り、問屋門をくぐった先が本丸跡である。公園全体では北側になり、満開にはまだまだ日数がかかりそうな咲き具合であった。
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 南側に出るとかなり開花がすすんでいるとのことだったので向かってみる。一度、南口を出たあたり。観光客も大勢集まっている。
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 これくらい咲いていてくれれば来た甲斐があったというものである。
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 さらに高遠湖の方まで足を運ぶといっそう花盛りとなる。
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 遠いアルプスとのマッチングもいい。
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 高遠美術館のあるあたりまでもどる。
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 遠足らしい何組かの中・高校生の集団が来ていた。左端の女子高校生は髪に桜の花びらをあしらって写真を撮りっこしている。インスタにでもアップするのか、髪に桜をかざして花見を楽しむのは伊勢物語にある。知ってか知らずでか、風流である。
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 以下、しばらく桜三昧である。
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 やや小ぶりなコヒガンザクラ、なかなか品格がある。
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 城内に河東碧梧桐・広瀬奇璧とつぎの荻原生泉水の句碑が建立されている。
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 河東碧梧桐も荻原生泉水も時代を違えこそすれ自由律俳句にとりくんだ俳句革新運動の旗頭である。どんな所縁でこの地に建立されているのかは調べていないが何か不思議な思いが残った。
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 バスにもどる前にもう一枚。今回は主として南斜面側を探訪したが、もちろん城内には無数の桜が植えられている。満開のときを迎えたらさぞやと思わないではないが、もう一度来たいと思うかどうかは微妙なところである。旧藩校の進徳館を見学し損なったのは心残りであった。

 G8+12-60mm、ZR4000

 

# by yassall | 2019-04-13 15:31 | 風景 | Trackback | Comments(2)

桜2019④馬見塚公園・光前寺

 11日、高遠コヒガザクラをメインとする信州桜めぐりのツアーに参加してきた。高遠城趾公園は昨年4月19・20日の雪の大谷ツアーのコースにも入っていた。こちらも楽しみにしていたのだが、15日にはすべて花は散ってしまったとのアナウンスであった。今年こそ時機を逃すまいと少し早めの日程をとったが、今度は桜が足踏み(実は例年なみ?)、あまつさえ前日は季節外れの大雪という展開となった。
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 7:00に上野を出発した。最初の到着地は信州駒ヶ根の馬見塚公園、一周15分ほどの池を中心とした小さな公園である。前日とは打って変わってこの日は朝から晴天、空はきれいに晴れ渡っているのと対比するかのように残雪が敷地を覆っている。
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 入口を入ると左側に桜、右側にミツバツツジが植えられている。元は農業用の溜池で、初めて桜が植えられたのが大正時代、それ以来桜の名所として地元の人びとに愛されてきたという。
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 まだ二分咲きというところだろうか。初々しいといえば初々しい。
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 雪と桜、絵になるといえば絵になる。
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 枝垂れ桜の方は七分咲きというところだろうか。
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 ツツジの側もまだまだだった。
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 ツツジのアーチという謳い文句だったが盛りを迎えるまでは無理だろう。
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 入口付近に立っていた傷痍軍松。気になったのでカメラにおさめ、解説板は帰宅してから読んだ。戦争末期、不足する燃料の代替品として松脂を採集したということを聞いたことがあったが、その痕跡が残った松であった。樹皮を剥がされ、斜めに傷が付けられた松が何本もあったという。こうしたかたちで戦争の傷跡を残そうとしてきた地域の人びとの思いを思った。
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 つぎは光前寺である。枝垂れ桜の名所として知られているとのことだが、こちらはまだ開花もしていないような状況であった。しかし、寺そのものはいかにも古刹然として見応えがあった。参道の石垣の隙間からヒカリゴケも見えた。
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 本堂。裏手はずっと山になっている。
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 雪景色ともあいまって何ともいえない枯れたたたずまいである。
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 霊犬早太郎伝説は日本昔ばなしにも登場したとのことだ。その早太郎の墓の前には真田幸村とともに大坂冬の陣・夏の陣を戦った上穂十一騎之碑が建っていた。風雪に耐えてきた墓石たちが並んでいる。
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 大講堂は参道を入口付近までもどったあたり。マンサクの命名は「まず・咲く」ことからだという。
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 桜の方はまったくのつぼみ状態である。
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 光前寺はむしろ紅梅の赤が鮮やかであった。
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 枝垂れ桜が満開を迎えていたのは駐車場付近であった。高遠コヒガンザクラは別項で。

  G8+12-60mm、ZR4000



# by yassall | 2019-04-13 14:49 | 風景 | Trackback | Comments(0)

桜2019③森林公園・石神井川で花見

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 森林公園の花見も恒例となった。最初、3月26日を予定日にしていたが、開花も気候もまったく花見日和からは遠く、4月2日に仕切り直しとなった。この日程でも桜は6、7分咲き。参加者の予定をつきあわせるとこの日しかない、ということで実施することとなった。菜の花畑が見えてくると丘一面が桜のエリアである。
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 桜の丘に囲まれた窪地がバーベキューも出来るエリアになっている。バーベキュー客で賑わっているあたりから少し離れたベンチを選んでさっそく酒盛りを始める。このところ、Nさんがお手製の漬け物を持ち寄ってくれ、これがまた美味いのである。
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 私たちが集まったのが13:30ころ。昼時を過ぎるといつの間にかバーベキュー客も姿を消していた。枝振りはまだまだ寂しい。16:00過ぎには我々も切り上げてなじみの新政に向かった。
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 石神井川の花見は4月5日。こちらも一度3月30日に予定を立てたのを順延したのだ。2年前の石神井公園の花見はMさんとMWさんが一緒だったが順延の関係で今回はMさんとの二人花見。石神井川は私の家の近くにも流れていて、そちらも桜の隠れた名所なのだが、こちらの方が岸辺に遊歩道が作られていたり、その遊歩道に降りる階段も幅広く作られたりしていて花見には好都合である。
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 これがその階段。この幅の階段が100m間隔くらいで設けられている。
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 だいぶ満開に近づいてきたようだ。ただ、風がけっこう強かった。
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 帰り際にもう一枚。
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 ソメイヨシノとは種類の違う桜も植えられていた。

  森林公園はME10+LM16-60mm、石神井川はTX1で。

# by yassall | 2019-04-07 16:37 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

桜2019②平和公園・朝霞中央公園・見次公園他

 3月31日、朝霞高校演劇部が春の自主公演を打つというので出かけて来た。近所の平和公園では桜まつりが開催中であったので道すがら寄ってみた。
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 日差しはうららかで絶好の日和だったが桜は満開にはまだまだだった。
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 開花宣言から気温の低い日が続いたためだ。青空にはめぐまれた。長く楽しめた年と考えた方がよいのだろう。
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 まだまだつぼみが開花を待っている。
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 春の自主公演の会場は朝霞コミュニティセンター。構成は現役生の試演会と卒部生の卒業公演となっていたのだが、残念ながら現役生の試演会は中止となった。朝のうちにメールをいただいてはいたのだが、せっかくなので卒業公演の方だけ見に行った。短めの創作劇だった。力みがとれて、なかなか面白く見ることが出来た。

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 さて、せっかくなので朝霞中央公園にも足を伸ばしてきた。現役時代、春休みには散歩がてらよく桜を撮りに来たものだった。
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 翌4月1日、見次公園に寄ってみる。眼科の帰り道、桜ツアーご近所篇である。
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 見次公園は今は暗渠となっている出井川へと赤羽台地を下っていく窪地を利用した公園である。階段を降りながらこのようなアングルから花房をとらえることが出来る。
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 常楽院は元出井川の対岸にあたる。いつものように鐘楼を背景にしてみる。
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 これも私には定番。
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 前野公園。出井川の支流の谷頭だった窪地を造成したものであることを最近になって知った。私がまだ幼かったころのことで川はすでに涸れていたと思う。そういえばここから北西に向かって谷間になっている。昨年、公園は再整備された。再整備というより再造成という本格的な工事だった。工事中、フェンスの中をのぞいてみると桜は残されているようだったが、やはり以前と比較してまだ勢いに乏しいような気がする。

 TX1

# by yassall | 2019-04-07 16:11 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

桜2019①九段下

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 28日、国立近代美術館で開催中の「福沢一郎展」を見にいきがてら、九段下から北の丸公園付近を歩いた。前回の上野では不発だった桜を撮ろうとの算段だった。残念ながらこの日も曇天。開花状況も伝えられたような満開とは遠かったがせっかくなので何枚かアップする。
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 地下鉄新宿線の九段下駅を降り、地上にあがって最初に見えてくるのは牛ヶ渕側の桜。日差しがあるときは緑に映えてもっと華やかなのだがどこか枯れたたたずまいである。
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 田安門から牛ヶ渕を見下ろしたところ。菜の花の黄色が加わるのはもう少し日数がかかりそうである。
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 それでも田安門付近はこの人出。盛りのころから比べればまだまだ少ないが。
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 こちらは千鳥ヶ淵側。何艘もボート客が漕ぎ出している。時季の終わり間際の花筏も見応えがある。
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 絵作りをしてみようと思うがどこか寒々しい。
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 北の丸公園の中。桜の時期はユキヤナギの時期でもある。こちらは今が盛り。園内にも花見客があちこちでシートを広げていたが時折冷たい風にあおられて砂ぼこりが舞っているのが可哀想だった。
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 早々に園内を抜け、美術館に向かう。
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 帰りは東西線竹橋駅から飯田橋で有楽町線に乗り換え。お堀端側の竹橋駅入口の枝垂れ桜は健在だった。この日の撮影機材はTX1。前日まではEM10を持ち出す予定でいたが、天候等をみて軽装を優先した。TX1だと換算で250mmまで寄れるのでこの日のようなロケーションには向いているのである。


# by yassall | 2019-03-30 14:45 | 散歩 | Trackback | Comments(2)

福沢一郎展

 28日、「福沢一郎展」を見に国立近代美術館まで出かけて来た。
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 サブタイトルに「このどうしようもない世界を笑いとばせ」とあるのは、従来「シュルレアリスムの紹介者」とされてきた画家の再評価を企図してのことらしい。具体的には福沢の作品に「社会風刺」の要素を見いだし、対社会的意識の存在を浮き彫りにしようということのようだ。
 日本のシュルレアリスムの歴史をさかのぼると必ず福沢一郎の名前が出てくる。福沢が渡仏した1914年はアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表した年である。もともと朝倉文夫に入門して彫刻家を志した福沢は、フランスの地でアバンギャルド運動に立ち会い、キリコやエルンストの影響下に画家として再出発する。
 そうした経緯からして福沢を「シュルレアリスムの紹介者」と位置づけるのは自然だし、1941年に瀧口修造とともに治安維持法違反で拘禁された後、運動から離れていったことも日本のシュルレアリスム運動の終焉とともにあったとみるのは間違いではないと思われる。
 福沢一郎展の開催を知ったとき、最初はそのような歴史を振り返るための展覧会であると思ったし、1910年代の世界的な同時性を確認できればいいのだろうくらいに考えていた。だが、今回の展覧会を見て、画家としての射程はもっと長いものであったことが分かったし、時代と誠実に向き合って来たことを知れたように思う。
 実はこの企画展に対しては美術評論家の黒瀬陽平が、福沢の風刺精神の存在や社会風刺のレベルに疑問を呈し、「結論ありきの予定調和的な再評価」として否定的な見解を発表している(『東京新聞』3.22)。そんなこともあり、私としてはなるべくフラットに展覧会に臨んだつもりだが、そこで得た感想はそのようなものであった。
 福沢自身が「自分はシュルレアリストではない」の述べていたということだが、日本のシュルレアリスムが真に世界と芸術の変革をめざしたものであったか、単なる意匠で終わってしまったかという問いと向き合ってみると、前者に対しては福沢の謙虚さが、後者に対しては明確な否定の意志が込められたことばであった気がする。つまり、「シュルレアリスムの原理を正確に理解した」かどうかは不明だが、少なくとも新しい意匠を振りまいて時代を先駆けたつもりになっていた、というのとは明らかに違うと思うのである。
 福沢はエルンストからコラージュの技法を学んだという。コラージュとはフランス語で「糊付け」という意味らしいのだが、ではパッチワークと一緒かといえばもちrん違う。ひとつには「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の出会い」の比喩の通り、異質のものとの出会いによる発見や飛躍、新しい美や意味の創造ということだろう。福沢の作品を見ていても、特に初期の作品にはそのような意図が顕著であるように思われる。
 だが、制作活動のその後の展開を追っていくとコラージュにはもうひとつの捉え方があるのではないかと思えてきた。それは「引用」である。代表作のひとつに「女」(1937)がある。どうやら描かれた女のポーズはマザッチオの「楽園追放」から取ったものであるというのである。「女」は福沢が満州を旅行した後に描かれている。中国東北部とみられる野を、右足から血を流し、左肩を押さえながら裸体で歩く女の姿に「楽園追放」のテーマを見いだすことはそれほど無理なことではないように思われる。
 戦時中、福沢も戦争協力を強いられ、何枚かの戦争画を描いている。その時代も含め、「敗戦群像」(1948)一連の終戦直後の作品を見ると、福沢が時代と時代に翻弄される自己と正対してきたことは確かだといってよいと思うのである。そして、そうであるからこそ南米・メキシコの旅の後の、展覧会では「文明批評としてのプリミティヴィズム」と標題がつけられた、画風の変化が訪れたと思うのである。思うに生命の新しいあり方の追究があったのである。
 
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 「埋葬」(1957)、中南米旅行の集大成的な作品。ただ一枚だけ撮影が許可されていた。東京駅のステンドグラスの原画にもなっているとのことだった。
   ※
 近代美術館へは有楽町線を市ヶ谷で新宿線に乗り換え、九段下から北の丸公園を抜けるコースを選んだ。せっかくなので桜を撮ろうという魂胆である。千鳥ヶ淵は満開という報道であったが桜はまだまだ六分咲き程度。空模様も曇天で、たいした写真は撮れなかったが、別稿でアップする。


 
 

# by yassall | 2019-03-30 14:06 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

奇想の系譜展

 22日、奇想の系譜展を見に上野の東京都美術館まで出かけて来た。
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 「奇想の系譜」というタイトルは伊藤若冲、岩佐又兵衛、曽我蕭白ら、それまで正統から外れた異端とされた画家たちを取り上げた辻惟雄『奇想の系譜』(1970)によるということだ。今回の展覧会では辻惟雄の弟子にあたる山下裕二氏(明治学院大教授)が監修をつとめている。単に顧問的な立場にあったのではなく、おそらくは企画段階から大きく関わって来たのではないだろうか。展覧会の企画をすすめていく段階で埋もれていた作品の新たな発見もあったという。
 伊藤若冲が再評価されるきっかけとなったのは辻惟雄の『奇想の系譜』からだということは確かなのだろう。だが、いまや若冲はビックネームである。へそが曲がっているのか、たぶん若冲だけだったら観に行くことはなかっただろう。(それでも「象と鯨図屏風」を直に見られたのは出かけていった甲斐ありというところだった。)
 最初からのお目当てであり、見終わった後にもこれ一枚と思ったのは曽我蕭白「雪中童子図」である。画題は釈迦の前生譚、雪山で修行していた前世の釈迦が無常偈の半偈の教えを聞くために身を捨てたという逸話からきている。
 指摘されているように童子の腰布の赤と羅刹の青い肌との対比が見どころなのだろうが、私はそれよりも童子の肌の白さとその表情に強く心に刻印されるものを感じた。悟りをひらいた喜び、ということになるのだろうが、惹かれるというよりは一度見たら容易には忘れがたくなるような不気味さを感じてしまうのである。不気味さという点では「群仙図屏風」に描かれた仙人たちにも通じるものがある。
 子どものころ、どこでだったか、鯉の滝登りを描いた掛け軸を見て、巨大な鯉の鱗や大きくまん丸な目に何ともいえない気味悪さを感じたことを思い出す。もしかすると美意識という点で現代とは異なった何かがあるのかも知れないと思ったり、西洋でもグロテスクは美意識の一傾向であることに連想を広げたりした。
 岩佐又兵衛のコーナーには「執念のドラマ」というサブタイトルが付けられていた。織田信長によって一族を惨殺された荒木村重の子として生まれた又兵衛にはそれだけで相応しいタイトルであるように思えてくる。「山中常磐物語絵巻」はまさにそうした一巻であるのだろう。前期と後期で入れ替えがあったらしいが、前期の方も見てみたかった。
 歌川国芳は近年になって再評価がすすんだというのとは違うと思うが、「相馬の古内裏」「宮本武蔵の鯨退治」「鬼若丸の鯉退治」「一ツ家」などを見ていると確かに奇想の系譜につらなると思った。扁額である「一ツ家」以外は小品といっていいような(浮世絵だから当然だが)作品だが筆致の細やかさ、確かさは圧巻だった。展示されていたもう一枚の扁額「火消千組の図」でも同じことがいえて、描き分けられた火消衆らの表情や姿態はいつまでも見ていたいと思わせるものがあった。
 白隠では「乞食大燈図」に惹かれるものがあった。自画像としての要素があるのではないかと勝手に推測した。だとすれば仏説を伝えるための方便を越えた近代精神の萌芽のようなものがあったのではないか。江戸というとつい伝統や家元が支配的な時代という先入観があるが、もしかすると現代以上に自由精神が発揮され、息づいた時代ではなかったかと思いを新たにした。
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 いくつか見たい展覧会が始まっているのだが、せっかく上野に出かけるなら桜が咲いてからと心待ちにしていた。東京の桜の開花宣言は3月21日。早咲きの桜以外はまだまだ二分咲き、三分咲きというところだ。今年は遠出の予定は立てずじまいでいる。せめて東京の桜の満開を逃さないようにしないと。

# by yassall | 2019-03-23 15:51 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

亀戸天神の梅

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 9日、せっかくの晴れ間であったので亀戸天神まで梅を撮りに出かけて来た。いつかの藤まつりでは時機を逃してしまったが、天神様といえば梅を外すわけはないと踏んだのである。
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 まずはお参りをすませ、本殿前の白梅・紅梅を写真におさめる。
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 参拝客は引きも切らない。JR亀戸駅からけっこう歩く距離だが人気スポットなのだろう。以下、境内の様子がわかるショットを何枚か。
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 スカイツリーをバックにねらってみたが、南向きなので逆光になってしまう。露出補正にも限界がある。スカイツリーもきれいにボケてくれない。
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 太鼓橋との取り合わせを意図したが枝垂れ梅の位置もベストとはいえず、池の上に組まれた藤棚が煩雑でなかなか絵にならない。
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 これも太鼓橋との取り合わせ。日陰なので梅が明るく写るように露出を調整すると背景が飛んでしまう。
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 屋根との取り合わせのほうが映えるか……。
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 青空だとやはり映える。
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 役1時間ほどで撮影を終える。これといった写真も撮れず終いではあったが、4月になったらまた藤を撮りに来たいものだと思った。

  EM5+12-50mm

 森林公園の梅を撮りにでかけるのが毎年の恒例になっている。今年はどうしたかというと実は計画はあったのだ。ただ、ナイターのみの参加者も含めると6人となり、やはり店を予約しておいた方がよいだろうということになった。天気予報をにらみつつ7日と決めたが、その後、手のひらを返すように予報は急転し、当日は朝から雨だった。小雨でもかまわず決行という時期もあったのだが、さすがに年齢も年齢で、ナイターだけお楽しみにしようということになった。久しぶりに会うメンバーもいることだし。参加者打ち揃っての実質的な一次会スタートで、それはそれで楽しいひとときだったのである。撮影機材をEM5にしたのは、雨天に備えて7日の前に準備しておいたからである。

# by yassall | 2019-03-11 18:42 | 散歩 | Trackback | Comments(2)

生活に書を!作品展in川越

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 横山延子さんは志木高時代の同僚で書道の先生である。昨年4月、同じく志木高校で美術を担当していた木藤恭子さんから「それぞれの紙Ⅱ」展の案内をいただいた。会場の小江戸蔵里ギャラリーに横山さんもいらしていて、2年ほど早く退職し、請われて書道教室を開いていたり、個展を開いたりしているとの近況をうかがった。ずっと年賀状のやりとりはしていたのだが、そのときの縁で作品展の通知をいただいたのだ。
 学生時代、中学校の国語の免許を取るために書道演習に出たくらいで、滅多に筆など手にしたこともない。元来、左利きであるので書道とは縁遠い人生を送って来たのである。ただそれだけに、多少のたしなみがあれば少しは文人らしい雰囲気を醸しだせたのではないか、という憧れのようなものはあったし、墨の匂いとは心地よいものだなあと感じ入ることもあったのである。
 展覧会は30人ほどのお弟子さんたちによるもので、今回で4回目となるのだそうである。昔、書道をやったことがあるのでもう一度始めてみたい、定年を迎えたらぜひ挑戦してみたいと思い続けてきた、など動機はそれぞれらしい。臨書あり、創作あり、書体もさまざまで、たぶん横山さんのポリシーもあるのだろうが、まずは書道を楽しんでいる様子が展覧会全体にうかがえたし、墨痕淋漓というのか、私のようなものにも日ごろの鍛錬や生来の才がそれと知れるような力作も多かった。
 さて、写真はピンク色の掛け軸から左にみて額装された3点が横山さんの賛助出品。筆が生きていて流石としかいいようもないが、さらにその左のねずみ色の軸と額装の2点は志木高で数学の非常勤講師をなさっていたEさんの作品である。書道歴は長いらしく、こちらも気品ただようというのか、それでいて勢いというのか、力強さにあふれた御作だった。
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 会場となった川越市西文化会館は私の川工時代に竣工した。さっそく亀井文夫の映画会を開催したりなど、けっこう活用させてもらったはずなのだが、当時は車でしか行ったことがなかった。霞ヶ関駅から歩いたのも初めてだったし、20数年の間に周囲の道路の整備なども進んだらしく、記憶とぴたりと合致したという感覚を得られなかった。ホールでは川越市民文化祭青少年演劇祭が催されている様子だった。少々交通の便は悪いが市民に使い勝手よく利用されているなら何よりである。このあと、川越駅にもどり、夜からは川工時代の同僚たちと年一度の集まりである。今年は16人が集まった。


# by yassall | 2019-02-25 01:44 | 日誌 | Trackback | Comments(0)