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中島敦展

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 23日、明日で開催期間も終了という日になって出かけて来た。連日の雨模様の中であったが、週明けでは間に合わないのだから仕方がない。なぜ神奈川でという疑問は展示を観覧しているうちに合点した。埼玉に勤めていたせいで、つい埼玉と中島敦の関係に関心が向いていたが、東大卒業後、敦が国語と英語の教師として赴任したのは横浜高女であった。そのためか、神奈川近代文学館は中島敦に関連した資料を多数所蔵しているらしく、展示会も4回目で、内容はたいへん充実していた。横浜高女時代の写真や校友誌なども展示されていた。
 中島敦は漢学者の家系に生まれた。その一族には以前から関心があった。叔父の比多吉は外語大で中国語を学び、幼帝溥儀につかえ、後に満州国創設にもかかわった人物であるとのことだ。他にも中国語・モンゴル語を学び、中国大陸に渡り、国士のような生活を送った人物もあるらしい。「斗南先生」のモデルである伯父の中島端(号が斗南)は癇癪持ちで「やかまの伯父」とよばれていたが、たいへんな秀才で漢詩漢文を能くしたという。残された色紙につぎのような一首が揮毫されている。
  「あがかばね野にな埋みそ黒潮のさかまく潮の底になげうて」
気性の荒々しさが伝わって来るような短歌である。端は政治に関心が深く、大陸問題に傾倒していたという。死したのち、遺骨は本当に熊野灘に散骨されたらしく、「斗南先生」には「大東亜戦争が始まり、ハワイ海戦や馬来マレー沖海戦の報を聞いた時も、三造の先づ思つたのは、此の伯父のことであつた。十余年前、鬼雄となつて我に寇あだなすものを禦ぐべく熊野灘の底深く沈んだ此の伯父の遺骨のことであつた。鯱さかまたか何かに成つて敵の軍艦を喰つてやるぞ、といつた意味の和歌が、確か、遺筆として与へられた」という一節がある。
 日本の統治下にあった朝鮮や南島での生活体験があり、支配される側の人々に接した敦には、こうした大アジア主義とも異なり、複雑な感情があったらしいことも分かった。「巡査の居る風景」などにみえる。今回の展示会で監修をつとめたのは池澤夏樹で、副題の「魅せられた旅人の短い生涯」は池澤の発案らしい。敦の人生と文学をよく言い当てていると思った。こうした文学展をみるともう一度勉強し直して見ようかと(このときばかりは)思ったりするのである。

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 神奈川近代文学館は港の見える丘公園を突っ切っていった場所にある。以前は何でもなかったのに、昨年だったか、寺山修司展に出かけたときはフランス山を上る階段をやけにつらく感じた。別ルートはないものかとHPを見たら、みなとみらい線の終点、元町・中華街駅の6番出口に向かうとエレベータでアメリカ山公園に出られることが分かった。地図上では少し遠回りになるが、外国人墓地のわき道を抜けていくと、海が見える丘公園の展望台の真向かいの入口に出られる。ロケーションもなかなかよい。夜にはアメリカ山公園はイルミネーションでライトアップされていた。


by yassall | 2019-11-24 17:51 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

マクベス

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 9月に昴の芝居を見に行ったとき、広瀬和の出演情報があった。今回も演出助手をつとめるとともに、いくつかの役で舞台に立つという。初日の21日、13:00の回に出かけて来た。
 ヴェルディはシェイクスピアの「マクベス」を4幕物のオペラとして仕立てた。初演は1847年である。その後、1865年にパリ版として大幅に改定された。ヴェルディの生前には必ずしも評価されず、「ヴェルディはシェイクスピアを理解していない」とするような評もあったそうだ。ヴェルディは激怒し、「シェイクスピアは私の最愛の劇作家の一人」と知人に書き送ったという。
 チラシに「演劇×オペラが満を持して挑む二つのマクベス」とあったが、基になっているのはヴェルディのオペラのようだ。魔女も3人ではなく9人登場し、合唱部分を担っている。客層もオペラファンが占めていて、一曲終わる毎に「ブラボー」という絶妙なかけ声がかかる。舞台の進行も一つの場面を演劇部門のキャストが上演して見せ、つづいてオペラ部門のキャストがオペラで演じてみせるといくような組み立てだった。ヴェルディだからイタリア語なのだと思うが、これなら字幕はいらないわけだ。若い演奏家のためのプロジェクト公演という企画名も紹介されており、何回か同様の公演が続いているらしい。
 というわけで広瀬和の応援で出かけた身としては少々物足りない思いをしたが、演劇としてつくりが粗略であったなどということはなかった。魔女9人の内、3人は演劇部門の俳優がつとめていた。オペラ歌手の声量というのはすごいものだなと感心させられたのは確かとして、演劇部門でもバンコーの亡霊におびえるマクベス、マクベスを鼓舞するレディ・マクベスともに俳優としての力が伝わって来た。
 「マクベス」についてはいつかしっかり学んでみたいと思っている。イギリス史の中でみていくと王位継承の正統性に関する争闘の歴史は根深いものがあったらしいし、イングランドとスコットランドの対立にも長い歴史がある。人間存在を掘り下げていけばいたるところにマクベス的なものは発見されるだろう。柄谷行人は自身が書いた「マクベス」論は連合赤軍事件論だったという。偽王というのがキーワードにあるが、読んでもさっぱり分からなかった。
 公演のことにもどれば企画の面白さも含めて十分楽しめた。広瀬は4月にも舞台があるらしい。良い役をつかんで、実力をいかんなく発揮して欲しい。自信をもって臨め、とメッセージを送りたい。
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 渋谷区文化総合センター。会場の伝承ホールは6Fにある。天気が良かったので帰りにはEM10Ⅱに12-40mmをつけて変わりゆく渋谷を撮ろうと思っていたがホールを出た頃は早くも日が陰って来てしまった。これは入場前に。
 


by yassall | 2019-11-22 18:27 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

2019年埼玉県高校演劇中央発表会

 11月16、17日に開催された2019年埼玉県高校演劇中央発表会に行ってきた。出かける前に済ませておきたいことがあり、初日の1本目だけ失礼したが、1日目5本、2日目4本のお芝居を見せてもらった。せっかくなので表彰式も結果発表まで居させてもらい、講評も聞かせていただいた。

 最優秀賞 新座柳瀬高校 [hénri]! G.B.ショー・原作 稲葉智己・翻案
 優秀賞  川越高校「いてふノ精蟲」阿部哲也・作
 (上記2校が関東大会出場)
 優秀賞  秩父農工科学高校「群青フェイク」コイケユタカ・作

 創作脚本賞   「群青フェイク」コイケユタカ・作
 創作脚本奨励賞 「夢、酔ひ 華、香る」青木友菜・作

 審査経過報告によると優秀賞の候補には芸術綜合高校「さらば夏の思い出」も残っていたとのことだ。いずれも力作だったと思う。
 [hénri]!は地区発表会からだいぶ手を加えてきた。レッスン料の交渉の場面など惜しまれる箇所もあるにはあるのだが、遊びの部分をカットしたため、テンポはよくなっていた。反面、ミセス・ヒギンズに自分のところに通うように言われたその後はどうなったのだろう、というような箇所については新しい科白が追加され、きちんと回収されていた。それよりも何よりも、ラストシーンにヘンリーがイライザをエスコートして夜会に出かけるという新しい場面が付け加えられた。

 一緒に劇を見ていた人の意見では、先行きに様々な可能性を残しているという意味で、前回より今回のエンディングの方が優れているという。確かにイライザがヘンリーと抱擁し合うという前回のエンディングは、それが二人の恋愛の成就を意味しているとすれば唐突感は否めないし、芝居のラストシーンとしてももう一つ盛り上がりに欠けるような気がする。また、二人の住む世界の違いから考えれば、たとえ将来的にイライザとヘンリーが結ばれるとしても、まだまだ越えなければならない障壁があるはずである。そして、二人してその障壁に立ち向かおうという決意が生まれているか、と問えば、その障壁が意識されているとも、決意が固まっているとも現段階では言えないだろう。
 それでも前回のエンディングを「正しい選択なのではないだろうか」と書いた身からすると、今回は少々肩すかしを喰らったような気がするのも確かなのである。
 それというのも、9月頃の稲葉氏のFacebookにG.B.ショーは「『Pygmalion』でイライザとヒギンズが結ばれること」に反対していたが、「翻案していくと、どうしたってイライザ×ヒギンズだろうということになる」ので、「今回、何とかヒギンズとフレディーが対等に渡り合えるように書き始めてみた」が「ラストシーンの手前でギブアップ」、結論としてG.B.ショーに「弓を引」くことを決意したとあったからだ。
 それは初めて劇を見る人には知りえない話としても、もともと劇の組み立てとしてもそうなっていたのではないのか、ヘンリーがイライザのために買い求めてきたプレゼントを渡せずに苦悩している様子とか、自分の名前をファーストネームで呼べるようになって欲しいとか、ヘンリーとイライザが互いに心惹かれるようになるのでなければ、客は何を見せられてきたのだという話になる。
 二人が抱擁する場面は今回も残されている。「h」の発音を克服したイライザがヘンリーに抱き付いたのは、自分を見守り、支えてくれる存在として、ヘンリーに対する感謝と信頼がイライザに生まれたということで、この時点では十分だと思う。それに対してヘンリーの側も自分のレッスンの成功と、それに耐えたイライザのこころざしと努力に対する賞賛として、固い抱擁で答えるということがあっていいと思うのである。互いの心が通じ合った一瞬として。もちろん、ピカリングやピアスの目が間近にあるのだから、すぐに我に返るということでいいのだが。
 ところが今回のヘンリーの側の抱擁は曖昧で戸惑いが見えた。イライザにしっかりと答えられていないのは、自分の心の在処もつかみ損ねているように見えてしまったのである。私は地区発表会の審査員のヘンリー=コミュニケーション障害説はなかなか鋭いと考えており、イライザに惹かれていく過程はヘンリーが自らのコミ障を克服していく過程として描かれたらいいのにと思っているのである。
 とはいえ、ラストシーン自体は美しく仕上がっていたし、劇のしめくくりとしての水準を引き上げた。芝居としての完成度が何段階も高まったのは疑いようもない。ただパーティのためにドレスアップしてみせたというだけでなく、上流階級のドレス云々と持ち前の口調でケチをつけるところは、イライザがまだまだ恋愛には淡泊で真っ直ぐであり、そのことには好感を持てるし、そのイライザに腕をとらせるヘンリーにはイライザに対する理解と慈しみがみえてダンディだった。
  ※
 「いてふノ精蟲」は一回目(2014年)の上演で関東大会へ進出しておかしくなかった作品である。今回、リベンジを果たしたということになるのだろう。二度目の観劇となると、この役については配役はこちらの方がよかった、というようなことになりがちなのだろうが、新鮮味が失われることもなく、十分に観客を惹きつけたし、感動させた。
 衣装でいうとフロックコートを着たり、ステッキを持たせたりで時代を表現しやすい教授連と比較し、主人公の平瀬が学生が穿くようなグレーのズボンとワイシャツではなあ、と前回は感じたものだったが、きちんと背広を着こなし、ズボン吊りと蝶ネクタイを結んで登場させるなど、細かい改善がなされていた。審査員に言わせるとそれでも不十分だということだが。芝居という大きな嘘をつくためには小さな嘘をついてはいけないというが、プロの目は厳しいものだ。
  ※
 「群青フェイク」についても一言する。ここ三年くらいにコイケユタカさんが書いたものを私はけっこう買っている。妙な言い方になるが、以前は「劇的であるための劇づくり」という印象だったのだが、時代と正面から向き合ったり、現代高校生の苦悩に真摯に寄り添ったりという姿勢を感じ取った。
 三木清は『人生論ノート』の中で憎悪と怒りの違いについて述べている。今回の劇の前半でSNSによる陰口やら互いの暴露合戦を支配している感情は妬みの入り交じった憎悪であろう。それを生み出しているのは互いの距離感をつねに計らずにいられない生きづらさがあるかも知れない。その意味ではラスト間近になってのクラスメイトたちの和解も自分の本心を偽った「フェイク」の域を抜け出せないということであったのかも知れない。だが、最後の最後になってのアサヒの叫びは憎悪によるものではなく、怒りの発露であったと思ったのだ。そして、その怒りは変革のエネルギーに転化していく可能性を持つと考えたのだ。
 手元に来て急に「消える魔球」になる変化球ではなく、直球勝負に来ていると感じた。その直球をどう受け止めるか、審査員の間でも意見が分かれた模様である。私はたぶん工藤審査員の意見に近い。今求められているのは変化球ではなく、直球であると思う。コイケユタカさんは直球を投げてきたし、それが否定されてはならないと思うのだ。
 どうしても順位を付けなくてはならないのだろうし、次段階への進出の枠は限られている。しかし、もう一枠増やせるものならもっと多くの人に見てもらいたい劇だった。
  ※
 川越西高校「ゆーめいどりーむ」についても一言したい。成井さんはこういう劇も書くんだ、というのが率直な感想である。最初に放射能マークが映写され、最後に黒服ながら防護服を着用した人物が登場する。そうしてみると凄まじく散らかった室内も、片付けが嫌いなお嬢様のわがままが原因なのではなく、荷物の整理のいとまもなく避難を余儀なくされた原発被災地のありさまを表しているのだと理解できる。登場人物の二人は1年間800万円の契約で何ものかによってこの建物で暮らすことを強制されているらしい。ときおり遠くから聞こえる異音が不気味である。外部では何かが進行しているらしい。
 キャスト二人は熱演していたと思う。正直いうと、同じように強い口調で同じような会話が進行していくと、途中で疲れてしまって芝居が見えなくなるときがあった。したがって感想としては審査員とは反対になる。閉ざされた世界で虚と実が入り交じり、というより、虚が虚を生み出し、「もう一回最初からやろうか」という通り、おそらくは延々と同じことが繰り返されていくしかない出口のなさは戦慄すべきものだった。
 成井さんに言わせると、あんたが知らないだけで俺はいろんなものが書けるんだよ、というところかも知れないが、また多様な成井ワールドを見せてもらいたいものだと思った。
  ※
 皆さん、勝手なことばかり書いてごめんね。苦情、反論はどうぞコメントで…。


by yassall | 2019-11-20 16:06 | 高校演劇 | Trackback | Comments(4)