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桜2019①九段下

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 28日、国立近代美術館で開催中の「福沢一郎展」を見にいきがてら、九段下から北の丸公園付近を歩いた。前回の上野では不発だった桜を撮ろうとの算段だった。残念ながらこの日も曇天。開花状況も伝えられたような満開とは遠かったがせっかくなので何枚かアップする。
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 地下鉄新宿線の九段下駅を降り、地上にあがって最初に見えてくるのは牛ヶ渕側の桜。日差しがあるときは緑に映えてもっと華やかなのだがどこか枯れたたたずまいである。
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 田安門から牛ヶ渕を見下ろしたところ。菜の花の黄色が加わるのはもう少し日数がかかりそうである。
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 それでも田安門付近はこの人出。盛りのころから比べればまだまだ少ないが。
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 こちらは千鳥ヶ淵側。何艘もボート客が漕ぎ出している。時季の終わり間際の花筏も見応えがある。
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 絵作りをしてみようと思うがどこか寒々しい。
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 北の丸公園の中。桜の時期はユキヤナギの時期でもある。こちらは今が盛り。園内にも花見客があちこちでシートを広げていたが時折冷たい風にあおられて砂ぼこりが舞っているのが可哀想だった。
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 早々に園内を抜け、美術館に向かう。
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 帰りは東西線竹橋駅から飯田橋で有楽町線に乗り換え。お堀端側の竹橋駅入口の枝垂れ桜は健在だった。この日の撮影機材はTX1。前日まではEM10を持ち出す予定でいたが、天候等をみて軽装を優先した。TX1だと換算で250mmまで寄れるのでこの日のようなロケーションには向いているのである。


by yassall | 2019-03-30 14:45 | 散歩 | Trackback | Comments(2)

福沢一郎展

 28日、「福沢一郎展」を見に国立近代美術館まで出かけて来た。
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 サブタイトルに「このどうしようもない世界を笑いとばせ」とあるのは、従来「シュルレアリスムの紹介者」とされてきた画家の再評価を企図してのことらしい。具体的には福沢の作品に「社会風刺」の要素を見いだし、対社会的意識の存在を浮き彫りにしようということのようだ。
 日本のシュルレアリスムの歴史をさかのぼると必ず福沢一郎の名前が出てくる。福沢が渡仏した1914年はアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表した年である。もともと朝倉文夫に入門して彫刻家を志した福沢は、フランスの地でアバンギャルド運動に立ち会い、キリコやエルンストの影響下に画家として再出発する。
 そうした経緯からして福沢を「シュルレアリスムの紹介者」と位置づけるのは自然で、1941年に瀧口修造とともに治安維持法違反で拘禁された後、運動から離れていったことも日本のシュルレアリスム運動の終焉とともにあったとみるのは間違いではないと思われる。
 福沢一郎展の開催を知ったとき、最初はそのような歴史を振り返るための展覧会であると思ったし、1910年代の世界的な同時性を確認できればいいのだろうくらいに考えていた。だが、今回の展覧会を見て、画家としての射程はもっと長いものであったことが分かったと同時に、時代と誠実に向き合って来たことを知れたように思う。
 実はこの企画展に対しては美術評論家の黒瀬陽平が、福沢の風刺精神の存在や社会風刺のレベルに疑問を呈し、「結論ありきの予定調和的な再評価」として否定的な見解を発表している(『東京新聞』3.22)。そんなこともあり、私としてはなるべくフラットに展覧会に臨んだつもりだが、そこで得た感想はそのようなものであった。
 福沢自身が「自分はシュルレアリストではない」の述べていたということだが、日本のシュルレアリスムが真に世界と芸術の変革をめざしたものであったか、単なる意匠で終わってしまったかという問いと向き合ってみると、前者に対しては福沢の謙虚さが、後者に対しては明確な否定の意志が込められたことばであった気がする。つまり、「シュルレアリスムの原理を正確に理解した」かどうかは不明だが、少なくとも新しい意匠を振りまいて時代を先駆けたつもりになっていた、というのとは明らかに違うと思うのである。
 福沢はエルンストからコラージュの技法を学んだという。コラージュとはフランス語で「糊付け」という意味らしいのだが、ではパッチワークと一緒かといえばもちろ
ん違う。ひとつには「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の出会い」の比喩の通り、異質のものとの出会いによる発見や飛躍、新しい美や意味の創造ということだろう。福沢の作品を見ていても、特に初期の作品にはそのような意図が顕著であるように思われる。
 だが、制作活動のその後の展開を追っていくとコラージュにはもうひとつの捉え方があるのではないかと思えてきた。それは「引用」である。代表作のひとつに「女」(1937)がある。どうやら描かれた女のポーズはマザッチオの「楽園追放」から取ったものであるというのである。「女」は福沢が満州を旅行した後に描かれている。中国東北部とみられる野を、右足から血を流し、左肩を押さえながら裸体で歩く女の姿に「楽園追放」のテーマを見いだすことはそれほど無理なことではないように思われる。
 戦時中、福沢も戦争協力を強いられ、何枚かの戦争画を描いている。その時代も含め、「敗戦群像」(1948)一連の終戦直後の作品を見ると、福沢が時代と時代に翻弄される自己と正対してきたことは確かだといってよいと思うのである。そして、そうであるからこそ南米・メキシコの旅の後の、展覧会では「文明批評としてのプリミティヴィズム」と標題がつけられた、画風の変化が訪れたと思うのである。思うに生命の新しいあり方の追究があったのである。
 
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 「埋葬」(1957)、中南米旅行の集大成的な作品。ただ一枚だけ撮影が許可されていた。東京駅のステンドグラスの原画にもなっているとのことだった。
   ※
 近代美術館へは有楽町線を市ヶ谷で新宿線に乗り換え、九段下から北の丸公園を抜けるコースを選んだ。せっかくなので桜を撮ろうという魂胆である。千鳥ヶ淵は満開という報道であったが桜はまだまだ六分咲き程度。空模様も曇天で、たいした写真は撮れなかったが、別稿でアップする。


 
 

by yassall | 2019-03-30 14:06 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

奇想の系譜展

 22日、奇想の系譜展を見に上野の東京都美術館まで出かけて来た。
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 「奇想の系譜」というタイトルは伊藤若冲、岩佐又兵衛、曽我蕭白ら、それまで正統から外れた異端とされた画家たちを取り上げた辻惟雄『奇想の系譜』(1970)によるということだ。今回の展覧会では辻惟雄の弟子にあたる山下裕二氏(明治学院大教授)が監修をつとめている。単に顧問的な立場にあったのではなく、おそらくは企画段階から大きく関わって来たのではないだろうか。展覧会の企画をすすめていく段階で埋もれていた作品の新たな発見もあったという。
 伊藤若冲が再評価されるきっかけとなったのは辻惟雄の『奇想の系譜』からだということは確かなのだろう。だが、いまや若冲はビックネームである。へそが曲がっているのか、たぶん若冲だけだったら観に行くことはなかっただろう。(それでも「象と鯨図屏風」を直に見られたのは出かけていった甲斐ありというところだった。)
 最初からのお目当てであり、見終わった後にもこれ一枚と思ったのは曽我蕭白「雪中童子図」である。画題は釈迦の前生譚、雪山で修行していた前世の釈迦が無常偈の半偈の教えを聞くために身を捨てたという逸話からきている。
 指摘されているように童子の腰布の赤と羅刹の青い肌との対比が見どころなのだろうが、私はそれよりも童子の肌の白さとその表情に強く心に刻印されるものを感じた。悟りをひらいた喜び、ということになるのだろうが、惹かれるというよりは一度見たら容易には忘れがたくなるような不気味さを感じてしまうのである。不気味さという点では「群仙図屏風」に描かれた仙人たちにも通じるものがある。
 子どものころ、どこでだったか、鯉の滝登りを描いた掛け軸を見て、巨大な鯉の鱗や大きくまん丸な目に何ともいえない気味悪さを感じたことを思い出す。もしかすると美意識という点で現代とは異なった何かがあるのかも知れないと思ったり、西洋でもグロテスクは美意識の一傾向であることに連想を広げたりした。
 岩佐又兵衛のコーナーには「執念のドラマ」というサブタイトルが付けられていた。織田信長によって一族を惨殺された荒木村重の子として生まれた又兵衛にはそれだけで相応しいタイトルであるように思えてくる。「山中常磐物語絵巻」はまさにそうした一巻であるのだろう。前期と後期で入れ替えがあったらしいが、前期の方も見てみたかった。
 歌川国芳は近年になって再評価がすすんだというのとは違うと思うが、「相馬の古内裏」「宮本武蔵の鯨退治」「鬼若丸の鯉退治」「一ツ家」などを見ていると確かに奇想の系譜につらなると思った。扁額である「一ツ家」以外は小品といっていいような(浮世絵だから当然だが)作品だが筆致の細やかさ、確かさは圧巻だった。展示されていたもう一枚の扁額「火消千組の図」でも同じことがいえて、描き分けられた火消衆らの表情や姿態はいつまでも見ていたいと思わせるものがあった。
 白隠では「乞食大燈図」に惹かれるものがあった。自画像としての要素があるのではないかと勝手に推測した。だとすれば仏説を伝えるための方便を越えた近代精神の萌芽のようなものがあったのではないか。江戸というとつい伝統や家元が支配的な時代という先入観があるが、もしかすると現代以上に自由精神が発揮され、息づいた時代ではなかったかと思いを新たにした。
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 いくつか見たい展覧会が始まっているのだが、せっかく上野に出かけるなら桜が咲いてからと心待ちにしていた。東京の桜の開花宣言は3月21日。早咲きの桜以外はまだまだ二分咲き、三分咲きというところだ。今年は遠出の予定は立てずじまいでいる。せめて東京の桜の満開を逃さないようにしないと。

by yassall | 2019-03-23 15:51 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

亀戸天神の梅

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 9日、せっかくの晴れ間であったので亀戸天神まで梅を撮りに出かけて来た。いつかの藤まつりでは時機を逃してしまったが、天神様といえば梅を外すわけはないと踏んだのである。
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 まずはお参りをすませ、本殿前の白梅・紅梅を写真におさめる。
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 参拝客は引きも切らない。JR亀戸駅からけっこう歩く距離だが人気スポットなのだろう。以下、境内の様子がわかるショットを何枚か。
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 スカイツリーをバックにねらってみたが、南向きなので逆光になってしまう。露出補正にも限界がある。スカイツリーもきれいにボケてくれない。
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 太鼓橋との取り合わせを意図したが枝垂れ梅の位置もベストとはいえず、池の上に組まれた藤棚が煩雑でなかなか絵にならない。
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 これも太鼓橋との取り合わせ。日陰なので梅が明るく写るように露出を調整すると背景が飛んでしまう。
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 屋根との取り合わせのほうが映えるか……。
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 青空だとやはり映える。
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 役1時間ほどで撮影を終える。これといった写真も撮れず終いではあったが、4月になったらまた藤を撮りに来たいものだと思った。

  EM5+12-50mm

 森林公園の梅を撮りにでかけるのが毎年の恒例になっている。今年はどうしたかというと実は計画はあったのだ。ただ、ナイターのみの参加者も含めると6人となり、やはり店を予約しておいた方がよいだろうということになった。天気予報をにらみつつ7日と決めたが、その後、手のひらを返すように予報は急転し、当日は朝から雨だった。小雨でもかまわず決行という時期もあったのだが、さすがに年齢も年齢で、ナイターだけお楽しみにしようということになった。久しぶりに会うメンバーもいることだし。参加者打ち揃っての実質的な一次会スタートで、それはそれで楽しいひとときだったのである。撮影機材をEM5にしたのは、雨天に備えて7日の前に準備しておいたからである。

by yassall | 2019-03-11 18:42 | 散歩 | Trackback | Comments(2)