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2018年春季西部A地区演劇発表会

 4月29日、西部A地区春季演劇発表会の2日目に出かけてきた。28日の1日目には細田、新座、和国の3校の上演があったとのことだが、卒業生の公演と重なってしまい、行けなかった。2日目は朝霞、新座総合、朝霞西が上演した。新座柳瀬は急なことから上演を取りやめたとのことだ。どうしたことかと残念よりは心配が先にたったが、6月のコピスには出演できるとのことだった。

朝霞高校『赤鬼』野田秀樹・作
 「聖」と「俗」、あるいは「貴」と「賤」といったことを考えながら芝居を見ていた。
 『赤鬼』とは私が朝霞高校へ転勤となった年の3年生が卒業公演で演じていたのが最初の出会いである。3人しかいなかったし、中庭での道具もなしの上演だったが、いずれも力のある生徒たちで、1人で何役もこなしながら印象に残る芝居をしていた。台本も読んだ。「聖性」といった問題はかなり早いうちから考えにあったが、役づくりでも舞台づくりでもどうしてよいか検討もつかず、その後部員たちに提案することもなく終わった。どのように解釈し、どのように切り込んでいくかが課題だと思って来た。
 顧問のFさんは前からやりたがっていた。部員たちに提案したのは2度目だという。1度目はずいぶん前の代らしい。よくぞ部員たちが了承したものだと思う。このところ、朝霞はかなり難度の高い芝居に取り組んでいる。部員たちにしてみれば客席に受ける(=笑いがとれる)芝居をやりたがるところだろうが、たとえ高く固い壁に跳ね返されることがあったとしても、私はこうした芝居に真正面から取り組むことも高校演劇のひとつのあり方だと思っている。ああでもない、こうでもない、と思い悩む過程が貴重なのだ思っている。
 後で話す機会があったので、どのように脚本を理解し、解釈しようとしたのかをFさんに聞いてみた。Fさんの口からは「不寛容」ということばが発せられた。とんびとその妹の兄妹は村人たちからのけ者扱いにされている。そこへ異国の民らしき赤鬼(と呼ばれる男)が漂着する。兄妹(とくに妹)は赤鬼を村人たちからかばう。差別される者がさらに下位に位置する者を差別することで自らの境遇から抜けだそうとすることは通常にあり得ることだ。赤鬼が危害を及ぼす存在でないことを知ったことが大きいが、兄妹と赤鬼がなぜ接近できたのか、通じ合えたのかを考えることは大切な観点だ。「不寛容」を入り口とし、不寛容と必要以上の結束の強調(日本を批判する者は「反日」だ)が蔓延する現代を逆照射しようとすることはひとつの切り口である。
 『赤鬼』は人肉食を扱っている。極限的な飢餓にあって人肉食は許されるかどうか、人の肉を食って生き延びた者がその後どのようにして生きられるかは、重いが切実なテーマである。戦後文学の中でも武田泰淳の『ひかりごけ』や大岡昇平の『野火』がこの問題を扱っている。そうした飢餓状態の中での人肉食とは別に、古代や中世の戦闘集団の中で、敵の「力」を自分の内に取り入れることを目的とした人肉食がある。歴史の中では隠されているが、日本でも確かにあったという説を何かの本で読んだことがある。飢餓ではなく信仰(今日では迷信ということになるだろうが)が原因となる。野獣の世界でも共食いは見られるし、チンパンジーなどの類人猿の中には狩りを行うものもある。
 直接的な人肉食でなくとも、人間は他者の命(の全部あるいは一部)を奪いながら生きているというのが真実であるともいえる。自分一人の生のためである場合もあるだろうし、自分が所属する群れ(や国家)の存続や発展のためである場合もあるだろう。意識的な場合もあるし、無意識の場合もあるだろう。知っていて知らないふりをしている場合も多いことだろう。人間の業である。
 そこまで考えて『赤鬼』を振り返ってみる。赤鬼とされた男は確かによそ者であり、具体的には異国からの漂流民であるように見える。「でっかい船が見えた」という者がおり、水銀が兄妹と赤鬼を逃して小舟を出したのはその船に乗り込んで異国を見るためだという。
 実際に日本の海岸に自分たちと容姿が異なり、違う言葉をしゃべる異邦人が漂着したことはあるのだろう。だが、子細にみていくと、赤鬼はそうした漂着民とは異質であるように思われるのである。それは赤鬼の食べ物が花であることだ。赤鬼が花を食べて生きているとすれば、食料のことで人間と競合することはない。土地も資源も相互に争うことはあり得ないのだ。
 そればかりではない。赤鬼は自分を食って生きろ、と人間たちに言い放つのである。(この日の舞台では鬼の肉を食って長生きしたいという見物人に対しての科白になっているが、記憶では小舟の中で飢えに苦しむ同乗者に向かっても発言していたように覚えている。)私はそこに赤鬼の「聖性」をみるのである。野田は人間を超越した「聖性」の表象として赤鬼(まれびと)を描こうとしたのではないか、と考えるのである。
 赤鬼を食ったことを知った妹は村の岬から身を投げて自殺する。妹の自殺を重点に芝居づくりをしていけば人間に対する「絶望」がテーマになる。ところが芝居は兄のとんびのモノローグで終わる。「知恵」の足りないとんびは妹の「絶望」を理解できないというのである。とんびを重点にして芝居を解釈していったらどうなるのか?
 ドストエフスキーの『白痴』を想起している。[知恵」足らずのとんびは赤鬼とはまた違った意味で「聖性」の表象ではないのだろうか? そう考えると、そこには人間の「希望」が見えてくるような気がするのである。
 ※ブログを読んでくれたFさんから、小舟に乗り込んでからの赤鬼には自己犠牲にかかわるような科白はなかった、というメールがあった。私の記憶違いだったのだろう。ある思いが生まれると想念が勝手に膨らんでいくことがままある。いわゆる「深読み」のし過ぎには注意しなければならないが、テキストをきちんと読み込んだという前提のもとに、新しい解釈=切り口を発見していくことはあっていいと思っている。したがって自説を撤回することは今のところ必要ないと考えているが、この間のやりとりで水銀については新しい解釈が生まれてきた。ディスカッションの醍醐味である。テキストレジについての基本的な考え方についても教えてもらった。順当だったと思う。
  ※
 脚本解釈の問題から入ってしまった。3年生3人はよく演じていたと思う。(2年生1人もよくついていったが、まだまだ演技しようという意識が先にたって、役づくりまでには至っていない。上手くなっていくのはこの夏休みに苦しんでからだ。)3人とも1年生のときに招待してもらった試演会のときから見ていた。とんび役の生徒は早くに力をつけてきたが今回も難しい役をよくこなした。妹役の生徒は科白覚えが一番早いのだそうだ。そのせいかどうかは分からないが、これまでは一人芝居になってしまうことが多かった。今回はしっかり他の役者とからんでいた。一番の難役は「普通」のことばをしゃべれない赤鬼役だっただろう。科白を科白としてしゃべれないだけで相当の欲求不満があったはずである。よく耐え、演じきった。私が妹の「絶望」に重点があるのか、とんびの「希望」に重点があるのかに思い悩んだのは、皆それぞれが自分なりに役づくりにとりくみ、一定の到達点に達していたからだろうと言っておきたい。

新座総合技術高校『演劇部、始めました。』Kira・作
 部員が一人足らず、存続の危機に直面した演劇部が、内部分裂を乗り越えて文化祭公演を成功させ、新入部員を獲得するという演劇部物・学園物である。よくあるストーリーといってしまえばそれまでだが、練習をよくしてきたのは分かったし、間の作り方や、山場をどう作っていくかを会得すれば、もっと笑いもとれ、客を引き込んでいくことが出来るだろう。部員が大勢いて、楽しくやっているらしいのも見て取れた。
 感じたことを一ついえば、役の上の名前が分からなくなってしまったのだが、発声がまったく芝居がかっておらず(声が聞こえて来ない、という意味でなく)、なんだか普通の高校生が普通に教室でしゃべっていることばをそのまま舞台に乗せたような役者がいた。それがむしろ好ましく思えてきて面白くもあったし、新しい芝居のかたちの可能性を感じた。

朝霞西高校『朝日のような夕日をつれて 21世紀版』鴻上尚史・作
 朝霞西は何年か前にも『朝日のような夕日をつれて』を上演している。今回は21世紀バージョンであるという。以前の公演がなかなかよかったので、それが超えられるかどうかと思いながら見させてもらった。結論からいえば3年生男子5人の集大成ともいえる出来栄えに仕上がっていた。
 朝霞西の5人も1年生のうちからどこかで見覚えのある部員たちである。あのときのあの芝居に出ていた生徒だな、と思い出しながら見ていて、一人一人の成長ぶりを感じていた。あの頃はふとしたときに声が裏返りがちだったのに、今日はしっかり科白が出ているなとか、動きがとても自然になったなとかである。5人の息もしっかり合っていて、メリハリのある芝居運びが出来ていた。毎日の稽古を一緒に積み重ねていかなければこうは行かないものである。
 そういうわけでパフォーマンスはほぼ完成形といってよいと思ったし、鴻上の難解な科白もしっかり伝わって来た。ただ、芝居が胸に落ちてきたかというと、まだだった。まだだった、というのは、こちらの理解力の問題もあるから、回数を重ねて見れば分かるようになるかも知れないということもある。勢いで走りきってしまったことで、客の心に何かが引っかかる前に行きすぎてしまった、というようなこともあるかも知れない。だからといって、あまり思い入れたっぷりに科白を出されてもこの芝居は死んでしまうだろう。ここではパワーのようなものは確かに伝わって来たよ、とだけ言っておきたい。
   ※
 今回から打ち上げの宴席は遠慮するつもりでいたのだが、やさしいお誘いのことばをいただいて、つい出席してしまった。今年、定年を迎えたMさんの再任用先が地区外になってしまい、Sさんから「M先生も見えるというので」ということばを聞いて、席を共にしたいという気持ちがわき起こったことも理由のひとつである。(出席の理由を述べるのにSさんを引き合いに出したのはそういう経過からであって、自分の失敗や悪事の原因をなすりつけるためではない。むしろSさんの先輩愛をたたえたつもりだったので、その点悪しからず。)
 出席すればやはり楽しかったし、顧問の先生とつっこんだ話が出来たから朝霞の項ような長広舌をふるうことにもなったのである。だが、やはり今となると反省している。昔と比べると出席者が半減している。やはり打ち上げは現役顧問の方々が互いの労苦をねぎらったり、運営上の反省をしたり、各校の劇を批評し合ったりする場でなければならない。自分がそうした中で鍛えられてきたという意識があるから、やはりそうした場として復活させてもらいたいのである。
 もし、我々がいることでよけいな気遣いをさせてしまったり、気詰まりな思いをさせてしまったりしているとすれば、(きっとそんことを面と向かっていう人はいないだろうが)、自分から察して身を引かなくてはならなかったと思うのである。もし、その上で、たまには昔語りでも聞きたい、そのために別の席を設けてくれるとでもいうなら、ありがたく出席させてもらうということでいいではないか?  
 かつて「亡霊○号」を自称したのはKMさんだった。もちろん私たちは「亡霊」を歓待したが、自分もいつしか「亡霊」なりかかっているとしたら、そろそろ「通りすがり」の位置ぐらいまでポジションを移すべきときがきたのだと思うのである。さあ、宣言したぞ!



by yassall | 2018-04-30 20:20 | 高校演劇 | Comments(0)

東京ノ温度第7回公演『しゃーろきあん』

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 28日、卒業生のみかわやこと葉山美侑から出演情報があったので東京ノ温度第7回公演『しゃーろきあん』を見てきた。小屋は新大久保ホボホボ、作・演出は主宰者である川島広輝である。
 葉山と東京ノ温度との関わりは2017年1月の第3回公演からはじまり、今回で3回目である。小劇場での公演ながら着実に回を重ねていることは立派だと思うし、そうした中で葉山が使われ続けていることはありがたいことだと思う。
 葉山が演じる主人公・秋山珠理奈はシャーロック・ホームズに深いあこがれを持ちながら、実は浮気調査専門の私立探偵事務所につとめている。まだ見習いであるのに、求人情報をみて面接にやってきた和田(和田さん→ワトソン)とともに、所長に無断で猫のポシェット連続盗難事件にとりくみ、そこに浮気調査依頼を装った別れさせ屋とのドタバタがからむといった内容である。
 東京ノ温度の芝居は「ワンシチュエーションコメディ」というコンセプトにある通り、尖ったところのない、安心して見ていられる芝居をめざしていると理解している。第3回はAI社会の問題、第5回は現実世界とバーチャル空間の接点における死者と生者の再会といった、未来的あるいは宇宙的なテーマを扱っていた。
 それらに比して、今回は不倫やスキャンダルといった、いっそう日常的な関心をもとに芝居が組み立てられている。しかし、それだけに人間の心に生まれる猜疑心や誤解から始まった怨恨の無意味さが、軽いタッチの中にもチクリと胸に刺さってくるしかけになっている。SNSや加熱する週刊誌報道、ちょっとした時事ネタなども盛り込まれていて、確実に客をつかみ、笑いをとることに成功している。
 それよりも何よりも、題名にある通りのシャーロキアンぶりに関心させられる。よほど読み込まない限り、推理小説のかなりの愛好者でも知識にないような、さまざまな作品の断片が次から次へと引用される。そして東京ノ温度らしく、それらの断片が人生を送るにあたっての警句や人々の苦悩を解消させる癒やしになっているのである。マニアックであるがそれだけに終わらない幅の厚みが感じられる。
 川島広輝は劇団マカリスターに所属する俳優・劇作家・演出家で、東京ノ温度を旗揚げしたのは2016年だそうだ。劇団員としての活動は続けながら、やはり自分の思うような芝居づくりをしたいという欲求があるのだろう。ただ、若い俳優たちに舞台に立つチャンスを与えようとしているようにも見える。思い込みかも知れないが、実質的にそうなっているように思われる。そんな中、葉山は連続して主役級の役所を与えられている。その信頼に応えてか、葉山の演技も安定感が増し、他の若い俳優たちをリード出来ていたと思う。 




by yassall | 2018-04-30 16:51 | 日誌 | Comments(0)

根津神社からプラド美術館展へ

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 日本でベラスケスが見られるという。こんな機会を逃す手はないのだが、どうしたわけかなかなか足が向かなかった。10日も最初は西洋美術館が頭にあったのに、結局弥生美術館に行ってしまった。26日になってようやく腰を上げたのも、実は根津神社行きが先で、その後に上野に回れるとの算段からだった。
 とはいえ展覧会として充実していることに異議はまったくない。これまで図版でしか見たことがなかった「狩猟服姿のフェリペ4世」「バリェーカスの少年」などを間近に見られるなどということはもうないだろうし、こうした企画展にありがちなベラスケス以外は凡庸な作品を並べ立ててお茶を濁すなどということはなく、さすがにプラド美術館の所蔵作品だと感心させられる。ときとしてベラスケスが他の作品に埋もれてしまうほどだった。
 それは、たとえば「狩猟服姿のフェリペ4世」には明らかに描き直しの跡があり、まだ筆が定まっていないことが見て取れるといったこともある。しかし、それ以上に何か痛ましいものを感じ取ってしまうからかも知れない。
 『怖い絵』の著者中野京子によれば近親婚を繰り返した「高貴なる青い血」のスペイン・ハプスブルグ家の黄金期は2代目のフェリペ2世までで、4代目に当たるフェリペ4世は「無能王」とよばれ、その凋落のもととなった。戦争をすれば負け、領地を激減させた。ただ審美眼にはすぐれ、ベラスケスを宮廷画家として登用し、重用した。今日、フェリペ4世が歴史に名を残すのはベラスケスによってだというのは皮肉なことである。
 「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」に描かれたバルタサールはフェリペ4世の最初の王妃であるエリザベートの間に生まれた王子である。しかし、悲運にもバルタサールは16歳で早逝してしまう。その後、フェリペ4世は姪のマリアナと再婚する。「ラス・メニーナス」に描かれた王女マルガリータはマリアナとの間の子である。同じくマリアナとの間に生まれたカルロス2世がスペイン・ハプスブルグ家の最後の王となる。親ゆずりの特徴的な面長の顔の肖像画が残されているが、相当の粉飾が施されているであろうにもかかわらず、明らかに病的なものが見て取れる。
 ベラスケスが優れているのは「神の手」ともいうべき超絶技法によるというより、一瞬でその人物の内面あるいはその後の運命までもとらえる人間観察力と、のちの印象派にもつながれるとされる技法の革新によるのだというのが、この日、理解したことである。
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 さて、冒頭に書いたとおり、この日まず最初に訪れたのは根津神社である。思い立った理由は、最近RX100をM3に買い換え、試し撮りをしてみたかったからである。
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 つつじ苑から楼門を望んだところ。宝永3年の建立。江戸の神社で楼門が残っているのはここだけだそうだ。
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 つつじ祭りは5月6日までだが、今年の天候から期待できないのは分かっていた。
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 まだ痛みのない花を探してみる。遅咲きのつつじもあるらしい。
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 乙女稲荷、駒込稲荷に続く千本鳥居を見下ろしてみる。
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 根津からどうやって上野に向かうか、いろいろ検討したあげく、徒歩で行くのが一番いいという結論に達した。約30分の道のりの途中に森鴎外居住之跡があった(現在は水月ホテル鴎外莊となっている)。ここに鴎外が住んでいたのは最初の妻である登志子との結婚時代のことだ。登志子とは1年半で離婚してしまったから、こちらにもどこか痛ましさが残る。
   ※
 RX100を買ったのは5年前だった。その後、機材が増えるにつれ、宙に浮いていた。M3は24mm始まりになったのと、小さいながらEVFがついた。発売は2014年。RX100より50g重くなったが、RX100シリーズはM4、M5となるにしたがってさらに重量が増えている。TX1との重量差は20gしかないが一回りは小さい。小さいことが善である場面もあるだろうと買い換えを決めた。RX100が20900円と私が購入したときの半額弱で手放せたことも決め手のひとつである。相変わらずのカメラバカである。





 

by yassall | 2018-04-27 19:23 | 散歩 | Comments(0)

セーラー服と女学生

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 4月10日、弥生美術館へ行ってきた。標題からして、趣味性あるいは人格を疑われてしまう虞れなきにしもあらずなので放っておいたのだが、いちおうアップしておく。まだ期間もあることだし。
 1階は高畠華宵、松本かづち、中原惇一といった、いわゆる抒情画が展示されていた。時代としては戦前である。明治期から始まった女子教育において制服の洋装化は何度か試みられたがなかなか成功しなかった、大正になってセーラー服が採用されると一躍全国に広まった、セーラー服はイギリス海軍の制服であり、もともと制服とするのに適していたという側面はあるが、それは採用の直接的な理由ではない、セーラー服は子供服や女性のファッションとして流行し、日本の女子教育で最初に制服として採用されたのはミッション系の学校であった、というような歴史が紹介されていた。男子学生の詰め襟と同様、もとは軍服であるというのが起原であろうと思い込んでいたので、認識を新たにさせられた気持ちになった。
 2階では現代画家による作品が展示されていた。江津匡士によると日本でセーラー服が制服として普及していったのは、そのユニセックスなファッションが日本人の体型に合っていたからであるという。すると、現代ではセーラー服の採用が少数になったというのも、日本人の体型の変化が理由であるということになる。
 その江津匡士のどこかノスタルジックな作品もよかったが、私が今回の企画展の目玉だと思ったのはチラシにある作品の作者である中村佑介である。『角川新字源』の特装版を手がけるなど、最近作品を目にすることの多くなった画家であるが、名前は知らなかった。本人によると、自分は「竹久夢二や林静一の系譜」に連なっていきたいとのことだが、夢二や林静一のウェットさは少しも感じられず、セーラー服も何かの表象であることを止め、ドライで即物的な心地よさが感じられたのだった。こうした出会いがあると出かけていった甲斐もあるというものである。

 

by yassall | 2018-04-27 16:33 | 日誌 | Comments(0)

済州島4.3抗争70周年記念講演とコンサートの集い 眠らざる南の島

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 4月21日、「済州島4.3抗争70周年記念講演とコンサートの集い 眠らざる南の島」が北とぴあ(王子)で開催された。誘ってくれたのは1月の映画『告白』で紹介した旧救援会のメンバーのCさんである。金石範氏の講演があるというので興味はひかれたが『火山島』を読んだわけでもなく、立山黒部アルペンルートの旅の翌日でもあり、最初は保留にしていた。ただ、Cさんは翌日も都内で用事があり、その日は池袋に泊まる予定だという。それでは夕食ぐらいつきあわねばなるまいというので行くことにした。
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 17:30からの日程で、内容は盛りだくさんだった。オープニングには千恵LeeSadayamaさんによる「常緑樹」の独唱、参加者全員による黙祷のあと、金英蘭舞踏研究所と宋栄淑による追悼の舞が上演された。金石範氏と文京洙氏による対談はそれらの開会行事のあと第1部として開かれた。対談といっても金石範(キム・ソクボム)氏が高齢のため耳がやや不自由になっているとの理由から文京洙(ムン・ギョンス、立命館大特任教授)氏と交代で発言するという形式をとった。
 金石範という名前だけは知っていたものの、どのような人物なのかはまったく未知であった。書いたものだけで想像するに峻厳というイメージがあったが、話しぶりは融通無碍とでもいうのか、ユーモアもまじえて会場からの笑いも誘うというようであった。短い時間であったのが残念だったが、済州島(チェジュド)事件を過去の歴史として埋もれさせてはならない、そのために92年の生涯を費やしてきた、文在寅大統領の登場によって名誉回復への希望がひらけた、といった思いは伝わってきた。
 また、近々に開かれる南北首脳会談とこれに続く金正恩・トランプ会談に対する期待がいかに高いかが2人の発言から伝わって来た。日本では一部に冷ややかな見方が存在するが、まだまだよそ事である証拠だろう。
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 第2部は韓国のシンガーソングライターであるアン・チファンによるライブコンサートであった。集会としては文化的な催しの方に重点を置いたらしく、約1時間半をコンサートに当てていた。会場入りして、ずいぶん若い人が多いなと感じていたが、在日の人に限らず日本人にも人気があるらしく、さくらホール収容人数1300人の座席はほぼ満員であった。アン・チファン氏も歌声で応えていた。
 トークでは「日本と韓国には共通点がある。それは両方とも島国であることだ。」と謎かけをしたのが印象的だった。38度線で分断され、自由に行き来ができない現状を「島国」に例えたのだった。「いつか自動車で北朝鮮へ、さらに中国へと旅するのが私の夢」と語るチファン氏に会場から熱い共感がよせられた。
   ※
今年4月3日、韓国では「済州島4.3事件」追悼式典が開催され、文在寅大統領が「国家暴力によるあらゆる苦痛に対し、大統領として深く謝罪する」と表明したと新聞に載っていた。金大中政権時代に「済州4.3特別法」が施行(2000)され、盧武鉉の時代に大統領として初めて謝罪を表明(2006)した。紆余曲折をへながらだが、文大統領は事件の真相解明と犠牲者の名誉回復が「中断したり後退したりすることはないだろう」と述べたという。
 「済州島4.3事件」は1948年4月3日、南北に分断された朝鮮半島の南部だけで総選挙を実施するという国連案に、分断を固定化するものだとして南朝鮮労働党の済州党組織が武装蜂起したことがきっかけだとされる。鎮圧のために軍・警察に右翼団体が加わり、多くの住民が無差別に殺害された。その数はおよそ3万人とされ、第二次世界大戦後に引き起こされた最初の大虐殺といわれる。
 しかし、事件の前段では同じ年の3月に南北統一をとなえるデモに警察が発砲し6人の死者が出るという出来事があり、これに憤激して展開された全島ゼネストに対し南朝鮮政府とアメリカが暴力で圧力をかけるという経過があった。右翼団体とあったが、その本体は北朝鮮の共産主義化に反発して南に渡ってきた西北青年団であり、これを済州島に渡らせたのはアメリカであったともいう。
 無差別殺害は49年にいったん収まったが朝鮮戦争の勃発によって再燃し、130余の村が焼かれ、「予備検束」されるままに拷問を受け、集団虐殺されるといった事態が54年まで続いた。その当時、済州島の人口は28万人程度だったとされる。殺戮を逃れ、島を去った住民も多数あり、最終的な終焉をむかえた1957年の島の人口は3万人弱であったという。
 連合軍は「西大西洋憲章」で「民族独立」をうたった。「西大西洋憲章」のアジアへの適用を訴えたのは蒋介石であったという。しかし、第2時世界大戦の戦後処理にあたって米ソは朝鮮の独立をみとめず、当分のあいだ保護国とすると定めた。解放直後から済州島には強力な人民委員会が存在し、朝鮮の独立と統一を訴えていた。おそらくは、そのような組織と運動は大戦中を通じて各地に作られていたと思われる。南北分断を固定化し、アジアに戦略的な拠点を置こうとする大国にとって、それらの組織と運動は排除されなければならないということではなかったのか、それが「4.3虐殺」の遠因ではなかったかと私は考えている。とすれば、そもそも38度線による分断の原因を作り出した日本の責任も大きい。
  ※
 会場には「済州4.3平和財団」「済州4.3犠牲者遺族会」の人々など、大勢の方たちが韓国から来日していた。「済州島4.3事件」は1980年の「光州事件」とならぶ韓国現代史の暗部である。たとえ「不都合な事実」であっても、歴史の忘却、隠蔽、修正を許すまい、そのための痛みに耐えようという人々の勇気に見倣うべきものがあると思った。
 
 

by yassall | 2018-04-25 16:45 | 日誌 | Comments(0)

桜2018⑤千曲川桜並木、そして雪の大谷

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 4月19日、立山黒部アルペンルートのツアーに参加してきた。お目当ては雪の大谷である。2年前にも一度チャレンジしたのだが、あいにくの荒天でさんざんだった。そのとき同行したKさんに「再チャレンジしない?」と声をかけたら即座に「しましょう!」という返信があり、川越発のコースを選んでの二人旅となった。前回は時期も遅かった。今年は4月16日に開通という情報だったので、その週のうちにと3月の初めには申し込みを済ませた。
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 アルペンルートに入るのは2日目になる。1日目のだきあわせ企画は当初高遠コヒガン桜の観桜だった。ところが今年は桜の開花が早く、高遠のコヒガン桜もとうに満開の時期を過ぎ、15日には散ってしまったという。そこで千曲川桜並木にコースを変更するとの連絡があった。高遠城趾も行ってみたかったのだが、メインは2日目にあるのだし、また機会もあるだろうとあきらめた。千曲川桜並木の桜は八重桜で、こちらはまだ4分咲きくらいだろうか?
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 桜並木は4kmにわたるという。我々は小布施のスマートインターを降りてすぐのあたりを散策した。見ると1本1本に名札がかかっている。何でもオーナー制になっていて、誰でも一定の金額をだせば持ち主になれるのだそうである。つまり新方式によってまだ造成されはじめたばかり桜並木ということになり、確かに木もまだまだ若い。ただ、八重桜にしたのはアイデアで、数十年後には隠れた名所になるかも知れない。
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 妙高山、戸隠山など、北信五岳を展望しながら桜を愛でる。
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 小布施にも立ち寄る。北斎にゆかりがあるというのは初めて知った。北斎記念館が建てられていいる。
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 北斎をこの地に招いたのは高井鴻山という豪農であったという。その高井鴻山の記念館も作られていた。エリアとしては狭かったが、趣のある観光地として整備されていた。
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 今回は扇沢側からルートに入る。宿は白馬にとった。早朝6時に出発し、7時30分発の始発に乗る。ちなみにトロリーバスは今年で廃止だそうである。これから上へ登っていくにしたがって山の気色が変わっていく。
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 トロリーバスで赤沢岳のトンネルを抜けると富山県である。黒部湖の標高は1470m。ここで40分ほど見学時間をとる。扇沢とそれほど標高は変わらないが、いかにも深山に分け入ったという感じである。朝日で山頂が輝きを増してくる。
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 しだいに日が高くなって行くのが分かる。静かである。
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 黒部湖から黒部平へ抜けるケーブルカーは地中を走る。黒部平から大観峰までのロープウェイには支柱が本もない。いずれも積雪への対策である。大観峰の標高は2316m、黒部湖がはるか眼下に見える。
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 大観峰からふたたびトロリーバスに乗り換え、ようやく室堂に到着する。ターミナルの展望台から雪の大谷として開放されているあたりを展望する。
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 1週間前の天気予報では週の後半は思わしくなかった。だが、高気圧の到来が早まって、すばらし青空が広がる天気となった。
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 今年の雪壁の最高地点の高さは17mとあった。海外からも大勢の観光客が訪れていた。
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 バスが通るとその高さが際立つ。
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 引き返しながら何度も振り仰いで見てしまう。
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 ターミナルの反対側にあたる室堂平にも絶景が広がっていた。写真でこのスケール感が伝わるだろうか。
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 あまりの天気のよさで、雪山を写そうとするとEVFでもブラックアウトしてしまい、構図も露出も確かめられない。勘でシャッターを切るしかなく、プラス側に補正しすぎて何枚も使いものにならなくしてしまった。
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 ターミナルの近辺にも雪の大谷のミニ版が掘られていた。
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 ハシゴが渡されているのはご愛敬であある。それでも白と青とのコントラストは美しい。曇り空ではこうはいかない。



  G8+12-60mm、ZR4000
 

by yassall | 2018-04-24 00:36 | 風景 | Comments(0)

4.14国会前緊急抗議集会

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 4月14日、「森友学園公文書改ざん問題の真相解明を求める4.14国会前緊急抗議集会」に参加してきた。今年に入ってにわかに森友問題が再燃して以来、抗議行動は連日のようにおこなわれている。
 この日の行動は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「未来のための公共」「Stand For Truth」の3団体が初めて合同して呼びかけて開催された。掲げられたスローガンは、「安倍政権は退陣を!あたりまえの政治市民の手で!0414国会前大行動」である。
 14:00から「総がかり行動実行委員会」による集会、その後に「未来のための公共」「Stand For Truth」による集会が17:00まで続き、18:00から 澤地久枝さんの提案によるキャンドル・デモが催された。
 少し早めにと思って永田町駅に着いたのが13:30頃だった。議員会館側の出口はスムースに出られたが、国会図書館前を進んでいくと憲政記念館の公園前はすでにたくさんの人たちが詰めかけている。何とか国会正門前まで行こうとしたが交差点付近は参加者であふれかえっており、かつて所属していた埼高教の旗をみつけたが近寄ることも出来なかった。歩道の半分は通路として空けておくように警備の警官から声はかかるのだが、人数が多すぎて強制までは出来ない様子だったので、そのまま縁石付近にポジションを取ることにした。やがてその通路側も参加者でいっぱいになった。
 普通に考えればこれだけの不祥事をかかえた内閣はとっくに総辞職していなければならない。それが、日本会議に「改憲」を約束したので止めるに止められないのか、「どうしてこんなことになったのか分からない、真相を究明してウミを出し切りたい」とか、「私は誠意をもって答弁している」とか、まるで他人事のように言い逃れを続ける安倍首相をみていると、このまま「逃げ切り」を許したら本当に日本は終わりになるという危機感からこれだけの人が集まったのだと思う。そして、それはきわめて正常なことだと思うのである。
 主催団体、政党、各団体のスピーチを聞きながら、何日か前の新聞で誰が書いていたのだったか、今起こっている事態がジョージ・オーウェルの『1984』に酷似している、というコラムを思い出していた。『1984』の主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた、というのである。スピーチに立った金子勝氏がいう通り、政権のほしいままに文書の改ざんや隠蔽が許されるなら、「どんな巨悪な政策も、どんな不正や腐敗も正当化されてしまう」ことになる。それを許せば国民はもう「人間」でなくなってしまう、『1984』の登場人物たちのように。
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  集会の開催にあたって主催者側は警察署に対し、警備のあり方について要望書を提出していたようだ。それは、数万人規模の集会が予想されるので、安全のためにもロープで連結した鉄柵を並べるといった交通規制を止めて欲しい、といった内容であったという。また、車道の一部を開放して欲しいということもあわせて要望している。しかし、歩道と車道間はいつものように鉄柵が張りめぐらされていた。先に書いたように歩道いっぱいに参加者あふれそうになるのにしたがってかなり窮屈になってきた。そんな中、警察の作業担当者がロープだけでは不足とみたのか鉄柵と鉄柵をバン線で連結しだしたのだ。ああ、これは何か起こりそうだな、という予感がしていた。
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 その何かは参加者側から起こった。第Ⅰ部が終了する15:30頃、たぶん桜田門側の方まで犇めいていた参加者たちが「前へ、前へ」のコールにも促されて国会側に車道を歩き出し、それと同時に次々と鉄柵が押し倒され、みるみるうちに車道に参加者があふれ出たのだ。しまいにはアンプやスピーカーをかかえた楽団までもが車道の中央に陣取って演奏をはじめ、楽団を囲んでダンスを踊り出すというパフォーマンスまで始まったのだった。
 あとで知ったのだが、この間に制止しようとした警察官の胸を押したとかで一人の人が逮捕されたそうだ。だが、こうした結果になることを警察側もあらかじめ予想していたのか、あるいは大規模な衝突に発展するとかえってマイナスと判断したのか、それ以上の規制は断念したようだった。国会前は急遽護送車を並べてバリケードを構築していたが、桜田門側はあらかじめ準備されていたのか、交通規制用の柵を設置して車両の進入を規制していた。永田町駅はあきらめて桜田門駅に帰路をとった際に確かめたのである。
 15:30の時点で参加者は3万人と発表された。延べ5万人という記事もみえるが、先に書いたように日が暮れてからのキャンドル・デモまでを含んでの算出だろう。全国にまで視野を広げればもっとになる。
 ネットをみていると、参加者数を過大に発表しているというようないいがかりをつけている投稿も散見されるが、埼玉アリーナの収容人数が3万7千人、東京ドームが5万5千人というなら、確かに3万人の人が集まっていた。埼玉アリーナや東京ドームのように座席やベンチがあるでなし、まさに立錐の余地もない中で1時間半を立ち続けていた者の実感である。


by yassall | 2018-04-16 00:47 | 日誌 | Comments(0)

懐かしの怪奇スターたち番外編 『The Son of Kong』

 ユニバーサルが『魔人ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』を公開した1931年はエンパイア・ステート・ビルが竣工した年である。そのエンパイア・ステート・ビルによじ登ったのがキング・コングだ。映画『キング・コング』が公開されたのは1933年である。
 このように書き始めると、ああまた「文明対自然」とでもいう図式と結びつけたいのだろうと思われるかも知れない。
 今回はそうではない。『キング・コング』も子どものときに見て忘れられない映画であるが、ニューヨークに連れてこられてからのコングはかわいそうなだけであまり好きではない。アメリカ人にとってはニューヨークというこちら側の世界にコングが出現し、通勤列車を脱線させ、乗客たちをパニックに陥れるといったシーンに迫真を感じたのだろう。だが、そのニューヨークでさえあちら側の世界である立場からすると、飛行機から機銃掃射を受け、ふと自分の身体から流れている血を指ですくい取り、不思議そうに眺めるコングには哀れを感じたものだった。
 私はむしろ絶海の孤島の、さらに高い城壁(島の原住民は未開の民であるようだったので、その石壁や大扉はどのように作られたのか子ども心に不思議だった)で仕切られた向こう側に、絶滅したはずの恐竜たちが生息する異界が存在しているという設定に引きつけられたのだった。
 映画監督のデナムは女優として使おうと港でアンをを拾い上げ、エングルホーン船長の船に乗ってニューヨークを出航する。最初、行き先が明かされないまま航海が続くが、ある地点まで来るとデナムはやっと一枚の地図をひろげる。それは髑髏島の位置をしめす海図であった。
 あの海図が欲しい! と何度思ったことか。それは私を異界へと誘ってくれる魔法の地図であると思われたのだ。アンを演じたフェイ・レイも子ども心に魅力的だと思った。コングならずとも、またアンを救うべくエンパイア・ステート・ビルの屋上にまで追っていく元船員のジャックならずとも、アンに惚れてしまうのも不思議でないように思えた。
 髑髏島の地図にしてもフェイ・レイにしても、子どもを日常から離脱させるには十分だったのである。『キング・コング』は、古くはジュール・ベヌルの『地底旅行』(1864)やコナン・ドイルの『失われた世界』(1912)から、近年の『ジェラッシク・パーク』にいたる系譜にある。子どもたちが恐竜好きなのは、それがこの世界とは違う、まだ見ぬ世界に旅出させてくれるからである。
 あとのストーリーは周知のことであろうから省略するが、のちにDVDになってから視聴したところ、とくに大扉を打ち破って出現してからのコングが記憶以上に残虐だったことだけ書いておきたい。確かコングが進んでいく先に座り込んで泣き叫んでいる子どもがいて、脇から飛び出してきた大人に助け出されるシーンがあり、原住民たちの生命は奪われなかったと思い込んでいたのだが、そうではなかった。TVで放映されたときは小さい子どもが見ていることを想定して、そうした残虐シーンはカットされていたのだろう。子どもの時に見ていたら、あるいはトラウマとして残ったかも知れないと思った。(コングはきっと子どもには悲劇の英雄だったのだ。)
  ※
 さて、今回書こうと思っているのは『キング・コング』のことではなく、その続編として制作された『The Son of Kong』(1933)のことなのである。後述するように作品自体がB級・C級であるから、見たことのない人、あるいは記憶にない人もいるだろうということで、簡単なあらすじを紹介する。
  ※
 前作から1カ月後、損害賠償を求められ窮地に陥っていたデンハムは逃げ隠れする生活を送っていた。そんな中、同じように船を差し押さえられ困窮していたエングルホーン船長はデンハムを誘い、東南アジアへ交易の旅に出る。なかなか成果を挙げられずにいた二人はとある港町で、かつて髑髏島の地図を譲ってもらったヘルストロームに出会う。ヘルストロームから「髑髏島には原住民の宝が隠されている」と聞いた二人は再び髑髏島に向かうことを決意する。
 新しいヒロインであるヒルダは自らの境遇から逃れようと船の中に潜んでいた娘である。
 髑髏島に上陸したデンハムはヘルストロームの裏切りに会い、ヒルダと行動を共にするうちに、沼に落ちていたキングコングの息子と出会う。デンハムたちは倒木を渡してコングを助ける。するとコングの息子はすっかり二人に懐いてしまい、陰に日向に二人を助けようとする。
 翌日、デンハムはコングの助けを借りて原住民の宝を発見する。そこに恐竜が現れ、デンハムとヒルダに襲いかかるが、コングによって撃退される。デンハムはエングルホーンたちと合流するが、その直後に大地震が発生し、髑髏島が海に沈み始める。宝を取るために残ったデンハムは脱出し損ない、島の頂上に逃げる。コングが現れ、デンハムを手の平に乗せて高く差し上げ、島が完全に海中に没するまで腕を上げ続ける。あわやのところでエングルホーンが漕ぎ寄せたボートに乗り込み、数日後に救助されるが、取り残されたコングは髑髏島とともに海に沈んだ。
  ※
 本作の公開は前作と同じ年で、それだけでも急ごしらえであったことが知れる。前作『キングコング』の大ヒットを受けて急遽、制作が決まったという。もともと二番煎じをねらった作品である上に、低予算で撮影スケジュールも短期間であげなければならなかったそうだ。そこで、引き続いて脚本を担当したラス・ローズは本作にはまったく乗り気でなかったらしい。(最後に髑髏島が海中に沈んでしまうのも、そうすることで三番煎じはなしという先手を打ったのではないかとさえ思った。)
 そのような事情であるから、いたるところで手抜きがはなはだしく、登場する恐竜の数も少なく、しかも恐竜ではなく大熊でお茶を濁してしまうというありさまで、「ロスト・ワールド」としての世界観もぶちこわしなのである。
 それでも懐かしさを感じてしまうのは、グレーがかった毛並みのコング息子のかわいらしさと、アンに執着するあまりに命を落とすことになったコング父の凶暴さが弱まり、無償の愛とでもいうべき自己犠牲の精神に感じ入るところが大きいからであろう。
 原題は『The Son of Kong』で、「キング・コング・Jr」と題名がつけられたこともあったような記憶があるのだが、日本での公開名は『コングの復讐』である。あまりにも内容とかけ離れているので、何かの機会があるときには変更されることを期待したい。
  ※
 以上で懐かしの怪奇スターたちのシリーズを終える。
 クローンやips細胞の時代ならずとも、ホルマリン漬けの脳みそを嵌め込み、電気を通せば(映画の中では紫外線というようなことばもあるが)生命がよみがえるなどというのは子どもにも通用する話ではない。『ドラキュラ』では急速に血液を失ったルーシーに輸血をほどこすシーンがあるが、血液型はどうなっているんだという疑問は小学生だって抱くところだ。
 だが、それではリアルさを求めれば優れた映画になるかといえば、それは違うと思うのである。単なるモンスター映画、単なるゾンビ映画とは違う、というようなことを書いた。刺激の強さだけを求め、子どもが見たら心の傷を残してしまうような映画ではなく、長く記憶の中にとどまり、心の一部として共存しうるような映画、懐かしの怪奇映画とは私にとってそのような存在であったのだ。


by yassall | 2018-04-14 00:30 | 雑感 | Comments(0)

狼男

 ユニバーサル・スタジオが『狼男』を公開したのは1941年のことである。 狼男のメイクにあたったのはやはりジャック・ピアースなのだろう。だが、居並ぶモンスターたちの中では一番不出来だったのではないだろうか? 
 それはピアースのせいとはいえないだろう。フランケンシュタインの怪物もドラキュラも人外の存在であることは間違いない。しかし、フランケンシュタインの怪物は人間の死体を寄せ集めて作られたのだし、ドラキュラも前回の説が正しければ不死を呪われた死者であり、それぞれ人間の姿かたちをしていて不思議ではない(ドラキュラはオオカミになったり、コウモリに変身したりもするようだが)。
 この二者と比較して狼と人間とでは体型の違いが大きすぎる。少なくとも人間の身体をベースにして狼らしさを造形していくのは容易ではない。しかし、俳優としての演技が求められる限り、人間をベースにしていくしかないのである。
 実際、映画でいくら顔に毛を生えさせても、ただ毛むくじゃらの男としか見えず、鼻の頭を黒く塗ったりしてもかえって滑稽なだけである。手足にも毛を生えさせているが丸裸にするわけにはいかなかったのだろう、茶色とおぼしきシャツとズボンを着用させているのも手抜き感がいなめない。
 公開日は12月12日で、アメリカはすでに日本との戦争に突入し、11日にはドイツ・イタリアとも戦争状態に入った。12月以前から戦争は予想されていたのだろう。戦時下にもかかわらず映画はヒットしたということだが、やはり制作段階から予算不足があったのではないかと勘ぐってしまう。
 狼男を演じたロン・チェイニー・Jrも少し太りすぎではないかと最初は思った。(今はおのれの不運と立ち向かうにはこれくらい逞しくなければならなったのかも知れない、とも思う。また、着衣の狼男も半獣半人ということであれば、このような造形もあるかも知れないと思う。)
  ※
 と、のっけから否定で入ってしまったが、懐かしの怪奇スターたちといったとき、他のモンスターにもまして私の心の奥の方に狼男は生き続けているのである。それがどのくらいかというと、ローレンス・タルボットという主人公の名前は即座に思い出せるし、狼男が倒された直後に荷馬車に乗って現れるジプシーの老母の映像が、ふとしたときに脳裏によぎるといった具合なのである。
 それはこの映画の持つ物語性(※)、さらに踏み込んでいえば悲劇性だろうと思う。ヨーロッパに広く流布した人狼伝説がベースにはあるのだろうが、特定の原作はなく、ストーリーは映画のオリジナルである(脚本はカート・シオドマク)。以下はそのあらすじである。
(※物語性などと言い出すと、大げさに過ぎないかとの批判はもちろんあるだろう。70分の上映時間に合わせた程度の内容には違いないが、逆に原作物のようにあらすじをつまみ食いしたようなところはなく、それなりに完結したドラマになっていると思うのである。そうすると、この映画がそもそも恐怖映画として作られているのかどうかさえ疑わしく思われてくる。メイクについては先述したとおりだし、狼男が人を襲うシーンも樹木の向こう側に隠されて表現されるのである。)
  ※
 タルボット家はウェールズの名門である。ローレンス(愛称はラリー)はその次男であるため家を出ていたが長男の急死により父ジョンの跡継ぎのため故郷にもどってきた。ラリーは父が天体観測のために購入した望遠鏡で町を眺めていたとき、骨董屋の娘グエンに一目惚れしてしまう。後に狼男を倒すための唯一の武器となる銀の飾りのついたステッキはラリーが骨董屋をたずねたときに購入したものである。つまり、その登場の時点ではラリーは次男特有の気楽さをそなえた、明るくも軽い男だったということになる。ただ、節度はかねそなえていて、グエンに婚約者フランクがいるのを知ると無理強いはしていない。
 グエンと出会った日、ジプシーの一隊が町をおとずれ、町外れの森で縁日をひらくという。その夜、ラリーはグエンとその友人のジェニーとでジプシーの祭りに出かける。占い師ベラのテントで占いを受けている間に、ラリーはグエンを誘って散歩に出てしまう。実はベラは狼男の呪いを受けていて、占いの最中にジェニーの手のひらに次の犠牲者となる五芒星の印を発見し、ジェニーを帰してしまう。だがすでに時遅く、気味を悪がって森に迷い込んだジェニーは狼となったベラに襲われてしまう。ジェニーの悲鳴を聞いたラリーは助けに向かい、銀のステッキで狼男を倒すが、自らも狼にかまれてしまう。あとで警察が捜索に入るとジェニーと人間にもどったベラの死体があるばかりで狼のすがたはない。ラリーの傷もなくなっているという不思議が起こる。
 その後、ラリーはベラの母親であるマレーバと出会う。マレーバはラリーも狼男となることを予言し、銀の弾丸かステッキでしか殺せないことを伝え、魔除けのペンダントをわたす。ジプシー一行はその日のうちに町を去ってしまう。最初は半信半疑だったラリーはやがて狼男として殺人を犯すこととなり、それが真実だったことを知る。ラリーはペンダントをグエンに渡し、町を出ようとするが父親に止められる。
 森で狼狩りが行われた夜、悲劇の終末がやって来る。父に屋敷に閉じ込められていたラリーは狼男に変身し、やすやすと屋敷を抜け出す。彼の身を案じてやってきたグエンと森の中で遭遇し、襲いかかってしまう。そこへ父ジョンが現れ、銀のステッキで狼男を倒す。ステッキはラリーがジョンに持たせたものだった。
 荷馬車に乗ったマレーバが現れ、呪文をかけるとラリーは人間の姿にもどり、安息の表情になる。ジョンとグエンは愕然とするが、ラリーはグエンを助けようとして死んだ、という話になる。
  ※
 もとをただせばジェニー一人をおいて占い師のテントから離れてしまったことに遠因があるとはいえ、狼に襲われたジェニーを助けようとしてラリーは自らも狼男となる不運を背負ってしまう。不運とはしばしばこのようなアイロニーから始まるものなのかも知れない。
 不運は誰も肩代わり出来ず、自分一人で引き受けていくしかない。苦悩と絶望が襲いかかり、逃れるすべはない。ラリーの場合にはさらに名門としての名誉が重荷として彼を苦しめる。脱出口はおのれの破滅にしかない。
 しかし、人が悲劇に引きつけられるのは、そのような不運に襲われる可能性は誰の身の上にもあり、不運に立ち向かう姿には人間の尊厳が見いだされるからではないだろうか? 自らの運命から逃れられないと知ったラリーはグエンの身を案じ、父ジョンの身を案じ、愛する人々を守るために自分をそれらの人々から遠ざけようとするのである。
 フランケンシュタインにせよ、ドラキュラにせよ、そして狼男にせよ、そこに悲劇が見いだされない限り、単なるモンスター映画あるいはゾンビ映画になってしまう。そして残念なことに、映画がヒットして続編が作られるたびにそうした傾向が強まるように思われるのである。
 幼少期に見たこれらの映画がいつまでも心の底に残っている理由は、こうした悲劇性にあると今なら確かにいえる。悲劇には人間の真実の一断面があるのである。幼き日、私はこれらの映画を通してそのことを予感したのである。
  ※
 悲劇性と並ぶもう一つの理由は異界への誘いということではないだろうか? 『狼男』の場合に物語上でも、映像上でも、重要な要素となるのは森である。濃霧につつまれた森はまるで薄墨で描かれた墨絵のようであり、モノクロならではの映像美なのである。
 そもそもヨーロッパは森の国であった。『マクベス』をみてもイギリスでも事情は変わるまい。ヨーロッパから森が失われていったのは産業革命で大量の燃料が求められたからである。
 そして山や森はヨーロッパの人々にとっては長く恐怖の対象だった。『ヘンゼルとグレーテル』は貧しく、食べるものもなくなった親が幼い兄妹を森に捨てる話である。『赤ずきん』も森の中でオオカミに襲われる。山はまさに『魔の山』なのである。
 人間は異界を恐れ、また異界を身近に感じることによって、人知を超えた存在のあることを知るのである。それを迷妄として遠ざけるのはたやすい。しかし、異界を通して人間が謙虚さを得たり、日常を相対化する可能性を広げられるのもまた確かなのである。
  ※
 最後にもう一つ。繰り返しになるが、狼男となったラリーを滅ぼしたのは父ジョンである。そのことは長く記憶になかった。だが、次男という立場から一度は家を離れながら家名を嗣ぐためという理由から呼び戻されたという経緯を振り返ると、そこには父と子の相克といったテーマが隠されているのではないかという推理が働くのである。あるいは、ラリーは父の愛情に飢えていたのではないか、といった。

(次回、番外編があります。)

[後注]
 風間賢二『ホラー小説大全』(1997)によると人狼(WEREWOLF)と狼男(WOLFMAN)には明確な違いがあり、前者が古来からの民間伝承に由来し四足獣としてのオオカミに完全に変身してしまう存在であり、後者はユニバーサルによって作り出された二本足で歩行するオオカミのような怪物に変身する男であるという。そうすると、本文では語の使用法を取り違えたことになる。なお、同書で知ったことだが『狼男』の脚本家カート・シオドマク(1902-2000)はSF作家・脚本家として名高いそうだ。『狼男』はその出世作とのことだ。


by yassall | 2018-04-12 15:33 | 雑感 | Comments(0)

ドラキュラ

 ベラ・ルゴシ(1882年 1956)とクリストファー・リー(1922 2015)は吸血鬼ドラキュラの二大俳優である。
 ベラ・ルゴシはハンガリー出身で、母国にあったときから著名な舞台俳優であった。第一次世界大戦後、革命政権の崩壊とともに亡命し、1921年にはアメリカに移住した。英語を覚えながら演劇活動を再開させ、ユニバーサル・スタジオによる『魔人ドラキュラ』(1931)に抜擢された。
 クリストファー・リーはイギリス出身で、活躍時期は第二次世界大戦後である。196cmという長身であったため端役に甘んじていたが、ハマー・フィルムがクラッシックホラー映画を制作するにあたってピーター・カッシングと並ぶ二大スターとして開花した。
 ハマー・フィルムは1950年代のイギリスに誕生したプロダクションであるから、ドラキュラは祖国の地に返り咲いたことになる。
 クリストファー・リーの『ドラキュラ』映画は成功をおさめ、ハマーだけで9作が作られたほか、ヨーロッパ各国で映画が撮られた。その後、怪奇映画俳優としてのみならず、『007』シリーズに出演したり、2000年代以降も『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』で存在感を示すなどしたところがクリストファー・リーのすごいところである。
 ベラ・ルゴシにせよ、クリストファー・リーにせよ、ヨーロッパ出身の俳優である。少し先走るが、ドラキュラをを演じようというとき、中世という歴史をもたないアメリカ出身の俳優であってはならないという意味で、(実際、アメリカの俳優による吸血鬼はどこかしら薄っぺらで滑稽なのだ)、映画が成功するための必然であったのではないかと思うのだ。
   ※
 ドラキュラの故郷はトランシルバニアである。『ドラキュラ』の原作者ブラム・ストーカーは最初、オーストリアに伝わる吸血鬼伝説を基にするつもりであったらしい。現在、トランシルバニアはルーマニアの一部になっているが、歴史の上ではオーストリア領であった時代もある。同様の伝説が伝わっていたのだろう。
 ヨーロッパでの取材を終えイギリスに戻ったストーカーは、図書館でワラキア公ヴラド三世(1431 1476)のことを知る。ワラキアはトランシルバニアの南に位置し、やはり現ルーマニアの一部を占めている。ドラキュラ城のモデルとして知られるブラン城はワラキアとの県境のトランシルバニア側にある(だから実際にはヴラド王の居城であったことはない)。現在は観光名所となっているそうだ。
 ヴラド三世は通称ドラキュラ公(別名串刺し公=ツェペシュ)である。ドラキュラは「竜の息子」というような意味であり、父ヴラド二世が神聖ローマ帝国により竜騎士団の騎士に任じられたことからドラクル(竜公)と呼ばれたことに由来する。「竜」は悪魔の象徴でもあったことから二世は「悪魔公」とも称されたという。三世はオスマントルコ帝国から祖国を守った英雄でもあるのに、いつしか「悪魔の子」という見方をされるようになった。(これにはハンガリー王が流布させた悪評も影響をあたえているという説もある。)
 ゲイリー・オールドマンがドラキュラを演じた『ドラキュラ』1992年版はこうした歴史的背景をストーリーの中に取り入れ、ヒロインのミナは400年前に死んだドラキュラの妻エリザベータの生まれ変わりであったとし、幾世紀の時代を超えた愛の物語に仕立て上げている(この映画については後述する)。原作とはだいぶ異なるが、ストーカーがヴラド公のことを知って物語をふくらませていったことは間違いない。
   ※
 さて、私にはベラ・ルゴシの「ドラキュラ」の記憶は薄い。黒マントに身を包んだドラキュラのイメージがベラ・ルゴシによって作られたものであることは理解しているものの、私の記憶の中のドラキュラの地位はクリストファー・リーによって占められている。
 クリストファー・リーがドラキュラ伯爵を演じ、ピーター・カッシングがヘルシング教授を演じた『吸血鬼ドラキュラ』は1958年の公開である。私はこの第1作と(たぶん)第3作の『凶人ドラキュラ』(1966)を見ている。ところが、今回DVDを入手して見てみるとずいぶん記憶と違っていることに気が付いた。
 まず、1958年版は初のカラー・フィルムによるドラキュラ映画なのだそうであるが、ここが違っていた。私の記憶に残るクリストファー・リーがモノクロの世界の魔人であるのは、我が家のTVがまだ白黒TVであったためかも知れない。
 しかし、何よりイントロ部分が異なるのである。物語は弁理士のジョナサンがロンドンに屋敷を購入したいというドラキュラ伯爵との交渉のために、トランシルバニアの山中にある古城を訪ねていくところから始まる。つまり、いち早く近代化をなしとげたイギリスから、それでも後に続いた西欧を抜け、いまだ中世の伝説が生きる東欧へと入っていく過程が大切なのである。
 トランシルバニアのある村に到着し、ジョナサンが行き先を告げると、村人たちはいっせいに恐怖のまなざしを向ける。乗合馬車もボルゴ峠でジョナサンを降ろすと早々に去ってしまう。夜も更ける中を一人待たされたジョナサンのもとにドラキュラ城からの迎えの馬車が到着する。馬車はオオカミの遠吠えが聞こえてくるような山道を走った後、深い堀に囲まれた城内に入るや跳ね橋が引き上げられてしまう。
 異界に入っていく通路としてこれだけの各段階が必要なのに、1958年版では馬車が嫌がって行ってくれないので徒歩で屋敷まで歩いた、というような説明とともに、いきなり屋敷の前にジョナサンが登場する。それも白昼とおぼしき明るい中をである(屋敷の中に入ると夜中であるようなので、昼とみえたのはカラー・フィルムの露光のためだったのかも知れない)。
 深夜、ジョナサンに襲いかかるドラキュラの花嫁は3人でなければならないのに1人しか現れない。ジョナサンの職業もドラキュラに司書として雇われたことになっており、しかもそれは仮の姿であって、最初から吸血鬼を退治しようと乗り込んで来たことになっており、しまいには早々に返り討ちにあってしまう。そこで、後から登場するルーシーやミラとの人間関係もごちゃごちゃになってしまう。
 そしてより重大なことは、物語の第2ラウンドとなる土地がロンドンではなくトランシルバニアの周辺地と思われる場所なのだ。近代対中世、文明対伝説、都市対自然という物語の一番大きな構造がなし崩しになっているのである。1958年版は『ドラキュラ』映画の最高傑作とも評されているとのことである。しかし、原作と映画とは別物であっていいとはいいながら、これらの改変を容認することは私にはとうてい出来ないのである。
   ※
 『ドラキュラ』には「遅れた」東欧に対する蔑視や、ドラキュラの手先とされるジプシー(現代ではロマとされるがそれが正しいかどうかは不明)に対する差別意識があるとされる。
 間違っているとはいえないのかも知れないが、私の理解は少し違う。資本主義の発達は歴史の「進歩」を飛躍的に高めた。その「進歩」にもしかすると人間は追いついていけていないのかも知れない。自分たちが置き去りにしてきた中世的世界は本当に無価値だったのだろうか、というような問いがあっただろうし、古い伝説は意識の古層の奥に生き続けているのではないだろうか? それらの古層に眠るものは、人々が何を恐れ、惹かれていくかを無意識のうちに決定づけているのではないか?
 イギリスは世界にさきがけて資本主義を発達させた。イギリスに生まれたブラム・ストーカーはまた、世界にさきがけてそうした近代人の心の闇をかかえてしまったのではないか?
 ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』にいち早く注目した一人にフロイトがいるという。フロイトはリビドーと抑圧、エロスとタナトスの葛藤、あるいはエディプス・コンプレックスといったところから『ドラキュラ』を読み解いていったらしい。確かに首筋に残された傷跡などには性的な雰囲気がただよう。
 しかし、それらの解釈をおいたとしても、近代対中世、文明対伝説に引き裂かれた人々の深層心理の中に押し込まれた不安が反映されていると解釈するのは間違ってはいないと思う。不眠と悪夢に悩まされたというストーカーは、伝説世界の息づく東欧にある種の恐れと密かなあこがれを抱いていたのではないかと私は思うのである。
   ※
 ドラキュラは不死の物語である。種村季弘は『吸血鬼幻想』(1982)で吸血鬼伝説の原初的なすがたは死んだのちにも死にきれず、墓場から甦っては人々を襲う死餓鬼があるといい、さらにその背景には死者の蘇生(とくに埋葬されてからの)への恐怖があったのではないかと述べている(ような記憶がある。もう一度読み返してみる気力がないので確かではない)。
 不老不死といえば東洋の神仙思想において仙人は理想とされる存在である。同じ不死の生命を得た者であるとはいえ、霞を食って生きる仙人と人の生き血をするる吸血鬼とは大きな違いがある。キリスト教の世界では不死に対するイメージが異なるのだろうか? 神による復活とは異なる蘇生は悪魔のしわざでもあるというふうに。
   ※
 ここで1992年版の映画『ドラキュラ』についてふれる。先に述べたドラキュラとエリザベータの愛の物語という解釈は今となってみると踏み込みすぎだと思われる。しかし、そのことを除くと、かなり原作に忠実に作られている。ラストシーンで、心臓を剣で刺し貫かれ、死を迎えようとするドラキュラからは悪鬼の容貌が消え、穏やかな表情にもどる。とどめを刺したのがミラであるところは異なるが、これも原作の通りである。死はドラキュラの安息なのである。
 何より映像が美しい。、ウィノナ・ライダーが演じるミナはもちろん、3人の花嫁たちも文句なく美しく妖しい魅力に充ちている。カラー撮影の進化を実感するが、その映像美には衣裳デザインを担当した石岡瑛子(アカデミー賞衣装デザイン賞受賞)の力も大きくあずかっているに違いない。とくにルーシーの花嫁衣装にして死に装束でもある純白のドレスの美しさといったらない。
 まだ城にいて、若返る前のドラキュラが身にまとうマントは黒から赤に変わり、髪型も凝りに凝っている。旧来のイメージからの脱却というねらいが鮮明である。監督のコッポラがプロデュースした『フランケンシュタイン』(1994)については前回述べた通りだが、この映画については私は高く評価せざるを得ないのである。
   ※
 最近では『ヒトラーから世界を救った男』でウィンストン・チャーチル(ここでも辻一弘が特殊メイクを担当し日本人アーチストとかかわっている)を演じたゲイリー・オールドマンは、もはや怪優の域に達しているのかも知れない。『ドラキュラ』での演技にも(イギリスの俳優だからというわけではないが)気品と哀愁のようなものを感じる。
 それでも私にとってのドラキュラはクリストファー・リーなのである。オールドマンが取って代わることはないのである。
 では、私の『ドラキュラ』はどこへ行ってしまったのだろうか? 古い記憶の扉を開けようとしながら、いざ扉を開けてみたら中味はからっぽであった、というような不思議な喪失感を私は味わっているのである。

(あるいはベラ・ルゴシの映画も見ていて、それらが記憶の中でごっちゃになっているのかも知れない。ルゴシの映画ではボルゴ峠も出てくるし、花嫁は3人であるようなのだ。最近、DVDが出ていることを知ったからいつか見てみようとも思っている。)


by yassall | 2018-04-09 23:49 | 雑感 | Comments(0)