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新座市栄・池田九条の会 講演と春の風コンサート

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 2月24日、「新座市栄・池田九条の会 結成12周年 講演と春の風コンサート」が開かれた(会場は新座市福祉の里)。詳しくは「埼玉県高校・障害児学校教職員九条の会」のブログにゆずるが、かつての同僚が地域で奮闘していること、そして渡辺治さんのお話しが聞けるということで出かけてきた。渡辺さんのお話は、いつも的確な情勢分析がなされるだけでなく、めざすべき方向や実現に向けての展望を示してくれ、元気と勇気を与えてくれる。
  http://blog.goo.ne.jp/9jousks?fm=rss
 第一部は桂綾子さんのフルート演奏会、地域にねざして活動を広げていくために文化行事も大切にしていることが知れた。そして第二部が渡辺治さん(一橋大学名誉教授、福祉国家構想研究会)による講演(演題は「どうなる憲法9条・どうする自衛隊 安倍改憲の新段階と改憲阻止のたたかい」)という構成だった。
 9条加憲論の源は公明党であること、「安倍政権の下での改憲には反対」の声は一定程度広がっている(『朝日』賛成34%、反対46%)が、9条自衛隊明記の危険性は必ずしも浸透していないこと、しかしながら「我が国を防衛するための必要最小限の実力組織としての自衛隊」というような規定がなされるならば、実力組織=戦力による「防衛」を容認すること意味し、それは9条を無効化することに他ならないこと、その戦力を「集団的自衛権」の下に海外でも行使することに道を開くことなる、といったことが解明されていった。
 昨年10月の突然の解散・総選挙のねらいは、これに先立つ都議選での自民党の惨敗から強行突破が困難と判断されたことと同時に、野党第一党であった民進党の切り崩しの好機とみたことがあった、その結果、いわゆる改憲勢力は8割をこえる議席を占めるにいたったが、新たな野党第一党に立憲民主党が躍り出たことによってそのねらいは半分しか達成できず、希望の党の内部にさえ改憲反対派を生み出すにいたった、という分析もなされた。
 その立憲民主党を生み出したものこそ、「市民と野党の共闘」の積み重ねであり、13ポイント差を逆転(自公47.17%vs野党3党33.19%→広田56.48%vs山本43.52%)した高知二区の選挙結果はその好例であること、改憲の発議を断念させる力もこの「市民と野党の共闘」以外にはあり得ないこと、そのためにも3000万署名を成功させることが重要となること、総選挙での立憲3党の比例得票数が1643万票・戦争法廃止署名が1560万筆という状況の中でこれまでに倍するとりくみが必要となるが、たとえば自民党の牙城である山口県における出口調査で希望支持者の65%、公明党の32%、自民党の15%が9条改憲に反対(『朝日』10月24日)しているようにその展望は確かにある、というようにポイントを押さえた内容であった。
 2018年はまさに正念場であり、発議されてからでは遅く、もし国民投票が強行されたとしても改憲を阻止する力は3000万署名と市民アクションの高まりにしかないことが強調され、渡辺さんもその先頭に立とうという本気度が確かに伝わってきた。
 参加者は85名とのことだった。一自治体の一地域にかかわらずというか、長年にわたって地域に根ざしてきた運動であるからこそというべきか、盛況であったといっていいと思う。


by yassall | 2018-02-26 19:11 | 日誌 | Comments(0)

中村彝アトリエ記念館

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 20日、天気がよかったら久しぶりに外出しようと思っていた。目白に中村彝のアトリエが復元されているというので、以前から一度行ってみようと思っていた。目白にはそれ以外には何があるとも思いあたるところがなかったので、ずっと後回しになっていたのだ。半日程度の散歩にはちょうどよいだろうと出かけることにした。
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 詳しい地図が入手できなかったので、下落合3丁目という番地だけを頼りに歩き始めたのだが、目白通りを西へ進んでいくとほどなく案内表示を発見できた。これで迷いようもなさそうなのに、間近になってからあちこち彷徨き回っては訪ね歩くことになった。それも初めての土地では楽しみなのである(と強がりをいう)。
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 庭側から全景をながめる。復元といっても、中村彝の後の所有者である画家の鈴木誠によって増改築された部分を除いていったということで、当時の部材も数多く活かされているということだった。
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 庭の風景。今はすっかり住宅街になってしまっているが、当時はいかにも東京郊外といった風情で田園風景がひろがっていたそうだ。隣の池袋に住んでいたことのある父が犬を散歩に連れて行き、小川で身体を洗ってやったことがあるというようなことを昔話で聞いたことがある。中村彝が37歳で亡くなったのが大正13年、父が池袋に住んだのはそれから10年後くらいだから、何となく想像できる。
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 中村彝アトリエ記念館は新宿区立。入場は無料である。採光のために大きく開かれた窓はアトリエらしく北側に面している。
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 これも採光のために設けられた天窓。平屋作りなのに大きな三角屋根があるのはこのためらしい。
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 アトリエのすぐ隣の居室はビデオルームになっている。こちらは南側ということになり、庭が眺められるが扉などは痛みが激しい。中村彝については近代美術館所蔵の「エロシェンコ氏の像」の作者であること、新宿中村屋のサロンのメンバーであったこと位しか知らなかった。ビデオは15分ほどで、彝の生涯と作品の概要について知ることが出来る。早世してしまった画家らしく、「エロシェンコ氏の像」が傑作であることは疑いないとしても、他に残されている作品はルノアール、セザンヌ、ゴッホ、ドラクロアなど、様々な画家たちからの影響が顕著な習作といったレベルで、まだ独自の作風を確立するまでには至っていないように思えた。それでも代表作である「小女」などはルノアールにはないまなざしの強さが感じられた。
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 赤レンガ造りの門柱も当時の雰囲気を再現したものらしい。
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 私には今年初めての梅である。
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 目白駅はもしかすると学生時代に一度だけ参加した四大学祭で降車して以来かも知れない。もっとも、安倍晋三が成蹊大学、麻生太郎が学習院大学卒業と聞いては、もはや四大学を強調する気にはなれない(笑)。

 GM5+12-32mm

 この記事を書いていると金子兜太氏の訃報が流れてきた。ご冥福をお祈りしたい。「アベ政治を許さない」を揮毫なさった。

    梅咲いて庭中に青鮫が来ている  兜太


by yassall | 2018-02-21 19:23 | 散歩 | Comments(0)

つい一言 2018.2

 久方ぶりの「つい一言」の更新なので、最初に近況というのか、最近の心境というのか、そのあたりから書いてみたい。
 「つい一言」だけでなく、今年に入ってからブログの更新そのものが滞りがちなのだが、2月に入るなり少しばかり重い風邪を引き込んだことが大きい。もともと出不精なのに1週間ほど外出もせずにいたし、その後も積極的に行動する気になれなかった。新しい記事を投稿しようにもネタがないというのが本当のところだったのだ。
 11月に不注意で突き指をした。なかなか治らない。いくら何でも長すぎるな、と怪しんでいたが、整形外科にかかったときに見てもらったらへバーデン結節だと診断された。人差し指から小指にかけての第1関節に発生する変形性関節症で、40歳以上の女性に多いのだそうだ。今のところ、突き指だと思い込んでいた中指以外には痛みはないのだが、よく見ると中指以外にも人差し指と小指は明らかに第1関節に結節があり、曲がっている。関節リュウマチとは違うというのを喜んでいいのかどうかは不明だが、やはりキーボードを叩くのに辛いものを感じるようになったのだ。
  ※
 さて、「つい一言」に限ってみると、昨年の10月21日以来、投稿が止まっていた。突然の解散による衆院選挙の前日である。どうもこの辺にも更新が滞りがちになってしまった原因がありそうである。
 怒りを忘れたわけでない。ただ、今日書こうと思っている「裁量労働制」の問題にしても、根の深いところまで突き詰めていこうとすればそれなりの構えが必要になるし、自分に書ききれるかどうかと考えるとつい二の足を踏んでしまう。これだけ大問題になっていることを、何も自分までもが書く必要があるのか、と考えれば気力も萎みがちになる。所詮、蟷螂の斧との自覚にもとづいているののの、この怒りは広がっているのか、人々と共有されているのか、という焦りの感情もある(怒りが広がっているのなら、あの選挙結果にはならなかったはずだ、というやる方なさ)。
  ※
 「裁量労働制」の問題とは、裁量労働制の下で働く人の方が、始業・終業時間を定めた働き方をする人よりも労働時間が短いとした安倍首相の国会答弁が、データに捏造ありとして撤回に追い込まれた一件である。今日のニュースでは、厚労省の調査が一般労働者には1ヶ月で一番長く働いた日を聞き、裁量労働制の調査では単に一日の労働時間を質問したものであることが明かされ、「おわびを述べた」とあった。ちらっと見たTVのニュースでは安倍首相の姿はなかったが、麻生財務相や加藤厚労相といった閣僚たちがなぜかヘラヘラと笑いこけている様子が映し出されていた。
 「森友問題」でも破棄されたはずの文書が次々と明るみに出されている。麻生財務相の答弁は「法律相談であって価格の交渉ではなかった」などという子供だましの内容だった。今回もきっと国民は「子供」のようにことの重大性を理解しないか、「精査中」などという言い逃れや、たわいもない言い訳でだまされてくれるだろうと高をくくっているのだろう。明らかに国民は「侮辱」されているのである。
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 「裁量労働制」=「働き方改革」の根っこにあるのは、安倍・自民党がかかげる「世界で企業がもっとも活躍できる国」づくりである。根底に流れているのはグローバル化社会=競争社会の国際化の現状にあって、競争力を高めなければ国際競争に勝ち抜けない、といったような論理だろう。
 だが、「一将功成りて万骨枯る」ではないが、日本企業が大儲けをあげている下で、国民の生活や健康が損なわれ、家庭が破壊され、次世代の未来が失われるようであってよいはずがない。一時の栄華に酔いしれ、百年の計を忘れるような態度は少なくとも真の政治家のものではない。(2月19日)
  ※
 怒りが失われる、ということは、無力感にとらわれてしまうということで、つまりは諦めの境地に入ってしまうということだろう。人生には諦観が求められることもあるのだろうが、ここでいう諦め(=断念)と諦観とは異なるとも思う。もともと「ボケ防止」と思って始めたブログであるから、自分の指と相談しながら、続けられる限りは続けていけたらと思っている。

 「捏造」「虚偽」「隠蔽」といえば、これもまた国民に対する侮辱としかいいようがない。大手電力会社が「満杯」としてきた送電網は実際には利用率は2割程度(※)で「空き」は十分であったということだ。
 ※2016年の電力業界によるデータによると、全国の基幹送電線の平均利用率は19.4%、最も高いのが東京電力の27%で、最も低いのが東北電力の12%であるという。
 「空き容量なし」という点については以前から疑問視する声が大きく、電力会社側としても真実を公表するしかなくなったということだろう。それでも、各社が「空き容量ゼロ」と公表した路線は全路線の34.8%、特に東北電力は70%近くの路線を「空きゼロ」とし続けているそうだ。
 しかしながら、その理由は将来原発を再稼働した場合を想定してのことであり、つまりは再生可能エネルギーの新参入を阻もうとするためとしか思われない。それでも参入しようとする場合には、高額の増強費用を求められる事例が全国で発生しているという。
 国際再生可能エネルギー機関(IREA)は、再生エネルギーの発電コストは2010年からの7年間で大幅に下がり、世界平均で太陽光は73%、陸上の風力は23%下落したとの報告書をまとめたという新聞記事があった。アドナン・アミン事務局長は「再生エネへの転換は、環境への配慮というだけでなく、今や経済的な選択だ」と指摘したという。
 日本政府の原発=「ベースロード電源」という規定は、原発にしがみつこうとする電力各社には福音のようであるのだろう(というより電力会社側の要望に政府がしたがったというのが真相だろうが)。だが、そのことで電力政策では世界に遅れをとることになってしまうのではないのか? 
 やがては避けがたい廃炉や廃棄物処理まで考えれば、「安全・安心」どころか、原発の「低コスト」神話も今や架空の物語である。省エネ技術が向上し(※)、また人口減が進む日本で、原発のような巨大で暴走おさえがたく、腐臭さえ放ちつつあるかのモンスターと共倒れの道を選択する理由は何もないと思うのである。
 また3.11が近づいてきた。政府は一刻も早く「原発ゼロ」へ舵を切るべきである。(2月22日)
 ※小話を付け加えれば、先日我が家の前の街灯の交換工事が行われていた。「故障ですか?」と工事の人に声をかけたら、「いえ、LEDとの交換です。」という返事だった。見ると我が家の前だけでなく、軒並みで工事を続いているらしい。都内全部となるにはまだ時間がかかるのだろうが、着実に省エネは進められているのである。

 前回話題にした再生可能エネルギーについて、政府のかかげる再生エネ割合の目標が低すぎるのではないか、との声が自民党内部からも出ているという。その一人に、河野外相が「世界平均は現在24%。(これから)目指す数値が今の世界平均ということは外相として悲しい」と発言したという。だが、河野氏については、その程度の発言ではとうてい挽回しようもない問題発言があったのだ。
 米トランプ政権は核戦略の中期指針「核体制の見直し(NPR)」で、核兵器の使用条件緩和を盛り込んだ。具体的には、いわゆる戦術核兵器の製造と配備をすすめ、核兵器の使用についてのハードルを下げていこうというものだ。
 かつて毛沢東は「核兵器は張り子の虎だ」と言い放った。つまり、威力が巨大すぎ、ひとたび核戦争が勃発すれば世界そのものが破滅してしまうのだから、アメリカといえども核兵器の使用には踏み切れまいと高をくくったのだ。
 戦略核兵器については相手に使わせないための「抑止力」論、あるいは「核均衡」論が確かに存在する。だが、その論理を是とすれば北朝鮮のように自分の国も核兵器を持ちたいとする国は現れてくるだろうし、緊張が高まりこそすれ、緩和されることはあり得ない。
 それより何より、アメリカは先制不使用という態度はとっておらず、実際に朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機など、核兵器の使用は何度も検討されたということを忘れてはならない。
 現在、戦術核兵器の保有量はロシア側の方が多く、またクリミア紛争の際にロシアは戦術核兵器の準備をしていたという報道もあった。それらに対抗するための戦略という意味合いがあるのだろうが、何よりも世界におけるアメリカの相対的な地位の低下を反映していると考えるのが妥当なところだろう。だとすれば、ますます核兵器使用の閾は低くなる。
 さて、日本政府はどう対応したか? アメリカがNPRを発表したのが2日、河野外相はその翌日に「高く評価する」との談話を発表したのだ。より詳しく書くと、「米国による抑止力の実効性の確保とわが国を含む同盟国に対する拡大抑止へのコミットメント(関与)を明確にした。」という理由付けによるものだという。
 つまり、戦術核兵器についても「抑止力の実効性の確保」が目的だとしているのだが、あまりに楽観的すぎはしないだろうか? アメリカの核戦略の変更はもちろん北朝鮮も刺激したことだろうし、極東アジアでも緊張を高めていくことだろう。朝鮮半島・極東アジアの非核化は遠ざかるばかりであろうし、暴発の危機が高まることは避けがたくなる。河野外相は衆院予算委員会での野党の追及にも自説を曲げなかったという。
 最近、怒りを覚えたこと、というので資料を保存しておき、記事を書き始めたところで米フロリダの高校で銃の乱射事件が発生した。トランプ大統領は被害者を招いた意見交換会で、「もし銃に熟練した教師がいたなら、襲撃をあっという間に終わらせることができただろう」という意見に対する賛同を求めたという。賛成者が少数であったにもかかわらず、銃で武装した教師にはボーナスを支給することも検討するなどと発言したそうだ。(補足すれば学校の武装化は「全米ライフル協会」が支持しているとのこと。)
 学校で生徒を教育する立場にある教師に銃を持たせ、その使用によって問題を解決させようというような思想の持ち主に、核兵器は「抑止力(であって実際には使用されない)」というような理性をいささかでも期待することが出来るだろうか? (2月23日)


by yassall | 2018-02-19 19:52 | つい一言 | Comments(0)