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2017年埼玉高校演劇中央発表会

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 11月18・19日、埼玉県高等学校演劇中央発表会が開催された。今年も写真記録の係を依頼された。今年はメインのIさんがフルタイムでいられるというので、半ば趣味の延長という気楽さで引き受けた。何にしても2人というのは何かのときにはカバーし合えるという点で心強い。Iさんもそう思ってくれたならうれしいことだ。
 趣味の延長というのは、具体的には新しい機材を試してみたかったということである。D750はフルサイズであることに加えてハイライト測光という測光方式が選択できる。AFも-3レベルの暗所に対応し、f8のレンズでも合焦可能なフォーカスポイントを備えている。購入の動機は35mmフイルム時代のレンズが使えるというのが最大の決め手であったが、舞台撮影に威力を発揮するかもというのも大きな要因であった。
 スポットライトに照らされた人物を撮るとき、もっとも懸念されるのは白飛びである。その点、ハイライト測光は確かに効果があると感じた。マイナス側よりプラス側に露出補正が必要なケースが多かったほどである。ただ、ミラーレスの場合は撮影前にモニターで補正の適不適をある程度まで確認することが可能だが、一眼レフの場合は勘に頼りながら、また撮影後の画像を確認しながら値を決めていかなくてはならない。どうしても試し撮りの枚数が増える。
 ファイルをパソコンに落とし、一度だけ画像チェックをした段階だからまだ何ともいえないが、ピントについてはm4/3のG8と比較して飛躍的に向上しているかどうかは微妙である。舞台の場合、サスにしろシーリングにしろ、トップからの光が多い。そのためか、どうしても顔や首回りに影が出てしまう。それを避けるためには露出を開けることになるから今度はまた白飛びが心配になる。最終的には枚数をかせいでおくしかなさそうだが、いずれにしてももっと使い込んでおくことが大事だろう。重たいカメラだから三脚の使い方あるいは選択も考え直さなくてはならないかも知れない。
   ※
 さて、カメラの話になると際限もなくなってしまうが、審査の結果は下記のようであった。

 最優秀賞   越谷南高校「宵待草」
 優秀賞一席  秩父農工科学高校「Solid Black Marigold」    (以上は関東大会に推薦)
 優秀賞二席  芸術総合高校「朝がある」
 創作脚本賞  越谷南高校「宵待草」斑鳩里志・作

 最優秀賞・優秀賞一席とも顧問創作である。今年は秩父農工科学高校の芝居に注目させられた。高校生が生徒会室に集まってきては生徒会活動にあたったり、文化祭準備のためにマリーゴールドの造花を作ったりしている。生徒会室を取り囲んでいるのは鉄筋がむき出しになったコンクリート建築の廃墟のようである。そこへ転入生がやってくるのだが、その転入生は生徒会メンバーの多くが卒業した小学校で、かつて皆がイジメの対象にした生徒だった、というのが物語の発端である。
 イジメを取り上げているとはいえ、その場でイジメが展開されるのではなく、過去のイジメや知らんぷりを反省して謝罪し合っていくという逆ベクトルになっている。暴力の連鎖をさかのぼっていくと「見ていたのに助けようとしなかった」から「知ろうとしなかった」ことの罪悪にまでたどりつく。
 「サイコパス」の問題が出てくるところが少しわかりにくかったが、「共感」の欠如というあたりが焦点になるのだろうか? そのあたりまで突き詰めたところで、一転してテロの問題が提起される。ここで舞台装置としての廃墟の意味も明らかにされる。具体的にはシリア空爆の光景である。カナトの妄想癖というのは言葉を変えれば想像力であるのだろう。カナトは想像力で世界とつながったのである。
 マリーゴールドの花言葉は「友愛」と「絶望」なのだそうである。ラストは爆撃機の飛来音らしき音響でしめくくりとなるが、「絶望」的な状況ばかりが提示されたのだとは思われない。「絶望」に突き当たったあと、なお「友愛」の道の探求を伝えようとしたドラマであるとみた。「絶望」の底まで落ち込むことで、はじめて「希望」を切実に希求することがあるように。
 今年夏の宮城大会を振り返った小池さんの文章に、「誰も掴みだしていないようなココロノカケラ」を舞台化していきたい、というような一節があった。昨年の芝居で秩父農工がめざしたものが何であったか少しばかり理解できたような気がしたが、私としては今年の方が作品として優れていると思われた。直前でひねりの入る変化球ではなく、ストレートにメッセージが伝わってきたように思えた。
  ※
 越谷南高校の芝居は審査結果の発表の以前から周囲の人たちの間で評価が高かった。ただ、どうしてか私は芝居に入っていけなかった。理由としては幕開け早々にちょっとした撮影上のトラブルがあったことがあげられるかも知れない。ツカミのところをツカミ損なってしまった。
 だが、そればかりではないように思う。様々な人間模様が延々と繰り広げられていくのだが、いったい何を伝えようとし、どこへ向かって時間が進行しているのか、そのかけらさえも心に引っかかってこないのだ。
 大正という時代の雰囲気を表現してみたかった、というならそれでもいい。激動の昭和の前夜、日本の近代史の中でも特異な位置を占める大正に心引かれる気持ちも理解できないわけではない。だが、もともと「大正浪漫」などというのはあまり信用していないが、どこか頽廃的なまでの爛熟を表現するには役者があまりに若すぎる。フリーラブを唱えながら先へ進もうとするとたちまち封建的な家制度の壁に突き当たらざるを得なかった挫折が表現されているか、といえばそれは無理だっただろう。やがて日本を飛び出していった東郷青児、アナキスト大杉栄らが人物群像として配され、豆腐屋に「シベリヤ出兵以来、どうにも不景気で」というような台詞をしゃべらせることでもう一つの大正史が描かれそうにもなったが、芝居を立体的にするまでには至らなかったように思う。
 以上のようなものいいになってしまうのは目下のところ私が次のような「大正」観に大きく影響されているからかも知れない。実際、急速な資本主義の発達の中で労働問題は深刻化していったし、昭和の戦争の時代に兵士として動員されていった圧倒的多数は大正生まれであったのだろう。「大正浪漫」「大正デモクラシー」は歴史の一面でしかない。

「大正の文化を支配した普遍主義が、西洋市民社会の日本社会への内面化であるという幻想を知識階級に抱かせたときから、明治近代国家が帝国主義国家に変質し、まずアジアの中で急速に孤立の度を深めていったのは、皮肉な運命といわねばならない。」(桶谷秀昭『夏目漱石論』)
  ※
 新座柳瀬高校の「Lonely My Sweet Rose」は選外となってしまったが、深い井戸から水を汲み上げてくるような、あの切ないまでのリリシズムは確かに会場に伝わったと思う。
  ※
 所沢北高校の「のぞく・はいる・ほる」には、実は心配と期待とが相半ばしていた。心配というのは地区発表会で私たちが目の当たりにした通りの芝居が中央発表会で再現できるだろうかだった。(さらなるレベルアップを目標にしてもらいたかったのはもちろんだが。)どうしても守りに入ってしまうことで、台詞のやりとりでは微妙に間の狂いがあったとは思う。衣装を夏物から秋物(一部不統一)に変えてしまったから、何となく軽快さが失われてしまった(あわせてそれぞれが自分を守る鎧を持ってしまった)ようにも感じた。だが、総体としては上出来だったと思っている。
 地区発表会での劇評にも書いたが、この重いテーマを正面から受け止め、自分たちなりに脚本を読み込み、理解しようとし、舞台化しようとしていた。頭だけ(?)で演技しようとしているというような言われ方をするかも知れないが、それを言ったら頭を使わずに演技しようとしていた学校が他にあったのかと問いたいし、舞台化といったとき、彼らが身体表現の重要性に気づかず、おろそかにしていたとは思えないのである。(Eが声を張りすぎてしまったために怒りの中にある嘆きを表現しきれなかったというようなことは確かにある。頭ではEの心情を理解できていても、心が作れていなかったということかも知れない。それでもこの台本にとりくんだ意気込みは評価してやってよいと思うのである。)
  ※
 こうして振り返ってみると、確かに私の芝居の見方はメッセージ性に偏重しているのかも知れない。(本当は耽美的な世界も好きだし、不条理や怪奇、純粋なアクションやコメディに対する評価がないわけではないのだが。ただ、それらを見せてくれるとしたらプロでしかないだろう。)その意味では私は観劇者としては初歩の初歩なのだと思う。だが、大多数の観客はその芝居が何を自分に伝えてくれるのか、どのように自分を変えてくれるのかを待っているのではないだろうか? であるなら私は玄人であろうとは思わない。





by yassall | 2017-11-21 01:32 | 高校演劇 | Comments(2)

紅葉2017⑤森林公園

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 Kさんの声かけで今年も森林公園で紅葉狩り。Nさんも合流して最初は3人でカエデ園を散策した。
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 まだ盛りはこれからなのか、青葉も残るがこのグラデーションもなかなか美しい。
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 森林公園内には20種類の紅葉が植栽されているという。見分けはつかないが、枝振りはどれも立派である。
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 天気がよかったので陽を受けて葉が輝いている。
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 もしかすると今年一番の紅葉かも知れない。
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 かたちのよい葉を選んでくクローズアップしてみる。
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 ピントが今一か…。
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 ライトアップの準備もされている。
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 渓流広場までもどり、日当たりのよいベンチを選んで、いつものように持ち寄った飲み物やつまみを広げる。そうこうしているうちにYさんから連絡が入り、今から参加するという。到着を待ってカエデ園で落ち合い、今度は夕暮れから灯ともし頃の紅葉を楽しむ。Yさんは車で来たので同乗させてもらい、(Yさんはアルコール抜き)、行きつけとなった焼き鳥店で宴会の続きを楽しんだ。

 EM10Ⅱ+LX12-60mm


by yassall | 2017-11-17 19:55 | 散歩 | Comments(0)

紅葉2017④蒲生の棚田・美人林・椿寿荘・黄金の里・弥彦公園

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 ツアー2日目。蒲生の棚田(十日町市)は日本の里100選に選ばれている。今回のツアーで最も楽しみにしていた撮影スポットであったが、家に帰ってパソコンのモニターで開いてみて、もっともがっかりしたのがこの地での写真だった。
 全体にぼやけてしまっているが、プリントしてみると細部が解像されていないわけではない。当日はあいにくの曇天、パンフォーカスにしたかったのでf8をキープしていたためISO感度が上がり、大量にノイズが発生してしまったのが原因ではないだろうか? だとすれば、三脚を用いて低速シャッターに耐えるようにしなければならない。
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 色調も崩れていたのでいっそモノトーンにしてみたらどうかとフォトショップで色を抜いてみた。なんだか墨絵風といえなくもない(?)。最初からモノクロで絵づくりをねらうのも手かも知れない。
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 美人林は同じ十日町市にあるブナ林である。昭和初期、木炭にするために伐採され、一度ははげ山になったのだが、あるときいっせいに若芽が生えだしたのだそうだ。その後、杉林に変えたらどうかという話も持ち上がったが地主が拒否。いつしか野鳥の宝庫になったり、森林浴が流行したりするうちに観光客が集まるようになったとのことである。私はツアーに組まれていたことで始めて知ったが、思いがけない拾いものだった。
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 とはいえ、ただでさえ曇り空のところに暗い森の中だから写真にするのは難しい。
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 林以外には何もない。それでも、いつかまた来てみたいと思わせる場所であった。
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 椿寿荘(田上町)は豪農原田巻家の離れ屋敷。ただし、写真は母屋(?)の表門。公開されている離れはもう少し先の入り口から入る。
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 離れとはいえ、玄関は大名玄関、上段の間から三の間までに脇の間、さらに奥の間、奥次の間までついた、贅を凝らした造りである。座敷から主庭をのぞむ。露出が中途半端になってしまったのとホワイトバランスにも狂いがある。まあ、写真には記録の要素もあるので。(その後、補正をほどこして差し替えた。さて、どちらがよかったか。)
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 黄金の里(五泉市)は公孫樹の紅葉で知られる。その昔、慈光寺の住職が非常食として銀杏の実が得られるよう栽培をすすめた、というような逸話が残されているそうだ。黄葉はなかなかのものだったが、名前の通り広く里全体に植栽されているもので、バスの中からの観賞となった。バスの駐車場からは慈光寺への山道があるばかりである。
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 最後の訪問地は弥彦神社とそのご神体である弥彦山である。さすがに越後国一宮の風格がある。
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 参拝を済ませた後、ロープウェイで山頂へ。弥彦山は標高634m、東京スカイツリーと同じ高さである。
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 麓にいたころからポツポツ来だしていたのだが、到着するや山頂はごらんのような濃霧につつまれた。ツアーとしてはメインに位置付けられていたようだが、私はそれほどでもなかったので、午後から雨という天気予報がここまでもってくれただけでむしろラッキーという感じだった。つけ加えるとこの日は家に帰り着くまで一度も傘を差さずにすんでしまった。
  
 G8+12-60mm、ZR4000

 さて、ここからは自分のための覚え書きである。今回の撮影結果について納得がいかなかった理由を考えてみる。最初に考えておかなくてはならないのは、カメラという機械がその性能の範囲で作り出す画像と、ファインダーをのぞいていた人間の記憶との間の差異である。人間の目は明暗比や被写界深度をカバーしてしまう優れた特性がある(その反面、自分の関心の外にあるもの、見たくないものを無視してしまうという弱点もある。画像を見てみたらトイレの看板に気づかず人物写真を撮っていた、というようなケースである)。カメラの性能を知り、自分がみているものがカメラにはどう写るかを意識しておかなくてはならない。
 その上で、
①今回、パソコンを新調し、今までと違うモニターで画像をチェックした、というのは大きいと思われる。フルHDではあるが15.6inchのノートパソコンではやはり作業がしにくく、もう少し大きい画面だったらなあ、といつも感じていた。HDMIケーブルでTVとつないでみたり、いっそモニターだけ新調しようかと考えたりしたが、どうにも行き詰まっていた。そこへ、近所で開店したJoshin電機のチラシにほぼ条件にピッタリで、しかも格安のパソコンが掲載されていたのである。
 条件というのはオールインワンのデスクトップでモニターは21.5inch程度まで、そして最大の決め手はノングレアであることだ。このノングレタイプの製品が国産ではなかなかないのである。17inchのノートパソコンも候補にあげてみたが、見つかったのはHPの製品だけだった。また、ノングレタイプのモニターは事務作業用に作られている場合が多いとのことで、それらは写真を見るにはあまり適していないのである。
 新調したのはlenovoの製品で、CPUがcorei3なのは現有のノートのi7より非力になるが、メモリーはJoshinの特別仕様で8GBに増設されており、私の使い方ならまず不足はないだろうと踏んだのだ。届いたのが5日の日曜日。1日半であわてて最低限のセッティングだけして旅に出た。
 そんなわけで、画像をチェックしていてガッカリしていたとき、真っ先にモニターの性能を疑ったのある。おかしいなあ、USBメモリーを持ち込んで画像をチェックさせてもらったはずなのになあ、でも確かに暖色傾向が強かったかなあ、「格安」に惑わされてしまったかなあ、などとすっかり落ち込んでしまったのである。

 その後、同じ画像を前機種のノートパソコンでも確認したり、過去の画像を閲覧したりしているうちに、これはそうでもないぞ、という気になってきたのである。画面が大きくなった分、アラも目立つようになった、というのは確かにある。また、フルHDとはいえカメラ側の作った画像を十分に映し出しているかというと、その点でも疑問が残る(実際、少し拡大してみた方が画像が鮮明になることが多々ある)。それらを頭に入れつつ、理由は他にもありそうだと考えたのである。

②撮影技術の問題としては手ぶれ機能への過信というのが考えられる。フィルム時代にはそんな機能のついたレンズやカメラはなかった。その分、しっかり脇をしめてかまえるなどの基本があった。もう一度基本を思い出すべきである。
③過信といえばAFにもある。AFになってからは一眼レフのスクリーンマットだって当てにならなくなった。せめてピンポイントAFを多用すべきである。
④紅葉を撮るためには普段以上に細密な描写が必要となる。カメラの性能の限界はあるが、f値の選択、露出の決定、シャープネスやコントラストの設定などを研究する必要があるし、様々な値で枚数をかせいでおくことも心がけたい。
⑤赤色はとくに色飽和を起こしやすい。まだ上手く対処できていないのだが、露出を工夫してみるしかないのだろう。
⑥天候による光線条件だけはいかんともしがたい。それでも記録として撮っておきたい写真と、作品作りのための写真との区別は割り切って考えるしかないだろう。

というようなことを、ブツブツと考えさせられた撮影旅行だった。


 





by yassall | 2017-11-11 16:20 | 風景 | Comments(0)

紅葉2017③諏訪峡・西福寺開山堂・長岡もみじ園・夕凪の橋・松雲山荘

 11月7・8日、「晩秋の上州越後路12景めぐり」なる謳い文句にほだされ、ツアーに参加してきた。Maxたにがわを上毛高原で下車しバスに乗り換える。最初に着いたのは諏訪峡である。
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 昔、組合の夏期講習会が水上で開かれていた時期が長かった。車で会場に向かう際、何度も諏訪峡大橋の鉄柱を目にしたが、諏訪峡に下り立ったのは初めてである。
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 とはいえ、滞在時間が短かったので、今回回ったのは笹目橋近辺まで。どうも見どころはもっと下流の方らしい。
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 後述するが、今回はどうも納得できない写真が多かった。ピントも色味もコントラストも大外れのショットを量産してしまった。撮影技術の不足によるところが多いのはもちろんだろうが、機材のせいなのか、被写体のせいなのか、天候のせいなのか(1日目はピーカン、2日目は曇りのち雨)、だとすればどのような対策をとったらよかったのか、帰宅してからずっとくよくよした気持ちでいた。これでも比較的ましなショットを選んでいるつもりなのである。
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 笹目橋のたもとに与謝野晶子歌碑公園がある。与謝野晶子は水上を4度訪れているのだそうだ。

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 川岸にも歌碑が並んでいる。
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 赤城山西福寺は室町時代後期に開かれた曹洞宗のお寺。写真の開山堂は江戸幕末の建立だそうだ。ずいぶん風変わりな建築だなあと思っていたら、外側は鉄骨づくりで近年になって雪除けのために増築されたもののようだ。
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 なぜ本堂にもない補強がなされているかというと、彫刻、絵画、漆喰細工に長けた石川雲蝶という名匠の手になる天井画や彫刻が残されているかららしい。内部は撮影禁止であったが、外へ出て表に回ってみると確かになかなかの彫刻が施されている。ただ、越後日光まではうなずけるが越後のミケランジェロはどうかと思う。
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 12景と並べられても決してメジャーな箇所ばかりではない。もちろん、そうであるからこそ新発見の楽しみもあるということだ。長岡もみじ園は土地の大地主にして実業家であった高橋家の別荘として建てられたものだという。旅行会社が開拓したのだろうが、もみじ祭のような催しも開かれるらしく、けっこうな人出だった。
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 透過光が美しい。
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 まだまだ空も青い。
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 出雲崎の夕凪の橋。ここで日本海に沈む夕日を見ることになっていたのだが、その気配もない。海辺へ出たり、内陸に戻ったり、忙しいことだったが、どうやら次の目的地でライトアップが始まるまでの時間稼ぎのようだった。まあ、海を眺めるのは好きな方なのでそれはよしとして、ここへ向かう途中、東電の刈羽原発の敷地脇の道路を通過した。その占有地の広大さに驚かされたが、延々とつづくフェンスの向こうに一定間隔で監視カメラと緊急放送用のスピーカーが設置されているのを見て、考え込まざるを得なかった。新潟で脱原発派の知事が誕生したことの意味についても改めて考えた。
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 松雲山荘は柏崎市内にあり、ライトアップの時期には相当数の観光客が訪れるという。ただ、時期が悪かったのか、色づきはまだまだだった。大正15年の造園以前は療養所だったという。その来歴の方に興味が引かれた。

 G8+12-60mm、ZR4000
  

by yassall | 2017-11-10 19:41 | 風景 | Comments(0)

11.3「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」国会大包囲行動に参加してきた

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 11月3日文化の日は日本国憲法が公布された日。先の総選挙で与党が改憲のための発議に必要な1/3の勢力を維持したことの危機感から、国会大包囲行動には続々と人が集まり、14:00の開会時間30分前には歩道は身動きもままならないありさまとなった。埼玉県高校・障害児学校教職員「9条の会」の旗を国会図書館前でようやくみつけ、会員の皆さんと落ち合うことが出来た。実は前日に事務局会議が開かれ、やはり行動し、人々の前に立っていくことが大切だと話し合ったところだったのだ。
 本当は正門前にもいって写真を撮りたかったのだが、一度離れたら2度と戻れないような有り様だったのでその場でスピーチに耳を傾けた。政党からは立憲民主党、共産党、民進党、社民党がスピーチにたち、自由党の小沢氏がメッセージを寄せた。参院に残った民進党の議員の中に市民との共闘を大切に考えている人たちがいることが知れた。韓国の朴槿恵政権を倒したろうそく革命で中心人物となったキムヨンホ氏、今年のノーベル平和賞を受賞したICANでも力をつくしたピースボート共同代表の川崎哲氏などのスピーチも印象深かった。
 Facebookを見ていると、当日には会えなかったいろいろな人たちが参加していて心強い。埼労連議長の伊藤さんからは国会周辺の4か所にステージが設け、そのうちの町村会館前でスピーチするはずだったのに右翼団体の妨害でそのステージだけ中止となったとの報告があった。
 日本会議をはじめ、改憲勢力も本気になってくるだろうし、他の右翼団体も存在感を示そうと活気づいてくることだろう。国民投票にも本気で備えなくてはならない。覚悟を固め、とりくみを強化していかなくてはならないだろう。私も自分に出来ることから始めて行きたい。


by yassall | 2017-11-06 19:44 | 日誌 | Comments(0)

紅葉2017②日光東照宮

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 日光は小学校の修学旅行以来である。これまでにも何度か行ってみようと思ったことがあったのだがチャンスを逸していた。この春に陽明門の4年がかりの大修理が終わったということで、いい機会だろうと30日のツアーに参加してきた。
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 したがってタイトルは紅葉2017としたが、目的は少年時代の自分が何を見たのかを確かめたかったというのが先行して、紅葉は二の次であった。また、日光の今年の紅葉は始まったばかりで、しかも訪問地は東照宮のみだったから、それほど期待も出来なかったのである。
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 輪王寺の駐車場でバスを降り、三仏堂でレクチャーを受けた後、表参道を歩いて東照宮に入ると最初が神厩舎の三猿である。この見ザル言ハザル聞カザルは子どもの成長期には悪事から遠ざけよという教えをあらわしたものなのだそうだ。
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 その証拠に左隣には誕生したばかりの子猿を愛しむ親猿が彫刻されている。
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 以下、成長にそって8枚の額が並んでいる。すべてを紹介したりはしないが、ガイドの説明によると、この図は初めての恋に破れ落ち込んでいるところなのだそうだ。まあ、人生の厳しさに直面したということであって、失恋かどうかは定かではないが、お話が面白かったのでアップしておく。
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 振り返えると陽明門である。たいへんな人出だ。この日は台風22号の影響が危ぶまれたのだが、みごとに天候は回復。ところが朝は晴れ渡っていたのに、東照宮に入ったころから天気雨にみまわれた。青空でないのが残念だが、あとからのニュースによると関東一円は強風だったというからずいぶん恵まれた方だろう。
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 近寄って見上げてみる。贅をこらした意匠である。胡粉、漆とも建造期の技法を再現したとのことだ。
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 門をくぐった後、内側からの眺め。
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 こちらは唐門。一部修理中のようだった。
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 眠り猫ももちろん見た。確かに耳を立て、前足を揃えたところは本当には眠っていないとも見える。
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 裏側の雀の彫刻。猫が眠り、雀が安心して遊べる平和を表現しているとはいうのだが。
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 さて、眠り猫は家康の墓所のある奥宮への入口なのである。260数段と聞いて止めようかとも思ったのだが、せっかくなので登ってみることにした(たぶんもう一度訪れることがあったとしても次回は登ることはないだろうし)。
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 予想以上に急勾配で長い階段だった。膝が持つか心配になったころ、ようやく奥宮が見えた。
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 御宝塔を守る最後の門である鋳抜門。
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 その内側である。東照宮は各地にあるから遺骨が納められているとしても分骨されているのだろう。
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 陽明門を出る前にもう一度意匠の数々を見上げてみる。
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 階段下には各大名から寄進されたという灯籠が並んでいる。鉄灯籠は伊達政宗の寄進したものだ。
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 表参道を駐車場までもどる。
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 東照宮に別れをつげる。
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 これはおまけ。昼食場所付近に建っていた日光真光教会礼拝堂である。何だか日本の新興宗教と間違えそうな名前だが、英国国教会系の教会で、栃木県の有形文化財に指定されているとのことである。午前中、空は青空だったことの証拠にアップしておく。

 G8+12-60mm、ZR4000


by yassall | 2017-11-01 16:24 | 風景 | Comments(2)