<   2017年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

「日本の家」展

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 2日続きの外出になるが、29日、歯医者通いのついでに「日本の家」展を見ようと竹橋の近代美術館まで出かけて来た。
 サブタイトルに「1945年以降の建築と暮らし」とあったので、もっと庶民の暮らしに即した、最大多数の人々が暮らす住宅を対象とした企画だと思い込んでいたのだが、実際は著名な建築家たちによる建築を時代を追いながら写真・設計図・模型で紹介していくという内容だった。美術館の企画によるのだからこれが当然なのだろうが、少々当てが外れた気持ちだった。
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 もちろん、それらにせよ、時代を反映したコンセプトによって裏づけられているのであるが、やはりデザイン優先で、実際に住みたい家とは距離があるように感じられてしまう。
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 住宅は寒冷地かそうでないかというような地域性、実際に家を建てようという土地の地形、住む人の生活スタイルといったものの制約を受けるのだろう。たとえば狭小地であるとか、土地に段差があるとか、そのような理想的とはいえない条件に挑戦した建築には引かれるものがある。暮らしやすさの工夫の中に、ちょっとした坪庭風の空間を設えることでかえって広がりを感じさせることがあるかも知れないし、そこに美の要素が加わることで愛着が生まれるのかも知れない。そんなことを考えながら帰路についた。

国立近代美術館 ~10/29


 

by yassall | 2017-08-29 19:45 | 日誌 | Comments(0)

東京ノ温度第五回公演「まなつぼし」

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 28日、卒業生のみかわやこと葉山美侑から出演情報があったので東京ノ温度第五回公演「まなつぼし」を見てきた。小屋は前回と同じ新大久保、ホボホボである。
 作・演出は主宰者である川島広輝氏。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」には失われた第3稿が存在し、原稿から削除された記述から銀河鉄道を走行させることに成功する。乗客の深層心理を探ることで、現実世界とバーチャル空間の接点に死者と生者を再会させ、心の傷と向かい合うことで過去と和解し、自己を肯定していく勇気を与えられる……。
 芝居の内容をざっくりと紹介すればそんなところだろうか? 芝居も演出も前回同様尖ったところはない。「ワンシチュエーションコメディ」というコンセプトから、むしろ安心して見ていられる芝居をめざしているのかも知れない。それでもラストで、戦中に敵機による機銃掃射で命を落とした兄妹から託されたポーチに入っていた手紙の日付が「2045年…」とあったのが効いていた。「新たな戦前」とも評される現代を撃っていた。
 ところでみかわやの俳優生活も長くなってきた。28日は千秋楽であったので、最後に出演者のあいさつがあったのだが、みかわやが代表のような立場で最初のあいさつに立っていた。これからもいい芝居との出会いがあるといいのだが。


by yassall | 2017-08-29 19:18 | 日誌 | Comments(0)

ゲッコーパレード滞在公演「ヘンリー六世」

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 26日、ゲッコーパレードの「ヘンリー六世」を見に出かけて来た。ゲッコーパレードは昨年の12月以来である。間に何回か出張公演があったのだが私の方の都合がつかなかった。
 会場はいつもの蕨市の加藤邸ではなく、BUºY北千住アートセンターとある。どんな所かとチラシを読むと、「2階は元ボーリング場、地下は元銭湯というユニークな廃墟を改装」した文化複合施設とある。地図をたよりに千代田線北千住駅から歩いてみると、外観こそそれほど荒れた様子もない古ビルであったが、案内された地下の空間はまさしく「廃墟」であった。(今年の7月オープンとあったが、後から聞くと整備はこれから、とのことだった。だが、どのように整備がすすむのか疑わしい限りだった。)
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 天井から吊されたモビール。舞台装置として制作されたもの。これさえも「廃墟」としての存在を際立たせている。この他、壁面に自由に彩色がほどこされていたり、照明器具も配管もむき出しな天井からかなりランダムに吊られていたり、タイルの剥がれた床面に転がされていたりする。この自由度は、この地下空間が未だ「施設」として整備されていないことを証明している。
 もちろん冷房設備などはなく、工事現場用の扇風機が回っているだけだ。きつい残暑の中、とうてい快適とはいえない環境である。しかし、しばらく時間が経過すると、不思議な非日常性が顕在化してくる。わずか1階分の階段を降りただけのこの空間は、地上の世界から切り離された迷宮なのだと思えて来る。
 特に客席などは用意されていない。衣装をまとっているから役者と一般客との区別はつくが、例によって観客を巻き込みながら劇空間を作り出していこうという作戦らしい。
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 シェークピアの史劇に『ヘンリー六世』があるのは知識としては知っていた。3部構成で通しで10時間に及ぶという。もちろん私は劇を見たことはない。少し勉強しようと思ってDVD版『シェークピア映画全集』を買った中に『ヘンリー五世』はあるのだが、それも見ていない。歴史的背景としては英仏の百年戦争から英国内の薔薇戦争にいたる時代であるらしいのだが、このへんは世界史の中でも込み入っていて私に十分に理解できているとはいえない。
 そういうわけだから、1時間半に仕立て上げたこの芝居をみていても、それがいったいいかなる場面であるのか、その場面を切り取ってきた表現意図が何であるのか、理解できていたとはとうてい言えない。このへんは正直に告白しておいた方がいいだろう。
 それでも芝居は面白かった、と言おう。小田島雄志の訳を使ったとあるからシェークピア劇としては比較的新しい訳なのだろうが、それでも古典劇特有の格調高い科白を、どの役者もみごとにこなしていたし、それでいて演技は様式化することなく、躍動的で生身の身体の存在を感じさせた。河原、崎田のゲッコーパレード立ち上げからの2人が冴えていたし、新たに加わった俳優たち、今回は特に男優たちの力強い演技が印象深かった。
 中世から近世へ、さらには近代へと移行する時代の激動期に、ゆさぶられ、身もだえし、翻弄される人間たちの苦悩がテーマなのだろうか? 王たちの、貴族たちの、そして民衆の。
 内乱の中で親子が敵味方に分かれ、それと知らずにわが子、あるいは自分の父親を手にかけてしまった兵たちの嘆き、「私の涙でお前の傷口が洗われるまで私は涙を流し続けよう」(やや引用は不正確)という場面で、芝居を変調させ、感情表現を抑えた、フラットな科白回しとした演出も効果的だと思った。

 ゲッコーパレード次回公演は以下のとおりであるという。また目が離せない。

     ゲッコーパレード出張公演(仮)

  演目 「リンドバークたちの飛行」
      原作・ベルトルト・ブレヒト  訳・岩淵達治
  期日 2017年10月12日(木)-17日(火)
  会場 登録文化財 島薗邸
     (文京区千駄木3丁目3-3)

  メール  geckoparede@gmail.com
  ウェブ  http://geckoparede.com
  twitter  @geckoparede

 


by yassall | 2017-08-27 01:58 | 日誌 | Comments(0)

近江丹後若狭の旅

 8月20日~22日、またまた強行軍のバス旅行をして来た。長浜に2連泊しつつ、近江丹後若狭を周遊しようというツアーである。そんなに欲張らなくとも、とは承知しているのだが、一度は行ってみたかったスポットをこれだけ並べられると申し込まざるを得なかったのだ。
 写真もずいぶん撮った。セレクトするのにもずいぶん手間がかかりそうなのと、実はこのところ急ぎの用件がいくつかあって、ブログにアップするのは来月の中旬以降になりそうなのである。そこで、今回は取り急ぎの報告と予告篇である。
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 1枚目は三方五湖。レインボーラインの山頂公園から淡水湖、汽水湖、そして日本海を遠望する。
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 天橋立。8月は仙台の松島に続いて日本三景のうち二箇所を訪れることになった。
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 伊根の舟屋。遊覧船から観賞した。レンタカーでも借りれば別だが、バス旅行ならではのスポットのひとつだと思う。
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 長浜黒壁スクエア。正面は大通寺の山門。
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 彦根城。天守閣は威風堂々というほどではないが、城全体は難攻不落という感じ。実戦に備えた城なのだろう。時あたかもNHK大河ドラマで井伊直虎・直政が見直されている最中である。

 G8+12-60mm




by yassall | 2017-08-26 20:19 | 風景 | Comments(0)

山下雅美詩集

 7月、鎌倉から帰って後、山下さんの詩作品をまとめてみた。とはいえ、学窓を共にした時期は1年間しかなかったから、入学時に手渡された部誌『白雉』に掲載されていた山下さん3年生以降の作からということになる。ただ、やはり『斜々路』創刊からの作品が完成度が高いから、(それ以前の作も揺籃期の混沌があって興味深いが)、山下さんも納得してくれるのではないだろうか?
 この投稿はご遺族たる奥様の同意を得て掲載している。元文芸部諸氏にあってはダウンロード(コピー&ペイスト)をするのは差し支えないと思うが、転載にあたっては著作権はご遺族にあることを踏まえていただきたい。また、ご遺族から不快であるとの意思表示があればただちに削除することになる。なお、漢字・送り仮名等は初出のままとした。(2017年8月15日)


  筺(こばこ)と形而上学


卒塔婆の間を
《存在》を考えながら歩いていると
墓地の中央に位置する
真新しい一本を軸にして
すべての卒塔婆が渦巻き状にうねり始め
鈍色の光を放つ
直方体の筺にと結晶しはじめたのである
私はその時
白く光る孟宗竹に掴まるのが
やっとであった。

未明の冷たさにまんじりともせず
《存在》を考えていた時
ふと脳裏を掠めた青い影を書き止めようと
鉛筆箱に手を伸ばすと
わなわなと音をたてながら
結晶する 結晶する
鉛色に重たい筺

その日以来
思考から抜け出た《存在》
イコール筺は
私を極度に苛立て
ついに筺の蓋をあけることに
私自身の《存在》意義を押しつけ始めたのである
そして私は
筺の中の原質イコール《存在》と
私の概念内の《存在》とが同じ
濃度になればその外形の一部をなす
筺の蓋は
ひとりでに開き
私の《存在》は明確になるとの
結論を出した赤い夏の一日が終わると
筺は
不気味に萎えて楕円形にかわり
その周囲には蠅が群がっていた
殺虫剤に汚れた手を蓋にかけると
いつの間にか直方体にかわっていた筺

霜が窓に磔にされた夜
喫茶店の扉を押し
まああるいテーブルの
そこにも出現した筺に対し
憑かれたように《存在》に関する
一方通行のダイアローグを繰り返すと
筺の鍵穴から冷ややかな囁きが
波紋のように
自己運動を始めたのである
『モウスコシダ
モウスコシシタラ
ボクミズカラ
フタヲアケル』
そこで突差に手を掛けると
いよいよ固く口を閉じた筺

その夜私は
ヒステリックな哄笑を繰り返した後
黄色いチョークで
筺にバッテンをつけ
ふくよかな恋人の胸に《存在》の
ノスタルジアを求めたのだ
嗚呼
アマリリス的まどろみの深淵
私の《造られた被支配者意識》は
一種の情念へと移行したのか
黄昏的意識の渦中
白昼夢的リアリティーの宇宙の縁で
爬虫類の腹部を引き裂く音をたてながら
蓋を開いた筺
しかしその悪魔的内部には
一回り小さな筺が
鋭く輝きながら鎮座し
《存在》の問いを待ちながら
ひっそりと微笑みかけていたのである。



  種子

紡錘形の雨
死んでいく呟き
瞳を突いて
尾骶骨の底からうねり出る疼きに
そっと触れる人差指
オキシフルの臭気がバスを停め
埼玉県大宮市の住宅街
一枚の風景画が燃え始める
早速
魚鱗やら恥毛やら乾パンの乾杯
飲み干す日々の響き
食道に差し込まれた火箸より
ぐっと冷えた濁酒
宴の後
バス停に注ぐ小便は
萎えた腎臓からはたはたと
日の丸のように落ちてくる
バラの棘の煎じ薬を
お袋の襦袢にくるんで
迎えにくることはないんだ親父
燃えながら続く螺旋階段までは
鱗を衡え泳いでいく
身を反らせた夜の陰部で
まどろみながら溶けていく
胃液の海へ
太陽虫の囁く死水の故郷へ
そして
苔むす恋人の乳房に埋まり
血まみれの空から降りてくる
銀針の光を殺しながら
吹き荒る風の中で
飛散した明日の種子を呼ぶ



  二月のめざめ

朝の光が
眠むる貝の横腹をえぐって
北国の時計台によじ登ると
化石化した木の葉のように固く
寝棺に押し込められていた僕の羞恥は
おずおずと咲き始める

屈折する夢と光の闇で
鋭角の風が
真赤な薔薇の首を切り
寓話的な死の床は
榛の実の砕ける眩惑と共に
墓碑ばかり輝く野へ
螺旋状に堕ちていく

振り向けば
両手を上げた僕の鳶色の脳髄目掛け
突き進んでくる最終列車
死んでいくのは
あどけない僕の過去と
小さくなるテールランプ

火口の淵に住む
石のむなしさで身をゆすり
くろぐろとあやうい夢の海辺で
青い空に絶叫を浴びせ
二月の銀針の冷気に刺されてめざめると
ビルディングの屋上から
血まみれの空から
ググッと近付いてくる



   〈家〉

徐々に大きくなる足音は
あなたに贈った赤い靴の響き
重い扉の前に立ち止まるあなたは
素早く団欒の匂いを扉の内に嗅ぎつけてしまったのだろうか
だがあなたよ
風の吹きまくる黄昏
時折り聞こえる物音は
あなたを決して待ってはいないのだ
それは
〈家〉から出ることのできぬ
傷ついた獣の叫び
すこしずつ毀れてゆく方解石の
冷たい響
且(ママ)つてわたしは
幾つもの空屋の
空疎な探索に疲れ
碧空を求めて出口を探したが
あなたが前にする扉は二度と開かなかった
それ故あなたよ
鈍色に輝く把手から手を離せ

「アナタニ アタシノ 意志ヲ マゲサセル
コトハ デキナイ アタシノ〈家〉 アナタ
ノ〈家〉

遠く雷の響
激しい獣の叫び

石膏の裸体を抱いて
わたしは今
一体どこを歩いているのだろう



  「斜々路」巻頭詩

  ーーーそれが又もや鈍色に輝く手錠であるとしても、僕にとっては
  極上の手錠でなければならないーーー   


まどろみの時を蹴って
ほのかにぬくもる湖の底を砕き
すでに朽ちかけた風車を回し
夜に封鎖された碧空を奪回するために
夕暮れの空を引き裂いて
どこまでも続く階段を建造する

ハンマーを打ちおろしながら
僕は
いつまでも笑い続け泣き続け
何もかも一人じめしていく

例えば
階段を構成する大理石の裂け目に
風媒花が真紅な花をつければ
切りきざみ
飲み下し
決して排泄せず
腹の狂い咲く刻を待つ
  ーーーかつて実感できぬ五番目の季節にまで積み上がる階段に、
  僕は〈斜々路〉の名を贈るーーー   



  化石化

開け放たれている窓辺に
塵埃が人知れずそそぐとき
幸福が写ってしまうから
落とすな 涙を フィルムに

誰にも知られず
風紋とともに
海辺に化石する意志は
朝食のサラダより鮮やかだが
すべての悲しみが
反り返った板のように傲慢なので
アタシは黙って家を出る

乳母車の破片を拾い集めたからといって
そそり立つ病葉に
身をすり寄せてはいけない
やさしさが心を占拠したら
海辺はずっと遠くなる
だからアタシはバスに乗る
炸裂する予感を
幾何学的に縁どるために

そして透明な溺死体アタシは
水平な時を抉って
あらゆる色彩のまっただなかへ
もんどりうって堕ちてゆく
海辺に化石する意志を
波頭のポーズで実現するために



  工作者達


工作者達の共有する
幻影の性が
拡大する空地で黒旗を振る

頭蓋形のステーションを結節点に
楕円状に連なる刻のレールを破壊し
震える肉と肉のあわいを
細長い塹壕として
白夜実現を謀り
夜と朝をつなぐ
三日月形の蒙渠を爆発する
 工作者達

〈工作者達のアジトを囲むのは
 今や影を失った獣達の叫びばかりだ〉


アジトでは
小さな円陣を組み
中央でわななき燃える孤独の焔に
鉄のザイルをかける工作者達
そして今
虚空への突撃を決意した工作者達は
のたうつ蛇の仕草で
彼らの掟を
バラ色の大地にきざみつける



  森と湖のメトード

少年の日
輝く蝶を追って
踏み迷った森が
おれの胸に住みついて久しい

そんなおれとの出合に
オフィス街の喫茶店で
君が初めて流れた潮の匂いに
おのれの領域を知ったその日

君の一番愛した北国の湖へ
身を投げた思い出を
そっと語ってくれた日から
おれの所有する森が
君の胸の湖を求めてざわめく

朝陽が
おれの胸にどっとおちてくる日など
おれはうずくまる以外の行為におもむけぬ

だからおれは
日没を待って
おれの血管を
君の湖に向けて切りひらく

血が川となり
君の湖にそそぎこむ光景を夢見ながら

だが君は
君の湖に沈んだまま助けられたに相違ない
青く澄んだ乳房が
さざ波を残して消え去るとき
おれの求める湖は
君の胸の奥深くにあったから

〈おれは君ではなく
     君の湖を求めている〉

だから今日おれは
するどく光るナイフを
君の涙にあてよう
切りひらく水滴のなかに
森と湖を結ぶメトードを探すために



  最後の揚棄のための雪礫

凍結せよ
切り倒された樹木に
弁証法などありはしないから
凍結せよ情念の城

す裸で震える星々を
雪の原に縛りつけて
ひたすら粧う論理の
あの絶対の暗闇を
ま昼間のように輝かせたからには
おれに否定すべき何ものがあるのか


だからおれは
固く握った雪礫を
すすりなく情念の城に向けて
数限りなく投げつける



  所有

獣達の手の中で
果実が身を震わせ
天空を駆ける白馬の首筋の
野イバラの花の形をした傷口に
そっと風が降りてゆく夜
そして
炸裂する花芯を
死者達がまさぐるとき
街をのみこむ風の
暗紫色の翼を
風見鶏の瞳がつらぬくように
すべての確かさの位置に瞳を置き
さらに
筺へと結晶せしめ
焔の驟雨を浴びせかけるのだ

おれにとって
筺の宇宙を
おれの宇宙へ完璧に導入する手段は
筺に
紅く燃える煉獄の砂岩を
踏みしだかせることだ

筺のすべてを獲得するために


筺の円環を
おれの円環にくみ尽くすために


そして そしておれは
おれの胸に降りつむ
死灰の底でとぐろ巻く
青き蛇の
充血した網膜上に
次第にせり上がってくる紅蓮の筺に
おれの筺に
筺のおれに

筺の筺に

狂おしくのたうちまわる



  謀叛の朝

肉の封鎖を破る欠落の河
皮膚からふきこぼれる千の稲穂
破礫を噛み
影を噛み
尾を噛む
青き蛇の完結なき完結へ
私の裸身が空を切るとき
連綿とdeathを投げつける歳月の意志に
しっと屹立するわたしは
攻めのぼる生涯に
銃殺されつづける目の氷結と
凹んだ胸部に燃える
蔓薔薇の痛点を私有し
朝焼けの家路から遠く
運河の亀裂にそって歩いている




  非望の庭園

  序 章

垂直におりてくるミサ曲は

十字架の傷を刻んで

そりかえった喜悦の中心に

燃える向日葵

烈日は彼岸花の茎を流れ

無明の風が叢を分けると

海峡の近くで

皀角子(さいかち)の実がかちかちと鳴っている



  非望の庭園


非望の庭園に
あなたと井戸を掘ろう
かかえきれぬ言葉の骸を捨てても
水音しない
あくまで深い井戸を掘り下げれば
僕達の握る
氷の手は燃えあがり
皮膚のあわいに
にがい果実がみのるのだ
その時僕達は
二つの独楽となって林をぬけ
まどろむ湖の縁を旋回し
水晶の針先で
鎮魂歌を食い破り
凍結した昼と夜の中空へはねあがる
あなたよ
僕達の非望の庭園に
初冬の銃口が狙いを定めるとき
僕達の底なし井戸を
魂のかたちに掘り下げよう



  欠落の河

時空をこえた傷口からか


あなたの瞳からか


砂礫の原を


幼年の性のままに


焔の中心に向い


焔の中心から離れて


さらさら


さらさらと流れる


欠落の河



  巻頭詩 序章


向日葵もえる悦楽の聖地に
青白いdeathの気圏から
ふいにおりてくるミサ曲は
肉身(にくしみ)の波頭に十字の傷をきざみ
烈日は彼岸花の茎をながれ
無明の風が叢をわけたところ
非在の血を浴びた詩行は
はげしく蒼空に屹立する



  とおい記憶のふかみから

飢餓線上のアリア
日々の楽譜を
愛欲に濡れた指がたどり
合掌の姿勢でめぐる祈りの丘に
せりあがる比喩抱く少年の裸身から
果実の香ただよい
我執に割れた傷口には
とおい記憶のふかみから
悲風にあおられこみあげてくる
まっ青な夕映えが
ひそかにのぞいている




  後記にかえて
   ザインへのセレナーデ
   「ながれへの試論」


ながれ ながれ ながれゆく季節に ながれぬ俺をながすながれ ながれぬ俺の体内をながれる紫陽花 ながれる玩具 ながれる乳房 ながれに浮かぶながれずに死んだ俺 ながれに聞こえるながれなかった俺のながれたいという叫び ながれのなかでながれをつかもうとするながれる俺の叫び ながれの叫び 叫びのながれ ながれに飛び込む俺 もぐる俺 祈る俺 血のながれ 言葉のながれ ながれ ながれ ながれて ながれずにながされながれて 海から 河から 母から 臍の緒喰いちぎりながれて ながされて喰いちぎる 過去からながれる ながれなかった ながれの記憶ながれて ながれまいとする俺をながそうとするながれぬ俺のながれぬ思惟 ながれぬ俺をながそうとする俺のながれ ながれる俺のながれをながすまいとする憤怒 ながれる俺をながすまいとするテーゼ 傾きつづけるテーゼ




  (賛美)


賛美

季節を終えた地平に
生きものの
温もりを残した
白いビルディング

隠されたままの意思にあれば
パズルのように投げ出された形象の
出逢いの繋ぎを追って
われらの歌声は
十字架に吊したはずの時を巡り
殺戮となにごともない日々との間を
絶え間なく舞い戻る

始まりの季節に向けて
既にその蔽いとて無い意思にあれば
我等の歌声は
繋ぎの鎖を解き
射る的を外させ続ける
投げ出したものへの凝視の願い

賛美



〈初出〉


筺と形而上学       『パプアの巣』5 1968?
種子           『白雉』31 1969年
二月のめざめ  
〈家〉          『白雉』32 1970年
「斜々路」巻頭詩     『斜々路』創刊号 1970年
化石化
工作者達
森と湖のメトード
最後の揚棄のための雪礫
所有 
謀叛の朝   『白雉』33 1971年
非望の庭園 序章  
非望の庭園  
欠落の河  
巻頭詩 序章 『斜々路』第三号 1972年
とおい記憶のふかみから
後記にかえて
 ザインへのセレナーデ
 「ながれへの試論」
(賛美)         未発表 2015年


by yassall | 2017-08-15 00:03 | 詩・詩人 | Comments(0)

ベルギー奇想の系譜展

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 10日、夜の待ち合わせまでの時間にBunkamuraで開催中の「ベルギー奇想の系譜」展を見に出かけて来た。結論からいうと、予想通り?期待はずれだった、というしかない。
 2001年に新宿の伊勢丹美術館で「ベルギーの巨匠5人展」が開催されている。アンソール、スピリアールト、ペルメーク、マグリット、デルヴォーを集めた。今回もアンソール、マグリット、デルヴォーが並べられていたが、作品の力が弱く、数も少なかった。現代作家の作品も展示されていたが、新しい表現をめざしているようでいて、深みには欠けていた。
 展覧会の主題そのものは面白いと思った。「奇想」をキーワードに、中世にまでさかのぼってフランドルからベルギーにいたるまでの美術を系譜立ててみよう、というところだろうか? だが、ボスにしても、ブリューゲルにしても、版画以外にはオリジナルはなく、オリジナルと亜流との力の差はこれほどなのか、と思いを新たにさせられるばかりだった。たとえ悪魔が描かれているとしても、ルーベンスまで「奇想」に位置づけようというのもいかがなものか、とも思った。
 なかではデルヴィル「レテ河の水を飲むダンテ」(1919)とサードレールの「フランドルの雪」(1928)が良いと思った。
 まあ、悪口をいうならアップしなければよいのに、というのももっともなのだが、いちおう日誌として。
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 大規模工事中ということもあるのだろうが、渋谷はますます雑然とした発展をとげているようだ。新宿の方がはるかに大人の街のように見えてくる。好きになれない。といいながら、Bunkamuraへ出かけたときはなぜかこのビルを撮りたくなる。


by yassall | 2017-08-12 14:19 | 日誌 | Comments(2)

仙台小旅行

 仙台へ行くことになったとき、ちょっとした感慨のようなものがあった。宮城高教組の司書の方々といっしょに研究活動をしていたことがあったのだ。4回ほど秋の教研集会におじゃましたが最後に伺ってかれこれ10年になる。
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【1日目】
 少し遅めに家を出たので仙台駅に到着したのが13:00少し前。いつもは用事のある西口にしか出たことがないのだが、翌日のために仙石線の乗り場を確かめたり、ロッカーの位置を確認したりと、土地鑑をつくりながら東口にも出てみる。東口もずいぶん発展している様子だった。
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 東西自由通路もこの賑わいである。
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 こちら側が西口。バスがひっきりなしに出入りしている。
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 デッキの上から青葉通りをのぞむ。大都会である。
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 宿は広瀬通りの地下鉄駅にほど近いところにとれた。チェックインは15:00だが、大きい荷物だけ預かってもらい、そのまま市内散策に出かけた。
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 広瀬通りを西に歩いて行くと桜岡公園に出る。広瀬川を見る、というのが目標のひとつだったのだが、公園からは見えない。南に突っ切って階段を下りていくと大橋につながっており、ようやく広瀬川が見える。
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 この広瀬川が仙台の人々の心の慰めとなって来たのだろう。
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 上流側である。
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 よく目を凝らすとあちこちに釣り人の姿がある。街中の川であるが水はいたってきれいだ。
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 大橋をさらに西へ進むと仙台城趾のある青葉山公園がある。
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 予定になかったのだがせっかくだから行ってみることにする。
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 大手門脇櫓。フレアーがかかってしまったが、一枚しか撮らなかったのでそのままアップする。城趾にはこの先を左折した坂道を上っていく。
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 最初から予定していたらシティループバスの乗車券を買っておいたのだが、結局徒歩で上ってしまった。けっこう汗をかくはめになった。
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 本丸への登り口には護国神社の石柱が立っている。そればかりか、奥に見える白い看板には「美しい日本の憲法を早急につくりましょう」などという掲示がある。実際は城趾全体が神社になっているというわけではないのだが、観光客向けにこのような政治的スローガンを、神社という宗教施設の名の下にかかげるのはふとどきだ、と不快な気分に襲われる。
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 かといって、ここで引き返すのもしゃくなので石段を登る。大広間の跡地である。入口すぐ左には首実検の間とある。ぶっそうである。
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 仙台城は天守閣を持たなかったという。本丸に立ってみると市内が一望でき、不要だったことがよく分かる。あまり興味がなかったが伊達政宗像をカメラにおさめる。
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 土井晩翠の胸像もあった。
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 帰路は博物館側へ出る別ルートをとる。こちらの野面積みの石垣の方が築城時のものに近いのだろう。
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 博物館の近くまで出ると魯迅の石碑が見つかった。
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 魯迅が日本に留学していたころ、仙台医学専門学校に在籍していたことに因んでいるのだろう。このような碑を見つけると先ほどの不快感も解消する。
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 さて、仙台散策のもうひとつの目標は定禅寺通りを歩く、だった。路線バスか何かがあるのだろうが、なにぶん不案内なので徒歩で向かうことにする。広瀬通りの一本北側である。
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 彫刻の通りということだが、あまり数は多くない。探し方が悪かったのだろうが、作品名も作者名も記載がなかった。
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 それはともかく、木蔭に入るとほんとうに涼しくて、またたく間に汗が引いていった。しばし、ベンチに腰を下ろし、文庫本を繰った。
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 待ち合わせのため18:00には仙台駅にもどる必要があった。勾当台公園駅まで出て地下鉄に乗る。勾当台公園という名前は記憶のどこかにあった。帰宅してから昔の写真を調べてみたら以前にも通りかかったことがあった。なかなか瀟洒な公園だった。もう少し足をのばせば良かったかも知れない。
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【2日目】
 2日目は本来の目的、全国大会へ出場した新座柳瀬高校の応援が優先である。大トリをつとめるという柳瀬の晴れの舞台を見届けたあと、仙石線で松島海岸に向かった。帰路は17:00頃の切符を取っておいたので、往復の所要時間を除くと2時間半ほどの滞在である。
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 松島遊覧船は以前に一度乗ったことがあるので、海は五大堂からのぞんだだけ。前日とはうって変わって曇り空であるので海も島影もあまり美しくない。
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 瑞巌寺は伊達家の菩提寺である。以前は大改修中だったり、時間がなかったりで本堂付近まで見られなかった。せっかくなので今度こそ、と意気込んでいたのだが、参道の両脇はフェンスで覆われていた。何事かと案内板をみると、東日本大震災で塩害等の被害を受けた杉林の再生工事がおこなわれているとのことだった。ここでも復興の営みが続いているのである。
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 この岩壁に穿たれた洞に置かれた諸仏も以前は間近に見られたのだが。
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 「平成の大修理」は来年3月まで。一部は公開が始まっている。本堂付近は苔の色もあざやかに復旧してきている。
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 本堂の中は撮影禁止だったが、桃山様式の襖絵などはみごとだった。
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 こけら葺きの修理も終わり、仮の門が撤去されるばかりになった山門。以前はこの前でUターンしたのだった。
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 本堂脇の庫裡。資料館も併設されている。両方を見学して短い観光旅行を終えた。

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by yassall | 2017-08-11 18:33 | 風景 | Comments(2)

みやぎ総文2017演劇部門で仙台へ

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 8月1日~3日、第41回全国高等学校総合文化祭が仙台で開催された。演劇部門の会場は仙台銀行ホールイズミティ21、地下鉄南北線の終点泉中央駅にある。
 関東ブロック新潟会場に応援に出かけていたnatsuさんから、新座柳瀬高校と秩父農工科学高校が2校ながら全国大会への出場を決めたとのメールを受け取ったのは昨年12月の沖縄でだった。よし、新潟には行けなかったが夏の宮城には行こう、とそのとき心は決まったが、あれから半年以上が経過したのである。
 この間、卒業生と新入生とのキャストの入れ替えもあり、モチベーションの維持など、出場校としての苦心は並々ではなかっただろう。何しろ演劇ってやつは稽古に稽古を重ねながら、幕が開いたその舞台で初めてある空間が開示され、一つの時間が展開されていくようでなければならないのだから。
 秩父農工科学高校は1日目、新座柳瀬高校は3日目の上演というプログラムになった。natsuさんとTさんは1日から仙台入りしたが、私は2日の昼すぎから。新座柳瀬高校の応援に徹するということで最終日のみの観劇とした。natsuさんTさんとは2日の晩に食事を共にしようという約束になっていたので、1日2日の様子はお二人からうかがった。
 最終日の上演は2校。1校目が北海道北見緑陵高校。北海道97校の代表ということになる。生徒減の中で成立が難しくなっている文化部の奮闘記、といったような内容で、「皆でやるから楽しい」という中で一人部員の放送部の生徒が芝居を引っ張っていく。作りは少々荒っぽかったが、会場からの笑いもよく取り、大いに湧かせていた。
 さて、そういうことで新座柳瀬高校は大とりをつとめることになった。会場はすでに温まっている。2ベル、アナウンス、客電落ち、音効スタートも順調。緞帳が上がって、さてどんな芝居が始まるのか、客席の期待が高まっているのが伝わって来る。
 気負いすぎることもなく、かといって舞台に負けることもなく、生き生きと演じられたのではないだろうか? いわゆるザ・高校演劇とは明らかに異なる路線だから、最初のうちこそ客席にとまどいのようなものも感じられたが、会場に流れる空気のようなものをつかんでからは客を芝居に引きこむことに成功していたし、客もそれを楽しんでいた。細かい反省点はいろいろあるのだろうが、部員たちも悔いなく演じ切れたと思っているに違いない。大会の最後をしめくくるという重責も果たし、幕が下りた後はさぞかしほっとしたことだろう。
 午後はワークショップが開かれたあと2時間ほど講評があって、それから成績発表となる。それまでは待てないので、終演後は早々に会場をあとにした。観光も計画していたので仙石線の時間に間に合わせたかったのある。
 仙台からの帰路の新幹線で事務局長のMさんから審査結果のメールをいただいた。

 最優秀賞  兵庫県立東播磨高校
 優秀賞   埼玉県立秩父農工科学高校
       茨城県立日立第一高校
       沖縄県立向陽高校

 秩父農工科学高校は国立劇場公演に出場する。昨年の芸術総合高校に続いて、埼玉は2年連続して東京公演に選出されるという快挙となった。秩父農工科学高校と新座柳瀬高校は県中央発表会と関ブロ新潟会場で交代しながら1・2位を競ってきたから、こうなると2校同時出場となれたらという思いも残るが、そうもいかないのだろう。秩父農工科学高校はコイケユタカさんになってから2回目の全国大会(もっと行っていたらごめんなさい!)。また一歩階段を上った。
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 仙台駅はさすがに東北の雄という構えと賑わいだった。折から仙台七夕まつりの飾り付けが施されていた。仙台観光の記録は写真の整理が出来てから。




by yassall | 2017-08-05 15:02 | 高校演劇 | Comments(2)