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谷川健一『日本の神々』岩波新書

  この本について書いておこうと思ったのは、次のような一節と出会ったからである。

  イザナキ・キザナミの二神を同母兄妹と明確に規定せず、また神罰による大洪水の記述も省略した記紀の創世神話は、人類の「原罪」の発生を説明する場所を失った。ではどうして「原罪」が必要か。それがなくては人間社会の「不条理」の解釈がつかないからである。人間が罪を犯さなかった原始の楽園、つまり高所からの失墜感が、社会の矛盾、葛藤、疎外についてのもっとも切実な解釈を提供する。そしてその「落差」はみじめな状態を克服しようとする人間の衝動の発条の役を果たすのである。
  日本神話の特色は、洪水神話の前半を欠落させたために、はるかな高みから真逆さまに地面に墜落するときの目もくらむような戦慄感のないことである。
 しかし人間社会の混乱、無秩序、破壊の「原因」をどこかに求めねばならぬ。それは次のアマテラスとスサノオの関係に先送りされた。折口信夫は、原罪観念の責任者をスサノオに帰している。
  創世神話のもたらす最大の刺戟のひとつは、楽園時代にたいする郷愁であるが、日本の神話では「大洪水」以前の社会にあるのではなく、むしろスサノオが追放された「根の国」、彼のしきりに求めた「妣の国」という「原郷」にある。

  ノアの箱船の逸話はチグリス・ユーフラテス川の氾濫に起源をもち、各地に伝播しながら『旧約聖書』にとりこまれた、というような話を聞いたことがある。いずれにしても、ローカルな世界に生まれた特殊なエピソードであると考えて来た。
  ところが谷川によると、洪水神話は東南アジア、中国、台湾、琉球などに広く分布しており、奄美や八重山では大津波に襲われ、たまたま山に登って助かった兄妹によって国づくりがされた、というような話が伝わっているというのである。谷川は「そこには人類が不合理で、条理にもとる関係から出発したという無意識の主張」の存在が認められるとしている。
  その後に引用文が続くのであるが、もしかすると神話学ではごく普通の解釈であるのかも知れないが、そのようなことは私には考えつきもしなかったことなので、驚きもしたし、まだ輪郭はあいまいながら、これまで抱いてきた観念に風穴を開けられたような気がしたのだった。

  民俗学に夢中になったことはない。独特の用語や方法論があるはずで、きっと私には読み込めていない箇所も多々あるのだろう。読み始めたきっかけは日本会議をはじめ、どうも胡散臭い「日本固有」の文化論、そしてその中心に「日本は神の国」論としての「神道」があるような気がして、これらと対抗するために日本の神々についてきちんと知っておく必要があると思ったからである。
  民俗学の方法論のひとつはフィールドワークにあると思っている。この本でも日本各地(ときによって中国・朝鮮や東南アジア)から採取した記録が列記されている。その中から日本の神についての概念を抽出していくのは容易ではないが、なるほどと思ったことがひとつある。
  各地の神社の由来をたずねてみると、どんな小さな神社にも記紀の皇統譜に連なるような神々が祭神として祭られている。さて、村々の神社というのはその土地の氏神であったり、産土の神であったり、せいぜいが鎮守の神であったはずで、国つ神の威光がそれほど津々浦々に及んでいたのだろうかと不思議に思ってきた。
   ※氏神というと祖霊ということになる。谷川は本居宣長の「可畏きもの」としての神、人格を持たない精霊を含めて広く「神」を考えている。
 どうやら天皇の支配を全国に及ぼすために神社の序列化がなされたり、神社側も社格を高め、かつ利益にあずかるため、すすんで祭神に迎えたというような歴史があったようなのである。
 祭神の改変は明治維新の際にも大規模におこなわれた。一例として、江戸庶民の信仰を集めてきた神田明神に対し、明治政府は平将門を末社に移し替え、代わりに少彦名命の分霊を迎えるという措置をとった。ところが町民たちは末社の方ばかりを参拝し、本社の祭礼には参加しなくなったという経緯があり、神官もやむなく将門神社の扁額を掲げるようにしたというのである。(少し愉快なはなしである。)
 関東に鹿島神宮、香取神宮がある。「神宮」と名乗れる神社も数限られていようが、その理由もなんとなく分かった。鹿島、香取は蝦夷征伐に功績のあった氏族なのである。そういえば鹿島神宮、香取神宮はとくに武門による信仰があつい神社であった。

  谷川健一『日本の神々』岩波新書(1999)

 〈もう一冊〉
  井上寛司『「神道」の虚像と実像』講談社現代新書(2011)

  最初に書店に求めにいったのはこちらの方だった。ジュンク堂でも在庫がなく、amazonで取り寄せた。日本の神祇信仰の中で「神社」という常設の神殿が作られたのは、古代における律令体制の確立の過程で仏教寺院に対抗するためであったという。実際、再三にわたって各地に造営を促すような命令が下されたという。国分寺の造営も並行してすすめられた。中国文化の圧倒的な影響から日本の統一国家化がすすむわけだが、そこにはすでにしてナショナリズムの萌芽もあったというわけだ。井上はそこに神仏習合の第一段階をみている。
  戦前から「国家神道」を批判した柳田国男を高く評価しながら、「日本固有」の神道にも鋭く疑問をつきつける。多分にロマン主義が感じられる谷川とも違って、歴史学者としての検証にもとづく批判精神が伝わって来る。



by yassall | 2017-07-11 19:55 | | Comments(0)

山下雅美「斜々路」巻頭詩

  山下雅美は武蔵大学文芸部の先輩である。皆からは雅美ちゃんと親しみを込めて呼ばれていたが、私はその当時と同じく山下さんと呼ばせてもらう。
  入学と同時に入部したとき、山下さんは4年生。したがって学生時代のつきあいは1年しかないが、その後も親しく交遊させていただいた。このシリーズでは伊東静雄、西脇順三郎、森川義信の項でYさんとしてしばしば登場している。
  その山下さんが6月6日に急逝された。奥様から知らせをいただいたのが10日後の16日、葬儀一切は済ませたが納骨までに期間があるので、よかったらお別れに来てくれとのことだった。7月4日、ご自宅のある鎌倉まで出かけて来た。形見にということで蔵書から何冊かをいただいてきた。連絡を下さった奥様には感謝するばかりである。
  下は山下さんとSさんとの二人誌『斜々路』創刊号の巻頭におかれた作品である。なぜ『斜々路』が創刊されることになったかはSさんの巻頭言の方が詳しい。60年代の「全共闘運動」への向かい方をめぐって、大学を去ると同時に文芸部にも決別を告げたSさんを、山下さんが半ば引き留めるかたちで二人誌を始めたのではないだろうか?
  『斜々路』は当時刊行されていた『詩学』(詩学社)の「詩誌月評」で取り上げられた。評者・花田英三氏から「『斜々路』の船出に期待する」として高い評価を受けている。1970年3月号。私の入学は4月であったが、まだバックナンバーが入手できた。いまも手元にある。

      ---それが又もや鈍色に輝く手錠であるとしても、僕にとっては
     極上の手錠でなければならない---

   まどろみの時を蹴って
   ほのかにぬくもる湖の底を砕き
   すでに朽ちかけた風車を回し
   夜に封鎖された碧空を奪回するために
   夕暮れの空を引き裂いて
   どこまでも続く階段を建造する

   ハンマーを打ちおろしながら
   僕は
   いつまでも笑い続け泣き続け
   何もかも一人じめしていく

   例えば
   階段を構成する大理石の裂け目に
   風媒花が真紅な花をつければ
   切りきざみ
   飲み下し
   決して排泄せず
   腹の狂い咲く刻を待つ
      ---かつて実感できぬ五番目の季節にまで積み上がる階段に、
    僕は〈斜々路〉の名を贈る---

  内容とするところは創刊の辞である。山下さんの在学中は、Sさんは大学を去ったのちもときどき部室に顔を出されていた。北海道のご出身であることなども伺った。そのSさんの巻頭言は先述したように多分に政治的なメッセージを含んだ宣言文である。これに対し、その創刊の意思表示ですら詩として表現するしかなかったところで、やはり山下さんは詩人であったと思うのだ。

  山下さんは24歳でご結婚。若きころ、しきりに「詩を書いて暮らしたい」と漏らしていらしたとのことだ。もちろん、奥様への甘えの気持ちからの言葉だったのだろう。
  再びお会いするようになったのが3年ほど前のことだった。その後、私の方は父の具合が悪くなったり、見送った後の虚脱感があったり、山下さんの方もお仕事を再開させたりで、また1年ほど会わないでいる期間があった。そろそろ、またいっしょに一献傾けたいなと思っていた矢先だった。
  あるとき、また書き始めるかな、とおっしゃったことがあった。下は「詩と云えるか否か それもいいかと」との添え書きとともに送られて来たメールにあった一篇である。このようなかたちで公表されることが本意とは違っているかも知れないが、追悼の意をこめて紹介する。山下さんは洗礼を受けていらしたのである。

   賛美

   季節を終えた地平に
   生きものの
   温もりを残した
   白いビルディング


   隠されたままの意思にあれば
   パズルのように投げ出された形象の
   出逢いの繋ぎを追って
   われらの歌声は
   十字架に吊したはずの時を巡り
   殺戮となにごともない日々との間を
   絶え間なく舞い戻る


   始まりの季節に向けて
   既にその蔽いとて無い意思にあれば
   我等の歌声は
   繋ぎの鎖を解き
   射る的を外させ続ける
   投げ出したものへの凝視の願い

   賛美

  山下雅美、享年68歳。あまりに突然の死を惜しんであまりある。


by yassall | 2017-07-10 20:24 | 詩・詩人 | Comments(0)