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それぞれの紙 小江戸蔵里ギャラリー

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 木藤恭子さんから案内をいただいのはずいぶん前。開催期間は3日間きりだから、中日の30日、今度は見逃さないようにして出かけて来た。木藤さんが初めて個展を開いたのは2013年8月だった。代官山だった。それからもう一度案内をいただいたことがあったが、そのときは行きそびれてしまったのだ。
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 今回は「それぞれの紙」とタイトルをつけた3人展。長谷川博氏は東京都の美術の先生であった方だそうだ。クレヨンのようなもので下地を作って引っ掻いたものかと思っていたら、すべてボールペンで描かれているのだという。
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 打越君孝氏は志木高校の卒業生とのこと。二人とも木藤さんつながりで合同展のはこびとなったらしい。水彩によるもの。やわらかい色彩の妙が写真では写し取れていないのが残念だ。
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 木藤さんの作品。紙へのこだわりは変わらないが、最近はコラージュに凝っているとのことだった。新境地を求めているのだろう。
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 木藤さんの作品をもう一枚。「言葉を紡ぐ」というシリーズの一枚である。これも新境地。背後の土壁は保存の対象であるため、直接貼り付けることが出来ず、上から吊しているのだという。展示が傾いでしまっているのはそのためだが、これも味わいのうちである。
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 「蔵里(くらり)」とは聞き慣れないなあ、と思っていたら、元の鏡山酒造の跡地を再整備したものだという。メインストリートから入ると、多くは商業施設に改築されているのだが、一番奥まったここは「つどい処」と名付けられて展示スペースが設けられている。鏡山酒造時代は瓶詰め工場だったそうだ。
 木藤さんとも久しぶりだったが、会場には志木高時代の同僚、Fさんもご夫婦でいらしていて、懐かしい再会となった。


by yassall | 2017-03-31 20:19 | 日誌 | Comments(0)

桜2-17①中院の枝垂れ桜

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30日、川越に用があって出かけることになった。せっかくなので中院の桜でも撮ろうと、少し早めに出た。今年は桜が遅れているようなのであまり期待しなかったのだが、満開とまではいかないまでも、けっこう見ごたえがあった。
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川越時代、何度も前を通りかかったし、参拝したのも一再ならずである。ただ、あまり詳しくなかったので調べてみたら、宗派は天台宗とあった。なぜ日蓮の名前が出てくるかというと、鎌倉時代に寺を再建した尊海僧正が日蓮に伝法灌頂を授けたという経緯があったようだ。本尊は阿弥陀如来ということで、境内に無量寿と刻した石碑が建っているのはそのためだろう。
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 絵づくりをねらってみた。暑いくらいの一日だったが、空が曇っているせいか、コントラストが低い。まあ、ピーカンだと今度は高すぎて像が乱れてしまう。頃合いが難しいところだ。
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 背景が暗い方が少しすっきりするか?
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 光が十分に当たったあたりがやはり輝くか?
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 島崎藤村の妻加藤静子が川越出身だったので、このような碑が建っている。義母みきの墓は中院にある。藤村はみきと仲が良く、頻繁に川越を訪れたそうだ。

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by yassall | 2017-03-31 18:57 | 散歩 | Comments(0)

佐藤洋一郎『食の人類史』中公新書

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 人間は生きるために食う。ところがしばしば目的と手段が逆転し、まるで食うために生きている、という実態にあることを自覚せざるを得ないことがある。人はなぜ職業に就くか? いきがいを求めて? 自己実現のため? 社会参加をめざして? それらを否定しはしない。だが、それらをはぎ取った究極のところをつきつめてみれば、生活の糧を得るため、つまりは食うためではないか?
 だとすれば、人間は何を、どのように食べ、それを得てきたかは、人間とは何かを考えるときの基本ではないだろうか? それがこの本を読んでみたい、読んでおこうと考えた動機である。
  ※
 狩猟・採集、農耕、遊牧の三つが食を得るための人類の生業であったというところから論考がはじまる。遊牧は農業と一体となった牧畜とは区別される。それは農耕から派生していったという要素もあり、また狩猟・採集の知識や技術が生かされていったという側面もある。
 「日本人は農耕民族である」というような言い方がある。だが、糖質とタンパク質をセットで確保しようとするとき、農耕だけに頼ることは出来ない。日本ではタンパク質の多くを漁労から得てきたという歴史がある。このあたりは民俗学と共通する問題関心があって面白い。
 三つの生業はそれぞれに対立しあったり、補完し合ったりしてきた。農耕民は土地を囲い込もうとすることで狩猟・採集民、遊牧民と対立する。反面、定住を強いられる農耕民は他の生産者との交易が必要となる。その仲介者となり、さまざまな物資をもたらしたのは遊牧民あるいはそこから生まれた商人だったのではないか、というのである。
 人類の起源はアフリカにあり、コウリャンなどアフリカ原産の雑穀がある。トウモロコシや北欧の食生活を激変させたジャガイモは中南米が原産である。それらを視野におさめつつも、本書ではユーラシア全体を眺めつつ、比較対照し、またその交流の歴史を探っていく。
 ユーラシアの東側つまりアジアは夏に雨が多い夏穀物ゾーンだという。イネ、キビ、アワ、ヒエはアジア原産である。アジアの自然は多様であり、針葉樹林、落葉広葉樹林、照葉樹林、熱帯雨林それぞれに独自の生態系が存在する。西ユーラシアは冬に雨が降ることから冬穀物ゾーンとなる。コムギ、エンマーコムギ、オオムギ、ライムギ、エンバクは西アジア原産である。
 コムギが黄河下流域にもたらされたのは4~4500年前だという。『礼記・月令』にはコムギの栽培を国が義務として定め、違反する者は処罰された、という記載があるそうだ。コムギの導入には相当の抵抗があったようだという。イネもまた紀元前後ころには欧州に到達した。ミルクと出会ったのがリゾットということになる。面白いのはコムギは東進しても粉食され、イネは西進しても粒食された。
 コムギとイネを例にしたが、それぞれの伝播にあたっては中央アジアの遊牧民のネットワークがあったから、というのが筆者の仮説である。西にはメソポタミアやペルシャ、下っては古代ローマ帝国があり、東には古代中国文明、パミルの山々の南にインダス文明があるのを知っていたのは彼らをおいていないというのである。
  ※
 食と宗教との関連についても独特の見方が披露される。ユーラシアの東側では多様な動植物にめぐまれ、食は「自然」によってもたらされたという意識が高く、多神教を生んだ。
 東側に比べ、降雨量も少ない西側では「文明」によって「作物・家畜」を作り出さなくてはならず、「神が人のために作りたもうた(もたらした)」ものという意識が生まれ、一神教の土台となった。食にあたっても序列化が生まれ、野生は低位におかれた。ときによって人工の及ばない「自然」は脅威であった。
  ※
 農耕と農業とはどう区別されるか? 自らが生きるために植物性の食材を生産する営みが農耕であり、他人それも不特定多数の他者のために食材および衣食住にかかわる資材を生産する産業を農業という、というのが筆者の定義である。
 農耕が農業となるためには生産力増大のための技術革新が必要となる。ここでも考えさせられる問題がある。焼畑と灌漑を比較してみる。焼畑耕作が自然を破壊したと考えられているが、それは偏見だという。むしろ不適切な灌漑は土壌に塩害をもたらしたというのである。内陸に塩を持たない日本では想像できなかったことが世界では起きているのである。
 農業はまた都市を生んだ。都市が生まれれば商業活動も盛んになる。商品経済が発達すれば資本の蓄積が自己目的化されていくのは自然だろう。
  ※
 2011年現在、世界の人口71億人に対して穀物の生産高は24億トン、一人あたり年間330kgで一日あたり3000kclになる計算だという。1年に1億人という勢いで人口は増加しているというが、現在のところ穀物は生産過剰という状態にある。それにも関わらず、約10%の人々が飢餓に苦しんでいる。生産されるトウモロコシ26%のうち16%が家畜の飼料となっている。トウモロコシはバイオ燃料の原料にもされようとしている。つまり、食の偏在が重大な危機をもたらしているのである。
  ※
 漁労は狩猟・採集の生業に含まれるとあったが、養殖の普及によって農業がもたらしたのと同様の問題、具体的には沿岸域の環境破壊が生じている。大量の播き餌によって富栄養化が進んでいること、農業において作物として無価値な植物が雑草とされたように、売り物にならない魚は雑魚として駆逐されること、1匹のマグロを養殖するためには10倍のイワシが消費されてしまうことなどである。海における養殖は農業でいえばいまだ初期段階にある。
  ※
 狩猟・採集民、遊牧民とは異なるが、白拍子、木地師などは日本のノマドである。民俗学が非定住民の文化に注目したことがもっと見直されてもいいと思った。
  ※
 筆者は農学博士で、総合地球環境研究所副所長をへて、人間文化研究機構の理事をつとめている。もちろん、本書は専門書ではないから必要最低限の理系の知識(それでも私に十分理解できたとはいえないが)は押さえているものの、人文知に対する要求にも十分応える内容になっている。というか、その分野の専門家にとっては常識に属するようなことが、一つ一つ自分の中の既成概念を打ち破っていく。
 昨年、書評を読んで興味を持ち、浦和の須原屋に立ち寄ったときに入手しておいた。そのままになっていたのをようやく読んだ。積ん読のクセが治らない。読みたい本があとからあとから現れるのに読書力が追いつかない。

佐藤洋一郎『食の人類史』中公新書(2016)


by yassall | 2017-03-31 17:15 | | Comments(0)

つい一言 2017.3

「道徳」教科書のことが話題になっている(というより、笑いものになっている)。文科省は「パン屋のままでもよかったのだ」と火消しに躍起だが、「和菓子屋」に変えたら検定をパスさせたのだから見苦しい言いわけにすぎない。
 「国や郷土を愛する態度」が不足していたのだそうだ。斎藤美奈子氏が和菓子のルーツは遣唐使が持ちかえった中国の菓子であり、明治に木村屋が発売したあんパンは饅頭用の酒種を発酵に用いたことを紹介している(「東京新聞」3/29)。
 奈良の正倉院はシルクロードの終点である、と小学校で習った。東西の多様な文明が流れ込み、これを融合させ、自家独特のものにしていったのが日本文化ではなかったのか?
 斎藤氏がいうように文科省の検定基準には「人権」や「個人の権利」「差別」という項目はない。「教育勅語」礼賛と変わるところはない。「伝統と文化の尊重」というが、歴史の流れを逆戻りさせることは許されない。(3月28日)



 「教育勅語」の「勅」は天子の命令という意味である。天皇の大権を定めた「明治憲法」の下では、議会で定めた法律よりも「勅」の方が重かった。教育のあり方が国家のあり方を決する上でいかに重視されたかが分かるのだが、そのように定められた「教育勅語」が国民主権を定めた「日本国憲法」の理念といかにそぐわないか、その一点のみで自明というものである。
 したがって「森友学園」問題から端を発した「教育勅語」に対する発言を聞いていると、まるで亡霊が生き返って来たかのような錯覚をおぼえる。否、きっと亡霊はどこかでひっそりと生息していたのであり、今、急速に息を吹き返しているというのが正しいのかも知れない。
 だとすれば、今度こそしっかりとその息の根を止める必要があるのではないか? 「教育勅語」の復活を許し、戦前のような社会を甦らせるのか、すでに「明治憲法」よりも長い歴史を数えるにいたった「日本国憲法」のめざす社会の完成をはかるのか、その正念場であるように思うのだ。
  ※
 稲田防衛相は国会答弁で「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」と述べたという。
 どこに日本が「道義国家を目指すべき」と書いてあるのかは不明だが、後半で述べているのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」あたりを指しているのだろう。これらは儒教にある「五倫」思想をもとにしているのは間違いない。「五倫」とは父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信である。「夫婦の別」とは夫には夫の役割があり、妻には妻の役割があるという意味で、それと比較すると「夫婦相和シ」とあるのは近代的な装いにあらたまっているようにも見える。しかし、戦前では女性の参政権が認められていなかったことでも明らかなように、人権における男女差別を前提とした規範の下にあったことは疑えない。
 儒教はこれらの徳目が守られることによって社会の秩序が守られるとした。稲田防衛相のいう「核の部分」というのは、人としてのあり方を示したというより、国家の統合原理として「維持」したいということなのだ。
 そして、最も重大なのはここまでには触れられなかった「君臣の義」であり、「教育勅語」では一番最後になって、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と続くのである。つまり、ひとたび国家に一大事があったときは、親子の親愛も、夫婦の契りも、友情も顧みることなく、「皇運」のために命を投げ出せ、というのが主旨なのである。
   ※
 「森友学園」の籠池理事長は、「何かことがあったとき、自分の身を捨ててでも人のために頑張んなさい。そういう教育勅語のどこが悪い。まったく悪くない」と述べたという。ここにも見逃しがたいまやかしがある。「教育勅語」には「博愛衆ニ及ホシ」という文言があることはある。だが、先の「一旦緩急アレバ」はそこに続くのではなく、「義勇公ニ奉シ」に続くのである。
 その籠池理事長の本音があらわれた発言が、「国家のために、そして国家社会のためにいい人材を創出しようとしている教育の中身を阻止しようとする人たちがたくさんいます。そういうようなことでは困るんじゃないですか。日本国を存続させるために、立派な人材を作っていくというのが教育であるんであれば、もう少し温かい目で見るべきじゃないですか。」である。
  ※
 さらにいえば、稲田防衛相にせよ、籠池理事長にせよ、それらの徳目を国民に押しつけはするが、自らは少しも守ろうとしていないように見えるところに根本的な矛盾がある。
 いや、「朋友相和シ」だけは守っているのかな?と、一瞬だけ皮肉まじりに思ったことがある。それは右派団体「日本会議」のお仲間である。だが、国会で追及されるや、「10年間、お会いしたことはない」(夫は「森友学園」の顧問弁護士だったというが)とか、「まったく迷惑だったんですよ」(妻は名誉校長に就任していたというのに)と、まったく無関係であるようにふるまい、幼稚園児に「安倍首相頑張れ」と唱和させていたほど入れ込んでいたのに、少し冷たくされたら「トカゲのシッポ切り」と恨み言を吐いている様子をみると、その朋友間の「信」も本物ではないらしい。
  ※
 私までもが、このようなことをことさらにするまでもない筈なのだが、やはり一言せずにはいられなかったのである。(3月10日)

 もう、少々うんざりなのだが、第2の疑惑が起こっているらしい。しかも、今度の方が規模が大きい。
https://lite-ra.com/2017/03/post-2975.html


大阪・豊中市で建設中の「瑞穂の國記念小學院」の問題について、一部の新聞だけでなく、ようやくTVでも取り上げられるようになってきた。維新の会・松井氏との関連もとりざたされ、
 https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=123807
 闇はいっそう深まるばかりである。少なくとも安倍首相夫妻には大打撃のはずだが、このまま致命傷にはいたらずうやむやにされてしまうのか、国民は当分注視しなくてはならないだろう。
 だが、ここへ来て、またもしてやられた感がどこかで禁じ得ない。斎藤美奈子氏が「米トランプ大統領と金正男氏暗殺事件を追うのみでマスコミはいいのか」と警鐘を鳴らしているが、これに国内問題を加えるに「森友学園」疑惑が衆目を集めているうちに、日本の進路にとってもっと重要な事態が密かに進行しようとしているのではないか?
 もちろん安保法制と「共謀罪」(「テロ等準備罪」)のことである。稲田防衛相はアメリカの軍事費増を歓迎するとし。自民党二階幹事長は「共謀罪」を今国会で成立させると明言した。(3月1日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017022802000254.html


by yassall | 2017-03-29 10:16 | つい一言 | Comments(0)

新座柳瀬高校「Love&Chance!」関東キャスト最終公演

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 25日、新座柳瀬高校「Love&Chance!」関東キャスト最終公演がコピスみよしで開催された。1月の年明け早々から準備がはじまり、ただでさえ慌ただしい学年末を乗り切り、終業式も終えたであろうこの日、滞りなく幕を開け、成功裡に上演を果たしたことに祝意を述べたい。
 また、今公演の主催は県立新座柳瀬高校と同全国大会記念公演実行委員会となっているが、高演連西部A地区でもコピスみよし高校演劇フェスティバルでも苦楽を共にしてきた一人として、実行委員の端くれに加えていただいたことに感謝している。
 当日配布されたパンフレットで、顧問のMさんが今回のコピス公演にかけた思いを綴っている。(いつものように智さんと呼ばないのは、顧問Mとしてのあいさつとは別に稲葉智己として作品解説の稿を起こしているからだ。)簡単にいえば自分たちを育ててくれたコピスみよしへの凱旋ないしは御礼公演ということになるが、同時に全国大会への出場を決めながらこの3月で卒業していかなくてはならない3年生のための最終公演ということになるのだろう。さらには下級生たちへの引き継ぎ式という意味合いもあるかも知れない。
 男役チームのドラント役とアルルキャン役の2年生は、そうした3年生にとっての晴れの舞台をミスなくつとめようとする緊張感からか、少し固さがあったかも知れない。といって、決して演技に精彩を欠いたなどということはなく、計算された間のとり方にも狂いはなかった。
 シルヴィア役とリゼット役の3年生は、生き生きのびのびとした演技で自らの役を演じきり、3年間の集大成とすると共に、後輩たちに確かなものを伝達し得た。
 オルゴン役のもう一人の2年生、3人の1年生も進境いちじるしく、8月の全国大会に向かって確かな手応えをつかんだことだろう。計算された舞台はこびの様式美と、その中でもどれだけ生き生きと役作りが出来るか、その両立が演劇としての成否を分けるのではないか、というようなことを漠然と考えているが、きっと彼・彼女たちはやり遂げることだろうと確信した。
 原作者のピエール・ド・マリヴォーなる劇作家については何も知るところがない。18世紀のフランスの演劇事情、たとえば観客はどのような階層の人々であったか、というようなことについても全く無知である。したがって、作品については語るところがない。ただ、喜劇である限り、どこかしらに体制を笑い飛ばしてしまえというような破壊力を秘めているはずだ、というような先入観があって、最初のような読み間違いをした。
 また、原作を読んでいないのだから翻案がどのようになされたかも不明である。ただ、比較してみれば、「運命の人との出会い」において従者や小間使いといった身分の低い者たちの方が自らの感情に率直であり、自由であるように描かれる。これに対して貴族の令息令嬢たちは不自由であり、自らの中に生まれた愛情もどこかで押し殺さなくてはならない。それは自分たちがしかけた「入れ替わり」という罠にはまってしまったというだけでなく、「身分違いの恋」の前で立ち往生を強いられてしまった結果なのだ。否、そもそも身分を偽ってみなければ「相手の真実の姿を知ることは出来ない」という発想そのものに身分制度への根源的な疑いと、それによってもたらされる非人間性に対する重大な告発が潜んでいる。半世紀後にはフランス革命の時代となる。その前夜とまではいえないかも知れないが、まだまだ人々が厳しい身分制度に苦しめられている時代であったとすれば、その矛盾もまた顕わになりつつあった、その矛盾を喜劇のかたちを借りて表現して見せた、と考えるのはあながち間違いではないように思うのである。
 私だとついそのように読みとってしまうから、たぶん同じ台本を渡されても、ドラントとシルヴィアの内面におけるとまどいや葛藤を強調するような芝居づくりをしてしまうことだろう。つまり、このあたりが方向性の「違い」ということなのだろう。
 ただ、先の作品紹介で、原題が「愛と偶然の戯れ」であったことを知って、また違った解釈が成り立つのに気がついた。「偶然の戯れ」とは「運命のいたずら」ということではないのか? 人間がいかに「知恵」をめぐらせたところで、かえってその「知恵」のために窮地に追い込まれ、思いもよらなかった運命に翻弄されてしまう。喜劇の背景に潜んでいるのはそのようなアイロニーである、と思ったのだ。そう考えると、オルゴン伯爵の占めるポジションは興味深い。オルゴンだけは最初からすべてを知っている。いってみれば人々の「運命」をつかさどる神の位置にいるのである。だが、その神でさえもその力でドラントとシルヴィアを結びつけることは出来ない。二人が結ばれるのはあくまで自らの「愛」に忠実であろうとした人間の営みなのである。稲葉智己の芝居にはヒューマニズムが底流に流れている、と考える所以である。
 パンフレットから読みとったことをもう二つ。キャストによるキャラクター解説のページが面白かった。その役を演じるにあたって、生徒が自らの頭で人物像を思い描いてみる。当たり前のようだが、役者たちが統一した世界観を共有するためにも、そのイメージを相互に出し合ってみることは必要な作業である。そればかりでなく、その作業を通じて生徒たちの人間理解が深まるはずである。場合によっては演出家の意図とは外れてしまったり、浅いところで止まったりしてしまうこともあるかも知れないが、得るものはそれより大きいはずである。
 もう一つは過去にさかのぼって、Mさんが顧問として実にていねいに部員たちの一人一人の個性や心情、そして世代間の影響を含めた人間関係をつかんでいることだ。生徒たちは時によって教師よりも生徒同士、とくに先輩たちの影響を多く受けるものである。その相乗作用がうまく働いたとき、部活動もうまく回転し、強靱になるものだ。部活づくりは一朝一夕にはいかない。今回の全国大会出場というのも、その積み重ねがあってのことだろうと改めて実感した。終演後、ロビーに出ると、私にも見覚えのある新座柳瀬の卒業生たちが、大勢で現役生を囲んでは我がことのように喜んでいる様子が目に飛び込んできた。

 



by yassall | 2017-03-27 02:24 | 高校演劇 | Comments(2)

3.20さようなら原発全国集会そして肥田舜太郎さんを悼む

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 20日、「いのちを守れ!フクシマを忘れない!さようなら原発全国集会」が代々木公園で開かれた。家の用事でもたもたしてしまい、開会には間に合わなかったが、全国キャラバン隊が登壇しているころ到着した。これで3月の主要な全国集会に全参加することが出来た。集会の閉会あいさつには鎌田慧氏が立った。鎌田氏の声を直接聞いたのは始めてかも知れない。
 17:00ころには帰宅しなくてはならなかったので、池袋でジュンク堂で何冊か調達したのち、帰路についた。
 今日になって紙上で肥田舜太郎さんが亡くなったことを知った。100歳だった。紹介するまでもないが、肥田さんは1944年に陸軍軍医として広島に赴任し、原爆投下に遭遇した。自らも被爆しながら被爆者の救援にあたった。戦後は被団協や民医連で活躍され、核兵器廃絶運動にたずさわった。
 全国的・世界的に活動されたが、医療者としては埼玉を拠点になさっていた。「原爆のことを伝えるためだったらどこへでも行く」として、予定さえ合えばどんな小さな集会でも出かけて来てくれた。
 最後にお目にかかったのは数年前に朝霞で催された学習会でだった。若い方が付き添われてだったが、穏やかな中でも次第に熱をおびてくるお話ぶりは健在で、少しも乱れたところがなかった。広島で被爆者の救護にあたっている最中、自らの身体にも異変が起こったとき、軍医長の判断で「どうも症状からすると血液の異常に原因があるような気がする」ということから、若く健康な兵士をつのり、輸血を受けたところ、危機を脱したというお話は初めてうかがった。
 それもこれも、自らの体験を後世に伝えなければという深い使命感から発したことなのだろう。謹んでご冥福をお祈りする。


by yassall | 2017-03-21 16:47 | 日誌 | Comments(0)

新座柳瀬高校「Love&Chance!」関東キャスト最終公演はいよいよ今度の土曜日!

 新潟の関東大会で最優秀賞と脚本賞をダブル受賞した新座柳瀬高校演劇部「Love&Chance!」。関東に出演した3年生キャストによる最終公演はいよいよ今週の土曜日です。

 日時:3月25日(土) 開場14:30 開演15:00 
 会場:三芳町文化会館コピスみよし 入場無料

 交通:ライフバス(片道220円)
    ※丸数字はバス番号「三芳町役場」下車
    鶴瀬駅西口発(約15分)④14:00、⑦14:05、⑤14:15
    みずほ台駅西口発(約10分)⑤14:45
    ふじみ野駅西口発(約20分)⑥14:30、⑦14:35

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by yassall | 2017-03-19 20:15 | 高校演劇 | Comments(0)

『ぱっちわーく』終刊号

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 『ぱっちわーく』は「全国の学校図書館に人を!の夢と運動をつなぐ情報交流誌」というサブタイトルをもつ。創刊は1993年5月、以来20余年にわたって刊行されてきた。1年前に予告があったが、その終刊号が届いた。
 発行同人に名をつらねているのは北海道から沖縄まで、現職の学校司書や地域で学校図書館運動にたずさわっている人、文庫の会の方々など20数名をかぞえるが、実務は全国でもいち早く全校配置がすすんだ岡山の学校司書の方々が中心になっていた。
 どなただったか、一度事務局を担当なさっている方のお話を聞く機会があった。「この全校配置のとりくみが全国に広がらなくては、岡山市の成果も維持できない。その信念から続けている」というようなお話だった。毎月、いかにも手作り感がただよう冊子が送られてくるたび、その努力には頭の下がる思いでいた。今回の終刊も実務を担当するための個人的な条件にどうしても困難な状況が生じたためだという。惜しまれる気持ちはつのるが、さまざまな運動にあたって、その大事なところを一人一人の決意が支えていたことを実感する。
 1997年の学校図書館法「改正」があったとき、『ぱっちわーく』は他に先がけて『資料集』を発行した。法改正をどう受けとめ、考え、次の方針をどう立てるか、という課題に直面したとき、どれほど力になってくれたか分からない。皆で集まって学習会や会議を開くと、参加者の誰もがその『資料集』を携えていたことは今も記憶に鮮明である。
 一度だけ、私も埼玉の学校図書館法改正運動のとりくみについて原稿を書かせてもらったことがある。そのとき、原稿料代わりにいただいたテレフォンカードは記念にとっておいたから、探せばどこかにあるはずだ。
 編集後記には「『ぱっちわーく』は終刊しますが、事務局のメンバーはこれからも学校図書館の充実にむけ、各々ができるかたちで関わっていきます。」とある。『ぱっちわーく』が全国に発信し、種をまき、育てた芽はこれからもあちこちで根をはり、枝葉を伸ばし続けていくことだろう。

by yassall | 2017-03-19 15:16 | 学校図書館 | Comments(0)

3.11反原発!国会前大集会+首相官邸前抗議

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 6年目の3.11。「反原発!国会前大集会」に参加してきた。3月4日の日比谷野音集会に連続してになったが、3月11日をどこで過ごすかと考え、行ける条件のあるときにと思って出かけた。毎週金曜日の集会には参加したり、しなかったりなのだが、このところ参加人数は少し寂しい。今日は3.11にあわせ、曜日も土曜日に変更したせいもあり、開会時間前にけっこう人数が集まっていた。
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 主催は首都圏反原発連合。東日本大震災・福島第一原発事故の翌年、2012年3月29日に大飯原発再稼働のための4閣僚会議に抗議して第1回「首相官邸前抗議」を開催して以来、毎週金曜日の国会正門前と首相官邸前における抗議行動を続けて来た。
 デモではなくスタンディング、「非暴力直接行動」というスタイルは、その後の秘密保護法や安保法制反対の運動にも新しいあり方を提起していった。今日も反原連の集会らしく、ジンタらムータの演奏によるオープニングからはじまった。
 ミサオ・レッドウルフ氏のスピーチを聞くのは今月2回目。政党からは4野党が参加した。菅直人氏は発言の冒頭で、自身の「名誉毀損裁判」について触れていた。「敗訴」と報じられたが、「海水注入を止めたのは菅首相」という安倍晋三議員(当時)のブログ記事(2011.5)がまったくの虚偽であったことは裁判所も認めた、だが安倍議員は誤った情報をうのみにして信じてしまっただけで、「名誉毀損」の意図は認められない、という判決内容だったという。
 今や、安倍首相の政治手法はフェイクあるいは「ポスト真実」そのものである。「虚偽」が虚偽のまままかり通るとした原点がここにあったのかと妙に合点がいき、悪い冗談を聞いているようだった。(「謝って済むなら○○はいらねえ!」という脅し文句を思い出したが、きっと安倍氏は謝ってすらいないのだろう…。)
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 菅直人氏以外にも今日は民進党議員もスピーチに立った。社民党は福島瑞穂氏、自由党議員もスピーチに駆けつけた。共産党は6人の議員が出席し、志位委員長がスピーチした。野党共闘の要に位置するだけに、そのバックボーンである市民との連帯を重視している姿勢が伝わって来た。阿部知子議員も「原発ゼロの会」としてスピーチした。小児科医としての発言に説得力があった。
 集会は様々な運動体の交流の場にもなっている。各国の活動家とも交流があるという方からは、日本の原発メーカーによる原発輸出の問題について訴えがあった。昨年11月11日に結ばれた「日印原子力協定」は、今国会で承認がはかられようとしているのだそうだ。「森友問題」に揺れる今国会であるが、共謀罪といい、過労死ライン80時間を超える月100時間残業を可能にしようという「働き方改革」法案といい、社会のあり方を変えてしまうようなとんでもない悪法が矢継ぎ早に推し進められようとしているのだと痛感する。
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 1時時間くらいスタンディングしたら早めに引きあげようかと考えていたのだが、古賀茂明、佐藤学、香山リカらの各氏のスピーチが充実していて、結局散会までいてしまった。スピーチの最後は落合恵子氏。日もとっぷりと暮れていた。参加者は主催者発表で8000人とあった。

by yassall | 2017-03-12 02:35 | 日誌 | Comments(0)

長崎版画&武具繚乱

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 9日、どうもこのところ家に引きこもりがちになっているなと反省し、板橋区立郷土資料館で開催中の「武具繚乱」展と、同区立美術館で開催中の「長崎版画」展を見に出かけてきた。両施設とも赤塚溜池公園内にあるので美術館のはしごは何でもないのだ。
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 その赤塚溜池公園は東武東上線の下赤塚駅から歩いて25分ほどかかる。時間的にはたいしたことはないのだが、けっこうアップダウンがあり、出かけるにはそれなりの決意が必要なのである。まあ、日ごろの運動不足を解消するのが主目的のようなものだから、それはそれでいいのだが。
 そんなわけで、駅から歩いて最初に姿をあらわす美術館の方から見学することにした。解説によると長崎版画は蘇州版画の影響を受けており、清朝中国ではいち早く西洋画の技法を取り入れているので、遠近法や斜線による陰影の作り方などに特徴があるのだそうだ。
 ただ、多くは長崎土産として、日常では目にすることの出来ないオランダ人や中国人の姿やその風俗、外国船が運んでくる文物を伝えるもの珍しさから珍重されたもので、合羽摺などの技法の素朴さなどもあいまって、それほど美術的価値が高いものとは思われなかった。
 中では外国船を描いたものが面白かった。やはり船というのは遠い異国へのあこがれを呼び起こすのだろう。入港の際にはこのように万国旗をかかげて飾り立てるものなのだろうか、満艦飾ということばを思い出した。江戸期の人々には縁起物の宝船図と同じように好まれたのではないかという解説があった。
 幕末の頃になると長崎版画は報道という要素をもって広まり、また求められたということもあったようだ。アメリカ人上陸の図とか、鼓笛隊をともなったロシアの軍隊行進図などが展示されていた。危機感や警戒心といったものより、純粋に好奇心のようなものが感じられるのが興味深かった。
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 次は郷土資料館に回る。赤塚溜池公園は武蔵千葉氏の赤塚城趾に作られている(高台にあたる赤塚城趾公園は都立)。また、付近の徳丸ヶ原は高島秋帆が砲術訓練をしたことで知られている。そんなことから、どうも東国武士と縁が深いのだが、今回の展示は必ずしも板橋に縁のある品々ではなく、武具蒐集家の故関谷弘道氏の遺言による寄贈品が元になっているとのことだった(井伊家のものらしい赤備えもあった)。
 展示されている甲冑類の多くは江戸時代中期頃に制作されたか補修されたもので、その分実戦的というより家柄の格をあらわすような装飾性の高いものになっているようだった。
 もっとも、誰だったか、西洋の甲冑が甲虫をイメージしているのに対し、日本の鎧は鳥をイメージしていると書いているのを読んでなるほどと思った通り、日本の鎧はもともと装飾性が高く、色彩も鮮やかである。そのような美術的価値が認められて明治以降、大量に海外に流失していった。関谷氏はそれを惜しんで蒐集を始めたとのことだ。
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 ときあたかも3月の節句。郷土資料館の奥に保存されている古民家では雛人形の展示が行われていた。写真は江戸末期から明治初期にかけての雛人形とのことだ。
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 赤塚溜池公園は梅の名所として板橋十景に数えられている。もう時季は過ぎてしまったかと思っていたが、まだ形のよい花を咲かせていた。そういえば、いつか梅祭りのときに来たときにはまだまだだった。他より開花が遅いのかも知れない。

 

by yassall | 2017-03-09 20:05 | 散歩 | Comments(0)