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ありすとてれす しんねんかい

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 28日、東京ノ温度第三回公演「ありすとてれす しんねんかい」を見てきた。今は葉山美侑ことみかわ屋から出演情報があったのだ。
 作・演出は川島広輝(劇団マカリスター)。東京ノ温度は川島が2016年に立ち上げた演劇企画ユニットで、現代社会の「温度」をテーマに、ワンシチュエーションコメディをコンセプトにしているという。以前、別の公演で目にとまった葉山に川島からオファーがあったとのことである。主役・佐々木てれす役での抜擢である。
 ストーリーは、猫カフェに現れた謎の来客によって、登場人物たちが「不思議の国のアリス」をベースにしたスマホのゲームアプリの中に引き込まれてしまう、というところから展開していく。ゲームは自ら設定を改変させ、AIの進化によって成長をとげたアリスは「合理的」で「完全」な世界を求め、「感情」や曖昧な「人間性」はつぎつぎと否定され、削除されていく。何とか裁判にまで持ち込んで「合理」と「感情」が対決していく。悪戦苦闘の末、無事現実世界に戻ってくるが、最後になって意外などんでん返しが用意されていた。
 芝居としてはそう尖った内容ではないし、ややもすると高校演劇でもとりあげられそうなモチーフだ。だが、シンギュラリティ(技術的特異点)などという(私としては)耳新しい用語も飛び出し、現代社会で進行しているAI化の波を敏感かつ深くとらえていると感じた。コメディとして作られているから、もちろん軽さを大事にしているが、上っ面だけを追ったのではない風刺精神を感じた。
 葉山は主役として芝居を支えていく責任感と意気込みが伝わってくる演技だった。芝居のテンポを作り出せていたし、柔らかい演技が出来ていた。こうしたユニットに入り続けて行くというのもチャンスに恵まれないと難しいのだろうが、また新しい段階へとステップアップしていって欲しい。
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 小屋は新大久保のホボホボ。新大久保には何回か足を運んだことがあるし、韓国料理店で集まりがあったこともある。ただ、これまでは目的地に向かってすぐ路地に入ってしまったりしていたのだが、今回初めて駅前からのメインストリートを歩いた。土曜日ということもあってか大変な人出で、東西さまざまの異国人とも行き交った。どの店も繁盛している様子で、活気がみなぎっていた。なかなかエキサイティングな街だと思った。

[公演情報]
東京農大三高・東北復興支援チャリティー公演「ロボむつ&もしイタ」
 「翔べ!原子力ロボむつ」と「もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが、青森のイタコを呼んだら~」の2本立て。
 日時:2月19日(日) 開場14:30 開演15:00 終演17:30。
 会場:吉見町民会館フレサよしみ チケット、500円(200円は復興支援金として寄付予定)
 問い合わせは090-4020-2777(顧問・藤橋)まで。

新座柳瀬高校・関東キャスト最終公演
 新潟の関東大会で最優秀賞と脚本賞をダブル受賞した「Love&Chance!」。関東に出演した3年生キャストはこれが最後。
 日時:3月25日(土) 開場14:30 開演15:00 
 会場:三芳町文化会館コピスみよし 入場無料(カンパの要請あり)
 問い合わせは新座柳瀬高校048-478-5151(担当・むねすえ)まで。 

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by yassall | 2017-01-30 01:13 | 日誌 | Comments(2)

葛西臨海公園のスイセン

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 24日、葛西臨海公園までスイセンを撮りに出かけて来た。2月の4、5日が水仙まつりだということで、時期的には1週間早いかとも思ったのだが、天気が良かったのと、5分咲きとの情報があったのでその気になったのだ。
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 有楽町線で終点の新木場まで行き、京葉線に乗り換えると1駅目が葛西臨海公園駅である。駅を降りればすぐに公園入口。アクセスはかなりいい。入場無料(水族館のみ有料)というところも気に入った。スイセン畑は大観覧車の周辺という看板があったので向かってみる。
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 5分咲きとあったが、どうも5分咲きの畑もあるという意味らしく、全体としては3分咲き・2分咲きという印象だ。5万球・20万本という壮大さはまだまだ願うべくもない。
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 ただ、早い時期の花畑のいいところは枯れた花がないことだ。満開になるころにはどうしても早くに咲いて枯れてしまった花がいっしょに写り込むことになる。
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 それは強がり半分で、やはり早まったな、見ごろのころは壮観だろうな、との思いが強まる。
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 透過光でもねらってみる。最近はやりの真四角構図(1:1)にしてみる。
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 京葉線に乗ると公園のシンボルであるかのように大観覧車が見える(さらに蘇我方面にす進むと東京ディズニーランドが見えてくる)。何をもの好きにと、一人では少し恥ずかしかったが、平日なのでガラガラだったし、乗ってみることにした。
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 東京湾が一望できる。公園の全景が見わたせるのはもちろんだが、後ろを振り返ればスカイツリーも間近である。
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 新木場の貯木場。何年か前に写真を撮りに行った。
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 頂上付近に来るとかなり風音が激しい。湾側にせり出している人工渚は葛西海浜公園と別名になっているが、橋で渡れるようになっている。
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 2つの池が設えてある辺りは鳥類園ウオッチングセンター。今回は足を伸ばさなかったが、青葉のころにでも散歩したら気持ちのよい時間が過ごせそうだ。
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 観覧車を降りてから渚の方に向かってみた。ちょうどアベックらしい二人連れがいたのでモデルになってもらう(断ったわけでないが)。点景に入ってもらったので肖像権の侵害にはならないだろう。
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 園内をブラブラしていると白梅も花ほころんでいた。
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 梅もみどころは早咲きのうちなのだそうである。つぼみがたくさん付いてる。
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 入口から東京湾へと向かう大通りの先に見えた不思議な建物にはクリスタルビューという名前が付いていた。展望台兼レストハウスという説明書きがあったが、ほぼガランドウといっていい。この空虚さというか、無意味さというか、それゆえの贅沢感にはひかれる。
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 2階に上ってみると東京ゲートブリッジが遠望できる。そろそろ4時前。帰路につくことにする。

 G8+12-60mm、GM5+OL9-18mm




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by yassall | 2017-01-25 19:21 | 散歩 | Comments(1)

窓(仮)

 散歩がてら、いつしか被写体を探しています。探すというより、向こうから呼びかけてくるという具合です。家そのものも造形的に好きなのですが、全景を撮るとプライバシーを侵害する恐れがあります。そこで、窓だけ撮らしてもらっています。撮り溜まったらシリーズとしてアップしようと思っていたのですがなかなか熟しません。そこでタイトルページに掲載し、一定期間が過ぎたらこのページにプールすることにしました。さて、いつまで続くことか…。

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by yassall | 2017-01-24 15:25 | 散歩 | Comments(0)

ラスコー展

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 17日、ラスコー展を見に国立科学博物館まで行って来た。先週、西洋美術館の帰りに寄ったところ、閉館だった。それ切りにならなかったところが偉いところである(何が?)。
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 最初に出迎えてくれたのはクロマニヨン人の復元模型である。完全にコーカソイドの顔だちだな、と思っているうちに、はたと気がついた。アフリカにはじまった現生人類は新人(ホモサピエンス)とよばれる。昔、習った世界史の知識としてインプットされているのは、新人=クロマニヨン人であったのだが、正確には、クロマニヨン人とは19世紀にフランスで発見され、ヨーロッパから北アフリカに分布している化石人類を指しているのである。つまり、現ヨーロッパ人の祖先であるから(核DNAの調査でも遺伝的なつながりが証明されているとのこと)、このような骨格や顔だちをしていて不思議ではないのである。
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 展示の中心は洞窟画の複製。複製といっても3次元レーザースキャンなどの最新技術を駆使した精巧さであるということだ。第一、現在ラスコーは閉鎖されており、研究者でも滅多に入れないということで、一般人には実物を目にすることはできないのである。
 写真は「褐色のバイソン・ヤギの列・ウマの列」。フラッシュをたかなければ写真撮影OKということだったので、ブログでの公開も差し支えないのだろうと判断してアップする。
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 「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」
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 描画は最初に壁面に線刻がなされ、次に顔料で彩色され、ふたたび彫刻を施す、というような手順だったという。ときどきライティングが変わって、線刻のあとが浮き出される趣向になっていた。
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 「泳ぐシカ」。洞窟のかなり高い位置にも描画があり、はしごを使ったような跡もあるということである。
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 「背中あわせのバイソン」。展示にはクロマニヨン人たちが用いたという獣脂を利用したランプもあった(洞窟の中で発見されたとのことである)。壁画の魅力はライトアップにもあったのではないかと思った。
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 「井戸の場面」。傷を負って死にものぐるいになったバイソンに突かれたのか、不思議な「トリ人間」が倒れている図である。
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 レプリカであるということだが、オオツノジカの骨格標本も見ごたえがあった。肩まで高さが1.8m、角の重さが45kgあったそうだ(国立科学博物館所蔵)。
  ※ラスコーには描かれていないとのことだ。

 初めて知ったことがもうひとつ。洞窟はクロマニヨン人たちの住居であったと思い込んでいたが、どうも違うらしい。クロマニヨン人たちはチームを組み、弁当を持参し、通いで制作にあたっていたというのである。
 描画の動機が芸術的欲求であったとすれば人類最古の美術館、何らかの宗教的な起源があるとすれば最古の教会ということになるのだろうか? このような絵画文化はネアンデルタール人にはなく、ホモサピエンスには共通して見られるという。投槍器の発明によってネアンデルタール人を駆逐していったといわれるが、そのような実用的な道具にもまして、いっそう興味深い。

「ラスコー展」 2/19まで





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by yassall | 2017-01-17 20:01 | 日誌 | Comments(1)

クラーナハ展

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 10日、クラーナハ展を見に国立西洋美術館まで行って来た。開催期間も終わる直前になってしまったが、開催のアナウンスがあってから必ず行こうとチェックしていた展覧会である。
 看板の絵は「ホロフェルネスの首を持つユディト」の部分である。原画では左下にアッシリアの将軍ホロフェルネスの首が生々しく描かれている。『聖書』の外典である『ユディト書』にあるというユダヤ救国の物語は多くの画家たちによって題材にされている。以前、古くはボッティチェッリにはじまり、カラヴァッジョ、マセイス、クリムトにいたる画家たちによって描かれたユディトを対照した本を読んだことがあった。その中にクラーナハのユディトがあり、日本で見られるなら是が非でもと思ったのだ。
 今回、初めて知ったのだが、世界史の教科書によく出てくるルターの肖像画はクラーナハの筆なのだそうだ。個人的にも親交があり、夫妻の肖像画を何枚も描いている。北方ルネサンス(ドイツルネサンス)の巨匠クラーナハの活躍した時代は宗教改革の時代だった。ルネサンスの条件でもあるのだろうが、ローマ・カトリックの権威が傾き、封建制が崩れ、君主制による国民国家が成立していこうとする時代であり、宗教戦争が長く続いていく時代である。
 クラーナハは工房をかまえ、事業として絵画制作を行った。クラーナハ(父)とか、クラーナハ(子)※とかあるのはそのためである。職人たちをかかえ、家業として受け継がれていったのであろう。ブリューゲルなども同様で、個人としてのアーティストに重きが置かれた時代ではなかったのである。
 ※(子)と署名のある作品の展示は1枚だけだった。なかなかの大作で(父)と遜色はなかった。
 クラーナハの工房はビジネスとしても成功していたようで、羽の生えた蛇をかたどったサインはブランドであったようだ。量産もいとわなかったためか、皇帝や教皇の肖像画は本人の手になるものと思われるが、展示された作品の中に出来不出来があるのは素人目にも明らかであるように思われた。
 そんな中、やはり「ユディト」は秀逸であった。展示にあたっても唯一アクリルの板で保護され、扱いは別格だった。ルーブルで見た「モナリザ」も同じように保護されていたが、北方のモナリザと称されているのもうなづける。
 その「モナリザ」と比較してみると、クラーナハの「ユディト」の性格が理解できる。「モナリザ」が成熟した女性であり、(実はダ・ビンチ自身がモデルであるとの説があるとおり)男性的ともいえる輪郭線のはっきりした顔だちであるのに対し、「ユディト」はどこかしら少女的であり(伝説上のユディトは未亡人であるらしいのだが)、肌の色ともあいまった柔らかい輪郭線や、実際以上になで肩に描かれた曲線の強調など、女性美に描写の重点が置かれているのは明らかである。それでいて、「モナリザ」のほほ笑みが「こちら側」に投げかけられているのに対し、「ユディト」の視線は冷ややかで、近づく者を平然と切って捨てそうな凄絶さをたたえている。それは、行動を共にしているはずの召使いの姿がなく、ユディトが単独で描かれていることにも表れていると思うのである。
 中世からルネサンスにかけて、ユディトはキリスト教世界を守護する聖母として描かれたという。やがてカラヴァッジョの、今まさに血しぶきをあげるホロフェルネスの首に当てられた剣を握りしめているという劇的表現をへて、その影響下にあるジェンティレスキにいたって、ユディトは家父長的男性社会に果敢に立ち向かう女性像を託されたともされる。
 だが、クラーナハの「ユディト」が聖母として描かれたとは私には思えない。ここにあるのは官能美である。腑抜けた表情のホロフェルネスの首も、官能が死と隣り合わせであることを表現しているのに他ならない。それでも男たちは抗いがたく引きつけられていくのであろう。同工の作では「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」と小品ながら「女性の肖像」がよかった。
 もう一枚あげれば裸体の「ヴィーナス」であろう。この絵についてはNHK日曜美術館で予習したことが役に立った。実際にモデルを立たせてデッサンしてみると、左右の腕の長さやポージング、肩の線などがかなりの程度デフォルメされていることが明らかになる。想像よりもはるかに小さい絵で(したがって最初から個人の部屋で観賞することを目的で注文されたり、描かれたのであろうという解説があった)、それでいて髪飾りや首飾りの描写は精緻をきわめ、技の冴えが見て取れた。
 私が感じたのは上半身と下半身のアンバランスである。胸は小さく描かれ、少女のそれを思わせるのに対し、腰から太ももにかけては成熟した女を感じさせる。思うに、男性が女性美とする様々な感じ方を一枚にしてしまった絵ではないだろうか。簡単にいえば妄想の産物である。それにしてもこの目は何だろう。やや吊り上がったまなじりは東洋的ともいえる印象を受けるが、「ユディト」とも違い、誘惑的である。
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 西洋美術館の前庭ではもう梅が花開いていました。メジロの姿もありました。少し遅かったのですが、「ラスコー展」も見ようと科学博物館に回ってみると、この日は休館日でした。月曜日の成人の日の翌日だったからでしょう。西洋美術館の方は開いててよかった。
  
 


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by yassall | 2017-01-13 16:08 | 日誌 | Comments(0)

ゆいま~るin沖縄 4日目

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 最終日は元白梅学徒である中山きくさんによる講演からはじまった。宿泊したリゾネックス那覇の会議室で、時間は9:00から11:00までの2時間。1時間ではどうしても足りない、2時間は欲しい、というのは中山さんからの要望であったようだ。お年にもかかわらず、椅子をすすめても、ずっと立ったままであった。
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 沖縄戦の女子学徒隊は女子師範・県立第一高女のひめゆり学徒隊をはじめ、白梅学徒隊、なごらん学徒隊、ずゐせん学徒隊、積徳学徒隊、梯梧学徒隊、宮古高女学徒隊、八重山高女学徒隊、八重山農校学徒隊があった。
 白梅学徒隊は県立第二高女の生徒によって編成され、東風平村富盛八重瀬岳の山第一野戦病院に軍属として配属された。衛生看護教育隊に入隊したのが3月6日、23日には米艦船による艦砲射撃と爆撃が開始、24日人工壕の野戦病院に配属、以来戦線の移動とともに各地を転々とし、6月4日に解散となった。司令部が機能しなくなったからだが、医療のための薬品類も底をついてしまったからだという。
 問題はそこからで、解散後は軍属としての身分を失ったため壕には入れず、激戦地の南部一帯を彷徨することになり、除隊後に22名の学徒が命を落とすことになったというのである。国を守るという軍隊は、実は国民を犠牲にする軍隊であったのである。
 中山さんは長く小学校の先生をお務めになっていたが、国家公務員であった夫が沖縄の本土復帰後に転勤するようになり、たまたま転勤先が広島・長崎であったことから被爆者の方々と交流する機会があり、戦争体験を語り継ぐことの大切さを自覚するようになったということだ。かつての学徒たちも高齢となり、第一線からは撤退し、後代の人にどう継承させていくかが課題になっているらしい。貴重なお話を聞くことができた。
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 午後の南部戦跡見学に先だって昼食場所に選ばれたのはアーサーそばの「屋宜家」(糸満市)である。もともとは戦後直後に建てられた純琉球建築様式による古民家で、国の有形文化財に指定されている。入口を入り、主屋正面に配置されている塀を「ひんぷん」と呼び、単なる目隠しだけでなく、邪気の侵入を防ぐという役割があるとのことである。
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 予約席として案内されたのは「あしゃぎ」(離れ)である。
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 内装・調度もとても品がよく、すっかり気に入ってしまった。藤崎紅型工房でも感じたことだが、谷茶ベイのような巨大なリゾート施設だけでなく、沖縄の文化遺産を生かして経済的に自立していこうとする意気込みのようなものが伝わって来た。(もちろん、そばは美味かった。)
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 花はブーゲンビリアである。

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 最終日にガイドを務めて下さったのは「糸満市観光ガイド」の大谷さんである。あえて「観光ガイド」を名のっているが、やわらかい口調のうちにも、父母の体験も含め、沖縄の戦争と平和を伝えようとする意志の強さが伝わってくる人だった。
 その大谷さんが平和祈念公園で最初に案内してくれたのは韓国人慰霊塔である(後ろに見えるのは平和祈念堂)。墳丘に積まれている石はすべて祖国韓国から運ばれたもの、円形の窪地の真ん中にはめ込まれた矢印は祖国を指している、という説明があった。
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 平和の礎の扇の要に位置する平和の火。いちばん左にいらっしゃるのが大谷さんである。
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沖縄県知事島田叡・沖縄県職員の慰霊塔。
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 平和の丘。この前が式典広場になる。
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 植えられている樹木の名前はモモタマナ(沖縄ではクァデサー)だと教えられた。葉が大きいことから、沖縄では墓地によく植えられているとのことである。
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 魂魄の塔。激戦地に建てられたが、当初米軍は遺骨の収集を禁じたということだ。
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 ひめゆりの塔。ぽっかり口を開いている壕は沖縄陸軍病院第三外科壕であった。
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 女子師範・県立第一高女と併称されるのは、もともと同一の学校であったからだ。師範学校と高等女学校の二課程があったということになる。
 ひめゆり平和祈念資料館に入ると、同校には正門から80mの相思樹の並木道があったという掲示がある。大谷さんの説明で、この資料館そのものが、かつての女子師範・県立第一高女を模した建物であり、植樹されているのも相思樹であると知った。
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 相思樹の葉。裏表がないことから命名されているらしい。
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 南部戦跡をあとにし、16:00には那覇空港に入る。17:00、空港発。沖縄に別れを告げる。


【追記】
 撮影機材にはG3Xと押さえにRX100を携行した。G3Xはやや画質に不満が残るが、24-600mmの超高倍率レンズは今回のような場合には十分にその威力を発揮した。同じ1inchセンサーでも画質はRX100がまさると思ったが、沖縄の晴天時にはやはりEVFが欲しいと思った。



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by yassall | 2017-01-08 08:26 | 日誌 | Comments(1)

ゆいまーるin沖縄 3日目

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 3日目(ゆいま~るとしては2日目)、14のコースをバス23台に分乗してフィールドワークに出発する。一度には発車できないので時間差で出発。私が選んだコースは8:30発だったので少しのんびり。
 それにしても、この谷茶ベイは規模といい、構えといい、整備されたビーチといい、広々とした駐車場といい、(沖縄資本のみではないのだろうが)、沖縄が本気でリゾートで再生していこうという象徴のようなホテルでだと思った。
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  最初に着いたのが辺野古、昨日に連続して座り込みテントを訪れる。今日は全教としての行動であるから、人数も多く、バス3台になった。
 14のコースの中で希望が集中したのはヘリパッド建設反対でゆれる高江を回るコースだった。このコースにはバス4台が配車されたが、すぐに定員になってしまったらしい。
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 レクチャーはバスごと。説明してくれているのがテント村に詰めている方、右端で白い帽子をかぶっている人がバスについてくれたガイドの上里さんである。
 珊瑚礁の海では海岸は白砂であるのが本来なのだが、米軍の砲撃訓練で崩れた山から赤土が流失し、このような色になっているのだ、というのは昨日の湯浅さんから聞いた。私たちから見ると、十分きれいな海岸であるのだが。
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 実は私が選んだコースは、辺野古に限らず、ほぼ埼高教単独で回ったコースと重なる。だが、2度目は2度目で新しい気づきがある。
 これは上里さんの受け売りだが、この道路は沖縄に落とされたお金(振興費)で作られた、しかし漁村である辺野古にとって道路の舗装はともかく、住民数から考えて歩道は不要だった、使われないからまたたく間に野草に覆われてしまった、というのである。何に使うのか、役に立っているのか不明な建造物が多数ある、というのである。今は退職されているが、不当に退学させられた先輩たちへの処分に抗議して琉球大学を自主退学したという学生時代をへて、教組の支部役員として長年活動してきたという上里さんは、いかにも筋金入りという人物であった。
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 嘉手納基地も2度目。この日は日曜日であるので訓練は行われていなかったが、普段はタッチ・アンド・ゴーの騒音が飛び交っているそうだ。
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 道の駅の真ん前には、昨日は気づかなかった騒音計が設置されている。軍用機の離発着時には軽く100㏈を超えるとのことだ。
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 北谷町美浜区公民館。ここで昼食の弁当が配られた後、普天間基地をめぐる問題についてレクチャーを受ける。
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 レクチャーしてくれた地元の町議の方。失礼ながらお名前をメモし損なった。パワーポイントを使って、現状と問題点、今後の課題について丁寧に説明してくれた。
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 いかに米軍基地が地域を圧迫し、被害をもたらしているかのみならず、世界への出撃拠点として機能しているかが明らかにされる。
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 沖縄経済の「基地依存度」は1955年の25-27%から減少を続け、現在は5%程度だといわれている。「米軍がいなければ沖縄はやっていけない」というのは時代遅れの神話であり、むしろ米軍基地が沖縄経済の発展の最大の阻害要因である。ハンビー飛行場跡地は商業地・住宅地となり、返還地利用の最も成功した例であるという。
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 コースの最後は嘉数高台。今日もオスプレイが機体を並べている。上里さんから「ベースとキャンプの違い」というお話があった。空軍・海軍の基地はベース、つまり出撃の拠点である。日本語では同じ基地でも、海兵隊の場合はキャンプになる。キャンプは駐屯地というような意味合いになり、米海兵隊が海外での武力行使を前提とした外征専門部隊であることを象徴している。沖縄は米海兵隊にとって前線基地なのである。
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 居住表示案内板には基地にあたる区域にも町名の記載がある。暴言で知られる「作家」の百田氏が「基地が住宅地に近接しているというが、もともと何もなかった基地の回りの土地に住民が集まってきたのだ」と発言して顰蹙をかったことがある。米軍は「銃剣とブルドーザー」によって接収した土地に基地を建設し、収容所から帰された住民たちがもどったら土地が奪われていたというのが真実だ。
 ところで、これも上里さんのレジメによるのだが、百田氏の発言には前例があることが分かった。2005年、米4軍副官が「普天間はサトウキビ畑とパイナップル畑でなにもなかった」と発言しているそうだ。百田氏は何の検証もなしにこれを引用したのに違いない。
 これに対し、上里さんが地元民らしく、ユーモアをまじえて反論している。沖縄本島は南部が石灰岩質のアルカリ性でサトウキビの栽培に適し、北部は赤土で酸性でありパイナップルの栽培に適する。つまり、「サトウキビ畑とパイナップル畑だった」というのはまさに「見てきたようなウソ」だったというのである。
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 この日のフィールドワークは16:00頃には終了した。新潟や大阪等からの参加者はこのまま帰路につくということで、バスは最初に那覇空港に、もう一泊する県の参加者は国際通りの県庁前まで送ってもらい、流れ解散となった。






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by yassall | 2017-01-07 16:24 | 日誌 | Comments(0)

ゆいまーるin沖縄 2日目

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 2日目、8時にホテルを出発し、いよいよ辺野古に向かう。写真はバスを降りてから基地に向かう途中の第2テント村である。
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 このフェンスの向こう側がキャンプ・シュワブということになる。
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 突きだした辺野古岬とその先端に見える島の間が新基地のために埋め立てるとされているエリアである。
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 辺野古は漁港である。船溜まりのそばに設置されている座りこみテントを訪問する。
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 テント村の方からレクチャーを受ける。このあと、キャンプ・シュワブの正門前に向かうのだが、残念ながらバスで通りすぎるだけになってしまった。
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 埼高教のツアー部分には若干の観光コースも含まれていた。ガイドの湯浅さんがきれいな海を紹介するという。灌木のトンネルをくぐり抜けていく。
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 トンネルをくぐるとき、湯浅さんが怪我をしないように、と皆に注意する。アダンの葉には鋭いトゲがびっしり生えている。沖縄戦の最中、この中なら米兵も追ってこないだろうと、住民たちが血だらけになりながら潜んでいたのだという。
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 若者たちであればこそ絵になる風景。したがって私は入っていない。
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 カヌチャリゾートで二手に分かれてグラスボートに乗り込む。この樹脂製の桟橋はなかなかスリルがあった。
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 グラスボートから覗いた珊瑚礁。今年は台風が来ず、海水が混ざらなかったため、珊瑚礁にとっては悪条件であるらしい。それでも日光を受けようとテーブルを広げている。クマノミの魚影も見えた。
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 藤崎紅型工房も見学した。
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 手作業による染め付けである。
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 小さいながら庭はきれいに手入れされていた。気持ちのよい一時であった。
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 昼食後、名護市から恩納村へ。全教未来プロジェクトの会場であるリザンシーパークホテル谷茶ベイに入る。けっこう早めについたので待ち時間が長かったが、いつの間にか会場が参加者で満杯になったころ、創作和太鼓集団「心」による演舞がはじまった。
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 文化行事がはじまったのが14:30、15:00からの全体会のオープニングは「仲間とつながる」各地のとりくみと題して、ゆいま~るの成功のための全国各地の活動が映像で紹介された。実行委員長あいさつのあと、来賓として登壇したのは稲嶺進名護市長である。翁長沖縄県知事からもメッセージがよせられた。
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 記念講演はジャーナリスト、ドキュメンタリー映像作家の三上智恵さんである。大阪毎日放送をへて、琉球朝日放送のニュースキャスターを19年務めたのち、沖縄では放映されるものの、なかなか全国放送されないことに限界を感じ、独立した。「標的の村」「戦場ぬ止み」は全国で上映されている。沖縄の米軍基地強化のみならず、集団的自衛権体制づくりの背景には、ロシア・中国の太平洋進出の抑制を目標とするエアシーバトル構想の存在があることが強調された。
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 講演に続いて三上さんと青年たちとのトーク。受け身なだけでなく、若者たちの声を反映させようという企画だ。
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 エンディングは北海道・東京・静岡・京都・高知・私教連の代表による報告と決意表明。北海道からは吹雪の影響で飛行機が運休し、会場に到着できなかった参加者もあったとのことだ。それでも1091名の参加が報告され、集会は目標を達成した。
 閉会後、急ぎ会場設営をして、同会場で夕食交流会が開かれた。マイクの声も隅々まではとどかず、十分な交流ができたかどうかは別として、1000人規模の立食パーティは壮観ではあった。


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by yassall | 2017-01-05 15:13 | 日誌 | Comments(0)

ゆいまーるin沖縄 1日目

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 12月23日から26日の日程で、全教「未来をひらくプロジェクト ゆいま~る 見て・聞いて・学んで・つながろう」に参加してきた。詳報をアップする。
 第一報では那覇空港を出ようとするやいなや、「いきなりのオスプレイ」を目の当たりにすることになったことをお伝えしたが、先の写真は望遠側で引き寄せたもので、実際の見え方はこの写真の方が近かった。
 この日は嘉数高台に向かうときにもオスプレイの機影と出くわした。ただ、24・25日には一機も飛行していなかった。なぜかというと、クリスマスであったかららしい。土日にもあたっていて、訓練は休みだったようだ。13日の事故後、たった6日で飛行を再開し、当初は除外するといっていた給油訓練も年明け早々には始めるという。まったく米軍の都合のみで運営されていることがこの一点でも明らかである。
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 バスに乗り込み、最初に向かったのは不屈館。沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現のために、米軍の妨害や投獄にも屈せず、沖縄の人々の厚い信頼とともに闘った瀬長亀次郎の記念館であり、資料館である。
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 2007年に「瀬長亀次郎生誕100年展」が開催されたのがきっかけで、常設展の要望が高まる中、生前交流のあった方のご遺族からマンションの1階を無償で提供する旨の申し出あり、開館のはこびとなったそうだ。
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 瀬長さんの顔は記憶の中で鮮明だという人も多いだろう。説明してくれたのは瀬長さんの次女の千尋さんである。
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 近年、その千尋さんが小学生のときに獄中にあった父親に宛てた手紙が米軍によって飜訳され、本国に報告されていたことが情報公開で明らかになったそうだ。アメリカがいかに瀬長さんを危険視し、恐れていたがわかる。
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 つぎに向かったのが嘉数高台。ガイドの湯浅さんが少し遠回りをしてガジュマルの樹のそばを通りながら、いかに沖縄の人々の心のよりどころになってきたかを説明してくれた。
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  現在、嘉数高台は公園として整備されている。高台を上っていく階段の手前に沖縄戦の激しさを伝える弾痕塀が残されている。
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 頂上には京都の塔・島根の兵奮戦の碑・韓民族出身者の青丘之塔などが建立されている。
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 旧日本軍のトーチカ跡も残されている。
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 銃眼側。ぶ厚い鉄筋コンクリート製だが、激しい砲撃にさらされたことが見て取れる。
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 写真の順序が前後したが、この展望台から普天間基地が一望できる。
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 普天間基地。住宅密集地帯である。2004年に米海兵隊ヘリコプターの墜落事件のあった沖縄国際大学はすぐ右側に位置する。
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 右隅に見えていたオスプレイをズームアップしてみる。
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 次は嘉手納基地。道の駅かでなの屋上から一望できる。道の駅の3階は学習資料室になっている。
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 普天間は米海兵隊の基地。嘉手納は4000m滑走路2本、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の米空軍基地である。嘉手納町の83%を占有する。
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 あまりに広大であるので西側(※)から3枚の写真で追ってみる。
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 東端側(※)。この奥が弾薬庫になっているとのことだ。
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 基地の奥の方に建設されている格納庫をデジタルズームも使って引き寄せてみる。この格納庫だけで数億円の費用がかかっているとのことだ。むろん、日本の「思いやり予算」から支出されている。
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 この日、最後に訪れたのは宮森小学校である。1959年、米F100ジェット戦闘機が石川市(現うるま市)に墜落、衝撃で跳ね上がったのち、宮森小学校の校舎に激突した。まき散らされたジェット燃料で家々と校舎は激しく炎上し、死者18名、重軽傷者200名の被害をもたらした。
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 当時、事故は日本中に衝撃を与えた。慰霊碑の地蔵は武者小路実篤筆のものであるということだ。
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 つぎに案内してもらったのはうるま市石川町会館。すでに夜になってしまっていたが、特別に開けていただいた。
 墜落の経過は米軍発表によるしかない。操縦不能に陥ったパイロットは海上に墜落するように機体を向けた後にパラシュートで脱出した。その後、機体は再び進路を失い、石川町に墜落したというのである。つまり、パイロットは最後まで被害を最小に止めるための努力をした、といいたいらしいのだが、オスプレイの事故の時にも聞いたようなセリフである。
 このF100は世界で初めて音速に達したジェット戦闘機だということだ。事故の原因は「整備不良」と発表されたが、その後も世界中で事故を起こし、「未亡人製造機」とあだ名されたそうだ。これもオスプレイと類似している。
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 事故を語り継ぐとりくみは比較的近年になってはじまったとのことである。運動も困難だったのだろうし、体験者にとっては辛い記憶であったのだろう。遅くまで熱心に説明してくれた方も、宮森小学校の卒業生(当時小5)で、定年後に活動に参加したという。
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 この日の宿泊地はリゾネックス名護。写真は翌朝に窓から見た海岸風景である。

※嘉手納基地の写真に関して、かでな道の駅の位置を把握し損ない、方角が誤っていたので訂正しました。(1月5日)



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by yassall | 2017-01-04 21:27 | 日誌 | Comments(0)

つい一言 2017.1

 アパホテルが客室に「南京大虐殺」否定本を置いていることが中国版ツィッターで問題視され、批判が広がっている。問題となった本の題名は「理論近現代史学Ⅱ」、著者・藤誠志はアパホテルの元谷外志雄代表のペンネームであるという。
 アパグループが右派パトロンであることは周知の事実で、田母神元航空幕僚長が日本の侵略戦争を正当化したことで更迭された懸賞論文を主宰したのも同グループである。
 それで止まらず、今度は新年早々問題になっている東京MXテレビ「ニュース女子」に化粧品メーカーのDHCが深く関わっていることが明らかになった。ネットで検索できる(DHCシアター)ので調べてみると、2日放送の番組では、沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設反対派は「金でやとわれている」「韓国人が参加」「「(逮捕されても生活に困らない)65歳以上のシルバー部隊で組織されている」などのデマと中傷を並べたて、あきれるばかりの内容である。同番組は「反対派の暴力で近づけない」などという口実で、実際には現地で取材していないことが明らかになり、批判をあびている。
 他の日に放送された番組では、オスプレイの墜落事故に関連して米海兵隊トップの「(人家に墜落しなかったのは)感謝されるべきだ」との発言をめぐって、コメンテーターが「感謝するのが当然だ」「感謝できないのは米軍に対する感謝を忘れているからだ」など、声高に暴言をまき散らして平然としていた。
 DHCはMXテレビのスポンサーとしての広告費が23億円、全体の14.3%になるのだという。だが、放送は国民共有の電波を預かるもの。放送法にある「公平公正」の精神はどこ吹く風でいいはずがない。電波停止発言でマスコミに脅しをかけた高市総務相は何も言わないのか?
 (私は化粧品には縁がないが、健康サプリメントではDHCの製品をいくつか買っている。だが、今後はいっさい手にしないと決めた。)(1月25日)

「共謀罪」(組織犯罪処罰法改定案)は実際に犯罪を犯す以前においても「共同謀議」が認めれれば予備拘束および処罰が可能であるという法律である。先に制定された秘密保護法(国家機密法)とあわせて戦前の「治安維持法」の復活であると批判されている。
 その「治安維持法」について興味深い記事があった。施行直前、当時の東京朝日新聞は「治安維持法は伝家の宝刀に過ぎぬ」と警視庁当局の見解を伝え、「社会運動が同法案のため抑圧せられる事はない」と報じたというのである(赤旗「潮流」1.13)。その後、「治安維持法」がどのような猛威をふるい、日本という国家を破滅に導いていく一翼となったかはいうまでもない。
 「強権国家」と「強い国家」とは異なる、との感を深くする。政府は東京オリンピックに向けての「テロ等準備罪」と喧伝しているが、とんだレガシー(負の遺産)になりそうだ。菅官房長官は「一般市民には関係ない」などと煙幕をはっているらしいが、対象犯罪は676に上るらしく、確かに殺人や詐欺、覚せい剤の密輸などは「一般市民」とは関係はないだろうが、「組織的威力業務妨害罪」などは市民団体によるデモや国会前集会にも適用されないとは限らない。
 これまで3回国会へ関連法案が提出されながら、いずれも廃案になっていることが同法案に対する批判がいかに強いかを物語っている。国会内での数の力で押し切られようとするか、国民の力で跳ね返せるか、今年最初の関門である。(1月15日)
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by yassall | 2017-01-02 19:43 | つい一言 | Comments(0)