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今年の読書から

小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書(2012)
柄谷行人『世界共和国へ』岩波新書(2006)

 ここ数年、志木高校時代の知人たちと読書会を開いていることを以前にも報告した。2冊ともその読書会のテキストとして私が推薦した。とくに柄谷の『世界共和国へ』は私にレポーターの順番が回ってきたとき、「思考実験的な要素があるので、分担はせず、1回切りで」という条件でテキストにしてもらった本である。
 この2冊について語るためには、私の現在の関心事がどこにあるかを明示しておかなければならない。いずれも難問で、答えに到達することが私に出来るとは思えない。「だが、その答を得るまでは一歩たりとも先へは進めないのだ」などと大見得を切ったところで、たちまち腰砕けになることは目に見えている。
 それでも、「人生の生き直し中」という限り、私がこれらの問いを意識し続けることはその証立てであろうし、今度こそ安直な楽観も悲観も拒否しつつ、問い直し、問い続けていかなければならないと思っているのだ。
 本来なら、それらがなぜ私にとっての関心事なのかを書かなくてはならないのだが、煩雑を避け、箇条書きにしてみる。

 ①成長なき資本主義は可能か
 ②「国家の死滅」のときは来るのか
 ③私が生きてきた(生きている)時代はどんな時代か
 ④「日本的なるもの」は存在するか
 ⑤「個」と「全体」の問題は解決されるか
 ※③からはさらに「戦後民主主義」とは何か、「代表制」は民主主義であり得るか、あり続けられるかといった枝番としての問いが生まれる。枝番は他の問いからも発生する。


 上記の2冊はこれらの問いに、大いなる示唆を与えてくれたと言ってよいと思う。
 小熊英二『社会を変えるには』は、戦後日本の社会運動の歴史と現段階の状況と課題の分析、社会学的な知見に裏づけられた原理論としての「民主主義」論、「近代自由民主主義」の理論的背景について述べた書物である。書きぶりこそ平易で、アクロバット的な思考実験とは無縁ながら、新しい視点をいくつも提示してくれ、思考の変革をもたらしてくれる。
 
 柄谷行人『世界共和国へ』は、著者自身が「自分の考えの核心を、普通の読者が読んで理解できるようなものにしたい」とあとがきで述べているように、2000年以降の著者の思考の現段階でのまとめとして書かれ、しかも「普通の読者」に読まれることを強く意図して世に出された書物である。そこには著者なりの危機意識と使命感が存在する。
 柄谷はまず、現代が「理念と想像力なき時代」であると指摘する。1990年代以降の資本主義のグローバリゼーションの進行の中で、「世界市場」が形成され、国民国家の輪郭が揺らいでいる。新自由主義が世界を席巻する中で、これに対抗しながら広域国家づくりがすすんだり、「旧世界帝国」が再登場しようとしたり、途上国の両極分解が起こったりしている。しかしながら、新自由主義への対抗はしばしば排外的ナショナリズム、文化的・宗教的原理主義にとどまっている現状がある。
 そして、現代において人類が直面する課題は、ずばり戦争、環境破壊(原発問題を含む)、経済的格差であるというのである。これらの課題の解決のためには「国家と資本の統御が必要」であるとする。

 柄谷は考察の枠組みとして、マルクスに多くを依拠しながら、生産様式からではなく交換様式およびその変容と接合から歴史・社会を考察しようとする。
 そこで考察される交換様式とは、A互酬、B略取ー再分配、C商品交換、D(X)である。歴史の発展過程としては、Aは原始社会・共同体に対応し、Bはアジア的生産様式=賦役貢納制、古典古代的奴隷制、封建制に対応し、Cは資本制に対応する。
 ただし、共同体は原始社会以後も社会構成体の基礎として残る。共同体が本格的に解体を始めるのは国民国家の形成および商品交換の普遍化によってである。Bは国家の誕生とともにあらわれ、官僚制と常備軍からなる構成は近代国家においても変わらない。Cは萌芽的には各社会構成体に存在したが、絶対主義と資本制が結合していく中で商品交換の原理は国家の支配を抜け出ていく。
 Dは(X)として表現されるが、「自由の互酬制」であり、商品交換という位相において開かれた自由な個人の上に互酬的交換を回復しようとする運動として「想像的な存在」であり、歴史的には「普遍宗教が説く倫理」あるいは「社会主義運動」としてあらわれた。ただし、「想像的な存在」であるとしながら、柄谷は「社会構成体に内属」しているとも書くのである。

 つぎに、柄谷は歴史の現段階としての「資本主義的社会構成体」は、資本[商品交換]=国家[略取ー再分配]=ネーション[想像された共同体(互酬)]が接合した「ボロメオの環」であるという。
 先に述べたように資本と国家が結合して急速に商品経済が普及していく過程で共同体は破壊されていった。ネーションとはその共同体的な人間の紐帯を「想像的」に回復しようとしたのだというのである。
 私には、これは非常に説得力に富んでいるように思われた。実際には様々な階級・階層に分断されているのに、「国民」として「国家」に統合されることを可能にする原理こそ、「国民国家」(国家=ネーション)という幻想なのである。柄谷はフランス革命の標語、「自由」は商品交換に、「平等」は(略取-)再分配に、「友愛」はネーションに対応しているという。
 問題の焦点はこの3つの原理を混同、あるいは結合が必然的で堅固であると錯覚してしまうところにある。(「ボロメオの環」は想像上の環であり、三つの輪は互いにしっかりと連結しているが、二つの輪同士は互いに連結していないから、一つの輪でも欠けるとたちまちバラバラになってしまうというしろものなのである。)

 価値形態論からみる貨幣の性格として最も重要なのは「貨幣と商品の非対称性」であり、貨幣は社会的質権として、人間の意志を超えた客観性と社会的な強制力を発揮する。
 資本と国家は異なる原理によっている。国家はそれ自身のために存続しようとしている。また、国家は他の国家に対して存在している。したがって、国家を表層的な上部構造であるとし、深層にある市民社会=真実社会の自己疎外態であるから、経済的な変革によって資本制を終わらせれば国家は消滅すると考えるのは間違いである。同様に、国家の消滅の「手段」としての「プロレタリア独裁」(共産党一党独裁)も誤りである。「他の国家」からの「革命の防衛」のためには国家権力は強化されなければならず、国家社会主義(一国社会主義)に陥る。

 では、どのようにして資本と国家を「統御」していくのか? 柄谷が提起するのは「自由の互酬性」にもとづく「アソシエーション」と、カントが「永遠平和のために」で問うた「世界共和国」の実現である。
 国家と資本を揚棄していく主体は「プロレタリア」である。ただし、生産過程におけるそれは資本に従属的であるしかない。プロレタリアは生産点において搾取される存在であると同時に、流通過程においては「生産物を買い戻す消費者」であり、「売れる」ことによって「利潤」が完結する資本に対して、ボイコット(等)の手段によって対抗することが出来るのである。
 資本は自己増殖的で、資本が資本である限り、その運動を(自ら)止めることはできない。資本主義は差異化が不可能となる時点で終わるということはできるが、その運動を放置する限り、それが終わる前に人間と自然の大半が未曾有の破壊に直面する、というのが柄谷の発する警告である。

 読書会でのレポートの最後に、私が感想として配布したメモは以下のようなものである。

 ・「マルクス」と「マルクス主義」を区別。マルクスの新しい可能性を追求しているようにもみえる。
 ・生産様式からではなく交換様式から歴史・社会をみるという方法は人類学の知見に負うようにみえる。「史的唯物論」に対する疑問を投げかけているようにみえる。ヘーゲル的な「理性」の発展としての世界史に対しても同様である。
 ・ただし、「古典古代的奴隷制」と資本主義社会において出現する「奴隷・農奴」状態を区別しているところから、経済的な下部構造がその土台にふさわしい「社会構成体」を形成することは否定していない。
 ・人間性としての「互酬的交換様式」は現代人にも認められる。原始共同体とは異なる社会において「相互性」を取り戻そうという思想には魅力を感じる。
 ・「空想的社会主義」と断ずることは容易である。だが、かつての「プロレタリア独裁」もまた「空想的」であったとはいえないだろうか? もっとも、資本主義肯定論者の例えば「トリクルダウン」も幻想であることはもはや明らかだが。
 ・『世界共和国』の思想はカントに依拠している。カントに社会主義的な傾向が見られることは正しいようである。
 ・プルードンとマルクスの親和性には慎重である必要がある。ただし、マルクス主義の「三つの源泉」のひとつにフランス社会主義があることはレーニンも認めているところである。(プルードンは結社という意味でのアソシエーションには否定的だったようである。ただ、「連合」の重要性は認めていたようである。)
 ・「大衆的」かつ「前衛的」な「党」が「代表」として選ばれ、長期的な視野に立って「自由」「公平」「公正」な社会を展望していくという道を(筆者は)肯定するか?
 ・「アソシエーション」=生産・生活協同体は「地方再生」の課題として一定程度実現可能ではないだろうか? それが「国家」を造りかえていく力になるかまでは不明。ただ、ヨーロッパでは「シェア」の実践はかなりすすんでいるようである。新しい社会のシステムやルールの広がりは期待したい。
 ・現代の課題に応える新しい「理念と想像力」を、という思想態度には強い共感をおぼえる。キング牧師の演説やジョン・レノンの「イマジン」を想起する。

佐和隆光『経済学のすすめ』岩波新書(2016)
船戸与一『満州国演義一~九』新潮文庫(2007~2015、文庫版は2015~2016)

 もう2冊あげる。
 佐和隆光『経済学のすすめ』には「人文知と批判精神の復権」というサブタイトルがつけられている。ここから察せられる通り、前半は国立大学において「人文社会系学部や大学院は組織を廃止ないし再編」し、「社会的要請の高い分野への転換」を図るべきだとした昨年の「文科大臣通知」批判である。日本の大学のランキングが低い原因は、論文を英文で書かないため、他の研究者から引用される回数が極端に少ないからだ、というような現場感覚からの指摘からはじまって、欧米の学問体系および教育課程における人文科学の位置づけを論じ、真に創造的な学問探究におけるリベラルアーツの重要性を説いて、批判は精緻かつ鋭利である。
 戦後日本の経済学を論じた件では、アベノミクスは新古典派(新自由主義)でもケインズ派でもなく、あえて分類すれば「国家資本主義」にほかならないと喝破する。アマルティア・セン(インドのノーベル経済学賞受賞者)は新古典派が前提にすえる「経済人」を「合理的な愚か者」と決めつけ、「効用最大化」以外に、あるいはそれ以上にシンパシーとコミットメントを人間の選好順序の要因としてあげたという。その意味からすれば、日銀がマネタリーベースを上げさえすれば消費が上向くとするアベノミクスは、市場原理にもとづく新古典派というより、上意下達による愚民政策に他ならないと批判する。
 後半は経済学の教科書化=「制度化」に対する批判である。それはアメリカからはじまったが、とくに日本における経済学の「制度化」は政府のすすめる経済政策に「理論的」あるいは「統計的」な裏づけを付与しようとするものでしかない。「数字」のとり方によって、それはいかなる政策にも対応してしまうのである。筆者によれば、経済学は本来モラル・サイエンスであり、「人文知と批判精神という鎧」を纏ってはじめて「希有なる威力」を発揮するのだというのである。
 ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅さんの「役に立つという言葉が、とても社会を駄目にしている」というスピーチとも通底する、もうけとしての「経済」優先の歪みを正そうとするアクションは頼もしいと思った。自分にも理解できそうなところだけ拾い読みするつもりでいたが、最後まで読み通してしまった。

 さて、船戸与一『満州国演義』こそ、私がこの1年間をかけて読み続けた書物に他ならない。張作霖謀殺にはじまる第1巻を手にしたのが3月、「満州国」の瓦解から通化事件・シベリア抑留を描いた第9巻を読み終わったのが12月。もちろん全9巻400字詰原稿用紙7500枚超の大著とはいえ、ただひたすら毎日を費やしてここに到ったのではない。続刊の発売を待つ期間もあったが、しだいに重苦しさを増していく内容が次の巻に向かうのをためらわせること度々だったのだ。著者自身が「小説の進行とともに諸資料のなかから牧歌性が次々と消滅していく」ことを痛感させられた、と書いている。
 同じあとがきで、「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない」と書くように、ベースには「膨大な量の文献との格闘」がある。巻末に掲げられた参考文献リストをみても、それが少しも誇張でないことが理解できるし、「資料を読んでいるうちに客観的と認定された事実にも疑義を挟まざるをえないものがあちこちに出て来るようになった」ということばに、その「格闘」ぶりが証明されている。
 もともと「小説として成功したか否か」を問うような作品ではないのかも知れない。敷島4兄弟と陰の主役ともいうべき関東軍特務員の間垣徳蔵を登場させ、これらの人物を中心に小説は進行していくが、それぞれの個性をもって時代と激突し、主体的に生き抜いて行くというより、時代の目撃者あるいは伝聞預かり人として配されているというところだろう。敷島という姓も「大和」のとか「日本」のという意味でしかなく、さまざまな階層に散りばめられながら、時代に翻弄されるしかなかった日本人一般を表象しているのだと思われる。
 ただ、時代の大きなうねりは押さえながら、たとえば「満州」には日本に併合された朝鮮半島からも移植しており、それらの朝鮮人が襲撃にあったときの関東軍の対応、電力の確保のために建設されたダム工事の現場での現地工人たちの境遇など、通史では取り上げられることのないような出来事も丹念に描写されていく。明確な批判精神といったものが介在しているのでもなく、特定の歴史観による取捨選択がなされてもいない分、その愚劣さや非情さ、もはや戦争継続の能力も大義も失われていることが明らかなのに、ひたすら破滅へと突きすすむしかない歴史の大渦、その抗いがたさ、解体されていく国家と人間をこれでもかといわんばかりに描いて、読む者を突き落としていく。
 『満州国演義』は船戸与一の遺作である。執筆途中の2012年頃には胸腺癌を患っていることが公表され、最終巻の9巻の刊行から2か月後に71歳で没した。余命1年弱という宣告からなお3年余りを生ききって完結させた。
 この執念は何だろう。この稿の冒頭で、私は「私が生きてきた(生きている)時代はどんな時代か」などという問いを発しながら、私がその「答」に到達できるとは思えない、などという軟弱なことを書いた。
 1944年生まれの船戸にとって、『満州国演義』に描かれた時代は本人が生きた時代とはいえないものの、そのベースを形づくった時代である。私は船戸にもまた、「自分の起源となった時代」「自分の拠って立つ時代」を明らかにしなくては死んでも死にきれないという決意があったのではないかと思っているのである。
 司馬遼太郎が書こうとして書けなかったというノモンハンを船戸は書いている。先ほど、「明確な批判精神」は介在させずと書いたが、そのノモンハン事件やインパール作戦に参謀としてかかわった辻政信や瀬島龍三等に対しては、そのエリート意識と立身出世主義(功名主義)を容赦なく批判している。作品には船戸の遺言がこめられているのである。
 読み通すのは苦しい。だが、読むべきだ。船戸の執念に応えなくてはならないのだ、と思ったのだった。

 村上もとかの漫画『フイチン再見!』は単行本で8巻まで刊行されている。上田としこの『フイチンさん』は私たちが子どものころ、少女雑誌に連載されていた漫画である。「ああ、こんな絵の漫画があったなあ」というのが最初だったが、村上のオマージュともいうべきこの作品によって上田としこが満州からの引揚者であり、父親は帰日直前に捕らえられ処刑されていたこと、『フイチンさん』はその体験を元にしていることなどを初めて知った。
 鳥居の歌集『キリンの子』は版を重ね、歌集として成功をおさめた様子でなによりだった。有名になったせいか、彼女のブログを閲覧すると、共感や感動を伝える声に混じって、心ないコメントや匿名のコメントが多数書き込まれているようだ。まったく不届きだと憤慨するしかないが、そんなことで心折れる鳥居ではないと信じている。
 雨宮まみの急死は惜しんでもあまりある。山折哲雄は来年も読んでいくつもりである。以上


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by yassall | 2016-12-31 14:47 | | Comments(0)

2016高校演劇  「沖縄」前後

 「リンドバーグたちの飛行」で、演劇三昧の3日間だったと書いた。その後、23日から26日まで沖縄「ゆいま~る」に参加してきたことを別稿で紹介した。実はその前後にも高校演劇関連で報告しなければならないことがあった。

 22日は朝霞西高校演劇部のクリスマス公演だった。昨年もnatsuさんに誘われて出かけたが、なかなか面白かった。日程的には少々辛かったが(natsuさんも新潟入りを直前にしていたので今回は遠慮したようだった)、今年はどんな芝居をしかけてきたのだろうとの期待もあってお誘いを受けることにした。
 演目は恩田陸・作の「猫と針」。調べてみると初演は2007年、キャラメルボックスとしては脚本も演出も成井豊によらない、かなり異質な公演であったとのことである。
 ミステリー仕立てながら、謎解きが中心ではなく、人間の猜疑心というのか、隠されていた本心や閉ざされていた過去が会話の中でしだいに暴露されていくという心理劇である。
 新潮文庫になっているということで、読んでもいいなと後から思ったし、もう少し作り込めば芝居も格段によくなると思った。
 出演は3年生2人、2年生1人、1年生2人。やはり演技は学年順で、その存在感の示し方を含めて上級生が上だ。モノローグのシーンに移るときなども、1年生だとどうしてもドッコイショという感じになってしまう。
 だが、「これも西高カラーだな」と感じた。こうした「大人の」「難しい」芝居に挑戦している姿には素直に好感を感じる。昨年も書いたが、自分たちより少し先の世界をのぞき込んでみるというのも、むしろ高校生の本来的な姿だと思うのだ。
 演者にとっても、観客にとっても、芝居にとって最も大切なことは想像力であるのだし、想像力を刺激されたり、ふくらませたりを欠いた芝居ほど魅力に乏しい芝居はない。この芝居にとりくむことで1年生も大いに力をつけたに違いない。また先が楽しみである。

 さて、「沖縄」前後というより真っ最中に飛び込んできたのが、新潟で開催中だった関東大会で新座柳瀬高校が最優秀賞を射止めたというニュースである。同校は脚本賞も受賞し、全国大会に進出することになる。この報をもたらしてくれたのは応援団として新潟入りしていたnatsuさんからのメールによる。natsuさんのメールでは秩父農業科学高校が第2位、つまり埼玉でワンツーフィニッシュ、2校同時全国大会出場をものにしたということも伝えてくれた。
 私の方は沖縄ツアーの最終日を翌日に控え、同行した埼玉勢で最後の夕食会を開いている最中だった。これは黙ってはいられないと団長に時間をくれるように頼み、閉会時に報告させてもらった。西部A、コピス仲間、演劇部仲間だけでなく、埼玉で高校教育の現場にたずさわる人たちの共通の喜び、また激励になると思ったからである。
 智さん、おめでとう!


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by yassall | 2016-12-30 01:33 | 日誌 | Comments(4)

いきなりのオスプレイ 沖縄「ゆいま~る」に参加して

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 12月23日から26日の日程で、全教「未来をひらくプロジェクト ゆいま~る 見て・聞いて・学んで・つながろう」に参加してきた。
 「次世代を担う組合員が1000人の規模で沖縄」に集い、「地方自治と民主主義の憲法原則を踏みにじる政権の暴政に県民ぐるみでたたかう沖縄で憲法を守りいかす運動を交流し、学び」あおうというこのとりくみは、各県から選出された実行委員を中心にずいぶん以前から準備されたらしい。
 「ゆいま~る」の本体は24・25日の日程で、1日目はリザンシーパークホテル谷茶ベイを会場とした全体会、2日目が県内各地に分散してのフィールドワークという内容であったのだが、埼高教では前後に1日ずつ日程をふやして沖縄ツアーとしたのだった。(せっかく沖縄に入るということで多くの県が同様のとりくみをしたようだ。)
 埼高教からは15人が参加。「次世代を担う」とあるとおり、新任早々の初々しさの残る若者をメンバーとした青年教職員が中心のツアーとなった。そこへなぜ私が? ということになるのだが、もちろん私は現役の組合員ではない。私は「九条の会」からの便乗参加なのである。どうしてそうなったかについては、ちょっとしたエピソードがあるのだが、その話は後日とする。
 暮れも押し迫ってからの沖縄行きだったで、後回しにした用事もあれこれあり、ようやくブログでの報告となるが、まだ写真の整理も十分ではなく、まずは第一報というところである。年明けには順次詳報をアップする予定でいる。
 朝9:15に羽田を飛び立って、12:50に那覇に到着した。用意されたバスに乗り込もうとして空港を出た途端に、頭上を飛行していたのがオスプレイである。13日に名護市沖で墜落事故を起こした矢先で、本州にいても強く意識にあったつもりでも、つまりはニュースで放映される映像の中のことであった。辺野古でも「あの半島の向こうに墜落したのです」という説明があったが、日常の中にオスプレイがある!というだけで、沖縄入り早々に強烈な洗礼に見舞われたのだった。
 嘉数高台は沖縄戦の激戦地であった。天辺の展望台からは普天間基地が一望できる。その一角にオスプレイは整然と機体を並べている。写真の紹介を含めて詳細は後にゆずるとして、下は今は公園として整備されている高台からの、帰りの坂道に花開いていた早咲きの桜である。
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by yassall | 2016-12-30 00:40 | 日誌 | Comments(0)

ゲッコーパレード「リンドバークたちの飛行」を見てきた

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 19日、ゲッコーパレード本拠地公演・戯曲の棲む家vol.5を見に蕨まで出かけて来た。今回の演目はベルトルト・ブレヒトの「リンドバークたちの飛行」である。
 チャールズ・リンドバーグがスピリットオブセントルイス号に乗り込み、大西洋単独無着陸飛行を成功させたのは1927年5月21日のことである。ブレヒトが「リンドバークの飛行 」(Der Flug der Lindberghs)を発表したのが1928年のことだというから(※)、同時代の出来事に敏感に反応してのことなのだろう。ブレヒトは何を感じ取り、何を考えたのだろう。また、何を感じ、何を考えなければならない、としたのだろう。
 (※とはいえ、ブレヒトが現代演劇において措くべからざる存在であることは何となく承知はしているものの、作品といったら「三文オペラ」くらいしか見たことはないし、少しも詳しくはないのである。この作品があることもネットで検索してみて知った。ドイツ語は、その昔やっと単位が取れたというだけで、もう辞典もどこかへ行ってしまったが、英語風に語尾にsをつけて複数形を作る方法はある。「 Lindberghs」とあるのは、劇中には登場しないものの、何度も紹介されるスピリットオブセントルイス号を特別仕様に改造した技術者たちの存在を意識してのことだろうか?)
 リンドバーグについては、「科学者たちと戦争」を扱ったNHK特集で、飛行技術をナチスに売り込もうとしたというエピソードを知った。第二次世界大戦が始まるとリンドバーグは愛国者としてアメリカの勝利のために働くのだが、少なくとも一定期間ナチスと親密な時代があったことは確かなようだ。ただ、ゲーリングから勲章を受けたのが1938年のことだというから、大西洋横断飛行を成功させたころは無関係であっただろうし、のちにナチスの迫害を避けて亡命したブレヒトがその作品にナチス批判を込めていたとは考えられない。

 さて、事をわきまえた人にとってはどうでもいいことで長くなった。劇評としては、きわめてスリリングであったといいたい。演出の黒田の口上を読むと、「6人の演出家」が「家の部屋ごとにシーンを用意してお待ちしています」とあるように、観客は場面ごとに各部屋に誘われたり、また元の部屋に戻されたり、掃き出し窓越しに(額縁の向こうを見るように)塀の上に立つリンドバーグを見つめさせられたり、最後には屋外ににまで誘導されて街路をいっしょに歩いたりするしかけになっていた。
 詳しくないとはいったが、ブレヒトが「異化効果」を唱えたり、「叙事演劇」を標榜したりしたことは平田オリザの著作等で知っている。すると、脚本のみならず、その手法をもブレヒトにならって、芝居の途中に「移動」を持ち込むことで、全体を一つの完結体にしてしまうことをあえて拒否したのだ、ということになるのだろうか? 
 スリリングといったのは、そのような問いを観客に投げかけてくるという意味であって、そのことで演者と観客との間に強い緊張感が生まれ、芝居への集中力がいっそう高まったということだ。その緊張感は観客の側だけに強いられるのではない。観客の側にどのような反応があるかによって芝居の方向性は変わってしまうはずであり、その集中力は演者の側にもあらわれる。「一にして全なるもの」の否定に見えて、決して芝居として破綻しているわけではないし、むしろその逆である。
 出演は河原舞、渡辺恒、崎田ゆかり。ゲッコーパレードの創立メンバーで固めた。濃霧のつぎにリンドバーグを襲った乱気流(だったか)のシーンではオルガンが演奏された。ずいぶん攻撃的な演奏だな、と感じたが、演奏していたのは本職のピアノ奏者であるということだった。名前を確かめなかったが、リーフレットに本間志穂の名があり、たぶん本人に間違いないと思う。オルガンという楽器の見直しをさせられたような気がした。
 
 ゲッコーパレード本拠地公演も今年は今回で最後。何と!5回とも皆勤してしまった。終演後、かつての卒業生ということで制作担当の岡田萌とはよく話すのだが、今回は他の役者さんともお話する機会があった。「イデオロギー」と小題のついたシーンが印象深かったので、リンドバーグを演じた河原舞(プロという自覚でいると思うのであえて呼び捨てにする)に話を聞いてみると、演出からは「〈私〉が言葉を発しているというより、物体としての身体を通路にするようにして科白を出して欲しい」という指示があり、発声については自分なりに工夫したのだという。ずいぶん難しい注文だったと思うが、抑揚をおさえながらも、きちんと科白が届いてきた。
 全5回をしめくくるのに相応しい公演になったのではないか? 好評が伝わって19ステージの予定を21回に増やしたとのことである。来年度からどうするかはまだ話し合いの最中であるとのことだが、次のステップに向けて着実に進化していって欲しいと思っている。

 さて、先週末から3日連続の演劇三昧となった。
 17日には、この12月24・25日に新潟で開催される関東大会に出場する新座柳瀬高校の公開通し稽古を見てきた。通し稽古は遠征直前まで続けるという。部員たちに観客を目前にしての演技になれさせるためと、科白を出すスピードの最終調整ということらしいが、新潟まで行けない人たちのためのあいさつも兼ねているのだろうと推察している。
 新座柳瀬の芝居については9月に「2016秋の高校演劇 西部A地区発表会」に書いたことを訂正しなければならない。というか、すでに【追記】として触れてはいるのだが、メイン・ストーリーとサブ・ストーリーとの重点を見誤っていた。誤りは誤りとして、誤りを生んだ要因についてもしっかり受けとめてくれ、県の中央発表会ではみごとに修正されていた。ほぼ完成形であると思うので、新潟では堂々と舞台に立ち、大いに観客を湧かせて欲しい。まずは大舞台を思う存分楽しんで欲しい。きっとそれは観客に伝わる。

 18日には朝霞高校のアトリエ公演に出かけて来た。演目は「祭りよ 今宵だけは哀しげに」。よく色々な学校で上演されるが、私はこの台本には多くの問題を感じているし、少なくとも宮沢賢治の世界とはまったくの別物で、「私の一番の幸い」という解釈も完全に誤っていると考えている。
 アトリエ公演は1年生が主体で2年生が応援するというかたちをとっている。キャストの関係から、今回は1・2年生総出だったが、主要な役どころには1年生がついた。
 見終わっての感想としては、先に述べた台本の弱点があまり目立たず、役作りに努力のあとがあった。少なくとも「のびしろ」の大きさのようなものは感じられて、先が楽しみだと思った。
 ただ、トータルな意味での芝居づくりの初歩が理解できていないところがあると感じた。他校の工夫の仕方を学んだり、よい芝居をたくさん見たり、皆で切磋琢磨に励んで欲しいと思った。間違っても「自分たちはこの程度でいい」などと思わず、個人としても、部活としても、1段階でも2段階でも高みをめざしてもらいたいというのが元顧問の願いである。



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by yassall | 2016-12-20 03:02 | 日誌 | Comments(0)

2016年のニューフェイス

 年の瀬となった。今年もけっこうカメラに投資する羽目になった。その分に見合うだけの成果を上げているかどうかは別として、昨年に引き続き今年のニューフェイスとして紹介する。
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 LUMIXG8は今年10月の発売である。購入の動機は新機能による。2014年の「D3300でニコン再入門」で、①回折補正、②ボディ内手ぶれ補正の機能がついたら新機種を買ってしまうかも知れないと書いたが、それらに加え、③ローパスレス、④防塵・防滴、⑤マグネシウム合金製フロントケースという仕様になった。
 ⑤は「フロントケースだけ?」という疑問が湧かないわけではないが、高級感というより、前面を金属化することでレンズ保持能力が高まり、より手ぶれを押さえる効果が期待されるというのである。そのため、前機種と比較すると100gほど重さが増したが、本気撮りのときはそれも手ぶれの抑制に資するのある。
 このところ、Panasonicは4Kで売り出しているが、私は動画にはほとんど興味がない。ただ、⑥4Kフォトについては今回フォーカスセレクトにフォーカス合成の機能も加わって、何かのときには遊べそうである。
 発表は夏ごろだったろうか、「ついに出てしまった!」と「また出費がかさんでしまう」という微かな嘆きと、待ち遠しい思いでいた。それでも当初はテストレポートも出そろい、値もこなれてきた年明けころかと算段を巡らしていたのだが、正式に発表された仕様表やカメラ店で実物を手にしているうちに購入を先延ばしにする理由がなくなってしまったのである。
 実は4月に前機種にあたるG7を買った。G7本体より、キットレンズである14-140mmが欲しかったのである。Panasonicとしては2代目にあたるこの高倍率レンズはなかなか値落ちしなかった(現在は10000円ほど値を下げている)。キットで買うと5000円ほどで本体がついてくる計算になるので買うことにしたのある。
 このG7を下取りにするタイミングをいつにするかも、発売1月で購入に踏み切った理由である。ついでに書いておくと、このG7が思いの外に使い勝手がよく、G8が操作系を基本的に引き継いでいることも決断を後押しした。
 「紅葉2016①昇仙峡・河口湖畔」でG8を持ち出した。上に述べたことがカタログ上だけの性能ではなかったことを実感できた、と私は思っている。とくに河口湖畔の夜景は手持ちで1/2.5秒のシャッタースピードしか切っていないのである。
 また、これはG8に初搭載というのはないのだが、LUMIXは⑦空間認識AFと⑧ローライトAFを謳っており、このところ機会の多くなった舞台撮影にも有力だと考えた。11月の「2016年埼玉高校演劇中央発表会」の投稿で1枚だけアップしたので確かめて欲しい。
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 G8の標準キットレンズは12-60mmである。実はこれも私には2代目なのだ。35mm換算で24-120mmの画角は私にとって理想というのに近く、春の発売を待ってほどなく購入した。2代目とはどういう意味かというと、G7を下取りにしてG8のボディ単体を購入するより、レンズ共々下取りに出してキットで買った方が安価で買えてしまうことに気がついたのだ。もちろん1度目に購入した金額より下取り価格の方がかなり下回ってしまう訳なのだが、考えようによって、より安価に新機種が入手できるだけでなく、レンズも新品になってしまう結果になったのだ。
 ところで、「函館旅行」のところでも少し触れたが、このレンズの導入はサブカメラに対する考え方を大きく変えることになった。メインカメラの画角の不足をカバーするという意味ではほとんど不要になったのである。とくに望遠側については120mm以上を必要とすることはまずなく、これまで侮っていたEXズーム(場合によってデジタルズーム)がけっこう役立つ(少なくとも撮像素子の小さいカメラと比較して)ことに気づき、緊急用にはそれで十分だと得心するようになったのだ。広角側については24mm以上をカバーするコンパクトカメラは見当たらない(CASIOに1機種あるが今度は望遠側が不満で本体サイズも大きい)。 
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 続いては同じLUMIXのTX1である。購入は5月。これも発表当時から発売が待ち遠しかったカメラである。決め手は1inchセンサーでありながら25-250mm(35m換算)の高倍率レンズをそなえていることと、簡素ながらETVが付いていることである。その分、110.5x64.5x44.3 mm(総重量310g)とコンパクトカメラとしてはやや大柄なのだが、最強のサブカメラになると確信して購入した。
 だが、いざ使い始めてみると、もしかすると出番がないかも知れない2台目として、主として記録用として持ち歩くにはやはり荷厄介だった。また、1inchセンサーのゆえなのだろうが、引き延ばしてみると画面は鮮明(つまりソフトでごまかしていない)なのだが、被写界深度が浅くなるせいか、今ひとつピリッとしない印象だった。
 その後、サブカメラというより、メインカメラとして使用すべきなのではないか、と思い直し、あれこれ設定を変更してみたりした。「紅葉2016②森林公園」で使ってみて、ようやくポジションを得たという感じになった。今度は少々シャープネスが高すぎる気もするが、私はもともとカリカリ、パリパリ(場合によってはガリガリ)の絵が好きなのだ。
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 右側がG7のキットレンズだった14-140mm(35mm換算で28-280mm)である。比較のために左側に置いたのはフィルム時代に使っていたTAMURONの28-200mmレンズ(同画角のレンズはNikonも持っていたし、TAMURONも2代目。この代になってずいぶんコンパクトになった)。
 入手して一番役に立ったと実感したのは舞台撮影のときである。主として45-200mmを使って来たのだが、舞台全景を撮るためにはどうしても標準域のレンズをつけた2台目が必要になってしまう。このレンズであれば全景からアップまで一気に画角を変化させることが出来るし、第一に装備が格段に軽量になるのである。望遠側が不足することがあるが、先に述べたEXズームあるいはデジタルズームを試してみたところ、(私としては)十分に満足できる結果が得られたのである。
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 専用のフードを装着したところ。今年は他にSIGMAの19mmも買った。廉価な割に単焦点レンズらしく描写はすこぶるよい。TX1の実力が分かってきたので、GM5に19mmかOLYMPUSの9-18mmをつけて2台で持ち歩くか、G8とSONYのRX100の組み合わせでロケに出るか、当分の間、このあたりが基本的な撮影スタイルになりそうな気がしている(もちろんそれぞれ単体でも可である)。わざわざ、当分の間、と書いたのは、少なくとも来年はこの「今年のニューフェイス」を書かなくて済みそうだ、という意味である。どうだろうか?


 TX1の実力と書いたが、次の一枚を撮ったとき、ほぼ確信のようなものが生まれた。下のD3300の一枚と比較してみると、もちろん季節と時間帯の違いはあるが、条件によってAPS-Cと十分渡り合えると思ったのである。ボケ味などに違いが出るが、つまりはどのカメラを選択するかは用途によるのである。
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 TX1による画像。

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D3300による画像。

【追記】
 2月8日、パナソニックはLUMIX G8のファームウェアを更新した(Ver.1.2)。動画撮影時、撮影待機中のボディ内手ブレ補正による動作音を改善したというので、さっそくダウンロードし、バージョンアップした。確かに気になっていた動作音がピタリと止まった。これで天下無敵である。(2017.2.9)




 


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by yassall | 2016-12-10 17:46 | カメラ談義 | Comments(2)

銀座ボルドーと信山社

 ボルドー(Bordeaux)は銀座で現存する最古のバーで89年の歴史を刻むという。もちろん、私にはバーというも、銀座というも、縁もゆかりもない世界で、この12月22日についに店を閉じることになったという新聞記事で初めて知ったのである。
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 「後継者なく、建物も古く」というのが閉店の理由だという。建物について、オーナーは「取り壊すことになるのでは」と話しているとあったので、それなら今のうちに写真に撮っておこうと、車を12ヶ月点検に出したその足で出かけて来た。
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 住所は銀座八丁目。地図をたよりに歩いていくと、中央通りの2本先の小道沿いにすぐ見つかった。季節がよければ建物を覆っている植物ももう少し精彩がありそうな気もするが、外観を見る限り、確かに老朽の度は隠しようもない。
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 かつては山本五十六や白州次郎が足繁く通ったという。彼らもこのドアを開けて店内へ入っていったのだろうか? 新聞に掲載されていた写真によると店内はけっこう重厚かつ瀟洒なつくりのようだった。本当は内部も写真に撮りたかったが、今日はこれからまた車を運転しなくてはならない。常連でもない者が酒も飲まずに写真だけ撮らせてくれというわけにもいかない。第一まだ午後4時ごろで開店もしていない様子だ。
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 全景を撮りたかったが、店の前に大型トラックが停車(運転手は運転席で居眠り)中で果たせなかった。
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 ついでに銀座をスナップして歩こうかと思っていたのだが、思いの外早く「点検終了しました」の報が留守電に入り、被写体を発見したり、撮り方をあれこれ工夫してみようという心の余裕が消えてしまった。
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 新橋駅を通りすぎ、内幸町から三田線に乗り込む。神保町で途中下車し、信山社の前に到着したのは午後5時ころだったか? 
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 「岩波ブックセンター」(岩波とは資本関係にはないとのこと)として始まった信山社は先月の23日から営業を休止している。店の張り紙には「店主急逝のため」とあったが、信山社は1億円を超える負債をかかえ自己破産を申請中だという。「専門書の専門店」という書店は私程度の読書生活には縁遠い存在だったが、このような書店があるというだけで何だか心強かった。
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 あれこれあって日程が押せ押せになってしまい、あっという間に日暮れとなり、ただでさえ絵づくりには条件が悪いのに、何だか主題も写真も暗くなってしまった。せめて最後に明るい1枚をと思って、日のあるうちに近所の公園で撮ったイチョウをアップする。

 GM5+12-32mm


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by yassall | 2016-12-09 01:25 | 日誌 | Comments(2)

デザインスキンあれこれ試行中!

 数年来にわたって使用していたフォーマット(デザインスキン)が知らないうちに変わってしまいました。元に戻そうとさんざん探しても見つかりません。エキサイトのお知らせコーナーに以下のようなコメントが掲載されていたのを発見して理由が判明しました。
 リサイズしても写真がある程度きれいに見えて、かつ文章も読みやすい、となると、なかなかこれといったデザインが見つからず、現在あれこれ試行中です。ううむ。

いつもエキサイトブログをご利用いただきありがとうございます。

11月10日より、こちらの記事にて予告しておりましたデザインスキンの一部提供終了について、予告通り実行させていただきましたのでご報告いたします。

該当デザインスキンが適用されていたブログは、デザインスキンが「テキストカスタマイズ左カラム」に差し変わっております。


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by yassall | 2016-12-07 00:40 | お知らせ | Comments(2)

紅葉2016④楽壽園・修善寺もみじ林

 
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 3日、快晴。三島・楽壽園、修善寺もみじ林のツアーに参加してきた。最初の観光地、楽壽園は三島駅のすぐ南。明治23年に小松宮の別邸として造営されたという。現在は市立公園として三島市が管理しており、どうぶつふれあい広場やのりもの広場など、子ども向けの施設も併設されている。
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 湧水によるという池は近年は渇水時が長いということで絵にはなりにくい。その代わり、この土地が富士溶岩流の上に成り立っていることがよくわかる。
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 小さな池には満水のものもあった。
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 けっこうよく色づいているのではないだろうか?
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 葉のかたちもよかった。
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 今回のツアーの参加者は23名。土曜日ということでかえって敬遠されたのだろうか、バス内がゆったりだったのはいいのだが、一箇所あたりの滞在時間が短いのが難点だった。楽壽園を早々に引きあげて、バスは三津浜港へ。沼津港のすぐ南に位置する比較的小さな漁港で水がきれいだった。
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 ここで昼食前に湾内のクルーズを楽しもうという企画だった。出港するとさっきのカモメたちが群をなして追ってくる。ただ、浜から一定の距離まで来るとピタッといなくなるのが不思議だった。
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駿河湾クルーズなどと銘打ってはあるものの、この淡島を一周して帰って来るという20分程度の周航だった。
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 昼食後に港を散歩していると、船上からは頭を出していただけの富士がくっきりと見えた。
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 修善寺もみじ林(自然公園)へ到着したのは午後2時過ぎ。最初のガイドではこちらに先行するはずだった。少々日が陰って来てしまったのが残念だった。
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 入口付近は深い谷間になっている。丘の上まで坂道を登ると紅葉が残照に照らされている。
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 遊歩道を歩いて行くと夏目漱石の詩碑が建立されている。案内板を見て初めて気がついたのだが、かれこれ40年ほど前に私は一度ここへ来ているのだ。
 最初の担任の3年間を終えた春休み、伊豆一周旅行を思い立ち、一人旅をしたことがあった。思い立ったのが朝だったので、三島から修善寺に入り、まずは彼の地で一泊することにした。翌日はバスで土肥方面に出たのだが、せっかく修善寺に来たので何か夏目漱石にゆかりの場所があるはずだと、地図を調べて途中下車したのである。このような公園としては整備されておらず、何だか高台の疎林の中をずいぶん登って行った記憶がある。
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 富士見台という案内があったので足を踏み入れてみる。(40年前の記憶にはないから、その後に切り開かれたのだろう。)こんなふうに富士が望めるのも静岡ならではなのだろう。
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 いい具合に若いカップルが絵に収まってくれた。
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  黄色い葉のもみじもきれいた。
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 最後に富士の写真をもう一枚。もう夕暮れ時、帰路にたち寄った休憩場所で犬の散歩で土手を歩いてくるカップルがみえた。これは絵になるかも知れないと、あわててカメラを取り出した。シルエットをもっと鮮明にと思って、もう一度シャッターを押そうとしたが、すでに画面からは遠ざかってしまっていた。

 GM5+12-60mm、TX1

  

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by yassall | 2016-12-05 15:41 | 風景 | Comments(0)

つい一言 2016.12

 共同通信社調べで内閣支持率が60.1%に達したという。時事通信社では50.1%、朝日新聞社では50.0%と数字的には下回るが、この高支持率は不思議だ。
 というのは個々の政策についてみれば、南スーダンPKO「駆け付け警護」任務付与に反対56%賛成28%、安倍政権のもとでの改憲に反対55%賛成42%、原発再稼働に反対57%賛成29%、今国会でのTPP承認に反対48.5%賛成38.8%(「朝日」)というように決して国民の支持を得られているとは言えないのである。
 政策の行き詰まりも顕著である。「自由貿易」を謳うTPPは米トランプ次期大統領が「撤退」を表明、国内で新設できないなら輸出をとすすめてきた原発はベトナムが白紙撤回した(予算不足と報道されたが、福島原発事故以降、ベトナム政府による再検討がすすんでいたらしい)。中国包囲網作戦もフィリピンが中国と急接近で破綻、南スーダンの自衛隊派遣もいつまで持ちこたえられることか。
 唯一成功していそうなのが「観光立国」(沖縄の「観光立県」の足は引っ張っているが)による外国人観光客の呼び込みだが、どういうわけか安倍政権を支持していそうな人々は迷惑がっている。受け入れ体制の整備が遅れているのが原因だろう。その外国人観光客が増加している背景には円安があるが、ここへきて原油産油国の減産が発表された。景気はますます先行き不透明である。
 雇用の流動化=不安定化や年金カットをすすめておいて、「金融緩和」したから財布のヒモが緩むはずだ、などという考え自体が甘いとしかいえない。
 それでいてこの支持率! 日本国民はいまや深刻なニヒリズムとデカダンスに陥ってしまったのだろうか? 対抗馬がいない、などと嘆いている場合ではない。今日は「カジノ法案」が衆院可決。突然だった。放っておけば日本は総バクチ社会になってしまう。(12月2日)


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by yassall | 2016-12-01 23:56 | つい一言 | Comments(0)