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by yassall
| 2016-11-30 13:36
| 散歩
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最初は24日に予定を立てていたのだが、どの天気予報をみても当日は雪。何と首都圏での11月の初雪は54年ぶりなのだそうだ。東松山在住のKさんの情報では、紅葉は今年はもう遅い、ということだったのが、雪景色とのとりあわせもよかろうということで、1日順延で出かけて来た。
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by yassall
| 2016-11-26 13:03
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今年の地区発表会で一緒に審査員に当たったTさんからメールをいただきました。ご本人の許可を得て掲載させていただきます。
ブログ、読ませていただきました。 Sさんが指摘されていた6項目、私も同じように考えます。 コピーの批判はおかしいですよ。 劇を観て感動し自分達もこのような劇を創りたい、同じような感動を与える芝居にしたいと思い、かなりのレベルまでやり遂げた芝居だったと感じています。 県大会は残念ながら観られませんでしたが、地区大会では私たち観客にメッセージがきちんと伝わってきました。 その土地の者しか演じ切れないみたいな感じかたも随分おかしなはなしですね。 また、機会がありましたらご一緒できたら嬉しいです。 T 審査は二人で行ったもので、私ばかりが先走ってもいけないと思い、ブログに投稿したことをお知らせしたことによるものです。私からは次のような返信を差し上げました。 感想ありがとうございます。 同感とのご意見をいただいて心強いばかりです。 本文でも書きましたが、他人の読書感想文を丸写しにするのとは訳が違います。 丸写しは頭も使いませんし、場合によっては本を読まなくてもいいのです。 演劇の場合は、それが優れた作品であればなおさらのこと、たとえそっくり真似しようとしても簡単なことではないはずです。 実は、意見を言いに来た人が指摘したようなことは、私たちも考えなかったことではありませんでした。(でなければ、前稿のような見解をすぐさま表明することはできません。)様々な問題に配慮を怠らないようにし、熟議を重ね、真摯に審査に当たったことは強調しておきたいし、信じてもらいたいと思っています。 少し冷静になって考えてみると、意見を言いに来た人も単純にオリジナル性を問題にしたということではないのかも知れないと思い直しています。 話題になった学校として独自の表現の追究がなかった訳ではないことは前稿でもふれましたが、問題はむしろ直近の全国大会で高評価を受けた作品を、数年を置かずして他の県・学校で手がけることの是非でしょう。たぶん、10年も前の作品であれば、「そのまま」であったらともかく、「似ている」から審査から除外すべきだと主張する人はいないでしょう。 ただ、この芝居に関しては10年後にどこかが再演するのでは遅い、青森から発せられたこのメッセージにいち早く反応し、埼玉の地から答えたことにこそ価値があったのだと思うのです。原発も処分場も持たない県で、問題を共有化し、「我がこと」としてとらえる契機となったことに意義があったと思うのです。 それでも私たちは慎重でした。「2016秋の高校演劇 Cブロックを振り返って①」でも書きましたが、プロパガンダであるよりも、あくまで「演劇として魅力あるものとして舞台化」されたかを基準に審査しました。 私個人としては県中央発表会での到達点であれば関東大会に推薦されても少しもおかしくはなかったと思っています。真相は分かりませんが、もしかすると審査員の方々に先ほどと同じような理由から関東大会・全国大会へ進めていいのだろうか、というような迷いがあったのではないか、とも考えないではありません。それは審査員の責任と判断ですからそれでいいのです。 ただ、地区発表会の審査員を務めた身としては、あれだけの心意気と到達度を持った芝居を地区発表会の段階で落選させることは到底できない、少なくとも「似ている・かも知れない」(他にもそんな上演はいくらでもあるかも知れないのに)などという曖昧な理由で審査から除外することは適当でない、と判断したということなのです。 重ねてのことになりますが、県中央発表会で上演され、観客の惜しみない拍手に接したとき、私たちの判断が間違ってはいなかったと確信しました。私はそのような埼玉県中央発表会であり続けて欲しいと思っています。 ▲
by yassall
| 2016-11-24 13:03
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※初稿から書き加えがあります。(11月23日)当該校の許可を得て画像を追加しました。(同日)後半部を編集し直しました。(11月28日)
![]() 会場のさいたま芸術劇場。1日目は雨模様でしたが、2日目は好天に恵まれました。 ※作者の立場に立ったらどうなのか、ということも考えてみたいと思います。他の県、他の学校によって上演されることを拒もうとするケースもあることでしょう。自分たち以外にその芝居を上演することは出来ない、許さない、と考えるならば、上演許可を出さないことも出来るのです。逆に、オリジナルの尊厳を維持しながら、全国に拡散されていくことを良しとするという場合もあると思うのです。また、様々なバリエーションが生まれることを歓迎するという場合もあるでしょうし、自分たちとなるべく変わらないように演じて欲しい、自分たちとは異質な解釈を持ち込んで欲しくない、というケースだって考えられるのです。作者とどのような打ち合わせがあったかは不明ですが、この作品のようなメッセージ性の高い芝居であれば後者であると考えるのが自然でしょう。 ![]() また、ネットではこの二体のロボットは「モスラ」に登場したザ・ピーナッツを連想させると書いた観劇記録もありました。「あるテキストは先行するテキストの複雑な引用である」という実例のようです。ましてやある脚本を選び、手を加えることなく舞台化しようとするとき、オリジナル性を云々することにはよほど慎重でなければなりません。 ▲
by yassall
| 2016-11-21 20:08
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![]() となると、どうしてもアルルでの共同生活を焦点として、二人の接点、比較、そして共同生活の破綻の後、それぞれの画風がどのように変化していったかが、展覧会の構成の基調となる。 アルルに明るい色彩を求めて芸術共同体を幻想したのは主にゴッホの方だったのだろう。たった9週間しか続かなかったゴーギャンとの日々は、互いの芸術観や画風のみならず、性格や生活への姿勢そのものの違いを鮮明にすることになった。破綻に対するショックはゴッホの側に大きかった。 それでも、その1888年に描かれた作品について、ゴッホは『収穫』を「他のすべての作品を完全に圧倒する」と述べ、ゴーギャンは『ブドウの収穫、人間の悲惨』を「今年描いた最高の絵画だ」と述べたという。 並べて展示されている二枚の絵を見ながら、それぞれが自分の絵、自分の表現とは何かを追究していった結果がここにあらわれ、またその方向性の違いが決定的に顕わにされているのだなと思った。 影響関係にあった同時代の画家たちの作品も含めて展示は60点ほどだった。決して多くはない。それぞれの代表作といえるような作品も何点かに限られていた。 そんな中、私が強くひかれたのは二人の自画像だった。ゴーギャンの自画像は30代の後半に差しかかって、初めて画家を志した当時のもの。ゴッホの自画像は3点展示されていたが、いわゆるゴッホらしい色彩表現に移る前の、写実的な作品にひかれた。ゴッホに自画像が多いのはモデルを雇う経済的余裕がなかったからだとも言われるが、その二点の自画像を見ながら、もしかするとこの二人は自分という存在をその深淵にまで追究しないではいられなかった人間たちだったのではないか、と思ったのだ。 ![]() ▲
by yassall
| 2016-11-18 20:43
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() G8+12-60mm ▲
by yassall
| 2016-11-13 02:15
| 風景
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20日、「駆けつけ警護」の新任務を与えられて陸上自衛隊が南スーダンに派遣された。憲法違反の「安保法制」の発動である。
その南スーダンに関する資料について見逃せないことがあった。今年6月、表題以外をすべて黒塗りにして開示した「南スーダン国連平和維持活動(PKO)」に関する作成資料を、防衛省は今月になって公開した。 時期が前後して話がややこしいのだが、この資料は今月派遣された派遣要員の「家族説明資料」(8月1日時点)の「反政府派の活動が活発な地域」とされていたものと同じものなのだが、黒塗りの時も今回公開された資料も、実は表題は「政府派・反政府派の支配地域」なのである。 これまで稲田防衛相が「反政府勢力が支配を確立した領域はない」としていたことは意図的なウソだったことが明らかになった。これは「戦闘は起こっていない。衝突が起こっているだけだ」と訳の分からない言葉のすり替えをおこなってきた以上の偽り行為だ。 現地で報道されていることすらも隠そう、小さく見せよう、との偽りを重ねてまで南スーダンへの派遣を強行した。その先に待っているかもしれない事態に日本政府は責任をとれるのだろうか。(11月24日) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-11-23/2016112302_01_1.html http://www.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/south-sudan-self-defense-forces_b_13159584.html 日本はこんなことが起こる国になってしまったのか!と、驚きと嘆きを禁じ得ない出来事が東京新聞で報道された(11.23朝刊)。 20日、東京・武蔵野市で天皇制に反対するデモを複数の右翼団体が襲撃し、デモを先導する車のフロントガラスが割られたり、負傷者まで出たというのである。 これまでも市民団体等の集会やデモに対する妨害活動はあった。近年、エスカレートしてきたな、とは感じていたが、実際の暴力行為にまでいたったのは60年安保以来ではないだろうか? だが、驚いたのはそれだけではない。当日は100人ほどのデモ参加者に対して500人ほどの機動隊員がいたという。襲撃した右翼団体は3、40人だったそうだが、機動隊は一応制止はしたものの、逮捕者は一人も出なかったというのである。 斉藤貴男氏は「警察は本質的には体制の擁護者。(中略)そうだとしても、目の前の犯罪を取り締まらないとは度を越している」と批判している。 右翼は建前上は尊皇主義者。尊皇主義者といえば、先日「天皇の生前退位」について議論する政府の有識者会議で、桜井よし子ら右派知識人(知識人?)は「反対」を唱えている。つまり、彼らの「尊皇」とは体制(国体)としての天皇制であり、天皇に対する敬意なんて少しも持ち合わせてはいないのだ。各種の世論調査では8~9割の国民が賛成しているというのに。(11月24日) つい一言が滞りがちになっているが、書きたいことがなくなったのとは逆に書かなければならないことが山積みになっており、資料もそろえてあるのだが、どこから書いていいかパイプが詰まったような状態になっているのだ。そしてモタモタしているうちに、ホットな話題を心がけながら、あれよあれよという間に時機を逸してしまう、なんてことが続いている。 現在、経産省の有識者会議ですすめられているという福島原発事故の損害賠償費用や全国の原発の廃炉費用についての議論の中で、新電力の事業者にも負担させようということが検討されているという。具体的には送配電網の使用量に上乗せするというものだが、つまる話は原発を持っていない電力会社の電気料金も値上げをさせて、そこから回そうということなのだ。 人のいい私は、もし政府が脱原発を決意するならという条件でだが、廃炉はたしかに国民的課題なのだから、一定の負担をしてもいいくらいには思っていた。ただ、そうなってはいないことは明白であり、これが原発の延命につながったり、ましてや「安心して」新増設も可能になるようなことに道を開くなら反対だ、とは考えていた。 だが、「バックアップ契約」(新電力で何らかのトラブルが起き、電力不足が起きた時に、東電などの地域電力が必要な電力を融通してくれる、という仕組み)との関係なのかどうか分からないが、これを批判する識者の中で「原発を嫌って新電力を選んだのに、原発を使った電力を使わされることになるから反対」というのがあり、にわかに危機感をかき立てられたのである。 新電力の利用者が増えれば地域電力は原発を稼働させる口実がなくなる、と考えてわが家も新電力に切り換えた。少なくとも電力が不足するから、という理由は成り立たなくなり、残るとすれば安価な電力を供給するためということになる。 だが、損害賠償費用や廃炉費用を上乗せしなければならないという一点で、原発=安価な電力という神話は崩壊しているはずだ。政府も電力会社も、まずそのことを認めなければならない。そこのところをごまかして、原発による電力はごめんだ、と思っている人々にまで無理矢理使わせようとすることに心の底からの怒りをおぼえる。(11月22日) また腹を立ててばかりと言われそうだが、やはり書いておきたい。自民党の「2020年以降の経済財政機構小委員会」が「人生百年時代の社会保障へ」という提言を出したそうだ。何が書かれていたかというと、「現行制度では、健康管理をしっかりやってきた方も、そうではなく生活習慣病になってしまった方も、同じ自己負担で治療が受けられる。これでは、自助を促すインセンティブが十分とはいえない」ので、「医療介護版の『ゴールド免許』を作り、自己負担を低く設定することで、自助を支援すべきだ」というようなことらしい。(東京新聞「紙つぶて」11.4) 健康管理に努力した人が報われるように、といえば聞こえはいいが、紹介してくれた荻上チキ氏がいうとおり、「貧困層や非正規雇用など健康リスクが高い人ほど、健康になる努力や検診にかける経済的・時間的余裕」がないのが現実だ。残業残業で追われて、健康増進のためにジムに通うどころか、病院にも行けない人ほど高負担になるという結果になる。 予防医学に対する理解を広めることは大切だ。好きで病気になる人はいないのだから、健康への知識と意欲を持つように啓発することはますます重要だろう。だが、自分の健康には自分で責任を持つ、というのは個人の自覚の問題であって、国家が負うべき責任を個人に押しつけてしまおうというのは話が違う。柄谷行人によれば、国家とは「略取-再分配」という交換様式にもとづく社会構成体である。早い話が、税金は取るが国民が必要としても分配はしてやらないよ、ということだ。社会契約論からいっても間違いで、そんなことでは国家そのものの成立要件が突き崩されてしまう。(11月8日) 昨日、菅官房長官はTPPについて、「国会で野党から『対米追従だ』と言われるが、今回だけは『2人の大統領候補が反対しているのになぜやり急ぐんだ』と、全く逆のことを言われている」と述べたという。 つまらぬ皮肉だ、それ以上には何も言っていない、と思った。アメリカで大統領候補が反対しているのは選挙向けではないのか。それでいえば、自民党も選挙前にはTPPには反対だと言っていた。 そして今日、その自民党と公明党・日本維新の会の賛成でTPP法案が衆院特別委員会で可決された。つい先日、「自民党は強行採決など一度も考えたことがない」などと言っていたのに二枚舌もここに到れりだ。 食の安全や健康保険制度への圧迫のみならず、ISDS条項によって企業・投資家が国家を相手に提訴することが可能になり、莫大な賠償金を請求されるリスクがあるなど、国民の不安はまったく解消されていない。(11月4日) 今朝の東京新聞「本音のコラム」欄で竹田茂夫氏が、「働き方の未来2035」なる報告書が厚生労働省によって発表されたことを紹介していた。あまりの内容なのでネットで調べてみると、確かに「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」懇談会が8月2日に報告書をまとめている。 「約20年後には、働く者は個人事業主として会社や職場から独立し、世界を相手に自由に能力を発揮できる」ようになるというのだが、竹田氏は「労働者がすべて個人事業主になれば、過労死・過労自殺は自己責任で低賃金は自己決定、偽装請負・偽装派遣は合法となる」ことを指摘し、「空想的資本主義」として厳しく批判している。 「格差や非正規層の不安定な身分、機械・IT・AIが職を奪う技術的失業」についても触れている。資本主義は「技術革新」によって剰余価値を得ようとする。今日、最も注目されているのはAIである。だが、企業は「技術革新」によって富を増大させることができるかも知れないが、そのことで働く人々が「余剰労働力」とされる未来は明るいといえるのだろうか? 新自由主義とは「もうけ」を得られそうな資本がいっそう利潤を上げることを可能にするというシステムである。「世界中で一番企業が活躍できる社会」をめざすという安倍政権の本質に国民は気づかなくてはならない。事態は着々と進行している。特にこれからの時代を生きていく若者は怒りの声をあげなくてはならない。(11月3日) 「自民党の小泉進次郎農林部会長が雇用の流動化を目指した解雇自由化法案を提案している」との次のような記事もこれと関連しているのだろう。 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-13805.html ▲
by yassall
| 2016-11-01 16:41
| つい一言
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