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ゲッコーパレード「飢餓陣営」「道成寺」を観てきた

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 …「戯曲の棲む家」第四弾には、客席の用意がない。(チラシより)

 完成より実験を先行させたのだな、と思った。22日、ゲッコーパレード本拠地公演「戯曲の棲む家」vol.4を観て、そう思った。
 vol.2の「戸惑いの午后の惨事」と同じく、開場時にはまだ舞台も客席も設定されていない。ただ、vol.2では役者たちはあらかじめ会場にいて、開幕と同時に「そこにいた人」が「役者」に成り代わっていくという仕掛けだった。また、客席はキッチン側と事前にアナウンスもあり、椅子も置かれていた。
 今回は開演予定の13:00になってから、キャスト・スタッフがさも慌てたそぶりで玄関ドアからいっせいに駆け込んでくるなり、「これから仕込みを始めます。それまでどうぞごゆっくり」などと客に呼びかけている。実際、照明・音響などの機材をコンテナから取り出すところから作業を始めている。
 あまつさえ、「座長は?」「何だか30分くらい遅れるそうです」などというやりとりが声高な会話の中から聞こえてくる。ああ、これはわざと客を混乱させて劇空間の中に引きずり込もうという作戦だな、と察しがつきながら、「客席の用意がない」=客の(安全な)居場所がない、「じゃあ、この間に稽古してて」=開演の目処がつかない、という状況の中で、困惑や怒りの感情が起こって来る。きっと、その感情を観察したり、楽しんだりさせようということなのだろう。
 「声だし」や「稽古」とみえたものが、実ははじまりだった。「完成より実験を先行させた」と書いたが、「飢餓陣営」は少なくともそう言っていいだろう。チラシには「彼らが人形と共に連れてきた物語」とあるが、人形劇という形態でそれはどうみても途中から始まり、途中で終わってしまった。「実験」というのは、この芝居にとりくむ中で、自分たちはものを食べるとはどういうことかについてディスカッションした、そこで各自がさまざまなテーマで調査活動をした、そのレポートをする、という展開になっていったことを指す。そのディスカッションの結果がどのような結論を導き出したか、というようなことは全く明らかにはされない。この時点では客は家の中のあちこちに散らばっており、レポートもあちこちで同時進行しているのだから、統一した何かを届けようとすることなどハナから放棄しているのである。
 さて、そうこうしているうちに仕込みが完了したのか、一室の片側に用意された客席に誘われる。もう一方の片側には人形劇の舞台が設置されている。開演がアナウンスされ、いったん暗転ののち、「道成寺」がはじまる。人形劇と書いたが、額縁の外には役者もいて、人形たちとやりとりしながら芝居は進行していく。ただし、人形を操りながら科白を出していく声優たちの表情も客席からみえるわけだから、彼・彼女らも演技者として客の前に現れていることには変わりがない。
 「飢餓陣営」とは違って「道成寺」の方は完結した芝居として見せてくれた。今回は大道具もなかなか工夫を凝らしていて、客を飽きさせることなく、芝居の世界に引き込んでくれたのではないだろうか。

 「飢餓」から「食べる」というテーマに発展させようとしたとか、民家の一室で芝居を打つにあたって人形劇を持ち込んでみるとか、今ある条件の中で、その制約を逆手にとって、何が出来るかという実験精神を感じた。その次ぎに何をめざしていくのか、それが楽しみである。
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※人形は自分たちの手作りであるということだった。



by yassall | 2016-10-22 22:10 | 日誌 | Comments(1)

函館の坂と街並み

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 函館元町はともかく坂の町である。最後に坂と街並みのスナップをアップする。
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 3日間、ともかく天候に恵まれたことが何よりだった。1日目の夕方のような雨混じりの強風にさらされたら、とてもこんなふうに散策を楽しむことは出来なかっただろう。

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 ※サブカメラにS8200も持っていったのだが、トラブルがあって、ファイルがすべて壊れてしまった。思い出してみると、以前にも一度同じようなトラブルがあった。書き込みが完了する前に電源をoffにしようとすると起こるらしい。普通、同様の操作に対しては安全装置が働いて、電源が落ちないようになっている。S8200でも頻繁に起こるわけではないから、本体に原因があるのか、SDカード側に問題があったのかは分からない。
 SDカード側の問題だとすれば、メインカメラにも起こりうるトラブルだと考えなければならない。いずれにしても、サブカメラの位置づけを再考しなければならない時期が来たようだ。



by yassall | 2016-10-18 00:32 | 風景 | Comments(4)

函館旅行3日目

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 3日目となった。帰りの飛行機は19:30発だから時間はたっぷりある。函館を離れて遠出することも考えたが、あまりガツガツせず、のんびり過ごすことにする。空港までの荷物の搬送を依頼し、宿をチェックアウト。市電に乗り込み、谷地頭とは別の方の終点であるどつく駅前まで行ってみる。観光地を離れたところも歩いてみたかったのだ。
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 どつく前というだけあって、それらしい船溜まりや倉庫が並んでいるが、フェンスで仕切られていて近くには寄れない。
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 赤レンガの倉庫も散見できる。
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 もちろん観光用ではないから手入れは十分ではない。

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 何ともいえない風雪を感じさせる。
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 今も倉庫として使われているものと思われる。
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 一番外れの魚見坂を登る。途中から後ろを振り返ったところである。
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 港が丘通を折れたところに称名寺というお寺があり、土方歳三と新撰組隊士の供養碑が建立されている。
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 東本願寺函館別院を坂上側に折れると急に坂の角度が増す。
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 ここまで上がってきたのは旧ロシア領事館を見るためだった。残念ながら門は閉ざされていて中は立入禁止であるらしい。右側の門柱は傾いており、心なしか荒れた雰囲気である。
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 せっかく坂を登ったので港が丘通をそのまま歩いて行く。ハリスト正教会の鐘楼。前日も写真に撮ったが午前中の光でまた雰囲気が異なる。
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 市電通りまで坂を降りてくる。函館文学館はもともと第一銀行の函館支店として建てられたらしい。文学館としての開館は1993年とのことである。3階建てだが、公開されているのは2階まで。「亀井勝一郎~没後50年に寄せて」という企画コーナーが設置されているというので寄る気になったのだが、展示自体はそれほど大規模なものではなかった。それより、日本ハムの優勝と映画「オーバー・フェンス」の公開で函館が湧いているとの感があったのだが、佐藤泰志の展示に心惹かれるものがあった。久生十蘭、今日出海、辻仁成なども函館にゆかりの深い作家たちである。
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 港に出る。函館開港の最初の桟橋が残されている。
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 絵になりそうなので反対側からも撮ってみる。
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 まだ13:00ごろだったが一休みすることにした。正面の建物の左側がstarbacksになっていた。
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 港を感じながらコーヒーなどをいただく。読書などしながら1時間ほど過ごした。
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 再び行動開始。ベイエリアの撮影スポットらしい。もう少し枚数を撮っておけばよかった。
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 函館明治館はもと函館郵便局。倉庫とは違って建物としては意匠を凝らしているが、内部は観光客向けのショッピングモールになっている。大型バスが横づけされ、観光客がつぎつぎと降りてくる。
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 窓の写真だけ何枚か撮って早々に離れる。
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 函館朝市エリアを歩く。
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 販売店だけでなくレストランもあるが営業は午後2時までなどと書いてある。通常の商店街と時間が逆転しているのが面白い。
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 大門横丁にも行ってみた。地図で探してもなかなか見つからなかったのだが、駅から5分という近場だった。市内でビジネスホテルなどに宿をとったときは夕食はここでもいいなという気にさせられる。ここで捕まると飛行機に乗り遅れそうなので今回はあきらめる。


by yassall | 2016-10-17 15:16 | 風景 | Comments(0)

函館旅行2日目(2)

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 午後は元町洋館めぐりである。最初に見えて来たのは聖ヨハネ教会。イギリス国教会の系統らしい。北海道で最初に聖公会教会が建てられたのが1874年、今の場所に教会が建ったのが1936年、現在の教会が建ったのが1979年だそうである。
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  比較的に新しい建築だけあってモダンな雰囲気である。
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 すぐ隣にはハリスト正教会が並んでいる。現在の聖堂が建てられたのは1916年だそうで、現在国の重要文化財に指定されている。1996年、鐘楼の鐘の音が「日本の音風景百選」に認定される。(鐘の音は翌日聞くことが出来た。)
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 通りを挟んで頭をのぞかせているのがカトリック元町教会である。
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 正面からの写真は後から回ったときに撮ったことと、日陰になってしまったことでやや暗い。初代聖堂が1877年、現在の教会が建てられたのが1924年のことだそうだ。ゴシック様式の荘厳な建築である。
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 旧函館区公会堂。ここに着いたころ、急に雨がポツポツ来だした。最初は中には入らない予定だったのだが、雨宿りがてら見学することにした。3館共通入館券というのが割安だったので、後から回った旧イギリス領事館と翌日に回った文学館も見学することになった。
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 幸い、この日の雨はすぐに上がった。旧公会堂前の元町公園である。急斜面を利用したなかなかの公園だった。
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 公園側からもう一度旧公会堂を見上げてみる。
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 公園の中にも歴史的建造物が保存されている。写真は旧北海道庁函館支庁舎。
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 あちこちほっつき歩いていると亀井勝一郎の生家跡の碑があった。本格的に亀井を読んだことはないが、太宰治との関連でいくつか資料にあたったことがある。
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 これが旧イギリス領事館。それほど大きな建物でもなかったが、中に入るといくつも階段があるのが不思議だった。
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 裏庭には小さな洋風庭園があった。
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 港まで坂道を降りてくる。このあたりがベイエリアということになる。
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 金森赤レンガ倉庫街。金森とは曲尺に森の商標だった。横浜の赤レンガ街と同じで現在は観光客向けのショッピングモールやレストランになっており、あまり興味をそそられない。そろそろ夕方になって来たこともあり、散策も早々に切り上げて帰路についた。


by yassall | 2016-10-16 20:09 | 風景 | Comments(0)

函館旅行2日目(1)

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 啄木亭では6階の部屋だった。10畳ほどの和室。朝焼けの函館風景である。
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 昨日乗ろうとしていた空港発のバスは本数が限られていたが、同じ海岸道路を走るバスが30分間隔くらいで出ていることが分かった。バス停を探して、最初に向かったのが大森海岸である。
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 啄木小公園。けっこうきれいに整備されている。
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 本郷新・作の啄木像。
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 もちろん砂浜にも出てみた。啄木もこの浜を歩いたのだろうか?
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 再びバスに乗り込み、函館駅前から市電で片方の終点、谷地頭へ。
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 立待岬に向かう坂道の途中に啄木一族の墓がある。
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 この日も坂道を登り切ったあたりから青空が広がってきた。
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 立待岬に到着である。
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 与謝野晶子・寛(鉄幹)の歌碑。
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 港と違って海の水がきれいだ。
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 これがガイドブックによく出てくるアングル。何枚も撮ったがアップするのは1枚だけ。
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 立待岬を満喫した後は市電で宝来町までもどり函館山ロープウエイをめざす。ロープウェイ乗り場までの坂がけっこうきつかった。山頂駅までは約3分。ロープウェイを支えるのだから、乗り場の駅も頑丈そうな三階建てのビルだったがたちまち見えなくなる。
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 展望台からの眺め。夜景で名高いが、遠くに山並みも望めて、昼の眺望も悪くない。
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 ついさっきまでいた立待岬側。左端に登り下りした坂道が見える。
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 もう一段高い展望台から。函館上空を大きな雲がよぎっているのが分かる。この日は展望台のレストランで昼食をとった。


by yassall | 2016-10-16 17:46 | 風景 | Comments(0)

函館旅行1日目

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 11日から2泊3日で函館まで行って来た。企画はいつもお世話になっているクラブツーリズムだが、今回はフリープランで、往復の航空機と宿、2日分の市電・バスのフリーチケットがセットになっており、観光コース等の日程は各自で決めるというもの。
 旅館は湯川の啄木亭。一人旅だと宿はどうしてもビジネスホテルになりがちだが、そうすると温泉は諦めなければならない。北海道に行きたい、という欲求と、温泉につかりたい、という欲求が両方満たされるということで、すぐに飛びついた。 
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 10時40分に羽田を飛び立ち、11時50分に函館空港へ。空港で「手ぶらで観光」を申し込み、大きい荷物は宿へ搬送してもらうことにした。
 事前に調べたところ、大森浜に向かうバス路線があるとのことだったのだが、きわめて本数が少なく、バス停を探してみると、なんと次のバスは2時間後だった。
 これは困った、と思っていたところに、トラピスチヌ修道院行きのシャトルバスが入線してきた。トラピスチヌ修道院も行ってみたいところだったのだが、中心地からは距離があり、交通の便も悪そうだったので半ば諦めていた。季節限定でシャトルバスが運行されていることは後で知ったのである。
 いきなり目の前に現れたバスであったが、これに乗らない手はないと、あわてて飛び乗った。路線バスを利用した場合、バス停から徒歩15分などとあったが、シャトルバスだと正門前まで乗せて行ってくれるのである。
 まさに幸先のよいスタートだったが、天候の方も正門前から本館に移動する間にも、みるみる青空に変わっていった。
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 赤レンガが美しく、意匠もみごとである。
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 尖塔も気品がある。
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 本館のある高台からと、正門側からの全体像をみてみる。
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 正門側からと書いたが、これでも中間地点あたり。航空写真によると、公開されている部分よりさらに広大な敷地が広がっている。修道女の方々はその敷地の中で農作業などを通して信仰生活を送っておいでなのだ。
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 そのままシャトルバスを利用するのが便利なので、時刻表を確かめて次の便に乗り込んだ。五稜郭は20年ほどまえに一度来たことがあるので、ここもパスしようと思っていた。だが、せっかくシャトルバスのコースに入っていることだし、昼食がてら降り立つことにした。
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 以前に来たときは冬だったので、もちろん印象はずいぶん違う。
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 五稜郭タワーから函館山を遠望したところ。左端が明日訪れる予定の立待岬である。
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 函館奉行所は再建されたもの。
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 和風だが伝統建築とはやはりどこか雰囲気が違う。
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 五稜郭を出る頃からポツポツ来だしたのだが、函館駅に到着したころには本格的な雨になっていた。バスターミナルの案内所に寄り、土地鑑を作ったり、帰りの空港行きのバスの時刻表を調べたりした。
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 時間はまだ早かったので駅周辺だけでも歩いてみようと、摩周丸へ向かってみた。近づくにつれ、雨よりは風が強まって、傘を差していても何の役にも立たなくなった。やはり正面からの写真が撮りたいと、何とか舳先までたどり着いてカメラを向けたが、フィルターに雨滴がついてしまっている。拭うゆとりもなかったのだ。
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 デッキがいい感じで濡れているが、写真の中だからいえること。天候は3日間とも恵まれて、雨はもう一度、2日目にごく短時間にわか雨に見舞われただけだったが、海風に吹かれての雨は辛いものだと実感した。
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 市電の駅に向かう途中、函館朝市のエリアを歩いた。最終日にももう一度歩いてみた。

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by yassall | 2016-10-16 00:09 | 風景 | Comments(0)

2016秋の高校演劇 東大附属「銀杏祭」

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 9日、今年も東京大学教育学部附属中等教育学校演劇部の文化祭公演に行って来た。ご一緒したnatsuさんtomoさんとも翌日には観劇記をブログにアップしている。またまた遅れをとってしまったが、私は私らしく、何をテーマとし何を伝えようとしたか、何が伝わったかあたりを中心に感想をアップしてみたい。

 演目は森絵都の小説「宇宙のみなしご」を生徒が脚色したもの。脚色を担当した生徒は演出も兼ねている。そのためか役者の方は出番の少ない役に回ったようだが、春のコピスで茜役を演じた生徒だ。
 モリエト?といわれても、最初は誰か分からなかったのだが、「カラフル」は映画化もされ、高校生にもよく読まれていた。不明にしてその程度の知識しかないのだが、上演を見て、どうしてこの小説を舞台化したいという気持ちになったのか理解できる気がした。

 中学生の少年少女たちが深夜こっそり屋根の上にのぼることによって心の絆を確かめ合う、というような話なのだが、作品を読み解いていく鍵は「屋根」とはいかなる場であるかということであろう。
 昔読んだ松田修の「新・日本空間論」によると、家に天井が作られたときから、家の中に異界が生まれたというのである。床も同じことになるが、部屋の内部が日常生活の場であるとすれば、視界から隠された天井裏(屋根裏)と床下は非日常の世界、ときによっては魔物が住まう場所なのだ。
 それでは屋根とはどのような場であるのか。視界から隠された場所(「闇」)ではないが、通常では立ち入ることがない場所であり、日常とは異なる場である。勝手な造語だが、非日常ではなく脱日常、日常を超えた世界ということが出来るのはないだろうか。
 屋根の上に自分の居場所をみつけることで世俗の日常から脱し、心が浄化される。浄化という言い方が安易であるとすれば、しばし日常が相対化され、その精神的な束縛から自由になれる。そんな世界を描きたかったに違いないと思ったのだ。
 そういえば昔、確か銭湯かどこかを舞台に、年若い女の従業員が何か辛いことがあると屋根だったか物干し台にのぼり、しばし一人きりの時間を過ごすことで活力をとりもどす、というようなエピソードが毎回出てくるTVドラマがあった。人目を遠ざけることが必至になるが、他者の目を意識せずにすみ、それでいて、どこよりも開放されているという条件が備わっている、ということだろう。その上には空しかなく、宇宙にもつながっていく空間である。
 埼大のワンゲル部出身で、ヒマラヤに遠征したり、今も高体連登山部の役員をしている人間と同僚だったことがある。彼が語ったことで、「山の上にいくと、地上のことなんてどうでもよくなるんですよ」というのを印象深く記憶している。まあ、そのまま山小屋の番人にでもなってしまう人間もいるのだろうが、大多数の人間はまた地上にもどってくる。それでも、以前とは違った感覚で日常生活を送るようになる気がする。
 主人公陽子の同級生の七瀬はクラスメートから仲間外れにされ、教室の中では息苦しい思いをしている。最初は陽子の双子の弟であるリンに近づき、陸上部に入ることで危機を脱しようとする。そのリンともいろいろあった後、陽子に屋根の上の世界に招かれる。そのときの七瀬のことばは、「ここにのぼることで、何か違う自分になれた気がする」というものである。
 気弱な性格で、クラスメートどころか担任からも使い走りにされているキオスクは、七瀬以上に危機的である。現実の自分を否認し、空想世界で戦士たろうとしている。キオスクも屋根登りに誘われるが、恐くなって逃げてしまう。それは決して否定されるべきではない。かれは逃げ出してしまったことで、現実の自分と向き合うことが出来たわけだし、自力で屋根登りを敢行しようとしたのだから。

 そんなわけで、後にも書くように設定には様々無理があるものの、お話自体は素敵だし、「本来の自分とは」というような意識に目覚めはじめた高校生たちが強く引きつけられたことは理解できるし、むしろその健全さに頼もしさも感じたのである。
 そのことを押さえた上で、いくつか問題点をあげてみる。ただ、たぶん多くは原作に起因していることだろうから、生徒たちの責任を問うものではない。

 ①設定は中学生ということになっているが、中学生が深夜、他人の家の屋根にのぼる、というのはやはりあり得ない(少なくとも容認できない)。小学生も低学年のうちなら他家の庭や塀の上を通り道にしている、ということはありそうだが、それでも昼間のうちだろうし、見つかれば怒鳴られるはずだ。中学生ともなれば、住居不法侵入として立派に犯罪になる。(どなたかが言っていたように自分の家の屋根であれば問題はないのだが、「秘密同盟」というような意味合いが薄まってしまうと考えたのだろうか。)

 ②「宇宙のみなしご」という人間観でいいのだろうか? 「人生根滯無く 瓢として陌上の塵の如し」は陶淵明の人生観で、人間は生まれるときも一人、死ぬときも一人、死んだ後は宇宙の塵となるというは正しいのだろうが(そういえば陶淵明も、「だから生きている間は皆で酒でも飲んでわいわい騒ごうじゃないか」という)、若いうちからだと「悟り」というより、「虚無」に陥ってしまいやしないか。

 ③実は②と関係しているのだが、陽子の性格がどうも明確にならない。陽子が何日も学校を欠席しているところから始まるのだが、それでは陽子もまた日常に息詰まるものを感じているのか、それとも七瀬から「何か迫力がある」といわれるように、他者にもたれかかることのない、自立した人間なのだろうか? 前者だとすれば七瀬を叱咤したり、キオスクを的確に批判できたりするところが変だし、後者だとすればリンから慰められたりしているのがしっくりしない。
 たぶん、演じた生徒もその辺をつかみそこねていたのではないだろうか? 終演後の座談会で表情のことを述べたのだが、いつも困ったような顔になっていたのは前者とみたからかも知れないし、それにしては自分が七瀬やキオスクに発しなければならない科白につながらない。
 (本来は他者との接触によって人間は変化していくものなのかも知れない。だとすれば、その変化の過程を表現しなければならない。)

 ④それでも皆(いきおいを維持しながら)熱演していたが、どうしてそういう会話になるのか一番不思議だったのがリンとのやりとりである。「セリフが書けていない」といわれたのもそこが中心だったのではないかと思うのだが、それも③のことから発している気がする。「一人きりで生まれてきた」という意味では双子ほど不思議で興味深い存在はない。お互いが似たもの同士なのか、それとも補い合うものをそれぞれに持っているのか、が見えて来ない。

 ⑤最後に大道具のことを。客席から見て、切り妻屋根の三角形が見えた方が確かに屋根らしい。だが、そこに複数の人間を配すると、特に坐って前を見たときはどうしても身体の軸が斜めになってしまう。屋根登りのベテランならそんな坐り方はしないだろう、と思ってしまったのだ。かといって、八百屋に作って皆で客席に向かって足を投げ出されてもなあ、とも思う。演じ方と見せ方との両立は難しい。

 いろいろ書いたが、オープニングはこれから何かが始まるという期待感を持たせることには成功していたし、エンディングもなかなか決まっていた。最初と最後が決まれば中間はどうでもいいとはいわないが、それなりにハラハラドキドキさせてくれれば、多少の矛盾など芝居の力で霧消してしまうものだ。ともかく、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。


by yassall | 2016-10-15 01:10 | 高校演劇 | Comments(0)

アンジェイ・ワイダの死

 9日、アンジェイ・ワイダが死んだ。90歳だったという。昨日、東大附属中等教育学校演劇部の芝居を見に行った帰路、一緒に行った仲間と新宿で一献傾けながら、偶然にもワイダのことを話題にした矢先だった。
 「世代」(1954)、「地下水道」(56)、「灰とダイヤモンド」(58)の抵抗三部作は全部見たし、TVで放映されたときは見逃さずに録画した。とくに「灰とダイヤモンド」は、ポーランド映画特集があったときなど、何度も劇場公開されたが、都合のつく限りは見に行った。
 「灰とダイヤモンド」はイェージイ・アンジェイェフスキの長編小説をワイダが映画化したものだ。邦訳されたワイダの脚本も持っている(『社会主義の苦悩と新生』現代世界文学の発見11所収、学芸書林1970)。
 後年の「大理石の男」(1977)も「鉄の男」(81)も見たし、ワイダ80歳でとりくんだ「カティンの森」(2007)では映画に生きた監督魂が伝わってきた。
 だが、私にとってのワイダはやはり「灰とダイヤモンド」なのである。マチェックとクリスティーナが荒れた教会の壁に刻まれたノルウィドの詩を読み上げるところ、ワルシャワ市街戦で地下水道を彷徨い目を痛めたマチェックが、カウンターに並べられたグラスの酒に火を付けながら戦友たちを悼む場面、マチェックと別れた後その運命を知るか知らずでか、群舞の中でポロネーズを踊るクリスティーナのうつろな表情……。
 印象に残る場面を数え上げたら切りがないが、任務を終えたマチェックが宿を引き払うとき、扉を開けるマチェックを差し込んできた朝日がつつみ、まるで光の中に身体が溶け込んでしまいそうになる場面など、モノクロ映画の技法を駆使しつくした映画づくりにだただ驚嘆するしかなかったのだ。

 ※明日から2泊3日の小旅行に出かけて来ます。そんなわけで東大附属演劇部の感想は少し後になります。旅行記よりは先行させるつもりでいます。


by yassall | 2016-10-10 15:42 | 雑感 | Comments(0)

ヴェネツィア・ルネサンス展、ダリ展を見に国立新美術館へ

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 1日、「ヴェネチィア・ルネサンスの巨匠たち」展と「ダリ」展を見に国立新美術館まで行って来た。六本木だとか乃木坂だとかいわれると何だかそれだけで身構えてしまうし、原宿から千代田線の乗り換えもけっこう面倒なのだが、二つの展覧会を1回で見られてしまうお得感がよかった。入場券もセットにすると割引になる。
 最初に2階からということで「ヴェネツィア・ルネサンス」展から回った。初めて名前を知る画家たちばかりだったが、やはりルネサンスの絵画はフィレンツェの方が親しみもあり、華やかだと思った。テイツィアーノ・ヴェチェッリオの大作「受胎告知」(410×240cm)はさすがに圧巻だった。肖像画でいいものが何点かあった。
 一休みしてから1階に移動すると、「ダリ」展前には行列が出来ていた。入口を入るまでもけっこう待たされたが、場内もたいへんな混みようで、最初のうちは1分で1cmという進み具合だった。ふだんなら混雑しているエリアを飛ばして、見たい絵だけを拾うようにして見るのだが、今日はいったん列から離れると二度と絵の前面には戻れそうもなかったのでがまんした。(案の定、後半になると絵の前にいつまでも立ち続ける人は少数になった。)
 「我が国では約10年ぶりの回顧展」というのがリーフレットのキャッチ(はて、5年ほど前にもダリ展が開催されたと思ったが?)だけあって、印象派の影響下にあった習作時代から、シュールレアリスムにたどりつくまでのキュビズム他の実験的作品、ピカソの影響が顕著な作品などの展示があり、「日本では過去最大規模のダリ展」はあながち誇大でもないと思った。
 だが、シュールレアリスム時代のもっともダリらしい絵画は展示が乏しかった。また最近、ダリはフランコを支持していたらしいことを知り、少なからず幻滅気味だった。ブルトンがダリをグループから除名したのは、「オートマチズム」をめぐってのことだと理解していたのだが、どうもそれだけではなかったらしい。(ただ、ダリはスペイン内乱のときファシスト党に銃殺された詩人ロルカとは親友だったし、彼を追悼する絵も描いている。また、第2次世界大戦中はアメリカに亡命している。ダリをファシストと断定することが出来るのか、どうかについては、今の私には不明である。)
 そんなこんなで、中盤あたりから、「今日はもういいや」という気になっていたのだが、最終章の「原子力時代の芸術」のコーナーに入るや、俄に瞠目させられたような気になった。それは大作「ポルト・リガトの聖母」(1950、275.5×209.8cm)をオリジナルで見られたことが大きい。だが、作品の背景を知ることになったこともまた大きい。
 「ビキニの3つのスフィンクス」(1947)がアメリカの水爆実験を題材にしていることは知っていた。1945年8月の広島・長崎への原爆投下の衝撃は大きかったらしく、早くも1945年に「ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌」を描いている。核兵器の壊滅的な破壊力に対する恐怖は、ダリを原子力への関心に向かわせた。断片化した肖像画と粒子とが空間に浮遊している様を描いた「ラファエロの聖母の最高速度」(1954)は、原子核分裂をイメージ化したものに他ならない。「ポルト・リガトの聖母」で、4つに分解された聖堂に囲まれながら、聖母に見立てられたガラ(ダリ夫人)の胸部がぽっかりと四角く切り取られ、その空洞に浮かぶ嬰児の胸部もまた四角く切り取られ、背景に水平線が広がる空間に浮遊している構図もまた、その類推から得られたイメージであることに初めて気がついたのだ。
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 ここだけは写真撮影OKというのでカメラにおさめてきた。以前にも画集か何かで見たことがあるのだが、題名をチェックして来るのを忘れた。ダリ特有の遊び心にあふれたオブジェである。
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 最近、「君の名は。」というアニメに出てくるとか聞いたので、館内の風景も撮ってきた。

「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展 ~10/10
「ダリ」展 ~12/12

※ブリューゲル「バベルの塔」が日本に来るそうである!
 2017.4.18~7.2  東京都美術館
※調べてみたら2006年~2007年にかけて上野の森美術館で「ダリ回顧展」が開かれている。10年ぶりというのは正しかった。このときもカタログを購入している。

 

by yassall | 2016-10-02 01:14 | 日誌 | Comments(3)

つい一言 2016.10

 10月2日投開票の伊方町長選について、たまたま愛媛にいたという斎藤美奈子氏が報じている(東京新聞)。
 町長選は前町長の病気休職によるもので、原発共存派の高門氏(自民)と、原発の停止・廃炉を求める西井氏(共産)との一騎打ち。結果は次のようだったという。
  投票総数   6312票(投票率71.45%)
  高門氏    5465票
  西井氏     765票
 原発共存派の高門氏が圧勝したのは、前町長と町議16人全員の後押しがあったこともあるだろうが、原発頼りの町づくりから抜け出せない現実があるのだろう。
 ただ、斎藤氏も述べているのだが、たった6千数百人の民意で日本の命運が左右されてしまうのは不合理きまわりない。原発の建造や稼働における「地元の合意」の妥当性については検証の必要がある。電源三法も見直されなければならない。
 そんな中、原子力規制委員会は3日の定例会で、40年超の運転延長を目指す美浜原発3号機(福井)について、安全対策が新規制基準に適合しているとする審査書案を了承した。
 命か、金か、と問われれば、誰しも「命」と答えるだろうに。(10月6日)

by yassall | 2016-10-01 16:09 | つい一言 | Comments(0)