1 ![]() ![]() ![]() ![]() さて、サブカメラでカバーしたいのは望遠系である。この日はあいにくの曇り空。望遠が生かせる被写体が見つからない。上の写真がやや離れた木槿の植え込みから一輪だけ切り抜いた写真。これくらい写ればこれでいいか? ▲
by yassall
| 2016-09-30 15:01
| 散歩
|
Trackback
|
Comments(0)
先に①でとりあげた5校以外の学校について出演順に述べる。長文と短文が入り混じってしまうのはご容赦願いたい。講評では各校が公平になるように時間配分したつもりである。 【西部B地区】 所沢西高校「桜、散る恋の物語。」作・小林彩音(生徒創作) 聖望学園高校「GONGERAゴンゲラ」作・安藤聖 所沢北高校「ひまわり~トコキタ劇版こころ~」作・所沢北演劇部 入間向陽高校「クレタ島の冒険」作・中村勉 潤色・Koyo劇 所沢商業高校「鎖をひきちぎれ」作・加藤のりや 豊岡高校「ある日、僕らは夢の中で出会う」作・高橋いさを 所沢中央高校「海がはじまる」作・曾我部マコト 狭山清陵高校「通勤電車のドア越しに~OL編~」作・金井達 【比企地区】 滑川総合高校「ごはんの時間2い」作・青山一也 鳩山高校「オリオンは高くうたう」作・内木文英 松山高校「ここでは死ねない!?」作・楽静 ※当日の講評もあることだし、いつもは審査に伺った地区の劇評は避けているのだが、今回は少し考え方を変えてみた。いつもいうことだが、私のつたない感想でも何かのヒントになったり、芝居づくりの役に立つことがあったら幸いである。 ▲
by yassall
| 2016-09-27 17:20
| 高校演劇
|
Trackback
|
Comments(1)
![]() 9月24日、比企地区発表会が開催された。会場は東松山活動センター(写真)。開会式では生徒による司会が緞帳前に立ち、各校から5人の制作委員が選出されて運営に当たっていることなどが紹介され、また時間的制約のある中であったが各校紹介などもあった。良き伝統が残っている地区であると思った。午前中には小川、滑川総合高校の2校、午後には鳩山、東京農大第三、松山、松山女子高校の4校の上演があった。 第1位 東京農大第三高校 第2位には、所沢高校も候補になった。飯能高校と所沢高校は2週間前に西部B地区が終わった時点での暫定2校であったが、その段階では順位をつけられなかった。最終的な決断を下すにあたっても最後まで悩んだ。また、西部B地区で2校にしぼる段階で芸術総合高校も候補に残った。比企地区では松山女子高校が2位の位置につけた。まず、以上の5校について書いてみたい。 東京農大第三高校「翔べ!原子力ロボむつ」作・畑澤聖悟 飯能高校「M・H・P」作・飯能高校演劇部 所沢高校「うぉーつつ」作・安水真由子 芸術総合高校「いまここから見える君を含んだこのときのすべて」作・生徒顧問創作 松山女子高校「千里だって走っちゃう」作・市村益宏 各校の観劇を見終わって思う。ここまでの芝居を作り上げるのは並大抵の努力ではない。いろいろ注文をつけたが、それならお前がやってみろ、といわれれば返す言葉もない。力の拮抗している(それでいて尺度が異なっている)芝居が並ぶと、審査とはつらい仕事だとつくづく思う。 ▲
by yassall
| 2016-09-26 11:13
| 高校演劇
|
Trackback
|
Comments(3)
![]() 会場の割には参加者が少なかったのは残念だった。幟旗をみていると参加団体にも傾向があるようだった。 主催は「さようなら原発」一千万署名 市民の会とあるが、帰宅後HPを検索してみると戦争をさせない1000人委員会が本体らしかった。 「止めよう!辺野古埋立て」国会包囲行動実行委員会と、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会は協力団体となっている。まあ、思いは同じということだが、もう少し一般参加者が参加しやすい工夫があったらと思った。 主催者あいさつには澤地久枝さんが立った。アーサー・ビナード(詩人)氏のスピーチは駄洒落が多かった。参加者は主催者発表で9500人と発表された。 ![]() ![]() ▲
by yassall
| 2016-09-23 13:42
| 日誌
|
Trackback
|
Comments(0)
![]() 「草刈りと水の管理しかしていない」とうそぶいているが、何年か前に送ってもらった米は美味かった。昨年も「送るよ」といってくれたのだが、近所(といっても車で行くしかない場所)に精米機を設置しているコンビニをようやく見つけたのに、採算があわなかったのか、精米機が老朽化したのか、仮小屋ごと撤収してしまい、「玄米で送ってもらっても」ということで遠慮した。 それとは別に、これも数年前から葡萄を送ってくれるのである。「君が栽培しているのか?」と聞くと「違う」という。出荷元は倉垣農園とある。福知山市は京都といっても兵庫県との県境に位置し、夜久野のほとんどは火山灰地で黒土「くろぼく」は一部に限定されているらしい。これを地の恵みとして倉垣農園は減農薬による葡萄の栽培にとりくんでいる。 同封されていた案内によると、葡萄は房のままにしておくと枝が枯れ、日持ちがしない、軸を2mm程残して冷蔵庫に入れておくと長持ちするとのことである。写真は冷蔵保存の準備をしたところである。私は一度口の中に放り込んだあと皮を出してしまうが、減農薬であるから皮ごと食べられるという。品のよい甘みで美味である。 お礼のメールついでに、「せっかくなら君が手がけた米をいただきたい。5キロほどでよいから精米したのを送ってくれ(以前は30キロ送ってくれたのだ)」とねだってみた。「来年でいいから」と添え書きしたのだが「10月に入ったら送る」と返信があった。これも楽しみである。 ▲
by yassall
| 2016-09-21 20:13
| 日誌
|
Trackback
|
Comments(0)
![]() 天気予報では曇りだったのに、雨は激しさを増すばかり。だが、スピーチに立つ人も、参加者も、意気盛んだった。 「安保関連法に反対する学者の会」。「立憲デモクラシーの会」、「元シールズ」、「安保関連法に反対するママの会@東京」、「日本弁護士連合会」と力強いスピーチが続いたが、中でも元自衛官の井筒高雄さんのスピーチは海外派兵によっていかに自衛隊員が危機にさらされていくか、「自衛隊員はいつでも命を投げ出す覚悟をしている」などと発言した政治家がどんなに無責任か、怒りの高まりが直接伝わってくるようなスピーチだった。南スーダンへの派遣のための準備がすすんでいるが、海外で行われた戦闘の結果に対する法的整備もなく、負傷した場合の手当の訓練も不足していること、一方、南スーダンはすでに戦場化しており、PKO宿営地に難民が押し寄せている状況であることなどが具体的に語られた。 参加者数は主催者発表で2万2千人、また全国400箇所以上で行動があったとの報告があった。 ![]() ▲
by yassall
| 2016-09-20 16:42
| 日誌
|
Trackback
|
Comments(0)
![]() 1日目は細田学園、朝霞西、和光国際、新座高校の4校、2日目は朝霞、新座総合、新座柳瀬高校の3校が上演した。 細田学園高校「桜井家の掟」作・阿部順 キャストの大半が1年生ということもあると思うが、「演じる」(登場人物として舞台に現れ出る)ということがまだまだ理解できていないし、それをカバーするための工夫も出来ていない。だから姉は姉に、妹は妹に、恋人は恋人になり切れておらず、そのため相互の人間関係も構築できていない。舞台に上がったという経験が一番大きな糧になると思うので、これからを期待したい。 朝霞西高校「BETTER HALF」作・鴻上尚史 ここも4人芝居のうち1年生が3人。難しい台本にとりくんだ心意気は買いたい。楽な道に逃げていると、いつまでも力をつけることが出来ない。アップテンポにも助けられてそれなりに芝居が転がっていたと思うが、やはり消化不良か? 台本の問題もあるのだろうが、心の変化を説得力をもって表現しきれなかった。 和光国際高校「あの雲は夏の名残り」作・萩原康節 キャストは11人すべて2年生。部員の獲得と観客の動員力には敬意を表したい。ただ、創作台本には大きな疑問を持った。善玉と悪玉を際立たせ、物語を分かりやすくしたというところなのだろうが、姉と妹の対立とつながり、柔道の強豪校のあくどさの描き方など、かえってリアリティを失い、見ていて辛くなった。 親や兄弟から強い否認を受ける人間は確かに存在するだろう。それが萎縮や性格のねじれになってしまうばかりでなく、発憤につながる場合もあるには違いない。それでもトラウマとして残るはずだ。姉の側からだけでなく、妹の側に立っても、その和解には説得力がないと思った。 強豪校の部員による陰湿な面罵や暴力も度が過ぎているし、審査員の方のいうとおり、思わず距離を置きたくなるような描き方だった。 少なくとも、コメディあるいはエンタメを作ろうとしたのだとしたら、まったく似つかわしくないと思った。 新座高校「パヴァーヌ」作・曾我部マコト 最近になって思うようになったのだが、曾我部マコトの台本には非常に濃厚・濃密な人間関係が描かれる。この芝居では双子の姉妹であるアキとユキの関係をどうとらえるかが核心になるのだろう。アキとユキはいっしょに高校受験を迎えるが、ユキは進学校に、アキは標準校(底辺校?)に進学する。何も説明されていないが、高校進学後のアキとユキの姉妹関係はどうだったのだろうか? アキが死んでしまったとき、その死をユキはどのように受けとめたのだろうか? ユキが学習意欲を失ったり、成績不振に陥ってしまった理由は何だったのだろうか? かつてアキもよく集まっていたという溜まり場で誕生会を開こうという友人たちとの人間関係を考えると、アキの死因は必ずしも自殺であると断定できないとも考えるが、後からの反省会の席で披露された審査員の方の「ユキはアキの通った土地を見て、そのあと死のうとしていたのではないか?」という仮説には深く考えされられた。 この学校も7人のキャストのうち2年生は2人だそうである。舞台美術に統一感が欠けていたりと、まだまだトータルには芝居が作りきれてはいないが、個々の俳優、個々の演技には光るものがあった。1年生で芝居勘のようなものがつかめたら先が楽しみである。そういうわけで作品論にも深入りした。想像力が刺激された。 朝霞高校「ハルシオン・デイズ」作・鴻上尚史 顧問時代、最後の春は「ハルシオン・デイズ」だった。9.11を意識していると思ったし、自爆テロと人間の盾との自己犠牲のあり方の違いというようなことを取り出し、かなり大胆なテキストレジをした。私としては思い入れのある舞台になったが、今回はかなり異なった切り口を持とうとしているらしかった。 月を映し出したい、というようなことは、以前から聞いていた。その効果については私からは触れない。なかなか時間内に収まらず、大事だと思われる科白をカットしているうちにあらすじを追うだけになってしまったとの嘆きがあった。それはその通りだったなと見終わったときに感じた。(例えば、使わない七輪をみせる必要があったのか? 省略した食事のシーンを暗示するため? あらすじをかいつまんだつもりでも観客には意味不明だ。) 4人のうち2年生は1人だけ。芝居勘をつかむには至っていないことを承知で、いくつかだけ書く。和美の衣装はせいぜい女子大生で子ども子どもし、カウンセラーには見えない。月を正面に出して、和美のモノローグをセンターに置いた幕開けはいかがなものか、和美を下手に、他の2人(あるいは3人とも)を予め上手にというような立ち位置は考えられないか? 赤鬼のシーンで哲造の鳥の形態模写は必要だったか、様になっていたか? 頭の中にはイメージがあったのかも知れないが、そのイメージを形象化するだけの作戦も力量もともなっていなかった。 今後、伸びそうな部員もいるが、まずは当事者たちが危機意識を共有しないとせっかくの芽も摘んでしまうことになる。 新座総合技術高校「第52回オカルト部会議」作・篠田美羽 確かに台本にはつじつまが合っていない箇所が多数あり、結末も取って付けたようでいかにも苦しまぎれである。だが、新総芝居と長年つきあっているうちに、この「ユルさ」が何ともいえない味のように感じられてきた。いわれてみれば花子さんは小学生で、二宮金次郎ともども高校の怪談には登場しそうもないが、あのおかっぱ頭といい、紋付き袴の金次郎といい、ビジュアル的には成功している気がする。少なくとも一時の舞台上だけで完結してしまっている閉塞感はない。 新座柳瀬高校「Love&Chance!」原作・P.D.マリヴォー 脚色・稲葉智己 最後になってようやく安心して見ていられる芝居が上演された。舞台美術、衣装もグレードアップし、セリフ回しも申し分ない。役者に力量以上のものを要求してはいないが、ハイテンポな芝居運びで単調になってしまうこともなく、飽きさせない。難をいえば照明の切り替えがときどき遅れたくらいか? 先の展開が読めてしまっても十分楽しめた。ラストシーンは他の人も指摘したとおり。芝居そのものが貴族同士の恋の成就よりも、彼らの気まぐれによっ偶然にもそれぞれの従者と小間使いの恋が芽生え、めでたく結ばれたというところに重点があるお話なのだから、その二人に祝福の拍手を送る機会を観客から奪う手はない。 さて、冒頭に「今回は」と書いたが、何とはなしにふと憂鬱な気分がただよってしまうのは春のときもそうだったのだった。どうやらそれは、リタイア6年目というならそれに見合う距離感をとりあぐねている、いったようなことであるらしい。 こうして観劇記のようなものを書いても、つい辛口になってしまっているのに気づくと、「自分のときはどうだったのか? いつの間にか過去が美化されていて、正当な評価になっていないのではないか?」などという自問が生まれてくる。 運営面でも、客寄せの音楽がないなあ、とか、1ベルと2ベルの間隔、アナウンスと2ベルの順番、アナウンスが早口すぎないか、一番心配だったのは緞下げのとき、いつでも停止ボタンを押せるように人が配置されているのだろうか、などなど、客を不安にさせるような場面がいくつかあった。ただでさえ人事異動で人の入れ替わりがあり、今回は文化祭と重なってしまった学校が多く、そもそも人手が足りない中で切り盛りしているのだろうな、というようなことを察しないわけではない。 それでも客席にいて初めて気がつくこともあるかも知れない、自分だってさんざんヘマをやってきたことを棚に上げてでも、気がついたことは伝えた方がいいのか? それとも、いつの間にかただの口うるさい年寄りになってしまっていることに気がつかないだけなのか? 今回、2日間通って初めて知ったのだが、1階のレストラン”ぱる”が8月で閉店してしまっていた。そうと知っていればごあいさつに伺ったのに、と思ったくらいに”ぱる”にもさまざまな思い出がある。 つまりは西部Aおよび朝霞コミセンには切っても切れない愛着があるのであり、代が変わり、人が変わっても、この場所で発表会が行われ続け、訪ねて来られるということがこの上ない喜びであるということなのだ。 そして何より、この西部A地区が生徒たちの交流と切磋琢磨の場であり続けて欲しい、それを支える各校の顧問が啓発しあい、しっかりと協力し合う場であり続けて欲しい、私はそれを見守りたいということなのだ。 【追記】 momさんのブログへのコメントを見て「Love&Chance!」の結末は原作通りだということを知った。(考えてみれば当たり前で、「従者と小間使いの恋が重点」という前言は撤回しなければならない。)だとすれば、monさんの言うとおり、貴族の子息令嬢がもっと魅力的に造形されていなければならないと思った。また、身分違いの相手に惹かれてしまった苦悩、自分たちの企みがもたらした結果に対する後悔といったものが(私が見落としたのかも知れないが)もっと表現されていなければならないと思った。それでも、その恋の成就は大勢の人に祝福されていいと思うし、たとえサブストーリーであったとしても、勇気をふるって自分たちの恋愛を追求した召使いたちにも讃歌が送られる場があって欲しいと思う。 ▲
by yassall
| 2016-09-20 02:02
| 高校演劇
|
Trackback
|
Comments(3)
![]() 審査員なんてガラじゃないのは重々承知しているので、高演連の事務局長には「どうしても調整がつかないときの最後の候補なら」と伝えてある。その約束は守ってくれているらしく、8月も中旬にさしかかったころメールがあった。日程にも不都合が無く、2年ぶりということもあり、こんなことがないと高校現場の人と交流する機会もないのでお引き受けした。相方のTさんは超ベテランの方なので(同じ年だということが今回分かったが)心強い。 地区発表会の段階だと、芝居づくりの伝統が根付いている学校もそうでない学校も、指導のノウハウを持っている顧問がいる学校もそうでない学校も混在している。それでも同じ高校生、脚本を探し、キャスト・スタッフを決め、稽古を重ね、舞台に挑戦してくるという点では対等である。緞帳が上がる瞬間、舞台の上でも、照明・音効のオペ室でも、きっと皆ワクワク、ドキドキしているのだろうと思うと、それがいとおしい。 芝居は科白で成り立っている。自分の科白を言うだけで一杯一杯になっている生徒もいる。相手の科白を聞いているようで、実は自分の科白の順番を待っているだけ。頭で理解し、何とか感情のこもった科白を言うことができる段階まで来た生徒がいる。でも、会話しているようにみえて互いに科白をぶつけ合っているだけ。頭で理解している段階だから、何とか演技らしくみせようと身振り手振りを工夫しても説明的になってしまう。 そんなふうにみてくると、実は科白は頭ではなく、身体から発せられるものだと言うことが分かってくる。「身体がウソをついている(つかせるな)」(※)というやつだが、これは難しい。生身の人間だって、言葉と身体がバラバラなことは往々にしてある。人間、日常不断に、毎日毎日を真剣に生き切っているわけではないのだ。でも、だからこそ、たまさかにも、舞台の上で科白のやりとりが生き生きとなされているのを目の当たりにすると、なにやら魂のようなものが降りて来たような思いにさせられるのである。そこまで到達できた学校、一瞬でも近づけた学校があれば思わず拍手を送ってしまう。 棒立ちということばがある。科白を覚えたてのうちは、どんな生徒だって棒立ちだ。誰もが通ってきた道だということが長年生徒たちといっしょに芝居づくりをしてきた身ならわかる。「棒」のようにコチコチに固まった心を解放させることの大切さ、科白と身体との一致をめざすことの大切さ、そんなことを伝えられたら3日間所沢まで通った甲斐があるというもである。 ※各学校には顧問の先生がついている。同じようなことであっても、立場の異なる人間からいわれると伝わり方も違うだろうと、講評では「臆面も無く」を心がけている。 ※芝居づくりは脚本選びから、というのもここにある。台本に「ウソ」があれば、科白が生きてくるはずがない。 ![]() ![]() ▲
by yassall
| 2016-09-12 20:48
| 高校演劇
|
Trackback
|
Comments(2)
![]() 東京・多摩地域で社会運動と結びついて熱く展開された美術の歴史を発掘する企画として、新海覚雄(1904-68)の画業を紹介します。 彫刻家・新海竹太郎の長男として東京・本郷に生まれ、川端画学校で油彩画を学んだ新海覚雄は、太平洋画会、二科会、一水会などで活躍、同時代の風俗や労働者の姿を描き、社会への眼差しを育みました。終戦を迎え美術界の民主化を掲げる日本美術会に参加、戦争に抵抗したドイツの美術家ケーテ・コルヴィッツに影響を受け、ヒューマニズムの立場で現実に生きる人々を描き、戦後のリアリズム美術運動を主導しました。 1950年代、社会問題に取材し、人々のたたかいを伝えた新海らの表現を、ルポルタージュ絵画と呼びます。1955年、砂川町(現在の立川市北部)で起きた米軍基地拡張に反対する住民運動を記録した仕事は、ダイナミックな群像表現の起点となりました。盛り上がる世論を背景に基地返還へ至った砂川闘争は、農民、労働者、学生とともに、多くの美術家も支援に参加した文化運動でもあったのです。 新海は、日本労働組合総評議会(総評)傘下の国鉄労働組合など、全国的に高揚する労働運動を、絵筆をとって励まし、当時の国民文化運動を代表する画家となります。1950年代後半からは、宣伝ポスターと並行して、原水爆を告発するリトグラフにも取り組み、モンタージュ技法をとり入れるなどモダニズムの受容に努めました。日本では数少ない群像の大作に挑戦しましたが、志も道半ばで倒れ、府中の多磨霊園に永眠しました。 戦後社会派を代表する画家として、東京・多摩の平和・労働運動に足跡を残した新海覚雄の知られざる軌跡を、油彩・水彩・素描・版画・ポスターなど約70点でたどります。 大正から昭和のはじめに出発点を持つ画家らしく、最初期の作品にはキュビズムなど、第一次大戦後に起こったアバンギャルドの影響が濃厚にみられる。そうした作品の中では「籠を持つ婦人像」(1925)が優れていると思った。ただ、その方向にすすんでいったとしても、おそらくは同時代の他の画家たちと同様に、時代の潮流に敏感だった青年の一人で終わっていたのではないか? 戦前の段階では社会運動への参加歴はなかったようだが、プロレタリア美術家たちとの交流はあったようで、様々な試行錯誤をへて、しだいに社会主義リアリズムに近づき、戦後のルポルタージュ運動の下地が作られていったようだ。 そうしたルポルタージュ運動からは内灘や砂川の基地反対闘争に取材した作品が多く展示されていた。その背景にはもちろん自身の戦争体験があってのことだろうが、原水禁運動やベトナム反戦を訴えたポスターも精力的に描いていたようだ。 だが、集中ではチラシにも採られた「構内デモ」(1955)が何といっても圧巻だった。162×241.5cmの大作で、現在は国鉄労働組合の所蔵となっている。国労は国鉄分割民営化の中でずたずたに分断されたが、いまもなお国労の旗をかかげる人々の支えになったりしているのではないかと想像してしまう。 画家はもちろん国鉄ストの現場に取材しているが、制作にあたっては美学校生をモデルにして群像画としての詰めをはかったとのことである。そうした背景を知ったとしても、人物たちの表情は緊迫感の中にもはつらつとした若々しさにあふれ、終戦もまもない頃、労働組合運動に結集した青年たちの高揚した熱気のようなものが伝わって来るのである。 ところで今回、私は画家がたずさわった社会運動に対する関心から展覧会におもむいたのではなかった。6月に板橋美術館で「プラウダを持つ蔵原惟人」(永田一侑、1928)を見た時もそうだったのだが、現代からみてかえって新鮮なものを予感したのである。そして、その予感は裏切られなかった。うまく言葉にならないが、ロマンチシズムとリアリズムの結合の力とでもいうのだろうか、妙になつかしく、切ないほどに心が引きつけられたのだった。 ※「府中市美術館常設展特集」とあったが、他の美術館から集められたものも多かった。「籠を持つ婦人像」は板橋区立美術館の所蔵とのことである。板橋区立美術館には常設展がない。小さい美術館だとスペースが取れないという実情があるのだろうが、せっかくの絵を所有しながら、いつも倉庫の中ではもったいないと思うのだ。 ※ネットで同展覧会について検索していたら、「展示が「内容が偏っている」ことを理由に「中止の可能性も含めて再検討」を指示された」云々の記事がヒットした。むゝ、最近とみに激しくなっている表現・言論封殺の一端かと心配していたら、HPには関連事業として、亀井文夫の「流血の記録・砂川」の上映会や、美術館所属の学芸員による「砂川闘争の現場を歩く」という実地調査が催されたりしたらしい。府中市の気骨を示したというところなのか。 ※砂川闘争といえば、先日ひまわりを撮りにいった昭和記念公園近辺がまさに現場である。このところ、中央線、小田急線、京王線に乗る機会が多く、多摩づいている。 ※年表には1960年代には丸木位里・俊夫妻と行動を共にしたようなことが書いてある。60年安保後、原水禁運動が分裂したころから文化運動も二つに分かれてしまった。新海は総評系の組合や団体と関係が深かったようだ。だが、その線引きは今となっては意味のないことだ。 (青木文庫版の峠三吉『原爆詩集』では丸木位里・俊が挿絵を描き、中野重治が解説を書いていたのに。ルポルタージュ運動の提唱者は安部公房だったというが、安部公房は共産党除名後は運動そのものから離れてしまった。) ▲
by yassall
| 2016-09-07 16:23
| 日誌
|
Trackback
|
Comments(0)
29日、BSフジの番組で、高速増殖炉もんじゅの廃炉を前提とした見直しが決まったことに関し、馳浩元文科相が原子力規制委員会を「血も涙もない組織だ」と批判したという。(東京新聞)
いやはや、教科書問題や「日の丸・君が代」強制、国立大学からの文系学部の廃止のことでもなく、自らが1年経たずして(東京オリンピックを控えているのに)文科相を交代させられたことでもなく、よくぞこの人の口から「血も涙も」という言葉が出てくるものだ。 馳元文科相は「物理的、技術的、費用、予算で可能な限度を越えた要求水準があった。ハードルを高くあげてほしくなかった」とも述べたという(同様のことを桜井ひろ子もどこかの雑誌で書いていた)。元とはいえ、文部「科学」大臣の発言だろうか? 安全よりも原子力ムラの利益を優先させているとしか考えられない。 ※ 日立・東芝・三菱重工の三社が原発の核燃料製造事業を統合することで調整中とのニュースも報道された。国内の原発がほとんど稼働せず、財務が悪化しており、経費を節減するためらしい。シェール革命のアメリカでは原発は続々廃炉、推進国であるフランスでは原発大手アレバが開発した原子炉にトラブルが続き、5年連続で純損益が赤字だという。世界中で原発市場がしぼむ中、中国とインドが推進に乗り出している。日本あたりが、「先へ進んでも行き詰まりははっきりしているから、もう止めよう」と言わなくてはならないのに、国内で頭打ちになった分をインドあたりに売り込もうと躍起になっている。(9月30日) 松野文部科学大臣は、高速増殖炉「もんじゅ」について、一部の報道で、「政府が廃炉にする方向で最終調整している」と報じられたことについて、「現時点で政府として具体的な方針を決定しているものではない」と述べました。 そのうえで、松野大臣は、「政府内に、さまざまな意見はあるのだろうと思うが、予算・制度・組織上の課題について1つ1つ丁寧に解決していくよう関係省庁・機関と連携し、できるだけ速やかに結論を出したい」と述べ、文部科学省として、「もんじゅ」の存続を前提に検討を進める考えを強調しました。(NHK news Web) 先が見えてきたかと思うと、またふりだしにもどる。根源にあるのは原発マネーをめぐる利権の構造に違いない。 ▲
by yassall
| 2016-09-01 00:36
| つい一言
|
Trackback
|
Comments(0)
1 |
最新の記事
カテゴリ
タグ
演劇(95)
花(73) 高校演劇(66) 美術館(56) 旅行(45) 読書(36) 学校図書館(26) カメラ談義(18) 庭園(12) 映画(7) 酒・食物(6) 懐かしの怪奇スター(5) 太陽光発電(5) 脱原発(4) 国語国文覚え書き(3) 記事ランキング
最新のコメント
お気に入りブログ
外部リンク
以前の記事
2020年 12月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2011年 12月 2011年 03月 ブログジャンル
検索
|
ファン申請 |
||