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熊本地震と川内原発

 熊本地震はいまだ進行中である。規模も、範囲も、被災の実態も、まだ全容を把握できる状態にはいたっていない。だが、というより、だからこそ、川内原発との関連については一言せずにはいられない。たとえ、中間報告的にでもである。
 茶髪で注目された共産党の池内さおり衆院議員がツイッターで「川内原発今すぐ止めよ。正気の沙汰か!」と発信し、程なくしてツイートを削除したという。どうしてかと不思議に思っていたが、一斉に「政治利用だ」(※)との批判が巻き起こり、「おまえが一番正気じゃない」「被災地で電気が止まれば人命に関わるのがわからないのか」などと炎上を起こしたからだということが分かった。

 「被災地で電気が止まれば」というのは、原発が停止していた期間も電力不足に陥ったことが一度もなかったという、ごく最近に経験したばかりの事実を忘れたふりをした脅迫である。ついでにいうと、被災地で停電が続いているのは断線した電線によって二次災害が起こるのを避けるために送電を停止しているのであって、電力が不足しているのではない。今、緊急に必要とされているのは電力ではない。

 「いたずらに不安をあおるな」などと訳知り顔でのたまう連中もいるが、「中央構造線断層帯」の活発化を指摘する地質学者もいる中で、不安を感じる人の方が正常な神経の持ち主であることは間違いない。不安を感じない人間は、よほど鈍感であるか、本人が自覚しているかどうかはともかく、結局は「他人事」(困っている人や不安を感じている人がいるがそれは自分ではない、当事者でない自分は口を出さない)と思っているからだ。
 だが、ひとたび原発事故が発生すれば被害は鹿児島や九州には限らない。福島原発事故ではまかり間違えば東日本全体が潰滅、首都は大阪に移転せざるを得なかっただろうといわれている。そこまでの惨事にいたらなかったとはいえ、放射能汚染は続いており、広くいえば世界中に影響を及ぼしているのである。こと原発に関しては国民の一人一人が、世界に対して、そして未来の子ども達に対して責任を負っていると思わなければならない。
 そんなことまでは考えられないという人にとっても、ともかく地震があるたびに不安を覚えたり、避難計画を確認しなければならない電源とはおさらばしなくてはならないのである。
  ※
 斎藤美奈子氏が川内原発を「止めない理由」を分析している。①やっと再稼働にこぎ着けたのに、そう簡単に止められるかという意地。②ここで止めたら二度と稼働できなくなるという不安。③危機を乗り切れれば日本の原発の安全性が立証できるという期待。④停止を求める声に屈したら負けだという面子。⑤停止に伴うリスクを負いたくないという自己保身。(東京新聞・本音のコラム)
 斎藤氏は背後に「様々な関係者の思惑」を感じるといっているが、現内閣の姿勢だけでなく、国と地方自治体、原発を「ベースロード電源」と位置づけた通産省、そしてもちろん電力各社という政・財・官の欲得と意地と保身と、そして無責任(あるいは責任のなすりつけあい)が入り混じっているのだろう。
 まるで③を先取りするかのように、原子力規制委員会は20日に高浜原発1・2号機 の再稼働に向けた安全審査の合格証にあたる「審査書」を正式決定した。だが、運転開始から40年の老朽化した原発の再稼働をこうもたやすく認めてしまうなら規制基準なんてまるでザルといっしょだ。
  ※
 少々意地の悪い考え方だが、私なりにもうひとつ「止めない理由」を考えた。それは「停止させても無駄だ」というものである。
 制御棒を挿入し、スクラムすることで原発は運転を停止する。だが、そこまでだったら福島でも自動停止は作動したのである。問題はその後も燃料棒を冷却し続けなければならず、全電源を喪失した福島原発では空だきになった原発が暴走し、ついにメルトダウンを引き起こしたのだ。
 もしかして原発を再稼働させた連中はこんなふうに考えているのではないか? 「今、原発を停止させたって大地震や大規模噴火で重要な配管が損傷したり、電源が喪失する事態になれば同じ事だ」と。
 だとすれば、原発の再稼働というのは伸るか反るかの大ばくちだということになる。国民はその大ばくちに乗っていいのか? 一蓮托生でいいのか? 
 私は真っ平なのである。日本はただちに原発を放棄し、廃炉と放射性廃棄物の処理に全力を尽くすべきだと思うのである。

(※川内原発について言及することが「政治利用」だとか、「便乗」だとか、それこそ過敏に反応している人々に言いたい。これを機会にオスプレイを国民に認知させようといか、大規模災害に備えると称して「緊急事態条項」をもちだし、改憲に道を開こうとしていることの方を、まさに「政治利用」というのではないかね?
 だが、「救援物資の運搬にオスプレイを」というのは米軍の方から申し出があったというのはどうやら嘘らしいし、「青空避難所の解消を」などと言いだして熊本県知事から「地元の事情が分かっていない」と一蹴された翌日、本震によって多くの家屋が倒壊し、大恥をかいた河野防災担当相をみるまでもなく、現場も把握できず、当事者意識もない連中に絶大の権限を与えることが被災地を救うことになるなどというのは絵空事にすぎない。)


by yassall | 2016-04-21 12:11 | 雑感 | Comments(0)

カラヴァッジョ展を見てきた

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 19日、カラヴァッジョ展を見に、上野の国立西洋美術館に出かけて来た。同展が開催されることを知ったとき、これは今年前半の最大の楽しみになるな、と思ったのだった。それだけに、いつ行こうかと時期を選んでいたのだが、うっかり見落とすようなことがあったら元も子もないと、天気も良かったので外歩きに出たのである。
 カラヴァッジョに注目するようになったのは、今回は出品されていないが「ゴリアテの首を持つダビテ」を知ってからである。若きダビテの左手に掲げられたゴリアテの頭部は画家自身の自画像であるという。その屈折した自意識のあり方に驚きを覚えるのと同時に、まだ右手に剣を手にしたダビテが少しも誇らしげでなく、かえって悲しみの表情を浮かべていることに深い精神性を感じたのである。
 今回の展覧会では、「バッカス」や「果物籠を持つ少年」など、ローマ時代前期にあたる作品なども展示されていて、それは人物や静物を描く技法がきわめて優れていたことの証明ではあるのだが、それらがカラヴァッジョの本質ではあるまい。そして、今回の最大の目玉は2014年に発見されたという「法悦のマグダラのマリア」の世界に先がけた公開であるということだが、私が最も引きつけられ、この1枚を見ることが出来ただけでも来た甲斐があったと思ったのは「エオマの晩餐」である。
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 文学の世界でも無頼の徒は大勢いる。遠くはフランソワ・ヴィヨンなどはならず者というのに近く、カラヴァッジョと同じく殺人を犯しているし、近くはジャン・ジュネなんかも相当の悪事を働いている。
 だからといって、その生涯と芸術とを安易に結びつけて考えるのは早計というものだろう。しかし、殺人罪による追及を逃れて潜伏中に書かれたというこの作品に漂う内省的な静謐さを見ると、その激情的な性格との落差の不思議に感じ入ってしまう。
 復活したキリストはまだそうとは気付かずにいるクレオパに食事に招待される。画像は今まさにパンに手をかけ、これを裂こうとしている場面である。その直後にキリストは消えてしまう。
 すぐにも奇跡を目の当たりにすることになる人々に、この段階では驚きの表情はない。だが、すでに何かを感じ取っているかのように、キリストの指先に意識を集中していることが察せられる。
 キリストの復活と法華経にいう地湧菩薩の類似について考えたことがある。あるいは涅槃教にいう悉皆成仏とも。すべての存在に仏性が備わっており、一つが滅びてもまた新たな仏が大地から湧き出るように現れて来るというのである。キリストもまた自ら十字架にかかることによって人々の心に神への信仰を呼び覚ましたのかも知れない。
 大罪を犯した画家であるからこそ、激情が去ったあとの深い自省の後に聖性との出会い、宗教性の目覚めがあったのではないだろうか。
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 国立博物館で開催中の「アフガニスタン展」にも行ってみようかと考えていたのだが、疲れてしまったし、時間も遅くなった。折しも東照宮でボタン祭が開催中であったのでのぞいてみた。ううむ、人工的だな。こちらは一度でいいな。
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「カラヴァッジョ展」国立西洋美術館 ~6月12日(日)まで


※この日はGM5を持ち出した。HPを見るとGM5もGM1Sも製造停止になってしまうそうだ。ショックである。在庫があるうちにもう一台買っておくべきか。あるいはPanasonicは独自開発の空間認識AF、回折補正、4Kを搭載した次機種を開発中なのだろうか、それを待つべきか。TX1が在庫切れになるほど売れていて、GX7Ⅱを発表したばかりだから、次機種が出たとしても相当あとだろうな。ああ、また悩み事がひとつ増えてしまった。









by yassall | 2016-04-20 19:10 | 日誌 | Comments(2)

ニコンミュージアムへ行ってきた

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 蕨でゲッコーパレード公演を観たあと、そのまま京浜東北線で品川まで出て、ニコンミュージアムへ行って来た。
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 歴代のニコンカメラ。私がFEを買ったのは1970年代。展示の真ん中辺からデジタルカメラの時代に入る。今も手元にあるカメラ、手放してしまったカメラ、いつか買いたいと思っていながら生産停止になってしまったカメラが並んでいる。
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 報道や宇宙開発の分野で不動の地位を占めてきたカメラやレンズが、誇らしげに展示されている。もともとはレンズメーカーとして出発し、戦前はキャノンにレンズを納めていたというが、日本のカメラの歴史を語る上でニコンを外すことはできないことは、誰しもが認めるところだろう。
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 品川インターシティ。ニコンミュージアムは一番奥のC棟にある。来年、創立100周年を迎える記念として、昨年の10月にオープンした。今は必ずしもニコン党と言うわけではないのだが、一度来てみたかったのである。



by yassall | 2016-04-18 12:39 | 日誌 | Comments(2)

ゲッコーパレード「アンティゴネー」を観てきた

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 昨年12月5日の投稿で紹介したゲッコーパレードの「戯曲の棲む家vol.1アンティゴネー」を見てきた。
 ゲッコーパレードとは、座・高円寺劇場創造アカデミーの修了生が中心になって立ち上げた生まれたての劇団である。卒業生の岡田萌が制作スタッフとしてかかわっている。
 本拠地公演と銘打っているが、会場は蕨にある旧加藤家住宅。劇団員の一人である黒田瑞仁の祖父母の住まいであった空き家を稽古場兼ホールとした、ということらしい。地域に根ざす、というのは座・高円寺じこみらしいのだが、岡田のFBを見ると「子どもの食事の家」のような活動もしているとのことだ。
 劇団を立ち上げたのはいいが、行き詰まってしまう原因のひとつに稽古場の確保がある。侃々諤々と芸術論を戦わせるようなたまり場も必要だろう。さながらアジトを得たゲリラたちというところか?

 さて、12月には「(今後は)きちんとした台本にとりくみ、まず役者としての力量を高めたい」というようなことを芝居がはねたあとに話していたが、「戯曲の棲む家」企画の第一弾は「アンティゴネー」ということだ。
 ソフォクレスなどという名は高校の世界史で耳にしたことがあっただけで、原作を読んだことなどもちろんない。それにしても、まずギリシャ悲劇から、というのは何とも気宇壮大である。
 元がどんな話かというと、「オイディプス王」の続きで、その子どもたちである兄弟姉妹のお話なのである。wikipediaに借りながらざっとあらすじを紹介する。

 オイディプス王が放浪の末に亡くなった。その後、アンティゴネとイスメネはテーバイへ戻った。しかしテーバイでもアンティゴネの兄たちが王位を巡って争いを始めて、アルゴスの援助を受けてテーバイに攻め寄せたポリュネイケスとテーバイの王位にあったエテオクレスが刺し違えて死に、空位になった王座に叔父であるクレオンが就いた。
 クレオンは国家に対する反逆者であるポリュネイケスの埋葬や一切の葬礼を禁止した。アンティゴネはこの禁令を犯し、見張りに捕らえられてクレオンの前に引き立てられる。人間の自然に基づく法を主張するアンティゴネと国家の法の厳正さを主張するクレオンは互いに譲らず、イスメネやハイモンの取り成しの甲斐もなくて、クレオンはアンティゴネを地下に幽閉することを決定する。
 その後、クレオンは預言者の神託と長老たちの進言を受けてアンティゴネへの処分を撤回するが時既に遅く、アンティゴネは首を吊り、父を恨んだハイモンも剣に伏して自殺していた。さらにハイモンの死に絶望した妻までも自殺して、クレオンが自らの運命を嘆く場面で劇は終わる。

 シェイクスピアの悲劇は人間性に根拠を持つ悲劇、ギリシャ悲劇は神の定めた人間の運命に根拠を持つ悲劇などということを(あまり正確ではないが)以前に読んだことがある。
 演出=黒田瑞仁、出演=渡辺恒、崎田ゆかり、河原舞、山本瑛子の芝居を観ていて、いろいろなことを考えた。
 古典劇であるから、解釈は多義的であってもいいし、現代において取り上げるなら現代的解釈という切り口があってもいい。
 だが、なまじの「現代的解釈」では古典の厚い壁に跳ね返されることの方が多いだろう。今日の劇は前者のようであったと思うが、まず原作そのものに添ってみようという姿勢には好感が持てた。
 よく議論されるのに、これはアンティゴネにとっての悲劇なのか、クレオンにとっての悲劇なのか、ということがあるらしい。基本的には「公」=国家の統治原理と、「私」=人間の自然にもとづく家族愛との対立ということで間違いないのだろうが、今日の劇で見る限り、アンティゴネもクレオンも、ともに激情ともいえる己の信念に逆らいがたかっただけだ、ともいえる。どちらかの「思慮が足りなかった」というだけの話ではないようにも思えるのだ。
 クレオンは預言者の神託を受け容れるが、時すでに遅きに失した。だが、神託がもっと早く下ればアンティゴネもハイモンも、そしてクレオンの妻もその命を失わずに済んだのではないのか? なぜ神はクレオンがもっと早く神託を受け取るようにはからなかったのか?
 預言者によってクレオンは己の運命を知る。しかし、その「知」によって己の運命を変えることは出来ない。つまりは、劇は人間にとっての悲劇なのである。

 何の前触れもなく始まったこともあり、最初のうちこそ食いつきが悪かったが、芝居が温まってくると劇中に引きつけられた。
 古典劇には古典劇としての科白の出し方や演じ方があるのだろう。荘厳な雰囲気をかもし出しながら、やたら大声になったり、大げさな感情表現などを抑えた演技には好感が持てた。ただ、抑制された演技からでも、いっそうその怒りや悲しみの深さが伝わってくるようになったら、さらに心に重いものが残っただろう。その意味ではまだまだ芝居に若さがあるということなのだろうが、それは仕方のないことだ。
 怒りにまかせて息子を去らせたあとの父の孤独や悲しみ、アンティゴネとイスメネの姉妹間の葛藤と交流など、もうひとふんばりして欲しいところもあった。それらは自分たちがよく承知しているところだろう。こうした、しっかりした劇にとりくむことで、じっくり力をつけていって欲しい。
 能の橋掛かりを思わせるような、演技エリアに入るまでのゆっくりとした身のこなしなど、演出にも工夫があった。一言すれば、衣装はもうひと工夫だと思う。古代ギリシャ風である必要はもちろんないが、スーツ姿の王というのはあまりいただけない。一人で何役かをこなさなければならない役者がいるから、いっそ稽古着でとか、一枚布を被り物のようにした創作服というような選択はし難かったのだろうし、予算不足のことも重々承知で言っている。
 以前にも書いたように、まだまだ混沌としているのだろうが、すぐには答の出ないような何かを追究しようとしていることは分かる気がする。応援している。

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 これがうわさの旧加藤家。門を入ると玄関前でヨージこと岡田とマキロンが受付をしていた。マキロンとは5年ぶり。ヨージに電話で応援を頼まれたらしい。

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 断って開演前に内部の写真を撮らせてもらう。何日か前のヨージのFBで畳をはがして白木の板を打ち付けている写真が掲載されていた。これか……。

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 照明機材もとりつけられている。暗幕は設置されておらず、昼の部はほぼ自然光だった。もともとは野外劇場で上演されたのだろうからこれはこれでいいと思ったが、夜の部はまた違った雰囲気になっただろう。


by yassall | 2016-04-17 20:06 | 日誌 | Comments(0)

桜2016⑤拾遺篇

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 今年は桜前線を追う旅も計画していないので桜の撮り歩きも終わりである。これまでアップしてこなかったショットを拾遺篇として何枚か貼り付けておく。最初の1枚は石神井公園。撮影日は3月31日である。
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 石神井公園を訪れたのは30年ぶり。Mさんに誘われ、KMさんと連れだって花見に出かけたのである。KMさんは早くに亡くなった高校時代の先輩MMさんの夫人。出版界で長く活躍された。つい話がはずんで、撮影を始めたのは夕方になってしまった。
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 近所の見次公園。撮影は4月5日。この頃、東京では見ごろを迎えたが、この日も病院帰り。遠出をする元気が出なかった。
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 曇り空が続いたのも写欲が湧かなかった原因である。
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 常楽院。撮影日は見次公園といっしょ。帰路の途中だった。
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  新しいアングルを探すのはなかなか難しい。
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 前野公園。撮影日は4月8日だが、前日の雨と風で、すっかり花弁を散らしてしまっていた。逆転の発想で、ブランコに興じる老人とお孫さんのツーショットを。
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 少し露出が暗いがまだ昼間である。絞りを開けてやればいいのだろうが、白飛びするよりはいいかと、そのままにした。
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by yassall | 2016-04-16 10:48 | 散歩 | Comments(0)

桜2016④森林公園

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 12日、いつものメンバーと森林公園を散策して来た。3月7日に予定していた観梅が私の体調不良と雨とで流れ、今月も7日に観桜を計画していたのだが、これも雨で流れた。Kさんの情報によると6日があたかも満開、7日の雨と強風で桜も終わりだろうが、他にも見どころはあるからぜひ実施しようという。もともと12日を予備日にしていたし、NさんもOKだというので出かけて来た。
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 いつもなら南口からまっすぐに桜木園に向かうのだが今日は西口から入る。西口広場の花畑は春の装いの準備中であった。
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 なまじの職員よりも園内に詳しいと豪語するKさんについていくと、こんな道や、
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 こんな道を歩くことになるので、ちょっとしたハイキング気分になれる。
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 新緑の若葉が美しい。
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 桜だってまだまだがんばっている。
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 園内最大の芝生広場に出る前の花畑。林道を抜けて広場に出たときは壮観だった。
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 このあたりが桜木園。ユキヤナギとの競演であるが、今年は桜が負けている。
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 すっかり葉桜になってしまっているが撮り方によってはそれなりの趣があるというものだ。
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 形のよい花々もまだまだ残っている。
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 野外炊飯広場も桜に取り囲まれた絶景地である。平日ということで完全なる独占状態でもちよりの酒や肴を広げる。
  ※
 3月に入ってからの風邪が長引いて、というようことを以前に書いた。どうもただ事ではなさそうだと医者に相談したところ、アレルギー性の疑いがあるという。それって花粉症? それは今のところ何ともいえないのだが、この歳になって花粉症を発症し、これから毎年同じ目に会うのではなあと、もらった薬が効き始めたのはいいものの、すっかり気分が落ち込んでしまった。
 そんなこともあり、気分転換になればと、この日の森林公園散策は楽しみにしていたし、実際楽しかった。ただ、今度は浮かれ気分になってしまったというわけではなかったのだが、アフターまで続いた酒でめずらしいくらいに酩酊してしまった。たぶん、ちょっと人には見せられない為体だったのではないだろうか? まだまだ修養が足りません。
(翌日、同行の二人にメールしてみると、何でもなかったですよ、とは言ってくれたのだが。)

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by yassall | 2016-04-14 12:58 | 散歩 | Comments(1)

桜2016③牛ヶ淵・千鳥ヶ淵

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 大手町へ出て東西線に乗り換え、九段下へ向かう。家を出る前は隅田公園あたりと思っていたのだが、曇り空であるので壕水や石垣を背景にした方が絵になるのではとあたりをつけたのである。写真は大手町駅地下通路からの景色。
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 九段下駅では交通規制で指定された出口からしか出られない。4番出口を地上にあがると昭和館であった。昭和館のデッキからは武道館の屋根が望める。
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 さっそく牛ヶ淵側から写真撮影にとりかかる。
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 菜の花を取り込んでみる。
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 来るたびに思うのだが、ピンクと黄色とブルーと緑の取り合わせが春の訪れを感じさせるし、ほんとうに美しい。
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 田安門の土手沿い。田安門に向かって左側が牛ヶ淵、右側が千鳥ヶ淵。桜の名所として名高いのは千鳥ヶ淵の方である。
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 こちら側が千鳥ヶ淵ということになる。なぜ○○壕ではなく、牛ヶ淵・千鳥ヶ淵の名付けられたかというと、江戸開府の折、飲料水の確保のため、小川をせき止めて溜池としたところからだという。牛ヶ淵・千鳥ヶ淵で水位が違うというのも、言われてからでないとなかなか気がつかない。
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 田安門は往来の人でたいへんな混みようだった。
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 壕沿いに千鳥ヶ淵を歩いて行く手もあるのだが、田安門から北の丸公園に入ることにする。
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 門をくぐる前にもう1枚。
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 田安門は枡形門である。枡形の虎口の中で。
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 北面しているのが高麗門、枡形に入って右、西面しているこちらを渡櫓門というらしい。
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 大きく枝を伸ばした先端の花房をアップしてみる。
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 公園内も花見客でにぎわっている。日暮れも近くなって来たが、ますます盛り上がっている様子である。
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 園内の桜も色とりどりである。
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 帰路は九段下の混雑を嫌い、竹橋に向かう。
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 国立近代美術館前である。
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 地下鉄入口前にも桜が咲いている。
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 本日の桜の撮りおさめ。
 (今日はG3Xを持ち出しての撮影だったのだが、机の上に出しておいたはずの外付けEVFを忘れてしまい、モニターを見ながらの撮影になってしまった。そのため、微妙に手ぶれしてしまってか、ピントの甘いショットが多かったのだが、まあこれはマシな方ということで。)

Canon G3X

 

by yassall | 2016-04-04 14:49 | 散歩 | Comments(1)

桜2016②播磨坂・神田明神

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 2日、恒例の4月の初詣に神田明神まで出かけて来た。せっかくなので丸ノ内線を途中下車し、昨年も撮った播磨坂に立ち寄った。
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 みごとな桜天井である。青空でないのが残念だが、ここのところの天気予報では晴天を待っていたら今年は桜を撮り損なうかも知れない。
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 曇り空などものともせず、花見客で大賑わいである。
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 花見のお仲間に加えていただくわけにも行かず、早々に播磨坂を退去する。
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 茗荷谷へ戻り、お茶の水まで。土曜日とはいえ、神田明神はこの賑わいである。
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 何のイベントなのか、行列は境内の外まで長く続いていた。
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 参拝を済ませ、古いお札を納め、新しいお札をいただく。あとは桜をカメラに収める。
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 毎年、同じような構図になってしまうのはしかたがない。
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 さて、今年はこれからどこへ回ることにしようか?

 Canon G3X


by yassall | 2016-04-03 16:10 | 散歩 | Comments(2)

つい一言 2016.4

 NHKが熊本地震発生を受けて開いた災害対策本部会議で、本部長を務める籾井勝人会長が「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していたことが22日、関係者の話で分かった。(毎日新聞)
   http://mainichi.jp/articles/20160423/k00/00m/040/126000c
 「住民の不安をかき立てないよう」とは一見もっともらしくはあるが、つまりは「大本営発表」の発想であって、これほど国民を侮った物言いはないのではないか? 真実がどうであるかを判断の基準にしたいのであって、そのような報道がなされていないのではないかという不信感が生じたとき、デマが入り込んでくるのである。(4月23日)

 松本文明内閣府副大臣が、熊本地震の現地対策本部長をたった5日で交代になり、事実上の更迭というニュースが報じられた。
 一般紙では、熊本と政府を結んだ16日のテレビ会議で、自分たちへの食事の差し入れを要請していたことを指摘されたのがきっかけだとされている。しかし、西日本新聞によるとどうやらその程度の問題ではないようだ。

 関係者によると、松本氏は食事におにぎりが配られたときに「こんな食事じゃ戦はできない」と不満を口にした。避難所への支援物資配布を巡って「物資は十分に持ってきている。被災者に行き届かないのは、あんたらの責任だ。政府に文句は言うな」と、地元の自治体職員に声を荒らげたこともあったという。(西日本新聞経済電子版)

 「おにぎり」の件について本人は「そういう事実はない」と否定。また、菅官房長官は交代理由を「体力面を考慮した」とし、河野防災担当相は「交代は予定通り」と強調したという。
 一方、政府関係者は西日本新聞の取材に「(松本氏は)県との連携がうまくいっていなかった」と認め、別の関係者も、松本氏が本部長を続ければ「政権に大打撃となる。早め早めに手を打った」と話したという。
 いずれにしても現場の把握と当事者意識が欠落している限り、「国」が前面に立つというのが少しも役に立たないばかりか、いかに障害となるかをまたも証明してしまった。大規模災害対策を口実に「緊急事態条項」を持ち出してきたときのために、この人の名前をよく覚えておこう。(4月22日)
 ※また名前を出してしまうけれど、河野太郎もなあ。自民党内の脱原発の先鋒だったが、大臣になったとたんに凍結になった。だが、防災担当相の任にあって、川内原発の停止どころか不安の存在さえも見て見ぬ振りとは。父も振幅はあったが「河野談話」では筋を通した。あなたが通すべき筋は何だと問いたい。

 熊本地震は現在も進行中であり、被災者の苦悩や不安を思えば、軽々な物言いはつつしまなければならない。だが、閣僚たちの相次ぐ発言を耳にしては、やはり一言せずにはいられない。

 15日、菅官房長官は、熊本地震に関連し、大災害時などの対応を定める緊急事態条項を憲法改正で新設することについて「極めて重く大切な課題だ」と述べた。
 16日、丸川原子力防災担当相は、運転中の九州電力川内原発について、観測された地震動が自動停止させる基準値を下回っているとして「現在のところ、原子力規制委員会は停止させる必要はないと判断している」と報告した。

 丸川担当相の論理にしたがえば、原発を停止させるのは「自動停止させる基準値」に達したときであり、つまりは「事故直前」でなければ「必要はない」ということになる。
 だが、福島原発でも地震時の「自動停止」は作動したのである。その後に襲ってきた津波による全電源喪失が「想定外」(本当に「想定外」であったかどうかは疑問視されている)であったのだとされている。
 気象庁も「かつて例のない」という連続的・発展的な今回の地震の状況や、阿蘇山の噴火活動を鑑みて、「危険回避」「安全確認」のための原発停止はあって当然ではないのか?

 自民党改憲草案にいう「緊急事態条項」は、かかる事態にあたって規制委員会の判断を超えて「超法規的」に原発を停止させるような働きをするのだろうか? いや、おそらくそんなことはあり得ない。福島原発事故でも「国民の動揺を避けるため」情報が隠されたり、報道規制がされていたことが明らかになりつつあるが、それらをもっとやりやすくするように効力を発揮するに違いない。
 必要なことは「緊急事態条項」を発動させて国民の自由および権利を制限することではなく、憲法の理念である基本的人権の尊重を徹底させることでなければならない。そう、災害時であればいっそう最優先されるべき課題として。(4月17日)

 安倍首相は「核安全保障サミット」(アメリカで開催中)で次のような演説を行ったとのこと。昨日に引き続いて怒り心頭だ。これでは日本列島は「核」まみれだ。

 「日本は二度とあのような事故を起こさないとの決意の下、原子力の平和的利用を再びリードすべく歩み始めた。」

 つまりは原発再稼働・推進の宣言だ。だが、「事故を起こさないとの決意」があれば事故は起きないのだろうか? まずは増え続ける汚染水ですら手に負えていない福島原発の事故処理に全力を尽くす「決意」が必要なのではないだろうか?(4月2日)

 トランプ氏は「米国は世界の警察官はできない。米国が国力衰退の道を進めば、日韓の核兵器の保有はあり得る」と述べ、北朝鮮や中国への抑止力として日韓の核保有を認めた。(3月26日)

 おおさか維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は29日、日本の核兵器保有の是非について「何も持たないのか、抑止力として持つのか、という議論をしなければならないのではないか」と語った。(3月29日)

 政府は1日の閣議で、「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。そのうえで「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」との見解を示した。(4月1日)

 日本国憲法のどこをどう読んだら核兵器の保有を容認していると解釈できるのだろうか? 日本の「核兵器保有論」はこれまでにもあった。だが、過激さをウリにしている一部のお調子者の発言ではなく、政府として閣議決定したというのはレベルの違う問題だ。世界と日本が変わろうとしているということなのだろうが、だからこそ変えてはならないもの、変わってはならないものがあるはずだ。(4月1日)
 ※まずは「核兵器」=「抑止兵器」などという単細胞的な発想を捨て去らなければならない。ヒロシマ、ナガサキの原子雲の下で何が起こったかについて想像したこともない人物に、いつまでも勝手な発言をさせていてはならない。


by yassall | 2016-04-01 18:44 | つい一言 | Comments(0)