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瑞泉寺で梅見

(Dropboxに画像ファイルを置きました。この投稿の文末参照!)
(3月1日現在で花の名が違っている1枚がありました。記事を訂正しました。)
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 25日、旧知のMさんに誘われ、梅見の鎌倉散策に出かけて来た。Mさんは10年ほど鎌倉住まいをしていた時期があるので、コースはお任せである。目的地は瑞泉寺。鎌倉五山に次ぐ関東十刹の一つだという。
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 鎌倉駅からバスで15分ほどのところで下車し、さらに住宅街を歩いて行くのだが、寺の敷地に入ると山寺の雰囲気をかもし出している。
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 決して広大ではないが境内はいかにも古刹という趣がある。
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 黄梅は鎌倉市の天然記念物とのことだ。(ただ、それらしい花がない。)
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 崖側には万作の花が満開である。春になるとまず咲くところからマンサクとか。
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 何枚か絵づくりをしてみる。
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 福寿草も春の訪れを告げていた。
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 石段を下りていくとこんな碑がみつかった。吉田松陰が瑞泉寺の住職であった叔父を訪ねたのは下田から密航を企てる直前であったという。
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 覚園寺にも回ってみる。
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 こぢんまりしているがよく手入れされていた。
   ※
 Mさんは明後日の句会までに五句をつくるのだという。私も付き合ってみた。

   黄梅に過ぎし日とどめ瑞泉寺
   椿落ちて川面は紅を点したり

 最初、「過ぎし日」を「往時を」としたのだが、「黄」と「往」の音の重なりがうまく解消できないのだった。二句めはMさんの着想をまねたもの。いずれにしても我ながら下手である。(久保田万太郎の句碑「いつぬれし松の根方ぞ春しぐれ」をさんざんけなした私であったが。)

 GM5+12-32mm

※リサイズだとどうしても緻密さに欠けてしまう。一定期間、Dropboxにファイルを置いておくので、下のURLをクリックしてぜひ見てほしい。(画像を選択してクリックを繰り返すとオリジナル画像がダウンロードされるはずである。)

https://www.dropbox.com/sh/21bprizxg6t2iy5/AACbZor3fnLulYLLkvpXZQ1oa?dl=0

by yassall | 2016-02-27 16:28 | 散歩 | Comments(0)

『終わりのセラフ The Musical』を見てきた

 モコこと甲斐千尋から公演案内のメールが届いた。「○○っさん! 前回もありがとうございました! また、アニメ原作の舞台に出るのでもしお時間ありましたら観に来てください(*^^*)」とあった。
 う~む、原作ものか……。正直にいうと、今回は遠慮しようかと思った。ただ、昨年12月公演で配られたチラシをみて、「おっ、何だか力が入っているな」と何となく直感するものがあったので、チケットの予約を依頼し観に行くことにした。
 劇場はAiiA Theater Tokyo。住所は渋谷区神南とあるが、原宿から歩き、国立代々木競技場を回ったあたりにある。wikipedia で調べてみると、「2015年3月21日より約1年間、2.5次元ミュージカル協会により、2.5次元ミュージカル専用劇場AiiA 2.5 Theater Tokyoとして運用されている」とある。そうか、「2.5次元舞台」はそれだけの社会的地位を占めつつあるのか……。座席数824席、平日の午後であるのにほぼ満席である。
 演目の「終わりのセラフ」は鏡貴也・原作、山本ヤマト・画による漫画、原作者による小説版は2014年10月現在で180万部を突破しているという。
 今回は舞台版かつMusical版ということだが、たぶんオリジナルの一部を切り取った構成になるのだろうと勘を働かせ、下調べをしておいた。本企画のHPには次のようにある。
 「未知のウイルスにより人類は壊滅、子供だけが生き残り、 地下都市で吸血鬼に支配されていた。主人公・百夜優一郎は仲間たちの犠牲のもと、ただ一人脱出に成功、復讐を誓う。 優一郎が見た新しい地上の世界とは―「必ず俺がおまえを・・・救う。」」
 つまりは「絵空事」の世界なのである。では、私が「絵空事」の世界を頭から否定しているかというと、そんなことはないのである。
 私は社会人としてはリアリストであろうとしているが、カルチャーあるいはアートの世界ではいかに日常を離脱するかという価値観に、深く共感をよせるものなのである。
 ただ、日常という強固な壁をぶち破るためには、これに対抗しうるだけの創造性を備えていなければならない。今日の舞台は、その点で観客を十分に納得させるだけのレベルに達していたと思った。
 役者たちの力量が一番であることは間違いないが、大がかりな舞台装置、派手な照明・音響効果、歌あり、ダンスあり、アクションありのスピーディな芝居運びで観客を引き込み、飽きさせなかった。
 とはいえ、甲斐が出演していなければ私がこのような公演に足を運ぶことはない。それでは肝心の甲斐はどうだったか、ということでいえば、柊シノアというけっこう重要な役どころをもらい、他の役者たちとのやりとりはもちろん、歌でも、ダンスでも生き生きと舞台上を飛び回っていた。
 演出との相性がよかったのか、彼女本来のしなやかな魅力といったものが存分に発揮されていたと感じたし、またひとつ階段を上ったと思った。
 これからどこへ向かうかが大事なところだが、せっかくこの世界に踏み込んだからにはチャンスをつかみ、自分が輝ける場に立って欲しいものだ。
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by yassall | 2016-02-10 02:38 | 日誌 | Comments(0)

『キリンの子』が届いた

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 1月20日の投稿で紹介した鳥居の初歌集『キリンの子』が届いた。新聞によると発売日は明日の10日であるらしいのだが、amazonに予約注文しておいたので1日前に配送されたのである。
 届いたばかりだから、まだパラパラ頁をめくっている段階である。
それでもブログに「クリスマスも お正月も返上で 良い本にするために頑張ってました。 今も 試行錯誤しながら めっちゃ 頑張ってます。」とあったとおり、とても大切に、愛しみを込めて作られた本だと言うことは伝わって来る。たくさんの人に読まれるといいと思う。この本を必要としていた人がたくさんいるような気がする。

  私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る

 ときに自分を切り裂いていく目、そこに見たものをことばにする力は並大抵ではない。

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 岩岡千景の『セーラー服の歌人 鳥居』もいっしょに届いた。「東京新聞」での連載を大幅に増補改訂したとあったが、連載とはずいぶん組み立てから変えたようだ。読むのはこれからだが、鳥居を人物として追うだけでなく、作歌に寄り添っていこうという姿勢に好感が持てそうな気がする。

by yassall | 2016-02-09 20:16 | | Comments(1)

憲法9条を他人事にしない

 国会では安倍首相による「憲法9条改正」発言が続いている。ただ、今のところ、戦力不保持を定めた第2項と自衛隊の存在との矛盾を解消するため、というような趣旨にとどまっているところに、隠された欺瞞を感じる。
 これで「9条改正」を参院選の争点にかかげましたよ(直前になったら分からないが)、というアリバイを作ったつもりなのかも知れない。ではということで、「私たちはすでに『改正草案』(2012年)をお示ししている」という中味をみてみると、その目標とするものは「自衛隊の公認」といったものにとどまるものではないことが分かる。

 そもそも9条が置かれている憲法「第二章」は「戦争の放棄」であったものが、『草案』では「平和主義」と改められている。だが、その中味は近年安倍首相が強調している「積極的平和主義」そのものだ。

 9条の第1項こそそのまま残されているのだが、まず第2項で「自衛権の発動」は認められるとし、9条の「二」と「三」を新設したうえ、「二」の第1項で「国防軍を保持」するとする。
 明確に「軍」隊と規定しているところが気になるが、ここまでだったら「専守防衛」のための必要最小限の戦力は必要じゃないの、と考えている人たちには一定の説得力があるかも知れない。

 だが、『草案』の「二」はそこにとどまってはいないのである。「二」の3には、次の活動を「行うことができる」とあるのである。

1.国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動
2.公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動
 
 新たな「国防軍」が1の活動に参加することは「国際紛争を解決する手段」として武力を用いることではないのか? 「国際的に協調して行われる活動」というあいまいな規定は「国連」決議ですら必要がないことになる。つまりは安保法制でさんざん論議された「集団的自衛権」の必要最大限の行使、具体的には世界中のどこでもアメリカと一体になった(あるいは肩代わりした)武力行使に道を開こうとすることに他ならない。
 恐ろしいのは2の「公の秩序を維持」する活動の規定である。5項の「機密保持」「審判所(軍事法廷)」との規定とも合わせて、国民に対する監視活動や言論の抑圧、政府に対する抗議活動への弾圧をも合法化してしまう内容である。憲兵隊の復活ですら絵空事ではないかも知れない。
 さらには9条の「三」には「国民と協力」の文言までみえる。自民党の「Q&A」によると、「義務規定」とすると「徴兵制」に触れなければならなくなるから、とのことだが、すでに一歩手前ではないのか? 「国家総動員」とか「協力」しない人間は「非国民」とかいわれる時代が再来しない保障は何一つなくなる。

 夏の参院選挙はもしかしたら衆参同時選挙になるかも知れない、といわれている。今年も戦後日本の大きな曲がり角の時代は続き、正念場の年となる。


※自民党『日本国憲法改正草案』9条関係
九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、
武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
第九条の二
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
第九条の三
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。


by yassall | 2016-02-05 15:36 | 雑感 | Comments(0)

つい一言 2016.2

 2011年の福島第一原発事故当時、首都圏で大規模な避難が必要になる最悪の事態に備え、首相談話の作成が極秘に行われていたことが分かったという(「東京新聞」)。
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016022002000148.html
 草案を作成したのは、民主党政権で内閣官房参与を務めていた劇作家の平田オリザ氏。
 草案には「ことここに至っては、政府の力だけ、自治体の力だけでは、皆様の生活をすべてお守りすることができません」などと万策尽きた状況を想定した部分もあり、原発事故直後の政府内の危機感をあらためて示しているという。
 当時の菅直人首相も「東日本の潰滅を覚悟した」としていたし、事故対策にあたっていた故吉田所長も何度も「最悪のシナリオ」を覚悟したそうだが、あらためて事態の急迫性を認識する。
 それにしても、民主党政権下の方がまだしも原発事故の危険性をリアルにとらえていたし、不十分とはいえ「40年廃炉」など脱原発への道すじを模索していった。
 それに比較して、原発を「ベースロード電源」と位置づけ直し、福島原発の汚染水は「完全にコントロール下にある」と嘘を並べ、「世界最高水準の安全基準」を通過したとして原発を再稼働させた後に、その最低条件であった「重要免震棟」の建築は取りやめるとした九州電力をとがめようともしない現自民党政権はどうしたことだろう。
 「日本をとりもどす!」とした安倍首相が取り戻したかったのは、原発の「安全神話」「安心神話」だったとしか断じ得ない。(2月20日)

 原子力規制委員会に新基準による審査を申請した全国16原発のうち11原発で、地震の揺れを緩和する免震機能をなくし、当初方針より規模も小さくするなどしていることが分かったという(「東京新聞」)。
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016020702000122.html
 8月に再稼働した川内原発(鹿児島県)で、免震重要棟の新設計画を撤回したことが影響しているに違いない。(もしかすると、どこかで示し合わせていたのではとさえ勘ぐってしまう。)
 原子力規制委員会は川内原発の再稼働をすぐにでも差し止めるべきではないのか? 重要免震棟は柏崎刈羽原発でその重要性が指摘され、福島原発事故で「もし重要免震棟がなかったら、事故はさらに壊滅的なものになっていただろう」とされたものだ。
 最低限の約束破りがまかり通り、「水は低きに流れる」「悪貨が良貨を駆逐する」とばかりに、もともと欺瞞に満ちていた「新基準」すらなし崩しになっていくなら確実に日本は滅びる。
 ああ、でも「40年廃炉ルール」にも「見直し」の動きが起こっている。滅びるどころか、もう終わっているのか?(2月8日)

 3日、安倍首相は衆院予算委員会で、戦力不保持を定めた憲法9条2項について、「7割の憲法学者が『憲法違反の疑いがある』と自衛隊に対して疑いを持っている状態を、無くすべきではないかという考え方もある」と答弁し、将来的な改正の必要性に言及した。(朝日デジタル)
 年明け早々、「改憲」を参院選の争点にすることを明言し、気負い立っている安倍首相であるが、ついに9条に言及した。誰の質問なの? と、あやしんでいると、何だ、お友だちの稲田朋美氏ではないか! どうも狂言芝居くさいが、ここで国民は正面切っての挑戦を受けたと思わなければなるまい。
  ※
 1日の「日銀マイナス金利」は確かに劇薬で、おどろきのあまり誰も何も注釈できない態であったが、そろそろ政府追随でない論評が出はじめてきた。
 振り返ってみると、「不良債権」の解消の名の下に「引きはがし」「貸し渋り」政策をすすめる中で、銀行が預金を貯めこんできたのは成り行きであった。
 では「アベノミクス」の下、「異次元の金融緩和」をすすめながら、ちっとも活性化しない日本経済の現状の中で、「マイナス金利」になったからといって、突然企業の設備投資がすすんだりするものだろうか? 実体経済をともなわない金融政策だけで、成長をはかろうとすることには限界があるのではないか?
 そんな、誰もが抱くであろう疑問を感じていたら、「貸し出し増」なんてあわよくばというオマケの話で、「マイナス金利」の本当の目的は「円安誘導」にあるのであり、株高をねらったものだ、つまり恩恵を受けるのは富裕層のみであり、格差をいっそう加速させるだけだ、という分析があった。
 そして、さらに個人の貯蓄にまで「マイナス金利」が及ぶなら実質的な徴税であり、政府の財政危機の突破作戦なのではないか、というのである。
  ※
 「見かけ」の派手さにまどわされず、深部で何が進行しようとしているのか、その見極めが大切な一年になりそうである。(2月4日)

by yassall | 2016-02-01 23:52 | つい一言 | Comments(0)