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今年考えたこと

 1
加藤典洋『敗戦後論』筑摩文庫(2005)※初版は1997.8講談社
白井聡『永続敗戦論』太田出版(2013.3)
小川仁志『脱・永続敗戦論』朝日新聞出版(2015.5)
内田樹・白井聡『日本戦後史論』徳間書店(2015.2)
内田樹・他『日本の反知性主義』晶文社(2015.3)
原田敬一『「戦争」の終わらせ方』新日本出版(2015.7)
豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本』岩波書店(2015.7)
中野晃一『右傾化する日本政治』岩波新書(2015.7)

 今年、多少とも系統的に読んだ本を並べてみた。これだけの冊数があると、内容を紹介しながら何事かを論じようとしたら、もっと以前から準備する必要があったのに、もう年の瀬というときになってから書き始めている。とても書き切れないという予測が立つが、それでも一年のまとめとして、読むようになった動機などにふれながら、頭の中に生まれた思考の輪郭線だけでも確かめておきたい。

 2
 動機は大きくは三つある。
 もともと、定年後のテーマに「私が生きてきた時代はどういう時代か」というのがあった。その時々に生起した様々な出来事に、あるときは振り回されながら、あるときはかなりのエネルギーをついやしながら、考えたり、行動したりしてきた。それらの思考や行動は正しかったのか、きちんと知っておきたかったし、総括しておかなければならないと考えたのだ。
 これはまだ拾い読みの段階なのだが、12月に山本義隆の『私の1960年代』金曜日(2015.10)を買った。70年安保当時、東大全共闘の議長であった人物だ。彼にとっての学生運動の出発点にあたる60年安保を振り返って、次のように書いている。

 ブント・社学同の方針は、「日米新時代」を標榜する岸内閣による安保条約の改定は、復活した日本資本主義の帝国主義的な自立過程であるという分析にもとづくもので、(中略)、他方で、当時反主流派と呼ばれていた共産党傘下の民主青年同盟(通称「民青」)系の諸君は、安保改定は米政府のイニシアチブによるもので、対米従属がより深まると主張していました。

 では55年後の今日、どちらが正しかったといえるのか?
 60・70年代の高度経済成長によって、日本資本主義は独占資本による多国籍企業化をとげるにいたった。日米安保体制が日本資本主義の帝国主義的復活の条件を作り出したとは確かに言えそうである。
 しかしながら、それは「自立」した資本主義の発展過程であったかといえば、大きな疑問を投げかけなければならない。
 こうして原稿を書いている最中にに飛び込んで来たのは「従軍慰安婦問題」で日韓合意が成立したというニュースである。「最終的かつ不可逆的解決」を急いだ結果という見方も出来るだろうが、「当時の軍の関与」を認め、「日本政府は責任を痛感している」ことを表明するというのは、日頃の安倍首相の言動から考えてあまりにも急展開というしかない。このことに関し、いち早くアメリカ政府が歓迎の意思表明をしているのをみるとき、何らかの力が背後で動いているのを推測するのはあまりにもうがった見方だろうか?(※)
 ※端的にいえば日米韓軍事同盟の障害となることを嫌い、中韓の接近を牽制しておきたいというアメリカの政治的意図を反映したとみるのが自然ではないだろうか? しかしながら翌日の新聞によると、両政府による頭ごなしの「合意」に韓国内では不満が高まっているという。日本でも「歴史修正主義」を進めてきた勢力にとっては足元をすくわれたようなことになっているのではないだろうか? この「合意」が「最終的かつ不可逆的解決」にいたるかどうかは予断を許さないとしかいいようがない。
 いや、国会審議が始まる前にアメリカの議会で「安保法制」の成立を確約し、しかもその方向が日米防衛協力指針(ガイドライン)に沿っていることを見ても、とうてい日本資本主義が「自立」した帝国主義段階にあるなどとはいえまい。とすると、先ほど紹介した山本義隆による60年安保を闘う運動体に生じた対立はいったい何だったのだろうかという疑問に戻らざるを得ない。
 『永続敗戦論』は日本の敗戦を「否認」することによって、かえって対米従属を深めていった戦後日本社会の構造を解き明かした本である。「〈憲法・安保体制〉にいたる道」というサブタイトルのついた『昭和天皇の戦後日本』はその対米従属の体制がどのように形成されていったかを検証していった本である。

 3
 二つめ。一冊目の『敗戦後論』だけ、ずいぶん以前に出版された本だが、その理由を述べる。志木高時代の同僚であるTさんから読書会の誘いがあり、その最初のテキストがこの本だったのだ。メンバーはTさんの大宮光陵時代の同僚であるNさんとの3人。その人数であるから場所も池袋の喫茶店で、3時間ほど粘っては3月に1回程度のペースで続けている。
 『敗戦後論』は単行本になったのは1997年であるが、収録された論文は1995年前後に書かれたものである。あたかも戦後50年にあたり、「村山談話」「河野談話」が発表された時代であり、これらの論文もそれらを背景として書かれている。
 発表された当時、いわゆる『敗戦後論』論争を引き起こしたことで知られるが、要点を簡単に述べるならば、次のようであろう。

 新たに制定された日本国憲法の下で戦後日本は国づくりをしてきた、わけても憲法9条にもとづく平和主義は戦後日本社会の柱となってきた、しかしながらその憲法は米軍による占領下で、圧倒的な軍事力を背景に強制されたものであるという根本的な矛盾をかかえている、それは今日、「押しつけ」であるが故に否定されるべきものという改憲論者の口実となり、護憲論者にとっても「押しつけ」でありながら「よいもの」というねじれを生じさせるものとなっている、そこで加藤は「憲法の選び直し」を提唱する。

 加藤は他に「死者の弔い方」といった問題を提起したり、上記についても国論を二分するというより「ジギル氏とハイド氏」にたとえて人格分裂であるという言い方をしたりしている。ある意味できわめて「文学的」な文章で、決して明晰であるとは言いがたいが、「ジギル氏とハイド氏」との比喩は戦後日本人が真に敗戦と向き合っては来なかったことを指摘して鋭いと考える。
 ※ただし、いわゆる「押しつけ憲法」論についてはもう少し丁寧な議論が必要である。『昭和天皇の戦後日本』を読んでも、改めてそう実感する。今回はきちんと論じられそうもないのでここで触れておく。
 
 読書会のことに話をもどすと、最初に選んだテキストが『敗戦後論』であったことから「戦後」をテーマとして追うことになった。『永続敗戦論』『昭和天皇の戦後日本』はその読書会の続きのテキストに選ばれた本である。

 「戦後」を考えるとき、最大のポイントは「ポツダム宣言」をどうとらえるかではないかと思うようになった。第10条と第12条を見てみよう。

 十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
 十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ


 「ポツダム宣言」は日本に降伏を迫る最後通牒として出されたものであるから、第13条に「右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス」とある通り、相当適度に威圧的に無条件降伏を迫るものとなっている。
 だが、「日本国民を滅亡させようとするもの」ではなく、(=国家としての主権は存立させ)、「民主主義」的で「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重」が確立した国家になることを要求した内容なのである。
 さらには、「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立」が達成されたときは占領軍は直ちに撤退することも確約している。
 (※ではなぜ今日まで日本には多数の米軍基地が存在しているのかという問題がある。これも『昭和天皇の戦後日本』を読むと明らかになるのであるが、簡単にいえばアメリカの世界戦略の一環に加わることを日本政府も是としてきた、というより自ら求めてきた結果なのである。)
 すでに戦争を継続する能力を失っていた日本に対し、戦勝国が力尽くで降伏を迫り、西洋的な価値観を押しつけてきたもの、などとして「ポツダム宣言」そのものを否定したがる傾向も一部にはある。
 (※5月の国会答弁で「ポツダム宣言」を読んだかという共産党の志位氏の質問に、「つまびらかに読んでいない」とした安倍首相などはその最右翼だろう。)
 だが、当時の日本政府が「ポツダム宣言」を受け容れたのはまぎれもない事実なのであり、だとすれば「民主主義」的で「平和」主義的な国家として日本が再生することは世界に対する約束だったのである。
 『「戦争」の終わらせ方』が興味深い見地を紹介している。同じ第2次世界大戦の敗戦国であっても、政府そのものが潰滅してしまったドイツと日本では敗戦処理が異なる。いわば「頭のなくなったドイツ」と「頭を残したままの日本」の差だというのである。ベルリンの壁の崩壊後、英米仏ソと東西ドイツの6カ国で最終規約条約が調印され、全面的な講和が成立したの1990年9月のことだという。

 4
 だが、「ポツダム宣言」に関して私が考えたこととはそのことに止まらない。「ポツダム宣言」には二面性がある。そのどちらに立つかこそが最重要の課題なのだ、という考えが生まれたのである。
 「ポツダム宣言」は連合国がある時点で突然思いついて乱暴に押しつけてきたもの、という言い方をする人がいるが、とんでもない話なのである。
 詳しくは『「戦争」の終わらせ方』に譲るが、遠くは第1次世界大戦後のヴェルサイユ平和条約(パリ講和会議)に端を発する、長く、深い議論の積み重ねが存在するのである。それは泥沼化の中で甚大な被害をもたらした大戦に対する反省から、国家間の平和維持、国際正義の保持、さらには各国に労働状態の改善までも要求する内容になっている。
 (※日本は第1次世界大戦には連合国として参加した。大戦後の軍事法廷に判事を送り出した日本が、第二次世界大戦後に開かれた東京裁判を批判するのは矛盾であるという指摘はもっともである。)

 私は最近では第2次世界大戦を対ファシズム戦争として単純化することは出来ないと考えるようになった。少なくとも1938年のミュンヘン会談、1939年の独ソ不可侵条約締結あたりまでは英仏・ソ連双方がナチスを容認し、これを利用できるとさえ考えていたふしがある。
 だが、1941年8月の「英米共同宣言」(大西洋憲章)は①領土不拡大、②民族自決、③政府形態の選択のための人民の権利、④恐怖と欠乏からの自由の必要性などを謳い、ヴェルサイユ平和条約を引き継ぐ内容となっている。アメリカは日本との太平洋戦争に突入する以前であったが、このような戦後構想を示すことによって国際世論を統合し、連合軍を結成することに成功したのである。
 大西洋憲章はもちろん連合軍側をも規制するものとなる。1943年に大西洋憲章のアジアでの適用を要求したのは蒋介石であったということだが、このとき米英は治外法権の権利を放棄している。
 こうした歴史を押さえるなら、「ポツダム宣言」がヴェルサイユ平和条約や大西洋憲章の延長にあることは明らかである。

 「ポツダム宣言」の二面性とは何かを論じてみる。結局は戦勝国が自分たちの権益を守るために世界を固定化しようとしたもの、という見方を一概に否定することはできない。
 領土不拡大の問題についても、ヨーロッパにおける南欧・東欧に対する影響力についての米英仏とソ連の密約やかけひきがあったことは今やまぎれもない事実である。アジア世界でいえば大戦終了後の「モスクワ宣言」で朝鮮の独立を認めず、当分の間「信託統治」(※)とすることを決めている。
 勝った側には自由が与えられ、負けた側や弱小国には不自由が強いられるというのは、本来の大西洋憲章の精神からは外れるものである。
 (※このことが朝鮮戦争を引き起こす原因となり、それが休戦後もアメリカ軍が韓国・日本に駐留し続ける理由のひとつになったことを考えれば、大西洋憲章に示された精神の不徹底はたいへんな禍根を残したことになる。)

 だが、そのようなシニカルな見方から脱却できず、弱肉強食・適者生存の論理に止まることは決して生産的であるとはいえない。「大西洋憲章」を掲げなければ戦争を継続することは出来なかった、「ポツダム宣言」によらなければ日本に降伏を迫ることは出来なかったことに、積極的意義を見いだすことはできないだろうか?
 ヴェルサイユ平和条約にもとづいて創設された「国際連盟」はカントの恒久平和論を反映したものだという。カントが生きた時代であったら一哲学者の頭の中に宿った理想の域から出なかったものが、人類史の中で初めて結実したのが憲法9条であった。だとしたら、たとえそれが風前の灯のごとく、いつ吹き消されるかも知れない危険にさらされている存在だとしても、決しておろそかにしてはならないと私は思うのである。

 5
 動機の三つめになる。今年は戦後70年ということで、様々な観点から戦後のとらえ直しや再検証がこころみられた。安倍首相による8月の「戦後70年談話」は注目を集めるところとなった。そんな年に昨年の「集団的自衛権」容認の閣議決定のもと、安保法制(戦争法案)が強行採決された。憲法9条の危機であるばかりか、立憲主義そのものの危機である。
 このような年に、「私が生きてきた時代がどのような時代であったか」を問うことはあまりに呑気なことであるだろうか? そんなことはない、と私は思うのである。「戦後レジームの終焉」などという言説がまかり通ることになりそうな昨今であるからこそ、日本の「戦後」とは何であったかを検証し、未来に生かしていくことが重要なのである。
 佐藤優の『世界史の極意』NHK出版(2015.1)は多少怪しいところもある本であるが、歴史を大局的にみること、アナロジカルにとらえることの方法と可能性を教えてくれる。
 イギリスの歴史家ホブズホームの「長い19世紀」と「短い20世紀」を例に引きながら、しかし「戦争の時代」は終わっておらず、アメリカによる覇権に陰りがさしてきた今、新たなる「帝国主義」の時代が始まったことを指摘している。
 冒頭に列記した『右傾化する日本政治』は二つの勢力がせめぎ合ってきた戦後史を、時代を追ってていねいに解説した本である。『永続敗戦論』などを読むと対米従属の体制が構造的なものであったことになるが、『右傾化する日本政治』によると冷戦時代、ベトナム戦争後、ソ連崩壊後、中国の経済的台頭という各時代によって、そのあり方が違って来たことを知ることが出来るのである。決して固定化されたものとして捉えてはならないのである。
 『右傾化する日本政治』によれば現在は「右傾化」の完成期である。立憲デモクラシーの会の共同代表をつとめる中野晃一がそれを良しとしているわけではもちろんない。リベラルの復権はどのようにして可能かについても提起されている。

 『日本の反知性主義』も力になる本だと思う。「日本の」と断り書きがある通り、「反知性主義」にはアメリカに始まる歴史があり、それらもこの本ではていねいに解説されている。新自由主義といったときにニュー・リベラリズムとネオ・リベラリズムとは区別されなければならず、アメリカのそれと日本のそれとはまた性格が異なるといったこともこの本に書いてあったのかも知れない。
 それらの細かい議論をはしょっていえば、「反知性主義」とは「自分に不都合な真実は否認する」ということである。すると、現代日本を支配しようとしている風潮が「反知性主義」そのものであることがたちどころに理解できる。原発の再稼働しかり、歴史修正主義しかりである。

 それではこのまま日本は右傾化の道をたどり、戦前のような社会に逆戻りしてしまうのであろうか? 私は今年戦争法案反対に立ち上がった若者たちのすがた、また年末に近づくにつれて相次いで封切られた映画「杉原千畝」や「母と暮らせば」のヒットをみたとき、戦後日本がたくわえた平和と民主主義の力はまだまだ侮れないと思っているのである。

 最後に、これもまだ拾い読みなのだが、岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電』新潮選書(2012.8)のことを紹介して終わりにしよう。
 小野寺信は日本陸軍の軍人であった。1940年11月にはスウェーデン公使館附武官に任命され、諜報武官としての任についていた。大戦末期、その小野寺のもとにある情報がもたらされる。ヤルタ会談で、ドイツが降伏した3ヶ月後にソ連が日本との戦闘に参戦するという内容である。杉原千畝に恩義を感じていたユダヤ人スパイから伝えられたものだという。小野寺は直ちに本国にその情報を暗号電で送る。
 受け取った日本政府や大本営はどうしたか? あろうことか日ソ不可侵条約を頼みに、戦争終結のための仲介を要請しようとしていた日本政府はその情報を握りつぶしてしまったのである。
 ※この間の経緯は以前に「NHKスペシャル」が特集したことがあり、私も2013.3の雑感でアップしたことがある。
 小野寺信は筋金入りの日本帝国軍人であり、反共主義者であり、愛国者だった。だが、「反知性主義者」ではなかった。電報を受け取った日本の戦争指導者は「自分たちに不都合な真実」を否認してしまった。
 「反知性主義者」が政権の座につくことを許容し、一国の命運のを委ねることがどれほど危険で、国を滅ぼしかねないか、これもまた歴史が教えるところなのである。



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by yassall | 2015-12-30 19:25 | 雑感 | Comments(0)

2015年のニューフェイス

 年の瀬も迫り、一年を振り返る季節になった。最初に何から始めるべきか、カメラの話からになってしまうところが業なのである。
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 今年、ニューフェイスとして最初に仲間に加わったのはGM5である。これは発売されたときから値がこなれてきたら必ず買おうと思っていたカメラである。
 m4/3への移行を考えたとき、OLYMPUSからと、Panasonicからの二つの入口があった。同じマウントを採用して競い合っているわけだが、手ぶれ補正でいえばOLYMPUSが本体内蔵型のセンサーシフト方式、Panasonicがレンズシフト方式を採用するなどの違いがある。どちらから入るかによって、その後に選択できるレンズに微妙な制限がかかって来るのである。
 そのころ、EVFを内蔵しているのはPanasonicにしかなかったし、OLYMPUSのレンズで欲しいのは広角ズームの9-18mmしかなかったから(焦点距離が短いレンズはそれほど手ぶれを気にしないで済むから)、私はPanasonicを選んだ。m4/3はまだまだ開発途上で、つぎつぎと新しい機能を搭載した機種が登場し、退職したてのころは使い倒すまでこの一台と心に決めたはずなのに、ずいぶん買い替えや買い増しをするはめになった。
 ただ、GFシリーズについてはデザインの方向性に納得がいかないようになり、高級機版であるGHシリーズにはもともと手を出さなかったものの、その大型化には疑問を覚えるようになった。新しく出たGX8などは機能的にはかなり魅力的な機種であるが、やはり大きすぎるという一点で食指が動くことはない。
 そこへ行くとこのGM5こそ、m4/3の特性を最大限に生かしたヒット作であると思うのである。その重さは211g。SONYのRX100が213gであることを考えると驚異的な軽さであるといってよい。もちろん、キットレンズである12ー32mmであっても70gが加わるが、それでも対RX100比で68gの差しかない。それでいて外装はマグネシウム合金、ダイヤル類はアルミ削り出しという耐久性と高級感を備えたボディにEVFが内蔵されているのである。
 難点といえば、電子シャッターのデメリットとして、高速シャッター撮影時に高速で動く電車などの動体が歪むことがある。だが、それも風景主体の私には何事もない。
 使ってみるとEVFは視界ギリギリだし、少し大きいレンズを装着すると見た目のバランスがよくないことは確かだ。しかし、それにも増してこの携帯性のよさを一度味わえば(用途によってだが)、少なくとも街に出て行くときに他のカメラを選ぶ理由はなくなる。

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 GM5を買ったのが4月9日。すっかり気に入ってしまい、このGM1を中古で買い増ししたのが5月11日である。この軽さなら2台持ち歩きも楽勝だろうし、サブカメラとして別のカメラと組み合わせでも気楽に採用できると踏んでのことである。
 ところでこのGM1、中古だとAランクでも16200円で買えてしまったのである。なぜこんな値段になってしまうのかとフジヤカメラの店員さんに聞いてみると、家電メーカーのカメラだからというのがその理由であるということである。そうだとすると、カメラさえ気に入っていればPanasonicの中古というのは狙い目だなあと思ってしまう。家電メーカーだから不人気だというが、使ってみると家電メーカーならではの便利機能があったりするのだ。
 GM1はGM5の発売と同時に発展形のGM1Sになってしまい、それにともなってシルバー色はなくなってしまった。いつもはブラックを選ぶ私だが、このシルバー色はきれいだなと思う。実はまだあまり持ち出す機会がないのだが、買ったことを後悔はしていない。
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 CanonのG3Xは1.0型センサーを用いたレンズ固定式(コンパクトカメラと呼ぶには少々大柄なのでこう呼んでおく)のカメラである。今年の購入計画には全く入っていなかったのだが、何と!発売と同時に買うことになった。6月25日のことである。
 その理由の一つは発売記念キャンペーンとしてEVFKITが限定5000台で出たことである。普段3万円程度のEVFが実質5千円程度で手に入るとすれば、多少の値崩れを待つよりよほど安価になることになる。
 そして何よりそのスペックである。35mm換算で24-600mmレンズを備え、防塵・防滴仕様とあって、まず最初に思いつくのは旅行での携行である。さらに記録程度であれば舞台撮影にもうってつけではないだろうか?
 事前にフジヤカメラに予約を入れ、発売日と同時に中野に向かったわけだが、いちおう池袋に寄りビックカメラで現物を見てからにした。いくら何でもパンフレットの写真だけでは不安だったのだ。
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 外付けのEVFと別売のフード(アタッチメントが必要だがフィルターも装着できる)を取り付けるとこんなスタイルになる。いわゆるちょんまげは不格好には違いがないが、EVFのあるなしでは撮影の快適性がまるで異なるのである。
 購入を躊躇する理由があるとすれば733gという重さだろう。これ一台と割り切らなくては旅行などに持っていけるものではない。逆にこれ一台で済むというスペックを持っているから選ばれるようなカメラなのだろう。
 このところCanonは1.0型のラインナップを揃えている。サブカメラは1/1.7インチで十分だと考えて来たし、光線条件さえよければm4/3とも遜色のない絵が撮れる。だが、ひとたび曇り空だったり、大伸ばしにしたかったりするときは、とたんに心許なくなってくる。その点、面積で2.7倍となる1.0インチであれば心強いことは確かだ。
 ただ、G7Xも、新しく出たG9X・G5Xも、いずれも中途半端で帯に短したすきに長しの感が否めない。このあたりのコンパクトカメラで一番注目しているのはLUMIXのLX100であるが、GM5があれば私には不要である。
 Nikonがp300番台とp7000番台の製造を中止してずいぶんになる。Nikonが1.0型センサーを用いてp300番台と同程度の大きさで24-120mmレンズ搭載、もしくはp7000番台の大きさでEVF付24-200mmレンズ搭載のカメラを発表したりしないか、私は期待しているのである。
 ※Nikonは1.0型をコンパクトカメラに採用するだろうか、それともミラーレスに限定するのだろうか? はたまた1/1.7インチ(センサーそのものが製造中止になるといううわさもあるが)からは完全に撤退してしまうのだろうか? コンパクトカメラは1/2.3インチで十分だという考え方なのだろうか? 確かにp610やp900はよく売れているようだ。センサーの大きさを他の技術でカバーしうるという自信があるのかも知れない。そういえばP330の前に使っていたP310は1/2.3インチのセンサーだったが良く写った。高倍率にするにはセンサーが小さい方が有利だということもある。何にしても、一眼レフに比べて何かと評価の下がりがちなNikonのコンパクトカメラであるが、私はその実力を認めもし無骨さを含めて好きなのである。




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by yassall | 2015-12-28 19:59 | カメラ談義 | Comments(3)

朝霞西・新座柳瀬クリスマス公演、そして高校演劇愛

 23日、natsuさんに誘われて朝霞西高校・新座柳瀬高校演劇部のクリスマス公演のはしごをしてきた。遅ればせながら感想のようなものを書いてみたい。
 というのは、両校の公演をみて、いわゆる「高校演劇らしさ」とは何だろうか、ということを改めて考えてみたのである。

 「私はどうも、等身大のふりをして高校生の問題をわざと深刻に描くような芝居が嫌いなみたいだ。」

 というような科白をボソッと主人公に語らせたのは平田オリザの『幕が上がる』である。
 高校生が高校生を演じるというのは、実はそうたやすいことではないと思っている。高校生がそこにいるから高校生の芝居になるのではなく、舞台の上ではあくまで高校生を演じる「役者」がいるのでなければならないのだからである。
 それでも、毎年のコンクールを見ていると高校生を主人公にした芝居が選ばれてくる確率が高いように思われるし、これまでにも内容的にすぐれた作品が数多く生まれ、蓄積されていることもまた確かなのである。
 さて、この日の演目は朝霞西が中谷まゆみ作「今度は愛妻家」、新座柳瀬が倉持裕作「鎌塚氏、放り投げる」。どちらも高校生にとって「等身大」とはとうてい言えない芝居である。では、両公演は高校演劇「らしく」なかったかといえば、決してそんなことはないと思ったのである。
 朝霞西の「今度は愛妻家」では、幕開けから「排卵日」「子作り旅行」「童貞」「イッた、イカない」などということばがポンポン飛び出してくる。観客が見えていないことを前提とした、夫婦間のみでの会話という設定であっての科白だが、男子にしろ女子にしろ、高校生が口にするのは心理的なハードルを越える必要があっただろうなあという思いと、舞台の上では「役」を演ずる者であることを支えに、あえて平然と口にする自分を現出させてみたかった、というようなこともあるかも知れないなあという思いがあった。たぶん、その両方が本当であると思う。
 「これからが人生本番だ!」というのが、かつて卒業生を送り出すときに添えてきたことばである。ということは、高校生はまだ人生の本番を迎えていないことになるが、その予行演習とでもいうのか、人間の人生がどのようなものであるかを垣間見ていることは確かである。まだ本当の人生は知らない。だが、やがて迎える人生に対するおののきのようなものが表現されていたら、そこにはやはりリアルがあると考えてよいのではないかと思うのである。
 さて、ドラマの方はクライマックスが近づくにつれ一気に急展開し、その過程でいくつも伏線が張られていたのに少しも気付けなかったことに悔しさを覚えるほど、組み立ての優れた台本だと思った。こういうドラマと向き合うことで、きっとこの生徒たちの人生は豊かになっていくに違いないと思った。
 カメラマン北見俊介を演じたのはKANKAN男でKAN2の役についた生徒ではなかったか? 男役が続いたが、もう貫禄すら感じさせる演技ぶりで他の俳優たちを引っ張った。妻さくら役の生徒も滑舌よく舞台を回していった。
 還暦のおかま原文太(と呼ぶより、文ちゃん!と言った方がすでになじみ深い)は抜きんでていたと思う。一度は家庭を持ちながら、性同一性障害に悩み抜き、ついに妻子を捨てるに至った男(?)の悲しみのようなものが表現されていた。おかまを演じると、それだけで劇的な存在であったりするので、面白がっているわりに役に振り回されているだけ、というふうになってしまいがちなのだが、己の業を見つめる人間として、しっかりと演じられていた。熱演のあまり汗でメイクのアイシャドーが頬に流れてしまったのだが、それがまるで涙のように見えてしまったのだった。1年生の二人も最初のうちこそ線が弱かったが、クライマックスにつれてよく感情が乗って演技が出来ていた。
 新座柳瀬の「鎌塚氏、放り投げる」は伯爵家に仕える執事を主人公に、上流社会に生きる人間たちの虚栄やかけひきを描くという、さらに通常の高校生の日常とはかけ離れた世界が舞台になっている。
 陰謀あり、不倫あり、窃盗という犯罪あり、あわや殺人まで起こりそうなストーリー展開であるが、柳瀬得意のすれ違い、取り違え、そしてアップテンポの芝居運びとコミカルな味付けで、観客の爆笑をさそう。
 主人公である羽鳥家執事長鎌塚アカシを演じるのは「星の王子様」でも「アーネスト」でも主役をつとめてきたKさんである。今回、朝コミでは最近の定席である一番後ろの席からではなく、初めて間近にその演技に接することになった。
 一言でいえば「超高校生級」である。目線はあくまで力強く、きめ細かな表情の変化は感情表現として自然で、緩急自在な演技ぶりには破綻というものが一切見られない。そして、Kさんの偉いところは、これ見よがしに自分だけ達者ならいいというのではなく、明らかに他の役者を引っ張り、引き立てているところだ。
 最終的にはバランスの調整が必要だとして、稽古中は「回りに合わせて平均的になるな!まずは自分が飛び出そうと思え!それが他の役者を刺激することになる!」などとハッパをかけて来たものだが、巧まずしてそこが出来ているいると思った。
 そのKさんももう3年生。このまま彼女の芝居を見られなくなるのは惜しい!とすら思うほどなのだが、先ほどの平田オリザの『幕が上がる』では吉岡先生に次のようにも語らせているのである。

 「いや、やっぱり楽しいんだけど、楽しすぎて人生変えちゃうかもしれないし、そんなの責任持てないしね。」

 そして、プロの世界に進んだとして、今と同じような輝きを放てるとは限らない。ずっと男役でやってきたが、プロの世界に男役の女優という需要はまずないという現実的な問題もあるが、そればかりではない。
 「超高校生級」とは書いたが、頂点に近づくというのもまた高校生の可能的な姿であると思うのである。例として適切かどうかは分からないが、スポーツの世界では高校生にしてすでに世界レベルという種目はいくらでもある。俳優の場合は年齢を経てはじめて生まれる渋みのようなものがあるのは否めないが、だからといって高校生レベル=未熟という評価に押しとどめるのは間違いであると思うのである。
 高校演劇として「等身大」をめざすのではなく、演劇という芸術において頂点を極めようと鍛錬を絶やさないこともまた「高校生らしさ」に他ならないと思う。そんなとき、高校生は輝いて見えるのである。
 
 いやあ、ちょっと惚れ込みすぎだなあ。natsuさんに誘われなければきっと各校の自主公演まで顔を出すことはなかっただろうし、これからもあり得ないだろう。この高校演劇愛はnatsuさんの影響だし、そしてこれからもその強さにおいて追いつくことはないと思うのである。

 

 
 


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by yassall | 2015-12-28 01:52 | 高校演劇 | Comments(2)

竹間沢車人形を見てきた

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 竹間沢車人形の公演を見にコピスみよしまで出かけて来た。何度かその名前を耳にしてきたのだが鑑賞するのは初めてである。
 コピスみよしは毎年高校演劇フェスティバルでお世話になっている。同行したnatsuさんから指摘されて気がついたのだが、第14回ということは高校演劇フェスティバルと歩みを同じくしてきたということになる。
 高校演劇フェスティバルも会館のオープンセレモニーとして声をかけていただいたところから始まったわけだが、会館設立にあたって中央と同レベルの文化を地域でという柱と、地域に根ざした文化の拠点をという柱が立てられたということなのだろう。そうしたコンセプトのもとに、この地域に生まれた芸能の伝承と普及という位置づけから本公演が始まったに違いない。
 車人形のどこが車かというと、人形の遣い手が轆轤車とよばれる車輪つきの箱車に跨がり、すばやく移動しながら人形を操ることを可能にした仕掛けなのである。車輪にも工夫があり、滑らかに回転することもできるようになっている。そのことで、三人かかりで操る文楽人形のような、大きな人形を用いた人形芝居が可能になったとのことである。
 この日の演目の最初は「寿式三番叟」で、その日の舞台を無事に務め上げられるよう、舞台を清める舞が舞われる。芸能が娯楽であるとともに神事であったという証拠である。
 次いで昔話「姥捨て山」、車人形教室とつづき、最後に公演のメインとなる「佐倉義民伝」が上演された。三代目若松若太夫が奏でる説教節にのって、「甚平渡し場の段」と「宗五郎住家子別れの段」が演じられた。説教節の伴奏で、というのが車人形本来の上演形態なのであろうし、三人遣いと比較すれば明らかに動きも素朴な車人形にぴったりな演目であると思った。素朴とはいったが、雪の降りしきる中、最後の別れのため家路を急ぐ宗五郎の足の動きなどは本当にリアルで、保存会の方たちの日ごろの鍛錬の跡をみた思いであった。
 この日ご一緒したのはnatsuさんの他、Uさん。公演後はいつもコピスの打ち上げで使うみずほ台駅前の大(ビック)でプチ忘年会を催した。
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 会館に展示されていた人形と轆轤車。安珍と清姫の清姫とみたが間違いか!? 実は1週間くらい前に朝霞高校のA先生からアトリエ公演のご案内をいただいたのだが、この日と予定が重なってしまい失礼した。そちらも盛況だったらよかったのだが。

 竹間沢車人形は幕末間近の安政年間(1854~1860)に埼玉県入間郡三芳町大字竹間沢の前田家に伝わった人形芝居です。この人形芝居の特徴は、大型の人形を一人で操り、ケツグルマという轆轤車を用いることにあります。
 人形芝居が伝わったきっかけは、竹間沢村の里神楽師、前田左吉(芸名:左近、1838~1886)に二宮村(現:東京都あきる野市二宮)の古谷平五郎の娘ていが嫁いできたことです。古谷平五郎は説経師、6代目薩摩若太夫として名高く、ていもまた説経節を語ることができ、嫁入り道具として人形芝居用具を持参してきたため、前田家に人形芝居が定着しました。
 前田家はていの実家、特に古谷平五郎の養子、吉田安平(芸名:冠三郎)に操り方を習い、やがて前田左吉は吉田三芳という一座を名乗り、各地で興行するようになります。初代の左近、左近の子である二代目の民部の時(明治時代)に全盛を迎えた車人形は、大正時代になると、浪花節・新派劇・映画に押され、またていが亡くなるということもあり、次第に衰退し、時代の中に埋もれていきました。
 断絶していた車人形が復活するのは、最後の興業よりおよそ五十年後のことになります。昭和46年、埼玉県教育委員会の人形芝居緊急調査により、前田家より人形芝居用具が発見されます。また、二代目民部の子である信次、近が存命であり、彼らの記憶から操り方を学び、車人形が伝えられています。(HP三芳町立歴史民俗資料館より)

 
 



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by yassall | 2015-12-21 15:08 | 日誌 | Comments(0)

「福憑」を見てきた

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 17日、「福憑」を見に下北沢OFFOFFシアターへ出かけてきた。モコいまはカイチと呼ばれる甲斐千尋が出演しているのである。おそらく偶然なのだろうが、高校時代に同級生だったみかわやも先日はじめて下北沢で舞台に立った。
 そういう縁であるから、危婦人という劇団の芝居をみるのは初めてである。作・演出のスギタクミが数年前に立ち上げた演劇集団であるらしい。ただ、出演者の顔ぶれをみると、他の劇団やフリーで活動している役者たちが多く、公演ごとにその芝居にあった役者たちが集められているようである。実態を知っているわけではないのでいいかげんなことは言えないが、多数の劇団員をかかえているというより、新作ごとにプロデュースしながら演劇活動を続けているというスタイルらしい。モコも俳優を探しをしているよ、という情報を他の芝居で共演した役者から紹介されて今回の座組に加わったということだ。
 さて、劇の内容であるが、副題には「そこはかとなく忠臣蔵」とある。HPから紹介のフレーズを引いておく。

 上司の死をきっかけに引きこもった男。自身の「正義」を貫いた行動のせいで上司は死を選んだと思っていたが、 実はそこには別のある真実が隠されていたことを知る。そんなある日、男の前に現れたのは、かの有名な吉良邸討入をしそびれた、赤穂の浪士だった。 男は真実を暴くため、浪士は300年の想いを果たすため、行動を共にする……。

 公演は明日まであるので、あまり微細にわたってもと思うが、上司の横領を告発した後、その上司の自死に重大な罪悪感をいだくにいたった男に、赤穂浪士の霊が取り憑くところから劇が展開していく、といった内容である。「福憑」の「憑き」はその浪士の霊なのである。
 公演終了後のアフターイベントにスギタクミ(女性であった)も登場し、制作裏話のようなことを話していた。12月公演という日程が決まってから、12月といえば忠臣蔵、との発想から台本を書き始めたという。(別な情報として、男性が主人公の芝居は今回が初めて、というようなことも他の出演者からあった。)
 ジャンルに分ければコメディというようなことになるだろう。ともかく、どうやって客を楽しませようか、が狙いどころだから、もともと演劇をどう追究したかとか、芸術性云々とかをあれこれ論評するような芝居ではないのだろう。ストーリー的にも、どうもつじつまが合わないところも散見される。
 だが、感想はどうだったかといえば、面白かった、楽しめた、ということになる。テーマがどうこうという芝居ではないのだろうが、それでも自然に伝わって来る「ありのままの自分を見つめなければならない」「過去のしがらみはどこかで断ち切らなくてはならない」などのメッセージは良質で、若い人たちの心に響いていくのではないだろうか?
 そして何より役者の力である。様々な劇団から役者が集められたらしい、と書いたが、それぞれの所属劇団のHPを検索するとその劇団の代表格だったりする役者が多いし、中にはTV出演などでも実績を積んでいる女優もいたりする。達者ぞろいというのが見終わってからの印象である。
 そんな俳優たちに混じってモコはどうだったか、ということだが、表情豊かに、柔軟な身体表現、セリフ回しも達者に(声はもう少し出た方がいいか?演出からの指示ならしかたがないが)、すっかりプロの女優然としてきたといってよいと思う。小悪女をからっと明るく、天然ぶりも嫌みなく演じていた。
 もともと器用な方であるが、その自分に満足せずに様々な工夫をしたり、人知れず練習を重ねるタイプだった。また、その苦心のあとを見せないところが偉いところだ。
 元顧問の欲目ではないが素材としては美少女系である。だから、いわゆる2.5次元舞台ではけっこう重宝されるようだし、それはあながち否定されるべきではない。今しか出来ないことは今のうちにやっておくことだ。
 だが、演技にかける熱意とかエネルギーの費やし方からして、それだけで終わってしまうのでは惜しい。昨年の「海バカ」シリーズなどではその片鱗をみせてくれたと思う。ぜひ、出演の幅を広げて、新しい可能性に挑戦していって欲しいと思っている。
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by yassall | 2015-12-19 12:03 | 日誌 | Comments(0)

紅葉2015⑦大田黒公園

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 国分寺を出て荻窪に向かう。新宿から国分寺までは特別快速に乗るとあっという間という印象であったが、かえって荻窪まで引き返す方が時間がかかったような気がする。それはともかく、駅を降りて8分ほど歩いていくと、住宅街の真ん中に大田黒公園が見えてくる。
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 大田黒公園は音楽評論家であった大田黒元雄氏の邸宅を回遊式庭園として整備し、1981年にその遺言にしたがって区立公園として開園した。門を入るとイチョウ並木が続いている。
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 イチョウは昨日の風もあってか、かなり葉を散らしてしまっている。それでも元は個人宅であったとは思えないほどの堂々たる大木である。
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 その代わり、地面はイチョウの葉の絨毯のようだった。
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 数寄屋造りというのか、趣のある中門までイチョウ並木は続いている。
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 庭園内はかなり奥行きもあり、紅葉は真っ盛りという様子だった。終始、客足の途絶えることがなかった。
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 造園もなかなかの出来栄えなのではないだろうか。
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 これだけの紅葉を前にするとつい絵づくりもしたくなる。
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 大田黒氏のアトリエは一部が展示室として公開されている。
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 アトリエ側からは広場ごしに庭が展望できる。
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 荻窪に着いたのが14:30ごろ。日も陰りはじめ、空も曇りがちになってしまったのが残念だ。また訪れる機会があったら今度はまっ先にこちらに回ることにしよう。

 GM5+12-32mm、RX100



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by yassall | 2015-12-13 20:04 | 散歩 | Comments(0)

紅葉2015⑥殿ヶ谷戸庭園

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 殿ヶ谷庭園は国分寺崖線とよばれる武蔵野段丘南縁の地形を生かした庭園である。最初は別荘庭園としてはじまり、三菱の岩崎彦彌太によって買い取られたのち、整備された。高度成長期、周辺の開発計画がすすむ中、住民の間から保護運動が起こり、1974年に都が買収して都立公園となった。
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 国分寺駅から5分も歩かないところに入口がある。入場券150円を払って、植え込みで目隠しされた、迂回するような細い道をたどっていくと高台側の広場に出る。入口を入っていきなりでないあたりは造園のお約束なのだろう。外部世界から離れて別世界に入っていくためには通路をくぐり抜けていく必要があるのだ。
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 昨日の強い風雨で今年の紅葉も終わりかと覚悟しながら出かけていったが、雨上がりの好天の中、健在というより見ごろといっていいような頃合いであった。
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 萩のトンネルから。萩の季節は終わってしまったが、格子ごしに紅葉が映える。
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 崖線に造園された庭園であることはこうした坂道で特徴づけられる。
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 その地形的な特徴がよく分かるアングル。
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 坂道の途中でも陽当たりよくカエデが映えている。
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 クローズアップレンズで寄ってみる。
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 谷側には竹林もしつらえてある。
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 谷底になるあたりには日本庭園が造園されている。
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 段丘面は地下水面が浅く、湧出が多く見られるという。本庭園でも湧き水によって池がはられている。
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 下りてきた坂とは反対側の丘に建造された紅葉亭から。
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 回遊路に沿って出口に向かうと再びみごとな紅葉と出合う。
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 似たような絵になってしまうが何枚が続けて貼り付ける。
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 カメラを替えて撮っているのである。
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 反逆光が美しい。
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 さらにアップしてみる。
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 一本だけだったがイチョウもなかなかのボリューム感。
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 しつこい、と思いながら何枚も撮ってみる。

 GM5+12-32mm、KenkoCLOSE-UP、RX100

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by yassall | 2015-12-13 01:07 | 散歩 | Comments(2)

斎藤美奈子『ニッポン沈没』筑摩書房

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 だいぶ読むスピードは遅くなったとはいえ、本は読んでいるし、まだまだ読みたい本、読まなくてはならないと思っている本もたくさんある。ただ、読みながらいろいろなことを考えてはいるのだが、なかなかまとまらない。そこで、このブログで読書報告をしようと思っても、つい滞りがちになる。自分のテーマとしていることに近ければ近いほど、その傾向は強まる。だが、この本だけは一刻でも早く紹介したいと思ったのだ。
 読後感は、縦横無尽、痛快無比! ジャンルとしては書評・時評ということになるのだろう。筑摩書房のPR誌「ちくま」に連載された「世の中ラボ」の2010年8月号から2015年6月号までを単行本にしたものだ。毎回、一つのテーマにそった3冊の本をとりあげ、内容を紹介しながら、現代社会に生起する様々な問題の焦点を明らかにし、掘り下げようとしている。
 斎藤美奈子氏は鎌田慧、山口二郎、佐藤優氏らとともに『東京新聞』の「本音のコラム」を担当している。常々その切れ味のするどさに魅せられ、本書も出版を知るや手にしたようなものだが、今このときにこそ多くの人に読まれて欲しい思ったわけなのだ。
 2010年に「ちくま」での連載が始まったのは偶然によるのだろうが、単行本への収録にあたっての、章立ての第1章は「激震前夜」である。「はじめに」では現代日本を特徴づけるキーワードはずばり「戦争、原発、経済格差」であると述べる。以下、章立ては「原発震災」、「安倍復活」、「言論沈没」とすすむ。
 したがって一冊を貫く柱として原発、領土問題、自民党「憲法草案」、慰安婦問題、特定機密保護法、集団的自衛権といった話題への言及が大部を占める。だが、それ以外にもリニア新幹線、貧困女子、「イスラム国」といった問題にもしっかり目配りしている。
 ヘイトスピーチの問題に触れて、単にヘイト・スピーチ=「憎悪表現」としてとらえたのではその本質を見失う。スピーチ=「表現の自由」などという隠れ蓑を許すことにつながってしまう。「朝鮮人帰れ」も、沖縄で「米軍は帰れ」と叫ぶのも、違いが無くなってしまうというのだ。
 師岡康子『ヘイトスピーチとは何か』岩波新書を参照しながら、「人種、民族、性などのマイノリティに対する差別に基づく攻撃を指す」ことを明らかにし、「ヘイト・スピーチそのものがすでに暴力」であり、放置すれば「虐殺」に発展すると警告している。
 ややもすれば曇りがち(曇らされがち)になりやすい私たちの目を明らかにするためには、自らの感性をみがき、論理の力を身につけ、思想を鍛える必要があることを教えてくれる。

斎藤美奈子『ニッポン沈没』筑摩書房(2015)


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by yassall | 2015-12-06 20:09 | | Comments(0)

『鳥の本』を見てきた

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 ずいぶん変わった名前の画廊だなあ、とネットで調べてみると「名前の由来は「目に良い場所」という意味です。眼科医院は併設しておりませんのでご了承ください。」などという紹介文がヒットする。こういう人を食ったようなネーミングは大好きなのだが、今日の行き先は画廊の方ではなく、地下のフロアなのである。定員60名とあるが、演劇の公演ができるように照明・音響の設備を備えている。
 そう、新宿に用があったというのは、ヨージこと岡田萌から案内をもらい、ゲッコーパレード旗揚げ公演『鳥の本』を見に行ったのである。
 今年2月の投稿でも紹介したが、岡田萌は今年の3月まで座・高円寺劇場創造アカデミーに通っていた。どうやらそのときの仲間たちと合同で何かを始めたらしいとあたりを付けていたのだが、今日もらったチラシによると、もう少し幅広い人の輪があったらしい。ただ、黒テントの佐藤信氏が来ていたというから、座・高円寺の人脈が中心に位置しているのは確かなようだ。
 『鳥の本』というのも変わった題名だ。チラシには「あるはずのない一冊を巡って」なるキャッチフレーズがある。メーテルリンクの「青い鳥」が基底にあるらしい。チルチルとミチルがどこかにいる「幸せの青い鳥」を探し求めたように、何が書いてあるのか、何という題目の本かも分からない、だが焦がれるように欲していることだけは分かる本を4人の男女が探し求める、というような内容である。
 といって、あらすじらしいものはなく、断片的な場面を科白とパフォーマンスでつないでいくという構成である。演出の他に、からだの演出というポジションを置いている。
 演劇の公演ができるようなフロアとは書いたが、決して使いやすい小屋ではない。客席側の両脇の通路も上手く使いながら、なかなかみごとな身体表現を繰り広げてくれた。科白も身体表現もよく鍛えられ、また4人を組み合わせての見せ方など、よく工夫されていると感じた。かなりの力量を認める。
 全体で70分ほど。けっこう飽きずに見られたと思うが、「青い鳥」の根本的なメッセージを生かそうとしているのか、完全に解体してしまって、その不可能性といった、現代的メッセージを伝えようとしているのかが判然としなかった。後半、漱石の「文鳥」の朗読劇のようになってしまったのは残念だった。
 岡田は制作としてゲッコーパレードの立ち上げにかかわっているとのことだ。きちんとした台本にとりくみ、まず役者としての力量を高めたい、というようなことを芝居がはねたあと話していた。方向性としては間違ってはいないだろう。
 何やら蕨の方に根城となるような場所も見つけたらしい。「目的ではなく人の集まりこそがパレードのように活動や表現を形成していく」というのが設立宣言のようだ。まだまだ混沌としているというが実際だろうが、前途を期待もするし、応援したい。
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by yassall | 2015-12-05 19:55 | 日誌 | Comments(0)

紅葉2015⑤花園神社

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 新宿に出る用があったので花園神社に立ち寄ってみた。ビルの谷間にあるような神社だから、もともと紅葉は期待していなかったが、せっかくだからアップする。
 ところで、家に帰ってから気がついたのだが、シャッターを切った瞬間に鳥居のすき間をカラスがくぐり抜けたらしい。鳥居…、カラス…、今日これから見に行く芝居の演目は「鳥の本」なのである。
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 写真を撮るだけでは何なのでいちおう本殿に参拝する。
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 花園神社の三連額である。内藤新宿の総鎮守としての花園稲荷の歴史は古いのであるらしいが、雷電神社、大鳥神社を合祀したのは大正・昭和になってからということだ。
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 見ごたえがあったのはこの一本かな。
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 日陰になっているところはやはり色づきがよくない。赤と黄の色のとりあわせはいいのだが。
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 藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑は坂を下りた目立たない場所にひっそりと建っている。
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 街中の街路樹も少しずつ色づいている。ただ、風の強い日が数日続くと、たちまち裸木にされてしまうから、見ごろを迎えられかどうかは分からない。

 GM5+12-32mm



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by yassall | 2015-12-05 19:01 | 散歩 | Comments(2)