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伊藤一雄『池袋西口 戦後の匂い』合同フォレスト

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 先日、高校時代の同期会があった。5年前にも一度開かれているのだが、高校時代に親しくしていたSの姿がなかった。おそらく転居先不明のままになっているのだろうと思い、今回は幹事を買って出てくれているKに頼んで案内状を送ってもらった。
 Sは千葉に職と家族を得て引っ越してしまった。年賀状のやりとりだけはしていたのだが、会うのは35年ぶりくらいになるのではないだろろうか? そのSからこの本のことを教えてもらったのである。
 奥付をみると、著者は1950年生まれ、池袋第五小学校卒業。新宿区職員として勤務したとあるが、退職が2006年だから定年までは勤めなかったのだろう。その後、東京都自治体問題研究所理事、都留文科大学非常勤講師を経て、現在文教大学非常勤講師などを勤めているという。
 そのような経歴がどう関連しているのかは分からないが、本書の基になったのは私家本として出された『池五の界隈』なのだという。成り立ちとしては池袋第五小学校の同窓生に向けて書かれたものらしく、書きぶりもそんな感じである。Sとは小中学校で同期だったという。
 池袋は豊島区、私が生まれ育ったのは隣の板橋区である。だが、東上線の始発駅である池袋には子どもの頃からなじんできたし、書かれていることには強い同時代意識を感じる。
 小学生のころ、東上線に乗って池袋に近づいてくると見えて来たのがマンモスプールである。ローラースケート場にもなっていて、友人に誘われ、親に内緒で出かけていったことがある。家に帰ったあと、どうしたわけかバレてしまい、こっぴどく叱られた。この本にも出て来て、「不良が多く集まる場所」なので「子どもだけで行ってはいけません」というシドウが当時あったそうだ。
 やはり完全な(?)地元民というわけではないから、どこそこの通りを抜けると○○さんの庭先に出た、というような話にはついて行けないし、西口の東武デパートの隣りに東横デパートがあったのは記憶にあるが、建設中のことまでは知らない。
 その東横も、東口の西武デパートの隣りで、今はパルコになってしまった丸物ももうない。三越も山田電気になってしまった。
 喫茶店「ネスパ」なんて名前が出てくるともう懐かしくてたまらない。山之口貘がよく通ったという沖縄酒場「おもろ」はまだ健在で、同期会の帰りにもSともう一人を誘って立ち寄った。
 本屋では芳林堂の名前が出てくるが、芳林堂もコミックセンターを残して撤退してしまった。古書店では、西口の八勝堂や夏目書店は建物も建て替えてまだまだ健在だが、東口駅前にあった古書店(※)はとっくに無くなってしまった。
 ※店名を失念していたのだが、そこで購入した本の裏表紙にシールが貼ってあったのが見つかった。盛明堂書店である。
 東口では新栄堂が老舗だったが、ジュンク堂ができた後に閉店してしまった。新栄堂の並びではキンカ堂も長くまでがんばっていて、演劇部の小物の調達に出かけたりしていたが、これも撤退してしまった。
 この本には出てこないが、吉岡実の日記を読んでいると、よく池袋のことが出てくる。窓の外から巣鴨刑務所(現在のサンシャイン)が見えた、などと書かれているから、この近くに住んでいた時期があったのかも知れない。新栄堂の地下に喫茶店があり、吉岡実が誰かと待ち合わせをしたようなことが書いてあったような記憶がある。喫茶店といえば、現在の東急ハンズの向かいにあった「コンサートホール」が無くなってしまったのは残念でならない。
 この本で、新宿と池袋を比較し、池袋は繁華街にあたる地域が狭く、すぐに住宅街と混在してしまう、と分析している。両方とも交通のターミナル(※)として発展してきた町ではあるが、確かに新宿の方が開かれたイメージがあり、池袋の方が閉ざされたイメージがある。だが、それだけに私などからするとわが町意識が高められるのである。
 ※付け足しだが、もともとこの地域のターミナル駅としての候補は板橋であったらしい。古くから知られた地名ということでは、新宿が甲州街道の宿場町なのだから、中山道側は板橋であって不思議はないのである。だが、地の利から池袋になったらしい、などということもこの本に書かれている。ああ、話が尽きない。
 ※付け足しの訂正と補足。明治、最初に鉄道敷設の拠点と考えられていたのは板橋ではなく目白だったということである。読み間違いだったわけだが、もっと面白いことが書いてあった。これは偶然であるらしいのだが、新宿も池袋も鎌倉古道に沿っているというのである。その鎌倉古道は板橋に抜けていく。すると板橋は中山道と鎌倉古道とがクロスする地点に位置していることになる。

伊藤一雄『池袋西口 戦後の匂い』合同フォレスト(2015)



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by yassall | 2015-10-30 15:47 | | Comments(6)

鳩山会館のバラ

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 鳩山会館へ行ってきた。有楽町線の江戸川橋駅から徒歩7分であるから交通の便はよい。これまで何となく敬遠してきたのは、名前から知れる通り、もともと鳩山一郎の屋敷として建てられ、鳩山一族の拠点であったからだ。
 戦時中は東条内閣を批判したり、戦後になって鳩山内閣時代に日ソ国交回復を実現し、シベリア抑留者の帰還に尽力したりと、その功績を全否定はできないのかも知れない。
 だが、保守合同によって自由民主党を創設、改憲論者として今にいたる改憲の流れの源流となった。原子力基本法を成立させたのも鳩山一郎だという。
 しかしまあ、興味があったのは建築とその庭園であるわけだし、孫の鳩山由紀夫(友起夫)についての評価は分かれるだろうが、現代政治に一石を投じたのは確かだ。
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 さて、音羽通りを歩いて行くと正門がある。地図でみると通りよりとけっこう奥まったところに位置しているのだが、そう見えた理由は門を入ってからのこの坂道であった。
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 坂道を登り切るとなぜか狸の置物が出迎える。政治家として何か自覚するところがあってのことだろうか?
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 振り返ると車寄せつきの表玄関がある。入場料600円を払って入館する。
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 屋敷内を通ってさっそく庭へ出てみる。鳩山邸は音羽御殿と呼ばれたそうだが、思ったよりこぢんまりしていて、そこのところは好感が持てる。丘の上とあって日当たりもよさそうである。
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 バラの見ごろとあったのが出かける動機のひとつであった。バラは鳩山一郎が好んだ花だという。
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 バラ園というほどの規模ではないがよく手入れされている。せっかくなので何枚かアップする。

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 青空がきれいだったので庭先から全景をもう1枚。屋上に並んでいるのは知恵の象徴であるミミズクの置物である。確かに一郎の父である鳩山和夫は、政治家でもあったが、東大教授・早稲田大学校長を歴任した学者でもあった。母春子も共立女子学園を創設した教育者である。
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 鳩山邸が建てられたのは大正13年。レンガ造りに見えるが実は鉄筋コンクリート造りだそうである。関東大震災の直後だが、特に2階部分の開口部が広いのは新しい建築方法の耐震性に対する信頼かららしい。
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 せっかくだから内部もみせてもらう。
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 2階の大広間は1995年の改築の際、3つの寝室をぶち抜いて多目的に使用可能にしたものだという。
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 ベランダからの眺め。本当に青空がきれいだ。
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 1階のサンルーム。家具も昔のままらしい。ここで鳩山一郎を尋ねてきた吉田茂と語らう写真が展示されていた。
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 帰る前にもう一度庭に出てみる。少し日射しが傾いて来たせいか、光が柔らかくなっていい感じである。
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 何枚も撮ったがアップするのはここまで。
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 内玄関。日常はこちらから出入りしていたのだろうか?
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 こちら側の意匠もなかなかである。
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 帰路は江戸川橋駅までもどって、ほど近いそば屋で遅い昼食を摂った。愛想は悪かったが蕎麦はまあまあだった。
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 神田川沿いに細長く連なっているのが江戸川公園。春には桜がきれいだという。その頃にでも折があったらまた来てみよう。

 GM5+12-32mm


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by yassall | 2015-10-28 16:15 | 散歩 | Comments(2)

田端文士村

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 用事があって外出した。午後がフリーになったので、そのまま東京散歩をしてみることにした。
 さて、どこへ行こうか? そういえば萩原朔太郎の全集未収録の書簡が発見されたとかで、田端文士村記念館で展示中という新聞記事があったのを思い出した。24歳年下の女流歌人森房子に宛てたものとある。詩人としての朔太郎は高く評価しているが、少なくとも生活人としての朔太郎は信頼していない。「文学上の交際」などというのも、意識の奥の方までははかりがたい。
 そんなわけで、詩人の手紙そのものにはたいして興味はなかったのだが、田端文士村にはいつか行ってみたいと思っていたので、池袋から山手線に乗り換え、田端まで出かけていった。
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 南口から出て北口に向かうと東台橋に出る。
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 橋といっても川が流れているわけではない。橋の上から見おろすと太い幹線道路が走っている。右側が田端駅北口、左奥が田端文士村記念館である。
 記念館は入場無料。展示スペースはこぢんまりしているが、学芸員だろうか、受付の男性がていねいに応対してくれて気持ちがいい。文士村散策の案内もしてもらう。
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 といっても、1945年4月13日の空襲で一帯は焼け野原になってしまい、芸術家や文士たちが居住した跡はまったく残っていないそうだ。
 ただ、地形そのものは大きくは変化していない。記念館を出ると登り坂になっている。江戸坂と名がついているが、先ほどの駅前といい、東京がいくつかの台地がせり出した地形になっていて、けっして平坦ではないことを実感する。
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 登り坂の跡は下り坂である。坂を下りたあたりに大龍寺がある。
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 大龍寺に正岡子規の墓がある。
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 山門左手には「子規居士墓所」との石碑が建っている。
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 墓石は3つ並んでいて、「子規居士之墓」の右に母「正岡八重墓」、左に「正岡氏累世之墓」がある。
 墓の写真はアップしないが、左側には生前自ら選んだ墓碑銘碑がある。昭和9年、33回忌に銅板で作られた最初の墓碑銘は盗難にあったため、その後石に刻み直されたものだという。
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 室生犀星、菊池寛、平塚らいてう、林芙美子、堀辰雄、滝井孝作と、田端に縁のある作家・芸術家は枚挙にいとまがないのだが、さきほど書いたようにその痕跡はどこにも残っていない。
 5つだけ掲示板が作成されているというので、芥川龍之介のだけ探してみた。なかなか見つからず、近所の人に聞いてやっと発見した。芥川の住居跡はこの坂を登った西だと書いてある。
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 どうやら、それがこのあたりらしいのだが、これも近所の方に教えてもらわなければ見当もつかなかっただろう。
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 最初に出た南口はひっそりした感じで、そのまま住宅街に出るような場所だった。
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 帰路は北口から。どうみてもこちらが表玄関。ところで今回初めて気がついたのだが、田端は23区でいうと北区になるのである。北区は私の住む板橋区のとなりだから、山手線に乗らなければならないというのはどうも不思議な感じがする。私が知る北区は赤羽であり、十条なのだ。今日の一番の発見だった。
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 これはおまけ。用事があって出かけたというのは下板橋だった。用を済ませたあと、JR板橋駅に出たついでに近藤勇の墓をみてきた。
 東京で文士村と呼ばれている地にもう一カ所馬込文士村がある。機会があったら行ってみようと思っている。

GM5+OL9-18mm




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by yassall | 2015-10-22 19:58 | 散歩 | Comments(2)

「卒塔婆小町」を見てきた

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 「卒塔婆小町」は三島由紀夫『近代能楽集』中の一編である。元国語教師でありながら能の世界とは疎遠だったし、ある時期から三島由紀夫も敬遠するようになった。見に行ったのは朝高演劇部の卒業生キナコこと広瀬和が出演しているからに他ならない。
 そんなわけなので、手持ちの日本文学全集から三島の巻を引っ張り出し、たまたま収録されていた原作に目を通してみたり、ネットであれこれ下調べをして出かけていった。
 失礼ながら他の方のブログ(「今この時&あの日あの時」)を引用させていただいて、最初にあらすじを紹介しておく。
 
 五つのベンチでは五組の男女が恍惚として相抱擁しています。にも関わらず一人のオジャマ虫老婆がのこのこやってきて、一組の男女を追い出し、中央のベンチを乗っ取り、新聞紙を広げながら拾ってきたモク(吸ガラ)を「ちゅうちゅうたこかいな…」と数え始めます。
 それを見ていた酔った若い詩人が近づいてきます。乞食老婆は一本のモクを与えながら、若い詩人の顔をジッとのぞき込み、「若いのに寿命はもう永くない。死相が出ている」と、縁起でもないことを言い放ちます。
 しかしそこは“腐っても詩人”、平然と受け流し、詩人はベンチで抱擁し合っている若い男女たちを「みんなお星様の高さまでのぼっているんだ」と賛美し、返す刀で「お婆さんが座っているベンチは卒塔婆みたいで、僕にはたまらないんだ」と言います。
 と老婆は、そんな根性だから甘ったるい売れない詩しか書けないんだとクサシながら、「あいつらは死んでいるんだ」「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と負けずに言い返すのです。
 俄然興味を覚えた詩人が聞いてみると、老婆は「99年生きている」といい、そして昔「小町」と呼ばれた女だと言うのです。そして続けて「私を美しいと云った男はみんな死んでしまった」とも言うのです。
 『こんな皺だらけの老婆を誰が美しいなどと言うもんか』と詩人は内心笑います。が構わず、老婆は80年前、参謀本部の深草少将が自分のところに百夜通いをしてきたこと、鹿鳴館のことなどを話します。
 そして舞台急転。深草少将のちょうど満願となる百日目の夜の鹿鳴館に。
 詩人は老婆に促されて一緒にワルツを踊ると、若い男女が老婆の周りに集まってきて、口々に小町の美貌を褒めそやすのです。
 何という幻惑か、公園での皺だらけの老婆ではなく、今や深草少将になりきった詩人もまた小町に皺一つない類い稀れな美しさをそこに見たのです。詩人はなおもワルツを躍りながら、「それを言ったら命がないわ」という小町(老婆)の制止も聞かず、「君は美しい」という禁句を言ってしまったのです。
 「僕は又きっと君に会うだろう。百年もすれば、おんなじところで…」
 詩人絶命。
 「もう百年 !」と老婆が言うや、舞台は元の公園に。
 息絶えた詩人は警官たちに運ばれ、皺だらけの老婆は、またモクの数を数え始めるのでした。
  

 老いさらばえた小野小町と深草少将を中心とする衰老落魄譚である点は元になった謡曲「卒塔婆小町」と共通しているのだが、回想されるのは鹿鳴館時代であったり、深草少将は参謀本部に勤務する将校であったりと設定に異同がある。鹿鳴館時代に参謀本部?という疑問が湧く(※)が、もう何段階かの時代のねじれが隠されているのかも知れない。
 原作では冒頭のト書きに「オペレッタ風の極めて俗悪且つ常套的な舞台」とあるが、三島は何をもって「俗悪」としたのだろうか? 鹿鳴館的な西欧崇拝か、明治100年の現代か?
 ※その後に知ったこととして、いわゆる鹿鳴館時代は明治10年代後半であるのに対し、それ以前の参謀局から参謀本部が置かれたのが明治11年ということなので、時代的には整合している。

 さて、そんなことを考えるでもなく会場に入ったのだが、照明を落とした舞台にはやや大きめに作られた木製のベンチが林立するかのように立てられ、薄いブルーのゼラを入れたスポットに照らされている。原作では舞台は公園で、ベンチが5つとあるので、ベンチそのものは予想していたのだが、横倒しにされているとは思いもよらなかった。見立ては墓のようでもあり、演出的には役者を一時的に見えなくする働きを与えているのだが、シンプルながら期待感をそそる舞台美術だ。床面はやや光沢のある黒タイルのようだが、能舞台の本舞台や橋掛かりを思わせるような組み方になっている。
 小町役は小沢寿美恵。詩人役は文学座から神野崇を客演として招いたようだが、小沢他は劇団昴の劇団員である。ただ、主催は小沢寿美恵朗読の会となっており、リーフレットには「舞台生活60年の小沢寿美恵は、心身共に円熟の秋を迎え今まさに、30年来の宿願を果たそうとしている」とあり、また会場であるサイスタジオ主宰者の吉田悦子が統括責任者となっているので、別格として企画されたのかも知れない。
 白髪に襤褸をまとった小沢が登場すると、そのいでたちにも拘わらず威厳すら感じさせる存在感に、ああこの女優のために企画された舞台なのね、と素直に納得させられる。老婆のしわがれた声から鹿鳴館で脚光をあびる小町の若やいだ声まで、その使い分けはみごとというしかない。
 というわけで、役者を見るのに夢中で、この芝居からどのような主題を受け取るべきかまでは思考の整理はついていないのだが、冒頭と同様に小町が数を数えながらラストとなるところに、何か暗示的なものを感じた。
 「もう百年」を待たなければならない小町は、結局は時間の中に置かれた存在である。深草少将は100年後にほんの一瞬姿を顕せばいい。「美しかった」一瞬を過ぎてしまった小町は、時の流れを数え、やがて来る「ある時」を待たなければならない。それは人生そのものかも知れない。
 このような芝居であるから、キナコの役どころも夜の公園で乳繰り合う恋人であったり、鹿鳴館でワルツを踊る夜会服(なかなか似合っていた)の貴婦人であったりする。つまりはまだまだこれから、というところだが、来春早々の舞台出演も決まっているという。せっかく踏み入れた道であるのなら、どんどん大きくなっていって欲しいものである。


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by yassall | 2015-10-18 00:13 | 日誌 | Comments(0)