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私もいました! 8.30国会10万人集会

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 戦争法案廃棄!安倍政権退陣!8.30国会10万人全国100万人大行動!に参加して来ました。
 1時間余裕をみて家を出たものの、つい池袋で寄り道をしてしまったのがいけなかったのか、永田町駅のホームに降りたときから身動きもならない状況でした。国会前の1,2番出口は封鎖、大回りをして4番出口から出ようとしてもこの混雑ぶり。地上に出てから国会裏の議員会館側までがやっとでした。
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 交差点付近で顔見知りの人に会えたこともあり、今日は正門付近まで近づくのは断念。それでも、あとからあとから人が集まって来ます。若者たちや子ども連れの参加者が多いのが特徴的だと思いました。
 以下は朝日新聞社の撮影による正門前の様子です。国会10万人全国100万人とありますが、地元でも集会が催されました。どちらにいてもよかったのでしょうが、ともかくその一人でいられました。
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by yassall | 2015-08-30 17:45 | 日誌 | Comments(0)

村瀬守保写真展へ行って来た

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 川越市立美術館で開催中の村瀬守保写真展『平和をねがう一兵士が残したもの』へ行って来ました。
 村瀬守保さんのことは先に紹介したとおりです。今回の写真展の開催にいたる経過は会場で配られたプリントに詳しく書かれていました。昨年、奥さんの村瀬あやさんが104歳で亡くなったあと、桐の箱に大切に保存されていたネガフィルムが見つかったことが発端であったとのことです。
 軍の機密にかかわることも多いことから、村瀬さんが部隊の半公認のカメラマンのように自由に写真が撮れたこと自体が奇跡のようですが、ネガフィルムが劣化もせずに残されていたことも奇跡のようです。(それらのネガはデジタル化されて複数の機関・施設に寄贈・保管されたとのことです。)
 兵士たちの暮らしや行軍の様子、中国の街や人々の姿が写し撮られていますが、盧溝橋や南京の写真は歴史の証人として今日の歴史修正主義者たちの企みを打ち砕くものです。
 この貴重な写真も、この写真展のような機会に公開されなければ、結局歴史の闇の中に埋もれてしまいます。その意味で、写真展の開催にたずさわった実行委員会の人々に敬意を表したいと思います。
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 ところで①の写真で小さな裁断器を使っているのが若き日の村瀬さんなのですが、この写真をみたお孫さんが「これ、家にある!」といって写真展が始まってから持って来てくれたそうです。パネルの左側のがそうなのですが、下にアップした写真を貼り付けておきます。
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 川越市立美術館まで足を運んだのは2007年に川越で開催された関東地区学校図書館研究大会以来でしょうか。城下町特有の入り組んだ道路が大型バスも乗り入れられるよう整備されて、観光都市化がますます進んでいることを実感しました。
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 村瀬守保写真展 ~8月23日(日)まで

by yassall | 2015-08-14 15:42 | 日誌 | Comments(0)

つい一言 2015.8

 有事の際、邦人を乗せた米艦を自衛隊が防護するために集団的自衛権を行使するのだと説明されたとき、米艦が日本人を優先的に保護しようとするのだろうか(作戦中ならなおさらのこと)、その米艦は米軍の護衛なしに裸の状態で航行するだろうか、と誰しもが疑問に思った。
 そして、昨日の参院特別委で中谷防衛相は、米艦防護をめぐり、邦人が乗っているかどうかは「絶対的なものではない」と述べたという。
 紛争国の邦人保護、ホルムズ海峡の機雷除去、参院に移ってからは中国の脅威と、行き当たりばったりに理由づけをしてきたあげく、ここまで破綻しながら、なお「審議が熟したら採決」するというのだろうか?
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015082702000119.html

 安倍首相の『戦後70年談話』が発表された。昨日あたりで、国内外の評価も出そろったが、誰が、どのように評価しているかをみれば、だいたいの位置づけは分かろうというものだ。
 長年、小論文指導などをして来た立場からすると、とにかく文章がギクシャクしていて、どこに主旨があるのか分かりにくい。「主語がどこにあるのかが不明だ」というのは多くの人が指摘するところ。「謝罪」したいんだか、したくないんだか、どっちつかずだし、戦争責任を感じているんだか、「経済ブロック」を敷いた側を責めているんだか、つまりどこを読むかによってどうとでも解釈(あるいは言い逃れ)出来るようになっている。
 文章作法の基本にしたがえば、結論はたいがい文末に置く。すると、もっとも強調したかったことは、主義・主張を同じくする国々(アメリカ)と「世界平和」のために共同して(集団的自衛権を行使して)行動することを宣言することにあったのではないだろうか?(8月17日)

 不覚にも昨日は気付かなかったが、川内原発の再稼働を11日としたのは偶然ではなかったに違いない。国民世論に真っ向から挑みかかってくる底知れない悪意のようなものを感じる。(8月12日)

 避難計画も不十分なまま、九電は川内原発を再稼働させた。多くの人々の不安や反対の声を押し切ることで、突破口を切り開きたかったのかも知れない。
 今年は例年以上の猛暑続きだというのに、再生エネルギーの普及と国民の節電意識によって、電力不足はまったく心配ないという。とってつけたような、さまざまな口実は白々しい。(経済性などといっているが、九電は東電のような巨大な負債をかかえたら、という可能性を考えなかったのだろうか?)
 結局、「原発の稼働中は巨大噴火は起きない」からはじまって、根拠としているのは新たな「安全神話」でしかない。こういうのを「反知性主義」というのだろう。人間の理性をかなぐり捨てているとしか思えない。
理性によるのでなければ、頼るのは力だけだ。聞けば川内原発の正門は多数の警察官とガードマンに固められているとのことだ。それほどまでに力を誇示して、何を最終目標としているのだろうか?
 もしかすると、このまま破滅にまで突っ走ろうとしているのだろうか? ちょうど70年前に原爆を投下されて終わった戦争のように。(8月11日)

 「ひょんなことから本音発言」「表面的・形式的な謝罪」「誰も責任とらず」「皆が忘れるのを待つ」の4つが繰り返し行われている。(小沢一郎)
 磯崎、武藤と続いた暴言について小沢一郎氏がそう指摘したという。だが、大西発言などをたどっていると「皆が忘れる暇もなく」が正しい。政権側の多数を頼んだ傲慢さと、なのにすんなり前へ進めない焦りの表れだろう。(8月5日)

 SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の活動に「『だって戦争に行きたくないじゃん』という極端な利己的考え」と難癖をつけた武藤貴也議員(自民)に対する批判が高まっているという。
 そこで、twitterでは意を尽くせなかったと、「世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、日本に課せられた義務であり、正義の要請だ」と説明を加えたのだそうだ。
 つまり、この人はアフガン戦争もイラン戦争も、「平和を構築」するための戦争だったといいたいのだろう。だが、雨あられと投下されたミサイルや爆弾の下に「平和」があっただろうか? いよいよ手詰まりになってアメリカ軍が撤退したあと、「平和」は訪れたのだろうか?
 どんな人物なのだろうと、Wikipediaで調べてみると、東京外語大・京大院で学んだ秀才であるとのことだ。だが、どのような戦争も「平和」や「正義」の衣をまとって始まることも理解できないようなこの知性の乏しさはなんだろう。
 SEALDsの諸君は「自分だけは戦争に行きたくない」などと言っているのではない。家族も友人も戦場に送りたくない、殺されるのも嫌だし、人を殺すのも嫌だ、と言っているのである。どちらに「平和」と「正義」があり、知性にまさっているかは自ずから明らかである。
 それにしても、このところの自民党の暴走ぶりは度が過ぎている。口ぶりがまるで戦争前夜である。「ジョニーよ、銃を取れ」は第1次大戦時の志願兵募集の宣伝文句である。(8月4日)
by yassall | 2015-08-11 14:33 | つい一言 | Comments(0)