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村瀬守保写真展 8月11日~23日

平和をねがう一兵士が残したもの
8月11日(火)~23日(日)
川越市立美術館 市民ギャラリー

 川越の知人が開催のお知らせをくれたのでブログにアップする。
 村瀬さんの略歴は下記の通りだが、戦後はさまざまな会社を設立、川越では水道関連の埼玉設備工業(株)の社長をつとめられていた。職場の近くだったので、お話を聞く機会は数回を数えるくらいだったが、よくお姿をお見かけした。亡くなったあとも奥様がご健在で、文化祭で展示するために写真パネルをお借りしにいったことなど、懐かしく思い出す。

【村瀬守保さん略歴】
 1909年12月、文京区に生まれる。1937(昭和12)年に召集され、輜重兵、補充兵、二等兵として、天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルビンと、中国各地を約2年半にわたって転戦した。その間、カメラ2台を持ち、中隊全員の写真を撮ることで非公式の写真班として認められ、約3000枚の写真を撮影した。日本兵の日常を克明に記録するとともに、南京事件にも立ち会い、戦争の実相をリアルに伝えるそれら写真は、他に例を見ない貴重な資料として、さまざまな写真集などに採用されている。1988年7月没。78歳。

【著書】
『私の従軍中国戦線―村瀬守保写真集 一兵士が写した戦場の記録』日本機関紙出版センター(1987) ※新版あり

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by yassall | 2015-07-23 12:18 | お知らせ | Comments(2)

劇団昴ザ・サード・ステージ IN 萬劇場を観てきた

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 演劇部OGのキナコこと広瀬和は、JOKO演劇学校を修了した後、1年間の見習い(?)期間をへて、劇団昴の準劇団員として残ることになった。今回の舞台が、研修生としてではない、初めての舞台ということになるのだろうか? 案内をもらったので、大塚の萬劇場まで出かけて来た。
 催し名は「萬劇場ショートストーリーコレクションVol.4 夏の短編集」で、7つの劇団が競い合う形式をとった、萬劇場の自主企画であるということだ。
 1団体30分以内で芝居をもちより、組み合わせを変えながら、1ステージで3本が上演される。劇団昴ザ・サード・ステージは9ステージ中7回、かつオープニングと最終公演に割り当てられているから、企画の中心にすえられているのは確かだろう。
 演目はルシール・フレッチャー作『あれ?番号、間違えました?ウフッ❤』。ちょっと内容は紹介しづらいが、故意に電話を混線させたり、架空の通話を差し挟んだりすることで、横暴な上司を懲らしめていく。というと痛快譚のように聞こえるが、その上司が次第に心理的に追いつめられていく様子を、プラスチックのパイプやスズランテープを使って表現していくという、不条理劇的な要素が盛り込まれている。
 科白が多い役、少ない役とあるが、上司役の主人公を11人(だったか?)が入れ替わり、立ち替わり、あるいは集団で取り囲んで、混乱させたり、自由を奪っていったりする。キナコはその中の一人であるわけだが、けっこう激しい動きでありながら、きちんとタイミングを合わせたり、距離感をつかんだりするのに稽古のあとがみえた。まだまだたくさんの科白はもらえていないが、研修生時代にみえた固さがとれ、表情が生き生きとしていたことが一番だと思った。
 他の2本は、艶∞ポリスの『ねえ、嘘でしょ。』と立体再生ロロネッツ『ナーナ☆ガールダッシュ!』。前者はアイロニカルな味付けの、後者はエネルギッシュな動きが売りの芝居とみたが、個々の役者には光るものが散見されるものの、若さが先に立っていたり、役者の力量がバラバラなようだった。
 さてキナコであるが、リーフレットの「今後の活動」欄によると、このあとも出演機会が続くようだ。役者としての存在感を増すことができるように励んでもらいたいと思っている。

[追記]
 少し早めに家を出て上野・不忍池に寄った。昨年に続いて蓮を撮ろうという魂胆だったが、昨日までの台風の影響か、今年はまだ開花が悪いのか、あまり満足のいく写真は撮れなかった。写真の整理をする気になったら、そのうち何枚かアップするかも知れない。



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by yassall | 2015-07-18 19:37 | 日誌 | Comments(0)

NHKスペシャル取材班『福島第一原発事故 7つの謎』講談社現代新書

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 四国電力の伊方原発が新しい「規制基準」を満たしているとする審査書を、原子力規制委員会が正式決定した(7月15日)。
 写真でみても、同原発は険しい半島部に設置されており、ひとたび事故が発生したときには、避難にしても救援にしても容易ではないことは以前から指摘されていた。
 そして、新聞報道に「新たに必要となった配管など1300カ所の補強工事は今秋までかかる」とあるのを見て、「ああ、配管」と考え込んでしまったのは『福島第一原発事故 7つの謎』を読んだからである。
 本のことはnatsuさんのブログで知り、これは自分も読まなければなるまいと思ったのだが、かなり細かい専門的な技術に関する記述や、精緻な実験データを読み解いていく構成になっているので、読み進めることは容易ではなかった。だが、読み終えたあと、原発問題を考えていくとき、これは貴重な一冊だということは確かにいえると思った。

 事故発生当時、よくテレビで顔をみた東電の武藤副社長は、原子力の安全研究で有名なカルフォルニア大バークレー校に派遣された、「安全への意識も、技術的な能力も兼ね備えた立派な本部長だった」のだという。現在の東電の原子力部門のトップである姉川原子力・立地本部長へのインタビューでは、「その武藤さんが本部長でも事故を防げなかった。」「”できの悪い本部長だからダメだった”という結論だったら今後の原子力安全を考えることはそれほど難しくはない」として、事故の根深さを告白している。
 これは「人」の問題だが、本書を読むと今日の「原発技術」全体に対していえることであると思った。つまり、これだけの事態を想定し、これだけの対策を立て、これだけの技術を投入しても、なお事故を回避することは出来なかったこと、そればかりか、その対策や技術がかえって裏目に出たことによって、事故の収束を困難にしていることが明らかにされている。

 大地震が発生すると、原子炉内では燃料棒の間に制御棒が挿入され、核分裂が停止する安全装置が備わっている。そこまではよく知られている。福島でもスクラムは作動している。(テレビでそのことが報道されたとき、「ああ、原発は無事だったんだな」と安心したことを記憶している。)
 だが、地震発生とともに外部電源が、続いて押し寄せた津波によって非常用電源が失われたことによって、原子炉の冷却に失敗した。そのことがこの事故の本質であると思われて来たし、基本的には正しいと今もいえるだろう。
 ところがである。原発にはIC・RCICという、原子炉から発生する蒸気を利用することで、電源がなくても作動する冷却装置が備わっていたというのである。
 1号機にはICが備えられており、一度は確かに作動をはじめている。ところが津波によって非常用電源が失われたときに停止してしまった。電源がなくても作動するはずなのになぜ?ということだが、実はこれも放射性物質が外部に漏れ出ることを防ぐために、異常の際には自動的に配管の弁を閉じるフェールクローズという安全設計によるものだった。ICにつながる弁はレバーによって制御室から開放することができるのだが、計器類のいっさいがダウンしている状況下で、開閉弁の状態がどうなっているか確かめようがなかったというのである。
 ICが作動するとIC排気口から激しく水蒸気が噴きだす。これを見誤った背景には、40年間一度も実際にICを作動させた訓練を行ってこなかったことがある。アメリカでは定期的に実施しているとのことだが、周辺住民に対する配慮などから日本では行われて来なかったという。ここにも事故の深層がある。(RCICの問題点は2号機にあらわれている。)

 ベントに関連しては、放射性物質を含む気体をサプチャンの冷却水に吹き込むことによって、放出前に99.9%の放射性物質を除去できることが実験モデルでは成功している。だが、実際には高温高圧状態になったサプチャンにはその能力はなかった。
 つまり、「机上の空論」ならぬ、机上の「理論」あるいは実験室での「データ」は、さまざまな物理的・人的要素が複雑に絡み合った事故現場では通用しなかったということなのである。ましてや、複数基の、それぞれに状況の異なった、同時進行する事故に対処することは、その原発の運転に熟知したたベテランの職員・作業員をもってしても不可能であったのである。

 当時のことを思い出してみると、消防車や自衛隊のヘリを使って、原子炉建屋に大量の水を注ぎ込んでいた光景がありありと目に浮かんでくる。
 東電の技術側では効果が疑われる注水より、電源の復旧を急ぎたかったらしい。その作業をストップしても注水が続けられたのは、東電側と政府側の相互不信や情報の錯綜、さらには国内外に向けての目に見えるパフォーマンスの必要といった要因があったと分析している。
 結果として、消防車の9気圧程度の水は高圧に達した原子炉には到達しなかったらしいこと、別ルートの配管からタービン建屋の復水器に流れ込んでしまったこと、さらには放出された放射能の75%が注水を続けていた期間に集中していることなどがリアルに暴き出されている。

 事故への対策本部となった重要免震棟も、消防車の配置も、柏崎刈羽原発事故の教訓から生まれたものであるという。消防車は当初は火災への対応のためであり、もちろん原子炉への注水を目的としたものではない。
 今日の規制委員会の「規制基準」と「審査」には福島原発事故の教訓が生かされているのだろうか? 本書では『7つの謎』に迫るとしているが、実際には「謎」が「謎」を生んでいるというのが本当のところであり、現場は今なお高濃度の放射能に汚染されていて、近づいて確かめることも出来ない。
 それどころか、福島原発事故がこの段階で「止まった」のが、単なる偶然によるものでしかなかったことが、つぎつぎに明らかになっているのだ。
 結局は、「あんなことは滅多に起きない」「誰かがどうにかする」という安全神話と無責任の体系が、再稼働に拍車をかけようとしているとしか思えない。
 「世界最高の安全基準」という呪文をとりあえず信じてみよう、という人にこそ、読んでもらいたい本だと思った。

NHKスペシャル『メルトダウン』取材班『福島第一原発事故 7つの謎』講談社現代新書(2015.2)


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by yassall | 2015-07-16 19:48 | | Comments(0)

「西遊伝~香川の妖怪」を見てきた

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 演劇部OGのドゴンまたはレッドこと乙部亜紀奈が出演しているというので出かけて来た。小屋は新中野から徒歩5分のStudioNOVである。
 5月にも町田の市民劇団「ここ」の出演情報があったが、あいにく所用があって行けなかった。OBOGの舞台には声がかかるうちは可能な限り出かけようと思っているのだが、2度続けて行けないことが重なると、お誘いの案内もためらうことになってしまうかも知れない。まあ、そんな心配をしたわけではないが、久しぶりに顔をみたいとも思ったわけである。
 今回で劇団三遊会も第5回公演になるのだそうだ。どのような経緯で結成されたのか詳らかではないのだが、団長の吉川沙緒梨と何人かは別にして、まだどこか素人臭さのにおう、女性ばかりの劇団である。とはいえ、配役の妙もあって、その分だけ若やいだ舞台となった、といえるだろう。エンタメに徹して、何かのメッセージを伝えてくるというのではないのだが、その気楽さがねらいなのかも知れない。
 レッドはどうやってこの劇団とつながったのだろう、チラシにはオーディション開催のことが書いてあったが、どこかで知ってオーディションを受けたのだろうか、特別な人脈があったのだろうか。
 仕事を持ちながら市民劇団で活動するというのはいいスタンスだ、と思っていたが、舞台が跳ねたあとの会話では、どうもそれ以上の決意がレッドにはあったようである。
 今回のレッドの役どころは敵役である混世大魔王の手下、青鬼の蒼である。こうした役をもらったときは、どれくらい吹っ切れるかがカギなのだろう。殺陣もあるから、身体のキレも取り戻さなくてはならない。
 板の上が懐かしくて恋しくて、その表情には舞台に戻って来られた喜びが感じられたが、プロとなるからには自分の楽しみではなく、観客を楽しませる存在にならなくてはいけないのである。
 
 
 

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by yassall | 2015-07-13 16:25 | 日誌 | Comments(0)

埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」総会・学習会に参加してきました

 7月5日、埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」総会・学習会がさいたま市民会館うらわで開催されました。
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 第二部の学習会では、沖縄から宮城達さん(沖縄県教職員組合那覇支部)を招き、講演「日本の未来を切り拓くオール沖縄の闘い~戦争法案阻止の最前線からの報告~」がおこなわれました。
 宮城さんは16ページに及ぶレジュメと、今話題の「琉球新報」「沖縄タイムス」からの切り抜きをふんだんに盛り込んだ29ページの資料集を用意して下さり、学習会は期待した以上に充実したものとなりました。
 1995年10月21日の少女暴行事件抗議のための宜野湾市海浜公園8.5万人集会にはじまる「オール沖縄」前史からはじまり、2013年1月28日の沖縄県の全市町村長、全市町村議会議長と全党派代表、財界・労働団体代表が署名・捺印した『建白書』に結実していく壮大な闘いのお話はまさしく圧巻でした。
 「オール沖縄」は「さまざまな運動体が一つにまとまった」という程度の段階ではなく、たとえば沖縄県のバス協会が集会の成功のために無料バスを提供する、という、県民・政財界一体の、文字通りの沖縄あげての運動となったのです。知事選、衆院選、そして辺野古基地建設反対の運動が、一朝一夕につくられたのではない、ぶ厚く強固な闘いの歴史に立っていることを知らされました。
 「命どぅ宝」「イチャリバチョーデー(出合えば兄弟)」という沖縄の非武の文化は憲法9条と通じるものであり、「復帰闘争の中で世界一の軍事力を誇る米軍に対峙し、非暴力の抵抗闘争として現実化したこと、それは今なお辺野古新基地阻止の闘争の現場で三線も登場する等に貫徹されている」(仲山忠克・沖縄革新懇代表世話人)というお話の紹介は印象的でした。
 戦争法制反対の闘いも、「戦争づくりの『法的基盤が戦争法制』であれば、『物質的基盤が沖縄基地・辺野古新基地」という認識ではじまっているとのことでした。
 当日は前後も含めてさまざまなとりくみと重なってしまったこと、また事前の宣伝不足もあってもうひとつ参加が広がらなかったのが、残念というより惜しい気持ちがしました。


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by yassall | 2015-07-07 18:00 | 日誌 | Comments(0)

つい一言 2015.7

 反原発コメンテーターを「個別撃破」 大西議員、エネ庁幹部に要求(東京新聞7月30日夕刊)
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015073002000254.html
 「マスコミ懲らしめ」論で物議をかもした大西議員がまたもや暴言騒ぎを起こしたらしい。「安保法制」審議の最中とはいえ、「個別撃破」とは意識はもはや戦闘モードだ。確信犯というべきか、ただのお調子者というべきか、ともかくこうした人物が権力の座にあることが最も危険だ。言論を封殺し、反対意見を許さず、「行けるところまで行ってしまえ!」では付き合わされる国民がたまったものではない。(7月30日)

 政府が説明不足であるとか、国民の理解が不十分だ、とかいっているのではない。我々は「不同意」であるといっているのである。(7月20日)

 新国立競技場建設が白紙にもどった。遅きに失したとはいえ、あのままゴリ押しされるよりは遙かにましだ。それにしても、支持率の回復のためとはいえ、つい数日前の「これしかない」などの発言から、みごとに手のひら返しをやってのけたものだ。
 さて、国会での答弁としての発言だったのだから、当然責任をとらなければならないと誰でもが思う。森喜朗東京オリンピック組織委員会会長はインタビューに答えて「責任は文部科学相にある」とし、ラグビーW杯ともからんだ自らの責任は棚上げした。ところが下村文相は、「建設費の高騰については誰に責任があったか、はっきりさせなくてはならない」と発言。えっ?と思ってよくよく話を聞いてみると、やはりご本人には何の責任もないというふうである。
 衆院での「安保法案」強行採決にあたって、自民党議員の一人が、「そのうち国民は忘れてしまう」と発言したと伝えられている。どうやら、政権担当者たる与党の意識は国民に対してその程度の評価であるらしい。だが、誰もがつい2、3日前の発言すら忘れてしまうほどの健忘症であるはずがない。むしろ、その無責任の体系を見破っていくだけだ。(7月18日)

 「安保法制」が野党の抗議や退席の中、衆院特別委で強行採決された。安倍首相本人が認めるとおり、国民の理解が深まるどころか、国会審議がすすめばすすむほど、反対の世論が広まっていく最中であった。これ以上、反対世論が高まらないうちに採決に持ち込んでしまった、というのが本当のところだろう。
  ※
 このところ、戦後史に関連した本を読んでいる。自分が生きた時代、ということでいえば、戦後史という観点は切り離せない。
 戦後史は当然「敗戦後史」であるから本来は「栄光」の歴史ではない。沖縄の翁長知事がしばしば強調する「沖縄は一度たりとも自ら基地を提供したことはない」ということばの重みを、日本国民はしっかりと考えてみる必要がある。
 そうした中で、憲法九条に象徴される「平和国家」建設を国民の大多数が承認し、国づくりの柱としてきたことは誇っていいことだった。
 与党単独による強行採決という場面は、これまでにも何回も見てきた。しかし、今日の採決ほど日本の進路を大きく変えてしまう予感に満ちたものはなかった。それは数少ない自分たちの誇りを捨て去ることを強制されたのといっしょだった。
  ※
 しかし、絶望してはいられないのである。
 まず、このまま世論を押さえ込むことが出来るという政府・与党の目算は外れないだろうか?
 反対運動・抗議行動には、これまで政治的関心に薄いとされて来た若者たちも次々に立ち上がっている。こうした動きは最近になってにわかに起こったものではない。2年前の「特定秘密保護法」のときから、さらにさかのぼれば東日本大震災と福島原発事故に直面したことで、危険な時代の流れを敏感に感じ取ったことによるのではないか。
 「特定秘密保護法」が施行されてしまったから反対運動が終息してしまった、というのではなく、確かな水脈として残り、しかもさらに太く、大きな流れとして成長してきている。
 今、日本が大きく変わっていこうとしているというなら、政府・与党が変えてしまおうとするベクトルとは違った方向に変わっていく力も働きはじめているのではないか? きっと、何度でも立ち上がるしぶとさで。(7月15日)


 与党自民党・公明党が「安保法制」の採決を決めた。60年安保では6月15日が特別な日となった。まだまだ流動的ではあるが、7月15日も日本の戦後史で特別な日として記憶されることになるのかも知れない。
 そんなわけで、焦点は「安保法制」にあるのだが、もうひとつ私が腹が立ってならないのは「国立競技場」問題である。
 つい最近飛び出したのは、「デザインが決まったのは民主党政権時代」という責任転化論である。「政権を取り返して何年になるの?」あるいは「政権をとってからひっくり返したものはどれくらいあるの?」といいたい。すぐにでも思いつくのは、「30年代までに原発ゼロ」方針である。
 「ここまで来たら行くしかない!」つまりは「毒食らわば皿まで!」は、「勢い」のあるうちに「成り行きまかせ」にすすんでしまえ!」という心性のあらわれである。かかる極右冒険主義に、日本はおのが運命をもう一度ゆだねることになるのだろうか!?(7月15日)

 安倍内閣に対する支持率が急落しているという。最大の要因は年金情報の流出問題、さらに2020年東京オリンピックにからんだ国立競技場問題があるのではないかとにらんでいる。
 本当は「安保法制」(戦争法制)のゴリ押し、九電・川内原発の再稼働の強行に、もっともっと国民の目が注がれていかなければならないのだが、年金の先行きや税金の使い道のような日常の問題からの距離が大きすぎるのか、運動の高まりは確かにあるのだが、もうひとつ浸透しきれないでいるような焦りを感じる。
 だが、やすやすと年金情報の流出させてしまったようなセキュリティの甘さで、さらには施工の実現性や予算の捻出が疑問視されている国立競技場の建設計画のような見通しの甘さで、本当に戦争法制を整備したり、原発を再稼働させていいものだろうか?
 昨夜の「報道ステーション」で、コメンテーターの立野氏が「立ち止まってみること」の重要性を訴えていた。
 「いきおい」や「はずみ」でことを運んでしまう日本人の精神構造については、かつて丸山真男がアジア・太平洋戦争に対する反省から厳しく指摘したところだ。
 「戦争法制」、「原発」に限らない。マイナンバー制にしたって、リニア新幹線にしたって、どうしても「立ち止まってみること」が必要だと思うし、それらをすすめようとしている政府・財界にそれが望めないならば、国民が「立ち止まらせる」ために立ち上がることが必要なのではないだろうか。(7月8日)

 自民党の勉強会に端を発した報道威圧問題で、朝日デジタルが西田亮介・立命館大学特別招聘准教授(情報社会論)の話として以下を紹介している。

 「政治とメディアの関係性は変化している。自民党は戦後、メディアと協調体制をとって言論を統制しようとしてきたが、最近は露骨な「圧力」が目立ってきた。ネットを介して有権者に直接訴えられる時代になり、2000年代から力を入れてきたマーケティングやPRが選挙などで実を結んできたことが背景にある。いまや発信力に長(た)けた政治のメディア戦略が、メディアの権力監視機能を上回っている。勉強会の発言への批判が燃え広がったのはたまたまで、内容は目新しくない。メディアは政治の戦術を読み解き、環境の変化に対応して取材、報道手法の見直しを進めてほしい。」

 ちょうど『日本の反知性主義』(晶文社)を読んでいるところなので話はよくわかる。たくみな情報戦略を立て、国民世論を操作できると考えている。メディアが真実を伝えようとするなら、それは敵視や抑圧の対象でしかない。
 しかし、「何となくよさそう」とか、反対に「狼が来るぞ」とかのムードを作りさえすれば、大衆はたやすく操作できるという発想は、国民に対する軽侮から始まっているのではないか。
 「デマ」宣伝も露骨になっている。沖縄の反基地闘争では「中国共産党員の工作員が暗躍している」とか、慰霊祭での安倍首相に対するヤジは「動員」によるヤラセだとかいうものである。国会議員自ら発して恥じないところに知性の劣化を感じざるを得ないが、これも「デマ」の常道で、ときに手を変え品を変えしながら「繰り返し」戦法をとっている。(7月2日)


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by yassall | 2015-07-01 01:22 | つい一言 | Comments(0)