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5.31オール埼玉総行動に参加して来た

 9条こわすな・戦争させない!!集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を求める5.31オール埼玉総行動に参加して来た。
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 主催は集団的自衛権を行使容認した閣議決定撤回を求めるオール埼玉総行動実行委員会。後援に埼玉弁護士会、幹事団体の筆頭に生活協同組合連合会を置いたのでわかるように、党派を超えた文字通りのオール埼玉をめざして取り組まれた。
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 会場は北浦和公園。北浦和駅を降りたときから身動きもままならない人混みだった。ようやく公園入口までたどりついても、なかなか中へ入れない。
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 参加者は1万人を超えたとの発表であったが、事務局は控えめすぎたのではないのか? 集会は10:30~11:30、その後三隊に分かれてパレードに移ったのだが、公園を出るまでに1時間待ちだったのだから、実際にはもっと大勢いたのではないだろうか?
 オール総行動は沖縄にならったのだろう。沖縄のたたかいに刺激されて、オール埼玉総行動が実現した。この運動が全国に広がっていけばいいと思った。


by yassall | 2015-05-31 16:04 | 日誌 | Comments(0)

竹田城・備中松山城・姫路城

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 竹田城の名をいつごろ知ったのかは忘れてしまったが、天空の山城とのキャッチコピーを聞いて、いつか行って見たいと思っていた。たまたま1名1室のツアーの募集がクラブツーリズムであったので、23、24日の日程で出かけて来た。
 集合は羽田に朝6:40。プランの段階では出発の時間帯に幅があり、もう少し遅い便になる可能性もあったのだが、どうやら早めの便を押さえたようだ。5:15発の東上線に乗れば間に合うのだが、3:00に起き出して準備する。どうも年をとると、起きてすぐ行動というわけにはいかないのだ。家内の片付けもあるし。
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 大阪・伊丹空港8:35到着。バスで竹田城に向かう。竹田市に入ってから、マイクロバスに乗り換え、八合目まではバスで登ることが出来る。
 そこから約800mの山道を徒歩で上がる。最初のうちは舗装された道路を、しかしかなりの急坂を息を切らしながら登っていく。写真はそろそろ大手門跡に近いころなのだが、まあこれくらいでなければ要害とはならないのだろう。
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 ようやく大手門跡にたどりつく。
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 竹田城というと、雲海に浮かぶ曲輪の威容がよく写真になって紹介されている。そのときの気象条件に左右されるのだろうし、おそらくはごく稀に早朝にみられる景観であるのだろう。第一、城趾に立ってしまったら全景をカメラに収めることは不可能であるのは最初から分かっていたことである。
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 だが、櫓跡の石垣の多くが立入禁止になっていて、南北400m東西100mという縄張り全体を見渡せる位置からの撮影が出来なかったのはやはり残念だった。
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 竹田城をロケ地にした映画は数々あるらしいが、「あなたへ」で高倉健が立っていたのはここです、などとガイドの人が教えてくれる。田中裕子が野外コンサートで立っていたあたりは、やはり立入禁止になっていた。特別に許可を受けたのだろう。
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 そうこうしているうちに南二の丸に出てしまう。 
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 もう一度振り返って別れを惜しむ。
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 市街を見おろす。
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 城内は一方通行。帰り道はいかにも秘密の抜け道という感じだった。
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 帰路のバス車中から。初めて通りすぎたら何があるか分からなかっただろう。頂上左手の松が目印である。
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 宿泊は岡山シティホテル。飛行機が早便だったせいか、16:00には到着してしまう。後楽園に入るのは時間的に無理があるだろうが、岡山城を遠望してみようと街中へ出てみた。ところが、地図の見方を誤ってしまって、逆方向へ行ってしまった。かなり歩いてからようやく気がついて引き返したが、もともと駅からかなり離れたホテルだったので、もう一度向かう気力を取り戻すことが出来なかった。マンホールの蓋はいかにも岡山らしいとスナップしたもので、決して悔し紛れではない。
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 さて、今回のツアーのお目当ては何といっても竹田城であったのだが、他の見学地も思わぬ拾いものという気がした。
 2日目の午前中は備中松山城。やはり八合目付近まで専用バスに乗り換えて登り、あとは徒歩で700mほど上がるのだが、今回は最初から写真のような山道である。
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 途中、石垣が見えてくるのだが、中太鼓丸櫓跡であって、まだ頂上ではない。
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 ようやく大手門虎口に到着する。黄色い法被を着ている人物は麓から同行してくれたガイドの方である。60歳で定年を迎え、町おこしの手伝いが出来ればと、ふるさとにUターンして来たとのことだ。
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 天然の岩盤を利用した石垣が荒々しくも威容を誇っている。
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 三の丸にあがる道はけっこう広々としている。
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 三の丸の曲輪。
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 二の丸への階段を上がる。
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 二の丸から本丸と天守閣を望む。備中松山城は山城としてはもっとも標高の高い位置に天守閣を残しているところに特徴があるとのことである。
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 小ぶりながら姿もなかなか美しい。
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 天守閣から本丸・二の丸を見おろしたところ。やはり、それほど広くはない。
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 天守閣を降り、さらに奥の方に向かう。
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 天守閣と並んで残されている二重櫓。こちらも堂々たる構えである。
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 戦乱の世は遠く去り、静かなたたずまいである。今は樹木に覆われているが、戦国期には城の建つ山の斜面の木は伐採されていたとのことである。
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 高梁市は石垣で整備された田畑や疎水が美しい町であった。屯田によるものだとの説明だった。
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 さて、ツアーの最後は姫路城である。姫路城は機会があって8年前に再訪したことがあり、その後修復に入ったこともあって、そのときが見納めというつもりだった。そんなこともあり、それほど期待していなかったのだが、間近にするとやはり世界文化遺産の名に恥じないと実感した。
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 出発前の天気予報では2日目の午後は雨だった。それがごらんのような青空である。最近では天気予報が外れるのは珍しくなってしまったが、これだけ大外れになると何やら痛快である。しかも、普通なら願っても得られない青と白とのコントラストである。
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 修復後の姫路城は、「白鷺城」ならぬ「白すぎ城」などと、その化粧直しには賛否両論があるが、8年前の私の印象は「もとが白壁だけに、ずいぶん汚れが目立つなあ」というものだった。今回は庇の裏までピカピカで、まさに洗い立てという感じだった。
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 石垣も雑草や苔をクリーニングしたのだろう。[カメラ談義・デジカメ事始め②2014.7.17]にアップした8年前の写真と比べてみるとよく分かる。
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 西の丸の方角から。屋根の白さは漆喰によるもので、いつまでも「白すぎ」を維持できるというものではないらしい。つまり、これはこれで「今しかない」姫路城なのである。
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 三の丸の広場から。帰路に入ってからも、振り返ってはシャッターを押すという具合だった。
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 大手門・桜橋を望む。内堀も実にゆったりとしている。

 OM-D E-M5+12-50mm、9-18mm LF1
 
 ※本文でふれたように2日目の午後は雨という天気予報であったので機材はE-M5を選択した。旅カメラとしての防塵・防滴仕様の安心感は絶大である(実際は土砂降りになってしまえば撮影そのものをあきらめるしかないのだから、まず通常の仕様のカメラでも十分なのだが。)
 そうなると気になって来たのが後継機として新発売されたE-M5MARKⅡ+14-150mmのキットである。これ一台というときに、35mm換算24mm始まりか、300mm望遠までか、というのは悩みどころである。
 今のところの結論としては、やはり24mm始まりだなあ、というのが正解だと思うのだが、今回いつになくもう少し望遠側が欲しいと感じた場面が何回かあったのである。それをカバーするためにLF1をサブカメラとして携行しているのだが、どうしても1/1.7インチが頼りなく思えてしまうときがあるのだ。
 とはいえ、光線条件さえよければ絵として4/3と遜色ないとも感じるし、コンパクトでなければサブカメラとして携行しきれないとも考える。ちなみに1、6、11枚目の写真がLF1である。色味の違いは仕方がない。(この部分、カメラ談義)


 つぎのURLをクリックするとより鮮明な画像を見ることが出来ます。(アップされていない他の写真を含んでいる場合もあります。)サムネイル(一覧)から写真を選択してクリックした後、右クリックでオリジナル画像を表示したりダウンロードすることが出来ます。(詳しくは[お知らせ]→[dropboxによる写真の公開について]をご覧下さい。)
https://www.dropbox.com/sh/5kb5tdur4tbloq9/AAC20pq5xTsV73rCidUDgf5Ta?dl=0

 

by yassall | 2015-05-29 20:32 | 風景 | Comments(0)

平和とは

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 23、24日の日程で竹田城・備中松山城・姫路城をめぐるツアーに参加してきた。退職し、せっかくフリーになったのに、なぜ土日に旅行?ということについてはいつか書くことがあるかも知れない。いつもの撮影旅行で、写真の整理はこれからだが、先んじて一枚だけアップする。
 訪れた三カ所のうち、ユネスコ世界遺産に登録されているということもあり、平成の大修理を終えたばかりということもあり、やはり姫路城がたいへんな賑わいであった。だが、その観光客の誰もが気にもとめないような石碑が、三の丸広場の一隅に建立されている。
 調べてみると、姫路城に歩兵第十連隊が置かれたのは明治7年であるとのことだ。今は碑銘に名を残すばかりになったその石組に、白猫がながながと寝そべっている。
 平和とは何か? 姫路城もまた軍事施設として建設された。近代になっても陸軍の重要施設として利用された。それらが遠い記憶の中に封じ込められ、世界中から観光客がつどい、野良猫が昼寝をむさぼっている。その封印のとかれる日があってはならないと思ったのである。


 

by yassall | 2015-05-26 01:47 | 雑感 | Comments(2)

今年も塩らっきょう

 埴谷雄高が存命のころ、ある雑誌のインタビューで「あなたの好物は?」という問いに、「塩」と答えていたのを印象的に覚えている。
 「塩」が人間の生命維持にとって不可欠であるのはもちろんだが、もし「塩」のような命のないものだけを食べ物にして生きて行けたとしたら、人間観はずいぶん違ったものになるだろう。まず、「人類は万物の霊長」などと気負ってみる必要がなくなる気がする。
 と、持って回った話題から入ってしまったが、今年も塩らっきょうのシーズンとなった、という話なのである。
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 2年前から始めたのだが、今年は鹿児島産の砂付きらっきょうが出ていたので、泥落としからの漬け込みに挑戦してみることにした。
 包丁であたまとしっぽを切り、洗い桶に入れて泥を落とし、甘皮を剥いていく。ひとつひとつやるしかないから、少なくともすべての個体に2度は触れることになる。
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 洗い終わったらっきょうをザルに入れ、水切りのためにしばらくそのままにしておく。かれこれ一時間半の作業である。
 らっきょうが届いたのが先週の水曜日。その日のうちに下ごしらえをして、その後、昨年と同じように200gにつき大さじ一杯強の塩をまぶし、タッパウエアに詰めていく。
 今週の月曜から食べ始めたのだが、もう少しシッポの部分を切り込んでもよかったかな、というのが反省点。いやなに、一度やってみれば次の年につながるのだ。
 このあと、たぶん鳥取産のらっきょうも出荷されるだろう。今年も見落とさずに注文して、食べ比べてみるつもりである。その折にはまたアップする。


by yassall | 2015-05-20 16:18 | 日誌 | Comments(0)

ユトリロとヴァラドン 母と子の物語展

 12日、「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語展」へ行って来た。

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 ヴァラドンがユトリロを生んだのは18歳のときであった。ユトリロの実父が誰か不明であるのと同じように、ヴァラドンも貧しい洗濯女の私生児であった。
 パリに移り、サーカスのブランコ乗りになるが負傷し、10代後半から絵画のモデルとなる。彼女をモデルとした画家たちにはルノワールやロートレックがいる。彼らからの影響や励ましによって自身も画家をめざすようになった。
 母の奔放な性格のため、祖母に預けられて育つうち、ユトリロは若くして精神に深い痛手を負うようになる。彼が絵筆を執ったのはアルコール依存症の治療のためである。精神科医のすすめによるものだった。

 ここで母と子のあいだに何があったかを詳しく振り返ることはしない。母を喪ったあと、ユトリロは自宅に礼拝堂をかまえ、一日中祈りに暮れる日々が多くなったという。息子にとっての母、母にとっての息子がどのような存在であったかは、それぞれの心の内側に入り込んでみなくては分かるまい。

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 ヴァラドン、ユトリロの作品がそれぞれ40点ほど展示されていた。ヴァラドンはドガによってデッサン力を絶賛されたというが、私には見て取れなかった。むしろ、大胆なデフォルメによって、対象を特徴的に捉えているところに引きつけられた。もう一つ特徴として感じたのは、色彩の大胆さである。ゴーギャンに近いものを感じた。
 ヴァラドンは、ユトリロの数少ない友人でユトリロより3歳年下のユッテルと、2度目の結婚をした。息子にはショックだったろうが、ヴァラドンの絵はそのころから急速に良くなっていく。力強い描線を特徴とするというが、確かに人物を描くにあたっても真正面から対象に当たっている、という感想を持った。相手の強い視線に対しても、いささかもひるんだり、たじろいだりするところがないのである。
 一方のユトリロだが、私がはじめてユトリロに引きつけられたのは小学校の美術の教科書に載っていた絵によってだった。確か「コタン小路」だったと思う。パリの下町の、石の街並みにあふれる異国情緒と、どこか既視感とともにあるノスタルジアとの不思議な融合といったらいいだろうか。
 ユトリロの絵をこんなにたくさん見るのは初めてだったが、絵は下手だと思った。最初、母親は息子の絵の才能を認めなかったというのは分かる気がする。デッサンにも遠近法にも狂いが甚だしい。人物も後ろ姿ばかりだ。
 だが、ユトリロ自身もそれを描こうとしたのではないかと思うのが、先に述べた不思議なノスタルジアが漂い、その歪な描線もときとして彼の震える魂を表現しているとも思われた。
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(母ヴァラドンと少年時代のユトリロ)


by yassall | 2015-05-13 19:09 | 日誌 | Comments(0)

バラの季節

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 知る人ぞ知るであるが、わが町にバラ屋敷と呼ばれる家がある。元はもっと広い庭に別荘風の家屋という、近所でも珍しいハイカラなお宅だったのだが、家の建て替えにあたって敷地の半分くらいを分譲し、それにともなってバラ園も縮小してしまった。
 植え替えのせいか、バラの開花もあまりよくなかったのだが、近年になって回復しだし、季節のころはたくさんの人が立ち止まってはバラに見入っている。
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 新宿に出た帰り道、カメラを持っていることを思い出し、何枚か写真を撮らせてもらった。
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 もちろん無断でであるが、他にも2、3人、カメラやスマホを構えている人がいた。屋敷内の庭にもガーデンチェアをしつらえた小バラ園が造作されているのだが、当然のことながらそちらにはカメラは向けない。
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 桜のつぎはツツジだなあ、と思っているうちに、今年はすでに盛りを過ぎてしまった。バラはいつ頃まで私たちの目を楽しませてくれることだろうか。
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by yassall | 2015-05-13 01:23 | 散歩 | Comments(0)

コピスみよし2015/第14回高校演劇フェスティバル スタートです!!

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 5月9日、コピスみよし2015/第14回高校演劇フェスティバルの出演校打ち合わせ会・会場下見が開かれました。
 出演校、協力校の部員たち、実行委員、ホールスタッフが一同に会するところから、毎年コピスみよし/高校演劇フェスティバルがスタートします。
 内容は実施計画についての説明、今後のスケジュールの確認、ホールスタッフからのレクチャーやアドバイスといった、上演にこぎつけるまでに聞き逃してはならないことばかりことですが、それ以上に「これから始まるんだ!」という気持ちの高まりを持ちかえるのが今日の集まりの大切な目標でしょう。
 現役を退いて早5年目、実行委員の末席に置いていただいている身ですが、私もそうした高揚感の一片を分けてもらったような気がしました。
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 舞台機構についての全体説明のあと、舞台、照明、音響に分かれてのパート別説明会。レクチャーに聞き入る顔つきも真剣です。自分たちのイメージ、ああしたい、こうしたいを率直にぶつけてみると、親身にアドバイスをしてくれるのがコピスのスタッフの方々です。
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 当日は完成したチラシも配布されました。裏面には無料バス、ライフバスの時刻表も掲載されています。


by yassall | 2015-05-10 16:53 | お知らせ | Comments(2)

三渓園点描

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 晴天に恵まれた今年の連休、どこにもお出かけしないのもと、横浜・三渓園まで行って来た。
 三渓園は、明治・大正の横浜の実業家・原三渓(本名富太郎)によって造園された。広さは175000㎡(5300坪)、正門を入ると広々とした大池が眼前にあらわれる。
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 大池の岸辺には藤棚が設けられていたり、菖蒲が花を咲かせていたりする。遊歩道を挟むようにして蓮池や睡蓮池が掘られているが、広々感は損なわれていない。
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 臨春閣。紀州徳川家初代藩主頼宣の別荘で数寄屋風書院造りによる。三渓は古建築を収集し、自分の日本庭園に移築した。
 そう言ってしまうと成金趣味ということになりかねないが、製糸・生糸貿易で財をなしたというところがいかにも明治だし、その財を文化財保護にあてたところも明治人の気概だったともいえる。
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 大型連休中ということで臨春閣の内部が特別に公開されていた。
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 珍しい卍型の天井。こうした意匠が数寄屋造りの真骨頂なのだろう。
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 三渓園は谷間を挟んで大きく内苑と外苑に分かれる。内苑は三渓の私邸だったエリア。丘を登ったところにも建築群がある。写真は月華殿。京都・伏見城にあった大名来城の際の控え所だったといわれる。
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 細い小川が小さな滝を落としている。水の音というのは心の安らぎとなるものだ。
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 聴秋閣は二条城内にあったとのこと。
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 意匠を凝らした屋根のかたちが美しい。
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 丘を降りて臨春閣の前の小池を回ったところから。
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 外苑側を流れる小川。大池の水源となっている。三渓が偉かったところは外苑エリアを早くから一般公開したところである。造園に着手したのが明治35年、三渓園として無料で公開したのが明治39年(1906)とのことである。旧大名屋敷を私邸とした明治の富豪たちの庭園が一般公開されたのはせいぜい昭和に入ってから、多くは戦後になってからである。
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 三渓園のシンボルタワーである三重塔は廃寺だった京都・燈明寺のもの。さきほどは成金趣味などと悪態をついたが、三渓によって移築されなければそのまま朽ち果てていたかも知れないのである。
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 燈明寺本堂も移築されている。丘の上から見おろすと立派な大屋根である。
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 大池にもどり、再び臨春閣を望む。

 以前から一度行って見ようと思いながら、なかなか重い腰を上げられなかったのは、決して交通の便がいいとはいえないからだ。
 そこで、連休中とはいえ、それほど混雑してはいないだろうと踏んでいたのだが、それでもけっこう観光客でにぎわっていた。
 外国人も多く訪れていたし、大正時代にタゴールが滞在していたことがあるからかどうかは分からないが、サリー姿の女性たちもいたりした。

 GM5+12-32mm

 ※付記
 三渓は「三径」のもじりではないかと思いついた。「三径」とは中国で庭に三筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた故事から、隠者の庭園や住居を指す。まあ、当てづっぽうだが、三渓園には三本の小径ならぬ、三筋の小川(渓谷)が設えてあった。


by yassall | 2015-05-06 17:20 | 散歩 | Comments(2)

平和といのちと人権を! 5.3憲法集会

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 5月3日は憲法記念日。横浜・臨港パークで開催された「平和といのちと人権を! 5.3憲法集会~戦争・原発・貧困・差別を許さない~」に参加して来ました。
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   今回の集会の目標でもあり、意義でもあるのは「大きな共同」。憲法改悪の動きがかつてなく活発化する中、危機意識の高まりを反映してのことでもあるし、一刻の猶予もならない課題でもあります。
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 「私は老人です。私がこんなにたくさんの方の前で話すのは、今日で最後でしょう。」などといわれると、ついカメラを大江健三郎氏に向けてしまいますが、呼びかけ人にはこれまであまり名を連ねなかったような人々も加わっています。
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 呼びかけ人のあいさつに続いて政党あいさつが民主党・共産党・社民党・生活の党と山本太郎となかまたちからありました。話を聞いていると、まだまだ隔たりは大きいようですが、現政権の暴走だけはストップさせなければならないという一点でだけでも「共同」は可能だし、力を発揮してもらいたいと思います。
 集団的自衛権の行使にかかわる「安保法制」が制定されようとしたり、その「安保法制」が国会で審議される前に、首相が「地球上のどこでもアメリカの戦争を支援する」ことを約束した日米ガイドラインを取り決めてきたりと、憲法の空洞化がすすめられています。これで憲法改悪を許したら、日本はいったいどこへ行ってしまうのか、本当に今、日本は危ういのだと思うのです。
 写真はまだ集会がはじまったばかりのころのもの。午後3時頃、集会参加者が3万人をこえたと発表されたころにはわずかのすき間も人で埋め尽くされました。


by yassall | 2015-05-03 20:06 | 日誌 | Comments(2)

桜2015⑩拾遺篇

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 桜2015①は前野であった。常楽院の桜を紹介したが、その2日後、別な用事で通りかかるとあたかも満開を迎えていた。
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 もう桜も時季外れになってしまったが、拾遺篇として何枚か貼り付けておく。
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 鐘楼を望む。 
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 ①の写真と比べてみて欲しい。
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 近くの見次公園でも。
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 街中でも。
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 団地の庭先では住民たちがさっそく花見のゴザを敷いていた。
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 これは翌日の4月1日。平和公園で。左隅の少女二人は竹馬に乗っている。
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 別な団地に付設された公園で。
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 この姿は来春までもう見られない。

 P330、D3300+18-55mm


by yassall | 2015-05-02 11:39 | 散歩 | Comments(0)