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紅葉の森林公園

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 今年も紅葉の森林公園を散策した。メンバーはいつものKさん、Jさんである。
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 2日続いた雨も上がり、野遊びには絶好の好天気である。
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 まだ道路はところどころ濡れているが、それがかえって落ち葉にも瑞々しさを添えている。
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 森が深いところでも、差し込む日射しとのコントラストが美しい。
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 南口から渓流広場まで歩き、テーブル席を借りて持ち寄りのビールやつまみを広げる。私はいつもの缶入りの菊水を並べる。実はこの時間が楽しみなようなものなのだが、そうこうしているうちに日も暮れかかり、カエデ園ではライトアップが始まる。
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 後の予定もあるので今回も三脚は持参せずじまいだったが、何枚かアップする。
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 だんだん宵闇が深まっていくのが分かるだろうか?
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 昨年より10日ほど遅く、盛りは過ぎたかと案じていたが、ライトアップは今年の方が映えている。
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 次の待ち合わせもあったのだが、なかなか去りがたい思いでシャッターを切り続ける。
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 今回の機材はX-E1。やはり16-55mmとの組み合わせは軽快である。Kさんはドットサイト式照準器を搭載したSTYLUS SP-100EEを持って来た。数日前に新調したばかりだという。バードウォッチングにうってつけの個性的なカメラだ。
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 アフターは東松山の焼きトン屋。次の待ち合わせとはSさんとここで合流するのである。今回はSさんが声をかけてKrさんも参加。昔話に花が咲いた。

 X-E1+16-55mm
 

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by yassall | 2014-11-28 14:40 | 散歩 | Comments(2)

ミレー展と六義園ライトアップ


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 3連休の初日、ミレー展を見に三菱1号館美術館まで出かけて来た。農民画家として名高いが、バルビゾン派らしく、風景画の充実した展覧会となった。「刈り入れ人たちの休息」を見たいと思って行く気になったのだが「羊飼いの娘」もよかった。
 さて、時間を見計らって有楽町をあとにし駒込へ。11月20日から六義園のライトアップがはじまっているのである。
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 紅葉の六義園を訪れるのは初めてなのだが、予想以上の人出だった。いつもは閉まっている駅側の染井門がこの時期だけ開放されているのだが、午後4時の時点で行列ができていた。せっかく開門していたのではあるが正門に回る。
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 明るいうちの紅葉はそれほででもなかったが、ライトアップが始まるとなかなか幻想的である。三脚も持って行かなかったので予想通り手ぶれ写真が多いが何枚かアップしてみる。夜景の中であるので人混みも闇に沈んでしまう。 
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 池泉に影を落とす風景と光のコントラストが美しい。

  RX100

 「ボストン美術館ミレー展」~1/12まで
 「六義園ライトアップ」  ~12/7まで


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by yassall | 2014-11-23 14:55 | 日誌 | Comments(3)

2014年埼玉県高校演劇中央発表会

 11月15・16日、第63回埼玉県高等学校演劇中央発表会が彩の国芸術劇場(写真)で開催された。
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 今年は1日目が卒業生の結婚式と重なってしまい、見にいくことができなかった(結婚式そのものはたいへん良い式であった)。また、家庭の事情から2日目も朝一番からは見に行けず、かろうじてラスト3校を残すところで駆けつけることができた。
 現役時代以上に精勤(?)するようになったのには三つ理由がある。一つ目は、地区大会の審査員を引き受けるようになり、自分が選んだ学校が県大会でどう評価されるか、応援も含めて見届ける必要があるように思ったこと。二つ目は古巣である西部A地区から選ばれた学校があればその応援、西部Aを破って選ばれた学校があったらどんな学校のどんな芝居であったのか、その確認。そして三つ目は気心の知れた人々との、いまや恒例となった大会終了後の懇親会である。
 とはいえ、私の役割は県大会への選出までであり、県大会でどのような芝居を上演するか、観客や審査員がどのように評価するかは私の手の離れたところでの問題である。いい意味でも悪い意味でも、地区大会と県大会とで芝居が変わってしまうことは往々にしてあることだし、むしろ地区大会で気づいた弱点を補うために手を入れ直して臨む学校の方が正統だろう。県大会では私はひとりの観客として高校演劇を楽しめばいいのだし、大会がはねたあとの懇親会にしたって、あれこれの論評はあるものの、みな芝居好きなのだなあ、ということが確認できればそれでいいのである。
 さて、今年の審査結果は次の通りであった。

 最優秀賞   亀尾佳宏・作「お葬式」  春日部女子高校
 優秀賞1席  コイケユタカ・作「D-パラダイム」  秩父農工科学高校
 優秀賞2席  亀尾佳宏作・作「ぽっくりさん」  所沢高校

 創作脚本賞  阿部哲也「いてふノ精蟲」  川越高校
 

 県大会に対するスタンスは先に述べたとおりだし、県大会の審査員を務められた方々の観点は尊重されなければならないのだから、結果について云々はしない。しかしながら、今年は少々釈然としないものが残ったのも確かなことだ。

 春日部女子高校についていえば、西部A地区を破って県大会に出場した学校が最優秀賞を射止めたわけだから、まずは本望と思うところである。
 だが、芸術劇場の大ホールに合わせて作り替えたという赤い大鳥居には最後まで違和感が残った(これだけの大鳥居を構えた神社がこうした子ども達の遊び場になるだろうか?)し、これもホールの大きさに負けまいとしてのことだろうが、会話の距離感なども広く空けすぎだと感じた。
 女の子の衣装が黒かったのは、いかにも祖父の葬式を抜けだしてきたことが分かり、正しい選択だと思った。だが、女の子が抜けだして来たのは「知らない人が大勢集まって」「みな嘘泣きしている」のにいたたまれなかったからではないだろうか? 幼いために人の死を理解できないでいる、というのではなく、大好きだった祖父の死を受け入れられないでいるからではないだろうか?
 その女の子が仲良し達とのお葬式ごっこを通じて、生きることの厳しさ、生命のはかなさといとおしさ、そして残された者たちが死んで行った者たちを弔うことの意味に気づいたとき、女の子は初めて祖父の死を受容するのである。
 観客にも応援されながら、のびのびと、さわやかに演じきった生徒たちに対する賞賛を惜しむわけではない。だが、そのせつなさの表現というところで、私は不十分さがあると思った。

 秩父農工科学高校が埼玉の高校演劇をリードする存在であることは誰しもが認めるところだろう。コイケユタカさんはその伝統を引き継ぐ覚悟を固めて秩父に居を移したのだと思う。これはたいへんな決意だったろうと感じ入ってしまう。
 秩父に移ってから、コイケユタカさんの書く芝居は変わったと思うし、また前任の若林先生の芝居とも明らかに異なっている。コイケユタカとしてグレードアップしようとしているのだろうと思うし、また新しいコイケユタカカラーを出そうとしているのだろうとも思う。それはとても大切なことだ、と思うのである。
 だが、それが十分に実を結んでいるかといえば、私にはまだまだ途上であるように思えるし、今回もそれを感じた(※)。
 情報を遮断された環境の中、不安から逃れるためのようにして、力で成員たちを服従させたリーダーが唱える「明るい未来!」を信じ込もうとしている、いわば自ら判断停止状態になった成員たちを待ち受けるのは破滅でしかない。…
 その危機を、殺処分されようとする犬たちと、その日その日を「ノリ」だけで生きることしか考えていない高校生たちとオーバーラップさせながら描こうとする。…
 審査員の方は「アクチュアリティの出し過ぎ」というようなことをおっしゃっていたが、私はそうした時代に対する敏感さや批判精神というものも演劇が担うべき大切な要素であると考えている。むしろ、私が不十分だと感じたのは、その追究が中途半端に終わってしまっていることだ。
 犬たちが積み込まれた荷台の中で起こるリーダーの地位の争奪の過程で、不安を訴え、力による支配に抵抗を試みた一匹、トラックが交通事故を起こした時、いち早く脱出を試みた一匹、それらの扱いや処理にもうひと工夫あれば、時代に風穴をあけるカウンターテーゼになり得たり、そうでなくとも重大な警告になり得たと思うのだが、十分には展開されずじまいであったり、別な方向へ流れていってしまったように感じた。反面、審査員の方は褒めていらしたが、吊りもののオブジェなどは意味不明で、さまざまなものを提示しながら、整理しきれていないものも感じた。
 (※「劇的」であることが先行して、せっかくのモチーフがきちんと追及されていかない、といったらいいのだろうか? 人をハッとさせるものを提示させながら、けっきょく「劇的」であるための手段としてつまみあげられただけなのね、と思わせてしまう。11/21の補足)
 ※コイケユタカさんの秩農芝居では、私は2年前の「青春リアル」がテーマも鮮明で構成的にも優れた作品であると思った。イジメの陰湿さや公開自殺という設定に疑問を投げかけた人も多かったし、私も見ていて辛さを感じたことは確かである。だが、生きていることにリアルさを失った現代青年が苦悩する姿、さまざまなあがきやハレーション、出口のなさに正面から向き合ったと思ったし、IT世界の描き方や、作詞作曲までこなしてしまうマルチな才能がいかんなく発揮されたと思った。

 肝心の両校の関係者がアクセスしてくれるかどうかも不明な中で、書きたい放題のことを書いてしまった。失礼なことがあったらおわびしたい。聞く耳を持っていていただければ幸いである。
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 もう一言いうと、既成台本にとりくむことの難しさである。創作台本と既成台本を同等に扱ってくれ、といわれるが、どうしても創作台本の方が新鮮味にまさってしまう。
 そこへいくと評価の定まった既成台本は、作品としての完成度は一定水準にあるものの、オリジナルにはどうしても敵わないところがあるし、よく上演できた過去の他の学校とも比較されてしまう。よほどの新しい切り口がないと、なかなか上へのぼっていくことは難しい。
 その意味で3本中の2本を、既成台本を選んだ学校から入賞させたことは、審査員の見識であるのかとも考えた。高校演劇が生んだ財産として引き継いでいくべき作品があることも確かなのである。
 創作脚本賞に関しては、今年は奨励賞は該当作なしということであった。そうしたなかで、阿部哲也さんの「いてふノ精蟲」が本賞を射止めたことは快挙だった。脚本分野での受賞ということだったが、演技も地区大会のときよりも数段レベルアップしていた。緞帳が降り始めるとととも客席から拍手が起こったが、その拍手の大きさがなによりも芝居の成果を物語っていた。
 筑波大坂戸高校の「赤と黄色とアルパカちゃん(仮)」は1日目で見られなかったのだが、批判精神としてのアクチュアリティという意味では十分に理解されなかったようなのは残念だった。入間向陽高校の「恋待駅」はぜひ見たと思っていたが、これも1日目なので見逃してしまった。
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 今年も与野本町駅前のミニバラ園には各種のバラが花開いていました。(赤色は色飽和を起こしがちなのだが、割とととのって写すことができた。)

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by yassall | 2014-11-17 13:51 | 高校演劇 | Comments(2)

鎌倉散歩

 13日、Yさんに誘われて鎌倉散歩に出かけて来た。鎌倉に転居されてから数年間は毎土日ごとに歩いて回ったというだけあって、私には鎌倉再発見の古寺巡りとなった。
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 最初に連れて行っていただいたのは海蔵寺である。駅から見ると鶴岡八幡宮の反対側になるわけだから、ここがスタートになることが一般観光客にはなかなかない。
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 海蔵寺の裏手である。山肌が迫る、鎌倉独特の地形である。境内の南の岩窟内には鎌倉時代に掘られたという十六井戸がある。内部は暗くて写真には収まらなかったが、中央に観音像を配し、信仰上の意味合いがあるらしい。
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 静かな、趣のある古寺であった。
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 観光客に七五三参りらしき人々も重なって、北鎌倉からの街道はたいへんな渋滞だった。八幡宮周辺には近づけなかった。写真は円覚寺である。
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 舎利殿内は座禅の妨げになるとのことで立入禁止。
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 鎌倉は紅葉はどうですか、と尋ねたところ、あまり、というお返事だった。温暖だからかなあ、という説明だった。
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 報国禅寺。本殿は屋根が改修中であったので脇の仏殿を。
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 裏手に回ると竹の寺とよばれる由来となった竹林が見事である。
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 こざっぱりした雰囲気のよい寺だった。人気があるのか、来訪者が途切れることがなかった。
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 この寺にも鎌倉の山肌が迫る。切り立った崖には横穴式の納骨窟または供養堂であるやぐらが見える。
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 さすが地元の方と感じ入ったのは、その報国禅寺の少し奥まったところにある旧華頂宮邸に案内されたときである。戦前の洋風建築としては鎌倉文学館にならぶ規模だという。
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 よく晴れた一日であったのだが、午後になって日が傾いてきたのと、鎌倉独特の地形があいまって明暗差が大きく、建築の魅力が伝えられるような写真にならない。
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 ならば、明暗差のない部分を切り取ってみる。う~ん。植木がハート型に刈り込まれているのに最初に気づいたのはYさんの方だった。
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 建物を被写体にするのは諦めて庭のバラを撮ってみる。このあたりで鎌倉散歩は早めに切り上げ、Y邸に招待されて日のある内からの酒宴となった。

 X-E1+16-50mm

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by yassall | 2014-11-14 16:22 | 散歩 | Comments(0)

ユートピアを求めて ロシア・アヴァンギャルド展

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 「ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」展を見に世田谷美術館まで出かけて来た。
 ロシア・アヴァンギャルドについては、20代だったか30代だったかの頃、かなり充実した美術展が開催されたことがある。(そのときのチラシもどこかにあるはずなのだが、探しても見つかりそうもない。※注)
 今回の企画展はデザイナーでもありポスターの蒐集家でもあった松本瑠樹氏のコレクションをもとにしており、内容としてはポスターに特化している。ただ、それだけに芸術運動としてのロシア・アヴァンギャルドが、どのような大衆的な広がりを持とうとしたかが明らかにされるような内容となっている。
 第1次世界大戦後に起こった芸術の革新運動はダダイズムにせよ、シュルレアリスムにせよ、西欧を中心として展開されたという印象が強い。とくにパリには多くの才能が集結した。
 だが、それと匹敵するような力強さでロシア・アヴァンギャルドは同時進行的に展開された。しかもそれは1917年のロシア革命がめざした社会主義建設の理想とともにあったことに特徴づけられる。そして、そこにロシア・アヴァンギャルドがたどった悲劇もあったのである。
 ロシア・アヴァンギャルドの担い手たちはロシア革命の成功に心血を注ごうとした人々でもあった。だが、ソビエト政府による経済政策の転換、スターリンの台頭、忍び寄る第2次世界大戦の影の中で、それらの前衛的かつ革新的な芸術運動は弾圧の対象となっていく。芸術家たちは粛正されたり、謎の死をとげたり、亡命を余儀なくされたりしていくのである。
 そうしてみると、これらのコレクションがこのように大量に残され、展示されていることが奇跡であるかのような思いがしてくる。ソビエト時代に一度否定され、ソビエト崩壊後もしばらくはロシアを滅亡に導いた芸術運動として否定され、再評価はずっと後になってからのことだったという。
 わずか10年間というその軌跡をたどってみると、モンタージュ技法などに前衛性を認めるものの、5カ年計画時代の政治ポスターなどは社会主義リアリズムとほぼ変わらない印象がある。考えてみれば、社会主義リアリズム自体も、その時代にあっては最先端をめざしたものであったのかも知れない。
 時代の先を行き過ぎ、大衆の理解と支持を得られなかったなど、ロシア・アヴァンギャルドの挫折の要因はさまざまで、一概にはいえない。
 それでも、現代にあってなお色褪せないものを感じたし、ユートピアに向かって溢れ出るような情熱をかたむけた夢の跡を見たように思ったのだった。

◎関連参考文献:亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』岩波新書(1996)
※亀山の本を再読して分かったのだが、私が見た「ロシア・アヴァンギャルド展」とは1982年・87年に池袋西武百貨店で開かれた「芸術と革命」展であった。そのどちらかかまでは記憶にないが、87年の方だったとすれば、まさにペレストロイカが提唱されたころのことである。 
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 まったく話題が異なるが、徳大寺有恒氏(74)が亡くなったとのことである。『間違いだらけのクルマ選び』を愛読していた時期があったし、『ぼくの日本自動車史』には氏の自動車への愛がにじみ出ていた。ご冥福を祈りたい。

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by yassall | 2014-11-08 20:05 | 日誌 | Comments(0)

森川義信「勾配」

 武蔵大文芸部のY先輩に会った。鎌倉に転居されてから20数年になるというお話だったから、もう四半世紀ぶりの再会となる。
 Yさんは経済学部の出身だから、長く実業界で活躍なされた方なのだが、会話がはじまるとまたたく間に文学青年Y先輩が現れ出て、本当に楽しいひとときを過ごすことが出来た。
 さて、そのYさんが一冊の詩集を持って来てくれた。母岩社版『森川義信詩集』である。Yさんの卒業にあたって、親しくさせていただいていた数人でプレゼントしたものを、大切に持っていて下さったのである。おそらくはMさんの発案だったと思うのだが、手にさせてもらうと扉裏に認められた寄せ書きの中に、確かに私が書いた1行もあった。
 奥付を見ると1971年12月20日発行とある。Yさんの卒業はその年の3月だったはずだから、卒業して1年ほどしてからのことだったのかも知れない。Yさんの手に渡ってから40年以上の時をへだてて詩集とも再会することになったわけだが、そのこと以上に森川の詩作品、とりわけ「勾配」に胸を突かれるものがあった。

 森川義信については鮎川信夫のところでもふれた。早稲田大学時代に鮎川らと第一次「荒地」を創刊、その後出兵し、ビルマで戦病死した。
 先日、鶴岡善久の『日本超現実主義詩論』(思潮社)を再読していたら、森川義信についてふれている箇所があったので書き写してみる。

 「森川義信は昭和17年8月13日ビルマで戦病死した。数え年25歳であった。彼の最期は妹尾隆彦が「カチン族の首かご」という著書のなかで描いている。妹尾の記述によると、半ば発狂しかけた森川は「原始林。澄んだ月。乳のような霧。文明を寄せつけぬ静寂。……いいなあ、この高原は……キミここに残り給え。日本軍のいなくなった後もキミが残るならボクも残る。そして二人とも原始人に戻ろう。……」と妹尾に話しかけながらその日のうちに気がふれて虚ろな眼をした廃人になってしまいまもなく死んだらしい。また黒田三郎の「荒地論」によれば、鮎川信夫の「死んだ男」という詩のなかの「M」とは森川義信がモデルであり、また彼は戦地へたつ時、鮎川にトーマス・マンの「魔の山」の最後の部分を最後の手紙だと思ってよみかえしてくれと走り書きをしていったという。マンの「魔の山」の最後の部分には、「生きているにしても倒れているにしても、お前の行手は暗い」ということばがある。」

 さらに鶴岡は、

 「森川義信にいたってはとくにシュルレアリスムとは直接のかかわりはほとんどない。しかしわが国のシュルレアリスムの詩の運動の流れが、北園、春山、山中ラインでうけつがれずに、滝口修造、富士原清一、楠田、森川といった詩人たちの手で進められてきたならば、わが国のシュルレアリスムやモダニズムの詩の運動がもっと本来的な姿で存在したのではないかとしきりに思われてならない。」

 と書き、その才能を惜しんでいる。

 「非望」とは辞書的には「分を越えた大きな望み」であるが、ここでは一切の「希望」の否定でありながら、それを「絶望」とは呼ぶまいという強い意志によって選択されたことばと解釈したい。
 「階段」を降りていった先にあるものはもちろん「死」であることだろう。自らの「死」は太陽と同じように何人も直視できないものだという(ラ・ロシュフコー)。だが、この詩において森川は、「はげしく一つのものに向か」うようにして、己れの「死」と対峙しているのである。そのようにして、現在の「生」を確認することによって、実は人間は「いくつもの道」を見いだせることを知っているかのように。
 してみると、「非望」とは避けがたい「死」=「絶望」を直視することによって、かえって「はげしく」も「たかだか」と「生」に向かおうとするという意味で、やはり大いなる希望ととるのが正しいのかも知れない。



    「勾配」

 非望のきはみ
 非望のいのち
 はげしく一つのものに向つて
 誰がこの階段をおりていつたか
 時空をこえて屹立する地平をのぞんで
 そこに立てば
 かきむしるやうに悲風はつんざき  
 季節はすでに終りであつた
 たかだかと欲望の精神に
 はたして時は  
 噴水や花を象眼し
 光彩の地平をもちあげたか
 清純なものばかりを打ちくだいて
 なにゆえにここまで来たのか
 だがみよ
 きびしく勾配に根をささへ
 ふとした流れの凹みから雑草のかげから
 いくつもの道ははじまつてゐるのだ


 森川の出身地、香川県観音寺市の生家前には、この「勾配」の詩句を刻んだ石碑が建てられているとのことである。また、『森川義信詩集』は国文社から出ている増補版が入手可能なようである。

 (もりかわよしのぶ、1918-1942)


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by yassall | 2014-11-06 00:17 | 詩・詩人 | Comments(0)

11月の散歩

船出の記憶
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 とある工場の敷地内に発見したモーターボート…。持ち主にとっては港に係留するより経済的かつ保守にも有利として保管場所としたのかも知れないが、風景としては何ともシュールである。エンジンが外されているが、目前の広場に向かって船出したがっているように見えた。

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by yassall | 2014-11-05 12:28 | 散歩 | Comments(2)

つい一言 2014.11

 関西電力は福井県・高浜原発1号機・2号機について、運転期間を40年を超えて延長することを目指し、特別点検(※)を行うと発表した。記者会見で八木社長は、「安全性の確保に必要な各種対策を実施するめどがついた」と述べたという。
 原発推進論者は「老朽化した火力発電所は、いつ止まるか分からず、危険だ」などといっている。老朽化ということでは、原発の方がよほど過酷な条件下で運転されている。つまりは「モトが取れる」まで使い倒したい、ということなのだろう。そのために「安全神話」をふりまり、また自らも信じ込もうとしている。それにしても選挙前に強気なことだ。国も、地元も反対はしないと踏んでいるに違いない。(11月27日)

 大阪市教職員組合(約4千人)が年に1度開く教育研究集会の会場として小学校を貸さなかった処分は不当として、市教組が市に計約620万円の賠償と処分の無効確認を求めた訴訟の判決が26日、大阪地裁であった。中垣内裁判長は約41万円の賠償を命令。市が学校を貸さない根拠とした労使関係条例の「労組活動へ便宜供与しない」とする条文に対し、「適用すれば団結権を侵害して違憲」との判断を示した。(朝日デジタル)
 教職員組合が大会や教研で学校を借用する時には、光熱水費にあたる金額は謝礼として支払う。当然のことである。県民の財産を不当に侵害はしていない。ニュースを聞いて、大阪ではそんなことまでしているのかと、むしろそのことに驚きとともに恐怖を感じる。教師に限らず、働くものの団結や向上のための自主活動を抑圧することで、誰が、どのような利益を得るというのか?(11月26日)

 本日、衆議院が解散した。
 冷静に考えてみれば、消費税の引き上げを先延ばしにしたので分かるとおり、①思うような経済成長を達成できず、今後の追及をかわすため、②選挙後に、さらに国民の生活と安全をおびやかすような政策をおしすすめるため、の二点が解散に踏み切った理由に違いない。
 「国民に信を問う」といえば一見アクティブのようであるが、一方で「何について信を問うかは政府が決める」と争点隠しのための煙幕も忘れない。
 (間違っても「消費税引き上げの延期は是か非か?」が争点だなどというすり替えは許されない!)
 どのような公約を掲げるのかは知らないが、「安全でない原発は再稼働させない」「原発に可能な限り依存しないエネルギー政策をすすめる」「聖域なき関税撤廃を前提とする限り、TPP交渉参加に反対」などの2年前の公約がどうなったかを、国民はもう忘れてしまっただろうなどと侮ってはいけない。
 これも戦略であろうが、よくぞこの年末に選挙をぶつけてきたな、と怒ってもはじまらない。この2年間の政治に対する審判と、これからの日本の進路を定める選挙として、重大な関心を払っていきたい。(11月21日)

 衆院の解散・総選挙を表明した安倍首相は、アベノミクスの成果を強調し、賃金も上がり、景気が好循環に入ったと強弁している。総選挙はそのアベノミクスを確固たるものにするためだ、などとうそぶいている。
 この2年間で暮らしはどうなっったか? 正規雇用の労働者数は22万人の減、かわって非正規雇用の労働者数は123万人増え、非正規雇用の割合は1.6ポイント上がって37.1%となった(総務省「労働力調査」)。年収200万円以下のワーキングプア人口は29万9千人増えて1119万9千人となった(国税庁「民間給与実態統計調査」)。
 これらを反映して実質個人消費は2兆1186億円の減となっている(内閣府「国民経済計算」)。いったい、どこの誰が成長や好景気を実感できているというのか?
 大型公共投資の結果、一部建設業などでは人手不足が生じ、建築費が高騰しているという。かえってそれが民間の設備投資を阻害しているという分析もある。
 どだい、実体経済がともなわないのに金融緩和を続けていても、新たなバブルを生じさせるだけではないのか? そうなれば株式を操作するなどして、「濡れ手に粟」をつかんだ一部の資産家に富が集中するだけで、格差はますます広がるだけだ。
 どうみてもアベノミクスの失敗を隠蔽するための総選挙としか思えないし、本気でこのまま無茶苦茶な「成長戦略」を続けて行けばいつか破綻がやってくるのは明らかだ。
 「高度経済成長の夢よ再び」から一刻も早く醒めて、低成長でも持続可能な社会をどう作るかが課題だと私は考える。(11月20日)

 昨日、衆議院の解散・総選挙が表明された。なぜ今解散?という疑問や、これから年末に向かおうという時節柄、関心が高まらないまま投票日を迎えてしまうことが懸念される。
 だが、この2年間を振り返ってみれば、今回の選挙の重大性は計り知れない。昨夜のNEWS23に出演した安倍首相は「国民に信を問う」と選挙の意義を訴えている。
 公約になかった特定秘密保護法を強行採決し、日本を再び「戦争ができる国」にすることに道を開く集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。選挙前には「安全でない原発は再稼働しないんです」といっていたのに、原発を「ベースロード電源」と位置づけ、再稼働をすすめようとしている。武器輸出三原則をなし崩しにし、原発の輸出ともども、「死の商人」の道を踏み出そうとしている。
 無関心であることは、これらに「信任」を与えてしまうことだ。選挙を終え、長期政権の座を与えてしまえば、その暴走は止まることをしないだろう。
 このブログを読んでくれている人にはさまざまな意見の方がおいでだろう。おのずから限度のあることをわきまえながら、やはり発言すべきは発言していかなければならないと思うのである。(11月19日)

 伊藤祐一郎鹿児島県知事は7日午後、九州電力川内原発について「原発再稼働を進める政府の方針を理解する」と述べ、再稼働に同意する考えを表明した。
 政府は「地元の同意」に、鹿児島県知事は「政府の責任」でと、責任をなすりつけ合ってきた結末である。
 「地元の同意」というが、地域住民の反対を押し切っての強行であったことは忘れないようにしないといけない。ひとたび過酷事故が発生したとき、その影響のおよぶ範囲を考えれば、だれが世界と未来世代に責任を負おうとしたかは歴然としている。(11月7日)

 川内原発の再稼働を前に、日本火山学会が、巨大噴火について原子力規制委員会の審査基準を見直すよう求める提言をまとめた(2日)。
 昨日の定例記者会見で、規制委員会の田中委員長は、「火山学会が今更のごとくそんなことを言うのは、私にとっては本意ではない」と述べ、「火山学会挙げて夜も寝ないで観測をして、国民のために頑張ってもらわないと困るんだよ」と不快感をあらわにしたという。
 いわゆる「逆ギレ」によって窮地を脱しようというのは良くある手だ(最近の安倍首相の国会答弁もしかりである)。だが、この人はつい1年ほど前には「規制委員会の審査というのはそんなに甘いものではない」とうそぶいていたのではなかったか?
 「不眠不休」で、などというのが非科学的だが、予知できないものはできないのだし、予知できたとしたって、噴火が起こる前に核燃料を運び出せるとは思えない。(前にも書いたように、ベースロード電源と位置づけた原発を停止出来るのかさえ疑わしい。)
 同記者会見では、その点を指摘され「『石棺』という方法もある」と述べたということだが、それこそ科学者の言説とは思えない。「石棺」はセメントで覆ってしまうだけだから耐用年数には限界がある。チェルノブイリでは30年を経て「石棺」をさらに覆う「石棺」を建造中である。セメントで固め、さらに溶岩流に覆われてしまったら、その後手の施しようもない。
 これらの妄言が飛び出すようでは、「安全神話」「安心神話」は始まる前から破綻してしまったという他ない。(11月6日)


 環境省が福島原発事故による健康影響について中間とりまとめ案を発表した(10月20日)。それによると、「被曝線量の上限値でも、健康影響をもたらす可能性は低い」とあるとのことである。
 避難生活を強いられ、生活の場であった故郷に帰れない状況が続いていることはともかくとして、健康に対する悪影響が最小限にとどめられたことが本当ならばそれに越したことはない。そうでなければ避難した甲斐もなくなってしまう。
 だが、専門家会議の複数の委員からはデータ不足が指摘されているという。原発推進派と目される「国際放射線防護委員会」のメンバーである伴信彦氏(東京医療保健大教授)からも、「一番高い被曝線量はよく分かっていない」との発言があったそうだ。
 エボラ出血熱は最長でも21日間で発症する。だが、特に晩発性の放射能の影響はすぐにはあらわれない。そのかわり、その人の一生に影響を与え続ける。
 環境省の中間とりまとめ案が新たな「安心神話」に利用されてしまうのではないかと懸念するのは、ヒロシマ以来、人体に対する放射能の影響は軍事機密とされ隠され続けて来たからだ。
 政府が「存在しない」と言い続けてきたビキニ水爆実験による日本の漁船員に対する調査データが公表されたのは半世紀を経てからのことである。(11月5日)

 「つい一言」が滞りがちになっているのは、「これは変だ!」というのが誰の目から見てもあからさまで、わざわざ指摘するまでもないから。どれくらい「これは変!」で、「これは危ない!」かは、古賀茂明『国家の暴走』(角川書店)を読むと分かる。
 いまだによく理解できないのは、アベノミクスとよばれる経済政策である。
 国債を大量発行し、日本銀行がこれを買い取るという構図は戦前の戦時資本主義と同じ手法だという。一方、これまで国債を中心に運用されてきた国民年金・厚生年金の積立金を大幅に株式に投入するという。
 (アメリカの社会保障信託基金の運用は全て非市場性の米国政府証券で行われている、云々にかかわる予算委委員会での塩崎厚生相と民主党細野議員の応戦はもっと注目されるべき。)
 国債の大量発行は未来世代にツケを回すこと、年金積立金を株式のリスクにさらすことは現有している国民の財産を食い物にすること。
 それによってわずかばかり株価が上がったからといって、景気が好循環を迎えたなどというまやかしに、いつまでも欺される国民ではあってはならない。(11月3日)

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by yassall | 2014-11-01 12:30 | つい一言 | Comments(0)