<   2014年 09月 ( 7 )   > この月の画像一覧

種村秊弘の眼 迷宮の美術家たち

c0252688_18475255.jpg
 種村秊弘展へ行って来た。9月6日から開催されているのだが、高演連の仕事を終えてからと決めていた。10月には小旅行を予定したりしているので、行きそびれてはならじと出かけて来た。
 種村秊弘はドイツ文学者にして著述家であるから、展覧会といっても種村秊弘の手になるものは、彼が刊行した書物の数々が1コーナーを占めているに過ぎない。著者の多彩な活動の中に美術評論があり、展示の主要な部分はそこで紹介されたり、交遊のあったアーチストの作品群である。
 だが、ここに集合をかけられたアーチストたちは尋常のものたちではない。有名なところでは、海外ではゾンネンシュターン、ベルメール、日本では金子国義、中村宏、四谷シモン、さらには秋山祐徳太子、赤瀬川原平と名前をあげていけば、その奇想と異能ぶりが知れるというものである。
 種村秊弘のことは、その昔、確か『現代詩手帖』に「ナンセンス詩人の肖像」を連載していたころに知り、『吸血鬼幻想』を読むにいたってはあまりの博覧強記ぶりに圧倒されたものである。
 ときはアングラ文化全盛期であったから、私自身もその世界にひかれながらも、いつしか遠ざかっていた。澁澤龍彦と交遊があったことは、おおよそ察しがつくものだが、矢川澄子と『迷宮としての世界』(ホッケ)を共訳したことがあり、弟子筋には池田香代子がいて、池田は矢川澄子との親交から谷川雁とも近くにあったことなどは最近になって知った。池田香代子といえば今や平和運動家として活躍の真っ最中だが、何とも複雑にして不思議な人間関係である。
 先に名前をあげた四谷シモンは人形作家。2体の人形が展示されていたが、「シモンドール」は、顔だちは端正な西洋風美少女。最後にもう一度見てから帰ろうと作品の前に立つと、ふと人形の眼球が動いたような気がした。
 昔懐かしい中村宏は「円環列車B」。まるで数十年の年を隔てて、円環を一回りしてきたかのような錯覚に襲われた。

「種村秊弘の眼 迷宮の美術家たち」板橋区立美術館 ~10/19(日)まで


 

by yassall | 2014-09-30 19:51 | 日誌 | Comments(0)

2014秋の高校演劇 浦和地区発表会

c0252688_19521835.jpg
 先週の川越坂戸地区に引き続き、今日と明日で浦和地区発表会が開催されます。今年はこの2地区がDブロックとして審査の対象になります。
 今日は5校のお芝居を見させてもらいました。川越坂戸地区の印象が「手堅さ」だったとすれば、8校中6校が創作芝居であることからも、自分たちの表現への「挑戦」という印象でしょうか?
 明日はいよいよ審査結果の発表ということになりますが、各地区・各学校の個性は個性として尊重しながら、まずは芝居に寄り添っていきたいと思います。(写真は会場の馬宮コミュニティセンター)

《追記》
 2日目に3校のお芝居を見てDブロックの審査を終えました。今年も中央発表会のパンフの原稿を書くことになりましたので、各校の芝居をどう見たかについてはそちらを見ていただくとして、中央発表会へ推薦は川越高校と筑波大坂戸高校の2校とし、次点を浦和北高校としました。
 川越高校は芝居としてのクオリティが不足しているきらいはあるものの、明治の青春群像を描いた脚本が魅力的であったのと、舞台美術や小道具にいたる作り込みの高さを評価しました。
 筑波大坂戸高校については、手慣れた芝居作りがかえって新鮮味を感じさせなくなっているという評価もあるかも知れませんが、「偽ヒーロー」ものという設定にいっそう深刻な時代認識への深まりを読みとりました。
 浦和北高校は、舞台美術、衣装、メイクなど、舞台空間の作り込みと、テンポの良い芝居運びで、総合力では群を抜いていました。しかしながら、別役実の迷宮世界を現出するまでには到らなかったと感じました。

 2地区の顧問の先生方にはさまざまなご配慮をいただきました。また、生徒たちも礼儀正しく、気持ちよく4日間を過ごすことができました。ありがとうございました。


 

by yassall | 2014-09-27 20:01 | 高校演劇 | Comments(0)

2014秋の高校演劇 川越坂戸地区発表会

 全県的には昨日がスタートらしいが、今年も埼玉の高校演劇地区発表会が始まった。人には「ちょっとお手伝いに」と言っているのは、審査員などというガラでもないし、任に堪えるとも思わないからである。
 それでも、最初は恩返しのつもりもあって、「3年に一度くらいなら」とお引き受けをした。実は、それは現役3年を残す年だったので、1度きりでそのまま逃げ切る積もりだったのである。
 ところが引退後、1年目こそパスさせてもらったが、なんと今年で3年連続で引き受けることになってしまった。それというのも、事務局長と元同僚という縁があるのと、苦しい内情を知ってしまっているからだ。また、現役だとどうしても学校を背負ってしまうが、OBにはそのしがらみがないというのも、依頼しやすい理由にあるのだろうことが何となく理解できてしまう。
 それでも、審査員は2人体制であるから、やはり「お手伝い」的なポジションでいいやという気持ちも少しはあった。私の乏しい経験談でも、多少とも芝居作りの参考になるかも知れないし、激励になるならそれだけでもいい。まあ、反面教師という言葉もあるし。
 だが、3年目ともなるとそうも言っていられない、というのが会場に向かった時の今日になっての心境の変化である。
 それというのも、今年担当することになった川越坂戸地区のレベルの高さがある。どの地区でも飛び抜けている学校が数校はあるものなのだが、この地区は普段から合同稽古などを通じて交流を深めていることもあって、どの学校も一定の水準にある。芝居作りの最初の一歩は脚本選択から始まるのだが、8月の打ち合わせ会で手渡された各校の台本を見てそう思った。今日の4校をみても、少なくとも暗転処理などで基本的な間違いをおかしている学校はなかった。
 一定の水準にある学校が多ければ、県大会に推薦する学校を選出するのにも、審査員の見識と力量が求められることになる。客観的な納得を得られるような説得力を持つのは容易なことではない。
 引き受けたからには逃げ隠れはできないし、責任はまっとうしたいと思っているが、自分のあり方や立ち位置が試されることになるのは確かなことだろうと思っている。
c0252688_18413989.jpg
 と、少しばかり固い気持ちになっているようなことを書いたが、高校演劇という場を通して、引退後もこうして若い世代の人々と接する機会を与えてもらっていることはありがたいことだと思っている。
 講評などといってもたいしたことは伝えられないが、それでも目を輝かせて聞いてくれる生徒たちを前にすると、おろそかには出来ないという気持ちを新たにする。
 ところで、川越は私にとっても元の古巣。会場の尚美学園大学がこの地にキャンパスを構えたのは私が転勤した後であったが、変貌していく川越といつまでも変わらない川越とを確かめにいくのも楽しみであった。(写真は2000年記念館)

《追記》
 1日目4校、2日目3校のお芝居を見させていただきました。先述した脚本選択とも共通するのですが、どの学校も手堅い芝居作りという感想をもちました。例年はもっと参加校が多かったのに、今回減ってしまったとのこと。確かに1日でたくさんの芝居を見るのはたいへんですが、そこのところは残念でした。来週の浦和地区も楽しみです。(写真は尚美学園大学中央広場に咲いていた彼岸花)
c0252688_11320784.jpg



by yassall | 2014-09-20 19:34 | 高校演劇 | Comments(2)

鳥居邦朗逝く

 鳥居邦朗先生が逝去された。知らせてくれる人がいて、あわててネットを検索してみると、武蔵大学のHPに確かに訃報が掲載されている。
 訃報は9月3日付。亡くなられたのは8月25日、葬儀・告別式は親族のみで執り行われました、とある。享年81歳。初めて謦咳に接したのは先生37歳の年ということになる。
 昨年、御本を出されたのを機に、かつてのゼミ生数人でお目にかかったのが最後となった。以下はその数日後に先生宛に送った礼状である。私信ながら掲載する。今はまだ言葉にならない哀惜の念を示すことになればと思う。

 拝啓
 昨日は大変楽しくも有意義な時間をありがとうございました。不勉強不義理のため、お目にかかるのも久方ぶりのことになってしまいましたが、一瞬にして時間の垣根が取り払われてしまったのに、ただただ不思議な思いでおりました。
 きっとそれは、白髪にこそお歳を感じさせながら、学問に対する姿勢はもちろんのこと、時代と向き合おうとなさっているお姿や、言葉の端々にうかがえる思想の若々しさが、かえって年少の私たちを刺激して止まなかったからだと思います。
 さて、昨日の今日でさっそくこのようなお手紙を差し上げたのは、昨日のお話を伺いながらいくつか気がついたこと、教えられたことがあったからです。
 ひとつは武蔵日文の学科名の変更の件です。現在の学科名は日本・東アジア文化学科ですが、その前段階で日本・東アジア比較文化学科という名称変更があったように記憶しています。
 卒業生としては日本文化学科という名称への愛着、まだまだ道半ばではなかったかという思い、短期間のうちに度重なった名称変更から受ける印象としての戸惑いから、率直に申し上げれば疑問もありました。(高校教員であった私からすると、大学院であればともかく、高校生が卒業後の進路として選択するには専門性が際立ち過ぎていないか、という心配もありました。)
 ただ昨日の先生のお話で、日本文化を日本というタコ壺の中だけでとらえようとしてはならないのだ、東アジアの中の日本という視点が必要なのだ、比較文化という方法を所持していた武蔵日文はそこまで到達しなければならなかったのだ(お話の要約の仕方が不十分・不完全かも知れませんが)とあって、得心する思いがいたしました。
 文化論・文化学の落とし穴は、それが本当に日本人・日本文化に固有の特性であるのか、それとも人類に普遍的な人間性であるのか、歴史性や地域性にまで目配せして判じ別けしていかなければ、単なる偏狭なナショナリズムで終わってしまう、ということではないかと思います。
 つい最近、司馬遼太郎が東アジアを見回して、同じ儒教文化圏とはいえ、中国に近かった韓国は儒教の優等生であり、それに対して距離をおいた日本では本来の儒教に基づくところの国作りはなされなかった、という内容の文章を読みました。
 軽い読み物程度でしたので、やや図式化された文章でしたが、なかなか面白いと思いました。そして、ここでも比較文化という方法が有効な働きをしていると思いました。比較文化という方法が、物事を相対的に見ることを可能にするばかりでなく、視野を広げ、偏狭を遠ざけるのに有意義であるとの思いを深くしました。
 東アジアからの留学生も多く迎えているとのこと、新しい学問分野の開拓の拠点としてばかりでなく、人的な交流の場として武蔵日本・東アジア文化学科が発展していってくれればと思います。
 帰宅してから確認しましたら、先生の「〈私研究〉は不要か」は昭和51年の発表で、私の在学中というのは誤りでした。
 ただ、昨日は「恨み言」という言い方をしてしまいましたが、それはもちろん逆説的な表現で、論文を書く際には「私は~思う」を避けよ、は今も貴重な教えであったと感謝しております。そうでなければ、私は鼻持ちもならない人間のままであったでしょう。その上での「論理の客観性」と「私研究」との両立という提起に納得もし、安心もしたということをお伝えしたかったのです。

 「お若い」と感じたのは、盛んに今日の状況に対する憤懣と無念の思いを吐露なさっているのを伺っていたときです。「哲学」か「社会学」か、というような話題も出ました。そのあたりのことは、もっと時間をかけて伺ってみたい、伺わなければならないところでした。
 いずれにしましても、昨日のような機会を作ってくれた1期生の皆さんには感謝するばかりです。
 先生、いつまでもお元気で、ぜひともライフワークを完成させて下さい。また、時代に対して発言をなさって下さい。そして、いつかまたお時間を割いていただけるなら、また武蔵の卒業生の相手をして下さい。

 言葉足らずながら、感謝と敬愛の意を込めて。
                                敬白


by yassall | 2014-09-04 20:02 | お知らせ | Comments(0)

一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』

 この8月に『日本軍と日本兵』(講談社現代新書)を読んだ。太平洋戦争中に、米陸軍軍事情報部によって内部向けに刊行された『情報広報』に掲載された日本軍に関する解説記事をもとに、交戦国からみた日本軍および日本兵の特質を明らかにしようとしている。
 その冒頭に、日本軍の捕虜となった米兵(後に解放された)が目撃した、日本の軍隊内部の激しいリンチのことが紹介されている。
 「私は兵が殴られて気を失い、宿舎へ運ばれていくのを見たことがある。あるときなどは大尉が兵の睾丸を蹴るのを見た。上級の者はそれがささいな怒りによるものでも、いつでも罰を加える権限を持っている。」
 この書によらずとも、旧日本軍隊内におけるリンチの実態には多くの証言がある。では、なぜことさらここで話題にするかといえば、海上自衛隊における「いじめ自殺」事件との類似に注目せざるを得ないからである。
 現在の自衛隊においては、もちろん戦前のような「新兵教育」に名を借りたリンチは「建前上」は認められていないだろう。だが、軍隊内部において、「上級」にある者が「下級」にある者を、ほしいままに暴力の対象とするというのは、構造的に慣習化してしまっているのではないだろうか?
 どのような人間であっても、銃弾が飛び交う中に身をさらすのは重大な恐怖である。日本兵がそれでも前線に向かったのは、「上官の暴力を嫌って」と「ここで逃げ出したら故郷の親族がどんな目に遭うかわからないから」であったという。
 戦争は「理性」には従わない。人間を死地に追いやるには、「理性」ではなく、「不合理」や「不条理」が大手をふっていることが日常である必要があるのだろう。何も日本軍に限った話ではない。韓国でも軍隊内部の「いじめ」が問題化したばかりだし、米軍でも基地内での乱射事件やレイプ事件があとを断たない。
  ※
 今日、内閣が改造された。いよいよ「戦争が出来る国」づくりの準備が本格化する。だが、「戦争が出来る国」になるためにはどのようなことが起こるのか、今こそ歴史に学ぶ必要がある。
  ※
 本書では、太平洋戦争でも有数の激戦地となった「硫黄島の戦い」でとられた「徹底抗戦」作戦が、いわれるような栗林大将の創案ではなく、「白兵突撃」戦法による消耗を避けるために大本営が作戦変更を指示したものであること、「硫黄島」の前段にパラオ諸島の「ペリリュ-島」の戦いがあったことが紹介されている。
 もちろん、それは兵の「無駄死に」を避けるためではなく、少しでも戦闘を長期化することによって時間稼ぎをするためであった。
 日本軍側の作戦変更にともなって、米軍側も日本兵が立て籠もる洞窟を火炎放射器と手榴弾でしらみ潰しにしていく作戦をエスカレートさせ、やがてそれは焼夷弾による日本本土への無差別な空爆につながっていくのである。

一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』講談社現代新書(2014)


by yassall | 2014-09-04 00:54 | | Comments(5)

六義園

c0252688_11372444.jpg
 志村坂上近辺に用があって出かけると、つい三田線に乗ってどこかへ足をのばしたくなる。巣鴨、白山、神保町、芝公園、高輪が一本で結ばれているのだ。久しぶりの晴天ということもあり、今日は千石へ出て、六義園まで歩くことにした。
c0252688_00265166.jpg
 六義園は元禄時代、五代将軍綱吉に側用人として仕えた柳沢吉保によって築園された。典型的な「回遊式築山泉水」式庭園で、「六義」の由来は「古今集」の序にある和歌の分類六体にある。
c0252688_00270215.jpg
 江戸期の大名庭園は諸大名の権勢を誇示するとともに、接待や社交の場であった。そのための趣向を凝らし、贅を尽くした。
c0252688_00272426.jpg
 渡月橋。「和歌のうら芦辺の田鶴の鳴声に夜わたる月の影ぞさびしき」の歌から名付けられたという。六義園の面目躍如である。
c0252688_01560677.jpg
 大名庭園はその成り立ちはともかく、わかりやすさという意味では誰にでも受け入れやすく、明治になっても残されたことは都市の緑化という観点からも良かったことだと思う。
c0252688_00273867.jpg
 ただ、京都との決定的な違いは借景がないことだ。山々に囲まれた京都と違い、ビルや高速道路では借景とはいえない。小石川後楽園は東京ドームが借景となる。これはある意味、シュールである。
 それと、やたらカラスが多いのにも閉口させられたが、以前と比べるとずっと数が減ったような気がする。平日とあって人影もまばらだったが、カラスも数羽を数えるばかりだった。
c0252688_00280089.jpg
 水源である滝見茶屋のあたりには凝った石組みが施されている。かなり奥まった場所になるが見落としてしまってはもったいない。
 今回10数年ぶりに再訪して認識を新たにしたことは、現在の六義園は明治期に岩崎弥太郎の別邸となった際に復興されたものであり、かなり岩崎の手が入ったものであることだ。これらの石組みは元々あったものなのか、それとも岩崎が持ち込んだものなのか…。
 そんなことを考えると、また複雑な気分になってしまうが、1938年には岩崎家から東京市に寄付された。未来永劫にわたって私物化しようとはしなかったこと(出来なかった?)、東京都もまた一般に開放したことは良しとしよう。
c0252688_00264172.jpg
 今回は久しぶりにRX100を持ち出して写真を撮ってみたかったというのも動機のひとつだった。千石からだと、隣の六義園公園とあわせて、この長い塀沿いを歩かなくてはならない。こんなふうにアングルをとると28mm端でもかなり広角的な画になる。
 六義園の入場料は300円(65歳以上は150円)。庭園鑑賞などと気負わず、木蔭で風に吹かれながら読書を楽しむためだけに訪れてもいいなと思った。ただ、また夏日の復活となって、木立に入るや、ヤブ蚊に数カ所を食われた。昨今のデング熱が心配である。

 RX100



  

by yassall | 2014-09-03 01:52 | 散歩 | Comments(0)

つい一言 2014.9

 九州電力が「再生可能エネルギー」の購入を中断していることが新聞で報道された。九電では、太陽光発電の急増で供給力が受容を大幅に上回ると、需給のバランスがとれなくなる恐れがあるから、としているとのことだ。
 再生エネルギーの「固定価格買い取り制度」によって、多くの企業がメガソーラー(大規模太陽光発電所)の建設に参入しようとしている。既存の企業ばかりでなく、起業家が新たな会社を設立するケースもある。
 だが、発電と送電が完全に分離するのではなく、発送電を独占し続けたい電力会社をそのままにしておくなら、当然起こってくる問題だろう。送電に特化していれば、電力会社は需要に応じて発電会社から電気を購入すればよく、発電会社が多数であれば競争させればいいだけの話になる。自分のところでも発電したいとなれば、他社からの買い取りによって自社の発電を止めたくないというのが道理だろう。

 九電では、「川内原発」の再稼働と買い取りの中断とは「関連性はない」としているとのことだが、それはどうだろうか。
 起業家が自己責任のもとに発電事業に参加しようというとき、リスクの高い原発に手を出す愚を犯すことはないだろう。一方、もし原発事故が起こっても国が補償を肩代わりする制度を作ってしまえば、既存の電力会社は手持ちの原発を稼働させたいに違いない。
 日本のエネルギー政策の転換のためには、国および電力会社が脱原発を決意し、再生可能エネルギーの開発を本気になってすすめるか、電力会社を分割するなどしてでも発送電を完全に分離し、市場原理にしたがって自由競争にゆだねるしかないのではないか。(9月26日)

 政府事故調査・検証委員会の「吉田調書」が公開された。吉田氏は東電で原発の地震・津波対策を担当する原子力設備管理部長であった時期があるそうだ。所長として福島原発事故に直面したとき、事態の深刻さをいち早く認識し、焦燥感や絶望感に揺られていく様子がわかる。
 「ベント」や「海水注入」など、3年半前に、東電本社や官邸からストップがかかったとか、かからなかったと問題になっていたことが記憶に甦ってくる。
 この点については、「私がこのとき考えたのは、格納容器の圧力を何とかして下げたい、原子炉に水を入れ続けないといけない、この二点だけなんです」とし、「海水注入」を停止しなかったのは「私の判断」だと証言している。池田元経産省副大臣は、「吉田さんは現場を負っている責任感からノーを言える人だった」と評している。
 だが、と考える。東電は今後とも「ノー」といえる人を育てたり大事にしたりできるのだろうか? 東電に限らず、日本の企業にせよ官公庁にせよ、イエスマンばかりを求めているのではないだろうか?
  ※
 「水が入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が。燃料分が全部外へ出てしまう。(中略)放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、われわれのイメージは東日本潰滅ですよ。」(吉田氏)
 吉田氏の献身的な努力を過小評価するわけではないが、かろうじて「東日本潰滅」を免れたのは偶然のなせるわざである部分が大きい。
 しかしながら、原子炉の内部がどうなっているのかについて、いまだに不明な部分が多い。「東日本潰滅」の危機が本当に遠ざかったのかどうかすら分からない。その時期に、なぜ原発の再稼働なのか、3.11の教訓が活かされているとはとうてい思えない。(9月14日)

 朝日新聞社が福島原発事故に関する「吉田(昌郎)調書」、および従軍慰安婦問題での「吉田(清治)証言」、池上氏のコラムの掲載見送りについて誤りを認め、謝罪した。
 「吉田調書」については、5月に起こった韓国船沈没事故に関連づけて、私も次のようなことを書いたことがある。

 朝日新聞が入手したという「吉田調書」で、「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。」ことが判明し、「その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。」とあるのを読んで、ふとその沈没事故のことを連想した。
 福島第一で待機命令を無視して所員達が撤退したのは誰よりも原子炉が危険な状態にあることを知っていたからではないか? その上で、緊急に自治体や住民に避難勧告をすべきところをまっさきに自分たちが逃げ出してしまったとしたら、まったく同じ構図だということにならないだろうか?

 公開された「吉田調書」を詳しく読んでみなければ分からないが、過誤であったのは「待機命令違反」という部分で、吉田所長の「福島第一の近辺に退避して次の指示を待て」との指示が所員に伝わりきれなかったこと、吉田所長自身は第二原発に待避したこと自体は評価していたことが正確らしい。
 私は私が書いたことについては責任を負っているし、誤りがあれば訂正しなければならない。だが、「待避」を指示したのは原子炉が危険な状態にあるという認識に立っていたことは事実であるだろうし、その後の責任が東電本社にあったのか政府にあったのはともかく、正しく国民に知らされていたかどうかの問題があったことは動かない(SPEEDIの問題も重大である)。
 また、地震も、津波も、原発事故も同時に発生しているという状況下で、第1次的に対処にあたるべき人々のあいだで指示命令系統が正しく伝わるのだろうかという事例としても見逃すわけにはいかない。
 何にしても、情報というのは「諸刃の剣」であって、取り扱いには細心の注意が必要であるということ、「過ちては改むるに憚ること勿れ」は体面に優先される鉄則であることを再認識する必要がある。
 「吉田(清治)証言」についていえば、90年代には朝日もその信憑性を疑問視していたらしいのだが、記事の撤回にはいたらなかった。その結果として、「従軍慰安婦問題」そのものがなかったかのような宣伝に利することになれば、まさにタライの水といっしょに赤児を流す結果になる。
 今日は自戒をこめて書いた。(9月12日)

 昨日の予報通り、原子力規制委員会は九州電力川内原発1、2号機について、安全対策の主要部分が新規制基準を満たすとする「審査書」を正式決定し、法に基づく設計変更の許可を出した。
 今後、認可手続きと地元の同意手続きが必要となるが、再稼働に向けた主要な審査を正式に終えたことになる。
 だが、巨大噴火の影響を受ける可能性は「十分低い」とする審査書に対して、火山学者による検討会では根本的な疑問が出されているという。
 火山学者は「噴火の時期や規模を予想するのは極めて困難、無理」だとの意見を述べているのだというが、問題はそれだけにとどまらない。もし仮に予想が出来たとしても、噴火までの期間に核燃料を取り出し、安全な場所に移動が可能なのか、という問題である。
 もし、「ベース電源」という位置づけのもとに再稼働したとしたら、そのような「予想」があっても運転を停止するかどうかさえ怪しいものだと思っている。
  ※
 昨日、改造内閣における女性閣僚のことを話題にしたが、高市早苗、稲田朋美氏等が極右団体「国家社会主義日本労働党」代表の男性とツーショットで撮った写真が同団体のHPに掲載されていたことが指摘された。HPにはナチス・ドイツの「カギ十字」やこれに似たマークが数多く掲載されているという。当該と写真は現在は削除されているとのこと。(9月10日)

 内閣改造以来、安倍政権に対する支持率が上がっているという。その要因に女性閣僚の登用があるといい、女性層での支持率が上がっているのだそうだ。
 だが、山谷えり子、、高市早苗、有村治子、稲田朋美といった顔ぶれを見て、同じ女性であるからといって、これらの人々が女性の見方であると考えるのは早計ではないだろうか?
 LITERAが『母乳強制、DV擁護、中絶禁止…安倍内閣・女性閣僚の「反女性」発言集』という標題で彼女たちの発言をまとめている。
   http://lite-ra.com/2014/09/post-444.html
 総務大臣になった高市氏は「福島原発事故で亡くなった人はいない」「国会デモも規制すべき」などの発言で物議をかもした人物(いずれも短期間のうちに撤回という発言の軽さも問題)だが、女性の社会進出に対しても「女性だからという理由で優遇されるのはおかしい」などと水を差すような発言をしてはばからない。
 閣僚ではないが、高市氏に代わって自民党の政調会長に就任した稲田朋美氏にいたっては、「DVという言葉が不当に独り歩きすれば、家族の崩壊を招きかねない」と、家父長制の復活どころか、DVの容認としか受け取れない発言をしているという。
  ※
 川内原発の審査書について、明日にも原子力規制委員会は決定を行うという。このままでは、本当に「亡国」の一歩手前だ。(9月9日)

 昨日の「東京新聞」で、全国の国立大学86校のうち約9割にあたる76校で、計77人の文科省出身者が理事や副学長、事務局長などの幹部として在籍していることが報じられた。事実上の「天下り」を通じ、国立大の運営に文科省の意向が反映されている恐れがあるとしている。
 官僚の特権化という問題だけではない。東京都で都立高校に対する管理が強まった背景には、都庁で過剰になった中間管理職候補者の行き場に高校の事務室を充てたことがある、と聞いたことがある。
 大学内部には、文科省とパイプがつながることで、予算獲得に利点があるなどという意見もあるという。大きな間違いではないのか。国立大学を法人化し、予算をしめつけておいて、人的なコネクションで増額をちらつかせる。だが、「ノーマネー・ノーコントロール」のはずがない。
 国家権力による教育支配はいよいよ大学にまで及ぼうとしている。学問の自由、国家権力からの教育の相対的な独立に対する攻撃は、やがては国民に対する支配の強化につながる問題としてとらえなければならない。(9月2日)



by yassall | 2014-09-01 10:36 | つい一言 | Comments(0)