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「進化するだまし絵展」へ行って来た

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 今日は朝から雨模様。てっきり引きこもりを決め込む気でいたのだが、それほど雨脚が強まりそうもないのをみて心が動いた。このところ、厳しい残暑にめげ加減だったので、今日の気温の低さが外出には好機のように思ったのだ。
 もちろん、屋外での活動は想定しない。それほど大汗をかかずに目的地まで移動できれば十分。ということで展覧会通いである。
 Bunkamuraミュージアムは切り口の鮮明な、独自色の強い企画展が多い。過去の展覧会では「レンピッカ展」などが今でも印象に残っている。ただ、当たるときと当たらないときがあるのはしかたがない。
 それでは、今回の「だまし絵展」はどうだったかというと、まあそれなりでしょう、というのが第一感想である。
 チラシにもなっているアルチンボルトが2点、エッシャーが4点(もう1点予定があるらしいが会場には展示されていない)は手堅いところ。やはり引きつけられるのはマグリットやダリといった、絵画として優れている作品ということになる。
 まあ、私としてはダリの「海辺に出現した顔と果物鉢の幻影」をオリジナルで見られただけでも思いがけない収穫であったし、この作品がダリの親友であり、スペイン内戦で銃殺された詩人ロルカを描いたものであると知ったことも、来た甲斐があったと感じ入った。
 Bunnkamuraでは「だまし絵展」は2回目の企画らしく、今回は「だまし絵」というより前衛的あるいは実験的な作品をピックアップしているという印象である。その意味では、リヒターの「影の絵」が面白かったし、抽象画にも似た簡素さでありながら、芸術としても完成度が高いと思った。
 さて、遠近法や陰影法など、絵画史そのものが「だまし絵」の進化であったというような話はともかく、最後にエピソードをひとつ。
 夏休みも終盤ということで、会場には子ども連れの客が多かったのだが、エッシャーの「物見の塔」の前で、小さい子どもが絵を見ながら「わかんない。この絵のどこ(が変なの)?」と母親を振り返った。母親がどう答えるのかと思いながら様子をみていると、母親は「絵をよく見てごらんなさい。」と子どもにうながす。すると、しばらくして子どもが「あっ!」と小さい声でつぶやいた。
 まだ、完全に絵の不条理を理解できたというわけでもなさそうだったが、じっと絵に見入っている様子から判断して、子どもの心の中に何かしらの変化が起こったのは確かだろう。
 きっと私だったら、何かしらのヒントを出しながら、説明してやりたくてうずうずしてしまうところだったのだろうが、子どもの変化を待った母親の姿勢に感心しながら、ふとこんなことを考えた。
 子どもにとって(ということは、人間にとって)、芸術(あるいは美)を体験することは「驚き」と同様なのではないか、そして、それはある「不条理さ」と見分けることが出来ない性質のものなのではないか、と。
 何だ、やっとそんなことに気づいたのか、といわれてしまえばそれまでだが、その閃きのようなものを得たのが今日の最大の収穫だったかも知れない。
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 Bunkamuraに行こうとすると、なぜかいつも道をまちがえてしまう。SHIBUYA109を右に行かなくてはならないのに、どういうわけか左に行ってしまうのだ。
 学生時代に三軒茶屋でアルバイトしていたことがあって、そのころの渋谷は落ち着いたいい街だと思っていた。このところ、すっかり変わってしまって、まあ人出で賑わって繁盛している風なのはいいのだけれど、一部にはシャッター街同然の街路もあったり、何だか雑然としているばかりで品のない街になってしまった、という印象がぬぐえない。などといいながら、帰り道でスナップを1枚(いつものp330で)。


by yassall | 2014-08-27 02:52 | 日誌 | Comments(1)

哲学堂公園

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 大学が江古田だったので、哲学堂の存在は早くから知っていた。いつか行ってみようと思いながら数十年がたってしまった。
 それが、なぜ今日という日に出かけていくことになったか、という理由はあとで書くとして、中野から江古田行きのバスに乗り、哲学堂下という停留所で下車すると公園入口。階段を上ると、最初にあらわれるのが哲理門である。山門様式だが、仁王像のかわりに右側には天狗、左側には幽霊の像が収められている。
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 軒瓦には「哲」の文字が。
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 時空岡は公園中央の高台で、宇宙館、三学亭、絶対城(図書館)などの古建築が配されている。写真は四聖堂である。ここにいう四聖とは孔子、釈迦、ソクラテス、カントである。
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 六賢台。東洋六賢人を祀る。
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 造園は入り組んだ作りになっていて、要所要所は懐疑巷、感覚巒、経験坂などと命名されている。唯物論にいたるには経験が必要であり、経験は五感によるといった具合である。
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 独断峡。独断は精神上の思想を基礎としており、唯心庭に通じるとある。よく分からない。
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 心字池に架けられた概念橋を渡ると唯心庭である。中央に鬼灯が鎮座している。「妖怪学講義」の井上円了らしくユーモラスな表情をしている。
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 小規模ながら日本庭園はなかなか瀟洒な作り。菖蒲池に流れ込む小川には石組みの滝が落ちている。
 木蔭のベンチでは近所の人々が涼みに来ている。しかし、日向に出ると炎天というべき強烈な日射し。かといって、日陰に入るとヤブ蚊の襲来。猛暑の中、まだまだ遠路を帰らねばならない私は、哲学の径も早々に通り抜ける。
 帰路は江古田から環七まで歩いて赤羽駅行きに乗り継いだ。往路の高円寺-中野間を除いて、本日の主たる移動手段は路線バスである。
         ※               ※             ※
 さて、この夏日に哲学堂まで出向くことになった理由である。フジのX-E1を買ったのは昨年の1月である。ローパスフィルターレスがまだ珍しいころで、横浜CP+(カメラ博)での展示や「APSでは最高画質」とのカメラ雑誌での評価に食指が動き、値がこなれてきたところで購入に踏み切ったのである。
 だが、期待が大きすぎるとありがちなことなのだが、「それほどでもないな」とがっかりすることが重なり、しだいに持ち出すことも少なくなっていた。
 もともと趣味性の高いカメラであるという認識でいたので、「フジのローパスフィルターレスを自分も持っているぞ」という自己満足でよかったのだが、あまり使わないでいるとやはり気になってくる。
 いっそ値のあるうちに(現時点で買った時の半値程度)手放して違うカメラを買おうかと思ったり、出番を増やす撮影機会はないかと考えてみたり。

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 そんな中、ずっと気になっていたのがX-M1のキットレンズとして発表された16-50mmである。結論からいうと、あれこれ悩んだ今日、中野のフジヤカメラで程度のよい中古(写真)を手に入れ、試し撮りに帰路にあたる哲学堂に立ち寄ったというわけなのである。
 X-E1を持ち出さなくなった理由のひとつはセットで購入した18-55mmレンズにある。なかなか評価の高いレンズではあるのだが、本体350gに対してレンズ310gでフロントヘビーになること、35mm換算で27mmはじまりが物足りないことが不満だった。
 16-50mmは明らかに廉価版で、外装もマウントもプラスチック(3枚の非球面レンズと1枚のEDレンズを含むレンズ10群12枚はオールガラス)。その代わり18-55mmと比較すると115gも軽い。35mm換算で24mmはじまりは広角的表現を広げる。
 ブラックとシルバーがあるはずなのだが、残念ながらシルバーしか在庫がなかった。LUMIXのPZもブラックボディにシルバーを合わせたので、そこはあまり気にしないのだが、塗料の関係か、やはりプラスチックそのもので質感は乏しい(趣味性はどうなった?)。
 さて、肝心の写りは? 光線条件としてはコントラストが高くなりすぎる嫌いがあったものの、決して悪くはないとは思う。だが、果たしてこのカメラ、このレンズでなくては撮れない写真だろうか? X-E1の出番は増えるかどうかはまだ分からない。

X-E1+16-50mm


by yassall | 2014-08-19 21:05 | 散歩 | Comments(0)

ボローニャ国際絵本原画展

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 板橋区立美術館は東武東上線下赤塚駅から徒歩25分のところにある。成増駅からバスも出ているのだが、途中に赤塚植物園などもあり、行く時はウォーキングがてら歩くようにしている。
 イタリアの古都ボローニャでは、毎年開かれる児童書専門のブックフェアのイベントとして、1967年から「ボローニャ国際絵本原画展」が開催されている。コンクールになっていて、新人イラストレーターの登竜門にもなっているとのことである。48回目となった今年は3000を越える応募があり、日本からの15作家を含む23カ国75作家が入選となった。今回はその全入選作品が展示されている。
 ゆるやかながら、けっこうアップダウンのある駅からの道を歩いているうちに、ポツポツ雨が降り出してきた。傘を持ちながら館内を歩きたくはなかったので、急ぎ足で美術館に向かう。天気予報では関東は晴れだったはずなのに、と当てが外れた思いもあり、雨に濡れた衣服を気にしながら、少々気分が散漫なまま鑑賞ということになった。
 絵本についてはその昔、学校図書館研究会で浦和図書館の児童書担当の方をまねき、読み聞かせを実演していただいたことがある。印象的だったのは、解説で「子どもたちを引きつけ、感動させるのは絵の力なんです」と述べられていたことである。語りそのものも見事だったので、謙遜もまじっていたのかも知れないが、すぐれた絵には子どもたちの心をゆさぶり、感性を磨いていく力があるのだと納得させられた。
 絵本の原画とはいえ、いわゆる児童画風の絵とばかりは限らず、パウル・クレーやホアン・ミロを見ているような気にさせられる、作者の独創性を感じさせる作品も多い。子どもだからと侮ることなく、表現に向かおうとする姿勢は正しいのだと思う。それでなければ子どもを感動させることはできまい。下は、新聞で展覧会の案内があったとき、出展例として紹介された1枚である。(リーフレットから)
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 残念ながら、この展覧会の期日は明日まで。その代わりといってはなんだが、次回の企画展を紹介しておこう。

   「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」 9/6~10/19

である。
 種村季弘は池袋生まれ、板橋区内にある北園高校を卒業している。ローカルな美術館ならではの企画に苦心の跡があるが、他にはない着眼の面白さがある気がする。


by yassall | 2014-08-17 01:22 | 日誌 | Comments(1)

パイプ党時代

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 7月に銀座を歩いていて菊水の前を通りかかった。1903年創業という喫煙具の老舗中の老舗である。そういえば私にもパイプ党時代があったことを思いだし、戸棚の奥から昔のコレクションを引っ張り出してみた。
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 コレクションといっても、私がパイプ党を気取っていたのは20代のころのことだから、たいしたものはない。それでも一時は熱中したこともあり、煙草を止めたあとも捨てずにとっておいたのだ。
 喫煙具一般にもいえるが、パイプは趣味性が高く、素材や形状(シェイプ)によって様々な種類がある。
 素材では、メシャム(海泡石)パイプやシャーロック・ホームズで知られたキャラバッシュパイプなどは高級品にあたる。キャラバッシュはひょうたんの一種で形状が独特でおもしろい。
 マッカーサーが厚木に降り立った時にくわえていたのがコーンパイプ。トウモロコシの芯が難燃であることからパイプに使われたが、素材からして高価なものではない。陶器で作られたパイプをクレイパイプという。きれいな絵付けがされたものがあり、コレクションとしてはおもしろいが煙草を吸う道具としてはあまり適していない。
 さて、どうしても前段が長くなってしまうが、一般的に好まれているのはブライヤーパイプである。ブライヤーはバラの根であるといわれたりするが、本当はツツジ科のホワイトヒースの根である。地中海沿岸の乾燥地帯に自生している。
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 好まれている理由としては、軽く、壊れにくいということがあるが、何といっても木目の美しさがある。このパイプでは、ボウルの部分にバーズアイと呼ばれる木目が出ている。
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 ステム(煙道)の部分にはストレートグレインと呼ばれる木目が出ている。メーカーはサビネリというイタリアのブランドであるが、商品入れ替えのためだったか、格安で手に入った。
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 こちらはイギリスのコモイというメーカーのもの。素材は同じブライヤーなのだが、熱した細かい砂を吹き付け、柔らかい部分を落としてしまうサンドブラストという製法で作られている。木目は消えてしまうわけだが、軽量になるうえ、表面積が大きくなる分、放熱性がますことから喫煙具としての性能は高い。つぎのパイプとともに、もっとも愛用した一本である。
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 こちらはイギリスのスリービーというメーカーのもの。上記2本がストレート型であるのに対し、ベント型という曲線を描いたシェイプをもっている。
 1本目がブルドッグ、2本目がカナディアンというように、ストレート型には定番名のあるものが多いが、ベント型には固有名はない。その代わり、創作的なデザイン性をもつもが多い。
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 木目でもっとも価値が高いのはストレートグレインということになっている。その意味では、このパイプの木目は変則的であるが私はけっこう気に入っていた。
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 パイプで高級品といえばダンヒルが名高い。金額でいうと一桁は違ってくる。ダンヒルの刻印は小さな○がひとつというシンプルさである。それがブランドというものなのだろう。だが、このスリービーの刻印も私は好きだった。
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 携帯用にステムとマウスピースが短くなっているタイプ。デザインも個性的だ。
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 木目もけっこうきれい。だが、煙道が短いということは煙の熱が十分に冷え切らないうちに口に入ってくるということで、クールスモーキングには適さない。携帯用とありながら、あまり持ち歩かなかった。
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 デンマーク製の製品はデザイン性の高いものが多い。銘にはヘンリーとあるが、あまり有名なメーカーではない。
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 ベント型にみえるがズルという型名がある。ストレート型に分類されるのだろうか。銘が確認できなかったが、確かフランス製(たぶんシャコム)だったと記憶に残っている。
 パイプを何本も欲しくなるのはコレクションという欲求もあるが、吸った後はどうしても湿気を帯びてしまい、連続して同じパイプを使用すると煙草が不味くなってしまう。そこで、ほどよく湿気をとばすまでレストしておく必要があるからだ。
 逆にいうと、そこがブライヤーパイプの利点でもある。先ほど、クレイパイプが喫煙具としては劣ると書いた理由もそこにある。
 ロンドンのダンヒルの店には365(+1)本のパイプをおさめたパイプカレンダーがあると写真でみたことがある。まあ、これは遊びごころのなせるわざだろう。
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 パイプには小物の楽しみもある。こんなものにも、上からタンパー、ピック、ナイフ、まとめてコンパニオンという名前がある。
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 おもしろそうな小物があるとつい買ってしまう。
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 しまいには自分でも作ってみた。捨てるばかりになっていた数字スタンプ材を彫刻刀で彫ってみたのだ。
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 モアイ像風の顔を彫ってみる。火であぶって仕上げをしようとすると、材がやわらかいので途中で折れてしまったりした。
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 最後にアップするのはスタンウェルというデンマーク製のパイプである。パイプはマシーンメイドとハンドメイドがあるとされるが、素材の性質からしてマシーンメイドといっても工業製品のような量産がされるのではないだろうし、ハンドメイドといっても木工旋盤も使わないということでもないのだろう。定番の型に木を削っていくのか、素材の個性を活かしてデザインから考えていくのかの違いではないかと解釈している。
 スタンウェルはマシーンメイドのメーカーだが、デンマーク製らしくハンドメイドに近いデザイン性が特徴だ。
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 自分としては一点物というつもりで購入に踏み切ったのだが、こうしてみると木目はあまり大したことはない。手入れもしてこなかったが…。
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 実は新しいパイプで吸う煙草は美味くない。どうしても木の焦げる臭いがするものなのである。喫煙を重ねるうちに、ボウルの内側にカーボン・ケーキと呼ばれる層がたまってくる。そうなってはじめてブレイク・インということになる。
 私がこのパイプを買ったころはそろそろパイプ党卒業のころだったということになるのだろうか。ブレイク・インするまで使い込むおっくうさもあって、使い始めの時期を選んでいるうちに未使用のままになった。

 パイプで喫煙を楽しむまでには相当の手間暇がかかる。私はとうてい熟達というにはいたらなかった。パイプを吹かすというが、確かに香りを楽しむもので、喫煙としてはもの足りなさが残る。おかしな話だが、1時間もパイプを吹かしたあと、「ああ、疲れた!」といってシガレットに手を出すこともままあった。
 香料の強いものが多く、人の集まる場所でははばかられることが多かった。レストランなどではもってのほかだった。
 そんな、こんなで、いつしかパイプから遠ざかっていくことになったが、ときおりパイプ党時代が懐かしくなったりもするのである。
 菊水は久しぶりだったが、紀伊國屋ビルの1階に専門店(Kagaya)があり、パイプをやめてからも新宿に出た時は待ち合わせまでの時間によく立ち寄ったりした。池袋パルコにも専門店があったり、東武デパートの喫煙具コーナーもけっこう充実していたが、どうやら撤退してしまったらしい。

 最後に一言。パイプは紙巻き煙草より健康への害が少ないといわれたりする。確かに肺の中一杯に煙を吸い込むことはないのだが、パイプ党だった澁澤龍彦は咽頭ガンで亡くなっている。舌ガンを患う人も多い。万が一にも、この投稿を読んでパイプを始めてみようなどと考えた人がいたときのために、予め一言しておく。けっして勧めはしない。


by yassall | 2014-08-12 15:36 | 雑感 | Comments(4)

川崎工場夜景探検クルーズに参加してきた

 川崎工場街夜景のツアーに参加してきた。FBに卒業生が投稿した写真をみて、被写体としての魅力を感じたし、私も撮ってみたくなったからだ。
 夜景を撮るには機材が非力であったうえに、船上からの撮影ということでブレブレのカットを量産することになった。初めての夜景とはいえ、露出の選択もふくめ、少々甘く見過ぎていたなと反省している。
 あまり人にお見せするような写真ではないのだが、せっかくなので多少はマシなカットを何枚かアップする。広角側の写真が多くなってしまうのはしかたがない。
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 ツアーは東京新聞旅行によるもの。天王洲アイル駅に17:30集合、徒歩で5分ほどの天王洲ヤマツピア桟橋(写真)から船出する。出航は18:00の予定だったが15分ほど遅れた。実は遅れの原因は私だったのだ。
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 京浜運河を南下し、海老取川にさしかかる頃には空もだいぶ黄昏れてくる。写真は川の入口に位置する羽田可動橋である。
 遅れの原因が私だった、というのは、集合場所に向かう途中で落とし物をしてしまったからだ。池袋で降りようとしたらスイカを入れたケースがポーチごとない。デイパックにマジックテープで装着しておいたのが外れてしまったのだ。スイカはクレジットカードもかねているので見つからなければ相応の対処をしなければならない。ともかくも、あわてて乗車駅までもどってみると、幸運なことに落とし物として届いていた。本人確認などに手間取ったが、駅員の適切な対応もあって、その場で返してもらうことが出来た。
 その時点で、ツアーは半ばあきらめたのだが、旅行社に電話してみると18:00の出航に間に合えばOKということだったので、とりあえず向かうことにした。乗換案内によれば、りんかい線乗り入れ埼京線で17:44に到着できる。
 だが、それからも一筋縄ではなく、まず埼京線が7分遅れとなり、りんかい線の天王洲アイル駅はやたら地下深く、なかなか地上に出られなかったり、電話で道順を聞きはしたのだが、道に迷ったりしているうちに今回の仕儀にいたった。
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 さて、海老取川をさらに南下して多摩川に出る。河口付近の多摩川はご覧のように威風堂々たるものなのだが、浅瀬が多く、私たちが乗ったボートのような船でも、慎重にコースを選びながらでないと進めないということだった。
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 多摩川を横断し、いよいよ目的地である川崎工場地帯に入っていく。
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 煙突からは白煙が出ていたり、フレアといったか、ガスを燃やす火が上がっていたりする。
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 見学のメインである東和石油工場が見えてくる。(つぎの2枚は最初にアップしたときから明るさを変えている。画像が荒れてしまうが、肉眼で見た印象には近くなる。)
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 入り組んだパイプをまといながら、林立する塔のように立つ建造物に、高輝度の照明が点っている光景は幻想的である。
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 もう少し露出を明けた方が良かったのかもしれないが、そうすると光がすべて滲んでしまっただろう。兼ね合いが難しいところだ。
 こんなときは「数打ちゃ当たる」方式しかないのだが、それがことごとく全滅なのである。とくに望遠側でねらったカットは目も当てられない。
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 標識灯にみえるKは川崎の頭文字なのだそうである。東亜石油工場付近では船を停めてくれていたのだが、かえって波の影響が大きかった気がする。三脚が役に立ちそうもないのは予想通りである。
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 多摩川にもどる。正面は羽田空港のターミナルである。
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 桟橋の右側につけているのが私たちが乗った運河船である。船というよりは筏という形状だが、よく見ると2艘の船体の上に客席となる無蓋の甲板が載っている。う~ん、どうもクルーズというイメージではないな。
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 地上からならこれくらいのカットは撮れるのである。強がりをいってみても始まらないか?

  OM-D EM5+12-50mm

 〈もう一言〉
 日中は雨が降ったり止んだりだったが、2時間半のクルーズ中は雨にあうことはなかった。落とし物のことも含め、運が良かったのか悪かったのかよく分からない一日だった。帰路、池袋で昔なじみの居酒屋に立ち寄り、久しぶりに家での晩酌以外で一人吞みをした。

by yassall | 2014-08-09 16:36 | 風景 | Comments(2)

エボラ出血熱の流行

 初めてその存在を知ったときから、何と恐ろしい病気があるものなのだろうかと怖気だった。それでも、これまでアフリカの風土病の域に収まってきたのは、その致死率の高さから「他人に感染する前に感染者が死に至るため、蔓延しにくい」という側面があったからだという。
 ※フィリピンでは家畜への感染例があるとのことである。アジアは無縁というわけにはいかない。
 しかし、今回の流行にはこれまでにない特徴があるのだという。もともとウィルスは突然変異を繰り返しているものらしいが、世界保健機関(WHO)は今回の新株に以下のような特徴が認められると発表している。
 ①潜伏期間が長い
 ②これまで確認されているエボラウイルスに比べて死亡率が低い
 ③強力な感染力
 潜伏期間が長く、死亡率が低い(これまでは約90%であったのに対し今回は57%)ということは、広範囲に感染が拡大する可能性が高いということである。
 エボラ出血熱が知られるようになって30年以上が経つが、これまでの死者数は1,590人(2012年12月現在)であるのに対し、今回は今年の2月に流行が始まってからすでに932人の死者が出ている(8月6日現在)。
 ※また、これまでは患者の血液や便に触れなければ感染しないとされていたが、防護服を着用した医療チームのメンバーにも感染例があり、空気感染の可能性も否定できないという(※)。空気感染があり得るということは、同じ飛行機に乗り合わせただけで感染する可能性があるということだ。
 ※8月13日現在では空気感染の可能性は否定されている。
 実験動物段階では成功例があるらしいが、ヒトに有効なワクチンは開発されていない。もし、世界中に感染が拡大するようなことになったら、人類存亡にかかわるといっても大げさではない。
 杞憂であればいいと思いながら、こんなことを話題にするのは、1918~9年に世界中で猛威をふるった「スペイン風邪」を連想してしまうからだ。
 「スペイン風邪」と呼ばれるが、大流行のきっかけはアメリカが第1次世界大戦に参戦したことによる。ヨーロッパ戦線に送り込まれたアメリカの兵隊がもちこんだインフルエンザウィルスは、大戦による戦死者を上回る死者を出すことになった。戦時中は交戦国は事態を「特定秘密」扱いにした。中立国であったスペインのみが死者数を公表したので「 スペイン風邪」と呼ばれるようになったというのは有名なはなしである。
 一説では、「スペイン風邪」による死者があまりに多かったので第1次世界大戦の終結が早まったともいわれている。世界中で4~5000万人が死亡したとみられているが、日本でも39万人の死者があったという(実際にはもっと多かったらしい)。
 当時とは比較にならないくらい、世界のグローバル化はすすんでいる。アフリカへは日本の企業も多数進出していることだろうし、今回感染が広がっている西アフリカではないが、南スーダンには自衛隊がPKO参加している。
 対岸の火事と思わず、危機意識をもって注目していく必要があると思う。


by yassall | 2014-08-07 14:37 | 雑感 | Comments(0)

2014年度全国学校図書館学習交流集会に参加してきた

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 8月2・3日、2014年度全国学校図書館学習交流集会に参加してきた。主催は全教学校司書部、全体集会での記念講演は「原発出前授業」で注目されている川原茂雄氏(北海道高校教師)による「原発と教育」だった。
 全国各地で持ち回りで開催されてきた学習交流集会であるが、今年は日高教と全教が統合されて初めての年、さらに先の国会で学校図書館法が「改正」された直後の集会ということで、これまでとは異なった緊張感が感じられた。
 私は現役を退いた後、4年ぶりの参加となった。きっかけは7月に「九条の会」があり、閉会後にご苦労さん会をかねて親しい仲間内で酒宴を囲むことになった折のことである。その帰り道、Kさんから「今度、群馬で学習交流集会がある。群馬が手薄らしいので埼玉も応援に入ることになった。先生も来ませんか?」と誘われ、ほろ酔いの私は「それはいいね」と返事をしてしまったのだ。
 学校図書館職員ではない私が集会に参加するようになったのは、10数年前に日高教の学校図書館政策検討委員会にかかわることがあったからだ。同委員会は2002年に『中間報告』を出して解散してしまったのだが、いきがかりからその後も集会への参加を続けることになった。
 現役最後の年の開催地は福島であった。翌年の3月に福島は3.11を迎えることになる。たくさんのことが気がかりなまま、その3月末日に私は退職となった。
 現職でない私が、いくら誘いの声をかけてもらったからといって、のこのこ出かけていっていいものか、実は多少気が引けていないでもなかったのだが、懐かしい顔ぶれと再会できるではないかとの思いがまずあり、出かけて行った。
 考えてみると、4年も経ってしまえばずいぶんと顔ぶれも入れ替わってしまっている。それでも、私が参加し始めたころには新任早々であった方がすっかりベテランとなってレポート発表をしていたり、「私も今年で最後です」という方とお目にかかれたりした。かつてと比較すると、県によって組織的にはずいぶん苦しくなってしまったという実情もあるようだが、参加者の表情は生き生きとしていたし、若い人を引き連れてきていたりしている様子は頼もしかった。
 学校図書館法「改正」の内実を作れるかどうかは、学校図書館運動・図書館教育運動がどのくらい拡がりをもって前進することが出来るかにかかっている。これからも応援していきたいし、微力ながらも手助けできることはしていきたい。
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 会場は舌切り雀のお宿「磯部ガーデン」。温泉街そのものはかつての賑わいを失っているようだが、碓氷川のほとりに立つホテルはなかなか豪華なかまえだった。(写真はホテルを降りた付近の碓氷川の流れ。地学の先生が喜びそうな地層がむき出しになっている。)
 
 

by yassall | 2014-08-04 01:31 | 日誌 | Comments(0)

つい一言 2014.8

 来年度の予算編成に向けて概算要求が始まった。防衛省から過去最大となる5兆545億円の予算請求がなされたことが注目されている。
 新聞でいうと2面にまわされたが、経産省から「もんじゅ」に関連した研究委託費が今年度当初より10%増しの47.5億円が計上されたことも見逃せない。
 「もんじゅ」はトラブル続きで全く稼働の見通しが立たないばかりか、昨年は大規模な点検漏れが発覚して大問題になっている。
 どれだけ予算をつぎ込んでも大枚をドブに捨てているようなものなのだが、核燃料サイクル計画を建て前にプルトニウムをため込んでいるから、「原子力村」の住人からしたら止めるに止められない。
 最近は放射性物質の半減期を早める研究に活用などと宣伝しているが、原理的にも、技術的にも夢のまた夢のはなしだ。
 もしかすると、永遠に完成しないことで半永久的に予算を獲得し続けようとしているのではないかとすら思ってしまう。だが、「原発に対する依存度を可能な限り引き下げる」とした「エネルギー基本計画」にすら逆行しているのは確かだ。(8月30日) 

 自民党は28日、「ヘイトスピーチ」と呼ばれる人種差別的な街宣活動への対策を検討するプロジェクトチームの初会合を党本部で開き、国会周辺での大音量の街宣やデモに対する規制も併せて議論する方針を確認した。(「東京新聞」8/28夕)
 ヘイトスピーチ対策にやっと重い腰をあげたと思ったら、あろうことか国会デモの規制に出ようとは! よほど目障り、耳障りとみえるが、政権に対する批判の声を封じ込める国家にどんな未来が待っているのだろうか?
 ヘイトスピーチ対策にしても、2020年のオリンピック開催にあたって、諸外国に聞こえが悪いというのが動機だという。外聞ばかりで人権問題の本質が問われていない。(8月28日)

 15日の終戦記念日におこなわれた戦没者追悼式で、安倍首相の式辞から「戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進してまいりました」という文章が今年はスッポリ消えていたことを日刊ゲンダイが報じている(8/16)。
 昨年から消えていた「アジア侵略への反省」「不戦の誓い」だけではなかったのだ。「自由民主党」という政党が「自由」にも「民主主義」にもまったく価値を認めていないことがよく分かる。
 だが、何と引き換えにして日本が「自由」と「民主主義」を手にしたかを忘れてしまったのなら、戦没者は浮かばれないはずだと思う。(8月17日)

 日本テレビといえば「読売」系なのであるが、13日の「世界仰天ニュース」は横井庄一氏のことをとりあげていて、好番組だった。鶴瓶と中居クンのフラットさがよく、「戦争はあかんや」というのが庶民感情として自然に伝わってくる。たまたまチャンネルをあわせただけなのだが、8.15を前に4chにも骨っぽいディレクターがいることが伝わってきた。
 自民党の土屋正忠衆院議員が長崎市長の「平和宣言」に「国政に口出しするな」とばかりに噛みついたり、各地の戦跡が消されていったりと、上下からの右傾化が一段とすすんでいる。長野市の「松代大本営」跡の説明板の「朝鮮人の強制連行」の部分にマスキングがされたことが問題となっているが、市では「強制ではなかったのでは?」という「市民」の声に対応したものだという。
 私も見学にいったことがあるが、あれだけの地下壕を急ごしらえするには多くの犠牲があったという。旧日本政府・軍が正当な賃金を支払って雇った人々によって作られたと思う方が不自然である。
 例の「自虐史観」批判が組織化され、「市民」を偽装して行政にゆさぶりをかけているのだろう。だが、はたしてそれはどれほど一般の市民感情に沿っているのだろうか?(8月14日)

 文部科学相の諮問機関・中央教育審議会は、小中学校の「道徳」の教科への格上げに向けた議論のまとめを7日の部会に示した。
 「キーワード」として例示された徳目は、「正直、誠実」、「公正、公平、正義」。文科省によると、このほかにも「友情」や「節度節制」「生命尊重」などが指導内容に加わる可能性もあるとしている。
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 私は人類的価値としての「道徳」「倫理」を否定してはいない。だが、「正直、誠実」、「公正、公平、正義」などと並べられると、いったい誰の口からこれらの言葉が出ているのだと耳を疑ってしまう。
 オリンピック招致のために、「汚染水は完全にコントロールされている」と大嘘をつき、広島の平和式典に出席しては昨年と数語の違いしかない(コピペと揶揄される)首相スピーチをおこない、ブラック企業を野放しにし、セクハラ野次は追及せず、のどこにこれらの「徳目」が見いだされるというのか。
 「隗より始めよ」(言いだしたものから真っ先に着手せよ)ということばある。「節度節制」をいうなら、甚大な環境破壊が懸念される「リニア新幹線」などは直ちに断念すべきだ、という意見に私は賛成である。(8月8日) 

 最近、報道の公正性に何かと疑問が持たれているNHKであるが、6日のNHKスペシャル「水爆実験60年目の真実」は力作だった。
 1954年、ビキニ環礁で実施されたアメリカの核実験で「死の灰」を浴びた日本の漁船は第5福竜丸だけではなかった。しかし、船体や漁獲マグロだけでなく、乗組員にも実施された被曝調査は長い間隠され続けてきた。広島の科学者や高知の研究者が、元乗組員の歯や血液中の染色体異常を調査し、放射線被曝の事実と線量を割り出していく。あたかもアメリカで極秘文書が公開される中、ついに外務省から当時の記録が存在していたことが公表される……。
 被曝の実態を解き明かしていく研究者の努力や取材にあたった記者たちの熱意と勇気に敬意を表するとともに、権力の座にある政府がいかにして自分たちに「不都合」な真実を、被爆者たちの生命や健康を無視してまでも隠そうとするか、そしてそのデータが外務省から出た(アメリカに報告されていた)ことから日本の戦後史におけるアメリカの影がいかに色濃いものかに恐怖をおぼえる。
 ビキニ被災以後、日本国内でいっきに高まった反米・反核の世論を封じ込めるために、アイゼンハワーは「原子力の平和利用」のキャンペーンをはるのだが、それは今日の日本の原子力政策につながっている。番組ではその結びつきに直接はふれないものの、注意深くみれば視野におさまるように編集されている。がんばれ、NHKの良心たち!とエールを送りたい。(8月7日)

 原子力規制委員会による九州電力・川内原発の「適合審査」に対するパブリックコメントの締切日は8月15日です。下記のURLから意見提出フォームへ入れます。原子力規制委員会のHPには「同審査書(案)に対する科学的・技術的意見」の募集とあり、「科学・技術」の専門家でない私たちは一瞬引いてしまいますが、火山活動の「予知」に関する科学的な解明も、短期間での核燃料の「移転」技術も未確立なままです。素人だから気がつく点を指摘すればよいのだと思います。

http://www.nsr.go.jp/public_comment/bosyu140716.html

(ついでに一言いえば、もし火山の噴火が予知できたとして、本当に運転を直ちに停止し、核燃料を取り出す決断をするかどうかも疑問です。「エネルギー基本計画」にいうような「ベース電源」として位置付いていたら、そう簡単に停止できないのではないのか? 「売る」ための電力を作らないという決断を電力会社はできるのだろうか? 福島では想定を越える津波による電源喪失は3.11以前にも社内外から何度も指摘されていたことが明らかになっています。)(8月5日)

 菅官房長官からみで二題:
 ①7月28日、カナダ外相と会談中、「安倍政権の経済政策はうまくいっているのに、なぜ支持率は落ちているのか」との質問に対し、「国民が安全保障に臆病だからです」と答えたという。
 安倍政権のイケイケぶりをみて、日本の将来に危機感を覚える方が健全ではないのか? それを「臆病」というならいえ、というところだが、私は「経済政策はうまくいっている」というのも怪しいものだと思っている。
 確かに自動車の販売数は伸びているとのことだが、物価は上がっているのに給料は上がっていない。大企業の内部留保は増大しているというのに、法人税は引き下げるという。誰のための経済政策なのかを国民は感じ取っているのではないだろうか?
 ②31日には自民党の電力安定供給推進議連(原発推進議連)と会談、川内原発と同じ加圧水型原子炉であれば今後の規制委員会の適合審査を簡略化できるとの考えを示したとのことだ。
 まるでベルトコンベア方式を原発審査でも導入可能といいたいようだが、川内原発の適合審査も知れば知るほど怪しいのに、地形・地質・気候・住民・交通など、様々な条件の違いを無視し得るというのは暴論暴言である。いくら9月までの任期で終わるかも知れないとはいえ、発言が無責任すぎる。
 そんな中、東電に対する「起訴相当」との検察審査会の議決は注目に値する。「誰にも責任はないなどということはあり得ない」のだし、政治家にしろ、企業にしろ、「責任」の所在を明確にさせること、あいまいにさせないことが大事なのだ。(8月1日)


by yassall | 2014-08-01 11:23 | つい一言 | Comments(0)