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オランダ・ハーグ展

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 風呂屋のペンキ絵だって風景画には違いない。浮世絵でも風景は主要な題材である。洋の東西を問わず、人が風景画に心ひかれるのは自然かつ普遍的なことなのである。
 というわけで、オランダ・ハーグ展を見に行って来た。新聞の美術評で知って、久しぶりに風景画が見たくなったからである。新宿・損保ジャパン東郷青児美術館は一昨年のアンソール展以来である。
 もうひとつはオランダという国に対する関心からである。大学入試では世界史を選択していたのだが、東インド会社にはイギリスの東インド会社だけでなく、オランダ東インド会社もあったことは知識にあったものの、オランダにも大航海時代があったのだくらいの理解しかなかった。
 退職も近い頃であったが、佐藤学氏の講演を聞く機会があって、認識が一変した。J.ロック、デカルト、ホップスといった近代政治思想、哲学、国家論の礎を築いた人々はそろってアムステルダムに身を寄せ、その主著をこの地で出版しているというのである。
 活版印刷といえばドイツのグーテンベルグということになるのだが、実はその後、印刷術はベネチアそしてアムステルダムで隆盛となった。出版文化が読者層を形成し、近代的知性を創出していく発祥の地となっていたのである。
 絵画史においても、静物画、肖像画、風景画はオランダで盛んになり、それはオランダがプロテスタントの国であったことにもよるが、それ以上に市民階級の台頭を背景に、教会や貴族階級とは異なる需要が生まれたからである。
 そんなことを思い合わせてみると、江戸の鎖国時代を通じて、日本がオランダのみと通商を結んできたというのも、たまたまオランダがキリスト教の布教に熱心でなかったためだけでなく、西洋文明の窓口として選択に値すると考えたからではないかと思えてくる。
 オランダでは、17世紀の黄金時代の後、経済的にも政治的にも衰えが見られ、芸術活動も低調となった。明治日本が近代化の道を突きすすもうとする頃には、オランダはその目標となることはなかったわけだが、その文明に対する尊敬を忘れてはならないと思うのである。
 さて、閑話休題。オランダ・ハーグ派はフランスのバルビゾン派の影響を受けつつ、19世紀に起こったとある。芸術の中心はパリに移っていたわけだが、画家たちがハーグに集って風景や農民たちの生活を題材にしたのには、故郷の再発見や芸術の復興という意識があったからではないだろうか。
 展示されている作品のどれもがすぐれているということではないが、近代自然主義とよばれるそれらの画家たちの影響を受けながら、やがて後期印象派のゴッホや後に抽象画を手がけたモンドリアンが生まれてくるのである。
 日本で風景画というと山紫水明ということばが連想されるがオランダには山々がない。大地の広がりが風景画のテーマであることがすぐに理解できる。風車や教会がアクセントとして描かれるが、むしろ河川や干拓地といった水の表現にすぐれているものを感じた。また、海景画にもすぐれた作品があり、オランダが海洋国家であることを改めて感じさせた。
 風景画ではパウル・ハブリエル「干拓地の風景」、ヴィレム・マリス「水飲み場の仔牛たち」、人物画ではヨーゼフ・イスラエル「縫い物をする若い女」がよいと思った。海景画ではヤコブ・マリス「漁船」、とくにフィリップ・サデー「貧しい人たちの運命」に心ひかれた。
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        (フィリップ・サデー「貧しい人たちの運命」1901)
 どういう場面であるかは想像でしかないが、漁船につけられた荷馬車は漁獲を市場へと出荷するためなのだろう。女たちが並んでいるのは夕餉のためのお裾分けを請うているのかも知れない。手前の三人は家族だろうか? 合羽らしきものを着てうなだれているのが夫、二尾の魚を握って夫に示しているのがその妻だろう。子どもはしょげかえっている父親を慰めているふうでもある。
 バルビゾン派の巨匠はミレーである。この作品もどことなくミレーの影響を受けているようでもあるが、人物たちの表情の描かれ方はいっそう生活感に富み、それでいて美しい。
 空はハーグ派に特有という銀灰色。カモメたちが漁のおこぼれにあずかろうと集まってくる。オランダが木靴の国だということも思い出した。

「オランダ・ハーグ展」損保ジャパン東郷青児美術館 4.19-6.29


by yassall | 2014-06-27 12:06 | 日誌 | Comments(0)

子がものいる風景

 最近、ウォーキングには遠出を避け、近所の公園の周回コースを利用している。ときどき話題にする平和公園なのだが、小さな池があり、この間から周囲を回っているとなぜか人だかりがしている。歩きながら視線を投げかけてみると、どうやらカモが子育てをしているらしいのである。
 公園に足を運ぶのがいつも夕方なので写真にする機会を逸していたのだが、今日出かける用事があり、思い出して少し遠回りをしてみた。
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 「やあ」とか「おお」とかかけ声がして、すっかり人気者の態であったが、つい先日は「もう、親鳥と同じ大きさになっちゃったかな?」といいながら公園の入口に入ってきた人がいて、子どもらしい姿をとらえるのは限度かな?と心配だった。
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 しぐさは一人前だが、まだどこか初々しさが残る。羽根や足の色も若々しい。
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 ついこの間までは子ガモたちにつきっきりであった親ガモであるが、子育ての手が離れたのか、少し離れた場所で井戸端会議の模様である。

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by yassall | 2014-06-27 00:36 | 散歩 | Comments(0)

都議会「セクハラ」問題 やはり一言

 都議会「セクハラ」問題については口出しするつもりはなかったのだが、鈴木都議が名乗り出た後、定例会最終日を迎えた今日をもって幕引きとなりそうなので遅ればせながら参戦しておく。
 鈴木都議については当日のインタビューでのシラの切り方、そして会派離脱という身の処し方からして、名乗り出たからといって許されるものではない。だいたい、会派離脱で決着をつけようなどというのは、反省の中味が所属政党たる自民党に迷惑をかけてしまった、という程度のものだとあからさまにしているようなものだ。
 ただ、鈴木都議個人の責任にしてしまってよいものなのか、という問題がうやむやにされてしまうことにも危惧をおぼえるのである。自民党都議の間からは、「発言は鈴木だ」ともらす者もあらわれたとのことだが、どうも内部告発による自浄能力がはたらいているというより、トカゲのシッポ切りで事態を沈静化させたいというのに近いようだ。
 私が考えるに、今回の事件は、
 ①塩村都議がまだ素人くささを残す、当選1期目の若手議員であったこと。
 ②所属政党である「みんなの党」が、もともと渡辺喜美氏の個性に多くを負う党であったのに、分裂騒動があったり、政治献金問題から渡辺氏が代表から外れたりする中で、政党として軽んじられる傾向にあったこと。
 ③ヤジの応酬が論争の激しさの証となっているかのような思い込みによる不規則発言が日常茶飯事になっていること。
 というような背景の中で起こっている。
 今回の塩村都議の質問は女性の出産・育児に関するものであった。女性の「社会進出」は自民党も政策に掲げている。本来は激しく対立するような議題ではなかったはずだから、よけいに①②の要素が強かったのではないかと考えるし、最大会派としてのおごりが明らかである。
 口火を切った鈴木都議の「早く結婚した方がいい」はいかにも軽率な発言だが、塩村都議が言葉に詰まったり、涙ぐんだりしているのを見ながら、「産めないのか」と追い打ちをかけた人間の方が私は罪が深いように思う。何よりも女性蔑視があり、少数政党(少数意見)の無視があり、数をたのんだ言論封殺を当たり前のように考えている。
 昨年の都議選で自民党は立候補者の全員当選という、かつてない「快挙」をとげたわけだが、多数を占めるや早くも謙虚さを失い、掲げた政策の信憑性さえ疑われるようになるというのは困ったものだ。今回の一件でも、国内外から批判を浴びるにいたって対応に窮するあまり、「他のヤジは聞こえなかった」「気がつかなかった」「誰が発言したか特定出来なかった」とシラを切ってごまかそうとしているのは本当に情けない。

by yassall | 2014-06-25 14:49 | 雑感 | Comments(0)

速報! 学校図書館法改正案が可決

 6月20日午後7時55分、学校図書館法改正案が参議院本会議において審議され、可決されました。賛成239票反対0票でした。きわめて不十分かつ不完全ではありますが、これにより学校司書がはじめて法律上に位置づけられることになりました。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/186/meisai/m18605186033.htm

(上のURLをクリックすると法案がみられるようにしました。)

別稿、「学校図書館法「改正」後の課題について」もお読み下さい。


by yassall | 2014-06-21 09:59 | 学校図書館 | Comments(0)

コピスみよし第13回高校演劇フェステバル 勝手に名場面集!

 6月15日、コピスみよし2014/第13回高校演劇フェスティバルが開催された。初めての日曜開催であったり、サッカーW杯のコートジボワール戦と重なったりしてしまった中であったが、事務局からは入場券の売り上げも入場者数も昨年を上回ったとの報告があった。
 今年も写真記録を担当したが、いつもは比較的ゆったりと独占できる2階席が午後にはほぼ満席になってしまい、その盛況ぶりが実感できた。というのも、2階席は開演に遅れてきた来場者や途中出入りのある実行委員のためというふうに限定していたのであるが、今年についてはそうもいっていられなくなってしまったからである。成功を喜ぶとともに、おいでいただいた観客の皆様、関係者の方々に感謝を申し上げたい。

 さて、今年は事前に顧問の先生方の了解をいただいたこともあり、勝手に名場面集と銘打って上演順に何点か画像をアップしてみたい。
 「勝手に」と断り書きをしたのは、上演する側にとっての「ここを見せたかった」というのとは違ってしまう場合があるだろし、また「多分ここを見せたかったのだろうな」とは理解できても、肝心のシャッターチャンスが間に合わなかったり、手ぶれや露出過多ないし不足で写真にならなかったこともままあるからである。
 もう一つ最初の言い訳をしておく。毎年、リハのときは1・2階席から、本番では2階席から撮影していたのだが、いつも同じアングルではこちらも飽きてしまうし、絵づくりとしても限界がある。そこで今年は本番でも1階席での撮影を試みようと思っていたのだが、適当なポジションがなく、もし劇の進行や観客の観劇に支障がないポジションがとれたとしても、今度はその場所に固定されてしまうということに気付き、止めにした。言い訳というのは、中央からとサイドからの変化はあるものの、アングルとしてはどれも俯瞰的になってしまったということだ。役者の視線をとらえたい、と思っても、どうしても傍観的・観察的になってしまう。そのへんの物足りなさは堪忍してもらいたい。

川越西高校『volonte』作・久本愛実・川西演劇部

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 すっかり常連校として定着してきた川越西であるが、今年は生徒創作でのぞんできた。フランス革命前夜とおぼしき時代の貴族の姉妹が、幕末動乱期の日本へタイムスリップしてきてしまうという設定である。大きな視野に立とうとすれば、時代の激動期という大状況に翻弄されながら、ささやかな暮らしや人間としての喜びや悲しみを大切にしようという人々の姿というところがテーマだろうか? 家族を守ろうとするも次々と命が奪われていくクライマックスが用意されながら、その死が昇華されるとか、殺戮者が罰せられるとかのカタルシスが得られていないなど、台本の弱点はいくつも指摘し得るのだろうが、歴史と人間というテーマに正面からとりくもうとした意欲はかいたい。演技の方もまじめさが前面に立ち、力み過ぎてしまって空回りしてしまう場面も多々あったが、中途半端にくだけられるよりははるかに好感がもてる。
 さて、写真はフランス人姉妹を交えての食事風景である。蔵(だったか?)の凛々しい視線が印象的である。箱膳は江戸時代から庶民のあいだで普及したとある。この家族はもともと武家出身だったようだが、今は質素な暮らしぶりのようであるから、これはこれでいいのだろう。ただ、箱膳は食器をしまう前に白湯で順々に器を洗い、最後に白湯を飲み干すものであるから、そのシーンも欲しかった。

東京農大第三高校『僕たちは、たとえ何マイル離れていたとしても』作・とうきょうりゅうう

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 農大第三高校はけっこうSF物を得意分野としているのではないか? 今回は亡くなった子どものDNAを用いて作り出された4体のバイオロイドをめぐる物語である。パンフレットを読むと、今回での1話完結ではなく、前後にさらに長い物語が用意されているようだ。そのことを頭に入れておかないと、ストーリーを見失ってしまう可能性がある。
 さて、ここのところの農大第三高校はアクション活劇への挑戦という傾向ももっている。バイオロイドとして能力アップされているという設定は活劇に迫力をあたえるにはうってつけである。それがあるかあらぬか、活劇としての完成度はこれまでで一番高かったように思う。
 写真はバイオロイドたちがそろって、おそらくは自分たちの未来を見つめているというラストシーン。タイトルは「僕たちは、たとえ何マイル離れていたとしても」であるが、やがてはそれぞれがバラバラな道を歩んでいく自分たちの行く末を予感しているのであろう。

星野高校『曲がり角の悲劇』作・横内謙介 潤色・星野高校演劇部

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 台本の指定がどうであれ、最初と最後に置かれた2枚のパネルはいらなかったのではないか? パネルを取り払ったあとの高台はたいへんよく出来ていた。デザイン的にも面白く、ヨゴシも照明に映えてきれいだった。この高台を真ん中にすえてドラマが展開するわけだが、壮大という一言で言いあらわすことができるだろう。
 大人数がもつパワーというのは計り知れない。星野は毎年衣装にも工夫を凝らしてくるのだが、今年の乞食たちの衣装も素晴らしい出来栄えだったと思う。その乞食たちが一大群衆となって蠢いているさまはそれだけで一個の表現たり得ている。(というか、どうせ潤色を加えるなら、うち続く戦火に苦しむこの群衆をドラマの中心にすえてみたらどうか、というような着想がわいてくる。)
 さて、写真はナギがゲロウ(だったか?)に強請られている場面である。私はこのゲロウに今回の最優秀助演賞をあげたいと思うくらいに惹かれるものがあった。声の通りもよく、汚れ役として演技が吹っ切れていた。本人の目的は口止め料としてのいくばくかの金銭なのであるが、ナギはゲロウとのやりとりを通して自らの権力欲にめざめていくのである。「マクベス」や「オセロ」の悪魔のささやきを想起させた。

坂戸高校『桜井家の掟』作・阿部順

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 これから家族がバラバラになっていくという、内容的には悲劇に近いものなのであろうが、これを悲劇として演じてしまったら演劇としては悲惨な結果になってしまっただろう。
 もちろん坂戸はそのような愚を犯すことなく、弾んだ演技でアップテンポに、さわやかに演じきった。一人ひとりの役者が魅力的で、それでいて全体のバランスがととのっていた。
 最後に姉妹たちが両親を讃えたり、許しにいたったりするのだが、その理由やきっかけは安易であり、台本的には弱点がある。彼・彼女たちは台本を超える芝居を作ってしまったといったら言い過ぎだろうか。
 高いテンションが休みなく連続してしまって、緩急をつければもっとよくなるというのはその通りなのだろうが、パワー全開のまま突っ走ってしまえるのも高校生ならではであるし、伸びしろの大きさと受け止めればそれでいい気もする。
 さて、写真は姉妹の一人が連れてくるという恋人がどのような人物かをあれこれ心配しながら、もしもの場合にそなえて撃退方法を予行演習している場面である。振り上げているノコギリが面白い。パワー全開と書いたが、こうした小道具へのこだわりというのか、遊びというのかは大好きである。

筑波大坂戸高校『毛布男とアルパカちゃん(天)』素案・SAGA 作・筑坂演劇部

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 見終わったあと、2年前の『快楽サランラップ(仮)』と同じような感想をもった。2年前に感じたこととは「ナンセンスと皮肉の無秩序な連発でもなく、奇想天外の止めどない横溢でもなく、むしろ切りつめられた、それでも何かがそこに存在しているような、存在せしめられようとしているような方向のようなもの」の存在であり、「笑いはあくまでブラックでありながら、ニヒリズムに止まってしまうことを危うく回避しているような」というものだった。
 そう、こうして2年前に書いた感想を思い起こしてみると、ブラックさとかニヒリズムといったものはいっそう後退し、筑坂の芝居が真正面から時代と向き合おうとしているのだという気がしてくる。
 筑坂だけ写真が2枚になってしまうのだけれど、1枚目はラストシーン。毛布男はペン子に風船を手渡すのであるが、このすぐあと、ペン子は風船を割ってしまう。風船は地球を表現しているのであろうか。地球を救うには手遅れになってしまったくらいに文明による自然破壊は進行してしまったのだろうか。だが、芝居はすぐ下手に置かれていたボディに子どもがもう一度風船をくくりつけるところで幕が降ろされるのである。ここでも『快楽サランラップ』の、絶望を裏側まで掘っていったら希望がある、というのと同様のメッセージを感じる。
 もう1枚は徳川埋蔵金(?)の宝箱からあらわれた二匹の蛇(徳川、家康)がかけあい漫才をしているシーンである。このあたりは筑坂得意の何でもあり的なナンセンスの健在ぶりを示しているのであるが、「消費税が上がって108円だ」「108って煩悩の数だ」というようにその中味はけっこう直球勝負である。演じている役者の顔をみると真面目さが分かる。私はこうした真面目さは好きなのだが、人によっては遊びとして物足りないと感じる人もいるかも知れない。

新座柳瀬高校『Eliza! =SEQUEL "It's Never too Late!"=』原作・G・バーナード・ショー 脚色・稲葉智己

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 さて、最後の一本である。今年は止めようと思いながら、こうして寸評めいたものをしたためてきたのは、実は『Eliza! 』について一言書きたかったからなのだが、かなり疲れてきた。まあ、ここで筆をおいては何にもならないので、気を取り直して書くことにする。
 私も西部A地区にいたので作者とのつきあいも長くなった。もちろん、前日譚にあたる前作も地区大会でみている。
 『真面目に働こう!』というサブタイトルをもつ前作について、作者は「イライザはなぜヒギンズの厳しいレッスンに耐えられたか」というバックヤードを作りたかったのだと述べている。そのつつましやかでありながらも若々しい希望にあふれた主人公をはつらつと魅力的に造形していたし、私は前作は前作で一篇の作品たり得ていたように思った。むしろ、続きは「マイフェアレディ」でどうぞということで、このまま完結でもよかったのではないかと思ったのだった。
 というのも、やがて主人公が「貴婦人」となって出自としての庶民階級から離脱し、「上昇」をとげていく物語はあまり見たくないと感じていたのだ。豊かな恋愛感情をもつにいたることは否定しないまでも、ラブ・ストーリーとして展開してしまうのも、そのことで初志が失われていくとしたら本末転倒だと思ったのである。
 作者は、自身のブログで「彼女は一生ヒギンズのスリッパを取ってくる人生と、フレディが彼女のスリッパを取ってくる人生の、どちらを選ぶだろうか?」というショー自身による「後日談」にも触れながら結末のつけ方に悩んでいたが、もしかすると同様の危惧を感じていたのではないかと考えていた。
 そんなわけなので、作者がどのような劇を作ってくるか、期待と不安を半々にしながら上演を楽しみにしていたのである。
 結論をいえば、期待はまったく裏切られなかったということだ。もちろん、フレディに心を許すようになったり、ヒギンズが自分に心を寄せるようになったことにハッとさせられたりといったことがないわけではないのだが、「働くために正しい発音を学ぶなんて信じられない!」との問いかけには「それはあんたたちには分からないことだろう」ときっぱり断言するのである。
 そこで、名場面ということになれば、真っ白なドレスに身をつつみ、二人の男性からダンスの誘いを受けるラストシーンということになるのだろうが、この場面も主人公が「貴婦人」に仕上がったというより、二人の男性を引きつけるだけの魅力をそなえた、一人の女性として成長したシーンとしてとらえるのが適切だと思うのである。
 残念ながらこのシーンは、真っ白なドレスで単サスに切り抜かれているという、露出的にはきわめて酷な条件であるので、私の技量では絵になる写真にはならなかった。
 そこで、この写真なのだが、「私の名前を正しく呼んで欲しいのだよ」とイライザに惹かれていく自分の心の変化にとまどっているヒギンズの心中がよく表情にあらわれていると思ったのだ。
 霧にかすむロンドン(だよね?)を街灯で表現したりと、舞台づくりの美しさもあいかわらずだった。

 以上でやぶにらみは相変わらずながら私の観劇記としたい。

 G5+45-200mm
 GX1+14-42mm


by yassall | 2014-06-18 17:22 | 高校演劇 | Comments(4)

学校図書館法「改正」後の課題について

 6月13日、「学校図書館法の一部を改正する法律案」が衆議院本会議でも可決された。この後、参議院で審議が行われる。
 本来なら参議院も通過し、法律として成立してから話題にした方がいいのだろうが、このところ学校図書館に関する記事にアクセスしてくれる人がけっこうおいでなので、法案成立後の課題として私が考えているところを書いてみたい。ささやかな問題提起になればと思う。

 その前に、前回1997年の学図法「改正」の附帯決議との比較をおこなったが、もういちど要点を整理しておきたい。
 ①いうまでなく「附帯決議」には法的拘束力はない。実際、早々と「司書教諭」との一本化と決めた自治体もあった。しかし、今回は法律として制定されようとしている。
 ②「附帯決議」には「現に勤務するいわゆる学校司書がその職を失う結果にならないように配慮」することとあった。
 「附帯決議」は「現に勤務する」学校司書の身分の保護にふれたものであって、将来にわたって「置くよう努めなければならない」とする法案とはその職務の重要性に対する認識においても、普及および継続を示唆している点においても大きな違いがある。
 ③これまで文科省は「学校司書」という呼称に慎重な姿勢を崩そうとして来なかった。「学校図書館を担当する事務職員」といういい方を続けてきたし、ときおり「いわゆる学校司書」といういい方をすることがあったに過ぎない。今回、かなりためらいがちではあるが、「学校司書」という呼称を用いている。(※この問題についての私見はあとに述べる。)
  ④さらに附則では、その「職務の内容が専門的知識及び技能を必要とするもの」であることを明記している。
 ※「職務の内容」がどのようなものであるかについては、3月に出された「これからの学校図書館担当職員に求められる役割・職務及びその資質能力の向上方策等について(報告)」が参考になる。(「案」の段階での私見については以前に書いた。)

 さて、法案成立後の課題として私が提案しようと思うのは次の4点である。国および各自治体において、法律をどのように運用していくかの問題である。

 ①「学校司書」という職名を一般化すること。各自治体にあっては学校管理規則に職名を明記させること。
 固有の職名をもつということは固有の職務の存在を認めることである。これまで、学校司書を置いて来た自治体にあっても「学校事務一般」との区別されることを避けて職名を定めなかったり、カッコ付きにしていたりした。今回は法律で「「学校司書」という」としているのである。
 また、図書補助員とか整理員といった呼称の不統一についても「学校司書」と改めるようにしていきたい。もちろん、そのためにはその専門性の内実を作っていくことが大切なことはいうまでもない。

 ②独自の採用試験を実施させること。
 法案に、「職務の内容が専門的知識及び技能を必要とするものであること」とあるのが根拠になるだろう。
 「学校司書としての資格の在り方、その養成の在り方等について」は検討課題となっている。そこで、募集にあたっての資格要件や、独自の採用試験を実施しようとする場合に試験内容をどうするかについて、現時点での決定項を欠くことになる。
 だが、方向性として、図書館に関する科目、学校図書館に関する科目、教育学・教育法規等に関する科目が基礎になることは疑いないと思われる。現在でも、多くの自治体が「司書講習ないしは司書教諭講習の単位を履修していること」といった基準をもうけている。将来、独自の資格あるいは免許が確定した段階においても、現職者が基礎的な科目を履修していれば一定の読み替えは可能であるだろうし、残りの単位修得も比較的容易になるだろう。

③専任の職員とすること。
 法案にいう「専ら学校図書館の職務に従事する職員」が根拠となるだろう。

 ④これまでの蓄積を活かした研修体制を作り上げること。
 法案が「国及び地方公共団体は、学校司書の資質の向上を図るため、研修の実施その他の必要な措置を講ずるよう努めなければならない。」(6条2)としているのは、専門性に立った「学校司書」の資格を定め得なかった限界を示している。
 しかしながら、「研修」の義務化はまた研修権の認知でもある。「国及び地方公共団体」によって組織的に行われなければならないとしたところにも、運用によっては可能性を大きく広げることができる。
 めざすところは「学校司書」の全校配置であるが、逆にいえば「学校司書」は各校では一人職種であることが大多数であろう。「学校司書」を各学校で孤立させないためにも研修会等の実施は必須である。
 その際、これまでの蓄積を活かす観点から、再任用者による支援員制度をもうけたり、各自治体・地域ごとに支援センターを設立したり、既存の研究団体と協力したりすることが検討される必要がある。

 このように並べてみると、どれも実現には多くの困難が予想される。法案が成立すれば、実施は来年度当初からということになる。この一年間で出来ること、来年度以降の運動への布石として打てること、すぐにでも行動を開始して欲しいと思うのである。

 最後に、「専ら学校図書館の職務に従事する職員(次項において「学校司書」という。)」という条文の煮え切らなさについて一言する。
 私個人としては、「学校司書」という職名を確固とするためにも、学図法のみならず学校教育法に職名が明記されるべきだと考えている。「司書教諭」と比較してみれば分かりやすい。学図法では「司書教諭」は教諭をもって充てるとしている。学校教育法に明記されている職名は「教諭」なのであり、「司書教諭」はいわゆる「充て職」なのである。(つまり、厳密にいえば「司書教諭」という職は存在していないのである。)
 その意味では「「学校司書」という」といういい方はいかにも煮え切らない。ただ、これは新たな職をもうけることによる予算措置に慎重な行政側の思惑ばかりではなく、学校図書館職員をめぐる全国的な現状を反映してもいるのだということは認めなければならない。
 各自治体、各校種によって、資格も採用形態もばらばらであるという状況があり、しかもそれぞれに一定の歴史的蓄積が存在している。それらを統一してからでなければ先へ進めない、あるいは一気に基準を定めて基準にあてはまらないものは切り捨てる、というのも乱暴な議論である。
 それらを踏まえながら、上記の①~④を提起したつもりである。各学校に配置されていく「学校司書」が有する基礎的な資格や身分が安定的になっていくことで、次の段階へとすすんでいくための条件も整っていくのだと考えるのである。


 《参考1》 学校図書館法の一部を改正する法律案

 学校図書館法(昭和二十八年法律第百八十五号)の一部を次のように改正する。

 第七条中「国は」の下に「、第六条第二項に規定するもののほか」を加え、「左の」を「次の」に改め、同条第三号中「前各号」を「前二号」に、「外」を「ほか」に改め、同条を第八条とする。

 第六条を第七条とし、第五条の次に次の一条を加える。

 (学校司書)

第六条 学校には、前条第一項の司書教諭のほか、学校図書館の運営の改善及び向上を図り、児童又は生徒及び教員による学校図書館の利用の一層の促進に資するため、専ら学校図書館の職務に従事する職員(次項において「学校司書」という。)を置くよう努めなければならない。

2 国及び地方公共団体は、学校司書の資質の向上を図るため、研修の実施その他の必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

   附 則
(施行期日)
1 この法律は、平成二十七年四月一日から施行する。
 (検討)
2 国は、学校司書(この法律による改正後の学校図書館法(以下この項において「新法」という。)第六条第一項に規定する学校司書をいう。以下この項において同じ。)の職務の内容が専門的知識及び技能を必要とするものであることに鑑み、この法律の施行後速やかに、新法の施行の状況等を勘案し、学校司書としての資格の在り方、その養成の在り方等について検討を行い、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。  

 理 由
 学校図書館の運営の改善及び向上を図り、児童又は生徒及び教員による学校図書館の利用の一層の促進に資するため、学校司書を置くよう努めるとともに、国及び地方公共団体は学校司書の資質の向上を図るための研修の実施その他の必要な措置を講ずるよう努める等の必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。


 《参考2》 「学校司書」に対する文科省の態度の変遷

○「学校図書館法の一部を改正する法律等の施行について(通知)」(1997/6/11)
「学校図書館担当の事務職員は、図書館サービスの提供及び学校図書館の庶務・会計の職務に従事しているもの」
○「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」(2002/8)
「学校図書館を担当する事務職員は、司書教諭と連携・協力して、学校図書館に関する諸事務の処 理に当たっている。今後、学校図書館の活用を更に充実するため、各地方公共団体における事務職員の配置の取組を紹介して、学校図書館の諸事務に当たる職員の配置を促していく。」
(旧案『学校図書館を担当する事務職員は、司書教諭を補佐し、学校図書館に関する諸事務の処理
に当たっている。』)
○「文字・活字文化振興法」(2005)
 2 国及び地方公共団体は、学校教育における言語力の涵養に資する環境の整備充実を図るため、 司書教諭及び学校図書館に関する業務を担当するその他の職員の充実等の人的体制の整備、学校図書 館の図書館資料の充実及び情報化の推進等の物的条件の整備等に関し必要な施策を講ずるものとす る。(8条)
○「学校図書館のチカラを子どもたちのチカラに」(2008/6)
 「学校図書館活動の充実を図る上では、例えば高校だけでなく、小中学校にも「学校司書」を配置して、司書教諭等と連携しながら、多様な読書活動を企画・実施したり、図書サービスの改善を図ったりしていくことなども有効です。」(学校図書館の諸事務に当たるいわゆる「学校司書」は、各地方公共団体・学校の実情に応じて、その配置が勧められてきています。)
○「これからの学校図書館の活用の在り方等について(報告)」(2009/3)
 「学校図書館の業務の専門性を考え合わせると、専門的な知識・技能を有する担当職員である、いわゆる「学校司書」の役割が重要となる。学校図書館担当職員については、現在、その職務内容の実態等は様々となっているが、「学校司書」として、図書の貸出、返却、目録の作成等の実務のほか、資料の選択・収集や、図書の紹介、レファレンスへの対応、図書館利用のガイダンスなど、専門性を求められる業務において大きな役割を担っている例が少なくない。」
○中教審「今後の学級編制及び教職員定数の改善について」答申(2010/7)
 「学校教育の中で学校図書館が十分に活用され読書活動が推進されるよう、学校図書館業務の充実に向けた教職員定数の改善が必要」


by yassall | 2014-06-17 12:57 | 学校図書館 | Comments(0)

いよいよ今日です! コピスみよし高校演劇フェスティバル

 コピスみよし2014/第13回高校演劇フェスティバルは本日開幕です! W杯、コートジボワール戦はビデオで見ましょう! 
 (私もドログバ選手の哲学的表情に惹かれるものがありますが、高校演劇フェステはビデオではみられません。)
by yassall | 2014-06-15 00:36 | お知らせ | Comments(0)

続報! 学校図書館法「改正」

 既報の方が多いと思うが、6月11日「学校図書館法の一部を改正する法律案」が衆議院文部科学委員会で採択された。
 「専ら学校図書館の職務に従事する職員(次項において「学校司書」という。)を置くように努めなければならない」という内容については、職名のあいまいさにはじまって、いかにも不完全の感がぬぐえない。
 それでも、先の1997年の学図法「改正」の際の付帯決議「司書教諭の設置及びその職務の検討に当たっては、現に勤務するいわゆる学校司書がその職を失う結果にならないように配慮」からすれば、「いわゆる」ではない、「専ら」学校図書館の職務にあたる職員として位置づけ、「職を失う結果にならないように配慮」するから「置くように努めなければならない」とした意義は小さくはない。
 国および地方自治体がこれをどう運用していくかに任されていく部分が多いし、おそらくはこれまで学校図書館運動を支えてきた人々の努力がここまでの到達を果たしたとの同じように、これからも内外からの運動の強弱が学校図書館の未来を決定づけていくことになるだろう。
 審議にあたっては修正案も出されたという。学校司書の法制化にあたっては学図法のみならず、学校教育法の改正も必要であると考えて来た。修正案は同様の趣旨であったようだが否決された模様だ。
 細かな評価は後日として、傍聴においでの方から気になることをうかがったので最後に一言する。
 それは、維新の会の質問である。「地方交付税はひも付き予算ではない。各自治体の裁量に任せるべきだ。」などというのは持ち前の地方自治の強化の主張に立ったものであろうが(それにしてもトンチンカンだが)、「無駄な図書購入・偏向図書購入を減らすべき。文科省は指針を作れ。」との発言もあったという。 
 「偏向図書」とはずいぶんと大時代な言い方だが、どうしても「はだしのゲン」問題などが連想されてしまう。教育への政治介入を当然視する体質がみえて危険である。

  《追録》   学校図書館法の一部を改正する法律案


 学校図書館法(昭和二十八年法律第百八十五号)の一部を次のように改正する。

 第七条中「国は」の下に「、第六条第二項に規定するもののほか」を加え、「左の」を「次の」に改め、同条第三号中「前各号」を「前二号」に、「外」を「ほか」に改め、同条を第八条とする。

 第六条を第七条とし、第五条の次に次の一条を加える。

 (学校司書)

第六条 学校には、前条第一項の司書教諭のほか、学校図書館の運営の改善及び向上を図り、児童又は生徒及び教員による学校図書館の利用の一層の促進に資するため、専ら学校図書館の職務に従事する職員(次項において「学校司書」という。)を置くよう努めなければならない。

2 国及び地方公共団体は、学校司書の資質の向上を図るため、研修の実施その他の必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

   附 則

(施行期日)

1 この法律は、平成二十七年四月一日から施行する。

 (検討)

2 国は、学校司書(この法律による改正後の学校図書館法(以下この項において「新法」という。)第六条第一項に規定する学校司書をいう。以下この項において同じ。)の職務の内容が専門的知識及び技能を必要とするものであることに鑑み、この法律の施行後速やかに、新法の施行の状況等を勘案し、学校司書としての資格の在り方、その養成の在り方等について検討を行い、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。  

 理 由

 学校図書館の運営の改善及び向上を図り、児童又は生徒及び教員による学校図書館の利用の一層の促進に資するため、学校司書を置くよう努めるとともに、国及び地方公共団体は学校司書の資質の向上を図るための研修の実施その他の必要な措置を講ずるよう努める等の必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

 



by yassall | 2014-06-12 01:36 | 学校図書館 | Comments(0)

速報!学校図書館法「改正」の動き

 学校図書館法に「学校司書」を位置づけようとする衆議院文部科学委員会での審議日程が決まったとの情報がありました。

 
  6月11日(水) 10時半理事会、10時40分委員会

  学校図書館法改正案(10日提出、付託前提) 趣旨説明聴取

  質疑1時間  公明10分、民主20分、維新10分、共産20分


 詳しくは「学校図書館を考える全国連絡会」のHP http://www.open-school-library.jp/ で。(6月3日時点での法案も参照できます。昨年の「骨子案」からの前進はあまりみられません。)


by yassall | 2014-06-10 11:47 | 学校図書館 | Comments(0)

コピスみよし2014/第13回高校演劇フェスティバル迫る!

 コピスみよし2014/第13回高校演劇フェスティバルがいよいよ間近になってきました!
 チラシの裏にバスの時刻表がありましたので貼り付けておきます。あわせて、プログラムももう一度アップします。無料送迎バスもありますので、ぜひぜひお誘いあわせの上、ご来場下さい!

6月15日(日)
〈プログラム〉
9:40 開場
9:50~10:10 開会式
10:00~11:00 埼玉県立川越西高等学校
  『volonte』作:久本愛実・川西演劇部
11:20~12:20 東京農業大学第三高等学校
  『僕たちは、たとえ何マイル離れていたとしても』作:とうきょうりゅう
(12:20~13:20 昼休み)
13:20~14:25 星野高等学校
  『曲がり角の悲劇』作:横内謙介 潤色:星野高校演劇部
14:45~15:45 埼玉県立坂戸高等学校
  『桜井家の掟』作:阿部順
16:05~17:05 筑波大学附属坂戸高等学校
  『毛布男とアルパカちゃん(天)』素案:SAGA 作:筑坂演劇部
17:25~18:25 埼玉県立新座柳瀬高等学校
『Eliza! =SEQUEL "It's Never too Late!"=』原作:G・バーナード・ショー 脚色:稲葉智己
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by yassall | 2014-06-06 10:20 | お知らせ | Comments(2)