<   2014年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧

『方丈記』と「個我」覚え書き

  半年ほど前から『方丈記』と「個我」というようなことについて考えているのだが、いっこうに思考がすすまない。理由は「方丈記」あるいは鴨長明について何ごとかを論じられるような勉強はしてこなかったことと、「個我」というような発想自体が近代文学上の問題なのだが、その近代文学でも「個我」のあり方が揺らいでいるからなのだろう。
  身体には「自分でないもの」を厳密に排除しようとする免疫が備わっている。「他の誰でもない、たった一人の我」などというものは、身体にしか存在しないという考え方もある。いわれてみれば、「思想の自由」などといっても、私が日本語で考えている限り日本語の枠内から自由ではあり得ず、日本語という全体の一部でしかないということになってしまう。いや、身体にしたって遺伝子からは完全に自由ではあり得ない。
  どっちの側から入ろうとしても、たちまち行き詰まりに陥ることは目に見えているわけなのだが、せっかく考え始めたことなので少し書いてみる。

  「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。」

  『方丈記』冒頭にいう「人」とは何か、というのが最初だった。下鴨神社の禰宜の次男として生まれながら、家職を継ぐ望みを失って出家するにいたった筆者の、仏教的無常観を表明した部分と一般的にいわれる。
  すると、ここでいう「人」とは「朝に死に夕に生まるるならひ(=法則)」に生きる、いわば普遍的存在としての人間であり、せいぜい集合としての人間を指しているのであって、「個我」としての人間という発見はされていない。その証拠に、「人と栖」とあるのに、これに続く文章はもっぱら「栖」の方に関心の重点があるようで、「高き賤しき人の住まい」は「世々を経て尽きせぬもの」ではあるが、「昔ありし家は稀」で「大家ほろびて小家となる」と書き、「住む人もこれに同じ」と添えられる。それも「二三十人が中」の「ひとりふたり」としての人間なのである。
  『方丈記』が教科書に出てくれば、教師は必ず無常観を口にするから、私もそのように読み取り、また生徒に教えて疑いもしなかった。そこには『方丈記』における「個我」の目覚め、などという問題意識はまるでなかった。
  しかし、3.11後に堀田善衛の『方丈記私記』が見直されたりしているのを見ているうちに、どうもそれでは済まないような気がしてきたのだ。大火や地震といった災害を見続け、飢饉や飢餓に立ち会いながら、これを書きとめようとする精神性とは何か、というようなことを考えだすと、少なくとも「達観」というような境地とは縁遠いところに立っていたのではないか、というようなことだろうか。
  同時代におきた保元の乱や平治の乱、壮年期に目の当たりにしたはずの源平の争闘に関する記述がないと指摘されるが、関心がなかったはずがなく、むしろ影響が重大であったからこそ、あえて論評を避けたと見ることの方が正しいと思う。

  「予ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋を送れるあひだに、世の不思議を見る事やたびたびになりぬ。」

  鴨長明はこう書く。大火が起これば、火は風に煽られて扇形に燃え広がる。扇の要の地点が火元である。火元をたずねて出火の原因を探ろうとする鴨長明に「ヤジ馬根性」をみたのは堀田善衛であったか。
  私はむしろ「予」という主語の提示に、観察主体としての「自己」の自覚をみることが出来るように思ったのである。40余年にわたろうとする歳月の中で、有為転変する世を見ることが単に諦観とともにある一方的な受容ではなかったことの証が、大火が起これば火元を確かめずにはおられない行動であったのではないかと考えたのである。
  「自分」の目で確かめなければならない、と思い立ったとき、鴨長明は一個の能動体であった。「自分」の目という定点が得られた以上、その目が「我」と我をとりまく「世界」とに注がれないはずがない。
  古代から中世へという歴史的転換期にあって、その象徴となる政変に無関心であったはずもなく、おそらくは没落するみやびへの愛惜に止まるものではなかったはずだと考える理由もそこにある。

  「そもそも一期の月影かたぶきて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向はんとす。」
  「みづから心に問ひていはく、世を遁れて山林に交るは、心ををさめて道を行はむとなり、しかるを汝、すがたは聖人にて、心は濁りに染めり」

  『方丈記』しめくくりの段である。観察の対象はすでに世事ではなく自己の内面に向かっている。「汝」と呼びかける相手は自分であり、ここにあるのは自問自答、すなわち心の中の対話である。悟りを得ようと「聖人」の道を求めながら、「心」はいまだ混迷にあるという。
  「知らず、生れ死ぬる人いづかたより来りて、いづかたへか去る」とうそぶきながら、たった一人生まれ、世界と自己を見つづけ、たった一人人生を閉じようとする姿勢に「個我」を見ずに何を「個我」というべきだろうか。
  近代における「個我」の揺らぎがあるとすれば、逆に「個我」の意識を近代にのみ特有のものと考える必要もないように思うのである。
   ※
  「方丈記」は仏教思想のプロパガンダでも、動乱期を記録した見聞録でもなかった、というようなことが書きたかったらしい。こうして考えてみると、「平家物語」で合戦に臨む武士が名のりをあげるのも、あるいは「個我」の自覚ではなかったかと考えるようになった。確かに「○○出身の」「○○一族の」「○○の一子の」のあとにやっと己の名が告げられるのだが、そもそも人間という存在が関係性の網の「目」にあり、それでいてかけがえのない「個」であるという両面性を有しているというのは当たり前のことなのである。武士達が一族の栄誉や家名を背負いながらも、自らの死と直面するという実存的な状況下で「個我」に目覚めていった、と考えることはそう不自然なことではないと思うのである。
   ※
  そもそも「個我」とは何か。字面からすれば「単独者としての・自意識」というところだろうか。あれこれ考えているうちに、苦しまぎれに昔読んだ本のことを思い出した。書棚を探したが見つからない。何という題名だったかを思い出せないままなのだから見つかるはずもない。(図書館で借りた本だったらしいと後で思い出す。)そうこうしていうちに、ノートをとってあったことを思い出した。ノートの方は見つかった。
  さて、その本(佐田啓一『個人主義の運命』)ではジンメルによる個人主義の二類型が紹介されている。①量的個人主義(単一性)と、②質的個人主義(唯一性)である。①を支えるものは理性であり、18世紀啓蒙主義による人間の尊厳の思想を背景とし、②を支えるものは個性であり、19世紀ロマン主義による自己発展の思想を背景としている。
  「単一性」と「唯一性」というのは分かりやすい。理性は普遍性と結びつき、個性は持続性と結びつく。つまり「個我」とは、自己の一体性(統一性)と連続性(持続性)を内容とする、人格的主体のことであるということになる。
 ただし、これらは近代思想の産物であり、ときとして揺らぐ。その揺らぎとは一体性と連続性の揺らぎである。そのことはここでは触れない。

「方丈記」『日本古典文学全集27』小学館
佐田啓一『個人主義の運命』岩波新書(1981)


by yassall | 2014-05-28 12:12 | 国語・国文 | Comments(0)

亀山郁夫+佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』

  先週末、3日間ほど入院することになった。理由はあまり書きたくないのだが、治療というよりは処置というのに近く、オペの翌日には退院となり、差し支えなしとのDr.のお墨付きも得てさっそく晩酌も再開した。いまいましいが、大なり小なり身体によって人生が支配を受けるのは誰しものことである。
  さて、短期間とはいえ入院生活の退屈さは知っているので、新書程度の本でも持って行こうと思い、書棚に買ったままになっていたのを取り出したのが本書である。
  ロシア文学者と元外務事務官として旧ソ連大使館に勤務した両者による、ロシア文化と国民性、その歴史と現在を解き明かそうとした書というところだろうか。
  亀山郁夫はともかく、佐藤優という人物は正体不明なところがあり、買ったはいいがそのまま放置していたのもそれが理由のようなものなのだが、読んでみては面白かった。ドストエフスキーを理解するにはキリスト教、それもロシア正教に対する理解が欠かせないのだろうが、同志社大学大学院神学研究科修了という佐藤優が亀山郁夫をフォローあるいはやんわりと修正を加えているというような展開なのだ。
  対談の時期が、プーチンが最初の大統領任期を終え、メドヴェージェフに交代したころで、「2012年にプーチンが再登板」する可能性は低いだろうと予想しているなど、観測外れになっていることはご愛敬というしかない。それでも、旧東ドイツの統合後の状況を目の当たりにしたプーチンは新自由主義経済に対する警戒心を持っており、新ユーラシア主義ともいうべき国家イデオロギーを打ち立てようとしているとの指摘は、最近の中国との接近を暗示させて興味深い。
  亀山はジノヴィエフの「スターリン崇拝は人民権力の一部だった。この崇拝は上から植えつけられたが、それ以上に下から生じてきた」(『余計者の告白』)を引用し、「僕が信頼する唯一のロシア論」という。また、「魂」というと個人に属するものという意味合いが強く、「霊性」ともいうべき民族性が存在するという。
  そこからドストエフスキーにおける「父殺し」のテーマ、さらには「カラマーゾフの兄弟」(亀山は「皇帝殺し」のテーマが隠されているという)における「大審問官」のテーマを読み解こうとする。あまり単純化してもいけないが、「父」なるものの下での一体性(ソボールノスチ)が希求され、「父」による罰をも受け入れる精神性とでもいったらいいのだろうか。「父殺し」はまた「父」の再生でもあるのだろう。
  「ハムレット」にたとえて、レーニンが先王であるとすれば、偽王がスターリン、ハムレットにあたるのがさしずめブハーリンあたりになるが、偽王を倒すにはいたらず逆に粛正されてしまった、というのは分かりやすい。
  極端から極端へ走る「分極性」、「熱狂」と「ユーフォリア」もまた「ロシア的なもの」だといい、さらにはベルジャーエフがロシア人を「終わりの民」と呼んだことにちなみ、終末論的感性に裏打ちされたロシア・メシアイズムが強烈に存在し、「新しい神の王国」の建設に向かう意志として働くという。小国であるチェコがロシアを嫌うのは、その「ヒステリー」的な影響を恐れるからだという。
  ここまでくると、佐藤の方が「一神教には終末論的な傾向が強く認められ、ロシアのみの特性とはいえない」と冷静である。ただし、ロシアにおける一体性は「広大なロシアという大地に点在している共同体が核」になっているという亀山の主張には、佐藤も「ミール(農村共同体)の有機的一体性というのは、ナショナリズムによる民族と国家を一体視するネーション・ステート(国民国家)とは本質的に異なる」として賛意を示している。
  こうして書いているときりがなくなるが、ロシア論という範囲をこえて、なかなか刺激に富む書物であった。

【もう一言】「物語」もキーワードのひとつ。個人が個人として成立するためには物語が必要なように、民族が民族として、あるいは国家が国家として存立するためには物語が必要であるのだろう。だが、それはときとして危険でもある。

【さらに補足】佐藤優について。別な書物で、佐藤氏が県立浦和高校の出身であることを知った。浦高時代に埼大の教授を講師に北浦和の労働会館で開講されていたマルクス主義の学習会に通っていたとのことである。その早熟ぶりは今に伝わっているという。労働会館には会議や集会で何度も行った時期がある。正体不明なのはあいかわらずだが、それだけのことで存在が身近に感じられるようになった。


亀山郁夫+佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』文春新書(2008)


by yassall | 2014-05-27 00:47 | | Comments(0)

笹本恒子100歳展

c0252688_20121073.jpg

 この週末から来週にかけて、また1週間ほど行動を制限しなくてはならないことになった。そこで、今週のうちに行ってしまえ、と横浜まで出かけて来た。
 日本新聞博物館はみなとみらい線・日本大通り駅を降りてすぐのところである。外観は重厚なつくりになっているが、内部は近代的である。企画展は下の写真のエスカレータを上がった2階、右側にみえるのは初期の新聞印刷用のオフセット印刷機だそうである。巨大である。
c0252688_20124399.jpg
 笹本恒子は日本最初の女性報道写真家ということである。以前から注目ししていたというようなことではなく、この写真展でしか詳しいことは知識がないのだが、戦後を写した写真では「銀座裏のバーの進駐軍兵士と幕下力士」とか、「三井三池闘争」の婦人部の人びとを写した写真に女性らしい視点がいきているように感じた。
 人物写真の展示が多かったが、同じようなことはこちらにもいえるように思った。壺井栄、佐多稲子、宇野千代、沢村貞子、斎藤史などの肖像からは親愛と尊敬が伝わって来る。男性の写真も数があるが、室生犀星、野村胡堂、千田是也などの肖像に味わいがあった。
c0252688_20361791.jpg
 企画展は撮影禁止になっているので写真はない。せっかく横浜まで出たので、今日はLX5を持ち出して、何枚か写真を撮って来た。これは新聞博物館そばの開港資料館(元イギリス領事館)である。
c0252688_20131697.jpg
 資料館庭のバラ。
c0252688_20140894.jpg
 象の鼻パークからの赤レンガ倉庫街遠景。実は久しぶりにLX5を持ち出したのは「カメラ談義コンデジ篇」の下準備をもくろんでいたのだが、あいにくの曇り空で絵にならない(コントラストが低い)。これではLX5がかわいそうである。
c0252688_20143784.jpg
 もちろん、近くまで寄ってみる。平日なのに家族連れやアベックでけっこうにぎわっていた。(肖像権を侵害しないように人物をうまく取り込めるといいのだが。)
c0252688_20161136.jpg
 いつもと違うルートだったからか、汽車道に出るのに少し迷ってしまった。
c0252688_20164164.jpg
 日本丸はもういいや、とは思ったのだが、みなとみらい駅まで歩く途中だったので。今日はマストがまっすぐである。

 LUMIX LX5

 



by yassall | 2014-05-20 20:47 | 日誌 | Comments(0)

そうだ!散歩にいこう! 浮間公園

c0252688_18324470.jpg
 あまりに空がきれいなので、「そうだ!散歩でもしよう!」と思い立った。すでに昼近くだったので、遠出はできそうにない。そこで、久しぶりに浮間公園に行ってみることにした。
c0252688_18292259.jpg
 まず、小豆沢から新河岸川に向かうのだが、いつもこのルートを通る時に不思議に思うのがこのドアなのだ。
c0252688_18293660.jpg
 なぜかというと、反対側がこうなっているからである。まあ、建て増しか何かが原因しているのだろう。(勝手に撮影してごめんなさい!)
c0252688_18291088.jpg
 別にこんな家ばかりが並んでいるわけではないのだが、風雪を感じさせるたたずまいになぜか惹かれてしまう。一度だけ撮影会でいっしょになった人の影響なのだが、私がねらってもうまく撮れない。
c0252688_18303027.jpg
 さて、新河岸川に到着する。いつかも紹介した水上バスの発着所である。今日はこれからずっと川沿いを荒川まで歩く。
c0252688_18305488.jpg
 途中、また何ともいえない風合いの工場が……。
c0252688_18312196.jpg
 渡船場があったころの供養塔との説明書きがある。真ん中の石塔には不動明王が彫られていた。
c0252688_18314646.jpg
 浮間橋に到着する。頭上は埼京線の鉄橋である。
c0252688_18321969.jpg
 荒川に出て土手沿いを歩く。けっこう一所懸命に歩いたので写真が少ない。
c0252688_18334108.jpg
 ほどよい疲れが出たころ浮間公園に到着する。もとは旧荒川の一部を農業用水として利用するための溜池である。
c0252688_18332058.jpg
 なぜか、カモも散歩中である。…めずらしくないか?
c0252688_18344413.jpg
 カキツバタが群生している。保護区になっている。
 
c0252688_18365993.jpg

 かたちのよいものを何枚かアップしてみる。
 
c0252688_19273851.jpg

 浮間公園は埼京線・浮間舟渡駅の真ん前である。浮間舟渡駅から自宅近くまでバスが出ていたはずなので帰りはバスに乗って帰ろうと思っていた。ところがバス停がみつからない。赤羽行きや東武練馬行きはあるので、発着所で運転手さんに聞いてみると近ごろ廃線になってしまったらしい(!)。しかたがないので、少しルートを変えて歩いて帰ることにした。
c0252688_18362979.jpg

 小豆沢体育館は3月に女子レスリングのワールドカップの会場となった場所である。決勝戦で日本はロシアを破り、2年ぶりの優勝を決めた。
c0252688_18355803.jpg

 途中、野の花などをカメラにおさめながら4時過ぎには帰宅した。

p330


by yassall | 2014-05-17 19:10 | 散歩 | Comments(4)

バルテュス展

c0252688_19565567.jpg

 外出のついでに上野まで足をのばし、バルテュス展を観てきた。このところ活動範囲を制限してきた期間が続いたので、活動再開の手はじめにというのが動機で、絵自体にはあまり興味がなかった。街中にポスターなどが張り出され、話題になっていることは知っていたのだが、「20世紀最後の巨匠」などといわれても、あまり好きになれそうもなかったのだ。
 実際に目にしてどうだったかというと、やはり絵は実作品に触れなければ真価は分からないものだ、ということを改めて実感させられる結果となった(そうでない絵もあるが)。画家の少年時、離婚した母親がリルケと恋仲になり、そのリルケに最初に才能を見いだされたとか、来日の折、一人の日本女性に引きつけられ、年経てその女性が二度目の結婚相手になったとか、エピソードも豊富なのだが、それらをいっさい除外しても、絵のもつ力に引き寄せられてしまったことだろう。
 ポスターなどの印刷物にしてしまうと「濁り」に見えてしまう色彩が、何ともやわらかく、鮮やかさとは違うピュアさとでもいうのか、いつまでも観ていたい(というよりも感じていたい)という気にさせられてしまう。たちまり虜になった、というのでもなかったが、よい時間を過ごさせてもらったと思った。
 (印刷物を否定しておきながらだが、画家についてもっと知りたいと思ったので、ついカタログを買ってしまった。いきなり図版を見るとイメージが狂ってしまうので、少したってから読んでみるつもりだ。おかげで、帰路は荷物が増えて、他に寄り道もせずに帰って来ることになってしまった。)

  上野・東京都美術館 6/22まで

《余談》
 帰宅後、昨日アップした「明治の精神」の冒頭部分を少し書き直したりした。当初の予想より、かなり書き込んでしまったが、書き終わってみるとやはり島田雅彦の方が正しいと思ったり、いや今西順吉が正しいと思ったり。しかし、せっかく書いたので、しばらくそのままにしておくつもりだ。




by yassall | 2014-05-13 20:35 | 日誌 | Comments(1)

「明治の精神」覚え書き


 漱石の「こゝろ」を読んで、不可解さとして後に残るのは「明治の精神に殉死する」という件である。「先生」が自死を決意する契機となったことを押さえられればそれでいい、という読み方もあり得るだろうし、そもそもの動機をあいまいにしないためにも、あまりこだわり過ぎないのが正しいとも思う。

  「「明治の精神」への殉死は口実に過ぎない。乃木将軍が殉死したのに便乗し、個人的な理由で死ぬのである。」(島田雅彦『漱石を書く』)

 島田雅彦のような読み手がそういうのだから、おとなしく従っていてもいいとも思うのだが、やはりどうも気にかかるところである。といいながら、さしたる勉強もせずに来たが、少しきっかけのようなものがつかめたような気がしたので、覚え書きとして書いてみたい。
 覚え書きとしたのは、論文とするには先行する諸研究に対する目配りが絶対的に不足しているし、自分自身でも確信を持つまでには深められていないという自覚があるからである。とはいえ、うかうかしているとこのまま何も書かずじまいになってしまわないとも限らないし、ブログ(個人の記録)という発表形態であるなら、参考資料の出処など、多少のルーズさも許されると当て込んでのことでもある。なに、フリーで身軽な立場だからこそ、書いてしまえることもあるに違いない。

 最初に、問題となる箇所を本文で確かめておこう。

  「すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残つてゐるのは必竟時勢遅れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白さまに妻にさう云ひました。妻は笑つて取り合ひませんでしたが、何を思つたものか、突然私に、では殉死でもしたら可からうと調戯ひました。」(下五十五)
  「私は殉死といふ言葉を殆んど忘れてゐました。平生使ふ必要のない字だから、記憶の底に沈んだ儘、腐れかけてゐたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思ひ出した時、私は妻に向かつてもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答へました。」(下五十六)

 ただし、この時点では「私の答も無論笑談に過ぎなかつた」とあり、ただ「何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たやうな心持ちがした」と続けている。
 「先生」が自死を決意するのは「それから約一ケ月」の後である。「御大葬」が執り行われ、翌朝の号外で乃木大将の殉死を知る。

  「私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行つたものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳に死なう死なうと思つて、つい今日迄生きてゐたといふ意味の句を見た時、私は思はず指を折つて、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらへて来た年月を勘定して見ました。(中略)乃木さんは此三十五年の間、死なう死なうと思つて、死ぬ機会を待つてゐたらしいのです。私はさういふ人に取つて、生きてゐた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、何方が苦しいだらうと考へました。
   それから二三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。」(下五十六)

 自分の解釈に都合のよいところだけを抜き書きする誤りを避けるため、少々長めに引用した。
 明治天皇の「崩御」にあたって、殉死という言葉が「新しい意義」をもって「先生」の心にある方向づけをしたのは確かだろう。だが、自死の決意を決定的にしたのは1ヶ月後の乃木大将の殉死である。それでは「先生」はそのどこに反応したのだろうか。
 すると、まっ先に注目されるのは乃木が「死ぬ機会を待つてゐた」というところではないだろうか。なぜなら、「先生」もまた「死んだ積で生きて行かうと決心」しながらも、生きることの苦痛に堪えかね、「今日に至る迄既に二三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進まう」、すなわち自殺の誘惑にかられてきた人間であるからである。
 それまでその誘惑を押しとどめてきたものは「奥さん」の存在であった。「妻を一所に連れて行く勇気」はなく、かといって「私だけが居なくなつた後の妻を想像」すると不憫でならなかったからである。
 そんな「先生」に決意をうながしたもの、心の堰を切らせた力は、乃木の半生に対する共感であり、「死ぬ機会」の突然の提示である。それを便乗といってしまえばそれまでだが、冒頭に述べた「明治の精神に殉死する」ことを「先生」が自死を決意する契機ととらえる、というのはそういうことである。
 だが、もちろんそれでは終わらないだろう。殉死に見いだされた「新しい意義」とは何か、「其後に生き残つてゐるのは必竟時勢遅れだ」というのはなぜか、そもそも「明治の精神」とは何か、というあたりが焦点となり、問題を解く鍵ともなるだろう。そのような見当をつけながら先にすすんでみたい。

  2
 最初の段階で漱石の天皇・皇室観を見ておきたい。「日記」からよく引用されるのは次のような箇所である。

  「(行幸能にて)皇后陛下皇太子殿下喫烟せらる。而して我等は禁烟なり。(中略)若し自身喫烟を差支なしと思はゞ臣民にも同等の自由を許さるべし。」(1912、明45.6.10)
  「皇室は神の集合にあらず。近づき易く親しみ易くして我等の同情に訴へて敬愛の念を得らるべし。」(同)
  「晩天子重患の号外を手にす。(中略)川開きの催し差留められたり。天子未だ崩ぜず。川開きを禁ずるの必要なし。細民是が為に困るもの多からん。」(同、明45.7.20)

 これらをみるに、一般的な親愛の感情までも否定する必要はないものの、その神格化を否定し、「臣民」に「同等の自由」があるべきだとする漱石を、「明治の精神に殉死する」の件をもって尊皇主義者の仲間に加えることには無理があるように思われる。
 殉死とは「主君が死んだとき、あとを追って臣下が自殺すること」(「広辞苑」)である。しかし、漱石の中にそのような忠誠心や君臣一体のエートスを見いだすことはできない。

 1889(明22)年に制定された「大日本帝国憲法」は第1条で天皇の統治権を規定し、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」(3条)としたが、天皇の絶対不可侵の度合を強めていくのは1910年(明43)の大逆事件のころからではないだろうか。その大逆事件で死刑となった幸徳秋水が草稿を書いたという直訴状をもって田中正造が直訴事件を引き起こしたのは1901年であるが、田中はそのことで罰を受けることはなかったのである。
 「大日本帝国憲法」はそもそもは立憲君主制の基盤として制定され、憲法学上では「天皇機関説」が主流であった時期の方が長く、一知半解のそしりを覚悟していえば、伊藤博文も立憲主義の立場から同様の憲法構想を持っていたという説を耳にした記憶がある。「天皇制」が猛威をふるうようになるのは治安維持法が制定され、さらには「統帥権」の名の下に軍部が独走するようになってのことである。「天皇機関説」が排撃され、『国体の本義』(1937、昭12)が編纂された4年後に日本は太平洋戦争に突入する。
 話が先へ行きすぎてしまったが、明治人の中には昭和期に出現したようなファナティックな尊皇主義はなかった、少なくとも一般的ではなかったと私は考えている。

  「彼はエゴイズムと愛の不可能性という宿痾に悩む孤独な近代人として生きなければならなかったが、明治天皇と乃木大将の殉死という二大事件のあとで、彼は突然、いわゆる「明治の精神」が彼の内部で全く死に絶えてはいなかったことを悟らねばならなかった。(中略)彼の一部が、おそらくは小説の主人公のかたちで、「明治の精神」に殉じられることを知ったのである。」(江藤淳『明治の一知識人』)

 桶谷秀昭はこのような江藤の「文章の主旨」におおむね「同意」するとしながら、「江藤淳のこの漱石像はかなり鷗外的ではないかという印象を受ける」といい、漱石は「古い「明治の精神」」を「明治の時代の終焉とともに背後に押し遣ったにちがいない」としている(桶谷秀昭『夏目漱石論』)。
 ここで「鷗外的」というのは、森鷗外が乃木殉死の5日後に行われた葬儀の日に「興津彌五右衛門」を中央公論社に届けたことを指している。
 森鷗外の方が乃木殉死に対する反応が早かった。「興津彌五右衛門」を読む限り、鷗外は乃木の殉死に過去の「武士道精神」が現代に甦ったことを感じ取っているように思われる。
 これは後から述べることになるが、一方の漱石は明治という時代とともに滅んでいく自分を殉死ということばの中に見ているというのが私の考えである。
 したがって、桶谷のいうような「時代の終焉とともに背後に押し遣った」というのとは少し異なるのだが、それを割り引いてみると、私は桶谷秀昭が正しいのではないかと考えている。
 脱線するようだが、このあたりが同じ保守派の論客といわれ、桶谷を師とよぶ長谷川三千子らと決定的に異なるところなのである。まず作品に対する向き合い方が異なる。思想に対する切実さが違うのである。

  「大正の文化を支配した普遍主義が、西洋市民社会の日本社会への内面化であるという幻想を知識階級に抱かせたときから、明治近代国家が帝国主義国家に変質し、まずアジアの中で急速に孤立の度を深めていったのは、皮肉な運命といわねばならない。」(桶谷秀昭『夏目漱石論』)

 桶谷が続けてこのように書くとき、ますますその思いは強まる。幸徳秋水らの大逆事件が引き起こされた1910年は韓国併合の年であり、日本帝国主義がアジアの植民地支配を本格化していく年でもあるからである。

  3
 それにしても「明治の精神」というものがあるとすれば、それはどのようなものなのであろうか。自明のことであるようにみえて、内実はさっぱりつかめない。
 苦しまぎれに保田輿重郎の「明治の精神」(1938)を読んでみる。すると昭和13年という時点であったからか、意外(?)な書きように驚かされる。
 保田は「世界的精神」こそが明治の精神であったといい、その象徴として岡倉天心と内村鑑三の二人をあげるのである。岡倉天心は「日本の美」を世界に発信した人、内村鑑三は無教会主義のキリスト者であり、非戦論の立場に立った人物であるが、内村のキリスト教は武士道精神と結びついていたともいわれる。したがって「世界的精神」とはいってもコスモポリタンとしてのそれとはやや性格が異なるようなのではあるが、決して偏狭なナショナリズムを強調しているわけではない。
 さらに保田は、「明治の精神は云はゞ日清日露の二役を国民独立戦争と考へた精神である」と書く。ここまで来ると昭和の右派イデオローグたる面目が顔をのぞかせる。だが、日清日露戦争に勝利したことをどう評価するかは別として、日本の国民が戦争の行方に自らの命運を見定めざるを得なかったということは確かであろうし、一蓮托生という意味での国民国家の形成がこの戦争期になされたと見ることは間違いとはいえない。
 すると、国権主義によるか、民権主義によるか、二つの流れに引き裂かれていたことはあるとしても、国家としての存立と独立という、近代国家建設への情熱と傾注こそ「明治の精神」であるといえるだろうか。
 それは具体的には「富国強兵」「殖産興業」としてすすめられた。その裾野では功成り名を遂げようと、政治、産業、軍事、医療、学問、教育、芸術など多様な分野で、多様な人びとの活動があったことだろう。それらをいちがいに「立身出世主義」と切って捨てることはできない。いうなれば「上昇志向」を基調とした「志を持って生きる」ことを「明治の精神」と呼ぶことができようか。

 その意味では、漱石もまた明治人であったということは可能だろう。若き日、正岡子規に宛てた手紙には「文壇に立て赤幟を万世に翻さんと欲せば」、「洋文学の隊長とならん」、「愛国心ある小生」、「狭くいえば国の為め大きくいえば天下の為め」といった、友人相手のややおどけた口調でありながらも、気負いに満ちたことばが散見される。「何をして好いか」少しも見当がつかないながら、「私は此世に生まれた以上何かしなければならん」という悶々とした思いをかかえていたことを後年に告白もしている(「私の個人主義」1914、大3)。
 だが、こうした「事業意識」ともいうべき心情が存在したことをもって、漱石が明治という時代を肯定的に見ていたとか、ましてや礼賛しているとかみるのは早計といわざるを得ない。

 「三四郎」(1908)では、熊本の高等学校を卒業し、帝国大学に進学をきめた小川三四郎が上京の途次で広田先生と同じ列車に乗り合わせ、日露戦争後の世情について次のような会話をかわす。

  「「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。するとかの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。」

 また、大逆事件の翌年に行われた講演「現代日本の開化」(1911)では、日本の「開化」(=近代化)は「外発的」であるとして、「日露戦争以降、世界の一等国の仲間入りをした」かのような世相を批判した。
 さらに遡れば、日露戦争終結の翌年に書かれた「坊っちゃん」(1906)は江戸っ子気質を残す坊っちゃんと会津出身の山嵐を主人公としているが、山嵐が辞職を迫られ、これに憤慨した坊っちゃんも辞表を叩きつけるきっかけとなった中学校同士の大げんかは日露戦争祝勝会の日の出来事なのである。いわずもがなだが、江戸は明治維新を推進した「官軍」によって開城され、会津は会津戦争によって「官軍」に攻め滅ぼされた。「坊ちゃん」で漱石はこの二人が何を怒り、何とたたかう姿を描こうとしたか、そう考えればことは単純な痛快譚では終わるはずもないのである。

  「漱石を官命によって洋行させた明治国家は、漱石が神経衰弱をつのらせ発狂の噂まで滞英邦人間に立てられたほど悪戦苦闘に貢献せんとした国家とは決定的にずれていたことである。」(桶谷秀昭『夏目漱石論』)

 桶谷もまたこのように書くのである。

  4
 「明治の精神に殉死する」といっても、旧世界の規範意識としての忠誠心から発するものではなく、「近代国家」建設にあけくれた明治に対する愛惜の情から発するのでもないとすれば、いよいよ八方ふさがりの態である。
 ここでもう一度、問題となっている本文にもどってみよう。

  「最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残つてゐるのは必竟時勢遅れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました。」

 漱石を反近代主義者とみなすことは適当ではない。実際に現前することになった明治国家に対して肯定的でなかったとしても、漱石もまた日本的近代の探究のために「悪戦苦闘」した一人であることには間違いなく、「最も強く明治の影響を受けた」ことの真実は揺らがない。漱石の文明批評の鋭さとその未来までも見通した射程の長さをみるならば、むしろその可能性も不可能性も含めて、最も深く近代日本の進路を探っていったのが漱石であったと言って言い過ぎではない。

  「維新の革命と同時に生まれた余から見ると、明治の歴史は即ち余の歴史である。」(「マードック先生の日本歴史」1911、明44)

 修善寺の大患の翌年、漱石がこのように書いたのは明治天皇崩御の一年前のことである。

 最後の問題は、「時勢遅れ」とはどのような感情であるか、である。明治とともに生きたという自覚にある者が、その終わりにあたって自らの引き際を感じ取ったということなのか。それはなぜか。漱石が思い描いたところの日本近代と、あるいはついに思い描き切れなかった日本近代と、日露戦争後に現前した明治日本との乖離への絶望感なのか、はたまた重大な健康不安をかかえるに至った漱石自身の、己が人生のある内での達成への断念なのか。
 ここで一気に「こゝろ」全篇に視野を拡大してみよう。「中 両親と私」は短い章であるが、病気を患った父親の子の行く末に対する心配や期待、つまりは家族のつながり、世間的価値観に対する気配りと受容、勤労や質素倹約を尊ぶ伝統的価値観といった、いうなれば現実世界を構成している庶民一般の生活意識がどのようであったか、決して漱石がそれらを視界の外に置いてはいなかったことを示して重要である。
 そして、そうした生活意識からまさに離脱しようとしている青年「私」が置かれるとき、時代の継ぎ手であり、また新たな時代の創造主体である「青年」に漱石の最後の期待があったと考えるのはそう見当違いのことではないように思われる。
 私は先に、漱石は明治という時代とともに滅んでいく自分を殉死ということばの中に見ている、と書いた。その滅びへの傾斜とは同時に再生への願望である。

 
  「一つの時代の終わりは新しい時代の始まりでした。というより、新しい時代はすでに始まっていて、天皇の死とともに古い時代が完全に終わったと感じたのです。「明治の精神」に支配される自分達は時代遅れだという自覚と、新しい時代の青年に対する期待が、先生の遺書には強く感じられます。」(伊豆利彦『夏目漱石』)

 伊豆利彦は民主文学の立場に立った研究者であり、その漱石論も拠って立つところは鮮明なのであるが、次のような一節をみるならば、決して自らの見地に引き寄せ過ぎているとは言えないのである。

  「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。」(下二)

  「明治の精神に殉死する」こととは、ひとつの時代の終焉にあたって、燃焼し尽くそうとするものの中から次世代に受け渡すべきものを拾い出そうととすることであった。「こゝろ」の執筆と同時期になされた講演「私の個人主義」を読んでみると、それが間違ってはいないことを確信するのである。

  5
 それでは漱石が次世代に引き継ごうとしたものは何であったのか、もうひとつの出口を塞ぎながら考えてみよう。
 もうひとつの出口といったのは、「最も強く明治の影響を受けた私ども」とあるうちの「私ども」にかかわっている。「ども」は複数化のための接尾語であるが、ここでは「私」という個人ではなく、同時代を生きた世代一般をさすか、「私」を特化しないためのあいまい表現とみるのが正しいのかもしれない。だが、どうしても「K」の存在を意識してしまうのは、「先生」の直前の回想に次のような一節があるからである。

  「私もKの歩いた路を同じやうに辿つてゐるのだといふ予覚が、折々風のやうに私の胸を横過り始めたからです。」(下五十三)

 「K」における「理想と現実の衝突」の問題についてはここではふれない。ただ、「K」もまた新しい時代の哲学の探究者であったとだけ述べておきたい。「先生」が「Kが私のやうにたつた一人で淋しくつて仕方がなくなった」というとき、その淋しさとは次のようなものである。

  「自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々は、其犠牲としてみんな此淋しみを味はわなくてはならないでせう」(下十四)

 しかし、「自由と独立と己」とは、漱石が到達したところの「自己本位」の思想の生み出すものではないだろうか。それでは「自由と独立と己」と引き換えに失われたもの、それは「天」であったり、「自然」であったりするのかも知れないが、それらを惜しみ、「淋しみ」としてこだわり続けているところに「時勢遅れ」という自己認識があったのだろうか。
 私が塞いでおきたい出口とは、ここから漱石が近代主義から転向し、旧世界的な倫理観に舞い戻ったのだ、というような見方である。

  「小説『心』は、心は心を欺くという主題を描いていた。先生は「私は私自身さへ信用してゐないのです」と〈私〉に語っていた。これは完全な「自己」否定を意味する。「自己本位」の崩壊が、これほどまでに明白に語られているのである。そして「自己本位」の否定は、とりもなおさず「私」の否定にほかならない。先生の「私」は完全に否定されている。これが「則天去私」の「去私」に当たることは、明らかであろう。」(今西順吉『「心」の秘密』)

 今西順吉は仏教者の立場からの漱石の研究者である。インド哲学に関する豊富な知見を駆使し、「識」から作品世界を解明していくさまは「こゝろ」という題名の意味を改めて考えさせられ、多くの示唆に富むものである。しかしながら、反近代主義とは異なるとはいえ、「こゝろ」執筆時、漱石はすでに「自己本位」の思想を否定するに至っていたという説には疑問がある。時期を同じくする「私の個人主義」で「自己本位」の思想を強調したのは、ロンドン留学時代の自分を語ったものであり、学習院の学生相手のものであったからだとか、新しい思想が十分に構築されていなかったからだというのにも無理があると思われる。
 確かに漱石は、「近ごろは自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手なまねをしてもかまわない符丁に使うようです。」(「私の個人主義」)として、私利私欲に固まった個人主義を批判している。しかし、もともとそれは漱石のいう「自己本位」の思想とは別のものである。
 自己が自己として存立しながら他者とつながることを可能にすること、個人の自由が万人の自由であることが可能であるような社会を築くこと、矛盾を矛盾として保持しながらその統一をめざすこと。「自己本位」の思想が否定されたというより、より高い次元への止揚をはかろうとしたところに漱石の思索の発展があったと思いたいのである。
 晩年の漱石が至ったという「則天去私」の境地とは、その矛盾を投げ捨てることではなく、矛盾を矛盾として支える力を得たということではないのか。
 漱石の苦悩をつかみ、その思索の深さを引き継ぐとは、そういうことでなければならないと思うのである。

 ※夏目漱石の「こゝろ」については、以前に「『こころ』断章」を書きました。上はその補論として書いたものです。言葉足らずのところを補う意味で、あわせてお読みいただければ幸いです。

《参考文献》
本文で引用した参考文献は以下の通りです。

島田雅彦『漱石を書く』岩波新書(1933)
桶谷秀昭『夏目漱石論』河出書房新社(1972)
桶谷秀昭『文学と歴史の影』北洋社(1972)
保田輿重郎「明治の精神」『戴冠詩人の御一人者』所収(「保田輿重郎文庫」新学社版は2000)
伊豆利彦『夏目漱石』新日本新書(1990)
今西順吉『「心」の秘密』トランスビュー(2010)
水川隆夫『夏目漱石「こゝろ」を読みなおす』平凡社新書(2005)

 ※今西順吉『「心」の秘密』については、引用部分については否定的な見解を述べましたが、漱石と禅宗とのかかわりはもちろん、「こゝろ」には「先生」と浄土真宗、「K」と日蓮宗など、宗教的見地からの解明が待たれている問題も残されていると思われます。明治期の仏教革新運動が「K」に影を落としているという他の研究者の指摘もあります。その意味で、決してないがしろには出来ない書物であることをくり返しておきたいと思います。

《改稿の記録》
2014.5.13 冒頭部を一部改稿。「明治の精神」にこだわりすぎるともともとの自死の動機を見失ってしまう危険性がある。



by yassall | 2014-05-12 11:43 | 国語・国文 | Comments(0)

さあ、また幕が上がる! コピスみよし第13回高校演劇フェスティバル

 5月6日、今年もコピスみよし高校演劇フェスティバル第1回実行委員会が開催されました。私は親戚の祝い事と重なってしまったので実行委員会には出席できませんでしたが、もちろん本番は万全の体勢で参加します。
 事務局長からプログラムが届きましたので紹介します。フェスティバルの存続は集客にかかっています。ぜひお誘い合わせの上、ご来場下さいませ。

コピスみよし2014/第13回高校演劇フェスティバル
6月15日(日)

〈プログラム〉
9:40 開場
9:50~10:10 開会式
10:00~11:00 埼玉県立川越西高等学校
  『volonte』作:久本愛実・川西演劇部
11:20~12:20 東京農業大学第三高等学校
  『僕たちは、たとえ何マイル離れていたとしても』作:とうきょうりゅう

(12:20~13:20 昼休み)

13:20~14:25 星野高等学校
  『曲がり角の悲劇』作:横内謙介 潤色:星野高校演劇部
14:45~15:45 埼玉県立坂戸高等学校
  『桜井家の掟』作:阿部順
16:05~17:05 筑波大学附属坂戸高等学校
  『毛布男とアルパカちゃん(天)』素案:SAGA 作:筑坂演劇部
17:25~18:25 埼玉県立新座柳瀬高等学校
『Eliza! =SEQUEL "It's Never too Late!"=』原作:G・バーナード・ショー 脚色:稲葉智己
c0252688_12330955.jpg
natsuさんのブログにチラシがアップされていたので、ちょっと拝借してこちらにも貼り付けておきます。

by yassall | 2014-05-08 21:05 | 高校演劇 | Comments(2)

つい一言 2014.5

 地球温暖化の影響で偏西風の蛇行の度合が強くなり、北極の冷気を呼び込むことになった。この冬の大雪の原因についてそんな解説があった。春となり、その心配からも解放されたかと思っていたら、偏西風がらみでまたひとつ憂いをかかえることになった。
 再稼働がとりざたされている川内原発(鹿児島)や伊方原発(愛媛)で事故が起こった場合、放射能はどのようなルートを通って拡散していくだろうか、という問題を斎藤美奈子氏が提起している(東京新聞「本音のコラム」)。それらの原発で事故が発生した場合、偏西風にのって日本列島をなめるように放射能雲が覆っていく可能性があるというのである。
 放射能の影響は距離が離れるにしたっがって薄れていくというが、放射性物質そのものが風に乗って移動してくる場合は話が違ってくる。福島原発事故では8割の放射能が太平洋に流失した。それでも現在も15万人が避難生活を余儀なくされている。偏西風によって日本列島が放射能につつまれたならもう避難先はない。
 太平洋に面している国は数知れない。偏西風は日本の上空だけを流れているのではない。原発再稼働の問題は鹿児島や愛媛や福井だけの問題ではないよ、ということなのだろうが、実は世界に責任を負わなければならない問題のはずなのである。(5月2日)
 ※久しぶりのつい一言となったが、憂いの種がなくなったためではもちろんない。このところ、若い人びとの雇用から正規採用の道がますます遠ざけられたり、残業代の支払いゼロが正当化されようとしたりしていることに、気持ちが塞いでしまっていたのだ。希望は若者たちにしかないではないか。

 連休中に訪欧中の安倍首相はロンドンのシティで講演し、「経済成長のためには安定的で安いエネルギー供給の実現が不可欠。原子力発電所を一つひとつ慎重な手順を踏んで稼働させることにした」と明言(テレ朝news)。
 フライイングは明らかなルール違反である。この人のフライイングは既成事実化するための確信犯である。誰が「稼働させることにした」ことを承認したのか。(5月2日)

 人気漫画「美味しんぼ」が話題になっているらしい。東京電力福島第一原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す場面が描かれ、風評被害を助長するとの批判が集まっているという。福島県は出版元の小学館への抗議文と県の見解を県のホームページに掲載したそうだ。
 一方、漫画にも登場する前双葉町長の井戸川克隆氏は「実際、鼻血が出る人の話を多く聞いている。私自身、毎日鼻血が出て、特に朝がひどい。発言の撤回はありえない」とし、この問題で不快感を示したという石原環境相について「なぜあの大臣が私の体についてうんぬんできるのか」と批判したそうだ。
 私はその漫画を読んでいないし、言及できることはないのだが、こうした問題がおこるたびに出る「風評被害」ということばが気にかかる。もちろん、福島の人びとにとっては切実な問題で、さまざまな努力を無に帰してしまうほどのことなのだろうが、その逆の「安心神話」と対置させてみると、いったいどちらが罪深いだろうかと考えてしまうのだ。
 東京都知事選に立候補した田母神氏がテレビ討論で、「(放射線の)日本の基準は厳しすぎる。福島原発事故では住民の避難すら必要でなかった」と言い放ったのには驚かされた。「風評被害」を批判する人も、何の根拠もなく「安心」といってもらえればそれでいいということではないだろう。
 病院でX線写真1枚とるのにでも、いかに放射線が厳重に管理されているかが知れる。とくに内部被曝による障害は晩発である。すぐに目に見える被害がないからといって、あるいは後になってからでは原因を特定しがたいからといって、「直ちに被害はない」とか「基準内」などと「安心神話」をふりまくのはそれこそ許しがたいことではないだろうか。(5月12日)

 北海道大学から法政大学へ異動した山口二郎氏の「本音のコラム」(東京新聞)がますます冴えている。5/11は集団的自衛権の問題に関連して、人口が減り、社会が衰弱する中で安全保障をどう考えるかという野田聖子氏の問題提起を受け、「政治経済のエリートがいま、この瞬間の利益を追求するあまり、若い世代を牛馬同然の、食べて練るだけの低賃金労働力」として扱っていることこそ、人口減少の最大の原因であるとし、旧日本軍が「国民生活の疲弊が続けば、戦争遂行もままならないと気付き、貧困や格差にも取り組む広義国防を唱えた」のと比して、その「知恵」のなさを批判している。
 旧軍の「広義国防」がどう実現されたかの問題が残るが、「安全をおびやかすのは外敵ではなく、日本社会自体の内側に存在する」というのは大事な視点であると思った。だいたい、国内に矛盾をかかえると外に敵を作って国民の目をそらそうとするのが古今東西の為政者のやり方だから。(5月13日)

 昨日、「安保法制懇」の報告書が提出され、安倍首相は直ちに集団的自衛権の行使に向けての憲法解釈の変更を検討する考えを表明した。
 当初4月に予定されていた報告が遅れたのは、消費税引き上げ直後のタイミングを嫌ったのと、何より反対世論を考慮してのことだろう。何にしてもいよいよ始まったという感が強い。
 これから様々な応酬が与野党間のみならず、与党間、そして国民的な反対運動との間でなされていくことになるのだろう。しかし、こうして表に飛び出してきた以上、相手は何が何でも押し切ろうとする構えでいることを忘れてはならない。
 国民一人ひとりがきちんと自分の頭で考えていくことが大切だと思うので、私もできる限り、自分のことばで語っていくようにしたい。
 最初にいいたいのは、「集団的自衛」ということばのまやかしである。「集団的」というのは「軍事同盟」を結ぶことである。その点でいえば、日本はすでに米国と「安保条約」という軍事同盟を結んでおり、米軍に基地を提供している。
 「自衛」というから日本の防衛に問題を限定しているようによそおっているが、本音をいえば軍事バランスを保つために、相対的に弱まった(※1)アメリカを補完するために、日本の軍事的な参加の範囲を拡げようということである。
 今回は、そのために日米同盟を「攻守同盟」(攻めるのも守るのも一緒)化しようということなのである。(※2)「日本を守るため」に、強力な「抑止力」としての軍事同盟が必要であり、そのために「集団的自衛権」の容認に踏み出さなくてはならないのだ、という人がいる(※3)。だが、「集団的自衛」という考え方が、そもそも「日本を守るため」(のみにある)にあるのではないことを明確にしておかなくてはならない。
 「必要最小限」の軍備による「専守防衛」という枠組みがくつがえされようとしているのである。なんだか、ややこしい事例をたくさんあげて国民を混乱させようという作戦とみえるが、ことの是非を問う焦点のありかを見失ってはいけない。

※1経済的にはともかく、軍事的には依然としてアメリカは圧倒的な力を持ち続けているのではないだろうか。イラク戦争を目の当たりにして、アメリカと一戦交えようという気になる国があるだろうか。これに先立つ湾岸戦争では劣化ウラン弾を使用した。戦争に勝つためにはアメリカは何でもやるぞということも世界に見せつけた。国内では強大な軍事産業が技術革新につとめている。
※2このあたりは「武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争の戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」などと苦しい答弁をしているが、最初から「武力行使を目的」としていなくとも、作戦行動をともにしている米軍が攻撃を受けたとき、その「米軍を守るため」に反撃することも「集団的自衛」ということになれば戦闘に参加していることには変わりがない。
※石破氏は「日本のために世界の人が血を流す、そのときに日本人だけ血を流さないでいいですか?」というような論法を繰り広げている。だが、やはりまやかしだ。日本人が日本を守るために「血を流す」のではなく、アメリカ(世界の人というのもまやかし)の作戦のために戦争できるようにする(人を殺し殺される)のが「集団的自衛」なのである。

 『美味しんぼ』が次号からしばらく休載するという。小学館では東京電力福島第一原発事故をめぐる描写に対して福島県などが抗議していた問題で、19日発売の最新号に「ご批判、お叱りは真摯に受け止め、表現のあり方について今一度見直して参ります」とする編集部の見解が掲載されていることとが分かったという(朝日デジタル)。
 同号で、「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」と題した特集も掲載されるということは以前にも報道されていた。これだけ問題化した以上、必要な措置だと思ったし、作者および編集者側からの説明や反論もあればいいと思っていた。作者は2年間にわたる取材活動にもとづいており、内容が真実であることに自信を表明していたからだ。
 だが、そのようには決着せず、結果的には閣僚もいっしょになった「押さえ込み」に屈服させられたかたちになった。しかし、これで低線量被曝の問題がうやむやにされ、あたかも解決済みのように扱われていくとしたら将来にわたっての傷となるだろう。(5月17日)

 5月12日の「読売新聞」1面に「集団的自衛権71%容認」という大見出しが出た。しかし、すぐ横の円グラフをよく見ると全面支持は8%、限定支持が63%とある。いつもながら政府応援団の「読売新聞」らしいが、その「限定支持」がまたあやしい。
 15日の安倍首相の記者会見では「湾岸戦争やイラクでの戦闘に参加するようなことは決してない」とあったが、17日に読売テレビに出演したの石破幹事長は「何年かたって日本だけが参加しないというのは変わるかも知れない」と発言し、早くも食い違いをみせているからだ。
 これは安倍・石破間で意思疎通が欠けているとか、過激さを競い合っているとかが原因ではあるまい。最近の自民党得意技の二枚舌というのか、将来海外での武力行使に踏み切るとき、「ちゃんとあのとき言ってありますよ。それでも選挙で私たちを選んだじゃありませんか。」という布石を打っているのだ。
 なお、17・18日の共同通信社による世論調査では、集団的自衛権の行使に賛成が39.0%、反対48.1%、憲法解釈による変更には51.3%の人が反対している。(5月19日)

 5月14日、「医療・介護総合法案」が衆院厚生労働委員会で強行採決された。210の地方議会が反対の意見書を可決するなかであった。
 内容は医療・福祉の切り下げである。介護保険では、要支援者は訪問・通所介護が保険給付されなくなる。ボランティアで対処ということになるそうだ。
 これは以前から話題になっていたことで、半年ほど前「たけしのTVタックル」だったか、出演していた片山さつきが追及されて、「検討中ということでまだ決まったわけではありません」と言い逃れしていたのを覚えている。
 いつか書いたように、私の父は1年前に要支援1から2に切り下げられた。実はそのころにはもう表面化していて、調査員も「まだ決まったわけではない。決まる時には代替措置があるはずだ」などと説明していた。
 我が家では現在、訪問介護は受けていない。家族といっしょに生活している限り、確かにそれほど必要ではないだろう。だが、高齢者が一人暮らしでいるときは話が別だ。週3回、買い物に行ってもらったり、家事を手伝ってもらったりするだけでずいぶん助かると思う。
 私は怒っている。国民はもっと怒るべきだと思う。何のために消費税を上げたのか? 「現在検討中」というのは決まるまでは国民の意見は聞きませんよ、決まったら何をいっても無駄ですよ、という意味なのか?
 集団的自衛権の行使に関する記者会見で、安倍首相は「国民の生命・安全を守るため」を強調した。ただのお題目に聞こえたのは私だけだろうか?
 ※福島第一に関連して、「吉田調書」が公開された。「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。」(朝日デジタル)とある。まだまだ隠されていることがある気がする。(5月20日)

 5月16日、教育委員会改悪法案が衆院文部科学委員会で可決された。「この国のかたちを変える」と標榜する人たちがいるが、私には「この国のかたちが壊されていく」としか見えない。
 教育行政にあたって首長権限を強めるというのが眼目のようだが、大阪の橋下氏のような人物にいいようにされて教育がよくなるとはとうてい思われない。
 そういえば、氏は最近の市議会で若手の共産党議員を「若造」よばわりし、答弁もろくにせず、議長からたしなめられたという一件があったそうである。私は最初、氏が「若造」よばわりされ、例によって逆ギレしたという話かと思ったら、確かに「若造」とよばれた議員の方が年齢が下であった。
 それにしても選挙で選ばれた市民の代表を「若造」とは品格に欠ける話である。
 ※「菅官房長官、吉田調書は「公開しない」、理由は明言せず」だそうである。「特定秘密保護法」はまだ効力を発していないし、また「特定秘密」に該当しないはずだ。これが問題にならなくていいのだろうか?(5月21日)

 19日発売の「ビックコミックスピリッツ」を買っておこうと思ったのだが、昼頃にはもう近くのコンビニにはなかった。社会的にも関心が高かったためではないかと思うが、斎藤美奈子氏によると特集は総合誌に匹敵するほどの充実ぶりだったというし、もともと「美味しんぼ」は不定期連載であったから今回の休載も圧力に屈したものではないだろうと書いている。そうだとすれば、作者と小学館の名誉のために「圧力に屈したのでは」との前言を撤回しておかなければならない。ただ、斎藤氏も石原環境相以下の発言については批判している。
 別件だが、荒木田福島大准教授の「福島にはもう住めない」発言については本人は掲載しないでほしいと要望していたそうだ。荒木田氏は原発事故後の被曝対策を批判。自ら除染作業に参加した体験から効果を疑問視し、「脱被曝」「被曝を避ける権利」を訴えてきた。(5月21日)

 福井地裁が大飯原発の再稼働の差し止めを命じた。人格権を正面にかかげ、「これを超える価値を他に見いだすことはできない」とする判決は格調が高い。関西電力は控訴を決めたということだから、上級審でどうなるかは予断を許さないが、脱原発をすすめようとする側にとっては大きな理論的根拠になっていくだろう。
 菅官房長官は判決に関連して、政府方針は「まったく変わらない」と述べ、「安全を客観的に判断してもらったうえで再稼働することは正しい」と強調したという。
 他にも「原発については(エネルギー基本計画で)政府の判断は出ている」(福井県西川知事)、「規制委員会の判断を待たず、司法が結論を出すことには疑問を感じる」(福井県敦賀市長)と、推進派・容認派はさっそく態度を硬化させている。三権分立の原則が分かっていないし、何よりも判決の内容を本当に受け止めているのかそれこそ疑問を感じる。
 司法もそれなりに精緻な検討と覚悟をもって判決を下したはずである。せっかく「待った」をかけてもらったのに、これを押し切れば悔いを千載に残すことになるだろう。
 【もう一言】沖縄教育委員会は竹富町の教科書採択地区からの離脱を決めた。教育の国家統制の強化という問題の根本が解決されたわけではないが、小さな町の勇気ある抵抗が国家の力で押しつぶされるのだけは回避された。
 【余談】週刊誌では「新潮」「文春」が政府応援団だが、「文春」の新聞広告には「「美味しんぼ」雁屋哲は日本が大嫌い」の見出し。まあ、素早いことと感心するが、曾野綾子の「日本が嫌いなら外国にどうぞ」と同様の論調には嫌悪を感じる。日本がよい国であってほしいと思うから批判すべきところを批判しているのだ。
 「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していること」(福井判決)を望むことのどこが間違っているというのだ。(5月22日)

 韓国船沈没事故で修学旅行生らの乗客を船内に残したまま船長以下がまっさきに避難してしまったのは、その船が危険な状態にあることを誰よりもよく知っていたからではないか?
 朝日新聞が入手したという「吉田調書」で、「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。」ことが判明し、「その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。」とあるのを読んで、ふとその沈没事故のことを連想した。
 福島第一で待機命令を無視して所員達が撤退したのは誰よりも原子炉が危険な状態にあることを知っていたからではないか? その上で、緊急に自治体や住民に避難勧告をすべきところをまっさきに自分たちが逃げ出してしまったとしたら、まったく同じ構図だということにならないだろうか?
 たった10キロ先に離れたことで避難になったのかどうか、後先を考えられなかったところもそっくりである。違うところは韓国では船長等は殺人罪で起訴されたが、福島原発事故では誰も責任を問われていない点である。私の妄想とばかりはいえない怖さがある。
 【吉田調書】東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」。菅官房長官は、吉田調書は「公開しない」としている。(5月23日)

 大飯原発の再稼働差し止めを命じた福島地裁判決を受けて、古賀茂明氏と若杉冽氏が対談している(「週刊現代」)。
 ドイツ、スイス、イタリアが脱原発をめざすとしているが、まだ達成されていない。日本は実質「原発ゼロ」の状態にあるが、「景気は好調で、消費税も10%に上げても大丈夫だという状況になってきている」という。
 消費税8%への引きあげでも中小企業には大打撃で、10%に云々は皮肉まじりであろうが、日本が好景気にあるとすれば円安政策のためであって、原油やガスの輸入量は減っていないのに貿易赤字が増えているのはその引き換えなのである。
 いずれにしても、原発がストップしていては日本経済は立ち行かないとか、原発がストップしているから貿易赤字が増大してるという論理が成り立たないことを指摘している。
 「原発で作られた電気が安いと信じているのは、もはや日本だけ」であり、「世界最高水準の安全性をめざすのであれば、そんなに安く上がるはずがない」ともあるが、その「世界最高水準」がまたあやしい。
 「活断層の可能性があるから原発を作るのはやめておこう」が当然なのに、「規制委員会が危ないと判断するなら、逆に証拠を出せと言われる」「絶対に活断層だと証明」しなければならないのは逆だというのだ。
 いっていることはしごくまともなのに、切れ味はするどい。ところで若杉冽氏は「覆面官僚」と聞いたが、「元官僚」の古賀氏とはもともと面識のある間柄だったのだろうか?(5月26日)

 百田尚樹氏の暴言がまた物議をかもしている。24日、自民党岐阜県連定期大会での講演で、「軍隊は家に例えると、防犯用の鍵」だと語った上で、軍隊を保有していないバヌアツ・ナウル両国を「くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」と揶揄したいうのである。
 「戸締まり論」の問題は以前にも触れた。集団的自衛権の行使の問題が「戸締まり」の範囲であるかどうかの問題はあるが、この他国を蔑視したり、さらには敵視したりする態度の方が根が深い。
 バヌアツは「地球上で最も幸せな国」に選ばれたこともある穏やかな国であるという。ナウルはリン鉱石の採掘によって栄え、税金の免除、医療・教育の無償化など、世界で最も高い生活水準にあった時代を有する。鉱石が枯渇した後、深刻な経済崩壊が発生し、国際援助に頼るにいたっているというが、さまざまな条件の違いはあるとはいえ、どうして尊敬や同情ではなく侮蔑のことばが先になるのだろうか。
 また嫌な思いをさせられたなと思っていたら、TVのバラエティ番組に百田氏がたまたま出演していた。はにかんだようにもみえるその仕草やふるまいをみていて、「敵に襲われたらまっさきに武器を持って立ち向かう」ような人物にはとても見えなかった。このような人物に日本の世論が左右されるようなことがあったらたまらない。(5月27日)

 27日、政府は原子力規制委員会の新たな委員として、田中知氏と石渡明氏を新たに起用するとした人事案を衆参両院に提出した。一方、任期がことし9月までの島崎邦彦委員と大島賢三委員は退任することになる。島崎委員は、地震などの自然災害を担当し、運転再開の前提となる安全審査や原発の断層問題に厳しい姿勢で取り組み、事業者から「十分な説明がなされていない」として、公開質問状を提出されることもあったという。
 菅官房長官は記者会見で、「今回の人事案は原発再稼働の布石だという見方があるが」との質問に対して、「それはまったくあたらない。交代する島崎、大島両委員は、今期限りの退任の意向が強かった」と述べた。
 「今季限りの退任の意向が強かった」のはそれだけ外圧がかかっていたためではないのか? この人のいう「まったくあたらない」ほど当てにならないことばはない。いよいよそこまで来たか、という思いが強い。
 ※本当は中国船の衝突によるベトナム漁船の沈没について書こうと思って原稿も用意していた。中越戦争当時を思い出していた。どうか過熱化を避ける努力を望みたいが、両国のコミュニケをみると風雲急を告げているという感がする。(5月28日)

先日も書いたように、「日米安保条約」は軍事同盟である。だから、「アメリカに基地を提供していることは集団的自衛権を行使していることだ」と誰かが言っていたのはある意味で正しい。
 ただ、これまでと同じ事をしようとしているなら憲法解釈の変更も新たな法整備も必要ではない。これまではPKOで自衛隊を海外に派遣したとしても「平和維持活動」や「復興支援」であった。「今までと同じでない」というのは、「まだ平和でない」紛争地域で、「復興支援でない」作戦行動をとり、「急迫かつ自衛のためではない」武器使用を行うということではないのか。

 母子らが乗った米艦のパネルを示し集団的自衛権の行使が必要な事例としたことについて、「あり得ない紙芝居」とさんざん批判された安倍首相だったが、28日の衆院予算委員会では、「日本人が乗っていないから駄目だ』ということはあり得ない。極めて明確な例として『邦人』を示した」と述べ、日本人が乗っているかどうかは米艦を守ることと関係ない、との考えを示したという。「戦闘地域」への自衛隊の派遣についても否定しなかった。
 日本の「防衛」に主眼があるのではなく、これまでの限度をこえて米軍と作戦行動を共にするというのがねらいであることは疑いない。記憶しておくべきは、イラク戦争での教訓はアメリカは自ら「紛争」を起こすための戦争も辞さないということである。(5月29日)
 ※先日、百田尚樹氏がTVのバラエティ番組に出演していたと書いたが、どうもこれは親しみやすさを演出する作戦らしい。安倍首相本人もタモリの番組に出演していた。どこかに作戦司令塔があるのだろう。

 活断層問題に厳しい姿勢で取り組んでいたという島崎氏と大島氏に代わり、政府が原子力規制委員会の新たな委員とする田中知氏について人物像がつかめてきた。
 田中氏は「日本原子力産業協会」理事を2010~12年につとめ、11年には「東電記念財団」から50万円の報酬を受け取っていた。
 12年の民主党政権時の人選基準からは明らかに外れている。自民党の河野太郎氏は「内閣が代わったから基準も変えるというのはおかしい。これでは民主党政権よりも後退したととられてもおかしくない」と話したという(「東京新聞」5/30)。
 同基準とは別に、元原子力学会会長、原発メーカーである日立などから110万円の寄付を受け取っていたという経歴から、「規制」委員としての適格性には誰が見ても疑問がある。ただでさえイチジクの葉としか思えない「世界最高の安全基準」がまた骨抜きになっていく。(5月31日)


















by yassall | 2014-05-01 11:25 | つい一言 | Comments(0)