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竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』

 雑学も好きだ。というより、だいたい頭が雑学的に出来ているのかも知れない。いろいろなことに興味・関心はあるのだが、それらの知識を体系的に組み立てていこうとすると、どこかで限界点に突き当たってしまうことがままある。まあ、抽斗をたくさん持っていれば様々な事象に対処できる可能性を増やすには役立つかなと自分をなぐさめている。
 本書もそんな雑学的興味から手に取った。著者は東北大学工学部土木学科修了の後、建設省で河川事業に携わってきた方である。その専門分野においてはむろんプロ中のプロなのであるが、地形という「土台」から歴史を解明できるのではないかという発想から、様々な古地図や気象の記録をもとに仮説を裏付けていこうとしたのが本書である。
 その意味でいうと正篇の方が面白さに長けているのだが、今回とりあげるのは続篇の【文明・文化篇】、それも番外篇にあたる部分である。ずばり本題に迫れば「3.11後」のエネルギー政策への提言に強く引かれるものがあったのである。
  ※
 著者は江戸時代末期まで日本の文明を支えたエネルギーは木材であったとし、奈良から京都へ、さらに江戸に首都が移動していったのは森林が伐採し尽くされ、新たな木材資源を求めてのことであったというのである。徳川幕府は主だった森林を天領とすることで資源確保につとめたが、それでも江戸時代末期には枯渇寸前で、日本は禿げ山同然であったという。
 明治維新後、今度は化石燃料をエネルギーとすることで日本は発展をとげてきた。その間にも、たとえば日清・日露戦争当時の軍艦の燃料は石炭であり、石炭は国内生産できたが、太平洋戦争になると燃料は石油となっていたこと、つまり戦争の目的が石油確保に変わっていったことなどが説かれているのだが、それらははしょる。
 そして3.11を迎えた。今後、日本に持続可能なエネルギー資源は存在するのか? そこで筆者は筆者らしいしかたで解答を出そうとしている。
 森林を生み出したのも太陽エネルギー、化石燃料は貯蓄された太陽エネルギーというのだが、雨もまた太陽エネルギーの産物だといわれると目から鱗という感がある。
 太陽エネルギーの弱点は、エネルギーの絶対量は大きいが、単位面積当たりのエネルギーが薄いことにあるという。太陽光発電や風力発電の分野はそこで苦しんでいるという。
 1898年に来日したグラハム・ベルは、「日本を訪れて気がついたのは、川が多く、水資源に恵まれていることだ」と述べたということが紹介される。日本の山岳地形はそれ自体は小さなエネルギーである雨滴を集中し、川という「強く濃い」エネルギーの源を作り出している。
 結論を急ごう。それはすなわち水力発電ということになるのだが、筆者はすでに大規模ダム建設の時代は終わったことを認めている。それではどうしたらよいのか?
 筆者は、①既存ダムの運用の変更(既存の洪水と利水を目的とした多目的ダムに発電機を設けて水力発電を行う)、②既存ダムのかさ上げ(10mのダムのかさ上げは新しい100mのダムの建設に匹敵し、土木技術的には十分可能)を提案する。下流に副ダムを作ったり、台風の予想などで、ピーク発電や治水対策との両立は可能だという。そして、試算によれば北海道から沖縄までの分散型で、原発9基分の発電量があるという。
  ※
 再生可能エネルギーといったとき、日本の自然条件を活かしたあり方として水力発電と地熱発電がもっと見直されていいのではないかと、素人ながら考えてきた。その意味では我が意を得たりの感があったのと、次のような挿話と出会うと何がそれを阻んでいるのか、正体を見たように感じたのである。
 筆者はJAPIC(一般社団法人日本プロジェクト産業協議会)水循環委員会で委員長をつとめている。3.11以前、この委員会は火力発電や原子力発電を推進する電力会社からうっとしいと思われていたようで、直接クレームをつけに来た電力幹部もいたそうだ。
 おそらくは原発を再稼働させようと画策している勢力からすれば、その「うっとうしさ」は変わっていないのだろう。ひるがえって、筆者の所属する委員会は水力大好き人間たちの集まりなのだそうである。水力大好き人間たちの奮闘に期待したい。

  
竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』PHP文庫(2014)


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by yassall | 2014-04-24 01:12 | | Comments(2)

西部A地区2014春季発表会

 先週の土曜日、高校演劇・西部A地区春季発表会が開催された。会場はいつもの朝霞コミュニティセンターである。
 顧問OBとなって3年ともなると、やはり立ち位置は一般客に近くなってしまうが、各校の顧問はもちろん観客となって戻って来た卒業生にもまだまだ顔見知りが多く、古巣に帰ってきた感慨がある。会館スタッフのKさんも懐かしい顔だ。今後はスタッフを増員してローテーション体制になるそうだ。ことによると、これからは会える機会が減ってしまうかも知れない。今回、あいさつができてよかった。

 今回の上演校は朝霞・新座総合・和光国際・新座・朝霞西・新座柳瀬の6校である。過去数年間、和光国際と朝霞西はなかなか部員が集まらず、出演にいたらないことが多かったが、3年前くらいから息を吹き返したようになったと思ったら、めきめき力をつけてきた。
 和光国際の演目は成井豊「ナツヤスミ語辞典」。テンポ良く、破綻のない芝居運びの中でも、きちんと感情表現が伝わって来た。昨年もエネルギッシュで好感度の高い舞台だったが、どうしても初心者らしいわざとらしさや大げさな身振り手振りが目立った。そこへいくと、今年は自分たちの芝居を客の視点から見直してみる余裕ができたのか、無理のない、それでいてメリハリのある演技ができていた。
 朝霞西の演目は「その、七日間」。サイコ・ドラマというべきか、サイコ・サスペンスというべきか、生徒創作とあるが心の闇に分け入っていくような内容で、重層的な構成には相当の力量を感じた。内心への目覚めといえば聞こえはいいが、青春期のとば口で出会うそれはときとして他者的で、グロテスクである。著者もまた、内面への深い関心と出口を求めて、哲学書や心理学書を読みふけったのではないか。ただ、それを創作劇として表現しようとすると、思い込みの強い、独りよがりのものになってしまいがちなのだが、(おそらくは顧問の助力もあってのことだろうが)、脚本としてよく書き込まれており、また3人の出演者も相当の存在感と演技力を発揮していて濃密な舞台空間を作り出していた。
 新座総合、新座もこのところ安定して出演し続けている。新座柳瀬は今回もオシャレでハイセンスな舞台を見せてくれた。原作をもちながらむしろ翻案といっていいような独特の脚色で、路線としては我が道を行くというところがあるが、しばらくは地区をリードする存在であり続けるだろう。

 さて、朝霞である。どうしても客観的になれないところがあるのはしかたがない。多少ともかかわりのあった部員はみな卒業してしまったのだが、一昨年に出戻りよろしく3月ほど非常勤講師をつとめたとき、今年の3年生については新入部員当時の様子をみているのである。
 もちろん新しい顧問の方もおいでになり、よけいな手出し口出しは自制したつもりだし、非常勤講師だから放課後残ることもなかった。ただ、人数的にも、素質的にも、先が楽しみに思って来た生徒たちだったのだ。
 幸いにもというべきか、演劇にはずいぶんハマってしまったようで、伝え聞くところによれば毎日の基礎練などもまじめにとりくみ、ほぼ全員が3年生まで続いた様子である。
 ただ、同期生に大人数がいて、しかも個性豊かな部員が揃っていたりすると、自分たちの思い込みだけで突っ走ってしまったり、まかり間違えると空中分解してしまったりするものである。見たところ、互いの個性を尊重しあう気風は育っているようで、仲良くやっている様子なのは安心できた。
 ただ、芝居を見せてもらうと、なかなか自分たちの方向性が見定められず、せっかくの力を発揮できていないような歯がゆさを感じてきたのも率直な感想である。昨年あたりから大道具にも工夫がみられるようになってきたが、私からいわせると「ああ、そこが違う!」と思わず手直ししてやりたくなることも少なくなかった。

 では、今回の芝居はどうだったか。アンケートにも書いたのだが、これまでの「演技とはこういうものだ」という思い込みから自由になって、テンポもとれていて、なかなか好感の持てる舞台となった。演技をしよう、演技をしようと一所懸命になっていると、つい自分のことしか見えず、実はコチコチで、芝居としてはギクシャクしてしまうものだ。それが今回はきちんと他の役者との息、さらには客との息をはかったり、ひとつにしていこうとしている姿勢がみえた。まあ、全体のバランスはまだまだだが、2年生にしては演出もがんばっていた方だと思う。あとは日頃の稽古や通し稽古のときに客観的な観点からのダメ出しを受けるようにするしかないだろう。

 演目があとになってしまったが、この代では初めての生徒創作。「絵宇宙事」と書いて「えそらごと」と読ませている。「空」が「宇宙」になっているのは宇宙船に乗った宇宙人が燃料切れで地球に不時着したというSF仕立てだからである。
 どんな芝居になるのか、期待と不安こもごもだったが、初めての創作にしてはよく書けていたのではないだろうか。いちおうの起承転結(というところでは承の部分が弱いが)も整っていたし、よく生徒創作へのアドバイスとして「芝居の場合は最後にもうひとつ転結が必要だ」などと当てずっぽうを言って来たものだが、どんでん返しに当たるような結末も用意されていた。
 そのどんでん返しになって「えそらごと」という題名が生きてくるという仕掛けも面白い。「宇宙人が探していた燃料というのは地球人たちの友情や思いやりの心であった」というのが、実は難破した飛行船の宇宙飛行士(こちらは地球人)が子ども時代にみた夢であったというのである。

 さて、今回はこのような文章を書かないつもりでいたのに、こうしてキーボードの前に坐ってしまったのはここに至ってのことなのである。
 この宇宙飛行士は最期を迎えようとしている。その飛行士が過去を回想し、「友情や思いやり」を「えそらごと」と呼んでしまうことには、実は重大なシニシズムが潜んでいる。それは単なる皮肉や冷笑という意味ではなく、得がたくも渇望の対象でもあり、ついに手にすることのない夢としてあり続ける嘆きのようなものである。
 単なるどんでん返しや、とってつけたような「意外な結末」としてではなく、「友情や思いやり」がどんなに困難で、それでいて人びとの心の底に渇望されていたかというようなドラマが前段に用意されていたら、もっと奥行きのある芝居になったのではないか。たとえば宇宙監察局(だったか?)の局員たちが、最初からいい人たちだったのではなく、「友情や思いやり」の反対物であるような敵意や猜疑心の持ち主であったのが、次第に変化していくような描き方をすることで。おそらくは作者も半分は気づいていたのでないか、と思うと、よけい惜しまれてならないのである。
 その彼らももう引退の時期である。最後まで自分が関わる機会がなかったのを残念に思わなかったといえば嘘になるが、私がそばにいればやはり手出し口出しすることになっただろうし、彼らを自由にすることはできなかったかも知れない。彼らなりの試行錯誤があったからここまで到達できたのかも知れないし、彼らなりの充実感が得られたというならそれでよしとすべきなのだろう。もし、卒業公演でもやるようなことがあったらぜひ呼んで欲しいものだと思っている。
 今回、2年生が思いのほか力をつけているのに驚いた。そういえば前回のバンクバンレッスンに出演していた2年生(昨年の時点では1年生)もなかなか演技ができていた。まずは部活を部活として存続させていくこと。そしていつかまた、皆で力を合わせて朝高演劇部の第4、第5の黄金期をつくって欲しい。


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by yassall | 2014-04-21 20:45 | 高校演劇 | Comments(0)

続・勤王党あれこれ

 ここから先へすすむにはもう少し勉強が必要だ。しかし、昨日のところで止まってしまっては何も明らかにしたことにならない。どのみち〈あたり〉をつけてみることが目的だから、目検討でもう少し書いてみる。

 問題は、近代日本では天皇制によるしか国家としての統合原理を持ち得ないのであろうか、ということである。
 (日本史全体を見渡してみれば、もしかすると日本が日本であるという統一性の保持、ときどきの政権が行使した支配権の根拠もまた、ついに天皇制を離れられなかったという見方もある。とすると、古代天皇制の支配が及ばなかった沖縄や東北・北海道が領土外ということで軽視される原初であったとしたら大問題である。)
 「古事記」「日本書紀」以外に建国神話(物語)を持ち得ていないとすれば、いつまでたっても日本は「万世一系のスメラミコトのしろしめす」国ということになってしまうのか。
 アメリカの「独立宣言」やフランス市民革命の「人権宣言」、植民地支配からの独立戦争を勝ち抜いた中国やベトナムにはそれぞれの建国の物語があり、しかもその物語には民衆自身が主人公として登場する。日本の民衆(国民)にはそうした建国物語が欠如しているということなのだろうか。 

 「抵抗権」「革命権」をテコに考えてみよう。アメリカの独立戦争もフランスの市民革命も抵抗権・革命権の存在を前提にしなければ単なる反逆罪である。抵抗と革命の歴史を通して民衆(国民)は建国物語を持つ。
 それでは、日本には抵抗や革命の歴史はなかったかといえば、そんなことはないはずである。それらは隠蔽されてしまったか、変質・変形されたかたちで記録されたかなのである。そうした歴史を発掘し、取り戻す作業が必要なのではないだろうか。

 宗教と信仰の問題も大きい。その観点から日本の天皇制を見直してみると、「現人神」というのはまことによく出来た装置だと思ってしまう。「神」が人間を超越した存在であるならば、その「神」をどちらの側の味方につけることも出来る。だが、「現人=神」である限り、支配権の所在は動くことがない。(それこそ不勉強なのであるが、その意味で戦後になって折口信夫が新しい世界宗教としての神道の確立をめざしたというのは興味深い。)
 しかし、日本人の宗教意識は本当に天皇教に集約されていくのだろうか。歴史の上でも天皇制の宗教基盤は神道と仏教の間を揺れ動いたし、神道もまた仏教および儒教から多大の影響を受けてきた。それらをきちんと分析し、純化してとりだすことは、おそらくは無理なのではないだろうか。タタリやケガレといった日常感覚としての宗教意識は残るとして、天皇教がその最後の救済システムだとは思っていない人びとの方が多いのではないだろうか。

 国家や社会の支配原理にしても同様である。その時代の超越的な権力の保持者が誰であったかは、「直訴」の相手が誰であったかで明らかである。天皇一人がその対象であったことはない。

 また、日本はタテ社会であるともいわれるが、「寄合・談合」の伝統や「話を通す」「根回しをする」ことが重んじられているとおり、絶対的権力というのはむしろ嫌われ、「話し合い」が尊重されてきた歴史は少なくとも民衆の間ではあるのだ。「日本型民主主義」がはぐくまれる可能性は存在していると思うのである。

《補足》
 沖縄のことを書いていて、また考えが発展した。「琉球王国」は明治の廃藩置県で日本に編入された。沖縄を日本の一部と確かに感じ取り、考えることは、もしかすると太平洋戦争の末期に沖縄が「国内唯一の地上戦」の戦場となったからではないか? しかもそれは、おそらくは支配層の側においてではなく、民衆(国民)の側のおいて。沖縄の平和の礎には日本各県から徴兵された戦没者の名が刻まれている。甲子園では毎夏、沖縄県の代表チームが声援を浴びている。太平洋戦争の敗戦の記憶、戦後からの新しい出発をどのようにとらえ、受け継いでいくかが、今日の日本の統合原理を根拠づけ、強固にすることが出来るかどうかを決定していくのではないか?


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by yassall | 2014-04-17 11:48 | 雑感 | Comments(0)

勤王党あれこれ

 昨今、右翼的な動向があちこちで顕著だ。ヨーロッパ各国でも右派勢力の台頭が話題になることがあるし、国際政治の焦点になりつつあるウクライナでは親ロシア派の動きばかりが注目されるが、国内紛争の背景の一方では右派セクターが無視し得ない影響力を発揮しているらしい。
 よその家より自分の家の心配が先で、日本国内でも国粋主義というのか、排外主義というのか、後にどのような展望があるのやら、過激さだけで受けをねらったような物言いや行動がやたらと目立つようになった。そうした極右勢力が大多数を占めることはあり得ないとはいうが、一定の同情を集めたり、現体制への不満の受け皿になったり、なにより体制維持派に利用されたりしているうちに、戦前の日本やナチスドイツのような社会が到来しないとも限らない。
 そこであれこれ考えあぐねているうちに、ふと「もしや起源は勤王党?」と思いついたというわけなのである。まさに思いつきの段階であるから、資料にあたっての検証もなしなのであるが、書けるところまで書いてみる。

 まず、おおまかに結論めいたことを書いておく。
 ①近代ヨーロッパ諸国の圧力を受けるようになった江戸時代末期、これに対抗するために強力な中央集権国家を作り出す必要があったとき、勤王思想は一定の役割を果たした。
 ②ただし、それは古代的な「王政復古」であり得るはずはなく、明治政府によって作り出された国家体制も、多くの限界や歪みをもちながらも、近代国家としての体裁を整えていくことになった。
 ③しかし、その後も勤王思想は伏流となって近代日本に生き残っていった。簡単にいえば、それは「錦の御旗」という圧倒的な権威への心服と期待である。
 ④戦後社会になっても勤王思想は伏流となって流れ続けている。「気高く、親身な」皇室ファンはまぎれもなく存在している。そればかりではなく、超法規的で急進的な、右からの「変革」を求めようとする勢力の思想的な柱となっているのであり、それらの人びとにとっては民主主義はよりどころとならないのである。

 尊皇思想の起源は楠木正成にルーツがあるなどともいわれるが、江戸時代における尊皇思想は朱子学と国学という二つの源流を持つとされる。(より直接的には水戸学派ということになるが、水戸学も起こりは朱子学である。)
 朱子学は江戸幕府によって国家イデオロギーとして採用されたが、覇道ではなく王道を唱えた朱子学が、やがて「覇」をもって国家統一をなした幕府を自己否定する思想的根拠となったのは皮肉である。また、漢心を排するところから始まった国学も、朱子学と一体となることによって新しい国家イデオロギーを作り出すことになったのも皮肉といえば皮肉である。
 岡倉天心の「アジアは一つ」とどこまで通底するかは分からないが、近代日本の「大アジア主義」もアジア各国が対等平等なのではなく、日本が「大東亜」の盟主となるという考え方のルーツは、中国伝来の「中華思想」にあったのではないか。いわば日本版「中華思想」である。そう考えれば一部にみられる今日の中国や韓国に対する蔑視の風潮も理解できる。
 徳川慶喜による「大政奉還」は、幕藩体制の限界を自らも悟り、徳川家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することにあったといわれる。そこで構想された諸侯による連合が実現したとしても、日本が近代国家として出発できたかどうかはあやしい。
 それはともかく、中央集権化にせよ、国民国家としての再生にせよ、その思想的・政治的・経済的準備が江戸時代を通じてなされてきたことは疑えない。

 「維新」思想は近代日本に脈々と生き残ってきたのではないか。それがある種の「革命」思想であることは確かだろう。大正時代には「大正維新」の運動があり、昭和にも「昭和維新」の運動があったが、それらはときの体制への批判および反逆から生まれた。
 しかし、「維新」が待望されるのは明治維新において「錦の御旗」が圧倒的な権威となった記憶からきているのではないだろうか。だが、歴史は「錦の御旗」によってだけ動いたのではない。その前の時代から着々と準備され、どこまで自覚されていたかどうかはともかく、歴史を先へすすめなければ立ち行かなくなるような大きな力が働き、それを受け入れたことで新しい時代の幕があいたのだ。

 虎の威を借る狐よろしく、「錦の御旗」さえ掲げておけば少なくとも権力から攻撃はされないだろうとの保身の輩もいただろう。「不敬」のレッテルを貼ることによって、国民に不条理を強制し、抑圧の道具となってきた歴史を忘れてはならない。こうなれば「維新」どころか「反革命」である。

 昭和に入ってから「国体」が強調されるようになった。これは、いわば原理主義的に純化された尊皇思想である。だが、「近代の超克」論争を経つつ、15年戦争に突入するようになると、神がかり的な国粋主義としての傾向を顕著にし、ついには自縄自縛的に国家機能そのものをがんじがらめにしていった。その結末はいまだ記憶に新しいところである。

 これとは別に、「君臣一体」的なユートピア願望としての尊皇思想が存在する。王は国民を「おおみたから」として愛護し、民もこれを敬い心服することで王道楽土が実現するというものである。しかし、これもまた空想的社会主義の裏返しとしかいいようがないのではないか。
 ましてや、ひとたび「尊皇」や「維新」の大義がふりかざされるときは、「和楽」とはほど遠い、強権や暴力が無条件に肯定されてしまうのである。

 私たちが子どものころ、鞍馬天狗の映画が大ヒットしていた。映画をみていると「勤王の志士」といえば疑いもなく正義でありヒーローであった。今の子どもたちはそんな映画があったことも知らないはずである。それでは勤王党はいったいどこに潜んでいるのであろうか。
 天皇家でどのような帝王学がなされているは知らないが、昭和天皇は英国型の王室に親和感を持っていたというし、平成天皇は日本国憲法の下での皇室の範囲を逸脱しようとしてはいない。
 今日の勤王党にとっての「天皇」とは「幻想としての天皇」である。自らの言動の根拠を「幻想」に求めようとしても、いずれは自らの足元を掘り崩してしまうだけだろう。


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by yassall | 2014-04-16 17:58 | 雑感 | Comments(0)

木村朗子『震災後文学論』

 震災文学と震災後文学とは明らかに異なる。8.15後の文学が戦後文学であるように、3.11後の文学を震災後文学と呼ぶことには当為性がある。一冊の書物の題名であることを越えて、どこまで一般化するかは不明だが、著者によらなくともいつか誰かによって命名されなくてはならなかった。

 著者は、「問題は、地震でも津波でもない原発事故と放射能汚染にあるのだ」といい、川上弘美「神様2011」がその見通しを最初に示したという。
 地震や津波の被害に限定したとして、東北が復興を遂げられるかどうかについては、私は一抹の疑問をいだいている。少なくとも「元通りになる」という意味ではそれはあり得ないだろうと思っている。町のすがた、産業のあり方、人びとの暮らし方は変わっていかざるを得ないだろう。農業ひとつをとっても、田畑という基盤を失い、後継者が不在であれば、これを「元に戻す」ことが可能であるかどうか、あるいはまた適切であるかどうか。
 戦後の高度経済成長の中で急速に進んだ都市化、および都市への一極集中化の中で、その補完と下支えの役割を担ってきた(いわば都市によって収奪されてきた)「地方」は疲弊し、産業にしろ、人口そのものにしろ、再生産の力を衰えさせている。はからずも3.11はその限界領域の存在を浮き彫りにする結果となった。その意味でも3.11は戦後史といわず日本近代史のエポックとなった。
 ただ、いつの時代にもそうであったように、その土地に暮らす人びとがいて、新しい町のあり方、生活基盤のあり方、共同体のあり方の未来図を描きながら人びとの営みが生まれ、「新しい始まり」を持とうとするならば、いつかは復興はあるだろう。

 だが、原発事故と放射能汚染はそれらとは明らかに異質だ。なぜなら、それは二重の意味で「一過的」であり得ない。放射能汚染は数十年、数百年にわたって持続する。「元通り」に住民たちがそこに居住できるようになることを目指せない、というより目指してはならないのである。
 さらに、日本だけでもなお50基の原発が大量の核燃料をかかえたまま現存している。あまつさえ、新「エネルギー計画」のもと、再稼働への準備が着々とすすめられようとしている。3.11は「一過的」に起こってしまった事件ではなく、未来に起こりえる事件なのである。
 その前と後とは同じではない、それ以前と以後とを同一視してはならず、もしそれを「なかったこと」にしようと企むものがあったら、直ちにその意図を挫いてやらなくてはならない。今までとは異なる時代、新しい世界の中で生きざるを得なくなったのだとすれば、文学もまた変わらざるを得ない。震災後文学という著者の提案に私は賛同する。

 著者の専門は日本古典文学であり、日本文学に関する国際的な研究者の交流の場から、著者の問題意識というより危機感が生まれたようだ。
 本書の第一章に「物語ることの倫理」が置かれるのだが、それは「海外の文学の現場では、日本で起こっていることに敏感だったし、なによりそうしたなかで現れる表現を受け入れる準備が整っていた。」とし、震災後の文学の動向についての質問をよく受けたという。ところが、「それとまったく対照的に日本ではこうした議論が受け入れられているようには思えなかった。こんなときに尻馬にのって何かをいうのは軽薄だと尤もらしくたしなめる人もあった。」というのである。
 その一例として2012年上半期の芥川賞の最終候補作となったいとうせいこう『想像ラジオ』について、高橋のぶ子が「今回の候補作中、もっとも大きな小説だったと、選考委員として私も、蛮勇をふるっていいたい」と述べたということが紹介されている。他の選考委員が、「いとうせいこうともあろう者が、このような安易なヒューマニズムに走るのはどうだろうか」とも述べたという中で、「蛮勇」をふるわなければ支持できないほど孤立した意見であったというのだ。
 それは、いとうせいこう自身による次のような談話とも呼応しているかも知れない。

 
  「この小説の第二章に「当事者でないものは語るべきではないのか」っていう論争があるんだけど、まさにあの論争の通り、この小説自体に対して当事者のことを考えて書けよと言われたら僕はもう何も言えないんです。」

 だが、「当事者」であるかどうかを倫理問題としてとらえ、かつ収斂させようとすることは正しいといえるだろうか。それが「尻馬」に乗ろうとしただけなのか、「安易なヒューマニズム」で終わってしまっているかどうかは、作品そのものの価値によるのではないのだろうか。

 本書の指摘によってハッとさせられたことがあった。私たちはよく、「唯一の被爆国日本」といういいかたをする。しかし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニにフクシマが加わったとき、すでにヒバクシャと呼ばれる人びとは世界中に存在していることに気づかなくてはならないのである。それはウラン採掘場、核兵器の実験場とされた地域、原発事故を引き起こした地域に居住している、あるいは何らかの作業のために立ち入った人たちであり、さらには劣化ウラン弾が投下された国の人たちも含まなければならないであろう。
 本書では、オーストラリア北部のアポリジニ、ミラール族の人びとが「自分たちの土地から産出されるウランの取引先のひとつが、東京電力だった。となれば、福島第一原発の事故は私たちにも責任の一端があることになる」という趣旨の手紙を国連事務総長宛に出したことが紹介されている。
 私たちは、自分が「当事者」でないことでストイックであろうとすることより、自分もまた「当事者」であるという意識を呼び覚まされることによってこそ「倫理」的である得るのではないだろうか。

 そして、新しい何かが始まるはずだ、社会のあり方、人びとの生き方、産業も、教育も、そして文学も変革されていかなければならないし、そうなるはずだと確信した人は少数ではなかったのではないだろうか。
 筆者は、「はじめは短編小説が多かったが、読んですぐに、何かがはじまっているという感じを受けた。それは次第に、新しい文学が興っているという確信になっていった。」という。そして、「二年が経ち、長編小説がでるようになって、震災後文学という一つのまとまりとなって見渡せる準備が整ったと感じた。」といい、本書を刊行しようとした動機を次のように語るのである。

  「津島祐子『ヤマネコ・ドーム』、辺見庸『青い花』を読んだときに、ここで一度区切りをつけて日本文学を研究する者として「震災後文学論」をまとめておかなければならないと感じたのである。」

 筆者は、「最も本質的なところで腑におちるかたちでわからせてくれるような深いことば。決して裏切ることのないことば。最も信頼できることば。それが文学のことばなのだ。」とし、「まだまだ読むべき小説がたくさんある。そう考えるだけで世界はまだ信頼に足るものだと思えるのである。」ということばで本書を結んでいる。
 そこには3.11後の新しい希望の語り方がある。

 以前に取り上げた小森陽一『死者の声、生者の言葉』と同じような問題意識によって書かれた書物であるが、3.11後に書かれた作品に限定(一部に前史的な作品も含む)し、より網羅的に震災後文学の見取り図を描こうとしている点ですぐれている。労作だと思う。私はこの後、藤井貞和『水素よ、炉心露出の詩』大月書店を読んでいる。


木村朗子『震災後文学論』青土社(2013)


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by yassall | 2014-04-13 18:21 | | Comments(0)

石神井川の桜

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 石神井川は近所では桜の名所として知られている。3月の散歩に書いたような事情でまだ遠出をする自信がない。だからといって、待ちに待った桜を見逃すわけにもいかない。そこで中板橋付近の川端を歩いて来た。
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 東京の桜は1日前後が見ごろだったのではないだろうか。一昨日と昨日の雨でこの週末はどうかなと案じていた。もう葉も出はじめて、こころなしか色も褪せてきたきたような気がするが、花の形はまだしっかりしていた。
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 出がけに少し曇りかけていたのだが天気はまずまずである。明日は雨の予報。季節の変わり目というのはそうしたものだ。
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 名前はわからないが様々な種類の桜が植えられているようだ。
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 コンクリートで固められた町中の河川だが、比較的水はきれいな方ではないだろうか。
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 花びらも散りはじめだから、花筏も小さいが、そのかわりまだ汚れた感じがない。
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 平和公園に回ってみると桜まつりが開催されていた。こちらは運動場側だから人が少なく見えるが、けっこうにぎわっている。花の下に集まって飲食を楽しむというのは日本独特の風習らしい。(※)
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 秋の銀杏のときにも書いたが桜もまたなかなかなのである。
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 どこも花がいっぱいで春がいっせいにやってきたという実感がある。

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 つぎのURLをクリックするとオリジナルの写真を見ることが出来ます。サムネイル(一覧)から左クリックで写真を選択した後、右クリックでオリジナル画像を表示したりダウンロードすることが出来ます。(詳しくは[お知らせ]→[dropboxによる写真の公開について]をご覧下さい。)

https://www.dropbox.com/sh/ihln3oh8fgumvvs/xb4R4Qe_vc

※旧知のK氏によると、花の下で会食する文化はツングース系の民族に共通しているとのことである。「伊勢物語」なども連想する。


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by yassall | 2014-04-05 18:23 | 散歩 | Comments(2)

つい一言 2014.4

 原発の維持を宣言した新エネルギー計画では序文から「原発事故への反省」の文言を削除、一部に造反議員が出たものの原発輸出が衆院で承認、どこが「限定」かわからない集団的自衛権の行使への策動、武器輸出解禁、憲法改悪に道を開く国民投票法改正に反対は共産・社民だけ、小学校の教科書に全社が「尖閣・竹島」明記、教育の政治支配をますます強める教育委員会「改革」、実際には1割程度しか福祉予算に回っていない消費税増税……ああ、4月に入ってつい一言が一言で済みそうもない。
 まあ、安倍首相は「この国の形を変える」と明言しているのだし、4月からはその動きが加速することは予想できていたことだ。それにしてもこれに歯止めをかけたり、抵抗できる勢力が弱体すぎる。取り返しがつかなくなる前に、国民は判断を人任せにしない覚悟をしなくてはならない。(4月5日)
 ※原発輸出に関しては興味深い議論があった。輸出先の原発で発生した核廃棄物を日本が引き取るかどうかという問題だ。ブーメランや、「天につばする者」のことわざを思い出した。
 ※その後、政府発表の段階では序文に「原発事故への反省」が復活したとのことだ。だが、与党間でも自民党内の混迷があったり、公明党には直前まで知らされなかったり、ともかく発表を急ごうとした事情がありありとしている。

 下村文科相が「村山談話は閣議決定の上で発表された」と述べ、3月26日の「閣議決定されたものではない」から「政府の統一的な見解」に当たらないとした国会答弁を訂正したとのことだ。(河野談話については当時の石原元官房副長官が4月2日の国会で「閣議決定したものではないが、内閣全体の気持ちを代弁したものだ」と述べている。)
 しぶしぶにしても理性のかけらくらいは残っていたのかと思いきや、今度は「教育勅語」礼賛発言が飛び出した。「活用の仕方が間違っていたのであって内容はよい」そうだ。「勅」とは天皇の命令のこと。天皇の命令(という名目)で教育のあり方が定められていたこと一点をとっても、民主主義社会においては否定されなくてはならない。それにしても、ことばが軽すぎやしないか。(4月9日)

 昨年9月、高速増殖炉もんじゅで「点検漏れの機器の点検を終えた」と虚偽の報告をしていた問題(ああ、ややこしい)で、1万4千点の点検放置の他に、新たに9点の放置が見つかったそうだ。(原子力規制委員会が3月の保安検査で発見。)
 トンネル事故も、エレベーター事故も、点検漏れや点検ミスが事故を防止できなかった原因だ。2012年の笹子トンネル事故では、構造的に目視による以上の点検が不可能であったのがそのままにされていたことが後に発覚した。
 だが、もんじゅの場合は点検が済んでいないのに「点検済み」としたのであって、その無責任ぶりはとうてい信じがたい。トンネル事故やエレベーター事故も悲惨であったが、もしもんじゅで事故が発生すればその比ではない。現代科学技術の最先端にいるはずの人たちであるはずなのに、そんなことも分からなくなっているのだろうか。
 権力に守られ、権力に支配されると、科学技術者としての「責任」もどこかへ行ってしまうのだろう。人間である限り、点検漏れや点検ミス、つじつま合わせと事なかれ主義による虚偽が防げないのであれば、核に手を染めるべきではない。(4月11日)

 沖縄県・竹富町教委が、教科書の独自採択に向けて地区協議会から離脱する方向で検討を始めたとのことだ。9日に成立した「改正」教科書無償措置法では、地区協議会が選定した同一の教科書採択を義務付ける一方、採択地区の範囲をこれまでの「市郡」単位から「市町村」単位に細分化した。このため地区協議会から離脱すれば、独自に教科書採択ができると判断したとある。
 いやあ、こういうたたかい方、尊敬しちゃうな。一歩もゆずらないかと思えば柔軟なかわし技。文科省はあわてて不服審査の申し立てをしない竹富町を批判しているが、採択地区を決める権限は都道府県教委にあるとのことだからあとは沖縄県がどう出るかだ。しばらくは目が離せない。(4月12日)

 土佐電鉄(高知市)が、毎年5月3日の憲法記念日前後に走らせてきた路面電車「平和憲法号」「憲法9条号」の運行を今年から中止することを決めた。(東京新聞、毎日新聞)
 これまで市民団体の負担で、車体に「守ろう9条・25条を!!」などのメッセージが描かれ、護憲を訴えてきたということだ。知ったのは初めてだが、さすが自由民権運動発祥の地と感心したり、残念に思ったりだ。
 「意見広告であり、公共交通機関に相応しくないのでは」という乗客から抗議を受けて中止を決めたという。どんな「乗客」たちや「市民」であるか、およそ想像がつくというものだが、「政治問題化」を恐れて数件の電話やメールで中止を判断してしまうというのも気概がない。護憲団体の集会に会場を貸さなかったり、後援を拒否したりする自治体も出て来た。民主主義の危機だとは感じないのだろうか?(4月16日)

 大阪市生野区の市立中学校で教務主任などの校内人事を決める際に教員間で選挙を行うとする規定が設けられていた問題を受け、下村文部科学相が16日の衆院文部科学委員会で、「他の都道府県でも問題(がある)か、事情を聴取する必要がある」と述べ、全国調査をする考えを示した。(読売新聞)

 ……いやあ、毎日嫌なことが起こるなあ。遠藤敬衆院議員(日本維新の会)の質問から始まったというが、維新の会は大阪府議会でも「学校で選挙をしながら人事を決めることがあっていいのか」と質問したのに対し、府教委委員長は「投票の扱いについて、校長が責任を持って管理することが前提」と答弁し、校長が最終決定をすれば問題ないとの見方を示したという一幕もあったという。

 確かに学校管理規則では「校長は年度当初に校務分掌を定め…」云々となっている県がほとんどであると思う。しかし、人事には県の教育委員会が定める人事(校長・教頭・教員の配置など)と、各校でその実情にあわせて定めればよい人事(学年担任や校務分掌)とがあり、規則に「校長は」とあるのは各学校で定め、「年度当初」に県に報告すればよいという意味なのである。
 では各学校ではどのように担任や分掌を定めるのがよいのか。「適材適所」とよくいわれるが、本人の意欲・適性・能力が活かされ、それが校内の各学年や分掌組織にバランス良く配置されることが望ましいのは誰がやっても同じことである。

 学校に「校内委員会」(分掌委員会)が設置されていることも問題視されているようだが、教職員から希望調査をとったり整理したりの事務作業、教科や新任・ベテランのバランスをはかったり、継続性や刷新への配慮をしたり、その過程で本人の意向を確認するための相談をしたりなどの調整作業を一人の人間が行うのは限界がある。何らかの委員会組織を作って事務・調整にあたっているのはどこの学校でもやっていることだ。(ついでにいうと、その組織にはたいがい教頭が入っているから管理職を度外視しているという批判はあたらない)。

 「校内民主主義に名を借りて」などと非難のことばを浴びせているが、民主主義のどこが悪いのか。人は公平・公正に扱われていると実感できることが大切だ。そのためには調整の各段階での公開も必要になるだろうし、実際そうしたルールを定めているのも各学校での知恵なのである。
 選挙のことも云々されているが、まさか人気投票で決めているわけでもあるまいし、各学年や分掌組織の中で誰がチーフ(主任)となるかといったとき、その学年や分掌の仲間から支持されてなった方がはるかに仕事はやりやすいのだ。そして、そのようにして組織が回った方が最高責任者たる校長によっても望ましいはずなのである。

 それを建て前ばかりを振り回して、「校長」一人がいっさいを秘密裏にとりしきるのが「別の組織が介在すると校長の責任ある執行を妨げる事態が起こる危険性」を回避することになるとでもいうのだろうか。本当に現場を知らない、硬直した、打撃主義的な論法だ。

 ああ、それにしても 「いまだにこういうことが行われているというのは本当に驚いた」(下村文相)というのも白々しい。よくぞ質問してくれたとばかりに、「全国調査」に踏み切るとは! バカ正直な答が返ってくると思っているのかどうかはともかく、これでまた学校現場は萎縮し、お上の動向に戦々恐々とし、事なかれ主義がすすんでいくのだろうな……。(4月18日)








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by yassall | 2014-04-01 12:18 | つい一言 | Comments(0)