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天野祐吉『成長から成熟へ』

 natsuさんは本当に面白そうに本の紹介をする。この本なんかも、たぶんnatsuさんのブログを読まなければ手に取ることもなかったかも知れないが、確かにダンディズムを感じさせる文章だな、とまずは紹介文の方に共感させられてしまう。読んだのはずいぶん前だったのだが、下書きのままなかなか書き進められなかったのは「何か付け加えようとするとダサくなる」という気になってしまうからだ。
 広告畑の人というと、感性の人というイメージでとらえていた。本書を読んでみるとそれは間違いであることがよくわかる。
 広告の対象は商品であり、販売の促進を目的としている。広告の歴史は資本主義の発達史である。広告は人間の欲望の映し鏡であり、ときには欲望そのものを生みだし、喚起しようとする。「計画的廃品化」とか、「人生は広告を模倣する」とかという文言で解読されると、広告がいかに大量生産・大量消費というシステムと分かちがたく結合しているかがわかる。
 では広告は資本主義の下僕として人びとの消費行動を煽って来ただけなのかというと、そうでもなさそうなところが面白い。
 「ほしいものが、ほしい」(糸井重里)は必要よりは消費そのものへの衝動にとりつかれてしまった飽和した社会に対するアイロニーであるし、「『人間』らしく/やりたいナ/『人間』なんだからナ」(開高健)はそうして肥大した欲望が人間性そのものを食い破ってしまうことへの抵抗である。二つのフレーズには広告をこえて、人びとを我に返らせる力がある。
 さて、それらのことは本書を読んでみてもらうとして、今回私がとりあげようと思ったのはつぎのような引用と出合ったからである。

 「大きな災害や事故が起きると、すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペースが生まれる。いま日本はまさにその時だが、もたもたしていると、そのスペースはまた閉じてしまう。」(ジョン・ダワ-)

 広告という窓から日本の戦後史を見続けてきた筆者は、これから進むべき針路について大事な提言をしているように思う。
 3年前、多くの人びとが「すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペース」が生まれたのを感じたはずだ。だが、そのスペースは「また閉じて」しまおうとしているのだろうか。
 「同じ日本語を使ってもことばが通じ合わないような国にしてしまったんですね。」とさらりと言ってしまう筆者ではあるが、日本は「別品」の国であれとも書くのである。
 本書を出版した直後に筆者は急逝してしまうのだが、きっと「大事なことは伝えた。あとは託したよ」とでも呟いて飄然と旅立って行ったような気がする。

天野祐吉『成長から成熟へ』集英社新書(2013)


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by yassall | 2014-03-31 13:30 | | Comments(0)

演義塾卒業公演 ヤオロズブンノイチ?!

 演義塾第二期生卒業公演『 ヤヲヨロズブンノイチ?! 』をみてきた。朝霞高校の卒業生西山由華が出演しているのだ。
 FBを閲覧していると、いつ寝ているのか?と心配になるくらいがんばっているので、その成果やいかんという思いを込めた応援が目的なのだが、芝居としてもなかなか面白かった。こういう言い方は失礼になるかも知れないが、おそらくは半ば充て書きなのだろうが脚本もよく書き込まれていた。
 新興宗教とそこに集まる若者たちを題材にしているのだが、西山がもらったセリフは「水温や水深によって生きていられる魚はさまざま。魚だってそうなのに、もっと繊細なはずの人間はあれもこれもいっしょにさせられている。とくに学校なんて、深海魚も淡水魚もいっしょの水槽に入れられているようなもの」(意訳)で、だから自分の居場所を求めていたらここ(教団)にたどりついたのだという。
 たぶんダンスから入った彼女はセリフ回しがあまり得意ではなさそうだ。そこで役柄は「他人と話すのはあまり好きじゃない」という設定になっている。だから、かえってセリフが生きていたりする。
 他の出演者も感情移入はしやすかったのではないだろうか。演義塾とはどういうところか詳しくは知らないのだが、まじめに演技者を育てようとしているのなら塾生たちの2年間は無駄にはならなかっただろう。
 ところで西山はこれからどのような世界に飛び立っていこうとしているのだろうか? どこかのダンスチームか何かに所属していくのだろうか、ダンス教室の助手のような就職口が見つかるのだろうか?
 高校時代は運動部に所属していたこともあって、一定の運動能力の高さはあると思うし、素人目にではあるがダンスについては群を抜いていた。"志"が実を結ぶようであって欲しいとは思うが、上には上がいる、競争やチャンスの争奪が激しい世界ではある。あとは本人の自己表現への意欲によっているだろう。
  脚本 エンドウミチスケ
  演出 古本 新乃輔
  日程 3月29日(土)30日(日)
  会場 二子玉川 KIWA
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    (二子玉川KIWAはこのビルの地下)

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  二子玉川へは初めて。せっかくなので帰路に多摩川べりを歩いてみた。


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by yassall | 2014-03-30 16:22 | 日誌 | Comments(0)

はっぴぃはっぴぃドリーミングvol.6「HIDEYOSHI」

 はっぴぃはっぴぃドリーミングvol.6「HIDEYOSHI」を観てきた。会場の八幡山ワーサルシアターへは昨年夏の「大正浪漫探偵譚」以来の2度目。ということは、みかわやこと葉山美侑もすっかりハピドリの常連キャストとして定着しているようだ。アフタートークでの様子などでもそれと知れる。
 芝居はタイムマシンで3つの時代を行き来するSF仕立てだが、スピーディな芝居運びと迫力のある殺陣が売りになっている。

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 あいにくの雨模様だったが、一定のファンがいるのだろう。平日の昼間であったが、客はけっこう入っていた。みかわやにも少しずつファンがついているようだった。

 八幡山ワーサルシアター(京王線八幡山駅)~3/30まで


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by yassall | 2014-03-28 00:31 | 日誌 | Comments(0)

小森陽一『死者の声、生者の言葉』

 「文学で問う原発の日本」が副題である。筆者小森陽一は九条の会の事務局長として知られているが、講演を聞いてみると、裏方というよりは仕掛け人である。元来は国文学者であるこの人らしい本書も、目配りのきいた現状分析のもとに、明確な意図をもって書かれ、出版されたのだと思った。
 藤井貞和の文章にふれながら、「福島県内」で「ますます」「進行」の度合を高めている「深刻な言葉のタブー」を指摘する。

  悲しみや恐怖の記憶につながる感情の喚起は、現時点での自己の無力さを強く浮かびあがらせる。言葉を排除しようとする人びとはそこを見たくないのだ。

 「解決のしようのない放射能災害や、風評被害や、内部被曝のおそれが拡散」するなかで、深い共感なしに、それを批判することはできない。
 だが、問題はそれをいいことに、福島原発事故にもっとも重い責任を持ち、対策に力を尽さなければならない立場にあるものたちが、人びとの記憶から遠ざけ、風化させてしまおうと企んでいることだ。
 私が読みとった「意図」とは、「フクシマ」の記憶を風化させない言葉をどのように語り継ぎ、構築していくかの探究である。

  「三・一一」後の、すべての「災厄」に「立ち向かい」続ける言葉を、どのように生み出すことができるか。私たちは言葉による表現の実践を続けなければならない。そのためにも光る表現に出会わなければならない。


 このように書く筆者は、「想定外」やら「完全にコントロールされている」などの虚偽の言葉に対抗するために、「言葉とその意味に対する厳密な、徹底して論理的であることによって倫理的ともなる姿勢」が必要なのであり、「悪夢をはるかにこえた現実」に立ち向かうには「詩と文学の言葉に支えられた想像力が不可欠」だというのである。

 本書でとりあげられた詩人や作家(あるいは文学者以外の人)たちは、若松丈太郎、和合亮一、藤井貞和、金時鐘、みちのく赤鬼人、高橋源一郎、大江健三郎、大石又七、川上弘美、井上ひさし、宮沢賢治、高木仁三郎、夏目漱石、いとうせいこう、林京子、加賀乙彦である。(他にもいたかも知れない。)
 3.11後に書かれた作品や文章とは限らない。あたかも未来を予見していたかのようであったり、新しい「光」を放つものとして再発見された表現も含んでいる。
 なかでも、3.11直後に書きかえが行われた川上弘美の「神様2011」や、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」から科学と宗教と文学を問うた論考などに力が入っていた。
 夏目漱石の「現代日本の開化」では、通常は「内発的」であった西洋の開化と「外発的」であった日本の開化を比較し、日本的近代の問題点を解明した評論として読まれるのだが、筆者は別に「積極的」開化と「消極的」開化との対比があり、4回の連続講演会を一貫したテーマとしての文明批評があったのだという。それは全面的な人間能力の発展をめざした「積極的」開化に対し、「効率」をめざした「不精者」の発想による「消極的」開化の違いであるとし、つぎのように書くのである。

  人間にとっての「労働」は対象としての自然に目的意識的に働きかけ、変化させ、生産を行う、こうした生産労働を通じて人間としての能力を高めていく。しかし資本主義体制下においては、「労働」が「他人本位」の、他人のための物を生産することになり、本来の「労働」の在り方を喪失してしまうことになる、という考え方に漱石も立っていたのである。

 漱石の「自己本位」の思想をもう一度見直す必要にせまられるような見地であると思った。

  「死者と共にこの国を作り直していくしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなっちゃったんだ」
  ……
  「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」

 筆者は最終章「死者との対話を持続するために」で、いとうせいこうの「想像ラジオ」からこのように引用する。
 そこに、林京子の「長い時間をかけた人間の経験」、大江健三郎の「取り返しのつかないものを、取り返す」と共通するものを見いだそうとする。

  不定性の確立とは、
  なまなかの希望に対してはもとより、
  いかなる絶望にも同調せぬことだ……
  (略)
  小さなものらに、老人は答えない。
  私は生き直すことができない。しかし
  私らは生き直すことができる。

 『晩年様式集』に再録された大江自身の詩の一節である。大江は「自分は遠からずいなくなるが、しかも人間は生き直すことができると確信する感じ」とインタビューで説明しているという。
 筆者は絶望(のみ)を語ろうとしているのではない。どのようにしたら希望を語り得るのかを探究しているのだと思った。

 ※本の紹介のしかたが一面的になった。「論理」と「倫理」との結合を提起していた通り、背景としての戦後社会と原発、九条と安保体制との関連についてもきちんとした分析がなされ、押さえるべきが押さえられていると思った。

 ※前回紹介した長谷川三千子『神やぶれたまはず』は本書を書店で探していて、偶然同じ書棚にあったのを手にしたのだった。順序が逆になってしまった。遠回りをしたものである。

小森陽一『死者の声、生者の言葉』新日本出版社(2014) 


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by yassall | 2014-03-25 18:01 | | Comments(0)

3月の散歩

 3月に入ってからその傾向があったのだが、中旬頃から俄に腰痛が激しくなった。先週が一番つらかったが、まだ予断を許さないというところだ。(何しろ先週の日曜日にも、これでピークは過ぎたか、と思ったのだから。)
 ただ、じっとしているとますます身体が固くなっていくのが分かるので、天気も良し、風も穏やかな今日、1時間ほど近所を散歩してきた。
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 花でも咲いているといいなと思いながら家を出た。公園には人はけっこう出ていたが花はまだまだの様子だった。
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 そこで、あたりをつけていた幼稚園や、少し離れた小学校を歩くと、早咲きのヒカンサクラやアンズが花を咲かせていた。
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 40肩も50腰も経験がなかったのだが、昨年から今年にかけていっぺんにやってきたという感じである。まあ、年齢と生活習慣から来るのだろうが、突然、身に覚えもなく痛みに襲われると少し恐くもある。
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 菜の花も咲いていたのだが、絵になるようには切り取れなかった。ひろびろとした畑や土手でないと写真にはならない。
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 白木蓮も早春らしい花で私は好きなのだが、街路樹だとどうしても電線が入ってしまったりする。
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 不思議なことに写真を撮っている間は腰の痛さを忘れている。かといって、無理をすると後にたたると思って控えめにした。
 3月の下旬から4月にかけてソメイヨシノが満開になるだろう。5月にかけて東北に桜前線を追ってみたいとも思う。早く腰が完治して欲しいものだ。


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by yassall | 2014-03-23 17:55 | 散歩 | Comments(0)

長谷川三千子『神やぶれたまはず』

 1
 読んでみようと思った動機から書く。日本会議のメンバーであることは知っていたが、個人としての信条はともかく、NHKの経営委員となってからの言動には否定的にならざるを得ない。だが、丸山真男流にいうならば「イデオロギー暴露」ではなく「内在批判」のためにはその著作を読んでみる必要があるだろうと考えたことがひとつ。さらに、本書でとりあげられた折口信夫、橋川文三、桶谷秀昭、太宰治、伊東静雄、磯田光一、吉本隆明、三島由紀夫という人びとが、私自身もある時期において引き寄せられたり、少なくとも強い関心の延長にあったからである。以前にも書いたが、同じ著者の『日本語の哲学へ』は今も好著であると思っている。同じような明晰さと切れ味をもってこれらの作家や評論家を論じたらどのようであるのか、若干の期待もあった。
  ※
 初発の読後感を書く。これは評論ではなく、「神学」の書であると思った。プラトンが『国家』で述べたという「詩人追放論」を思い出した。橋川文三からの孫引きなのだが、カッシーラーによれば「プラトンが戦い否定するのは、詩それ自体ではなく、詩のもっている神話を作る機能」なのだそうだ。まさに、本書では新たな「神話」が作られようとしている。そして、美学と政治とが混同されていく危険を思った。
  ※
 たとえば、筆者は「大東亜戦争は…他の手段をもってする政治などではなく、ある絶対的な戦争」であったとする。(別な箇所では「普通の戦争」といういいかたもしているのだが。)これはもちろん「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」としたクラウゼヴィッツの『戦争論』を踏まえている。だが、日中戦争・太平洋戦争が日本資本主義の国内的矛盾の対外的解消のために引き起こされ、あらゆる外交的手段の行き詰まりの果てに破局への道を踏み出していったことは、多少とも歴史を学んだ者には自明のことではないだろうか。

 2
 一国の歴史には「その意味を知ることが、その国の歴史全体を理解すること」になるような「特別の瞬間」がある、というのは理解できるような気がする。
 筆者は「昭和二十年八月十五日」以来、日本は一種の「麻痺状態」にあり、「歩みを止めている」という。だから、「"戦後"が終わらない」のだとする。
 8.15を境に、近代日本史が戦前と戦後に分かれ、私たちが生きる時代を「戦後社会」といい続けるのは、それだけ重大な日であったことは確かだ。
 ただ今日、「戦後社会」を日本が民主主義社会として生まれ変わった社会としてのみとらえていいのか、という問いは厳然として残っているように考える。それは戦後的価値の一切、とりわけ民主主義の価値を否定することとは限らない。むしろ、民主主義がどこまで本物として(日本の風土に根ざしたものとして)育っているのかの問いでもあると思う。
 少し先回りをした。筆者は次のような引用によって「特別な瞬間」の存在を例証しようとしている。

 「(終戦の詔書の)御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬」「国民の心というものが紛れもなくあの一点に凝集された」(河上徹太郎)
 「多くの日本人がおそはれた”茫然自失”といはれる瞬間」「言葉にならぬある絶対的な瞬間」(桶谷秀昭)


 なかでも、太宰治が「トカトントン」で、「つめたい風が吹いて来て、さうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くやうに感じました」と、桶谷秀昭の「垂直に天にむかひ地に潜行する運動」との類似に注目し、水平的な時間の流れとは異なった、垂直的な「歴史意識」を見いだそうとしている点は立場の違いをこえて説得力を感じる。
 8.15が戦前・戦後の結節点であり、そのどちらかを無化する(なかったことにする)ことは出来ないという視点は、そのどちらの価値観に立つかは別の問題として重要だろう。
 詳しくは述べないが大澤真幸『不可能性の時代』や吉田司『王道楽土の戦争』も、戦前的な価値の否定を急ぐあまり、その検証を怠ったため、かえって地下水脈のように戦前がそのまま生き残ってしまっていることを指摘している。
 戦後の「繁栄」があったとすれば、その「繁栄」の恩恵を享受する者はつねに戦争で死んでいった者たちへの「後ろめたさ」から逃れられないように。
 だが、戦前を「なかったこと」に出来ないのと同じように、戦後および戦後を生きた日本人も無化することはできまい。それを「麻痺状態」として切って捨てることはかなわないのである。
 大宰は「トカトントン」で、

 「悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑きものから離れたやうに、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持ち」

 を告白する。
 この「白々しい気持ち」という虚脱感からどのようにして立ち直るかが、戦後の日本人の最初の課題であったことは確かだろう。また、急激に変化しようとする価値観へのとまどいや違和感を読み取ることも間違ってはいないだろう。だが、同時に「憑きものから離れたやう」と書かれている点も無視することはできない。少なくとも、もう一度「憑きもの」に憑かれることが失われた自己を回復することにはならないはずだ。

 3
 本書が「神学」論的な様相をあからさまにしていくのは三島由紀夫を論ずるあたりからであるが、その前段では大宰の「トカトントン」からの次のような引用がある。

 「死なうと思ひました。死ぬのが本当だ、と思ひました。」

 それは桶谷秀昭の次のような特異ともいえる二分法とも連関していよう。

 「八月十五日からこの半月のあひだに、詔書を奉じ、国体護持を信じて生の方へ歩き出した多くの日本人と、すべてがをはったと思ひ生命を絶った日本人との結節点を象徴してゐる」

 では、二・二六事件を題材とする三島由紀夫の「英霊の聲」はどこに結びついていくのか。能を構成的な道標としながら作品を読み解いていく手際については端折るとして、三島の「怒り」はまた「神の死の怖ろしい殘酷な実感」であり、それは二・二六から八・一五を通底するものだというのである。
 三島もそうであったといわれるが、吉本隆明も「私は徹底的に戦争を継続すべきだという激しい考えを抱いていた」という。三島の場合、それは神とともに死ぬことによる「神人対晤」の「至福」の瞬間への希求であり、天皇の「人間宣言」はその裏切りであったというのである。
 それは、伊東静雄を論じた箇所では、「死を奪われ、「生の宣告」を受けてしまった者の目にうつる、世界の異様な姿」とも言い換えられ、「旧約聖書」で神に息子を生贄として差し出すように命ぜられたアブラハムを描いた「イサク奉献」について次のように述べることで補強される。

 「自らの死を神に与えようとしてゐる者にむかつては、神は中止命令をだしてはならない」

 ただし、筆者は三島と同様に天皇を批判しているかといえばそうではなく、西洋の神が「死ねない」神であるのに対し、天皇は「死ねる」神であり、「自分はどうなってもよい」という決意に裏打ちされた「終戦の詔書」によって、「天皇の「死」と国民の「死」とは、ホロコーストのたきぎの上に並んで横たはってゐた」として掬い取ってしまうのである。
 現人神とは、「現身でありながら、それと同時に、神々の遠い子孫としての神格をそなへてゐる」存在であり、「人間宣言」の後も変わらないとする。戦後、折口信夫が「神やぶれたまふ」として、神道の世界宗教化をめざして「新しい神学」を打ち立てようとしたのも空しい努力であったことになる。

  4
 筆者のいう「絶対的」な戦争という意味は、日本人の誰もが自らの「死」と直面せざるを得なかったという意味ではないのだろうか。
 吉本隆明がまだ学生であったころ、大学に宮本顕治・鈴木茂三郎の他、児玉誉士夫がやってきて講演したという。児玉は「米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみな死んでいて焦土にひゅうひゅう風が吹き渡っているのを見たら連中はどう思っただろう」と発言し、それを聞いて吉本は「ああいいことを言うなあ」と感心したというエピソードが紹介されている。
 吉本はさらに、「家族のためにも祖国のためにも死ねないな」と徹底的に考えた結論として、「天皇のため、生き神さんのため」なら死ねると考えたという。
 国民がみな死んでしまう戦争、国土が焦土と化してしまう戦争が目的化(結果としてではなく)してしまうなら、戦争としては自己矛盾をきたしてしまうことになる。祖国や国益を守るという目的を突き抜けてしまう戦争が成り立つとすれば、確かに「神学」としての戦争でしかあり得ないだろう。
 橋川文三が、ナチスが「我々は闘わねばならぬ」であったなら、日本の若者にとっては「我々は死なねばならぬ」であったと、どこかで書いていた。召集され、戦地へとやられる兵士の、諦観とも美意識とも入り混じった心情としてなら理解できる。
 だが、それは戦争の実態とは遠くかけ離れているのではないだろうか。児玉誉士夫がどのような顔をして大学生の前で講演したのかは知らないが、私たちの知る児玉誉士夫とは、戦時中は海軍の委託の下で物資調達にたずさわりながら資金を蓄え、戦後はその資金(自由党への資金提供は150億円とも)をもって政財界の黒幕として暗躍し、1976年のロッキード事件に際して突如として表の世界にあらわれた人物である。死の間際には「自分はCIAの対日工作員であった」と告白したともいわれている。そのどこに「神学」や「美学」があるというのか。

  5
 述べたいことは初発の感想の通りである。「神学」や「美学」に心引かれないこともない。それらが日本人の精神構造に深く根付いているものであるならば、きちんと検証していくことは必要だろう。だが、それらを「政治」の場にもちこむことの危険にこそ警鐘を鳴らしておかなければならない。
  ※
 最初に書いたように、私としては「内在批判」を試みたつもりであるが、本書を読んいで苦しかったことに、牽強付会とまではいわないまでも、他者の言説を自分に引き寄せ過ぎているように思われてならなかったことがある。
 8.15が「特別な瞬間」であったという例証のひとつとして、

 「あたかも世界終末をまちうけるかのような、不思議な静かさ」

 という橋川文三からの引用があるが、筆者も書き添えているように、橋川の郷里である広島に原爆が投下された後の1週間の心境を述べたものであることがもっと強調されていいだろうし、おなじエッセイの最後には、終戦を知らされたとき、「ながいながい病床にあった老人の死を見守るときのように、いわれない涙が流れた。」と書き、「今夜から、私の部屋に灯をともすことができるのかという、異様なとまどいの思いとであった。」(「敗戦前後」『日本浪曼派批判序説』所収)とも書いているのである。
 これは、筆者が「安堵感」と「挫折感」とは本来「表裏一体」をなし得ないとして批判した磯田光一の、

 「一種の安堵感と挫折感とが、これまた表裏一体をなして人びとの心を領有していた」

 の生活感としての「安堵感」と共通してはいないだろうか。
  ※
 伊東静雄を論じた文章では次のような日記の一節が引用されている。

 「太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮かび、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変もおこらないのが信ぜられない。」

 しかし、これをもって伊東静雄が自らの「死を奪われ」たことに絶望し、何らかの「異変」を待望したと考えることは、次のような作品と接する限り、まったく当たらないと思うのである。伊東静雄の目はもっと透明で、自然や人間の営みに対する愛情と、そして静かな断念にみたされている。


   夏の終り


  夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
  気のとほくなるほど澄みに澄んだ
  かぐはしい大気の空をながれていく
  太陽の燃えかがやく野の景観に
  それがおほきく落とす静かな翳は
  ……さよなら……さやうなら……
  ……さよなら……さやうなら……
  いちいちさう頷く眼差しのやうに
  一筋ひかる街道をよこぎり
  あざやかな暗緑の水田の面を移り
  ちひさく動く行人をおひ越して
  しづかにしづかに村落の屋根屋根や
  樹上にかげり
  ……さよなら……さやうなら……
  ……さよなら……さやうなら……
  ずつとこの会釈をつづけながら
  やがて優しくわが視野から遠ざかる


 
長谷川三千子『神やぶれたまはず』中央公論社(2013)


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by yassall | 2014-03-21 14:02 | | Comments(0)

谷川雁「母」

 永田町から有楽町線に乗って家路につこうとすると、乗り合わせた車両の正面の座席で何か一人言をいいながらしきりに涙をぬぐっている老婦人がいた。ときに泣き笑いのようにみえながら、ふっと真顔になったりもするのだが、しばらくするとまた表情がくしゃくしゃとなり、池袋に到着するまでそのままだった。
 あまり視線を注ぎ続けても申し訳ないと思いながら、泣き声がするたびに見るともなく見ているうちに、谷川雁の「母」を思い出したのだった。
 家に帰って詩集を引っ張り出してみると、記憶とは少々異なっていた。だいたい題名からして違っていたのである。

 この詩でいうと、「くすんだ赤旗をひろげて行った/息子」というのが詩人本人(あるいはその同志)であるならば、「老婆」はたった一つの希望であった息子を労働運動だか革命運動に奪われたその「母」ということになる。
 だが、その「母」なるものは炭鉱での労働にあけくれ、労働苦・生活苦を額に刻んできた労働者階級の象徴的存在なのであり、実は「息子」もその嘆きを革命エネルギーとして汲み取っているのである。
 (詩人本人と書いたが、もちろん谷川雁はオルグとして炭鉱労働者の間で活動したことがあるということであって、自身が炭鉱労働者の息子であったというような事実はない。)

 そんな解釈が成り立つかどうかは別として、この詩を書いた頃の谷川雁自身は決して「老い」の側にいたのではなかったし、この詩を読んだ頃の私もまた年若い青年時代を生きていたのだった。
 しかし、突然記憶の中によみがえり、そして今、目の前にある詩は、まったく異なった相貌をもって立ち現れた。
 人間にとって「老い」は誰にとっても抗いなく、しかも思いがけない急ぎ足でやってくる。衰え、すでに多くのものが失われ、思いがけない不運や不幸に見舞われても、これを乗り越える力がもう備わっていないことを思い知らされたとき、人間にはただ嘆き悲しむことしか残されていないのだろう。
 そのように残酷で、真裸な世界が現前している、と思ったのだ。そしてそこには、避けがたい運命に直面したとき、身を投げ出すようにして嘆くしかない人間の真実がある。


    母

  老婆よ 老婆よ
  おまえはあまりに深く泣いたので

  老婆よ 老婆よ
  おまえのなみだは見えないのに

  さびれた鉱山の岩間の奥
  こよいあんなに火の粉がおちるのだ

  くらい煙突のあなからさみだれは
  飢えたかまどの石をぬらし

  どぶの蒸気が
  古い地獄のうつし絵をはう

  くすんだ赤旗をひろげて行った
  息子はもうおまえを抱かないのだから

  老婆よ 老婆よ
  おまえが暗い夜をほしがるのは

  老婆よ 老婆よ
  おまえのさみだれがふるからだ

   (たにかわがん,1923-1995)


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by yassall | 2014-03-10 15:47 | 詩・詩人 | Comments(0)

原発ゼロ大統一行動

 原発ゼロ大統一行動に参加してきました。日比谷公園から請願デモに参加し、その後国会前集会へ。私は4時頃には帰路につきましたが、入れ替わりにやってくる人も大勢いました。ところで今日は私の誕生日。よりによって、というふうでもなく、きっと長く記憶に残る日となるでしょう。
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(写真は請願デモを終えて永田町駅を折れたところ。これから反対側の舗道に出て、国会正門前に向かいます。)
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by yassall | 2014-03-09 19:45 | 日誌 | Comments(0)

「これからの学校図書館担当職員に求められる役割・職務及びその資質能力の向上方策等について(報告)(案)」を読んで

1 はじめに
 文科省のHPに標記の「報告」(案)がアップされたことを教えてくれる人がいた。これは読んでみなくてはなるまいと考えたのは、この3月18日に子どもの未来を考える議員連盟・文字・活字文化推進機構の主催で「学校図書館法改正をめざす国民の集い」が開かれようとしているからだ。
 昨年6月12日、「子どもの未来を考える議員連盟」総会が開かれ、衆議院法制局から「学校図書館法の一部を改正する法律案(仮称)骨子案」が提示された。その際に、「今月中ぐらいには「有識者会議」を置き、司書の役割、機能、業務内容、質の確保、司書教諭との役割分担などについて論議し、半年くらいでとりまとめたい」とのこともアナウンスされた。
 そのとき示された「骨子案」は以下のようなものであった。

   1 学校には、司書教諭のほか、児童又は生徒及び教員による学校図書館の利用の一層の促進を図るため、専ら学校図書館の職務に従事する職員(2において「学校司書」という。)を置くよう努めなければならないこと。
   2 国及び地方公共団体は、学校司書の資質の向上を図るため、研修の実施その他の必要な措置を講ずるよう努めなければならないこと。

  この「骨子案」をもとに作成されようとする法案が「報告」(案)と深く関連していることは明らかであり、法案が示される以前にあっても以後にあっても、その概略や問題点、今後の課題について考える上で示唆するものが多いと思われるのである。

 「報告」(案)とある通り、HPにPDFでアップされている本文は会議における審議を反映してか赤字による添削の跡がそのまま残されている。もともと読みやすくはない上に、プリントアウトはせずにモニターで斜め読みをした段階である。今後、私見についても訂正したり補足したりしなくてはならないかも知れないが、とりあえず気がついたところを述べてみたい。

2 「報告」(案)にいたる背景
 まず、「報告」(案)がなされるにいたった背景についてみておきたい。文科省が「学校図書館担当職員の役割及びその資質の向上に関する調査研究協力者会議」(以下、調査研究協力者会議)を設置したのは昨年8月であるが、その設置の「趣旨」にはつぎのようにある。

   学校図書館活動の充実を図る上では、専ら学校図書館に関する業務を担当する職員(以下「学校図書館担当職員」という。)を配置し、当該職員が、司書教諭等と連携しながら、学校図書館に係る活動に取り組んでいくことが有効である。厳しい財政状況の中、学校図書館担当職員を配置する学校が近年一貫して増加していることからも、その必要性が強く認識されていることがうかがえ、今後も各自治体において、その配置が増加していくことが見込まれる。
     このような状況を踏まえ、有識者等の協力を得て、学校図書館担当職員の役割やその資質の向上に関して関係者が共有できる一定の方針を得るため、学校図書館担当職員の役割及びその資質の向上に関する調査研究を行うこととする。

 学校図書館活動の充実のために「学校図書館担当職員」が「学校図書館に係わる活動に取り組んでいくことが有効」であり、さらに「厳しい財政状況」の中でも各自治体で配置がすすんでいることがその証明になっているとし、その存在と役割、および実態に対する認識に立っている。
 さらに、「今後も各自治体において、その配置が増加していくことが見込まれる」という見通し(「報告」(案)では、政府としても「24 年度以降,所要の地方財政措置が講じられて」いることが述べられている)に立っている。
 ただ、「各学校に配置されている学校図書館担当職員は、勤務形態や経験年数、保有する資格等の状況が各々により様々」であり、「全ての学校における学校図書館担当職員が同一の職務を行っていくことを求めることは、必ずしも学校現場の実態には沿わない」状況にある。しかしながら、それを放置してよいわけではなく、「学校図書館に関する種々の教育活動に携わる学校図書館担当職員が担う職務の在り方について、関係者間で一定の共通理解を有しておくことは極めて重要なことである」(「報告」(案))。
 その「共通理解」、すなわち「学校図書館担当職員」が果たすべき役割と職務についての基準を示そうというのが調査研究の目的ということになる。

3 「報告」(案)の積極面
 「報告」(案)を読んで私が積極面として評価してよいと考えた点をあげてみたい。

 (1)学校図書館をめぐる実態を踏まえようとしていること

 1997年の学校図書館法(以下、学図法)「改正」後の学校図書館の実態を踏まえようとしていることは評価に値すると考える。「充て司書教諭」の配置後、予想したようには学校図書館の活性化がはかれなかったこと、とくに小中学校で「学校図書館職員」の配置がすすんだことは誰にも明らかであった。法令上の「建て前」ではなく、実態から出発しようとする姿勢は重要である。

 (2)「学校図書館担当職員」の専門的・教育的役割を認めていること

 「報告」(案)には、「学校図書館の利活用の促進に貢献してきた学校図書館担当職員が、児童生徒に対する教育活動を教員とともに進める機会は多くなっており、期待される役割もますます大きくなっている」とあり、「学校図書館担当職員」が「教員とともに」教育活動を勧める立場にあることを明記している。

 (3)教員と「協働」関係にあることを認めていること

 「報告」(案)は、「学校図書館経営に関する方針や,目標・計画,学校図書館利用指導・年間利用計画,年間読書指導・計画,年間情報活用に関する各種指導計画等」は、「一般的には、教育指導に関する専門的知識等を有する司書教諭がその立案・取りまとめに従事」し、「学校図書館担当職員の職務としては,図書館資料(中略)、電子資料(中略)とその利活用に関する専門的知識等に基づき、必要な支援を行うという形態が想定される」といちおうの役割分担を提起しつつも、「実際には両者は協働して当たることが求められる」としている。

 (4)「自由な読書」「自発的・主体的な学習活動」を強調していること

 「報告」(案)は、学校図書館が果たすべき機能について「豊かな心や人間性,教養,創造力等を育む自由な読書活動や読書指導の場である「読書センター」としての機能と、児童生徒の自発的・主体的な学習活動を支援したり、授業の内容を豊かにしてその理解を深めたりするとともに、児童生徒や教員の情報ニーズに対応したり,児童生徒のするとともに、情報の収集・選択・活用能力を育成したりする「学習センター」及び「情報センター」としての機能」の三つをあげている。学校図書館をめぐる昨今の動向をみるとき、「報告」(案)が「自由な読書」「自主的・主体的な学習活動」を強調している意義は大きい。

4 「報告」(案)の課題
 学校図書館職員をめぐって、「専門・専任・正規」の「学校司書」の法制化をめざしてきた立場からすると「報告」(案)には課題もまた多いといわざるを得ない。

 (1)「学校司書」という名称を避けていること

 学校司書については文科省においても「いわゆる「学校司書」」といういいかたをするようになってきた経過がある(「これからの学校図書館の活用の在り方等について(報告)」2009/3など)。
 「報告」(案)においても、冒頭では「学校図書館担当職員(いわゆる「学校司書」)」と記述しながら、以下のような理由からその呼称をもちいないとしている。

   専ら学校図書館に関する業務を担当する職員(教員やボランティアを除く)の呼称に関し、全国の各地方公共団体や学校では様々な例があり、一般には「学校司書」と称されることが多いと思われる。ただし,①任用する各地方公共団体や各学校における公称としては必ずしも「学校司書」に限らない呼称が用いられていること、②図書館法(昭和25 年法律第118 号)にて公的資格と定められている「司書」という語句との対比で、「学校司書」も公的資格であるとの誤解を招きやすいことから、本報告書においては「学校図書館担当職員」という語句を用いる。

 「公的資格であるとの誤解」を避けるためというのは、将来にわたって「学校司書」を「公的」な職名としないという意味であろうか、それとも学図法「改正」前であるからで、その「改正」にあっては新たな「職」として誕生することを否定はしていないということであろうか。

 (2)「正規」の職員であることを明言していないこと

 このことは「報告」(案)がその採用のあり方が「正規」であるべきことを明言しようとしていないこととも関わっている。
 先に引用した「各学校に配置されている学校図書館担当職員は、勤務形態や経験年数、保有する資格等の状況が各々により様々」の直前には、削除された部分として「非常勤として勤務する場合が多かったり、また、必ずしも全ての学校図書館担当職員が教員免許、司書教諭資格や司書資格を保有しているわけではなかったりするなど、それぞれの学校ごとに違いがある」の文言があった。
 「報告」(案)がこれらの問題を解決する方向に向かおうとしているのか、こうした現状を是認する方向に向かおうとしているのかが問われている。

 (3)「専門性」を担保する資格について触れていないこと

 上記で興味深いのは、「学校図書館担当職員」の資質能力を向上させ、その職務を果たさせるためには行政サイドが「研修」を行う必要がある(※)としているのだが、その根拠につぎをあげている点である。

   地方公務員法(昭和25 年法律第261 号)にいう一般職に属する地方公務員の場合、同法第39 条第1 項により、「研修の機会が与えられなければならない」とされている。

 地方公務員法が「研修」の根拠になっているとするならば、「学校図書館担当職員」は公務員として採用されることが前提となることになる。ただし、「一般職に属する」地方公務員への適用を根拠としていることは逆にその「専門性」を認めたうえでの、新たな「職名」を設置する意志がないこと、あるいはないと見られても仕方がないことになる。
 ※「学校図書館担当職員」(「学校司書」)が配置されるようになったとき、各校では職種としては単数であることが想定される。その場合、配置された職員が十分に職務を遂行するためには当人およびこれを受け入れる学校の体制づくりのために、行政が積極的に「研修」(および情報交換)を実施することは、資格の有無にかかわらず、必要不可欠なことであると考える。これは現に配置をすすめている自治体での教訓でもある。

5 おわりに
 まだまだ分析も言及も足りないところであろうがとりあえずの第一稿としたい。
 「報告」(案)が「「学校図書館担当職員」が果たすべき役割と職務についての基準」を必要であると考えているならば、もっとも適切で効果的な方法は「学校司書」を法制化して「専門・専任・正規」の職員を配置することである。
 私たちが期待するのはその道すじを明らかにし、その資格要件(「報告」(案)も、添削された部分ではあるが、「学校図書館担当職員」が保有する可能性として「教員免許、司書教諭資格や司書資格」といった資格をあげている)をさだめ、必要な法的整備をすることである。
 「報告」(案)がそこまで踏み込まなかったことはまことに残念であるが、来るべき学図法「改正」にあたっては少なくとも「学校司書」の職名が明記され、その存在と役割についての認識がすすみ、「教育の機会均等」のためにも全国で配置が促進され、各学校で確固とした地位を占められるようになってもらいたいと切に願うものである。



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by yassall | 2014-03-08 22:19 | 学校図書館 | Comments(0)

COOLPIX S8200 3月の散歩

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 久しぶりにS8200を持ち出してスナップしてみた。最初は「3月の散歩」としてアップしようと思っていたのだが、カメラ談義の一項目に置いておくことにした。
 NikonがS8200を発売したのは2011年9月。私が買ったその年12月時の価格は19800円であった。購入の動機はメインカメラにかわるサブカメラではなく、メインカメラといっしょに持ち歩くサブカメラが欲しかったからである。
 メインといっても、退職後は重くて仰々しいカメラをきらって、もっぱらm4/3を愛用するようになり、とくにOLYMPUSの9-18mmがお気に入りなのである。だが、たとえば旅先で目にし、写真におさめておきたい対象はさまざまである。そこで、その広角系に傾いた画角をカバーするカメラがあったら便利だろうと考えたというわけなのだ。つまりは、レンズ交換の煩わしさ(というより、何本も持って出ること自体がおっくうなのだ)から解放されたいという不精者の発想なのである。
 したがって、それは広域の画角をカバーしながら軽量で、もし出番がなくても持って出たことを後悔しないですみ、それでいて画質もそこそこには使えるというのが条件になる。S8200は撮像素子が1/2.3型CMOS、画素数16.1メガ、レンズは4.5-63.0mmで35mm換算25-350mmの14倍ズームである。フィルムカメラの時代だったら考えられないスペックであるが、普及タイプのデジカメとしてはむしろ抑えめであることが気に入った。10群11枚にEDレンズ2枚を使用していることなども、いかにも手抜きをしないNikonらしかった。
 それでも、肝心の絵が使いものになるのかサンプル画像などでは判断がつきかねず、新宿のニコンプラザで試し撮りをさせてもらったりした。(私がお願いする前にプラザの人が勧めてくれたのだ。手持ちのSDカードに収めて自宅で拡大してみたりした。)
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 志村坂上にあるオリエンタル酵母の工場である。近くによったときはつい被写体にしたくなる。S8200は1/2.3型ではあるが、画素数が16.1メガあるので、光線条件さえよければそれなりの絵を作ってくれる(と自分では評価しているのだがどうだろう?)。
 フィルムカメラの時代は、フィルムは同じであるはずなのに、一眼レフと普及タイプのコンパクトカメラの差は大きかった。ポスターサイズにプリントするとか、夜景であるとかでない限り、デジカメではそれほどの差を感じないのは、おそらくはカメラ内部で電子的な補正が加えられているからだろう。それが嫌だという人もいるが、私は気にしすぎる必要はないと思うし、技術の進歩として受け止めていいと考えているのである。
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 池袋の東口駅前。ポスターをとりこんで画面を構成するのは他人のふんどしで相撲をとるようで気が引けるのだが、池袋がずいぶんオシャレな街に見えてくる。どうせならポスターをもっと広くとってもよかったが、まあ画質を確認するための試写ということで。(右側のビルの描写などはなかなかいいと思う。)
 S8200をもう一度使ってみようと思った理由は3:4というアスペクトも面白いかも知れない、と考えるようになったためもある。(2:3が選択できないのである。あとからトリミングすればいいという人もいるかも知れないが、やはり違うのである。)

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 これは近所のS短大ホールの裏手。日時が異なるので曇り空だが、少しレタッチしてある(他もしてあるが)。しばらくサブカメラとして愛用していたS8200の出番が減った理由はRX100を買ったからであるが、最近E-M5と12-50mmの組み合わせを導入してから画角域が重複することに気がついた。RX100はまだまだ使っていくことになると思うが、どうせサブカメラとしていっしょに持ち歩くならもう少し異なる画角域をカバーするものがあったらと、また欲張りなことを考えたのである。
 LUMIXのLF1なども評判がよいし、PENTAXのQ7なども面白そうである。だが、似たようなカメラばかりあってもなあ、とか、結局かさばるようになると持っては出ないなあ、とか、あれこれ思案(が楽しいのでもあるが)しているうちに、「そうだS8200があるではないか!」ということになった。さて、復活S8200となるかどうか!?

 (103.7×59.3×32.7mm、213g)


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by yassall | 2014-03-05 12:28 | カメラ談義 | Comments(0)