<   2013年 10月 ( 9 )   > この月の画像一覧

碓氷峠アプトの道

29日、碓氷峠アプトの道を歩いてきた。アプトの道とは、信越本線の横川と軽井沢を結んでいた線路あとを整地し、遊歩道としたもの。この区間は急勾配であったためアプト式を採用することで開通した。別名碓氷線とも呼ばれていたとのことである。
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 起点(折り返し点)は熊の平駅。横川・軽井沢間で唯一の平地であったため、上下線の交換に使われた。写真は軽井沢側。

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 熊の平駅跡だけ赤錆びたレールが残されている。1963年には複線化にともなってアプト式は廃止となった。

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 変電所だろうか、付帯施設もいい具合に朽ちている。長野新幹線の開通によって碓氷線が廃線となったのは1997年のことだという。

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 煉瓦造りのトンネルが続く。碓氷線は廃線にともなって碓氷峠鉄道施設として重要文化財となった。

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 碓氷第三橋梁(通称めがね橋)。よく旅行案内などに掲載されている国道側からではなく反対側から。

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 こんどは国道側から。

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 先へ進む前にもうワンショット。

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 今回の散策は碓氷湖まで。(アプトの道は横川まで続いている。普通は横川の方を起点というらしい。碓氷湖は中間地点くらい。)
 碓氷湖は坂本ダムの建造によって生まれた人造湖。湖自体はあまり美しくも思えなかったが、ダムの方は小ぶりながらなかなか壮観だった。

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 紅葉はまだ始まったばかり。青空が欲しかったが残念ながら曇り。空を嫌って、谷底に流れる小川を写し込んで遠近感を出してみた。

 G5+OL9-18mm、RX100
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by yassall | 2013-10-31 13:14 | 風景 | Comments(4)

La Rossa  萬劇場にて

 La Rossaを観てきた。西山由華が出演しているのだ。朝霞高校を卒業後、東京ダンス&アクターズ専門学校を出て、演義塾に通っている。FBの投稿を読んでいると、かなり本気でがんばっている様子が伝わって来るので、一度観てみたいと思っていたのだ。
 どんな舞台になるのか予想もつかなかったし、ダンスはまったくの門外漢であるから、終わった後なんと言ったらいいのかなどと考えていた。だが、そんな心配は一切なかった。
 チラシには「真のスピリチュアル・SFアクション・エンターテイメント」とあるが、脚本・演出の本多氏がリーフに書いているように、それらは「偽りの仮面」であり、伝えようとしているメッセージはかなり重く観客の胸に届いてくる。
 自分の内面から世界を変える、というテーマがまずある。だが、それはいつしか外面という壁=抑圧者にぶつかる。「平和のために戦うことに矛盾はないか?」はいかにも回答が困難な問いではあったが、それを差し引いても、現代という時代が直面している課題にきちんと向き合おうとしているのは確かだろう。
 アンリ役の青島愛海(男)が達者だった。山上の垂訓のキリストさながらに、群衆に語りかけることが日本語によっても可能なのだ、と認識を新たにした。ネアン役の川渕かおりも魅力的だった。歌や剣舞も手がけているらしいが、今日の芝居でいえば役者として存在感があった。
 西山はどうだったかというと、ダンスが中心の演技だったが、しなやかに、のびやかに、美しく舞台を彩っていたと思う。鍛錬のあとがあった。
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 萬劇場(JR大塚駅徒歩5分) ~10/21まで
 チケットはまだあるとのこと
 申込は:070-5587-3002(lunar Punk) http://www.lunarpunk.org/
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by yassall | 2013-10-20 00:23 | 日誌 | Comments(0)

つい一言  2013.1018~

 東京新聞でも、特定秘密保護法の成立によって、政府や企業の内部告発が処罰の脅威にさらされる問題をとりあげていた。
 例にあげられていたのは防衛省の官製談合問題である(たしか戦闘用ヘリコプターをめぐって富士重工が外され、三菱重工に発注が回った事件と記憶している)。政府の違法行為は特定秘密にあたらないとされているが、このケースでいえば証拠となる仕様書などは防衛上の秘密として特定される可能性は高いという。
 森担当大臣は「公益通報者保護法」があるから内部告発者は守られるというが、同法は民事上の不利な取り扱いを受けないためのルールを定めたもので、刑事罰には該当しないことも指摘されている。
  ※
 特定秘密保護法については新聞各社は連日キャンペーンを張るべきだ、と以前に書いたが、東京新聞はけっこうがんばっている。たぶん同じ系列の中日新聞なんかも奮闘しているのではないだろうか。
(10月31日)
 フリージャーナリストの三宅勝久氏が、特定秘密保護法案について「この法律では、不正に憤る組織内部の良心と言える人が最初のターゲットです。そこに手を差し伸べ、接触を図ろうとするジャーナリストや弁護士、市民が次の標的でしょう」と述べている(「赤旗」10.30)。
 新入隊員が自殺においこまれた海上自衛艦たちかぜ事件を取材した経験では、遺族による「艦内アンケート」の情報公開請求に防衛省は当初「存在しない」と虚偽の説明をしていた。発覚したのは公益通報を黙殺された幹部隊員が遺族側の弁護士に告発したからだそうだ。
 おそらくは自らの進退をかけて内部告発に至ったのだろうが、今度の法案が通れば処罰(禁固10年)の対象になる。国民の「知る権利」のみならず"良心"も閉ざされようとしている。
  ※
 韓国やアメリカの軍隊にもいじめやセクハラが常態化しているという。日本の軍隊だけが清廉潔白なんてあり得ない。「隠してしまえ」「なかったことにしよう」ではなく、きちんと情報公開することが問題解決への第一歩ではないのか。(10月30日)

 特定秘密保護法案とセットになっているのが日本版NSC(国家安全保障会議)の創設だ。2006年、第1次安倍内閣時にすでに創設が提唱されていた。これもアメリカとの政策協議において、米国NSCとの継続的協議を行える組織を設けるように要請されたこと始まりだそうだ。
 今日のニュース番組で、ある解説者が「日本のタテ割り行政を克服できるかどうかがキーだ」と述べていたのを聞いて考えたことがある。
 日本版NSCとは、つまりは戦時中の"大本営"のようなものではないのか。いうなれば戦時となれば戦争指導の大本になる部署であるわけだが、太平洋戦争中の"大本営"ほど情報が活かされなかった機関はない。
 軍部と外務省はおろか、海軍と陸軍との間でさえ情報が共有されず、重大な情報(ソ連の参戦など)が握りつぶされるばかりか、お互いに偽の情報を流しあっていたことが今ごろになって暴露されている。
 "特定秘密保護法"なんて作ってしまったら、会議に集まった閣僚がお互いに腹の探り合いに終始するようなことになるのではないだろうか。歴史はくり返されるのである。
 今日の国会では、小池百合子議員(自民)が「首相の動静が逐一新聞に報道されるのは問題だ」という趣旨の質問をしたとか。早くも"秘密"のベールを厚く、濃くする動きが始まっている。(10月28日)

 特定秘密保護法案が国会に提出された。もともとはアメリカと軍事情報を共有することが目的だが(※)、ひとたび法案が通れば国民に知らせて都合の悪いことは秘密に「特定」され、政権維持の隠れ蓑になることは目に見えている。
 だいたい、これまでだって政府は国民に隠し事をしてはシラを切ってきた。沖縄返還にからむ密約もしかり、福島事故についてだって放射能の流れやメルトダウンのことなど、国民に知らされたのはずいぶん後になってからだった。
 今度は処罰をチラつかせて、秘密そのものに迫ることを牽制し、聖域化(絶対不可侵)することを企んでいるのだろう。国会答弁では「原発情報が秘密になることはない」としているが、実務にあたっている内閣情報調査室は「秘密指定されることはありうる」と政府交渉の場で回答している。
 条文が新聞に公開された。「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人これを強要」(第12条)することがテロリズムの定義だなんてあり得るのだろうか? これでは国会前の集会やデモまでもが処罰の対象になってしまう。その解釈次第で、いくらでも国民の耳をふさぎ、口を封じることが可能になる。
 国会内で野党は少数だ(奮闘している野党もあれば、維新の会のようにむしろ成立をあおっている党派もあるが)。新聞各社には自分たちの存立のためにも、連日キャンペーンでも張るくらいの奮闘を期待したいが、それも国民世論の後押しがあってのことだろう。(10月26日)
 ※それだって独メルケル首相の盗聴疑惑の通り、アメリカが自国の国益を超えて同盟国と秘密情報を共有することなんてあり得ない。

チェルノブイリ原発事故があったのが1986年だからかれこれ30年になる。福島原発事故はチェルノブイリ級(レベル7)といわれるから、私の存命中は収束をみることはないだろうと観念している。(つまり、私は生きている限り福島を憂慮しながら人生を送ることになる。)
 チェルノブイリでは新たな石棺が鉛とセメントで作られていると聞いているが、いまだに半径30km以内は立入禁止である。石棺の中には事故時に亡くなった人たちの遺体がそのままになっているが、取り出すことが出来るようになるのには数世紀かかるといわれている。
 福島原発の場合は事故時の放射性物質の排出量は少なかったが、4基一度であることと海洋への汚染水流失が止まらないことから、チェルノブイリ以上にやっかいだともいう。

 誰でもが考える心配事ととして、それほどの長期間にわたって事故処理のための人員が確保できるのだろうかという問題がある。
 果たして事故後2年半にして早くも人員確保に困難が生じているらしい。原因には①作業中の被曝量が基準を超えてしまい、経験者が作業に従事できなくなっている、②そのため未経験者が雇われるようになったが、パイプをつけ間違えるなどのミスが重なり、かえって放射能漏れと被曝量を多くしている、③危険手当などの支払いが行われないなど労働条件が劣悪で、作業に従事しようという意欲が失われている、④アベノミクスの影響で労働者が他の現場にとられてしまっている、というようなことがあるとのことだ。

 そして、それよりも何よりも、政府自身に収束への「意志」の本気度が試されているように思われる。「原発を推進する自民党議員連盟」(正式名称「電力安定供給推進議員連盟」)は一昨日も会合を開き、原子力規制委員会は審査が厳しすぎると噛みついている。福島はそっちのけだ。

 もしかして、事故を起こしていない原発でも、廃炉にするだけの技術も予算も自信もないから、やむを得ず再稼働をさせようとしているのではないかと勘ぐってしまう。そうでないというなら一刻も早く実効が認められる事故処理の展望を示すべきだろう。
  ※
 特定秘密保護法案が閣議決定された。今朝の東京新聞によると、自民党の総務会では村上誠一郎氏のみが反対の意思表明のために退席したそうだ。
 その村上氏が、「20数年前のスパイ防止法案のときは谷垣法相、大島元副総裁も反対したのに今は官邸に誰も逆らえない」と嘆いていた。谷垣氏といえば、自民党が野党だった時代の総裁である。谷垣氏によって自民党が国民からの信頼を回復したとすれば、選挙前になって一気にそのおもての顔を右派筆頭の安倍氏にすげ替えたところに自民党のまやかしがあるような気がする。(背後にはアメリカの意志も働いていたというのも事実かも知れない。)(10月25日)

 昨日は他の話題が多すぎて触れられなかったが、秘密保護法に関連して森少子化相が担当大臣として「西山事件は処罰対象になる」と答弁したことも見逃せない。
 情報収集の手段に問題があったのは事実としても、スクープされたことがらは国民の安全と利益にとっては重大事である。毎日新聞の記者であった西山氏がすっぱ抜いたのは沖縄返還にともなう土地原状回復費400万ドルを日本政府が肩代わりするという密約であったが、当時は核兵器の持ち込みについても密約がなされたという疑念が濃厚なのである。
 当時の首相は佐藤栄作。佐藤元首相は「核兵器を持たない・作らない・持ち込ませない」の非核三原則でノーベル平和賞を受賞したが、アメリカの原子力空母や原潜が日本に寄港(帰港)するときだけ核兵器を外すかどうかは誰がどう考えても疑問だった。
 (※秘密保護法の制定が日本の国益のためというよりアメリカ側からの強い要請によっているといわれるのも宜なるかななのである。)
 そういえば、安倍首相は岸信介の孫であるというのが自慢のようだったが、佐藤栄作は岸信介の弟である(仲はあまりよくなかったとも聞いているが)。まさか、首相は「積極的平和主義」で自分もノーベル平和賞をねらえるなんて思っていないだろうな。
  ※
 首相の所信表明演説で強調した「意志の力」が、ナチスがかかげた標語とそっくりだとの指摘がある。「国が前面に立つ」としながら原子力災害対策本部の会合を開こうともしないのに、原発事故対策に「意志の力」が示されているとは思えない。
 一方、秘密保護法については与党間で法案が了承され、いよいよ国会に上程されそうだ。(10月24日)


 22日、「原発を推進する自民党議員連盟」(正式名称は「電力安定供給推進議員連盟」だが、実質は原発推進派の集まり)の会合が開かれたそうだ。席上、細田博之幹事長代行は「一日も早く安全性を確認した上で、(原発を)再開する。我々議員連盟は各電力会社を叱咤激励しながらその方向に進んでいければと思う」と語ったという。細田氏は経産省出身、かつ原発立地県である島根県選出ということは以前にも紹介した。原発村の懲りない面々の筆頭格だ。
  ※
 「汚染水対策には国が前面に立つ」と豪語した安倍首相だが、政府が原子力災害対策本部の会合を9月3日以降一度も開いていないことが22日の国会質問で明らかになった。
 茂木経産相は「必要なときに開く」と答弁したが、例の凍土方式の是非の一点だけでもきちんと精査すべきではないのか。
  ※
 政府が原発の再稼働に前のめりになる中、福島原発事故はいよいよ非常事態ともいうべき様相を呈している。
 22日の定例会見で、東電は福島原発沖1kmで放射性セシウム137が1リットルあたり1.6ベクトル検出(検出は2度目で最高値)されたことを明らかにした。
 しかし、昨日の衆院予算委で、安倍首相は「汚染水は完全にブロックされている」と強弁する姿勢を崩していない。(10月23日)

 「茶会」(ティーパーティ)というとなんだか和やかそうだが、アメリカ・共和党内の右翼強硬派の議員たちおよびその支持母体である。
 ティーにはTeaの他に「もう税金はたくさんだ(Taxed Enough Already)」の頭文字でもあるそうで、「小さな政府」をかかげる新自由主義者の連合というところなのだろうが、実態は「他人のためには舌を出すのも嫌だ」という、決して自分たちの権益は手ばなすまいという連中なのではないだろうか。
 アメリカ議会での与野党対立は新年度予算と債務上限引き上げをめぐってであったが、その根源には公的保険制度の実現を阻止しようというティーパーティ側のねらいがある。
 小選挙区制のもとで、支持基盤である保守層の歓心を得るために過激な政策を訴えることでティーパーティは勢力を伸ばしてきた。だが、それはアメリカという国家そのものの権益をそこねるに至っているのではないか。いや、もしデフォルトが起こっていたら国際経済への影響力はリーマンショック以上だという。
 ひるがえって、日本でも同じようなことが起こってはいやしないか。「強い国家」「世界最高の技術」など、勇ましいことばを並べたてて国民の歓心をかい、正常な判断力を麻痺させようとしている輩の跋扈を許してやいないか、ということだ。
 それもこれも、もともと国民が「それでよし」としたことではないかといってしまえばそれまでだが、いまや日本と世界を危うくしているような気がしてならないのである。(10月22日)

 以前に地熱発電のことを話題にしたが(本年1月)、ここへ来て発電所新設の計画がすすんでいるそうだ。来年4月には熊本で出力2000kwの発電所の運転が開始されるという。
 火山国・日本の地熱資源の埋蔵量は世界3位で、原発23基に相当するとされる。太陽光や風力よりも安定的にエネルギーを取り出せる特徴もある。
 確か四国の方だったと思うが、村ぐるみで木材資源の活用の研究をすすめ、チップ化することによって煙の出にくい燃料とすることが実用化されたというニュースが報道されたこともある。石油の高騰で冬の暖房費が跳ね上がっているという北海道で普及できないのだろうか。
 いずれにしても地震国で秋には台風も襲来する日本(福島第一ではまた汚染水漏れがあった)に、原発などというハイリスクで放射性物質を作り続けるしかない技術ではなく、火山の国・森林の国にふさわしい技術を採用したエネルギー政策に舵を切るべきだと思うのである。
 ※
 宮城県出身の菅原文太が宮城県知事選で新人候補の応援にたち、憲法改悪に反対し、「(憲法で定めている人権を)無視し、金持ちを優遇して、弱い人を排除する流れができている」と批判、原発事故についても「放射能対策をすすめるなら、まず原発はやめると言うべきだ」と訴えたとのことである。
 菅原文太は我々が若い頃に一世を風靡した俳優である。同年代には「高倉健より菅原文太!」という女子大生もいた。右翼の野村秋介と交遊があったりということもあったらしいが、最近は耕作放棄地を引き取り、若者を集めて農業に従事するなど、面白い活動をしているなと思っていた。やることに筋が通っている。(10月21日)

 米カルフォルニア州で放射性物質漏れ事故を起こし、廃炉となった原発を所有する電力会社(SCE)が、事故の原因となった部品を納入した三菱重工業に対し、40億ドルの損害賠償を求めて国際仲裁裁判所に申し立てをおこなったそうだ。(その動きがあることが8月ごろにも一部で報道されていたが、請求額も含め正式な申し立てに至ったのだろう。)
 契約上の三菱重工の賠償限度額は1億3700万ドルなのだが、速やかな修理を怠るなどの契約違反があったとして、全損害額の賠償を請求したという。設備メーカーに無制限に賠償を求めるのは異例ということだが、どうなるだろうか。
 気になることが二つ。一つは原発輸出に前のめりになっている政官産はこの状況をどうみているかということ。
 もう一つは事故を起こした福島原発に対する米ゼネラル・エレトリック(GE)の責任である。1958年の日米原子力協定では、アメリカ側の要求で免責条項が盛り込まれたそうだ。だが、2011年の衆院経済産業委員会で日本共産党の吉井議員の質問に対し、外務省の武藤審議官は「88年の現協定では旧協定の免責規定は継続されていない」と答弁している。
 だが、東電も政府もGEに対して責任をただしたり、賠償を請求している様子はみられない。ここでもアメリカに弱い日本が浮き彫りにされている。(10月20日)

  総合資源エネルギー調査会・基本政策分科会での各委員の発言が「赤旗」(10/18)に紹介されていた。
 「原発の新増設が可能になるようなメッセージを『基本計画』に入れ込むべきだ」「日本が安全を輸出するという視点を明確にし、官民一体となった体制整備が必要」(豊田正和・日本エネルギー経済研究所理事長)。
 「原子力は今後も基幹エネルギーという立場に立つべきだ」「原発の割合を25%、寿命を60年に延ばすべき」(山名・京大原子炉実験所元教授)。
 斎藤環ではないが、「合理性を越えた病的なもの」を感じる。
 小泉元首相が、「(再稼働できるのは)せいぜい数基だろう。それなら代替エネルギーでできる」(10/16木更津市での講演)と指摘したとのことだが、よっぽど理性的だ。
 名誉のために紹介しておけば、分科会では「福島の事故に対する反省がみじんも感じられない」(辰巳菊子・日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会常任顧問)というような意見も出されたということだが、「基本計画」が策定されるときにはどうなるだろうか。もともと経産省がまとめた論点整理を審議したものだ。
 ※
 沖縄・竹富村の教科書問題も気になる。竹富村を含む八重山地方の採択地区協議会では育鵬社(「新しい教科書をつくる会から分裂した教科書改善の会の版元、つくる会を"左翼的"と批判しているという)の教科書を選定したが、竹富村では沖縄問題の扱いなどから東京書籍版を採用した。地方教育行政法は各市町村教委に採択権限があるとしているので問題はないはずなのだが、教科書無償措置法に違反しているとして文科相が沖縄県教委に是正措置を指示したそうだ。しかし、竹富村では無償にならないので民間の寄付で教科書を購入している。それでもなお、文科省は無償措置法を改正しても地区内での統一採択が優先することを明確にする方針だという。(10月19日)

 ずいぶん以前に、第2次世界大戦中の日本の軍部がテニアン島に秘密兵器(原爆)が搬入されたことや、ヤルタ会談にもとづいてソ連が参戦することを暗号解読等で知らされながら、「自分たちに都合の悪い情報は見なかったことにする」とばかりにこれを握りつぶしていたことを話題にした。

 やっと15日から国会が始まったが、安倍首相の所信表明演説を聞いていて、そのことを思い出した。政権にとって都合のいいデータが並べられ、現実を正しく伝える数値は示されていない。

 昨年末から有効求人倍率が0.83から0.95に改善されたとしているが、非正規雇用は63万人増の1906万人になり、過去最多となっていることは無視されている。
 経済成長戦略によって大企業が収益をあげれば、やがては賃金アップや雇用の拡大につながるという事例を示したいのだろうが、そのためのデータとしては恣意的すぎる。

 汚染水問題についてはもっと深刻だ。代表質問での答弁では、「汚染水は0.3km以内に制御されている」と答えているが、沖合のメバル類で1キロあたり500ベクレルの放射性セシウムが検出されている現実がある。こうなるとデータの取り上げ方の問題というより、データの改ざん、もっとはっきり言うならばウソである。

 「ものを知らない」というより「恥を知らない」と思って来たが、ここへ来て急に心配になってきた。その心配事とは、もしかしてこれらの言説は「国民を欺こう」としてというより、「自らを欺く」ためなのではないか、ということである。そう思いついて演説の様子をTVで見ていると、何やら自己陶酔的とでもいうのか、「ああ、この人は自分が垂れ流すことばに酔っているな」と感じられてしかたがないときがある。

 いや、もっと心配なことがある。そのことばの心地よさに、国民の側が「だまされたがって」いやしないかということだ。後になって、「どうせなら欺し続けて欲しかった」などということになってからでは遅いのである。
 秘密保護法や国民投票法など、一度飲み込んでしまったら命取りになりかねない、毒に満ちた法案が成立を待って着々と準備されている。(10月18日)
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by yassall | 2013-10-18 09:55 | つい一言 | Comments(0)

『きずな』と『流星ひとつ』  藤圭子ふたたび

 二冊は同じ日に書店に並ぶことになったが、出版にいたるまでにはにそれぞれに経緯がある。『きずな』は1999年に旧版がある。作詞家石坂まさをの自伝として書かれたが、「藤圭子と私」というサブタイトルをつけ復刊された。
 『流星ひとつ』はもっと古く、1979年に引退を表明した藤圭子へのインタビューをもとにした本である。ただし、翌年には原稿は完成していたが、出版はされなかった。沢木耕太郎はその理由について、藤圭子が復帰する可能性に配慮したこと、会話だけで長編ノンフィクションを書ききるという「方法」意識が先行し、藤圭子を「描き切れていない」と判断したからだとしている。
 もちろん、二冊は藤圭子の死を契機に緊急に出版されたのである。石坂まさをは今年3月に亡くなっているので本人の意志ではない。沢木耕太郎には30年間の封印をといてよいと考えた何かがあったのだろう。

 二冊はたがいに参照しあったとは考えられず、それだけに微妙な異同があるのが興味深い。たとえば、デビュー曲である「新宿の女」の歌詞はみずの稔と石坂まさをの共作ということになっているが、『きずな』では名古屋でみずのの詞を見せられた石坂が、「みずのさん、この詞の"バカだな"の部分を使わせてもらえないかな」と頼みこみ、残りの部分は帰りの新幹線の中で書き上げたことになっている。
 一方、『流星ひとつ』では、石坂が手を入れたのは「灯りをともして吹き消した あなたは気まぐれ夜の風」となっていた最初の二行を「私が男になれたなら 私は女を捨てないわ」としたところだけだという。
 ただし、このことに関していえば、沢木耕太郎は「比べてみると、沢ノ井(石坂の本名)さんの詞の方が力が感じられる」といい、藤圭子も二曲目の「女のブルース」については「初めてこの歌詞をみたときは…震えた」と言っているから、石坂の才能を疑ってはいないことが分かる。

 それよりも、私が関心を持ったのは、藤圭子は石坂のことを「よくわかんないんだけど、この人は(あたしと)似ているな、っていう感じはあった」といい、石坂もまた藤圭子を「似たもの同士」であるとし、次のように書いている点だ。

  「かつて、純子(藤圭子の本名)と私は同じ時代を闘った"戦友"だった。
  昭和四十三年の秋に出会ってから、阿部純子は歌手「藤圭子」となり、私は藤圭子を育てるために、澤ノ井龍二という名を「石坂まさを」に変えた。
  そして、私たちが闘った相手は、ともに"母親"という存在だった。」

 そして結末部では次のような予言を書きとめるのである。

  「純子の母・澄子がわが子を歌手にしようとその半生を生きてきたように、アメリカに渡った純子は、今度は自分の娘にその夢を託している。
  だが、純子が自らの母との相克を断ち切ったように、彼女の娘もまた"母"という存在に背を向ける時が必ず来るはずである。なぜなら、それが母と子の持つ宿命だからだ。」

 母と「闘った」といい、「相克」といっても、両者とも母親との対立があったというのではなく、過剰な期待を息子・娘によせる母と、それに全身全霊をもって応えようとする子どもという関係、といった方があたっている。
 むしろ確執はそれぞれの父親とにあった。その有り様は暴君というのに近いのだろう。石坂の父親は事業に成功した後、八人の愛人を持ち、死去した後も子どもをもうけた二番目の愛人に事業を継がせるという、正妻をないがしろにして顧みない人物であったらしい。石坂はその正妻であった女性を母として成長したのであるが、あろうことか、子どもがいなかった母に他の愛人が産んだ子どもを育てさせた、その子どもが自分だったという出生の秘密を知るにいたるのである。
 石坂は母が存命のあいだ、ついに面と向かっては事実を確かめ得なかったと回想しているが、その母は石坂ひとりに希望をたくし、いわば父に捨てられた石坂もまた、荒涼とした青春を過ごしながらもその母の期待を一身にになうことになったのである。
 そうしてみると、さきほどの

  私が男になれたなら
  私は女を捨てないわ

 という歌詞も、その直接性をこえた迫真性を有する理由も理解できる。それは母の悲しみであったかも知れないのである。

 
 藤圭子の場合は、父親は生活破綻者というのに近いのではないだろうか。「この人は兵隊にとられて上官に殴られてばかりいておかしくなった」というエピソードは両書に出てくる。流しの浪曲師というから、だんだん上演の機会もなくなっていったのだろうが、働かず、朝からパチンコに興じては家族に暴力をふるったらしい。
 沢木耕太郎からは「何かに怯えているようなところがある」と指摘され、自分でもいつも「オドオド」しながら生きている(いた)と藤圭子は告白している。父親から受けた理由なき暴力は心の爪痕としていつまでも残っていったことだろう。

 こうしてみると、作詞家「石坂まさを」と、歌手「藤圭子」とは、まことに希有にして必然の出会いであったのかも知れない。上記の二曲に続いて「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」が一年余の間に発表され、またたく間に一世を風靡するにいたった。
 沢木耕太郎は次のように書くのである。

  「藤圭子という素材を得て、持っているものが一気にバッと爆発したんだね、石坂まさを、こと澤ノ井さんも。わずかその一年のあいだにね。」

 そして藤圭子も、「藤圭子は〈夢は夜ひらく〉を歌っていなければ、もっともっと歌手としての可能性があった」という説があることを紹介され、

  「それは違うね。そういう言い方は意味がないね。…歌手として、やっぱり、歌った方がよかったんだよ。」

 と答えるのである。
 そして、それはその通りであるに違いない。あの一年があったからこそ、藤圭子は鮮烈な印象をもって人々の「胸の奥をさわり」、流星となって消えて行ってしまった後も、心のどこかを疼かせ続けているのである。

 さきほどの石坂の「彼女の娘もまた"母"という存在に背を向ける時が必ず来る」という予言についてふれる。
 娘・宇多田ヒカルと母・藤圭子との間に確執が生じたことがあったのは事実のようである。藤圭子が家族からの孤立感を深めていたという直接的なきっかけになっていたかも知れない。
 石坂の文章には、「純子が自らの母との相克を断ち切った」ともあったが、それも事実のようだ。だが、藤圭子の場合、そのことが却って彼女自身を苦しめていたということは十分に考えられる。
 両親が離婚した後、藤圭子は「阿部」姓ではなく、離婚後の母の姓である「竹山」を名のっている(『流星ひとつ』に出てくる)。両親の離婚は藤圭子の支持するところであったらしい。その上で彼女は母親の杖となって生きる決意を固めていたのである。その重さがいつしか爆発したのではないか。

 藤圭子が投身自殺をとげた後、マスコミでは本名「阿部純子」と報じられたが、それは二重の意味で誤りである。「竹山純子」から「阿部」姓に戻ったことはないこと、次の宇多田ヒカルのHPによれば、本名「宇多田純子」が正しいことから。そのことを指摘して、この問題の答としよう。

  「一連の記事で母の本名が誤って報道されていました。阿部純子ではなく、宇多田純子です。父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした。夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした。亡くなる直前まで、母は娘である私だけでなく、父とも連絡を取り合っていました。父は、母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人です。
  それらの事実をふまえた上で新宿警察署は、母の遺体の本人確認と引き取りを父が行うべきと判断したものと思われます。」

 HPでは、「私も藤圭子のファンでした。今も、この先もずっとファンであり続けます。」としめくくられている。このことばに偽りがないのであろうことは、2010年に発表された「嵐の女神」の歌詞を読んで、信じてよいと思うのである。

   「嵐の女神」

  嵐の女神 あなたには敵わない

  心の隙間を埋めてくれるものを 
  探して 何度も遠回りしたよ

  たくさんの愛を受けて育ったこと 
  どうしてぼくらは忘れてしまうの

  嵐の後の風はあなたの香り 

  嵐の通り道歩いて帰ろう
  忙しき世界の片隅 

  受け入れることが愛なら
  「許し」ってなに? きっと… 

  与えられるものじゃなく、与えるもの
  どうして私は待ってばかりいたんだろう 

  お母さんに会いたい

  分かり合えるのも生きていればこそ 
  今なら言えるよ ほんとのありがとう

  こんなに青い空は見たことがない 

  私を迎えに行こう お帰りなさい
  小さなベッドでおやすみ


 沢木耕太郎『流星ひとつ』新潮社(2013.10.10)
 石坂まさを『きずな 藤圭子と私』文藝春秋(2013.10.10)
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by yassall | 2013-10-17 02:02 | | Comments(0)

10.13原発ゼロ★統一行動

 フル日程は参加できなかったが、日比谷公園から財務省、経産省、東電前を歩くデモには参加してきた。
 参加者数は主催者発表でのべ4万人ということだ。昨年あたりの集会と比べると人数は減っているようだが、この3年間で脱原発を訴える集会やデモが全国各地に広がっていることは確かだ。
 息長く続いていくことが大切なのだろう。私も6月の集会には参加できなかったから、今回は参加できてよかったと思っている。
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 大江健三郎、肥田舜太郎氏らによるオープニング集会が開かれた日比谷公会堂前

 主催者発表による参加人数に変更がありましたので訂正しました。夕刻からの国会前大集会を受けてのことだと思います。(10月14日)
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by yassall | 2013-10-13 19:55 | 日誌 | Comments(0)

呪解伝  高円寺・明石スタジオで

 「呪解伝」を観てきた。はっぴぃはっぴぃどりーみんぐの舞台は二度目。みかわやこと葉山美侑の応援である。ストーリーは単純といえば単純、アニメ的といえばアニメ的なのだが、相変わらず殺陣は迫力があった。俳優陣も光るものを持っている人が多かった。特に「鬼」一統には耽美的な雰囲気がただよっていた。みかわやも生き生き演劇が出来ていた。
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  小屋は高円寺・明石スタジオ。手狭ではあるが照明は整っているようだった。~明日13日まで
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by yassall | 2013-10-12 19:33 | 日誌 | Comments(1)

モローとルオー展

 モローとルオー展へ行って来た。
 実は、私はパリのモロー美術館に行ったことがある。残念ながら休館日(確か火曜だったと記憶している)だったので中には入れなかった。休館日であることは事前に分かっていたのだが、モロー美術館はモローの住居を本人の意志で改装したものなので、その建物の前に立つだけでも満足できると考えたのである。
 そのモロー美術館が大規模な改修に入ったらしい。そこで展示の一部が海を渡ってきたというわけなのだ。世界各地を回るらしいが、パナソニック汐留ミュージアムはもともとルオーを収集しており、モローとルオーは師弟関係にあったことから、今回の企画展にいたったということなのだろう。(ただし、今回展示されているルオーは必ずしも収蔵作品とは限っていない。)
 モローは日本でも人気があるから、あちこちの美術館で収蔵しており、今回やってきた作品がそれらに比してとくにすぐれているとも思えなかった。大作は「パルクと死の天使」「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」といったところだろうか。「ユピテルとセメレ」も大作だが、私が見たいと思っていたものではなかった。
 モローは色彩を重視し、やがて形態が溶解するにいたるのだが、どうも私にはそこまではついて行けない。その意味では、初見ながら、デッサン力を残した「ハムレット」などの小品に心をひかれた。
 モローとルオーを並べてみると、ルオーがモローから何を引き継いだかが明瞭となるのだが、同じ意味で初期の「ヨブ」がいいと感じた。これは旧約聖書の「ヨブ記」に対する関心が働いているのは否定できない。

パナソニック汐留ミュージアム(新橋) ~12/10まで
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by yassall | 2013-10-08 19:57 | 日誌 | Comments(0)

鮎川信夫「兵士の歌」

 戦後詩のエポックとなった『荒地』(1947-48)を代表する詩人は誰だろう。また、『荒地』を離れても読まれ続けていく詩人がいるとしたらそれは誰だろう。
 田村隆一は長く詩作を続け、新しい読者を獲得していった。黒田三郎はその詩に曲がつけられ、歌曲として広がっていったりと、大衆的な人気を博した。
 今でも多くの読者を持っているとはいえないだろうが、三好豊一郎や木原孝一も忘れがたい詩人たちである。
 だが、戦後一貫して重要な詩人とされながら、『荒地』と分かちがたく結びついているのは、つまりは戦後詩の原点に立ち続けているのは鮎川信夫をおいてはいないだろう。
 詩人としての鮎川の出発点は戦前にあった。よく知られていることだが、『荒地』には第一次『荒地』(1938)があり、鮎川の「死んだ男」に登場する「M」はその同人であり、ビルマで戦病死した森川義信を指している。

  Mよ、昨日のひややかな青空が
  剃刀の刃にいつまでも残っているね。
  だがぼくは、何時何処で
  きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
  短かった黄金時代……
  活字の置き換えや神様ごっこ……              (「死んだ男」)

 「活字の置き換え」とは戦前に依拠していたモダニズムの手法を否定的に比喩したものに他ならない。「神様ごっこ」とは、ことばによって世界を創造し得る、あるいは再編し得ると信じていた、もしくは熱望していたことへの自嘲だろう。そして、もはや「太陽も海も信ずるに足りない」と書き、自らを戦争で死んでいった者たちの「遺言執行人」であると宣言するのである。

 ここにとりあげるのは「兵士の歌」である。戦後70有余年を経て、しかし私たちの眼前にある風景が「曠野」に似てくることがないと、果たして言い切れるだろうか。

    「兵士の歌」

  穫りいれがすむと
  世界はなんと曠野に似てくることか
  あちらから昇り むこうに沈む
  無力な太陽のことばで ぼくにはわかるのだ
  こんなふうにおわるのはなにも世界だけではない
  死はいそがぬけれども
  いまはきみたちの肉と骨がどこまでもすきとおってゆく季節だ
  空中の帝国からやってきて
  重たい刑罰の砲車をおしながら
  血の河をわたっていった兵士たちよ
  むかしの愛も あたらしい日付の憎しみも
  みんな忘れる祈りのむなしさで
  ぼくははじめから敗れ去っていた兵士のひとりだ
  なにものよりも おのれ自身に擬する銃口をたいせつにしてきたひとりの兵士だ

  (中略)

  ぼくはぼくの心をつなぎとめている鎖をひきずって
  ありあまる孤独を
  この地平から水平線にむけてひっぱってゆこう
  頭上で枯れ枝がうごき つめたい空気にふれるたびに
  榴散弾のようにふりそそいでくる淋しさに耐えてゆこう
  歌う者のいない咽喉と 主権者のいない胸との
  血をはく空洞におちてくる
  にんげんの悲しみによごれた夕陽をすてにゆこう
  この曠野のはてるまで
  ‥‥どこまでもぼくは行こう
  ぼくの行手ですべての国境がとざされ
  弾倉をからにした心のなかまで
  きびしい寒さがしみとおり
  吐く息のひとつひとつが凍りついても
  おお しかし どこまでもぼくはいこう
  勝利を信じないぼくは どうして敗北を信ずることができようか
  おお だから だれも僕を許そうとするな。

  (あゆかわのぶお、1920 -1986)
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by yassall | 2013-10-07 18:58 | 詩・詩人 | Comments(0)

銀杏祭「17」公演

 あいにくの雨模様でしたが、東大教育学部附属中等教育(中高一貫)学校の銀杏祭に行って来ました。なぜそんなところへ?というと、西部A地区で一緒だった方が現在その学校で演劇部をみておいでで、文化祭公演に招待されたからです。
 演目は「17」。生徒創作で女子生徒7人による劇でした。公演終了後、キャストと懇談する機会を作ってくれ、題名の読み方を尋ねると「じゅうななです」という答が返って来ました。読み方は「じゅうなな」でいいのでしょうが、セブンティーンという端境期にある女子の内心のめざめや不安、傷つきやすく、また周囲を傷つけずにはおかないような心の動きがテーマ。といってしまうと味も素っ気もなさそうに聞こえてしまいますが、演劇的な構成にはセンスがあり、くすぐりや遊びにあふれ、才気を感じました。なにより17歳の若やいだ輝きがありました。(課題は集団芝居になったときでもセリフをきちんと届けるというところでしょうか。)
 地区大会を抜け、11月の都大会に向けてもう一度作り込んでいくところだとか…。いろいろ言われることがあっても、自分たちの方向性を見失わず、のびのびと進んでいって欲しいと思いました。
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by yassall | 2013-10-05 18:09 | 高校演劇 | Comments(0)