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大正浪漫探偵譚

はっぴぃはぴぃどりーみんぐ「大正浪漫探偵譚」を観てきた。小屋は八幡山のワーサルシアター。朝高演劇部OGのみかわやが今は葉山美侑を名乗って小さい役ながら出演しているのだ。
劇評はしないが、ダンスあり、けっこう激しい殺陣ありで、エネルギッシュで若々しい舞台だった。これから大きくなっていく人たちなのだろう。
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8月1日まで。
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by yassall | 2013-07-30 20:24 | 日誌 | Comments(0)

つい一言 2013.7.30~9.10

 大阪の平和博物館「大阪国際平和センター」のリニューアルにともなって、第2次世界大戦中の旧日本軍の行為に関する展示を大幅に縮小するとした基本設計案(中間報告)が明らかになったそうだ。
 現行の展示は、展示室A「大阪空襲と人々の生活」▽展示室B「15年戦争」(満州事変~日中戦争~太平洋戦争)▽展示室C「平和の希求」で構成。Bは南京大虐殺や朝鮮人強制連行を展示し、保守系の団体や議員が「自虐的」と指摘していたとのこと。
 松江市の「はだしのゲン」事件とどこか似ている。松江市では「市民」の「抗議」と請願がきっかけだったというが、どうも背後では在日韓国人・朝鮮人に対するヘイトスピーチ・デモで知られる「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が関係していたようだ。
 「自虐的」のレッテルのもと、歴史に目をつぶり、負の遺産をなかったことにしようというのは、汚染水の漏洩を直視せず、「完全にコントロールされている」と強弁することと通じている。
 大事なことは、ことばの心地よさにだまされないこと、臭いものに蓋をしたからといって臭いのもとは断たれていないことを肝に銘ずることだろう。
 ファシズムは上から押しつけられるばかりでなく、下からも(民衆の側からも)これを呼び込んでしまう危険をはらんでいるのだから。(9月10日)

 2020年の東京オリンピックの開催が決定したようだ。安倍首相の「汚染水は港湾内で完全にブロックされている」「コントロール下にある」との強弁が功を奏し、世界がこれを認めたということになったら、現政権はますます力を得てしたい放題のことを始めるのではないか?
 最近のニュースで気になったのは、「特定秘密保護法案」について、政府はパブリックコメントを始めたが、同じ与党である公明党には事前の説明がなく、抗議されたということだ。(公明党には自民党のブレーキ役として節を通してほしい。エンジンだけでブレーキがなければ車はどこへ走っていくかわからない。)
 当分オリンピック熱にうかされることになるだろうが、原発の安全審査・再稼働、憲法改悪、TPP、庶民増税、健保・年金の引き下げなどを強引に推し進めようとするならば、国民の生活と安全との間に重大な軋轢を生み出していくことは間違いないだろう。
 あと7年後、私たちはどのような思いでオリンピック・パラリンピックを見ることが出来るだろう。真にアスリートたちが輝き、人々がこれを礼賛できるような祭典であってほしい。(9月8日)

 「事故から3カ月後の6月11日に国会議員として初めて4号機に入ったときも、吉田さんが一緒だった。このとき、地下水の流入を止めるために、原発周辺の地下の四方を遮水壁で覆うプロジェクトを実施するため、境界画定を行った。当初反対していた吉田さんも「分かった」と言って現場確認作業に立ちあってくれた。ところが、直後に私は補佐官の任を解かれ、地下遮水壁プロジェクトはひっくり返された。」
 馬淵澄夫氏が自身のブログ(「まぶちすみおの「不易塾」日記」)でこのように書いている。馬淵氏は2011年の東日本大震災を受け、3月26日付で内閣総理大臣補佐官(東北地方太平洋沖地震による災害及び原子力発電所事故対応担当)に任命されながら、6月27日には補佐官を退任し経済産業副大臣に就任するようとの要請を固辞し、首相補佐官も退任することになった。
 時の民主党政府と東電は事故の収束への芽を自ら摘んでしまったのか? 今起こっている事態の深刻さを考えると、どうにも釈然としない気持ちをおさえられない。(9月7日)

 小泉元首相が「脱原発への意志が強まった」と発言し、話題になっている。フィンランドの核廃棄物最終処分場を視察に行った後のことだそうだが、同行した推進派企業サイドからすると当てが外れたということだろうか。「10万年だよ。300年後に考えるっていうけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。」「今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。」…まともな言い分ではないか。遅きに失したなどと言わないからもっと声を大きく発言して欲しい。(9月6日)

 昨日、政府は福島第一原発汚染水問題に対する「抜本的な対策」について基本方針を決定し、その内容がマスコミでも報じられた。
 だが、そこで示された対策が「抜本的」と評価できるかどうかについて、早くも疑問視する声があがっている。従来の方針を踏襲したに過ぎないばかりか、地下水の海洋放出についても「関係者の理解を得るよう最大限努力する」などと明記するに至ったからだ。
 だいたい対策の目玉とされる凍土遮水壁というのは、トンネル工事の際の地下水対策として開発されたもので、これほど大規模に、かつ長期的に使用されることを前提とした技術ではないそうだ。しかも、もし完成したとしても維持費に莫大な経費がかかるだけでなく、原発1基分ほどの電力が必要なのだという。
 他にも地下水を止水することによる地盤の変化や、そのことで却って原発本体から高濃度の汚染水が漏れ出すのではないかといったことも懸念されている。
 凍土遮水壁には、2年後を目標に、320億円をつぎ込むという。2年間でそれらの技術的な問題をクリアすることの見通しが立っているのか疑問はつきない。やってみなければ分からないという問題ではないはずだ。推進派ばかりでなく反対派の知見も集め、抜本的かつ総力をあげて対策を講じなくてはならないではないか。
 オリンピック東京招致委員会はIOCに「東京には影響ない」旨の手紙を送ったとのことだが、こんなときに何を考えているのだといいたくなる。(9月4日)

 福島第一原発の汚染水漏れの事態が深刻すぎて、つい一言も滞ったままになってしまった。日本で、世界で、その推移を固唾をのむようにして見守っている人たちが大勢いるに違いない。水冷方式の限界は誰の目にも明らかで、空冷方式や金属による冷却も提案されているらしいが、収拾への見通しが立たないのが最大の難関だ。
 (専門的なことはよく分からないが、核燃料サイクルを放棄すれば乾式(空冷)で使用済み燃料を保管することは可能らしい。それも今更の話だが、核燃料サイクル自体もいまだ見直しはされていない。)
 政府は一刻も早く収束宣言を撤回し、国も国民もいまだ原発事故が継続中であるという認識をはっきり持つべきだろう。あれは前政権での出来事、もう終わったことで、別なことに精出そうというわけにはいかない。
 誰かが書いていたが、オリンピック招致などで浮かれている場合ではないし、もしそれでもって国民の目を欺こうとしているのであれば、それはスポーツに対する冒瀆でしかない。(9月3日)

 福島第一原発事故後、ドイツでは「原発ゼロ」を目指す方針を決め、事故前に17基あった原発のうち8基をすでに閉鎖し、残る9基を2022年までに順次閉鎖していくという。ドイツでは9月の総選挙を迎えるが、この目標が争点になることはなく、与野党ともに自然エネルギーの推進を訴えているそうだ。
対岸の火事をみて「原発ゼロ」を決めたドイツと、まだ火事が収まってもいないうちから再稼働に向けて動き出した日本とは、まさに対照的というしかない。
 ドイツでも自然エネルギーの普及に伴って電気料金は値上がりが続いているのだそうだ。それでも「原発ゼロ」を国民が支持しているところが偉いと思うが、自然エネルギーは普及するにしたがってランニングコストがかからなくなるという理解がすすんでいるのだろう。
 本当は、この2年間で日本でも原発2基分に相当するだけの自然エネルギーが普及していると、最近の新聞にあった。それでも政府・電力会社は、ガス発電の燃料費の高騰を理由に、原発再稼働のスキをねらっている。せっかくある施設だかといって、ここで「モッタイナイ」精神を発揮すべきではないと思うのだが。(8月26日)

 「はだしのゲン」問題で、松江市教育委員会は26日に教育委員会会議を開き、手続きに不備があったとして、閲覧制限を撤回し、学校の自主性に任せることを決めた、というニュースが入った。閲覧制限は当時の市教委の事務局レベルの判断で決められ、教育委員会会議に報告されていなかったとのことだ。世論の勝利といってよいのではないだろうか?(8月26日)

 大事な問題なのに、他にいろいろありすぎて触れるのが今日になってしまった。福島第一原発で高濃度の放射能汚染水がタンクから漏れた問題について、原子力規制委員会は21日、国際原子力事象評価尺度(INES)で8段階の上から5番目の「レベル3」(重大な異常事象)への位置づけを検討中であることを発表した。これだけの大事件がたいして大きな話題にならなくなってしまったことが不思議だ。国民の意識が麻痺してしまっているのだろうか。1999年の東海村JCO臨界事故の「レベル4」より一段階低いものの、福島第一原発で起こっていることは継続中で、海洋への流失など、今後の拡大が予想される事態である。海水浴シーズンは終わってしまったのかも知れないが、子どもたちを海辺につれていった親たちは不安にかられたりはしなかったのだろうか。(8月23日)

 国旗掲揚と国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述した実教出版の高校日本史教科書について、東京・大阪・神奈川の教育委員会が「採用は不適切」とクレームをつけ、東京では採用0となり、神奈川では採用を希望した28校に変更を迫った。
 そもそも同記述は検定前には「政府は国民に国家掲、国歌斉唱を強制するものではないことを国会審議で明らかにした」とあったものを、文科省の指導で改めたものだという。
 以前にも書いたが、国旗国歌法が「尊重義務」をもたないことも、「強制の動きがある」ことも事実。権力の座にあるものが真実や事実をねじ曲げることが当たり前の国になっていいのだろうか。ましてや文科省の検定済み教科書ではないか。

 埼玉では、県教委は学校での選定を尊重する方向性を確認したものの、「県議会教科書を考える議員連盟」が12日に実教日本史の不採択を求める要望書を教育委員長・教育長に提出したとのこと。明日の教育委員会で採不採の議決行われるとのことだ。

 教科書によっても真実が伝えられず、図書館からは『はだしのゲン』のような本が隠されていったら、子どもたちはどうやって真実を知ることが出来るのだろうか。いや、子どもたちは我々が考える以上に時代の空気に対して敏感だ。子どもたちが真実を知ることを怖れたり、嫌ったりするようになりはしないかと心配だ。(8月21日)

(昨日の続報)
 教科書の採択をめぐり、埼玉県では本日の教育委員会で「高校、特別支援ともに、現場からの選定を尊重する採択がなされました。」とのことです。いいぞ、埼玉!(8月22日)

 戦争末期の特攻作戦に象徴されるように、極端な人命軽視があったこと。また、兵站線が脆弱で食糧の「現地調達」が常態となり、それは略奪を横行させたから、現地の民間人の怨嗟を産んだこと。今思いつく限りで、旧日本軍にはそのような負の特質があった。
 しかし、それらを差し引こうとしなくても、私は旧日本軍のみが突出して残虐で野蛮であったとは思っていない。かばってのことではない。そもそも軍隊とはそうしたものだという認識に立った方が真実に近づくことを可能にすると考えているのだ。
 私が生きてきた時代でも、アメリカがベトナムでしたこと(ソンミ村、枯れ葉剤)、イラク戦争でしたこと(劣化ウラン弾)、中国が中越戦争でしたこと、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のサラエボで起こったことを見れば、内戦も含めて戦争がいかに人間を狂気に駆り立てるかが分かる。勇猛と野蛮は紙一重というより表裏一体なのだ。
 よく日露戦争では日本軍はロシアに対して紳士的であったなどといわれるが、捕虜となった将校に対してはともかく(当時の国際社会としての白人社会からの批判を避けるため)、一般兵や、ましてや朝鮮人・中国人に対してその人権を尊重する態度を保持していたとは思われない。
 私が「歴史問題」を考えるときの尺度はここだ。過去に日本が犯した侵略行為や戦争犯罪をなかったことと考えるのは理性を眠らせ判断を停止させることでしかない。
 一昨日問題にした、島根県松江市の小中学校で中沢啓治『はだしのゲン』の閲覧を制限したことは、過去の歴史に対する目を閉ざさせ、理性的に、また自由に、ものごとを考えたり、判断したりする力を削ごうとする行為に他ならない。
 愛国心教育をとなえる人たちがしばしばこのような歴史認識に立とうとしているから、私はその人たちの「愛国心」が信用できないのだ。(8月19日)

 島根県松江市での出来事。昨年12月、中沢啓治の『はだしのゲン』を児童生徒に貸し出さないよう、市教育委員会が市内各校に要請していたとのことだ。
 理由は「描写が過激」ということなのだが、どうも妙なことが起こるものだと詳報を求めた。毎日新聞は昨日のうちに、東京新聞も今日の朝刊により詳しく取り上げられていた。
 すでに既報だという人が多いだろうが、問題とされたのは全10巻の後半の旧日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた場面。昨年8月に「子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける」と主張する市民が学校図書館からの撤去を求める陳情を提出したことに端を発した。陳情は市議会で全会一致で不採択となったが、市教委が独自に判断し校長会で指示したものとのことだ。
 つまり問題は心的傷害への配慮(そうだとしても行き過ぎだろう)というより、「歴史認識」にあったということになる。
 15日の戦没者追悼式で、安倍首相は「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え」たことに対する「反省と哀悼」という表現を用いなかった。「不戦の誓い」にも触れなかった。
 陳情を行った市民、というのがどのような個人あるいは団体なのかは不明である。だが、こうした政治の右傾化・軍国主義化の動きと歩調を合わせているのは確かであるように思われる。
 陳情自体は市民的権利として否定はしないし、慎重審議の上で不採択とした市議会の良識には拍手を送りたいが、不採択となった事案が市教委の独断で息を吹き返してしまったのが腑に落ちない。
 島根といえば学校司書の配置率が100%となるなど、学校図書館の先進県である。そこでこのような出来事が起こり、今も継続しているということが残念でならない。(8月17日)

 アベノミクスの三本の矢は果たして日本経済をどこに導いていくのか、その効果も含めて賛否両論がある。しかし、経済政策の面にばかりでなく、政治の右傾化・軍国主義化に向けても、次々に矢が放たれているようだ。
 内閣法制局長官に「集団的自衛権」推進派の小松氏を起用したのに続いて、「特定秘密保全法案」を秋の臨時国会に提出することを決めたそうだ。国民の知る権利を制限し、言論を封殺することにつながる「国家機密法」等、類似の法案がこれまで何度も上程されては多くの反対の前で廃案になって来た。与党が圧倒的多数を占めるにいたった今回はどうだろうか。
 オスプレイが配備されることとか、米軍と自衛隊が「集団的自衛権」の行使を前提にした軍事訓練をすでに行っていることとか、それらが「国家機密」とされ、いっさい報道されなくなる日が来るのだろうか。 国民が「見ざる言わざる聞かざる」を強いられるようになったら、本当に日本は戦前に逆戻りだろう。首相官邸主導で、外交・防衛政策を進める「国家安全保障会議」の年内創設をめざしているとも報道されている。(8月16日)

 昨日、詩・詩人シリーズで陶淵明「帰去来辞」をアップした。その後、大事なことを書き落とした気がしたので《追記》を加えた。「田園将蕪」には地方を置き去りにする中央政権へのプロテストが込められているのではないだろうか、というものである。

 柏崎刈羽原子力発電所の運転再開に向け、東京電力が速やかに国に安全審査の申請をしたいとしていることについて、地元の柏崎市と刈羽村は了承する方針だという。新潟県は知事が反発を強めている中、地方自治体の内部分裂を誘うことで切り崩しが行われようとしている。
 沖縄では米軍のヘリが墜落した。日本政府としては事故の原因究明と再発防止を「お願い」するしかないのだという。米軍基地内の森林ということで火災が発生しているのに消防自動車さえ入れなかった。
 年金・福祉といった社会保障制度が大きく削減されようとしている。消費税の引き上げについても根拠が失われつつあることが指摘されている。
 福島第一原発では地下水のセシウム濃度が15倍になっていることが明らかになったそうだ。まだまだ隠していることがたくさんあるのではないだろうか。今日は広島原爆の日である。(8月6日)

 一昨日は政党助成金のことを話題にしたが、議員活動に対しては報酬を支払うのは当然として、政党活動を税金で負担するというのは不当であるという考え方が正しいのだと思う。
 確か政党助成金がはじまったときは「金のかからない選挙」のためというのが名目だったと記憶しているが、今度の参院選の前に自民党が日本建設業連合会に対して4.7億円の献金を請求していたことがすっぱ抜かれていた。(相変わらずマスコミが重大視しないうちにうやむやになってしまったが。)
 税金で報酬を受けている議員は税金を払っている国民のために働いてもらいたい。政党は政治信条をともにする人々からの党費や個人的な募金で運営されるべきだ。
 企業から献金を受ければ企業のために働くのだから企業献金は廃止すべきだ。

 企業献金を制限するための政党助成金であったなら、せめて企業献金を受けた額を明らかにし、政党助成金から差し引くようにしたらどうかと思う。そうすれば、誰のために政治を行おうとしているのか、一目瞭然になる。まあ、根本的な解決にはならないか。(8月4日)

 内閣法制局長官に「集団的自衛権」容認派の小松氏が起用される。実質的な解釈「改憲」の布石と目されている。法制局勤務経験のない小松氏が起用されるのは異例の人事だそうだ。「誰も気がつかないうちに憲法が変わっていた」が始められようとしている。麻生氏は「王様の耳はロバの耳」とばかりに、つい黙っていられずに口に出してしまっただけなのかも知れない。(8月3日)

 生活保護費の減額がはじまった。3年間で700億円、最大で1割を減額するそうだ。
 国家予算を圧迫している、といわれるが、GDPに占める比率でいうとOECD加盟国平均が2.4%であるのに対し、日本は0.3%を占めているに過ぎないという数字もある。
 一方で、2013年度の政党助成金は320億円(共産党のみ受け取っていない)。3年間なら960億円になる。減額するところが間違ってやしないか、といいたくなる。
 昔は、弱きを助け、強きをくじくのが子どもたちのヒーローだったが、これでは逆だ。
 今月からは諸物価もいっせいに値上がりする。値上がりが予定されているものはどれも生活必需品だ。(8月2日)

 今朝の東京新聞によると、麻生副首相兼財務大臣は29日に都内で開かれた講演会で、憲法改正は「ナチスが気がつかないうちにワイマール憲法を変えた」「手口を学んだらどうか」と発言したとのことだ。文脈があることとはいえ、例として引き合いに出すものに配慮がなさ過ぎる。
 日本のマスコミは重大視しようとしないし、国民も鈍感だからと高をくくっているのかも知れないが、海外メディアからは早くも批判の声が上がっているらしい。日本の右傾化に対する諸外国の警戒感はいっそう高まることだろう。

 麻生氏本人も述べているように、第1次世界大戦後の敗戦国で生まれたワイマール憲法は、当時のヨーロッパでもっとも民主的な憲法と評価された。そのワイマール憲法と日本国憲法を比較しようとしている背景には、「国際環境が変わった」「護憲を唱えるだけでは平和は訪れない」との発言の端々からもうかがえる通り、憲法の「理想主義」を退け「現実主義」に立て、とでもいいたいのだろう。しかし、ワイマール憲法を破棄した後のドイツと世界がたどった道を振り返れば、その「現実主義」なるものの危うさは明らかであるといわなければならない。

 ナチスはワイマール憲法の下で選挙によって、すなわち手続き的には「民主主義」によって、政権の座についた。このことは民主主義の制度のあり方や脆さの問題としてよく引き合いに出される。
 それはともかくとして、ナチスが大衆的な支持を受けて政権の座に躍り出たこと、そのためにとった劇場型政治の手法のことは、歴史の教訓として学ばなくてはならないのだろう。
 「民族の誇りを取り戻せ」「敵を倒せ」「世界を制覇せよ」と、国家主義を振りかざし、国内外に敵を作り出し、強い政治・力の政治を訴えるやり方は、単なる失言の域をこえて、本音でナチスの「手口」に学ぼうとしているのかも知れない。これを阻止するには国民の側がよほど警戒を強めなければならないのだろう。(7月31日)

 TPPのことはよくわからない。関税が撤廃されれば日本の農業は壊滅的な打撃を受けるといわれる。それはその通りなのだろうが、後継者問題をはじめ、TPPがなかったとしても日本の農業が大きな曲がり角に来ているのは確かだろう。
 では日本の農業の将来はどうあるべきなのだろうか。単純に考えると大規模化による集約型農業に変えていくしか道はないと考えもするが、経営的に成り立つための農業=儲かるための農業=単作化は、より安価な農作物の輸入等によって、儲からなくなった=経営的に成り立たなくなったとき、破綻の危機にさらされることになる。これらは戦後の農村で実際に起こってきたことである。
 一定の食糧自給率を維持することは国家の存立に関わる重要課題である。企業の参入などがいわれることがあるが、上記のようなことが起こったとき、会社であれば倒産もありえるし、撤退もあり得る。倒産されたり、撤退されたりしたら、一国の農業政策として失政であったでは済まされない。

 こんなことを言い出したのは、信越を旅して青々とした田畑を見てきたばかりだからである。一方で記録的な豪雨があり、一方で水不足がある。旅日記に書いた通り、山間部では限界集落化がすすんでいる現実がある。それでも日本の農業はまだまだ健在である。健在であるべく日々努めている人々がいる。それらの人々の努力が報われるようでなくてはならないのだろう。儲かる農業より、必要な農業が生き残る農業、ということばも聞いた。
 これからの日本の農業のあり方として、地産地消の普及があるという。友人のブログで、ここのところ毎日のように朝市で新鮮野菜を入手したことを記事にしていた。朝の散歩がてらという気安さが、実は日本の農業を応援していることになるのかも知れない。(7月30日)
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by yassall | 2013-07-30 12:13 | つい一言 | Comments(0)

信越秘境の旅・後編

 宿泊は白馬。ただし、2日目の行程はすべて新潟下越ということになる。ホテル出発時からマイクロバスに乗り換え、最初に訪れたのは雨飾山麓しろ池の森。
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 今日は1日にガイドがついたが、ガイドがつくと一般車両通行禁止道路のゲートの鍵が借りられるらしい。まあ、池自体は変哲もないが、塩の道であった糸魚川街道のルートであったらしい。
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 次は糸魚川不動滝(不動滝の名称は各地にある)。山道をかなり走った後、駐車場から坂道を下りていくと滝が顔をのぞかせる。
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 落差は70m。三段に落ちているとのことだが、どこが段差だかよく分からなかった。
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 一帯は今はキャンプ場として整備されているが、かつては水田があったとのことである。そういえば山道を登ってくるときも廃屋となった民家が散見された。限界集落化がすすみ、無人となってしまった集落も多いとのことだった。
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 明星山南壁。440mの岩壁はロッククライミングの人気スポットだそうだ。18mm相当の広角レンズをもってしても収まりきらない。
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 次はヒスイ谷。名前のとおりヒスイの産地とのことでである。
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 最後の訪問地は高浪の池。到着が12時だったが、ここで天気予報通り雨が降り出した。レストランがあり、雨宿りをしながら昼食をとる。雨の止み間をねらって写真撮影。なんだか幻想的な風景になった。
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 今回の小旅行ではRX100の試写という目的もあった。詳しくはそのうち始めようと思っているカメラ談義に譲るが、どうも最近は小型カメラの方に関心が向かう。それだけ性能が向上したということなのだと思うが、1型(1インチ)センサーらしく、エッジが強調されすぎない自然な描写が得られる反面、マクロに弱く、28-100mm相当のレンズだと広角側・望遠側ともにサブカメラとしては物足りないという印象だろうか。まあ、もう少し使いこなしてみないと何ともいえない。(今回のショットでは糸魚川街道跡と不動滝遠景がRX100によるもの。)
    ※
 今回の旅行を終えて感じたことは、天候が思わしくなかったせいもあるが、見てきたものに比較して思うような写真が撮れなかったことがある。何を、どのような条件で、どう撮るか、もっと研究が必要だ。気がつくとただ漫然とカメラを被写体に向けている。
 もうひとつは、どこで、何を見るか、ということ以外に、どこで、どのような時間を過ごすか、という目的が旅行にはあるということ。後者の方でいうと、ツアー旅行はその目的には不向きであるのは確かだ。旅の仕方が単調にならないために今後どんな工夫が出来るか考えてみたい。

 G5+OL9-18mm、RX100
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by yassall | 2013-07-29 13:40 | 風景 | Comments(2)

信越秘境の旅・前編

 自分の旅のスタイルとしてバスツアーを選択するようになるとは思ってもみなかった。時刻表を見ながらあれこれ旅のプランを考えるのは好きな方だったたし、定年後は時間だけはたっぷりあるわけだから、それこそ風まかせにあちこち出かけて行きたいなどと夢想していたのだった。
 ところが、いざその境遇になってみると、1泊あるいはせいぜい2泊以上家を留守にするのがためらわれる事情があったりと、なかなか思い通りにならないでいる。
 それでも、旅行会社が企画したツアーなどというものは結局お仕着せなのだ!と遠ざけていたが、一昨年の秋だったか、龍飛崎、斜陽館、十二湖、途中五能線を乗り継いで八郎潟、入道埼へというプランに、まずは一度行って見ておくということで乗ってみようか、としたあたりから、続けざまに利用することになってしまった。
 バスツアーとは違うが、九州を旅したとき、観光バスはなかなか侮れないものだと思ったことがある。長崎まで用事があって出かけた後、せっかくだからどこかへ寄り道しようと考えた。だが、ろくなプランも立てられないままに観光案内所に行ってみると、1日目に雲仙から熊本へ(熊本では自由行動)、2日目は阿蘇を抜けて大分まで、というコースを走る観光バスを発見したのである。ものは試しと乗り合わせてみると、乗客は定員の半数程度で座席は余裕たっぷり、なかなか充実の旅行となったのである。(なお、大分からは路線バスを利用して臼杵まで行き、もう1泊して石仏群を見た。)
 思えば、20代の頃のように、大まかな行き先だけ決めて宿も次の日の行き先も着いてから、というような旅はなかなかしづらくなっている。ツアーに参加するとなれば、必ずしも行きたかったところばかりがコースに組まれているとは限らないが、自分でプランを立てた場合、同じだけの箇所を同じ日数で回れるかといえばそうはいかない。
 今のところ、主な目的は写真撮影で、1カ所あたり60分から90分は時間を取ってくれるから、適当な撮影スポットを探し、他の客の後ろ姿だけを撮らなければならないようなシャッターチャンスを外して撮影に専念できる自由と余裕はある。そんなわけで、まだまだバスツアーの利用は続きそうである。

 と、前置きが長くなってしまったが、今回参加したのは「信越5つの秘境めぐり」の旅。限定車両のタクシーやマイクロバスに乗り換えないと行けないのは確かながら、秘境といわれると?の感はぬぐえない。まあその話はおいおいとして、今回は参加者が少なく定員49人のところ18人のツアーということで、まずは乗り物はゆったり座席を独り占めという幸運にめぐまれた。

 最初は長野県大町市の高瀬ダム。信濃川水系高瀬川には下流から大町ダム、七倉ダム、高瀬ダムと三つのダムが建造されている。七倉ダムまでは大型バスの乗り入れが可能であるが、その先は限定車両以外の一般車両は乗り入れが禁止されており、予約したタクシーに乗り換えないと行けない。(徒歩であれば可能だが、ゲートを通過する必要はある。)
 七倉ダムからタクシーに分乗し7kmほど走り、5つの折り返しを登りながら高瀬ダムの頂上に到着する。写真は高瀬ダムの下流側。
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 七倉ダムと高瀬ダムはロックフィル方式といい、湖水に埋没した部分から採取した岩石や砂礫を利用して作られている。七倉ダムは高さ125m、高瀬ダムは176mで黒部ダムに次いで日本第2位の高さであるということだ。
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 高瀬ダムのダム湖側。この水の色は、花崗岩に含まれる長石の結晶が粘土化したものに硫黄の粒子が混ざり合って、このようなエメラルドグリーンになったそうだ。
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 堤体の北側のトンネル(400m)を抜けると吊り橋(170m)がある。写真は吊り橋の上からダム湖を望んだところ。
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 さらに1kmほど奥に進むと濁り沢の滝がある。名前の通り、岩の色と水の色が区別のつかないような滝。先ほどの吊り橋にも鉄砲水に注意の警告板が掲げられていたが、ここにも根こそぎになった大木がごろごろしていた。大水のときにはずいぶん激流になるのだろう。
 (本日はここまで。続きは次回に。)
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by yassall | 2013-07-29 01:42 | 風景 | Comments(2)

西脇順三郎『Ambarvalia』

 大学時代の文芸部の友人にマサミチがいる。機関銃のごとくしゃべりまくり、アクの強さは一級だったが、早死にしてしまった。マサミチとはいっしょに黒部に行ったことがある。大学入学の年、4年生のYさんに誘われ、3人で私的な合宿をしょうということになったのだった。テキストは清岡卓行の『抒情の前線』(新潮選書)だった。
 合宿地は白馬だったが、せっかくだからどこかへ行こうということになり、中日だったか黒部ダムまで遠征した。あれから43年になる。先日、立山黒部アルペンルートのツアーに参加してきたことを報告したが、往時を思い出しながら旅してきた。
 そのマサミチがこよなく愛した詩人が西脇順三郎であった。そのころは西脇はまだ存命で、新しい詩集や詩論集が刊行されていたが、マサミチはいち早くそれらを入手しては嬉しそうな顔をしていた。酒を飲んで酔いが回るころになると、よく「馥郁タル火夫!」を連発していた。
 私は、というと、西脇が日本の近代詩史の上でたいへん重要な位置を占めること、国内のみならず海外においても高い評価を受けていることは理解するのだが、心が虜にされていくというのには至らなかった。高踏的という印象がぬぐえなかったのだ。
 卒業後はマサミチともあまり会うことがなくなったが、ある年、池袋で酒席を共にしたことがある。死ぬ数年前のことだった。思い立ったときでないと会えなくなってしまうかも知れない、というようなことが動機だったが、その通りになってしまった。
 そのときも、「お前はなぜ西脇だったのだ?」と尋ねた記憶がある。どのような答えが返って来たのか正確には覚えていないが、詩集は今でも全部持っているといい、詩人への崇敬は変わらないでいるようだった。
 『Ambarvalia』から数編を引用してみる。このあたりまでは私にもその世界をイメージできる。(そんな気がするだけで、本当はギリシャ神話あたりに精通していないと十全に理解し得たとはいえないのだろうが。)昔、高校の教科書に掲載されたこともあるのだが、「覆された宝石」はその下に「箱」をつけてみれば意味が分かりやすいという解説を目にしたことがある。そんな種明かしのようなことをしない方がよいのは確かなのだが、マサミチだったらどう反応しただろうか、早々と逝ってしまったのが惜しまれる。


「天気」

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。


「雨」

南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした。
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした。
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした、
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。


「太陽」

カルモヂインの田舎は大理石の産地で
其処で私は夏を過ごしたことがあった。
ヒバリもゐないし、蛇も出ない。
ただ青いスモゝの藪から太陽が出て
またスモゝの藪へ沈む。
少年は小川でドルフィンを捉へて笑つた。

(にしわきじゅんざぶろう,1894- 1982)
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by yassall | 2013-07-22 01:32 | 詩・詩人 | Comments(0)

正邪曲直自ずから分明

 斉藤隆夫は戦前にあって立憲政治の立場から軍部を鋭く批判した気骨の政治家である。弁舌にすぐれ、普通選挙賛成演説、粛軍演説、反軍演説が斎藤の三大演説とされる。
 このうち反軍演説として名高いのは、1940年(昭和15年)2月2日の「支那事変処理中心とした質問演説」である。「世界における戦争の歴史に徴し、東洋の平和より延いて世界の平和が得らるべきものであるか」との追及に、軍部および親軍部に傾斜していた議会内の諸党派は「聖戦」を冒涜するものであるとして議事録からの抹殺をはかった。
 そればかりか、3月7日には議員の圧倒的多数の投票により、衆議院から斉藤を除名した。しかし、1942年(昭和17年)総選挙では、軍部などからの選挙妨害をはねのけ、翼賛選挙下で非推薦でありながら、兵庫県5区から最高点で再当選を果たしたのだった。
 斉藤をふたたび議会に送り出した人々をふくめ、「美しい日本人」というのはこういう人たちのことをいうのではないだろうか。
 タイトルは斉藤の反軍演説から。大意は「正しいか過ちであるか、真実をねじ曲げているか、真実そのものであるか、その答えは自ずから明らかである」というところか。
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by yassall | 2013-07-17 12:54 | 雑感 | Comments(0)

栂池・黒部ダム

 立山黒部アルペンルートのツアーに参加してきた。初日は白馬泊。ホテルにも近いロープウェイで栂池自然園へ行って来た。
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 1ヶ月ほど前に申し込んだときから季節的には厳しいものがあると覚悟はしていた。関東では前日に梅雨明け宣言があったが、山の天気は一筋縄ではいかない。自然園に入った頃にはかなり強い雨が降っており、園内のいたるところが増水で溢れかえっていた。
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 しかし、水芭蕉のみごとな群生をみては雨などにひるんではいられない。
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 雨をついてかなり奥の方まで出かけて行くと、木道が雪渓で覆われていたりしたのだが、その写真はまたいつか。
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 日頃の心がけがいいのか、単に山の天気は変わりやすいというだけなのか、いつしか雨は止み、雲の切れ目からは青空が…。
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 さわやかな風が心地よい。
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 さて、二日目。アルペンルートの始まりは黒部ダムの放水風景から。(毎秒10t。6/26~10/15)
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 雲の切れ目から差す日の光で虹が立つのを待つ。
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 しかし、太陽に恵まれたのはここまで。
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 コースのメインは標高2450mの室堂ということになるのだろうが、雨ばかりか強風にあおられながらミクリガ池に近づいても池はガスの中であった。
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 こうしてトロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、高原バスを乗り継いでの急ぎ旅は終わった。ここ2、3日は雨続きで下流の水量が増し、氾濫を避けるために黒部ダムの放水も休止していたとのことだから、まあ半分ばかりはツイていた方だろう。帰路は北陸自動車道を回るのだが、日本海は不思議なほど晴れて旅の疲れを癒やしてくれた。

G5+OL9-18mm、p330
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by yassall | 2013-07-09 19:54 | 風景 | Comments(2)

太平洋食堂

 座・高円寺へ行って来た。演目は「太平洋食堂」(作・嶽本あゆ美、演出・藤井ごう)。題材を大逆事件にとり、紀伊半島の町新宮を舞台としている。新しい劇作家シリーズ1として上演された。
 主人公である大石誠之助(役名では大星)はアメリカで医学を学び、故郷の地で医院を開業した。貧しい者たちからは診療代や薬代をとらず、慕われたという。キリスト者であった彼はやがて社会主義に接近し、幸徳秋水らと親交をむすぶようになる。
 天皇暗殺を共謀したとする大逆事件は、今日では日露戦争後の社会矛盾の激化の中で興ってきた社会主義運動を弾圧するための冤罪事件であったことが明らかとなっており、多くの人々の名誉回復と顕彰がなされているが、最高裁への再審請求は棄却されたままである。
 こうした権力犯罪に対する告発劇という性格付けがされるのであろうが、役者に力があり、演出が巧みであるから、少しも飽きることなく3時間が過ぎた。青年劇場が母体のようだが、フリーの役者や他の劇団の役者も集まり、メメントC+「太平洋食堂を上演する会」として上演されている。この劇に共鳴し、その成功のために力を結集しているというような熱意が伝わってくる。
 大逆事件は森鴎外、与謝野鉄幹、永井荷風、石川啄木、徳冨蘆花、芥川龍之介など、多くの文学者に影響を与えている。近代日本史上、そのあり方を規定するような大事件である。
 私も多少勉強したつもりでいたが、大石誠之助が実際に「太平洋食堂」なる食堂を開き、西洋料理の紹介につとめたことは知らなかった。いわゆる新宮グループの中に真宗大谷派の僧侶高木顕明(役名では高萩懸命)がおり、NHKのルポルタージュ番組を見たことがある。私が抱いていたイメージと少し違ってしまっていたが、苦悩する宗教者の姿がよく演じられていた。
 人物像がよくいえば重層的に、悪くいうと整理しきれていなくもなかったが、今日という時代をとらえた意欲作であったとう思う。
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 座・高円寺。モダンでありながら押しつけがましさのない感じのよい小屋。(~7/7まで)
 
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by yassall | 2013-07-04 20:38 | 日誌 | Comments(2)

高校演劇フェスティバルやぶにらみ観劇記

 以前に予告させていただいた第12回高校演劇フェスティバルinコピスみよしの観劇記をアップします。実は今年は反省会に出席できず、この観劇記も事務局長を通してプリントを配布していただきました。
 つまり、言いっぱなしになってしまうことになり、もし不都合があったら連絡してもらうということにして、しばらく掲載をひかえていたものです。
 現役時代は進行役を仰せつかり、少なくとも転換のときは袖に張りついていたし、けっこう各校の芝居を観ていた方だと思うのですが、それでも自校の上演準備もあり、幕開けから全部の上演校の芝居をみられるようになったのは引退後でした。
 つまりは自分がどう芝居を観たか、という話なのですが、アドバイザーの方たちの講評とはまた違った観点を示すことで多少の参考になればと考えたという訳です。

川越西高校『パヴァーヌ』作・曾我部マコト
 この芝居は初見ですが、挑戦しがいのある台本だと思いました。同じ作者の「ホットチョコレート」と同様に、同学年の女子高校生が自宅の部屋に集まり、様々な人間模様を織りなしてゆくというストーリーですが、人の死(姉妹の、同級生の)を扱っている分、重く、奥行きがあるように思いました。
 もうひとつ「ホットチョコレート」と違うところは大人が登場するところです。あの音楽の先生は部屋のどこかにユキが隠れているのを知っていてしゃべっているのでしょうか、知らないでいるのでしょうか。…ユキの後を追ってこの家を訪ねて来たわけですが、出て行ったのを見ていないのですから、どこかに隠れていることを確信していたような気もします。そのユキに聞かせるようにして語っていたともとれる、微妙なトーンの変化も含めて、役者はよく演じていたと思います。本来は女性の役であったものを配役の関係で男子になったと聞きました。私自身は、どのみち大人という違和な存在が入り込んでくる訳なのでそれほど気になりませんでしたが、どうせなら言葉遣いももっと男性的にしてしまった方がよかったように思いました。
 さて、別役実は「素としての演技者A」が「劇中人物B」を演じる(虚構の現場に虚構の人物として入り込む)とき、「本当の自分はカモフラージュされる」のではなく、むしろ「さらけ出される」(「「虚空」に対応する存在C」)のだというようなことを言っています。(『舞台を遊ぶ』)
 「「虚空」に対応する存在C」といわれてしまうと分からないところがあるのですが、AがBの役になりきろうとすることで、かえってAという人間そのものが舞台に現れてくるというのは私たちもよく経験することです(正確にはAの中にBが、Bの中にAが実現しているということでしょうが)。
しかしながら、やはりそれはAがBという役を(自分なりにでも)確かにつかんだときに起こることで、多くの場合、つかみ切れないまま舞台に乗せてしまうため、AもBも輪郭がない=客からは見えないまま進行してしまうことになります。
 これは川越西だけの問題ではないのですが、この芝居でいえばユキはなぜ不登校になったのか、どうして退学を決意するに至ったのか、亡くなった同級生の双子の姉妹とはいえ、友人たちはどのようにユキを迎えたのか、ユキの中に友人の姿を見、姉妹の同級生の中に故人の姿を見た登場人物たちの心がどのように変化していったのか、まだまだ追求できただろうし、描き切れていなかった(Bになり切れていないからAも生きてこない)ように思いました(難しいですが)。
 とはいえ、真摯に役作りにとりくんだことは伝わって来るので、次につながる経験になったはずだと思いますし、これからも台本の重さから逃げ出さないで欲しいと思います。
和光国際高校『Damm!舞姫!!』作・関勝一
 出だしはわざとらしかった(台本の問題)が、芝居が回り出してからはぐいぐい観客を引きつけていきました。段取りや立ち位置も工夫が凝らされ、それでいて自然に見えるように何回も練習したり、ダメ出しを繰り返して来たことがうかがい知れました。
 森鴎外『舞姫』は確かに恋愛小説だから、高校生がそこに惹かれて総学のテーマに選んだことは分かる。しかし、作品を読み解いていくうちに、まず太田豊太郎の生き方に疑問を持ち、許せないと思い、批判し、それだけにとどまらず、今度はエリスの生き方にも疑問を投げかける。そこで、クラスメートの間に大論争がわき上がる…。
 元国語教師からすると、なんて優秀な生徒たちだろう、と感動してしまいます。細かいことをいうと、太田豊太郎という存在は明治日本が置かれた位置を抜きにしては語れず、それを立身出世主義と断じてしまうことはたやすいが、近代日本の建設に向けた使命感と、近代的個の確立という二つの価値観の葛藤を見なければならない、てなことになるのでしょうが、そんなことは知ッタコトカ!とばかりに自分たちの生き方の問題に引きつけたところが偉い!(明治日本が作り上げた近代国家が本当に価値あるものだったかどうかも検証しなくてはならないのだろし。)
 ただ、「幸せになろうね」という結論はいかにも安易。台本の問題には違いないが、きっとこの子たちは自分たちが出した結論も、もう一度突き崩したり、再構築したりしながら成長していくに違いないと確信させるものが欲しかったと思いました。
 あと、今回は台本にうまくキャストが嵌まったという要素が強かったのではないでしょうか? 偉そうな言い方で恐縮ですが、着実に力はつけて来ていると思うので、次作でどう芝居づくりをしていくかが勝負どころだと思います。
星野高校『真夏の夜の夢』作・野田秀樹
 星野高校の真骨頂というか、舞台装置、照明、衣装に工夫を凝らし、とにかく総出で演劇を楽しもう!(もちろん観客にも楽しんでもらおう)という姿勢が伝わって来ました。
 これだけの大人数を出演させるとなると、本当に人物設定や場面を整理していくだけでも大変だろうなと拝察します(自分にはとうてい自信がない)。
 さて、今回のフェスティバルを見ていて考えたことのひとつに、「で、この芝居で何を表現したかったの?」ということがありました。現役時代に地区大会などで審査員の方からよく「どうしてこの台本を選んだの?」と質問されることがあり、「それを聞くのは酷じゃないか!人数がちょうど合う台本がなかったんだよ。」としか答えようのないことが多かったような記憶があります。(反対に、出来るだけたくさん出演させてやりたいと思ったらこの台本しかなかった、ということもあるでしょう。)
 だが、現実にはそうであっても、やはり一つの台本にとりくんでいくうちに、何か核のようものが発見されていくものだと思いますし、またその核になるものが見つからなければ芝居は始まらないと思うのです。
 私がボーッとしていただけかも知れませんが、星野の芝居にはその核になるようなものがまだ発見されずに…少なくとも出演者全員のものにはならないうちに幕を開けてしまったようなところがある気がしました。
 ファンタジーならファンタジーであって一向に差し支えないと思いますし、「ああ、この絵が描きたかったんだな」とか「この科白を言わせたかったんだな」というのがきちんと伝わるようにしてくれると観客には親切だと思いました。(そぼろが「こんな愛は本物じゃない」云々という科白を発するところは良かった。クライマックスでも何か欲しかった。)舞台装置の洗練度は上がったと思いました。
芸術総合高校『先生、放課後って何時までですか?』作・大渕秀代  
 ちょっと新しくてきれい過ぎるのが難点ですが、長ソファーがあって、長々と寝そべっている教師がいる…少し古い時代の雰囲気を持つ職員室から幕が開きました。
 そこから、学校に隠れ住んでいる生徒がいる!1人いれば100人いる! という奇想天外なストーリーが展開していくわけですが、不思議に「そんなことがあり得るかも知れない」と芝居が自然に転がっていくところが力量なのでしょう。
 たぶん、最初にガードマンが現れたとき、生徒をかばって口止めを強いるあたりのいわゆる「隠蔽体質」などに一片のリアリティがあるからでしょう。
 さて、校内に隠れていた生徒たちが「確保」されて職員室に集められ、親たちが呼び出される場面になってくると、芝居はさながら現代の家庭状況(親子断絶、親の長時間労働で家庭不成立、教育力の欠如)があからさまになって来ます。
 笑ってみているうちに、ああ現代という時代が告発される仕掛けになっている、ということが理解できるようになっています。ただ、そうしてみると、現在でも学校がそうした生徒たちの逃げ場所や隠れ場所になり得ているのか(なっていたらいいなあ!)という問題も起こって来ますし、芝居上での教師たちの熱血ぶり(こんなだったらいいなあ!)も、願望を越えたものになっているかどうかという反問が返って来ざるを得ないようにも思います。
 産婦人科医の母親を持つ女子生徒のコンプレックスにはリアリティがありました。自分の思いの丈を母親にぶつけるに至る過程には(亀などを上手く使って)教師の説得のみでない何かが欲しかったような気がしますが、その言葉自体にはリアリティを感じました。問題は母親で、一瞬でも自分の内心を突かれたという部分があったはずだと思うのに、それが感じられませんでした。それがないからせっかくの娘の言葉が空振りになってしまい、却って母娘の和解のリアリティを乏しくしました。台本の話ばかりになってしまってごめんなさい。
東京農大第三高校『咲耶ノ乱』作・チロルとゆかいな仲間たち
 農大三高も、総出で芝居を楽しもう!という姿勢が伝わる舞台でした。それはそれで好感が持てるのですが、先ほどの問題でいうと「で、この芝居で何を表現したかったの?」というところで引っかかってしまいます。
 時代劇がやりたかった、殺陣がやりたかった、ダンスやパフォーマンスも入れてみたかった、照明効果を駆使してみたかった、舞台装置の転換をやってみたかった…よくがんばったし、稽古もずいぶんしたんだろうなということは分かるのですが、まず台本がきちんと整理されていません。
 芝居は対立だというけれど、何と何が対立しているのか、次々と人が死んでいくのだけれど、その死は誰によって、どのように受け止められているのだろうか、「開国」がきっかけなのだが、それは善であるのか悪であるのか、「本当の使者はこれからやって来るのだ」というがそれは本当に歓迎すべきものなのか? なぜ、最後に桜が咲くのか、ジェイデンへの鎮魂なのか、だとすればその死を悼んでいるのは誰なのか? 混沌が混沌のままだと、やはりドラマにはなり切れていないというのが率直な印象でした。
 役者たちには例年以上の魅力と存在感を感じました。こだわりのようなものもきちんと持っていると思います。次回も創作でいくなら、もっともっと練り上げて、いい舞台を作っていって下さい。
 ※本題ではないのですが、農大三高はいつも演技エリアを広く取りすぎる傾向があるなと思って来ましたが、今回は両側に大きめのパネルを置いたせいか、適正だったっと思います。(パネル自体は先ほどのなぜ桜が咲くのかの必然性も含めてあまり効果的でないかも知れませんが。)
 ずっと辛口でごめんなさい。最後の二校になって来て少し疲れてきたかな?
新座柳瀬高校『D Lover』作・稲葉智己 
 リハを見ながらの第一印象は、「今年はビジュアル系?」というものでした。星野、農大三高にもそれを感じたし、それぞれに成功していたと思います。
 そして、「オズの魔法使い」に材を得た本作も、まずはエンターテーメンツに徹し、ビジュアルを目指したと受け取るべき芝居だと思いました(的外れだったらごめんなさい)。そして、「オズの魔法使いだったらミュージカル仕立てじゃない?」などという突っ込みは入れずに、まずはそれで一定の成功をみたと思います。
 最大の効果は紗幕でしょうかね。舞台に四つの高台を置き、登場人物が上っては科白を言い、という組み立てですが、マンガのコマからコマへ飛ぶような、その間の過程は観客に想像させるという作戦で、ストーリーの展開のスピードアップという効果がありました。そして、前に紗幕をかけると高台に上った人物はあたかも宙に浮いているように見える…プロジェクターの使用を含め、持てるテクニックを駆使しての舞台づくりとなりました(紗幕に前からの単サスの光が当たってしまっているのが残念でしたが)。
 そして何といっても圧巻は紗幕を開けたときにジンジャーの後ろで、さっそうと白の燕尾服に身を固め、剣の鞘をはらったチップの立ち姿でしょうか?(西洋剣術については研究が必要!)
 と、褒めすぎない方がよいのは作者が一番分かっていると思うのですが、私は作者がこのままの路線で突っ走っていくのには少なからず危惧の念(というより惜しい!という方が近いかな?)を持っています。演劇部には変身願望のようなものを抱いて入部してくる生徒がいるのは確かだし、高校演劇は生徒といっしょに作っていくものですから、生徒がそれを望んでいるという事情(生徒の希望を入れながら台本を書いているというのは聞いています)があるとしても、先述したことでいえば何か「核」のようなものが足りやしないか思ってしまうのです。この芝居でいえば人間の勇気や信義や連帯などが、最後の最後でいいので、もっと心に届いて欲しいのです。(むしろ、その辺はストイックでありたいという姿勢も分かるのですけどね。)
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by yassall | 2013-07-04 10:48 | 高校演劇 | Comments(0)

風山瑕生「讃歌・母の腰」

 風山瑕生は詩集『大地の一隅』で第12回H氏賞を受賞している。しかし、1960年代に詩集を2冊発行した後、詩作は続けるが詩集にはしないというスタイルをとったとのことだ。
 その作品をどこかで読み続けていた人がいたのかも知れないし、もしかしたら今でも書き続け読まれ続けているのかも知れない。だが、一般にはその作品に触れる機会は失われてしまった。
 私もまた、この一作でしか詩人を知らないし、この一作で十分だったのだ。そして、このまま忘れ去られてしまうのはあまりにも惜しく、以前に読んだことのある人には思い出して欲しい、このブログを読んでくれている人にだけでも伝えていきたい、そんな思いでとりあげた。
 詩人の故郷は秋田。新天地を求めて北海道弟子屈に移住した。ここまでは作品の通りなのだろうが、やがて一家は開拓団から脱落し、旭川で雑貨店を営むにいたった。詩人は旭川師範講習科を出た後、小学校教諭を勤めるかたわら詩作を続けた。
 この一大叙事詩ともいえる作品は、実は詩人の虚構によって再構成された家族史であり開拓史なのである。私は「人々は自分の土地を王のように見廻るのであった」の一行が特に好きなのであるが、きっとそこには詩人の遠い記憶に対する愛惜と鎮魂の思いが込められているに違いないと思うのである。しかし、ときに事実そのものよりフィクションの方が真情を表現することがあるのだ。
 60行におよぶ長編であるが、どうしても途中を省略することはできないので、全文を書き写してみる。

   「讃歌・母の腰」

  すべての細い腰
  美として讃えられる腰を持つすべての女たち
  わたしの母のスカートに 彼女らは
  数人も一緒に入ることができる
  この状態は やはり
  花瓶にさされた花のようにうつくしいか
       *
乳牛のゆたかな腰をおもい浮かべてくれ
輓馬の緊張した腰をおもい浮かべてくれ
母の腰の構造があらわれてくるのだ……
きみは笑うかもしれない
村の体育大会のランニングで
敏捷な娘たちを遙かにひきはなし
テープを断ちきるのは つねに
母であることを知らないから

《記憶の中の影たちよ ああ
 希望を鼻歌でしか表現できない人たち
 未来をいぶかり 首を垂れる人たち
 新天地をさしていく一隊の足取りは乱れていた》

わたしたち一家 父と母と
母の両腰に抱きかかえられてた姉とわたしの 幼いきょうだい
原始林の暗がりを歩いていく母の腰のうねりに乗っていたのだ まるで
ゆり籠のなかの安らぎだった わたしは
手をのばして草花をつみ 手渡すと
姉はそれをしきりに編みつづけた
新天地! わたしたちの土地についたとき
きょうだいは無心に 花環を母の首にかけた
母は笑って父の首にかけ換えた 父は
栄光に飾られた英雄のように身をそらした

小屋が組立てられた 鋸で森への攻撃がはじまる
処女地とわたしたちの たたかいの火ぶた
月日は苦闘の予定で満ちていた
一つの根を抜くことはその日を使い果たすことである だが
じゃまな月日は死んでいったといおう
必要な未来が生まれ 近寄ってきたといおう
すべての妨害の日々は 父の思想と
母の腰投げによって叩きつけられていったといおう……
わたしは 母の腰にしがみついて
地上の歓びと哀しみを経由してきた

《父は開拓団団長 使命は
 学び 伝えることだ
 学ぶために父は出かけていった 経験者のいる村や町へ
 父は多くのものを持ちかえった
 播種と収穫の方法について 家畜の分娩について
 品種の改良について 野獣の防御法について》

多くの日と多くの項目 父は学び人々に伝えた
母はノートの整理者 パンフレット印刷者
団員があつまり 母は実演者となる
すばやい作業 確実な動作
さしはさまれる諧謔が人々をなごやかにする
人々は確信を得る なし得ないのは
自分の心が眠っているからだと知る
そうさ 母の腰は
知恵と行動の意味を人々に触れさせる
不格好だの 豚だの ビヤ樽だの そんな蔑称は
母の腰からはね返って地に落ちるだけだ

《家々に馬がいた 牛がいた ようやく機械もひびきはじめた
 わたしたちの集団は ちからを感ずる朝を持ち得た
 自分のうごきに価値を感ずる昼を持ち得た
 安息のための夜を持ち得た
 人々は 自分の土地を王のように見廻るのであった》

そのころのことだった
たそがれる牧草の茂みのなかで
父と母の抱擁を見た 情熱の叫びを聞いた
母の腰が神秘なちからで父を抱いていた
その情景は きびしくうつくしい柵にかこまれ
わたしの駆けよる領域ではなかった
「赤ん坊が生まれる!」 姉の言葉は呪文のようだった
あれは見えない柵のなかの 厳粛なお祭りのようだったが
わたしは三日も熱をだしつづけた
ああしてわたしも生まれることができたのだ
ああしてまた きょうだいが生まれてくるのだ……
わたしはもう母の腰にまつわりつきはしなかったが
精神の波は ひたひたとその腰に触れにいくのであった

乳牛のゆたかな腰をおもい浮かべてくれ
輓馬の緊張した腰をおもい浮かべてくれ
母の腰の構造があらわれてくるのだ……

  コルホーズではたらく女 それはソビエトで
  メイドとしてはたらく黒人女 それはアメリカで
  霧にびしょぬれて未明の舗道を清掃する女 それはイギリスで
  冬の海から漁網を引きあげる女 それは北欧で……
  砂漠の国の女 未開の国の女
  多くの国の多くの女の腰
  母の腰のようなでっかい腰
  はたらく女たち はたらく母たち
  生産の稔りを袋につめこむ彼女たち

  世界を見る私の眼は その腰を見る
  世界を考えるわたしの心は その腰に触れる
  母の腰とそっくりな 多くの国の腰の存在が
  わたしを世界の国と親しくさせる
  わたしの 世界への理解がそこからはじまったからって
  笑うわけにはいくまい
  美女の細い腰が 王女扱いにされる世界だって知っているのだ
  でっかい腰に それをささえられていると理解することを
  きみは 笑うことができるか

(かざやまかせい、1927- )

 《追記》
 少し前のことになるが、ブログ「18→81」で渡辺一史『北の無人駅から』北海道新聞社(2011)が紹介されていた。サントリー学芸賞を受賞したとのことであるが、800頁に及ぶルポはその名に恥じない力作である。筆者の視線は今日の北海道から、さらには日本の現状を鋭く撃っているのであるが、また第二の故郷となった北海道への愛情に満ちており、あわせて北海道史たり得ていると思われる。私からも紹介しておきたい。
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by yassall | 2013-07-02 00:22 | 詩・詩人 | Comments(0)