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東京夢の島・新木場

 東京夢の島へ行って来ました。川越時代、毎年3.1ビキニ・デーに先立って第五福竜丸を見る会を催していたのは30年も前のこと。そのころは東西線東陽町からバスで行くしかなかったのですが今は有楽町線で池袋から1本で行けるようになりました。
 ビキニ・デーの頃は芝生も冬枯れていましたが今日はご覧のように青々としています。一度、春の夢の島をみたいと思っていました。周辺の樹木もずいぶん大きく成長したはず。
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 もちろん、第五福竜丸の展示館にも行ってきました。ビキニ水爆実験被災の貴重な証人です。
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 昔、通っていた頃にも年々老朽化がすすんでいた印象でしたが、どっこい船体も健在です。親子連れの見学客もけっこう来ていました。
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 展示館前にはヨット・ハバーもあって目を楽しませてくれます。
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 熱帯植物園の後ろ姿。なかなかの存在感です。
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 実は今回のお目当ては貯木場。駅の反対側まで足を延ばして……。残念ながら現在は空っぽです。第二貯木場周辺には木材に関連した工場や倉庫が並んでいるのですが扱っているのはすでに製材された木材、それも輸入材がほとんどなのかも知れません。
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 それでも、それはそれでなかなか壮観。原木であふれかえっていた往時の面影をしのんで……。
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 東京ゲートブリッジも遠くに見えました。(そうか!ここに架かっているのか…。)
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 G5、S8200
by yassall | 2013-04-29 00:14 | 散歩 | Comments(0)

日々雑感 ☆池田・ロバートソン会談

 池田・ロバートソン会談の話を思い出した。共同声明は1953年10月30日のことであるから、「主権回復の日」のもとになったサンフランシスコ講和条約の翌年である。
 ワシントンの国務省において、後に首相となった池田勇人とウォルター・ロバートソン国務次官補の間で行われた。
 その共同声明にはこうある。
 「会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである。」
 今日の「愛国心教育」の出発点である。憲法改正論者は戦争放棄を唱った現平和憲法はアメリカ占領時代に押しつけられたものだという。だが、「国防」精神の「成長」もアメリカの要請によるものだった。そもそも自衛隊の発足もGHQの命令によるものだ。
 憲法記念日も近い。改憲か、護憲かの議論は急を告げて来そうだ。われわれの日常から遠い世界の話ではない。
《もう一言》
 「歴史問題」は専門家にゆだねるとの国会答弁があった。だが、「主権回復の日」は歴史の政治的解釈ではないのだろうか?
by yassall | 2013-04-28 09:54 | 雑感 | Comments(0)

日々雑感 ☆沖縄反戦デーか主権回復の日か

 私たちの若い頃、4月28日といえば沖縄反戦デーであり、各地で集会が開かれたりデモが繰り広げられたりした。
 今年は「主権回復の日」と称して式典が催されるとのことであるが、これは1952年の4月28日にサンフランシスコ対日講和条約が発効したことにちなんでのことだという。しかし、講和条約の発効によって名目上は連合軍による占領期は終わったことになったが、沖縄は日本から分離されアメリカの施政下におかれることになった。
 4月28日を「沖縄反戦デー」(沖縄の人々にとってはいまだに「屈辱の日」であるとのことだ)とするのか、「主権回復の日」とするのかは、歴史をどちらの側から見るかという問題なのだろう。
 では、日本国民の一人として私はどうみるべきなのか? 沖縄には嘉手納基地があり、東京には横田基地がある。どちらもアメリカの第5空軍の管轄下にあり、嘉手納は極東最大の空軍基地、横田はその司令部がおかれ、日本の行政権の及ばない治外法権地区である。首都圏にこれほど広大な外国の基地が置かれている国はない。「主権回復」は何かそらぞらしい。
 安倍首相は憲法を「改正」して「国防軍」を置くとしている。「国防」の名称も私にはそらぞらしく聞こえる。結局、アメリカと一体となって戦争ができる国をめざしているのではないだろうか? 国会での「集団的自衛権」の議論を聞いていても、「北朝鮮からアメリカにミサイルが飛んでいったときに、日本はそれを打ち落とさなくていいのか」などという発言をしている。靖国については別に考えるところもあるが、夏の参議院選挙までは爪を隠していると思っていたのにやれやれだ。支持率が高いというのは恐ろしいものだ。
by yassall | 2013-04-26 12:16 | 雑感 | Comments(0)

薬師の泉

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 春になりましたが今日は春でした。志村一里塚のほど近くに薬師の泉という小さい日本庭園があります。一応、志村坂上あたりでは名所です(あまり有名ではありませんが)。
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 よく手入れされていて春の花がきれいです(花の名前をメモしてくるの忘れました)。
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 すぐそばにオリエンタル酵母の工場があります。たぶん日本の製パンに使われるイースト菌の大部分を製造しているのではなかったでしょうか?
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 写真の追加です。トリミングしています。
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 ツツジも盛りです。(こちらはノートリミング)
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by yassall | 2013-04-22 18:38 | 散歩 | Comments(0)

「中原淳一の生きた戦中・戦後」展

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 「中原淳一の生きた戦中・戦後~少女像にこめた夢と憧れ~」展に行って来た。
 その独特の美少女画の魅力もさることながら、以前テレビ東京の「美の巨人たち」で取り上げているのを見て、その生き方に興味をひかれていたのだ。
 決して反戦の立場を鮮明にしたというのではなく、日中戦争のころには戦地慰問品用の絵はがきが作成されたりもしている。
 しかし、その「夢見る瞳」の少女像が世相に合わないと軍部から圧力がかかる中(1940年に6年間続けてきた「少女の友」の表紙を中止)でも、その美意識を変えることがなかった。
 戦後、すぐに活動を再開するが、それが可能だったのは戦中・戦後を一貫するものがあったからだろう。ただ、たしかに「夢見る」上目がちの瞳から、おしゃれを楽しみ、こびることのない、意志的な視線を持つ女性たちの登場という変化がみられる。生誕100周年・没後30周年記念とのこと。
(2月にわずらった腰痛が思いのほか重くて遠出をするのも恐る恐るだったのですが、今日はいろいろ回って16000歩も歩いてしまいました。明日が少々心配ですが、これを乗り越えたらまた全開だ!)

 昭和館(九段下) 5月12日(日)まで 特別企画展のみ入場無料
 

 会場の昭和館からは日本武道館の屋根が間近に見えました。
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by yassall | 2013-04-16 19:42 | 日誌 | Comments(0)

最後通牒ゲーム

 水野和夫×大澤真幸『資本主義という謎』を読んだ。大澤真幸の本は難解なので敬遠していたのだが、目次に「成長なき資本主義は可能か?」という章立てがあり、読もうという気になった。
 何故かというと、「持続可能な社会」というテーマがあって、きっとそれは〔成長=拡大再生産=大量生産・大量消費〕というこれまでの資本主義モデルの再検討なしにはあり得ないと考えているからだ。
 と、おおよその見当をつけながらも、やはりかなり取っ付きにくかった。先の問いについても、「周辺のない資本主義」はありえず、「アフリカのグローバリゼーション」というかたちで資本主義が地球を覆い尽くしたとき、「資本の自己増殖それ自体を目的とする近代資本主義」が終焉を迎えられるかどうか、というような問題提起がされて、それ以上にはすすんでいないようだ。課題は提示されているが解決への道筋を指し示すことは避けられているというところか。
 ※
 それはそれとして、対談形式の書物らしく、丁々発止の中に興味深い話題がちりばめられていて、いろいろなことを考えさせられた。そのひとつ、最後通牒ゲームについてのやりとりを紹介したい。
 ルールはこんなふうだ。…Aさんに1000円を渡し、見ず知らずのBさんと分けるようにいう。その配分はどのようでも構わない。ただし、Bさんがその割合に納得しないとAさんもBさんもお金を受け取ることができない。そして交渉は一回きりである。…
 理屈だけで考えると、割合の決定権はAさんにあり、Bさんにしてみれば0よりは1の方がいいわけだから、極端にいえば999円対1円でも交渉は成立しそうである。ところが実施してみると、6:4から5:5で提案されるケースが圧倒的であるとのことだ。
 (実は昨年のNHK・BS特集「なぜ人間になれたのか」でも同じような実験が紹介されていて、そこでは後半のルール、つまりBさんの拒否権がないものだったが、結果は同じだった。)
 これは人類が乏しい獲物を分け合うことで生存を可能としてきた知恵の記憶によるものだそうである。
 何が明らかになったかというと、人類の長い歴史からみれば、市場による商品交換が唯一の形態ではなかったということであり、他に贈与(互酬)・再分配などさまざまな方法によって「財の移動と社会統合」を行って来たということである。(資本主義とは商品一元化社会なのだが一元化し得ないものが人間と人間社会にはありそうだ、ということである。)
 ※
 さて、そこで考えたことがある。最後通牒ゲームで、金額が1000円ではなく、100万円だったり1000万円だったらどうだろうか、それでも人々は6:4や5:5を選ぶだろうか、という問題である。
 相手には10万円でがまんしてもらおう、100万円で納得させよう、ということにならないだろうか?
 実は、最後通牒ゲームで考えたことは、人間は本来的に「公平」であることを求める、ということだ。自分が公平に扱われていないと感じたときは受け取りを拒否する、ということを予想するからこそ、最初から6:4や5:5の割合を選択するのではないだろうか?
 しかし、1000円に対して100円の受け取りを拒否できた人間が、10万円・100万円(不当なものでないとして)の受け取りを拒否できるだろうか? (ただし、受け取った後の差別感を残しながら。)
 ※
 やはり、資本主義が人類史にかつてないほどの巨万の富を作りだしてしまったところに、資本の「強欲」さが生じたのかも知れない、と考えたのだ。(もし宝くじで3億円当たったら自分はどうするだろうか? 一度手にした富を手放したくはないと考えるだろうし、ましてや資本家であれば分配よりは投資を選択するだろう。)
 この本では次のような話題も紹介されている。
 昨年のアメリカ大統領選挙でロムニー共和党候補が「私は税金を払っている人のための政治をする。オバマは税金を払っていない人のために政治をする」と発言したという。
 (もちろん、ここで税金を払っていない人というのは脱税という意味ではない。家・土地を持たない人は固定資産税は払わない・払えない。)
 水野和夫が12、3世紀の資本主義勃興期のイタリアで読まれた『商業についての助言』に「貧乏人とは付き合うな。なぜなら、彼らに期待すべきものは何もないからだ」とあったことの類似を指摘している。
 こうした資本主義の「強欲」さにブレーキをかけようとした人たちもいた。ダンテは「すべての人間にとって最も大切なことは、われわれは先人の苦労のたまものを受けているが、それと同様にわれらの子孫が豊かになるように、われらも後からくる者の発展のために骨折らなくてはならぬ。」(『帝政論』)と述べているそうだ。
 またまた原発の話になってしまうが、何万年にもわたって管理を強いられる放射性廃棄物を次世代に残していくことでいいのだろうか、と考えてしまう。
 ※
 私のもう一つの関心事は「国家と資本主義」の問題だ。この本でも章立てがあるのだが、結論らしきものの手がかりは見つからなかった。
 近代資本主義と国民国家の成立は平行している。だが今日のグローバリゼーション化された世界にあって、国家がその機能を同じように維持しているとは思われない。多国籍化した資本が海外で利潤をあげたとしても、それが国家・国民を豊かにするとは限らないし、税金ですらまともに払わないですむ時代になってしまったのだ。
 資本が国境を越えていってしまっているのは確かなのだが、それでは国家を必要としていないかどうかが問題なのである。どうやら、そのことで「国家の死滅」はあり得ないことは容易に予想がつくのであるが、それではそこに残された国家とは何もので、どうあらねばならないのか、問題を解くキーのひとつのように思われてならないのだが、いかんせん私の手に余る。

水野和夫×大澤真幸『資本主義という謎』NHK出版新書(2013)
by yassall | 2013-04-14 15:19 | 雑感 | Comments(1)

茨木のり子「六月」

 戦後詩も「荒地」(1947-48)や「列島」(1952-55)と比較すると、「櫂」(1953-?※注)によった詩人たちは前二者のような重苦しさから解放され、明るく、日常性を基盤とするに至ったという印象がある。多分それは川崎洋、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信といった若やいだ才能がそう感じさせるのだろう。自由で軟らかな精神を感じさせる。
 しかし、たとえば茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」や「学校 あの不思議な場所」を読んでみれば、彼・彼女たちもまた戦争を通過し、その体験を見つめることによって詩的出発をとげていることが分かるのである。
 「男の子をいじめるのは好き/男の子をキイキイいわせるのは大好き」(「女の子のマーチ」)という愉快な詩にしても、「強くなった女と靴下 女と靴下?」と反問し、「あったりまえ それにはそれの理由があるのよ」と述べ、戦後を生きる、その生と性のあり方の探究があるのである。だから、2006年に茨木のり子が亡くなったとき、それが彼女の追い求めてきた戦後の終焉になってしまうことを真剣に危惧したものである。
 さて、茨木のり子詩の一篇をというとき、今回私が選んだのは「六月」である。これが詩人の夢見た戦後世界であったとすれば、それは私たちの現在としての戦後を厳しく問うている。


   「六月」

  どこかに美しい村はないか
  一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
  鍬を立てかけ 籠を置き
  男も女も大きなジョッキをかたむける

  どこかに美しい街はないか
  食べられる実をつけた街路樹が
  どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
  若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

  どこかに美しい人と人との力はないか
  同じ時代をともに生きる
  したしさとおかしさとそうして怒りが
  鋭い力となって たちあらわれる


 ※同人誌「櫂」がいつまで刊行されたのか調べてみたが、はっきりしなかった。手持ちの資料では川崎洋が「ユリイカ」1971.12号に「『櫂』の十八年・メモ」を書いていて、その時点では発刊中とあった。
 ※その後、ある人が国会図書館に「櫂」32号(1997)の所蔵があるらしいと教えてくれた。「櫂」には様々な傾向の詩人たちが寄稿しているからかえって長く続いた(いる?)のかも知れない。Sさん、ありがとう。(2013.4.9)


  (いばらぎのりこ,1926-2006)
by yassall | 2013-04-02 10:38 | 詩・詩人 | Comments(0)