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カテゴリ:雑感( 77 )

今年考えたこと

 1
 今年も暮れていこうとしている。なし得なかったことを悔いる前に、そもそも何かをなそうとしていたかを自問してはぞっとし、それでも何を考えようとして来たのかを振り返ってみる。

 水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社新書(2014.3)
 香山リカ『リベラルじゃダメですか?』祥伝社新書(2014.8)
 古賀茂明『国家の暴走』角川ONEテーマ21(2014.9)
 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』集英社(2014.10)
 池上彰・佐藤勝『新・戦争論』文春新書(2014.11)

 今年後半にかけて読んだ本を並べてみた。何の脈絡もなく、偶然手にした本を、休み休み読んだのである。それでも、私の中ではある問題意識が一貫しているのがわかる。
 その問題意識とは、広義には資本主義はこれからどうなっていくのだろうか、ということであり、狭義にはこれから日本はどうなっていくのだろうか、ということである。

 水野和夫は、

 ①資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまりフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進するシステムである。
 ②しかし今日、新たなフロンティアはほとんど残されておらず、「地理的・物的空間(実物投資空間)」からも「電子・金融空間」からも利潤をあげることができなくなっている。
 ③それでもなお利潤をあげようとして生まれたのがグローバリゼーションである。グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業であり、それは国際関係の中でも一国内でも起こる。
 ④それは具体的には格差の拡大であり、中間層の解体である。
 ⑤中国が一時的に経済成長のトップに躍り出たとしても、資本主義を延命させる「空間」はほとんど残されておらず、そう遠くない将来、現在の先進国と同じように「利潤率の低下」という課題に直面する。
 ⑥過剰な投資が無人のマンションを多数建設しているのに象徴されるように、無理矢理にでも利潤を追求しようとすることはバブルを作り出すことであり、それはいつか破裂する。

 と述べる。
 実際には、アメリカ、新興国、日本、西欧のそれぞれの現状と経済政策をさまざまなデータを駆使して検証していくのであるが、ここ20年くらいの間に世界で起こった出来事を説明して説得力がある。
 そして、何より重要な指摘は、

 ⑦本来、民主主義と国民国家は資本主義との親和性が高かった。だが、「公平」な分配の能力を失い、「自由」競争が弱肉強食に取って代わり、グローバリゼーションによって国家への帰属感が希薄になるのしたがって、それらと資本主義とは矛盾をきたすようになった。

 というものである。それは、

 ⑧中間層が資本主義を支持する理由が失われた。

 はずなのだが、国民国家の解体に直面した危機意識から、かえってそれを補完するかのように排外主義をともなった新たなナショナリズムが起ころうとしている。
 だが、実体は、

 ⑨かつては、A.スミス、マルクス、ケインズがブレーキ役となり、それが資本主義を延命させてきたのであるが、21世紀グローバル資本主義はブレーキなき資本主義となった。

 のであり、

 ⑩このまま「成長の病」にとりつかれ、国境の内側や未来世代からの収奪を続けていけば、経済危機のみならず、国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機を顕在化させる。

 そこで水野和夫が提起するのは、このような「歴史の危機」を直視し、資本主義からのソフト・ランディングをめざすべきであり、いちはやく資本主義の臨界点に達した日本こそ、その可能性を秘めているというのである。

 2
 そこでハタと考える。かつての「資本主義の全般的危機」論とはどこが違うのだろうか、と?
 「資本主義の全般的危機」論とは、最初プハーリンによって提唱された、第1次世界大戦およびロシア革命後の資本主義についての規定である。
 第1次世界大戦が植民地の「再分割」のための帝国主義間の戦争であったとすれば、先の水野和夫の「中心」と「周辺」の「組み替え作業」というのと類似している。つまり「資本主義の全般的危機」論とは資本主義「行き詰まり」論であり、いまや没落に向かいつつあるという情勢論である。
 第1次、第2次世界大戦をへて、イギリスに代わって世界の覇権を握ったのはアメリカであった。2度の世界大戦をへても資本主義は「終焉」しなかった。それでも、そのアメリカがベトナム戦争に敗北し、ドルが暴落し、オイルショックを迎えた1970年代には「資本主義の全般的危機」論にはなにかしらの説得力があった。

 日本共産党が「資本主義の全般的危機」規定を綱領から削除したのは1985年である。詳しいことは忘れたし、資料も残っていないが、資本主義にはまだ生命力があり、革命勢力との力関係からして、そのような「自動崩壊」論のような見解はとらない、というようなことであったと思う。
 日本共産党は1996年に「自由と民主主義の宣言」を発表し、2004年に「綱領」を改定した。それによれば、

 ①社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。
 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。

 として、議会を重視する平和革命(議会で多数派を握るだけでは社会変革は完成しないが出発点にはなる)、多数者革命(過去の革命が「少数者による多数者のための革命」であったとすれば、めざすべきは「多数者による多数者のための革命」)路線を確定したとする。

 社会主義社会の指標は、①労働者階級の権力、②生産手段の社会化、③計画経済であるとされる(※)。
 これらを強力革命によって達成しようとするなら、強大な国家権力を必要とする。社会主義・共産主義は本来「国家の死滅」をめざすものであるのに、最大の矛盾をかかえることになる。そして、そこに誕生した強権国家は人民の弾圧、社会の停滞、さらには腐敗を生み出す。
 (※日本共産党の2004年「綱領」では、これらのうち「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」としている。「労働者階級の執権」は強調されていない。)
 ソ連の失敗に学ぼうとすれば、「多数者革命」を革命理論として採択することは当然である。そこで、日本共産党は、

 ②現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。

 とするのである。

 ここからは私の当て推量なのだが、少なくとも近い将来に「社会主義をめざす権力」が「国民の合意」によってつくられるというのは想像しがたく、しかしそのような「国民の合意」がなければ社会主義に移行しようとはしないというのは、事実上「革命」を棚上げしたということではないのか?
 「革命」の時代を生きた人間たちには一抹の淋しさをぬぐいきれないだろうが、今日までの歴史を振り返ってみれば、それは冷静な判断であろうし、マルクス主義を真に現代に生かすにはあるいはその道しかないのではないだろうか?

 3
 少しばかり脱線をした。水野和夫の所論を「資本主義の全般的危機」論と区別するとしても、資本主義が行き詰まりに陥っているのは確かなことだろう。
 問題は次の段階に何が待っているのかということである。いくつかの可能性を考えてみる。

 ①過去に繰り返されたように、恐慌あるいは戦争が勃発することによってリセットされ、新たな資本主義の段階がはじまる。
 ②資本主義に代わる新しいシステムが生まれる。
  ②-ⅰ 社会主義社会(あるいは社会主義的な計画経済)が生まれる。
  ②-ⅱ 国家社会主義(ファシズム)が生まれる。
  ②-ⅲ 「ゼロ成長」を基調とする第三のシステムが生まれる。

 当面のことでいえば①は現状そのものである。資本主義の延命をはかろうと、いっそうの「強欲」さを発揮しようとしている。しかし、1の⑩の指摘を待つまでもなく、それは永遠ではあり得ない。
 ②-ⅰについては2でふれたソ連の失敗のみならず、当初に掲げられた理想に比し、あまりにもモデルとなるものがなさ過ぎる。急激な「成長」の陰で、国内外で矛盾を深めている中国のみならず、ベトナムまでもが市場経済化を志向しようとしている。「低成長」社会でありながら、教育や医療においてトップ水準にあるというキューバが、現存する社会主義国の中ではあるいは最優等生であるかも知れないが、アメリカとの関係改善で今後どうなっていくであろうか?
 さて、第2次世界大戦で枢軸国側であったイタリア・ファシズム、ナチス・ドイツ、大日本帝国が無残な敗北に終わった通り、②-ⅱもまた歴史において検証済みである。
 しかしながら、資本主義あるいは近代社会が危機におちいろうとするとき、必ず頭をもたげてくるのがこの国家社会主義なのである。しかもそれは「上」からの全体主義としてだけでなく、「下」からの(いわば「国民運動」あるいは「国民運動」を装ったそれとしての)ファシズムとして顕れるところに始末の悪さがある。

 この問題に警鐘を鳴らそうとしているのが、 香山リカ『リベラルじゃダメですか?』である。香山は自らをリベラルという立ち位置におくことで、憎悪の標的となっていること、いつの間にか「少数者」の側に追い込まれていることをひしひしと実感するという。
 香山はリベラル批判にも耳をかたむける。すると、リベラルであることが今日では「保守」の側に回ってしまっていること(自民党・安倍首相が「改革者」にみえる)、リベラル=既得権者として自分たちは安全圏に身をおいていると受け取られていること(生活保護でさえも「公平」の観点から否定されたりする)、「正しさ」が「上から目線」として押しつけがましく感じられていることなどが分析されている。
 リベラル側の自己批判として、そもそもの目標が正しければ「正しい」と受け取られるはずだという純潔主義、さらにはそのことから発するデリカシーの欠如があったことも指摘される。
 それらを踏まえた上で、リベラル批判に対する反批判として、

 ①根拠なき批判:リベラル派は北朝鮮から金をもらっているのごとき妄想や陰謀論
 ②誤った批判:ⅰ)新自由主義こそがグローバル世界のスタンダードであり、競争や格差拡大は当然である、ⅱ)歴史修正主義・国粋主義・排外主義を「正義」と考えている

 をあげ、さらに佐藤勝の所論だという、

 ③反知性主義:実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度

 がまかり通っていると指摘している。
 このように分析されると、ここ数年で起こっている理解不能だった出来事が氷解していくのを感じる。「米軍基地をなくせ」とか「原発再稼働反対」などというと、それらは「国益を損なう主張だから非国民だ」などという勢力が本当に出現しているのだ。

 4
 こうした国家社会主義(=ファシズム)が横行しやすいのは、資本主義の延命をはかろうとする権力側から利用されやすいという背景がある。
 新自由主義(野放しの「自由競争」によって利潤を拡大しようとする)・新保守主義(国家権力の全体主義的な強化によって危機を克服しようとする)が、それぞれの頭に「新」をいただくのは、これまでの資本主義が「行き詰まり」に突き当たっているという自覚によっている。
 新自由主義と新保守主義は価値観において相反するはずなのであるが、どちらも「強力」に対する信奉という点で一致し、リベラル批判勢力の心をとらえているのもおそらくはその一点なのである。

 古賀茂明『国家の暴走』は、国家権力の側がすすめようとしている「軍事立国」の危険性を指摘し、批判する。詳しくは解説しないが、①日本版NSC(国家安全保障会議)法、②特定秘密保護法、③武器輸出三原則の廃止、④集団的自衛権の行使容認、⑤「埋めよ増やせよ」政策、⑥集団安全保障での武力行使の容認、⑦日本版CIAの創設、⑧ODAの軍事利用、⑨国防軍の保持、⑩軍法会議の設置、⑪基本的人権の制限、⑫徴兵制の導入、⑬核武装が、日本が「戦争をするための13本の矢」だという。経産省の官僚として、一時は権力の中枢近くにいた人物のいうことだけあって、独特の説得力がある。
 また、経産省の出身らしく、経済政策としてのアベノミクスにも批判は及んでいる。しかしながら、安易な「成長至上主義」批判の立場はとらず、「仮に日本が成長を目指さないとしたら、成長が止まるだけではすまない、今の国民の生活水準を維持していくことはできなくなる」という。資本主義の「次のシステム」を探究するうえでの難問である。
 しかし、

 ①サステナビリティがキーワードであり、限りある資源やエネルギーや環境、そして文化や人と人との繋がりを次世代以降にきちんと残せるような生き方が求められている。

 というところで一致点を見いだしいくことは可能だろう。「最終的に100%自給できる自然エネルギー大国へ」や「日本らしさでスイスのような観光立国を目指す」などの「日本再興への提言」には勇気づけられる。

 5
 すっかり長くなってしまったので、後の2冊については簡単にふれる。

 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』は、戦後日本がいかに日米安保体制の中でがんじがらめになっているかを明らかにしようとしている。
 それは幕末の開国当時、西洋列強からさまざまな不平等条約を押しつけられた様に似ている。だが、なんとかそれらの不平等条約を解消しようとした往時の明治政府の気概すら感じられないのは、アジア太平洋戦争の敗戦後、アメリカの後押しで政権の座についた者たちが、いまだにそのコントロールから抜けだせないからだろう。
 同じ敗戦国であるドイツや旧植民地であったフィリピンが、さまざまな交渉を通じて米軍基地を追い出した実例が詳細な資料とともに紹介されている。
 いかに「軍事大国化」をめざしたとしても、日米安保体制がある限り日本は独立国ではあり得ず、目下の同盟国として利用されるだけである。そこにも安倍自民党がすすめる「国の安全を守るため」という政策のまやかしがある。
 なお、日米安保条約によれば「基地」の撤去は「日米合意」によってしか実現できないが、安保条約そのものはどちらか一方の国が破棄を宣言すれば1年で効力を失うのである(ものすごい反動攻勢があるだろうが)。

 池上彰・佐藤勝『新・戦争論』は、ジャーナリストと元外交官がロシア・中国・朝鮮半島・中東・欧米諸国といった地球規模での世界情勢を、「戦争」という観点から分析した本。
 安倍自民党は「積極的平和主義」をかかげるが、うかつに武力をもって世界に出て行ったらどんな目に遭うか考えさせられる。

 6
 「何を考えようとして来たのかを振り返ってみる」といいながら、本の紹介で終わってしまったようだ。
 「ゼロ成長社会」は存立しうるか、といった問題だけでも、私の力量をもってしてはその答に到達できそうもない。
 だが、何も知らずに、あるいは何も知ろうとせずに、今の世を生きることは出来ない。あとから、「私は欺されていた」などとトンチンカンなことをいわずに済むようにしたい。
 ときに知ることによって自分の無力さを突きつけられ、ニヒリズムに陥らないようにすることで精一杯のときだってある。
 それでも「知ろう」とし、「考えよう」とし、「伝えよう」としなければならないのだろう。願わくば、その営みが人々と共同のものであったらよいと思う。
  ※
 「内憂外患」というときの「外患」にあたることを主に書いた。「内憂」はどうなっているかというと、こちらもまた、憂い止むことを知らず、年はとりたくないものだ、状態なのである。
 まあ、人間はいつどうなってしまうか、誰しも一寸先は闇なのだから、動けるうちに行きたいところに行き、目が見えるうちに見たいものを見、会いたい人に会っておきたいものだ。その意味で、今年一年お付き合いいただいた皆さんには、心から感謝するばかりである。


by yassall | 2014-12-30 01:18 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

江古田北口市場が閉鎖!

 西武池袋線江古田は武蔵大学・武蔵野音楽大学・日大芸術学部の最寄り駅である。中野区では「えごた」と読むが、こちらでは駅名は「えこだ」なのである。
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 その江古田駅北口に小商店が軒を並べる江古田市場がある。武蔵大とは反対側なのだが、本屋があったり、昼飯を食べるための食堂があったりしたので、この市場あたりもよくふらふらと散歩した。その江古田市場が今年いっぱいで閉鎖されるという。
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 江古田駅の開業は1922(大11)年。そのころから商店が集まりだしたが、現在の市場スタイルの原型は1946年に22店舗から始まったという。
 どこか戦後の雰囲気を残す庶民的な商店街であったし、夕暮れ時から宵の口にかけては、なぜか梶井基次郎の「檸檬」を連想させるような、不思議な懐かしさがあった。
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 現在は8店舗まで減ってしまい、今年が20年ごとの借地契約の更新にあたるのを機に閉店を話し合ったとのことだ。
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 写真は2004年に撮ったもの。10年前にしてすでに昔の賑わいがないと感じたものだったが、年内に閉鎖とあってはもう一度写真を撮りに行きたいものだと思っている。 

by yassall | 2014-12-18 10:47 | 雑感 | Trackback | Comments(2)

2014衆議院選挙が終わって

 衆議院選挙が終わった。私のようなものが何事かを言っても始まらないのは分かっているのだが、集計が発表された時点での感想を書いてみたい。多分に希望的な観測も含まれてしまうかも知れないが、これから先のことを一緒に考えていくためのきっかけになればと思う。

 投票率の低さは予想されたこととはいえ残念である。52.36%という数字は二人に一人は棄権したことになる。政権交代の起こった2009年衆院選が69.28%であったことを考えれば、政治決戦という機運には今回はいたらなかったということになる。
 棄権した人々の多くが積極的にせよ、消極的にせよ、現状肯定・追認であったとすれば、自民の「ほぼ横ばい」という結果は妥当なものであると、ひとまずは言えよう。
 ひとまず、といったのは、やはり小選挙区制の問題である。各党に対する国民の支持率は比例区での得票率に表れている。
 ※小選挙区では、選挙協力をしている自民・公明、住み分けを試みた民主・維新は立候補者を出さない選挙区があるので、得票率=支持率とはならない。
 その結果は次のようである。
 [自民(33.05%)、民主(18.4%)、維新(15.74%)、公明(13.66%)、共産(11.37%)、次世代(2.64%)、社(2.46%)、生活(1.93%)]
 各党の議席占有率もほぼこの数字と対応しており、自民党であれば37.77%となる。
 一方、小選挙区ではどうかというと、自民党は48.09%の得票率で75.25%の議席占有率である。第一党に安定政権を与える仕組みという理論であるが、国会議員とは国民の代表であると言うとき、この隔たりはあまりに大きいといわざるを得ない。
 小選挙区制にはもう一つ、二大政党制への移行という将来像もあるようだが、これも国民の多様な意識を真に反映しているとは思えない。
 国民が現状肯定・追認しているといっても、これがベストと思っている人々が大多数を占めているわけではないということである。

 その表れのひとつが共産党の躍進である。「自共対決」を訴えて真正面から安倍政権のすすめる強権政治を批判した。そのことへの支持なくして8議席から21議席への躍進はあり得ない。支持基盤の堅さだけが理由ではないし、そうだとしてもそうした基盤を作り出した日常活動への信頼がバックボーンにあるはずだ。本当はもう10議席程度多くを安定的に確保してもらいたいと思うくらいである。
 ※たった8人の時代でも、笠原氏や赤嶺氏はたった一人で安倍政権をたじたじさせていた。新人たちにも一刻も早くそのような力をつけていって欲しいものだ。

 次に私が注目したいのは次世代の党の大幅な後退である。「自主憲法」制定を訴え、自民党を「右」から支えることを公言して選挙に臨んだが、17議席を減らして2議席にとどまった。顧問だったか、石原慎太郎氏もここで政界を引退することが確実だろう。
 東京12区で、公明党の太田氏下ろしをねらって立候補した田母神氏が話題を集めたが、半分にも届かなかった。自らは「太陽の党」とかを結党していながら、自公分断をねらった次世代の党から落下傘のごとく投入されたが、もうこのへんで退場を願いたいものである。

 次世代の党の不発は、自公連立政権の中での公明党の比重を大きくしたのではないか、と私は考えている。「自民党よりもむしろ右」のような政党が一定数を占めていると、いざというときの「連立離脱」という決め技が効果を発揮しない。公明党には本気で「自民党のブレーキ役」を果たしてもらいたいものだと考えている。
 ※自民党の中でのハト派が息の根を止められている現状にあっては、公明党はその役割を果たせるポジションにいるといえるかも知れない。きっと国民はそれを期待している。

 次世代の党の後退は「改憲」勢力にとっても大きな障壁となったのではないだろうか? 次世代の党は日本維新の会から分裂したのだが、残った維新の党の方をみると、橋下氏は石原氏と共同代表を組む前には安倍氏にもラブコールを送ったという人物だから、相変わらず危険人物には違いがないが、もう一人の共同代表である江田氏は自主憲法の制定には明確に反対しているし、書いたものを読んでも少なくとも軍拡派ではない。

 その江田氏が民主党との野党再編を模索しているという。本当の政界再編は自民党の分裂しかあり得ないと私は考えているし、何人か自民党を飛び出しては、みんなの党を結成した渡辺氏のようにろくな役割も果たさず、空中分解してしまっている現状を考えると、たぶんそれはあり得ないだろうと予測している。
 だとすれば小選挙区で自民党と対決するためには野党再編、および野党協力はどうしても必要だろう。民主党と維新の会が本気で野党再編を考えているなら、よくよくその重大性を自覚してすすめて欲しいと思う。
 ※まずは党内で政策を一致させる必要があるし、それが自民党とたいして違わないものであったなら、何の意味もない。
 一方、野党協力であれば、今回の沖縄が大きな教訓になるだろう。沖縄一県のことと過小評価してはならないし、ここから日本の未来をみるくらいの気宇壮大さを持ちたいものである。


by yassall | 2014-12-15 15:26 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

菅原文太の死

 菅原文太が死んだ。かねて体調不良とは聞いていたが、TVのコマーシャルに出演していたり、最近では沖縄知事選で翁長候補を応援したりといったニュースが報じられていたので、急逝との感を禁じ得ない。
 先に高倉健が亡くなった。高倉健について何か書こうと思っていた矢先だった。同じヤクザ映画でも高倉健には任侠ということばが似合い、菅原文太には極道ということばが似合うように感じる。深作欣二の「仁義なき戦い」シリーズには戦後裏面史という一側面があった。
 高倉健と菅原文太が人気を二分した時代があった。私の周りにいた女子学生の間では文太の人気が高かった。ヤクザ映画路線が下火になった後、二人の進んだ道はずいぶん違った。高倉健もTVのコマーシャルに出たことがないわけではないが、職業は映画俳優ですと自称したというだけあって、仕事ぶりはストイックだった。そこに高倉健の魅力もあるのだろう。
 一方の菅原文太であるが、TVドラマにも活動を広げていった。一時期、確か野村秋介の「風の会」に名をつらねていたような記憶があり、私生活上の先行きを危ぶんでいた。その後、耕作放棄地を活用して若者達と農業を手がけるなど、独創的で時代を先がけた活動で存在感を顕した。最近では秘密保護法反対や、集団的自衛権の行使反対の運動に、積極的に関わるなどの活動が報じられていた。
 仙台生まれということもあってか、福島原発事故にはいち早く反応し、脱原発運動にも熱心だったようである。重大な病をかかえながら、最後の生きざまを探究していたような気がする。
 高倉健と比較すると、紆余曲折も多く、多弁すぎることもあったのかも知れないが、それはそれで一人の人間の生き方であったと思う。うむ、もうこの世にいないのか。

by yassall | 2014-12-01 21:20 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

パイプ党時代

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 7月に銀座を歩いていて菊水の前を通りかかった。1903年創業という喫煙具の老舗中の老舗である。そういえば私にもパイプ党時代があったことを思いだし、戸棚の奥から昔のコレクションを引っ張り出してみた。
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 コレクションといっても、私がパイプ党を気取っていたのは20代のころのことだから、たいしたものはない。それでも一時は熱中したこともあり、煙草を止めたあとも捨てずにとっておいたのだ。
 喫煙具一般にもいえるが、パイプは趣味性が高く、素材や形状(シェイプ)によって様々な種類がある。
 素材では、メシャム(海泡石)パイプやシャーロック・ホームズで知られたキャラバッシュパイプなどは高級品にあたる。キャラバッシュはひょうたんの一種で形状が独特でおもしろい。
 マッカーサーが厚木に降り立った時にくわえていたのがコーンパイプ。トウモロコシの芯が難燃であることからパイプに使われたが、素材からして高価なものではない。陶器で作られたパイプをクレイパイプという。きれいな絵付けがされたものがあり、コレクションとしてはおもしろいが煙草を吸う道具としてはあまり適していない。
 さて、どうしても前段が長くなってしまうが、一般的に好まれているのはブライヤーパイプである。ブライヤーはバラの根であるといわれたりするが、本当はツツジ科のホワイトヒースの根である。地中海沿岸の乾燥地帯に自生している。
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 好まれている理由としては、軽く、壊れにくいということがあるが、何といっても木目の美しさがある。このパイプでは、ボウルの部分にバーズアイと呼ばれる木目が出ている。
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 ステム(煙道)の部分にはストレートグレインと呼ばれる木目が出ている。メーカーはサビネリというイタリアのブランドであるが、商品入れ替えのためだったか、格安で手に入った。
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 こちらはイギリスのコモイというメーカーのもの。素材は同じブライヤーなのだが、熱した細かい砂を吹き付け、柔らかい部分を落としてしまうサンドブラストという製法で作られている。木目は消えてしまうわけだが、軽量になるうえ、表面積が大きくなる分、放熱性がますことから喫煙具としての性能は高い。つぎのパイプとともに、もっとも愛用した一本である。
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 こちらはイギリスのスリービーというメーカーのもの。上記2本がストレート型であるのに対し、ベント型という曲線を描いたシェイプをもっている。
 1本目がブルドッグ、2本目がカナディアンというように、ストレート型には定番名のあるものが多いが、ベント型には固有名はない(補足こう書いたのはまちがいで後から出てくるズルの他チムニーやローデシアンベントなどの定番名をもつものがあることを後に知った。それらはクラッシックシェイプと呼ばれているとのことだ)。その代わり、創作的なデザイン性をもつもが多い。
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 木目でもっとも価値が高いのはストレートグレインということになっている。その意味では、このパイプの木目は変則的であるが私はけっこう気に入っていた。
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 パイプで高級品といえばダンヒルが名高い。金額でいうと一桁は違ってくる。ダンヒルの刻印は小さな○がひとつというシンプルさである。それがブランドというものなのだろう。だが、このスリービーの刻印も私は好きだった。
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 携帯用にステムとマウスピースが短くなっているタイプ。デザインも個性的だ。
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 木目もけっこうきれい。だが、煙道が短いということは煙の熱が十分に冷え切らないうちに口に入ってくるということで、クールスモーキングには適さない。携帯用とありながら、あまり持ち歩かなかった。
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 デンマーク製の製品はデザイン性の高いものが多い。銘にはヘンリーとあるが、あまり有名なメーカーではない。
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 ベント型だがズルという型名がある。先に補足したクラッシックシェイプのひとつということになる。銘が確認できなかったが、確かフランス製(たぶんシャコム)だったと記憶に残っている。
 パイプを何本も欲しくなるのはコレクションという欲求もあるが、吸った後はどうしても湿気を帯びてしまい、連続して同じパイプを使用すると煙草が不味くなってしまう。そこで、ほどよく湿気をとばすまでレストしておく必要があるからだ。
 逆にいうと、そこがブライヤーパイプの利点でもある。先ほど、クレイパイプが喫煙具としては劣ると書いた理由もそこにある。
 ロンドンのダンヒルの店には365(+1)本のパイプをおさめたパイプカレンダーがあると写真でみたことがある。まあ、これは遊びごころのなせるわざだろう。
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 パイプには小物の楽しみもある。こんなものにも、上からタンパー、ピック、ナイフ、まとめてコンパニオンという名前がある。
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 おもしろそうな小物があるとつい買ってしまう。
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 しまいには自分でも作ってみた。捨てるばかりになっていた数字スタンプ材を彫刻刀で彫ってみたのだ。
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 モアイ像風の顔を彫ってみる。火であぶって仕上げをしようとすると、材がやわらかいので途中で折れてしまったりした。
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 最後にアップするのはスタンウェルというデンマーク製のパイプである。パイプはマシーンメイドとハンドメイドがあるとされるが、素材の性質からしてマシーンメイドといっても工業製品のような量産がされるのではないだろうし、ハンドメイドといっても木工旋盤も使わないということでもないのだろう。定番の型に木を削っていくのか、素材の個性を活かしてデザインから考えていくのかの違いではないかと解釈している。
 スタンウェルはマシーンメイドのメーカーだが、デンマーク製らしくハンドメイドに近いデザイン性が特徴だ。
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 自分としては一点物というつもりで購入に踏み切ったのだが、こうしてみると木目はあまり大したことはない。手入れもしてこなかったが…。
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 実は新しいパイプで吸う煙草は美味くない。どうしても木の焦げる臭いがするものなのである。喫煙を重ねるうちに、ボウルの内側にカーボン・ケーキと呼ばれる層がたまってくる。そうなってはじめてブレイク・インということになる。
 私がこのパイプを買ったころはそろそろパイプ党卒業のころだったということになるのだろうか。ブレイク・インするまで使い込むおっくうさもあって、使い始めの時期を選んでいるうちに未使用のままになった。

 パイプで喫煙を楽しむまでには相当の手間暇がかかる。私はとうてい熟達というにはいたらなかった。パイプを吹かすというが、確かに香りを楽しむもので、喫煙としてはもの足りなさが残る。おかしな話だが、1時間もパイプを吹かしたあと、「ああ、疲れた!」といってシガレットに手を出すこともままあった。
 香料の強いものが多く、人の集まる場所でははばかられることが多かった。レストランなどではもってのほかだった。
 そんな、こんなで、いつしかパイプから遠ざかっていくことになったが、ときおりパイプ党時代が懐かしくなったりもするのである。
 菊水は久しぶりだったが、紀伊國屋ビルの1階に専門店(Kagaya)があり、パイプをやめてからも新宿に出た時は待ち合わせまでの時間によく立ち寄ったりした。池袋パルコにも専門店があったり、東武デパートの喫煙具コーナーもけっこう充実していたが、どうやら撤退してしまったらしい。

 最後に一言。パイプは紙巻き煙草より健康への害が少ないといわれたりする。確かに肺の中一杯に煙を吸い込むことはないのだが、パイプ党だった澁澤龍彦は咽頭ガンで亡くなっている。舌ガンを患う人も多い。万が一にも、この投稿を読んでパイプを始めてみようなどと考えた人がいたときのために、予め一言しておく。けっして勧めはしない。


by yassall | 2014-08-12 15:36 | 雑感 | Trackback | Comments(4)

エボラ出血熱の流行

 初めてその存在を知ったときから、何と恐ろしい病気があるものなのだろうかと怖気だった。それでも、これまでアフリカの風土病の域に収まってきたのは、その致死率の高さから「他人に感染する前に感染者が死に至るため、蔓延しにくい」という側面があったからだという。
 ※フィリピンでは家畜への感染例があるとのことである。アジアは無縁というわけにはいかない。
 しかし、今回の流行にはこれまでにない特徴があるのだという。もともとウィルスは突然変異を繰り返しているものらしいが、世界保健機関(WHO)は今回の新株に以下のような特徴が認められると発表している。
 ①潜伏期間が長い
 ②これまで確認されているエボラウイルスに比べて死亡率が低い
 ③強力な感染力
 潜伏期間が長く、死亡率が低い(これまでは約90%であったのに対し今回は57%)ということは、広範囲に感染が拡大する可能性が高いということである。
 エボラ出血熱が知られるようになって30年以上が経つが、これまでの死者数は1,590人(2012年12月現在)であるのに対し、今回は今年の2月に流行が始まってからすでに932人の死者が出ている(8月6日現在)。
 ※また、これまでは患者の血液や便に触れなければ感染しないとされていたが、防護服を着用した医療チームのメンバーにも感染例があり、空気感染の可能性も否定できないという(※)。空気感染があり得るということは、同じ飛行機に乗り合わせただけで感染する可能性があるということだ。
 ※8月13日現在では空気感染の可能性は否定されている。
 実験動物段階では成功例があるらしいが、ヒトに有効なワクチンは開発されていない。もし、世界中に感染が拡大するようなことになったら、人類存亡にかかわるといっても大げさではない。
 杞憂であればいいと思いながら、こんなことを話題にするのは、1918~9年に世界中で猛威をふるった「スペイン風邪」を連想してしまうからだ。
 「スペイン風邪」と呼ばれるが、大流行のきっかけはアメリカが第1次世界大戦に参戦したことによる。ヨーロッパ戦線に送り込まれたアメリカの兵隊がもちこんだインフルエンザウィルスは、大戦による戦死者を上回る死者を出すことになった。戦時中は交戦国は事態を「特定秘密」扱いにした。中立国であったスペインのみが死者数を公表したので「 スペイン風邪」と呼ばれるようになったというのは有名なはなしである。
 一説では、「スペイン風邪」による死者があまりに多かったので第1次世界大戦の終結が早まったともいわれている。世界中で4~5000万人が死亡したとみられているが、日本でも39万人の死者があったという(実際にはもっと多かったらしい)。
 当時とは比較にならないくらい、世界のグローバル化はすすんでいる。アフリカへは日本の企業も多数進出していることだろうし、今回感染が広がっている西アフリカではないが、南スーダンには自衛隊がPKO参加している。
 対岸の火事と思わず、危機意識をもって注目していく必要があると思う。


by yassall | 2014-08-07 14:37 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

不将不迎応而不蔵

 「応じて蔵せず」は『荘子』にある。といっても、私が知ったのは宇野哲人の色紙によってである。「降りかかる火の粉は払わねばならぬ」の例えの通り、人生で出合うさまざまな出来事にはそのつど対処していかなければならない。場合によっては対応というより、応戦しなければならないときもある。それが「応」であるが、「蔵」してはならないとは、いつまでも気に病んだり、ストレスをため込んだりしてはならない、という意味である。
 宇野哲人はもっとくだけて、「クヨクヨするな」という意味だと解説しているが、「一日の労苦は一日にして足れり」(『聖書』)とある通り、その日の気苦労を翌日まで持ち越すなどというのは愚の骨頂であろうし、「雨が降ればいつも土砂降り」(英のことわざ)は好事と災厄は問わないそうだが、確かに難題はつぎつぎ起こって来るのだから、いつまでも一事にかまけてはいられない。
 そこで、何かとめげそうになるときは「応而不蔵」とまじないのように唱えているのだが、それも適切に「応」じることが出来る能力があってのはなしだから、なかなか気分はいつも泰然自若というわけにはいかない。
 さて、その前段の「不将不迎」は「おくらず、むかえず」と読むのだが、宇野哲人はこれも「クヨクヨするな」という意味であり、とくに「不迎」は「取り越し苦労をするな」という意味だと解説している。
 漢和辞典を引くと、「将」には「送る」という意味があり、「将迎」で送り迎えという熟語になる。そこで「おくらず」と読むのだが、なんだか分かったような分からないような気分でいた。長いことそのままでいたのだが、ある人にこの言葉を紹介したのをきっかけに少し考えてみた。
 まず、「不将」と「不迎」は対句になっているのではないかということ。「迎」には待ち受ける、未来を推し量るという意味があるから、確かに宇野哲人のいう通り、「取り越し苦労」という意味になる。すると「将」はその対義語であるということが考えられ、もともと「率いる」という意味があるところから、相手を「待ち受ける」のではなく、こちらから先手を打って出るというような意味になるのではないだろうか。
 昨今の世情からつい連想がそこへ行ってしまうのだが、政府がさかんに口にすることばに「抑止力」がある。「備えあれば憂いなし」というが、どうも政府の説明による「抑止力」はこの「備え」というのと同じ意味であるかのように聞こえる。つまり、「抑止力」である戦力を高めておくことで、かえって「憂い」たる戦争を遠ざけることができる、というように。
 だが、「備え」一般を否定しないまでも、「抑止力」とはつまるところ戦争準備なのであり、それは常にエスカレートしていく傾向をかかえている。おそらく、政府が「仮想敵国」としているのは中国であるだろうが、最近その中国で「古くなった」人工衛星をミサイルで撃ち落とす実験に成功したという。これは世界を震撼させるのに値する重大事である。ハイテク化された現代にあって軍事衛星は戦略上の要であるはずだが、開戦と同時に軍事衛星が撃ち落とされてしまえば、もう手も足も出せなくなってしまうからだ。おそらく、アメリカはもう対抗策についての研究をはじめているだろうが、「抑止力」をエスカレートさせていけば、限りなく「先制攻撃」(先手必勝!)症候群に近づいていかざるを得ないのである。
 話をもとに戻す。「不将」と「不迎」は対句なのではないかと書いたが、もしかすると順接しているのかも知れない。未来の「災厄」を予想し、これに先んじて事を起こそうとすると、かえって「災厄」を迎え入れてしまうことになりかねないぞ、と。
 以上は考えたといっても、勘をたよりに漢和辞典を引いてみただけのことで、まったくの当てずっぽうである。

 
 「将」の旧字「將」のつくりにある「月」は肉月。「几」の上に肉を供え、戦勝を祈願したところから、将軍の意味になった。
 「応」の旧字「應」は人が胸に鷹をかかえた形から「鷹狩り」を意味する字。鷹狩りは神意を問う占いであったことから、最初に「応」=こたえたのは神であったことになる。
 漢字の起源が呪術にあったという白川静の学説を裏付けるような例だが、やはり「将」は能動的、「応」は受動的というような感覚がある。


by yassall | 2014-07-26 12:04 | 雑感 | Trackback | Comments(2)

都議会「セクハラ」問題 やはり一言

 都議会「セクハラ」問題については口出しするつもりはなかったのだが、鈴木都議が名乗り出た後、定例会最終日を迎えた今日をもって幕引きとなりそうなので遅ればせながら参戦しておく。
 鈴木都議については当日のインタビューでのシラの切り方、そして会派離脱という身の処し方からして、名乗り出たからといって許されるものではない。だいたい、会派離脱で決着をつけようなどというのは、反省の中味が所属政党たる自民党に迷惑をかけてしまった、という程度のものだとあからさまにしているようなものだ。
 ただ、鈴木都議個人の責任にしてしまってよいものなのか、という問題がうやむやにされてしまうことにも危惧をおぼえるのである。自民党都議の間からは、「発言は鈴木だ」ともらす者もあらわれたとのことだが、どうも内部告発による自浄能力がはたらいているというより、トカゲのシッポ切りで事態を沈静化させたいというのに近いようだ。
 私が考えるに、今回の事件は、
 ①塩村都議がまだ素人くささを残す、当選1期目の若手議員であったこと。
 ②所属政党である「みんなの党」が、もともと渡辺喜美氏の個性に多くを負う党であったのに、分裂騒動があったり、政治献金問題から渡辺氏が代表から外れたりする中で、政党として軽んじられる傾向にあったこと。
 ③ヤジの応酬が論争の激しさの証となっているかのような思い込みによる不規則発言が日常茶飯事になっていること。
 というような背景の中で起こっている。
 今回の塩村都議の質問は女性の出産・育児に関するものであった。女性の「社会進出」は自民党も政策に掲げている。本来は激しく対立するような議題ではなかったはずだから、よけいに①②の要素が強かったのではないかと考えるし、最大会派としてのおごりが明らかである。
 口火を切った鈴木都議の「早く結婚した方がいい」はいかにも軽率な発言だが、塩村都議が言葉に詰まったり、涙ぐんだりしているのを見ながら、「産めないのか」と追い打ちをかけた人間の方が私は罪が深いように思う。何よりも女性蔑視があり、少数政党(少数意見)の無視があり、数をたのんだ言論封殺を当たり前のように考えている。
 昨年の都議選で自民党は立候補者の全員当選という、かつてない「快挙」をとげたわけだが、多数を占めるや早くも謙虚さを失い、掲げた政策の信憑性さえ疑われるようになるというのは困ったものだ。今回の一件でも、国内外から批判を浴びるにいたって対応に窮するあまり、「他のヤジは聞こえなかった」「気がつかなかった」「誰が発言したか特定出来なかった」とシラを切ってごまかそうとしているのは本当に情けない。

by yassall | 2014-06-25 14:49 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

続・勤王党あれこれ

 ここから先へすすむにはもう少し勉強が必要だ。しかし、昨日のところで止まってしまっては何も明らかにしたことにならない。どのみち〈あたり〉をつけてみることが目的だから、目検討でもう少し書いてみる。

 問題は、近代日本では天皇制によるしか国家としての統合原理を持ち得ないのであろうか、ということである。
 (日本史全体を見渡してみれば、もしかすると日本が日本であるという統一性の保持、ときどきの政権が行使した支配権の根拠もまた、ついに天皇制を離れられなかったという見方もある。とすると、古代天皇制の支配が及ばなかった沖縄や東北・北海道が領土外ということで軽視される原初であったとしたら大問題である。)
 「古事記」「日本書紀」以外に建国神話(物語)を持ち得ていないとすれば、いつまでたっても日本は「万世一系のスメラミコトのしろしめす」国ということになってしまうのか。
 アメリカの「独立宣言」やフランス市民革命の「人権宣言」、植民地支配からの独立戦争を勝ち抜いた中国やベトナムにはそれぞれの建国の物語があり、しかもその物語には民衆自身が主人公として登場する。日本の民衆(国民)にはそうした建国物語が欠如しているということなのだろうか。 

 「抵抗権」「革命権」をテコに考えてみよう。アメリカの独立戦争もフランスの市民革命も抵抗権・革命権の存在を前提にしなければ単なる反逆罪である。抵抗と革命の歴史を通して民衆(国民)は建国物語を持つ。
 それでは、日本には抵抗や革命の歴史はなかったかといえば、そんなことはないはずである。それらは隠蔽されてしまったか、変質・変形されたかたちで記録されたかなのである。そうした歴史を発掘し、取り戻す作業が必要なのではないだろうか。

 宗教と信仰の問題も大きい。その観点から日本の天皇制を見直してみると、「現人神」というのはまことによく出来た装置だと思ってしまう。「神」が人間を超越した存在であるならば、その「神」をどちらの側の味方につけることも出来る。だが、「現人=神」である限り、支配権の所在は動くことがない。(それこそ不勉強なのであるが、その意味で戦後になって折口信夫が新しい世界宗教としての神道の確立をめざしたというのは興味深い。)
 しかし、日本人の宗教意識は本当に天皇教に集約されていくのだろうか。歴史の上でも天皇制の宗教基盤は神道と仏教の間を揺れ動いたし、神道もまた仏教および儒教から多大の影響を受けてきた。それらをきちんと分析し、純化してとりだすことは、おそらくは無理なのではないだろうか。タタリやケガレといった日常感覚としての宗教意識は残るとして、天皇教がその最後の救済システムだとは思っていない人びとの方が多いのではないだろうか。

 国家や社会の支配原理にしても同様である。その時代の超越的な権力の保持者が誰であったかは、「直訴」の相手が誰であったかで明らかである。天皇一人がその対象であったことはない。

 また、日本はタテ社会であるともいわれるが、「寄合・談合」の伝統や「話を通す」「根回しをする」ことが重んじられているとおり、絶対的権力というのはむしろ嫌われ、「話し合い」が尊重されてきた歴史は少なくとも民衆の間ではあるのだ。「日本型民主主義」がはぐくまれる可能性は存在していると思うのである。

《補足》
 沖縄のことを書いていて、また考えが発展した。「琉球王国」は明治の廃藩置県で日本に編入された。沖縄を日本の一部と確かに感じ取り、考えることは、もしかすると太平洋戦争の末期に沖縄が「国内唯一の地上戦」の戦場となったからではないか? しかもそれは、おそらくは支配層の側においてではなく、民衆(国民)の側のおいて。沖縄の平和の礎には日本各県から徴兵された戦没者の名が刻まれている。甲子園では毎夏、沖縄県の代表チームが声援を浴びている。太平洋戦争の敗戦の記憶、戦後からの新しい出発をどのようにとらえ、受け継いでいくかが、今日の日本の統合原理を根拠づけ、強固にすることが出来るかどうかを決定していくのではないか?


by yassall | 2014-04-17 11:48 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

勤王党あれこれ

 昨今、右翼的な動向があちこちで顕著だ。ヨーロッパ各国でも右派勢力の台頭が話題になることがあるし、国際政治の焦点になりつつあるウクライナでは親ロシア派の動きばかりが注目されるが、国内紛争の背景の一方では右派セクターが無視し得ない影響力を発揮しているらしい。
 よその家より自分の家の心配が先で、日本国内でも国粋主義というのか、排外主義というのか、後にどのような展望があるのやら、過激さだけで受けをねらったような物言いや行動がやたらと目立つようになった。そうした極右勢力が大多数を占めることはあり得ないとはいうが、一定の同情を集めたり、現体制への不満の受け皿になったり、なにより体制維持派に利用されたりしているうちに、戦前の日本やナチスドイツのような社会が到来しないとも限らない。
 そこであれこれ考えあぐねているうちに、ふと「もしや起源は勤王党?」と思いついたというわけなのである。まさに思いつきの段階であるから、資料にあたっての検証もなしなのであるが、書けるところまで書いてみる。

 まず、おおまかに結論めいたことを書いておく。
 ①近代ヨーロッパ諸国の圧力を受けるようになった江戸時代末期、これに対抗するために強力な中央集権国家を作り出す必要があったとき、勤王思想は一定の役割を果たした。
 ②ただし、それは古代的な「王政復古」であり得るはずはなく、明治政府によって作り出された国家体制も、多くの限界や歪みをもちながらも、近代国家としての体裁を整えていくことになった。
 ③しかし、その後も勤王思想は伏流となって近代日本に生き残っていった。簡単にいえば、それは「錦の御旗」という圧倒的な権威への心服と期待である。
 ④戦後社会になっても勤王思想は伏流となって流れ続けている。「気高く、親身な」皇室ファンはまぎれもなく存在している。そればかりではなく、超法規的で急進的な、右からの「変革」を求めようとする勢力の思想的な柱となっているのであり、それらの人びとにとっては民主主義はよりどころとならないのである。

 尊皇思想の起源は楠木正成にルーツがあるなどともいわれるが、江戸時代における尊皇思想は朱子学と国学という二つの源流を持つとされる。(より直接的には水戸学派ということになるが、水戸学も起こりは朱子学である。)
 朱子学は江戸幕府によって国家イデオロギーとして採用されたが、覇道ではなく王道を唱えた朱子学が、やがて「覇」をもって国家統一をなした幕府を自己否定する思想的根拠となったのは皮肉である。また、漢心を排するところから始まった国学も、朱子学と一体となることによって新しい国家イデオロギーを作り出すことになったのも皮肉といえば皮肉である。
 岡倉天心の「アジアは一つ」とどこまで通底するかは分からないが、近代日本の「大アジア主義」もアジア各国が対等平等なのではなく、日本が「大東亜」の盟主となるという考え方のルーツは、中国伝来の「中華思想」にあったのではないか。いわば日本版「中華思想」である。そう考えれば一部にみられる今日の中国や韓国に対する蔑視の風潮も理解できる。
 徳川慶喜による「大政奉還」は、幕藩体制の限界を自らも悟り、徳川家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することにあったといわれる。そこで構想された諸侯による連合が実現したとしても、日本が近代国家として出発できたかどうかはあやしい。
 それはともかく、中央集権化にせよ、国民国家としての再生にせよ、その思想的・政治的・経済的準備が江戸時代を通じてなされてきたことは疑えない。

 「維新」思想は近代日本に脈々と生き残ってきたのではないか。それがある種の「革命」思想であることは確かだろう。大正時代には「大正維新」の運動があり、昭和にも「昭和維新」の運動があったが、それらはときの体制への批判および反逆から生まれた。
 しかし、「維新」が待望されるのは明治維新において「錦の御旗」が圧倒的な権威となった記憶からきているのではないだろうか。だが、歴史は「錦の御旗」によってだけ動いたのではない。その前の時代から着々と準備され、どこまで自覚されていたかどうかはともかく、歴史を先へすすめなければ立ち行かなくなるような大きな力が働き、それを受け入れたことで新しい時代の幕があいたのだ。

 虎の威を借る狐よろしく、「錦の御旗」さえ掲げておけば少なくとも権力から攻撃はされないだろうとの保身の輩もいただろう。「不敬」のレッテルを貼ることによって、国民に不条理を強制し、抑圧の道具となってきた歴史を忘れてはならない。こうなれば「維新」どころか「反革命」である。

 昭和に入ってから「国体」が強調されるようになった。これは、いわば原理主義的に純化された尊皇思想である。だが、「近代の超克」論争を経つつ、15年戦争に突入するようになると、神がかり的な国粋主義としての傾向を顕著にし、ついには自縄自縛的に国家機能そのものをがんじがらめにしていった。その結末はいまだ記憶に新しいところである。

 これとは別に、「君臣一体」的なユートピア願望としての尊皇思想が存在する。王は国民を「おおみたから」として愛護し、民もこれを敬い心服することで王道楽土が実現するというものである。しかし、これもまた空想的社会主義の裏返しとしかいいようがないのではないか。
 ましてや、ひとたび「尊皇」や「維新」の大義がふりかざされるときは、「和楽」とはほど遠い、強権や暴力が無条件に肯定されてしまうのである。

 私たちが子どものころ、鞍馬天狗の映画が大ヒットしていた。映画をみていると「勤王の志士」といえば疑いもなく正義でありヒーローであった。今の子どもたちはそんな映画があったことも知らないはずである。それでは勤王党はいったいどこに潜んでいるのであろうか。
 天皇家でどのような帝王学がなされているは知らないが、昭和天皇は英国型の王室に親和感を持っていたというし、平成天皇は日本国憲法の下での皇室の範囲を逸脱しようとしてはいない。
 今日の勤王党にとっての「天皇」とは「幻想としての天皇」である。自らの言動の根拠を「幻想」に求めようとしても、いずれは自らの足元を掘り崩してしまうだけだろう。


by yassall | 2014-04-16 17:58 | 雑感 | Trackback | Comments(0)