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カテゴリ:雑感( 66 )

自己責任論の2004年と2018年

週刊誌『文春』は保守系のイメージが強い。月刊誌『文藝春秋』も同様だが、どちらかというと同じ保守でも本流との矜恃が感じられるような気がする。ネット配信されている「文春オンライン」はときどき同じ文春?というような記事が掲載されるときがある。「14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?」で高遠菜穂子さんら3人が人質にされた2004年当時と、安田さんが解放された2018年の「自己責任論」の扱われ方についてまとめた記事があった。資料的にも価値があると思ったので、閣僚たちの発言や各紙の社説だけ抜き書きしておく。比較してみると2018年は新聞各紙は冷静であったようだが、その分、SNSで「自己責任論」が喧伝されていたと記者は伝えている。

文春オンライン
14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?――2018下半期BEST5
「イラク3邦人人質」記事を読み直す
プチ鹿島
bunshun.jp/articles/-/9514

2004年4月9日 『危険地域、自己責任も 小池環境相』(読売新聞 夕刊)
「小池環境相は「(三人は)無謀ではないか。一般的に危ないと言われている所にあえて行くのは自分自身の責任の部分が多い」と指摘した。」

2004年4月16日 『3邦人 あすにも帰国』「閣僚から苦言続々」(読売新聞・夕刊)
「自己責任という言葉はきついかも知れないが、そういうことも考えて行動しないといけない。」(河村建夫文部科学相)
「どうぞご自由に行ってください。しかし万が一の時には自分で責任を負ってくださいということだ」(中川昭一経済産業相)
※このほか《「損害賠償を三人に求めるくらいのことがあっていい」との声も》という記載もあった。

2004年4月17日 「『身勝手』か『不屈の志か』」(毎日新聞)
「帰国して、頭を冷やしてよく考えて判断されることだと思います」(福田康夫官房長官)
「自己責任をはっきり打ち出してもらいたい。なぜ(3人の出国のために)チャーター機を出したのか。1人は『イラクに残りたい』と言っている。こういう認識には問題がある」(山東昭子元科学技術庁長官)
「救出に大変なカネがかかったが、誰も把握していない。7日間徹夜の努力をしており、(額を)国民の前に明らかにすべきだ」(公明党・冬柴鉄三幹事長)
 ※解放直後の4月16日の政治家の発言として。
(同じ4月16日、井上喜一防災担当相は《家族はまず「迷惑をかけて申し訳なかった」と言うべきで、自衛隊撤退が先に来るのはどうか》と発言している(朝日新聞 2004/4/20)。)

 一方で野党の政治家の声も載っている。
「将来にわたってイラク(復興)にかかわりたいという気持ちは大事だ。厳しい状況に置かれながら志を曲げないことにむしろ敬意を表したい。その志に対する批判なら、まったくの筋違いだ」(民主党・岡田克也幹事長)
「金銭的負担を被害者に求めるのは一番弱い立場の人に『自己責任』を押しつけるものだ。政府の言うことを聞かない人は法律で規制するというのは、個人の尊厳や自由を定めた憲法の精神と反する」(社民党・阿部知子政審会長)

2004年4月16日 『3人、18日にも帰国』「イラク人を嫌いになれない 高遠さん『活動続ける』」(毎日新聞・夕刊) 
「いかに善意でもこれだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれたのに、なおそういうことを言うのか。自覚を持っていただきたい」(小泉純一郎首相)

◎読売新聞・社説
《自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である》(2004年4月13日)
《政府・与党内には、救出費用の一部の負担を本人に求めるべきだという議論もある。これは検討に値する。独善的なボランティアなどの無謀な行動に対する抑止効果はあるかもしれない》(2004年4月19日)
◎読売新聞『編集手帳』
《人質にされた三人は政府の「退避勧告」を無視してイラクに出かけている。悪いのは一にも二にも卑劣な犯罪者だが、世に与えた迷惑の数々を見つめればきっと、三人もひとつ利口になるに違いない。》(2004年4月16日)

2004年4月16日 『自己責任問う声次々 政府・与党「費用の公開を」』(朝日新聞・夕刊)
《安倍幹事長は「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった」と指摘した》

2004年4月20日 『米国務長官は「『誇りにして」』(朝日新聞)
《パウエル米国務長官は15日、一部メディアとのインタビューで、イラクで人質になった市民の自己責任を問う声があることについて「誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない」と強調。「より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」と述べた》
《「日本では、人質になった人は自分の行動に責任を持つべきだと言う人がいるが」と聞かれたパウエル長官は、これに反論して「彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と語った》
 ※パウエル氏の言葉は4日後の記事でも補完されている。
「私たちは『あなたは危険を冒した、あなたのせいだ』とは言えない。彼らを安全に取り戻すためにできる、あらゆることをする義務がある」

2018年10月28日『「自己責任」独り歩き懸念 ネットで安田さんへ批判次々 経済用語使い方すり替え』(毎日新聞 10月28日)
《「<自己責任>とは何か」の著書がある桜井哲夫・東京経済大名誉教授(社会学)によると、1980年代後半のバブル経済時代の規制緩和の中で、リスクのある金融商品に投資する消費者に対し「自己責任が求められる」といった使われ方をした言葉だという》
《「日本で『自己責任』というと、約束とは関係なく一方的に弱者が責任を負わされたり、怒られたりするようになった」と指摘する。/その上で「経済用語にとどまっていたものが、04年の人質事件で社会的・政治的な言葉へとすり替えられ、政治家らの論理で弱い立場の人を批判することに使われた。14年たった今の社会はさらに疲弊し、弱者をたたく傾向が強まっている。ソーシャルメディアで簡単に発信できることが拍車をかけているように思われる」と懸念する》

2018年10月25日『【主張】安田さん解放 テロに屈してはならない』(産経新聞)
《危険を承知で現地に足を踏み入れたのだから自己責任であるとし、救出の必要性に疑問をはさむのは誤りである。理由の如何を問わず、国は自国民の安全や保護に責任を持つ》


by yassall | 2019-01-13 20:45 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

今年の発句

無明坂やすやすと越ゆ梅うらうら
来し方を遠しと見れば梅うらうら

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                                  (武蔵丘陵森林公園の白梅)

 新年明けましておめでとうございます。
 今年も年賀状からの再録です。俳句はひねるといいますが、こんなのでもけっこうひねり出すのに苦労します。無明坂というのはもちろん造語です。自分は今、坂を登っているのか、下っているのか、どっちなんだろう? というような心境を表現したとでも思っていただければ幸いです。人間のそんな悩みをやすやすと越えて、梅は咲くべき時を誤らない……てなところでしょうか?
 NHK「日本人のお名前」正月特集や「赤旗」の坪内稔典さんの寄稿を読んだりすると、寝正月というのが正月の正しい過ごし方のようです。正月三が日は年徳神をお迎えし、接待する期間であって、そのために暮れの内に玄関を掃き清め(正月になってからはせっかくやって来た神様を掃き出してしまうのでNG!)、竹松の飾り付けをし、依り代となる餅を供える。初詣なんていうのも江戸時代になってからの風習で、本来は自宅にお招きする神様なのに、遠くの神社仏閣に参拝するのはおかしいらしい。そんなわけで朝から御神酒をいただきながら寝正月を決め込んだしだいでした。
 NHKの正月ドラマ「江戸を建てる(前編)水を制す」はけっこう面白かった。家康は国づくりにあたって治水と飲料水の確保を最重要課題とした。利根川の流れを変え、井の頭に水源を求めて神田上水を引いた。最初はたいして出来のよくないドラマだな、くらいの印象だったのですが、見ているうちに昨年の国会で採決が強行された水道民営化法を暗に批判しているように思えてきたのです。門井慶喜という小説家に原作があり、そのドラマ化だそうなので偶然かも知れませんが、例の「面従腹背」ということばを想起したわけです。もしそうであるとすれば、国民の側はそうして送られてくるメッセージを受けとめ損ねないようにしないといけないと思いました。
 何だか寝正月やら、TVにかじりついているのを正当化しているだけのような気もしないではありません。今年こそ、「ボーッ」としていないようにしようと思いながら、なかなか始動しません。まずは新年のごあいさつでした。
(あれ? 「チコちゃん」の「ボーッと生きてんじゃねえよ!」も我々を覚醒させようとする隠されたメッセージなのかな?)
 






by yassall | 2019-01-04 19:09 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

今年の読書から

 今年の読書を振り返ることで一年のまとめをしてみたい。昨年、読書量も読書力も落ち、「到達点はもちろん現在地点でさえ見失いがちである」と書いた。状況は少しも変わらないのだが、一年という物理的な時間は過ぎたわけだし、そうした反省も含めて一里塚を立てておくことは必要だと思うのだ。

  小森陽一編著『「ポスト真実」の世界をどう生きるか』新日本出版社(2018)
  小森陽一『心脳コントロール社会』筑摩新書(2006)


 辺見庸が『瓦礫の中から言葉を』NHK出版新書(2012)で、福島第一原発で炉心溶解を起こしたと同時に日本の法制度も溶解現象を引き起こし、底が抜けてしまった、というようなことを書いていた。
 今年一年を振り返ると、フェイク、すり替え、隠蔽、改竄が平気でまかり通るようになってしまったことに危機感をいだかざるを得ない。いわゆる「森友・加計」問題のみならず、その後に審議された働き方「改革」法案や改定入管法においても審議の前提となるデータ等の隠蔽や改竄が発覚した。
 (公文書の書き換えが暴露され、批判されると、今度は公文書には詳細を記すなという指示が出されたという。こうなると、もう文明国とはいえない。)
 それにも関わらず、与党はごり押しして平然としている。よく恥ずかしげもなく、と私などは思ってしまうが、今まで違憲とされてきた「集団的自衛権」を閣議決定で覆してしまった政権であるから、ひとたび関門を突破したらあとは一瀉千里ということなのだろう。まさしく底が抜けたありさまなのである。
 上記の2冊は、そのようなフェイク=「ポスト真実」がまかり通ってしまうような社会がなぜ生まれたか、その実態、また「ポスト真実」がもたらすものを解明しようとしている。前者は小森陽一と香山リカ、比嘉喜高、浜矩子、西谷修らとの対談によって組み立てられている。後者は前者で紹介されていた本。現在は絶版中であるらしいので古書を探して取りよせた。
 非マイノリティの不本意感(※)、分断と対立、敵と被害者、島宇宙などがキーワードになるだろうか? 「真実」を探求するには考える力・問う力(疑う力)が必要だが、人類が培ってきたそうした理性にかかわる力がやすやすと破棄され、快・不快、好き・嫌いという動物的な「心脳」に働きかけ、コントロールされる社会が到来したということのようだ。しかも、それらがマーケティング、インターネット、ITを駆使して行われる時代となったのだ。
 (一例として、「改革」という言葉がプラスのイメージとしてとらえられるなら、「改革を止めるな」というワンフレーズを連呼し、反対する者たちに「抵抗勢力」「守旧派」というレッテル貼りをしてみせる。するとその中身がどうであるかに関わらず、大衆的な支持を集めるという現象が起きてしまう。)
 (「非マイノリティの不本意感」は、後のテーマともかかわるグローバリズムの進行による国際競争の激化がもたらした、いわゆる中間層の解体にかかわっているのだろう。マイノリティに対して「特権化」という攻撃を浴びせているのはまさに「敵」を見誤っているのである。)
  ※
 それらと立ち向かうのは容易なことではない。考える力、読み解く力、人びととつながる力の基礎となるのは言葉の力である。

  紅野謙介『国語教育の危機』ちくま新書(2018)
  堤未果『日本が売られる』幻冬舎新書(2018)


 新『学習指導要領』の改定に向けての中教審『答申』(2016)では、「主体的・対話的で深い学び」や「情報を多面的・多角的に精査し構造化する力」が強調されたということである。まさに分断やポスト真実の時代を乗り越えるために必要な学力といっていいだろう。しかし、具体的な各教科の改定内容や入試「改革」とも一体となったその方向性をたどっていくと、それが真に「主体性」や「対話力」、情報の真偽を見極めていくためのリテラシーを育てていくようには見えないのである。
 「国語」における記述式問題の導入においても、サンプルとして提示された問題例は「景観保護ガイドライン」や「駐車場契約書」であったりで、もちろん扱い方にもよるだろうが、思考力や洞察力を高めたり養ったりするものであるかどうかはまことに疑わしい。
 「国語」の科目編成でも、まっさきに目に付くのは「論理国語」と「文学国語」の分離である。実際の教科書が出揃ってみないと何ともいえないが、「論理的な思考力」を育てるとしながら、言語を限りなく記号としてとらえていけば単純化するしかなく、ニュアンスは度外視されてしまう。言語の単純化がいかに人間の思考力を奪っていくかはオーウェルの『1984年』に見るとおりである。
 「文学国語」という設定にも疑問を感じる。「言語の価値」を認めているように見えながら、果たして文学を「言語文化」という枠に閉じ込めてよいものなのか? その分量も含めて近代文学がどう扱われていくかはまだ不明だが、近代文学とは日本人がいかに近代という時代と格闘してきたかの証だと、少なくとも私は考えてきたのである。
   ※
 『貧困大国アメリカ』を書いた堤未果の『日本が売られる』はよく読まれているようだ。書かれている内容は私なりにつかめていると思っていたので買っておいたままになっていたが、知人の読書評を読んでこれは緊急にも読まなくてはならないと思い返した。
 第1章第1項で最初に取り上げられているのは「水が売られる」である。先の国会で水道民営化法が可決した。衆院ではわずか8時間の審議であった。いつのまにこんなことが、というのが実感だが、すでに2013年に麻生財務大臣がアメリカに出向いて「水道は…すべて民営化します」と表明しているのだそうだ(戦略国際問題研究所CSISにて)。つまりは日本がいまだにアメリカへの従属から逃れられていないこと、海外の巨大メジャーの圧力に耐えきれなくなったこと、せいぜいが日本も含めた巨大資本が国境を越えて活動できる環境づくりに反対できないというところだろう。
 何でもコンセッション方式というらしいが、水道管施設の所有権は自治体に、浄水場の運営権は水道メジャーにということになるらしい。そのことは本書でも触れられているが、その理由も分かった。地震や台風と行った自然災害の多い日本ではしばしば水道設備が大きな打撃を受ける。そのことが海外メジャーの日本進出をためらわせてきたが、水道管の修復は日本で(せいぜい折半で)というなら安心だというのである。民営化を推進する側は水道施設の老朽化などと、もっともらしい理由づけをしているが、みな嘘っぱちである。
 第2章第1節は「労働者が売られる」である。先にあげた働き方「改革」法や改定入管法による外国人労働者の受け入れは「人手不足」が問題なのではなく、労働者を慢性的に低賃金・長時間労働に押しとどめる(あるいは今以上に切り下げる」ためであり、「企業が世界で一番活躍しやすい国づくり」という現政権の政策を実現しようというものである。
 ネトウヨたちは現政権に批判的な人物や組織を「反日」と決めつける。「反日」というのは戦前でいう「売国奴」ということだろう。誰が「国を売ろう」としているのか、そうした非難を繰り返す人びとはこの本を読んでよく考えた方がいい。
  
  見田宗介『現代社会はどこへ向かうか』岩波新書(2018)
  竹田青嗣『哲学は資本主義を変えられるか』角川文庫(2016)
 
 堤未果『日本が売られる』には、働き方「改革」法案や水道民営化法案など、それでもまだ比較的に表面化した問題以外にも、種子法の廃止や漁業法改定など隠密裏にすすめられてしまった制度改変の問題点と危険性も指摘されている。そのレポート力に感嘆すると同時に、「遠くのわかりやすい敵に気を取られ、近くにいる一番危険な敵を見落とせば、気づいたときには全方位囲まれて、あっという間にやられてしまう」という警告が身に迫った。
 そしてもうひとつ私が実感していたのは「商品一元化」という資本主義の原理である。「水」という生存にかかわる最も基本的な自然物も、人間の労働力も「商品」として値をつけ、もうけの対象として止まることを知らない。それはすでに「暴走」と呼ぶしかない域にまで達しているようだ。
 見田宗介『現代社会はどこへ向かうか』はロジスティック曲線(Ⅰ大増殖期以前、Ⅱ大増殖期、Ⅲ安定平衡期)をモデルにしながら、近代社会および資本主義が向かうべき方向を示そうとした一冊である。資本主義の矛盾は「域外」からの資源の調達と「域外」への排出にある。しかし、グローバリズムは「最終的」な有限性を露呈するにいたり、その矛盾の克服は急務であるとする。修正ロジスティック曲線という用語も紹介されており、その課題に応えられなければ「安定平衡期」ならぬ滅亡が訪れるというのである。
  ※
 竹田青嗣『哲学は資本主義を変えられるか』は、以前に『人間の未来』として出版されたものを文庫化にあたって加筆訂正し、新しい題名を付した本であるとのことだ。ホップス、ルソー、ヘーゲルの系譜に近代社会を基礎つける論理と思想があり、そこで示された「社会契約」「一般意志」「自由の相互承認」を市民的ルールとして再確立しなければならない、というのが主張の中心である(と私は読んだ)。
 権力がなくなればルールが成立せず、権力がなくなれば支配がなくなるというのは錯覚である、資本主義(自由市場)システムがなければ「市民国家」自体が可能でない、とする主張は、結局は体制を容認することにつながるが、まったく説得力を欠いているわけではない。資本主義を分析・批判したマルクスも、資本主義による経済発展が社会主義の前提になるとしている。
 国家は階級支配の道具である、というのは、国家の本質が官僚機構と暴力装置としての軍隊にあるとすれば、秩序の維持の名の下にしばしば国民を弾圧し、そればかりか(『日本が売られる』で見たように)ときに国民を売り渡そうとするところから、今日でもけっして誤りとはいえないと考える。それでも、「国家」にはそれだけでは足りない要素があるというのも気が付いていたところだ。
 ヘーゲルのいう「理性国家」を認めるなら、社会主義「国家」が計画経済をコントロールしていくことが可能だったのではないか、という素朴な疑問も読んでいて感じた。マルクスもヘーゲルから出たのだから当然なのか。
 このように賛意と反発が相前後している段階なのだが、「現在の大量消費、大量廃棄型の資本主義の性格を根本的に修正し、同時に、現代国家を「自由の相互承認」にもとづく普遍ルール社会へと成熟させる道」を模索していることには深く興味をそそられたし、さらに読み込んでみようとも思った。

  仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』講談社現代新書(2009)
  山崎雅弘『日本会議』集英社新書(2016)
  菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書(2016)
  安田浩一『「右翼」の戦後史』講談社現代新書(2018)


 最初の2冊は以前にも紹介した読書会のテキスト、あとの2冊はその関連で読んだ。昨年のネイションから続く、国家と民族とは何かという問題意識にもとづく。


  末近浩太『イスラーム主義』岩波新書(2018)


 これも方向性は少し異なるが同じ問題意識から読んだ。アーレントは国民国家の中に「自/他」の二分法を見たが、国民国家が直接排外主義をもたらすのではない。グローバル化した競争社会が排外主義をもたらし、その一部が全体主義化していったのである。イスラーム主義もまた西欧への対抗として生まれた。その中に「もう一つの近代」あるいは新たな普遍主義の可能性が存在するかどうかがテーマである。
  ※
 本当は、もっと探究的でなければならないと思いながら、私の読書は寄り道のしっぱなしである。つまらない本もさんざん読んだが、


   植木等『夢を食い続けた男』ちくま文庫(2018)


 は面白かった。戦前期の社会主義運動や水平社の運動にかかわった、父、徹誠の一代記として書かれている。


by yassall | 2018-12-31 02:51 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

懐かしの怪奇スターたち番外編 『The Son of Kong』

 ユニバーサルが『魔人ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』を公開した1931年はエンパイア・ステート・ビルが竣工した年である。そのエンパイア・ステート・ビルによじ登ったのがキング・コングだ。映画『キング・コング』が公開されたのは1933年である。
 このように書き始めると、ああまた「文明対自然」とでもいう図式と結びつけたいのだろうと思われるかも知れない。
 今回はそうではない。『キング・コング』も子どものときに見て忘れられない映画であるが、ニューヨークに連れてこられてからのコングはかわいそうなだけであまり好きではない。アメリカ人にとってはニューヨークというこちら側の世界にコングが出現し、通勤列車を脱線させ、乗客たちをパニックに陥れるといったシーンに迫真を感じたのだろう。だが、そのニューヨークでさえあちら側の世界である立場からすると、飛行機から機銃掃射を受け、ふと自分の身体から流れている血を指ですくい取り、不思議そうに眺めるコングには哀れを感じたものだった。
 私はむしろ絶海の孤島の、さらに高い城壁(島の原住民は未開の民であるようだったので、その石壁や大扉はどのように作られたのか子ども心に不思議だった)で仕切られた向こう側に、絶滅したはずの恐竜たちが生息する異界が存在しているという設定に引きつけられたのだった。
 映画監督のデナムは女優として使おうと港でアンをを拾い上げ、エングルホーン船長の船に乗ってニューヨークを出航する。最初、行き先が明かされないまま航海が続くが、ある地点まで来るとデナムはやっと一枚の地図をひろげる。それは髑髏島の位置をしめす海図であった。
 あの海図が欲しい! と何度思ったことか。それは私を異界へと誘ってくれる魔法の地図であると思われたのだ。アンを演じたフェイ・レイも子ども心に魅力的だと思った。コングならずとも、またアンを救うべくエンパイア・ステート・ビルの屋上にまで追っていく元船員のジャックならずとも、アンに惚れてしまうのも不思議でないように思えた。
 髑髏島の地図にしてもフェイ・レイにしても、子どもを日常から離脱させるには十分だったのである。『キング・コング』は、古くはジュール・ベヌルの『地底旅行』(1864)やコナン・ドイルの『失われた世界』(1912)から、近年の『ジェラッシク・パーク』にいたる系譜にある。子どもたちが恐竜好きなのは、それがこの世界とは違う、まだ見ぬ世界に旅出させてくれるからである。
 あとのストーリーは周知のことであろうから省略するが、のちにDVDになってから視聴したところ、とくに大扉を打ち破って出現してからのコングが記憶以上に残虐だったことだけ書いておきたい。確かコングが進んでいく先に座り込んで泣き叫んでいる子どもがいて、脇から飛び出してきた大人に助け出されるシーンがあり、原住民たちの生命は奪われなかったと思い込んでいたのだが、そうではなかった。TVで放映されたときは小さい子どもが見ていることを想定して、そうした残虐シーンはカットされていたのだろう。子どもの時に見ていたら、あるいはトラウマとして残ったかも知れないと思った。(コングはきっと子どもには悲劇の英雄だったのだ。)
  ※
 さて、今回書こうと思っているのは『キング・コング』のことではなく、その続編として制作された『The Son of Kong』(1933)のことなのである。後述するように作品自体がB級・C級であるから、見たことのない人、あるいは記憶にない人もいるだろうということで、簡単なあらすじを紹介する。
  ※
 前作から1カ月後、損害賠償を求められ窮地に陥っていたデンハムは逃げ隠れする生活を送っていた。そんな中、同じように船を差し押さえられ困窮していたエングルホーン船長はデンハムを誘い、東南アジアへ交易の旅に出る。なかなか成果を挙げられずにいた二人はとある港町で、かつて髑髏島の地図を譲ってもらったヘルストロームに出会う。ヘルストロームから「髑髏島には原住民の宝が隠されている」と聞いた二人は再び髑髏島に向かうことを決意する。
 新しいヒロインであるヒルダは自らの境遇から逃れようと船の中に潜んでいた娘である。
 髑髏島に上陸したデンハムはヘルストロームの裏切りに会い、ヒルダと行動を共にするうちに、沼に落ちていたキングコングの息子と出会う。デンハムたちは倒木を渡してコングを助ける。するとコングの息子はすっかり二人に懐いてしまい、陰に日向に二人を助けようとする。
 翌日、デンハムはコングの助けを借りて原住民の宝を発見する。そこに恐竜が現れ、デンハムとヒルダに襲いかかるが、コングによって撃退される。デンハムはエングルホーンたちと合流するが、その直後に大地震が発生し、髑髏島が海に沈み始める。宝を取るために残ったデンハムは脱出し損ない、島の頂上に逃げる。コングが現れ、デンハムを手の平に乗せて高く差し上げ、島が完全に海中に没するまで腕を上げ続ける。あわやのところでエングルホーンが漕ぎ寄せたボートに乗り込み、数日後に救助されるが、取り残されたコングは髑髏島とともに海に沈んだ。
  ※
 本作の公開は前作と同じ年で、それだけでも急ごしらえであったことが知れる。前作『キングコング』の大ヒットを受けて急遽、制作が決まったという。もともと二番煎じをねらった作品である上に、低予算で撮影スケジュールも短期間であげなければならなかったそうだ。そこで、引き続いて脚本を担当したラス・ローズは本作にはまったく乗り気でなかったらしい。(最後に髑髏島が海中に沈んでしまうのも、そうすることで三番煎じはなしという先手を打ったのではないかとさえ思った。)
 そのような事情であるから、いたるところで手抜きがはなはだしく、登場する恐竜の数も少なく、しかも恐竜ではなく大熊でお茶を濁してしまうというありさまで、「ロスト・ワールド」としての世界観もぶちこわしなのである。
 それでも懐かしさを感じてしまうのは、グレーがかった毛並みのコング息子のかわいらしさと、アンに執着するあまりに命を落とすことになったコング父の凶暴さが弱まり、無償の愛とでもいうべき自己犠牲の精神に感じ入るところが大きいからであろう。
 原題は『The Son of Kong』で、「キング・コング・Jr」と題名がつけられたこともあったような記憶があるのだが、日本での公開名は『コングの復讐』である。あまりにも内容とかけ離れているので、何かの機会があるときには変更されることを期待したい。
  ※
 以上で懐かしの怪奇スターたちのシリーズを終える。
 クローンやips細胞の時代ならずとも、ホルマリン漬けの脳みそを嵌め込み、電気を通せば(映画の中では紫外線というようなことばもあるが)生命がよみがえるなどというのは子どもにも通用する話ではない。『ドラキュラ』では急速に血液を失ったルーシーに輸血をほどこすシーンがあるが、血液型はどうなっているんだという疑問は小学生だって抱くところだ。
 だが、それではリアルさを求めれば優れた映画になるかといえば、それは違うと思うのである。単なるモンスター映画、単なるゾンビ映画とは違う、というようなことを書いた。刺激の強さだけを求め、子どもが見たら心の傷を残してしまうような映画ではなく、長く記憶の中にとどまり、心の一部として共存しうるような映画、懐かしの怪奇映画とは私にとってそのような存在であったのだ。


by yassall | 2018-04-14 00:30 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

狼男

 ユニバーサル・スタジオが『狼男』を公開したのは1941年のことである。 狼男のメイクにあたったのはやはりジャック・ピアースなのだろう。だが、居並ぶモンスターたちの中では一番不出来だったのではないだろうか? 
 それはピアースのせいとはいえないだろう。フランケンシュタインの怪物もドラキュラも人外の存在であることは間違いない。しかし、フランケンシュタインの怪物は人間の死体を寄せ集めて作られたのだし、ドラキュラも前回の説が正しければ不死を呪われた死者であり、それぞれ人間の姿かたちをしていて不思議ではない(ドラキュラはオオカミになったり、コウモリに変身したりもするようだが)。
 この二者と比較して狼と人間とでは体型の違いが大きすぎる。少なくとも人間の身体をベースにして狼らしさを造形していくのは容易ではない。しかし、俳優としての演技が求められる限り、人間をベースにしていくしかないのである。
 実際、映画でいくら顔に毛を生えさせても、ただ毛むくじゃらの男としか見えず、鼻の頭を黒く塗ったりしてもかえって滑稽なだけである。手足にも毛を生えさせているが丸裸にするわけにはいかなかったのだろう、茶色とおぼしきシャツとズボンを着用させているのも手抜き感がいなめない。
 公開日は12月12日で、アメリカはすでに日本との戦争に突入し、11日にはドイツ・イタリアとも戦争状態に入った。12月以前から戦争は予想されていたのだろう。戦時下にもかかわらず映画はヒットしたということだが、やはり制作段階から予算不足があったのではないかと勘ぐってしまう。
 狼男を演じたロン・チェイニー・Jrも少し太りすぎではないかと最初は思った。(今はおのれの不運と立ち向かうにはこれくらい逞しくなければならなったのかも知れない、とも思う。また、着衣の狼男も半獣半人ということであれば、このような造形もあるかも知れないと思う。)
  ※
 と、のっけから否定で入ってしまったが、懐かしの怪奇スターたちといったとき、他のモンスターにもまして私の心の奥の方に狼男は生き続けているのである。それがどのくらいかというと、ローレンス・タルボットという主人公の名前は即座に思い出せるし、狼男が倒された直後に荷馬車に乗って現れるジプシーの老母の映像が、ふとしたときに脳裏によぎるといった具合なのである。
 それはこの映画の持つ物語性(※)、さらに踏み込んでいえば悲劇性だろうと思う。ヨーロッパに広く流布した人狼伝説がベースにはあるのだろうが、特定の原作はなく、ストーリーは映画のオリジナルである(脚本はカート・シオドマク)。以下はそのあらすじである。
(※物語性などと言い出すと、大げさに過ぎないかとの批判はもちろんあるだろう。70分の上映時間に合わせた程度の内容には違いないが、逆に原作物のようにあらすじをつまみ食いしたようなところはなく、それなりに完結したドラマになっていると思うのである。そうすると、この映画がそもそも恐怖映画として作られているのかどうかさえ疑わしく思われてくる。メイクについては先述したとおりだし、狼男が人を襲うシーンも樹木の向こう側に隠されて表現されるのである。)
  ※
 タルボット家はウェールズの名門である。ローレンス(愛称はラリー)はその次男であるため家を出ていたが長男の急死により父ジョンの跡継ぎのため故郷にもどってきた。ラリーは父が天体観測のために購入した望遠鏡で町を眺めていたとき、骨董屋の娘グエンに一目惚れしてしまう。後に狼男を倒すための唯一の武器となる銀の飾りのついたステッキはラリーが骨董屋をたずねたときに購入したものである。つまり、その登場の時点ではラリーは次男特有の気楽さをそなえた、明るくも軽い男だったということになる。ただ、節度はかねそなえていて、グエンに婚約者フランクがいるのを知ると無理強いはしていない。
 グエンと出会った日、ジプシーの一隊が町をおとずれ、町外れの森で縁日をひらくという。その夜、ラリーはグエンとその友人のジェニーとでジプシーの祭りに出かける。占い師ベラのテントで占いを受けている間に、ラリーはグエンを誘って散歩に出てしまう。実はベラは狼男の呪いを受けていて、占いの最中にジェニーの手のひらに次の犠牲者となる五芒星の印を発見し、ジェニーを帰してしまう。だがすでに時遅く、気味を悪がって森に迷い込んだジェニーは狼となったベラに襲われてしまう。ジェニーの悲鳴を聞いたラリーは助けに向かい、銀のステッキで狼男を倒すが、自らも狼にかまれてしまう。あとで警察が捜索に入るとジェニーと人間にもどったベラの死体があるばかりで狼のすがたはない。ラリーの傷もなくなっているという不思議が起こる。
 その後、ラリーはベラの母親であるマレーバと出会う。マレーバはラリーも狼男となることを予言し、銀の弾丸かステッキでしか殺せないことを伝え、魔除けのペンダントをわたす。ジプシー一行はその日のうちに町を去ってしまう。最初は半信半疑だったラリーはやがて狼男として殺人を犯すこととなり、それが真実だったことを知る。ラリーはペンダントをグエンに渡し、町を出ようとするが父親に止められる。
 森で狼狩りが行われた夜、悲劇の終末がやって来る。父に屋敷に閉じ込められていたラリーは狼男に変身し、やすやすと屋敷を抜け出す。彼の身を案じてやってきたグエンと森の中で遭遇し、襲いかかってしまう。そこへ父ジョンが現れ、銀のステッキで狼男を倒す。ステッキはラリーがジョンに持たせたものだった。
 荷馬車に乗ったマレーバが現れ、呪文をかけるとラリーは人間の姿にもどり、安息の表情になる。ジョンとグエンは愕然とするが、ラリーはグエンを助けようとして死んだ、という話になる。
  ※
 もとをただせばジェニー一人をおいて占い師のテントから離れてしまったことに遠因があるとはいえ、狼に襲われたジェニーを助けようとしてラリーは自らも狼男となる不運を背負ってしまう。不運とはしばしばこのようなアイロニーから始まるものなのかも知れない。
 不運は誰も肩代わり出来ず、自分一人で引き受けていくしかない。苦悩と絶望が襲いかかり、逃れるすべはない。ラリーの場合にはさらに名門としての名誉が重荷として彼を苦しめる。脱出口はおのれの破滅にしかない。
 しかし、人が悲劇に引きつけられるのは、そのような不運に襲われる可能性は誰の身の上にもあり、不運に立ち向かう姿には人間の尊厳が見いだされるからではないだろうか? 自らの運命から逃れられないと知ったラリーはグエンの身を案じ、父ジョンの身を案じ、愛する人々を守るために自分をそれらの人々から遠ざけようとするのである。
 フランケンシュタインにせよ、ドラキュラにせよ、そして狼男にせよ、そこに悲劇が見いだされない限り、単なるモンスター映画あるいはゾンビ映画になってしまう。そして残念なことに、映画がヒットして続編が作られるたびにそうした傾向が強まるように思われるのである。
 幼少期に見たこれらの映画がいつまでも心の底に残っている理由は、こうした悲劇性にあると今なら確かにいえる。悲劇には人間の真実の一断面があるのである。幼き日、私はこれらの映画を通してそのことを予感したのである。
  ※
 悲劇性と並ぶもう一つの理由は異界への誘いということではないだろうか? 『狼男』の場合に物語上でも、映像上でも、重要な要素となるのは森である。濃霧につつまれた森はまるで薄墨で描かれた墨絵のようであり、モノクロならではの映像美なのである。
 そもそもヨーロッパは森の国であった。『マクベス』をみてもイギリスでも事情は変わるまい。ヨーロッパから森が失われていったのは産業革命で大量の燃料が求められたからである。
 そして山や森はヨーロッパの人々にとっては長く恐怖の対象だった。『ヘンゼルとグレーテル』は貧しく、食べるものもなくなった親が幼い兄妹を森に捨てる話である。『赤ずきん』も森の中でオオカミに襲われる。山はまさに『魔の山』なのである。
 人間は異界を恐れ、また異界を身近に感じることによって、人知を超えた存在のあることを知るのである。それを迷妄として遠ざけるのはたやすい。しかし、異界を通して人間が謙虚さを得たり、日常を相対化する可能性を広げられるのもまた確かなのである。
  ※
 最後にもう一つ。繰り返しになるが、狼男となったラリーを滅ぼしたのは父ジョンである。そのことは長く記憶になかった。だが、次男という立場から一度は家を離れながら家名を嗣ぐためという理由から呼び戻されたという経緯を振り返ると、そこには父と子の相克といったテーマが隠されているのではないかという推理が働くのである。あるいは、ラリーは父の愛情に飢えていたのではないか、といった。

(次回、番外編があります。)

[後注]
 風間賢二『ホラー小説大全』(1997)によると人狼(WEREWOLF)と狼男(WOLFMAN)には明確な違いがあり、前者が古来からの民間伝承に由来し四足獣としてのオオカミに完全に変身してしまう存在であり、後者はユニバーサルによって作り出された二本足で歩行するオオカミのような怪物に変身する男であるという。そうすると、本文では語の使用法を取り違えたことになる。なお、同書で知ったことだが『狼男』の脚本家カート・シオドマク(1902-2000)はSF作家・脚本家として名高いそうだ。『狼男』はその出世作とのことだ。


by yassall | 2018-04-12 15:33 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

ドラキュラ

 ベラ・ルゴシ(1882年 1956)とクリストファー・リー(1922 2015)は吸血鬼ドラキュラの二大俳優である。
 ベラ・ルゴシはハンガリー出身で、母国にあったときから著名な舞台俳優であった。第一次世界大戦後、革命政権の崩壊とともに亡命し、1921年にはアメリカに移住した。英語を覚えながら演劇活動を再開させ、ユニバーサル・スタジオによる『魔人ドラキュラ』(1931)に抜擢された。
 クリストファー・リーはイギリス出身で、活躍時期は第二次世界大戦後である。196cmという長身であったため端役に甘んじていたが、ハマー・フィルムがクラッシックホラー映画を制作するにあたってピーター・カッシングと並ぶ二大スターとして開花した。
 ハマー・フィルムは1950年代のイギリスに誕生したプロダクションであるから、ドラキュラは祖国の地に返り咲いたことになる。
 クリストファー・リーの『ドラキュラ』映画は成功をおさめ、ハマーだけで9作が作られたほか、ヨーロッパ各国で映画が撮られた。その後、怪奇映画俳優としてのみならず、『007』シリーズに出演したり、2000年代以降も『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』で存在感を示すなどしたところがクリストファー・リーのすごいところである。
 ベラ・ルゴシにせよ、クリストファー・リーにせよ、ヨーロッパ出身の俳優である。少し先走るが、ドラキュラをを演じようというとき、中世という歴史をもたないアメリカ出身の俳優であってはならないという意味で、(実際、アメリカの俳優による吸血鬼はどこかしら薄っぺらで滑稽なのだ)、映画が成功するための必然であったのではないかと思うのだ。
   ※
 ドラキュラの故郷はトランシルバニアである。『ドラキュラ』の原作者ブラム・ストーカーは最初、オーストリアに伝わる吸血鬼伝説を基にするつもりであったらしい。現在、トランシルバニアはルーマニアの一部になっているが、歴史の上ではオーストリア領であった時代もある。同様の伝説が伝わっていたのだろう。
 ヨーロッパでの取材を終えイギリスに戻ったストーカーは、図書館でワラキア公ヴラド三世(1431 1476)のことを知る。ワラキアはトランシルバニアの南に位置し、やはり現ルーマニアの一部を占めている。ドラキュラ城のモデルとして知られるブラン城はワラキアとの県境のトランシルバニア側にある(だから実際にはヴラド王の居城であったことはない)。現在は観光名所となっているそうだ。
 ヴラド三世は通称ドラキュラ公(別名串刺し公=ツェペシュ)である。ドラキュラは「竜の息子」というような意味であり、父ヴラド二世が神聖ローマ帝国により竜騎士団の騎士に任じられたことからドラクル(竜公)と呼ばれたことに由来する。「竜」は悪魔の象徴でもあったことから二世は「悪魔公」とも称されたという。三世はオスマントルコ帝国から祖国を守った英雄でもあるのに、いつしか「悪魔の子」という見方をされるようになった。(これにはハンガリー王が流布させた悪評も影響をあたえているという説もある。)
 ゲイリー・オールドマンがドラキュラを演じた『ドラキュラ』1992年版はこうした歴史的背景をストーリーの中に取り入れ、ヒロインのミナは400年前に死んだドラキュラの妻エリザベータの生まれ変わりであったとし、幾世紀の時代を超えた愛の物語に仕立て上げている(この映画については後述する)。原作とはだいぶ異なるが、ストーカーがヴラド公のことを知って物語をふくらませていったことは間違いない。
   ※
 さて、私にはベラ・ルゴシの「ドラキュラ」の記憶は薄い。黒マントに身を包んだドラキュラのイメージがベラ・ルゴシによって作られたものであることは理解しているものの、私の記憶の中のドラキュラの地位はクリストファー・リーによって占められている。
 クリストファー・リーがドラキュラ伯爵を演じ、ピーター・カッシングがヘルシング教授を演じた『吸血鬼ドラキュラ』は1958年の公開である。私はこの第1作と(たぶん)第3作の『凶人ドラキュラ』(1966)を見ている。ところが、今回DVDを入手して見てみるとずいぶん記憶と違っていることに気が付いた。
 まず、1958年版は初のカラー・フィルムによるドラキュラ映画なのだそうであるが、ここが違っていた。私の記憶に残るクリストファー・リーがモノクロの世界の魔人であるのは、我が家のTVがまだ白黒TVであったためかも知れない。
 しかし、何よりイントロ部分が異なるのである。物語は弁理士のジョナサンがロンドンに屋敷を購入したいというドラキュラ伯爵との交渉のために、トランシルバニアの山中にある古城を訪ねていくところから始まる。つまり、いち早く近代化をなしとげたイギリスから、それでも後に続いた西欧を抜け、いまだ中世の伝説が生きる東欧へと入っていく過程が大切なのである。
 トランシルバニアのある村に到着し、ジョナサンが行き先を告げると、村人たちはいっせいに恐怖のまなざしを向ける。乗合馬車もボルゴ峠でジョナサンを降ろすと早々に去ってしまう。夜も更ける中を一人待たされたジョナサンのもとにドラキュラ城からの迎えの馬車が到着する。馬車はオオカミの遠吠えが聞こえてくるような山道を走った後、深い堀に囲まれた城内に入るや跳ね橋が引き上げられてしまう。
 異界に入っていく通路としてこれだけの各段階が必要なのに、1958年版では馬車が嫌がって行ってくれないので徒歩で屋敷まで歩いた、というような説明とともに、いきなり屋敷の前にジョナサンが登場する。それも白昼とおぼしき明るい中をである(屋敷の中に入ると夜中であるようなので、昼とみえたのはカラー・フィルムの露光のためだったのかも知れない)。
 深夜、ジョナサンに襲いかかるドラキュラの花嫁は3人でなければならないのに1人しか現れない。ジョナサンの職業もドラキュラに司書として雇われたことになっており、しかもそれは仮の姿であって、最初から吸血鬼を退治しようと乗り込んで来たことになっており、しまいには早々に返り討ちにあってしまう。そこで、後から登場するルーシーやミラとの人間関係もごちゃごちゃになってしまう。
 そしてより重大なことは、物語の第2ラウンドとなる土地がロンドンではなくトランシルバニアの周辺地と思われる場所なのだ。近代対中世、文明対伝説、都市対自然という物語の一番大きな構造がなし崩しになっているのである。1958年版は『ドラキュラ』映画の最高傑作とも評されているとのことである。しかし、原作と映画とは別物であっていいとはいいながら、これらの改変を容認することは私にはとうてい出来ないのである。
   ※
 『ドラキュラ』には「遅れた」東欧に対する蔑視や、ドラキュラの手先とされるジプシー(現代ではロマとされるがそれが正しいかどうかは不明)に対する差別意識があるとされる。
 間違っているとはいえないのかも知れないが、私の理解は少し違う。資本主義の発達は歴史の「進歩」を飛躍的に高めた。その「進歩」にもしかすると人間は追いついていけていないのかも知れない。自分たちが置き去りにしてきた中世的世界は本当に無価値だったのだろうか、というような問いがあっただろうし、古い伝説は意識の古層の奥に生き続けているのではないだろうか? それらの古層に眠るものは、人々が何を恐れ、惹かれていくかを無意識のうちに決定づけているのではないか?
 イギリスは世界にさきがけて資本主義を発達させた。イギリスに生まれたブラム・ストーカーはまた、世界にさきがけてそうした近代人の心の闇をかかえてしまったのではないか?
 ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』にいち早く注目した一人にフロイトがいるという。フロイトはリビドーと抑圧、エロスとタナトスの葛藤、あるいはエディプス・コンプレックスといったところから『ドラキュラ』を読み解いていったらしい。確かに首筋に残された傷跡などには性的な雰囲気がただよう。
 しかし、それらの解釈をおいたとしても、近代対中世、文明対伝説に引き裂かれた人々の深層心理の中に押し込まれた不安が反映されていると解釈するのは間違ってはいないと思う。不眠と悪夢に悩まされたというストーカーは、伝説世界の息づく東欧にある種の恐れと密かなあこがれを抱いていたのではないかと私は思うのである。
   ※
 ドラキュラは不死の物語である。種村季弘は『吸血鬼幻想』(1982)で吸血鬼伝説の原初的なすがたは死んだのちにも死にきれず、墓場から甦っては人々を襲う死餓鬼があるといい、さらにその背景には死者の蘇生(とくに埋葬されてからの)への恐怖があったのではないかと述べている(ような記憶がある。もう一度読み返してみる気力がないので確かではない)。
 不老不死といえば東洋の神仙思想において仙人は理想とされる存在である。同じ不死の生命を得た者であるとはいえ、霞を食って生きる仙人と人の生き血をするる吸血鬼とは大きな違いがある。キリスト教の世界では不死に対するイメージが異なるのだろうか? 神による復活とは異なる蘇生は悪魔のしわざでもあるというふうに。
   ※
 ここで1992年版の映画『ドラキュラ』についてふれる。先に述べたドラキュラとエリザベータの愛の物語という解釈は今となってみると踏み込みすぎだと思われる。しかし、そのことを除くと、かなり原作に忠実に作られている。ラストシーンで、心臓を剣で刺し貫かれ、死を迎えようとするドラキュラからは悪鬼の容貌が消え、穏やかな表情にもどる。とどめを刺したのがミラであるところは異なるが、これも原作の通りである。死はドラキュラの安息なのである。
 何より映像が美しい。、ウィノナ・ライダーが演じるミナはもちろん、3人の花嫁たちも文句なく美しく妖しい魅力に充ちている。カラー撮影の進化を実感するが、その映像美には衣裳デザインを担当した石岡瑛子(アカデミー賞衣装デザイン賞受賞)の力も大きくあずかっているに違いない。とくにルーシーの花嫁衣装にして死に装束でもある純白のドレスの美しさといったらない。
 まだ城にいて、若返る前のドラキュラが身にまとうマントは黒から赤に変わり、髪型も凝りに凝っている。旧来のイメージからの脱却というねらいが鮮明である。監督のコッポラがプロデュースした『フランケンシュタイン』(1994)については前回述べた通りだが、この映画については私は高く評価せざるを得ないのである。
   ※
 最近では『ヒトラーから世界を救った男』でウィンストン・チャーチル(ここでも辻一弘が特殊メイクを担当し日本人アーチストとかかわっている)を演じたゲイリー・オールドマンは、もはや怪優の域に達しているのかも知れない。『ドラキュラ』での演技にも(イギリスの俳優だからというわけではないが)気品と哀愁のようなものを感じる。
 それでも私にとってのドラキュラはクリストファー・リーなのである。オールドマンが取って代わることはないのである。
 では、私の『ドラキュラ』はどこへ行ってしまったのだろうか? 古い記憶の扉を開けようとしながら、いざ扉を開けてみたら中味はからっぽであった、というような不思議な喪失感を私は味わっているのである。

(あるいはベラ・ルゴシの映画も見ていて、それらが記憶の中でごっちゃになっているのかも知れない。ルゴシの映画ではボルゴ峠も出てくるし、花嫁は3人であるようなのだ。最近、DVDが出ていることを知ったからいつか見てみようとも思っている。)


by yassall | 2018-04-09 23:49 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

フランケンシュタイン

 メアリー・シェリー(1797 1851)が『フランケンシュタイン』(1818)を書いた動機については有名なエピソードが残されている。
 1814年、16歳のメアリーは21歳のパーシー・シェリーと駆け落ちした。1816年、父の再婚相手の連れ子であったクレアを介してバイロンとスイスで合流し、レマン湖畔にあったバイロンの別荘に滞在することになった。長雨が続いた初夏のある日、バイロンの発案でそれぞれが幽霊話を創作しようという遊びがはじまった。どうやらバイロンはすぐに飽きてしまったらしいのだが、メアリーはそのとき頭の中にひらめいた人造人間の物語を書き続け、完成させた。他にバイロンの侍医であったポリドリも後に『吸血鬼』(1819)を執筆した。
 イギリス小説の研究者で『批評理論入門  「フランケンシュタイン」解剖講義』(2005、中公新書)の著者である廣野由美子(京都大学大学院教授)は、『フランケンシュタイン』の文学性を高く評価し、「映像作品の恰好のネタとして、あるいは典型的でありふれたゴシック小説としてのみ」評価することに強い疑問を投げかけている。(『100分で名著 フランケンシュタイン』2015、NHK)
 中学時代、何も知らずに映画の原作だろうくらいのつもりで文庫本を買ったとき、内容があまりにも違うので驚いたという経験が私にもある。最大の違いは人造人間がただ粗野で、知能の低い野獣のような存在ではなく、人並み以上の知性を持ち、何より雄弁であることだった。確かに、後に連続して凶悪な殺人事件を引き起こすのではあるが、それ以前には盲目の老人ド・ラセーの一家の暮らしを覗き見ているうちに言葉を覚え、たまたま森で拾った鞄の中に入っていたミルトン『失楽園』、プルタルコス『プルターク英雄伝』、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』を読みこなし、とくに『若きウェルテルの悩み』に強い感銘を受けたというのである。
  ※
 しかし、それらを知ってなお私が愛するのはユニバーサル・スタジオの映画『フランケンシュタイン』(1931)である。
 また遠回りになるが、コッポラがプロデュースし、ケネス・プラナー監督・主演(※人造人間はロバート・デ・ニーロ)の『フランケンシュタイン』(1994)は比較的原作に沿った映画として知られている。だが、廣野由美子が「映像化すると、視覚的な効果が優先され、本質的な魅力が抜け落ちてしまう」というとおり、おぞましさだけが先にたってしまい、とうてい物語に引き込まれるということにはならない。原作ともだいぶ異なる点もあり、とくにフランケンシュタインがエリザベスを再生させようとするが、これなどはあってはならない改作だった。「父親に愛されなかった息子の物語」の視点は間違ってはいないと思われるが、記憶にとどめておきたい映画とはとうていならない。今回、この文章を書くにあたってクリストファー・リーが人造人間を演じた『フランケンシュタインの逆襲』(1957)も一応みたが、ただグロテスクなだけで、映像としても物語としてもまるでお話しにならない。
  ※
 コッポラでもなく、ハマー・フイルムでもなく、ユニバーサルの映画(それも第1作!)に心引かれる理由をいくつか述べてみたい。
 まずは人造人間を演じたボリス・カーロフ(1887 1969)の魅力だろう。ボリス・カーロフはイギリス・ロンドン出身で、第二次世界大戦後も怪奇映画の大御所格として活躍したという。最初、ユニバーサルはベラ・ルゴシ(1882 1956)を怪物(人造人間)に当てようとしたのだが、セリフがないという設定をルゴシが嫌った結果、当時脇役しか回って来なかったボリス・カーロフに白羽の矢が立ったということだ。以後、カーロフはずっと怪奇映画俳優として人生を送っていくことになるのであるが、謙虚で物静かな人物であったカーロフは、その役を与えられたことに感謝し続けたということである。
 頭頂部が平たいのは脳を入れ替えるためだという。その特徴的な怪物のイメージはゴヤの絵をヒントにしているのだという。メイクにあたったジャック・ピアースはモンスター・メイカーと呼ばれ、ユニバーサルが生み出したすべての怪物たちのメイクを担当したとのことだ。フランケンシュタインでは固めた綿で頭部を造形し、1回のメイクに6時間を要したという。脚にはギブスをはめ、自然な動きを制限した。
 しかし、そのメイクをして怪物の怒りや悲しみを表現し得たのはボリス・カーロフの才能のゆえであると評されている。フランケンシュタイン物は続編が数多く作られているが、カーロフが演じたのは3作目までである。怪物のメイクの特許はユニバーサルが所有しているから、ユニバーサル映画ではその後も同じ姿かたちで登場する。『フランケンシュタインの幽霊』(1942)ではロン・チェイニー・ジュニア(1906 1973)が、『フランケンシュタインと狼男』(1943)ではベラ・ルゴシが怪物を演じた。だが、二人ともボリス・カーロフには及びもつかない。カーロフの怪物には、ふとした横顔にも眼に表情があり、唇に感情がこもっているのである。
 つぎは怪物を作り出したフランケンシュタイン男爵のマッド・サイエンティストぶりだろう。怪物に生命を与えた力は電気である。昔、NHKBSで放送していた『知への旅』によると、メアリーが生きていたころ、死んだカエルに微電流を流すと足が動くという実験をみてショックを受けた、というようなことが紹介されていた(ただし、原作には雷や電気のことは出てこない)。あちこちに怪しい放電現象が起こっている実験室も実に魅力的だったが、屋上から引き下ろされた実験台の怪物の手が動くのをみて、フランケンシュタインが「It's alive!」と叫ぶシーンには今でも鬼気迫るものがある。
 原作ではフランケンシュタインのファーストネームはヴィクターだが、1931年の映画ではヘンリーとされている。これは原作に対する遠慮というより、原作と映画とは異なる作品であるという制作者の意志を感じる。
 原作ではフランケンシュタインは人造人間を作り出すことに成功したとき、そのあまりの醜悪さに実験室を逃げ出し、創造主としての責任を負うこともなく怪物を放り出してしまう。映画はそうでなく、ヘンリーは成功のよろこびに興奮し、恩師であるウォルドマン教授が破棄をすすめるのも聞かず、実験を続行させようとするのである。ヘンリーが怪物の始末を決意するのは新妻であるエリザベスが襲われてからである。必ずしも「父親に愛されなかった息子」ではないのである。
 怪物の方の行動にもかなりの違いがある。怪物が凶暴になったのは助手のフリッツに虐待されたからである。そのフリッツが殺害され、ウォルドマンはヘンリーをうながし、劇薬で怪物を気絶させる。その際ヘンリーは負傷するが、エリザベスの看護もあって回復し、ヘンリーとエリザベスは結婚式をあげる。ウォルドマンはその間に怪物をなき者にしようとするが、意識をとりもどした怪物に殺されてしまう。
 屋敷から逃亡した怪物は村はずれで出会った少女マリアを湖に投げ込み、溺死させてしまうという事件をおこす。前の二人と違って少女は怪物に何も危害を加えようとはしていない。そのことで怪物は村中の人々から追われるところとなり、逃げ込んだ風車に火を放たれる場面でラストシーンとなる。報いは当然なのであるが、怪物が少女を湖に投げ込むにはつぎのようないきさつがある。
 怪物と出会ったとき、少女は花を摘んでは湖に投げ込むという遊びに興じており、怪物にもそれをすすめる。自分のことを怖がらず受け入れてくれたうれしさから怪物も少女をまねる。野原に摘む花がなくなったのをみて怪物は少女を抱え上げるのである。愚かといえばあまりに愚かであるが、敵意とか憎悪が理由ではなさそうなのである。湖畔で少女と向かい合わせに膝をつき、花を摘んでいるシーンは映画の中で最も有名な画像である。
 新婚早々のエリザベスのいる部屋に怪物が突然姿をあらわす場面がある。これも原作ではエリザベスは復讐心に燃える怪物の手にかかって殺されてしまうのだが映画では怪我で終わっている。森の中で怪物とであったヘンリーは殴り倒され、やすやすと風車小屋まで連れ去られてしまう。そして風車小屋が火で包まれる中、屋上から投げ捨てられてしまう。しかし、これもまた、火災によって焼死してしまわないためと見えなくもないのである。ヘンリーは重傷を負いはしたが、村人たちに助け起こされ、「奥さんの待つ屋敷」へと送り届けられるのである。
  ※
 第2作の『フランケンシュタインの花嫁』(1935)はフランケンシュタイン物の中では最高傑作とされているらしい。それは怪物が川で溺れそうになった少女を助けてやりながら通りかかった村人から銃で撃たれたり、盲目の老人の家に迎え入れられて心をひらき、言葉を覚えたり、女の人造人間が作られたりするところから、原作に近いと考えられたからだろう。だが、女の人造人間が作られるのも原作では自分の孤独を癒やすための仲間を作ってくれれば姿を消す、という怪物の要望によるものだったのに対し、映画ではプレトリウスという怪しげな科学者に協力を強いられたからである。
 第2作について唯一私が認められるのは、その女人造人間にも嫌われた怪物が「お前たちは生きろ!」といってヘンリーとエリザベスを実験室から逃がし、プレトリウスと女人造人間ともども実験室のある塔を倒壊させてしまう装置のレバーを引く場面である。他は物語としておかしなところばかりでなく、メイクにもカーロフの演技にも納得できないところが多々あったが、監督のジェームス・ホエールはこの第2作をコメディとして作ろうとしたという話があることを知り、何となく理解できたような気がしたのである。
 第3作の『フランケンシュタインの復活』(1939)はボリス・カーロフが怪物を演じた最後の作品である。フランケンシュタインの息子が廃墟となった実験室跡に眠っていた怪物を再生させるというすじがきである。怪物は言葉を失っており、毛皮のベストを着用していることに象徴されるように、すっかり野獣のような状態にもどっている。フランケンシュタイン父の助手であったイーゴリ(第1作で殺されたはずのフリッツといつのまにか入れ替わっている)の操り人形と化し、指示されるままに殺人を繰り返す。それでも鏡に映る自分の姿に激しい嫌悪感をあらわす様子などはカーロフの怪物らしい。また、子どもにはやさしい一面をみせる。映画としては格が落ちるが、子どもの時に怪物によって右腕を失ったというクローグ警視に存在感がある。
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 最後に監督のことを書く。ジェームス・ホエール(1889 1957)はイギリス生まれ。製鉄業者である父と看護師である母との間に生まれた7人兄弟中の6番目の子供であった。 兄弟達のように重工業の仕事につくのを望まなかったホエールは、自分に絵の才能があると知り、アート&クラフト・スクールの夜間クラスに通った。
 1915年に第一次世界大戦に参加、1917年に捕虜になり、その間に舞台制作の才能に目覚めた。停戦後、ホエールはバーミンガムに戻り、プロの舞台関係者としてのキャリアを積み始めた。やがて当時あまり知られていなかった若手俳優ローレンス・オリヴィエの舞台を成功させるなどの実績を積みながらアメリカに渡り映画監督として活躍した。
 ホエールはハリウッドで活躍している間、自分が同性愛者であることを公表していた。1949年を最後に映画界を引退し、1957年ハリウッドにある自宅のプールで溺死体で発見され、警察の捜査で入水自殺と断定された。
 ホエールの晩年を描いた映画に『ゴッド・アンド・モンスター』(1998)がある。脚本も手がけた監督のビル・コンドンはアカデミー脚色賞を受賞した。この映画でも第1次世界大戦での塹壕体験や同性愛のことが取り上げられている。重くなりすぎないようにユーモラスに描かれてはいるが、言い知れぬ寂しさとともに人間の尊厳のようなものが伝わってくる。名画だと思った。この映画を見ながら、もしかするとフランケンシュタインの怪物には世に受け入れられず、世界との違和と孤独に苦しんだであろうホエールの姿が投影されているのかも知れないと思った。


by yassall | 2018-04-08 10:49 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

懐かしの怪奇スターたち前口上 そして『眼には眼を』のこと

(今回は前口上です。本題は次回からですので、駄弁は無用ということでしたらスルーして下さい。)

 フランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男といえば怪奇映画の三大モンスターである。以前から「懐かしの怪奇スターたち」と題して彼らについて書きたいと思ってきた。なかなか準備が十分でないのだが、このままだと書かずじまいになりそうなので書くことにした。
 前二作にはそれぞれメアリー・シェリー(1797 1851)の『フランケンシュタイン』(1818)およびブラム・ストーカー(1847 1912)の『ドラキュラ』(1897)という原作が存在する。これらの原作については参照することもあるかも知れないが、書きたいのはあくまで映画についてである。
 『フランケンシュタイン』は早くもサイレント時代の1910年にエジソン社によって映画化されている。16分ほどの小品で、燃え落ちる人形を撮影して逆回しさせ、坩堝の中で骨格に肉がつき、動き出すまでを映し出す、というような技法を用いたらしい。内容的にも技術的にも初歩的なものであったことが伺われるが、ともかくも映画の娯楽化とともに怪奇映画というジャンルも生まれていた証だろう。
 だが、何といっても三大スターを決定づけたのはユニバーサル・スタジオが怪奇映画の制作に乗り出してからだろう。トーキーの時代に入って、今度は先に『魔人ドラキュラ』(1931)が作られ、これがヒットすると『フランケンシュタイン』(1931)、『ジギル博士とハイド氏』(1931)、『ミイラ再生』(1932)などが立て続けに公開された。『狼男』はやや遅れて1941年の公開である。そして前二者については黒マントに身を包んだドラキュラ、頭頂が真っ平らなフランケンシュタインという強烈なイメージがこの時期のユニバーサルによって決定づけられた。
 もちろん、これらの映画を私は映画館で見たわけではない。小・中学生時代にTVで見た。長らくそれ切りであった。多くはモノクロ映画であるから、やがてTVでのリバイバル放映もなくなった。だが、幼少期の記憶というのは心の奥の方にいつまでも残っているものらしく、ふとした折に断片的な映像が頭の中に甦ってくることがある。恐怖体験としてではない。むしろどこか哀愁をおびた懐かしさをともなっているのである。
 さて順番であるが、最初に『フランケンシュタイン』について書こうと思う。なぜこれらの映画が私の心の奥底に残り続けているのか、その理由を明らかにできるように思うからだ。つぎに『ドラキュラ』であるが、これについては少々戸惑いがある。また改めて書くが、私の『ドラキュラ』体験はユニバーサルではなくハマーである。ただ、DVDを入手して見返してみると、幼いときの記憶とどうも異なることが多いのである。その点にも触れながら書いてみたい。しめくくりは『狼男』とする。
 以上が前口上なのだが、もう少し駄弁を続ける。映画と私、というようなことを振り返っておこうと思うのだ。
   ※
 浪人時代には予備校に通うはずがそのまま映画館に直行してしまうなどということがあった(もちろん年中というわけではなかったが)。大学に入学してからは池袋文芸座によく寄り道した。黒木和雄の『とべない沈黙』なんかは上映期間中に複数回見たような気がする。加賀まりこが少女役だった。後に蜷川幸雄も出演していたことを知ったが、どの役だったかは記憶にない。
 それがいつしか映画館からは足が遠のくようになった。ワイダの抵抗三部作は見ておきたかったからポーランド映画祭のような催しがあれば出かけていったが、ワイダを映画館で見たのは「大理石の男」までで、「鉄の男」はTVで放映されてからではなかったか。
 一本の映画を見るには相当のエネルギーを必要とする。つまりはそのエネルギーが乏しくなってきたということなのだろうと思っている。また映画館という場所をあまり好まなくなった、というのも理由のひとつだろう。演劇の場合は舞台と客席とが呼応しあうということが確かにあるが、映画館では他の客といっしょに映画をみるということに必然性がないような気がするのだ。(昔、高倉健の任侠映画の途中でかけ声がかかったなどという話もあることはある。ベクトルは違うかも知れないが「男はつらいよ」シリーズを愛した観客にも共感の広がりがあったようにも思う。)
 そして映画好きの人からは邪道だといわれそうだが、TVやDVDで映画をみることに何の抵抗もないというのも理由になるだろう。先のエネルギーのこととかかわるが、長編の映画などDVDなら途中までみて、続きは明日にしようなどということが出来るし、それで私はまったく平気なのだ。(すべてがDVD化されるわけではないし、それでは新作が観られないだろうと言われるかも知れない。その批判は正当で、つまりは新しいものを受け入れるという点でもエネルギーが乏しくなっているのかも知れない。)
   ※
 さて、TVが我が家にやってきたのは1959年。たぶん多くの家庭でそうだったのではないかと思うが、父がTV購入に思い切ったのは皇太子(現天皇)・美智子夫妻の結婚パレードを見るためだった。戦後史年表を見るとそのころからTVのカラー放送が始まったということになっているが、もちろん我が家で買えたのは白黒TVだった。(その直後の60年安保のデモを私は毎日TVで見ることになる。)
 その頃、小学校から帰ると毎日午後3時から放映されていたのが「奥様映画劇場」という番組だった。まだ各局とも番組制作力が乏しく、たぶん著作権切れか格安で放映権が入手できた古い映画で番組編成を埋めたのだろう。それも週の前半と後半で1本ずつ放映するのである。つまり、最長で3回同じ映画をみることになる。そして、私はその番組をよく見たのである。
 午後3時からといっても、けっして子ども向けの映画がセレクトされているわけではない。『外人部隊』(1933)も確かこの番組でみたような気がする。映画のかもし出す頽廃の雰囲気に子どもながらも酔わされた。なぜか、そばに母も妹もいたという記憶がない。
   ※
 『眼には眼を』はたぶんそのころに見た映画の一本である。町山智浩『トラウマ映画館』(集英社2011、文庫版2013)を読んでいたらこの映画のことが取り上げられていた。監督アンドレ・カイヤット、1957年の仏伊合作映画とある。この間、酒席で話題にしたので(そのときは「歯には歯を」といってしまったかも知れない)この映画のことを書く。

 映画の舞台はフランス領時代のシリア。クルト・ユルゲンス演じる医師ヴァルテルは大手術で疲れた晩、自宅で男の訪問を受ける。車に同乗している妻が腹痛を訴えているというのだ。ヴァルテルは自宅だから手当はできない、病院へ行きなさいと治療を断る。翌朝、病院でヴァルテルは研修医から急患を救えなかったという報告を受ける。男の車は途中で故障し、6時間も歩いて病院に着いたときは手遅れだったのだ。その日からヴァルテルのもとには無言電話がかかってきたり、行く先々で青いフォードが待ち受けていたりする。
 やがて姿を現した男の名はボルタク。ヴァルテルはボルタクを追うが捕まえられない。ある日、車で追跡していくとボルタクの妻の実家のあるラヤに到着したところでガソリンが切れる。ボルタクはヴァルテルを泊める。ヴァルテルはボルタクの妻の遺族の冷たい視線にさらされる。翌朝、ガソリンを届けに来た男が山奥に病人がいることを告げる。ヴァルテルは治療に向かうが注射を拒否され、不首尾に終わる。車に戻るとタイヤが盗まれており、バスは4日後だという。ラヤの街までが200km、ボルタクは歩いて帰るという。仕組まれたと思い込んだヴァルテルは一人で歩き始めるが、岩だらけの山道に太陽が照りつける中を進むとボルタクは先回りしており、「近道を知っているから。」という。そして畳一畳ほどの板をぶら下げただけのロープウェイを示し、これに乗って谷を越えればダマスカスだという。ためらいながらも同乗すると何時間もかかって到着した終点は砂漠だった。
 ヴァルテルは計られたと感じるがもはやボルタクに頼るしかない。「街はあの山の向こうです。」「すみません、道を間違えました。今度こそ本当です。」「二時間歩けば井戸があります。」「眠るとジャッカルに食われます。」とさんざん引き回され、憔悴の局にいたったヴァルテルは、「もういい、さっさと殺してくれ。」と懇願する。ボルタクは初めて感情を見せ、「妻が死んでから私も死にたいと思ってきた。」といい、「もういいですよ、先生。行って下さい。本当の道はあっちです。」といい、満足げに目をつぶる。
 映画はそこでは終わらず、ヴァルテルは突然メスを振るってボルタクの腕を切りつけ、「今度こそ街に行って治療しないと、お前も死ぬぞ!」と脅しつける。するとボルタクは別の方角に歩き始めるが、ほどなく力尽きて倒れる。最後の言葉は「ここを真っ直ぐ行けばすぐに街です。真っ直ぐです。」だった。ボルタクを置いてヴァルテルは一人でその方角に歩き始める。
 そこでカメラはしだいにロングショットとなり、上空から俯瞰するような画面に変わっていく。映し出されるのはどこまでも続く砂漠であった。もうヴァルテルの姿は点のようになってしまい、ボルタクの高笑いだけが響き渡っている。
   ※
 なにぶん古い映画なので記憶が薄れてしまっている人も多いのではと、少し長くあらすじを紹介した。50年以上も前に観たきりだが、一人で歩き始めたヴァルテルがふと振り返ったとき、ボルタクが「真っ直ぐです。真っ直ぐ!」と繰り返した場面、それを聞いて歩き出すしかなかったヴァルテルの複雑な表情は今でも思い出せる。
 アンドレ・カイヤットはフランスの映画監督であるが、原作を書いたヴァエ・カッチャはシリア生まれ。町山智浩の解説によるとカッチャはアルメニア人で、アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教にしたことで知られるが、19世紀末のオスマントルコにおいてアルメニア人の大量虐殺事件が起き、難民が世界中に広がったという歴史をもつ。カッチャの両親もそうした難民の一人だったという。
 「眼には眼を」はハムラビ法典にあり、行き過ぎた刑罰や報復を規制し、法のもとに裁きを決するという罪刑法定主義の原点であるとされる。だが、キリスト教の「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と比較してみれば、報復が果たされなければ済まされない鉄の掟のようなものの存在を感じもする。
 ボルタクはすでに自分の死は覚悟してヴァルテルを砂漠に連れ出したのではないのだろうか? 手当を期待するだろうとボルタクを負傷させたヴァルテルには決定的な誤算があったのではないだろうか? 
 ボルタクの妻の治療はヴァルテルの自宅では無理だったのであり、ボルタクの復讐心は理不尽であるというのは一応いえる。だが、ボルタクの心の中には統治国として君臨するフランスに対する被差別意識もあったのではないか?
 映画のラストは復讐の連鎖がいかに不毛であるかを表現しているのかも知れない。だが、幼心にも私の感情の移入先はボルタクの方にあり、その執念に対する恐れ以上に、亡き妻に対する愛情の深さを思ったのだった。

(もう一つの解釈の可能性を考えた。イスラーム世界ではということなのか、砂漠の民はということなのか忘れてしまったが、かの地では本当に困り、助けを求めている者には救いの手を差しのべてやらねばならないというルールがあるそうなのだ。乏しい食料や水であっても必ず分かち合うという。砂漠を生き延びるための知恵なのだろう。そうすると、復讐というより、その救援の手を拒んだヴァルテルに罰を与えようとした、という映画なのかも知れない。そういえばボルタクは最後に残った水筒の水をヴァルテルにすすめ、中味を疑ったヴァルテルが断ると自分で飲み干してしまうのだった。今日の文化摩擦と同じ性質の問題意識が底流に流れているとも考えられる。)


by yassall | 2018-04-07 11:46 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

今年の発句

謹賀新年

  近江路を旅行く人の背も涼し
  水の辺に憩ふ客あり声残る

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 もう今年は続かないかと冷や汗をかきながら、昨年末もやっと二句。これでもあれこれ推敲しながらやっと落ち着きました。旅行く人、水辺に憩う客は、道ですれ違った人、一歩先を歩いて、ふいと角を曲がって行った人ばかりでなく、あるいは古人の幻であってよかったのかも知れません。



by yassall | 2018-01-05 00:04 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

一年を振り返って

 今年も暮れようとしている。このところ、主に一年間の読書を振り返ることで、今年考えたことなどをまとめている。ところが今年は系統だった読書どころか、読みかけになった本も続出で、到達点はもちろん現在地点でさえ見失いがちである。
 退職したての頃、確かにある種の期待感があった。時間的にも人間関係上でもフリーになることで、ものごとを自由に考えることが出来そうに思えたのである。だが、まる7年もたつと次第に自分の中でチリのように積もってくるものもある。7年前はすでに自分にとって過去になりつつあるのである。
 また、体調に不安があるときなど、じっと自分の身体と相談しているなどという時間も増えてきた。容易に前に進めないぞ、という感じがあるのである。
 それでも、停滞と充電との区別くらいはつくつもりでいるが、どこかで流れが滞っているとしたらそれがどこかを突き止めることは出来るかも知れないと、何冊かだけでもメモに止めておきたい。

 木村敏『自己・あいだ・時間』ちくま学術文庫(2006)
 木村敏『自覚の精神病理学』紀伊國屋書店(1978)

 木村敏は精神科医にして精神病理学者。本を読むきっかけになったのは志木高時代の知人であるTさんの推薦による。Tさんらと3月に1回程度のローテーションで読書会を開いていることは以前にも紹介した。Tさんは今も大学でカウンセリングの講座を持ち、またカウンセラーとして活動されている。現役時代からの研鑽のたまものだと思う。そのTさんから読書会のテキストにどうかと提案があったのだ。
 木村敏の方法はフッサールやハイデガーといった現象学や実存主義、ときには西田哲学を援用しながら、精神疾患を人間学的に理解していこうとするところにある。さらにいえば、精神医学史を再検証し、西洋的二元論を克服するための理論構築をめざして行こうとしている。
 今回は分裂病(※)理解を中心とした。分裂病については高校時代に宮城音弥の書物で初めて知った。以来、とくに芸術と狂気の関連についての関心から、折に触れて本を読んだりした。30代のころだったか、荻野恒一の「現存在分析」理論に強く引かれ、何冊も本を読んだ記憶がある。
 とはいえ、継続的に研究を深めてきたわけでもなく、Tさんのようにカウンセラーとして疾患に直面してきたわけでもない。木村はノエマ・ノエシス(ただし、木村はフッサールの用語とは異なるとしている)、間主観性、「あいだ」、「共同世界」、habenとSein、アンテ・フェストウムとポスト・フェストウム(時間性)などの用語を駆使して理論を構築していく。たいへん刺激的で興味深い論考であると思ったが、その正しさがどの程度担保されるのかについては私には断言できない。
 木村は、分裂病は「対人関係の困難」ではなく「自己の個別化」の失敗が原因であるという。説得力に富んでいるが、木村自身も述べているように、完全な達成か挫折かを相互排除的に分けることは困難であろうし、他の精神病においても大きな意義を持つとすれば分裂病に固有の病因であるかどうかも断言できない。分裂病の中心的症状が「自閉性」にあるのか「妄想性」にあるのか、固有文化や時代背景は発病や病像に影響を与えるのかどうかも私は確たる認識にはいたっていない。
※病名としての「分裂病」は現在「統合失調症」に変更されている。ここで「分裂病」の用語を使ったのは書物で使用されたままを使ったということである。なお、森山公夫の書物で知ったのだが、「分裂病」の名の起こりは「連想心理学」が主流であった時代に、正常な「連想」の働きが断ち切られているという認識からであった、ということだ。とすれば、語感の違いはあるものの、「統合失調」と言い換えても病像の捉え方までもが変わった、ということではないような気がする。
 なお、これは木村の著作のみからの知識ではないのだが、分裂病を「疾患単位」としたクレペリン・ブロイラーの流れに対し、「汎精神疾患論」・「単一疾患説」を提唱する人々も存在する。精神疾患を広く「共同性の危機」と捉え、その現れ方によって多様な症状が顕れるという説などである。

 塩川伸明『民族とネイション』岩波新書(2008)
 井上寛司『「神道」の虚像と実像』講談社現代新書(2011)

 『民族とネイション』は上記の次の読書会で私からテキストとして取り上げてもらった。レポーターはもちろん私がつとめた。
 日本ばかりか、世界中に蔓延しようとしている自国中心主義・排外主義の根底にはナショナリズムがある。たとえば民族解放をかかげて戦われたベトナム戦争時、ナショナリズムは善であった。塩川もナショナリズムはさまざまなイデオロギーと結合すると述べているのだが、今日の反知性主義・歴史修正主義と結びついたナショナリズムはいかにも気味が悪く、かつ危険である。
 そのようなナショナリズムと対抗するために、まず学問的な基礎知識を得たいと思ってテキストにした。塩川のいうとおり、当初は何らかの政治的意図をもって「作られた」としても、大衆化したナショナリズムはときとして制御不能になり、暴発する危険性を秘めている。ナショナリズムに対抗、あるいは制御のためには、その正体を知ろうとすることが大切だと考える。
 次の『「神道」の虚像と実像』もその関連で読んだ。古代において日本では「神」は依り代にそのつど降りてきてもらうものであって、「神社」に常駐するものではなかった、「神社」の建設は仏教の影響とそれへの対抗によるものである、というところからはじまる。「神社」神道もナショナリズムと同じように、他の国家への対抗として歴史的に作られて来たのである。
 関連本ということでは、読みかけではあるが、

 立花隆『天皇と東大』文春文庫

 がある。明治国家建設のために近代天皇制が「作られた」ように、東大も日本の近代化をすすめるための装置であった。「天皇機関説」問題にみられるように、学問の世界でも国粋主義の嵐は吹き荒れていたのである。

 真継伸彦『鮫』河出文庫
 真継伸彦『無明』河出文庫
 真継伸彦『光る声』新潮文庫

 今さらながらこの夏には真継伸彦の小説をいくつか読んだ。書店では手に入らなかったので、Amazonを通して古書を取りよせた。前三作では主として浄土真宗をめぐっての信仰の問題、『光る声』では政治と党派の問題が掘り下げられていると思った。

 真継伸彦『心の三つの源泉』河出書房新社(1989)
 
 なども読んだし、つぎの本も同書に紹介されていたことから読んだ。

 胡桃沢耕史『黒パン俘虜記』文春文庫

 他に小説では帚木蓬生が筆力も確かであり、ミステリー仕立てではあるが、取り上げられている題材も興味深いものであった。薦めてくれる人があったからだが感謝している。

 帚木蓬生『聖灰の暗号上下』新潮文庫
 帚木蓬生『白い夏の墓標』新潮文庫

 平野啓一郎『透明な迷宮』新潮文庫

 平野啓一郎にはなかなか手が出なかったのだが、この本を読んで若手の中では筆力に確かなものがあると感じた。
  ※
 来年は柄谷行人『世界共和国へ』で得た見地をもう少し深めてみたいことと、原点に返って日本近代文学の見直しを再開したいと今は思っている。


by yassall | 2017-12-31 16:45 | 雑感 | Trackback | Comments(0)