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カテゴリ:本( 34 )

宇都宮健児『自己責任論の嘘』

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 若い人にすすめたい本だと思った。
 著者は弁護士で前回と前々回の都知事選に立候補した。私は都知事選では支持したが何か義理を感じたわけではない。新刊書コーナーに並んでいたのを最初はパスしたくらいだった。だが、変ないい方だが、読んでみると予期した以上にしっかりした内容だった。
 クレジットとサラ金をあわせて「クレサラ」というのだそうだが、全国クレサラ生活再建問題対策協議会副代表、反貧困ネットワーク代表世話人として活動を続けて来た人らしく、問題解決という観点で実践的であり、かつ理論的にも堅固なものを感じた。

 実践的というのは、まず根拠となる数字をあげて、サラ金による多重債務は「借り主責任」(どうせギャンブルや遊興費に使ったのだろう」)が成り立たたず、貧困問題が根底にあることを明らかにしている。
 (日本弁護士連合会による「自己破産原因」調査によれば、ギャンブル1.91%、浪費・遊興費3.7%であるのに対し、生活苦・低所得23.3%、病気・医療費7.83%、失業・転職7.64%が主原因であり、保証債務(第三者の肩代わり)10.18%、事業資金9.15%が上位を占めるという。)

 問題解決の観点とは、クレサラ運動の成果として2006年「貸金業法」の改正を実現させた。その後、年間3万人を越えていた自殺者が3万人を下回るようになった(まだ多いが)。サラ金業者の加害者性に加え、これを野放しにしてきた法制度の欠陥があったことが明らかになった。(そういわれてみると、最近駅前からサラ金の看板がなくなってきた気がする。)

 理論的な支柱となっているのは日本国憲法である。第25条は次のように謳っている。

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

 ところが、片山さつき衆議院議員にいたっては2012年に開催されたトークイベントでつぎのように発言したという。

 「生活保護というのは日本の文化からすれば恥です。人様の税金で生活しようとするのですからね。それがいいことなんだと、権利を謳歌しようなどと国民が思ったら、国は成り立たなくなる」

 これが東大法学部を卒業し大蔵省主計官を経て国会議員となった人物のいうことだろうか、と著者は指弾する。「社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」立場を棚に上げて、生活保護をやむなくする人を「恥」だだと切り捨てることことが「自己責任論」の正体なのである。

 こうしてみると、日本国憲法を敵視し、これを「改正」したいという真のねらいも見えてくる。その「改憲」論の論拠のひとつになっているのが、いわゆる占領下における「押しつけ憲法」論だが、帝国議会内での審議から国会が二院制になったなどGHQ側から提示された案そのままではなかったし、日本側での議論があって現憲法が公布・施行されたことなども書き込まれている。憲法改悪の動きはこれから本格化していくだろうから、これも大事な視点である。

 若い人にすすめたい、といったのは、非正規雇用が労働人口の3人に1人、年収200万円以下のワーキングプアが1000万人超、残業代0法案、生活保護の切り下げという過酷さがこれから世に出ようという世代を待ち受けているからだ。「正社員になれないのは自分にキャリアがないから」とか、「仕事を覚えるまでは残業代がなくてもしかたがない」などという「自己責任論」は何としても打ち破らなければならないし、この本はそのための強い武器になるに違いない。

 都知事選奮戦記にも1章が割かれていて興味深く読んだ。いわゆるリベラル層というと比較的中高年齢層に多い気がするが、意外と若年層にも支持が広がり、街頭で練り歩きなどをしていると「あ、ウツケンだ」と中高校生まで声をかけてきたという。聞くところによると、若い世代に影響力のあるロックバンドやDJが宇都宮さんを応援していたのだそうだ。
 これも「年越し派遣村」村長をつとめるなど、運動の先頭に立ってきたことが多くの人の目に映ってきたからなのだろうと思った。

 (途中で読むのが嫌になられたら「若い人にすすめる」も何もないので、短く書こうと思ったがやはり長くなった。でも、もっともっと紹介したい内容がたくさんある。一読二読に値すると保証する。)

宇都宮健児『自己責任論の嘘』ベスト新書(2014)  KKベストセラーズ


by yassall | 2015-02-06 19:22 | | Trackback | Comments(4)

一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』

 この8月に『日本軍と日本兵』(講談社現代新書)を読んだ。太平洋戦争中に、米陸軍軍事情報部によって内部向けに刊行された『情報広報』に掲載された日本軍に関する解説記事をもとに、交戦国からみた日本軍および日本兵の特質を明らかにしようとしている。
 その冒頭に、日本軍の捕虜となった米兵(後に解放された)が目撃した、日本の軍隊内部の激しいリンチのことが紹介されている。
 「私は兵が殴られて気を失い、宿舎へ運ばれていくのを見たことがある。あるときなどは大尉が兵の睾丸を蹴るのを見た。上級の者はそれがささいな怒りによるものでも、いつでも罰を加える権限を持っている。」
 この書によらずとも、旧日本軍隊内におけるリンチの実態には多くの証言がある。では、なぜことさらここで話題にするかといえば、海上自衛隊における「いじめ自殺」事件との類似に注目せざるを得ないからである。
 現在の自衛隊においては、もちろん戦前のような「新兵教育」に名を借りたリンチは「建前上」は認められていないだろう。だが、軍隊内部において、「上級」にある者が「下級」にある者を、ほしいままに暴力の対象とするというのは、構造的に慣習化してしまっているのではないだろうか?
 どのような人間であっても、銃弾が飛び交う中に身をさらすのは重大な恐怖である。日本兵がそれでも前線に向かったのは、「上官の暴力を嫌って」と「ここで逃げ出したら故郷の親族がどんな目に遭うかわからないから」であったという。
 戦争は「理性」には従わない。人間を死地に追いやるには、「理性」ではなく、「不合理」や「不条理」が大手をふっていることが日常である必要があるのだろう。何も日本軍に限った話ではない。韓国でも軍隊内部の「いじめ」が問題化したばかりだし、米軍でも基地内での乱射事件やレイプ事件があとを断たない。
  ※
 今日、内閣が改造された。いよいよ「戦争が出来る国」づくりの準備が本格化する。だが、「戦争が出来る国」になるためにはどのようなことが起こるのか、今こそ歴史に学ぶ必要がある。
  ※
 本書では、太平洋戦争でも有数の激戦地となった「硫黄島の戦い」でとられた「徹底抗戦」作戦が、いわれるような栗林大将の創案ではなく、「白兵突撃」戦法による消耗を避けるために大本営が作戦変更を指示したものであること、「硫黄島」の前段にパラオ諸島の「ペリリュ-島」の戦いがあったことが紹介されている。
 もちろん、それは兵の「無駄死に」を避けるためではなく、少しでも戦闘を長期化することによって時間稼ぎをするためであった。
 日本軍側の作戦変更にともなって、米軍側も日本兵が立て籠もる洞窟を火炎放射器と手榴弾でしらみ潰しにしていく作戦をエスカレートさせ、やがてそれは焼夷弾による日本本土への無差別な空爆につながっていくのである。

一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』講談社現代新書(2014)


by yassall | 2014-09-04 00:54 | | Trackback | Comments(5)

米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』

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 米原万里(1950-2006)、日本共産党常任幹部会委員・衆議院議員であった米原昶の長女として生まれた。父親が日本共産党代表として『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任されたことにともない、一家でチェコスロバキアに移住、9歳から14歳までをプラハのソ連大使館付属学校(ソビエト学校)に通った。その後、曲折をへて東京外語大・東大大学院で露語露文学を学び、同時通訳として活躍しながら、文筆生活に入った。

 米原万里については亀山郁夫+佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』で知った。両氏とは個人的にも交遊があったらしい。両者が両者ともに高く評価し、その死を惜しんでいる。
 二人の対談を読み終えた後、どうしても気になってamazonで著書をとりよせた。『不実な美女か貞淑な醜女か』(1995年読売文学賞)、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(2002年大宅壮一ノンフィクション賞)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(2003年Bunkamuraドゥマゴ文学賞)の三冊である。文庫になってからだけでも『不実な』が26刷、『嘘つき』が19刷を数えている。長編で重いテーマを扱った『オリガ』でも4刷である。なぜ、これまで著者を知り得なかったのだろう。わが不明を恥じる。

 どうしても気になった理由には、生まれ年こそ1年違うが、学年でいうと同学年となることがある。もちろん著者の経歴からして、学舎を同じくするなどということはあり得なかっただろうが、強い同時代性を感じた。
 『嘘つき』の登場人物が少女時代に起こったキューバ危機、プラハの春、中ソ論争などについては、訳も分からないなりに、何かたいへんなことが起こっていると自分の生育歴の中で感じ取ってきたことだし、後年になって自分が生きている時代がどんな時代かを考える上で歴史をたどり検証せざるを得ない出来事だった。
 少なくとも1980年代までは世界を社会主義圏と資本主義圏との冷戦構造としてとらえる枠組みは生きていたと考えて来たが、ベルリンの壁の崩壊から一気にすすんだ東欧・ソ連の解体、その後に残った社会主義国ですすむ市場経済化は世界観の変更をせまるものであった。
 おそらくは私などよりははるかに身近に、内実に深く関わり、それらを見続け、的確に分析し得たのであろう著者がどのようにそれらの出来事を語るのか、私には強くひかれるものがあったのである。

 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は1980年代に東欧の共産主義政権があいついで倒れ、ソ連が崩壊した後、ソビエト学校時代の友人ギリシア人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビアのヤースナの3人を探し歩いた記録である。ノンフィクションとあるが、少女時代のエピソードをからめ、生き生きと人物像が浮き彫りにされて、小説を読んでいるような気にさせられる。それぞれの祖国とそれぞれの人生がかかえている難問も容赦なく描き出されていくのだが、それにうち拉がれている様子はみじんもない。彼女たちがエリートであったということをおいて、三人三様に、したたかに自分の人生を切り開いていく。

 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を先に読み、そのあとで『オリガ・モリソヴナの反語法』を読んだ。執筆順というだけでなく、順番として正しかっただろう。
 『嘘つき』と同様にソビエト学校体験を時代的背景としながら、スターリン時代の闇にまでせまっていこうとする。ノンフィクションという形式では書ききれなかったこと、『嘘つき』で描こうとしたことをさらに深めようとしたとき、フィクションという表現を選択するしかなかったのだろう。
 ただし、予め断っておけば、小説としてたいへんよく書けていて、著者の才能を疑うべくもない。謎解きという点では推理小説という要素もあり、旧ソ連からの脱出シーンではサスペンス小説としての要素も兼ね備えている。小説としては処女作とはとうてい思えない達者ぶりである。
 Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞したときの選考委員である池澤夏樹との対談が文庫本には収められているのだが、著者は「池澤さんの書かれたものを読むと、自分はいつもこけおどしで、ひどく大げさな言葉を使いながら、あまり大したことをいっていないなあと恥ずかしくなります。だから、こういう厳しい目をもった方に選んでいただいたのは光栄です」と謙遜している。読む人が読むと、「書きすぎだよ。そんなに上手くことが運ぶわけがないだろう。」ということになるのだろうが、テーマの重さから考えるとこれくらいの弾みがないとバランスがとれないのではないかと思う。

 さて、題名となっている「オリガ・モリソヴナ」はチェコで現地雇用されたソビエト学校の舞踏教師という設定になっている。作品の冒頭に「オリガ・モリソヴナという教師はプラハ・ソビエト学校に実在しましたが、この物語はすべてフィクション」であると断り書きがついている。「反語法」とあるのは生徒を叱咤する際の独特の罵倒語で、「これぞ神様が与えて下さった天分!」というふうに使われる。だが、彼女の振り付けとレッスンによるダンスは、学園祭で披露されるやチェコのテレビ局が取材にくるほどのレベルの高さであり、ソ連本国から圧力がかかったときにも校長以下全教職員がこれをかばったという。
 物語はソビエト学校在学中にオリガの影響を受け、ダンサーを志した過去を持つ弘世志摩を主人公に、元同級生で親友であったロシア人カーチャ、ロシア滞在中に知り合ったモスクワはエストラーダ劇場のダンサーのナターシャらと、少女時代に垣間見たオリガの謎を解き明かしていくという展開である。その過程で旧ソ連・現ロシアの過去と現在が描き出されていく。

 佐藤優は米原万里を「尊敬すべきヒューマニスト」とよび、亀井郁夫は『オリガ』を「あれだけ共産主義イデオロギー(※)にこだわり、アイロニーにもあふれた人が、何というか、恩寵にあふれた世界を創造できるなんて、神が宿ったとしか考えられない」とまでいいきっている。私はそれらの賛辞が決して誇大であるとは思わない。読む者を作品世界に引き込んでいく力、緻密に構成されたた謎解きのしかけ、最後まで緊張感が保たれながら一時も読者を手放そうとしないストーリー展開、そして読み終わったあと、何か重いものを心の底に残しながら、それを上回る感動があった。
 ひとつだけ紹介する。一切の刃物や紐の類いの所持を禁じられたラーゲリ収容者が、靴紐の留め金をはずし、丹念に磨いて小さなカミソリを作る。それが自由の拠りどころであり証であったというのである。
 ※亀山は「共産主義イデオロギー」と書くが、前後の文脈からして唯物論(無神論)的な立場といった方が適切であるように思われる。

 最後に。作品は「すべてフィクション」ということだったが、著者には高校卒業後、3年間ほど舞踏学園に在学していたという経歴がある。今は翻訳業で生計を立てているという主人公と、どこかで重なり合うところがある。多感でさまざまな可能性に夢を託そうとしていた少女時代があったのだろうし、もしかすると終生その少女の心をどこかで持ち続けていたような人であったのかも知れない。


米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮文庫
米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川文庫
米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』集英社文庫

米原万里『終生ヒトのオスは飼わず』文春文庫(2007、文庫版は2010)
※『終生ヒトのオスは飼わず』は著者の死後に刊行された。ペットにまつわるエッセイと、家族を語ったエッセイとの二部構成になっている。これを読むと「弘世」姓、「志摩」「龍馬」名の由来が分かって、著者の家族愛といたずら好きがしのばれる。また、党籍がどうだったかについても語られている。(この項はあとから)

※こんな記事がありました。(2016.7.4)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ6Z7FPZJ6ZUCLV01N.html?rm=294


by yassall | 2014-06-01 15:09 | | Trackback(1) | Comments(2)

亀山郁夫+佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』

  先週末、3日間ほど入院することになった。理由はあまり書きたくないのだが、治療というよりは処置というのに近く、オペの翌日には退院となり、差し支えなしとのDr.のお墨付きも得てさっそく晩酌も再開した。いまいましいが、大なり小なり身体によって人生が支配を受けるのは誰しものことである。
  さて、短期間とはいえ入院生活の退屈さは知っているので、新書程度の本でも持って行こうと思い、書棚に買ったままになっていたのを取り出したのが本書である。
  ロシア文学者と元外務事務官として旧ソ連大使館に勤務した両者による、ロシア文化と国民性、その歴史と現在を解き明かそうとした書というところだろうか。
  亀山郁夫はともかく、佐藤優という人物は正体不明なところがあり、買ったはいいがそのまま放置していたのもそれが理由のようなものなのだが、読んでみては面白かった。ドストエフスキーを理解するにはキリスト教、それもロシア正教に対する理解が欠かせないのだろうが、同志社大学大学院神学研究科修了という佐藤優が亀山郁夫をフォローあるいはやんわりと修正を加えているというような展開なのだ。
  対談の時期が、プーチンが最初の大統領任期を終え、メドヴェージェフに交代したころで、「2012年にプーチンが再登板」する可能性は低いだろうと予想しているなど、観測外れになっていることはご愛敬というしかない。それでも、旧東ドイツの統合後の状況を目の当たりにしたプーチンは新自由主義経済に対する警戒心を持っており、新ユーラシア主義ともいうべき国家イデオロギーを打ち立てようとしているとの指摘は、最近の中国との接近を暗示させて興味深い。
  亀山はジノヴィエフの「スターリン崇拝は人民権力の一部だった。この崇拝は上から植えつけられたが、それ以上に下から生じてきた」(『余計者の告白』)を引用し、「僕が信頼する唯一のロシア論」という。また、「魂」というと個人に属するものという意味合いが強く、「霊性」ともいうべき民族性が存在するという。
  そこからドストエフスキーにおける「父殺し」のテーマ、さらには「カラマーゾフの兄弟」(亀山は「皇帝殺し」のテーマが隠されているという)における「大審問官」のテーマを読み解こうとする。あまり単純化してもいけないが、「父」なるものの下での一体性(ソボールノスチ)が希求され、「父」による罰をも受け入れる精神性とでもいったらいいのだろうか。「父殺し」はまた「父」の再生でもあるのだろう。
  「ハムレット」にたとえて、レーニンが先王であるとすれば、偽王がスターリン、ハムレットにあたるのがさしずめブハーリンあたりになるが、偽王を倒すにはいたらず逆に粛正されてしまった、というのは分かりやすい。
  極端から極端へ走る「分極性」、「熱狂」と「ユーフォリア」もまた「ロシア的なもの」だといい、さらにはベルジャーエフがロシア人を「終わりの民」と呼んだことにちなみ、終末論的感性に裏打ちされたロシア・メシアイズムが強烈に存在し、「新しい神の王国」の建設に向かう意志として働くという。小国であるチェコがロシアを嫌うのは、その「ヒステリー」的な影響を恐れるからだという。
  ここまでくると、佐藤の方が「一神教には終末論的な傾向が強く認められ、ロシアのみの特性とはいえない」と冷静である。ただし、ロシアにおける一体性は「広大なロシアという大地に点在している共同体が核」になっているという亀山の主張には、佐藤も「ミール(農村共同体)の有機的一体性というのは、ナショナリズムによる民族と国家を一体視するネーション・ステート(国民国家)とは本質的に異なる」として賛意を示している。
  こうして書いているときりがなくなるが、ロシア論という範囲をこえて、なかなか刺激に富む書物であった。

【もう一言】「物語」もキーワードのひとつ。個人が個人として成立するためには物語が必要なように、民族が民族として、あるいは国家が国家として存立するためには物語が必要であるのだろう。だが、それはときとして危険でもある。

【さらに補足】佐藤優について。別な書物で、佐藤氏が県立浦和高校の出身であることを知った。浦高時代に埼大の教授を講師に北浦和の労働会館で開講されていたマルクス主義の学習会に通っていたとのことである。その早熟ぶりは今に伝わっているという。労働会館には会議や集会で何度も行った時期がある。正体不明なのはあいかわらずだが、それだけのことで存在が身近に感じられるようになった。


亀山郁夫+佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』文春新書(2008)


by yassall | 2014-05-27 00:47 | | Trackback | Comments(0)

竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』

 雑学も好きだ。というより、だいたい頭が雑学的に出来ているのかも知れない。いろいろなことに興味・関心はあるのだが、それらの知識を体系的に組み立てていこうとすると、どこかで限界点に突き当たってしまうことがままある。まあ、抽斗をたくさん持っていれば様々な事象に対処できる可能性を増やすには役立つかなと自分をなぐさめている。
 本書もそんな雑学的興味から手に取った。著者は東北大学工学部土木学科修了の後、建設省で河川事業に携わってきた方である。その専門分野においてはむろんプロ中のプロなのであるが、地形という「土台」から歴史を解明できるのではないかという発想から、様々な古地図や気象の記録をもとに仮説を裏付けていこうとしたのが本書である。
 その意味でいうと正篇の方が面白さに長けているのだが、今回とりあげるのは続篇の【文明・文化篇】、それも番外篇にあたる部分である。ずばり本題に迫れば「3.11後」のエネルギー政策への提言に強く引かれるものがあったのである。
  ※
 著者は江戸時代末期まで日本の文明を支えたエネルギーは木材であったとし、奈良から京都へ、さらに江戸に首都が移動していったのは森林が伐採し尽くされ、新たな木材資源を求めてのことであったというのである。徳川幕府は主だった森林を天領とすることで資源確保につとめたが、それでも江戸時代末期には枯渇寸前で、日本は禿げ山同然であったという。
 明治維新後、今度は化石燃料をエネルギーとすることで日本は発展をとげてきた。その間にも、たとえば日清・日露戦争当時の軍艦の燃料は石炭であり、石炭は国内生産できたが、太平洋戦争になると燃料は石油となっていたこと、つまり戦争の目的が石油確保に変わっていったことなどが説かれているのだが、それらははしょる。
 そして3.11を迎えた。今後、日本に持続可能なエネルギー資源は存在するのか? そこで筆者は筆者らしいしかたで解答を出そうとしている。
 森林を生み出したのも太陽エネルギー、化石燃料は貯蓄された太陽エネルギーというのだが、雨もまた太陽エネルギーの産物だといわれると目から鱗という感がある。
 太陽エネルギーの弱点は、エネルギーの絶対量は大きいが、単位面積当たりのエネルギーが薄いことにあるという。太陽光発電や風力発電の分野はそこで苦しんでいるという。
 1898年に来日したグラハム・ベルは、「日本を訪れて気がついたのは、川が多く、水資源に恵まれていることだ」と述べたということが紹介される。日本の山岳地形はそれ自体は小さなエネルギーである雨滴を集中し、川という「強く濃い」エネルギーの源を作り出している。
 結論を急ごう。それはすなわち水力発電ということになるのだが、筆者はすでに大規模ダム建設の時代は終わったことを認めている。それではどうしたらよいのか?
 筆者は、①既存ダムの運用の変更(既存の洪水と利水を目的とした多目的ダムに発電機を設けて水力発電を行う)、②既存ダムのかさ上げ(10mのダムのかさ上げは新しい100mのダムの建設に匹敵し、土木技術的には十分可能)を提案する。下流に副ダムを作ったり、台風の予想などで、ピーク発電や治水対策との両立は可能だという。そして、試算によれば北海道から沖縄までの分散型で、原発9基分の発電量があるという。
  ※
 再生可能エネルギーといったとき、日本の自然条件を活かしたあり方として水力発電と地熱発電がもっと見直されていいのではないかと、素人ながら考えてきた。その意味では我が意を得たりの感があったのと、次のような挿話と出会うと何がそれを阻んでいるのか、正体を見たように感じたのである。
 筆者はJAPIC(一般社団法人日本プロジェクト産業協議会)水循環委員会で委員長をつとめている。3.11以前、この委員会は火力発電や原子力発電を推進する電力会社からうっとしいと思われていたようで、直接クレームをつけに来た電力幹部もいたそうだ。
 おそらくは原発を再稼働させようと画策している勢力からすれば、その「うっとうしさ」は変わっていないのだろう。ひるがえって、筆者の所属する委員会は水力大好き人間たちの集まりなのだそうである。水力大好き人間たちの奮闘に期待したい。

  
竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』PHP文庫(2014)


by yassall | 2014-04-24 01:12 | | Trackback | Comments(2)

木村朗子『震災後文学論』

 震災文学と震災後文学とは明らかに異なる。8.15後の文学が戦後文学であるように、3.11後の文学を震災後文学と呼ぶことには当為性がある。一冊の書物の題名であることを越えて、どこまで一般化するかは不明だが、著者によらなくともいつか誰かによって命名されなくてはならなかった。

 著者は、「問題は、地震でも津波でもない原発事故と放射能汚染にあるのだ」といい、川上弘美「神様2011」がその見通しを最初に示したという。
 地震や津波の被害に限定したとして、東北が復興を遂げられるかどうかについては、私は一抹の疑問をいだいている。少なくとも「元通りになる」という意味ではそれはあり得ないだろうと思っている。町のすがた、産業のあり方、人びとの暮らし方は変わっていかざるを得ないだろう。農業ひとつをとっても、田畑という基盤を失い、後継者が不在であれば、これを「元に戻す」ことが可能であるかどうか、あるいはまた適切であるかどうか。
 戦後の高度経済成長の中で急速に進んだ都市化、および都市への一極集中化の中で、その補完と下支えの役割を担ってきた(いわば都市によって収奪されてきた)「地方」は疲弊し、産業にしろ、人口そのものにしろ、再生産の力を衰えさせている。はからずも3.11はその限界領域の存在を浮き彫りにする結果となった。その意味でも3.11は戦後史といわず日本近代史のエポックとなった。
 ただ、いつの時代にもそうであったように、その土地に暮らす人びとがいて、新しい町のあり方、生活基盤のあり方、共同体のあり方の未来図を描きながら人びとの営みが生まれ、「新しい始まり」を持とうとするならば、いつかは復興はあるだろう。

 だが、原発事故と放射能汚染はそれらとは明らかに異質だ。なぜなら、それは二重の意味で「一過的」であり得ない。放射能汚染は数十年、数百年にわたって持続する。「元通り」に住民たちがそこに居住できるようになることを目指せない、というより目指してはならないのである。
 さらに、日本だけでもなお50基の原発が大量の核燃料をかかえたまま現存している。あまつさえ、新「エネルギー計画」のもと、再稼働への準備が着々とすすめられようとしている。3.11は「一過的」に起こってしまった事件ではなく、未来に起こりえる事件なのである。
 その前と後とは同じではない、それ以前と以後とを同一視してはならず、もしそれを「なかったこと」にしようと企むものがあったら、直ちにその意図を挫いてやらなくてはならない。今までとは異なる時代、新しい世界の中で生きざるを得なくなったのだとすれば、文学もまた変わらざるを得ない。震災後文学という著者の提案に私は賛同する。

 著者の専門は日本古典文学であり、日本文学に関する国際的な研究者の交流の場から、著者の問題意識というより危機感が生まれたようだ。
 本書の第一章に「物語ることの倫理」が置かれるのだが、それは「海外の文学の現場では、日本で起こっていることに敏感だったし、なによりそうしたなかで現れる表現を受け入れる準備が整っていた。」とし、震災後の文学の動向についての質問をよく受けたという。ところが、「それとまったく対照的に日本ではこうした議論が受け入れられているようには思えなかった。こんなときに尻馬にのって何かをいうのは軽薄だと尤もらしくたしなめる人もあった。」というのである。
 その一例として2012年上半期の芥川賞の最終候補作となったいとうせいこう『想像ラジオ』について、高橋のぶ子が「今回の候補作中、もっとも大きな小説だったと、選考委員として私も、蛮勇をふるっていいたい」と述べたということが紹介されている。他の選考委員が、「いとうせいこうともあろう者が、このような安易なヒューマニズムに走るのはどうだろうか」とも述べたという中で、「蛮勇」をふるわなければ支持できないほど孤立した意見であったというのだ。
 それは、いとうせいこう自身による次のような談話とも呼応しているかも知れない。

 
  「この小説の第二章に「当事者でないものは語るべきではないのか」っていう論争があるんだけど、まさにあの論争の通り、この小説自体に対して当事者のことを考えて書けよと言われたら僕はもう何も言えないんです。」

 だが、「当事者」であるかどうかを倫理問題としてとらえ、かつ収斂させようとすることは正しいといえるだろうか。それが「尻馬」に乗ろうとしただけなのか、「安易なヒューマニズム」で終わってしまっているかどうかは、作品そのものの価値によるのではないのだろうか。

 本書の指摘によってハッとさせられたことがあった。私たちはよく、「唯一の被爆国日本」といういいかたをする。しかし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニにフクシマが加わったとき、すでにヒバクシャと呼ばれる人びとは世界中に存在していることに気づかなくてはならないのである。それはウラン採掘場、核兵器の実験場とされた地域、原発事故を引き起こした地域に居住している、あるいは何らかの作業のために立ち入った人たちであり、さらには劣化ウラン弾が投下された国の人たちも含まなければならないであろう。
 本書では、オーストラリア北部のアポリジニ、ミラール族の人びとが「自分たちの土地から産出されるウランの取引先のひとつが、東京電力だった。となれば、福島第一原発の事故は私たちにも責任の一端があることになる」という趣旨の手紙を国連事務総長宛に出したことが紹介されている。
 私たちは、自分が「当事者」でないことでストイックであろうとすることより、自分もまた「当事者」であるという意識を呼び覚まされることによってこそ「倫理」的である得るのではないだろうか。

 そして、新しい何かが始まるはずだ、社会のあり方、人びとの生き方、産業も、教育も、そして文学も変革されていかなければならないし、そうなるはずだと確信した人は少数ではなかったのではないだろうか。
 筆者は、「はじめは短編小説が多かったが、読んですぐに、何かがはじまっているという感じを受けた。それは次第に、新しい文学が興っているという確信になっていった。」という。そして、「二年が経ち、長編小説がでるようになって、震災後文学という一つのまとまりとなって見渡せる準備が整ったと感じた。」といい、本書を刊行しようとした動機を次のように語るのである。

  「津島祐子『ヤマネコ・ドーム』、辺見庸『青い花』を読んだときに、ここで一度区切りをつけて日本文学を研究する者として「震災後文学論」をまとめておかなければならないと感じたのである。」

 筆者は、「最も本質的なところで腑におちるかたちでわからせてくれるような深いことば。決して裏切ることのないことば。最も信頼できることば。それが文学のことばなのだ。」とし、「まだまだ読むべき小説がたくさんある。そう考えるだけで世界はまだ信頼に足るものだと思えるのである。」ということばで本書を結んでいる。
 そこには3.11後の新しい希望の語り方がある。

 以前に取り上げた小森陽一『死者の声、生者の言葉』と同じような問題意識によって書かれた書物であるが、3.11後に書かれた作品に限定(一部に前史的な作品も含む)し、より網羅的に震災後文学の見取り図を描こうとしている点ですぐれている。労作だと思う。私はこの後、藤井貞和『水素よ、炉心露出の詩』大月書店を読んでいる。


木村朗子『震災後文学論』青土社(2013)


by yassall | 2014-04-13 18:21 | | Trackback | Comments(0)

天野祐吉『成長から成熟へ』

 natsuさんは本当に面白そうに本の紹介をする。この本なんかも、たぶんnatsuさんのブログを読まなければ手に取ることもなかったかも知れないが、確かにダンディズムを感じさせる文章だな、とまずは紹介文の方に共感させられてしまう。読んだのはずいぶん前だったのだが、下書きのままなかなか書き進められなかったのは「何か付け加えようとするとダサくなる」という気になってしまうからだ。
 広告畑の人というと、感性の人というイメージでとらえていた。本書を読んでみるとそれは間違いであることがよくわかる。
 広告の対象は商品であり、販売の促進を目的としている。広告の歴史は資本主義の発達史である。広告は人間の欲望の映し鏡であり、ときには欲望そのものを生みだし、喚起しようとする。「計画的廃品化」とか、「人生は広告を模倣する」とかという文言で解読されると、広告がいかに大量生産・大量消費というシステムと分かちがたく結合しているかがわかる。
 では広告は資本主義の下僕として人びとの消費行動を煽って来ただけなのかというと、そうでもなさそうなところが面白い。
 「ほしいものが、ほしい」(糸井重里)は必要よりは消費そのものへの衝動にとりつかれてしまった飽和した社会に対するアイロニーであるし、「『人間』らしく/やりたいナ/『人間』なんだからナ」(開高健)はそうして肥大した欲望が人間性そのものを食い破ってしまうことへの抵抗である。二つのフレーズには広告をこえて、人びとを我に返らせる力がある。
 さて、それらのことは本書を読んでみてもらうとして、今回私がとりあげようと思ったのはつぎのような引用と出合ったからである。

 「大きな災害や事故が起きると、すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペースが生まれる。いま日本はまさにその時だが、もたもたしていると、そのスペースはまた閉じてしまう。」(ジョン・ダワ-)

 広告という窓から日本の戦後史を見続けてきた筆者は、これから進むべき針路について大事な提言をしているように思う。
 3年前、多くの人びとが「すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペース」が生まれたのを感じたはずだ。だが、そのスペースは「また閉じて」しまおうとしているのだろうか。
 「同じ日本語を使ってもことばが通じ合わないような国にしてしまったんですね。」とさらりと言ってしまう筆者ではあるが、日本は「別品」の国であれとも書くのである。
 本書を出版した直後に筆者は急逝してしまうのだが、きっと「大事なことは伝えた。あとは託したよ」とでも呟いて飄然と旅立って行ったような気がする。

天野祐吉『成長から成熟へ』集英社新書(2013)


by yassall | 2014-03-31 13:30 | | Trackback | Comments(0)

小森陽一『死者の声、生者の言葉』

 「文学で問う原発の日本」が副題である。筆者小森陽一は九条の会の事務局長として知られているが、講演を聞いてみると、裏方というよりは仕掛け人である。元来は国文学者であるこの人らしい本書も、目配りのきいた現状分析のもとに、明確な意図をもって書かれ、出版されたのだと思った。
 藤井貞和の文章にふれながら、「福島県内」で「ますます」「進行」の度合を高めている「深刻な言葉のタブー」を指摘する。

  悲しみや恐怖の記憶につながる感情の喚起は、現時点での自己の無力さを強く浮かびあがらせる。言葉を排除しようとする人びとはそこを見たくないのだ。

 「解決のしようのない放射能災害や、風評被害や、内部被曝のおそれが拡散」するなかで、深い共感なしに、それを批判することはできない。
 だが、問題はそれをいいことに、福島原発事故にもっとも重い責任を持ち、対策に力を尽さなければならない立場にあるものたちが、人びとの記憶から遠ざけ、風化させてしまおうと企んでいることだ。
 私が読みとった「意図」とは、「フクシマ」の記憶を風化させない言葉をどのように語り継ぎ、構築していくかの探究である。

  「三・一一」後の、すべての「災厄」に「立ち向かい」続ける言葉を、どのように生み出すことができるか。私たちは言葉による表現の実践を続けなければならない。そのためにも光る表現に出会わなければならない。


 このように書く筆者は、「想定外」やら「完全にコントロールされている」などの虚偽の言葉に対抗するために、「言葉とその意味に対する厳密な、徹底して論理的であることによって倫理的ともなる姿勢」が必要なのであり、「悪夢をはるかにこえた現実」に立ち向かうには「詩と文学の言葉に支えられた想像力が不可欠」だというのである。

 本書でとりあげられた詩人や作家(あるいは文学者以外の人)たちは、若松丈太郎、和合亮一、藤井貞和、金時鐘、みちのく赤鬼人、高橋源一郎、大江健三郎、大石又七、川上弘美、井上ひさし、宮沢賢治、高木仁三郎、夏目漱石、いとうせいこう、林京子、加賀乙彦である。(他にもいたかも知れない。)
 3.11後に書かれた作品や文章とは限らない。あたかも未来を予見していたかのようであったり、新しい「光」を放つものとして再発見された表現も含んでいる。
 なかでも、3.11直後に書きかえが行われた川上弘美の「神様2011」や、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」から科学と宗教と文学を問うた論考などに力が入っていた。
 夏目漱石の「現代日本の開化」では、通常は「内発的」であった西洋の開化と「外発的」であった日本の開化を比較し、日本的近代の問題点を解明した評論として読まれるのだが、筆者は別に「積極的」開化と「消極的」開化との対比があり、4回の連続講演会を一貫したテーマとしての文明批評があったのだという。それは全面的な人間能力の発展をめざした「積極的」開化に対し、「効率」をめざした「不精者」の発想による「消極的」開化の違いであるとし、つぎのように書くのである。

  人間にとっての「労働」は対象としての自然に目的意識的に働きかけ、変化させ、生産を行う、こうした生産労働を通じて人間としての能力を高めていく。しかし資本主義体制下においては、「労働」が「他人本位」の、他人のための物を生産することになり、本来の「労働」の在り方を喪失してしまうことになる、という考え方に漱石も立っていたのである。

 漱石の「自己本位」の思想をもう一度見直す必要にせまられるような見地であると思った。

  「死者と共にこの国を作り直していくしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなっちゃったんだ」
  ……
  「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」

 筆者は最終章「死者との対話を持続するために」で、いとうせいこうの「想像ラジオ」からこのように引用する。
 そこに、林京子の「長い時間をかけた人間の経験」、大江健三郎の「取り返しのつかないものを、取り返す」と共通するものを見いだそうとする。

  不定性の確立とは、
  なまなかの希望に対してはもとより、
  いかなる絶望にも同調せぬことだ……
  (略)
  小さなものらに、老人は答えない。
  私は生き直すことができない。しかし
  私らは生き直すことができる。

 『晩年様式集』に再録された大江自身の詩の一節である。大江は「自分は遠からずいなくなるが、しかも人間は生き直すことができると確信する感じ」とインタビューで説明しているという。
 筆者は絶望(のみ)を語ろうとしているのではない。どのようにしたら希望を語り得るのかを探究しているのだと思った。

 ※本の紹介のしかたが一面的になった。「論理」と「倫理」との結合を提起していた通り、背景としての戦後社会と原発、九条と安保体制との関連についてもきちんとした分析がなされ、押さえるべきが押さえられていると思った。

 ※前回紹介した長谷川三千子『神やぶれたまはず』は本書を書店で探していて、偶然同じ書棚にあったのを手にしたのだった。順序が逆になってしまった。遠回りをしたものである。

小森陽一『死者の声、生者の言葉』新日本出版社(2014) 


by yassall | 2014-03-25 18:01 | | Trackback | Comments(0)

長谷川三千子『神やぶれたまはず』

 1
 読んでみようと思った動機から書く。日本会議のメンバーであることは知っていたが、個人としての信条はともかく、NHKの経営委員となってからの言動には否定的にならざるを得ない。だが、丸山真男流にいうならば「イデオロギー暴露」ではなく「内在批判」のためにはその著作を読んでみる必要があるだろうと考えたことがひとつ。さらに、本書でとりあげられた折口信夫、橋川文三、桶谷秀昭、太宰治、伊東静雄、磯田光一、吉本隆明、三島由紀夫という人びとが、私自身もある時期において引き寄せられたり、少なくとも強い関心の延長にあったからである。以前にも書いたが、同じ著者の『日本語の哲学へ』は今も好著であると思っている。同じような明晰さと切れ味をもってこれらの作家や評論家を論じたらどのようであるのか、若干の期待もあった。
  ※
 初発の読後感を書く。これは評論ではなく、「神学」の書であると思った。プラトンが『国家』で述べたという「詩人追放論」を思い出した。橋川文三からの孫引きなのだが、カッシーラーによれば「プラトンが戦い否定するのは、詩それ自体ではなく、詩のもっている神話を作る機能」なのだそうだ。まさに、本書では新たな「神話」が作られようとしている。そして、美学と政治とが混同されていく危険を思った。
  ※
 たとえば、筆者は「大東亜戦争は…他の手段をもってする政治などではなく、ある絶対的な戦争」であったとする。(別な箇所では「普通の戦争」といういいかたもしているのだが。)これはもちろん「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」としたクラウゼヴィッツの『戦争論』を踏まえている。だが、日中戦争・太平洋戦争が日本資本主義の国内的矛盾の対外的解消のために引き起こされ、あらゆる外交的手段の行き詰まりの果てに破局への道を踏み出していったことは、多少とも歴史を学んだ者には自明のことではないだろうか。

 2
 一国の歴史には「その意味を知ることが、その国の歴史全体を理解すること」になるような「特別の瞬間」がある、というのは理解できるような気がする。
 筆者は「昭和二十年八月十五日」以来、日本は一種の「麻痺状態」にあり、「歩みを止めている」という。だから、「"戦後"が終わらない」のだとする。
 8.15を境に、近代日本史が戦前と戦後に分かれ、私たちが生きる時代を「戦後社会」といい続けるのは、それだけ重大な日であったことは確かだ。
 ただ今日、「戦後社会」を日本が民主主義社会として生まれ変わった社会としてのみとらえていいのか、という問いは厳然として残っているように考える。それは戦後的価値の一切、とりわけ民主主義の価値を否定することとは限らない。むしろ、民主主義がどこまで本物として(日本の風土に根ざしたものとして)育っているのかの問いでもあると思う。
 少し先回りをした。筆者は次のような引用によって「特別な瞬間」の存在を例証しようとしている。

 「(終戦の詔書の)御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬」「国民の心というものが紛れもなくあの一点に凝集された」(河上徹太郎)
 「多くの日本人がおそはれた”茫然自失”といはれる瞬間」「言葉にならぬある絶対的な瞬間」(桶谷秀昭)


 なかでも、太宰治が「トカトントン」で、「つめたい風が吹いて来て、さうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くやうに感じました」と、桶谷秀昭の「垂直に天にむかひ地に潜行する運動」との類似に注目し、水平的な時間の流れとは異なった、垂直的な「歴史意識」を見いだそうとしている点は立場の違いをこえて説得力を感じる。
 8.15が戦前・戦後の結節点であり、そのどちらかを無化する(なかったことにする)ことは出来ないという視点は、そのどちらの価値観に立つかは別の問題として重要だろう。
 詳しくは述べないが大澤真幸『不可能性の時代』や吉田司『王道楽土の戦争』も、戦前的な価値の否定を急ぐあまり、その検証を怠ったため、かえって地下水脈のように戦前がそのまま生き残ってしまっていることを指摘している。
 戦後の「繁栄」があったとすれば、その「繁栄」の恩恵を享受する者はつねに戦争で死んでいった者たちへの「後ろめたさ」から逃れられないように。
 だが、戦前を「なかったこと」に出来ないのと同じように、戦後および戦後を生きた日本人も無化することはできまい。それを「麻痺状態」として切って捨てることはかなわないのである。
 大宰は「トカトントン」で、

 「悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑きものから離れたやうに、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持ち」

 を告白する。
 この「白々しい気持ち」という虚脱感からどのようにして立ち直るかが、戦後の日本人の最初の課題であったことは確かだろう。また、急激に変化しようとする価値観へのとまどいや違和感を読み取ることも間違ってはいないだろう。だが、同時に「憑きものから離れたやう」と書かれている点も無視することはできない。少なくとも、もう一度「憑きもの」に憑かれることが失われた自己を回復することにはならないはずだ。

 3
 本書が「神学」論的な様相をあからさまにしていくのは三島由紀夫を論ずるあたりからであるが、その前段では大宰の「トカトントン」からの次のような引用がある。

 「死なうと思ひました。死ぬのが本当だ、と思ひました。」

 それは桶谷秀昭の次のような特異ともいえる二分法とも連関していよう。

 「八月十五日からこの半月のあひだに、詔書を奉じ、国体護持を信じて生の方へ歩き出した多くの日本人と、すべてがをはったと思ひ生命を絶った日本人との結節点を象徴してゐる」

 では、二・二六事件を題材とする三島由紀夫の「英霊の聲」はどこに結びついていくのか。能を構成的な道標としながら作品を読み解いていく手際については端折るとして、三島の「怒り」はまた「神の死の怖ろしい殘酷な実感」であり、それは二・二六から八・一五を通底するものだというのである。
 三島もそうであったといわれるが、吉本隆明も「私は徹底的に戦争を継続すべきだという激しい考えを抱いていた」という。三島の場合、それは神とともに死ぬことによる「神人対晤」の「至福」の瞬間への希求であり、天皇の「人間宣言」はその裏切りであったというのである。
 それは、伊東静雄を論じた箇所では、「死を奪われ、「生の宣告」を受けてしまった者の目にうつる、世界の異様な姿」とも言い換えられ、「旧約聖書」で神に息子を生贄として差し出すように命ぜられたアブラハムを描いた「イサク奉献」について次のように述べることで補強される。

 「自らの死を神に与えようとしてゐる者にむかつては、神は中止命令をだしてはならない」

 ただし、筆者は三島と同様に天皇を批判しているかといえばそうではなく、西洋の神が「死ねない」神であるのに対し、天皇は「死ねる」神であり、「自分はどうなってもよい」という決意に裏打ちされた「終戦の詔書」によって、「天皇の「死」と国民の「死」とは、ホロコーストのたきぎの上に並んで横たはってゐた」として掬い取ってしまうのである。
 現人神とは、「現身でありながら、それと同時に、神々の遠い子孫としての神格をそなへてゐる」存在であり、「人間宣言」の後も変わらないとする。戦後、折口信夫が「神やぶれたまふ」として、神道の世界宗教化をめざして「新しい神学」を打ち立てようとしたのも空しい努力であったことになる。

  4
 筆者のいう「絶対的」な戦争という意味は、日本人の誰もが自らの「死」と直面せざるを得なかったという意味ではないのだろうか。
 吉本隆明がまだ学生であったころ、大学に宮本顕治・鈴木茂三郎の他、児玉誉士夫がやってきて講演したという。児玉は「米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみな死んでいて焦土にひゅうひゅう風が吹き渡っているのを見たら連中はどう思っただろう」と発言し、それを聞いて吉本は「ああいいことを言うなあ」と感心したというエピソードが紹介されている。
 吉本はさらに、「家族のためにも祖国のためにも死ねないな」と徹底的に考えた結論として、「天皇のため、生き神さんのため」なら死ねると考えたという。
 国民がみな死んでしまう戦争、国土が焦土と化してしまう戦争が目的化(結果としてではなく)してしまうなら、戦争としては自己矛盾をきたしてしまうことになる。祖国や国益を守るという目的を突き抜けてしまう戦争が成り立つとすれば、確かに「神学」としての戦争でしかあり得ないだろう。
 橋川文三が、ナチスが「我々は闘わねばならぬ」であったなら、日本の若者にとっては「我々は死なねばならぬ」であったと、どこかで書いていた。召集され、戦地へとやられる兵士の、諦観とも美意識とも入り混じった心情としてなら理解できる。
 だが、それは戦争の実態とは遠くかけ離れているのではないだろうか。児玉誉士夫がどのような顔をして大学生の前で講演したのかは知らないが、私たちの知る児玉誉士夫とは、戦時中は海軍の委託の下で物資調達にたずさわりながら資金を蓄え、戦後はその資金(自由党への資金提供は150億円とも)をもって政財界の黒幕として暗躍し、1976年のロッキード事件に際して突如として表の世界にあらわれた人物である。死の間際には「自分はCIAの対日工作員であった」と告白したともいわれている。そのどこに「神学」や「美学」があるというのか。

  5
 述べたいことは初発の感想の通りである。「神学」や「美学」に心引かれないこともない。それらが日本人の精神構造に深く根付いているものであるならば、きちんと検証していくことは必要だろう。だが、それらを「政治」の場にもちこむことの危険にこそ警鐘を鳴らしておかなければならない。
  ※
 最初に書いたように、私としては「内在批判」を試みたつもりであるが、本書を読んいで苦しかったことに、牽強付会とまではいわないまでも、他者の言説を自分に引き寄せ過ぎているように思われてならなかったことがある。
 8.15が「特別な瞬間」であったという例証のひとつとして、

 「あたかも世界終末をまちうけるかのような、不思議な静かさ」

 という橋川文三からの引用があるが、筆者も書き添えているように、橋川の郷里である広島に原爆が投下された後の1週間の心境を述べたものであることがもっと強調されていいだろうし、おなじエッセイの最後には、終戦を知らされたとき、「ながいながい病床にあった老人の死を見守るときのように、いわれない涙が流れた。」と書き、「今夜から、私の部屋に灯をともすことができるのかという、異様なとまどいの思いとであった。」(「敗戦前後」『日本浪曼派批判序説』所収)とも書いているのである。
 これは、筆者が「安堵感」と「挫折感」とは本来「表裏一体」をなし得ないとして批判した磯田光一の、

 「一種の安堵感と挫折感とが、これまた表裏一体をなして人びとの心を領有していた」

 の生活感としての「安堵感」と共通してはいないだろうか。
  ※
 伊東静雄を論じた文章では次のような日記の一節が引用されている。

 「太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮かび、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変もおこらないのが信ぜられない。」

 しかし、これをもって伊東静雄が自らの「死を奪われ」たことに絶望し、何らかの「異変」を待望したと考えることは、次のような作品と接する限り、まったく当たらないと思うのである。伊東静雄の目はもっと透明で、自然や人間の営みに対する愛情と、そして静かな断念にみたされている。


   夏の終り


  夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
  気のとほくなるほど澄みに澄んだ
  かぐはしい大気の空をながれていく
  太陽の燃えかがやく野の景観に
  それがおほきく落とす静かな翳は
  ……さよなら……さやうなら……
  ……さよなら……さやうなら……
  いちいちさう頷く眼差しのやうに
  一筋ひかる街道をよこぎり
  あざやかな暗緑の水田の面を移り
  ちひさく動く行人をおひ越して
  しづかにしづかに村落の屋根屋根や
  樹上にかげり
  ……さよなら……さやうなら……
  ……さよなら……さやうなら……
  ずつとこの会釈をつづけながら
  やがて優しくわが視野から遠ざかる


 
長谷川三千子『神やぶれたまはず』中央公論社(2013)


by yassall | 2014-03-21 14:02 | | Trackback | Comments(0)

見田宗介『宮沢賢治』

 定年後の目標に積ん読の解消があった。いつか読もうと思ってそのままになっている本、途中までのままになっている本を片付けるようにして読んでやろうというのは、定年を心待ちにするという意味で精神バランスをとる働きもあったのではないかと思っている。
 現在実行中であるわけだが、途中で止めてしまった本は再読してもやはりつまらなかったり、理解できなかった本は結局チンプンカンプンであったりすることも一再ならずである。別段嘆くこともないし、読まなかった(読めなかった)としても悔いる必要もないことが確認できたと思えばよいだけのことだ。
 それでは定年後は新たに積ん読になる本はないかというと、そんなことはないというのが悲しいところなのである。遠出であろうが近所への買い物であろうが、本屋があるとつい寄ってしまう。本屋によれば面白そうな本や、もしかして読んだら少しはかしこくなれそうな本に呼ばれてしまう。
 11月にひさしぶりに信山社に寄ったときもそうだった。都営三田線で神保町へ出て、水道橋から後楽園あたりをぶらぶらするだけのつもりだったのだが、「そういえば信山社にしばらく寄っていないな、健在なのかな」と思ってしまったのだ。
 あれこれの本に呼ばれながら、文庫本二冊に止まったのは我ながらあっぱれである。買ったのは瀬戸内寂聴・前田愛『対談紀行 名作の中の女たち』と本書である。正月に入ってようやく読み始め、まず『名作の中の女たち』を、つぎに本書を読んだ。

 社会学者が宮沢賢治?(コンナ本ヲイツノマニ?) というのが本を手に取ってみた動機である。見田宗介はペンネーム真木悠介による『人間解放の理論のために』(1971)の著者として記憶の中に刻印されている。現代社会の分析を通してその課題を明示してみせてくれる手腕には感嘆するしかなかった。だが、それがどう実践されていくのかが見えないまま、いつしか遠い存在になっていた。今は大澤真幸の師匠筋にあたる人という認識でいた。
 社会学というと確かに境界学問としての性格が強いし、それが魅力でもある。それにしても宮沢賢治をどう論じようというのか?

 論の構成は著者らしく明晰である。「銀河鉄道の夜」には「幻想形態と現実形態」および「存在否定と存在肯定」という交叉する二つの軸があり、それぞれ世界の外へと内へ向かう方向性がある。その二つの軸によって定義される四つの象限がⅠ〈自我の羞恥〉、Ⅱ〈焼身幻想〉、Ⅲ〈存在の祭り〉、Ⅳ〈地上の実践〉であり、それはそのまま宮沢賢治の全作品と全生涯をとおしてくりかえし現れる原主題に他ならないというのである。
 ※象限:①四分円、②平面上で直交する座標軸が平面を四つに分けたそれぞれの部分(「広辞苑」)
 自我が「実体のないひとつの現象である」という現代哲学のテーゼを賢治は明確に意識し感覚していたという。それは賢治の「自意識」を否定するものではなく、「他者のまなざし」(「目の赤い鷺」)に囲まれ、「家の業」を強い倫理観とともに自覚していくことは、しかし他者との関係性の中で「羞恥」が自我の内部に構成されていくことなのである。そして、「修羅」としての自己規定が「矛盾の存在」であり、「苦悩する存在」であることによるという。
 私が筆者の冴えのようなものを感じたのは第二章「焼身幻想」である。「よだかの星」にみられる焼身願望は「銀河鉄道の夜」の中でも「さそりの火」のエピソードとしてくり返されているという。
 そして、「焼身」が必然的であるのは「存在の罪」と対応するからであり、死というよりも「消滅」への意思を表現しているというのである。まず、ここでなるほどと思わされる。自殺の動機と方法は様々なのだろうが、自らの存在を「消滅」させてしまいたい、さらには「粉々にしてしまいたい」とうする衝動には、「死んでしまいたい」につきまとうある種の甘えや自己陶酔を一切許さない、強烈な自己否定がある。
 だが、私が「冴え」といったのはそのことではない。筆者はさらに「〈死〉というものが、再生を前提とするものであること、あたらしい存在の仕方へ向かうものであること」を示しているというのだ。フェニックス(不死鳥)をイメージさせるそれは、「存在のカタルシスとでもいうべきものの象徴」であるとする。
 ここから自己規定としての「修羅」が、「偏在する光の中をゆく闇」という自己感覚を持ちながら、「存在の祭りの中へ」と飛び込んでいくのであり、その心象がもう一度「世界」の内へと振り向けられたところに「羅須地人協会」にいたる「地上の実践」があるのだとする。とすれば、「グスコーブドリの伝記」こそは賢治が描いた自己解放への道すじの完成形なのである。

 本書が初めて上梓されたのは1984年のことだそうだ。1977年の『校本宮沢賢治全集』の完成をふまえていることをあとがきでも記している。「ふつうの高校生に読んでほしい」と思って書いたというが、著者自身が認めているようにそれにしては「なお骨ばっている」。だが、読み終わった後、この書が年若い人々に読まれることを願って書かれたことはよく理解できるような気がする。

  感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
  それをがいねん化することは
  きちがひにならないための
  生物体の一つの自衛作用だけれども
  いつまでもまもつてばかりゐてはいけない

 という「青森挽歌」からの詩句を引用しているのだが、まだ概念にとらわれない「新鮮」な驚きをもって世界と向き合い始めた青年への期待があらわれているように思う。だが、それは同様に「自我の解体の危機」にさらされたことのある人間であるならば、誰に対してでもある方向を指し示す力を有しているように思われる。
 「羅須地人協会」の経営も生家の経済援助があってのことであり、自分で消費する分のほかは「町内に配給」したことなど、賢治が真に「農民」にはなり切れなかったことも、筆者は単純に「甘え」であったとは切り捨てない。
 「その〈生計〉を人びとの慈悲にゆだねきるというかたちでみずからを功利の外にげんみつに保つインドの〈聖者〉の生き方を、日本近代の社会の中で可能なかたちで獲得したのだともいえる」と書くとき、筆者の宮沢賢治に対する愛情がなみなみでないことが知れる。冷徹なばかりではないのだ。

見田宗介『宮沢賢治』岩波現代文庫(2001)

《もう一冊》
 ここ数年で読んだ宮沢賢治に関する本では、山折哲雄『デクノボーになりたい』小学館(2005)が面白かった。「雨ニモ負ケズ」の中の「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」は高村光太郎の解釈によるもので、手帖には「ヒドリノ」となっていることに初めて気づかされた(写真版では確かにそうなっている)。「ヒドリ」は「日取り」つまり「出稼ぎ」に出なくてはならないときと解釈できるし、山折哲雄はさらに「一人」ではないかとの仮説も立てている。昔、岩手の友人から「東北では日照りより冷夏の方を怖れるのだ」ということを聞いたことがあり、すぐさま納得してしまった。
 最初は山折哲雄・吉田司の対談集『デクノボー宮沢賢治の叫び』朝日新聞出版(2010)から入ったのだが、吉田司を上回る山折哲雄の異才・異能ぶりにすっかり惚れ込んでしまったのだった。


by yassall | 2014-02-09 18:49 | | Trackback | Comments(0)