この本について書いておこうと思ったのは、次のような一節と出会ったからである。 イザナキ・キザナミの二神を同母兄妹と明確に規定せず、また神罰による大洪水の記述も省略した記紀の創世神話は、人類の「原罪」の発生を説明する場所を失った。ではどうして「原罪」が必要か。それがなくては人間社会の「不条理」の解釈がつかないからである。人間が罪を犯さなかった原始の楽園、つまり高所からの失墜感が、社会の矛盾、葛藤、疎外についてのもっとも切実な解釈を提供する。そしてその「落差」はみじめな状態を克服しようとする人間の衝動の発条の役を果たすのである。 ノアの箱船の逸話はチグリス・ユーフラテス川の氾濫に起源をもち、各地に伝播しながら『旧約聖書』にとりこまれた、というような話を聞いたことがある。いずれにしても、ローカルな世界に生まれた特殊なエピソードであると考えて来た。 民俗学に夢中になったことはない。独特の用語や方法論があるはずで、きっと私には読み込めていない箇所も多々あるのだろう。読み始めたきっかけは日本会議をはじめ、どうも胡散臭い「日本固有」の文化論、そしてその中心に「日本は神の国」論としての「神道」があるような気がして、これらと対抗するために日本の神々についてきちんと知っておく必要があると思ったからである。 谷川健一『日本の神々』岩波新書(1999) 〈もう一冊〉 最初に書店に求めにいったのはこちらの方だった。ジュンク堂でも在庫がなく、amazonで取り寄せた。日本の神祇信仰の中で「神社」という常設の神殿が作られたのは、古代における律令体制の確立の過程で仏教寺院に対抗するためであったという。実際、再三にわたって各地に造営を促すような命令が下されたという。国分寺の造営も並行してすすめられた。中国文化の圧倒的な影響から日本の統一国家化がすすむわけだが、そこにはすでにしてナショナリズムの萌芽もあったというわけだ。井上はそこに神仏習合の第一段階をみている。 ▲
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| 2017-07-11 19:55
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木下通子さんは埼玉県の高校図書館の司書である。この6月、岩波ジュニア新書から本を出された。これまでも共著では何冊か学校図書館に関する本を世に出しているが、今回は岩波の編集部から「今までの実践を、まとめてみませんか?」と声がかかり、上梓にいたったとのことである。
木下さんとは新任司書として岩槻商業高校へ赴任したころからの知り合いである。以来、何校かを異動して現在は春日部女子高校で主任司書をつとめている。新任のころからエネルギッシュで、学校ばかりでなく、各種の研究会や地域にも飛び込んで精力的に活動してきた。私とはいっしょに高校図書館研究会の副会長をつとめたこともある。いまや高校図書館研究会でも、学校図書館問題研究会でもリーダー的な存在である。 そんなご縁で、本書でも紹介されている埼玉県高校図書館フェスティバルの企画にさそわれ、お手伝いしたことなどは記憶に新しい。私の定年退職後はめったにお会いすることもなくなったが、facebookではつながっているので、近況についてはよく存じ上げていた。 この本の出版にいたるヒストリーも承知していたので、書店に出たらすぐにでも駆けつけようと思っていたのだが、昨日、岩波の封筒に入った本書が送られてきた。さっそく御礼のメールを差し上げたところ、「埼玉から全国に、学校図書館の輪を広げていきたいです!」という返信が返ってきた。その返信の素早さもなのだが、いかにも木下さんらしい文面だな、と感じた。 埼玉県の司書採用試験の再開のために高校図書館フェスティバルを企画し、各方面に働きかけ、国会議員へのロビー活動もおこない、実現にこぎつけた。この本の執筆を引き受けたのも自分の司書としての生き方をふりかえるためだけではなく、全国的にはまだまだ司書も不在の学校図書館の現状を打開したいとの願いからだろう。 そんなわけで、私も私のためだけに贈られた本だと思わず、一人でも多くの人たちに手にとってもらいたい、読んでもらいたいとの願いをこめて紹介する。 ![]() ▲
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| 2017-06-24 18:54
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![]() 通常1万部のところ4万部印刷したが、たちどころに完売したらしい。近所の本屋へ行ったときには売り切れだった。その後にもう1万部増刷したと聞いた。今度は買いそびれないように急いで本屋へ行った。 瞼を閉じても瞼の裏側の皮膚は見えない。これは嘘だと分かるから作り物感は残る。だが、作品全体を予感させるような巧みな書き出しだと思った。終いまで読み終わって、この感慨はいつの時点のものだろう、とまた考えこんだ。 青山という「僕」とは異質な存在を挿入したことで小説として成功した、と思った。青山の書いた小説を「嫉妬で感情的に読んでもうたかも知らん」から「もう一度読んでみる」という「僕」に、青山は「永田さんが自分で思っているほど私にとって永田さんの評価って重要じゃないから」と、多分に棘を含んだ言い方ではあるものの、過去にわだかまりのないことを伝える。それでも「僕」は「いや、絶対読む」と答えさせているところで、「僕」は変わったと思った。その前のメールのやりとりでは、「お前の思考には人間が変化するという当然の節理が抜け落ちている」といっている。本当は、これは「僕」が自分に対して突きつけた言葉ではないのか? つまりは「他者」ときちんと向き合えるかどうかであり、はね返ってそれは「自己」とどう向き合うかという問題であろう。 もう一度、書き出しにこだわってみる。「僕」が見ようとしているのは「風景」=世界なのか、「瞼」の裏側=自己の内面なのか? 言葉にならないものを言葉にしよう、見えないものをみよう、というのだから、最初はつきあうのもつらかった。なかなかストンと落ちてこないから、読むスピードも上がらなかった。新しい表現は作り物と紙一重である。 NHKスペシャル「又吉直樹 第二作への苦闘」を私も見た。又吉が「人物たちが作家の手を離れて勝手に動き出すのを待っている」というような意味のことを語っていた。「動き出した」という言葉はなかったが、後半に入ると明らかに文章の速度感が変わってきた。 「劇作家」という設定には苦しいものがある、と思っていた。だが、随所にあらわれる演劇論はけっこう面白かった。「自分のなかのどうしようもない感覚や摑み切れない感情に無理やり形式を与えたりせず、その奇妙は形のまま表出してみる」などという箇所と出会うと、自分で脚本を書いたことがあるかどうかはともかく、少なくともいろいろな芝居を観ているのは確かだろうと思った。かといって、そのような演劇がメジャーになっていくとは思えないが。
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| 2017-04-03 19:42
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![]() 人間は生きるために食う。ところがしばしば目的と手段が逆転し、まるで食うために生きている、という実態にあることを自覚せざるを得ないことがある。人はなぜ職業に就くか? いきがいを求めて? 自己実現のため? 社会参加をめざして? それらを否定しはしない。だが、それらをはぎ取った究極のところをつきつめてみれば、生活の糧を得るため、つまりは食うためではないか? ▲
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| 2017-03-31 17:15
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小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書(2012) ここ数年、志木高校時代の知人たちと読書会を開いていることを以前にも報告した。2冊ともその読書会のテキストとして私が推薦した。とくに柄谷の『世界共和国へ』は私にレポーターの順番が回ってきたとき、「思考実験的な要素があるので、分担はせず、1回切りで」という条件でテキストにしてもらった本である。 ①成長なき資本主義は可能か
柄谷は考察の枠組みとして、マルクスに多くを依拠しながら、生産様式からではなく交換様式およびその変容と接合から歴史・社会を考察しようとする。 つぎに、柄谷は歴史の現段階としての「資本主義的社会構成体」は、資本[商品交換]=国家[略取ー再分配]=ネーション[想像された共同体(互酬)]が接合した「ボロメオの環」であるという。 では、どのようにして資本と国家を「統御」していくのか? 柄谷が提起するのは「自由の互酬性」にもとづく「アソシエーション」と、カントが「永遠平和のために」で問うた「世界共和国」の実現である。 読書会でのレポートの最後に、私が感想として配布したメモは以下のようなものである。 ・「マルクス」と「マルクス主義」を区別。マルクスの新しい可能性を追求しているようにもみえる。 佐和隆光『経済学のすすめ』岩波新書(2016) もう2冊あげる。 さて、船戸与一『満州国演義』こそ、私がこの1年間をかけて読み続けた書物に他ならない。張作霖謀殺にはじまる第1巻を手にしたのが3月、「満州国」の瓦解から通化事件・シベリア抑留を描いた第9巻を読み終わったのが12月。もちろん全9巻400字詰原稿用紙7500枚超の大著とはいえ、ただひたすら毎日を費やしてここに到ったのではない。続刊の発売を待つ期間もあったが、しだいに重苦しさを増していく内容が次の巻に向かうのをためらわせること度々だったのだ。著者自身が「小説の進行とともに諸資料のなかから牧歌性が次々と消滅していく」ことを痛感させられた、と書いている。 村上もとかの漫画『フイチン再見!』は単行本で8巻まで刊行されている。上田としこの『フイチンさん』は私たちが子どものころ、少女雑誌に連載されていた漫画である。「ああ、こんな絵の漫画があったなあ」というのが最初だったが、村上のオマージュともいうべきこの作品によって上田としこが満州からの引揚者であり、父親は帰日直前に捕らえられ処刑されていたこと、『フイチンさん』はその体験を元にしていることなどを初めて知った。 ▲
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| 2016-12-31 14:47
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![]() 1月20日の投稿で紹介した鳥居の初歌集『キリンの子』が届いた。新聞によると発売日は明日の10日であるらしいのだが、amazonに予約注文しておいたので1日前に配送されたのである。 届いたばかりだから、まだパラパラ頁をめくっている段階である。 それでもブログに「クリスマスも お正月も返上で 良い本にするために頑張ってました。 今も 試行錯誤しながら めっちゃ 頑張ってます。」とあったとおり、とても大切に、愛しみを込めて作られた本だと言うことは伝わって来る。たくさんの人に読まれるといいと思う。この本を必要としていた人がたくさんいるような気がする。 岩岡千景の『セーラー服の歌人 鳥居』もいっしょに届いた。「東京新聞」での連載を大幅に増補改訂したとあったが、連載とはずいぶん組み立てから変えたようだ。読むのはこれからだが、鳥居を人物として追うだけでなく、作歌に寄り添っていこうという姿勢に好感が持てそうな気がする。私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る ときに自分を切り裂いていく目、そこに見たものをことばにする力は並大抵ではない。 ![]() ▲
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| 2016-02-09 20:16
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![]() 1 窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず という1番からはじまる「北帰行」は小林旭の持ち歌である。昭和30年代に歌声喫茶で歌われていた曲を採譜・アレンジしたものだという。小林旭版で割愛された2、4番の歌詞は以下のようになっている。(その他、2、3番にも微妙な相異がある。) 2 建大 一高 旅高 4 我が身容るるに狭き 中学生のころ、たしか「中二時代」(あるいは「中三時代」)の付録についてきた歌集で、私は原曲の歌詞を知った。(たぶん歌集を編集した人は歌声喫茶版によったのだろう。) (「北帰行」の作詞・作曲は宇田博であるということが判明したのは、歌が流行るようになってからずいぶん後になってのことらしい。旧制一高の受験に失敗した後、満州の親元に帰り、建国大学前期(予科)に入学するも校則違反で放校、次いで旅順高校に入学したが、ここも校則違反で退学になった。まさに歌詞そのままである。 次に私が「建国大学」の名を意識するようになったのは安彦良和の『虹色のトロツキー』によってである。50歳のころ、ちょうど家の建て替えで3ヶ月ほどマンション住まいをしていた折、近所の本屋でたまたま手に取った。私が購入したのは中公文庫コミック版だが、元々は1990年から1996年にかけて他誌で連載されたものらしい。中公文庫からは刊行中だったが、すっかり夢中になってしまい、ついに8巻を揃えることになった。 さて、ようやく本題に入る。『五色の虹』の筆者三浦英之は朝日新聞記者。2010年から翌年にかけて「建国大学」に関する取材にとりくみ、一部は夕刊紙に連載されたとのことである。 「建国大学」は満州国の崩壊とともに歴史の闇へと姿を消した。開校して8年弱という歴史の乏しさもあり、大学の資料はほとんど残っていないという。というより、敗戦と同時に焼却されてしまった資料も多いことだろう。 三浦が書く通り、建国大学は「日本の帝国主義が生み出した未熟で未完成な教育機関」であったことは間違いないだろう。当初に掲げた「五族協和」の理念も開校数年後には神道や天皇崇拝の強制がはじまり、植民地下における支配と被支配という、そもそもの矛盾を覆い隠せるものであり得るはずもなかった。 「建国大学」の発案者は石原莞爾であるとのことだが、その石原はそのあり方について①建国精神、民族協和を中心とすること、②日本の既成の大学の真似をしないこと、の他に、③各民族の学生が共に学び、食事をし、各民族語でケンカができるようにすること、④学生は満州国内だけでなく、広く中国本土、インド、東南アジアからも募集すること、⑤思想を学び、批判し、克服すべき研究素材として、各地の先覚者、民族革命家を招聘すること、といった意見を述べたという。 大連で取材にのぞんだ一期生の楊増志氏は、在学中に反満抗日運動のリーダーとして地下活動中に検挙されたという人物であるが、中国当局からマークされていたらしく、インタビュー中に長春包囲戦に話題が及んだとき、突然取材が中止された。長春で取材の約束をとりつけていた七期生の谷学謙氏は幾多の変転の上、中国教育界の重鎮の地位を占めるにいたった人物であり、中国での取材ビザの申請にも尽力があったということだが、どのような力が働いたのか、直前になってキャンセルされた。 こうして内容を紹介していると、とりとめもなくなってしまう。日本人卒業生については端折ってしまったが、収録されている在学中の日誌を読むと、政府が掲げる建学の理想と現実との矛盾に直面せざるを得なかった日本人学生の心の葛藤を知ることが出来る。また、卒業生のつながりが国境を越えたものであることも知ることが出来る。 「建国大学」は日本の傀儡国家であった満州国の支配のために作られた国策大学であり、「当初の崇高な理念は物理的な閉学を待たずにすでに崩壊して」いたことには、いささかの留保を加える必要もないことは明らかだろう。しかし、そこで青春を過ごした者同士に生まれた絆と信頼が、地理的な壁、時間的な壁を越えて強固に結ばれていたことも信じていいように思ったのである。 三浦英之『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』集英社(2015.12) ▲
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| 2016-01-08 21:21
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斎藤美奈子『ニッポン沈没』筑摩書房(2015) ▲
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| 2015-12-06 20:09
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![]() Sは千葉に職と家族を得て引っ越してしまった。年賀状のやりとりだけはしていたのだが、会うのは35年ぶりくらいになるのではないだろろうか? そのSからこの本のことを教えてもらったのである。 奥付をみると、著者は1950年生まれ、池袋第五小学校卒業。新宿区職員として勤務したとあるが、退職が2006年だから定年までは勤めなかったのだろう。その後、東京都自治体問題研究所理事、都留文科大学非常勤講師を経て、現在文教大学非常勤講師などを勤めているという。 そのような経歴がどう関連しているのかは分からないが、本書の基になったのは私家本として出された『池五の界隈』なのだという。成り立ちとしては池袋第五小学校の同窓生に向けて書かれたものらしく、書きぶりもそんな感じである。Sとは小中学校で同期だったという。 池袋は豊島区、私が生まれ育ったのは隣の板橋区である。だが、東上線の始発駅である池袋には子どもの頃からなじんできたし、書かれていることには強い同時代意識を感じる。 小学生のころ、東上線に乗って池袋に近づいてくると見えて来たのがマンモスプールである。ローラースケート場にもなっていて、友人に誘われ、親に内緒で出かけていったことがある。家に帰ったあと、どうしたわけかバレてしまい、こっぴどく叱られた。この本にも出て来て、「不良が多く集まる場所」なので「子どもだけで行ってはいけません」というシドウが当時あったそうだ。 やはり完全な(?)地元民というわけではないから、どこそこの通りを抜けると○○さんの庭先に出た、というような話にはついて行けないし、西口の東武デパートの隣りに東横デパートがあったのは記憶にあるが、建設中のことまでは知らない。 その東横も、東口の西武デパートの隣りで、今はパルコになってしまった丸物ももうない。三越も山田電気になってしまった。 喫茶店「ネスパ」なんて名前が出てくるともう懐かしくてたまらない。山之口貘がよく通ったという沖縄酒場「おもろ」はまだ健在で、同期会の帰りにもSともう一人を誘って立ち寄った。 本屋では芳林堂の名前が出てくるが、芳林堂もコミックセンターを残して撤退してしまった。古書店では、西口の八勝堂や夏目書店は建物も建て替えてまだまだ健在だが、東口駅前にあった古書店(※)はとっくに無くなってしまった。 ※店名を失念していたのだが、そこで購入した本の裏表紙にシールが貼ってあったのが見つかった。盛明堂書店である。 東口では新栄堂が老舗だったが、ジュンク堂ができた後に閉店してしまった。新栄堂の並びではキンカ堂も長くまでがんばっていて、演劇部の小物の調達に出かけたりしていたが、これも撤退してしまった。 この本には出てこないが、吉岡実の日記を読んでいると、よく池袋のことが出てくる。窓の外から巣鴨刑務所(現在のサンシャイン)が見えた、などと書かれているから、この近くに住んでいた時期があったのかも知れない。新栄堂の地下に喫茶店があり、吉岡実が誰かと待ち合わせをしたようなことが書いてあったような記憶がある。喫茶店といえば、現在の東急ハンズの向かいにあった「コンサートホール」が無くなってしまったのは残念でならない。 この本で、新宿と池袋を比較し、池袋は繁華街にあたる地域が狭く、すぐに住宅街と混在してしまう、と分析している。両方とも交通のターミナル(※)として発展してきた町ではあるが、確かに新宿の方が開かれたイメージがあり、池袋の方が閉ざされたイメージがある。だが、それだけに私などからするとわが町意識が高められるのである。 ※付け足しだが、もともとこの地域のターミナル駅としての候補は板橋であったらしい。古くから知られた地名ということでは、新宿が甲州街道の宿場町なのだから、中山道側は板橋であって不思議はないのである。だが、地の利から池袋になったらしい、などということもこの本に書かれている。ああ、話が尽きない。 ※付け足しの訂正と補足。明治、最初に鉄道敷設の拠点と考えられていたのは板橋ではなく目白だったということである。読み間違いだったわけだが、もっと面白いことが書いてあった。これは偶然であるらしいのだが、新宿も池袋も鎌倉古道に沿っているというのである。その鎌倉古道は板橋に抜けていく。すると板橋は中山道と鎌倉古道とがクロスする地点に位置していることになる。 伊藤一雄『池袋西口 戦後の匂い』合同フォレスト(2015) ▲
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| 2015-10-30 15:47
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![]() 写真でみても、同原発は険しい半島部に設置されており、ひとたび事故が発生したときには、避難にしても救援にしても容易ではないことは以前から指摘されていた。 そして、新聞報道に「新たに必要となった配管など1300カ所の補強工事は今秋までかかる」とあるのを見て、「ああ、配管」と考え込んでしまったのは『福島第一原発事故 7つの謎』を読んだからである。 本のことはnatsuさんのブログで知り、これは自分も読まなければなるまいと思ったのだが、かなり細かい専門的な技術に関する記述や、精緻な実験データを読み解いていく構成になっているので、読み進めることは容易ではなかった。だが、読み終えたあと、原発問題を考えていくとき、これは貴重な一冊だということは確かにいえると思った。 事故発生当時、よくテレビで顔をみた東電の武藤副社長は、原子力の安全研究で有名なカルフォルニア大バークレー校に派遣された、「安全への意識も、技術的な能力も兼ね備えた立派な本部長だった」のだという。現在の東電の原子力部門のトップである姉川原子力・立地本部長へのインタビューでは、「その武藤さんが本部長でも事故を防げなかった。」「”できの悪い本部長だからダメだった”という結論だったら今後の原子力安全を考えることはそれほど難しくはない」として、事故の根深さを告白している。 大地震が発生すると、原子炉内では燃料棒の間に制御棒が挿入され、核分裂が停止する安全装置が備わっている。そこまではよく知られている。福島でもスクラムは作動している。(テレビでそのことが報道されたとき、「ああ、原発は無事だったんだな」と安心したことを記憶している。) ベントに関連しては、放射性物質を含む気体をサプチャンの冷却水に吹き込むことによって、放出前に99.9%の放射性物質を除去できることが実験モデルでは成功している。だが、実際には高温高圧状態になったサプチャンにはその能力はなかった。 当時のことを思い出してみると、消防車や自衛隊のヘリを使って、原子炉建屋に大量の水を注ぎ込んでいた光景がありありと目に浮かんでくる。 事故への対策本部となった重要免震棟も、消防車の配置も、柏崎刈羽原発事故の教訓から生まれたものであるという。消防車は当初は火災への対応のためであり、もちろん原子炉への注水を目的としたものではない。 NHKスペシャル『メルトダウン』取材班『福島第一原発事故 7つの謎』講談社現代新書(2015.2) ▲
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| 2015-07-16 19:48
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