カテゴリ:日誌( 159 )

6.3オール埼玉総行動

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 立憲主義を取り戻す!戦争させない!9条こわすな!6.3オール埼玉総行動が今年も北浦和公園を会場に開催された。市民団体、生協や埼商連、連合系・全労連系の労組などの諸団体のほか、1区から15区までの小選挙区ごとに結成された連絡会が集った。ゲストスピーチは元外務省国際情報局長の孫崎亨氏だった。
 どの発言者も安倍内閣の打倒を訴え、そのためには市民と立憲野党の連帯が最重要であることが強調された。政党あいさつは立憲民主党・菅直人氏、共産党・田村智子氏、社民党・又市征治氏、国民民主党・小宮山泰子氏、自由党・松崎哲久氏がスピーチに立った。これだけの野党がそろい踏み出来るのも埼玉ならではかも知れない。それにしても、昨年からを振り返って、いまだに安倍内閣が存続しているのは不思議だとしかいいようがない。
 (埼玉の集会に出るといろいろな昔なじみと会えるのが楽しい。今年はどうしているのか気になっていた人と15年ぶりくらいに再会できた。よい一日だった。)


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by yassall | 2018-06-03 17:02 | 日誌 | Comments(0)

えのもとぐりむ傑作選『陳弁ピクトグラム』

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 26日、みかわやこと今は葉山美侑から出演情報があったので、えのもとぐりむ傑作選『陳弁ピクトグラム』を観に浅草九劇まで出かけてきた。
 「ピクトグラム」とはひとことで言えば絵文字のことであり、上の舞台写真(終演後、許可を得て撮影した)下手の非常口や上手の禁煙マークのような、何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号のことである。「人間はピクトグラムのように薄っぺらな存在ではない」というのが芝居のテーマを言い表している。
 会場に入ると、「青白く照らされたトイレ。ひとりの女が殺されたところから物語は誘導されていく。」というリードの通り、舞台中央に設えた便器が青いサスライトで照らされている。単なる飾りではなく、様々な役者によって入れ替わり立ち替わり使用される。これを悪趣味といってはいけない。この芝居の基本的な構造を象徴しているのだから。
 人間が遮蔽物に囲まれたトイレの中で用を足すようになってから、それは個的な出来事となり、他者の目に触れることがないもの、触れてはならないものとなった。芝居はそうした人間の表面からは見えないもの、隠されたものの存在を明示し、あからさまにしようとしているのだろう。
 (もし、悪趣味というなら、むしろ演劇の仕組みそのものにかかわっているといえるだろう。通常、本当は目の前に観客が存在しているのに、役者は誰からも見られていないことを前提に演技し、観客は演者に知られずにそっと覗き見ていることを前提に観劇している。それならば誰にも見られることのないトイレの中の場面でも同様のはずだが、役者の方も観客の方も、見る・見られるの関係のある一線、日常に起こりえる一線を越える。もしかすると、それは観客の側に多くの緊張を強いるかも知れない。)
 えのものぐりむのTwitterを検索してみると、「人間世界は汚くて醜いバケモノが隠れていて、繊細な人間ほどそれをくらう。だけど純なものを信じて生きよう。」というような投稿と出会う。芝居には近親相姦やらストーカーやら、性関係による利害の交換やらが出てくる。殺人事件が起こり、しかも遺体は行方不明のままになる。被害者とされた女性の兄である刑事が同僚の女性刑事と捜査を続け、謎解きがはじまる。だが、表現の中心はそれらにはないのだと思う。「人間はピクトグラムではない」の科白によって示された人間存在の有り様そのものを描こうとしたのだと思った。さらにことばを重ねれば人間の自由を。
 以上が劇を見ての感想である。卒業生の追っかけしかしていないから詳しくないのだけれど、えのもとぐりむは「演劇界で今とても人気が出てきている演出家」なのだという。今回の公演については、「若手発掘企画と銘打ち、えのもとぐりむのワークショップなどから若き才能をプロデュース」とあった。終演後、みかわやにいきさつを聞いてみると、やはりオーディションを受けて抜擢されたそうだ。千葉ユリとして、「イントロ」で殺人事件の被害者となり、3話目の「禁煙」で美大生を演じ、そして謎解きがされる「三つ編み」に出演するという、全編を貫く重要な役どころを与えられた。一見、清楚で真面目そうでありながら、過酷な過去と複雑な内面とをかかえた人物造形にとりくんだ。濃淡をつけすぎず、清楚さも、不気味さも、リアルに表現できていたのではないか? やりがいのある役にとりくんだ、という充実感が、終演後のあいさつに駆け寄ってきた表情に見えた。

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by yassall | 2018-05-28 14:31 | 日誌 | Comments(0)

『マルクス・エンゲルス』ラウル・ペック監督作品2018

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 原題は『THE YOUNG KARL MARX』である。マルクス生誕200年を記念して制作された。1842年の『ライン新聞』時代から1848年の『共産党宣言』執筆までを描いている。この時期にマルクスはエンゲルスと出会い、思想的に影響しあい、行動を共にするようになる。映画の中でもエンゲルスがリカードやA.スミスの経済学の勉強をすすめるシーンがあり、酔って二人で夜の街をうろつき回っているうちに、突然マルクスが有名な『フォイエルバッハに関するテーゼ』の第11「哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである。」を思いつくシーンがある。マルクスが共産主義者としての立脚点を得る上で、エンゲルスとの出会いと共同は不可欠だった。青年マルクスに焦点を絞ったのもそこにねらいがあったのだろうから、邦題が不適切とは言えない。
 『ライン新聞』の主筆となったマルクスは「木材窃盗取締法に関する討論」を発表する。映画は森の中で枯れ枝を拾い、薪とすることで貧しい糧を得ようとする人々の群れに騎馬警官が襲いかかり、激しく殴打するという場面ではじまる。
 この印象的なプロローグを見ながら、マルクスの出発点となったとされる「木材窃盗取締法に関する討論」の意義について考えていた。
 ミレーの『落穂拾い』は収穫の際にこぼれ落ちた穂は貧しい人たちのものとしてよいという慣習から生まれたという。それと同様の慣習が森の民の間にも存在していたのだろう。さらに遡れば森が村落共同体の共有地であった時代もあったはずである。「木材窃盗取締法」は中世的世界が崩壊し、時代が近代へと移行しつつあったことを象徴しているのではないか? ライン州議会が枯れ枝を拾うことを窃盗であるとした背景には、私有財産制の浸透があったと考えたのだ。1840年代にはプロシアでも資本主義が興ってくる。貧困と格差が拡大する時代がやって来たのだった。
 マルクスはヘーゲル左派の哲学者として始まった。ヘーゲルにとって自由は社会の構成員全員のものでなければならず、自由の相互承認による「市民社会」の価値を認める。しかし、その「市民社会」は自由な欲望の追求(経済の自由競争)と「人倫」(共同的な道徳や秩序)との間に新たな矛盾を生み出す。ヘーゲルはその矛盾を止揚(アウフヘーベン)するものは「国家」であると考えたのである。
 ヘーゲルもまたドイツの近代化を真摯に模索したのであり、単純に国権を人権に優先させてしまおうとする国家主義(「国体」論!)と同一視してはならない。だが、ヘーゲルが「理性」の具現化とした国家が実際にどのように働いたか、といえば、その「秩序」維持のための実力組織=警官の騎馬や棍棒やサーベルは森の中で枯れ枝を拾う貧民の頭上に振るわれ、有産者階級の利益を肩代わりする暴力装置でしかなかった。マルクスは「木材窃盗取締法」と向き合うことでヘーゲルから抜け出たのだと思ったのだ。
  ※
 映画はフランス・ドイツ・ベルギー合作作品だという。『ライン新聞』が休刊に追い込まれた後、マルクスは活動拠点をパリに移す。そのパリも追放され、ブリュッセルに移住する(『共産党宣言』執筆の後、ベルギーも追放される)。その間、『神聖家族』や『ドイツ・イデオロギー』を共同執筆し、それぞれエンゲルスは『イギリスにおける労働者階級の状態』、マルクスは『哲学の貧困』を書いた。
 行動面でも「共産主義通信委員会」を創設し、二人で「正義者同盟」(義人同盟)に加入する。「正義者同盟」は第1回大会で「共産主義者同盟」と改称する。映画ではエンゲルスが激論をたたかわせながら、「万人は兄弟である」というスローガンを破棄し、「万国の労働者よ、団結せよ!」に変更させる場面が活写されている。そして「共産主義者同盟」から二人に依頼されたのが「理論的であると同時に実践的な党綱領」=『共産党宣言』であった。
 マルクスとエンゲルスは理論の追究にこだわり、同時代において実績や影響力のある社会運動家との論争も辞さなかった。それは、「われわれは空理空論をふりかざして世界に立ち向かうのではない。…現に世界を動かしている諸原理のなかから、新しい諸原理を発展」(『独仏年誌』)させるためであり、「理論もそれを大衆が掴むやいなや物質的な力となる」(『ヘーゲル法哲学批判』)ことを確信していたからだ。どうしても伝記を追っていくことになり、マルクスにおける理論的発展がどのようになされたか、その内面までもが描き切れているとはいえない。しかし、空想的あるいは主意的な運動の段階からの離脱をめざしていたことは、映画中での論争の端々からも十分に伝わってくる。
 ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」が流されて映画がラストを迎えることも評判になった。これは映画に描かれた後の時代のことになるが、1848年のフランス二月革命、ドイツ三月革命の挫折をへて、マルクス・エンゲルスは『共産党宣言』の革命理論を見直し、さらに深めていく。しかし、「ブルジョワジーは、世界市場の開発をつうじて、あらゆる国々の生産と消費を全世界的なものにした」というような今日のグローバル化世界の到来を予見したかのような一節と出会うと、その生命力は今もなお失われてはいないと思ってしまうのだ。
  ※
 つい固い感想になってしまった。原題のとおり、映画は若きマルクスとエンゲルスの青春物語として観ることも可能である。マルクスとイェニーの夫婦生活が描かれるが、エンゲルスの恋人メアリー・バーンズも登場する。もともとアイルランド系の女工で、ともに革命運動にたずさわるという描かれ方をする。また、後にエンゲルスと結婚することになるその妹のリィデアも最初から登場している。そのあたりのことは知識になかったので興味深かった。
 岩波ホールまで出かけたのは22日。三田線神保町を降りてすぐだから造作もない。もう何十年も映画館で映画を観ていない、とつい先日書いたばかりなのだが、別段宗旨替えしたというわけでもない。


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by yassall | 2018-05-24 01:27 | 日誌 | Comments(0)

9条改憲NO!平和といのちと人権を5.3憲法集会

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 5月3日、憲法集会参加のため有明・東京臨海広域防災公園へ出かけてきた。先週の天気予報ではGW後半は荒天とあった。カッパの着用を覚悟していたが、雨は朝のうちに上がり、暑くもなく、寒くもなくの天候となった。
 11時頃からイベントははじまっていたが、私は13:00の開会をめざして出かけた。有明駅に到着しても人出が多く、なかなか駅から出られない。ちょうど落合恵子氏のトークの最中にやっと会場入りが出来た。竹信三恵子、清末愛砂、山内敏弘氏らによるトークⅠのあと、立憲野党による政党あいさつ、プラカードアピール、おしどりマコ・ケンさんによるスピーチ、トークⅡ、全国統一署名報告というように進行した。
 立憲野党によるあいさつでは立憲民主党から枝野幸男代表、民進党から大塚公平代表、日本共産党から志位和夫委員長、社民党から又市征治党首があいさつし、自由党の小沢一郎代表がメッセージをよせた。希望の党にもよびかけはしたが参加はなかったという。
 プラカードアピールとは入り口で配られた3種類のカードを掲げてのコール。トークⅡでは沖縄平和運動センター議長の山城博治さんや福島原発告訴団団長の武藤類子さんら8名が登壇、さまざまな市民運動の先頭に立っている方々らしく、力強いスピーチが続いた。
 プラカードコンクールというのは参加者が持ち寄ったプラカードを、落合さんらが審査員になって優秀作品を表彰するという企画であるらしい。会場を回っていると、
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 何本もの釣り竿の先に紙に描いた魚が折からの風の中ではためいているのがみえた。
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 釣り竿の持ち主たちの足下をみると「渓流9条の会」というポスターが……。同好の仲間内の、たぶんそれほど大きくはない集まりなのだろうけれど、かえって運動のすそ野の広さとユーモア精神にも支えられたたくましさを感じさせた。
   ※
 参加者は6万人と発表された。昨年10月の衆院選で自民党は改憲4項目を公約にかかげて284議席を獲得し、政権与党の公明党をあわせて3分の2を維持した。国会でのは隠蔽や捏造、虚偽答弁を繰り返し、いまや窮地にたつ自民党ではあるが、憲法が危機に直面している状況には変わらない。
 改憲派は今年も公開憲法フォーラム(美しい日本の憲法をつくる国民の会・民間憲法臨調共催、会場は砂防会館)し、昨年に引き続き安倍首相は「この1年間で改憲の議論は大いに活性化し、具体化した」とするビデオメッセージをよせたという。
 帰宅後、TVのニュース番組をみていると、かなりの割合を改憲派の集会の報道にあてており、「改憲は多数の声」などとする参加者の声を拾い上げていた。安倍首相のビデオメッセージも改憲派の集会参加者の発言も「嘘ばっかり」であることは分かっていることだが、政権がいよいよ改憲に乗り出すときはマスコミも総動員して攻勢をかけてくるに違いない。その攻撃に負けないためにも今日のような集会を成功させ、確信を深めていくことが大切だと思った。
 

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by yassall | 2018-05-05 13:50 | 日誌 | Comments(0)

東京ノ温度第7回公演『しゃーろきあん』

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 28日、卒業生のみかわやこと葉山美侑から出演情報があったので東京ノ温度第7回公演『しゃーろきあん』を見てきた。小屋は新大久保ホボホボ、作・演出は主宰者である川島広輝である。
 葉山と東京ノ温度との関わりは2017年1月の第3回公演からはじまり、今回で3回目である。小劇場での公演ながら着実に回を重ねていることは立派だと思うし、そうした中で葉山が使われ続けていることはありがたいことだと思う。
 葉山が演じる主人公・秋山珠理奈はシャーロック・ホームズに深いあこがれを持ちながら、実は浮気調査専門の私立探偵事務所につとめている。まだ見習いであるのに、求人情報をみて面接にやってきた和田(和田さん→ワトソン)とともに、所長に無断で猫のポシェット連続盗難事件にとりくみ、そこに浮気調査依頼を装った別れさせ屋とのドタバタがからむといった内容である。
 東京ノ温度の芝居は「ワンシチュエーションコメディ」というコンセプトにある通り、尖ったところのない、安心して見ていられる芝居をめざしていると理解している。第3回はAI社会の問題、第5回は現実世界とバーチャル空間の接点における死者と生者の再会といった、未来的あるいは宇宙的なテーマを扱っていた。
 それらに比して、今回は不倫やスキャンダルといった、いっそう日常的な関心をもとに芝居が組み立てられている。しかし、それだけに人間の心に生まれる猜疑心や誤解から始まった怨恨の無意味さが、軽いタッチの中にもチクリと胸に刺さってくるしかけになっている。SNSや加熱する週刊誌報道、ちょっとした時事ネタなども盛り込まれていて、確実に客をつかみ、笑いをとることに成功している。
 それよりも何よりも、題名にある通りのシャーロキアンぶりに関心させられる。よほど読み込まない限り、推理小説のかなりの愛好者でも知識にないような、さまざまな作品の断片が次から次へと引用される。そして東京ノ温度らしく、それらの断片が人生を送るにあたっての警句や人々の苦悩を解消させる癒やしになっているのである。マニアックであるがそれだけに終わらない幅の厚みが感じられる。
 川島広輝は劇団マカリスターに所属する俳優・劇作家・演出家で、東京ノ温度を旗揚げしたのは2016年だそうだ。劇団員としての活動は続けながら、やはり自分の思うような芝居づくりをしたいという欲求があるのだろう。ただ、若い俳優たちに舞台に立つチャンスを与えようとしているようにも見える。思い込みかも知れないが、実質的にそうなっているように思われる。そんな中、葉山は連続して主役級の役所を与えられている。その信頼に応えてか、葉山の演技も安定感が増し、他の若い俳優たちをリード出来ていたと思う。 




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by yassall | 2018-04-30 16:51 | 日誌 | Comments(0)

セーラー服と女学生

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 4月10日、弥生美術館へ行ってきた。標題からして、趣味性あるいは人格を疑われてしまう虞れなきにしもあらずなので放っておいたのだが、いちおうアップしておく。まだ期間もあることだし。
 1階は高畠華宵、松本かづち、中原惇一といった、いわゆる抒情画が展示されていた。時代としては戦前である。明治期から始まった女子教育において制服の洋装化は何度か試みられたがなかなか成功しなかった、大正になってセーラー服が採用されると一躍全国に広まった、セーラー服はイギリス海軍の制服であり、もともと制服とするのに適していたという側面はあるが、それは採用の直接的な理由ではない、セーラー服は子供服や女性のファッションとして流行し、日本の女子教育で最初に制服として採用されたのはミッション系の学校であった、というような歴史が紹介されていた。男子学生の詰め襟と同様、もとは軍服であるというのが起原であろうと思い込んでいたので、認識を新たにさせられた気持ちになった。
 2階では現代画家による作品が展示されていた。江津匡士によると日本でセーラー服が制服として普及していったのは、そのユニセックスなファッションが日本人の体型に合っていたからであるという。すると、現代ではセーラー服の採用が少数になったというのも、日本人の体型の変化が理由であるということになる。
 その江津匡士のどこかノスタルジックな作品もよかったが、私が今回の企画展の目玉だと思ったのはチラシにある作品の作者である中村佑介である。『角川新字源』の特装版を手がけるなど、最近作品を目にすることの多くなった画家であるが、名前は知らなかった。本人によると、自分は「竹久夢二や林静一の系譜」に連なっていきたいとのことだが、夢二や林静一のウェットさは少しも感じられず、セーラー服も何かの表象であることを止め、ドライで即物的な心地よさが感じられたのだった。こうした出会いがあると出かけていった甲斐もあるというものである。

 

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by yassall | 2018-04-27 16:33 | 日誌 | Comments(0)

済州島4.3抗争70周年記念講演とコンサートの集い 眠らざる南の島

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 4月21日、「済州島4.3抗争70周年記念講演とコンサートの集い 眠らざる南の島」が北とぴあ(王子)で開催された。誘ってくれたのは1月の映画『告白』で紹介した旧救援会のメンバーのCさんである。金石範氏の講演があるというので興味はひかれたが『火山島』を読んだわけでもなく、立山黒部アルペンルートの旅の翌日でもあり、最初は保留にしていた。ただ、Cさんは翌日も都内で用事があり、その日は池袋に泊まる予定だという。それでは夕食ぐらいつきあわねばなるまいというので行くことにした。
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 17:30からの日程で、内容は盛りだくさんだった。オープニングには千恵LeeSadayamaさんによる「常緑樹」の独唱、参加者全員による黙祷のあと、金英蘭舞踏研究所と宋栄淑による追悼の舞が上演された。金石範氏と文京洙氏による対談はそれらの開会行事のあと第1部として開かれた。対談といっても金石範(キム・ソクボム)氏が高齢のため耳がやや不自由になっているとの理由から文京洙(ムン・ギョンス、立命館大特任教授)氏と交代で発言するという形式をとった。
 金石範という名前だけは知っていたものの、どのような人物なのかはまったく未知であった。書いたものだけで想像するに峻厳というイメージがあったが、話しぶりは融通無碍とでもいうのか、ユーモアもまじえて会場からの笑いも誘うというようであった。短い時間であったのが残念だったが、済州島(チェジュド)事件を過去の歴史として埋もれさせてはならない、そのために92年の生涯を費やしてきた、文在寅大統領の登場によって名誉回復への希望がひらけた、といった思いは伝わってきた。
 また、近々に開かれる南北首脳会談とこれに続く金正恩・トランプ会談に対する期待がいかに高いかが2人の発言から伝わって来た。日本では一部に冷ややかな見方が存在するが、まだまだよそ事である証拠だろう。
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 第2部は韓国のシンガーソングライターであるアン・チファンによるライブコンサートであった。集会としては文化的な催しの方に重点を置いたらしく、約1時間半をコンサートに当てていた。会場入りして、ずいぶん若い人が多いなと感じていたが、在日の人に限らず日本人にも人気があるらしく、さくらホール収容人数1300人の座席はほぼ満員であった。アン・チファン氏も歌声で応えていた。
 トークでは「日本と韓国には共通点がある。それは両方とも島国であることだ。」と謎かけをしたのが印象的だった。38度線で分断され、自由に行き来ができない現状を「島国」に例えたのだった。「いつか自動車で北朝鮮へ、さらに中国へと旅するのが私の夢」と語るチファン氏に会場から熱い共感がよせられた。
   ※
今年4月3日、韓国では「済州島4.3事件」追悼式典が開催され、文在寅大統領が「国家暴力によるあらゆる苦痛に対し、大統領として深く謝罪する」と表明したと新聞に載っていた。金大中政権時代に「済州4.3特別法」が施行(2000)され、盧武鉉の時代に大統領として初めて謝罪を表明(2006)した。紆余曲折をへながらだが、文大統領は事件の真相解明と犠牲者の名誉回復が「中断したり後退したりすることはないだろう」と述べたという。
 「済州島4.3事件」は1948年4月3日、南北に分断された朝鮮半島の南部だけで総選挙を実施するという国連案に、分断を固定化するものだとして南朝鮮労働党の済州党組織が武装蜂起したことがきっかけだとされる。鎮圧のために軍・警察に右翼団体が加わり、多くの住民が無差別に殺害された。その数はおよそ3万人とされ、第二次世界大戦後に引き起こされた最初の大虐殺といわれる。
 しかし、事件の前段では同じ年の3月に南北統一をとなえるデモに警察が発砲し6人の死者が出るという出来事があり、これに憤激して展開された全島ゼネストに対し南朝鮮政府とアメリカが暴力で圧力をかけるという経過があった。右翼団体とあったが、その本体は北朝鮮の共産主義化に反発して南に渡ってきた西北青年団であり、これを済州島に渡らせたのはアメリカであったともいう。
 無差別殺害は49年にいったん収まったが朝鮮戦争の勃発によって再燃し、130余の村が焼かれ、「予備検束」されるままに拷問を受け、集団虐殺されるといった事態が54年まで続いた。その当時、済州島の人口は28万人程度だったとされる。殺戮を逃れ、島を去った住民も多数あり、最終的な終焉をむかえた1957年の島の人口は3万人弱であったという。
 連合軍は「西大西洋憲章」で「民族独立」をうたった。「西大西洋憲章」のアジアへの適用を訴えたのは蒋介石であったという。しかし、第2時世界大戦の戦後処理にあたって米ソは朝鮮の独立をみとめず、当分のあいだ保護国とすると定めた。解放直後から済州島には強力な人民委員会が存在し、朝鮮の独立と統一を訴えていた。おそらくは、そのような組織と運動は大戦中を通じて各地に作られていたと思われる。南北分断を固定化し、アジアに戦略的な拠点を置こうとする大国にとって、それらの組織と運動は排除されなければならないということではなかったのか、それが「4.3虐殺」の遠因ではなかったかと私は考えている。とすれば、そもそも38度線による分断の原因を作り出した日本の責任も大きい。
  ※
 会場には「済州4.3平和財団」「済州4.3犠牲者遺族会」の人々など、大勢の方たちが韓国から来日していた。「済州島4.3事件」は1980年の「光州事件」とならぶ韓国現代史の暗部である。たとえ「不都合な事実」であっても、歴史の忘却、隠蔽、修正を許すまい、そのための痛みに耐えようという人々の勇気に見倣うべきものがあると思った。
 
 

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by yassall | 2018-04-25 16:45 | 日誌 | Comments(0)

4.14国会前緊急抗議集会

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 4月14日、「森友学園公文書改ざん問題の真相解明を求める4.14国会前緊急抗議集会」に参加してきた。今年に入ってにわかに森友問題が再燃して以来、抗議行動は連日のようにおこなわれている。
 この日の行動は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「未来のための公共」「Stand For Truth」の3団体が初めて合同して呼びかけて開催された。掲げられたスローガンは、「安倍政権は退陣を!あたりまえの政治市民の手で!0414国会前大行動」である。
 14:00から「総がかり行動実行委員会」による集会、その後に「未来のための公共」「Stand For Truth」による集会が17:00まで続き、18:00から 澤地久枝さんの提案によるキャンドル・デモが催された。
 少し早めにと思って永田町駅に着いたのが13:30頃だった。議員会館側の出口はスムースに出られたが、国会図書館前を進んでいくと憲政記念館の公園前はすでにたくさんの人たちが詰めかけている。何とか国会正門前まで行こうとしたが交差点付近は参加者であふれかえっており、かつて所属していた埼高教の旗をみつけたが近寄ることも出来なかった。歩道の半分は通路として空けておくように警備の警官から声はかかるのだが、人数が多すぎて強制までは出来ない様子だったので、そのまま縁石付近にポジションを取ることにした。やがてその通路側も参加者でいっぱいになった。
 普通に考えればこれだけの不祥事をかかえた内閣はとっくに総辞職していなければならない。それが、日本会議に「改憲」を約束したので止めるに止められないのか、「どうしてこんなことになったのか分からない、真相を究明してウミを出し切りたい」とか、「私は誠意をもって答弁している」とか、まるで他人事のように言い逃れを続ける安倍首相をみていると、このまま「逃げ切り」を許したら本当に日本は終わりになるという危機感からこれだけの人が集まったのだと思う。そして、それはきわめて正常なことだと思うのである。
 主催団体、政党、各団体のスピーチを聞きながら、何日か前の新聞で誰が書いていたのだったか、今起こっている事態がジョージ・オーウェルの『1984』に酷似している、というコラムを思い出していた。『1984』の主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた、というのである。スピーチに立った金子勝氏がいう通り、政権のほしいままに文書の改ざんや隠蔽が許されるなら、「どんな巨悪な政策も、どんな不正や腐敗も正当化されてしまう」ことになる。それを許せば国民はもう「人間」でなくなってしまう、『1984』の登場人物たちのように。
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  集会の開催にあたって主催者側は警察署に対し、警備のあり方について要望書を提出していたようだ。それは、数万人規模の集会が予想されるので、安全のためにもロープで連結した鉄柵を並べるといった交通規制を止めて欲しい、といった内容であったという。また、車道の一部を開放して欲しいということもあわせて要望している。しかし、歩道と車道間はいつものように鉄柵が張りめぐらされていた。先に書いたように歩道いっぱいに参加者あふれそうになるのにしたがってかなり窮屈になってきた。そんな中、警察の作業担当者がロープだけでは不足とみたのか鉄柵と鉄柵をバン線で連結しだしたのだ。ああ、これは何か起こりそうだな、という予感がしていた。
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 その何かは参加者側から起こった。第Ⅰ部が終了する15:30頃、たぶん桜田門側の方まで犇めいていた参加者たちが「前へ、前へ」のコールにも促されて国会側に車道を歩き出し、それと同時に次々と鉄柵が押し倒され、みるみるうちに車道に参加者があふれ出たのだ。しまいにはアンプやスピーカーをかかえた楽団までもが車道の中央に陣取って演奏をはじめ、楽団を囲んでダンスを踊り出すというパフォーマンスまで始まったのだった。
 あとで知ったのだが、この間に制止しようとした警察官の胸を押したとかで一人の人が逮捕されたそうだ。だが、こうした結果になることを警察側もあらかじめ予想していたのか、あるいは大規模な衝突に発展するとかえってマイナスと判断したのか、それ以上の規制は断念したようだった。国会前は急遽護送車を並べてバリケードを構築していたが、桜田門側はあらかじめ準備されていたのか、交通規制用の柵を設置して車両の進入を規制していた。永田町駅はあきらめて桜田門駅に帰路をとった際に確かめたのである。
 15:30の時点で参加者は3万人と発表された。延べ5万人という記事もみえるが、先に書いたように日が暮れてからのキャンドル・デモまでを含んでの算出だろう。全国にまで視野を広げればもっとになる。
 ネットをみていると、参加者数を過大に発表しているというようないいがかりをつけている投稿も散見されるが、埼玉アリーナの収容人数が3万7千人、東京ドームが5万5千人というなら、確かに3万人の人が集まっていた。埼玉アリーナや東京ドームのように座席やベンチがあるでなし、まさに立錐の余地もない中で1時間半を立ち続けていた者の実感である。


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by yassall | 2018-04-16 00:47 | 日誌 | Comments(0)

東大附属中等教育学校『父と暮らせば』

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 顧問のKさんから久しぶりのメール、「4月3日に六本木の俳優座劇場で公演をうてることになりました」とのお誘いをいただいたのは3月4日のことだった。添付されていたチラシを見ると、催し物名は「第26回はいすくーるドラマスペシャル」とあり、4月2-4日の期間中に6校が上演するという。どのように選抜されたのかは知らないが、通常の部活動としての枠を超えたところで高校演劇の発表の場が開かれていることは貴重であるし、旧知のKさんからのお誘いとあれば出かけないわけにはいかない。
 『父と暮らせば』は井上ひさし作で1994年の初演、2004年に宮沢りえ・原田芳雄・浅野忠信出演で映画化された。もともとは二人芝居であったが、映画では浅野が木下役で登場する。また、調べてみるとこまつ座以外では語りであったり、一人芝居であったりする上演例があるとのことだ。
 東大附属も一人芝居であった。なぜ一人芝居という方法を選んだのか、詳しいことは知らない。何でも昨年も学校公演でとりあげた脚本であるという。同一人物が演じたとすれば、その時点では役者となれる生徒が一人しかおらず、その延長であったのかも知れない。そうだとすれば、想像するに演じた生徒にはかねてからの希望があり、一人芝居をうつしかないときに、その状況を逆手にとってこの脚本を選んだのではないだろうか? 同学年に複数の役者志望の生徒がいる中ではなかなか一人芝居を名乗り出るのは困難であろうから。そしてそれが確かだとすれば、演劇に対する向きあい方においても、脚本選択においても、真面目で一途なひとがらが浮かんで来るのである。
 芝居をみせてもらった感想としては、まさにそのような真剣さとさわやかさ、そしてこの脚本にひたむきに取り組んできた者のもつ確信というのか自信のようなものが伝わって来たとまず言いたい。一人芝居としてどこまで出来るか、というのが見どころの一つだったのだろうが、まったく心配御無用であった。嘆き伏している娘のときはまるめた背中からもその悲しみが伝わってきたし、父に変わったときは娘にあたたかい愛情をそそぐ存在に瞬時に変化できていた。声を聞いていて、本当に涙まじりになってしまったのではないかと心配していた次の場面では娘を見守るおおらかな父親の口調に変わっていたときには、ある種の「技」の域に達するものを感じた。娘のときと父のときの違いを声量の違いであらわそうとしたためか、最初のうちは娘の声が聞き取りにくかったが、それは広島弁を早口でまくし立てた結果でもあったのだろう。それはそれで、聞き取れないときがあるのも自然であるともいえる。
 テーマは広島の被爆体験の継承である。被爆者である美津江には忘れようにも忘れられないにもかかわらず、自分からは触れたくない(あるいは未だ言葉に出来ない)体験である。その美津江の前に、広島の記憶を残すために原爆瓦や遺留品を収集している青年木下があらわれる。木下は美津江を見そめ、美津江も木下に引かれていく。しかし、美津江は木下に心引かれていくことで、かえって自分一人が生き残った後ろめたさから「自分一人が幸せになることはできない」との思いに苦しめられていく。数日前から幽霊となってあらわれた父竹造はそんな美津江を慰め、励まし、ときに叱咤する。やがて美津江は木下と生きる決意を固め、父に感謝する。進駐軍の監視ということばが何度も出てくるような時代であり、美津江がただちに広島の語り部になったとか、原水禁運動に参加するようになったとかという話にはならないだろうが、美津江が被爆者である自分を引き受けていく覚悟を固めたことは確かであると思われる。
 政権党の一部から日本も核武装をすべきであるとか、核抑止力に実効性を持たせるために核兵器の持ち込みを許容すべきであるとかいう発言が飛び出す現代にあって、「キノコ雲の下」で何が起こったかに対する想像力を復活させるためにも今日的意義の高い作品である。だが、そのようなテーマ性あるいはメッセージ性を超えた人間愛を作品は持っている。「お前の切ないためいきから(幽霊である)儂の胴体が出来た」なとどいう科白が書ける井上ひさしは本当にすごい人間だと思った。そして、その脚本に取り組むことを決意した生徒の曇りない真っ直ぐな気持ちに心から敬意を表したいと思うのである。
 顧問のKさんがどこまでかかわっていたのかは聞いていない。帰り際にちらとロビーで見かけたのだが、natsuさんとは声をかけ合ったらしい様子があったものの、少し遅れて出た私とは目が合わなかった。終演後はすぐにバラシがあるので、といっていたから、すぐに舞台の方に引き返したのかも知れない。だから、もしかすると「一人芝居をやるならこんな台本もあるよ」と紹介したのはKさんだったのかも知れない。それは分からない。
 それでも、生徒が決意したとき、それを引き受けてやろうとしたのがKさんだったことには間違いないだろう。幕が上がったとき、装置が相当程度しっかり組まれていたことに、まず軽い感動を覚えた。一人芝居を支えていくには舞台装置の作り込みが大切だとの判断からではないか? 調度品などにはやや時代が若いと感じないでもなかったが、吊り物の電灯は視線を集中させる役割を果たしていたし、終盤になって運び込まれた原爆資料を詰めた茶箱も説得力があった。
   ※
 natsuさんとは事前に打ち合わせていたのだが会場に入るとKMさんも来ていた。思えばKさんとも同時代の人間なので何の不思議もないのだが、詳しく話を聞くと最近詩を書いている者同士のつながりで和国の1期生と知り合いとなり、その1期生を担任したのがKさんという巡り合わせがあったのだそうだ。KMさんは所用があるとのことで終演後はまたの再会を約束して別れたが、natsuさんとは新宿のわらび家で一献傾けた。シメに軽めのあがり蕎麦をいただいて9時前には別れたが、ちょうどよい関係ではないだろうか?

 

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by yassall | 2018-04-05 00:41 | 日誌 | Comments(0)

ブリューゲル展

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 13日、ブリューゲル展を見に東京都美術館まで出かけてきた。ブリューゲルは日本に来るたびに見に行っているし、昨年の「バベルの塔」などはよくぞ日本で生きている間に見られたものだと感激もひとしおだった。今回の企画は「画家一族がやって来る」というキャッチコピーの通り、150年に及ぶというブリューゲル一族およびその工房の作品を集めたもので、ピーテル・ブリューゲル1世の作品は版画程度だった。それは予想通りだったのだが、しばらく美術館に足を運んでいないなあ、ということで出かけたのだった。
 1世の息子には兄のピーテル・ブリューゲル2世と弟のヤン・ブリューゲルⅠ世がいる。兄の方は父1世の複製を大量に制作し、ブリューゲルの名を広くヨーロッパに広めることになったという。複製といっても父1世が残した下絵にしたがって忠実に再現したものだ。会場には冬の風景である「鳥罠」が展示されていた。そうした先入観があるせいか、どこか力強さに足りないものがある気もしたが、絵画としては群を抜いているように思えた。絵の才能は弟の方がすぐれ、静物画という新しい境地を開いて「花のブリューゲル」と呼ばれたという。ひ孫たちには1世から「風景」や「城壁」をそれぞれ引き継いだと評される作品がある。それらと比較しても私は「鳥罠」の方に心をひかれた。 
 今年は一昨年のカラヴァッジョや昨年のクラーナハのような魅力的な展覧会情報がないなあ、と少々気落ちしていた。その気持ちが晴れたというほどの展覧会とはいかなかったが、いちおう記録としてアップしておく。


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by yassall | 2018-03-15 16:36 | 日誌 | Comments(0)