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カテゴリ:日誌( 184 )

中島敦展

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 23日、明日で開催期間も終了という日になって出かけて来た。連日の雨模様の中であったが、週明けでは間に合わないのだから仕方がない。なぜ神奈川でという疑問は展示を観覧しているうちに合点した。埼玉に勤めていたせいで、つい埼玉と中島敦の関係に関心が向いていたが、東大卒業後、敦が国語と英語の教師として赴任したのは横浜高女であった。そのためか、神奈川近代文学館は中島敦に関連した資料を多数所蔵しているらしく、展示会も4回目で、内容はたいへん充実していた。横浜高女時代の写真や校友誌なども展示されていた。
 中島敦は漢学者の家系に生まれた。その一族には以前から関心があった。叔父の比多吉は外語大で中国語を学び、幼帝溥儀につかえ、後に満州国創設にもかかわった人物であるとのことだ。他にも中国語・モンゴル語を学び、中国大陸に渡り、国士のような生活を送った人物もあるらしい。「斗南先生」のモデルである伯父の中島端(号が斗南)は癇癪持ちで「やかまの伯父」とよばれていたが、たいへんな秀才で漢詩漢文を能くしたという。残された色紙につぎのような一首が揮毫されている。
  「あがかばね野にな埋みそ黒潮のさかまく潮の底になげうて」
気性の荒々しさが伝わって来るような短歌である。端は政治に関心が深く、大陸問題に傾倒していたという。死したのち、遺骨は本当に熊野灘に散骨されたらしく、「斗南先生」には「大東亜戦争が始まり、ハワイ海戦や馬来マレー沖海戦の報を聞いた時も、三造の先づ思つたのは、此の伯父のことであつた。十余年前、鬼雄となつて我に寇あだなすものを禦ぐべく熊野灘の底深く沈んだ此の伯父の遺骨のことであつた。鯱さかまたか何かに成つて敵の軍艦を喰つてやるぞ、といつた意味の和歌が、確か、遺筆として与へられた」という一節がある。
 日本の統治下にあった朝鮮や南島での生活体験があり、支配される側の人々に接した敦には、こうした大アジア主義とも異なり、複雑な感情があったらしいことも分かった。「巡査の居る風景」などにみえる。今回の展示会で監修をつとめたのは池澤夏樹で、副題の「魅せられた旅人の短い生涯」は池澤の発案らしい。敦の人生と文学をよく言い当てていると思った。こうした文学展をみるともう一度勉強し直して見ようかと(このときばかりは)思ったりするのである。

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 神奈川近代文学館は港の見える丘公園を突っ切っていった場所にある。以前は何でもなかったのに、昨年だったか、寺山修司展に出かけたときはフランス山を上る階段をやけにつらく感じた。別ルートはないものかとHPを見たら、みなとみらい線の終点、元町・中華街駅の6番出口に向かうとエレベータでアメリカ山公園に出られることが分かった。地図上では少し遠回りになるが、外国人墓地のわき道を抜けていくと、海が見える丘公園の展望台の真向かいの入口に出られる。ロケーションもなかなかよい。夜にはアメリカ山公園はイルミネーションでライトアップされていた。


by yassall | 2019-11-24 17:51 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

マクベス

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 9月に昴の芝居を見に行ったとき、広瀬和の出演情報があった。今回も演出助手をつとめるとともに、いくつかの役で舞台に立つという。初日の21日、13:00の回に出かけて来た。
 ヴェルディはシェイクスピアの「マクベス」を4幕物のオペラとして仕立てた。初演は1847年である。その後、1865年にパリ版として大幅に改定された。ヴェルディの生前には必ずしも評価されず、「ヴェルディはシェイクスピアを理解していない」とするような評もあったそうだ。ヴェルディは激怒し、「シェイクスピアは私の最愛の劇作家の一人」と知人に書き送ったという。
 チラシに「演劇×オペラが満を持して挑む二つのマクベス」とあったが、基になっているのはヴェルディのオペラのようだ。魔女も3人ではなく9人登場し、合唱部分を担っている。客層もオペラファンが占めていて、一曲終わる毎に「ブラボー」という絶妙なかけ声がかかる。舞台の進行も一つの場面を演劇部門のキャストが上演して見せ、つづいてオペラ部門のキャストがオペラで演じてみせるといくような組み立てだった。ヴェルディだからイタリア語なのだと思うが、これなら字幕はいらないわけだ。若い演奏家のためのプロジェクト公演という企画名も紹介されており、何回か同様の公演が続いているらしい。
 というわけで広瀬和の応援で出かけた身としては少々物足りない思いをしたが、演劇としてつくりが粗略であったなどということはなかった。魔女9人の内、3人は演劇部門の俳優がつとめていた。オペラ歌手の声量というのはすごいものだなと感心させられたのは確かとして、演劇部門でもバンコーの亡霊におびえるマクベス、マクベスを鼓舞するレディ・マクベスともに俳優としての力が伝わって来た。
 「マクベス」についてはいつかしっかり学んでみたいと思っている。イギリス史の中でみていくと王位継承の正統性に関する争闘の歴史は根深いものがあったらしいし、イングランドとスコットランドの対立にも長い歴史がある。人間存在を掘り下げていけばいたるところにマクベス的なものは発見されるだろう。柄谷行人は自身が書いた「マクベス」論は連合赤軍事件論だったという。偽王というのがキーワードにあるが、読んでもさっぱり分からなかった。
 公演のことにもどれば企画の面白さも含めて十分楽しめた。広瀬は4月にも舞台があるらしい。良い役をつかんで、実力をいかんなく発揮して欲しい。自信をもって臨め、とメッセージを送りたい。
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 渋谷区文化総合センター。会場の伝承ホールは6Fにある。天気が良かったので帰りにはEM10Ⅱに12-40mmをつけて変わりゆく渋谷を撮ろうと思っていたがホールを出た頃は早くも日が陰って来てしまった。これは入場前に。
 


by yassall | 2019-11-22 18:27 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

劇団昴公演『君恋し』〜ハナの咲かなかった男〜

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 劇団「昴」へ行ったキナコこと広瀬和のFacebookに公演の案内があった。広瀬は出演していないが、演出助手をつとめているという。以前、出演情報があったときは観劇におよばなかった。久しぶりに顔を見たいものだというのが半分、「昴」の芝居なら見てみたい、ましてや多少なりとも広瀬が芝居づくりに関わったというならというので出かける気になった。 会場も池袋と近いし。ネットで23日、14:00の回を予約した。ちょうど中日にあたる。
 演目は、
  『君恋し』〜ハナの咲かなかった男〜
   作=中島淳彦 
   演出=黒岩亮[劇団青年座]
 チラシによるあらすじは、
  戦争の記憶が巷に残る頃。舞台は千葉の場末の芝居小屋「白川座」。小屋主の白川伍市は金策に駆けずり回りながらも、いつか浅草に戻ることを夢見ている。その彼に声を掛けられやってきたのが、梅園香代子率いるレビュー一座。座長に惚れて教師を辞めた亭主兼マネージャー、警官を辞めて劇作家を決意する井上ひさしらしき男、浅草を夢見て芸人を目指そうとする渥美清らしき男。そんな一座の面々はゲストに迎えた一人の男を待っている。男の名は二村定一。かつて浅草でエノケンと二枚看板を張った名俳優。しかし現れた二村は酒で足元も覚束ない酔っ払い…。
   ※
 その白川座の楽屋兼控室らしき広間を舞台にした一幕物。かつて浅草で小屋をかまえていた白川伍一が元映画館を改装して芝居小屋を立ち上げた。極度に警官を嫌うのは戦時中にさんざん酷い目に遭わされたからだという。いつか浅草に戻ると意気込んでいるが酒と病気でかなり身体は蝕まれている様子である。梅園一座はその白川と古いなじみらしく、明日に初日を迎えるというレビューの稽古中である。どうもそれだけでは集客に不安があるというので伝手をたよって二村定一を呼んだ。その二村定一は満州時代に酒浸りとなり、往年の輝きは影を潜めたが、芸に対する執念と誇りは失われていなかった。渥美清や井上ひさし(らしき)人物も登場するが、これは数年の差で創作としても時代が合わない。ただ、終戦直後という混沌とした時代はよく表されていた。
 芝居はベテラン陣と若手とが競い合ったようなというのが印象だ。変な言い方だが、ベテラン陣からは「俳優」が見えて来た。若手たちからは「人間」が見えて来た。これは先月、劇団「銅鑼」の芝居を見ていても感じたことだ。「俳優」が見えて来た、というのは否定的に断定しているのではなく、もともと「昴」の芝居を見たいと思ったというのも、演技力のしっかりしたホンモノの役者が見たいということだった。その点では今回も満足している。
 若手たちのうち、二村定一を演じた白倉裕人、座長の娘梅園志津子を演じた松村凪、小屋の雑用係佐久間を演じた桑原良太の三人は広瀬と同期だということを舞台がはねてから聞いた。そういえば研究生時代の試演会や卒業公演で見覚えがあった。そのころと比較して飛躍的といっていいくらい演技力は向上していた。だから「人間」が見えたといってもけっして「素」の顔が見えたという意味でないのはもちろんである。それでもどこか演技に若々しさがあったのか、これから伸びていこうとする若き俳優たちの役づくりへのひたむきさであったのか、今日のこの芝居の中だけに収まりきれない生命感のようなものを感じたのだ。
 芝居を見終わって、どうして今、戦後なのだろう?というようなことを考えた。劇中で、「時代は新しい時代にふさわしい芸術を求めている。観客が今、何を求めているかをつかまなくてはならない。」というような科白が出てきた。古い時代が去り、新しい時代が幕上げを告げようとする、その時代と時代がすれ違うさまを描こうとしたのであろうか? 二村定一が一世を風靡したのは関東大震災前だという(その後も活躍した)。その意味では二村は去りゆく世代の象徴である。しかし芝居はその二村のプライドやその裏付けとなっている才能や鍛錬を否定的には描いていない。「この世界は一度入ったら簡単には抜け出せない。」というような科白も出てくる。小屋主の白川、座長の梅園を含め、「皆変わり者」で他の世界では生きていけない、そこだけは時代を違えても変わることのない演劇人へのリスペクトが芝居を支えているのだろうか?
 今日、また別なことをふと考えた。二村定一が公演中に吐血し、48才で命を落としたのは昭和23年(1948年)だという。それは太宰治が入水自殺をとげたのと同年である。「富岳百景」にはじまる中期、戦時中にも「津軽」など穏やかな作風に変わった太宰が、なぜ戦後になって逆戻りしたかのように「人間失格」や「ヴィヨンの妻」のような破滅的な作風に急変したのか、太宰にとっての戦後体験とは何であったのか。学生時代、そんなことをテーマにしてみたいと考えたことがあった。日本浪蔓派のゼミに首を突っ込んだのもそれが動機だった。
 戦後直後を一言でいえば混沌と可能性の時代ということになるのだろう。だが、すぐさま「新しい可能性」へと続く道筋を見いだせたり、確信を持てたりしたわけではないだろう。時代の変化を感じ取ったり、またその必要性を認識しながら、どこへ向かったらいいのか、誰もがもがき苦しんでいたのではないのか。
 最近、また太宰治を主人公にした映画が公開されたらしい。もしかすると今、新しい「戦後」(価値観の転換)が求められているのも知れない。あるいは原点としての「戦後」に立ち返ることが求められているのか。だとすれば今回の芝居も時宜にかなっていたということになる。

26日(木)まで

会場
東京芸術劇場 シアターウェスト

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  同期の活躍を目の当たりにして、広瀬も「私だって」という気持ちでいるに違いない。11月の「マクベス」公演に出演するという。演劇版とオペラ版の二本立てで、広瀬は演劇版の方だ。チラシを見ると今回も演出補として名前が見える。がんばれ、キナコ!!応援してるぞ。


by yassall | 2019-09-25 15:09 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

「ファシズム・戦争・飢餓に抗する美術」展

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 19日、「ファシズム・戦争・飢餓に抗する美術」展のことが「赤旗」の「きょうの潮流」に載っていたので出かけて来た。会場は代々木の「みずさわ画廊」とあったが、なかなか見つからない。googleで検索し直してようやくたどりついた。さまざまな店舗やらオフィスの入ったビルの4階だった。手狭といって良いほどのスペースしかなく、「画廊」とある通り、展示されている作品には価格が表示されている。しかし、商売っ気はまったくない様子で、その時間帯に客は私一人だったこともあり、茶など出してくれて親しくお話ししたりした。
 見たかったのはキルノアガの版画である。記事によると戦後のルーマニアで版画界を代表し、「われわれの心の内にある悪と世界にある悪を理解することが、私の作品の最も深い動機となっている」との言葉にあるように、束縛された社会で人びとの願いを描いた作品は当時の欧州で高く評価されたという。ミノタウロス神話に材をとったのだろう、受付におかれた案内ハガキに採用された「迷路Ⅱ」は力もあったし、心のどこかで目覚めをうながすものがあった。
 キルノアガの作品展は30年ぶりだそうで、本人が来日を強く希望し、日本側で有志にカンパをつのり、最初に展示会を実現させたのが1985年だという。1985年といえばルーマニアはまだチャウチェスク政権の時代である。表現の自由などはまったくない時代であったのだろう。キルノアガのこれらの作品にも巧みに隠された暗喩がたたえられているのだろう。当時は「みずさわ画廊」は別の場所にあり、スペースも広く、絵もたくさん売れたとのことだった。
 お名前を確認し損なったが、相手をして下さったのが水沢さんなのだろう。同会場に展示されていた松山文雄や中島保彦についても興味深いお話しを聞くことが出来た。風刺的な松山文雄も描線の鋭い中島保彦も画力を感じた。中島保彦は田辺茂一の親戚筋で、中島の大きな絵を買ってくれたとか、俳優の寺田農は板橋区の出身で、父親の寺田政明は画家、池袋モンパルナスの中心人物として日本のシュルレアリスム絵画を牽引したという。話題がつきそうもなかったが、時機をみて失礼した。

by yassall | 2019-09-20 15:10 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

日朝ピョンヤン宣言17周年 朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!9.17集会

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 17日、「日朝ピョンヤン宣言17周年 朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!日朝国交正常化交渉の再開を!9.17集会」に参加してきた。会場は文京区民センター、ずいぶん以前に金元重救援会でよく集会に利用した。老朽化したのか、同じ場所で新しい建物に建て替えられている。
 「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!市民連帯行動」実行委員会の名はこの集会で初めて知った。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と「2019 3・1独立運動100周年キャンペーン」の呼びかけで3月11日に結成され、6月にも集会とシンポジウムを開催したとのことだ。
 昨年来の日韓関係の悪化、韓国内の進歩派と保守派の対立は日韓という小状況の中で起こっていることであるが、視野を広げてみると東アジアが大きく動き始めていることがわかる。現時点では流動化というのに近いが、いったいこれからどの方向に向かっていくのか、行かなければならないのか考えなくてはならないと思う。しかし、日本のマスコミは韓国バッシングを過激化させるばかりで、むしろ見えるものも見えなくさせているようで苦々しい思いでいる。このところブログで「韓国のこと」を連続で書いているのもそのためだ。集会のことを知ったとき、選ばれたスピーカーから生の話を聞けるように思ったのだ。
 和田春樹氏(日朝国交正常化連絡会顧問)からは「安倍首相と韓国・朝鮮」と題してスピーチがあった。1997年、安倍晋三は中川昭一と立ち上げた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長となって以降、韓国・朝鮮に対する強硬姿勢をとり続けている。河野談話に反対し、教科書から慰安婦記述を除かせた。2006年、総理に就任すると、北朝鮮に対しては拉致三原則を掲げ「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」とした。
 拉致問題の根本的解決が必要であると私も思っている。北は13人拉致し、8人死亡、生存者は日本に返された5人としている。死亡とされた8人の死因について説明されたが、その当時からまるごと信じられるものとは思えなかった。日本側が認定した17人との差も埋まっていない。しかし、数百人とされる特定失踪者のすべてが拉致被害者で、全員が生きていて、全員が即時帰国されなければ国交正常化はあり得ないとすることは正しいのか? 真実を明らかにするには合同調査委員会のようなものを設置する必要があると思うが、それも国交が回復してのことではないのか?
 2002年の「日朝平壌宣言」は国交正常化の糸口となったかも知れない。トランプ政権になってからの米朝会談で日本はすっかりカヤの外に置かれてしまった。もしかすると安倍首相は戦後の東アジア世界の枠組みの変化を望んでいないのではないのか、その永続化を願っているのではないかという和田氏の指摘には説得力があった。
 リ・ビョンフィ氏(朝鮮大学校教員)のスピーチは「朝鮮民主主義人民共和国側から見た朝鮮半島情勢」だった。第2次世界大戦後、二つの朝鮮に分断されてしまった後、南側だけの単独選挙に踏み切ろうとした李承晩に対し、南北総選挙を提案したのは確かに金日成である。しかし、北朝鮮が終始平和統一路線を堅持していたというのは、にわかには信じがたい。朝鮮戦争は国民党軍との内戦に勝利して中華人民共和国を樹立した中国共産党の影響の下に始められたというのが正しいと思う。(南側の韓国でも国内の労働党員らが李承晩政権によって激しく弾圧された歴史も見なくてはならない。)
 ただ、北朝鮮(共和国)側の人の話を直接聞く機会はめったにない。国際・国内情勢に対応しながら、どのような論理で政策が展開されているのか、興味深く聞くことが出来た。金正恩は金正日を継承しているようで微妙な違いがあるなと感じていた。リ氏が紹介した「社会主義強国」論(2016.5第7回党大会)でいう①経済発展に向けてた周辺環境の整備、②東アジア冷戦の解体をめざすという道が正しく進められたらよいだろうと思った。
 休憩のあと、「8.14~15ソウル行動」の映像が紹介された。光化門広場に数万人で開かれた「自主・平和・統一大会」の様子は光復節の祝賀ムードもただよう明るい催しだった。夜になってから同じ光化門広場で10万人が参加した安倍糾弾キャンドル集会も決して殺伐としたものではなかった。
 スピーチの最後は韓国からゲストとして招かれたカン・ヘジョン氏(アジアの平和と歴史教育連帯国際協力委員長/正義記憶連帯運営委員)だった。強調されたのは日韓の現状認識のへだたりである。法務部長官に就任したチョ・グク氏が「たまねぎ男」と呼ばれているというのを日本に来て初めて知った、という話からはじまった。(「たまねぎ男」というような呼ばれ方はされていないというのは韓国在住者のブログ「コリ92」にもあった。ネット等ではどうか分からないが、少なくとも一般社会に普及した呼び方ではないようだ)2015年の日韓政府による「慰安婦合意」でも日韓社会の反応には大きなギャップがあったという。
 この20~30年で日本に対する意識は大きく変わりつつあるという。かつては金浦空港を渡日者はいちように日本製の電気釜を持ち帰ったというようなことがあったが、今や韓国製品に対する信頼は絶大であるとのことだ。自国に対する信頼を深めているし、日本と対等な社会であるという認識が広まっている。そうした中で市民、とくに若者層の意識は大きく変化してきている。不買運動も政府に煽られてのことではなく、自分たちが政府の対応を牽引するのだという意志がみられるという。ソウル市中区で自治体がかかげた「NOJAPAN」の幟を即座に撤収させたのも官主導の運動を嫌ったからだという。集団知性ともいうべきものが働いていて、ただ感情を爆発させているというのではなく、その主張や行動は戦略的である。それはキャンドル革命の経験から続いていることで、ソウル市街を埋め尽くしたデモの際にも「ガラス一枚割れなかった」のが自慢であるという。
 集会参加は380人と紹介された。短い時間だったので、もっと聞きたかったという物足りなさは残るが、意義ある集会だったと思う。








by yassall | 2019-09-18 18:53 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

高畑勲展

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 昨年4月に亡くなってから高畑勲に対する再評価が高まっている。7月2日に始まったこの企画展は10月6日までの長丁場である。それだけ思い入れも深いものがあるのだろう。27日、このところまた閉じこもりがちになっていると反省し、国立近代美術館まで出かけて来た。
 展示には工夫が凝らされ、飽きさせなかった。「アルプスの少女ハイジ」のコーナーでは精巧なジオラマが設置されていて、おそらくは子ども向けなのだと思うが、大人が見ても十分に見応えのある出来栄えだった。
 宮崎駿とのコンビで作られた長編アニメは名作揃いだと思う。今回の企画展を通しての感想としては、この二人以外にも実に多くの才能が結集していたのだなあということがある。美術監督をつとめた一人に山本二三がおり、現在並行して富士美術館で展覧会が開かれているとのことだが、その背景画を見ていると描かれた世界に引き込まれていくような錯覚さえ覚える。それらの才能を引き寄せ、見いだし、さらなる高みへと引き上げていったのが高畑勲という人間であったということらしい。
 NHK朝ドラで放映中の『なつぞら』に登場する坂場一久は高畑勲がモデルであるとのことだ。ネットではドラマの進行とともに高畑勲の足跡を振り返る記事もアップされている。新しい表現を追求して止まなかったパイオニアであったのだろうし、戦後の日本アニメーションの歴史である以上に、戦後日本の青春がそこにあったと思ったのだった。
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 本文で話題にした「アルプスの少女ハイジ」のジオラマ。TVアニメは見ていないがどのような世界観の下に制作されたか想像が広がるようだった。

by yassall | 2019-08-30 16:14 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

劇団銅鑼「ENDOLESS 挑戦!」コピスみよし公演

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 24日、コピスみよしで劇団銅鑼による「ENDOLESS 挑戦!」の公演があった。リーフレットには「私たちの仕事は、より良い未来を創るためにある…! 産廃屋二代目女社長と働く者たちの終わりなき挑戦。」というリードがある。
 この芝居にはきっかけとなった実話があるとのことだ。案内をくれたTさんが『東京新聞』取材による「石坂産業の取り組みを参考にした演劇の稽古に励む劇団銅鑼の団員たち」の記事を送ってくれた。下に引用する。

 嫌われる仕事-。そんな産業廃棄物処理業のイメージを覆し、国内外から年間三万人が見学に訪れる会社が、埼玉県三芳町にある。かつて住民から撤退を迫られ、廃業の危機から環境を一番に考える企業へと変貌した「石坂産業」だ。今夏、東京都板橋区の劇団銅鑼が、その復活の物語を参考にした演劇を披露する。プライドを捨てず偏見と闘い、信頼を勝ち取っていく姿を描き、働くことの意味を問い掛ける。
 三芳町周辺は以前、「産廃銀座」と呼ばれるほど業者が集中していた。1999年、近隣産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたとの報道があり、値段が暴落。後に誤報と判明したが、風評被害を受けた農家らは産廃業者に立ち退きを迫る反対運動を展開した。
 工場から上がる煙を標的に、「出て行け」と迫る住民たち。同業者が次々と撤退する中、創業者の父親から会社を引き継いだ石坂典子社長(47)は、住民の理解を得て「地域に愛される企業」に生まれ変わろうと、改革を推進した。(『東京新聞』8月20日夕)


 1999年頃といえば所沢市産の野菜からダイオキシンが検出され(後に国の調査で基準値超はなかったと発表された)、各学校でいっせいに焼却炉が使用禁止となるなど、大問題になったことを記憶している。今ではプラスチックを完全燃焼させた場合にはダイオキシンは発生せず、整えられた設備の下で適切に管理された産廃工場から健康に害をもたらすような有毒物質は排出されないことが分かっている。しかし当時はヒステリーともいえるような喧騒だった。学校の焼却炉のような低温では危険性は払拭できないということで、やがて解体されていくことになったが、今度はアスベスト被害の可能性があり、解体工事はかなり気を遣うものになった。

 劇団銅鑼はかつてコピスみよしのアドバイザーをつとめていた。高校演劇フェスティバルでもずいぶんお世話になった。民間委託になる過程でアドバイザーからは外れたが、Tさんはその後も交流があったのだろう。稽古場が私の家のすぐ近くで、いつでも見学に来て下さいとお誘いも受けていたのだが、そのままになってしまっていた。いつか芝居を見てみたいとは思っていたので、ちょうどよい機会だった。
 ホームページを閲覧したことはあって、傾向としては社会派だなと察しをつけていた。一度しか見ていないのに決めつけも出来ないが、リーフレットにも「1972年の創立以来、『平和』と『人間愛』を求め、『本当に人間らしく生きるとは何か』」をテーマにしてきた、「様々な問題を抱えた現代にこそ、社会を豊に反映させた、心の糧になる『演劇の力』が求められています。」とあるところからそう間違ってはいない気がする。

 ドラマとしては二代目女社長の奮闘記というところだ。「プロフェッショナル」や「カンブリア宮殿」でよくありそうである。二代目を継いだのはいいが、先代の社長と苦楽を共にしてきた社員となかなか心が通わず、そこへ公害問題が降りかかってくるというわけだ。「女性社長を主人公に、住民との対立や社員と社長のぶつかり合い、対話を重ねて理解し合う姿を描くストーリー」(『東京新聞』)が展開する。
 社会派ドラマはどうしても説明的な科白が多くなり、固くなる印象がある。前半の二代目社長と古株の社員たちの対立あたりは迫力を感じたが、むしろ社長が繰り出す改革案が浸透していく段になっていくにつれ、急に社員たちの会話も理論だってきて「そんなに急に変われるものかなあ」と意地悪な気持ちが起こってしまう。モデルになった石坂産業はそれをなし遂げたからこそ変わることが出来たのだろうが。
 このような芝居はただ一方的に観劇していればいいというのではなく、観客一人ひとりが啓発され、思考することを始め、論議し、行動にうながされていくことを求めるのだろう。
 コピスみよしでの公演は一日だけで、27日から9月1日までは池袋の東京芸術劇場に会場を移しての上演となるとのことだ。おそらくはこちらの方が本公演なのだろう。今回の一日公演はモデルとなった石坂産業の地元でとの思いがあったに違いない。コピス公演の実行委員会にはかつて反対運動に関わっていた住民も参加しているという。これも演劇が舞台の上だけで完結するのではなく、住民たちと結びつき、議論と運動へのアクションを投げかけようとの考え方からだろう。演劇の可能性は多様であり、このような演劇が存在することも必要だとの思いを強くした。

《追記》
 そして私もいろいろ考えた。ゴミ処理にしても産廃の処分にしても、本来は生産と同程度の作業過程があってしかるべきなのではないだろうか? そこには当然労力と経費が発生するが、生産の側は「売って」おしまい、消費者も欲しい物への対価は支払うが、ゴミ処理にはお金を出し渋る。また、自分の手を離れてからのことには注意を払おうとすることはない。
 つい最近TVのニュース番組で、日ごろリサイクルされているとばかり思って来たプラスチックゴミのかなりの部分が東アジアに「輸出」されていることを知った。いちおうの名目は「リサイクル用資源」ということなのだが、ほとんど分別もされず、ポリ袋に詰め込まれたものであったりする。それらが処理しきれず、ベトナムの河川に放置され、汚染の原因になっているという。華々しい「海外援助」の成果が宣伝される裏側で、今日になっても日本のアジアに対する姿勢は戦前と少しも変わらないのだと思い知らされた。プラスチックによる海洋汚染のほとんどが日本製であるというのは誇大ではないのだろう。
 ずいぶん以前、分別が徹底しているドイツでプラスチックゴミを火力発電に利用しようという試みがあるというニュースがあった。プラスチックは燃やすと高温となり、完全燃焼が可能ならば有害物質の発生も抑えられるというのだ。普通の可燃ゴミと混ぜることになり、せっかくすすんできた分別に逆行するというので反対の声も上がっているとのことだった。この国民意識の違いはどこから来るのだろう。
 


by yassall | 2019-08-30 15:31 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

川越スカラ座で「主戦場」、そして「平和の少女像」のこと

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 川越スカラ座で映画「主戦場」が上映中であることを知らせてくれたのはHさんである。機会があったら見たいと思っていた。最終日の23日に出かけて来た。
 「主戦場」は日系アメリカ人のミキ・デザキの監督デビュー作である。慰安婦問題をとりあげ、立場を異にする学者や評論家、活動家に対するインタビューによって構成されている。ディべード形式とでもいうことになるのだろうか、「両論併記」が目的ではなく、デザキも「両方の主張のどちらがより筋が通っているかを比較すべき」と語っているという(Webサイト「リテラ」)。
 私が映画を知ったのは、インタビューに応じた人々のうち櫻井よし子、ケント・ギルバード、トニー・マラーノ、加瀬英明、山本優美子、藤岡信勝、藤木俊一の7名が「商業映画に出演することは承知していない」などとして抗議声明を発表したこと(ミキ・デザキは6月3日の記者会見で「出演者全員と交わした合意書で、一般公開の可能性を伝えていた」と反論した)、その後6月19日、櫻井と加瀬をのぞいた5名が上映差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こしたというニュースを聞いたときである。
 テキサス親父との異名を持つトニー・マラーノ(藤木俊一はそのマネージャー)のことはこの映画で初めて知ったが、その他の人物たちはいずれも「高名な」右派の論客たちであり、その主張するところは十分心得ているつもりであった。したがってこの時点ではそれほど映画を見たいとは思わないでいた。
    ※
 見よう、という気になったのは現在も開催中の「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことからである。この問題については以前にも書いた(「『表現の不自由展』の中止について思う」8月4日)。
 繰り返しになるが、わけても「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫FAXには、直近に起こった「京アニ事件」を連想させようという、ゆがんだ、人外ともいうべき悪意と暗い憎悪がみえた。
 その背景には政治家たちの動向があった。河村名古屋市長は同実行委員会の会長代行でありながら、「平和の少女像」が「どう考えても日本国民の心を踏みにじるものだ。税金を使ってやるべきものではない」とし、「展示を即刻中止するよう大村秀章・愛知県知事に申し入れる」とした。
 会長代行という責任をどうとらえているのか、という問題もさることながら、ここまででも二つの大きな誤りを犯している。「どう考えても日本国民の心を踏みにじるもの」というのはつまるところ個人的な感想に過ぎない。展示された作品に何を感じるかは鑑賞者の問題であり、企画自体がそれを問うものだった。「税金を使って」云々は論理が逆さまだ。「税金」を使った公的な催しであるからこそ「表現の自由」は最大限に守られなければならない。大村知事の指摘を待つまでもなく、河村市長の発言は憲法21条に違反しているし、「文化芸術に関する活動を行う者(文化芸術活動を行う団体を含む。)の自主的な活動の促進」をうたった文化芸術基本法の精神にも抵触している。

 しばらく時をおいて、河村市長をそそのかしたのは松井大阪市長であったことが報じられた。その松井市長の発言は、「慰安婦問題というのは完全なデマ」であり、「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」という驚くべきものだった。
 「朝日新聞も誤報であったことを認めている」などとも発言したとのことだから、いわゆる「吉田証言」が虚偽であったことが判明したことで「狩り出し」という意味での強制性(を示す証拠)はなかった、という意味だとでも言い逃れするのだろうが、「事実ではないデマ」と言い切っているのだから「慰安婦問題」そのものが存在しないという印象を与えることを意図していることは確かだろう。これが国会に一定数の議席を持つ公党の代表の言説だと思うと暗澹とした気持ちになる。

 さて、怒りを通りこして危機意識すら感じざるを得ないのは、この事件をめぐってのマスコミの報道の仕方である。
 とくに昼の時間帯のワイドショーがひどい。TBSの『ひるおび』では八代英輝弁護士が、「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。」と切り捨てている。まるでテロまがいの脅迫ですら当然とでも思っているのだろうか?
 立川志らくまで、「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。」などとして平然としている。落語家であれば一個の表現者としての自負があることだろう。「表現の自由」は表現者の命であるとは考えないのであろうか?

 日本国憲法は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障するとしている。そこでは芸術活動としての「表現」であるのか、政治活動としての「表現」であるのかは区別されない。誤解がないように最初にそのことを断っておけば、今回「平和の少女像」はトリエンナーレという国際美術展覧会という場で展示されたのであり、批判者・反対者はそれを政治活動としてとらえたところにも異様さがある。
 2011年に「日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜集会」千回を記念して「平和の少女像」は作られた。その後、世界各地に建立されていったのは抗議活動・支援活動の拡がりと共にあったのだから、確かに広い意味での政治活動と一体であったとは言えるだろう。だが、そうした運動とはいったん切り離し、作品を美術展覧会という場に置くことによって、もっと冷静に、客観的に対象化することが可能だったではないのだろうか? 作品の美術的価値を論評するのでもなく、作品が発するメッセージに賛否を表明するのでもなく、頭から「反日」行為であると決めつけ、展示すること自体を否定することによってその可能性を潰してしまったのではないだろうか? 主催者は「平和の少女像」の前で集会を開こうとしたわけでもなく、呼びかけたわけでもない。鑑賞の機会を与えようとしただけなのである。

 作者はキム・ウンソン、キム・ソギョン夫妻である。大学の彫塑科の同期生で卒業以来共同制作を続けてきたという。2017年、済州島に建立された「最後の子守歌」はベトナム戦争に参戦した韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰霊する銅像であるが、作者はこの二人の彫刻家である。
 なお、日本政府は「慰安婦像」という呼称を採用したが、韓国では「平和の少女像」と呼ばれている。碑文には「平和の碑」とあるそうだ。二人の彫刻家の視線の在処がうかがえる気がする。
 これまで目にしてきたのはブロンズ像だが、今回展示されたのは繊維強化プラスチックにアクリル絵の具で彩色したものであるという。画像でしか見ていないが、ブロンズ像とはずいぶん違う印象を受けた。少女が待っているのは「日本政府の反省と悔い改め、法的賠償」であるという。だが、そうした日本政府への抗議だけを込めたのではなく、肩にとまっている小鳥は平和と自由の象徴であり、少し浮いた踵は「彼女たちを放置した韓国政府の無責任さ、韓国社会の偏見」を問うているのだという。単に「反日」のシンボルというには表現の厚みが異なるようだ。名古屋まで行くことはなかったが、もし関東近辺で開催されていたら私も見に行こうとしただろう。
(参考:チョン・ヨンファン明治学院大教授「アートしての少女像」東京新聞2019.8.7、「制作の彫刻家キム・ソギョンさんキム・ウンソンさん語る」赤旗2019.8.28)

 映画「主戦場」の話にもどる。日本社会における「慰安婦問題」の存在すら否定しようという言説の横行や、ネット世界のみならず、マスコミや出版界で高まる嫌韓ムードに対して何らかのカウンターが必要だと思ったし、それが日系とはいえアメリカ人によって為されていることに若干の不甲斐なさを感じつつも、まずはどの程度のものか見てみようと思ったのである。
 ミキ・デザキという人物については確かなことは何も知らない。ただ、なかなかユーモアのある人間だと思った。
 藤岡信勝がさかんに「国家というのは謝ってはいけないんです。謝ったらそこで終わりなんです」と力説している。すると続けて1988年、ロナルド・レーガン大統領が「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)に署名し、「連邦議会は国を代表して謝罪する」と宣言し、日系人らと笑顔で握手を交わしている映像が流される、といった具合である。超タカ派として知られたレーガンを取り合わせたところは秀逸である。これでは藤岡が怒るのも無理はないし、さぞしてやられたと臍を噛んだことだろうと想像してしまう。
 杉田水脈も出番が多い。「日本人は子どものころから嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきた)」「嘘は当たり前っていう社会と、嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会とのギャップだというふうに私は思っています」という珍説が開陳されると、ソウル市内で若者たちに「嘘をつく人と、だまされる人どっちが悪い?」とインタビューする映像が流れる。韓国の若者たちの答えはもちろん「嘘をつく人が悪い」である。
 まあ、このへんはトンデモ発言ながらご愛敬として、杉田が「奴隷と聞いてどんなイメージが思い浮かびますか?」として、慰安婦が「性奴隷」とされることに異議を唱えようとしている。鎖につながれてでもいなければ「奴隷」ではないということなのだろう。「奴隷とは自由意志を奪われていること。本人の意志に反して性行為を強制されたことが性奴隷と定義されたのだ」と反論された。
 核心部分に「報告書のなかに慰安婦関連は皆無だった」とする「IWG報告書」をスクープした米国人ジャーナリストのマイケル・ヨンにまつわる件がある。陰で多額の「調査費」が渡ったらしいが、櫻井よし子も「調査費」を支払った一人であることを認めている。ただ、「詳しいことは話したくない。複雑な問題なので。」とそれ以上の回答を拒んでいる。
 あまりに闇の奥深くを見せつけられると、それはそれで気分が萎えてしまうものだが、もっと知られていいし、上映の機会が増えてよい映画だと思った。

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 映画を見てから1週間が経過してしまった。書かなくてはならないと思うことが多すぎて、頭の中を整理しきれず、ここまでの文章にするのにも難渋してしまった。3時には映画館を出た。時間がもう少し遅ければ誰かに声をかけて酒宴に及んでもよかったのだが、川越の街を散策してそのまま帰路についた。


by yassall | 2019-08-29 18:50 | 日誌 | Trackback | Comments(5)

歴教協埼玉大会講演「学校をカエル!」内田良氏

 朝霞高校時代の同僚であるKさんからメールをもらったのは7月14日のことである。その内容は、8月3-5日の日程で歴史教育者協議会の全国大会が埼玉県草加市で開催される、第1日目は草加市文化会館大ホールで一般の市民の方も参加できる全体会を開く、記念講演は『ブラック部活』や『学校ハラスメント』の内田良さん(名古屋大学准教授)による「学校をカエル!~教育の病から脱け出すために」、その後高校生も登壇して中学校の総合学習の実践を報告してもらい、続いて会場に集まった参加者全員をグループに分け、学校を変えるために何ができるかを話し合う、ぜひ参加されたいというものだった。
 研究大会の全体会としてはかなり凝った企画のようだった。Kさんが全体会担当とある。たまには学校現場の話を聞くのもいいか、というのと、細面に金髪メガネという特異な風貌で知られる内田氏がどのような話をするのかという興味、他にも知り合いの先生に会えるかも知れないという懐かしさ半分・応援半分で出かけて行くことにした。
 会場の草加市民文化会館大ホールは東京スカイツリーライン獨協大学前(草加松原)駅から徒歩5分。バスで赤羽へ出、京浜東方線南浦和駅で武蔵野線乗り換え、さらに南越谷駅で乗り換える。約1時間20分くらいの行程だろか。東口を降りて綾瀬川を越えたすぐが会場だった。
 主催者あいさつ等の開会セレモニーのあと内田氏の講演となった。時間は48分間であるという。名古屋から来てもらったというのにずいぶん短いな、と思ったが、会場トークの合間に質問用紙に答える時間、さらに全体会最後の企画であるシンポジウムにも参加してもらうというようなことであったらしい。通常であれば講師は持ち時間が終われば引き上げてしまうものだが、研究活動に寄り添おうという姿勢がみられて好ましかった。
 講演の内容も聴衆を引きつけるものだった。著作名は『ブラック部活』とか『学校ハラスメント』などセンセーショナルなイメージがあるが、自分の目標は「リスク低減」、「持続可能」であるとし、生徒の側にも教師の側にも目配りをし、データに基づいた問題点の指摘や解決策の提案は説得力に富むものだと思った。
 部活動で起こる事故の中で際立っている種目は柔道である。そこまではデータを示されなくてもそうかも知れないという予想は誰にでもつく。さらに細かく分析をすすめると5月から8月までの期間に集中していることがわかる。すると事故は柔道という種目と結びついているというより、新たに入部してきた生徒のうちの未経験者がまだ身体が十分に出来ていなかったり、しっかり受身が身についていないうちに大会向けの練習をさせていたことに主因があることが分かる。実際、その指摘を受けて柔道における事故は減っているのだそうだ。
 学校を変えていくにはまず周囲の人と話合うことから始まる、ただしそれなりの戦略を持つ必要があるという。その話し合いを可能にする同僚性が難しくなっているんだよなあ、ともう少し話を聞いてみたいところで講演は終わった。休憩時間に入ったのでこの後どうしようかと考えていたら志木高校時代のKG氏と会い、進行予定を聞き、もう少しいることにした。実践報告といっても社会科は専門外だしなあと思ったが、生徒を主体にした発表形式は成功していたし、ただ一方的な聴衆になりがちな全体会参加者にトークタイムを設けることによって双方向性を確保しようとするなどに工夫を感じた。
 私は教科も違うし現役でもないからとトークには参加しなかったが、後ろの方のグループの話し合いを聞いていたら、「憲法を変えるべきか」というテーマで議論をさせたところ、「現憲法の9条は日本を弱体化させるために連合軍が押しつけた憲法なのだから変えなくてはならない」というような発言をする生徒がいて、それほど深く考えたことのない生徒は「なるほどそうだったのか」と同調してしまう傾向があるのだという。そこで「こんな考え方もあるんじゃないか?」と教師がアドバイスすると、「先生は遊動しようとしている」と拒否されてしまうのだそうだ。「押しつけ」の問題もだが、それでは「軍備」を持ち、「交戦権」を持つべきなのか、していい戦争として悪い戦争があるのか、といったところまで深めて欲しいと思っても、一つの「強い」意見、実はそうだったのかという「事実」(?)が強い影響力を持ち、大勢を支配してしまうというのは現代社会全体にもみられる傾向である。その大勢に入らない意見の持ち主は排除されてしまうということになったら危険この上もない。
 なお、開会式では韓国の「全国歴史教育の会」の事務局長も登壇してあいさつしていた。大会日程では「日韓交流」の分科会ももうけられているようだ。今日に情勢下でこのような日韓交流が行われているのは心強いと思った。(その日韓問題ではなはだ気持ちの悪い事件が起こった。そのことは別項で触れる。)
by yassall | 2019-08-04 16:18 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

平和憲法を守ったロベルト・サモラ弁護士と語る東京集会

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 先日、6.3オール埼玉行動でお会いしたTさんから案内をいただき、標記の集会に出かけて来た。「コスタリカに学ぶ会」も「9条地球憲章の会」も初めて知った。最近Tさんがどのような活動に関わっているのかという関心が先だったが、認識を新たにしたり、いろいろ考えさせられる機会となった。
 コスタリカがコスタリカ共和国として独立したのが1848年、1869年に義務教育を実施、1882年に死刑制度を廃止するなど、国づくりは先進的であったようだ。1948年に大統領選挙不正問題から内戦がおこり、翌1949年のコスタリカ憲法によって女性参政権の保障とともに常備軍の廃止が決められた。
 その内容は「常設の組織としての軍隊はこれを禁止する。公の秩序の監視と維持に必要な警察力はこれを保有する。大陸内の協定または国内防衛のためにのみ軍事力を組織することができる。(憲法第12条)」というものである。
 世界には軍隊を保有しない国家が30余り存在する。その理由は様々でそれぞれの国情による。コスタリカでは内戦の予防というような意味合いがあったとも考えられる。ただ、1980年にはコスタリカを本部とする「国連平和大学」を創設し、1983年には「永世非武装中立宣言」を行ったりと、平和国家としての歩みは確固としている。また、最高選挙裁判所(憲法評議会)や人権裁判所が設置されるなど、民主主義の内実化もすすめられている。
 アメリカは中南米を自国の「裏庭」視し、CIAによって国家転覆を謀ったり、直接軍隊を送り込んだりしてきた。最近でもベネズエラの大統領選挙に介入している。そのような中でコスタリカはどのようにして自主独立を守れているのだろうか、話を聞いているうちにそんな疑問が湧き起こってくる。すると1980年代初め、レーガンがニカラグアのサンディニスタ政権を公然と敵視し、隣国ホンジュラスを基地に反政府組織に武器を提供するなど介入を強めた時代のことが話題にとりあげられた。このとき、レーガンは南側の隣国であるコスタリカにも基地の提供を迫ったという。だが、ときの中道左派リベラシオン党のモンヘ大統領は厳しい外交交渉の末にこれを拒否、先の「永世非武装中立宣言」はそのときになされたものだという。決して係争から遠い幸運な条件の下でではなく、むしろ緊迫した国際情勢の中での選択であったことに思いを深くする。
 集会の中心であるロベルト・サモラ氏は38才の若き弁護士である。もともとはIT技術者を志していたが、人々の役に立つ仕事がしたいと法学部に志望をかえた。コスタリカ大学3年のとき、2003年の米イラク侵攻にコスタリカ大統領が支持を表明したことは憲法違反だとして憲法裁判所に提訴し、違憲の判断を勝ち取ったという来歴がある。ホワイトハウスはこれを受けてコスタリカを「支持」のリストから除外したという。弁護士となってからも国を糺すいくつもの裁判を闘い続けているという。
 発言の中でサモラ氏はコスタリカの現状は必ずしも望ましいものではなく、格差の拡大など、解決すべき様々な問題をかかえていると告白する。ただただ理想化するのではなく、どのような歴史の中で今日のあり方を選び取ってきたかの方に学ぶべきことがあるのだろうと漠然とながら私も考える。
 それでもイラク戦争に際していち早く支持を表明し、自衛隊の派遣を決めた日本、はるか1959年の砂川裁判で「日米安保のような高度な政治性をもつ条約については……違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とする統治行為論によって最高裁による憲法判断を避けた日本と比較し、どちらが憲法を遵守し、民主主義を生きたものとしようとしているかは明白であるといわざるを得ない。なぜコスタリカで出来たことが日本で出来ないのか、真剣に考えなくてはならないと思った。
   ※
 オール埼玉行動のパレードで一緒に歩いていたとき、Tさんとどんな話をしたかについて少し触れる。最初に話題にしたのは「徴用工問題」についてだった。Tさんの見解は明快で、日韓条約そのものが対等平等な国家間で結ばれたものとは見なしがたく、日韓請求権協定によって植民地時代の清算がなされたとはいえないということである。それが国民全体の共通認識になれば話は早いのだが、と話を続けていると北朝鮮にも話題が及び、「制裁」って何だ、壊滅させてしまえということなのか、そうではなく「非暴力」という位置に立たなくてはならないのではないか、というのである。
 そこから今回の集会の話になった。私の中でどこまで深まったかは分からないが、最近日韓の防衛相の会談があったとき、岩屋防衛相が韓国の防衛相と笑顔で握手したことが過剰な非難を浴びていることなどをみると、今の日本に外交による紛争の解決などが可能なのだろうかと考え込んでしまうのである。
 太平洋戦争緒戦でシンガポールを攻略した山下奉文が「イエスかノーか」と降伏を迫ったことに当時の国民は快哉を送ったという。しかし、これは通訳が稚拙だったことにあわせ、マスコミが「マレーの虎」という英雄を作りだすための虚像であったらしい。その話題になると、山下は「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」と否定したという。つまり強力な外交姿勢に国民は「強い日本」を見いだし、さらには「強い日本人である自分」という幻想に酔おうとしたということなのだろう。そのころから日本人はどのくらい成長できているのだろうか?


 

by yassall | 2019-06-10 18:32 | 日誌 | Trackback | Comments(2)