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4.14国会前緊急抗議集会

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 4月14日、「森友学園公文書改ざん問題の真相解明を求める4.14国会前緊急抗議集会」に参加してきた。今年に入ってにわかに森友問題が再燃して以来、抗議行動は連日のようにおこなわれている。
 この日の行動は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「未来のための公共」「Stand For Truth」の3団体が初めて合同して呼びかけて開催された。掲げられたスローガンは、「安倍政権は退陣を!あたりまえの政治市民の手で!0414国会前大行動」である。
 14:00から「総がかり行動実行委員会」による集会、その後に「未来のための公共」「Stand For Truth」による集会が17:00まで続き、18:00から 澤地久枝さんの提案によるキャンドル・デモが催された。
 少し早めにと思って永田町駅に着いたのが13:30頃だった。議員会館側の出口はスムースに出られたが、国会図書館前を進んでいくと憲政記念館の公園前はすでにたくさんの人たちが詰めかけている。何とか国会正門前まで行こうとしたが交差点付近は参加者であふれかえっており、かつて所属していた埼高教の旗をみつけたが近寄ることも出来なかった。歩道の半分は通路として空けておくように警備の警官から声はかかるのだが、人数が多すぎて強制までは出来ない様子だったので、そのまま縁石付近にポジションを取ることにした。やがてその通路側も参加者でいっぱいになった。
 普通に考えればこれだけの不祥事をかかえた内閣はとっくに総辞職していなければならない。それが、日本会議に「改憲」を約束したので止めるに止められないのか、「どうしてこんなことになったのか分からない、真相を究明してウミを出し切りたい」とか、「私は誠意をもって答弁している」とか、まるで他人事のように言い逃れを続ける安倍首相をみていると、このまま「逃げ切り」を許したら本当に日本は終わりになるという危機感からこれだけの人が集まったのだと思う。そして、それはきわめて正常なことだと思うのである。
 主催団体、政党、各団体のスピーチを聞きながら、何日か前の新聞で誰が書いていたのだったか、今起こっている事態がジョージ・オーウェルの『1984』に酷似している、というコラムを思い出していた。『1984』の主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた、というのである。スピーチに立った金子勝氏がいう通り、政権のほしいままに文書の改ざんや隠蔽が許されるなら、「どんな巨悪な政策も、どんな不正や腐敗も正当化されてしまう」ことになる。それを許せば国民はもう「人間」でなくなってしまう、『1984』の登場人物たちのように。
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  集会の開催にあたって主催者側は警察署に対し、警備のあり方について要望書を提出していたようだ。それは、数万人規模の集会が予想されるので、安全のためにもロープで連結した鉄柵を並べるといった交通規制を止めて欲しい、といった内容であったという。また、車道の一部を開放して欲しいということもあわせて要望している。しかし、歩道と車道間はいつものように鉄柵が張りめぐらされていた。先に書いたように歩道いっぱいに参加者あふれそうになるのにしたがってかなり窮屈になってきた。そんな中、警察の作業担当者がロープだけでは不足とみたのか鉄柵と鉄柵をバン線で連結しだしたのだ。ああ、これは何か起こりそうだな、という予感がしていた。
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 その何かは参加者側から起こった。第Ⅰ部が終了する15:30頃、たぶん桜田門側の方まで犇めいていた参加者たちが「前へ、前へ」のコールにも促されて国会側に車道を歩き出し、それと同時に次々と鉄柵が押し倒され、みるみるうちに車道に参加者があふれ出たのだ。しまいにはアンプやスピーカーをかかえた楽団までもが車道の中央に陣取って演奏をはじめ、楽団を囲んでダンスを踊り出すというパフォーマンスまで始まったのだった。
 あとで知ったのだが、この間に制止しようとした警察官の胸を押したとかで一人の人が逮捕されたそうだ。だが、こうした結果になることを警察側もあらかじめ予想していたのか、あるいは大規模な衝突に発展するとかえってマイナスと判断したのか、それ以上の規制は断念したようだった。国会前は急遽護送車を並べてバリケードを構築していたが、桜田門側はあらかじめ準備されていたのか、交通規制用の柵を設置して車両の進入を規制していた。永田町駅はあきらめて桜田門駅に帰路をとった際に確かめたのである。
 15:30の時点で参加者は3万人と発表された。延べ5万人という記事もみえるが、先に書いたように日が暮れてからのキャンドル・デモまでを含んでの算出だろう。全国にまで視野を広げればもっとになる。
 ネットをみていると、参加者数を過大に発表しているというようないいがかりをつけている投稿も散見されるが、埼玉アリーナの収容人数が3万7千人、東京ドームが5万5千人というなら、確かに3万人の人が集まっていた。埼玉アリーナや東京ドームのように座席やベンチがあるでなし、まさに立錐の余地もない中で1時間半を立ち続けていた者の実感である。


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by yassall | 2018-04-16 00:47 | 日誌 | Comments(0)

東大附属中等教育学校『父と暮らせば』

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 顧問のKさんから久しぶりのメール、「4月3日に六本木の俳優座劇場で公演をうてることになりました」とのお誘いをいただいたのは3月4日のことだった。添付されていたチラシを見ると、催し物名は「第26回はいすくーるドラマスペシャル」とあり、4月2-4日の期間中に6校が上演するという。どのように選抜されたのかは知らないが、通常の部活動としての枠を超えたところで高校演劇の発表の場が開かれていることは貴重であるし、旧知のKさんからのお誘いとあれば出かけないわけにはいかない。
 『父と暮らせば』は井上ひさし作で1994年の初演、2004年に宮沢りえ・原田芳雄・浅野忠信出演で映画化された。もともとは二人芝居であったが、映画では浅野が木下役で登場する。また、調べてみるとこまつ座以外では語りであったり、一人芝居であったりする上演例があるとのことだ。
 東大附属も一人芝居であった。なぜ一人芝居という方法を選んだのか、詳しいことは知らない。何でも昨年も学校公演でとりあげた脚本であるという。同一人物が演じたとすれば、その時点では役者となれる生徒が一人しかおらず、その延長であったのかも知れない。そうだとすれば、想像するに演じた生徒にはかねてからの希望があり、一人芝居をうつしかないときに、その状況を逆手にとってこの脚本を選んだのではないだろうか? 同学年に複数の役者志望の生徒がいる中ではなかなか一人芝居を名乗り出るのは困難であろうから。そしてそれが確かだとすれば、演劇に対する向きあい方においても、脚本選択においても、真面目で一途なひとがらが浮かんで来るのである。
 芝居をみせてもらった感想としては、まさにそのような真剣さとさわやかさ、そしてこの脚本にひたむきに取り組んできた者のもつ確信というのか自信のようなものが伝わって来たとまず言いたい。一人芝居としてどこまで出来るか、というのが見どころの一つだったのだろうが、まったく心配御無用であった。嘆き伏している娘のときはまるめた背中からもその悲しみが伝わってきたし、父に変わったときは娘にあたたかい愛情をそそぐ存在に瞬時に変化できていた。声を聞いていて、本当に涙まじりになってしまったのではないかと心配していた次の場面では娘を見守るおおらかな父親の口調に変わっていたときには、ある種の「技」の域に達するものを感じた。娘のときと父のときの違いを声量の違いであらわそうとしたためか、最初のうちは娘の声が聞き取りにくかったが、それは広島弁を早口でまくし立てた結果でもあったのだろう。それはそれで、聞き取れないときがあるのも自然であるともいえる。
 テーマは広島の被爆体験の継承である。被爆者である美津江には忘れようにも忘れられないにもかかわらず、自分からは触れたくない(あるいは未だ言葉に出来ない)体験である。その美津江の前に、広島の記憶を残すために原爆瓦や遺留品を収集している青年木下があらわれる。木下は美津江を見そめ、美津江も木下に引かれていく。しかし、美津江は木下に心引かれていくことで、かえって自分一人が生き残った後ろめたさから「自分一人が幸せになることはできない」との思いに苦しめられていく。数日前から幽霊となってあらわれた父竹造はそんな美津江を慰め、励まし、ときに叱咤する。やがて美津江は木下と生きる決意を固め、父に感謝する。進駐軍の監視ということばが何度も出てくるような時代であり、美津江がただちに広島の語り部になったとか、原水禁運動に参加するようになったとかという話にはならないだろうが、美津江が被爆者である自分を引き受けていく覚悟を固めたことは確かであると思われる。
 政権党の一部から日本も核武装をすべきであるとか、核抑止力に実効性を持たせるために核兵器の持ち込みを許容すべきであるとかいう発言が飛び出す現代にあって、「キノコ雲の下」で何が起こったかに対する想像力を復活させるためにも今日的意義の高い作品である。だが、そのようなテーマ性あるいはメッセージ性を超えた人間愛を作品は持っている。「お前の切ないためいきから(幽霊である)儂の胴体が出来た」なとどいう科白が書ける井上ひさしは本当にすごい人間だと思った。そして、その脚本に取り組むことを決意した生徒の曇りない真っ直ぐな気持ちに心から敬意を表したいと思うのである。
 顧問のKさんがどこまでかかわっていたのかは聞いていない。帰り際にちらとロビーで見かけたのだが、natsuさんとは声をかけ合ったらしい様子があったものの、少し遅れて出た私とは目が合わなかった。終演後はすぐにバラシがあるので、といっていたから、すぐに舞台の方に引き返したのかも知れない。だから、もしかすると「一人芝居をやるならこんな台本もあるよ」と紹介したのはKさんだったのかも知れない。それは分からない。
 それでも、生徒が決意したとき、それを引き受けてやろうとしたのがKさんだったことには間違いないだろう。幕が上がったとき、装置が相当程度しっかり組まれていたことに、まず軽い感動を覚えた。一人芝居を支えていくには舞台装置の作り込みが大切だとの判断からではないか? 調度品などにはやや時代が若いと感じないでもなかったが、吊り物の電灯は視線を集中させる役割を果たしていたし、終盤になって運び込まれた原爆資料を詰めた茶箱も説得力があった。
   ※
 natsuさんとは事前に打ち合わせていたのだが会場に入るとKMさんも来ていた。思えばKさんとも同時代の人間なので何の不思議もないのだが、詳しく話を聞くと最近詩を書いている者同士のつながりで和国の1期生と知り合いとなり、その1期生を担任したのがKさんという巡り合わせがあったのだそうだ。KMさんは所用があるとのことで終演後はまたの再会を約束して別れたが、natsuさんとは新宿のわらび家で一献傾けた。シメに軽めのあがり蕎麦をいただいて9時前には別れたが、ちょうどよい関係ではないだろうか?

 

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by yassall | 2018-04-05 00:41 | 日誌 | Comments(0)

ブリューゲル展

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 13日、ブリューゲル展を見に東京都美術館まで出かけてきた。ブリューゲルは日本に来るたびに見に行っているし、昨年の「バベルの塔」などはよくぞ日本で生きている間に見られたものだと感激もひとしおだった。今回の企画は「画家一族がやって来る」というキャッチコピーの通り、150年に及ぶというブリューゲル一族およびその工房の作品を集めたもので、ピーテル・ブリューゲル1世の作品は版画程度だった。それは予想通りだったのだが、しばらく美術館に足を運んでいないなあ、ということで出かけたのだった。
 1世の息子には兄のピーテル・ブリューゲル2世と弟のヤン・ブリューゲルⅠ世がいる。兄の方は父1世の複製を大量に制作し、ブリューゲルの名を広くヨーロッパに広めることになったという。複製といっても父1世が残した下絵にしたがって忠実に再現したものだ。会場には冬の風景である「鳥罠」が展示されていた。そうした先入観があるせいか、どこか力強さに足りないものがある気もしたが、絵画としては群を抜いているように思えた。絵の才能は弟の方がすぐれ、静物画という新しい境地を開いて「花のブリューゲル」と呼ばれたという。ひ孫たちには1世から「風景」や「城壁」をそれぞれ引き継いだと評される作品がある。それらと比較しても私は「鳥罠」の方に心をひかれた。 
 今年は一昨年のカラヴァッジョや昨年のクラーナハのような魅力的な展覧会情報がないなあ、と少々気落ちしていた。その気持ちが晴れたというほどの展覧会とはいかなかったが、いちおう記録としてアップしておく。


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by yassall | 2018-03-15 16:36 | 日誌 | Comments(0)

3.11原発ゼロ☆国会前集会

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 3月4日の日比谷野音集会に続いて反原連主催の国会前集会に出かけてきた。ミサオレッドウルフ氏のあいさつに続いての政党からのあいさつでは「原発ゼロ基本法案」を共同提出した立憲民主党、日本共産党、自由党、社民党に加え、民進党、希望の党の国会議員も登壇した。現時点で「原発ゼロ」をかかげるに至っていない政党内部でも賛同者が存在していることが鮮明になった。
 今年は立憲民主党の代表としてスピーチに立った菅直人氏は最近国会内で安倍首相と原発について話し合ったとき、「原発は安価である」「原発は環境によい」などと発言していたことを紹介し、その時代錯誤性を批判した。
 同行動は国会正門前と首相官邸前で行われた。参加者は5000人と発表された。昨年は8000人であったので、人数的には減ってしまったが、7年が経過しても福島第一原発は廃炉に向けての目途さえ立っていない。一方で原発の再稼働はなし崩し的に進められようとしている。この怒りの声を絶やしてはならないと改めて思う。
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 一般紙ではほとんど報道されなかったし、またあまりに大きく取り上げるのもかえって彼らのねらい通りになってしまうのだろうが、この日の集会では右翼の妄動が際立っていた。街宣車だけでも5、6台は来ていたのではないだろうか? その街宣車も普通だと集会場から離れた箇所で警官隊に押さえ込まれているか、交通規制された外周をうろうろ回っているものなのだが、何台もが集会の目と鼻の先の道路に横付けし、大音量で軍歌などを流し続けてたり、脅迫めいた怒声をあげ続けている。そればかりでなく、人数にしたら7、8人もいただろうか、街宣車から降りて盛んに機動隊と口論している者や、中には集会に紛れ込もうとして警官たちに連れ出されている者までいた。いつもなら集会が始まるとほどなく立ち去っていくのに、1時間も居座り続けていたというのも常態とは異なっていた。
 反原連が用意した音響設備は優秀で音量的には負けていなかったし、ミサオレッドウルフ氏はじめ、登壇者も参加者もかえってファイトを燃やしていたのは心強かったとしても、暴力的に言論を封殺し、集会を妨害しようとする者たちと直面し続けるのは愉快ではなかった。
 なぜ、こんなに気負い立っているのだろうかと、二つほど理由を考えてみた。
 2月末に右翼団体構成員ならびに関係者二人が朝鮮総連本部に発砲するという事件を起こし逮捕されるという事件があった。その一人は行動右翼としてこれまで何度も警察に逮捕されている人物であるという。この事件が数ある右翼団体を刺激し、過激さを競うような風潮を生んでいるのではないだろうか? 発砲は門扉に対してだったというから児戯のようなものなのだが、どのようにして拳銃を入手したのかも含め、一般市民からすれば正常な市民生活を脅かしてあまりある蛮行である。ところが、それが右翼団体からするとあたかも先を越され、自分たちのメンツをかけて後に続かなくてはならない問題のように受けとめられるらしい。過去の事件でも同様だった。
 もう一つは森友問題に関連して、ついに財務省が文書の書き換え・改竄があった事実を認めるまで追い込まれたことだ。どこまで逃げ切りをはかるかはまだ不明だが、本来なら内閣総辞職に値する事件にまで発展している。
 過去の事例からも政権が危機に瀕しようとすると右翼の活動が活発になる。どうも反原発運動に対する敵対行動というより、政権に対する批判が高まることを少しでも削ごうという意図が働いているように思われるのである。それも各団体が自主的に立ち上がった、というより、どこかの指令によって動き始めたというのが真相に近いと思うのである。そうでなければ、複数の団体が一度に行動しはじめるわけがない。このような勢力によって守られる政権とは何だろうか? 私はその醜悪さを思いながら帰路についた。
 

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by yassall | 2018-03-13 01:16 | 日誌 | Comments(0)

原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国集会

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 東京電力福島第一原発事故から7年目の3月を迎えた。3.11を中心に東京では3つの全国集会が開催される。今日はその第1日目、「原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国集会」が日比谷野外音楽堂で開かれた。このところ、毎週金曜日の国会前集会からも足が遠のいていた。日ごろ「原発撤退」を標榜している身としては、この3月の集会までパスしてはならじと出かけてきた。
 本日の主催は原発をなくす全国連絡会。開会挨拶は小田川全労連議長、国会議員挨拶には志位共産党委員長が3名の衆参両議員とともに駆けつけ、山本太郎自由党共同代表のメッセージが読み上げられた。3月11日に国会前集会を開く首都圏反原発連合からはミサオ・レッドウルフ氏が、3月21日に代々木公園で「さよなら原発3.21全国集会」を開くさようなら原発1000万人アクションからは井上年弘氏が連帯の挨拶に立った。
 それぞれから力強い訴えがあったが、中でも「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」会長の吉原毅氏(城南信用金庫相談役)によるメインスピーチは印象深いものであった。1月に骨子が発表された「原発ゼロ・自然エネルギー基本法」は、単に運動を励まし指針となるというのでなく、今や再生可能エネは原発1000基分にまで飛躍的に増大したという世界の流れ、いち早く原発撤退を表明したドイツは電力輸出国になったという実績、また国内でも原発輸出をすすめてきた日立は採算について再検討をはじめたり、政府内ですら一枚岩ではないことなどが紹介され、「原発ゼロ」「自然エネルギーへの転換」こそがすすむべき道であることが示された。
 福島からはバス5台をつらねての参加、「オリンピックによって福島がなかったことにされるのは許されない」との訴えには切実さと「原発ゼロ」に向かって後退することのない力強さがあった。
 参加者は3000人と発表された。消防法の関係から、いつもなら開会直後でも野音内に入れないことが多く、今日こそと30分前には到着した私としては少々物足りなかったが、参加できてよかったと思っている。



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by yassall | 2018-03-04 20:46 | 日誌 | Comments(0)

新座市栄・池田九条の会 講演と春の風コンサート

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 2月24日、「新座市栄・池田九条の会 結成12周年 講演と春の風コンサート」が開かれた(会場は新座市福祉の里)。詳しくは「埼玉県高校・障害児学校教職員九条の会」のブログにゆずるが、かつての同僚が地域で奮闘していること、そして渡辺治さんのお話しが聞けるということで出かけてきた。渡辺さんのお話は、いつも的確な情勢分析がなされるだけでなく、めざすべき方向や実現に向けての展望を示してくれ、元気と勇気を与えてくれる。
  http://blog.goo.ne.jp/9jousks?fm=rss
 第一部は桂綾子さんのフルート演奏会、地域にねざして活動を広げていくために文化行事も大切にしていることが知れた。そして第二部が渡辺治さん(一橋大学名誉教授、福祉国家構想研究会)による講演(演題は「どうなる憲法9条・どうする自衛隊 安倍改憲の新段階と改憲阻止のたたかい」)という構成だった。
 9条加憲論の源は公明党であること、「安倍政権の下での改憲には反対」の声は一定程度広がっている(『朝日』賛成34%、反対46%)が、9条自衛隊明記の危険性は必ずしも浸透していないこと、しかしながら「我が国を防衛するための必要最小限の実力組織としての自衛隊」というような規定がなされるならば、実力組織=戦力による「防衛」を容認すること意味し、それは9条を無効化することに他ならないこと、その戦力を「集団的自衛権」の下に海外でも行使することに道を開くことなる、といったことが解明されていった。
 昨年10月の突然の解散・総選挙のねらいは、これに先立つ都議選での自民党の惨敗から強行突破が困難と判断されたことと同時に、野党第一党であった民進党の切り崩しの好機とみたことがあった、その結果、いわゆる改憲勢力は8割をこえる議席を占めるにいたったが、新たな野党第一党に立憲民主党が躍り出たことによってそのねらいは半分しか達成できず、希望の党の内部にさえ改憲反対派を生み出すにいたった、という分析もなされた。
 その立憲民主党を生み出したものこそ、「市民と野党の共闘」の積み重ねであり、13ポイント差を逆転(自公47.17%vs野党3党33.19%→広田56.48%vs山本43.52%)した高知二区の選挙結果はその好例であること、改憲の発議を断念させる力もこの「市民と野党の共闘」以外にはあり得ないこと、そのためにも3000万署名を成功させることが重要となること、総選挙での立憲3党の比例得票数が1643万票・戦争法廃止署名が1560万筆という状況の中でこれまでに倍するとりくみが必要となるが、たとえば自民党の牙城である山口県における出口調査で希望支持者の65%、公明党の32%、自民党の15%が9条改憲に反対(『朝日』10月24日)しているようにその展望は確かにある、というようにポイントを押さえた内容であった。
 2018年はまさに正念場であり、発議されてからでは遅く、もし国民投票が強行されたとしても改憲を阻止する力は3000万署名と市民アクションの高まりにしかないことが強調され、渡辺さんもその先頭に立とうという本気度が確かに伝わってきた。
 参加者は85名とのことだった。一自治体の一地域にかかわらずというか、長年にわたって地域に根ざしてきた運動であるからこそというべきか、盛況であったといっていいと思う。


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by yassall | 2018-02-26 19:11 | 日誌 | Comments(0)

2017年度埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」の総会・学習会

 1月28日(日)、さいたま市民会館うらわを会場に埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」の総会ならびに学習会が開催されました。
 2016年度の総会は7月31日、これに先立つ7月10日の参院選の結果、改憲勢力が3分の2を占めるという情勢の中での開催となりました。2017年度総会は半年遅れになってしまいましたが、いよいよ自民党が改憲発議の準備をすすめるという重大な年のはじめに開催されることになりました。
 詳細は「埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」」のブログにゆずりますが、
  http://blog.goo.ne.jp/9jousks?fm=rss
 講演会で講師をつとめてくれた「憲法会議」全国事務局長の高橋さん(元埼高教、元全教中央執行委員、元全労連副議長)から、憲法会議が作成したパンフの普及が急速にすすんでいるというお話がありました。
   ※
 昨年5月3日、安倍首相は突然9条の1項2項を残し、自衛隊を明記した3項を加える、と発言しました。すでに自民党が発表していた『改憲草案』にもない内容でした。
 このシナリオが「日本会議」によって書かれたものであることはもはや周知の事実です。安倍首相は「自衛隊を明記するのは違憲との判断を解消するためで、自衛隊の任務についてはいっさい変更はない」などと述べて世論を誘導しようとしています。
 しかし、「日本会議」はその機関誌で「自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべきである」(『明日への選択』2016年11月号)と、そのねらいを明確に述べています。自衛隊の明記は「戦力の保持」を明確化することであり、それは集団的自衛権によって変質した自衛隊の任務を後付けで肯定し、海外出兵に道を広くものでしかありません。マスコミでもなかなか報道されていませんが、憲法会議のパンフでは鋭く指摘されています。
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(憲法会議 〒101-0051 千代田区神田神保町2-10 神保町マンション202 TEL03-3261-9007)
 ※パンフは一冊100円 注文はFAX03-3261-5453で



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by yassall | 2018-01-30 19:57 | 日誌 | Comments(0)

映画『自白』

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 『自白』は2016年に韓国で上映されたドキュメンタリー映画である。監督の崔承浩(チェ・スンホ)氏はMBC放送で社会番組を担当したプロデューサーであったが、李明博政権下の2012年、言論弾圧によって不当解雇された。その後、「ニュース・タパ(打破)」という独立メディアを立ち上げ、言論の自由と真実の報道のために活動してきた。映画は、韓国の国家情報院(前身はKCIA)がいかに非人道的な手法で「北のスパイ事件」を捏造してきたかを、緻密な調査とそこから得られた証言によって明らかにし、告発している。(上映会「呼びかけ文」から)
  ※
 最初に、なぜこの映画をみることになったのか、その経緯を述べる。金元重(キム・ウォンジュン)は高校の1年後輩である。出会った頃は金田元重という日本名を名乗っていた。後に知ったことだが、私より1年遅れての卒業式で「本名宣言」を行い、在日韓国人として生きていく決意を表明した。折からの大学紛争が高校にも波及する中で、それぞれが自分たちの生き方を問おうとするような時代だった。
 そこから彼の激動の時代がはじまる。法政大学を卒業した1974年に母国ソウル大学に留学した。そして1975年、映画の中でも紹介された「11.22学園浸透スパイ団事件」の被告として逮捕・拘禁された。私に第一報がもたらされたのは高校で学校司書をつとめていたMさんからだった。同窓生の会として救援会を立ち上げるので参加されたし、という葉書が届いたのだ。私と金元重との関係は図書委員会で活動をともにしたことから始まったのである。署名活動、集会活動、他に被告とされた方々との連帯活動にとりくみ、裁判の傍聴、矯導所に移ってからは定期的な面会と、救援会の活動は彼が7年の刑期を終えて帰日を果たすまで続いた。
 1975年に先立つ1973年には金大中事件があった。金元重が収監されている間にも朴正煕の暗殺事件があり、全斗煥の時代には光州事件もあった。民主化の波濤と反動の嵐とが激しくせめぎ合う隣国の動向にはらはらさせられた。今でも強い関心をいだかざるを得ない。
 金元重は帰日後、法政大学大学院に進学し、現在は千葉商科大学の教授をつとめている。それぞれに新しい人生を歩み始めたということだろう。いつしか疎遠になっていた救援会のメンバーと再び交流するようになったのは最近のことである。韓国では「真実・和解のための過去事(過去史)整理委員会」が設置され、金元重も2011年に再審請求を決意し、翌年2012年に無罪を勝ち取った。彼自身は最初、過去のこととしてあまり乗り気でなかったが、同じ政治犯とされた人々や活動家に説得されてのことだという。帰日後もお互いに消息を訪ね合ったり、激励し合ったりしてきたつながりがあったのだろう。
  ※
 その彼から上映会のお誘いがあったのである。いくつかの「スパイ事件」が取り上げられていたが、もっとも中心的にレポートされていたのは2013年1月発表の「ソウル市公務員スパイ事件」である。ニュース・タパの活動開始の時期と一致していた、という巡り合わせもあるのだろう。当事者のユ・ウソン氏は2004年に脱北して韓国に定着し、ソウル市公務員として勤務していた。その彼を「偽装脱北」だったとし、脱北者の情報を北朝鮮に提供していたという容疑で起訴したのである。映画では証拠とされたものを徹底した取材によって突き崩すことによって、事件がまったくの冤罪であったことを白日のものにしていく。
 兄と同居することを夢見て2012年に脱北してきた妹のユ・ガリョ氏の陳述は179日間もの合同訊問センターでの監禁によるものであり、インタビューでは訊問中も何度も拳で殴られたり、あるいは「認めれば兄を助けてやれる、住むところも仕事も与える」と言い聞かせられ続けてのことだったことが明かされる。証拠として提出された中国当局による渡境証明書はまったくの偽造であった。監督の崔氏は中国にまで渡ってコピーを提示しながら局員にインタビューを実施し、それを証明している。2015年、ユ・ウソン氏の無罪が韓国大法院で確定した。しかし、妹のユ・ガリョ氏はすでに追放となっており、兄妹で住むという希望は断たれたままだ。無罪判決を得たユ氏の怒りのインタビューも映画には収められている。
 かつての「学園浸透スパイ団事件」の標的とされたのは韓国内に身寄りもなく、言葉もいまだに不自由であった日本からの留学生であった。同様のスパイ事件がいまだに捏造されていることに驚きを禁じ得ないが、この事件でも脱北者(ユ氏の場合には特に4代にわたる華僑であった)という弱い立場の人間が犠牲にされている。南北に分断され、いまだに休戦中という緊張状態にある半島情勢が背景にはあるのだろう。「事件」を捏造することで点数を稼ごうという小役人根性もさりながら、国民監視や言論封殺を常態化しておこうという権力の意志も働いているに違いない。
  ※
 この上映会のためなのだろうか、監督の崔氏が来日中で、映画が終わった後で30分ほど監督のお話を聞くことができた。さらに大阪から参加した「学園浸透スパイ団事件」で死刑判決を受けた李哲(イ・チョル)氏をまじえ、金元重を司会としてのトークコーナーが設定された。
 話を聞きながら不思議だったのは、監督が「私は映画は見る人にとって面白くなければならないと思っている。韓国で上映するとしばしば笑いの起こる場面で日本ではそうならない。」というような意味のことを述べていたことだった。元重が補足のようなことを述べていたがよく理解できなかった。
 帰路、同行した旧救援会メンバーと台湾料理店で交流していたとき、ふと気が付いた。監督の「面白い」という言葉を「痛快」という言葉に置き換えてみればいいのだ。監督自らのインタビューは被害者側ばかりでなく、どうやって突き止めたものか、合同訊問センターの取調官や検事、またかつてKCIAの担当責任者であった者たちにも及んでいる。取材を受けておろおろと言い逃れをしたり、逃げ隠れしたり、顔を隠した傘を跳ね上げられたりする様はいかにも無残だった。
 それらの取材はまさに身体を張ってなされたものである。あるときは発進しようとする車の前に立ちはだかり、あるときは相手が逃げ込もうとするエレベーターにカメラごと一緒に乗り込んだりである。単に勇猛果敢なだけでなく、「肖像権の侵害だ」との抗議を受ければ、「違います。これは取材です。」と即座に切り返す機転もみせる。韓国で映画をみた人々はそれらの様子に快哉の声を送ったのだろう。
 詳細は省くが、崔承浩(チェ・スンホ)氏は解職から1997日ぶりにMBC放送に新社長として復帰することが決まったということだ。文在寅政権に移行しても、まだまだ紆余曲折は続くのだろうが、あくなき民主化への情熱に心から敬意を表したい。

※映写会は1月20日(土)、在日韓国YMCAで開かれた。上映開始は17:30だった。
※合同訊問センターとは国家情報院と軍との合同機関であるとのことだった。
※本文中のKCIAの担当官とはキム・ギチュン。かつての11.22事件の捜査指揮官であり、前大統領秘書室長にまで出世したらしい。事件を捏造してまで成績を上げることに汲汲としたのだろう。チェ・スンホ氏は大阪で開かれた11.22事件40周年を取材しようと日本に向かう際、金浦空港で偶然にキム・ギチュンを見かけ、突撃インタビューを敢行したということだ。昨年、キム・ギチュンは「文化芸術界ブラックリスト」事件(朴槿恵政府に批判的な文化芸術家に対する政府支援排除対象名簿の作成と執行)を総括指示した容疑で逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けた。(今年に入ってからの控訴審ではさらに重い4年を宣告された。)金元重氏のメールで知ったので補足する。なお、元重氏の刑期を最初8年と書いたが7年の誤りだったので訂正した。(1月24日)



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by yassall | 2018-01-22 19:35 | 日誌 | Comments(0)

トイボ クリスマス公演17

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 16日、葉山美侑ことみかわやから出演情報があったので池袋・シアターグリーンまで出かけてきた。案内には演劇集団TOY’sBOX第17回公演「サンタクロースが歌ってくれた」(脚本・成井豊、演出・青瀬博樹)とある。TOY’sBOXでトイボということらしい。劇団には制作として乙部あきなことレッドが参加している。葉山は今回はJJプロモーションからの客演ということのようだ。
 劇団の立ち上げは2013年とのこと。若々しく、エネルギッシュな芝居運びだったが、しっかり作り込まれていて、浮ついたところは少しもなかった。小技も達者だった。オリジナルは未見だが、十分に楽しめる舞台だった。
 写真は終演後の特別企画である撮影タイムのもの。そんなアフター企画があるのは知らなかったが、開場前に街のスナップでも撮ろうと、たまたまD750を持って出ていたのだった。
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 葉山はミツ役。初めてのメイド姿だと言っていた。明日12/17まで。本日は満席だったが、千秋楽には少し空きがあるとのことだ。


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by yassall | 2017-12-16 20:28 | 日誌 | Comments(0)

ゲッコーパレード本拠地公演『チロルの秋』

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 12月9日、ゲッコーパレード本拠地公演を見に蕨まで出かけてきた。演目は岸田國士『チロルの秋』であるが、チラシにある通り、タイトルは絵画上演no.1「とにかく絵の具を大量にかけるでしょう。そしたらあなたは目撃する。それが何であったのかを。あなたと私が昔から、必ず線を引いてきたって事も。」なのである。
 黒田瑞仁の「代表からのご挨拶」によると、「これまで〈パレードのように〉と意識して数多くのジャンルの芸術家と共同制作」を行ってきたが、所属メンバーからしてどうしても「演劇公演」の形をとることになった、しかし現代美術家の柴田彩芳が新メンバーに加わったことで「作り出すものの形として「演劇公演」だけでなく「美術作品」という可能性も手に入れた」ということである。
 そこで「とにかく絵の具を大量にかけるでしょう。」ということになる訳なのだが、率直に言って、あまり成功しているとは今回はいえないように感じた。大小の脚立や椅子、あるいは広げられ、吊された布、ホウキなどが、絵の具をかけられたことによって、別な何ものかとして立ち現れてきたかというとそうはならなかった。ある美的操作によって統一されたというわけでもなく、かといって混沌というのとも違っていた。役者たちはそれらのオブジェの中で芝居を演じていくわけだが、役者が動くことによって「美術作品」が生命感を帯びてくるとか、役者側からみてその演技に新しい意味を添えていくというふうにも見えなかった。キャンバス地のような役者の衣装にも彩色がほどこされ、それはそれで面白いこころみではあったが、舞台との一体が実現されたというところまでは達していなかったように思った。総じていえば「美術作品」としても「舞台装置」としても実験的な段階で、もし続けていくのなら、コラボとして成功するのはこれからだろう。
 岸田國士については「岸田國士戯曲賞」とか、岸田今日子の父であるとかの知識しかなく、『チロルの秋』についても今回の公演にあたって「青空文庫」をナナメ読みした程度である。したがって、こちらの方も分かったようなことは書けないのだが、芝居の方は面白いと思った。
 1924年の発表で、最初期の作品であるとのことだが、どこかにボヘミアン志向があるのだろうか? チロルのホテルに長逗留していた日本人アマノが、母親が日本人で、明日には旅立つというステラと愛を語る、といった内容である。ところが冒頭のステラとホテルの経営者であるエルザの会話の部分があたかもプレイバックするかのように途中まですすんでは何回も繰り返され、ときどき陰科白が入るものの、アマノがなかなか登場しないのである。
 後半に入って、アマノは激しい物音とともに、駆け込むようにして登場する。遅れた非礼をわびる科白は原作の通りだが、どこか生々しく、客の方は役者本人の遅刻の謝罪をしているかのように一瞬錯覚する。ともかくも生身のアマノの登場によって、ここからはリアルさが追求されていくのかと思ってしまうし、実際にステラとアマノとの間には緊張感のある科白のやりとりが繰り広げられていくのだが、それらの大部分は隣室に姿を消して障子越しに聞こえてくるという演出になっている。それらのやりとりが重視されていないというより、どこか遠いものとして伝えようとしたのかも知れない。
 どうやら「空想の遊戯」をキーワードにしているのである。原作も愛の不可能性、あるいは愛の挫折をテーマにしているらしいから、決して間違った解釈ではない。むしろ恋愛が「空想の遊戯」であることを強調し、アマノの登場はその断絶でしかあり得ない、あるいは断絶によってしか恋愛はかたちを持ち得ないことを表現してみせようとした演出なのだと思った。
 ステラは崎田ゆかりが演じた。今日の芝居は崎田の芝居だったといってよいと思う。表情豊かな中にも、己れの運命を悟った、凛としたものを感じた。いろいろな役柄をこなせる役者だと思った。エルザをつとめた河原舞は今回は脇を固めた。アマノの上池健太はまだ弱さがあるように感じた。
 ヨージこと岡田萌の姿がないの心配だった。もしこのまま一座から離れるようなことになったら、これまでのように毎回公演を見に行くことになるかどうかは分からない。それでも若い才能がさまざまなチャレンジを続けていくことを応援する気持ちに変わりはない。


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by yassall | 2017-12-10 04:08 | 日誌 | Comments(0)