カテゴリ:散歩( 93 )

漱石山房記念館

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 18日は漱石山房記念館に出かけて来た。何年か前に建設計画が発表になり、一昨年の9月に開館したことがニュースになった。いつか行ってみようと思いながらこの日になった。
 地下鉄東西線早稲田駅から徒歩10分とある。地図にあったそれらしい路地を入っていく。あちこちに案内板が立っているので間違いはないのだろうが、本当にこの道でいいのかと不安になるような細い道である。写真は新宿区立早稲田小学校前の案内板。明治33年の創立で幼稚園を併設している。なかなか趣のある校舎である。
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 ゆるいアップダウンのある道を歩いて行くと目的地の記念館が見えて来た。漱石は引っ越し魔だったそうだが、朝日新聞に入社した明治40年(1907)、40歳でこの地に居をかまえてからは晩年までを過ごした。『虞美人草』以降の作品はここで書かれた。漱石山房と呼ばれたのもこの家である。
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 復元されたのは玄関から書斎にかけての一部で、ガラス張りの外壁が覆うような構造になっている。奥に見えるベランダが『硝子戸の中』を彷彿とさせる。このベランダで籐椅子に座った漱石の写真も残されている。
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 内部で復元されているのは書斎のみである。漱石の書斎は和室だとずっと思い込んで来たが、板敷きの洋間だったそうだ。広さは8畳という説と10畳という説があったが、壁に掛かっていた額絵の大きさから類推して10畳と判明したという。文机は神奈川近代文学館に残されていた実物を参考に、書棚の本は東北大学図書館に残されていた蔵書の背表紙を写真にとって再現したものだという。
 入館料は300円だが、有料なのは1Fのこの書斎がある部分と2Fの展示室のみで、導入展示やブックカフェのある1Fと情報検索システムや図書室のある地下は無料で利用できるようになっているらしい。もちろんカフェで飲み物を注文すれば有料になるが、近所にあったら日ごろの散策コースに入れてもいいなと思った。
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 裏庭は漱石公園となっている。石塔は猫塚だという。
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 近くに草間弥生美術館も新設されたというので足を伸ばしてみた。前まで来てみるとずいぶん人だかりしている。案内板をみると予約制で一度に入場できる人数と滞在していられる時間に制限があるらしい。帰りがけの人かな、と思ったのは間違いで、どうやらつぎの入れ替えを待っている人たちだったのだ。まあ、草間弥生は以前に新国立美術館で見たのでそれほどこだわらず、時間が空いた分、高田馬場まで歩くことにした。

 GM5+12-32mm

 ※この日もGM5を携行した。写真を撮るあてがなくても、首から提げていてまったく苦にならない。12-32mmは沈胴式でコンパクト、フードが装着できないという難点は、フィルターに37-52mmのステップアップリングを付け、エツミのラバーフードを組み合わせることで解消できる。12(24)mm側でもラバーを折りたたんでおけばケラれずに済む。


by yassall | 2019-01-19 16:09 | 散歩 | Comments(0)

藤子不二雄A展・カタストロフ美術のちから展

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 20日は車の定期点検。ディーラーは三田線の蓮根にある。待ち時間の間を利用してどこかへ出かけようと考えていた。この時期になってしまうと紅葉はどこも終わりだから美術館めぐりが適当なところである。かといってフェルメールもムンクも見たいと思わない。そこで藤子不二雄Aとなってしまうのが不思議なところだが、なぜかこの方が今の私のどこかを活性化させてくれるような気がしたのだ。
 三田線だと六本木へは日比谷で乗り換えなくてはならない。座席に座れたので本を読んでいたらうっかり乗り過ごしてしまい、また引き返してくるなどというヘマをしながら出かけていった。
 懐かしい、というようなことでもない。『少年サンデー』を読んでいたのは小学生のころだからせいぜい「オバQ」までだろう。今回初めて知ったのだが、本名我孫子素雄と藤本弘が藤子不二雄として合作していたのはその「オバQ]までで、藤本弘が子ども向け漫画に純化していったのに対し、我孫子素雄の方はブラックユーモアを始め、さまざまなジャンルを開拓していった。コンビを解散したのが1987年。藤本弘が亡くなったのが1996年。我孫子素雄はトキワ荘世代の生き残りとして、今も現役の漫画家として描き続けている。その創作力の秘密に触れられたかどうかは別として、会場に入るや喪黒福造の人形がスツールに腰掛ける「BAR鷹の巣」のセットが設えてあったりしてけっこう楽しめた。
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 さて、「藤子不二雄A展」は52階展望台の壁面を利用しての展覧会であったが、53階の森美術館では15周年記念展として「カタストロフと美術のちから展」が開催されていた。共通券でもあったのでこちらも回ってみた。これがなかなかの見っけものであった。
 リーフレットには「東日本大震災などの自然災害、戦争やテロ、難民問題や個人的な悲劇まで、絶えず私たちを襲うカタストロフ(大惨事)。その時、美術はどのようにこれらと対峙し、どのような役割を果たすことができるのしょうか」と趣旨のことばが述べられており、会場に入ると若き日に出会ったJ.P.サルトルの「飢えた子どもたちの前で文学は有効か」ということばが引用されたあいさつ文が掲示されている。まず、その企画力でもって森美術館を見直す思いがした。
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 多くは若い現代作家によるもので、実験的な作品が多数を占めていた。平川恒太(1987年生)「ブラックタイマー」は108個の電波時計に黒の顔料で福島第一原発の作業員の顔を描き込んだ作品である。(福島には東日本エリアをカバーする標準電波の送信局があるのである。)
 最初は壁一面に真っ黒な円盤が並べられているようにしか見えないのだが、近づくとコチコトと時を刻む音が聞こえ、黒い顔料の中に透かし彫りのように作業服姿の顔が浮かび上がってくる。
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 アイ・ウエイウエイ(1957年北京生ベルリン在住)「オデッセイ」は難民問題をテーマにした作品。古代ギリシャの陶器の絵付けを思わせる精緻な描写でボートに乗りこんだ難民やこれを追う兵士たちが描かれている。
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 オノ・ヨーコ「色を加えるペインティング《難民船》」。参加型インスタレーションという説明があり、来場者によって色やメッセージが書き加えられていく。係の人が小部屋の前に控えていて、靴カバーとクレヨンを渡してくれた。



by yassall | 2018-12-27 02:35 | 散歩 | Comments(0)

紅葉2018⑧飛鳥山公園・音無親水公園

 14日は午前中にインフルエンザ予防接種の予約、夕刻から整体の予約を入れた。隙間時間を利用して王子まで出かけて来た。桜のシーズンはともかく、どちらも紅葉は予想通りだったが、何枚かだけアップしておく。
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 青い葉、赤い葉、枯れ葉が混在している。都会の紅葉の限界だろう。
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 この日のカメラでは近寄れないし、寄っても詮ないので、ロングショットでねらうだけ。
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 イチョウも今年はどこもさえない。色づきも悪いし、葉が落ちるのも早かった気がする。
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 音無親水公園に回る。
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 ここもまあこんなところ。紅葉も今年はこれで最後だったな。

 RX100Ⅲ



by yassall | 2018-12-22 19:57 | 散歩 | Comments(0)

紅葉2018⑦林試の森公園・芝公園

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 8日、林試の森公園の散策に武蔵小山まで出かけてきた。新しい撮影スポットはないかとあれこれ物色していたところ、元林野庁・林業試験場の跡地を整備して都立公園として開放されていることを知った。武蔵小山なら三田線一本で行けてしまう。
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  南口から入るとすぐ左側がデイキャンプ場になっている。周辺は住宅密集地であるのに、一歩入るとデイキャンプとは驚きの光景だが、他にも大きな広場がいくつか確保され、子ども達が野球の練習をしたりしている。それでも全体の敷地からするとごく一部だ。
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 カエデはそのデイキャンプ場付近が一番きれいだった。日当たりもいい。下に見える屋根は炊事場である。
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 園内を散策しながらロケーションを確かめる。人影がないように見えるが、ジョギングをしたり、散歩中だったり、私と同じように写真の撮り歩きをしている人はけっこう多かった。
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 小石川植物園と同じように、低地あり、平地ありの多様な地形であることが試験場に選ばれた理由なのだろうと思った。
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 ラクウショウの紅葉が見られるというあたりに来たのだが、すでに落葉してしまったのか、それらしい木々は見当たらなかった。その代わりに、ひときわ背が高く、枝振りが立派な木が立っていた。左手前の木にはユリノキという札が付いていたのだが、枝振りは似ているものの、肌の色が異なる。名前が判然としないのがもどかしいが、知識がないのだからいかんともしがたい。
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 見上げてみても絵になる木だ。
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 在来種や外来種など、さまざまな名前の木々が植林されていた。
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 平地に出てくる。
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 公園の中程には「林業試験場発祥の地」記念碑が建立されている。
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 クスノキ。園内一番の巨木で樹齢100年はたっているとのことだ。
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 帰路はコースを変え、小川を遡り、池の周りを歩いた。
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 木陰になってしまっているが、それでも漏れてくる日差しがきれいだ。
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 帰り際にもう一度デイキャンプ場付近のカエデを。
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 武蔵小山駅から乗車した電車が14:45発。もう少し時間がとれそうなので芝公園前駅で下車した。公園方面出口の階段を上るとイチョウがいい感じだったので少し期待が高まった。だが、丸山古墳あたりはさっぱりだった。前に来たときは雨だったせいもあるが、やはりさんざんだったのだ。
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 このあたりが撮影スポットらしいのだが、明暗差がありすぎ、イチョウの色も沈んでしまい、東京タワーの方は色が出ない。撮影に適した時間帯も終わりに近づいたようなので切り上げることにした。もみじ谷はもう少し先だったらしい。

  EM10Ⅱ+LX12-60mm





by yassall | 2018-12-09 01:35 | 散歩 | Comments(0)

紅葉2018⑥大田黒公園

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 4日は太田黒公園。3年ぶりである。前回は殿ヶ谷庭園のあとから回ったので、こちらに到着したころには日が陰ってしまった。次回はもっと早い時間に来てみようと思っていたのに、やはり家を出るのにぐずぐずしてしまい、荻窪駅についたのが13:30頃になってしまった。
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 それには天気予報では曇りだったのに、なにやら日差しが出てきたのを見計らって、急遽出かけることに決めたからという理由もある。正門を入ったイチョウ並木も日差しを受けて輝いて見える。
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 こちらが並木道の終点にあたる中門。帰り際に人が引けたのを見計らって撮った。
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 中門を入ると日本庭園。写真は奥側からである。
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 これも奥側から。中央が広場になっている。左奥に見えるのが大田黒氏の旧アトリエ。
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 広場のさらに奥は池泉になっていて、池に張り出すようにして四阿が設えられている。この3カ所をポイントに写真撮影に入る。
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 風が収まるのを待って水との取り合わせをねらう。
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 今度は池が外れてしまった。透過光が美しい。
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 広場の中のひときわ枝振りのよいカエデを中心にする。
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 旧アトリエのピンクの壁との取り合わせ。
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  こちらはアトリエに隣接する休憩所の前あたり。
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 とにかく光があっての紅葉である。
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 存分に撮影を楽しんだがアップはこれくらいで。帰路は高円寺に出てバスという順路を選んだ。

  EM10Ⅱ+LX12-60mm


by yassall | 2018-12-05 19:33 | 散歩 | Comments(0)

紅葉2018⑤立教大学正門そば

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 11月22日、金孝淳氏による『祖国が棄てた人びと 在日韓国人留学生スパイ事件記録』出版記念講演会が立教大学で開催されたことを報告した。実はその際、会場に忘れ物をしてしまったのだ。すぐに気が付いたのだが、もう施錠しなくてはならないという状況だったので、探し出すことが出来なかった。私のまったくの不注意であるのだからあきらめるしかないと思っていたのだが、いちおう忘れ物の特徴などを書いたメモを事務局に届けておいた。すると3日になって大学から連絡をいただいたのだ。その日のうちに尋ねると、間違いなく自分のものであることが確かめられ、本人確認の上ですぐに受け取ることが出来た。
 その帰り道、正門そばの広場のイチョウがみごとだったので一枚撮らせてもらった。今回一度だけ、という記念と、自分への戒めのためでもある。部外者がいつまでもカメラを片手にうろうろしているわけにもいかないので早々に退去した。

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by yassall | 2018-12-05 19:00 | 散歩 | Comments(3)

紅葉2018④江戸川橋

 29日、午前中様子を見ていると晴れてくる気配があったので、散歩に出かけることにした。とはいえ、池袋に到着するまではどこへ行くともあてはなかった。東京での紅葉探訪は12月に入ってからという頭でいたせいもある。有楽町線で飯田橋にでも出てみるかと電車に乗り込んでから、駅ひとつ前の江戸川橋で降りることにした。
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 江戸川橋は桜のシーズンに歩いた。肥後細川庭園まで行けば紅葉が色づいているかも知れないと思ったのだ。
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 道の途中でも絵になりそうな紅葉を探してみる。
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 イチョウもカエデもまだまだ色づきが浅い。
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 椿山荘にさしかかる。江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷だったこの地を「椿山荘」と名づけ、自分の屋敷としたのは山県有朋である。山県有朋は近代日本の創成期で悪いことばかりした人間という印象しかないから、これまでは立ち入りたいとも思わなかった。だが、開かれた門からちらと内部が見えて、まあそれほどこだわる必要もないかと、つい寄り道をすることになった。
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 このころには青空も見えていたのである。
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 この日、紅葉を撮ってみようと思ったのにはRX100ⅢとS8200とを撮り比べてみたいとの理由もあった。アスペクトが3:2の画像がRX100Ⅲ、4:3の画像がS8200である。
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 ときどき復活しそうになってはお蔵入りになるS8200なのだが、どうもしばらく常用カメラとして使わなくてはならない事情ができたのである。もともと1/2.3センサーにしては良い画像を作るなあ、とは思っていたのである。
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 なにやら様々な史跡も点在しているらしいのだが、あまり深入りせずに先を急ぐことにする。
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 関口芭蕉庵も今日は門扉だけ。
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 肥後細川庭園に入る。正面の建物は松聲閣。細川家下屋敷時代の学問所を修復・保存したものだという。
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 予想通り、木々が紅葉している。
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 ただ、日が陰って来てしまい、色も美しくなく、画像も何となくもやもやしている。こうなると1inchセンサーも1/2.3センサーもあまり差がない。
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 松聲閣の裏手が小さな広場になっていて、なにやら灯籠らしいものが並んでいる。
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 クマモンの絵が描かれていたり、「復興頑張れ」とか「まけるな」といったフレーズがこどもの字で書かれていた。このあたりで散歩を切り上げ、帰路についた。今日は早稲田から王子まで都電に乗り、赤羽まで出てバスで帰宅。途中下車して晩の買い物をする予定でいたのである。
   ※
 《追記》
 帰宅して一段落していると、奇妙なメールが届いているのに気が付いた。差出人が自分のアドレスなのである。あとで良く調べてみると「なりすましメール」の一種で、差出人と宛先とが一致するようなプログラムを用いた、ごくありふれた手口であるらしい。「なりすまし」というのは他人や団体(つまり知人や現実に存在する会社)を偽装することだと思っていたので、一瞬「あなたのアカウントを乗っ取った」というのに信憑性を感じた。だが、それにしては文面もどこか廉価な翻訳ソフトを用いたような稚拙な日本語で、「アカウントを乗っ取った」というにはそれらしい個人情報の記載はなく、書かれている内容も事実に基づいたもののようではなかった。それでも気になるのでセキュリティソフトでフルスキャンを行い、翌朝JCOMに連絡して必要な措置をとった。念のため、もうしばらくパソコンからのメールを控えるなど、様子を見ようと思っている。たぶん何事もないと思うが、もし不審なメールが私のアドレス名で届くようなことがあったら連絡して欲しい。


by yassall | 2018-11-30 19:43 | 散歩 | Comments(0)

寺山修司展

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 15日、神奈川近代文学館で開催中の寺山修司展へ出かけてきた。そろそろ開催期日も迫っているのは知っていた。天気の良い日があったら少し遠出をしたいと思っていたので、候補地としてマークしておいたのだ。
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 元町・中華街駅のひとつ前の日本大通り駅で降りたのも目的の大きな部分を散歩が占めているからだ。写真も街角スナップ程度のつもりでいたから機材はTX1一台である。
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 山下公園から港の見える丘公園までが本日のコースであるから赤レンガパーク方向は遠望するにとどめる。
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 インド水塔の天井のタイル模様。1939年、在日インド人協会から寄贈された塔というには小ぶりのこの建造物は、関東大震災で命を落とした同胞らを慰霊するものでもあるという。
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 横浜マリンタワー。
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 氷川丸も健在である。いつだったか、戦時中は海軍に徴用され病院船として使用、戦後は帰国者の引き上げ任務に従事したという歴史を紹介したテレビ番組があった。戦中・戦後史の証人として残っていって欲しい。
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 花壇の花々もよく手入れされていた。観光客も多かった。
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 花壇がああるのが中央付近、南端の階段は滝の落ちる意匠が凝らされていて、なかなか造形的である。人通りはあまりない。
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 階段を上って右折すると歩道橋が港の見える丘公園まで続いている。
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 港の見える丘公園に到着する。フランス山に登る正面の階段はせいぜい100段というところなのだが、けっこう息が切れて難渋した。以前に来たのは12、3年前だっただろうか、F5とA200の2台態勢で何でもなかったと記憶しているのだが。
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 神奈川近代文学館は霧笛橋を渡った公園の一番奥まったところに位置している。大佛太郎記念館は入口の猫の彫刻を写真に撮ったのを覚えている。近代文学館はさらにその裏手になる。
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 寺山修司についてまた新たなことを知れる、というようなことは期待していなかったが、展示はなかなかセンスがよいと思った。撮影フリーのコーナーがあって、この一枚は一度写真(たぶん自画像)を破り、後に糸で縫い合わせるというコラージュ。寺山が高校時代に創刊したという俳句誌『牧羊神』や劇団「天井桟敷」時代のポスターの実物が見られたのはよかった。
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 近代文学館の建物およびその周辺も寺山修司展モードに装われていた。
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  最後に今回気が付いたことをもう一つ。特に「天井桟敷」時代の展示を見ていて、寺山修司の周りには実に多彩な才能が集結していたのだな、と思った。その幅の広さたるや、横尾忠則から辻村ジュサブロー、コシノジュンコまでをカバーしてしまう。寺山に人を引きつけて止まない吸引力もあったのだろうし、寺山もそうした多くの才能と創作をともにすることを好んだのではないだろうか?



by yassall | 2018-11-16 19:39 | 散歩 | Comments(0)

旧芝離宮庭園

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 7月12日、三田線沿線散策ということで芝離宮庭園に出かけてきた。浜離宮には何度か行ったことがあるのだが、芝離宮の方はなかなか足が向かなかったのだ。芝公園駅からの方が近そうだったので、そちらから歩いた。15分ほどで着いたのだが正門は反対側だった。入り口はひとつだけで、JR浜松町駅改札口のすぐ隣である。なあんだ。
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 もともとは老中・大久保忠朝の邸地。典型的な池泉を中心とした回遊式庭園である。今は都立庭園となり、65歳以上になると70円で入園できる。東京都の日本庭園は多くは大名庭園であり、借景は高層ビルである。以前はそれが京都との差だと残念に思ってきたが、最近では慣れてしまった。
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 こちらは反対側の一番奥まったあたりからの全景図である。
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 西湖の堤を模した石組みはいたるところの日本庭園に見られる。古来、いかに中国文明へのあこがれが強かったかが知れる。
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 ただ、大概はミニチュア版とでもいうべきものが多いが、芝離宮の堤は実際に人が渡れる、しっかりした造りになっていた。
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 少々不思議だったのがこの4本の石柱である。北条氏に使えた武将の旧邸にあったものを小田原から運び、小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当時に茶室の門柱として使用された、とある。何だか佗茶の世界観とは遠い気もするが本当だろうか?
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 離れたところからみるとこんな風に見える。何となくシュールである。日本にも石の文化があったということか?
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 以下、点描をいくつか。
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 枯滝の石組み。
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 最近は造園の妙を凝らしたつくりより、このような開放的な景色の方が好きになった。
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 この方が都会のオアシス感があるではないか!
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 海水取入口跡。浜離宮もだったが、もとは汐入の池だったらしい。

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 東京モノレールが見えた。ということは羽田に向かうときにはモノレール内から芝離宮が見えるはずだということだろうか? いつか確かめてみよう。
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 梅林があったり、入り口付近には藤棚がしつらえてあったり、紫陽花が咲き残っていたりしたが、どうやら花のシーズンは過ぎてしまっていた。桔梗だけまだ見ごろのようだった。帰路は浜松町駅前を通り過ぎて増上寺に出て御成門駅まで歩いた。距離的には芝公園駅からとほぼ同じくらい。

 E-M10Ⅱ+12-50m

 ※今日は12-50mmを持ち出した。OLYMPUSのレンズの方が5軸手ぶれ補正の実力が分かると思ったのだ。レンズ側に手ぶれ補正があるとボディ側は自動的にキャンセルになってしまうらしい。OLYMPUSはこのレンズの製造と販売を中止してしまった。後発で、もっと描写力のあるレンズが発売されたからということだろう。細長いスタイルが特徴だが、確かにあまり格好良くはない。35mm換算で24mmからはじまり、防塵防滴仕様、いちおうMACROにも対応しているので使い勝手は良いのだが。


by yassall | 2018-07-14 11:01 | 散歩 | Comments(0)

板倉雷電神社

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 写真を撮りに出かけながら、そのままになっていることが多くなった。板倉雷電神社に出かけたのは6月14日。6月はめずらしく用事が立て込んで写真の整理に当てる時間がなかなか取れなかったのだ。

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 誘ってくれたのはいつも森林公園散策でご一緒するKさんである。Kさんは群馬・太田の出身。埼玉で教職に就き、結婚もしたことから埼玉住まいになったが、故郷いまだ忘れがたいものがあるものと推察する。太田からはかなり離れているのだが、ずいぶん前から板倉近辺のドライブに誘われていたのだ。
 板倉雷電神社は、主に関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の事実上の総本社格にあたるとのこと。渡良瀬川と利根川との間に位置し、古くは伊奈良(いなら) の沼と呼ばれる湿地に浮かぶ小島であったこの地は、また雷の被害が多い土地で、古来から度々火災や水害に見舞われたという。(埼玉では本庄が雷被害が多いと聞いたことがある。大気が不安定になりがちだったり、雷雲が発生しやすい地形があるのだろう。)それらを鎮め、人々の暮らしを守護することを目的として建立されたのだろう。創設は推古天皇6年(598年)とある。延宝2年(1674年)、当地を治めていた館林藩の藩主であった徳川綱吉が本社社殿を再建し、後に綱吉が第5代将軍となるに及んで次第に繁栄するようになり、社殿に徳川家の三ツ葉葵の紋章を使うことを許された。(これらは話を聞いたり、後から調べて知ったことだが、翌週、母方の田舎で法事があって茨城に出かけたところ、車中から雷電神社の末社が見えた。関東一円の信仰を集めているというのは確かなのだろう。)
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 Kさんの運転はかなりアバウトである。ナビがついているのだから使えばいいのにと思うのだが、だいたいの見当はついている、俺の勘の方が頼りになるとのこと、1kmくらい先に進んでから、もう一度引き返してみよう、という具合でやっとたどりついた。ただ、関東平野の広大な田んぼと、ところどころに工業団地や民家が集中している中に、幹線道路からはかなり離れたところにあるので、見つけにくいことは確かだった。そういうわけで、社殿を間近にしたときはその構えが予想以上に立派であることに驚かされた。
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 彫刻の作者は左甚五郎から10代目の石原常八とのことだ。どれほどの人物かは知らないが、かなりの力量が見て取れる。

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 これは本殿の裏側の彫刻。描かれている逸話についての知識があればもっと理解が深まるのだろうが素養に乏しいのが残念だ。
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 さて、発端は雷電神社の本殿前に小林という川魚の料理店がある、そこでナマズの天ぷらを食おう、ということだった。ところが駐車場に車を止めてから参道を探してみたのだがなかなか見つからない。
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 これが参道。最近になって整備されたらしい。本殿前から逆に歩いていった。こちら側から見ると堂々たるものだが、反対側を見ると左側は狭い路地に抜けるようになっており、右側は斜めはるか遠くに幹線道路につながるようになっている。これでは見つからないはずだ。
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 そういうわけで、実際に昼食をとったのは小林の向かいにある林屋という店だった。駐車場からアプローチしようとすると、路地がこの店に通じていたのだ。老夫婦が経営する店で、話しかけるといろいろなことを教えてくれた。
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 次に向かったのは西丘神社である。変哲もない、どちらかといえば忘れ去られたような神社であるが、境内は赤城塚古墳である。古墳からは三角縁仏獣鏡他が出土しており、県の重要文化財に指定されているとのことである。三角縁仏獣鏡は3世紀に魏で制作され日本に伝わったとされ、仏教あるいは道教の影響を考察する上で貴重な資料であるという。Kさんは数学が専門であるのに、考古学にも関心が高く、今も講座に通うなど勉強を怠らないのである。
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 次に向かう。田中正造が最期を迎えた庭田清四郎家が近くにあるはずだという。後から渡良瀬川の支流である才川沿いにあることが分かったが、探している途中で道を大きく外れてしまい、見つけることが出来なかった。ただ、幹線道路の交差点にこのような碑が見つかった。
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 そろそろ夕暮れ時がせまってきたところで館林市内に入る。館林城趾が市役所や文化会館・総合体育館等が集中するエリアになっている。域沼が豊かな水をたたえている。
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 館林城の本丸跡。在りし日の規模が知れる。
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 館林市第二資料館が隣接している。旧上毛モスリン事務所とある。群馬らしく製糸業に関連した旧跡が残されている。
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 田山花袋(1871-1930)が7歳から14歳までを過ごしたという家も残されていた。全景も撮ったのだがなぜかピンぼけだった。ここで群馬紀行を終え、一路埼玉にもどる。森林公園は新盛で二人反省会を開いたのはいうまでもない。

 E-M10Ⅱ+LX12-60mm


by yassall | 2018-07-13 18:32 | 散歩 | Comments(4)