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カテゴリ:カメラ談義( 12 )

CONTAX T2

 前回とりあげたOLYMPUSもCarl Zeiss も光学機器メーカーとしては顕微鏡の製造からはじまった。NHKの「坂の上の雲」だったか、別の映画か何かだったか、日本海海戦に臨んだ東郷平八郎が「儂の双眼鏡はカールツァイスだ」と自慢するシーンがあった。OLYMPUSがカメラの製造に進出したのもCarl Zeissに範を得てのことだからZeissが世界の光学機器をリードする存在であったことは疑いない。
 ※顕微鏡とカメラを手がけたOLYMPUSはその実績を見込まれて胃カメラの開発を託された。現在のOLYMPUSの主な収益は胃カメラ(内視鏡)から得ていると何かで読んだことがある。
 CONTAXはカメラ界では新興であったライカの成功に脅威を感じたツァイス・イコンが、メーカーの威信をかけて世に問うた35mmカメラのブランドである。実際、CONTAXⅠ型は距離計の正確さ、1/1000秒の高速シャッターなどの点でライカをしのぐ性能を与えられたのである。
 こうしてライカと人気を二分したCONTAXであったが、第2次世界大戦後の東西ドイツの分断に大きく影響された。カールツァイス財団はほどなくして有数の企業として復活したが、東西に二分されたこともあって、ブランド名としてのCONTAXは使用されなくなり、カメラの製造そのものからも次第に撤退していった。
 (2005年にコシナと提携してZeiss IkonがMマウントレンズを使用するカメラとして製造されたことがあった。ツァイスのボディでライカのレンズが使えるということで、往年のファンたちはずいぶん熱狂したことだろう。「アサヒカメラ」2005/1が新ツァイスZMレンズとライカレンズの実写比較を特集していた。もちろん私は手を出さなかった。)
 日本では、最初にヤシカがカールツァイスと提携し、CONTAXブランドのカメラを世に出した。CONTAX RTSの発表は1975年である。つまりヤシカとCONTAXはマウントを共有していたことになり、ヤシカのカメラを買えばZeissのレンズが使えるというのに心が動いたことがある。
 1983年、ヤシカは京セラに吸収合併されたが、京セラは一眼レフではRTSⅢやAX、新たにGシリーズを発表するなど、独創的なアイデアと技術を投入した高級機路線で独自の地位を占めることになる。N1で測距点を対角5点に配置した説得力に、真剣にニコンからの乗り換えを考えたものだった。

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 さて、また前置きが長くなったが、CONTAX T2は京セラの高級コンパクトカメラTシリーズの2番目のカメラである。(TシリーズのTはTinyから。)
 第1号機のTが発売されたのが1984年とのことだが私の記憶にはない。どこかの中古店で実機を一度くらいは見たことがあったような気もするが、売っていてもおそらく高くて手を出すことはなかっただろう。写真で見るとポルシェのデザインというだけあってなかなか見事なスタイルである。前板折りたたみ式の沈胴式レンズ、ピント合わせはまだAFではなく二重像合致式である。
 T2が発売されたのが1990年。今度はパンフレットを持ちかえっているから興味を引かれたのは確かだろう。だが、12万円という価格は自分のものにしようという気を失わせしめるのに十分な額だったはずである(そして京セラの製品はなかなか値落ちしなかった)。それがどうして今私の手元にあるのか、たかがコンパクトカメラに大枚をはたく気になったのか全くわからない。
 長くサブカメラとしてはOLYMPUS XAを使っていたが、前回も書いたようにシャッターの感触やその描写力に不満がつのっていたせいもあるだろう。
 外装はチタン。チタンは軽量・高強度・耐衝撃性・耐腐食性にすぐれているが加工が難しい。T2の加工は精密だった。シャッターボタンに多結晶サファイア、ファインダーにもサファイアガラスを用い、絞り羽根は7枚、フィルム圧板は京セラらしくセラミック製という凝りようだった。所有することの喜びのようなものを私も求めたということだろうか。
 こうしてコレクションに加わったT2であったが、実は使い始めてしばらくはその真価がわからなかった。(一言でいえば「描写がやわらかい」だった。)真価を実感したのは初の(というか最初にして最後の)ヨーロッパ旅行に携えて行ったときである。ビデオカメラも持って行ったのでカメラの方は軽量にしたかったというのが動機だった。だが、旅行後にプリントを見て驚いた。まずは発色の良さ。決して硬調ではないのだが、気に入った何枚かを引き延ばしてみると、肉眼では気づかなかったような細かいところまでしっかり解像しているのだった。Zeiss恐るべし、だった。
 (単に解像度が高いと言うだけでなく、いうなれば空気感というところなのだろうか。カール・ツァイスはライセンスを与えているだけで、設計そのものは京セラなのだと分かっていても、やはり機器類でもその土地にあった機器が作られるのだろうと妙に納得したのを記憶している。)
 カメラの真価とはやはりレンズ性能であるのだろう。T2のレンズはT*ゾナー38mmF2.8(4群5枚)。「T*」はTスターと読み、「T」はトランスペアレンシィー(透過)でZeissが古くからコーティングレンズに付けていたマークであり、多層膜コーティングの進化とともに*を加えて「T*」と付けるようになった。

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        (119×66×33mm、295g)



 ※京セラも2005年にはカメラ事業から撤退した。デジタル化の波の中で多くのカメラメーカーが姿を消していった。京セラは1999年にはCONTAX 645を発売するなど最後まで気を吐いていたし、デジタルカメラにも乗り出していたのだが日進月歩する技術革新に追いつけなくなったのだろう。
 その代わりに電気機器メーカーがデジタルカメラの世界に参入してくるようになった。ソニーはZeissと提携しているがCONTAXブランドには手を付けていない。パナソニックはライカと提携しLUMIXを出している。ライカはミノルタとも提携していた時期があるのだが、これも栄枯盛衰のならいだろうか。なお、LUMIXは現在の私の愛用機である。
 ※IXY2000ISもチタン外装であった。私が入手した個体のつなぎ目にすき間があるのに気がついてメーカーに持ち込んだが、直らない(直せない)かも知れないと言われたことがある。チタンの加工の難しさを改めて実感した。キャノンの名誉のために書いておけば、IXY2000ISの描写はすばらく良かった。その後に使い始めたS90より良かったのではないだろうか。今は手放してしまったが、35mmではなく28mm相当始まりだったらもっと長く使っていたことだろう。4000の後継機にはずいぶん期待していたのだがついに出なかった。まあ、その代わりにS90が出たようなものだが。


by yassall | 2014-02-07 13:18 | カメラ談義 | Trackback | Comments(0)

OLYMPUS XA

 一般的にいってカメラも大型になるほど高性能になるのは確かなことだろうと思う。登山に出かけて山の写真を撮るにはカメラは小型の方がいいと普通は思う。可能な限り装備を軽量にするためには当然である。だが、精密な山岳写真を撮るためには大判でなくてはならないとし、カメラ本体はもちろん、重量級の三脚を担いで平然と山に向かう写真家もまた多い。
 ニコンがF6を出したとき、これがF5の買い時かも知れぬと思い、F90を下取りにして中古を買った。一台くらい究極の性能を持ったカメラを所持しているのも悪くないと思ったのだ。
 (中古とはいえ、それでもけっこうな値段だった。ミヤマ商会池袋店にはよく通ったが、今はもう店をたたんでしまった。新宿店は健在のようだがまだ行ったことはない。)
 では、実際の撮影においてF5を持ち出す機会がどの程度あったかというと、恥ずかしながら指折り数えるくらいしかない。その重さに比してハンドリングは決して悪くはないのだが、それでも相当の気合いが入らないと持ち出す気になれない。
 F5は、少なくとも35mmフィルムカメラにおいては頂点を極めたとカメラだと思っている。そういうカメラはまた、それに見合うレンズも要求するのである。2代目の24-120mmを新調して装着してみたりしたが、どうもしっくり来なかったというのも持ち出す機会が減った理由である。

 さて、前置きが長くなったが、カメラ談義をどこから始めようかと考えた末、いわゆるサブカメラから話題にしてみようと思う。
 35mmサイズをライカ判というのは、ライツの技術者であったバルナックが映画用フィルムを使用した小型カメラを試作したことから始まり、その理由が「無類の写真好きであったが、小柄で体力もさほどなかったバルナックにとって木製大型カメラを持ち歩くことは難儀であったため。」という説がある。精緻な写真を撮るには大判のフィルムを使用するカメラの方がいいに決まっている。だが、今日のようなカメラの普及にはライカ判の完成にあずかることが大きかった。だとすれば、小型軽量であることもカメラの進化の方向のひとつなのである。

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 と、また遠回りをしてしまったが、最初にとりあげるのはOLYMPUS XAである。私の一眼デビューはニコンFEからで、これとはずいぶん長いつきあいになった。これをメインにしながら、もう少し気軽に持ち出せるカメラが欲しくなり、行き着いたのがXAである。
 XAは1979年の発売。私は自分が買ったことのあるカメラのパンフレットはすべて保存してあるのだが、そこには「凝縮されたメカニズムのハイテクニカルオート。だから、一眼レフのサブカメラ。プロの休日カメラ。」なる宣伝文句が書き込まれている。少々大げさだなと思うのだが、姉妹機のXA2がゾーンフォーカスであるのに対して二重像合致式一眼連動距離計を備え、露出制御も絞り優先式AE、切り換えレバーで+1.5EVのワンタッチ逆光補正も可能という凝った内容だった。(露出補正ダイヤルはついていない。自分で調整したいときはASA感度設定を変更すればよいのである。)
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 バリアを閉じた状態。この電源スイッチをかねたスライド式のバリアも当時としては個性的でなかなかオシャレだった。レンズは35mmF2.8。Fズイコー5群6枚構成で、これもDズイコー4群4枚構成のXA2と差別化していた。
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 ストロボは別売。A11とA16があったが、ガイドナンバーが少し大きいA16を選んだ。その当時の高感度フィルムはASA400程度でも役に立たなかったのでそうしたのだが、実際にはあまり使わなかった。

 シャッターは電子シャッター。「フェザータッチ」が謳い文句だったが、個体のせいなのか、私のは感度があまりよくなく、ときどきシャッターチャンスを逃した。絞りはF2.8~22まで選択できたが、絞り羽根が二枚式で、ここは手抜きだった。それでも当たるときにはそれなりの絵をものにすることが出来たからよく持ち歩いた。

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             (102×64.5×40mm、225g)


 ※ASAはフィルム感度をあらわす数値。今はISOというが、当時の言い方にならった。
 ※35mmフイルムをカメラで使おうという試みはライカ以前からあったとのことである。それでもライカ判と呼ばれるのはカメラとしての完成度が高かったからに違いない。
 ※ズイコー(Zuiko)は、オリンパスのカメラレンズのブランドである。ズイコーは「瑞光」から来ているのだろう。他社がニッコールとかフジノンとかヘキサーとか命名したのと比較するとずいぶんと古式ゆたかな名前である。なお、ミノルタのレンズ名がロッコールなのは六甲山から来ているというのは最近になって知った。


by yassall | 2014-02-01 02:38 | カメラ談義 | Trackback | Comments(0)