カテゴリ:つい一言( 46 )

つい一言 2018.2

 久方ぶりの「つい一言」の更新なので、最初に近況というのか、最近の心境というのか、そのあたりから書いてみたい。
 「つい一言」だけでなく、今年に入ってからブログの更新そのものが滞りがちなのだが、2月に入るなり少しばかり重い風邪を引き込んだことが大きい。もともと出不精なのに1週間ほど外出もせずにいたし、その後も積極的に行動する気になれなかった。新しい記事を投稿しようにもネタがないというのが本当のところだったのだ。
 11月に不注意で突き指をした。なかなか治らない。いくら何でも長すぎるな、と怪しんでいたが、整形外科にかかったときに見てもらったらへバーデン結節だと診断された。人差し指から小指にかけての第1関節に発生する変形性関節症で、40歳以上の女性に多いのだそうだ。今のところ、突き指だと思い込んでいた中指以外には痛みはないのだが、よく見ると中指以外にも人差し指と小指は明らかに第1関節に結節があり、曲がっている。関節リュウマチとは違うというのを喜んでいいのかどうかは不明だが、やはりキーボードを叩くのに辛いものを感じるようになったのだ。
  ※
 さて、「つい一言」に限ってみると、昨年の10月21日以来、投稿が止まっていた。突然の解散による衆院選挙の前日である。どうもこの辺にも更新が滞りがちになってしまった原因がありそうである。
 怒りを忘れたわけでない。ただ、今日書こうと思っている「裁量労働制」の問題にしても、根の深いところまで突き詰めていこうとすればそれなりの構えが必要になるし、自分に書ききれるかどうかと考えるとつい二の足を踏んでしまう。これだけ大問題になっていることを、何も自分までもが書く必要があるのか、と考えれば気力も萎みがちになる。所詮、蟷螂の斧との自覚にもとづいているののの、この怒りは広がっているのか、人々と共有されているのか、という焦りの感情もある(怒りが広がっているのなら、あの選挙結果にはならなかったはずだ、というやる方なさ)。
  ※
 「裁量労働制」の問題とは、裁量労働制の下で働く人の方が、始業・終業時間を定めた働き方をする人よりも労働時間が短いとした安倍首相の国会答弁が、データに捏造ありとして撤回に追い込まれた一件である。今日のニュースでは、厚労省の調査が一般労働者には1ヶ月で一番長く働いた日を聞き、裁量労働制の調査では単に一日の労働時間を質問したものであることが明かされ、「おわびを述べた」とあった。ちらっと見たTVのニュースでは安倍首相の姿はなかったが、麻生財務相や加藤厚労相といった閣僚たちがなぜかヘラヘラと笑いこけている様子が映し出されていた。
 「森友問題」でも破棄されたはずの文書が次々と明るみに出されている。麻生財務相の答弁は「法律相談であって価格の交渉ではなかった」などという子供だましの内容だった。今回もきっと国民は「子供」のようにことの重大性を理解しないか、「精査中」などという言い逃れや、たわいもない言い訳でだまされてくれるだろうと高をくくっているのだろう。明らかに国民は「侮辱」されているのである。
  ※
 「裁量労働制」=「働き方改革」の根っこにあるのは、安倍・自民党がかかげる「世界で企業がもっとも活躍できる国」づくりである。根底に流れているのはグローバル化社会=競争社会の国際化の現状にあって、競争力を高めなければ国際競争に勝ち抜けない、といったような論理だろう。
 だが、「一将功成りて万骨枯る」ではないが、日本企業が大儲けをあげている下で、国民の生活や健康が損なわれ、家庭が破壊され、次世代の未来が失われるようであってよいはずがない。一時の栄華に酔いしれ、百年の計を忘れるような態度は少なくとも真の政治家のものではない。(2月19日)
  ※
 怒りが失われる、ということは、無力感にとらわれてしまうということで、つまりは諦めの境地に入ってしまうということだろう。人生には諦観が求められることもあるのだろうが、ここでいう諦め(=断念)と諦観とは異なるとも思う。もともと「ボケ防止」と思って始めたブログであるから、自分の指と相談しながら、続けられる限りは続けていけたらと思っている。

 「捏造」「虚偽」「隠蔽」といえば、これもまた国民に対する侮辱としかいいようがない。大手電力会社が「満杯」としてきた送電網は実際には利用率は2割程度(※)で「空き」は十分であったということだ。
 ※2016年の電力業界によるデータによると、全国の基幹送電線の平均利用率は19.4%、最も高いのが東京電力の27%で、最も低いのが東北電力の12%であるという。
 「空き容量なし」という点については以前から疑問視する声が大きく、電力会社側としても真実を公表するしかなくなったということだろう。それでも、各社が「空き容量ゼロ」と公表した路線は全路線の34.8%、特に東北電力は70%近くの路線を「空きゼロ」とし続けているそうだ。
 しかしながら、その理由は将来原発を再稼働した場合を想定してのことであり、つまりは再生可能エネルギーの新参入を阻もうとするためとしか思われない。それでも参入しようとする場合には、高額の増強費用を求められる事例が全国で発生しているという。
 国際再生可能エネルギー機関(IREA)は、再生エネルギーの発電コストは2010年からの7年間で大幅に下がり、世界平均で太陽光は73%、陸上の風力は23%下落したとの報告書をまとめたという新聞記事があった。アドナン・アミン事務局長は「再生エネへの転換は、環境への配慮というだけでなく、今や経済的な選択だ」と指摘したという。
 日本政府の原発=「ベースロード電源」という規定は、原発にしがみつこうとする電力各社には福音のようであるのだろう(というより電力会社側の要望に政府がしたがったというのが真相だろうが)。だが、そのことで電力政策では世界に遅れをとることになってしまうのではないのか? 
 やがては避けがたい廃炉や廃棄物処理まで考えれば、「安全・安心」どころか、原発の「低コスト」神話も今や架空の物語である。省エネ技術が向上し(※)、また人口減が進む日本で、原発のような巨大で暴走おさえがたく、腐臭さえ放ちつつあるかのモンスターと共倒れの道を選択する理由は何もないと思うのである。
 また3.11が近づいてきた。政府は一刻も早く「原発ゼロ」へ舵を切るべきである。(2月22日)
 ※小話を付け加えれば、先日我が家の前の街灯の交換工事が行われていた。「故障ですか?」と工事の人に声をかけたら、「いえ、LEDとの交換です。」という返事だった。見ると我が家の前だけでなく、軒並みで工事を続いているらしい。都内全部となるにはまだ時間がかかるのだろうが、着実に省エネは進められているのである。

 前回話題にした再生可能エネルギーについて、政府のかかげる再生エネ割合の目標が低すぎるのではないか、との声が自民党内部からも出ているという。その一人に、河野外相が「世界平均は現在24%。(これから)目指す数値が今の世界平均ということは外相として悲しい」と発言したという。だが、河野氏については、その程度の発言ではとうてい挽回しようもない問題発言があったのだ。
 米トランプ政権は核戦略の中期指針「核体制の見直し(NPR)」で、核兵器の使用条件緩和を盛り込んだ。具体的には、いわゆる戦術核兵器の製造と配備をすすめ、核兵器の使用についてのハードルを下げていこうというものだ。
 かつて毛沢東は「核兵器は張り子の虎だ」と言い放った。つまり、威力が巨大すぎ、ひとたび核戦争が勃発すれば世界そのものが破滅してしまうのだから、アメリカといえども核兵器の使用には踏み切れまいと高をくくったのだ。
 戦略核兵器については相手に使わせないための「抑止力」論、あるいは「核均衡」論が確かに存在する。だが、その論理を是とすれば北朝鮮のように自分の国も核兵器を持ちたいとする国は現れてくるだろうし、緊張が高まりこそすれ、緩和されることはあり得ない。
 それより何より、アメリカは先制不使用という態度はとっておらず、実際に朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機など、核兵器の使用は何度も検討されたということを忘れてはならない。
 現在、戦術核兵器の保有量はロシア側の方が多く、またクリミア紛争の際にロシアは戦術核兵器の準備をしていたという報道もあった。それらに対抗するための戦略という意味合いがあるのだろうが、何よりも世界におけるアメリカの相対的な地位の低下を反映していると考えるのが妥当なところだろう。だとすれば、ますます核兵器使用の閾は低くなる。
 さて、日本政府はどう対応したか? アメリカがNPRを発表したのが2日、河野外相はその翌日に「高く評価する」との談話を発表したのだ。より詳しく書くと、「米国による抑止力の実効性の確保とわが国を含む同盟国に対する拡大抑止へのコミットメント(関与)を明確にした。」という理由付けによるものだという。
 つまり、戦術核兵器についても「抑止力の実効性の確保」が目的だとしているのだが、あまりに楽観的すぎはしないだろうか? アメリカの核戦略の変更はもちろん北朝鮮も刺激したことだろうし、極東アジアでも緊張を高めていくことだろう。朝鮮半島・極東アジアの非核化は遠ざかるばかりであろうし、暴発の危機が高まることは避けがたくなる。河野外相は衆院予算委員会での野党の追及にも自説を曲げなかったという。
 最近、怒りを覚えたこと、というので資料を保存しておき、記事を書き始めたところで米フロリダの高校で銃の乱射事件が発生した。トランプ大統領は被害者を招いた意見交換会で、「もし銃に熟練した教師がいたなら、襲撃をあっという間に終わらせることができただろう」という意見に対する賛同を求めたという。賛成者が少数であったにもかかわらず、銃で武装した教師にはボーナスを支給することも検討するなどと発言したそうだ。(補足すれば学校の武装化は「全米ライフル協会」が支持しているとのこと。)
 学校で生徒を教育する立場にある教師に銃を持たせ、その使用によって問題を解決させようというような思想の持ち主に、核兵器は「抑止力(であって実際には使用されない)」というような理性をいささかでも期待することが出来るだろうか? (2月23日)


[PR]
by yassall | 2018-02-19 19:52 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2017.10

 明日が投票日である。先日書いたように私はもう投票をすませてしまった。2012年12月に第2次安倍政権が発足してから4年10ヶ月。2回目の総選挙である。

 2013年12月6日 特定秘密保護法成立
 2014年4月11日 原発を「重要なベースロード電源」とするエネルギー基本計画を閣議決定
 2014年7月1日 集団的自衛権行使を容認する閣議決定
 2014年12月14日 第47回衆議院選挙
 2015年9月19日 集団的自衛権行使を可能にする安保法制(戦争法)成立
 2016年11月15日 南スーダンでのPKOで「駆け付け警護」の新任務付与を閣議決定
 2017年5月1日 海上自衛隊が「米艦防護」を初実施
 2017年6月15日 「共謀罪」成立

 もし、自民党が勝利し、またもや安倍内閣が誕生したら、いったいどのようなことが日本で起こっていくのか、そのことを考えながら明日の投票日を見守りたい。今年の5月3日には首相は2020年までの「改憲」施行の方針を表明している。今回の公約では明確に9条「改正」を謳っている。(10月21日)

 5日、四国電力は定期点検中の伊方原発3号機で、放射性物質を含んだ1次冷却水が漏れるトラブルがあったと発表した。原子炉格納庫内にとどまっており、環境への影響はないという。
 それにしても『赤旗』以外でニュースとなった形跡がないのはなぜだろう。原発の再稼働が相次ぐ中で、この程度の事故は問題にもされないくらいに国民の感覚がマヒしてしまったということなのだろうか?
 伊方では1号機こそ廃炉が決まったが、間近に中央構造線断層帯が走り、南には南海トラフが走っている。事故が発生した場合、その細長い地形からして住民には避難のルートがない。日本でもっとも危険といわれる原発のひとつである。
 突然の解散風による総選挙は明日が公示。本気で原発ゼロをめざす政党が伸びて欲しいと思うのである。(10月9日)


[PR]
by yassall | 2017-10-21 13:53 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2017.9

 明日にはどんな言い方をするのかは知らないが、「国難突破解散」には空恐ろしさをおぼえた。戦争前夜の「国家総動員」を連想させられた。まさにファシズム(全体主義)は国民の不安と動揺に乗じて生まれてくる。これで自民党が勝利することがあったら、今度こそ日本の民主主義は死ぬ。
 民進党の代表選挙で前原氏が勝ったころから暗雲がたちこめてきた。一度、4党による「野党共闘」にもどるきざしもあったが、今日の希望の党の発足で民進党はいっきに腰砕けになってしまったようだ。
 希望の党の政策発表は来週であるという。あれほど「政策の一致」にこだわっていた民進党であるのに、「希望者は希望の党から立候補させる」とか「合流を模索する」とか対応が早すぎませんか、と突っ込みたくなる。まあ、情報は事前につかんでいたということかも知れないが、「民進党は終わった」と思った人は少なくないのではないだろうか。
 二大政党制は日本では実現しないし、政界再編は自民党が分裂しない限りあり得ないと思って居る。ただ、保守とリベラルがきちんと分離されれば、(それぞれの政党が複数であったとしても連立は可能なのだから)、国民にとって選択を問う体制は築かれるだろう。
 「野党共闘」は市民運動と結びつきながら、やっとここまで積み上げられてきたものだ。民進党の中にも中道からリベラルに近い人たちはいるはずだ。たとえ少数でもその立場でとどまろうという人たちで立て直しをはかり、旗幟を鮮明にしてもらいたい。そのために、これまで内部で足を引っ張ってきた人たちには早々に立ち去ってもらおうではないか。
 「1対1」は実現しないかも知れない。しかし、「1対1対1」を必要以上に恐れるなといいたい。そのうちの「1+1」は保守の分裂なのだから。
 最後に、小池百合子氏の「改革保守」についても一言。私は戦前に戦争体制を押し進めていった岸信介らが「革新」官僚と呼ばれたことを想起した。多少とも期待するという人々は「改革」の中味をよく見てから判断しよう。(9月27日)

 1923(大正12)年の関東大震災直後、折口信夫は帰宅途中にいわゆる自警団に呼び止められ、発音が特異であったため朝鮮人と間違われ、あやうく命を奪われそうになった。後年、その体験を次のように記している。

 大正12年の地震の時、9月4日の夕方ここ(増上寺山門)を通つて、私は下谷・根津の方へむかつた。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思つてゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。あの時代に値(あ)つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出来なくなつてしまつた。(折口信夫による自歌自註。『日本近代文学大系 46巻 折口信夫集』)

  おん身らは 誰をころしたと思ふ。
   かの尊い 御名において─。
   おそろしい呪文だ。
   万歳 ばんざあい
(初出では)
  おん身らは、誰を殺したと思ふ
   陛下のみ名においてー。
   おそろしい咒文だ。
   陛下万歳 ばあんざあい


 9月1日、墨田区の横網町公園で、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典が、市民団体によって開催された。小池百合子都知事は、例年知事が出していた朝鮮人犠牲者への追悼文を拒絶、さらに墨田区の山本亨区長も追悼文を断った。
 小池氏は「民族差別という観点というよりは、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべき」と拒否の理由を記者会見で説明した。「自然災害と民族差別による被害とを混同してよいのか?」という追及を受けながら、のらりくらりとインタビューをかわし持論は撤回しなかった。
 そんな中、同じ横網町公園で、朝鮮人犠牲者追悼碑の前で行われた追悼式典のほんの10数メートルの地点で、“虐殺否定論”に立つ在特会系市民団体「そよ風」が仕切る集会が行われたという。
 集会は30人ほどの規模であったらしい。大量の警察官が動員され、関係者以外の立ち入りを制限するという中での開催だった。その様子は集会を取材した写真からも知れる。
 集会名は「真実はここにある!関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」とあるが、「慰霊祭」とは名目にすぎず、「六千人虐殺は本当か! 日本人の名誉を守ろう!」いう看板を掲げて朝鮮人虐殺を否定し、毎年開かれてきた追悼式典に対抗しようという集会であることは明らかである。
 ゆゆしきは在特会などヘイト運動界隈でおなじみの顔ぶれだけでなく、現役の墨田区議会議員・大瀬康介氏までも参加し、スピーチをおこなったというのである。
 同氏に対する後の取材では、「朝鮮人暴動は流言飛語ではなく事実です」と主張しているという。つまり、デマにまどわされた「虐殺」ではなく、「正当防衛」だという論理?である。
 さすがに多数の朝鮮人殺害の事実までは否定できなかったというところだろうが、「あったこと」を「なかったこと」にするために、「なかったこと」を「あったこと」にしてしまおうというのは反知性主義・歴史修正主義のきわまった形態である。
 しかし、そのことによって「日本人の名誉」を守ったことになるのだろうか? むしろ「恥」をさらしたことになるのではないだろうか? 
 どのような民族、国家にも「負」の歴史はある。その「負」の歴史を真正面から受け止めてこそ、民族の尊厳は守られるのではないだろうか? そうでなければ、きっと同じ歴史を繰り返すことになる。(9月5日)
 http://lite-ra.com/2017/09/post-3426.html
  ※
 久しぶりの「つい一言」である。やはり黙っていてはいけない、と思った。それにしても安倍晋三にせよ、小池百合子にせよ、トップに立つ者の姿勢によって、こんなにも歴史修正主義者や排外主義者の跋扈を許してしまうものなのか? 「平らかな生を楽しむ国びと」の伝統はどこへ行った。



[PR]
by yassall | 2017-09-27 20:21 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2017.6

(承前)共謀罪法案が法務委員会での採決を省略していきなり参院本会議での採決にいたったのは、与党内で公明党からの要望があったからだという説が流れている。委員長の秋野氏の会派は公明党で、都議選を前に委員会採決でもみくちゃ(?)にされる委員長の画像が流れることを避けたかった、というのが理由だという。TVのインタビューでは公明党の山口代表は否定しているから真偽のほどは分からない。
 安倍一強といわれる背景には小選挙区制があるという。公認が受けられなければ立候補すら出来ないから、いきおい執行部には従順にならざるを得ない。かつては自民党内にタカ派からハト派までの派閥があり、バランスが働いていたがそれが機能しなくなった、というようなことが言われる。
 そこで、公明党には与党内でかつての派閥のようなバランス機能、あるいは歯止めのようなものが期待されていた。だが、このところ、何か相当の弱みを握られているのではと疑いたくなるほど、公明党は自民党のいうがままである。
 だいたい、上記のような流言を立てられて悔しくはないのか? 安倍という人物は消費税の値上げを見送ったように、自分では泥をかぶろうとしない小ずるい男なのだ。今度の強行採決も公明党のせいにして非難を緩和しようとしているのではないのか?
 知人にもご近所にも創価学会の人は大勢いる。戦中、治安維持法および不敬罪で検挙され獄死した初代会長の牧口常三郎の本をもらったのは元同僚からだ。その創価学会に支持基盤をおく公明党が共謀罪法案に賛成すること自体が理に合わない。ましてや安倍の支持母体である日本会議とは懸隔の関係にあるはずだ。いつまでも与党にしがみつかず、本来のあり方に立ち返るときではないのか?(6月17日)

 (承前)それにしても日本はこれからどのような国になっていくのだろう。戦前、治安維持法が制定されたのが1925年。1928年には共産党員をいっせい検挙した3.15事件が起こっている。その3.15事件を小説に書いた小林多喜二が特高によって拷問死させられたのが1933年。治安維持法が改定された1941年に15年戦争は太平洋戦争に拡大し、1945年に日本は敗戦を迎えた。治安維持法制定から、たった20年後のことだった。
 「共謀罪」は現代の治安維持法だとも批判されている。そのような猛威をふるわせない運動と世論が必要だろう。それは国の進路を過たないためにもだ。
 いずれにしても、人々が自由であるためには自由であるための知恵や工夫、自由を守るための連帯やたたかい、そして何よりも自由であろうとする意志が必要な時代が到来したことは確かなことであると考えるのだ。(6月16日)

 昨日14日の昼頃から「委員会での採決を省略して本会議で採決」という情報が伝えられた。その時点で自民党と民進党との国対委員長会談は決裂、あとは夜討ち朝駆けとでもいうのか、夜を徹した攻防ののち、一気に参院本会議での強行採決に持ち込まれた。
 それにしても衆参両院で圧倒的な多数を占め、会期の延長も自由自在な与党・自民党はなぜこれほど乱暴な一手に出たのだろうか? 「加計隠し」とか都議選対策とかいわれているが、そればかりではないように思う。
 特定秘密保護法や安保法制のときと同様、今回も「共謀罪」反対の市民運動が繰り広げられた。とくに安保法制反対運動では車道を埋め尽くした国会前集会など、若者たちも含めた大きな運動になった。それらを乗り切ってきた自信ともみえるが、むしろ反対運動をどうしても挫けさせたい、圧倒的な力を見せつけることで無力感というダメージを与えたいということではなかったか、と考えるのだ。
 つまり、通常の国会運営のルールを踏みにじって強行された今回の採決は、与党・自民党の強さの表れというより、彼らの危機感や焦燥感の表れではなかったか、ということなのだ。
 「共謀罪」の成立を許したのはもちろん反対運動がまだまだ弱かったからであるのは確かだろう。だが、ここで無力感や虚無感にとらわれたらまさに権力側の思うつぼだと思うのである。(6月15日)

 YouTubeで先日の金田法相の発言を確かめて見た。質問は事前通告されていたのだから当然といえば当然だが、金田法相の答弁は文書を読み上げながらだった。(たぶん、自分で作成した文書ではあるまい。)つまり、「治安維持法は適法」発言は金田法相個人の思想や資質によるものではなく、内閣としての統一見解であるということになる。治安維持法による恐怖政治、社会運動の弾圧、言論封殺、多くの冤罪に対してまったく無反省であるということは、現政権の本質を示しているし、そのような答弁を行っても国民は抵抗しないと踏んでいるのだろう。
  ※
 安倍首相はもともとだったが、冷静と見られていた菅官房長官も、国会答弁や記者会見での激昂ぶりや個人攻撃があからさまになっている。菅官房長官は前川前文部次官を攻撃して記者会見の後、オフレコながら「出会い系バーに50回も100回も通っている」などと付け加えたそうである。その回数を本当に把握していたとしたら、たまたま偶然にも誰かによって目撃された情報が伝わったのではなく、明確なターゲットとして継続的に尾行したり監視したりしていたことになる。
 「共謀罪」法案が監視社会を生み出すと指摘されているが、監視社会はすでに進行しており、それが合法化され、「共謀」や「準備」の段階でフリーハンドに罪に問うことができるようになると考えるべきなのだろう。(6月6日)

 あたかも「共謀罪」法案が審議中の折も折、よくもこのような発言が飛び出したものだ。しかも金田法相は(仮にも)担当大臣ではないか!
 2日の衆院法務委員会で戦前の治安維持法への認識を問われ、金田法相は「(同法は)適法に制定され、勾留・拘禁、刑の執行も適法だった」と言い放ち、「損害を賠償すべき理由はなく、謝罪・実態調査も不要だ」と切り捨てた。質問に立った畑野議員(共産党)は1976年に当時の三木首相が「治安維持法については、その時でも批判があり、今日から考えれば,民主憲法のもとではわれわれとしても非常な批判をすべき法律である」と答弁したことを示し、金田法相の異常な態度を追及したという。
 「悪法も法なり」という言葉があることはある。治安維持法が戦前の帝国議会で一応の審議をへて制定された、という程度の認識なのだろう。だが、国民よりも国家を優先させる強権政治がもたらした反省から戦後政治が出発したという観点がまったく抜け落ちている。戦前の国家主義と強権主義が最後は国を滅ぼしたことを振り返れば、治安維持法は繰り返し実態を明らかにし、反省し、否定しなければならない。
 「共謀罪」審議において答弁不能な単なる無能力者ではなく、きわめて危険な思想の持ち主であることが明らかにされたし、その所属する内閣が最終的にめざす国家像ももはや隠しようがなくなったと言わなければならない。(6月4日)
 ※付け加えれば、またしてもマスコミはこの重大発言をまともに取り上げようとしない。今日の「オール埼玉」集会のゲストスピーチで伊藤千尋さんは「韓国では国民はマスコミを信じていない。だからネットを通じて自分たちで情報発信をし、100万人集会を実現させたと述べていた。日本も民衆からの情報の発信と普及が必要な社会になっているのではないか?

 東京電力が水力でつくった電気だけを販売する家庭向け電気料金プラン「アクアエナジー100」を発表した。
 東電は水力発電所を163カ所保有しており、毎年100億kw/h超を発電。そのうち1億kw/hを新プランに割り当てるという。電気料金は通常より1割程度高くなるが、火力発電との差異として燃料費の影響を受けないため、円安がすすんだ場合はかえって安価になる可能性もあるという。
 すでに新電力への移行をすませてしまった私としては今のところ検討材料にはならない。ただ原発に頼らず、CO2を排出しない再生可能エネルギーによる電力を求める声に、東電も耳を傾けざるを得なくなったということだと受けとめたい。(6月3日)

[PR]
by yassall | 2017-06-15 15:13 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2017.5

 その昔、末川博の『法学入門』を読んでいて、法の持つ「二面性」という説明があったのが記憶に残っている。
 「法治主義」というように、法律が国家を統治する(=国民を支配する)ための道具であることは確かだが、それと同時に法律に定められた範囲を超えて権力を濫用してはならないとする規定でもあるというのだ。「法の下の支配」というのは国家の支配原理であるとともに、国民を保護するものでもある、法律を学ぶ意義もそこにある、というような論旨だったと思う。
 まるで大学の教養課程にあったようなことをなぜことさらにするのか? それは「共謀罪」が衆院を通過し、まさに参院での審議がはじまろうとしているからだ。
 自民党の石破氏がテレビのインタビューに答え、「どのような法律も運用によって善くも悪くも働く」「法律を運用するのは政治家である。その政治家を選ぶのは主権者たる国民である。国民を害するような法律の運用をする政治家は選挙で落選させればよいのである。」というようなことを述べていた。
 国会で野党に追及されるとたちまち逆上気味になる安倍氏と比較すると、いかにも理性的で理論的にみえる石破氏らしくはある。
 しかし、聞いていてずいぶん危険な思想だと私は感じた。政権についた者は(政権の安定のために)これを維持しようとつとめるだろうし、そのためには法律を有利に働くように運用しようとするのは当然のことだ。もっともらしくはあるが、最終的な責任はあなたたちにあるのですよ、と焦点のところは巧みに隠蔽される。だからこそ法律は運用者によってどうとでも運用されるような曖昧さを極力排除する必要があるのだ。
 その点、「共謀罪」ほど為政者に対してフリーハンドに権力を与えてしまう法律はない。内心の自由をおびやかす、密告を奨励する、監視社会になる、冤罪の温床になる、それだけで国民を萎縮させるなど、問題点はさまざまに指摘されているが、権力の恣意的な行使の範囲をいっきょに拡大してしまうことが最大の問題点だと私は考えている。
 政府は「計画」だけでは罪にならない、具体的な「準備行為」がなければならないという。だが、例としてあげられたのは「資金を得るために銀行から預金を引き出した」というようなことである。ATMから預金をおろしている人は日々何万何千人といることだろう。調査機関が眼をつければ、そのうちの特定の誰かを恣意的に、フリーハンドに捕らえることが可能になってしまうのである。
 私はこれらがまったくの杞憂であるとは思わない。戦前の治安維持法下、基地のそばで写生をしていた(今だったらカメラを持っていた)、児童に綴り方を書かせた、というだけで捕らえられ、拷問を受け、少なからぬ人々が死に至らしめられたのはつい70年前のことなのだ。(5月29日)

[PR]
by yassall | 2017-05-29 20:40 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2017.3

「道徳」教科書のことが話題になっている(というより、笑いものになっている)。文科省は「パン屋のままでもよかったのだ」と火消しに躍起だが、「和菓子屋」に変えたら検定をパスさせたのだから見苦しい言いわけにすぎない。
 「国や郷土を愛する態度」が不足していたのだそうだ。斎藤美奈子氏が和菓子のルーツは遣唐使が持ちかえった中国の菓子であり、明治に木村屋が発売したあんパンは饅頭用の酒種を発酵に用いたことを紹介している(「東京新聞」3/29)。
 奈良の正倉院はシルクロードの終点である、と小学校で習った。東西の多様な文明が流れ込み、これを融合させ、自家独特のものにしていったのが日本文化ではなかったのか?
 斎藤氏がいうように文科省の検定基準には「人権」や「個人の権利」「差別」という項目はない。「教育勅語」礼賛と変わるところはない。「伝統と文化の尊重」というが、歴史の流れを逆戻りさせることは許されない。(3月28日)



 「教育勅語」の「勅」は天子の命令という意味である。天皇の大権を定めた「明治憲法」の下では、議会で定めた法律よりも「勅」の方が重かった。教育のあり方が国家のあり方を決する上でいかに重視されたかが分かるのだが、そのように定められた「教育勅語」が国民主権を定めた「日本国憲法」の理念といかにそぐわないか、その一点のみで自明というものである。
 したがって「森友学園」問題から端を発した「教育勅語」に対する発言を聞いていると、まるで亡霊が生き返って来たかのような錯覚をおぼえる。否、きっと亡霊はどこかでひっそりと生息していたのであり、今、急速に息を吹き返しているというのが正しいのかも知れない。
 だとすれば、今度こそしっかりとその息の根を止める必要があるのではないか? 「教育勅語」の復活を許し、戦前のような社会を甦らせるのか、すでに「明治憲法」よりも長い歴史を数えるにいたった「日本国憲法」のめざす社会の完成をはかるのか、その正念場であるように思うのだ。
  ※
 稲田防衛相は国会答弁で「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」と述べたという。
 どこに日本が「道義国家を目指すべき」と書いてあるのかは不明だが、後半で述べているのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」あたりを指しているのだろう。これらは儒教にある「五倫」思想をもとにしているのは間違いない。「五倫」とは父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信である。「夫婦の別」とは夫には夫の役割があり、妻には妻の役割があるという意味で、それと比較すると「夫婦相和シ」とあるのは近代的な装いにあらたまっているようにも見える。しかし、戦前では女性の参政権が認められていなかったことでも明らかなように、人権における男女差別を前提とした規範の下にあったことは疑えない。
 儒教はこれらの徳目が守られることによって社会の秩序が守られるとした。稲田防衛相のいう「核の部分」というのは、人としてのあり方を示したというより、国家の統合原理として「維持」したいということなのだ。
 そして、最も重大なのはここまでには触れられなかった「君臣の義」であり、「教育勅語」では一番最後になって、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と続くのである。つまり、ひとたび国家に一大事があったときは、親子の親愛も、夫婦の契りも、友情も顧みることなく、「皇運」のために命を投げ出せ、というのが主旨なのである。
   ※
 「森友学園」の籠池理事長は、「何かことがあったとき、自分の身を捨ててでも人のために頑張んなさい。そういう教育勅語のどこが悪い。まったく悪くない」と述べたという。ここにも見逃しがたいまやかしがある。「教育勅語」には「博愛衆ニ及ホシ」という文言があることはある。だが、先の「一旦緩急アレバ」はそこに続くのではなく、「義勇公ニ奉シ」に続くのである。
 その籠池理事長の本音があらわれた発言が、「国家のために、そして国家社会のためにいい人材を創出しようとしている教育の中身を阻止しようとする人たちがたくさんいます。そういうようなことでは困るんじゃないですか。日本国を存続させるために、立派な人材を作っていくというのが教育であるんであれば、もう少し温かい目で見るべきじゃないですか。」である。
  ※
 さらにいえば、稲田防衛相にせよ、籠池理事長にせよ、それらの徳目を国民に押しつけはするが、自らは少しも守ろうとしていないように見えるところに根本的な矛盾がある。
 いや、「朋友相和シ」だけは守っているのかな?と、一瞬だけ皮肉まじりに思ったことがある。それは右派団体「日本会議」のお仲間である。だが、国会で追及されるや、「10年間、お会いしたことはない」(夫は「森友学園」の顧問弁護士だったというが)とか、「まったく迷惑だったんですよ」(妻は名誉校長に就任していたというのに)と、まったく無関係であるようにふるまい、幼稚園児に「安倍首相頑張れ」と唱和させていたほど入れ込んでいたのに、少し冷たくされたら「トカゲのシッポ切り」と恨み言を吐いている様子をみると、その朋友間の「信」も本物ではないらしい。
  ※
 私までもが、このようなことをことさらにするまでもない筈なのだが、やはり一言せずにはいられなかったのである。(3月10日)

 もう、少々うんざりなのだが、第2の疑惑が起こっているらしい。しかも、今度の方が規模が大きい。
https://lite-ra.com/2017/03/post-2975.html


大阪・豊中市で建設中の「瑞穂の國記念小學院」の問題について、一部の新聞だけでなく、ようやくTVでも取り上げられるようになってきた。維新の会・松井氏との関連もとりざたされ、
 https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=123807
 闇はいっそう深まるばかりである。少なくとも安倍首相夫妻には大打撃のはずだが、このまま致命傷にはいたらずうやむやにされてしまうのか、国民は当分注視しなくてはならないだろう。
 だが、ここへ来て、またもしてやられた感がどこかで禁じ得ない。斎藤美奈子氏が「米トランプ大統領と金正男氏暗殺事件を追うのみでマスコミはいいのか」と警鐘を鳴らしているが、これに国内問題を加えるに「森友学園」疑惑が衆目を集めているうちに、日本の進路にとってもっと重要な事態が密かに進行しようとしているのではないか?
 もちろん安保法制と「共謀罪」(「テロ等準備罪」)のことである。稲田防衛相はアメリカの軍事費増を歓迎するとし。自民党二階幹事長は「共謀罪」を今国会で成立させると明言した。(3月1日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017022802000254.html


[PR]
by yassall | 2017-03-29 10:16 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2017.2

 日報の存在を自ら隠蔽したのか、大臣ともあろうものが蚊帳の外におかれてしまったのか真相は不明だが、「戦闘」を「衝突」といいかえて平然としている稲田防衛相。再々々(もうひとつ々くらいか?)浮上した「共謀罪」の直接の担当者という自覚がどれだけあるのか、国会での「質問封じ」をしかけながら、報道機関向けに配布した文書をあわてて撤回した金田法相。安保法制と共謀罪という現に進行している政治の焦点にある問題で、閣僚にこれだけの不具合が明らかになれば、普通なら内閣はすでに死に体である。それがいまだに存立しているのは何とも気味が悪い。
 しかし、最近のニュースで、気味の悪さからいって引けを取らないは、大阪府豊中市で4月の開校をめざして建設中という「瑞穂の國記念小學院」である。設立主体である学校法人「森友学園」は、大阪市内で運営している「塚本幼稚園」で園児に「教育勅語」を暗唱させることで知られ、そればかりか軍歌を教えたり、皇族が大阪を訪問する折には日の丸の旗を持って出迎えることを恒例としているという。同校の開校準備室のHPでは、「日本初で唯一の神道の小学校」を謳っているとのことだ。
 だが、気味の悪さというのはそのこと自体ではない。その「小學院」の建設がすすめられている土地がもともと国有地で、最初(財務局サイド)の評価額が9億5600万円だったのが、森友学園からの申し出で大阪航空局が「地下のごみの撤去に8億円かかる」と算出した結果、1億3400万円で払い下げたというのである。「地下埋設物」とされたものがどのようなものであったのか、本当に撤去費用に8億円を要したのか、このような場合だれが費用を負担すべきなのか、森友学園はその費用を支出してまで土地を購入したのか、国はなぜ売却する必要があったのか、ミステリーというしかない。
 しかもその火種は安倍首相にまで飛び火している。国会では、「私(安倍首相)の考え方に非常に共鳴しているから『安倍晋三小学校にしたい』と言われたが断った。…私も妻も一切、認可にも国有地の払い下げにも関係していない」と答弁した。だが、「安倍晋三記念小学校」の名目で寄付が集められたという経緯(先の幼稚園では1回2万円以上の寄付が繰り返し要求されたケースもあったという)があり、HPでは安倍昭恵夫人が名誉校長として顔写真付きで紹介されているという。
 「もし関係しているということであれば、首相も国会議員も辞めるが、全く関係ない」と安倍首相が強弁している様子は私もテレビでみたが、直接か間接かはともかく、誰が無関係であると信じようか? 
 国有地は国民にとっての財産であるはずである。「愛国者」の仮面の下で薄汚れた利権を貪ろうとするものの存在が見え隠れしながら、国民の財産がみすみす失われていこうとするのを、なぜ人々は見て見ぬふりを続けるのだろうか? (2月21日)
 ※昨日、上記を投稿したら今朝になって次のような報道が流れた。これはいったいどうなっているんだ。
http://www.asahi.com/articles/ASK2N63DNK2NPTIL02R.html?iref=comtop_8_01

 福島第一原発2号機の格納容器内部を撮影した画像が公表された。写し出された黒い物体は溶け落ちた核燃料と思われる、という。事故が起こって6年目にしてようやくここまでか、と嘆息していたのも束の間、翌日の2日には内部の放射線量は最大毎時530シーベルトと推定されるという映像解析の結果が発表された。
 推定とはいっても誤差の範囲は30%程度、人間は積算7シーベルト被曝すると死ぬとされ、毎時530シーベルトは1分弱で死ぬほどの高いレベルだという。すぐさま頭をよぎるのは核燃料の取り出し作業の困難さである。廃炉にいたる事故処理の道は遠い。もしかすると、何万年後かに放射線が弱まるのを待つしかないのではないか、とさえ思ってしまう。
 米国の原発企業を買収した矢先に3.11に遭遇した東芝は、その後も原発事業に固執し続け、最大7000億円程度の損失が見込まれる危機におちいった。その巨額損失の穴埋めのために、稼ぎ頭の半導体メモリー事業を分社化し、「切り売り」するという発表があったのはつい先日のことだ。今後は「(エネルギー事業の中での)位置付けを変えていく」、国内は「廃炉、保守・改修を中心に社会的責任を果たす」という。
 東芝と同じく原発企業である日立はウラン濃縮の新技術を米国で開発している事業から撤退し、3月期の連結決算で約700億円の損失を計上するという。ずいぶん以前に、米原発に納品した部品の不具合から賠償請求を受けた三菱は、その後どうなっているのだろう。
 いまや、原発はまったく採算が合わないばかりか、企業にとっても重荷でしかないことは誰の目にも明らかではないのか? ごく少数の「原発村」の住人たちの利権のために、「安全神話」「安心神話」「技術革新神話」「ベースロード神話」「採算神話」を振りまくのを止めにすべきではないのか?
 日本の進路にかかわるもう一つの焦点は辺野古である。辺野古に新基地を作れば少なくとも100年は使い続けることになるだろう。「基地撤去」「原発撤退」を決断するのは今しかない。(2月4日)
 ※一言忘れた!「トランプごときに尾を振っている場合ではない!」

[PR]
by yassall | 2017-02-01 12:38 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2017.1

 アパホテルが客室に「南京大虐殺」否定本を置いていることが中国版ツィッターで問題視され、批判が広がっている。問題となった本の題名は「理論近現代史学Ⅱ」、著者・藤誠志はアパホテルの元谷外志雄代表のペンネームであるという。
 アパグループが右派パトロンであることは周知の事実で、田母神元航空幕僚長が日本の侵略戦争を正当化したことで更迭された懸賞論文を主宰したのも同グループである。
 それで止まらず、今度は新年早々問題になっている東京MXテレビ「ニュース女子」に化粧品メーカーのDHCが深く関わっていることが明らかになった。ネットで検索できる(DHCシアター)ので調べてみると、2日放送の番組では、沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設反対派は「金でやとわれている」「韓国人が参加」「「(逮捕されても生活に困らない)65歳以上のシルバー部隊で組織されている」などのデマと中傷を並べたて、あきれるばかりの内容である。同番組は「反対派の暴力で近づけない」などという口実で、実際には現地で取材していないことが明らかになり、批判をあびている。
 他の日に放送された番組では、オスプレイの墜落事故に関連して米海兵隊トップの「(人家に墜落しなかったのは)感謝されるべきだ」との発言をめぐって、コメンテーターが「感謝するのが当然だ」「感謝できないのは米軍に対する感謝を忘れているからだ」など、声高に暴言をまき散らして平然としていた。
 DHCはMXテレビのスポンサーとしての広告費が23億円、全体の14.3%になるのだという。だが、放送は国民共有の電波を預かるもの。放送法にある「公平公正」の精神はどこ吹く風でいいはずがない。電波停止発言でマスコミに脅しをかけた高市総務相は何も言わないのか?
 (私は化粧品には縁がないが、健康サプリメントではDHCの製品をいくつか買っている。だが、今後はいっさい手にしないと決めた。)(1月25日)

「共謀罪」(組織犯罪処罰法改定案)は実際に犯罪を犯す以前においても「共同謀議」が認めれれば予備拘束および処罰が可能であるという法律である。先に制定された秘密保護法(国家機密法)とあわせて戦前の「治安維持法」の復活であると批判されている。
 その「治安維持法」について興味深い記事があった。施行直前、当時の東京朝日新聞は「治安維持法は伝家の宝刀に過ぎぬ」と警視庁当局の見解を伝え、「社会運動が同法案のため抑圧せられる事はない」と報じたというのである(赤旗「潮流」1.13)。その後、「治安維持法」がどのような猛威をふるい、日本という国家を破滅に導いていく一翼となったかはいうまでもない。
 「強権国家」と「強い国家」とは異なる、との感を深くする。政府は東京オリンピックに向けての「テロ等準備罪」と喧伝しているが、とんだレガシー(負の遺産)になりそうだ。菅官房長官は「一般市民には関係ない」などと煙幕をはっているらしいが、対象犯罪は676に上るらしく、確かに殺人や詐欺、覚せい剤の密輸などは「一般市民」とは関係はないだろうが、「組織的威力業務妨害罪」などは市民団体によるデモや国会前集会にも適用されないとは限らない。
 これまで3回国会へ関連法案が提出されながら、いずれも廃案になっていることが同法案に対する批判がいかに強いかを物語っている。国会内での数の力で押し切られようとするか、国民の力で跳ね返せるか、今年最初の関門である。(1月15日)
[PR]
by yassall | 2017-01-02 19:43 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2016.12

 共同通信社調べで内閣支持率が60.1%に達したという。時事通信社では50.1%、朝日新聞社では50.0%と数字的には下回るが、この高支持率は不思議だ。
 というのは個々の政策についてみれば、南スーダンPKO「駆け付け警護」任務付与に反対56%賛成28%、安倍政権のもとでの改憲に反対55%賛成42%、原発再稼働に反対57%賛成29%、今国会でのTPP承認に反対48.5%賛成38.8%(「朝日」)というように決して国民の支持を得られているとは言えないのである。
 政策の行き詰まりも顕著である。「自由貿易」を謳うTPPは米トランプ次期大統領が「撤退」を表明、国内で新設できないなら輸出をとすすめてきた原発はベトナムが白紙撤回した(予算不足と報道されたが、福島原発事故以降、ベトナム政府による再検討がすすんでいたらしい)。中国包囲網作戦もフィリピンが中国と急接近で破綻、南スーダンの自衛隊派遣もいつまで持ちこたえられることか。
 唯一成功していそうなのが「観光立国」(沖縄の「観光立県」の足は引っ張っているが)による外国人観光客の呼び込みだが、どういうわけか安倍政権を支持していそうな人々は迷惑がっている。受け入れ体制の整備が遅れているのが原因だろう。その外国人観光客が増加している背景には円安があるが、ここへきて原油産油国の減産が発表された。景気はますます先行き不透明である。
 雇用の流動化=不安定化や年金カットをすすめておいて、「金融緩和」したから財布のヒモが緩むはずだ、などという考え自体が甘いとしかいえない。
 それでいてこの支持率! 日本国民はいまや深刻なニヒリズムとデカダンスに陥ってしまったのだろうか? 対抗馬がいない、などと嘆いている場合ではない。今日は「カジノ法案」が衆院可決。突然だった。放っておけば日本は総バクチ社会になってしまう。(12月2日)


[PR]
by yassall | 2016-12-01 23:56 | つい一言 | Comments(0)

つい一言 2016.11

 20日、「駆けつけ警護」の新任務を与えられて陸上自衛隊が南スーダンに派遣された。憲法違反の「安保法制」の発動である。
 その南スーダンに関する資料について見逃せないことがあった。今年6月、表題以外をすべて黒塗りにして開示した「南スーダン国連平和維持活動(PKO)」に関する作成資料を、防衛省は今月になって公開した。
 時期が前後して話がややこしいのだが、この資料は今月派遣された派遣要員の「家族説明資料」(8月1日時点)の「反政府派の活動が活発な地域」とされていたものと同じものなのだが、黒塗りの時も今回公開された資料も、実は表題は「政府派・反政府派の支配地域」なのである。
 これまで稲田防衛相が「反政府勢力が支配を確立した領域はない」としていたことは意図的なウソだったことが明らかになった。これは「戦闘は起こっていない。衝突が起こっているだけだ」と訳の分からない言葉のすり替えをおこなってきた以上の偽り行為だ。
 現地で報道されていることすらも隠そう、小さく見せよう、との偽りを重ねてまで南スーダンへの派遣を強行した。その先に待っているかもしれない事態に日本政府は責任をとれるのだろうか。(11月24日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-11-23/2016112302_01_1.html
http://www.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/south-sudan-self-defense-forces_b_13159584.html

 日本はこんなことが起こる国になってしまったのか!と、驚きと嘆きを禁じ得ない出来事が東京新聞で報道された(11.23朝刊)。
 20日、東京・武蔵野市で天皇制に反対するデモを複数の右翼団体が襲撃し、デモを先導する車のフロントガラスが割られたり、負傷者まで出たというのである。
 これまでも市民団体等の集会やデモに対する妨害活動はあった。近年、エスカレートしてきたな、とは感じていたが、実際の暴力行為にまでいたったのは60年安保以来ではないだろうか?
 だが、驚いたのはそれだけではない。当日は100人ほどのデモ参加者に対して500人ほどの機動隊員がいたという。襲撃した右翼団体は3、40人だったそうだが、機動隊は一応制止はしたものの、逮捕者は一人も出なかったというのである。
 斉藤貴男氏は「警察は本質的には体制の擁護者。(中略)そうだとしても、目の前の犯罪を取り締まらないとは度を越している」と批判している。
 右翼は建前上は尊皇主義者。尊皇主義者といえば、先日「天皇の生前退位」について議論する政府の有識者会議で、桜井よし子ら右派知識人(知識人?)は「反対」を唱えている。つまり、彼らの「尊皇」とは体制(国体)としての天皇制であり、天皇に対する敬意なんて少しも持ち合わせてはいないのだ。各種の世論調査では8~9割の国民が賛成しているというのに。(11月24日)

 つい一言が滞りがちになっているが、書きたいことがなくなったのとは逆に書かなければならないことが山積みになっており、資料もそろえてあるのだが、どこから書いていいかパイプが詰まったような状態になっているのだ。そしてモタモタしているうちに、ホットな話題を心がけながら、あれよあれよという間に時機を逸してしまう、なんてことが続いている。
 現在、経産省の有識者会議ですすめられているという福島原発事故の損害賠償費用や全国の原発の廃炉費用についての議論の中で、新電力の事業者にも負担させようということが検討されているという。具体的には送配電網の使用量に上乗せするというものだが、つまる話は原発を持っていない電力会社の電気料金も値上げをさせて、そこから回そうということなのだ。
 人のいい私は、もし政府が脱原発を決意するならという条件でだが、廃炉はたしかに国民的課題なのだから、一定の負担をしてもいいくらいには思っていた。ただ、そうなってはいないことは明白であり、これが原発の延命につながったり、ましてや「安心して」新増設も可能になるようなことに道を開くなら反対だ、とは考えていた。
 だが、「バックアップ契約」(新電力で何らかのトラブルが起き、電力不足が起きた時に、東電などの地域電力が必要な電力を融通してくれる、という仕組み)との関係なのかどうか分からないが、これを批判する識者の中で「原発を嫌って新電力を選んだのに、原発を使った電力を使わされることになるから反対」というのがあり、にわかに危機感をかき立てられたのである。
 新電力の利用者が増えれば地域電力は原発を稼働させる口実がなくなる、と考えてわが家も新電力に切り換えた。少なくとも電力が不足するから、という理由は成り立たなくなり、残るとすれば安価な電力を供給するためということになる。
 だが、損害賠償費用や廃炉費用を上乗せしなければならないという一点で、原発=安価な電力という神話は崩壊しているはずだ。政府も電力会社も、まずそのことを認めなければならない。そこのところをごまかして、原発による電力はごめんだ、と思っている人々にまで無理矢理使わせようとすることに心の底からの怒りをおぼえる。(11月22日)

 また腹を立ててばかりと言われそうだが、やはり書いておきたい。自民党の「2020年以降の経済財政機構小委員会」が「人生百年時代の社会保障へ」という提言を出したそうだ。何が書かれていたかというと、「現行制度では、健康管理をしっかりやってきた方も、そうではなく生活習慣病になってしまった方も、同じ自己負担で治療が受けられる。これでは、自助を促すインセンティブが十分とはいえない」ので、「医療介護版の『ゴールド免許』を作り、自己負担を低く設定することで、自助を支援すべきだ」というようなことらしい。(東京新聞「紙つぶて」11.4)
 健康管理に努力した人が報われるように、といえば聞こえはいいが、紹介してくれた荻上チキ氏がいうとおり、「貧困層や非正規雇用など健康リスクが高い人ほど、健康になる努力や検診にかける経済的・時間的余裕」がないのが現実だ。残業残業で追われて、健康増進のためにジムに通うどころか、病院にも行けない人ほど高負担になるという結果になる。
 予防医学に対する理解を広めることは大切だ。好きで病気になる人はいないのだから、健康への知識と意欲を持つように啓発することはますます重要だろう。だが、自分の健康には自分で責任を持つ、というのは個人の自覚の問題であって、国家が負うべき責任を個人に押しつけてしまおうというのは話が違う。柄谷行人によれば、国家とは「略取-再分配」という交換様式にもとづく社会構成体である。早い話が、税金は取るが国民が必要としても分配はしてやらないよ、ということだ。社会契約論からいっても間違いで、そんなことでは国家そのものの成立要件が突き崩されてしまう。(11月8日)

 昨日、菅官房長官はTPPについて、「国会で野党から『対米追従だ』と言われるが、今回だけは『2人の大統領候補が反対しているのになぜやり急ぐんだ』と、全く逆のことを言われている」と述べたという。
 つまらぬ皮肉だ、それ以上には何も言っていない、と思った。アメリカで大統領候補が反対しているのは選挙向けではないのか。それでいえば、自民党も選挙前にはTPPには反対だと言っていた。
 そして今日、その自民党と公明党・日本維新の会の賛成でTPP法案が衆院特別委員会で可決された。つい先日、「自民党は強行採決など一度も考えたことがない」などと言っていたのに二枚舌もここに到れりだ。
 食の安全や健康保険制度への圧迫のみならず、ISDS条項によって企業・投資家が国家を相手に提訴することが可能になり、莫大な賠償金を請求されるリスクがあるなど、国民の不安はまったく解消されていない。(11月4日)

 今朝の東京新聞「本音のコラム」欄で竹田茂夫氏が、「働き方の未来2035」なる報告書が厚生労働省によって発表されたことを紹介していた。あまりの内容なのでネットで調べてみると、確かに「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」懇談会が8月2日に報告書をまとめている。
 「約20年後には、働く者は個人事業主として会社や職場から独立し、世界を相手に自由に能力を発揮できる」ようになるというのだが、竹田氏は「労働者がすべて個人事業主になれば、過労死・過労自殺は自己責任で低賃金は自己決定、偽装請負・偽装派遣は合法となる」ことを指摘し、「空想的資本主義」として厳しく批判している。
 「格差や非正規層の不安定な身分、機械・IT・AIが職を奪う技術的失業」についても触れている。資本主義は「技術革新」によって剰余価値を得ようとする。今日、最も注目されているのはAIである。だが、企業は「技術革新」によって富を増大させることができるかも知れないが、そのことで働く人々が「余剰労働力」とされる未来は明るいといえるのだろうか?
 新自由主義とは「もうけ」を得られそうな資本がいっそう利潤を上げることを可能にするというシステムである。「世界中で一番企業が活躍できる社会」をめざすという安倍政権の本質に国民は気づかなくてはならない。事態は着々と進行している。特にこれからの時代を生きていく若者は怒りの声をあげなくてはならない。(11月3日)
 「自民党の小泉進次郎農林部会長が雇用の流動化を目指した解雇自由化法案を提案している」との次のような記事もこれと関連しているのだろう。
  http://saigaijyouhou.com/blog-entry-13805.html

[PR]
by yassall | 2016-11-01 16:41 | つい一言 | Comments(0)