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今年の発句2020

アダン岩礁赤翡翠一村の奄美
蒼き浪よヒルガオの浜南島記

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 今年も年賀状に拙句をしたためた。一番目は「ア」「ン」「ショウ」の音の連なりを面白がっただけの句。だったら赤翡翠はアカショウビンとカタカナ書きをした方が良かったのだが、一行書きすると長くなり過ぎ、ハガキでは収まりが悪いので漢字にした。一村が田中一村だと気が付けば分かってくれるだろうとの甘えである。
 二番目の書き出しは最初、蒼浪(そうろう)や、とやりたかったのだが、蒼浪には老衰という意味もあるのを知って、まだ早いとあわてて変えた。南島記は柳田国男・折口信夫を意識した。黒潮に乗って海上の道を渡って来たかも知れない祖先たちへの思いを思ったのである。
 30代の初めのころ、なぜか俳句らしきものが次々と頭の中で湧いてきた。これは面白いと中村草田男や金子兜太の本を読んだり、歳時記を揃えたりしてみた。少し本格的に勉強してみるかと構えたとたんに何も生まれなくなった。
 50歳のころ、フォト五七五なるものが流行ったことがあって、なかなか面白いものだと刺激を受けた。
  炎昼の異邦人となる橋の上    板見浩史
  人生の坩堝に溶けず街寒し    森村誠一
  ファーブルを夢見る少年日の盛   中谷吉隆
 などの先達に及ぶべくもないが、真似だけでもしてみたくなったのである。今度はあまり本気にならず、遊びこそ俳句精神の粋と思い込むことにした。カメラは一年中ブラブラさせているし、昨年はこんな一枚を撮りましたと年賀状でシリーズ化するのもいいだろう、どうしても自作がならないときは名のある俳人たちの句を添えるのでいいじゃないかと開き直って続けている。
 俳誌や句集を読むのは今でも好きで、気に入った句はメモしたりしている。加藤郁乎や夏石番也のような鬼才に触れると才能の決定的な差異を思い知らされるばかりだが、それらが心の深いところに届いて来るかといえば必ずしもそうとも限らない。
 こんなことを書き始めたのはTV番組のプレバトのことを書こうと思ったからである。俳人の夏井いつきを主宰者に模擬的な句会を開き、査定をしたり添削したりする。視聴者は素人の俳句を手直しすることで見違えるように生まれ変わっていく様子に感嘆する、というしかけになっている。
 最初はよく面白おかしく番組をくみたてるものだなあと見ているうちに、夏井いつきという人の俳句への打ち込み方や普及活動への本気度を知るようになり、毎週の放映が心待ちになってしまった。
 現在トップを走るのは梅沢富美男、東国原英夫、フルポン村上らである。番組へのオファーが始まってから俳句を勉強し出したという人が多いが、
  鰯雲仰臥の子規の無重力      東国原英夫
  エルメスの騎士像翳りゆき驟雨    フルポン村上
 のように、日ごろのキャラクターからは想像できない秀句を生み出している。
 東国原英夫はつい先日の放送回でも破格ながら「湯豆腐の湯気アインシュタインの舌」のような独特のセンスをみせる。これに比べると梅沢富美男の俳句は正統派で、ときに面白みに欠ける嫌いがあるが、実は梅沢がどんな句を詠むかを私は一番の楽しみにしているのである。
  1原子炉と共に溽暑に眠る町
  2嬰児の寝息の熱し砂日傘
  3旱星ラジオは余震しらせおり
  4震禍の港あふるる笑顔初さんま 
  5廃村のポストに小鳥来て夜明け
 1については「原子炉と溽暑に眠る町の黙(もだ)」、4については「震禍(しんか)七年港に揚がる初さんま」の夏井いつきの添削がある。「と共に」では確かにゆるさがあるし、「あふるる笑顔」と書かずに復興への思いを表現すべきなのだろう。だが、発句そのものは福島出身である梅沢からしか出てこないものだろう。2、5は直接福島を詠んだ句ではないがやはり故郷への思い、嘆きなくしては詠まれない緊迫感や寂寥感が伝わってくるように思うのである。故郷にも俳句にもきちんと向き合っているところから発するように思うのである。


by yassall | 2020-01-20 01:46 | Trackback | Comments(0)