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憲法9条を守ろう!原発から撤退しよう!

憲法改悪反対!原発撤退!これだけは巻頭から外すわけにはいかない!(その理由は口上で)
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 ご案内
 たいがいが趣味(夏炉冬扇?)のブログですが、ときに真面目?になって、つい一言もの申したり、語ったり(竹頭木屑?)しています。多少とも関わりのあった「学校図書館」や「高校演劇」についても応援していきたいとカテゴリを設けました。初心を忘れず、ということで「国語・国文」を起こしましたが、あまり更新できずにいます。他は、最近何してる?は「日誌」に、何か考えてる?は「雑感」に、という塩梅です。
 あ、写真をご覧になっていただけるかたは主に「風景・散歩」のカテゴリーに!

この一枚

 奄美パークにて(12月2日) G8+12-60mm 

# by yassall | 2020-12-31 23:59 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

光への探求  ゾーンシステム研究会第23回写真展

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 11月30日、Kさんから案内をいただいて四谷の日本写真会館ポートレートギャラリーへ出かけて来た。Kさんはかなり以前からゾーンシステム研究会なる写真集団に所属していたらしい。かなり気合いの入った集団で機材は大判の銀塩カメラ、一人で撮影・現像・焼き付けまで行うというのがルールだという。月に一回例会を開き、合評会形式で腕を磨き、定期的に写真展を開催するが展示にいたるまでにはかなり厳しい銓衡がなされるらしい。Kさんも今回は1作品のみの展示だという。
 私だって写真を始めたころはモノクロから入った。ネオパンとかトライXとかを買い込んではカメラを持ち出した。モノクロ写真は世界中の写真家によって様々な技法が編み出されており、いつか自分も試してみたいと思っていた。だが、知識より先には進まなかった。記録用ならカラー写真の方が手軽だし楽しい。カメラの方も大判の世界があるのを知ってはいたが、一度だけ120フィルムを用いた中判の、しかもセミ判に手を出したことがあるだけだ。4×5のカメラを所有している人は今までもいたが、そこで縛りをかけている写真集団という存在はそれだけでも尊敬の対象である。
 ピント・露出・構図が完璧という写真ばかりではなかったようにも思うが、ともかくすべてを手動で行うわけだし、もちろんレンズも単焦点だろうし、意図した図柄と微妙なズレがあったとしても、それもまた楽しみだという世界なのだろう。被写体を選定し、構図を決め、天候を読み取り、シャッターチャンスを待つ過程に価値があるのだと思った。
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 Kさんの作品。撮影地は長瀞だという。こうした構図を選んでパンフォーカスに仕上げるにはカメラの性能をよくつかんでいなくてはならない。岩肌の質感がよく出ていると思った。
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 帰りはKさん、natsuさんと連れだってしんみち通りの(とはいえ四谷で飲むのは初めて)秋田料理の店で懇親を図った。酒も料理も美味く、どうも私は酔ってしまったようだ。この翌々日に奄美大島旅行に出かけた。そんなわけでアップが遅くなってしまった。奄美の写真はそのうちに。



# by yassall | 2019-12-06 20:18 | 散歩 | Trackback | Comments(1)

中島敦展

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 23日、明日で開催期間も終了という日になって出かけて来た。連日の雨模様の中であったが、週明けでは間に合わないのだから仕方がない。なぜ神奈川でという疑問は展示を観覧しているうちに合点した。埼玉に勤めていたせいで、つい埼玉と中島敦の関係に関心が向いていたが、東大卒業後、敦が国語と英語の教師として赴任したのは横浜高女であった。そのためか、神奈川近代文学館は中島敦に関連した資料を多数所蔵しているらしく、展示会も4回目で、内容はたいへん充実していた。横浜高女時代の写真や校友誌なども展示されていた。
 中島敦は漢学者の家系に生まれた。その一族には以前から関心があった。叔父の比多吉は外語大で中国語を学び、幼帝溥儀につかえ、後に満州国創設にもかかわった人物であるとのことだ。他にも中国語・モンゴル語を学び、中国大陸に渡り、国士のような生活を送った人物もあるらしい。「斗南先生」のモデルである伯父の中島端(号が斗南)は癇癪持ちで「やかまの伯父」とよばれていたが、たいへんな秀才で漢詩漢文を能くしたという。残された色紙につぎのような一首が揮毫されている。
  「あがかばね野にな埋みそ黒潮のさかまく潮の底になげうて」
気性の荒々しさが伝わって来るような短歌である。端は政治に関心が深く、大陸問題に傾倒していたという。死したのち、遺骨は本当に熊野灘に散骨されたらしく、「斗南先生」には「大東亜戦争が始まり、ハワイ海戦や馬来マレー沖海戦の報を聞いた時も、三造の先づ思つたのは、此の伯父のことであつた。十余年前、鬼雄となつて我に寇あだなすものを禦ぐべく熊野灘の底深く沈んだ此の伯父の遺骨のことであつた。鯱さかまたか何かに成つて敵の軍艦を喰つてやるぞ、といつた意味の和歌が、確か、遺筆として与へられた」という一節がある。
 日本の統治下にあった朝鮮や南島での生活体験があり、支配される側の人々に接した敦には、こうした大アジア主義とも異なり、複雑な感情があったらしいことも分かった。「巡査の居る風景」などにみえる。今回の展示会で監修をつとめたのは池澤夏樹で、副題の「魅せられた旅人の短い生涯」は池澤の発案らしい。敦の人生と文学をよく言い当てていると思った。こうした文学展をみるともう一度勉強し直して見ようかと(このときばかりは)思ったりするのである。

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 神奈川近代文学館は港の見える丘公園を突っ切っていった場所にある。以前は何でもなかったのに、昨年だったか、寺山修司展に出かけたときはフランス山を上る階段をやけにつらく感じた。別ルートはないものかとHPを見たら、みなとみらい線の終点、元町・中華街駅の6番出口に向かうとエレベータでアメリカ山公園に出られることが分かった。地図上では少し遠回りになるが、外国人墓地のわき道を抜けていくと、海が見える丘公園の展望台の真向かいの入口に出られる。ロケーションもなかなかよい。夜にはアメリカ山公園はイルミネーションでライトアップされていた。


# by yassall | 2019-11-24 17:51 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

マクベス

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 9月に昴の芝居を見に行ったとき、広瀬和の出演情報があった。今回も演出助手をつとめるとともに、いくつかの役で舞台に立つという。初日の21日、13:00の回に出かけて来た。
 ヴェルディはシェイクスピアの「マクベス」を4幕物のオペラとして仕立てた。初演は1847年である。その後、1865年にパリ版として大幅に改定された。ヴェルディの生前には必ずしも評価されず、「ヴェルディはシェイクスピアを理解していない」とするような評もあったそうだ。ヴェルディは激怒し、「シェイクスピアは私の最愛の劇作家の一人」と知人に書き送ったという。
 チラシに「演劇×オペラが満を持して挑む二つのマクベス」とあったが、基になっているのはヴェルディのオペラのようだ。魔女も3人ではなく9人登場し、合唱部分を担っている。客層もオペラファンが占めていて、一曲終わる毎に「ブラボー」という絶妙なかけ声がかかる。舞台の進行も一つの場面を演劇部門のキャストが上演して見せ、つづいてオペラ部門のキャストがオペラで演じてみせるといくような組み立てだった。ヴェルディだからイタリア語なのだと思うが、これなら字幕はいらないわけだ。若い演奏家のためのプロジェクト公演という企画名も紹介されており、何回か同様の公演が続いているらしい。
 というわけで広瀬和の応援で出かけた身としては少々物足りない思いをしたが、演劇としてつくりが粗略であったなどということはなかった。魔女9人の内、3人は演劇部門の俳優がつとめていた。オペラ歌手の声量というのはすごいものだなと感心させられたのは確かとして、演劇部門でもバンコーの亡霊におびえるマクベス、マクベスを鼓舞するレディ・マクベスともに俳優としての力が伝わって来た。
 「マクベス」についてはいつかしっかり学んでみたいと思っている。イギリス史の中でみていくと王位継承の正統性に関する争闘の歴史は根深いものがあったらしいし、イングランドとスコットランドの対立にも長い歴史がある。人間存在を掘り下げていけばいたるところにマクベス的なものは発見されるだろう。柄谷行人は自身が書いた「マクベス」論は連合赤軍事件論だったという。偽王というのがキーワードにあるが、読んでもさっぱり分からなかった。
 公演のことにもどれば企画の面白さも含めて十分楽しめた。広瀬は4月にも舞台があるらしい。良い役をつかんで、実力をいかんなく発揮して欲しい。自信をもって臨め、とメッセージを送りたい。
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 渋谷区文化総合センター。会場の伝承ホールは6Fにある。天気が良かったので帰りにはEM10Ⅱに12-40mmをつけて変わりゆく渋谷を撮ろうと思っていたがホールを出た頃は早くも日が陰って来てしまった。これは入場前に。
 


# by yassall | 2019-11-22 18:27 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

2019年埼玉県高校演劇中央発表会

 11月16、17日に開催された2019年埼玉県高校演劇中央発表会に行ってきた。出かける前に済ませておきたいことがあり、初日の1本目だけ失礼したが、1日目5本、2日目4本のお芝居を見せてもらった。せっかくなので表彰式も結果発表まで居させてもらい、講評も聞かせていただいた。

 最優秀賞 新座柳瀬高校 [hénri]! G.B.ショー・原作 稲葉智己・翻案
 優秀賞  川越高校「いてふノ精蟲」阿部哲也・作
 (上記2校が関東大会出場)
 優秀賞  秩父農工科学高校「群青フェイク」コイケユタカ・作

 創作脚本賞   「群青フェイク」コイケユタカ・作
 創作脚本奨励賞 「夢、酔ひ 華、香る」青木友菜・作

 審査経過報告によると優秀賞の候補には芸術綜合高校「さらば夏の思い出」も残っていたとのことだ。いずれも力作だったと思う。
 [hénri]!は地区発表会からだいぶ手を加えてきた。レッスン料の交渉の場面など惜しまれる箇所もあるにはあるのだが、遊びの部分をカットしたため、テンポはよくなっていた。反面、ミセス・ヒギンズに自分のところに通うように言われたその後はどうなったのだろう、というような箇所については新しい科白が追加され、きちんと回収されていた。それよりも何よりも、ラストシーンにヘンリーがイライザをエスコートして夜会に出かけるという新しい場面が付け加えられた。

 一緒に劇を見ていた人の意見では、先行きに様々な可能性を残しているという意味で、前回より今回のエンディングの方が優れているという。確かにイライザがヘンリーと抱擁し合うという前回のエンディングは、それが二人の恋愛の成就を意味しているとすれば唐突感は否めないし、芝居のラストシーンとしてももう一つ盛り上がりに欠けるような気がする。また、二人の住む世界の違いから考えれば、たとえ将来的にイライザとヘンリーが結ばれるとしても、まだまだ越えなければならない障壁があるはずである。そして、二人してその障壁に立ち向かおうという決意が生まれているか、と問えば、その障壁が意識されているとも、決意が固まっているとも現段階では言えないだろう。
 それでも前回のエンディングを「正しい選択なのではないだろうか」と書いた身からすると、今回は少々肩すかしを喰らったような気がするのも確かなのである。
 それというのも、9月頃の稲葉氏のFacebookにG.B.ショーは「『Pygmalion』でイライザとヒギンズが結ばれること」に反対していたが、「翻案していくと、どうしたってイライザ×ヒギンズだろうということになる」ので、「今回、何とかヒギンズとフレディーが対等に渡り合えるように書き始めてみた」が「ラストシーンの手前でギブアップ」、結論としてG.B.ショーに「弓を引」くことを決意したとあったからだ。
 それは初めて劇を見る人には知りえない話としても、もともと劇の組み立てとしてもそうなっていたのではないのか、ヘンリーがイライザのために買い求めてきたプレゼントを渡せずに苦悩している様子とか、自分の名前をファーストネームで呼べるようになって欲しいとか、ヘンリーとイライザが互いに心惹かれるようになるのでなければ、客は何を見せられてきたのだという話になる。
 二人が抱擁する場面は今回も残されている。「h」の発音を克服したイライザがヘンリーに抱き付いたのは、自分を見守り、支えてくれる存在として、ヘンリーに対する感謝と信頼がイライザに生まれたということで、この時点では十分だと思う。それに対してヘンリーの側も自分のレッスンの成功と、それに耐えたイライザのこころざしと努力に対する賞賛として、固い抱擁で答えるということがあっていいと思うのである。互いの心が通じ合った一瞬として。もちろん、ピカリングやピアスの目が間近にあるのだから、すぐに我に返るということでいいのだが。
 ところが今回のヘンリーの側の抱擁は曖昧で戸惑いが見えた。イライザにしっかりと答えられていないのは、自分の心の在処もつかみ損ねているように見えてしまったのである。私は地区発表会の審査員のヘンリー=コミュニケーション障害説はなかなか鋭いと考えており、イライザに惹かれていく過程はヘンリーが自らのコミ障を克服していく過程として描かれたらいいのにと思っているのである。
 とはいえ、ラストシーン自体は美しく仕上がっていたし、劇のしめくくりとしての水準を引き上げた。芝居としての完成度が何段階も高まったのは疑いようもない。ただパーティのためにドレスアップしてみせたというだけでなく、上流階級のドレス云々と持ち前の口調でケチをつけるところは、イライザがまだまだ恋愛には淡泊で真っ直ぐであり、そのことには好感を持てるし、そのイライザに腕をとらせるヘンリーにはイライザに対する理解と慈しみがみえてダンディだった。
  ※
 「いてふノ精蟲」は一回目(2014年)の上演で関東大会へ進出しておかしくなかった作品である。今回、リベンジを果たしたということになるのだろう。二度目の観劇となると、この役については配役はこちらの方がよかった、というようなことになりがちなのだろうが、新鮮味が失われることもなく、十分に観客を惹きつけたし、感動させた。
 衣装でいうとフロックコートを着たり、ステッキを持たせたりで時代を表現しやすい教授連と比較し、主人公の平瀬が学生が穿くようなグレーのズボンとワイシャツではなあ、と前回は感じたものだったが、きちんと背広を着こなし、ズボン吊りと蝶ネクタイを結んで登場させるなど、細かい改善がなされていた。審査員に言わせるとそれでも不十分だということだが。芝居という大きな嘘をつくためには小さな嘘をついてはいけないというが、プロの目は厳しいものだ。
  ※
 「群青フェイク」についても一言する。ここ三年くらいにコイケユタカさんが書いたものを私はけっこう買っている。妙な言い方になるが、以前は「劇的であるための劇づくり」という印象だったのだが、時代と正面から向き合ったり、現代高校生の苦悩に真摯に寄り添ったりという姿勢を感じ取った。
 三木清は『人生論ノート』の中で憎悪と怒りの違いについて述べている。今回の劇の前半でSNSによる陰口やら互いの暴露合戦を支配している感情は妬みの入り交じった憎悪であろう。それを生み出しているのは互いの距離感をつねに計らずにいられない生きづらさがあるかも知れない。その意味ではラスト間近になってのクラスメイトたちの和解も自分の本心を偽った「フェイク」の域を抜け出せないということであったのかも知れない。だが、最後の最後になってのアサヒの叫びは憎悪によるものではなく、怒りの発露であったと思ったのだ。そして、その怒りは変革のエネルギーに転化していく可能性を持つと考えたのだ。
 手元に来て急に「消える魔球」になる変化球ではなく、直球勝負に来ていると感じた。その直球をどう受け止めるか、審査員の間でも意見が分かれた模様である。私はたぶん工藤審査員の意見に近い。今求められているのは変化球ではなく、直球であると思う。コイケユタカさんは直球を投げてきたし、それが否定されてはならないと思うのだ。
 どうしても順位を付けなくてはならないのだろうし、次段階への進出の枠は限られている。しかし、もう一枠増やせるものならもっと多くの人に見てもらいたい劇だった。
  ※
 川越西高校「ゆーめいどりーむ」についても一言したい。成井さんはこういう劇も書くんだ、というのが率直な感想である。最初に放射能マークが映写され、最後に黒服ながら防護服を着用した人物が登場する。そうしてみると凄まじく散らかった室内も、片付けが嫌いなお嬢様のわがままが原因なのではなく、荷物の整理のいとまもなく避難を余儀なくされた原発被災地のありさまを表しているのだと理解できる。登場人物の二人は1年間800万円の契約で何ものかによってこの建物で暮らすことを強制されているらしい。ときおり遠くから聞こえる異音が不気味である。外部では何かが進行しているらしい。
 キャスト二人は熱演していたと思う。正直いうと、同じように強い口調で同じような会話が進行していくと、途中で疲れてしまって芝居が見えなくなるときがあった。したがって感想としては審査員とは反対になる。閉ざされた世界で虚と実が入り交じり、というより、虚が虚を生み出し、「もう一回最初からやろうか」という通り、おそらくは延々と同じことが繰り返されていくしかない出口のなさは戦慄すべきものだった。
 成井さんに言わせると、あんたが知らないだけで俺はいろんなものが書けるんだよ、というところかも知れないが、また多様な成井ワールドを見せてもらいたいものだと思った。
  ※
 皆さん、勝手なことばかり書いてごめんね。苦情、反論はどうぞコメントで…。


# by yassall | 2019-11-20 16:06 | 高校演劇 | Trackback | Comments(4)

森林公園ダリア園

 私が子どもの頃、我が家の庭に植わっていた樹木といえば八重桜、椿、イチジク、ダリアと言うところだろうか。今でも樹木の名前には弱く、白い花が生け垣のようになって咲いていたが、クロッカスよりは背が高く、調べてもいまだ名知らずである。たいして広くもない庭だったが真ん中に柳まで植えられていた。
 それらの樹木を私はあまり好きではなかった。八重桜は葉桜で色が濃く、ソメイヨシノを桜だと認識している目から見ると、サクラと認めてはいけない気がしていた。イチジクは鳥やアリはよくたかっていたが、人間が食するような実はならなかった。柳にいたっては夏になると芋虫が大量発生し、家の中まで侵入してくる。それを捕まえては撃退するのは私の役目だった。色は明るい緑色でけっこう大きな芋虫だった。子どもにとってはおもちゃみたいなところがあった。
 手入れがたいへんなのと、家族がそれほど関心を示さなかったからだろうか、ある日庭からすべて消えてしまった。それとも二階屋を建て増したとき、資材の置き場や作業場にするためだったかも知れない。昔の大工は鉋がけも現地で行ったものだから。どうもその辺の記憶は定かでない。
 今ではそれらの庭木を懐かしく思う。植えたのはたぶん父だったと思う。まだ若い父がマイホームづくりに夢を抱いていたのだろうと思うといとおしくもある。ダリアは母と一緒に買いに行ったらしい。そんなことがあるのかどうか知らないが、赤と白のダリアを買ってきたのに、何年かたつ内にピンクのダリアが咲くようになったと話していたことを覚えている。森林公園で期間限定のダリア園を公開すると聞いて、行ってみたいと思ったのはそんな記憶があったからである。
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 西口から入り、いつも紅葉狩りに出かけるカエデ園を過ぎた先にダリア園という案内板が出ていた。あまり広いスペースではなかった。さまざまな品種のダリアが植えられていた。いちいち名前をメモするようなことはしなかったので解説は添えられない。同じような撮り方になってしまったので、同じような写真ばかりになってしまうが何枚かアップする。
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 ダリアは繁殖力が強いのだろうか。だとすれば品種改良もしやすいのだろう。各地で開催される牡丹祭に行くとやはり様々な色かたちのボタンが展示されている。ただ、ボタンよりも大振りになりすぎず、人工的なところが少ないように思えて好ましかった。いずれにしても我が家の庭に咲いていたダリアとはだいぶ違う。後年は激しやすく、それでいて傷つきやすくもある、偏屈なオヤジになってしまったが、父のことも思い出した。付け足しのようだが、今はサクラもソメイヨシノより八重桜の方が好きである。
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 出かけたのは15日である。中央口付近のダリア園から運動広場まではけっこう距離がある。足を向けたのはケイトウの花畑が造園されていたのと、その周りにコキアが2年ぶりに植栽されたと聞いていたからだ。ケイトウは時期を過ぎてしまっていたが残ってはいた。丘の上に向けて縞模様の花畑がつづいている景色はよかったのだが、そばによると13日の台風19号のためになぎ倒された跡があからさまだったので写真はアップしない。コキアも赤く色づき始めていたが同様だった。写真はケイトウ畑と反対側の丘である。丘の頂上の四阿でいつものメンバーでいつものように持ち寄った酒肴を広げた。
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 帰り際、南口の駐車場には災害出動にそなえた特殊車両が何台も停まっていた。森林公園のためではなく比企地区全体をカバーするためだという。隊員の人に聞いてみると排水ポンプ車は1分間に25mプール1/3の水を汲み出す能力があるそうだ。そんな車両を各自治体毎に所有しているわけにもいかないということなのか、ナンバープレートをみると広島やら久留米やら遠方から派遣されて来ているようだ。天気予報によると台風はいちおう去ったが、今週末の雨で水害が広がる恐れがあるという。しばらくこうして待機することになっているらしい。台風19号といえば、同行したNさんは長野の出身で、実家は無事だったが田畑は千曲川の氾濫に遭い、水が引いた週末ごろに後始末に出かけると言っていた。ろくにお見舞いも申し上げず、申し訳ないことをした。


  TX1 

[追記]
文中で話題にした名知らずの白い花のことを妹に聞いたら玉すだれそうだ。いろいろ思い出話をしているうちに、他に棕櫚や八つ手も植えられていたことを思い出した。ダリアは田舎からもらってきたという説も聞いた。

# by yassall | 2019-10-17 19:07 | 散歩 | Trackback | Comments(0)

韓国のこと (10) 東アジア情勢をめぐって

 10月1日付の聯合ニュースによれば、日本が半導体・ディスプレー材料3品目の韓国への輸出規制強化に踏み切って約3か月が過ぎたが、主に半導体の製造工程で使われる液体のフッ化水素の輸出許可が1件も出ていないことが分かったとのことだ。
 これまでフォトレジスト(感光材)3件、フッ化水素1件、フッ化ポリイミド1件について個別に輸出を承認されたが、輸出許可が出たフッ化水素は気体(エッチングガス)で、液体のフッ化水素(フッ酸液)はまだ1回も輸入できていないという。
 韓国の産業通商資源部は、日本は半導体用フッ酸液について国連武器禁輸国と同じ9種類の書類の提出を求めているが、複数回にわたる書類の補完を理由に申請から90日が過ぎても1件も許可されていないともしているという。
 やはり「普通の国と同じ扱いに戻しただけ」というのは表面のことで制裁的な意味合いが明らかだという印象だ。備蓄のきかない製品もあるとのことで、日本による輸出規制の影響がこれからじわじわと出てくるのかも知れない。
 しかし、一方で8月末から9月初めの中央日報や聯合ニュースでは次々と半導体素材の国産化に成功したというニュースを流している。

「国家核融合研究所(核融合研)は8月29日、国内の中小企業との協力を通じ、日本への輸入依存度が100%だった半導体コーティング素材を国産化したと発表した。国内の中小企業、セウォンハードフェイシングが2017年に核融合研から移転されたプラズマ技術を利用し『酸化イットリウム』を開発したのだ」
「韓国のパネルメーカー大手LGディスプレーが、日本から輸入してきた『高純度フッ化水素』の国産品代替に成功した。LGディスプレーは国内のある企業が供給したフッ化水素安定性テスト過程を終えて今月(9月)中に生産工程に適用する予定だ」
「サムスン電子用の国産フッ化水素の試作品が、今月(9月)内に登場する。韓国企業ソルブレインは今月内にDRAM・NAND型フラッシュメモリー工程に使われる高純度フッ化水素の試作品を量産する計画だ。日本企業に劣らない『ファイブナイン』(99.999%)の高純度のフッ化水素液状形態製品だ。中国産の原料(無水フッ酸)を使って生産した。今月内に工場増設を終えると同時に量産に入る」

 こうした半導体素材の国産化は文在寅政権の方針のもとにすすめられている。今度のことで財閥系企業としても日本に生殺与奪を握られることには警戒心を強めだろうし、相当規模の予算も投じられていることから、たとえ文政権に批判的であっても国産化の推進は歓迎していることだろう。
 とはいえ韓国の経済悪化はかなり深刻な様子で、もっとも根本にある問題は米中貿易摩擦であることは誰しもが分かっていることだが、文政権の経済政策に対する批判がことあるごとに強まっているのも確かなことだ。文政権が掲げた政策を実現できるか否かはこの難局を乗り越えることが出来るかどうかにかかっている。
  ※
 GSOMIA破棄は日本の輸出規制・ホワイト国除外に対する対抗措置だというのは通りやすい。その上で、どちらも実質的な支障はないとか、韓国は少ない対日カードを早く切りすぎたとか、侃々諤々の議論が飛び交っている。
 実のところ、韓国政府は日本が対韓輸出規制の強化を撤回すればGSOMIAの終了決定を再検討するというような発言があったり、9月26、27日にソウルで開催された統合国防対話の席上で米国側はGSOMIAの終了を決めたことについて改めて懸念を表明したというようなことが進行中である。
 そのことに関連してアメリカが仲裁に入るかどうかは不明だが、9月23-26日にアフリカ・ソマリア近隣のアデン湾で韓国・日本・イタリア3カ国の合同訓練が実施されたり、10月1日には北朝鮮による潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)とみられるミサイル発射に関連してGSOMIAに基づく情報共有を日本側に要請したとというような事態が起こっている。
 したがって本当にこれから述べるような方向に向かっていくかどうかは分からない。だが、GSOMIA破棄の決断を聞いたとき、東アジア情勢の流動化、そして再編のはじまりの予感があったのだ。
  ※
 もともと韓国内では日本とのGSOMIA締結には反対の世論が大きかった。2009年、北朝鮮による長距離ロケット発射と核実験の強行を契機にして日本から提案された。李明博政権時代のことである。
 2012年6月、李明博政権は国務会議で非公開案件としてGSOMIAを上程し議決した。しかし、この事実が伝えられると野党や市民団体、世論が強く反発し、署名の前に協定は取り止めになった。その後、2016年に朴槿恵政権は再びGSOMIA締結を推進し、11月22日の国務会議で議決するや一日で署名式まで終えたという。
 協定締結の必要性をもちかけたのはアメリカである。日米韓三国による軍事同盟をアジア政策の基盤として中国・北朝鮮、さらにはロシアをも押さえ込む戦略である。GSOMIA破棄が伝えられたとき、日韓両国とも実質的は困らない宣伝したのはあながち強がりではないように思う。GSOMIAは単なる象徴でしかなく、肝心なのは三国の共同体制なのであり、アメリカの懸念もそこにあるのである。
 とすれば、GSOMIA破棄が投げかけるものは共同体制の解体であり、東アジア情勢の再編である。実際には韓国政府は米韓同盟を堅持していくことを強調しているから、一気にそこへすすんでいくことはないだろう。しかし、韓国の身になってみれば、将来的にでもそうした方向をめざしていく可能性を否定できないのではないかと私は思っている。なぜなら三国共同体制といっても、地勢的にも、国家間の力関係からいっても、最前線に立たされるのは韓国であり、日米が後方支援あるいは有事来援ということになるのは目に見えているからである。
  ※
 アジア世界における冷戦構造とその延長としての日米韓軍事協力体制という戦後的枠組みに対する変更の要求が起こっているとしているのは内山節氏である。

 韓国の文政権は、この構造に挑戦する意志をもっているようにみえる。(中略)(日韓条約を)締結したのは、軍事独裁政権であった李承晩や朴正煕政権である。現在の文在寅大統領からみれば、このふたつの政権自体が、正統な政権ではなかったということだろう。それは朝鮮戦争を背景にしてアメリカがつくりだした傀儡政権にすぎない、ということである。だからこの政権が結んだ日韓条約も、みなおす必要があるというのが、現政権の本音であるように思える。(「新しい激動のはじまり」/『東京新聞』「時代を読む」2019.9.8)

 そして、

 このような動きが生まれた大きな原因は、アメリカの力の低下と中国の台頭だろう。力を低下させたからこそアメリカは、外交を国家間商取引としか考えない大統領を生み、中郷は自国を柱とした新しい世界秩序の創造を要求している。(同前)

 として「戦後の終わりと新しい激動のはじまり」を予言し、「戦後的安定とは異なる」世界をつくるための構想力が求められるとしている。
 前回に紹介した浅井基文氏も次のように書いている。

 (戦後冷戦構造の)呪縛から自らを解放し、パワー・ポリティックスにしがみつくアメリカとの関係を批判的に総括するとともに、脱パワー・ポリティックスの新しい国際秩序を提唱する中国を直視し、その中国との協力の可能性を視野に入れる真新しいパラダイムを我がものにしない限り、私たちが「脱冷戦の新たな北東アジアの秩序」形成の主体的担い手になることは難しいと思います。

 個人的には、今日の香港情勢などを直視すると、「中国との協力」にはまだまだいくつもの障壁があるように思われる。しかし、無視し得ない巨大な力を蓄え、一帯一路構想やアジアインフラ銀行を実行しつつある中国に対して、たとえば中国の海洋ルート確保に敵対し続けるような防衛構想を持ち続けることが真に国益にかなっているのか、日本も再検証のときが来ているように考えるのである。
  ※
パワーバランスの変化は中国とアメリカの間だけではなく、日韓間にも起こっているという論も多数存在する。中島岳志氏は『東京新聞』「論壇時評」(2019.9.25)で、国力をつけた韓国が「日本による植民地時代の過去を遅ればせながら『正す』力がついたと自負している」とする、浅羽祐樹氏の次のような文章を紹介している。

 日韓基本条約と日韓請求権協定が結ばれたのは1965年。(中略)当時は日韓の間に明確なパワーバランスの差があった。しかし、韓国の国力の飛躍的高まりにより、両国の関係性が変化した。「朝鮮戦争後、『外勢』に押し付けられた休戦協定体制から、『朝鮮半島における平和体制』を自ら創っていこうとしている。」(「韓国と『友人』であることは諦めた方がいい」文春オンライン、2019.8.7)

 ジョージメイソン大学博士課程にあってメッセージを送り続けている古谷有希子氏も「60年代から70年代の韓国にとって、日本は貿易対象国としても、また国家の発展モデルとしても重要な存在」であったが、その重要性は時を経て「徐々に下がっていく」として、次のようなデータをあげている。

 1960年の貿易対象国の中では、日本は輸出の6割を占めていたが、1975年には25%、1985年には15%、そして2005年には5%まで下がっている。
 また、輸入においても日本は1960年には21%、その後70年代は30%を維持するも、80年代から90年代までに20%台に下がり、2005年には19%を切っている。(出典:吉岡英美「日韓経済関係の新展開-200年代の構造変化を中心に」韓国語)」(「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」192019.8.17)


 そして日本の政府要人が繰り返す歴史修正主義的発言の裏にあるのは、「韓国ごとき」「日本より格下」といった植民地的差別心であり、「馬鹿にしていい相手」「何をしてもやり返せない相手」といった認識を改めない限り、いつまでも韓国を相手に歴史問題を先に進めることはできないとしている。
  ※
 私も最近になって知ったのだが、昨年9月末の在韓米軍の人員は陸軍1万7200人、空軍8100人など計2万5800人。これに対し、韓国軍の総人員は62万5千人。うち陸軍が49万人、空軍が6万5千人、海軍が7万人となっている。装備的にも西欧諸国とは遜色ないレベルに達しているという。(田岡俊次「在韓米軍の撤退はもはや既定路線」AERA、2019.9.11)
 ちなみに在日米軍は4万4800人、軍属・家族を合計すると 9万4200人で在韓米軍の2倍近い。自衛官は陸上自衛隊 135,713人、海上自衛隊42,136人、航空自衛隊42,939人、幕僚等3,634人、合計224,422人 (『防衛白書』H29)である。
 もうアジアで血を流すことを望まないアメリカは在韓米軍兵力を削減したいと考えているし、それは財政的な要請でもある。2006年、盧武鉉大統領は戦時作戦統制権の返還を求め、2007年の米韓国防相会談で2012年4月に統制権を韓国に移すことで合意した。だが、北朝鮮の核・ミサイル開発への対処といった問題もあり、李明博大統領は統制権移管を15年12月まで延期、朴槿恵大統領も「20年代中ごろまでに」と再度延期した。文在寅大統領は在任期限の22年5月までに移管の実現を目指しているとされる。(日米安保の場合は「指揮権密約」により緊急事態のときはいちおうの協議の後、自衛隊はアメリカの指揮下に入ることが決まっている。)
 対北朝鮮ということであれば、韓国は通常兵器による戦闘ではこれを撃退する自信を持っているだろう。韓国軍創設を祝う「国軍の日」の10月1日、文在寅大統領は祝辞で「わが国軍は独立運動をルーツとする愛国の軍隊であり、南北の和解と協力を導く平和の軍隊、国民が苦しい時に先頭に立つ国民の軍隊だ」と述べた。その意味するところは強力な軍事力が背景にあるからこそ抑止力がはたらき、南北の和平交渉をすすめることが出来るということである。
 その点では、文在寅は単純な軍縮論者ではない。「より強力かつ正確なミサイル防衛システム、新型潜水艦と軽空母級揚陸艦、軍事衛星をはじめとする最先端の防衛システムにより、わが軍はいかなる潜在的な安全保障脅威にも主導的に対応することになるだろう」とも語ったように、むしろ軍備の拡充には力を注いでいるようである。
 軍事力による抑止によって本当に平和がもたらされるのかについては疑問も残るが、休戦状態にある朝鮮半島においては現実的な対応というしかないのだろう。
  ※
 南北統一問題については考察の途中である。「社会主義強国」論(2016.5第7回党大会)以来、北朝鮮も「経済発展に向けた周辺環境の整備」「東アジア冷戦の解体」を掲げるようになった。しかし、統一問題に対する南北の方向性にはまだまだ大きな隔たりがあるように思われる。
 10月24日、文在寅大統領は国連総会の一般討論演説で、北朝鮮との軍事境界線がある非武装地帯(DMZ)を「国際平和地帯」に変える構想を打ち出し、北朝鮮と共同でユネスコ世界遺産への登録を目指す考えを訴えた。そして「韓国は北朝鮮の安全を保証し、北朝鮮も韓国の安全を保証することを望む」と述べ、南北共同の「平和経済は朝鮮半島の平和を強固にし、東アジアと世界経済の発展に寄与する」と展望している。
 確かにDMZの平和地帯化がただちに「北朝鮮の安全を制度的にも現実的にも保証することになる」とは言えないから、「再び対座しない」として韓国との対話を拒否する北朝鮮が共鳴する可能性は高くないだろう。
 しかし、休戦状態が解消され、相互不可侵という約定が信頼関係にまで高められるなら、東アジア情勢は劇的に変化していくことだろう。「制裁」の強化によって北朝鮮を孤立化させるという方策は失敗だった。北朝鮮の暴走や暴発を食い止め、国際社会との協調をうながすためにはどうしたらよいか、再検討が迫られているのではないか。
 文在寅国連演説はその選択肢のひとつであると思われる。世界がその実現に協力し、各国共がそこからはみ出ようとすることを厳しく監視する。各国というのは韓国・北朝鮮だけでなく、中国・アメリカ・日本他を含める。そして「平和地帯」を朝鮮半島さらにアジアへと広げて行く。それしかないではないかと今は考えている。
 いかに軍事力を高めても、ひとたび戦争が開始されれば双方が壊滅的な打撃を受けるのは目に見えている。やはり平和をめざすしかないのだ。


# by yassall | 2019-10-11 13:23 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

2019年西部A地区秋季演劇発表会

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 10月5、6日の日程で2019年西部A地区秋季演劇発表会が朝霞コミュニティセンターで開催された。現役時代からの知り合いはめっきり減ってしまい、古巣に戻ったというよりも、一人の観客として足を運んだというスタンスが強まっている。忙しさは分かっているから、あいさつを交わしてくれても、二言三言で済ますようにする。それでいいと思っている。
 1日目は和光国際高校、新座高校、朝霞西高校の3本を、2日目は午前中の細田学園高校、新座総合技術高校を失礼して、午後の新座柳瀬高校の1本を観劇した。朝霞高校は不参加だったが、1年生にやる気のあるのがいるので、来春には出場したいとのことだった。
   ※
和光国際高校『大正ガアルズ時々ボオイ』萩原康節・作
 「風の又三郎」を意識していることはすぐに分かった。主人公の名前も風野佐那である。ある夏の初め、両親を亡くした佐那は慶園塾に引き取られる。慶園塾の塾長は大妻コタカで、どこか現在の大妻女子大を連想させる。女子教育が目的らしいが男子生徒も在学し、男女平等教育に重点があるのかも知れない。武道も盛んである。慶園塾で一夏を過ごした佐那は夏の終わりに九州の親戚に引き取られていく。ますます「風の又三郎」である。
 殺陣を組み立てながら見せ場を作っていく手法は萩原さんが得意とするところだ。部員たちも相当稽古を積んだのだろう。危なっかしいところは少しもなく、なかなか見事な木刀さばきだった。殺陣にからんだ5人が5人ともだから、それだけでもたいへんなことである。
 これまでの作品には過去の何かの出来事から骨肉の間に強い葛藤があり、それが年下の者の方の忍耐とか努力、ときによって捨身によって克服されていくといったストーリーが多かった。今回も慶園塾の塾生の中に佐那の父親の道場を破門された父親を持つ諫早がおり、無念を晴らすことを胸に秘めていたというような設定があるのだが、同年代ということもあり、稽古で木刀を交えるうちに早いうちから気心が知れるようになるという具合で、殺伐としたところは少しもない。
 それは佐那のキャラクター設定に理由がある。剣術の技量は飛び抜けている。だが、艱難に耐えてとか、克己によってというような悲壮なところは少しもない。勝敗にもこだわらない。強い相手と木刀を交えているうちに、親友の仇を討つことも、塾の名誉を守ることもどうでも良くなり、魂と魂のぶつかり合いを感じ取り、楽しくなったというのである。
 作品としての完成度はどうだったのだろうか。いつもさまざまな要素を詰め込みすぎだな、と感じていたが、今回は引き算が利いたのか、窮屈な感じはなかった。ただ、その分、話が飛び飛びでストーリー展開に説得力が乏しかった。何か、大切な要素を置き去りにしながら、無理に進行させてしまっているような気がした。
 審査員の方の講評を伺っていたら初稿では平塚雷鳥を登場させていたらしい。それなら題名の「大正ガアルズ」も腑に落ちるし、塾長の女子教育に対する熱意にもつながってくる。塾生には他に旧藩の家老の娘として生まれ、親が家督を嗣がせるために養子をとったことから家に居づらくなった八重も登場させている。元々は理不尽な封建遺制との抗いというテーマも持っていたのだろう。それはそれで、2時間ものくらいに拡大して、見てみたい気はする。だが、このままではそうした物語の厚みまで想像しろというのは無理である。
 エネルギーを客席に届けたいということなのだと思うが、怒鳴り声になってしまって会話に聞こえて来ないし、人間関係の変化も読み取れない。新田五郎のような魅力的なキャラクターが提示されながら生かしきれていないのが残念だった。審査員も指摘していたが、人物たちがつねに木刀を携行しているのは不自然だった。皆、「剣では守れないものがある」ことに気づいたのだから。

新座高校『夢遊少女』別役慎司・作 顧問・潤色
 春の発表会は不参加のようだったので心配していた。顧問のGさんと立ち話をしたら、「今回は作りきれませんでした」とはいうものの、モチベーションは持続しているようなので安心した。部員も揃っているようだ。
 面白い台本をつかんだと思った。一見、ファンタジー物のように見えるが、もう少し深くサイコドラマとしての可能性を持っている気がした。「頑張り屋さんなのよ。緊張とプレッシャーの中、毎日過酷な仕事に従事して、寝不足からつい居眠りをしたのね。そのとき、違う何かが目覚めてしまった」というような科白があるように、現代社会あるいは現代の労働環境による人間性の抑圧を描いているように思われる。「違う何か」に目覚めたと言っても、それは自己の解放なのではなく、自我の分裂なのである。物語が佳境にさしかかると、三人で夢遊状態に入って、シンクロし、口から未来の予言を発するという超常的な出来事も起こる。日常の奥に潜むものを垣間見せようということだろう。
 セットはもう少し整理した方がいいと思った。翔子が座っているのは彩色されたBOXではなく、小さめの椅子でいいと思ったし、人形を出し入れしたり、ひっくり返したりするのも玩具箱一つでいいと思った。淡々とした科白回しはそのままでいいと思ったが、そうした中でも単調になりすぎない工夫が必要だろう。審査員は不安を感じさせる照明と評価していたが、医師の錦戸などはけっこう魅力的に出来ていたのだから、肝心なときに顔に照明が当たっていないのはやはり失敗だ。
 芝居のちょっとした見せ方のテクニックを磨いていったら、もっともっと面白い舞台が作れると思う。Gさんも「次はがんばります」と言ってくれたし、新座や朝霞西が安定した力を発揮してくれないと、地区が地区として成り立たなくなってしまう。

朝霞西高校『ラストチャンスは二度やってくる』中村達哉、久米伸明・作
 鴻上尚史のような小難しい台本ではなかったが、なかなか面白いところをねらったと思った。キャストの8人中5人が1年生という配役の中ではやりやすかったのではないか。といっても、中学生を高校生に変更したことが功奏して、高校演劇として物足りないことはなかった。タイムマシンものだが、(一人の男子生徒を二人の女子生徒が奪い合う)恋の鞘当てあり、女の友情ありで、同世代の観客の心に届くものがあったのではないか。
 演技は1年生が大半を占めるチームとは思えない達者ぶりだった。ドクターが登場するまでに完全に客をつかんでいたのではないか。見せ場は見せ場で作りながら軽妙なテンポで進行できた。後半はやや失速した。シリアスな場面の方がかえって難しかったようだ。どの加減で感情移入したらよいか迷っているようでもあったし、特に自分の科白がないときの演技がまだまだだった。それでも次が楽しみだと思った。

新座柳瀬高校『 [Henri』G・バーナード・ショウ・作 稲葉智己・翻案
 (新座柳瀬はこの発表会で県中央発表会への出場を決めた。おそらく柳瀬は11月に向けて台本・芝居を練り直していくと思う。そのことを踏まえながらも、これから書くことはネタバレになることを承知で読んで欲しい。)
 新座柳瀬がG・バーナード・ショウの『ピグマリオン』を原作として芝居を打つのは2度目である。2014年版は題名を『Eliza! 』とした通り、イライザが自らの意志で出自の階層の限界から脱して行こうとする生き方を描こうとしたものだった。そこのところでは、「花屋で働くために正しい発音を学ぶなんて信じられない!」との問いかけに、イライザが「それはあんたたちには分からないことだろう」ときっぱり断言する場面は残されている。
 今回は題名がヘンリーに変えられている。表記を発音記号としたのは「h」の発音に苦心したイライザが反復練習を延々と続けていく予告であるよりも、イライザに「私の名前を正しく呼んで欲しいのだよ」と告白するまでに心が動いていったヘンリーの存在を濃くしたかったからだろう。natsuさんはずばり「今回の台本はラブストーリー」であるとしている。
 これは審査員の指摘に助けられての解釈なのだが、過去におけるパーティでの態度をミセス・ビギンズによってたしなめられたように、ヘンリーにはコミュニケーション障害という一面がある。イライザへの恋に陥っていく過程は、ヘンリーが自らのコミュ障を克服していく過程でもある。
 「h」の発音を克服したイライザがヘンリーと固く抱擁し合うというエンディングは、イライザはイライザのままで、その生き方に強く惹かれたヘンリーと、ただ優しいだけでなく、自分を見守り、支えてくれる存在として、ヘンリーに対する信頼がイライザに生まれたということであれば、正しい選択なのではないだろうか。2014年版のときにも書いたが、イライザが「貴婦人」となって出自としての庶民階級から離脱し(というより捨て去って)、「上昇」をとげていく物語には、少しも心を惹かれないからだ。
 さて、そうなると登場人物たちの心の変化は十分に描き切れたかというのが気になるところだ。natsuさんも指摘していたように「ストーリーを展開させるピース」は確かに配置されている。だが、それらが正しく機能し、客席に伝わっていったかというと、まだ不十分さがあったように思う。たぶん、智さんとしては芝居があざとくなるのを嫌っているのだろうが、もう少し鮮明に描かれた方が親切である。キーを握るのはフレディかも知れない。ヘンリーがフレディに対する嫉妬心あるいはライバル心に気づくところ、反対にフレディが恋の勝者になるのは自分ではないことを悟るところ、今でも「ピース」としては用意されているのではあるが、それらが漸進的に積み重ねられて、線として結びつけられていったらエンディングはさらに感動的になるのではないか。
 イライザを気に入ったと言い、正しい発音が出来るようになっただけでは上流階級の仲間入りは出来ない、明日から私のところに通いなさいと言いつけたミセス・ヒギンズとは、その後どうなったのか。気になるところだが、イライザにはいわゆる「貴婦人」になって欲しくないし、言葉が変われば人間も変わってくるものだと思っているから、あまり心配していない。
 演技のことが後回しになってしまった。最初のころのイライザの蓮っ葉なもの言いには感心した。今まであまり発したことのない科白だと思われるが、生き生きと威勢よく、それでいて純情さを失わずに演じられたと思う。ヘンリーも1年生とは思えない存在感だ。少し弱々しく感じるところもあるが、フレディを演じた3年生に負けていなかった。これからが役者として楽しみだ。
 本筋ではないかも知れないが、「h」の発音の訓練のための例文はよく出来ていたし(どこかの教本にあるのか?)、わざと「h」を抜かした発音も面白く出来た。ヘンリーが「少しずつ出来るようになるのではなく、あるとき突然に、どうして今まで出来なかったのだろうと不思議に思うように出来るようになるのだ」と励ますところは、「量から質への転換」「反対物への転換」という弁証法の法則を思い出して、妙に納得させられた。


# by yassall | 2019-10-10 01:36 | 高校演劇 | Trackback | Comments(0)

銀杏祭公演「震える風」

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 東大附属中等教育学校演劇部顧問のKさんから銀杏祭公演のお誘いがあった。Iさんには少し前に案内があったとのことでIさんからも「一緒に行こうよ」と誘われていた。日程が西部A地区発表会と重なってしまっていたため、少し考えてからと生返事をしていたら、「開催2日前に校内向けに公開リハがあるので、そちらにどうぞ」というメールが届いた。
 Kさんからの最初のメールには「東日本大震災を扱ったもので、簡単に言うと1ミリも笑うところがない深刻な芝居です。ですがエンディングは美しいかも知れません。」とあった。実はこの時点で心はだいぶ傾いていた。それでもその直後に話が来たので、私は公開リハの方を見せてもらうことにした。西部Aも春は朝霞高校しか見られず、他の学校がどうしているか気になっていたのである。まあ、私が行ってどうなるものでもないのは分かっているが、激励したい気持ちがあったのである。
   ※
 東大附属の銀杏祭公演は2016年の「宇宙のみなしご」以来である。同作品は森絵都の小説を戯曲化したものだが、秋にはずっと創作劇で臨んできた。そこでてっきり今回も創作なのだろうという先入見で見てしまった。既成台本であると知ったのは部員たちとの交流も終わり、片付けが始まったころだった。それでもまだ気づかず、「以前にもブルーシートを広く敷き詰めた真ん中にエリアを作り、両脇で役者が控えていたり、衣装替えをしたりする設定の芝居があったなあ。」という話をしたら、「きっと同じ芝居ですよ。新潟の学校です。」と言われ、やっと思い出したのだ。2016年に関東大会が彩の国芸術劇場で開かれたとき、新潟県立長岡大手高校が上演し、創作脚本賞を受賞した作品だった。「同じ芝居に見えませんでしたか?」と聞かれ、すっかり面目を失った。
 作品は1つの始まりと終わりを持つストーリーではなく、いくつものエピソードを積み重ねていく手法によっている。それが震災や、津波や、あるいは原発事故によってバラバラにされた人々の思いや記憶を拾い集めていく作業と重なっているようで、そこで成り立っていく芝居なのだと思う。ただ、役柄を変えながら、たとえば一冊のノートが人から人へと手渡されているうちに、いったい今、誰と誰が語り合っていて、どのような思いを交換し合っているのか、つい追いかけ損ねてしまうことがしばしばあった。そんなこんなで、終演後の部員たちとの交流会はずいぶんトンチンカンなものになってしまった。(音楽座からも2人来訪していて、そちらからのアドバイスは的確なものだったから、交流会自体は部員たちにとって有意義だっただろう。)
   ※
 というわけなので、とくに今回はこうして「感想」めいたものをアップしようというのは申し訳ない限りなのだが、約束なので少し書くことにする。
 まず秋のコンクールに向けてこの作品を選んだことを(私の観劇態度を棚に上げて)褒めておきたい。自分たちが演劇という表現手段を通じて、何を演じ、何を伝えたいのかというときに、本作に向かっていったことに頼もしさを感じたのである。
 パンフには千葉を襲った台風被害も一通りの報道が終わった後、話題はラグビーW杯に移ってしまう、震災の3年後東京オリンピックが決定し、来年の開催に夢中になっている、果たしてそれでいいのか、という疑問をぶつけている。いつまでも記憶していなければならないこと、むしろ新たにしていかなければならないことがあるのではないか、彼・彼女らが(キャストは女子だけだったが部員には男子もいるようなのでこう言っておく)自分たちの日常を振り返り、そのような疑問、そのような気づきがあったとしたら、それだけで素晴らしいことだと私は思うのだ。
 8.15後の文学が戦後文学であるように、3.11後の文学を震災後文学と呼ぶことを提起したのは木村朗子である(『震災後文学論』青土社、2013)。木村は、いとうせいこうの『想像ラジオ』が2012年上半期の芥川賞の最終候補作となったとき、「安易なヒューマニズム」というような心ない非難を浴びながら、いとうせいこうが語った次のような言葉を紹介している。

 「この小説の第二章に「当事者でないものは語るべきではないのか」っていう論争があるんだけど、まさにあの論争の通り、この小説自体に対して当事者のことを考えて書けよと言われたら僕はもう何も言えないんです。」

 当事者でなければ語るなとか、自身の作品に利用するな、とか、厳格さを装ったかの言説は流行しやすい。しかし、当事者であればよけいに声にし難いことを棚上げしたこれらの妄言は、つまるところ言論の封殺につながり、人と人とが結びつくことを断ち切っていく。
 「震える手」を書いた田村和也氏も、その意味では当事者ではあるまい。「誰でもない誰か、誰でもある誰か」という科白のキャスト全員による繰り返し、さまざまな役柄がカードを引くことによって決められ、しかし一度カードを引いた限り交代は出来ないという冒頭の場面は、震災体験を個人という特殊に押し込めようとする圧力の乗り越えを暗喩するものだろう。「誰でもある誰か」の声を、「誰でもない誰か」が引き取り、また引き継いでいこうという営みがなければ、いかなる体験も普遍化されることなく、結局は風化していく運命をたどり、いつかまた同じことが繰り返されるのを待つばかりになってしまう。
 小森陽一もまた、「文学で問う原発の日本」と副題をつけた『死者の声、生者の言葉』(新日本出版社、2014)で、いとうせいこう『想像ラジオ』の最終章「死者との対話を持続するために」から以下のような文章を引用している。

 「死者と共にこの国を作り直していくしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなっちゃったんだ」
  ……
 「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に。」


 芝居の出来栄えを(またまた、私の観劇態度を棚に上げて)言うと、そうした死者たちの声が聞こえて来たかといえば、残念ながらそうはならなかった。テクニック的なことを言えば、声が甲高いのは地声だから仕方ないとしても、いつも同じように強い科白が続くと客は疲れてしまうものだ。どのような人間関係があり、どのような感情を交換し合っているのか、何をどう伝えるのかについて、もっと掘り下げる必要があったのではないかと思う。鎮魂の思いも込められているとしたらなおさらである。 
 それでも生者ばかりでなく、死者の声にも寄り添って行こう、一冊のノートを残した人の思い、収集した人の思い、受け取った人の思いをくみ取って行こうと懸命に努力をしてきたことは伝わった。
 3.11をもう過ぎ去ったこと、遠い昔のことにしたい者たちはたくさんいる。私は高校演劇という世界で、3.11を語る作品、3.11があったことを踏まえた作品が、これからの若い世代、もしかしたら幼年期にでも重なることのない世代によって選ばれ、演じられ、引き継がれていったらいいと思っている。そして、それに耐え得るような作品がもっと多く書かれればいいと思っている。

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 というわけで、出かけたのは10月3日。正門は文化祭の飾り付けの最中でした。


# by yassall | 2019-10-08 19:51 | 高校演劇 | Trackback | Comments(0)

韓国のこと (9) 「徴用工」問題⑤ 「損害賠償請求権」の正否(下)

(承前)
 以下に私見を述べる。
 過去の植民地支配という歴史問題を棚上げして日韓条約および請求権協定を締結してしまったことに問題のすべてがあったと考える。
 「韓国のこと」(6)日韓条約締結の背景の補足になるが、朴正煕はクーデター翌年の1962年にアメリカの支持を取り付けるために訪米し、ケネディ大統領と会談している。その往路には日本に立ち寄り、池田勇人首相と会談している。逆にいうと訪米・訪日を受け入れたアメリカと日本は前年のクーデターによる政権奪取を認めていたことになる。1951年以来滞ってきた日韓条約締結に向けての動きが一気に早まったのはなぜなのか? まだまだ歴史の暗闇に隠されたことがらあるのではないかと私は疑っている。いずれにしても日本側が過去の植民地支配の不当性を認め、謝罪し、必要な補償や賠償をすすんでするように態度を急変させたとは思われない。
 1987年以降の民主化の過程で、韓国側では日韓条約・請求権協定の見直しがすすんだが、日本側ではむしろ歴史修正主義の台頭によって態度を硬化させている。1993年に「河野談話」が出されたりするが、その直後から否定的な言動が政権の中枢から発せられたりした。
 経済成長をとげた韓国はすでに安定期にあるようにみえる。かつて世界第2位の経済力といわれた日本は停滞期にさしかかっているようだ。平穏で良好にみえる日韓関係の中で、物的な貿易だけでなく、人的・文化的な交流も盛んである。しかし、ひとたび歴史問題に火がつくと、ここまで収拾のつかないことになる理由について、私たちは思いを回らさなければならない。
 2009年9月、ドイツのメルケル首相はポーランドで開催された第2次世界大戦開戦70周年式典に招かれ、「ドイツの首相として、ドイツ占領軍の犯罪の下で言い尽くせない苦しみを味わったすべてのポーランド国民のことを忘れません。」とのスピーチを述べた。今年2019年9月1日にもポーランドでは80周年式典が開かれ、シュタインマイヤー独大統領がポーランド語で「過去の罪の許しを請う。われわれドイツ人がポーランドに与えた傷は忘れない」と述べて謝罪したという。
 今年、ポーランド議会特別委員会はドイツによる侵略でポーランド経済は8500億ドル(約90兆円)余りの損失を被ったとの暫定調査報告を公表した。モラウィエツキ首相は式典で、「われわれは犠牲者を忘れてはならないし、補償を要求しなければならない」と明言したともいう。
 ドイツは全ての賠償請求権は過去に解決済みだと主張しているというが、今後どのように進展していくことだろうか。ポーランド人の心の中で、被害者は自分たちで、加害者はドイツ人だという思いは残り続けているという。賠償請求権は解決済みだとするドイツはそうした中でも謝罪を続けている。
 韓国人・朝鮮人の心の中でも同じような思いは残り続けきたし、これからも残り続けていくのではないだろうか。そのことを忘れて、あるいは理解しようとしないで、いくら「未来志向」を訴えたところで同じことが繰り返されるばかりだろう。
 日本政府の中枢にある人や、TVに登場するコメンテーターの中には「静観(韓)していればいい」とか「冷静な無私」とかを称える人々がいる。おそらくは韓国で政権が変われば風向きも変わってくると高をくくっているのだろう。貿易問題で締め上げていけば、いずれ韓国内で政権が崩壊してしまうだろうと狙いを定めているのかも知れない。
 だが、少なくとも国民の間でこうした歴史問題に対する認識が消滅してしまうことはないだろうと私は考えている。むしろ、今回の「徴用工」判決を機会として、これに向き合い、対話を重ねていこうとする姿勢を持つことこそ、問題の根本的解決になると考える。それも、文在寅大統領の在任期間中こそが逃してはならない好機であると思うのである。それは、次のように語る文大統領には、そして自国の経済成長に一定の自信を深めた韓国には、かつてのような裏に回っての駆け引きがないと見られるからだ。

 「朝鮮半島平和のために日本との協力も強化します。「己未独立宣言書」は三・一独立運動が排他的感情ではなく全人類の共存共生のためのものであり、東洋平和と世界平和に向かう道であることを明確に宣言しました。「果敢に長年の過ちを正し、真の理解と共感を基に仲の良い新たな世界を開くことが互いに災いを避け、幸福になる近道である」ことを明らかにしました。今日も有効なわれわれの精神です。
 過去は変えられませんが、未来は変えることができます。歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代がわれわれに近付くでしょう。力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるでしょう。」 (2019年「3.1独立運動100周年記念式典」における文大統領の演説から)


 個人請求権については、大法院判決の反対意見にあった「日本政府が自国の国民に対する補償義務を回避するため」と見透かされたように、当面の責任を回避するための姑息な言い逃れだったのかも知れない。だが、真に個人の人権を保護しようという、新たな理念として捉え直したとすれば人類にとっての偉大な前進といえる。
 このままでは日本側も韓国側も引くに引けないガマン比べが続くだけだ。実のところ、「徴用工」訴訟が日本国内で行われているうちに、せめて西松建設と同様の和解がなされればよかったのにと思う。このときも軍事的に侵略した中国で起こった強制連行と、「併合」下の韓国で起こった「徴用」とは異なるというような理屈でせっかくの機会を失ってしまった。
 20世紀後半は植民地支配を受けていた国や地域が解放されていく時代であった。しかし、政治的経済的基盤が乏しいため、その後の歩みは必ずしも順調ではない国々も多い。21世紀は前世紀までの植民地支配の代償が突きつけられている時代であるように思う。しかも、どこに矛盾が吹き出してくるか分からない複雑さである。泥沼から抜け出せないかの紛争地と比較すれば解決の糸口は必ず見つかるのではないか。
 決して容易ではないだろうが、まずは「徴用工」判決が投げかけるもの、損害賠償請求が問いかけるものを真摯に受け止めること、相手側から指摘されるのを待つのではなく、自ら過去の歴史を捉え直していくことが必要なのではないか。

[補足1]
 元外交官の浅井基文氏(大阪経法大学客員教授)のブログ『21世紀の日本と国際社会』に掲載された「日韓関係を中心とした朝鮮半島情勢」(2019.8.25)はたいへん興味深いものであった。内容は次回に紹介したいと思うが、「徴用工」問題に関連した箇所だけを下記に引用させてもらう。

 日本政府の主張は1965年当時国際的に広く共有され、通用していた、しかしその後、国連憲章(人権関連条項)、世界人権宣言(正確に言えば法的効力はない)、国際人権規約をはじめとする国際人道法が国際的に承認されるに至って、日本政府の主張はもはや法的正当性を主張できなくなった、ということであります。
 すなわち、1960年代までの状況と21世紀の今日の状況を法的に根本的に分かつものは、第二次大戦後に普遍的価値として確立した個人の尊厳・基本的人権が、国際法上の法的権利としても確立したことです。特に、1967年に発効した国際人権規約(日本加盟:1978年。韓国加盟:1990年)は、国家による人権侵害に対して「効果的な救済措置を受けることを確保」することを定めました。

 植民地支配の責任を認め、補償を行ったケースとしては、2008年8月31日にイタリア(ベルルスコーニ首相)とリビア(カダフィ最高指導者)との間で締結された友好協力条約、いわゆる「ベンガジ条約」が重要です。イタリアはこの条約で、過去の植民地支配について謝罪するとともに、補償としてリビアのインフラ整備に50億ドルを投資することを約束しました。カダフィ政権が崩壊したために条約は中断されましたが、2008年7月8日に、国連が支援するリビア暫定政府のシアラ外相とイタリアのミラネシ外相との間で条約を復活することが合意されました。

 そして、宇都宮賢健児氏も紹介していたドイツ政府と企業による「記憶・責任・未来」基金を事例にあげながら次のように指摘している。

 安倍政権は徴用工、「従軍慰安婦」などの「請求権問題は日韓請求権協定ですべて解決済み」という主張にしがみついています。しかし、以上の国際的事例が明らかにしているのは、人権問題に関しては法律上の「不遡及原則」の適用は認められないということです。

[補足2]
知人のFacebookで紹介されていたり、自分でも検索したりしているうちに、参考になりそうな何冊かの本が見つかった。早速注文した。これから発売される本が含まれているためか、届くのは10月下旬になってしまうようだ。本が届いて、これまで書いてきたことに間違いが発見されたり、新たな見地があったときはまた紹介する。

山本晴太『徴用工裁判と日韓請求権協定: 韓国大法院判決を読み解く』現代人文社
『週刊金曜日』 2019年9/6号
吉岡吉典『日韓基本条約が置き去りにしたもの: 植民地責任と真の友好』大月書店
戸塚悦朗『「徴用工問題」とは何か――韓国大法院判決が問うもの』明石書店

[蛇足的な補足]
 いまだに「徴用工」らは厚遇されていた、決して奴隷的に扱われたりはしていなかった、などとする言説が流布されている。現代の日本で外国人労働者とりわけ技能実習生がどのように扱われているかをみれば、それらがまったくの妄言であることが知れるというものである。戦前社会では日本人でさえ、いわゆるタコ部屋に入れられるような労務者の労働環境は劣悪だった。募集によるものか、斡旋によるものか、徴用によるものかを問わず、劣悪な労働環境で、貯金等の名目で賃金も支払われず、「半島出身者」として差別的な扱いを受けたことは、残された多くの証言を挙げるまでもなく明らかだといわざるを得ない。
 韓国で出版された『反種族主義』という書物の著者がTVのインタビューで2種類の写真を示しながら、これまで教科書に掲載されてきた韓国人労働者の写真は実は日本人で、こちらが本当に韓国人労働者を写した写真だと得意げに説明していた。前半の日本人の写真が韓国人だと誤って掲載されてきた、というのはあり得ないことではないと思う。だが、それらに比較して体格も立派で、きちんとした装備を身につけ、笑顔で写っている写真の方が、日本に渡ってきた韓国人の真実の姿だというのには疑念をいだかざるを得ない。『反種族主義』は日本での出版がすすめられているというから、書店に並ぶことがあったら出典だけでも確かめようと思っているが、せいぜいが新聞募集か官斡旋のためのモデル写真というところではないのか。


# by yassall | 2019-10-02 16:32 | 雑感 | Trackback | Comments(0)