憲法9条を守ろう!原発から撤退しよう!

 憲法改悪反対!原発撤退!これだけは巻頭から外すわけにはいかない!(その理由は口上で)
c0252688_18511806.jpg
ご案内
 たいがいが趣味(夏炉冬扇?)のブログですが、ときに真面目?になって、つい一言もの申したり、語ったり(竹頭木屑?)しています。多少とも関わりのあった「学校図書館」や「高校演劇」についても応援していきたいとカテゴリを設けました。初心を忘れず、ということで「国語・国文」を起こしましたが、あまり更新できずにいます。他は、最近何してる?は「日誌」に、何か考えてる?は「雑感」に、という塩梅です。
 あ、写真をご覧になっていただけるかたは主に「風景・散歩」のカテゴリーに!

この一枚

 桔梗。旧芝離宮公園にて。(7月12日) E-M10Ⅱ+12-50mm




 

# by yassall | 2018-12-31 23:59 | お知らせ | Comments(0)

美貴ヲの劇『セックス ドラッグ 花嫁修業』


c0252688_15240895.jpg
 8日、みかわやこと葉山美侑から出演情報があり、新宿・眼科画廊まで出かけてきた。
 かなりセンセーショナルな題名だが、事前の案内メールによれば「タイトルのインパクトが強いですが、前回の公演ほど際どい演出はありません」とのことであった。前回というのは5月の『陳弁ピクトグラム』のことを指しているのだろう。であるなら何の心配もいらない。
 実際、「これはセックスというよりジェンダーの世界だな」というのが、見終わってからの感想である。チラシには「少し歪んだメガネ越しに眺めた、なんとなく生きづらい人たちのおとぎ話」というようなリードがあり、劇団の紹介には「女系家族で女子校育ちの美貴ヲがセルフプロデュースする演劇ユニット」とある。(netで検索してみると、2014年より始動とあった。)
 そうなると男性であることから1mmも外れない身としては、うかつに「共感した」とか「理解できた」とかは口に出来ない。先年亡くなった雨宮まみの『女子をこじらせて』あたりを手がかりに、おそるおそる解剖していくしかない。
 構成は小話を重ねていくオムニバスになっていて、毎日が同じように繰り返される日常の中で次第に自己をすり減らしていくOLや、「30歳までに結婚しないと動物にさせられてしまう」ため、収容所の中で期限付きの婚活を強いられる女性たちが、あるいは狂気にさらされ、あるいは脱走を企て、自己を突き放してみたり、抱え込んでは悶え苦しんだりする。各小話は必ずしも関連づけられているわけではないが、どこまでが遠い(それゆえに歪んでしまった)記憶であるのか、妄想(入口も出口も閉ざされてしまった)であるのかも分明しがたい姉妹をめぐるエピソードなどには、それこそ底なしのところがあって慄然とさせられたし、6話の中では一番オリジナリティを感じた。
 件の「生産性」発言もさっそく取り入れられているが、表面的な社会批評に終わらず、深いところで傷つきつつ、笑い飛ばしてしまうしたたかさを感じたりもした。
 自己言及性というのか、再帰性というのか、作り出した物語をあとに続く物語が飲み込んでいってしまう作りになっていて、アンダーグランドの本領発揮というところだ。それでも、どこかに系統が存在するはずだと思うのだが、一度見たきりでは入口すら見つからない。
 というわけで、あまり勘の良い観客ではなかったが、今度、脚本を見せてもらう機会があったらと思った。笑って終わって、でもいいのかも知れないが、隠された表現の切実さは伝わったような気がするのである。
 さて、みかわやは新たなステージを模索中なのだなと思った。これからどこへ向かっていくのだろうと、会って話でもしたいものだと思った。
 と、そのみかわやと同学年だったナベナベと会場で一緒になった。昨年、第一子を出産。子育ての真っ最中だが、今日は子どもは旦那に任せ、これからエビラーメンを食べて帰るつもりだという。エビラーメンという名前につられて、というのはもちろん冗談で、久しぶりに話でもしようとついていくことにした。この日に見た劇に影響されたのか、せっかくの育児の小休止に私が割り込んでよかったのか、後から少し反省した。


# by yassall | 2018-09-10 17:54 | 日誌 | Comments(0)

「縄文 一万年の美の鼓動」展

c0252688_13333241.jpg
 21日は縄文展を見に上野の国立博物館まで出かけてきた。戻り梅雨ならぬ戻り猛暑の中、自宅で甲子園野球の決勝戦を観戦するという手もあったのだが、うかうかしていると9月2日までの開催期間が終わってしまうと炎天下の街へ出た。
 国宝6点が一挙に公開されたことで評判となった。平日であったからか、入場制限がされるほどではなかったが、たいへんな人出だった。ただ、国宝として指定された6点については、その6点だけで1フロアーを割り当てるという、かなり余裕のあるレイアウトになっていたため、ストレスなく鑑賞することが出来た。
 縄文1万年は前期・中期・後期によって作風が変化していく。いわゆる火焔型土器あるいは王冠型土器は中期になって作られるようになったらしい。確かに独創的な造形である。ただ、縄文土器の命名の由来となった縄目文様は使われなくなっている。年代を追って出土品を鑑賞していくと、前期の縄目文様の素朴な味わいも美しいと思った。
 国宝6点の中では「縄文の女神」の抽象的ともいえそうなデザイン性、「縄文のビーナス」の髪型なのか冠り物なのか、個性的な頭部から下半身にかけてのボリューム感に独創性を感じた。歴史の蓄積の中で、あるとき、ある場所で、突出した才能が出現したことを思わせた。国宝の指定はないが、遮光器土偶でも何点かすぐれたものが展示されていて、この目で見られたことに感謝した。
 日本の古代史についての研究はすすんでいて、各集落・各地域はけっして孤立していたのではなく、交流ときには交易がなされていたということだ。ある地域でしか産出しない黒曜石が各地で出土するといったことから分かるらしい。今回の展覧会では、国宝とされた土器が長野、山形、青森、北海道といった東日本に集中していること(発掘の機会がどこでどの程度あったかによるから一概に東西を比較できないが)、ある地域で生まれた様式が他の地域に影響を与え、伝播していく痕跡がみられることなどが興味深かった。
   ※
 帰宅すると、奇しくも『東京新聞』夕刊のエッセイ「大波小波」で同展がとりあげられていた。「ビーナス」という命名の背景に西洋中心主義があるという批判は(もっともではあるが)それほど過敏になることもないのでは、と思う(現在の考古学会では批判的だそうだ)。だが、確か「美の競演」というタイトルがつけられたコーナーだったと思うが、縄文土器を中央に配置し、同時代の中国・インダス・エジプトの土器を壁沿いに並べた展示について述べている部分については、私も同じような感想を持った。
 装飾的な火焔型土器に比較して、展示された世界各地域の土器は形状に飾り気はなく、彩色が施されていたとしてもすでに色あせてしまっているのか、華やかさはない。しかし、「大波小波」子はこれをもって「日本は先史時代から『クール・ジャパン』であったといいたい」のだとしたら、それは「国家が出自の純粋さと優越性を誇示」しようとする意図とつながるという点で危ういというのである。
 火焔型土器については実用目的だったのか、あるいは何らかの宗教的な用途があったのかにつていは諸説があるという。神器とまではいわないとしても、現代においてもまったくの日用品である場合と、冠婚葬祭などの儀礼用に作られる食器には区別がある。このようなコーナーを作る場合には、何と何を比較しようとしているのか、その基準を明確にしなければならない。また、メソポタミアの出土品の解説にあったのだが、すでにロクロの使用が認められるのだという。ロクロを用いることで均質で大量の焼き物の製作が可能となったことだろう。そして、その多くは実用品であっただろう。文明的にどちらが優れているかなどという比較は成り立たない。また、世界各地域では日本より早くから金属器の製作も始まっている。装身具などの製作は土器から離れ、金属器に移っていったということも考えられる。
 だからといって、私は縄文土器あるいは縄文文化が価値的に低かったなどということを言おうとしているのではない。むしろ、1万年の長きにわたって外圧から守られ、豊かな自然にも恵まれつつ、営々と独自の文化を育んできた先人たちに思いをはせるとき、人間の営みの理想を見たくもあるのだ。
 

# by yassall | 2018-08-22 16:26 | 日誌 | Comments(2)

ゲッコーパレードの『マクベス』

c0252688_18442177.jpg
 ゲッコーパレードの芝居を見るのは久しぶりだ、と蕨駅から加藤家へ向かう道を歩きながら考えていた。だが、記録を調べてみたら昨年の12月以来だから、まだ1年とは空いていないのである。
 (パレードの連中もしだいに活動範囲を広げていて、公演案内をもらっても、というケースが増えてきたのは確かだ。この秋にも山形ビエンナーレ2018に参加したり、10月には早稲田の演劇博物館での上演が決定しているとのことだ。)
 それでも久しぶりだと感じたのは、久しく音信がとだえていた(?)ヨージと連絡がとれ、彼女いわく「まだ細~くゲッコーとつながっています。『マクベス』も応援に入ります」ということなので、それなら無事を確かめながら観劇にのぞむか、というはこびになったのである。
 芝居の作り方としては、ストーリーを追っていくのではなく、原作からいくつかのシーンを抜き出し、ときに改編しながら、さらにはまったく異質のシーンを挿入しながらつなげていくという手法である。4人の出演者がシーンごとに違った役を担うから、一人の役者が全編をつうじて一人の人物を造形していくというのではない。
 科白と人物とを切り離し、ことばをことばとして立ち上がらせていこうとしているのか、とも考えた。シェークスピア劇へのひとつの迫り方だろう。人は単なる通路に過ぎない、ことばこそが先行する、ということもある。途中で観客たちに文章の一部を切れ切れにした紙片を配り、はさみと糊を使って別の文章に再編させる、というようなワークショップを行わせたりする。成功しているかどうかはともかく、実験精神としては伝わってくる。
 そうした作業も民家を会場に、客数を限定してはじめて可能なことである。シーンごとに観客は別室に、ときには2階に案内されたりするのは以前にもあった。つまり、一軒の家屋の全体を演劇空間にしてしまおう、場合によって舞台と客席の境界も取り払ってしまおう、という試みを追究し続けているようにもみえる。
 役者は4人とも達者だった。ダンカンの王子たちがイングランドへ、あるいはアイルランドへと逃避していく場面には年若い王子たちの緊迫感がよく表現されていたし、マクベス夫人のモノローグの場面では底知れない内面が描き出されていた。この場面では照明も生きていた。
 それでも(というよりも、だからこそ)見終わった後に物足りなさを感じたのは、『マクベス』という劇をどう見せたかったのかがもうひとつ伝わって来なかった、ということである。それは、私自身が『マクベス』をどう読み解いたらいいか計りかねているということも大きな要因になっている。
   ※
 マクベスは魔女の予言に翻弄されたのか? 予言はマクベスの内心の声だった、というのには、予言はあまりにも人知の及ばない未来を言い当てている。マクベスが欲したのは何か? 栄光か、権力か? 権力にとりつかれた人間が権力を守るために暴政の限りをつくす。それはマクベスが偽王だからか、王道を外れた者の定めか?
 だいたい、主人公は誰なのか? マクベスか、マクベス夫人か? それともマクベスを打ち倒したマクダフか、あるいはマクダフに支えられて新王となったマルカムなのか? 最後のマルカムが正解だとすれば、権力を簒奪した者が自己を支えきれず自壊していき、破滅という末路をたどるしかなく、正統な王位継承こそが理想である、というのがテーマとなる。時代背景や成立事情からすると、あながち間違いともいえないらしい。だが、それではあまりにも勧善懲悪すぎる。
 マクベスは小心でありながら、つい足を滑らせた愚か者であった、というのはたやすい。だが、戦乱に明け暮れる日々にあって、自分に王座が転がり込むチャンスを目前にしながら、最後のところで怖じ気づいたまま生涯を終えたとき、人は己の小心を悔いたりしないのだろうか? マクベスは確かに亡霊に脅かされる。だが、バーナムの森が城に迫り、自分が魔女に謀られたことに気づいたとき、むしろ初めて正気に返ったのごとく、雄々しく剣をとるマクベスは勇者のようである。
  ※
 終演後、役者の人たちとお話しが出来た。「いろいろな『マクベス』を演じてみようと思い、稽古しながら話あって行った。」「マクベス夫人の夢遊病は本当なのだろうか、彼女は正気だったのではないだろうか?」というようなことが聞けた。演じようとする側は演じようとする側から『マクベス』という迷路への入り口と出口を探そうとしているのだと思った。劇中で使われた短剣はボール紙製のチープさであったのに対し、最後のシーンでは本物の包丁を持ちだし魚を捌きだした。虚構とリアルとの対比を際立たせようとしたのか、とも考えたが、自信はない。もっと突っ込んだ話も聞いてみたかったが、彼・彼女たちも次の公演を控えていたし、私の方の準備も不十分だった。
  ※
 加藤家を訪れたのは先週の土曜日である。あまり時間をおいてもと思ってアップするが、まだ感想としてまとまってはいない。また何か書くことがあるかも知れない。

 ゲッコーパレード本拠地公演 戯曲の棲む家vol.8『マクベス』 ~26日(日)まで

 Web http://geckoparade.com  Mail geckoparade@gmail.com
 


 

 


# by yassall | 2018-08-22 01:36 | 日誌 | Comments(0)

沖縄スパイ戦史

c0252688_16053143.jpg
 Cさんに誘われて東中野まで出かけてきた。(本当に主体性に欠ける人間だ!)6月にも『共犯者たち』に誘われたがそのときは遠慮した。せっかく誘ってくれるのに二度続けて断ってもなあ、というのもあったが、出かける気になったのはそれだけではない。
 監督は三上智恵さんと大矢英代さん。三上さんは一昨年、全教のゆいまーるに参加したときの記念講演の講師として知った。大阪毎日放送をへて、琉球朝日放送のニュースキャスターを19年務めたのち、沖縄では放映されるものの、なかなか全国放送されないことに限界を感じて独立、これまでに『標的の村』『戦場ぬ止み』等が全国上映されている。
 すばらしく勇気にあふれた人だなあ、と感心したが、そのときにも「映画を見てくれる人がいないと活動が続けられない。ぜひ見て下さい」との訴えがあった。せっかく誘いを受けながら、ここで億劫がっていては人の道に外れるというものである。
    ※
 映画は大きく三部構成になっている。主として沖縄の北部地区でゲリラ戦にたずさわった「護郷隊」は10代半ばの少年で編成されていた。波照間島の住民は軍の命令により西表島に強制移住させられ、マラリアにかかって500人近くが死亡した。住民が住民を監視する疑心暗鬼の状態になった集落では虐殺が起きていた。
 最初の「護郷隊」の編成、二番目の住民の強制移住には沖縄に送り込まれた陸軍中野学校の出身者が大きくかかわっていたのだという。沖縄戦では南部での激戦が伝えられているが、北部で展開されたのはゲリラ戦だった。非戦闘員を装って(一少年として)米軍に近寄り、燃料や食料を火にかけたり、夜間に乗じて戦車を爆破したり、中には少年スナイパーとしてその存在を知られた隊員もいたらしい。戦後、精神を病んで長く「戦争幽霊」として苦しんだ生き残りの人へのインタビューが痛々しかった。
 波照間島に派遣された中野学校出身者は山下虎雄と名乗ったとのことで石碑にも「許すが忘れない」と名が刻まれている。山下虎雄は偽名で、戦後の消息も判明している。名古屋で実業家として成功していたとのことだ。「護郷隊」の編成・指揮にあたった二名が戦後も遺族たちを尋ねたりと、多少とも良心の片鱗を感じさせるのに対して、残された電話インタビューの音声記録からは反省や謝罪のことばはない。
 強制移住は軍隊が不在の島嶼が米軍に占領されたとき、住民の口から軍の機密が漏洩することを恐れたからである。つまり、軍にとっては住民は守るべき対象ではなく、監視や統制の対象と考えれていたのである。
 日本側の映像記録は少ないので米軍が残したフィルムが多用されている。かなり残酷な映像も使用されているが、私がもっとも強く心をえぐられる思いをしたのは第三部にあたる「スパイ」として特定された住民(少年兵も含まれる)の虐殺であった。
 崩壊直前のナチスドイツで親衛隊によるボルシェビキ狩りがあったという。周囲にいる住民が「敵」に見えてしまうというのも、戦争が生み出す狂気なのであろう。それと似たようなことは世界中であったのではないだろうか。
 日本でも戦争前の段階で国民に対する防諜の呼びかけがあったという。軍事機密法がもたらすものは国民同士の相互監視体制であり、疑心暗鬼による分断であり、密告社会である。
 悲劇は誰が誰を密告し、誰が誰を殺害したかという記憶が戦争が終結した後にも住民の中に残ることである。
 
 戦時中、住民が軍事的組織の中で大事な役割を果たしていることもあった。長年、沖縄戦を取材してきた三上監督は、以前からその事実にたどり着いていたが、発信はせずにいた。虐殺に関わった当事者の住民が、存命だったからだ。当事者が亡くなりつつあり、証言者が生きている今、報道に踏み切った。

「村のためだと言いながら、軍とつながったほうが結果的に有利になる側面もあるし、自己保身にもなる。でも軍に協力する中で、悪気がなかった言動が、後になってみれば村や仲間を売った形になり、悲劇を一生背負うはめになった人もいます。戦争中の極限状況にあった人の罪を私たちが今指摘するのはおかしいと思う半面、そこから学ぶこともしないなら、犠牲になった人が報われないとも思う。いつもそのせめぎ合いなんです」

 沖縄では民間人が戦闘に巻き込まれている。被害者である一方、知らない間に加害者になり、人を殺していた現実もあった。それが一番怖いことだと三上監督は言う。
 
 とは、この映画について取材したAERA編集部・小野ヒデコ氏の文章である。

 「戦争を知らない世代が増えてくると戦争が間近になる」というような声がよく聞こえる。だが、いずれ戦争体験者のすべてがこの世を去る時代がやって来るのだから、人々が「戦争を知ろうとしなければ戦争はいつでもそばに近づいてくる」と言い換えなければならないだろう。
 戦争を知ること、それも正しく知ろうとすることが大切な時代なのだと思う。うっかりするとフェイク(「東条英機は実は平和主義者だった」「太平洋戦争は本当はアメリカがしかけた」とか)が平気でまかり通ってしまうのだから。辛い映画だったが見るべき映画だと思った。
   ※
 NHKは政権批判には弱いが特集番組ではまだまだがんばっていると思う。今年のこれまでの番組では戦災孤児を扱った『駅の子』とBS『映像の世紀』「難民」が力作だと思った。

ポレポレ東中野  ~17(金) 10:20/13:00/18:30   8/18(土)~9/7(金) 10:10
               ※9/8以降未定(上映は継続します)
シネマハウス大塚 8/20(月)~22(水)、26(日)~31(金)


# by yassall | 2018-08-15 16:06 | 日誌 | Comments(0)

大阪・神戸の旅③

 三日目の朝となった。昨夜はとくに何も予定がなかったので、早々に床についた。7:00には1階のラウンジで朝食をとり、朝の散歩としゃれこんだ。
c0252688_15214641.jpg
 旧居留地街を歩いてみようということである。すれ違う人は職場に向かうビジネスマンらしく、少々気が引ける。旧居留地38番館などとプレートが貼ってある。朝日の中のビル街ということで、写真としてはあまりよい条件ではない。
c0252688_15215849.jpg
 神戸市立博物館。旧居留地13番地跡に建てられた横浜正金銀行の外観を残して博物館として開館したとの説明書きがある。改装のため閉館中だった。
c0252688_15213700.jpg
 新旧の建築が混在しているのだろうが、統一感があって気持ちがいい。
c0252688_15221081.jpg
 こんな電話BOXがあっても何となく似合ってしまう。つまり異国情緒ということか。同じ港町でも博多のようなアジアのにおいがぷんぷんするのとは違う。(博多は博多でエネルギッシュな良さがあるが。)
c0252688_15222873.jpg
 9番館とあった。
c0252688_15223913.jpg
 商船三井ビル。1922年建築。
c0252688_15224818.jpg
 この朝もメリケン波止場前交差点まで来てしまう。対角線にあるのは神戸郵船ビル。厳密には旧居留地の外なのだそうだ。
c0252688_15225944.jpg
 メリケンパークに入る。フイッシュダンス、何度見ても非日常感がある。
c0252688_15232373.jpg
 今日は順光なのでよく写る。ポートタワーの右の建物は海洋博物館。
c0252688_15233688.jpg
 この客船は昨日は停泊していなかった。昨夜のうちに接岸したのだろうか。
c0252688_15234478.jpg
 少し絵づくりらしいことをしてみる。
c0252688_15235530.jpg
 ホテルに帰り、一息ついてから身支度を調えた。受付の人からは元町で乗車し、三宮で乗り換えをすすめられたのだが、それほどの距離でもなさそうだったので地下鉄県庁前駅まで歩くことにした。この兵庫県公館を見ておきたかったからでもある。もともとは1902年に4代目の県庁として建てられ、戦後2度の修復をへて現在にいたるとあった。
c0252688_15240561.jpg
 敷地の中を通過させてもらう。正面の教会のすぐ左に地下鉄の入り口があった。線名は西神・山手線。その名にウソ偽りのないことを後で思い知ることになる。
c0252688_15241756.jpg
 新神戸駅まではものの5分ほどだっただろうか。新幹線乗り場になるべく近いコインロッカーを探し着替えや旅行グッズなどの荷物を預ける。持ち歩きの荷物をどの程度に収めるかに悩んだのは、行路が坂道だらけだということが分かっているからだ。結局、折りたたみ傘を抜いただけで、リュックの中味はあまり変わらない。
c0252688_15253351.jpg
 史跡三本松の見えたあたりからが北野異人館街である。坂道のレベルが一段か二段上がる。朝霞に膝折という地名があるが、本当に膝が曲がるかと思った。
c0252688_15243357.jpg
 詳しい区別が分からないのだが、異人館と伝統的建造物とがあり、それぞれ公開・非公開の別がある。
c0252688_15254543.jpg
 ガイドマップにはプラトン装飾美術館(イタリア館)とある。
c0252688_15255624.jpg
 さらに上っていくと坂の上異人館・北野外国人倶楽部が並んでいる。北野外国人倶楽部の鉄門に掲げられた掲示板を読むと、「北側斜面が崩れ、安全を保つことが難しいため、一部の異人館を休館させていただきます」とある。掲示板の新しさからみて先に西日本を襲った集中豪雨のためなのだろう。中国地方の山々は花崗岩で出来ているので崩れやすいのだと、つい先日教えてくれる人がいた。
c0252688_15260646.jpg
 しばらくは水平方向の移動なので楽ちんである。山手八番館。
c0252688_15261723.jpg
 うろこの家。一番見たかった建物。期待は裏切られなかった。右の塔のある建物が本来のうろこの家。左の塔は後から建てられたうろこ美術館である。
c0252688_15264306.jpg
 したがって、こう見るのが正しいようだ。
c0252688_15263002.jpg
 二階からはるかに神戸港を望む。
c0252688_16503479.jpg
 隣の美術館から塔の尖端を写す。なかなか絵になるではないか。

c0252688_15265344.jpg
 風見鶏の館。隣が北野天満神社で、境内の坂を登っていくと、風見鶏の館を見下ろしながら神戸港を望む絶景スポットがあると後で教えてくれる人がいた。実は自分でもねらってみたい構図だったが、天満宮にそのスポットがあるとは気づかなかった。
c0252688_15271007.jpg
 萌黄の館。
c0252688_15271873.jpg
 庭へ回ると阪神・淡路大震災で崩れ落ちた煙突が残されていた。
c0252688_15273107.jpg
 トーマス坂を下りる。途中でソフトクリーム(最近はジェラートとかいうらしい)を食べたり、コーラを飲んだりした。もう一度上れといわれてもその勇気は生まれてこない。
c0252688_15275044.jpg
 異人館通りに出て三本松方向へもどる。洋館長屋等をみながら余韻を楽しむ。
c0252688_15281174.jpg
 昼食と涼を求めて入店したのが1階のカフェ。なかなかしゃれたお店で、美人で活発そうなお姉さんが出迎えてくれた。汗にまみれた私をみてクーラーの効く席に案内してくれたり、扇風機をそばに置いてくれたり、どうぞ涼んでいって下さいと、気さくに話しかけてくれる。カレーとコーヒーを注文したが、私もコーヒーを飲み終わったらすぐに店の外へ出るという気力はなかっただろう。件の風見鶏の館の絶景スポットを教えてくれたのも、このお姉さんである。
c0252688_15282477.jpg
 店を出るときに「これからどちらへ」と尋ねるので、ついことばを濁してしまったが、もう1カ所教えてもらった布引の滝へは行ってみることにした。時間がまだあるのと、新神戸駅から近いことが理由だが、住宅地を離れてほどなく出現したのはこの坂道だった。
c0252688_15284490.jpg
 15分から20分ほど歩いただろうか、新幹線の駅からほど近いというのに、このような滝が見られるというのはさすがに六甲おろしの土地柄である。
c0252688_15283578.jpg
 滝の全景。
c0252688_15285475.jpg
 山道を下っていくと、先の雄滝に対して雌滝へといざなう立て札があった。せっかくだから寄ってみる。手前の堰は人工のものだが、こちらもなかなか壮観である。
    ※
 新幹線は16:26発のチケットを確保していた。16:00には駅にもどり、汗が引くのを待ってTシャツだけ着替える。昔、夏の京都を歩いた後で新幹線に乗って以来、そうしている。こうして大阪・神戸の旅を終えた。山陽新幹線で尾道まで足を伸ばそうかとも考えた。広島は西日本の豪雨の被害がもっとも激しかった県である。尾道がどうかは不明だが、観光気分にはならなかった。なぜ有馬温泉へ立ち寄らなかったのだ、といわれるかも知れない。まあ、今回はこんなところで。(次回はないかも知れないが。)

 GM5+OL9-18mm、TX1

 ※おっ、今日は比較的すんなりとアップ出来た。やはり有料版にしたことで1Gの限度枠をクリアできたということだろう。1日目、かつて日高教・学校図書館政策委員会でまとめた『中間報告』をアップしておこうかと思っている、というような話をOさんとした。試してみたのだが、あまり上手く行きそうもない。伝をたどっていただければ、ファイルでならいつでも提供できる。また改めて投稿する。




# by yassall | 2018-08-11 17:47 | 風景 | Comments(0)

大阪・神戸の旅②

 前夜は宿近くのお好み焼き屋で二次会となった。大阪のYさんが同行してくれて、「二枚でも三枚でも焼きますよ」と大阪男子らしく言ってくれたのだが、皆さんお腹の方は一杯らしく、もっぱら会話がつまみ代わりになった。お好み焼きも、タコ焼きも、串揚げも、大阪名物といわれているものはいずれも口にしなかったことになる。
 ここでは主役はあくまで学校司書の皆さんであるから、もっぱら皆さんの会話に耳を傾けようとした。長野や兵庫、各県からの参加者には昔からの顔見知りもいて、健在な様子に頼もしい思いがした。
c0252688_19113165.jpg
 参加者の皆さんは翌日が本番であることから二次会も早めの解散となった。私もそれほど度を過ごしたつもりではないのだが、朝食の買い出しに寄ったコンビニで風呂上がりにと買ったトリスハイボール缶が意外と利いたのか、朝起きるとなんだかぼんやりして活動開始が遅くなってしまった。言い訳をすれば朝の通勤ラッシュを避けようとしたためでもある。
 とはいえ、ホテルの狭い部屋でいつまでグズグズしていても仕方がない。御堂筋線で大阪駅まで出て、荷物をコインロッカーに預ける。関西でもSuicaが使えるというので携行していったのだがこれは便利だった。コインロッカーもSuicaで出し入れができる(Suicaで出し入れしてもコインロッカーという名称は変わらないのだろうか?)
 さて、心斎橋から難波にかけてをミナミというのに対し、大阪駅や梅田周辺をキタというのだそうである。大阪の一方の中心地には違いがないのだろうが、2階のデッキに上り、あたりのビル群をながめるだけで満足することにした(夜景は昨夜フェニックスタワーで楽しんだことだし)。ヨドバシカメラが一等地に大きなビルをかまえている。あれ、ヨドバシカメラの本店って? と一瞬混乱したが、コマーシャルソングにある通り、新宿は淀橋が創業の地である。淀屋橋とは関係がない。
c0252688_19125339.jpg
 再び地下にもぐり、御堂筋線で動物園前駅に向かう。地上に出て、環状線のガードをくぐるとジャンジャン横町である。
c0252688_19120013.jpg
 ジャンジャン横町。朝の10:00ということで、さすがに酒場は店を閉じていたが、串揚げ屋や遊技場はすでに開店している。二軒ならんだ射的場にはここを訪れたタレントや芸人の記念写真が貼りだしてあった。
c0252688_19123189.jpg
 ジャンジャン横町を抜けた一帯にも食べ物店や土産物店が密集している。新世界には昨日の千日前にも増して庶民的な空気が流れているように感じた。
c0252688_19132329.jpg
 ここへ来た目的はもちろん通天閣である。大阪初心者としては、ともかくも見るべきものをみてやろう、という意気込みだけで炎天下に耐えているである。
c0252688_19133806.jpg
 通天閣展望台からの眺望(東側)。右端にそびえるビルはあべのハルカス、眼下に広がる緑地帯が天王寺公園、左端奥にみえる工事中の伽藍は一心寺、次の目的地である四天王寺はさらにその奥あたりらしい。
c0252688_19135189.jpg
 もちろんビリケンさん(3代目らしい)の足の裏もさすってきた。
c0252688_19140453.jpg
 通天閣を下りてから駅側とは反対方向にすすみ、天王寺動物園の脇をさらに東へと進む。四天王寺の西門。たどりつくまでけっこう歩くことになった。
c0252688_19381212.jpg
 北側へ回り、石舞台から楽舎、講堂、北鐘楼を望む。
c0252688_02020971.jpg
 五重塔を写真に収めようと拝観料を払って中心伽藍に入る。いくたびも戦火に遭ったのだろう。8代目だそうである。
c0252688_02023421.jpg
 五重塔の内部。この人形は仏教より道教を連想させる。これも仏教美術の範疇だとすれば、仏教が中国から伝わってきたのだということを実感させられる(間違っているかも知れないが)。
c0252688_02082314.jpg
 何枚も写真を撮ったが、キリがないのでもう一枚だけ。講堂、金堂、五重塔の並びがよく分かると思ったので。
c0252688_02041312.jpg
 仁王門(中門)。さっきは亀池があるので北側から回ったが、どう考えてもこちら側(南側)が正門だな。
c0252688_02070930.jpg
  太子殿(精霊院)。こちらが前院で奥院は立入禁止になっていた。こっそりのぞきに行こうとしたら係の人に見咎められ、止められてしまった(失敗、失敗)。
c0252688_15334724.jpg
 茶臼山。大阪冬の陣では家康の、夏の陣では真田幸村の本陣となったことで名高い。茶臼山古墳というのは固有名詞ではなく、前方後円墳が茶臼に似ていることから来る一般名詞らしい。
c0252688_12523561.jpg
 天王寺駅まではあべのハルカスが目印になる。日本一の高さを誇るビルにはさまざまな近代的設備が施されたというこだが見学は遠慮する。
c0252688_13013186.jpg
 大阪城公園駅を降りるとまずは太陽の広場と名付けられたエリアが大阪城ホールまで続いている。ここだけも広大である。大阪城に向かう前に左側にみえる(かげになってしまっているが)キャッスルガーデンで遅めの昼食をとる。私にしてはおしゃれなランチタイムとなる。
c0252688_13063157.jpg
 大阪城ホールにつきあたって左折し、さらに歩いて行くとようやく大阪城のエリアに入ってくる。青屋門をくぐると外堀の内側になる。
c0252688_13060326.jpg
 こちらが内堀である。
c0252688_13073783.jpg
 極楽門を渡ると本丸。天守閣がそびえる。大阪城の歴史については繰り返さないが最上階の楼閣だけが黒作りになっている。いつの時代かに再建されたとき、ここだけ秀吉の時代の雰囲気を残したのだろう。
c0252688_13075942.jpg
 桜門から本丸を抜けると空堀になっている箇所があった。西の丸庭園をみてもよいと思っていたが、通り抜けは出来ないということだったので、反時計回りに梅林を通過して帰路についた。途中で蓮如ゆかりの碑があったりして、こちらはこちらで興味深かった。そのまま大阪城公園駅から大阪駅に向かう。
c0252688_13084568.jpg
 大阪駅からは神戸線で元町駅まで。神戸もまったく不案内であったが、三宮・元町あたりがさしあたっての観光スポットらしいということで元町に宿をとった。
c0252688_13194107.jpg
 宿はスマイルホテル神戸元町。ネットで探したら格安ということでヒットした。朝食付きで4200円は40年は前の価格である。駅からは徒歩5分、玄関を出てすぐが中華街南京町の入り口である。部屋は極狭だったが、どうせ寝るだけだから、少しばかり広いだけなら他を探す必要もない。
c0252688_13195642.jpg
 到着は17:00過ぎ。西日が強く、1枚目の西安門も門をくぐった側から撮ったものだし、下の街路の様子も西日が強く当たったところは補正してアップした。
c0252688_16220115.jpg
 南京町を通り抜け、右折して神戸港に向かう。メリケン波止場前の交差点を渡るとメリケンパークになっている。
c0252688_16221980.jpg
 パーク内にさまざまなオブジェが設置されているのはガイドブックで知っていたが、いきなり現れたフイッシュダンスには驚かされた。まずその大きさ、つぎに海辺なのになぜ鯉なのか? あとで案内板をみると、鯉川の川尻に位置するところからで、メリケンパークの竣工にあわせ、アメリカのフランク.O.ゲーリーがデザインし、安藤忠雄監修のもとにチェーンリンクメッシュで制作されたとある。安藤忠雄は好かないが、この人を食った造形には感心した。
c0252688_17160086.jpg
 神戸港震災メモリアルパークとある。入り口付近の一角を阪神淡路大震災の被災時のまま残したものとのことだ。
c0252688_17203218.jpg
 広々とした公園は市民たちにもさまざまに活用されているらしい。近々、花火大会も開催されるとあった。
c0252688_17310668.jpg

 神戸オリエンタルホテルは今やランドマーク的な存在となっているのだろうか? ガイドブックで神戸港が紹介されている写真には必ず写っている。右奥に見える大観覧車は対岸の埠頭になる。そこまで歩いていくつもりだったが、あまりに暑さが衰えないので遠望して満足することにした。

c0252688_17322733.jpg

 ランドマークといえばやはり今でもポートタワーの方か? 逆光気味なので翌朝取り直すことになる。

c0252688_17325102.jpg

 パークを出るときにもう一度フィッシュダンスを反対側から。やはり人を食った、としかいいようがない。見えにくいが脇を通り過ぎようとする人と比べてみるとその巨大さが知れる。この日はそのまま南京町で夕食をとり宿に帰った。
   ※
 さて、大阪・神戸の旅②のアップが遅れたのは、画像をアップロードするとエラーが出てしまうようになったからだ。「アクセスが集中しているかページに不具合があるため」というメッセージは何回か目にしたことがあるのだが、少々思い当たることがあった。エキサイトブログを始めて5年半、フリーのまま使ってきたが、いよいよ限度の1Gを超えたことが原因ではないか? そこで過去の何枚かの写真を削除してみるとアップロードできる。「1Gを超えました」というメッセージが出たわけではないが、間違いなかろうということで昨夜のうちに有料版にコース変更した。
 ところが、時間をおいてみても、ログインのし直しをしてみても、なかなかコース変更が反映されない。つい先ほど、②に予定していた最後の数枚がロード出来たので投稿にこぎつけたのだが、ここでも何回か失敗している(今度はうまくいったのか?)。
 コース変更の反映まで最大24時間とあったから、もう8時間ほど待ってみるしかないが、こうなると本当の原因は何だったのかということになる。有料といっても月額240円程度のことだが、歳をとってくると私に何かあったときに中止できる者がいるのか、とか、最近訪問者も減ってしまったしなあ、とか、ついくよくよと考えてしまいがちなのである。(ブツブツと見苦しいかぎりだったが翌日には解決をみた。)

 GM5+OL9-18mm、TXI


# by yassall | 2018-08-11 01:12 | 風景 | Comments(0)

大阪・神戸の旅①

 7月30、31日の日程で全教・学校図書館学習交流集会が開かれた。私と同交流集会との関わりについては2014年8月に群馬で開かれた集会に参加したときの報告に書いた。Kさんから誘われたのは7月1日の9条の会の総会・学習会のときだった。群馬集会のときからでさえ4年も経っているし、Kさんとは違ってそもそも私は学校図書館職員が本業だったわけではない。新しい参加者も増えていることだろうし、私のようなものが同席することで違和感を感じさせることにもなりかねない。
 ただ、今年は大阪が会場で夜の交流会には日高教時代に面識を得たOBOGの人たちも参加するという。「それなら夜の交流会だけ参加するよ」ということで手配してもらうことにした。最初は宿も別にとるつもりだったのだが、要項には30室ほどシングルルームを押さえたとあったので、「もし余裕があったら」ということで参加状況を確認してもらった。最終締め切りを待ってから空き部屋があるとの連絡をいただき大阪での宿を確保した。
c0252688_15305567.jpg
 大阪行きを決心したもうひとつの理由は、これを機会に大阪・神戸を回ってみよう、ということであった。実は大阪は初めてなのである。であるので、当日の参加受付もOさんに任せ、最初から気分は観光である。(現役であるOさんは過去の経緯から私にも学校図書館の現状を把握させたがっていたようで、分散会名簿にも私の名前が入っていた。なのにハナから観光気分というのもいい加減なものだと自覚はしている。ごっそりいただいた資料やレポートはきちんと持ち帰ったし、読み込んでいる最中なので勘弁して欲しい。)
 さて、写真は地下鉄の淀屋橋駅から地上に上がったところ。正面の淀屋橋を渡ったところが中之島で、右手のビルは大阪市役所である。御堂筋線一本で、新大阪からものの10分もかからず到着する。宿はここからほど近いセンターホテル大阪、大きい荷物だけあずかってもらい、さっそく街歩きに入ろうという算段である。
c0252688_15310664.jpg
 宿のすぐそばに緒方洪庵の適塾跡があるという。月曜休館ということだったが、ここにあったのだなということと雰囲気だけ知れればいいので、外観だけ写真におさめた。
c0252688_15312802.jpg
 心斎橋は淀屋橋から2駅である。道頓堀界隈が最初の目的地だが、御堂筋を南下していく途中にアメリカ村があるというので横道に入ってみる。昔はどうだったのか分からないが、今は近代的な商業ビルが並ぶ一角で、地元の人やら観光客やらでたいへんな人出だった。
c0252688_15312000.jpg
 こんなペインティングがされたビルもあった。
c0252688_15313841.jpg
 御堂筋から一本東に入った心斎橋商店街を歩いて行くと道頓堀川の戎橋に到着する。見覚えのある景色が広がる。
c0252688_15320722.jpg
 大阪では南北に走る道路を筋、東西に走る道路を道と呼ぶとのことである。グリコの看板が見える写真が戎橋の南側、こちらが今まで歩いてきた北側である。ともかく賑わいが一通りでない。
c0252688_15321527.jpg
 これが道頓堀川。宮本輝の小説を読んだときから一度来てみたかったのである。
c0252688_15323180.jpg
 道頓堀界隈にいる間にも何隻も水上バスが行き交った。
c0252688_15324257.jpg
 グリコの看板は対岸のデッキから撮るべし、とガイドブックにあったので、その通りにする。
c0252688_15325400.jpg
 ドンキ・ホーテのある大観覧車。乗ってみたら見晴らしがよさそうだったが、日差しが強く、中は蒸し風呂状態だろうと止めておいた。
c0252688_15330807.jpg
 さて、道頓堀ではグリコの看板ともうひとつ見なければならないものがある。くいだおれ太郎である。川筋から一本南側の道に入るがなかなか見つからない。
c0252688_15331823.jpg
 くいだおれビルは見つかるのだが、ポスターが貼ってあるばかりだった。
c0252688_15332792.jpg
 やはりあきらめない心が大切なのである(?)。先に発見したビルからさらに数軒先に中座くいだおれビルがあり、ようやくご対面となった。それにしても、肖像権侵害の心配はあるが、記念撮影のために人形の前に立つこの少年、どこかくいだおれ太郎Jr.の面影が……。
c0252688_15333792.jpg
 続いて法善寺横町を探す。ごらんのような細い路地であるが、昔の流行歌(「月の法善寺横町」)にあった板前修業の歌詞のせいか、両側にならぶ割烹料理店はどこかあか抜けて高級そうにみえる。
c0252688_15340250.jpg
 路地を入ったところには織田作之助の文学碑もあったりした。
c0252688_15341853.jpg
 これが法善寺。小さな境内であるが寄進者の氏名を刻んだ石柱には私も知るような著名人の名も連ねられており、大阪人の信仰を集めている様子が知れる。
c0252688_15342733.jpg
 法善寺は浄土宗のお寺であるから阿弥陀如来が本尊であるが、こちらの水掛不動尊の方で有名かも知れない。
c0252688_15344079.jpg
 阪神なんば線が地下を通る大通りを渡ると千日前の入り口がある。
c0252688_15345304.jpg
 こちらもたいへんな賑わいである。
c0252688_15350552.jpg
 千日前通をすすみ、なんば南海通と交差する先にあるのがなんばグランド花月である。
c0252688_15351476.jpg
 西川きよしに似せた着ぐるみが呼び込みの真っ最中である。この暑さの中、熱中症は大丈夫だろうか?
c0252688_15353411.jpg
 なんば南海通りを抜けたところにあるのが高島屋本店。心斎橋からなんばあたりを総称してミナミということになるらしい。
c0252688_15354601.jpg
 御堂筋線なんば駅の入り口。1駅分歩いたことになる。
c0252688_15360233.jpg
 淀屋橋駅までもどる。まだ時間があるので栴檀木橋から中央公会堂を望む。
c0252688_15362038.jpg
 中央公会堂も見ておきたかった建物だ。学習交流集会の会場にもなったらしい。宿からも近く交通の便も良い。
c0252688_23565926.jpg
 大江橋を渡りながら中之島を抜ける。遠方にかかる橋は水晶橋である。
c0252688_15363261.jpg
 さらに北上するとフェニックスタワーが見えてくる。交流会の会場はこのビルの27階にある燦というkitchen&Barである。階上からの眺望がすばらしく良かった。
   ※
 開会は18:30と聞いたが、汗まみれになったTシャツだけでも着替えたかったので、18:00には会場に入った。交流会担当の大阪の役員の方が先行して会場入りしていた。何人かは見知った人であった。1日目は何コースかに別れて各地で活動していたようである。三々五々、参加者が集まってくる。結局、開会は19:00ということのようだった。
 学校図書館職員部会では大阪が部長、埼玉が事務局長という組み合わせになることが多かった。歴代の部長であるMさん、Iさんの顔が見える。一番お会いしたかったのは政策検討委員会でご一緒したHさんである。最初お顔が見えなかったが、参加者の紹介コーナーで名前が呼ばれ、いらしていることが分かった。お元気そうな様子で安心した。大阪まで行ってよかったと思った瞬間だが、考えてみれば委員会が開かれている間、Hさんは毎回東京・麹町まで通って来られたのである。改めて頭の下がる思いがした。

 GM5+OL9-18mm、TX1



# by yassall | 2018-08-09 00:17 | 風景 | Comments(2)

つい一言 2018.7

 参院内閣委員会で、実質的なカジノ実施法である「統合型リゾート施設整備法案」が与党の賛成多数で可決したというニュースが入ってきた。明日の参院本会議で成立することが確実であるという。
 安倍内閣はこれまでも「暴走」内閣と呼ばれてきた。最近では「隠蔽」「改竄」「捏造」が加わり、ウソが発覚するや「責任転嫁」「しっぽ切り」、さらには「開き直り」と、その悪質度を増してきた。
 そして今度は「火事場泥棒」内閣とでも呼ぶしかない悪のりぶりだ。西日本のかつてない豪雨災害の中、昨日は参院の「6増」法案を強行採決し、今日は国民の67%が反対しているカジノ法案を強行した。まさにどさくさ紛れというしかない。(担当大臣は石井国交相。災害からの復旧にもっとも先頭に立たなければならない部署の責任者ではなかったのか? それに公明党はもともとカジノ法案には反対だったはずだ。)
 さて、久しぶりについ一言を書かなくてはならないという気になったのは、どうやらここにもアメリカの影がさしているらしいことを知ったからだ。カジノ実施法案の前提となる「カジノ解禁推進法」が成立したのは2016年の12月、衆参あわせてわずか20時間の委員会審議で強行採決された。その折、法案提出者として委員会で説明にあたった細田博之、岩屋毅、西村康稔(自民)、小沢鋭仁、松浪健太(維新)の5人の議員全員が、米国の大手カジノ運営企業「シーザーズ・エンターテインメイト」の日本進出のアドバーザーからパーティ券購入のかたちで「脱法献金」を受けていたというのである。
 私が知ったのは「赤旗」でだが、「週刊文春」でも報じられたらしい。しかし、大手新聞でも、TVでもおっかけをしている様子がない。詳しくは分からないが、「アドバイザー」からとあるから外国あるいは外国籍にある人物からの献金禁止の条項などを微妙なところでかいくぐっているのかも知れない。しかし、実態としてアメリカのカジノ企業による政界工作によって国会が動かされているとすれば、かつてのロッキード事件にも匹敵する大スキャンダルではないだろうか?
 (ロッキード事件のときより動いた金額は少額かも知れないが、飛行機を買う買わないではなく、法律を作る作らないのことなのだから、ある意味ではもっと重大だ。)
 今までにもギャンブル依存症の問題や暴力団の資金源化の問題が指摘されてきた。だが、やれ東京オリンピックで海外から観光客がやってくるからとか、観光立国だとかいいながら、国内のお金がアメリカに吸い取られていくのを手助けしてやるだけに終わることになりそうだ。
 私がカジノに行くことはないだろう。だからといって無縁の話だということではいけないような気がしたのだ。(19日)


# by yassall | 2018-07-19 19:01 | つい一言 | Comments(0)

旧芝離宮庭園

c0252688_18475163.jpg
 7月12日、三田線沿線散策ということで芝離宮庭園に出かけてきた。浜離宮には何度か行ったことがあるのだが、芝離宮の方はなかなか足が向かなかったのだ。芝公園駅からの方が近そうだったので、そちらから歩いた。15分ほどで着いたのだが正門は反対側だった。入り口はひとつだけで、JR浜松町駅改札口のすぐ隣である。なあんだ。
c0252688_18480287.jpg
 もともとは老中・大久保忠朝の邸地。典型的な池泉を中心とした回遊式庭園である。今は都立庭園となり、65歳以上になると70円で入園できる。東京都の日本庭園は多くは大名庭園であり、借景は高層ビルである。以前はそれが京都との差だと残念に思ってきたが、最近では慣れてしまった。
c0252688_19065121.jpg
 こちらは反対側の一番奥まったあたりからの全景図である。
c0252688_18483866.jpg
 西湖の堤を模した石組みはいたるところの日本庭園に見られる。古来、いかに中国文明へのあこがれが強かったかが知れる。
c0252688_18484635.jpg
 ただ、大概はミニチュア版とでもいうべきものが多いが、芝離宮の堤は実際に人が渡れる、しっかりした造りになっていた。
c0252688_18490305.jpg
 少々不思議だったのがこの4本の石柱である。北条氏に使えた武将の旧邸にあったものを小田原から運び、小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当時に茶室の門柱として使用された、とある。何だか佗茶の世界観とは遠い気もするが本当だろうか?
c0252688_18491572.jpg
 離れたところからみるとこんな風に見える。何となくシュールである。日本にも石の文化があったということか?
c0252688_18492621.jpg
 以下、点描をいくつか。
c0252688_18494171.jpg
c0252688_18495017.jpg
 枯滝の石組み。
c0252688_18501184.jpg
 最近は造園の妙を凝らしたつくりより、このような開放的な景色の方が好きになった。
c0252688_18501955.jpg
 この方が都会のオアシス感があるではないか!
c0252688_18504208.jpg
 海水取入口跡。浜離宮もだったが、もとは汐入の池だったらしい。

c0252688_18482454.jpg
 東京モノレールが見えた。ということは羽田に向かうときにはモノレール内から芝離宮が見えるはずだということだろうか? いつか確かめてみよう。
c0252688_18510923.jpg
 梅林があったり、入り口付近には藤棚がしつらえてあったり、紫陽花が咲き残っていたりしたが、どうやら花のシーズンは過ぎてしまっていた。桔梗だけまだ見ごろのようだった。帰路は浜松町駅前を通り過ぎて増上寺に出て御成門駅まで歩いた。距離的には芝公園駅からとほぼ同じくらい。

 E-M10Ⅱ+12-50m

 ※今日は12-50mmを持ち出した。OLYMPUSのレンズの方が5軸手ぶれ補正の実力が分かると思ったのだ。レンズ側に手ぶれ補正があるとボディ側は自動的にキャンセルになってしまうらしい。OLYMPUSはこのレンズの製造と販売を中止してしまった。後発で、もっと描写力のあるレンズが発売されたからということだろう。細長いスタイルが特徴だが、確かにあまり格好良くはない。35mm換算で24mmからはじまり、防塵防滴仕様、いちおうMACROにも対応しているので使い勝手は良いのだが。


# by yassall | 2018-07-14 11:01 | 散歩 | Comments(0)