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2019年 10月 10日 ( 1 )

2019年西部A地区秋季演劇発表会

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 10月5、6日の日程で2019年西部A地区秋季演劇発表会が朝霞コミュニティセンターで開催された。現役時代からの知り合いはめっきり減ってしまい、古巣に戻ったというよりも、一人の観客として足を運んだというスタンスが強まっている。忙しさは分かっているから、あいさつを交わしてくれても、二言三言で済ますようにする。それでいいと思っている。
 1日目は和光国際高校、新座高校、朝霞西高校の3本を、2日目は午前中の細田学園高校、新座総合技術高校を失礼して、午後の新座柳瀬高校の1本を観劇した。朝霞高校は不参加だったが、1年生にやる気のあるのがいるので、来春には出場したいとのことだった。
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和光国際高校『大正ガアルズ時々ボオイ』萩原康節・作
 「風の又三郎」を意識していることはすぐに分かった。主人公の名前も風野佐那である。ある夏の初め、両親を亡くした佐那は慶園塾に引き取られる。慶園塾の塾長は大妻コタカで、どこか現在の大妻女子大を連想させる。女子教育が目的らしいが男子生徒も在学し、男女平等教育に重点があるのかも知れない。武道も盛んである。慶園塾で一夏を過ごした佐那は夏の終わりに九州の親戚に引き取られていく。ますます「風の又三郎」である。
 殺陣を組み立てながら見せ場を作っていく手法は萩原さんが得意とするところだ。部員たちも相当稽古を積んだのだろう。危なっかしいところは少しもなく、なかなか見事な木刀さばきだった。殺陣にからんだ5人が5人ともだから、それだけでもたいへんなことである。
 これまでの作品には過去の何かの出来事から骨肉の間に強い葛藤があり、それが年下の者の方の忍耐とか努力、ときによって捨身によって克服されていくといったストーリーが多かった。今回も慶園塾の塾生の中に佐那の父親の道場を破門された父親を持つ諫早がおり、無念を晴らすことを胸に秘めていたというような設定があるのだが、同年代ということもあり、稽古で木刀を交えるうちに早いうちから気心が知れるようになるという具合で、殺伐としたところは少しもない。
 それは佐那のキャラクター設定に理由がある。剣術の技量は飛び抜けている。だが、艱難に耐えてとか、克己によってというような悲壮なところは少しもない。勝敗にもこだわらない。強い相手と木刀を交えているうちに、親友の仇を討つことも、塾の名誉を守ることもどうでも良くなり、魂と魂のぶつかり合いを感じ取り、楽しくなったというのである。
 作品としての完成度はどうだったのだろうか。いつもさまざまな要素を詰め込みすぎだな、と感じていたが、今回は引き算が利いたのか、窮屈な感じはなかった。ただ、その分、話が飛び飛びでストーリー展開に説得力が乏しかった。何か、大切な要素を置き去りにしながら、無理に進行させてしまっているような気がした。
 審査員の方の講評を伺っていたら初稿では平塚雷鳥を登場させていたらしい。それなら題名の「大正ガアルズ」も腑に落ちるし、塾長の女子教育に対する熱意にもつながってくる。塾生には他に旧藩の家老の娘として生まれ、親が家督を嗣がせるために養子をとったことから家に居づらくなった八重も登場させている。元々は理不尽な封建遺制との抗いというテーマも持っていたのだろう。それはそれで、2時間ものくらいに拡大して、見てみたい気はする。だが、このままではそうした物語の厚みまで想像しろというのは無理である。
 エネルギーを客席に届けたいということなのだと思うが、怒鳴り声になってしまって会話に聞こえて来ないし、人間関係の変化も読み取れない。新田五郎のような魅力的なキャラクターが提示されながら生かしきれていないのが残念だった。審査員も指摘していたが、人物たちがつねに木刀を携行しているのは不自然だった。皆、「剣では守れないものがある」ことに気づいたのだから。

新座高校『夢遊少女』別役慎司・作 顧問・潤色
 春の発表会は不参加のようだったので心配していた。顧問のGさんと立ち話をしたら、「今回は作りきれませんでした」とはいうものの、モチベーションは持続しているようなので安心した。部員も揃っているようだ。
 面白い台本をつかんだと思った。一見、ファンタジー物のように見えるが、もう少し深くサイコドラマとしての可能性を持っている気がした。「頑張り屋さんなのよ。緊張とプレッシャーの中、毎日過酷な仕事に従事して、寝不足からつい居眠りをしたのね。そのとき、違う何かが目覚めてしまった」というような科白があるように、現代社会あるいは現代の労働環境による人間性の抑圧を描いているように思われる。「違う何か」に目覚めたと言っても、それは自己の解放なのではなく、自我の分裂なのである。物語が佳境にさしかかると、三人で夢遊状態に入って、シンクロし、口から未来の予言を発するという超常的な出来事も起こる。日常の奥に潜むものを垣間見せようということだろう。
 セットはもう少し整理した方がいいと思った。翔子が座っているのは彩色されたBOXではなく、小さめの椅子でいいと思ったし、人形を出し入れしたり、ひっくり返したりするのも玩具箱一つでいいと思った。淡々とした科白回しはそのままでいいと思ったが、そうした中でも単調になりすぎない工夫が必要だろう。審査員は不安を感じさせる照明と評価していたが、医師の錦戸などはけっこう魅力的に出来ていたのだから、肝心なときに顔に照明が当たっていないのはやはり失敗だ。
 芝居のちょっとした見せ方のテクニックを磨いていったら、もっともっと面白い舞台が作れると思う。Gさんも「次はがんばります」と言ってくれたし、新座や朝霞西が安定した力を発揮してくれないと、地区が地区として成り立たなくなってしまう。

朝霞西高校『ラストチャンスは二度やってくる』中村達哉、久米伸明・作
 鴻上尚史のような小難しい台本ではなかったが、なかなか面白いところをねらったと思った。キャストの8人中5人が1年生という配役の中ではやりやすかったのではないか。といっても、中学生を高校生に変更したことが功奏して、高校演劇として物足りないことはなかった。タイムマシンものだが、(一人の男子生徒を二人の女子生徒が奪い合う)恋の鞘当てあり、女の友情ありで、同世代の観客の心に届くものがあったのではないか。
 演技は1年生が大半を占めるチームとは思えない達者ぶりだった。ドクターが登場するまでに完全に客をつかんでいたのではないか。見せ場は見せ場で作りながら軽妙なテンポで進行できた。後半はやや失速した。シリアスな場面の方がかえって難しかったようだ。どの加減で感情移入したらよいか迷っているようでもあったし、特に自分の科白がないときの演技がまだまだだった。それでも次が楽しみだと思った。

新座柳瀬高校『 [Henri』G・バーナード・ショウ・作 稲葉智己・翻案
 (新座柳瀬はこの発表会で県中央発表会への出場を決めた。おそらく柳瀬は11月に向けて台本・芝居を練り直していくと思う。そのことを踏まえながらも、これから書くことはネタバレになることを承知で読んで欲しい。)
 新座柳瀬がG・バーナード・ショウの『ピグマリオン』を原作として芝居を打つのは2度目である。2014年版は題名を『Eliza! 』とした通り、イライザが自らの意志で出自の階層の限界から脱して行こうとする生き方を描こうとしたものだった。そこのところでは、「花屋で働くために正しい発音を学ぶなんて信じられない!」との問いかけに、イライザが「それはあんたたちには分からないことだろう」ときっぱり断言する場面は残されている。
 今回は題名がヘンリーに変えられている。表記を発音記号としたのは「h」の発音に苦心したイライザが反復練習を延々と続けていく予告であるよりも、イライザに「私の名前を正しく呼んで欲しいのだよ」と告白するまでに心が動いていったヘンリーの存在を濃くしたかったからだろう。natsuさんはずばり「今回の台本はラブストーリー」であるとしている。
 これは審査員の指摘に助けられての解釈なのだが、過去におけるパーティでの態度をミセス・ビギンズによってたしなめられたように、ヘンリーにはコミュニケーション障害という一面がある。イライザへの恋に陥っていく過程は、ヘンリーが自らのコミュ障を克服していく過程でもある。
 「h」の発音を克服したイライザがヘンリーと固く抱擁し合うというエンディングは、イライザはイライザのままで、その生き方に強く惹かれたヘンリーと、ただ優しいだけでなく、自分を見守り、支えてくれる存在として、ヘンリーに対する信頼がイライザに生まれたということであれば、正しい選択なのではないだろうか。2014年版のときにも書いたが、イライザが「貴婦人」となって出自としての庶民階級から離脱し(というより捨て去って)、「上昇」をとげていく物語には、少しも心を惹かれないからだ。
 さて、そうなると登場人物たちの心の変化は十分に描き切れたかというのが気になるところだ。natsuさんも指摘していたように「ストーリーを展開させるピース」は確かに配置されている。だが、それらが正しく機能し、客席に伝わっていったかというと、まだ不十分さがあったように思う。たぶん、智さんとしては芝居があざとくなるのを嫌っているのだろうが、もう少し鮮明に描かれた方が親切である。キーを握るのはフレディかも知れない。ヘンリーがフレディに対する嫉妬心あるいはライバル心に気づくところ、反対にフレディが恋の勝者になるのは自分ではないことを悟るところ、今でも「ピース」としては用意されているのではあるが、それらが漸進的に積み重ねられて、線として結びつけられていったらエンディングはさらに感動的になるのではないか。
 イライザを気に入ったと言い、正しい発音が出来るようになっただけでは上流階級の仲間入りは出来ない、明日から私のところに通いなさいと言いつけたミセス・ヒギンズとは、その後どうなったのか。気になるところだが、イライザにはいわゆる「貴婦人」になって欲しくないし、言葉が変われば人間も変わってくるものだと思っているから、あまり心配していない。
 演技のことが後回しになってしまった。最初のころのイライザの蓮っ葉なもの言いには感心した。今まであまり発したことのない科白だと思われるが、生き生きと威勢よく、それでいて純情さを失わずに演じられたと思う。ヘンリーも1年生とは思えない存在感だ。少し弱々しく感じるところもあるが、フレディを演じた3年生に負けていなかった。これからが役者として楽しみだ。
 本筋ではないかも知れないが、「h」の発音の訓練のための例文はよく出来ていたし(どこかの教本にあるのか?)、わざと「h」を抜かした発音も面白く出来た。ヘンリーが「少しずつ出来るようになるのではなく、あるとき突然に、どうして今まで出来なかったのだろうと不思議に思うように出来るようになるのだ」と励ますところは、「量から質への転換」「反対物への転換」という弁証法の法則を思い出して、妙に納得させられた。


by yassall | 2019-10-10 01:36 | 高校演劇 | Trackback | Comments(0)